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実践・日本真道(事実その3)

現代社会の日本人が忘れた本当の神の道

実践・日本真道  長谷・章宏 著


事実 その3(P183~255)

P183
現代社会は、元つ天の大神の掟(真釣り)を外した魔釣りのアヤマ知で作り上げた過ちの歴史の末路の型示しである。今の仏教で言えば、末法の世である。真釣りを外して自ら産み出せなくなった者ができることは、「すでに有るもの」を使うことだけである。大神が産み出している天恵(自らの命と死後も含めた時空とそこにあるすべてのもの)の「使用料」を、産み出した本人に支払っている人間は何人いるだろうか。もし未払いならば、それは、クレジット購入(ツケ払い)である。もしそうならば、その天恵を使って作ったすべての「商品」、日常生活で使うエネルギー、それらを作り出す理念や技術、自らの肉体や命、森林や海や山や川、酸素、太陽、月、自らが存在する空間、時間、宗教や科学や知恵や歴史や天恵や魂や神仏も含めて、今まで手にしたものすべてのすべてについて、神々も含めた人類(つまり、あなた)に所有権はない。支払完了までは、自分のものにはならない。真釣りを外して、自らでは無から何も産み出せなくなった者が作る今の世には、自分の命も含めて、人類のものは何もない。すべてのすべてが「元つ天の大神様のもの」なのである。

お金というのは、資源を加工してつくった道具、言い換えれば、資源から産み出された子どもである。自ら産み出せない神々と、天恵がなければ何もできない人間が、魔釣り世を思い通りに進めるために考え出した経済社会だけで通用する、神を金に置き換えた形の世界を支えるための道具である。お金というのは、言わば、形の経済社会限定の神であるから、真釣りの神へのお金の支払はありえない。従って、神仏も含めて、元つ天の大神が真釣りで産み出した天恵に対する使用料を払うことは誰もできない。真釣りで真釣りの天恵を使うならば、それは、所有しているのと同じであるから自由に使ってよいが、魔釣りで真釣りの天恵を使い続けるならば、それは泥棒しているのと同じである。真釣りならば借りはなく、真釣りでないならば、それは借りていることになる。使用料を支払えば使ってもよいという理屈も成り立つが、元々は、真釣りのみであり、借りるという概念は存在しない。今の世は、真釣りに戻すための仮の世であるから、その理屈は永遠には使えない。つまり、真釣りに戻す行をしない限り、返す気はないということである。それは、天地の理法を破って盗み続けることを意味し、支払をしないならば担保(魂の命)と引き換えである。魂の命を渡せば、あなたはいなくなるから、あなたはもうどこにも転生できない。神仏も含めて、今世には「泥棒」しか存在しない。あなたには、真釣り戻しの地獄を超えて永遠の天国に戻るか、魔釣りで生きる泥棒を続けて永遠に滅ぶか、二つしか道はない。神々すらも逃げられない、生死時空を超えた元つ大神の真釣り戻しの大掃除が迫っている。

真釣り戻しをしない限り、あなたのいる世界はどこにもない。この世もあの世もあなたの世界ではなく、ましてや、ミロクの弥栄の天国など、あなたにとっては風前の灯火である。真釣りを外した借りの世の、損得の世界の経済社会の中で利便を追い続けているということは、それは、真釣り戻しなどする気はない、魂の自殺志願者であるということである。天恵を産み出している源の元つ大神を忘れた神仏は泥棒するしか生きる手立てはない。無神論者も含めて、その神仏を信仰する人間も同罪である。つまり、神仏が基にある現代社会は「天の泥棒」が作った世界であり、泥棒の分け前で生かされている人間の世界である。泥棒は泥棒の世界でしか存在できない。泥棒は略奪の世界を進めることしかできない。泥棒は奪い合いの世界しか創れない。泥棒したものを分かち合っても天国はできない。自らが産み出す響きを持っていれば奪う必要はないから、奪い合うなら、産み出す響きがない証である。魔釣りで手にしたすべてのものを捨てない限り、本当の天国は永遠の幻となる。
P184
本当の天国、極楽、桃源郷、エルドラド、ガンダーラ、エデンの園、は、真釣りのミロクのことである。「昔昔の或るところ」そこが、あなたの天国である。遠い遠い昔、あなたはそこにいた。あなたが元いた故郷に帰るだけである。あなたがすべてのアヤマ知を捨て去って真釣り戻しをしない限り、今の人間が言っているように、SFの世界で終わってしまうことになる。今のあなたにとっては遠い厳しい道である。しかし、それは必ず歩ける道である。あなたが生死も時空も超えた命の道を歩む覚悟をするならば、その天国は現実となる。ただし、それは、真釣り外したあなたが創った茨の道であり、誰も助けてはくれない。あなたが自らしたことを清算しない限り、あなたがそこへ戻れないだけのことである。

元の天国へ帰るか帰らないかはあなたの問題であり、選択の結果はあなただけのものである。あなたが誰かを連れて行くことはできないし、誰かに連れて行ってもらうこともできない。元つ大神が真釣り戻した時、ミロクは現われる。しかし、その時にあなたが真釣りに戻っていなければ、あなたはそこにいない。すべてのすべてが、あなたが教えられてきた真実とは逆さまなのである。あなたの言った通りの世界をあなたは体験している。あなた次第で、どんな世界を体験することも可能である。永遠の天国に戻るも、永遠に滅ぶもあなた次第である。あの世にもこの世にも生きられない、神仏すらも逃げられない真釣り外した魂の成敗の時、魔釣り世の終焉が迫っている。あなたが本当の故郷に帰れるかどうかは、すべてあなた自身にかかっている。今すぐに嘘の夢の現実から目を覚まして欲しい。

「限りあるもの」で限りない欲望を追い続ければ、必ず破綻する時が来る。産み出す響きを持つ集団は限りない世界を創る。天恵(資源)に限りはない。限りある(と勝手に思い込んでいる)資源を奪い合い、儲けや利子を加算して売買(回収)すれば、その限りある資源の減少がますます加速する。その「限りある資源」を使って作った、一層限りある「お金」と呼ばれる「紙」が支配する世界で限りない欲望を追い続けても、それははかない夢と消え去る。あなたがその世界に命の基を置いているならば、その世界と共に消え去る。天地の掟を破っている中つ世の戦いの神や慈悲の仏が、どうやって天国を創るのか。ましてや、資源すら作れない人間が、どうやってお金で天国を創ろうというのだろうか。お金を使った天国争奪戦をしている限り、何回生まれ変わろうとも天国は永遠にできない。もうこのあたりでマヤカシの天国創造ゲームは終りにして、本当の天国への階段を降りはじめたらいかがだろうか。今のまま昇れば、最後の扉の向こうは永遠の奈落の底への崖である。すべての階段はそこで消え去る。扉を開けた瞬間、あなたは永遠の闇の谷底に落ちる。
P185
お金が社会を支える仕組みでは、お金=物(サービス)=衣食住であるから、お金の量が自らの衣食住(命の基)を支配する。お金の量=物の量であるから、お金(神)が動かないならば、物(天恵)は不足する。お金をどこかに貯めている分、不自由になるのは当然である。将来や家族や弱者や政治家等々のために残した分だけ、今のあなたが不自由になっている。あなたが、経済的な不平不満を言う相手は、マヤカシの経済社会に服従しているあなた自身である。お金ではあなたも他人も自由にすることはできない。よく目を見開いて見て欲しい。献金や寄付で人を救ったり、社会を良くしたりすることはできないし、倹約や保険や年金や貯金で自分自身を自由にすることもできない。ましてや、生活保護や物乞いや施しに頼っても、お金の世が終われば命はなくなる。お金でお金を増やしても、それはただのギャンブルである。お金の世界はお金が回る間だけの世界である。天地の理法を破った神々をその源に持つ西洋文明が考え出したお金の社会の行く末は世の破滅である。お金が神になっている金融経済社会を土台にした現代社会のどんなやり方でも天国は創れない。そればかりか、魔釣りの響きのお金に命を預ければ、永遠のイノチを失う事態がやって来る。元々は何の力もないお金に命を預ければ、あなたは本当に死んでしまうことになる。社会も破滅することになる。金融を自由に操れる、お金の世を作った者だけが、お金を神とする世界を支配する神になることができるのである。その支配者が自らの辿る運命を知らないのだとしたら、支配下にある大衆の運命はいったいどうなるのだろうか。現代社会は、形のお金で万物を支配できると言う宗教が創るマヤカシの世界の中にある。

お金の世界の支配者がお金の世界の神官であり、神であるお金と人を繋ぐ神社は銀行である。神道の神官も祀る神も神社も、その「金融神社」の支配の下にある。これは、現代社会が、金が神を支配する世界になっている型示しである。形になっているものを見れば、そこがどんな世界なのかを知ることができる。しかし、本当の真実(事実)、すべてを見通す目を持っていなければ、罠は見破れない。この本は、その目(真コト)を取り戻すための本当の真典である。今でいう第三の目、知恵の目というのは、真釣り外した蛇の分つ知恵の目、魔眼(魔コト)である。魔眼でこの本を読んでも、全く意味をなさない。その目でどんなにすべてを見通したつもりでも、その「すべて」は、アヤマ知のカタチの世界の幻想の神の世界に過ぎない。瞑想は蛇を上げる方法であり、真釣りなく霊性を開発するというのは、蛇の封印を解くことを意味する。霊性は開発するものではない。真釣りに戻ることが霊性顕現の基である。蛇は何回脱皮しても蛇であり、竜にはなれない。竜は、水の神の化身などではない。本当の竜は、生死時空を超えた三千世界を鳴らしめる火のカミであり、今でいう竜は、水(カタチ)の世界を知恵で支配する蛇の化かした姿(蛇竜、邪竜)である。火とは、すべてを下から支える響き(▽、|)、水とは、すべてを上から現す響き(△、―)。火と水が縦横正しく組み結んだ素型、姿(十)を火水、カミと言う。そして、その中心に働く、すべてを産み生む力を産土力と言う。これが、すべてを産み出す力、元つ大神のハタラキである。カミの十字が倒れないように-力で支えた『土』の姿が自然(至善)の素型(雛型)である。曈(火土水、ヒトミ)に映るすべてがカミの顕現なのである。
P186
現代社会の源流は、神話の世界も超えた元つ天地の大神の代に遡る。これから訪れる、本当の天国、三千世界に真釣りの響きが鳴り渡る真コトのミロクの世(言い換えれば、魔釣りが永遠に滅びる世、真釣りだけしかない神代)というのは、実は、あなたがかつて住んでいた、この世の始めの元つ天地の大神の御代のことなのである。今のまま進歩発展していけば本当に天国ができるのか? 神話や空想とはいったい何なのか? 人類の起源はどこにあるのか? 神や仏とはどんな存在なのか? 悟りとは何なのか? 心を空にする、無にするとはどういうことなのか? なぜ戦争がなくならないのか? 自分は何のために生きているのか? 人類は何を目指して歴史を作ってきたのか? 何のために歴史を学ぶのか? その結果、今の社会はそうなっているのか? いつになったら目指す世界が実現するのか? なぜ実現していないのか? 等々、人類永遠の謎、永遠の問いの答えがなぜ未だに出ないのか? 真釣りの真コトを忘れている限り、何一つ解決することはない。

現代社会は、真釣りの世で真釣りを外した身魂が神法違反を償うために創った期間限定の完全自己責任の刑務所の中にある。それが、あなたがいる世界の正体であり、その中での歩みが人類の歴史だったのである。そこにはあなたを監視する刑務官も、あなたを邪魔する同僚も、あなたをかばってくれる友人もいない。そういう存在がいるとあなたが思い込んでいるだけで、実際は、あなたがあなたを監視し、邪魔し、助けているのである。誰も「罪」を償っていないならば、刑務所の中は戦場と化す。『自分は何も悪いことはしていない』と言う囚人同士が争って、自分だけが自由になろうとするが、箱の中ではその望みは実現することはない。場取るロイヤルの最後の囚人は自らと戦って自殺する。あなたがそこから出るか出ないかは、あなた次第である。娑婆に出るか死刑になるかを決めるのはあなたしかいない。あなたがあなたの閻魔大王であり、最後の審判の神である。あなたの一生はまだ終わっていない。あなたはまだ一度も死んではいない。あなたという魂が生きるか死ぬかを決める最後の審判は近い。そこで、あなたの永遠の生死を決める判決が出る。

神仏を含めた人類の歴史を進めたら、いつか天国ができるのではない。どこかに天国があるのでもない。自らで自らの真釣り違反の罪を清算することで、今のあなたの現実が元の真釣りの世に戻るだけのことである。天国は今の瞬間にすでに存在している。その天国を隠しているのは、真釣りを外して魔コトで曇ったあなたの真中である。真中の曇りを綺麗サッパリ取り祓うことで、天国の正体がわかり、真釣り戻せば今世で天国の疑似体験ができる。そして、元つ大神の大掃除の後には、永遠に続く本当の天国を実際に生きられる。
P187
今のあなたがいるところは仮の世であり、あなたはここで真釣りを戻すことで、本当の神世に産まれ出るのである。あなたが魔釣りのままならば、本当の神世は存在しない世界となる。あなたは、本当の神世の掟を破った今世を実体だと思っているが、それは錯覚である。あなたが本当の神世をありえない世界だと思っているなら、それは、本当の神世から見た今世のことである。あなたが魔釣りのままで本当の神世に存在することはありえない。

元つ親神が用意した、真釣り外したあなたを滅びから救うための結界(岩戸、バリア)が、神の子のお宮である。あなたという魂は、その子宮の中で生まれたのではなく、子宮の外から入ったのである。今世の妊娠と出産の仕組みはこの形示しである。今の世では、別の肉体とSEXをせずに子供を宿せるのは雌雄同体の生物だけであり、火水が正しく組み組んだ真釣りの世の「人」ならばいざ知らず、子宮の中に突然現れた胎児というのは聞いたことがない。卵子は○、精子は・である。精子が外から入って、受精して⦿になって、細胞分裂(バラバラになる分裂ではない)して、精緻な肉体が出来上がるのである。あなたは今、神の子宮の中の胎児である。あなたは神の代で真釣りを外したがゆえに、胎児となって神の子宮に入り、真釣りを取り戻し、出産して元の成人に戻るハメに陥ったのである。

神法に違反した身魂は、天地自然の調和を乱し、万象万物を滅ぼす響きを奏でるから、本来は即滅びである。真釣り外した身魂であるあなたは存在していない筈である。あなたが魔釣りのままで今存在できるのは、元つ大神が、愛しい我が子を真釣りの御世に連れ戻すために、一度だけ復活の機会を与えてくれたからである。本当の親心から、違反を知らずに好き放題する放蕩息子を真釣りに戻すには艱難辛苦の苦労があることを承知で、自ら違反に気づき自らで真釣りに戻ってくれることを願って、真釣り戻すための「情けと花の仕組み」を構え、神仏を含めた真釣り外したすべての身魂の罪をご自身ですべて引き受けて、今まで陰で支え続けてくれたのである。大神の御苦労をないがしろにすれば、天国はない。

大神の子宮の中で、世の真釣り戻しをする大掃除、本当の大神のお手伝いをするのが、ヒノモトの民の天命であるが、居心地のよい揺り篭の快感に味をしめ、魔釣りの蛇と共に滅びの世界を進めている今の生き様は、世界の父親としてなんとも情けないの一語に尽きる。魔釣りの蛇の民は、真釣り外しを壊す役目であり、真釣りの真コトは知らないのである。ヒノモトの民が真釣りの真コトの一厘の響きを取り戻さなければ、世界は本当に破滅する。元つ真釣りの仕組みを絵空事の如く思っていい加減に扱えば、それは永遠の死を意味する。今からでも遅くはない。今ここでアヤマ知の世と決別し、生死時空を超えた永遠の命の道、真釣りの真コトの生き様に戻って欲しい。どんな苦難が待っていようとも、それをすることが、元つ真釣りの直系の霊統の身魂を持つヒノモトの民(あなた)の天命なのである。ヒノモトの民が真釣りに戻ることが、同時に、世のため人のため神のためになるのである。
P188
真釣りと魔釣りは裏表であるから、あなたが真釣りに戻るためには、魔釣りのアヤマ知をすべて捨てて、ゼロ=無から、神の赤子から真コトの道を歩き直さなければならない。いつまでも四つ足の獣の響きでハイハイしていないで、大神の言うことをハイハイと聴いて、真コトで歩くことである。妊娠には期限があるのはご存知のはずである。この世の形示しは、大神からの教材である。忍神にも限度がある。妊娠期間は始めから決まっているのであり、人類の都合などという勝手な理由で伸ばすことはできない。どんなに恐ろしいことになろうとも、時が来たら陣痛が開始され、神の世界への産道(ミロクの神宮への参道)に出なければならないのである。一度産道に出たら、もう子宮には後戻りはできない。自然の法則は破ることはできない。真釣り外したあなたが今ここでやるべきことは真釣り戻しである。現代社会の宗教や科学の言う天国を作ろうとし続けるなら、永遠の死産となる。

真釣りの代は言わば「濃硫酸の海」であり、真釣り外したあなたは、大神が用意した子宮がなければ、融解してしまう。真釣り外した身魂は、岩戸というバリアの中に入らなければ跡形もなく溶けてしまう。岩戸の中で、大神が臍の緒を通して教えることを素直に聴いて、真釣りを戻して、真コトのヒトに戻れば、真釣りという濃硫酸の海がただの水になり、あなたは死ぬことはなくなるのである。あなたが臍の緒の言葉を完全無視しているから、あなたの目の前にこの本が現れたのである。この本は、あなたの臍の緒に鳴り響く神言を耳(実身)に聞こえるようにしたものであり、あなたの最も奥深くに封印された事実を述べ伝えるための型示しである。あなたが内の言葉を無視し、外の言葉にばかりに耳を傾けているから、鏡を渡したのである。あなたは、子宮に入る前にいたところへ戻るだけである。

