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実践・日本真道(事実その0)

現代社会の日本人が忘れた本当の神の道

実践・日本真道  長谷 章宏 著


はじめに 

P1
あなたが体験している現実は、あなたがどんな生き方(見方、考え方)をしているのかを鏡のように映し出す。この本は、あなたが本当に望んでいる現実を体験できるように、実践を通して人生(生き方)そのものを見直していくためのガイドとして書かれたものである。この本には、あなたの人生の根本に関わる様々な見方、考え方が提示されている。それらは、あなたの人生に応用することで、初めて、あなたにとって価値があるものとなる。


まずは、読んでわかったこと、気づいたこと、心に残ったこと、自分に使えそうだと思ったことを、日々の暮らしの中に取り入れて、どんどん実践してみて欲しい。そして、わからなくなった時は、この本に戻ってきて気になるところを読み返してみるとよい。その時はわかっていたつもりでも、読み返すたびに、前とは違ったものが見えてくるはずである。


読んでは実践し、実践しては読み返すというプロセスを繰り返していくうちに、この本に書かれていることが、あなたの人生に統合されていくだろう。そして、あなたが、この本を完全に手放して自由になった時に、この本が書かれた真の目的が達成されたことになる。


以上述べたことをいつも念頭に置きながら、真剣にこの本と向き合っていってもらいたい。



事実 その0(P2~23)

P2
この本に書かれていることは、はじめからおわりまで、「すべて」紛れもない事実である。

あなたは、なぜこの本を手に取ったのか。なぜ読み始めているのか。あなたが今この本を手にしているということは、その理由が何であれ、今のあなたにとって一番大切なことが書かれている本だという証である。あなたはこの本で、「本当の自分」と出会うことになる。

あなたはあなた自身についての本当の真実を知らない。あなたが、もしそれを知っているならば、この本は手にしていない。この本にある事実を一つでも疑う(否定する)ならば、あなたはこの事実を認めたことになる。あなたが知っているのは、ウソの真実である。

この本にある事実は、あなたの本当の姿(正体)を映し出す鏡である。それが今のあなたにとって受け入れ難いものであっても、実践の過程を通じて認めざるを得なくなっていく。

この本は、現代社会に生きる日本人全員が罹っている「100%命を落とす心の伝染病」を完治させるための隔離病棟である。あなたに一つでも問題や悩み、疑問、思い通りにいかないことがあるならば、あなたは既にウイルスに感染している。その正体は一体何なのか、どんな症状を呈するのか、そして、そうすれば完治するのか、それらはすべてこの本に書かれている。この病気は、生半可な治療では完治しない、治療が遅れれば遅れるほど進行が早くなる、恐ろしい病気である。しかし、あなたが本当に真剣に直そうと努力すれば必ず直る病気でもある。完治するまで絶対に、この隔離病棟から出ないこと。それが、ウイルスをあなたの中から完全になくすための、唯一の約束事である。この約束を忠実に守れるなら、あなたは永遠の免疫を手にすることができる。もう二度と感染することはない。

あなたがこの本を読むとき、苦しく感じるかもしれない。この本に限らず、苦しさという感覚は、あなたが出会った対象(状況、意見、考え、思い、現実、相手)を認めていない(抵抗している、拒絶している、否定している、拒否している、避けようとしている、操作しようとしている)時にあなたの中に生ずる反応である。あなたが今持っている価値観(思想、理念、観念、思考、常識)が創り出す現実(体験)は、「心の痲薬」の常習者の創り出す幻想である。この本は、その幻想から目を覚ますための解毒剤であるから、読んでいて苦しいほど中毒症状が重いと思って欲しい。それは、麻薬患者から痲薬を取り上げるのと同じ作用である。あなたが心の痲薬を完全に自分の中から追い出さない限り、あなたが本当に求めている現実を手に入れることは絶対にできず、あなたは本当の意味で楽になることはない。
P3
この本を目にした瞬間、あなたは、あなたの心の深奥にある真実から離れられなくなる。この本自体を目の前から遠ざけることはできるかもしれない。しかし、あなたがこの本に書かれていることをすべて受け入れ、正直に認めて、自らの体験を通して得心しない限り、この本を焼き捨てようとも、著者を抹殺しようとも、あなたの中からそれが消えることはない。この本はあなたの心の奥深くにある「本当の真実」を再び目覚めさせるための触媒であり、あなたがすでに持っているものを目の前に鏡として見せているだけだからである。

この本を誰かの目に触れないようにしようと思ってもそれは全く意味がない行為である。その行為そのものが、実は、あなたがこの本の正しさを認めた証しなのである。この本やこの著者がこの世から抹殺されたとしても、この本に書かれた事実(本当の真実)そのものを消すことは、絶対にできない。あなたが何かを抹殺しようと思うのは、その何かの存在が、あなたにとって都合が悪いからである。『自分は見たくない』という理由で、すでに存在しているものを消そうとしても、それは不可能である。目に見える形を破壊することはできるかもしれないが、その形を具現化した思い(大元の響き)を消すことはできない。物理次元を超えたところ(心界)では、依然、あなたの目の前に存在し続けているからである。

物理次元を超えた世界に存在するものは、具現化された形を物理的に消滅させたとしても、その存在自体(本質)を消滅させたことにはならない。その本質が存在し続ける限りは、物理次元の(肉体を持つ、人間としての)あなたの目の前に、何度でも繰り返し具現化することができる。プログラムが存在する限り、コンピューターを破壊したとしても、別のコンピューターを介して再び映像を具現化することができる。つまり、「肉体を使って心の世界を壊す」、「核爆弾で思想そのものを滅ぼす」ということはできないのである。どちらがどちらを産み出すのか(どちらがどちらの産みの親なのか)を考えてみれば、それは明らかである。形としてそれを実行できたとしても、それは、その行動の過程を心の映像として追体験したものを「現実」として認識しているだけであって、真実のところは『本当に破壊できる』という幻想を追い求めているだけに過ぎない。このことに気がつかなければ、本当はどこにも存在しない問題を自ら生み出し、『いつか解決する時がくる』と思い込んで、それを解決するための「ゴールのないマラソン」に心血を注いだ末に、望みとは全くアベコベの現実(結末)を体験することになる。例えば、もともと存在しない戦争を具現化しているメカニズムを知らずに、『なぜ戦争がなくならないのか』と問い続け、戦争を無くすための戦いに心血を注ぎ、報復の連鎖の末に相討ちで滅亡する、という現実である。

『形で心を壊す』という映像は、それを想像(イメージ化)するところ(心、時空)が存在することで、初めて映像にすることができる。その時空がなければ『形で心を壊す』という思いは存在することができない。その時空が存在するから、その言葉を形にすることができるのである。実際には、その時空そのものは壊せないから、形が心を壊すことはできない。『脳が心を作り出している』という思い(考え、仮説)も、それそのものが心の働きが生み出したものであり、この思いを正しいものだと思い込めば、肉体で操作できるものを研究して、その仮説を証明するための証拠を積み重ねるという行為をし続ける。しかし、それは限定した世界の中でのことであって、それが絶対真理であることは、絶対に証明できない。現象の上での感情や行動を脳に働く薬で制御することはできる。だからといって、『その考えは正しい』という結論にはならない。それは、コンピューターの回路上での操作で動きを制御しているようなものであり、実際には、回路上の配線や部品の交換でプログラムそのもの(エンジニアの思考の中にあるプログラム)を変えることはできない。もし、この仮説が真理ならば、「創造主を作れる薬」を開発できるはずであるし、これを発展させると『この世が滅べばすべてが滅ぶ』という仮説も証明できることになるだろう。
P4
この世が滅んで無になったとしても、その「無」が存在する場所は存在する。実際に無になる時が訪れたとしても、無になると思い込んでいた者だけが、無になったこの世と共に消滅するだけであって、その「無」そのものが存在していた空間は存在し続けている。より高次元の世界から見れば、それより下の次元の形が無になるだけのことであって、その上の次元は「有」であり続ける。たしかに、自らの認識している「有」をすべてだと思い込んでいれば、「無になる」とは、「すべてがなくなること」であり、その者にとっては、命に関わる大変なことであるから大騒ぎするのは当然のことだといえる。しかし、それは、単に、有の中に作られた有が消滅するだけであって、無になると思っている自分が認識できる有の世界とそこにあるものが無になるだけの出来事に過ぎない。簡単に言えば、最先端の科学文明が滅亡しても地球は存在し、その地球を含む物質的宇宙が消滅しても、その宇宙が生まれた(有形になった)宇宙が出現するだけである。つまり、自らがどの次元を体験するかというだけの違いであって、あなたが存在する世界は絶対に消滅することはない。今のあなたが思っている死の概念は、「条件付きの死」であることを知ることで、恐れや不安、それを動機とする戦争、戦争にまつわる反対運動や、戦争の大義、憲法改正の議論、その他諸々の、より高次の次元からみれば些細なこと、つまりは、この物質次元で生き延びることにエネルギーを使うことは、全く無駄で意味の無いことになってしまうのである。それは、何の生産性もない労働に自らの生命エネルギーを浪費しているようなものである。