元々のあなたは光の存在である。あなたは成長するのでも進化するのでもない。あなたの光を曇らせた汚れを磨いて取るだけである。あなたが持っているすべてのアヤマ知を捨てること、真中の曇りを磨いて元の真コトの輝きを取り戻すことが心の掃除であり、身魂磨きであり、真釣り戻しなのである。今あなたがいる所は、魔釣りの教義を信仰して曇った真中の埃を真コトで掃き清める魂の神社、魔釣りの嘘を学んで真実が見えなくなった自らに真釣りの自らが真コトを教え直す魂の学校でもあったのである。時が至れば、当然のことながら、現代社会にある、文字通りの「刑務所(神社、学校)」も含めて、魂の刑務所(神社、学校)は蜃気楼の如く永遠に消えてなくなる。子宮がなくなれば、あなたという存在は濃硫酸の海に溶けて海の一部となり、もう二度と自分の人生を歩むことはできなくなる。

天国が未来にあると思い込んでいることが、人類の歴史の進歩発展神話の原動力である。元々全き光の存在であるあなたに進歩や発展などない。あなたは自分自身に騙されていたことに気づかなければならない。現実というのは、永遠なる今の瞬間の連続を体験しているだけであり、実際には、過去も現在も未来も存在しない。それらは、分かつ知で「今この瞬間」を分離したあなたが、今の瞬間に作り出しているただのお話に過ぎない。過去がなければ未来は作れない。未来を作っているあなたは過去を見ている。その過去と未来を分けているのはあなたであり、それを想像しているのは、今この瞬間である。あなたは、明日が来ていないのに明日の心配をし、もう終わってしまった過去の映像にしがみついている。あなたは今に生きてはいない。あなたは過去と未来の幻想を見るために生きていることになる。そして突然、明日という日常が消え、晴天の霹靂の如く、避ける間も無く究極の苦脳と暗闇の世界に放り込まれる。あなたが次の瞬間に生きているという保証はない。
P189
あなたが最も恐れていた現実が実体となる時が、必ずやって来る。あなたはどう足掻こうとも、真釣りの大神の手の中から出ることはできない。あなたがどんな理屈を持ち出そうとも、真釣りの神法から逃れることはできないのである。あなたが真釣りであるならば、あなたは、永遠に天国を産み出す大神の世界を体験している。あなたが魔釣りの響きであるならば、どんな手立てを労して逃げようとも、あなたには三歳苦難の修羅の地獄を避けることはできない。逃げようと思えば逃げられるが、逃げた分だけ地獄を増やすだけのことである。今のあなたの地獄がどんなに酷いとしても、あなたにとっては一番楽な地獄なのである。真釣り外したあなたは清算の地獄は避けられない。素直に地獄に落ちることがあなたが本当の天国に帰る唯一の術である。いい加減に、自作自演の「あんたのせいだゲーム」「怖い怖いゲーム」をやめることである。極楽トンボが生きられない時が迫っている。

真釣り外しの響きを清算する総決算の祓い清めは、神仏ですらも逃げられない。あなたの態度次第で、あなたが見ている天国も破滅も、どちらもあなたの現実になりえる。あなたが今のまま同じ生き様を続けるなら、すべてが一つに戻った時、あなたは永遠の死を迎える。あなたが素直に真釣り戻せば、違反相応の地獄はあるにせよ、必ず生き戻れる。あなたが今持っているものは、思いも立場も幸せも物も金も心も、すべて奪ったものである。あなたが今持っているものは、あなたがどんな策を弄して守ろうとも最後は全て消える。あなたが本当の天国を体験したいなら、大神から奪ったものを耳を揃えて返すことである。

あなたは、「ここ」を分けることで、前後左右、遠近、日本外国、内外、この世あの世、云々を作り出して、箱の中を右往左往しているのである。あなたは「今ここ」という時空を永遠に体験しているだけであり、風景は変わるにせよ、あなたが真釣りならば、永遠に思い通りの天国を体験し続けられるのである。「今ここ」を造るやり方が魔釣りならば、あなたの「今ここ」はすべてが闇となる。あなたの世界がすべて闇になれば、時間も空間も同時に消え、あなたは、どこにいるのか、今がいつなのか、全くわからなくなる。あなたがその恐怖を避けようとすれば、あなたはその恐怖の中に自ら歩を進めていくことになる。あなたが思ったものは、実体化する。あなたが死を避けようとしても、あなたが言う「死」は自らが作った自らの現実のイメージであるから、あなたが最悪の事態を避けようとしてアレコレと画策する限りは、必ず、実体化する時がやって来る。あなたが本当の死を体験したくないならば、死を消すことである。無いものをあると言えば、それを実体化する力を自らで作ったことになり、自らが実体化した恐怖の中に自らを放り込むことになる。逆に、あるものを無いと言っても、あなたがそれを消すことはできない。実体化しないようにするほど実体化するのである。元々存在するものはあなたが力を使わなくても実体化する。あなたが本当の天国を体験したければ、一目散にそれに向かって突き進むことである。
P190
あなたは元々神であり、あなたが存在しているところは神世である。それが真釣りの神世か魔釣りの神世かに関わらず、あなたは大神の創造の響きと共鳴する真中を持っている。思っているだけでは形にはならない。あなたの思いを形にするには、行じることが鍵である。あなたが創造するものは、それがどんなものであれ、あなたの行動次第で、すべて実体化できる。あなたの思いは、すべて形になる。あなたは、今の今まで、魔釣りを実行し続けてきたのである。あなたが真釣りの天国を実現したいならば、魔釣りを捨てる行動を採る必要がある。あなたが真釣りに従って行動した時、魔釣りで得たものはすべて消える。あなたが、魔釣りで得たものの消滅を恐れて躊躇している限り、あなたは魔釣りを実行し続けることになり、真釣りに戻る道がどんどん遠ざかるだけである。あなたが本当に真釣りの天国に戻りたいならば、すべてを捨てる覚悟を決めて、ただ地獄に飛び込めばよい。

あなたの現実はすべてあなたが実体化したものであり、誰かに責任を転嫁するならば、その世界が実体化し続ける。あなたが『存在するから現実だ』と言えば、自らを騙す罠に嵌まり、最後は自己責任をとって滅ぶ時を実体化することになる。あなた(人類)が今目指している自由や平和や天国は幻想である。幻の天国を破壊するものが悪であるというのも幻想である。あなたが幻想の天国を維持する善人を演じている限り、あなたには本当の天国はやって来ない。あなたは今の今まで、幻想の天国を壊すことを悪だと言って、何の罪悪感も持たずに、当たり前のように本当の天国を壊してきたのである。本当の天国を封印する法律や道徳や常識云々をひとかけらの罪悪感もなく自らや他人に強制していたのである。現実には存在しない本当の空想物語である幻想の天国を壊すことに罪悪感はいらない。

あなたが本当に天国に戻りたいならば、偽の天国で生きようとしている者を無視することである。何の遠慮も慈悲も要らない。神法違反をしておいて命乞いをする資格がある者は誰もいない。嘘の天国を作る社会の語る正しさや善はマヤカシであるから、それに囚われて真釣りの実行(魔釣りから見れば破壊、邪魔、迷惑であるから文句を言ってくる筈である)を躊躇する必要は全くないのである。真釣りが絶対善であり、本当の正義である。それを語ることに何の遠慮も要らない。絶対の正義を心底から自信を持って実行すればよい。本当の天国を生きている者は、あなたが何をしようとも一切何も言わない。すべては、自業自得であり、あなた自身が真釣り外しを清算しない限り、真釣りは生きられないからである。あなたが魔釣りで滅ぶか、真釣りに戻るかは、あなたの個人的な問題である。一度は真釣り戻しの道に入ったあなたが、再び魔釣りに逆戻りして永遠の滅びの道を選ぼうとも、大神ですらそれを止めることはしない。あなたが真釣りに戻るか戻らないか、それだけがあなたの永遠の生死を決める鍵なのである。あなたの直面する唯一最大の踏絵である。

P191
本当の天国を生きるには、魔釣りで教わった罪悪感を捨てることである。幻を殺すことに遠慮はいらない。幻は実体のないものであるから、本当の天国から見れば、すでに死んでいる世界である。偽の天国に生き残ろうとして、あなたを恨む者がいたとしても、それはあなたには関係がないことである。本当の天国に戻ろうとする者を恨むという矛盾に気づいていない本当の大アホである。自らを滅びに導いて喜んでいるのであるから、相当な重症の痴呆である。あなたがその者たちに遠慮する理由はどこにもない。あなたがその者たちを何とかしようとすれば、あなたは自らの永遠の命を失うことになる。犯罪者を殺すことに罪悪感を持っている者は狂人扱いである。本当の狂人は似せの天国を作ろうと躍起になっている側の人間である。絶対的に狂っている者を無視することに何の躊躇もいらない。あなたが今持っているすべての罪悪感(言い換えれば、慈悲の心、思いやり、優しさ云々)を捨て去ることである。たとえ微々たる罪悪感を持っているだけでも、本当の天国の神の真意を見逃してしまう。元つ真釣りの大神の真の愛と誠がわかったら、即、天国に戻れる。本当の神法は、天地自然の掟であり、破った者は自然淘汰である。問答無用で死刑となる。あなたがどんなに屁理屈をこねて抵抗しようとも、それが、あなたの違反の証であり、あなたがそれを続けるならば、あなたは、自らの頑固さゆえに自らの永遠の命を永遠に失う。

天国の体験をしたいのに、『それはありえないものだ』と言えば、あなたはその通りの現実を体験することになる。あなたが真釣りに戻せば、嘘がすべて壊れて、真コトが復活する。あなたが嘘を真コトと勘違いしていれば、破壊の恐怖を避けようとする。しかし、その恐怖は幻想であるから、あなたが恐怖を捨てれば恐怖は実体化せず、本当の天国が体験できるのである。魔釣りの幻想をすべて捨てる恐れを捨てることである。肯定の力より否定の力の方が強力であるから、否定した現実が先に実体化することになる。あなたには真釣りしかない。あなたが本当に天国を実現したいならば、天国を否定する響きを捨てればよい。あなたの天国を封印する声を完全に封印すれば、あなたの天国を邪魔するものは何も無くなる。あなたがあなたの唯一最大の妨害者であり、あなたがあなたの唯一の救世主である。

すべては逆さまであり、あなたが避ければ避けるほど、否定すればするほど、あなたの望まない現実を実際に体験することになってしまう。否定というのは、その存在を認識している証であり、否定する力が強ければ強いほど、存在を消すどころか、逆にその存在がありやかになっていく。あなたが否定すればするほど、否定している世界に現実化する力を自らで与えていることになる。肯定するのと同じだけ否定することで、その現実を自らに引き寄せることになる。すべては磁石の仕組みであり、同じ極をくっつけようとした力と同じ力で一瞬にして離れ、違う極を離そうとした力と同じ力で一瞬にしてくっ付く。あなたがどんなにしがみつこうとも離れるものは離れ、どんなに離そうと試みてもくっ付くものはくっ付くのである。あなたが真釣りの真コトの光を取り戻さない限り、今の魔釣りのあなたの世界は真っ暗となる。あなたが入ったトンネルの出口は真釣り以外どこにもない。
P192
永遠の天国と永遠の滅びは同居できない。今この瞬間での選択によって、天国か滅びか、どちらか一つがあなたの現実となる。見えない世界は、あなたが魔コトで曇らせた分、体験できなくなった世界である。今もあり続けている天国に戻るか、その天国を空想の世界にしたまま、本当の空想の天国を生きて滅びるか、それはあなたが決めることである。あなたの中に一つでも境があれば、それは分かつ知で見ている証しである。すべてのすべての扉(結界、岩戸)を開いた世界が本当の天国なのである。自分がずっと逆さまの世界にいたのだということを正直に認めることである。あなたが心底からそれを認めなければ、永遠の天国が復活した時、あなたはその天国にいない。逆さまの世界を本当の世界だと信じ込んだまま、あなたは全ての世界から永遠にいなくなる。いつまでも罪の清算ができると思ったら大間違いである。魂の刑務所は、万古末代一度きりの、期間限定の仮設テントである。テントの閉所時間が来たら、問答無用で、即、片付けられてしまう。その時に命乞いしても、改心しても、もう遅い。この本で、あなたに「閉所予告」をお渡ししたから、今ここで、ただちに改心して身魂の清算を始めることである。後の「真釣り」はもうない。

永遠の天国がまもなく訪れる。それは、今もある天国の「完全復活」である。魔釣りのアヤマ知で曇った魂はそこで肉体を持つことはできない。魔釣りの天国は、真釣りの天国の復活と共に消滅するからである。今もミロクの世は存在している。万古末代ずっと、始めもなく終りもなく、元つ真釣りしか知らない、何でも思い通りにできる「真人」達によって、真釣りのミロクの天国の社会が営まれている。ミロクの天国から見れば、ありえない神話の如く見える「情けと花の仕組み」という空想物語を酒の肴にしながら、真釣りの神に戻った「真のヒト」達が、何ごともなかったかのように尽きることのない永遠のエンターテイメントを楽しんでいる。あなたの真中の曇りを綺麗サッパリ祓えば、あなたにもそれがわかる。あなたの心にある天国は、あなたが元いた場所であり、今もある現実の世界である。あなたが快欲に囚われて逆さまの世に生きてしまったことで、その天国を空想の世界の物語だと思い込んでしまったのである。現代社会の人間の、魔釣りの知恵で元つ真釣りのミロクの世を創れると勘違いして、今の歴史をそのまま続けたとしても、それこそが意味のない、何の役にも立たない絵空事、無駄な努力であり、滅びのエンディングが待っている空想物語、TVゲームの世界が続くだけである。しかし、時が至れば、そのマボロシは、跡形もなく消滅する。今のあなたは呪いの仮面を被っている。自分自身で仮面を外さない限り、あなたの本当の天国は夢マボロシとして消える。あなたが真釣りに戻らなければ、逆さまの世で天国を夢見て欲に駆られて手を出した呪いの仮面は永遠に外せなくなる。
P193
現代社会が属する魔釣りの地獄の世は、元々どこにも無い世である。魔釣りに囚われた身魂が、アヤマ知で作り上げた幻想を実際にある現実だと思い込んでいるだけである。真釣りに戻れば滅びはなく、魔釣りのままなら、滅ぶから永遠の天国には戻れない。今の世の神話の神々の歴史は、魔釣りの世の歴史であり、人類の歴史は、その神話をも闇に葬った歴史なのである。真コトの光咲きわう神代の末期、あなたを含む神々が、快欲に囚われて、真釣りを外して、滅びの魔釣りの道に足を踏み入れたことが、すべての闇(病み、争い、幻の世界)の始まりである。快欲の響きは、一度囚われれば自らでは抜けることはできず、そのままならば滅びに至る。自らで無から産んだことがない身魂が快欲に囚われることをわかっていた大神は、魔釣りに囚われたすべての身魂を真釣りのミロクに戻すため、情けと花の仕組みを構え、その神策成就を導くスメラ(真釣りの立て直しの御役)とユダヤ(魔釣りの立て替えの御役)の二民をこの世に降ろされた。囚われを壊す御役のユダヤが魔釣りの世を立て替え、この地に真コトを現す御役のスメラが真釣りを立て直し、魔釣りの立て替えの最後の最後に元つ大神が真釣りで魔釣りを統べて(すべて)元のミロクに戻す。それが、神々の世以来続いてきた、人類の歴史の裏の裏の裏にある本当の目的である。真釣りを外し続け、偽の天国を夢見て戦いに明け暮れた魔釣りの歴史は間もなく終わる。真釣り外したそのことが、元のミロクに帰る仮の世での戦いの歴史の始まりだったのである。

元つ大神の真コトの真意を知らない、真釣り外した人類は、情けと花の世で天国を創ろうと、世を進めてきたのである。真コトの一厘を知らない魔釣りの知恵の神は、自らの知力で世を支配できると思い込んでいるから、世が天国になればなるほど魔釣りが進み、滅びの時が近づく。魔釣りの神が元つ大神の如く振舞う今の世でユダヤ十二部族の血統を追いかけても、世の真相は闇の中である。現代社会がアタマの知恵で創られた世であるとすれば、その結末はどうなるか。身魂が本当のあなたであるから、この仕組みを取り違えれば、今の肉体の命の死どころではなく、あなたという存在自体がすべての世界から消滅してしまうのである。真釣りは霊統により、魔釣りは血統により世が動かされる。魔釣りの霊統の源は、真釣り外した蛇の知恵の神である。魔釣りに囚われると、形の水の世界で天国を創ろうとするから、血統として現われる。すべての血統は魔釣りの知恵の神に行き着くが、その知恵の神は真コトの一厘を見失った神である。魔釣りの現世がどんな世なのか、よくよく見て欲しい。現代社会の人間にとっては想像することもできない、現代社会を生み出した首領の神すら知らない、どえらい仕組みが裏の裏の裏に控えているのである。仕組みが成就すれば、元つ天地の真釣りを外したものは、神から人まですべてが滅ぶことになる。
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元つ天の大神の真釣り(⦿)を闇に葬って、魔釣りの分かつ知(Ф)で真コト(±)を「+」と「-」に分けて、世を挙げて「+」を追いかけ続けるという唯一最大の過ちに今もって気づいていないのが、神をも含む人類の歴史である。世の源の神が逆さである限り、発展思考で世を進めるほど分裂の世界が進むだけであって、どんなに続けようとも天国はない。世の陰の黒幕も、その黒幕の神も含めて、安心も安定も安全も自由も絶対に得ることはできない。産業だと勘違いして惨業を発展させ、壊れるもの(問題)を作り続ける無駄な苦労(苦業)を積んだ挙句のその結末は、破滅である。この事実からは、いかなる神仏も逃げることはできない。ましてや、人間には、魔釣りの世で何を企もうとも、逃げるあの世すらもない。自らのアヤマ知を捨て、±を真釣りして元の土に戻さない限り、真釣りのミロクはない。+思考-思考、損得、苦楽、明暗、善悪、正誤、それぞれどちらをとっても方向性(ベクトル)は変わらないから、±の世界で○●どちらを選んでも、同じ結末が来る。