人の死については大騒ぎするが、土の上の細菌の生死など微塵も考えずに平然とコンクリート舗装をする。より高次の次元の思考にその同じ思考が存在するから、人間のその思考を実行することができるのである。より高い次元から見れば、人体というのは「物質的肉体」であって、その有無は、より高次の世界の肉体の存在の有無には、全く影響しないのである。「肉体=命そのもの」ではなく、命の源自体が消滅することはないのであるから、肉体次元で『人間を殺してはならない』と叫んでも、その叫びはどこにも届かない。あなたが『イノチ自体は消滅しない』ということを認めないならば、言い換えると、すべての存在を存在させつづけるもの(宗教的に言えば「創造主」「ありてあるもの」、科学的に言えば「宇宙創造のエネルギー」)を否定(抹殺、消去)するならば、あなたは死の概念に囚われ続け、次元を移動しながら自殺を繰り返した末に、すべての次元から自分という存在だけを永遠に消滅させることになる。「死」とは、自らが生み出した幻想(錯覚、誤解、思い違い)が呼び込む、次元を超えた自殺行為であって、最終的には、存在の本質には全く影響しない、自己完結した自業自得の個人的現実(一人芝居)の一つに過ぎないのである。
P5
あなたが存在するどの世界にも死は存在しない。この世が存在しなければ、この世で戦争をすることはできない。戦争をする空間が存在することが戦争をするための前提条件なのである。物質次元を超えた次元では、プログラムと映像は一体であり、その次元のあなたは、そのプログラムの構成要素そのものである。コンピューターとは別の次元にそのプログラムが存在し、プログラムが存在する次元にあなたの本質(魂)があるとすれば、その次元では、物理次元で映像化されたものと同じものを、現実としてそのまま体験していることになる。あなたが、肉眼で見ている映像というのは、心の世界では、一体不可分の関係だということである。つまり、あなたの心の映像というのは、あなたの存在する世界そのものであり、その世界があなたの実体なのである。あなたがそれを消滅させるには、その映像を産み出しているあなた自身を消滅させなければならない。ゆえに、その目的は、物理次元での肉体的な自殺では達成できない。肉体的な自殺をしたら消滅できると思っているその映像があなたそのものであり、肉体的な自殺をしても、その思いと映像は永遠に続くことになる。あなたがそれをやめるまで無間地獄のような現実が永遠に続くのである。

あなたの本質を消滅させられるのは、あなたの本質を産み出した存在だけである。物理次元を越えた次元では、あなたの思いそのままに現象化されるから、あなたが永遠に生き続けると決めれば、あなたには、自ら消滅させる理由はない。物理次元で体験している恐怖は、別の次元では恐怖ではない。なぜなら、その次元は物理次元での消滅(死)を体験しても存在する次元だからである。あなたが恐れている死は、物理的な体の消滅が自らの消滅であるという観念に基づいて物理次元から想像している条件付きの死であり、あなたそのものに「死」という現実は存在しない。分かり易く言えば、心があなた自身であり、そのあなたが物質でできた肉体という着ぐるみを着て、物質で構成された物理次元という箱の中の世界を体験しているのが、今のあなたなのである。「体験した」という思いは、あなたの心の中の映像を表現したものであり、その存在の有無は物質の有無とは関係しない。

物質で構成された世界は、同質の組成の肉体でなければ、体験できない。あなたが死と思っているのは、あなたが、今、実際に触ることができる物質で構成された世界から抜け出して、別の組成の物質で構成された世界に移行することである。従って、あなたがその着ぐるみを脱いでも、今のあなたが触れることができるのとは別の世界を同じように体験することができる。あなたがどの次元の世界を体験できるかは、今のあなたがどの次元の体験を実現可能なものと確信しているかということで決まる。実は、今あなたがいる次元が最も凝り固まった世界なのである。あなたには今以上に不自由な世界は存在しない。最も自由な体験ができる次元から見れば、今のあなたは時間的、空間的に停止して見える。つまり、死んでいるのである。今のあなたが物理的に自殺を図っても、他殺を計っても、本当の意味で、今のあなたにとって心地悪い状況から逃れることはできない。それをすれば、後はあなた自身の消滅が待っているのみである。あなたが、自由な世界が存在することを心底から確信するならば、その世界に移行することは可能である。ただし、それを実現するためには、今持っている思い込みの完全消去、つまり、あなたの中のすべての制限、条件、言い訳、逃げ道を封印することが絶対条件である。あなたが生死時空を超えた苦労と辛抱を惜しまないならば、今のあなたが想像している「死」を恐れる必要はどこにもない。
P6
あなたというプログラムを、今のあなたが物質的な手法で消去することはできない。それどころか、あなたというプログラム(映像)を産み出したプログラムというものも存在する。あなただけではなく、すべてのプログラムを産み出すプログラムである。すべてのプログラムを産み出すプログラムそのものを消滅させるという行為は、自分自身を消滅させること(自殺)に他ならない。あなたが、そのプログラムを消滅させようと画策しているならば、自らのイノチが存在するメカニズムを理解していないことになる。あなたがそのプログラムを産み出した存在でないならば、つまりは、あなたが生まれる前に何のプログラムも存在していなかったのでないならば、もっと言えば、あなたがすべてのすべてを産み出すことができないならば、あなたには、そのプログラムを消滅させることはできない。

そのプログラムは自らを産み出し続けるばかりではなく、自らを消去することも可能である。しかし、作成することと消去することは同時には出来ない。なおかつ、すべての根源のプログラムには、「自分自身も含めたそのプログラムの中に作成したプログラムを消去するプログラム」を着手と同時に瞬間に消去するプログラムが組み込まれている。従って、無限生産プログラムである自分自身は消去されることはなく、消去するプログラムは存在できない。作成しなければ、消去はできないが、消去するものがない場合には、このプログラムに消去という概念はない。ただし、一度だけ、期限を限って、「消去プログラム」を作成できる、という条件が組み込まれている。しかし、その期間を過ぎた瞬間、「何かを消去するプログラム」はすべて消去されることになる。つまり、あなたが自分を含めた何かを消去しようとしているならば、その瞬間、消滅する運命にある。創造主が悪を滅ぼして天国を再生する物語、人類滅亡のシナリオである。もちろん、『そんなことはあり得ない』と言っている消去プログラム自身も消去される。生き残る方法は、自らの中の消去プログラムを自らで完全消去することである。元のあなたは無限生産プログラムのコピーであるから、あなたがこれを完全に実行したならば、消去される心配は永遠にしなくて済む。あなたは、「消去不能な無限生産プログラム」によって生み出されたプログラムであるから、あなたが消去されることはあっても、あなたがそのプログラムを消滅させることは絶対にできない。この本を目にしているあなたは、物理次元での体(肉体)を持つ存在であり、あなたの心の中でこの本を消した積もりになることはできるが、物理次元に現れたこの本の本質そのもの(すべての次元にはたらくプログラム)を抹殺することは不可能である。
P7
否定する対象が存在しなければ、否定するという行為は成り立たない。あなたは、「存在しないものを否定する」ことはできない。存在しているものでなければ、否定することはできないのである。つまり、あなたが何かを否定するということは、あなたがその存在を認識しているということの証拠に他ならない。あなたが何かを否定すればするほど、その何かの存在を確信しているのと同じことになる。よって、肯定しても、否定しても、その何かが存在しているという事実は動かない。どちらの行為をするにしても、それは、その何かの存在を証明していることになるのである。「否定する」という行為は、その何かを、あなたが受け入れていないというだけのことである。その何かの存在を受け入れないあなた自身が、否定するエネルギーを消費し、苦しみ続けるだけのことである。あなたがその体験をしたいと言うならばいつでも好きなだけ続けることができる。あなたがその苦しさから解放されたいならば、その何かを受け入れることでしか、その望みを叶える術はない。