どっちが得か、どっちが楽か、という分かつ知で世を進めても、真釣りを外し続けるだけである。真釣り外せば情けの苦が増え、増えた分だけ魔釣りの掃除の手間が増え、真釣りに戻す苦労が厳しくなる。その苦労を避けて●を逃げれば、ますます苦が増える。-思考を+思考に変えたとしても、良くなったり、明るくなったり、得したりしているのは表の形だけであって、裏の響きは逆に、+思考をするほど-の響きが強くなり、+思考で得た分だけ、形の●が増えて返る。結局は、±の世界の+を選んでいるに過ぎず、分裂する限りは、●が増えるだけである。○も●も、真釣りからみれば両方とも●であり、真釣りに戻さない限り、本当の○はない。カミの顕現を一つでも×すれば、支えを失って火水の十字が傾き、結局はすべて✕となって、滅ぶ。本来は●はどこにもないはずの自らの現実に、自らの日常に、自らの社会に、自らの心に、ほんの僅かでも●があるならば、それは、自らが真釣りを外した証しである。魔釣りの世に揺りかごから墓場までどっぷりと漬かっているあなたの真中にあるものが魔釣りの響きであることは、火を見るより明らかである。自らの苦を魔釣りで避けるのがその証拠。魔釣りの分かつ知で作り上げた現代社会は、至福どころか破滅の手前である。±原理の今の世に本当に笑える者は誰一人いないのである。

幻台社会は、+が✕となり、-が÷になった、加減乗除のアタマの吸う学の計算で作られた遮快(謝壊)である。元の火水の十字が九分九厘傾いて、✕(罰)ばっかりになり、的(○、+、ターゲット)の奪いAIの戦争の世となり、覇✕の共食いが激しくなっている。地力を失って、恥力の知力で世を作り、天ばかりを崇めて点を取り合う、上下の権力十(党、等、頭、闘)争に明け暮れる。喜怒哀楽、春夏秋冬、前後左右の四分割の中心の0(無)を避けた、XとY(男と女)の平面座標のシェア争いの世界の四葉のクローバーは、乞運の象徴である。残る真コトの一厘は、元つ大神の真コトであるから、✕を正としていれば、元つ真釣りの真コトの一厘の響きが三千世界に響き渡れば、今の○はすべて✕となる。裏に隠れた闇が表に現われて、病みの世となって、闇夜となる。真コトの一厘がなければ、すべてが暗闇となって何も見えなくなる。楽が苦になるから、修羅の地獄が現実となる。
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元つ大神は中心のアン(餡、案)の神であり、始めも終りも統べるαωであり、すべてのすべての真中である。時節が至れば三千世界を元の真釣りの世に戻し、真釣り外した✕の世は綺麗サッパリ掃除される。真コトの一厘がなければ、ミロクは露と消える。ンは無(夢)であり、アは始め(創め、初め、一)である。ワヲンに戻して(人に委ねる倭を口を結んで終いにして)始めのアと開く(現す)のである。ン(n)がすべての音を発する源の父音であり、ア(ア行)が母音、kstnhmyrwが子音である。父が始めであり、母との間に子を入れてカサタナハマヤラワの五十(伊勢)音と鳴る。三位一体の言霊が、すべてを現す基である。カタカナはすべての言語の発音を表せる。すべての形は言葉になる。万象万物は響きの顕現である。すべてはカタカナ(象神名)の顕現である。ヒノモトはすべての文字を使う。ア、了、アは創めの終り。終りの創め。カタカナはすべての顕現。響きの型を示す。真、魔、マ。カタカナのアは始めの一(位置)であり、漢字のア=了は終りを意味する。中国=唐(十、頭、塔、党、盗、闘、討)の文明の日本が終り、魔釣りのAI(人工知能、電脳社会)や恋(来い、乞い、蓮)の世は終り、型神名(方神名)の神響きで、覇〆(覇権の終り、創め)の本当のアイ(愛、EYE=目、I、LOVE=0、ai=1+9=十=神)のヒフミ(比史、秘文、火史、一二三、一=三、霊体一如)の真言(誠、実)が満ちる。五十音もイロハ四十八字もンで終わる。ン(運、云、UN=国家連合)がすべてを統合する世界の元である。云はニムである。二六であり、二+六=八であり、二賭ける六=十二、云=運、云う=言う、西洋のαベットの賭け惨を最後の26でzzzと眠らせて、言葉をム(M)にして、元の始め(土師芽、破自目)のAで開く。マ=真、魔、磨、間、馬。「マ」とは、火水縦横正しく組んだ姿であり、今の世の仕事は、マ抜けな働きである。ア、A、α、世界の文字の文明をすべての言葉を統べて(全て、総べて)火の基象神名(カタカナ)で真釣り和し、真コトのアイのイロハ唄で人の口を八と開いて、元の神の世に縦戻す。元の始めの神響き、父が真火に戻ってすべてを支え、了のン(無)から云で(産んで)有と為す。総てを創めのアの世に戻す、元つ真釣りの真コトの神が、ヒノモト真中の餡雲(暗云、ANUN)祓い、元つ大便神の世を、アウンでコどもを真釣り和す。

火水は、霊身である。すべての源は大天である。大天に元つ火立ちありて、元つ水生ず。元つカミ(十)の火の響きがこの世のすべてを支える基である。その火の響きあるゆえに水生じ、水生じたがゆえに火立ち生ず。この元つ水の響きがこの世の基の現われである。元つ火の響きと元つ水の響きが組み結んだ、大きな十の姿が、「地」(この世の始め)である。地の大きな十の火の響き(|)あるゆえに大きな十の水の響き(―)が生じる。その水の響きが今でいう天(正しくは、小天)である。ゆえに、「天地」ではなく、「地天」の順が創造の正しいやり方、元つ大神の地天の理、神の掟、真釣りである。この掟を破るもの(真釣り外すもの)は、神も人も、万象万物、すべてのすべてが滅ぶ。大天に産み成された大地の火の響きと小天の水の響きが真釣り合って、すべてが産み出されるのである。この位順を逆さまにして創造しても、すべてが逆さまになり、すべてが滅ぶ。逆さまになった神と人を真釣りに戻すために仕組まれた元つ大神の「情けと花の仕組み」の中にあるのが、神をも含む、人の歴史だったのである。ここは、真釣り戻すための世界であり、その世界で逆さまのまま天国を作ろうとしても、それは叶わない。真釣り外した者にとっては人類滅亡、世の破滅が現実となる。真釣り戻した者は、本当の天国(真釣りのミロク)を謳歌できる。真釣り戻しをしなければ、時節が来れば、あなたは掟通りに滅ぶことになる。
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元つ大神の経綸は、天地創成に始まり、今回の大掃除で幕を閉じる。今回の天地の大掃除、岩戸開きは始めから決まっていたことであり、先延ばしはできず、真釣り外したものは、真釣り戻す以外にそれを避ける術はない。真釣り戻さなければ滅ぶだけであり、魔釣りのアヤマ知で作った現代社会の問題もすべて消える。そして、真コトの花が咲きわう歓喜弥栄の天国に戻るのである。逆さまの世で生み出した問題は絶対に解決することはない。問題を創った逆さまの世もろとも、消える運命にある。問題は解決するが、そこに、魔釣りに生きるあなたはいない。「情けと花の仕組み」は、真釣り外したものに、真釣りに戻す機会を与えるために期限を切って仕組み構えたのであって、時節が来れば、仕組みは終わる。その仕組みの中で取り違いをして、今の世が永遠に続くと思っていれば、突然、終りがくる。ただし、終わるのは魔釣りの世であって、真釣りの世は今もあり続けている。実際には、今のあなたから見れば存在する現代社会も、魔釣りの神仏の天国も含めて、大天には始めから存在しない世界なのである。大天の天と小天をごちゃ混ぜにして、天は一つと思い込んだのが、この世の乱れの始まりである。現代社会の宗教で言う天地創造神が逆さまならば、人の世も逆さまなのが道理である。今の世の始めの大元が逆さまならば、いつまでたっても、天国などできはせず。地獄どころか、滅びに向かって突き進んでいるのである。逆さまの世であるからこそ存在する問題を、真コトを知らない人類が解決することはできず、宗教や科学で天国を作れるなどというのは、それこそ妄想に過ぎないのである。大元を直さない限り、滅びは確定である。小天の神を崇めているなら、自らが永遠に滅ぶ。

元つ天(大天)、大地、小天の三位一体が、真コトの姿なのである。人は、神響きによって、小天の後に「地の上(ちのへ)」に産まれた神であるから、人にとっての小天は火(表の親)であるが、あくまでも、大天が本当の火、裏の産みの親である。大天の親を亡き者にして、小天の親のご機嫌取りをしても、全くのアベコベ、大きな勘違いであり、それは今世の自分を生かすどころか、永遠の滅びを意味するのである。火の支えるハタラキは男、水の現すハタラキは女、と型示しされる。元つ真釣りを外し、「地天」の順を逆さまにしたから、天(小天)の女神を、今の創造主としてしまったのである。本当の神には男も女もなく、天の女神を奉る思いは「分かつ知」で考え出した人類の妄想である。その妄想を実体の如く思い込んで「宗教」を作り出し、それを現実社会に取り込めば、本当の神(火水)を知らないまま、この世もあの世も永遠の終りを迎える時が来る。元つ神の真釣りの掟を外した神の作り出している世は、神から人まですべてが滅ぶ、魔釣りの世であることは明々白々の事実である。元つ大カミの響きが復すれば、すべてが真釣りの真コトに戻り、魔釣りの魔コトで作った世とその世に生きる基を置いているものは、どう足掻いても、神から人まで、すべてのすべてが水の泡と消える運命である。水が火を、体が霊を、女が男を支配する(体主心従霊属)ということが、どんな事態を招くのか、よくよく考えてみることである。すべてのすべてを産み生む元つ天地の理法は、霊が心を律し、心に体が属す、「霊主心従体属」である。霊は元々真釣りである。霊と体を結ぶ心が魔釣りに囚われて曇りあれば、アヤマ知で世を作り、逆さまの世を進めた末に、真釣りを外してすべてが滅ぶ。真釣りの心が霊をそのまま体に現せば、この世は歓喜弥栄のミロクの世のままだったのである。
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魔釣りを真釣り戻すには、アヤマ知で曇った心を綺麗サッパリ掃除することが唯一絶対の条件である。体主心従霊属の魔釣り世を、霊主心従体属の真釣り世に、一気に立て替え立て直して、末代倒れない真コトの真釣りの神の世に戻す、それが、元つ大神の最後の大掃除である。あなたは、真釣り戻すために今世に産まれたのであるが、今のあなたが何をしているのか、よく考えてみることである。真釣る順番を逆さまにして、水(小天)が、支える火の如く振舞って水(カタチ)を支配すれば、真コトの火(支え)が消えた水(カタチ)ばかりを追いかける世界となる。水と水が組み結んでも、やがてはすべて流れてしまう。順番とハタラキを間違えて世を進めれば、その世はすべてが滅ぶ宿命を持つ。全くの逆さまであるから、アヤマ知を持ちすぎているほど、知識がありすぎるほどわからない元つ仕組みである。心のアヤマ知を一つ残らず捨てることが自分の命を救う唯一の術である。

「±」を+と-に分離したカミ(十字)の世界が現代社会のルーツである。+と-を分離したことで、十字が傾き、✕の姿となった賭け惨の世界、倍々(売買)ゲーム、+と-を上下に割って(÷)、答えの「商」で余りを取り合う仕組みを生業にしたのが商業である。すべての数が割り切れるわけではないから、永遠の天国は作れない。加減乗除の形算問題を解いて、速さと正確さを競っても、何の意味もない茶番である。自らの滅びを導くやり方を有り難がっていれば、永遠の死を迎える。今あるすべての宗教の源はここにある。従って、神仏を信仰すればするほど、自らを滅びの道に導くことになる。お金では真釣りに戻れないどころか、最後は自らの滅びを呼び込む。お金では天国はできない。知でも学でもお金でも越せないのがすべてのすべてを元つ神代に戻す、真釣り戻しの大峠なのである。

お金という神で支配しようと思えば、被支配者の持っている神を封印しなければ、お金の仕組みは使えない。教育とは、実は、神を消すための洗脳だったのである。現代社会、特に、日本の姿を見れば、その目的が達成されていることは明らかである。ヒノモトの神響きを封印すれば、世界は思い通りになると思っているのが、今の世を統べる支配者たちの思想である。火立ちありて水生ず。ヒノモトありて外国あり。元つ大天の大神の真コトの神気の出づるただ一つの真コトの神国(真告、心国)、世界の父親である裏から支える火ノ基を潰せば、子である世界も死ぬことを彼らは知らない。知らないからこそできるのである。親である日本が真コトを取り戻さなければ、子である世界は滅ぶ宿命なのである。すべてはアベコベである。日本が外国を神と崇め、外国の真似をすれば、世が滅ぶのが元つ神仕組みである。世界を統べる御役の火の働きのハラ(日本)が曇れば、ハラを知らないアタマが支配する世界がバラバラに争うのは神仕組み通りの必然の姿である。親である日本が、人類は皆兄弟姉妹、友好親善、相互依存、国際貢献、情報社会、市場経済云々という罠に落ちれば、世は汚泥混濁の姿となるのである。ヒノモトの民の自覚がなければ世界は滅ぶ。父親の責任を忘れた日本が、世界の混乱の根源であり、親が改心しなければ子を殺すことになる。従って、大掃除の始めはヒノモトからである。元つ地天の理にすべてを戻す元つ大神の「大祓い」からは、いかなる神仏も逃げられない。源を直せばすべて直る。
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お金でお金を増やす金融システムは、略奪の世界だけで成り立つ仕組みであるから、無限の自由は得られない。『いかに儲けを出すか(いかに持ち金を奪うか)』では、手段であるお金が目的と化してしまう。お金をより多く集めるために生きていることになる。本当に本末転倒である。その世界で神(支配、自由、何でもできる自分の力)を体験できるのは、ほんの一握りの経営学(経済学、数学と物理学)のエリートだけである。しかし、それはお金の世界だけのお話であり、中身は空っぽの虚言である。『お金で思い通りにならないものはない』と本気で豪語しているとしたら、とんでもない極楽トンボである。お金では絶対に真釣りの真コトは買えない。なぜなら、真釣りを外した世界で作り出した神がお金だからである。お金で天地創世の真コトの神を買えるならば、世を支配することができるが、それはありえない。もし、できると思っているなら、それは、自らの破滅に同意したことになる。親が居なければ子は存在していない。神がなければ何もない。本当の神が存在しなければ、魔釣りの蛇の知恵の神も存在しない。神がなければ自分はいないのである。こんな簡単なこともわからないのがエリートであり、そのエリートの言いなりの大衆も含めて、大神を闇に葬って天国ができると思っている者は、全員、永遠の滅びが約束される。真コトを闇に葬るほど、金という神が力を持つ魔コトの世になっていく。魔コトと真コトは裏表であるから、最後の最後は、金も物も命も魂も魔コトのすべてを返さなければ真コトの世は夢マボロシと消える。真釣りのミロクが成就する直前には、真コトで作ったものも一旦はお引き上げとなるから、魔コトが生き残ることは絶対にありえない。言うなれば、魔コトは真コトの中の箱であるから、魔コトが真コトを所有することは絶対にできない。

損得儲けの世界ではない真コトの世ではお金はただの物であり、何の力も持たない。今の世でも実際には何の力も持っていないが、その金に神の力を与えているのは、金を信奉している人類である。お金が神の世では、金があればすべてが手に入る。その世界では、金をいかに多く、確実に、途切れることなく、楽に手に入れるか、が自らの天国を実現するための課題となる。希少鉱物の鉱山の採掘権や石油利権、金融市場の主導権を奪い合い、信者獲得競争をし、商品の売りつけ合戦に心血を注ぎ、税制の網の目を作って金を搾り取る。現代社会のシステムは、すべてが『金をどう効率的に多く集めるか』の思考で動いている。領土の奪い合いは、資源の奪い合いであり、国の奪い合いであり、労働者(金を産む基)の奪い合いであり、経済市場の奪い合いである。人類の争いは、結局は、すべてのすべてが、金の奪い合いなのである。金を支配しても、本当の神にはなれない。それどころか、自らの本当の命を捨てることになる。魔釣りの世で金を取れば、真コトの神を捨てることになり、真コトの神を捨てれば、結局は、金も物も命も失う。真コトの神を取れば、魔コトの金を失って、真コトの金を得て、真コトのものに置き換わる。金を選べば、結局は、金も神も得られず、神を選べば、結局は、金も神も得る。金を取れば、すべてを失い、神を取れば、すべてを得るのである。真コトを取るか、魔コトを取るかの選択は、神を取るか、金を取るか、言い換えれば、永遠の命を生かすか殺すかの究極の選択なのである。「カネ」と「カミ」、たった一文字の違いであるが、それが、永遠の生死を分ける究極の違いとなるのである。カミと言っても、魔釣りの宗教の神では、カネを選ぶのと同じことである。生死時空を超えた真釣りの真コトのカミを選ばない限り、あなたに永遠の生はありえない。
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元つ天地の大神を闇に葬って、究極の略奪の道具であるお金に神の力を作り出して世界の王になろうなどとは、とんでもない企てである。神をも恐れぬ不届き千万の所業であり、天地に仇名す大大罪である。真コトの一厘を知らないとはいえ、本当に、神を冒涜するにもほどがある。すべての源であり、現代社会に生きる自らが絶対服従している魔釣りの知恵の神の命すらも生かしある真釣りの元つ大神を完全に闇に葬って、本当に自らの命があると思っているのだろうか。その企みの世界の中で、真コトの一厘を教えるべき真釣りの基の国である日本が、魔釣りの勢力の言いなりになって、いや、その勢力を自ら進んで利用して、マネーゲームの中で国を「発展」させることに全精力を注ぎ、現代社会というマヤカシの世で自らの国力を誇示しているのは、大神から言わせれば、末代詫びようとも許しがたき大大罪なのである。言ってしまえば、今の日本国の正体は、天地創造の神に反旗を翻し、世界を巻き込んで万象万物を滅ぼそうと画策している究極の悪魔の国なのである。