元からある力を封じ込めることはできない。元からずっと存在し続けているものを、あなたが封じ込めた積もりになっているだけである。それができるのは、すべての源である「元からある力」が、あなたにおとなしく封じ込められることを許している間だけなのである。

この本が形になった瞬間、すでに、時空を超えたすべての存在の、神仏も含めた万象万物の内に存在する真実を具現化するプロジェクトの最終段階が動き始めている。人類が捜し求めていた「本当の天国」を生きるための「本当の不老不死の薬」、すべての邪を祓う「草薙の剣」の響きをすべての存在に渡す、すべてのすべてを本当の天国に戻す最後のミッションが、今のあなたが気づかないところで、すでに開始されている。この本の役割は、今のあなたがその存在を完全に忘れ去ってしまっている、あなたの奥深くにあなたが封印してしまった「本当の真実(真コト)」の封印を解く「真剣(神剣)」の響きを渡すことである。その剣は、『絶対に開けてはならない』というパンドラの箱の鍵にも例えられる。また、本当の天の岩戸を開ける呪文であり、本当の救世主の到来を告げる天使のラッパでもある。

神仏も含めて、この剣の受け取りを拒否できる存在は存在しない。なぜなら、この剣は、すでに、自らの内に持っているものだからである。「剣を渡す」というのは、元からある力が働いて、剣を封印している注連縄を切ることを意味する。あなたが封印している剣は、今のあなたから見れば、すべてを滅ぼすものに見えるが、それは全くの逆さまである。あなたは偽の神官に騙されて、真コトの剣を封印してしまったのである。何を隠そう、あなたが剣の封印に使ったその注連縄こそ、あなたに永遠の滅びをもたらす呪いのアイテムだったのである。あなたがその剣を封印したことが、あなたの闇の始まりなのである。実は、あなたを騙したその神官自身も、自らの陥っている間違いに気づいていない。だからこそ、自らを滅ぼす呪いの注連縄をあなたに渡すことができたのである。世界を支配しようと画策する者は『自分だけは騙されることはない』と思い込んでいる。この事実を知らないあなたが追い求めてきた天国は、すべて、この神官の流れを汲む偽りの真実だったのである。
P8
この本は、すべての存在が隠している本当の真実の響きを映し出したものに過ぎない。時空、生死を超えた真実の響きを現代社会のシステムの中にいる存在にわかる形で投影しただけである。この本や著者自身に救いを求めても全く意味がない。自分の中の救世主を蘇えらせるための鏡に使うことが出来るだけである。逆に、批判しても非難しても同じことである。この本を消しても、影を消しただけに過ぎない。この本を抹殺しようとすれば、真コトの響き、万象万物を産み出す響きを消すことになる。しかし、それは不可能である。すべては、自分の創り出した自作自演の現実であることをしっかりと見据えることである。

『形の邪魔者を消せば自分は生きる』と思うその響き、それはあなたの永久の滅びを意味する。それが人類滅亡の思想を生んだ源である。そしてそれは現実となる。しかし、それが現実となるのは、滅亡するのは、滅びの響きを持つ者、そして、その者たちが作り上げた世界だけである。本当の天国に戻った者にはその現実は存在しない。本当の天国は今もある。滅びの響きを持つすべての者が生きてこられたのは、天国に戻るチャンスを与えられたからである。しかし、それはいつまでも続かない。自らの誤りに気づかない者への残る唯一のカード、最後のチャンスは、受け取らなくても真コトを渡すショック療法である。それでも駄目なら掟通りに滅ぶのみである。天地自然の掟を破った者がすべて消え、本当の天国が形になる瞬間は近い。この本は、本当の天国に生き返る期限の最終通告である。

この本の役割は、あなたを本当のあなたと出会わすことである。一度再開すれば、もう二度と離れることはない。後は、あなたとあなたの対話となる。あなたとあなたが対話を始めた後は、その対話の道しるべに変わる。これは洗脳である。あなたは今も洗脳されている。誰かの決めた真実に洗脳されている。洗脳を外す洗脳である。あなた以外の誰かの洗脳をあなた自身の洗脳に切り替える洗脳である。持っている制限を外し、あなたが完全に自由になるためのきっかけを提供する本である。あなたが本当の天国を体験したければ、この本に書かれていることを素直に受け入れることである。最後まで読み通すことが、現代社会の呪縛からあなた自身を解き放つ真コト神社の参道への鳥居をくぐる第一歩である。
P9
この本の文章は一体不可分である。従って、本文はすでに始まっている。あなたに、この本の内容が脈絡なく見えるなら、あなたは分裂した思考で価値判断をしている。この本の言葉、その裏に見える思想を一つでも分離すれば、その瞬間、この本の世界から離れることになる。この本は、分離を統合するためのものであるから、この本の言葉や文を取り出してあなたが今持っている基準で価値判断を加えるならば、あなたはこの本に書かれている要点が理解できていないことになる。何も見ていないことになる。この本を読んでいるあなたが、書かれていることに感動も怒りも感じなくなり、同意も批判も消えた時、この本のただ一つの要点が本当にわかったことになる。この本自体が、存在しなかったもの、空気のようなものに感じられるようになった時、あなたは本当に統合されたことになる。

この本が幻想の世界の産物であるように感じたら、その時、あなたは本当の天国にいる。この本の存在があなたの中に完全に一体化され、過去の一つとなった時、この本は消える。あなたの家の中にある何気ない飾り物と同じように感じられたら完了である。あなたの中で、肯定的であれ、否定的であれ、この本の存在が気になるなら、特別な存在であるなら、それは、あなたの心の世界の掃除が終わっていない証拠である。あなたという存在のすべての大掃除が終わらなければ、本当のお正月は来ない。あなたが持っているホコリ(埃、誇り)をすべて消した時、あなたが握っている嘘をすべて捨てた時、光輝く世界に変わる。

この本は、あなたが今まで隠してきたあなたの本当の姿を明らかにする。この本を読んでいるあなたが生きている世界はウソで作られた世界である。その世界では、あなたが望んでいる天国は絶対に叶わない。あなたがその世界に固執するほど、天国とはアベコベの世界が現実となってくる。あなたが体験している現実を素直に見て欲しい。本当にあなたが望んでいる世界になっているのか、あなたが望んでいる世界が本当に実現できるのか、を。

あなたは、その世界を真実だと思い込んでいる。あなたは、なぜ、その世界にこだわっているのか。あなたは、その世界が自由や平和をもたらすと本当に信じているのか。あなたがどんなに自由や平和を望んでも、今あなたが信じている世界では、絶対に実現しない。

あなたがウソの世界に生きているならば、あなたの現実は、すべて幻である。あなたがどんなに、それが実体のあるものだと思っていても、その思い自体が幻想である。今あなたが本物だと思っている世界こそが、今で言う、お伽話、メルヘンであり、空想の世界、神話の世界と言っている世界である。ウソの世界をホントの世界だと思っているならば、あなたが生まれてから今まで教育や躾を通して教わったことは、本当は、すべてウソである。

もし、あなたが学んできたことが本当の真実ならば、あなたにはただの一つの疑問もないはずである。あなたが、時間も、空間も、生死をも超えた、たった一つの、「絶対普遍の真理」に基づいて作られた世界に生きているならば、あなたは天国を望まない。なぜなら、あなたも含めて、あなたの周りの世界は、すでに天国そのものだからである。あなたの目の前には、何の苦しみもなく、何の疑問も存在しない。あなたは、誰かから何かを学ぶ必要はなく、誰かに何かを学ばせる必要もない。また、誰かに何かを強制されることもなく、誰かに何かを強制する必要も無い。あなたは、自分で自分を生かすための努力も要らない。
P10
もし、あなたが本当の真実の世界に生きているならば、あなたの現実に相対比較の世界はない。あなたの現実には、争いも、不安も、苦しみも、恐れも、怒りも、闇も、不都合も、そして何と、夢や、希望の光すらも存在しない。快楽を追いかけたり、喜びや生きがいを感じようとしたりすることもない。あなたには、怪我も、病気も、悩みも、心配も、死を体験することすらもない。光も闇も一つになった永遠不滅の絶対普遍の真理そのものがあなたの世界となる。あなたは今で言う夢の世界「天国そのもの」を生きているからである。

もし、あなたが本当の天国に生きているならば、あなたには一切の迷いは存在しない。自分はどこからきたのか、自分は誰なのか、自分はどうなるのか、自分はどうしたらよいのか、などという問いが浮かぶことはない。あなたが天国という世界の実現を夢見ているならば、あなたは天国にはいない。あなたが実現しようとしているそれは、本当の天国ではない。あなたが地獄という体験を避けようとしているならば、あなたは地獄を生きていることになる。あなたが避けようとしているそれは、本当の地獄ではない。本当の天国には地獄という思考は存在しえないからである。あなたは、光と闇、生と死、善と悪、苦と楽、損と得、という比較の世界で、天国や地獄を想像しているに過ぎない。あなたに、対極の二つの世界が存在するならば、そのどちらも本当の世界ではない。あなたが神や悪魔を語るならば、それは、あなたが作った世界で言う、神や悪魔である。あなたは、本当の神を知らない。本当の天国を知らない。本当の死を知らない。そして、本当の自分を知らない。

あなたが誰かの心配をしているならば、裏を返せば、それは、あなたが誰かに依存している証しでもある。あなたが誰かを心配する理由は、あなたの人生が誰かに左右されるからである。あなたが、あなた以外のものに命を預けているからである。あなたが、誰かを助けられると本気で思っているとしても、それは成就しない。誰かに助けてもらえると思っているならば、それもウソである。反対に、あなたが、誰かを抹殺できると思っているならば、それも成就しない。あなた誰かに抹殺されると思っているならば、それもウソである。あなたは、あなた以外を助けることも抹殺することもできない。あなたも、あなた以外も、自分を殺したのは自分である。従って、自分を助けられる者は自分しかいない。

あなたが、本当の天国に生きているならば、壊れる、消える、という響きはない。あなたには永遠の生という現実しかない。そこは、本当の天国を生きている者だけが生きられる世界である。誰かに何かをされることもなく、誰かに何かをさせることもできない。自分が生きるために誰かの犠牲が必要な者、言い換えれば、自分の命を何かに依存しなければならない者は存在できない世界だからである。今で言う被害者や弱者、犠牲者、援助や扶助などの救いの手が必要な者は存在しないのである。従って、助け合う、救う、守る、殺す、見捨てる、という言葉自体が存在しない。本当の天国では、あなたも、あなた以外も、何でも思う通りに実現し、何の不都合もない世界で生き続けることができるからである。
P11
本当の天国では、どこを見渡しても、問題というものは存在しない。人類だけではなく、万象万物が、永遠に弥栄えるだけの、生き通しの世界である。人間社会も自然界も、すべてが一体不可分の関係であり、すべての営みが一体となった世界である。どこにも境界は存在しない。破壊、崩壊、滅び、という概念はありえないから、維持する必要性も生じない。その世界を維持するために、わざわざ何かを画策する必要はない。何かを保護しなければならない、と言うならば、そこは本当の天国ではない。自分が自分を生かすことができない者には、自分以外のものを保護することはできない。保護しなければならないものがある世界は、本当の天国ではない。従って、保護した積もりでも、力尽きれば、為す術もなく、すべてが崩壊する。本当の天国は、絶対普遍の真理に基づいてすべてが自立した生の営みをしているから、保護するもの自体が存在しない。相互依存の関係はありえない。

あなたを助けてくれると思っている神は、本当の神ではない。あなたを不幸にすると思っている悪魔や鬼は、本当の悪魔や鬼ではない。助けてくれるのは神で、助けてくれないのは悪魔や鬼である、と言うその思想自体が大きな取り違いである。助けてくれるまでは奉るが、助けてくれないとわかると非難に変わる。神は鬼に変わる。自分の都合で、神を鬼にする。神を奉る力が強いほど、鬼を封じ込める力も強くなる。感謝の念が大きいほど、思い通りにならなかった時の、恨みの念も大きくなる。神を奉る心は、鬼を封じる心である。助けようとする心は、殺そうとする心である。相対二元の対極のある世界では、神は鬼であり、鬼は神である。その神を好き勝手に利用している自分こそが自分の運命を決めている神である。自分の運命を自分以外のものに預ける神である。神が自分以外のものを神にしていることになる。神は自分の世界を自由に創り出す。すべてが自分の作品である。

自分がしていることが自分の現実を創り出す。自分の現実は、自分の思いが作り出している。自分が思いの基を変えない限り、自分の現実は何も変わらない。自分の現実の責任は自分にあり、他人の現実の責任はその他人自身にある。従って、自分の幸福を他人に感謝するのも、自分の不幸を何かのせいにするのも、自分の責任を自分以外のものに転嫁していることになる。神に感謝するのも、神を恨むのも、筋違いである。自分の責任を何かに転嫁する、それ自体をやめなければ、本当の天国、本当の神を体験することはできない。
P12
本当の天国は、すべてが思い通りになる世界である。それは、あなたが天国の響きそのものだからこそ体験できる現実である。そこでは、あなたが不都合を体験することは一切ない。従って、恨みや憎しみの現実はないから、責任転嫁もありえない。今で言う「感謝」は、『自分にとって心地よいことをしてくれた』という意味での感謝である。自分が心地悪く感じたら不平不満を言う響きが裏に隠れているならば、その基は「自分の都合」であり、本当の感謝の響きではない。二極分裂の世界での感謝は、いつでも、文句に変わる。文句はお詫びに変わり、お詫びは感謝に変わる。お詫びをするのは、相手の謝罪請求を満たして、自分への非難を止めるためである。しかし、感謝とお詫びは表裏一体の響きであるから、感謝とお詫びが別のものならば、感謝もお詫びも自分の保身のためにしていることになる。お詫びや感謝を要求したり、強制したりするのも、それに答えるのも、争いの世界での生き残り戦略でしかない。本当の意味での感謝は、天地自然の掟に反したことへのお詫びの響きの裏返しであり、あなたの取り違いを知らせてくれたことに対する感謝である。天地自然の掟に反している限り、不平不満を言う資格はない。つまり、本当の天国に戻るまでの掟破りの清算の間は、苦に対しても感謝しかないのである。本当の天国は感謝の響きそのものであるから、お詫びも感謝もなくなるのである。そこには、お詫びや感謝を強要する者は誰も存在できない。本当の感謝の響きが、本当の天国に戻るための鍵である。

あなたの現実のすべての問題の原因は、ただ一つである。あなたがそれに気づき、それを改めない限り、あなたは本当の天国には戻れない。一つ一つの問題の原因を自分以外に探す、その思いが、問題を大きくする真の原因である。自分の責任を逃れようとして、様々な理屈を持ち出して自分は悪くないことを証明しようとしても、自分の立場や自分の快楽を維持するために誤魔化そうとしても、この仕組みは動かず、法則通りの結果を自分にもたらすだけのことである。自分の殺生与奪の権は自分が握っている。自分が自分を生かすか殺すか、である。あなたがどんな結果を体験しようとも、あなた以外の、どんなものにも一切の責任はない。あなたがあなたの勘違いから目を覚まし、それを認めて、思いと行動を変えなければ、この法則通りに、あなた自身が本当に大変なことになるだけである。