世の父親として世界を支えねばならない役目をもった国が、真コトを捨てて魔コトの世界を進めることに加担するなど、言語道断の所業である。その落とし前は最後にキッチリとつけることになることを覚えておくことである。元つ天地の理法というのは、人間社会の法律のように、自らの都合でいい加減に扱える代物ではない。一寸の狂いも無くはたらく法則であり、本来ならば、破った瞬間に、即、生死時空を超えた命がなくなるのである。元つ天地の真釣りは、自らの永遠の命を左右する、唯一絶対の真理なのである。魔釣りの快欲に囚われ、魔釣りの勢力が操るアヤマ知にどっぷりと漬かり、真釣りの大神の元つ仕組みを「荒唐無稽な戯言」などと本気で思い込んでいるならば、文字通り、本当に取り返しがつかない、二度とやり直すことができない、生死時空を超えたとんでもない事態を招くことになる。これを鼻であしらって、魔釣りの世での生き残りゲームを続けようと思えばできるが、それは即ち、永遠の滅びを意味する。万象万物を真釣りに戻すその時が来て気づいても、もう取り返しはつかない。最後の最後に大神に縋っても、真釣り無ければ永遠の滅びであることをハラに据えて、今ここで自らの態度をはっきりと決めることである。
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元つ大神はすべてを無にして始めからやり直すこともできる。真釣りを外した身魂(天地の理法を破った死刑囚)を生かして本当の天国に導こうとする大神の究極の情け、真コトの親心を無にするならば、あなたは、永遠の滅びの響きとして、万古末代永遠に葬り去られることになる。元つ大神を闇に葬り去って好き放題をしていたあなたには、一切の反論は許されない。天地の理法を破った結末がどんな事態を招くのか身を以って知ることになるが、知った瞬間に、もう二度とどこにも生まれ変われない永遠の滅びの運命は確定となる。すべてを産んだ、すべてを知っている元つ天の大神を誤魔化すことは、いかなる神仏といえども不可能である。あなたが、本当の本当に心底から大神の情けに応える気があるのなら、今までの天地の理法を外した分の艱難辛苦の慙愧慟哭の生死時空を超えた修羅の地獄を覚悟して、今この場で、真釣りに戻る意思を態度で示してもらいたい。それをしないならば、あなたには、仕組み通りに、滅びの運命が待っている。大神の掟は、本当の意味で問答無用の切捨て御免であり、命乞いをする間もなく命を落とすことになる。掟を破ったのはあなたであり、あなた自ら改心して違反の責任をとらないならば、あなたには命を生き長らえる資格はないのである。天地の理法を甘く見れば、自らがとんでもない状況になることを本当に心底から気づいて欲しい。元つ天地の理法を覆すことは神にもできない。

あなたがどんな選択をするにせよ、大神の最初で最後の大祓いは実行される。あなたが本当に大神の御用をしたいのならば、本当の意味での全身全霊、永遠の命を賭けて、大神への絶対忠誠を貫くことである。あなたがあくまでも蛇の世界に居座ろうとするならば、天地の理法に従ってすべてを失うことになる。あなたの身魂はあなたのものではない。大神の情けがなければ、あなたは今ここに居ないのである。いい加減にマヤカシのイシヤの仕組みから綺麗サッパリと足を洗うことである。本当の神の真コトの道に戻らない限り、すべては永遠の幻と消える。万古末代、一度こっきりの大層に、あなたの真コトのすべてを注いで欲しい。今ここで使わなければ、あなたの真コトはもう使えない。蛇の世界を壊すことを躊躇する理由はない。天地の掟を外した神の作る世界を壊すことをためらうならば、あなたは、天地の理法に従った本当の天国を壊していることになるのである。どちらが最後に本当に残る世界なのかを、本当に正直に見て欲しい。あなたは真コトを真中に持つ、世界の父親たる身魂である。最後に本当の真コトを示して欲しい。それがあなたを本当の天国に導く唯一の術であり、世界を本当の天国に戻す唯一の道である。元つ大神の手伝いをすることが、万象万物を生かすための究極の社会貢献なのである。大神が居なければ何もない。嘘の世界の幻想から目を覚まして、本当の真コトの道を歩んで、本当の天国に戻ってもらいたい。本当の空想の世界は、本当の本当に消え去る時が来る。あなたがどちらを本当に信じているのかがわかる、二度とやり直せない究極の踏絵である。あなたにとっての最初で最後の究極の生死の選択を間違えることがないように心底から願っている。
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お金で支配できるのは、略奪の世界だけである。言い換えれば、魔釣りのアヤマ知で作った経済文明だけである。あなたが、文明の正体を知っているならば、自らがとんでもないことをしていることに気づかざるを得ない。いまだにその世界で生き残りを図っているならば、文明の正体がわかっていないことになる。永遠の生を求めるものが、永遠の滅びの世界で生き延びようとしているのである。アヤマ知の文明で力を誇示している者ほど、真釣りに戻す魂の大掃除は修羅の地獄となる。自らの矛盾に目を瞑り、誤魔化し、いい加減なことをしていると、自分がとんでもないことになることを覚えておくほうが賢明である。

冥王の作った「世界を支配できる指輪」を捨て去らなければ、あなたは永遠の滅びを迎えることになる。お金の材料は資源である。資源の材料がお金なのではない。逆さまの世が真実なら、人が神を支配できる、形の科学であの世を作れる、コンピューターで心が作れる、プラスチックで原油を作れると言っているのと同じことになってしまう。子が親を、人が神を産めることになってしまう。完全なる闇から始まった世界が完全なる光の世界になると言っているのが人類の歴史であり、その究極の姿である現代社会のすべてのシステムの理念にこの思想が反映されている。これが嘘ならば、今のあなたがとんでもない結末を迎えることがおわかりだろうか。影が光を産み出すことはできない。光の空間を壁で囲ったら闇ができるのであって、闇を囲ったら光ができるのではない。闇を囲っても闇のままである。電気なる人工の光で明るくしても、それはマヤカシである。お金が神を産めるなら今のままで天国ができるが、それは絶対に不可能である。人類は、破壊とは知らずに人類を消すために一生懸命進歩を追いかけてきたのである。すべてのすべてがアベコベである。つまり、人類の目指す永遠の天国は永遠の滅びを意味していたのである。進歩の正体は、破壊だったのである。文明の進歩というのは、滅びの響きの進歩である。今まで一体何を教育していたのか。何を普及していたのか。何を啓蒙していたのか。何を布教していたのか。何を信じていたのか。何に貢献していたのか。何を封印してきたのか。ここで一旦立ち止まって、自らのしてきたことを振り返り、この先、自分はどうするのかを決めて、今ここから、その道を歩んでいくことである。それが滅びであれ、天国であれ、あなたという身魂が誕生して以来、生まれ変わり死に変わりしてここまで来たあなたの永遠の生死を左右する選択であることをしっかりと肝に銘じて、真剣に最後の選択をして欲しい。
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人間は、形で心地よい感情(快感、快適)を得ようとする。形が思い通りになって初めて満足という感覚を得る。しかし、略奪の世界には、どこにも完全な自由はない。つまり、その望みは永遠に満たされない。お金を制限することは、形を制限することを意味する。将来のためにお金を貯める、将来のために保険を買う、将来のために年金を積み立てる。そして、今使えるお金が減る。お金が足りない分、借金をする。借金の利子の分だけさらに使えなくなる。お金がどんどん減るスパイラルに落ち込む。最後は、破綻する。よく考えれば、簡単なカラクリであるが、お金を尺度にして暮らしている限り、それは見えない。

どんなに経済システムを変えようとも、誰もが自由になる世界は絶対にできない。経済自体が、本当の天国とはアベコベの思想であり、文明社会をコントロールするために考え出されたシステムだからである。自然を管理するために工業を興し、資源を加工した紙に印刷した工業製品である『お金』にオールマイティーの力(すべての物と交換できる特権)を持たせ、そのお金が無ければ自然や工業製品を使えない仕組み(商業)を作れば、お金が命を生かす世界が誕生する。逆さまとはいえ、見事なシステム設計である。その世界では、お金を無限に発行したら、お金の意味がなくなるから、それはタブーである。お金の生産と発行を一つの機関に限定し、勝手に作ることを犯罪とする。そうすれば、一般市民は絶対に自由にはなれない。通貨偽造が犯罪なのではない。犯罪にしなければ困る者がそう決めただけである。通貨偽造犯を逮捕する警察に同意するならば、あなたも警察も、通貨偽造という冤罪を仕組んで世界支配を企む黒幕の手下であることになる。もし、あなたが思っている善悪が真実と全くアベコベならば、あなたは、その黒幕とともに死刑になる。

お金はマネーであり、マネーゲームは神を闇に葬った者たちが繰り広げる真似事(神様ゴッコ)に過ぎない。現代社会は、自らを永遠の死に導くゲームに世を挙げて熱狂している。マネーゲームが成り立つためには、略奪、損得、殺し合いが前提である。自由の制限、邪魔者の抹殺が必要であり、巧妙なカラクリを使って、世界の隅々まで監視の目を光らせるための仕組みが網の目のように張り巡らされている。ちょっと考えれば、お金で天国など出来るわけはないとわかるのだが、本来は何の力も無い法律を馬鹿正直に守って、経済社会の箱の中で何も知らずに怪適生活を追いかける大衆は言うに及ばず、その世界を支配しようと企むエリートたちの黒幕ですら、こんな簡単なこともわからないのである。もし、わかっていてやっているのならば、狂っているとしか言いようが無い。「金融経済=資源略奪戦争=殺し合い=自殺競争」の公式が分からない神々に操られたエリート集団と、そのエリートが支配する世界の(自らで産み出す努力を放棄してエリートが作るシステムのマニュアルを利用して楽して生きようとしている=エリートにオンブして不平不満を言ってシステムを都合よく変えようとしている=快欲を追い求めるためにエリートを利用しているだけの)大衆の行く末はいかなるものなのか。エリートも大衆も、自らの快欲を満たすためにお互いを利用しあって自らの生き残りを図っているだけに過ぎず、結局は立場を変えてどちらも同じことをしているだけである。本当の天国は自由であり、法律もお金も要らず、戦争をする理由もない。本当の天国ではない世界で何を企もうとも天国の実現は叶わない。目的地と向かう方向が正反対では、どんな交通機関を使っても、永遠に目的地には着かない。目的地に着きたいならば、正反対の方向に向かっていることに気づき、今まで来た道をすべて戻って本来の方向に向かうことが必要である。『めんどうくさい』『疲れる』『戻れるはずが無い』などと言うなら、それは、あなた自らが目的地を放棄したのと同じである。自分が目的地を放棄したら目的地には着けない。救世主を待っていても、救世主は来ない。自分の足跡に責任を取りながら自分の足で歩かない限り、天国は永遠に消える。
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マネーゲームが、本当の天国を壊す「犯罪」であるならば、それが社会を動かす根底にある現代社会そのものが犯罪者集団の社会である。その世界でどんなに善人や弱者を主張しようとも、やっていることは、その立場を利用して略奪の世界で楽をしようとしている戦いには変わりはない。神の真似事の作り出す「天国を破壊する」世界に賛同し、その世界でお金という神の奪い合いの生き残り競争をしている者は、全員が同罪である。罪の重さ軽さの争いなどは意味が無い。どっちの罪が重いか(軽いか)と比較をしていること自体が「罪」であり、それを続けるならば、「罪」を積み続けていることになり、罪を償う気は全くないことの意思表示となる。天地の掟に従っていれば無罪、従っていなければ、どんなに微小な違反でも、思っただけで有罪である。行動の有無は意味をなさない。天地の掟破りの罪は死刑のみである。死刑囚と死刑囚が、改心せずに、罪状比較合戦をして自らの正しさを主張し合っても、天地の掟の犯罪者の自覚がない者同士が繰り広げる茶番劇である。

『自分は何の罪も無い』と言う者も含めて、違反歴や違反の軽重の比較の世界で、自分は誰かより罪は軽いと優越感に浸りながら、何も知らないまま、二度と戻ることはない永遠の死へと旅立つのである。天地自然の絶対神法『真釣り』は、絶対無限唯一無二の法則である。掟を破っているか破っていないか、ただそれだけである。法律の専門家などいらない。天地創造の掟を破るという、罪の頂点に立つ天地最大の罪を犯した者には、言い換えると、天地創世の本当の神の冒涜者には、最後の最後に、自らの罪を自らで償う、自業自得の永遠の破滅の道しか用意されていない。心底からの改心を表さない限り、天国はない。

資源を使って「お金」と呼ばれるマヤカシの力を持つ神を偽造する、という天地自然の調和を乱す大大犯罪を誤魔化すために『「万引き」は犯罪だ』というアヤマ知を使って、「お金という神の力」を奪われないようにする。『無銭飲食は許さない=お金が無ければ何も使ってはならない』それが、金融経済社会の根底にある思想である。「無料」「お試し」というのは、提供者が自らの収益を上げるために同意した万引きにならない特例であり、根本は、「有料」が当たり前の世界なのである。有限思考、損得思考云々というアヤマ知を使って生き延びようとしている者は、後先考えずに、タダの世界に自ら足を踏み入れることになる。騙した騙されたの世界で、自らがどんな「損害」を受けようとも、それはアヤマ知で曇った自分の現実であり、楽をしよう、得をしようとしていた自分が招いた現実であるから、誰にも文句を言う資格はない。そもそも、万象万物は大神のものであるから、被害や損害を主張すること自体、真釣り外して大神の響きを奪っている証である。天地の掟を破って、天地を破壊し続けた天地の大泥棒の辿る末路は、滅びのみである。三歳苦難の大掃除、ミロクを復する最初で最後の戦、元つ真釣りの大神の祓い清めは、すべてのすべてを真釣りに戻す(魔釣りは自ら滅びる)、神も人も含めた、万象万物そのものの時空を超えた総決算、永遠の生死が決まる大祓いであるから、現代社会の経済システムの中の生死損得ごときで大騒ぎしているなど、全くの論外である。人間から見た微生物が生き死にで大騒ぎしているようなものである。元つ真釣りの大神の本当の祓い清めはただ一度だけである。自らのしてきたことを省みて、大神の響きを乱した大大罪をお詫びして、心底から改心し、自らの違反の清算をキッチリとしない限り、あなたの永遠の天国は永遠に消え去る。
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本当の大神が無から創った資源は無料が当たり前であり、資源の売買をしていること自体がすでにとんでもない所業なのである。無から産み出した資源を本当の感謝も無しに(真釣り無しに)好き放題に荒らし続けているなら、天地の調和を乱す大大罪であることは免れない。真釣りならば、有償の世界にはならず、有償の世界ならば真釣りではない。今の世界が魔釣りの世であることは紛れも無い事実であるから、元つ天地の大神を闇に葬って世を挙げて天地を取り荒らしたその結末は、破滅の道のみである。有償という思想はマヤカシであるから、無償は尊いことでも何でもない。無償奉仕をすることが神の徳を積む善行であるなどと思っているならば、自らを永遠の滅びに誘う、史上最大唯一のとんでもない大マ違いである。思想を普及する者も、その思想に騙される者も同じことである。真釣りなしに、大神の響きの型示しである万象万物を当然のことのように盗んで、大神に一言の断りも無く勝手に所有した挙句、売り買いして自分勝手な天国を創ろうと目論むなどということは、たとえ末代詫び続けたとしても許されない、本当に取り返しのつかない、本当にとんでもない大大罪なのである。その天地の大泥棒が仕組んだとんでもない世界の極みが現代社会である。真釣りに戻す大神の情けを悟って、永遠の命の真道を歩んで欲しい。

ボランティアという思想は、奪い合う金が少なくなった世界で、最大の経費である「人件費」をカットして帳簿上の収益を確保するマヤカシである。相互依存、助け合い、弱者救済、博愛精神と、有償の世界で無償奉仕をすることの尊さ(お金を得ないで自己犠牲という愛を捧げることの神聖さ)を植え付けておけば、裏のカラクリを知らない大衆は、自ら進んで奴隷になることを志願する。支配者(政府、経営者)にとっては、これほど簡単な利潤追求策はない。奉仕を求める側も、奉仕を提供する側も、奉仕に依存する側も、同じ世界にいる。自己犠牲が尊い世界は、略奪の世界であり、誰かの自己犠牲の上に楽を得たとしても、それは、幻想の天国である。人材派遣とは、派遣される労働者自身の意志による志願を前提とした、現代風の仮面を被った奴隷売買である。形に惑わされると、本当の真実を見誤り、歴史の正体を隠す誤魔化しは見破れない。国を挙げて、世界を挙げて、マヤカシの偽の美徳に酔いしれていれば、とんでもない事態が突然やってくることになる。経済社会でどんなに利潤を上げようと、善行を積もうと、魔釣りのマヤカシは破滅である。
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為政者が天恵を独占し、法律というマヤカシの力と手を組んで民から天恵を取り上げ、神を金にすりかえて地球世界を支配しようという、神をも怖れぬとんでもない謀略の中にあるのが現代社会である。元つ大神は『働かざる者食らうべからず』とは、一度たりとも言ってはいない。無限に天恵を産み出せる大神が、そんな台詞を使う必要はない。結局は、快欲に囚われた者たちが、自らに都合よく社会を作り上げるために意図的につくられた思想であり、真釣りを外して自らで産み出せなくなった者たちが、産み出す苦労をしないで生き延びるためのシステムを維持する道具に過ぎない。支配者に命を預けた自らが、快欲に溺れ、楽を求めて自らを罠に嵌めたのであるから、すべて、自分の都合で選択した自己選択である。天地の理法に違反しているあなたを助けることは、神仏と言えどもできない。