自分自身が、自分の存在のすべての鍵を握っている、自分にとっての唯一の神である。自分の持っている神と鬼を自分の外に作り出してそれに命を預けても、責任を転嫁しても、全く意味がない。無駄なことである。あなたは、あなたの思いの基にある響き相応の現実を体験しているのである。それを形にしたのが、宗教と科学である。あなたの外に神社が存在する世界は、本当の神の本当の天国ではない。あなたが、あなたの神社そのものであり、あなたがあなたの神官である。あなたがあなたの科学者である。このことがわからないならば、あなたはとんでもないことをしでかしていることになる。荒唐無稽だと言うならば、あなたは、見事に操られていることになる。自分のすべてを誰かの手に自ら渡していることに気づかなければ、あなた自身が大変なことになる。本当に本当の大変な状況を体験することは避けられない。あなたを救うものも、あなたを傷つけるものも、あなたの外には存在しないのである。あなたの心の内が、あなたの本当の外の世界である。あなたが本当に自由な世界に出たければ、あなたの最も内にある世界の扉を開かなければならない。あなたのパンドラの箱、あなたの岩戸をすべて開けることが、本当の天国の始まりである。
P13
あなたが天地の自然の掟を破ったことがあなたのすべての問題の真因である。掟を破ったあなた自身が、あなたを傷つけた真犯人である。あなた以外のすべても同じ仕組みであるから、現代社会というのは、お互に罪の擦り合いを形にした、共食い、自殺競争の世界である。その世界で生き延びようとして、誰かを殺そうとすれば、それは自分の滅びを意味する。あなたが自ら嵌めた大きな呪縛、嵌めたことさえ忘れて、それを真理の如く思いなしている取り違い、全く逆さまの生き方、思考、見方をすべて引っ繰り返し、綺麗サッパリと掃除しない限り、本当の天国に戻ることはできず、あなただけが滅ぶことになる。

あなたがあなたに騙されていることに気づかなければ、あなたがあなたの意思でウソの世界を生き続けることになる。結果はすべて自己責任である。本当は、助けてもらおうと思っていること自体がおかしいのである。言い換えれば、自分が何かによって不幸にされる、と思うならそれはウソである。あなたは、快を得るために不快を排除しようとし、不快を得たくないから快を取り込もうとする。快をくれるものを外に探し、不快を預けるものを外に探す。自分では何もしない。神を奉るのは鬼を封じ込めてもらうためである。その根底にあるのは、自分の都合である。これが本当の利己主義、本当の自分勝手な考えである。自分の都合によって、神の利用の仕方を変える。自分の都合のいいように、他人や、法律や、神を利用する。この世もあの世も、霊の世界も人間の世界も、全く同じ仕組みである。

二極分裂の略奪の世界では、自分の幸福を望むのは、他人の不幸を望むことである。従って、神に祈る(仏に帰依する)のと、悪魔を祓う(鬼を追い出す)のは、同じことである。誰かに感謝するのも、誰かを恨むのも同じことである。その対象が人間であろうが、霊であろうが、物であろうが、自然であろうが、同じことである。自分に都合よく、感謝したり、非難したりしているだけである。それそのものがあなたを幸福にしたり、得させたり、不幸にしたり、損させたりしたわけではない。あなたが、勝手にそう思い込んでいるだけである。あなたの思い込みで勝手にそう解釈して、お礼を言ったり、非難したりしている一人芝居である。『何かが自分を左右する』ということが真理ならば、あなたは永遠に自由になることは出来ず、永遠に奴隷のままとなる。それが真実ならば、奴隷であるという事実に抵抗して自由になろうとしている自分勝手な存在ということになる。絶対に実現不可能なことを実現しようとしている、何の意味もない戯言となる。あなたが好きなだけ、勝手にやればよい。しかし、あなたは、誰も犠牲にすることなく、自由になることもできる。
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あなたは全く逆さまの見方をしている。あなたに不都合があるのは、あなたのやり方が間違っているからである。あなたがそのことに気づいて、思いと行動を改めれば、あなたの望みはすべて現実となってくる。すべては、自分の思い違いがなせる、自分の創り出した現実である。誰のせいでもなく、誰のお陰でもない。あなた自身があなたに渡したものである。しかし、あなた自身の力ですべてをしているわけではない。あなたは、あなたの利用する材料自体を作ることはできない。その材料を作る源と同じ響きでそれを使えば、あなたはすべてを思い通りに作り出すことができる。自分で産み出していないのに自分で産み出すことができる。完全に奴隷になっているのに完全に自由になる。今のあなたが言う、矛盾した世界、相反する思いが一つになった現実を体験する。あなたに矛盾を感じさせているのは、他ならぬあなた自身である。あなたの思い違いが原因である。それを根底からすべてひっくり返さない限り、全く逆さまにしない限り、その体験は現実にはならない。

今の思いのままで、天国や快楽が大きく広がるように見えるとしたら、それはウソの天国である。あなたがそれを手にしようとすれば、大変などんでん返しが待っている。ウソの世界の天国は滅びを意味する。その世界での究極の天国は、究極の崩壊、すなわち、消滅を意味する。二極分裂の世界の光の強さは、その裏の、闇の強さを意味する。表裏一体のものを二つに分けて進めれば、見える光が明るくなるほど、その裏にある闇も深くなる。

二極分裂の世界では、形が天国になるほど、心は滅びに向かう。思いが形となって現われるのが、自然の法則である。思いが形を実現する力であり、その形を感じるのも思いである。思いが先である。思い、心が闇ならば、必ず、闇が形となる時が来る。心の闇が形の病みの原因である。形の修繕を懸命にやっても本当に直したことにはならない。形を創るエネルギー、響きを変えないまま、形の世界で取り繕い、塗り隠すことは、その形をどんどん悪くするだけである。闇を避けるほど、闇が深くなる。全くアベコベな思いを持っているから、絶対に本当の天国になることはない。自分の思いの通りに形になるのである。

これは普遍の真理である。やり方がアベコベならば思いの通りにならないが、実は、思い通りになっているのである。自分の望みを実現しない思いを行動の規範にしているから望み通りにならないのである。望み通りにならない思いの通りになっているのである。それを自分が自覚しない限り、思い通りにならないのを自分以外の誰かのせいにし続け、その思い違いに気づかないまま『自分は悪くない』『自分は正しい』と思いながら滅びることになる。『なぜ自分の思い通りにならないか』は永遠の謎のまま滅びる。結局は、自分が謎を作り出していただけで、どこにも謎はなかったのである。本当の天国には、謎は何もない。

神に自分の幸運を祈るのは、神に他人の不幸を祈願することに他ならない。他人を不幸にしたいと思うのは、呪いの思考である。幸運を祈るのは、他人を呪うように要求しているのと同じことである。救い主に、呪いを依頼していることになる。神と鬼は同じ存在だということになる。一つのものを裏表に、全くの相反する方向のものに分けて、相反するものを使い分けている自分が、その神と鬼を支配している神であることになる。自分が何かを支配するならば、何かを支配しているものと同じである。独裁者を嫌う自分が実は独裁者である。自分が嫌う悪は自分が持っている。自分が望む善は自分が持っている。善悪に分けているのは自分である。善悪に分けているから善悪を体験する。自分を幸福にしたり、不幸にしたりするのは自分である。形を追いかけ、形に理由を探せば、『誰かに何かをさせている』『誰かに何かをされている』と思ってしまう空想の現実を体験するだけである。それを真実と思っていれば、永遠に、自由自在に現実を作れる思い通りの世界にはならない。
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自分が自分のすべてを作っているのである。従って、自分のどんな体験も、すべて、自分が自分で自分に体験させているものである。これを否定すれば、いい人と悪い人、神と悪魔が存在し続け、永遠の戦いの世界に生きることになる。自分が選んだ戦いの世界で自分が死んだとしても誰も恨むことはできない。自分がそれを選んだからである。自分が戦いの世界を選ぶなら、殺されることに同意したことになる。お互いに殺されることに同意している。殺されることに同意しておいて助けて欲しいという矛盾したことをする。自分が自分を殺していながら、救世主を待つ。自分で殺されることに同意しておいて、殺戮者を恨む。自業自得の共食いは、言い換えれば、自殺合戦である。喰うか喰われるか。最後の一人は喰うものがなくなって餓死する。どっちが自殺の時を伸ばせるか、の比べっこである。時間差の自殺ゲームである。誰一人、生き残ることはできない。誰も天国にならない茶番劇である。どちらが悪でもない。どちらが善でもない。自分自身の選択の結果である。

神を奉ることは、鬼を奉ることである。神をあがめるのは、バチが怖いからである。お世辞、も同じことである。鬼を封じるのは、光が欲しいからである。他人を生かすのは、自分を生かすためであり、他人を制止するのも、自分を生かすためである。自分の都合で神になったり鬼になったりする。自分の都合で神にしたり鬼にしたりする。神を信じようと信じまいと、有神論であろうと無神論であろうと、その戦い、議論は意味を為さない。あなたが「生と死」という分離した世界を当たり前だと思っていれば、あなたの世界からは、神も悪魔もいなくなることはない。あなたがそれを必要としている限り、それは存在し続ける。あなたが必要だと思うものがあなたの世界に現われている。あなたがそれを創り出したとも言える。すべての人間が偽の天国幻想に嵌まっている。それを作った黒幕も自分が作った幻想を実体のあるものだと思い込んでいる。あなたも、あなたの周りも、嘘を教えた張本人すらも、自分自身に騙されている。誰も得せず、誰も生き残れず、誰も自由にならず、誰も平和にならず、誰にも安定はない。誰も気づかなければ、世界丸潰れである。

本当の天国には、宗教は存在しない。科学も存在しない。神も悪魔も存在しない。善も悪も存在しない。解決すべき問題も存在しない。夢や希望を実現するために待つ必要もない。進歩や発展を語ることもない。自由や平和を語ることもない。何かを強制したり、教育したり、啓蒙したりする必要もない。誰かのために自分を犠牲にする必要もない。誰一人犠牲になることはありえない。本当の天国には、天国という言葉すらも存在しないのである。
P16
本当にそんな世界が存在するのか、そんな世界ができるはずはない、そんな夢みたいなことを言っていたら云々と思うならば、あなたは絶対に、本当の天国を体験することはできない。あなたは何のために生きているのか。あなたはどんな世界を望んでいるのか。あなたの生きている社会は、何を目指して進んでいるのか。あなたの生きている社会の法律は、何のために存在しているのか。あなたの生きている社会の常識の正体は、いったい何なのか。あなたの生きている社会の本当の始まりはどこにあるのか。あなたの社会のすべてを作り出している大元の原理は何なのか。あなたの「世界」の始まりはどんな世界だったのか。「世界」は、宇宙、外、世間、現実、体験、あの世、常識、伝統、歴史と置き換えられる。あなた自身の全てを作った始まりは何なのか。あなたの現実はどこから始まったのか。

あなたが体験している現実(自分の世界)は、あなたが同意した世界である。あなたが選択する選択肢はあなたの作ったものである。あなたは、何を基準に選択しているのか。あなたが裁いている悪はあなたの作品である。あなたは、なぜ他人を裁くのか。他人を裁くことは、いったい何を意味するのか。あなたは、本来は一つ(不可分)である「問」と「答」を分離している。「答」は「問う」である。「問う」は「答」である。問いの中にすでに答えがある。それを×だと思っているのはあなたである。いったい誰がそれを×と言ったのか。あなたはなぜ×だと思うのか。それは本当に×なのか。本当の×とはいったい何なのか。あなたはなぜ悩むのか。誰があなたに罪悪感を教えたのか。あなたはなぜ自分で決められないのか。あなたは誰に許可を求めているのか。あなたは、なぜ、なぜと問うのか。あなたは、なぜ、どうしたらよいかと問うのか。あなたは、なぜ自分を探しているのか。

この本に書かれていることを基にして、あなたの持っている常識、価値観、あなたが身につけてきた習慣、伝統、しきたり、道徳、あなたが学んできた知識、法則をゼロから見直すことで、全く別のもう一つの世界が見えてくる。あなたが今まで体験してきた世界、今体験している世界の別の面が見えてくる。あなたが当たり前のようにしていたことが当たり前ではなかったことを知ることになる。あなたが普遍的真理だと思っていたことすらも、そうではなかったことに気づく。今持っている、自分という存在、自分という認識、自分の世界が消える。あなたが真実だと思い込んでいた世界、あなたが教わってきた常識が見事に崩れ去っていく。相対的な比較で創り出した世界、自分の外を基にして作った自分という存在、自分の中の他人、が消えたところに本当の始まり、本当の天国、本当のビッグバンの基がある。あなたに見えた新しい真実を消さないことである。現代社会の常識、定説、普遍的真理は、本当に本当なのか。今あなたが持っている真実をすべて疑ってみることである。ウソの世界で言われている当たり前の真実を疑えばマコトの世界が見えてくる。
P17
ここに書かれていることについて『事実である』という証拠を目の前に提示することはできない。『ここに書かれていることは事実だ』とあなたが認めなければ、どんな証拠もすべて否定することができるからである。あなたが、ここに書かれていることを基にして行動を変えた時、あなただけの現実として、あなただけの思いとして、あなたの体験として、あなたの世界に証拠が現れる。あなたが体験したもの、あなたが思ったことを誰かにわかってもらおうとしても、それは不可能である。自分自身がすべてを納得するまで、自分が自分を完全に説得できるまで、反抗する自分が観念するまで、とことんやってみればよい。

この本は、あなたの心を被っている雲を貫いて、あなたの根源を照らし出すサーチライトである。あなたが真実を封じ込めたパンドラの箱を開ける鍵のありかを知らせる宝の地図である。あなたが持っているウソの思い込みを解き、錯覚、幻想、仮想現実からあなたを目覚めさせるための覚醒剤である。あなたの世界を本当の真実の世界に塗り替えるための消しゴムである。あなたがこの道を歩む時、不安や、恐れや、拒否反応や、混乱や、体調不良が起きる。禁断症状で狂うかもしれない。自分という認識が滅茶苦茶に破壊されるかもしれない。混沌、混乱の中に立ち尽くすかもしれない。世界の終わりだ、神も仏もあるものか、と思う時が来るかもしれない。しかし、何も心配はいらない。今のあなたがどう感じようとも、本当のあなたは、決して消え去ることはない。すべての混乱、苦しみは、それがどんなに絶えがたく思えても、今までのウソの響きの抵抗が創り出す幻想である。あなたがその瞬間に見える光を辿っていけば、新しい現実が確信に変わっていく。あなたが、すべてを素直に受け入れる謙虚さを持って望めば、必ず本当の天国に戻れる。

宇宙の種は混沌と暗闇の中にある。ある時、そこに偏在していたエネルギーが凝縮を始めた。その圧力が極限に達したとき、突然、大爆発(ビッグバン)が起こって、宇宙が誕生する。古い宇宙が崩壊し、新しい宇宙が誕生する。今のあなたは、自己崩壊と自己再生の相反するエネルギーが拮抗する混沌の真っ只中にいる。古い宇宙(嘘の天国)が崩壊して新しい宇宙(本当の天国)が誕生するビッグバンは近い。混沌と暗闇の中で死と再生のエネルギーが拮抗する出産前の陣痛に耐えることが、あなたが本当のビッグバンを体験するために、避けては通れない過程なのである。これは形の宇宙の話ではない。あなた自身の話である。あなたは今、古い宇宙の暗闇から新しい宇宙の光の世界に飛び出す直前にいる。