現代社会で言う「労働」は、「経済システムを使ってお金を作り出すことに貢献する(税金という支配アイテムを存続させるために貢献する)こと」を言うから、その世界の中では「労働の義務」を課すことは、その社会が生き延びるための絶対的、普遍的真理として許される。従って、「仕事」をしない者(金を作らない者、遊んでいる者)は怠け者(義務の不履行者)として扱われ、当然のことながら、自由(権利)を制限されることになる。現代社会でいう「子ども」は、労働はしなくてよいが、その代わり、義務教育という鎖で縛って、その社会を存続させるために必要な知恵を習得する訓練を課すことで、労働の義務を果たしたものとして扱う。「保護者」という小さな王を作り出し、「親権」というマヤカシの所有権(奴隷管理権)を与えて、世の末端の単位集団である「家族」まで支配のピラミッドの力関係を行き渡らせ、社会の正体を隠し、嘘がバレないように(支配者の椅子に近づけないように)する必要も生じる。嘘がバレて濁りが取れると、天国の自由がハレて実現してしまうからである。それは、支配者自らが生き延びるためには、何としても防がなければならない現実である。親権という概念を使って、子どもに対する独占心を煽って、子どもの支配合戦を維持し、子どもの「経済活動」は、保護者の監督下での場合のみ有効とする。養育の義務を課す。教育を受けさせる義務を課す。法律上の善悪の基準に基づいて、その世界を維持するためのすべてのシステムのどこかに封じ込める策略を善の如く見せる。保護責任者なる概念を考え出して、保護責任者遺棄を犯罪と決めれば、現代社会という略奪の世界でしか生きられない者はその決まりを守るから、地獄の中の天国の奪い合いが激しくなるだけである。あなたが今の世界でどんな生き残り策を考え出そうとも、それ自体が既に罠であり、心底から改心して魔釣りを真釣りに立て替え立て直さない限り、金融経済文明の箱の支配の立立体階層構造(マトリックス)から永遠に出ることはできない。
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法律というマヤカシが権力を持っている限り、為政者の好き放題の世界を展開することができる。その世界での大衆の言動は、為政者の気分次第で善悪どちらにでも仕立て上げることができる。本当の天国(本当の滅び)の準備中、つまりは、現代社会を動かすことが出来る間は支配者がその世界を支配するゲームが永遠に続く。しかし、その世界が有限の略奪の世界で、支配者が無限に産み出せないとしたら、その世界は終りを迎える時が必ず訪れて、支配者もろとも粉塵の塵と化す。『働かざる者食うべからず』というその台詞が正しいとすると、真釣りの世界から見れば、真釣りの世界での働き(真コトで生きること)をしていない者(魔コトで生きる者、お金に命を預けている者、天恵の窃盗犯)は、全員、天恵を食べてはならないことになる。つまり、真釣りのハタラキをしない者は、いかなる神仏であっても、真釣りの天恵は何も使えないことになる。魔釣りの神が魔釣りの者を支配することも出来なくなる。あなたが『働かざる者喰うべからず』に賛成しているならば、どうなったとしても、一切文句は言えない。現代社会(魔釣りの世)で働かないことに罪悪感を持つならば、それは、真釣りを壊すことに罪悪感はないことになる。今世で働くことを強制する者(さぼることを非難する者)も、馬鹿正直に働く者も、正確には全く働いてない。ビジネスはお遊びとなる。命をすり減らしてまでお金を稼ぐことに躍起になって現代社会で生き延びても、あなたの苦労は永遠に報われない。あなたが本当のハタラキをしないならば、本当の天国はない。魔釣りのまま生きて「我死」しても自業自得である。

本当の神は、真釣り外しの事実を情けの苦をもって知らせることはするが、人間同士がしているように哀れんで施しをすることは一切しない。あなたが真釣りに戻れば必要なものが必要な時に必要な分だけ用意してあるからである。あなたが真釣りを外して好き放題した結果、嘘に騙されて餓死するのであるから、つまりは、神法違反をして貪り食っていたのであるから、誰もあなたのことを可哀相だとは思わない。言わば、神の天恵を無銭飲食したあなたのその「罪」は、代金の支払(真釣り戻し)をしない限り、死んでも消えることは無い。逆に増え続けるだけである。代金の支払いをしない限り、あなたが食べたものは、あなたの栄養になることはない。罪は摘みであり、最後は天国か滅びかの二つに一つであるが、罪を積み重ねただけ、清算の厳しさが増す(天国に戻る苦労が増える)ことだけは覚えておいたほうがよい。あなたが、その仕組みの中で自由を得ようとしているならば、天恵万引きマフィアと同罪である。略奪の響きに支配されている限り、あなたは自滅する。

このカラクリを見れば、経済システムというのは、世界を支配するために誰かが作ったマヤカシであることは明らかである。変動相場というのは、相互依存の世界で資金の流れ(お金という神の力)を操作管理するためのシステムであり、金という神を変動相場制というノウハウを駆使して操る「金の世界の神官」の総帥が、現代社会を牛耳る黒幕である。変動相場制に基づく世界市場経済が進歩発展の象徴のように思い込まされているが、実際は、市場経済なる世界は究極のマヤカシであり、世界支配を企む黒幕にとっては、固定相場制や鎖国を採用する国は操作が不能となるから、市場経済というマヤカシを天国に至る道であるかの如く広めて、それに従わない国に圧力や制裁を加えて、何が何でもオープンにさせる必要がある。そのための道具が、変動相場制なのである。世を操る黒幕から一般大衆まで、現代社会に命を賭けている者は、誰一人としてそこ(底)から出ることは出来ない。現代社会は、自らが作ったシステムで自らの首を締める究極の自作自演劇の最終章である。
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お金は、使わなければ物や知恵には変換できない。神(お金の流通)が休めば天恵(自らが手にする成果)は減る。お金が神であるとするならば、先行きが不安になればなるほど、経済社会の神であるお金を貯めようとする動きが加速するから、流通するお金がますます減る。限られたお金の取り合いがますます激しくなる。一般大衆は、起業のリスクは避けるから、貯めたまま安易にお金を増やす手は無いかと考える。株式とか、債券とか、外国株とか、外債とかに手を出すことになるが、実は、株式と債券は、世界支配を進めていくために作られた、間接的に国の売り買いをする道具であり、円を外貨に変換させて、ドルを潰せば、「金融国家」の日本を破綻させ易くなるのである。外資系企業は、金融世界の侵略軍であり、日本国内の企業を破綻させて、安値で買い取る戦略で、日本に無血上陸する。日本を「占領」し、経営権を奪うことで、金融市場に取り込み易くするのである。軍隊の戦争ばかりに目を奪われていると、歴史の裏で着々と進む大きなカラクリを見逃すことになる。宗教や文化、経済等も、「日本」の占領を任務とする、仮面を被った陸上部隊である。

もうお気づきだとは思うが、現代社会は金が支える世であり、国家は株式会社である。国内にある会社や企業、銀行云々は、国際社会の仕組みの鏡であり、国を世界に、会社を国に置き換えれば、全く同じ形であり、自分という会社から国際社会という会社まで、全て同じ仕組みで動いているのである。社会というのは、引っ繰り返せば、会社である。現代社会というのは、世の黒幕が社長であり、神が会長である、一つの大きな会社なのである。その会社の中に、欧州支社、北米支社等があり、その中に、ドイツ支店、フランス支店等がある。結局は、現界の地球という国の中の国内での経済活動に過ぎず、もっと大きくみれば、銀河系本部太陽系支社地球支店であり、この世は霊界本部三次元支店とも言える。また、自分という会社の集合体が自治会となり、市町村となり、都道府県となるのである。市町村合併は世界統合の鏡であり、その動機は、財政の都合(収入の減少)である。形だけ一つにしても、根本は何も変わらす、世界統一を果たしたとしても、結局は破綻する。

地球株式会社は、従業員から商品、お金まで、すべての資産の仕入れ先、唯一のお得意先の大神会社には、社長の情けをいいことに、(資源の)対価(買掛金)を一度も支払っていないのである。すべてを無から生産している大神会社は、売掛金が回収できなくなっても全く困らない。かといって、何もしなければ、永遠に支払いをしないことを知っていたから、一括請求の期限を区切ったのである。売掛金の限度額を設定し、限度額に達したら一括返済をする約束だったのである。利子はいらず、元金だけ支払えばよいのであるが、その約束を忘れて、好き放題の放漫経営をしてきたのが人類の歴史であり、限度額一杯まで達しているのが現代社会なのである。これは、元つ大神の仕組みをお金に例えた話であるが、真釣りを外して大神の仕組みを取り違えると、お金という神の支配する世界が現れるのである。つまりは、売り掛金の一括請求が、最後の大祓い、真釣り外しの総決算、身魂の収支の清算なのである。ここで一括払いを拒否するならば、魂という担保を差し出して清算することになるが、そうなった場合には、ミロクという永遠の天国での本当の夢の生活はできなくなるのである。元つ仕組みを取り違えて作ったのが、現代社会にある融資や経営の仕組みであり、お金の世界での収支決算や回収ゴッコをしても、全く意味がないお遊びである。
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「絵のような素晴らしい景色」という表現をするが、実際には、素晴らしい景色を絵に描いたのであり、基準を人為的営み(の成果)に置いて思考すると真実が見えなくなる。コンピューターと脳が同じなのではなく、脳の仕組みをコンピューターにしたのである。霊界が戦いだから、現界が戦いになるのである。どちらがオリジナルで、どちらがコピーかをよく考えてみれば、コピー(結果)をどんなに修正しても何も直らないことがわかる。

社会にあるものを見れば、その社会の属する世界の姿がわかる。財政破綻は国家自体の破綻を意味し、再生するためには、融資先の許可が必要となる。世界銀行とIMFという国際社会の金融機関を作り、国家という会社の財政政策を監視し、破綻した場合には、『条件を呑まなければ融資はしない』という論法で、支配者の思惑に合わせて、国家を操る仕組みが形になっている。市場経済の世界では、すべての国家がその仕組みの中に自ら足を踏み入れている。従って、現代社会では、金融システムを操って、帳簿上で国家財政を赤字にさせて、IMFなる金融機関が条件を付けて債権を買い取ることで、世の支配者の思惑通りに国家を操ることができる。金融システムを普及させ、金融システムを巧妙に駆使して、国家を破綻させることにより、都合の悪い国家を吸収合併することが容易となるのである。お金が国家の生死を左右する仕組みを作れば、お金を牛耳る黒幕が国家の生殺与奪の権を握ることができる。個人と銀行の関係が世界を動かす基の仕組みの鏡なのである。

世界の仕組みが国内の仕組みに投影されているのであるが、自らの生き残りばかりに躍起になっている限り、世界を動かしている大きなカラクリには気づかない。自らの生活に汲々として、自らの属する社会がどんな世界なのかを考える余裕が無い大衆を操ることは簡単なのである。お金と金融システムは、形の世界に足場を置いている世界を支配するために必要不可欠な道具である。まずは経済の力学で支配関係を整理し、政治統合して、最終的には、宗教統合して、魔釣りの知恵の神の千年王国を作る、それが、「人類の歴史」の最終章である。欧州が経済統合から政治統合に向かっているのは、世界統一への型示しである。簡単に書いたが、実際には、とんでもなく複雑巧妙な策略で世界は動いている。しかし、それも、自然の仕組みを壊して成り立つ「文明社会」という仮想現実に参加している、「現代人」という、自然や宇宙から見れば、ほんの僅かな「人間の集団」の作る自縄自縛のお遊びである。文明と接触のない未開民族やお金のない「あの世」にとっては何の意味もない。結局は、世のカラクリを知ろうと知るまいと、真釣りに戻らない限り、永遠の滅びとなる。
P209
この本で、いろいろと書いているのは、真コトの道に戻るために魔コトの嘘を捨てるにあたっての拠り所、アタマに沢山詰め込んできた分けのわからないアヤマ知の正体や、自らが今していることの、自らが今いる世界のカラクリを知るための材料を提供しただけに過ぎず、元つ真釣りに素直になれる者にとっては、別に、必要のないものである。ここに書いてある事実にこだわったり、言葉自体をアレコレと価値判断したりすれば、逆に魔釣りを呼び込んでしまうことになるから、その点だけは気をつけて欲しい。要は、自分が嘘に騙されて全く逆さまの生き方をしていたことを認め、自らの立場は大神に任せて、今までの嘘を捨てて、真コトの生き方をゼロからやり直していけばよいだけである。生きている間も死んだ後も、本当に素直に正直に、「口心行」を一致させることが真釣りの真コトである。

『日本を金融システムに巻き込み、国内市場を開放させて日本を世界市場に誘き出し、その後、世界市場を破綻させて日本を潰す』それが世界支配の最終シナリオである。天孫降臨から、古代国家の中国文明、仏教、鉄砲、文明開化、大正デモクラシー、GHQ占領軍、インターネットまで、快欲に囚われた日本は、ものの見事に魔釣りの罠に嵌まり、形の仮面に騙されて、歴史を通じて、魔釣りの勢力を自らで招き入れ続けたのである。その結果が、21世紀の日本国の今の状況である。大神がいなくなったどころか、魔コトの金にすら困っているようでは、世の末も近い。日本を潰すための、魔釣りの三千年に渡る企みが成就する直前、魔釣りの日本占領が九分九厘完了した今が、魔釣りの最終段階、日本を潰す仕上げに入る時であり、今となっては魔釣りの世界の形でどんな対策を取ろうとも、手遅れである。しかし、それは同時に、真釣りに戻す最後の仕上げの立て直しが始まる直前でもあることを、真釣り戻しの天命を担うヒノモトの神民がしっかり自覚することである。魔釣りの立て替えの仕上げと同時に立て直しが始まるのである。一厘の真コトが鍵である。

お金の世界は、金で国を売り買いする世界であり、国家は経営するものである。日本円が日本国であるから、円を外貨に変換させることで、自らのフィールドに取り込んで、操作しやすくする仕組みである。金で操作する仕組みを作り出せば、金額の損得で人を誘導できる。しかし、お金では本当の神(真コト)は買えない。お金は、天恵が無ければ作れないものだからである。自らの子が自らの親を支配する仕組みでガンジガラメなのが現代社会なのである。資源で作ったお金で資源を支配する。神の作ったもので神を支配する。子が親を支配する。地球が宇宙を支配する。機械が人間を支配する。人が霊を支配する。この世があの世を支配する。脳が心を支配する。金が神を支配する。全くアベコベである。
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自然(天恵)は無限にあるのに、なぜ有限だというのだろうか。それはいったい誰が言ったことなのか。それはいったい誰が決めたことなのか。今のあなたは『天恵は無限ではない』と言うかもしれない。しかし、それは『天恵は有限である』という現代社会の真理に基づいた結論に過ぎず、それが絶対的真理であるというわけではない。あなたが生きる基である考えを捨てれば、自らを殺すことになる。従って、自らの生き残りのために『天恵は有限である』と言い続けているだけの、個人的見解の一つに過ぎないから、それは何の強制力もない。結局は、自らが有限の世界の中で苦しみを増やした挙句に自滅する自業自得の一人芝居である。天恵は有限か無限か、どちらか一つが真理である。あなたが、いや、人類が「永遠無限の天国」を望んでいるならば、天恵は無限でなければ、実現しない。天恵が無限であるから、永遠無限の天国が生きられるのである。有限の天恵で無限の天国を生きられると言うならば、それは、辻褄が合わない戯言である。あなたは何の目的があってその嘘を語り続けるのだろうか。あなたの持っている考えが真理かどうかは、論理が一致しているかどうかを見ればよい。もし、言っていることとやっていること、持っている思想と実際の現実が違っているならば、あなたの教わったことの根底には嘘がある。あなたは、誰かが誰かの都合で決めたことを鵜呑みにし、嘘をホントと思い込んで、全くアベコベのやり方で、自分の思いを実現しようとしていることになる。そして、実現しないのは誰かのせいだと言って、本当の意味で何の罪もない誰かに責任を押付けているのである。

あなたは、真釣りを外したことを奇麗サッパリ忘れ去っている。『真釣りとは何か』『真コトとは何か』『大掃除とは何か』云々の問いがあるならば、それは、魔釣りの世にいる証しであり、自らの命の源、世を作る大元を忘れ去っている証に他ならない。あなたが同じことをしていれば、あなただけが天地を自由に走ることはままならなくなっていく。そこで飼い主や世間に文句を言っても、犯罪者の言い逃れ、カモフラージュの涙には、誰も耳を貸してくれない。相互依存者同士の場合は、どんな言い逃れをしようとも、魔釣りを自ら暴露することになる。言い訳、逃げ道を探すこと自体が魔釣りの証である。魔釣りのままならば、最後の最後の身魂の大掃除は絶対に超えることはできない。魔釣りの道具を駆使して、魔釣りの世界で生き残ろうと躍起になっているが、魔釣りのままで、誰かを思い通りに動かして、自分の思いを果たそうとしてもそれは成就しない。そればかりか、何も産み出せなくなったあなたは、最後には、自分と自分の共喰いの結末を体験することになる。

生きは息であり、自らの心、あるいは、自然の心と言う意味である。誕生の瞬間には『オギャー』と息を吐いて、肉体死の瞬間には息を引き取って戻っていく。しかし、今のあなたの生き様は、楽を吸い取って、苦を吐くという、全くのアベコベである。あなたは、植物が生み出す酸素(O2)を吸って自らを生き長らえ、Cをつけて吐き出している。そのCO2が環境を破壊しているのである。綺麗なものだけを食べて、汚いものだけを返す。下等生物に分類している植物に自らの汚れを浄化してもらわなければ生きていられない矛盾した人間たち。自然を都合よく利用して、世を汚す人類が生き延びる世界はいつまでも続かない。自らのしたことが自らに戻ることを自覚するようになったが、形で見えるようになってから、形の世界でどんな対策をしようとも、手遅れである。ここまで見えても、まだ、自らが悪の根源だと認めず、自然との共生とか、環境保護とか、資源を大事に使おうとかいうマヤカシで、自らのしていることを誤魔化し続けている。もがけばもがくだけ、どんどん状況は悪化していく。世界は自分の鏡であり、すべては、あなたが吐いた息様が作る世界である。汚物製造機と化している今のあなたの身魂は、たとえ死んでも同じ世界をさまようのである。人類が歴史を通じてしてきた逆さまの生き様の辿り着いた先が、現代社会である。あなたの現実の味噌もクソもすべて自分の結果である。穢れた息をすべて引き取って、蒔いた糞尿の始末を自ら付けて、魔釣りの世界から抜け出せば、真釣りの天国に自心が生きることができる。自然を破壊する生き様をしてきたならば、自分が破壊されて差し引きゼロである。息を吸い続けても、吐く時が必ず来る。あなたはこの世にだけ生きているのではないから、たとえ死んでも破壊責任から逃れられない。死ぬ時は黙って死んで、あの世で清算を続ければ、あなたは清算を終えることができる。この世で何とかしようとすれば、それは神法違反を続けることを意味し、永遠の死をもって償うことになる。
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あなたの現実にある不都合はすべてあなた自身が魔釣りに曇った証しであり、それを解消しない限り、天国は夢と消える。世界を動かすやり方の結末は、天国か滅びか、二つに一つである。後者のやり方をしているならば、結末は滅びであり、それに気づいたとしてもそれをやめなければ、後者のやり方のままであるから、自業自得の破壊を体験する現実を自らが選んでいることになる。後者が正ならば、前者は誤である。後者は、前者を何の罪悪感も無く闇に葬っている。もし、前者が正ならば、後者は誤となるから、後者を完全に闇に葬っても罪悪感を持つ必要はない。真釣りが天国の絶対法則であり、その法則を破っている魔釣りは、何もしなければ、結局、すべて闇に消える。絶対法則である真釣りを闇に葬っているアヤマ知の現代社会のすべてを闇に葬っても、罪悪感を持つ必要はない。『絶対法則など無い』と言うのは、アヤマ知の言葉であり、自らの生を保つための詭弁である。あなたがそれを選び続ければ、永遠に真釣りには戻れず、真釣りの天国はない。真釣りを否定するのは、魔釣りが正しいからではなく、魔釣りの命を失いたくないという自分勝手な理由に過ぎない。罪悪感を植え付けたのは、魔釣りの世を壊したくない支配者であり、もし、それが正しいならば、滅びの世を壊すことに罪悪感をもっているというおかしなことになる。本当の天使を殺した悪魔が天使のフリをして『天使を殺すのは罪である』と言ったとすれば、あなたがその偽天使の世界で生き延びたければ、本当の天使を殺し続けることになる。あなたの信奉している天使の正体が悪魔ならば、その偽天使を殺すことに罪悪感を持つ必要があるだろうか。あなたは、ヒットラーや麻原教祖や病原体ウイルスを死刑にすることに罪悪感を持つだろうか。あなたが罪悪感という理由を使ってそれをしないならば、あなたは、本当の天使を殺すことに罪悪感をもっていないことになる。あなたが自分の都合で天地の掟を破っているのだから、死刑になっても自分以外に文句は言えない。
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今まで本当の天使を殺しつづけた分の償いをすれば、どんなに極悪人だろうと天国に戻る資格がある。逆に、究極の善人を演じ続けるならば、本当の天使を殺し続けて天国を自ら捨てることになる。あなたに、罪悪感がなければ、天国の方法(道具)を使うことが出来る。ただし、自らしてきたことを清算するならば、である。もし、あなたが天地の理法を破った世界の支配者だったとしても、しただけの罪を償えば、永遠の天国に戻ることができる。あなたが天地の理法を破った理法の中で救世主だとしても、しただけの罪を償わなければ永遠の滅びとなる。事実は、善と悪が全く逆さまなのである。あなたが悪を裁き続ければ、永遠の天国を自ら放棄することになるだけであり、あなた以外のすべての存在には、あなたの選択は影響しない。あなたと同じ選択をした者が自滅するだけである。あなたが真釣りに戻れば、あなただけは、本当の天国に戻ることができるが、本当の意味で誤っている方を完全に捨てなければ、永遠の天国はない。つまり、永遠の滅びが現実になる。嘘の世界で救いの父、即ち、救世主を待っても絶対に来ない。あなたが世を壊した悪魔であるならば、世を救う救世主はあなた自身だからである。あなたが覚醒することが鍵である。

あなたは、普段、何の疑問もなく使っている常識や言葉の正体をどれだけ分かって使っているのだろうか。この世には無駄なことは一つもなく、砂粒一つの動きが万象万物に影響するのである。ましてや、あなたが使っている言葉、あなたの思い、あなたの行いが、万象万物に与える影響は計り知れない。あなたが動くときは、万象万物が動き、万象万物の糸を手繰れば、すべてあなたに及ぶのである。あなたの何気ない行いが、天地自然をどれだけ乱しているのか、アヤマ知にどっぷり漬かっている今のあなたには、全く見えなくなっていることだろう。しかし、これが嘘(マヤカシ、絵空事)ならば、この世には守るべき何の掟もなく、みんながバラバラに好き勝手なことをしても世は保たれることになる。そうであるならば、法律で規制するのは矛盾である。あなたの生き様があなたの現実をつくっている。あなたが魔釣りならば、世界の出来事に関係ないものなど一つも無い。だからと言って、世界の不幸を何とかしようとすれば、それは全くの逆さまであり、ますます世界の不幸を増長することに手を貸すことになる。あなたが真釣りに戻らない限り、あなたは魔釣りの世もろとも永遠に消滅する。あなたの生き様を奇麗サッパリ変えることである。

天恵が有限だと言うなら、天地創造の神は有限のものしか作れない神であるか、あるいは、無限に作れるのにわざと作らないかのどちらかである。前者ならば、その神は無限の天国を作れない偽物であり、後者ならば、その気になれば全員に天恵を渡せるのに自分の子どもたちを思い通りに操りたいがために渡さない自分勝手な親である。天恵を誰かが勝手に所有し、その誰かに「お金」を渡さなければそれを使うことができない仕組みでは、天国などありえない。天恵は誰のものでもない。『誰のものでもないから早い者勝ちで所有してよい』という屁理屈は自分勝手な究極の詭弁である。誰のものでもないものは誰もが自由に使ってもよいのである。真釣りで真釣りの天恵をタダ(無料)で使うならば、天恵を使って作り出した形は真コトであるから、世を乱すことはない。魔釣りで天恵を使うから問題(悪、汚物、有害物)が出来るのである。もっとも、真釣りの世界には、お金という「金の世界で物に化ける神=儲けの道具」は無いから、無料も有料もない。タダと言う言葉は、有料が当たり前の世界でだけ使えるものに過ぎない。本当は、タダが当たり前なのである。
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真釣りの天恵を魔釣りで食べて(使って)、栄養だけを吸い取って、いらないものを外に出す。それを廃棄物(ゴミ、カス、糞便、尿)と言う。ウンコが汚いのでも、ゴミが有害なのでもない。天恵を食べたあなたが、真釣りを魔釣りに変えたことが汚いものを産みだしている原因なのである。ウンコやゴミにとっては、それこそ迷惑な冤罪である。「汚い(臭い)」ウンコを製造している(食べ物をウンコに変身させている)のは、あなたの体である。あなたの肉体が臭いものを出すならば、あなたの体は善を悪に変える箱である。○をいれて●が出るならば、そのブラックボックスの中は、○を●に変える装置が入っている。あなたが魔釣りを真釣りに戻さない限り、●は増え続け、●しか食べられなくなる。しかし、あなたは○しか食べられなくなっているから、それには耐えられず、狂い死にするだろう。あなたの変換装置を逆装填すれば、●を食べても○が得られて○を出すことになる。あなた一人でも真釣りに戻れば、それは、本当の意味での世の浄化の始まりとなる。真釣りの者が増えれば魔釣りの者が改心し、百一匹目の猿の登場で、一気に真釣りが加速する。まずは、著者がそれをお見せする役である。あなたが付いて来るかどうかは自由であるが、いずれ、あなたは真釣りに戻らざるを得なくなる。魔釣りのやり方は、必ず行き詰る。

あなたの産んだ子どもの責任は、親であるあなたが取ることになる。神から人まで、この事実から逃れることは出来ない。あなたは「汚い」土から食べ物を経て、土に戻す行為を何千年も繰り返してきたのである。現代社会はその末路であり、食の安全が崩壊していることが、あなたを含めたすべての人類のしてきたことの象徴である。あなたがあなたの響きを真釣りに戻さない限り、最後は自らが産んだウンコまみれになって、あなたが産んだ子(体験)と共に、元の土に戻って、真釣りの神人たちの肥やしになる。天国の食べ物を支えるウンコの一部になるか、天国を生きる神人になるかである。あなたが何としても真釣りに戻らないと言うならば、あなたは肥やしにもならないかもしれない。あなたが真コトの天国の食べ物を食べられるか、食べ物の肥やしになるかは、あなたの選択次第である。

これが現代社会を牛耳る黒幕が世を操るための思想である。あなたが今、天国そのものでないならば、あなたはものの見事にその黒幕に騙されていることになる。人類の歴史を通して、天国ができていないどころか、地獄を進めているのは、現代社会に至るまで長い間受け継がれてきた思想(観念、常識)の根本が嘘だということである。嘘から産み出されるすべてのものは、嘘であるのが道理である。川上に悪を流せば、川下は悪に染まるのが、天地の理法である。川に汚物を流せば、それが海に流れ、上昇気流で空に上がり、雲を作り、雨を降らせ、地中に染み込み、再び川に戻ってくる。土が濾過しているから綺麗になっているように見えるが、あなたが垂れ流している汚泥を止めなければ、あなたの現実はどんどん汚泥混濁の世界となっていく。自らのした結果を誰かに押付けて、形の上で精錬潔白を装っても、それは猿芝居である。形に現われた有害物質や大気汚染を何とかしようとしても、それは無理である。自らを危険にさらすように見える形を塗り隠したり殺したりしても、何も治っていない。結果を結果でいじくり回しても、原因を直さなければ、全く意味が無い。あなたの穢れ、不都合、苦、病、闇の真因は、真釣りを外したことである。
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神の支えるハタラキを金の支えるハタラキにすりかえて、自らだけの天国を創ろうとしても、それは露の如く消える幻想である。本当の天国を壊した世界に作り出した神が「お金」だからである。現代社会は、資源を奪い合い、「資源から作ったお金で天地(資源、自然、生き物、臓器、命、神)を売り買いして、快欲を満たす」というとんでもないことを平然とやっている世界なのである。人間の世界は霊の世界の写しであり、あなたが死んだとしても、あの世も同じ仕組みである。結局は、あなたは同じ世界から逃げることはできず、自らの意思でその泥棒の世界から脱出しない限り、破綻する世界が必ずあなたの現実になる。『限りがある』という霊が物理体に入れば、そこにある資源を限りあるものと錯覚する。そして、『限りあるものでいかに自由になるか』と考える。『いかに自分だけが資源を独占するか』『いかに思い通りに支配するか』と考える。その結果作り出したのが、法律や裁判、経済システムである。略奪の世界である限り、恨み、妬み、不平不満、は絶対に消えない。自らが産みの責任を放棄し、転嫁し合っている限り、犯罪や戦争は絶対になくならないのである。根本のマ違いを正さないままで、どんな対策を考え出そうとも、天国はできない。

生きていようが死んでいようが、あなたの現実創造の仕組みは何も変わらない。あなたに今、苦痛があれば、死んだ後もそれは続く。あなたの苦や痛み(楽や喜び)というのは、あなたという霊が肉体を使って感じる感覚であり、病気や怪我、世の不幸というものも、霊の世界の状態が形の世界で現れたものである。従って、形の世界でどう修繕しようとも、治るどころか、それを続ければ、ますます原因を増やしていくことになるのである。そして、ますます形の破壊(不都合)が進み、霊が消滅とすると同時に、形の世界(肉体)も消滅することになる。霊が生きていれば、この世を去っても死ぬことは無い。あなたは、肉体という物理体に共鳴している霊であり、霊界での行動の結果が、現界に現れることになる。あなたが死を作り出して、死を避ければ、現界では形の修繕になり、奪い合いになる。それが戦争の原因である。肉体そのものがあなたではないから、本当のあなたに死はない。あなたが認識できるすべての世界は、実際には境界のない一つの世界であり、人と人、人と霊、霊と霊、この世とこの世、この世とあの世、あの世とあの世、姿形は変われども、霊同士の、連続した営みの体現である。あなたが今どの世界を現実としているか、という違いに過ぎず、今の世界がすべてではない。従って、あなたが死ぬことはありえない。あなたが今の世界の現実をすべてだと思い込めば、死を恐れ、戦いの世界を産み出す。
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「この世(人間界)」と呼ぶ世界は、物理体(五感)で認識できる世界を現実としている霊の集団が創る物理界のことである。最低位の霊が、自らが住めるように、自らが操作可能な材料で創った世界で、相互に依存(干渉)し合うシステムをその内に持つ。しかし、実際には、霊界は一つの世界であり、「物理界」という実体は存在しない。幽界霊の作り出す世界を分類した場合の呼び名に過ぎない。現存する物理界は霊界のうちで最も自由のない世界になっているが、その物理界の中にさらに様々な「界」を作り出し、その世界の相互依存で成り立つのが「現代社会」である。物理界の法則は、より高位の霊には通用しない。

霊界なくしては、その映しである現界は存在しない。霊界があって初めて現界が存在する。現界の物理体そのものを、他の霊界に移すことはできない。物理体で操作できない別次元に霊が移ることで、その次元の組成で構成された体に入り、その霊界が現実の体験となる現象を物理界で「死」と呼んでいるだけであって、移った霊界では「生」が現実となる。ミロクの体に入ればミロクの民となるが、ミロクの世は、真釣りの世であるから、霊が真釣りの響きに戻っていなければ、ミロクの体でミロクの世の現実を体験することはできない。あなたが真釣り戻しをしなければならないのは、三千世界がすべてミロクの世に戻るからである。あなたが魔釣りのままならば、あなたの生きる場所はどこにもなくなる。

元つ大神が情けをかけたのは、あなたをミロクの天国に生かしてあげたいという親心からである。本来ならば、真釣りを外した霊は自然淘汰の滅びであり、今ここには存在しない霊である。その霊が生み出す現代社会も実際には存在しない世界である。あなたが魔釣りのまま生き続けるというならば、最後に天地の掟通りに滅んでも、あなたには訴える資格はない。そんなあなたを真釣りに生かすために「情けと花の仕組み」を構えるご苦労は、慙愧慟哭の艱難辛苦の修羅の地獄の苦しみ以上の厳しいものである。大神がそれほどのご苦労をされてまで、天地の理法を破った我が子をミロクに迎えようとする親心、神意を汲み取り、真釣り外して好き放題に天地を荒らしてきたことに対する本当に心底からのお詫びと、あなたを真釣りに戻すご苦労をして頂いたことへの本当の感謝をもって、どんなに厳しい試練、ご苦労にも耐えて真釣りに戻すことが大神への恩返しであり、天地自然の掟を破ったことへの罪滅ぼしとなる。あなたは大神の情けなくして命は無い存在なのである。

「死の恐れ」は、真釣りを外して、霊界の真実を忘れ去った霊が産み出す幻である。死の恐れを持っているから、アメとムチで操ることができるのである。あなたが真釣りを外したことが、騙された原因であり、あなたが今世でどんな体験をしていようと、すべて、自らの不手際がもたらした自業自得の現実なのである。あなたの現実の責任はあなた以外にはどこにもないのである。心は、他の霊界の姿を映す。脳は、霊が物理体を操作するための中継伝達器官であって、霊の持つプログラムが物理体というロボットを動かすためのコンピューターである。二極分裂である脳が「永遠無限」を創造する心を作ることは絶対にできない。霊が『脳が心を創る』と思えば、脳に心があるという現実を体験し、その世界で心の存在を探すことになる。霊の同意なしにはその霊の物理体を動かすことはできない。
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物理体から霊界を想像することはできるが、物理界が霊界を創り出すことはできない。物理界の現実は、霊が物理体に入ることで体験する現象だからである。従って、物理体に現われた傷病や物理界の不都合は、物理体自体には原因はない。その治癒(解決)には、物理界の中(形)だけの修繕を繰り返してもその目的は達成できない。霊が自らを殺そうとすれば、戦争界を産み出す。物理界で言う「命」とは、物理体の有無を指す言葉でしかなく、その有無は本当の命の消滅とは関係しない。形の生命保存の社会システムがある限り、物理界での戦争は消えない。法律で「殺人」を禁止しても、それがなくなることはない。