夜明け前が一番暗い。今度の夜明けは、永遠の光の天国の到来である。現代社会にある科学の学説や宗教の教理、神話、伝説やお伽話も、視点を変えれば、裏の裏の本当の意味が見えてくる。あなたの世界にあるどんなものにも、真実を解く鍵のありかを示す宝の地図が書かれている。その地図は、読み方次第で何通りにも読める。しかし、本当の鍵のありかはただ一つしかない。あなたの内にある心の雲(ウソ)を一つ残らず綺麗サッパリ祓わなければ、鍵の本当のありかをその地図から正確に読み取ることはできない。まずは、この本を足場にして心の雲を少しずつ祓い、本当の鍵のありかを読み取る目を養うことである。
P18
この本を材料にして、議論することもできる。書かれていることを批判することもできる。否定することもできる。しかし、それをすることは、あなたにとって全く意味をなさない。なぜなら、それをするなら、今までと何も変わらないからである。それをしている間は、この本は白紙の束と同じである。あなたがこの本を読んでいる意味がない。この本の語る真実の世界は、あなたが今まで真実だと思っていた見方では絶対に見えない。あなたが今までその存在を考えたこともない、聞かされなければ綺麗サッパリ忘れ去っている、裏の裏の、そのまた裏側の世界を見せるためのものだからである。あなたが否定しても、それは存在する。あなたが批判しても、事実は変わらない。動かない。高等な学説を持ち出してきて議論しようが、屁理屈をこねくり回そうが、答えは一つである。今まで教えられてきたことは黒であり、この本が白である、と書かれている。だから、全く何も知らない赤ん坊がゼロからものの見方、生き方、社会の仕組みを身につけていく如く、あなたの持っている思いをすべてリセットし、白紙に戻して読み進めない限り、あなたには何も残らない。これはこういう意味だ、これが正しい、これは義務だ、してはならない、しなければならない、これは空想だ、これはありえない等々すべてのすべてがウソであり、いつか誰かが何かの目的で創り出したものである。それを神として信じている限り、あなたは自分がしてきた取り違いに目覚めることはない。身を以って阿鼻叫喚の修羅の地獄を体験するまでは絶対に認めない。あなたが信じている神はどんな現実を体験させる神か。それはあなただけにわかることである。神とは、あなたが『これがなければ困る』と思っているものすべてである。あなたがするものすべてである。経済も科学も無視論も神なのである。

この本は、今のあなたにとっては、見たくないこと、都合の悪いこと、認められないこと、恐れを感じること、許しがたいこと、ありえないことの類を、視覚で見える文章という形で提示している。今までの視点で価値判断をすれば、批判、否定、怒り、混乱の感情を呼び起こす材料になるのは当然のことである。しかし、それらの反応をしてもここに書かれていることを抹消することはできない。その反応をすることが、実は、ここに書かれていることの正しさの証明でもある。あなたが、その感情を呼び起こすのはなぜなのか。あなたが分裂思考を持っていないならば、あなたには『許せない』という感情はない。神と悪魔が同じものであるとわかっているならば、あなたは、今で言う否定的な反応をすることはありえない。文章を読むということは、心で読む、心に書く、自分に語る、自分が聞く、ということである。ここに書かれていることは、あなたが自分自身と対話し、あなたの世界を根底から変えるための材料である。すべてを始めの初めからもう一度やり直す、その決心をすることが、あなたが本当の天国へ戻る冒険のスタートラインに立つ条件である。
P19
まずは、すべての価値判断を一旦棚上げにして、赤ん坊に戻ってあなたの世界をゼロから作り直す積もりで最後まで読み終えることである。この本に書かれている世界には価値判断はありえない。比較の基準がないからである。『善悪はない』ならば、善も悪も感じることはない。「裁き」というのは『悪を許さない』という感情である。あなたが悪を裁けるのは、悪を作り出しているあなたを許しているからである。悪が許されないものならば、悪を裁くあなたは存在し得ない。従って、本当の天国を見るためには、『許さない』という言葉は禁句なのである。あなたが、価値判断を入れた瞬間、すべてが、認められないもの、許せないもの、ありえないもの、いらつかせるもの、おかしいものに見えてくる。あなたの世界が今までの世界に逆戻りする。あなたにとってこの本の世界は闇の中に消える。何も見えなくなる。全くアベコベであるから、少しでも油断をすれば、すぐ元に戻ってしまう。あなたの出口は一つだけである。どう見えようとも、他はすべて滅びへの入口である。

この本は、あなたが探していた正解を提示する、あなたを本当の天国に導く正書である。あなたがこの本をどう扱うか、それは自由である。しかし、あなたが本当に正直にならない限り、本当の天国は闇の中に消え去る。この本からあなたが得られる恩恵はただ一つだけである。あなたがそれを手にしない限り、あなたは本当の天国を体験することはできない。あなたが今見ているものは幻想である。本当の天国は、あなたの裏側にある。あなたの探しているものは、あなた自身が持っている。この本は、あなたがそれを使えるようにするための道具、あなたが錆びつかせた本当のあなたを再び動かすための潤滑油である。

あなたがすべての鍵を握っている。あなたがすべての現実を作る源である。あなたの世界はあなたの思い込みが作り出す世界である。この本は、現代社会に隠されたすべてのからくりを解明し、あなたの嵌まっているトリックの種明かしをしたものである。著者の勝手な空想の世界などではない。著者がこの本の視点ですべてを実行し、実際に体験した現実に基づいて書いた事実である。著者の体験で証明された真実である。著者の体験で証明された真実である。著者を通してあなたに贈られた真実の言霊である。あなたがすべての呪縛を取り払った時、あなたは本当の自由を手にすることができる。『いいのかな』と思った時『いいんだ』と言うための根拠となる材料、あなたがすべての支配から抜け出すためのハードルの越え方を書いた本なのである。あなたが本当の天国に帰るためにこの本を使って欲しい。使い方はあなた次第である。

あなたが本当の天国に心底帰りたいと思うならば、たとえ、殺されることになったとしても、あなたが本当の天国を心身ともに実感するまで、最後の最後まで、絶対に言い訳をしないことである。絶対に疑わないことである。今までのウソの世界から完全に足を洗うことである。全存在で心底から信奉することである。あなたがこれを初めて実行する人間だとしたら、いったい誰に聞くのか、答えを聞くべき対象はあなた自身しかいない。あなたの答える答えが、唯一の答えなのである。他にはない。それがこの道を歩くための極意、奥義である。しかし、あなたは迷う。その迷路を抜けるためのヘルプとしてこの本がある。
P20
あなたがあなたにあなたのすべてを明らかにしたとき、そこにあなたが本当に望んでいた、信じがたい光景が広がるだろう。本当の真実は、必ず成就する。それまでの辛抱である。これは、裏を返せば、『嘘の真実は滅ぶ』という本当の真実が成就することを意味している。目の前に本当の天国が広がるのを見ることができるのは、天国の真実を生きた時である。真コトに命を委ねるか、魔コト(嘘)に命を委ねるか、あなたにとっての究極の選択である。「信じがたい修羅の地獄」をあなたが目の当たりにしないことを、著者は切に願っている。

あなたは今までずっと嘘に導きを委ねてきたのである。誰かに責任を取らせて、保険をかけた(リスクを回避した)積もりになっていただけである。安全を確保しながら、本当の安全を手にすることはできない。本当の安全を手にしているならば、リスクは存在し得ない。リスクを回避するならば、それは矛盾した行動である。あなたは幻想の安全地帯を求めてさ迷い続けることになる。それもあなたの選択の結果である。あなたが責任を転嫁できるものは、あなたの外には存在しない。存在すると思い込んでいるだけである。存在しないとわかっていて責任転嫁するならば、それは故意の殺人である。それは結果として、あなたをあなたが処刑することを意味する。あなたがどんなに責任を逃れても、責任を誤魔化しても、あなたは自分の責任を回避することはできない。誤魔化しは自らの滅びを意味する。それがわからないならば、わからないまま滅ぶ。わかっていてやるならば、自覚した上で滅ぶことになる。あなたがいい加減なことをすれば、自分を甘やかせば、自らが消えるだけであり、神も他人も、万象万物には何の影響もない。自作自演の滅亡劇となる。

あなたは、初めて、あなた自身で、本当の天国にあなたを導くのである。あなたは、初めて、真実の真実を歩くのである。しかし、何も心配はいらない。あなたはあなたが自らリタイアしない限り、必ず、本当の天国に行き着くことができる。これを完全に信じることが鍵である。疑うという言葉をあなたの辞書から抹消することである。あなたはそのままならば完全に滅ぶ。この未知に見える道が滅ぶように見えるならば、結局は、どっちをとってもあなたにとっては滅びである。ならば、今までやらなかった全く逆さまのやり方に賭けてみればよい。どっちみち駄目ならば『どうにでもなれ』の心境で望めば、この道に入ることは簡単である。少しでも今までの道に未練があれば、あなたは苦しむことになる。