『死者に冥福を祈る』という行為は、物理体をもった霊が、物理体を離れた霊よりも上位の霊界にいると思い込んでいることに起因する。実際には、物理界は、最も不自由な体験をする最下層霊界であるから、その実体はアベコベである。あの世から見た人間(箱に入った不自由な霊、死者)が、この世から見た霊(箱から出た自由な霊、生者)に戻るのがこの世で言う「死」である。あの世から見たら「誕生」であり、あの世で言えば、この世に産まれることが「死(私=利己主義、子=霊が親)」なのである。誕生と死、行きと帰りがアベコベとなる。どの視点から見るか、の違いであるが、真実を知るなら、立体の上下左右(平面の対立)ではなく、あの世とこの世という、肉体(箱)の出入りを伴う「立体の立体(立立体)」の行き来の話となる。逆さまの生き方をして、この世(箱、霊の器)とあの世(中身、霊の命)の関係が分からなくなった結果、本当の死の世界を聖なる世界、本当の生の世界を穢れた冥土と思い込んで、『死んでいる者が生き戻った者を哀れみ、冥土の幸せを願う』という、よく考えてみればおかしなことが当たり前の如くできるのである。

『人間が墓参りをしてくれなければ自分は成仏しない』と言っている霊は、何ともおかしな霊である。それは、人間界でのビジネスの取り引きと同じ論理であり、非物理霊(大人)が物理霊(子ども)相手に我がままを言っている幼稚な戯れに過ぎないが、物理体の霊に自らの欲望を満たさせるというのは、動物霊以下の行為である。慈悲、罪悪感などをもっていると、このような霊につけこまれ、自らの霊力を自らで殺すことになる。霊界は自己責任の世界である。操られたとしても、それは、自らの取り違いのゆえであり、誰のせいでもありえない。霊能者に霊を祓ってもらっても、それは、その霊能者と憑依霊の戦いであって、お祓いを要求した本人には意味がない。人間界で例えれば、強い人間を連れてきて、自分をいじめる者を排除させようとしているのと同じであり、力の無い者が力のある者の自尊心を操って、楽して危険を回避しようとする茶番である。それは、自分自身の力で戦ったことにはならない。誰も助けてくれなければ、自分の力で排除することになるが、自分の力で戦ったことがない者は、為す術もなく殺される。誰かに自分の代わりに何かを訓練させても、それは、その誰かの能力が向上するだけであって、自分の能力は向上できない。誰かに毒見をさせたとしても、自分の毒死の危険は去ってはいない。自らが自らですべてをやらない限りは、依存していたものがすべて消えたときに、何もできなくなる。
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霊同士の関係はその姿形には関係がなく、一番内奥の霊(元つ大神の響き)はすべての霊界に影響する。そして、それぞれの霊が現実世界として認識する(体験する)霊界は、その曇り具合、言い換えれば、響きの乱れ具合(分裂の度合)に応じた霊界である。霊は、自らの波長に応じた現実を体験する。人間の体験に例えれば、自らよりも低い霊界は実体として、高い霊界は心の世界(想像の世界)として認識する。しかし、両方とも、現実であり、自らが直接影響を与えることができるのは、より低い霊界のみである。影響を与えることはできるが、それを受け取るかどうかは、相手の霊の同調度合に依存する。つまり、相手の霊の意思に反して、自ら以外の霊を操作することができる霊はいない。元つ響きを持つ深奥の霊であっても、時が至るまでは、意思に反して幽界の響きを消滅させることはできない。霊の世界では、波長の同調度合により、自己の存在する霊界が刻々と変化する。

各々の霊の体験する現実は自らの波長相応の世界である。自らが波長を変えることによって望む霊界に移行することができるから、他の霊を操作する必要はない。しかし、他の霊を操作することに喜びを感じる霊は、操作されることに喜びを感じる霊と霊界を作り、その中で依存の関係でその現実を体験し続ける。自らのレベルに応じた霊界を自ら選択するのが霊のメカニズムである。人間界での現実も全く同じであり、各々の現実は各自の選んだ霊界の霊同士が人間界で体現する世界である。自らが深奥で望むことを現実として体験するから、表面上は、自らの望まない現実であるように見えても、それは自らの望むものである。自由を求めている者が、『自由にしてよい』と言われると不安を感じ、自ら従属する立場を選ぶ。自ら奴隷になることを選んでおいて不平不満を言っているのが人間である。『自分の体験は自分の選択ではない』という逃げ道をつくると自由になることはできない。霊に制限はなく、どんな世界も実体化できる。すべては、自らが言った通りの現実である。

自らの望みと現実が違っている場合は、他者を操作して自らの望む現実を創ろうとしている時である。それは、霊界の侵略と同じであるが、ある霊界を他の霊界に変えることはできない。自らが波長を変えなければ、いずれ、自らの波長相応の霊界に移動することになる。自らの現実は自らの波長を映し出す。自らの現実がいかなるものであろうとも、それが自らの望む霊界である。他者と戦わなければ望む現実が体験できないならば、望む現実を体験することはできない。他者を操作して望みを果たしたとしても、自らの波長と異なる世界に居続けることはできない。どんなにその霊界の現実の維持を図ろうとも、結局は力尽きて、響き相応の霊界に戻ることになる。他者に自らの夢を託しても、それは自らの現実にはならず、夢破れて(期待が裏切られて)失望感を呼び込むことになる。それは自らの一人芝居であるから、他者を責めても何も解決することはなく、自らの失望感が増すだけで、夢を実現するのに、更なるステップが必要となってしまう。それを繰り返している限り、どんどん狭い箱に自らを押し込んでしまう。夢を実現するための苦労を自ら増やす(開ける箱が増える)ことになる。僅かなズレも無く望みと行動を一致させることが、波長を合わせることであり、自らの波長に一致した霊界であれば、そこに居続けるのに力を使う必要はない。策略や戦略を使うことなく、夢の世界を現実とすることができる。霊界のメカニズムを否定すれば、それは、自らの望みの現実を拒否していることになる。従って、戦いの霊界を彷徨い続けることになり、天国の現実を体験することは永遠にない。
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人間界というのは、最も凝り固まった組成の霊界であり、すべての霊界から干渉することができる。言い換えると、物理的に見れば「人間界」であるが、霊界から見れば、すべての霊界の霊が物理体を持って行為することが可能な最低位霊界である。憑依とは、霊が霊に感応し、それが物理体に現われる現象をいう。あくまでも、霊界での同調現象であって、物理体を乗っ取るということはできない。物理体そのものは、元の大神の響きをもっており、その物理体に初めに入った霊以外は、そこに入ることは許されない。霊の振動の波長が大神の響きと相違する場合には、その波長の不調和が、物理体にそれ相応の損傷として現われる。これが、人間界で言う「病気」「怪我」である。これは、自らの波長の乱れが自らの物理体を損傷する現象で、内的損傷を病気、外的損傷を怪我と呼ぶ。霊界での霊の戦いの結果、混乱した霊が物理体に現象化した行動や言葉の人間界的異常性(病的現象性)が、物理界での物理体に原因が特定できない時に、精神病という医学用語を使う。痴呆とは、霊が自らの意思をコントロール出来なくなったときに現われる現象であり、人間界の法則に同調することができず、時空の混乱、理性の喪失という形で人間界に現われる。心理的被害とは、物理体に現象化される前の状態であり、いずれ、物理体に損傷が現れる。ストレス性の疾病や、うつ状態からの病変、精神異常者の犯罪等がこれに当る。現象化された形は、医学や法律では解決することはできず、解決しようとするほど悪化の道を辿る。

波長の乱れ具合が同調した霊同士が出会うとお互いに損傷を受けるが、物理界は時空があるため、その前後関係から、加害、被害の姿として現われる。しかし、それは、あくまでも、各々の霊の波長の乱れが起こした衝突であり、各々の損壊は自霊の響きの乱れが自体を害したものであるから、加害者の消滅を図ったとしても、被害者をなくすことはできない。この世には被害者というものは存在せず、あえて言えば、自らを害した加害者は自らである。被害者を主張し、加害者の改心を迫ったとしてもそれは叶わず、自らの苛立ちが増えるだけである。霊に源がある損傷を形の世界に転嫁して解消しようとしてもそれは不可能である。霊界と現界の関係が完全に見えなくなった霊同士の争いの世界が現代社会である。自らの不都合を誰かを責めることで解消しようとしても、無理である。ストレス解消などというマヤカシは、自らの乱れの作り出す苦しさを自ら以外にばら蒔いて解消する究極の自分勝手であり、解消したストレスは、いずれ、自らの元に帰ってくることになる。裁判というシステムは、霊界のメカニズムに反するものであり、いずれ、機能不全に陥る。
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波長の乱れが起こす衝突は、霊同士のこともあれば、霊と霊界そのものとのこともある。前者は、傷害、殺人、戦争等の形で現われる現象であり、後者は、自然災害と呼ばれる現象である。この現象があることで、霊が人間界において自らの響きの乱れを自覚し、乱れを直すことができるのである。しかし、人間界の霊はそれを知らないため、形の現象だけを見て、お互いを攻撃し合い、ますます、響きを乱してしまう。この乱れは、大神の響きが全霊界に響き渡れば、すべて消滅し、現象として「人類滅亡」の形になる。これを霊界で感応し、その霊格に応じて解釈した映像を言葉や文字を使って、時代と場所にあわせた表現で物理界に降ろしたものが、終末予言である。より高い霊格の霊がその下の霊に順次伝達して、物理体を持つ霊に感応し、その意思を物理界に伝えることもある。それが、神示、神のお告げ、預言、予言、自動書記である。ただし、その内容を見れば、それがどの霊格の霊界からきたものかは判断できる。この現象を使って、高位の霊のフリをして預言をする人間霊や動物霊もいる。霊界に疎い人間は、怖れからそれを鵜呑みにしてしまうことが多い。人間界での詐欺師のような霊のお告げもあり、それを、哲学や科学という形で人間の思想に見せかけることもできるし、神のお告げであると言って、力を持たせることもできる。よって、自らが同調した霊界がどんな世界であるかによって、現実が決まる。他者に依存している物理霊は、自らが霊格を上げる努力をしないから、奇跡やお告げを欲しがる。しかし、霊界をいい加減に扱うと、とんでもないダメージを受けることになる。

他者が降ろした霊言を人間界で伝達する場合も、その伝達する人間の霊格によって、フィルターがかかるから、伝言ゲームの如く、そのままの響きが伝達されないことが多い。論争をしている宗教や、引用をして解説を加えている伝達者には注意が必要である。しかし、実際は、自らの深奥に元つ大神の響きを持つから、自己対話をすれば、他の霊界の干渉を最小限にして、高位の霊界の波長に同調し、すべてを知ることができる。霊格が上がる際には、物理体の変調(具合の悪さ)が起きるが、騙す霊もいるかわりに、導く霊もいるから、その乱れに慌てることなく、自己対話を進めていけば、自らが同調した霊界の指導霊が、邪霊の干渉を抑えてくれる。しかし、それは、あくまでも、自らの意思によって霊格を上げる努力をサポートするものであって、そのサポートに依存すれば、すぐに、救世主思想に戻ってしまうから、覚悟して取り組むべきである。これは、物理体の有無に関わらず他の霊界でも続けられることであるから、死という幻想や依存心を捨てていけば、必ず、自らの深奥の響きに到達できる。その響きに戻らない限り、すべての霊界の干渉を絶ち切ることはできない。その響きに戻れば、どの世界にいようとも、永遠の天国が約束される。
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三千世界を通じて、すべての霊は、永遠の天国を望んでいる。従って、最終的には、神界の最高霊(元つ大神)がすべての霊にその響きを渡す時が来る。自らがそれを封印する力が強いほど、拒否しているほど、苦痛を伴うことになる。強制的に苦しめられているように感じるが、それは、自らの内奥にある響きを解放するために、自らが望んだことである。永遠の天国である内奥の響きを低位霊界で実現しようとして幽界を作ったのは自分であり、自らの深奥の響きを実現するために必要なものを渡されたのであるから、強制されたわけではない。それは、自らの望みであるとともに、天地自然の掟でもある。その掟通りに戻すため、言い換えれば、永遠の天国の実現という共通の理想を実現する過程に自らが貢献するためにも、それを渡されることが必要なのである。本当の「世界平和」に貢献するためには、自分勝手な天国を創る響きを綺麗サッパリと大掃除することが絶対条件である。

物理霊の意思に関わらず、高位の霊界から直接アプローチすることもある。物理霊がそれを拒否することは絶対に不可能であり、拒否するほど自らが苦しくなるだけである。そして、結局は、それを受け取るしかなくなる。すべての幽界の結界を破って、最高位の霊が人間界にメッセージを送るのは簡単である。これを受け取って体現する役をしたのが、「預言者」と言われる人間達である。この現象を『認めない』こともできるが、それは全く意味のないお遊びである。そこから得られるメッセージを受け取り、自らの霊格を上げるために使わない限り、自らにとって何の恩恵ももたらさない。そればかりか、それは、最高位の霊への抵抗であり、内奥の封印を意味する。結局は、自ら消滅を呼び込むことになる。

憑依と呼ばれる現象は、憑依される霊の側が波長を合わせているのが原因であり、自らの意思を無視して他霊が感応することはない。自らの怖れや興味がそこにあれば、高位の霊が感応することが可能である。高位の霊が低位の霊に力で勝れば、その物理体を自らの物理体であるかのごとく使うことができる。物理界から見れば、人格異常、憑依、魂の入れ替えのように見える。チャネリングと呼ばれる現象は、物理体の同意の下に、このメカニズムによって現象化したものである。物理体の持つ知識、言語体系、同意の度合いによって、その現れ方が変化する。多重人格とは、多数の霊がある霊を奴隷化し、その物理体を通して自らの意思を現象化することである。霊界の現象については、医学では対処できず、霊媒師であっても、霊格が低ければ、その現象を止めることはできない。すべての現象は霊力の成せる業であって、霊力の低い霊が、より高位の霊に戦いを挑めば、それは自爆テロをしたのと同じことになる。しかし、人間界のテロとは違い、高位の霊にとっては、何の影響も無い。自爆を図った霊が、自らが与えようとしたダメージをそのまま受けるだけである。動物霊が憑依できるということは、霊格的には動物霊以下であるということを示す。
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動物霊は弱肉強食の獣の響きをそのまま体現するから「自然」であるが、人間霊は弱肉強食の獣の響きに囚われていることを認めず、深奥にある神の響きを鳴り成らせていることを証明しようとするから、戦争に反対したり、善人のフリをしたりするというように、自らの獣の響き(本性)を巧妙に隠そうとすることが多い。人間霊はその深奥が神であるから、獣の響きのままで天国を作ろうとするが、それは叶わない。「獣」の響きで調和を乱した人間霊が「神」のフリをすると調和が乱れ、滅びの響きが増長していく。響きが乱れるほど苦しみを感じ、その苦から逃れたい一心で、誤魔化しがきかなくなり、いずれ、自らで自らの偽装を崩す(自らの口で嘘を白状する)事態になる。どんなに巧妙に正体を隠そうとも、必ず本性を現す時が来る。自らの所属する霊界を善とし、他の霊界に戦いを挑んでも、その霊界での力を失えば、自らの所属する霊界を体現することになる。今の人間界は、深奥の元つ大神の響きを封印した霊界(幽界)であり、現界に展開された歴史を通じて形にした理念や事象は、本当の天国とは逆さまの「滅びの世界」に自らを導いていることを示している。現界の現象的には誤魔化しが効いたとしても、内にある響きは隠せない。

人間界というのは、姿形は人間という一種類の分類となるが、その中身は全霊界の同居した物理次元の霊界であり、そこには、すべての霊が共存している。どの霊界に所属するかで、人間としてのハタラキが変わる。それぞれの人界、それぞれの個体に感応する、物理体を持たない霊界が干渉しあうため、幽界が存在している間は、霊戦の世界が展開される。霊同士の支配干渉の主導権争いの世界である限り、大元の響きの体現である自由や平等や平和を創ることは不可能である。霊同士は、霊格が違っても、その粒子の粗さの違いにより重なって存在できるが、物理体同士は同時同空には一体のみである。従って、存在位置の奪い合いとなる。思想というのは、霊界を人間界で認識し、言葉にしたものである。高度な霊界の思想は、低位の霊界の霊には理解することはできない。高位の霊界ほど、霊界の実体を認識できるから、依存関係は必要としなくなっていく。また、生死を超えているため、死を恐れず、人間界の支配や操作には感応せず、より低位の霊を操作するための人間界の制限にも影響されなくなる。より高位な霊ほど、人間界の言葉で言う「自由」「天国」を個人的現実として体験することができる。より低位の霊ほど、集団を支配したり、集団に依存したりして個人的な自由を獲得しようとするから、自由を獲得するための争いが激しくなる現実が実体となっていく。より低位の霊ほど、物質への執着が強く、金を命の源と錯覚して、金を神として崇め、機械に依存する。高度な霊界についての話は、高度になるほど緻密な響きになるから、人間に霊が見えないのと同じ理屈で、低位の霊がその物理体で体験して解釈できる具体例をあげないと理解できない。霊格の差が大きいほど、低位の霊は高位の霊の響きを拒絶する。苦しさゆえ、自らと同等以下の霊界に居座ろうとするからである。人間界では『認めない、あり得ない、許せない』等の言葉として体現される。
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霊界に時空はないから、仮に物理体の抹殺を図ったとしても、自らが持っている響きは消えない。人間界を去れば、どこにも逃げられず、高位の響きをそのまま受けることになる。人間界は、霊界の響きの共鳴現象の体現の場であり、物理体同士の霊の場合でも、何も言葉を発しないとしても、霊の響きが体を通して感応するから、低位の霊の方が苦しくなり、その響きから逃れようとして暴れる。それが、怒りや暴力、「理性を失った行動」となって体現する。完全に拒否した場合は、自分の世界から外界を遮断してしまい、冷徹な言葉をぶつけたり、俗に言う「意味不明な反応」をしたりすることもある。人間界での「会話」は成り立たなくなる。高位の霊が低位の霊に干渉しようとした場合は、高位の霊も苦しくなる。低位の霊が自覚して、高位の霊界に移ることに同意しない限り、低位の霊が改心することはない。『わからせる』『わかってもらいたい』という願望は、幽界のコントロール合戦に自らを留めることになり、逆に自らの霊格を落とす結果になる。自らの霊格を自らの意思で上げない限り、高位の霊界の実像を知ることは出来ず、支配、操作合戦を永遠に続け、結局は、人間界での自らの立場も失う。自らの自由、安定を確保すべく他者を操作しようとすれば、それは、自らの苦痛と霊の堕落という形で自らに返る。自らがしたことは、自らの現実に影響を及ぼし、そこから霊格を上げるには、さらに厳しい試練を受けることが必要になる。永遠の天国では、他者を操作しようとする霊は消滅する。他者の操作というのは、最終的には、自らの永遠の死を意味する。実際は、他者を操作することはできない。