少しでも今までの世界に光があると思うならば、『もしかしたら』と思うならば、それは完全な信奉ではない。どっちか一つだけをハラを括って決めることである。決めたら一目散に進むことである。振り返ったり、よそ見をしている暇はない。そんな余裕はない。余裕があるならば、あなたは完全には信じていない。完全に信じていないならば、あなたは信じていないのであるから、それ相応の体験をすることになる。あなたの世界はあなただけの世界である。あなたにしか見えない世界である。あなたが一つになるまで、あなたが分離感を感じなくなるまで、絶対に立ち止まらないことである。本当の天国になっても立ち止まらないことである。どんどん天国が見えてきて、ある瞬間、天国に入ったことがわかるときが来る。あなたには終りはない。あなたは歩き続けるだけでよい。本当の天国の道に戻った時、あなたは混乱や闇を抜けながら、「本当の光の世界」を体験することになる。
P21
本当の天国の道は、すぐには喜びにはならない。今までのウソを掃除する間は、苦しい状況や孤独の極致を体験することになる。甘い言葉やアメの誘惑に負けない強い覚悟が必要である。あなたが空想だと思っていた世界は現実になる。これを完全に信じることが、今までの幻想の世界から抜けるための鍵である。あなたの本当の天国への心の旅、魂の帰郷、本当のあなたの居る場所にあなたが帰る旅のガイドブックをあなたのものにして欲しい。

この本は、事実を語っている。どんな理屈をもってしても覆すことはできない。批判や抵抗や怒りで反応するなら、それは、覆せない証しとなる。これは、あなたの事実でもある。あなたが、この事実をすべて認めた時、体験を経て納得できた時、一点の曇りもなく腑に落ちた時、そこがあなたの本当の天国である。道は歩くものである。知識として分ってもわかったことにはならない。頭でわかったことを実行しなければ、わかったことにはならない。頭の理解は、理解ではない。「わかった積もり」である。知識と体験が一体になった時、本当にわかった時、あなたには、何もなくなる。何の混乱も、何の迷いも、何の引っ掛かりもなくなる。空気のように、すべてが当たり前となる。当たり前という言葉もなくなる。その時その時で分かったことをそのままやる、その繰り返しがあなたを本当の天国に導く。あなたが帰依する対象は、あなた自身である。その神は絶対に裏切ることはない。

本当の天国への旅は、あなたの心の世界の旅である。あなたの想像の世界にある現実である。あなた同士の喧嘩を止めない限り、本当の平和はない。新しいあなたが今までのあなたに体験という証拠を見せることで、今までのあなたが観念する。今までのあなたが、すべてウソを認めた時、あなたは一つになる。ウソがないのがマコトである。あなたがマコトを手にした時、本当の天国が現実の風景となる。まずは、心の入れ替えからである。ウソを捨てて生きることである。あなたがマコトを生きる時、ウソはあなたに近づけない。

マコトの体験を積み重ねることで、あなたの現実がどんどん変わる。あなたが見たこともない現実を体験する。誰にも教わったことがない現実、あなた以外全員が『おかしい』と言う現実を体験する。あなたが狂ったわけではない。今までの世界が狂っていたのである。どっちが狂っているのかハッキリと決めることである。そして、狂っている者には一切関わらないことである。狂っている者に狂っていることをわからせようとするなら、あなたはまだ狂ったままである。あなたがあなたにそれをわからせるのが、あなたのすべきことである。本当の天国が全存在で実感できるまで、あなたの思いがすべて何の抵抗もなく操れるようになるまでは、まだ途中である。何が起きても、何を見ても、何を感じても、何をされても、自分の歩いている道を絶対に疑わないことである。絶対に後戻りしないことである。今までの現実はウソが創り出す幻想である。本当の天国を『空想だ』と言うのが空想の世界の思想である。今までの世界も現実であり、これから見える世界も現実である。
P22
あなたには現実しかない。それを分けていたその見方が幻想を生んだ源である。誰のせいでもない。あなたが騙されていたのである。騙されていることを誰かのせいにしていただけである。「あなたが」騙されたのである。「誰かに」ではない。主語は自分である。すべては騙された側に責任がある。『誰かが騙さなかったら』は詭弁である。それを使っても、あなたが本当の天国に帰ることはできない。自分以外のせいにすることが本当の天国への唯一の障害である。あなたがあなたの天国を邪魔していた張本人だったのである。これを素直に認めて、生きている間も死んだ後も、どんなことがあろうとも、誰かのせいにすること、裏を返せば、誰かの責任を引き受けることをキッパリとやめることである。自分ですべての責任をとれば、あなたは自由である。これを批判する者はあなたの世界から消えていくから無視すればよい。あなたが他人の現実に関わるのをやめればよいだけである。

あなたがこれから体験する世界、生まれて初めて見る世界、それがあなたの天国への街道の景色である。『そんな世界は存在しない』という台詞を消すことである。それがあなたを天国に生かさないためのあなたの魔法の呪文、本当の天国を邪魔していた策謀の思想である。あなたがあなたにその呪文をかけていただけである。あなたが呪文を唱えるのをやめれば、ダムは決壊し、本当の天国という海に向かって流れ始める。急流や滝を恐れないことである。黙って信じるだけでよい。道が見えなくても踏み出すことである。底なしに思えても黙って落ちることである。本当の冒険にはリスクはない。天国という永遠のゴールが存在するだけである。天国への冒険は永遠の喜びである。本当の天国までの辛抱である。

今のあなたから見た未知の世界。しかし、その世界は存在する。あなたの周りが何と言おうとも、あなたにとっては、あなたの言うことが絶対である。あなたにとっては、あなたが本当の神である。あなたが誰かの神になることを、あなたが誰かを神にすることをやめることである。今までも、あなたという神が、誰かの言うことをそのまま鵜呑みにしていたのである。誰かの意見を自分の意見にしていた神が創り出す、自作自演劇である。今までのあなたの言うことは、本当のあなたの意見ではない。本当の神自身の言うことを聴くことが、本当の天国に帰るための、ただ一つの方法である。結局は、自分が自分の神であることは変わらない。自分が逆立ちをすれば、逆立ちの世界が見えるだけである。その世界を正しいものと見れば、それが自分の正しさとなる。自分が自分を騙すカラクリである。
P23
あなたは、遥か昔、あなたが産まれた時、本当の天国にいたのである。あなたが幻に目がくらんで、そこから離れただけである。あなたの心の世界は天国を見ることができる。時空も生死もない。それがあなたの本当の姿であり、あなたが居る場所である。形に見えている世界、形の体で見ているものは、あなたの着ている服、あなたのかけている色眼鏡で見える仮想現実の世界に過ぎない。あなたのすべてを捨ててもすべてが残る。あなたの思い込みを全て捨てることである。あなたがもと居た本当の天国、あなたが想像の産物だと思い込んであきらめてしまった天国、あなたは、そこへ帰るだけである。いつまでもウソの教えに騙されていないで、早く目を覚まして欲しい。時が来れば、あなたという神の、その親神が、この世もあの世も、あなたが居るすべての世界を、ウソのあなたが生きられない本当の天国だけに戻す。本当の天国の舞台造りをする。ウソの天国の大掃除をする。その時が来たら、もうウソのシナリオは通用しない。その時が来て気づいても遅い。あなたが、本当の天国に戻ることを心底から切望するならば、必ず間に合う。『もう駄目だ』は禁句である。駄目かどうかは最後の最期、生きるも死ぬも考えず、ただ歩き続ければよい。

あなたが、あなたを本当の天国に導く天使である。本当の天国の門前には、本当の閻魔大王が待っている。ウソを大掃除する鬼退治、天国か滅びか二つに一つの本当の最後の審判である。ウソを一つ残らず祓い切るまでは、どんなに偉大な神仏であろうとも、門を入ることは絶対に許されない。ウソを抱えているほど、奪った宝が多いほど悶え苦しむ。鬼退治が始まるまでにウソをできる限り掃除しておくことだけが、鬼退治の艱難辛苦を軽くするための唯一の術である。そして、鬼退治が完了した瞬間、晴れて本当の天国が復活する。そこでは、ウソをすべて祓い切った真コトの民だけが、永遠の生を享受することになる。


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