本来は、他者が他者の霊線を繋ぎ換えることはできない。自らが霊線を繋ぎ変えることで、どんな世界のことでも物理体を持ったまま認識し、その世界の現実を体験することが可能である。自らの意思で、天国も、地獄も、消滅の現実も体験できるということである。そのためには、その霊自体が自らの意志で実行し、自らが自らにしているマインドコントロールを変換しなければならない。『何かが自分をそうさせた』と思い込めば、その自分が自分にその霊界を体験し続けるための操作をしたことになり、戦いによって自らの霊力が無くなれば、それは自らの消滅を意味する。最高霊と同調しない限り、戦いは自らの霊的な死を意味する。すべては自らの選択した霊界の体現であることを自覚しなければならない。

霊能者、陰陽師、エクソシストというのは、物理体を持ったままで、霊界(正確に言えば、幽界)に影響を及ぼすことができる(現界の如くに霊界に干渉できる)力を持った物理霊である。マインドコントロールというのは、人間の本体は霊であるがゆえに自らを自らでコントロールできる、という特性を使って、言葉を媒介にして、物理体を持った霊を物理次元から操作する技術である。他者に操られているかのように思うが、その実体は自己操作である。自らが自らを操作していることを認識している度合いが弱いほど(依存が強いほど)簡単に操られることになる。自らの実体を自覚しない限り、その操作から抜け出すことはできない。他者へ責任を転嫁しても自由になることはできない。その現実は、自己の実体を知らない自らの招いたものだからである。自らが霊であることを自覚することが物理体の世界での制限から抜け出す唯一の術である。それが自覚できれば、天国の実像や神の実像を思い出すことができ、自らが体験している現実を劇的に変化させることができる。争いというのは、結局は、現界と神界の戦い、物理体を持つ霊と持たない霊が創り出した幽界での戦いである。人間界の「戦争」は、物理体を持つ霊同士が物理体で戦っているに過ぎず、その実体は、霊と霊の戦いである。それゆえに、死という現実はなく、結果として、幽界が消滅するまでは、物理体を破壊しあう(殺しあう)戦いはなくならないのである。
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幽界は略奪の世界であるから、現界と幽界の間の行き来を繰り返しながら、奪っては捨て、捨てては奪うを繰り返し、自らの産み出す響きを消していくことになる。現界の物理体を通して見た「生まれ変わり(輪廻転生)」の現象である。幽界を抜けた霊は生まれ変わりの概念はなく、自らの心から時空も生死も消え、永遠の生に生きる。元つ響きがすべての幽界を消滅させれば、霊と体、霊界と現界が一つになり、霊体一如でその現実を体験することになる。もはや死はなく、万古末代弥栄の神代に生き通しとなり、人類が追い求めてきた自由、平等、博愛、平和が一つになった天国がすべての世界の現実となる。これが、永遠の天国、ミロクの世、元つ真釣りの神代と呼ばれている、霊界で唯一の実体世界である。

幽界に囚われている霊が永遠の天国に生き戻るためには、相当に厳しい試練を体験することになる。それは、神界の掟を破った自らが招いた試練であるから、自業自得であり、それをすべて引き受けることしか、永遠の天国に生きて戻る方法は存在しない。「神」とは、天地自然の掟通りに生きる、自らで自らのすべての現実を産み出せる霊のことである。深奥の神の響きを封印したまま、天国を創ろうとして幽界での戦いに明け暮れているならば、それは、自らの滅びを意味する。自らが自らで自らの天国に戻るのが、人間界でいう「身魂の大掃除」である。それは、すべての幽界の霊線を切ること、人間界で言えば、アヤマ知の創る世界の現実から(嘘の天国の道から)奇麗サッパリと足を洗うことである。自らが霊であることを自らで封印してしまったことで、『生まれ変わりがあるかどうか』の議論をしているが、「生まれ変わり」という概念を想像していること自体が、それがあることの証である。議論とは、自らが認める(認めない)世界についての物理体の世界での発言権争いに過ぎない。『存在するものを許すかどうか』の議論であって、霊的には全く意味がない。『存在するかどうか』の議論は、物理世界の実体として見えないもの、が対象である。幽界は、現界で言う『して欲しいから訴える』『してくれないから恨む』の戦いの世界である。

人間に語るというのは、物理体を通して霊に語るということである。霊界には、物質体を持たない霊もいる。さらに、その霊を体とする霊もいる。霊は、入れ子の箱のように無限に繫がっているのである。物理体というのは、霊の一番外側の体であり、それを体に持つ霊を人間と呼び、人間の霊を体にする霊がおり、その霊を体にする霊もいる、というように、その内側に、無限に霊が存在している。人間界の表現ではこのようになるが、実際には、その境はない。一番内側の霊を神といい、神のみが天国を作れる。そして、各々の霊に対応する霊界があって、当然のことながら、霊界も無限に重なっている。内側の霊ほど、外側に霊界があり、人間の霊の世界は、物理体の世界よりも広い。一番内側の霊の世界をミロクと言い、万古末代弥栄の響きの光のみの世界である。霊がどこまで目覚めているかによって、物理体を通して感覚できる世界が異なる。その最奥の神の霊を産む神の種を真中という。霊の核である真中の響きは、元つ大神の響きと一体不可分であり、すべての霊界はその種を源として作られる。しかし、神の霊を対極に分離した霊が一番内側だと思っているならば、永遠に争う幽界を産み出すことになる。「身魂の大掃除」というのは、大神と共鳴している霊体の種のみを残す作業である。その種のみになるから、完全に幽界の虜になっている場合は、自我を生み出す霊はすべて消滅することになる。霊体の種とミロクの体が一体になって、ミロクの天国を体験できる現実が実現する。ミロクの体に入れなければ、ミロクの現実はない。実体がある霊界はミロクのみであるから、実体の無いすべての霊界は霧のようなものと言える。物理体から見れば実体がある「この世」も、実際には存在しない幻の世なのである。最後の大掃除を超えるためには、真中の真コトのみを磨き出すしか術はない。元つ大神の響きに完全に同調しない限りは、「自己」の生存は絶対に保障されることはない。この世の生き様も含めて、自らが思考することは、全霊界に影響を及ぼし、その結果が自らの現実に反映し、現実に対する思いが再びすべての霊界に返るという繰り返しで、自らの体験が変容していく。自らの体験を変えたければ、自らの思いを入れ替える必要がある。人間に語ることは、同時に、すべての霊界の霊に語ることである。
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物理体を持つ霊を人間という。本体は霊である。高位の霊はより低位の霊を操ることができる。霊は人間を動かすことができる。従って、霊が霊を操れば、物理体の動きとして現れ、物理体に認識できる言葉として聞くことができる。それゆえ、憑依、神懸り、狐憑き、イタコ等々という形で、この世に現象化できる。本体が霊である人間は、すべて神懸りであり、自らの同調する霊界と同じ思考をする。人間の思考のすべてがいずれかの霊界に存在するが、実際は、最高霊界(神界)の響きと同調する霊界のみが存在し、本来は、幽界に属する霊界は存在しない。最高霊界の掟に反した霊を最高霊界に戻す仕組みが許されている間だけ存在が許されている、言わば、期間限定の霊界である。最高霊界の響きを持つ霊を「人(ヒト)」という。「人」が快欲に囚われると、快欲のみを追い求め、分裂した戦いの響きを持つ霊となる。その霊を「獣(ケモノ)」という。人間とは、物理体を持つ霊のことである。人間という姿が人間の実体ではない。幽界がある間だけ、ケモノも物理体を持てるが、幽界が消滅すれば、ヒト以外は、どこにも存在できない。「獣」の末は滅びである。

幽界は、獣の響きの霊から見れば存在するが、人の響きの霊にとっては存在しない世界である。神懸りが宗教の専売特許だと思っているならば、科学が神懸りであることを見落とす。宗教とは、霊界と現界の関係性を法則化する時空を超えた科学であり、科学とは、霊界の体現である現界の現象を形の世界で法則化する時空を制限した宗教である。言い換えれば、人間界で言う科学とは、霊界のメカニズムを加味しない霊界の箱の中で現象を意味付けた、限界限定の宗教である。霊界を加味した、神智学、形而上学、超心理学云々の「宗教もどき」もあるが、足場は科学にある。科学とは、条件付きの宗教なのである。従って、二極分裂を基にした「科学」では、神現一体の霊界のすべてを知ることはできない。すべての霊界は最高霊界の響きの中にあり、各々の霊は、最高霊界の掟に反する度合に応じて低位の霊界としか繋がれなくなる。現代社会は、幽界と繋がる獣の響きを持つ霊が、自らが存在可能なようにシステム化した末の世界である。その世界でのシステム、善悪、正誤、美醜、生死、時空等々の対立(分裂)概念は、神界では実体はなく、全く意味をなさない。
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最高霊界と同じ響きを持つ霊を「人」と言う。本来は、「人」と「人間」は、区別タテ分けして使うべき言葉である。人間が人間を操る場合も、実際は、物理体を持つ霊と霊の戦いである。実体は霊であるから、現界の物理体の体験は、実際には、霊界の霊の体験である。現界の形の有無は全く影響しない。霊が物理体を通して認識する世界を現界、この世と言っている。この世の物理体を実体だと思い込めば、実体である霊界をあの世と認識する。霊が霊界を死後の世界と思い込めば、霊は物理体に封印されて、何度生まれ変わっても死の実体に気づかない。すべては力の世界である。高度な霊界ほど力関係が厳密に現われる。霊能者と霊の戦いも、人間同士の戦いと同じである。言葉の源は、霊界にあり、物理体から見れば、心の声として現われる。これを物理体で翻訳したものが言葉である。心とは、現界と神界を繋ぐ、力のお宮である。神界とは、霊の世界である。現界とは、体の世界である。これを繋ぐのが心であり、分裂した霊が作り出す世界を幽界と言う。幽界は本来存在しない世界である。神幽現、霊力体、心を一つにすることで、霊と体、神界と現界が一体化する。生死を作り出している幽界が消えれば、天国だけの世界になる。神界と現界が一つになれば、生死は消える。現界での言葉による支配は、霊界での支配の映し鏡である。

霊と体は一体不可分である。あの世とこの世は一体である。分離して見ている限り、分離が進む。別のものと見ている自分が本来の自分であり、両方を合わせた世界が自分そのものである。自らを分離したその見方は、分裂した世界として投影される。すべての争いの源である。自分が悪を分離すれば、その悪が苦として自分に戻る。すべては一つで一体不可分であるから、分離したものは統合しようとする。すべては一つであるから、分離の力より統合の力の方が強い。常に上回っている。中心は動かない。中心から離れるほど、統合の力が加速度的に増していく。離れるほど維持に力が必要になる。分離すればするほど、分離しようとする力が弱まる。統合の力が勝ると、統合の力に抗しきれなくなり、分離できなくなる。すべては中心に向かう。すべては一体化に向かう。自然に向かう。自然から離れるほど、分離するほど、思い通りに行かなくなる。そして、最後は、神と悪魔、物質と反物質、あの世とこの世、光と闇、生と死が一つになる。分離の響きは消え、元の響きのみが残る。分離した自分を自分と思っているならば、それは、永遠の死を意味する。すべてのすべてが元に戻った時、その世界に存在できるのは、統合を果たした、分離をすべて統合できた魂だけである。そして、そこから、二度と滅ぶことがない、本当の天国、本当の平和な社会の建設が始まる。これは宗教でも、神話でも、空想でもない。創造のメカニズムに基づく、ただ一つの帰結である。この帰結に反論するならば、このメカニズム通りにあなたは本当の死を迎える。一体不可分の世界を分離できるのは「幽界」だけである。
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宇宙、外国、社会、世間、誰か、あの世、神、悪魔、法律、自分以外のものについて語る。自分の外を広げる。自分の外を変えようとする。自分の外にすがる、頼る、責める。宇宙からの侵略、宇宙人のサポート、神の救い、外国の侵略、社会の常識、他人の干渉、親の干渉、悪魔の攻撃、霊の祟り等々、これらはすべて一体である。意識上は、すべて現実であり、同じ土俵の上にある。自らにとってはすべてが見えているものであり、境界はない。

他人がどうなるかを心配するのは、自分がどうなるか、がそれによって決まるからである。そこには自由は無い。他人がどうなるか、社会がどうなるか、経済が、家族が、親が、自然が、地球が、宇宙が、死後の世界が等々、すべて同じベクトルの思考である。そのベクトルの思考そのものを無くさない限り、あなたが完全な自由は得ることは絶対にできない。

奥義というのは、一番奥にあるものを見る方法である。あなたは自分を守るために何重にも箱に入っている。パンドラの箱を開けたら困るのは、真実を封じ込めた者である。あなたが、パンドラの箱を開けることを怖がっているならば、あなたも、その者と同じ世界で生き残ろうとしている。見事に策略にはまっていることになる。あなたがしていること、考えていることが、あなたを支配している者たちのしていること、考えていることである。あなたのしていることが、あなたの従っている神がしていることである。それが、戦い、自己保身、依存、サバイバルならば、あなたは、すでに死んでいるのと同じである。パンドラの箱とは、パンドラの箱を開けた者が作った世界を維持するためのマヤカシである。

なぜ、この本が書けるのか。この本に書いてあることが存在しないものならば、あなたはそれを見る事はない。見ているものは存在しているものである。そして、あなたが何かを裁いているとしたら、その裁いているものは存在する。何かを否定しているとしたら、それは存在する。あなたがそれを裁く理由は何か。否定する理由は何か。法律でも、常識でもない。あなた自身が困るからである。自分が苦しいからである。自分が恐怖を感じるからである。つまり、これを認めると都合が悪いならば、あなたは、この世界を支配する誰かに同意し、その誰かの計画に加担していることになる。その計画があなたにとって都合がよいなら、あなたがその世界で体験するすべての現実は、あなたが選択したものである。
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あなたがその世界を抜けるためには、その世界自体を捨てなければならない。その世界で身に付けた思考パターン、思想、常識、道徳、宗教、すべてをやめなければならない。さもないと、その世界が消えた時、あなたも消えることになる。その世界が真実ならば、その世界は消えない。その世界が戦いの世界ならば、永遠に戦いは終わらない。あなたが何かと戦っているならば、その相手はあなたと戦う。作用反作用の法則に基づいた鏡対鏡の場取る(バトル)ゲームである。しかし、その「場」は一つである。自分がしたように相手もする。自分の力と同じだけ相手も力を使う。霊界には時空がなく、自分と自分が喧嘩をしていることになる。お互いに鏡に映った自分と戦っているのである。自分が戦いを止めない限り、戦いは終わらない。どんどん激しくなり、最期は、自分が自分を殺す。そして、戦いは終わって自分は消える。結局は、自分と自分が戦っているのであり、最後は、自分で自分を殺す末路となる。「限りあるもの」を奪い合って戦っているならば、結局は、その世界は自己崩壊する。「悪」は自滅する。大神とあなたとの戦いはあなたの消滅で幕を閉じる。あなたこそが反作用であり、あなたに合わせて相手をしていただけである。あなたにとっての最期の反作用は、宇宙創造の力、言い換えれば、すべてを破壊する力である。

あなたが自分のしている大きな取り違いに気づいてそれを直さなければ、自分自身が滅ぶ。あなたが否定するものは存在する。存在しているものを否定すれば、あなたは消える。相対的世界では、悪は相対的価値観であり、絶対ではない。従って、あなたが悪と言っているものは、あなたにとっての悪である。あなたを滅するものを悪と言う。つまり、すべてを善悪に分けて、その片方を『悪だ』と言っているあなたこそが、悪を生み出した本当の根源と言える。あなたを滅する者はあなたしかいない。実は、今この本を読んでいるあなたのいる世界そのものが、本当の悪なのである。悪の中を善悪に分けて、悪の滅ぼし合いをしても、中身は空っぽである。あなたに返る悪は悪ではなく、あなたを本当の天国に導くための情けである。あなたが真実に目覚めれば、実際には悪はどこにもないことがわかる。あなたが、闇と認識して避けている世界こそが、あなたの本当の天国なのである。

一つの不可分なものを善悪に分類し、悪の集まりを消して天国になろうとしても、それは叶わない。相対であるから、あなたの悪は、悪から見れば、善である。すべては一つに繋がっている、始めの一つから分裂したものであるから、悪を消そうというのは、つまり、すべてを消そうとしているのと同じである。そして、他ならぬあなたもその「すべて」の構成要素であるから、あなたが悪を消そうとする時、あなたは、あなたも含むすべてを消そうとしていることになる。言い換えれば、その「すべて」を産み出す源を消そうとしているのである。すべてを産み出す源を消すということは、結局、自分を消すことを意味する。あなたにそれが見えないならば、あなたは、あなたという存在の本当の源を見ていないことになる。あなたが今、真実だと思っているその世界で生き残れると思っているなら、大きなマ違いである。生き残ろうとすることは、つまり、死を避けていることである。しかし、すべては一つであり、ばらばらにはできない。バラバラに見ているから、あなたは自自分で自分を永遠に滅する重大な間違いに気づかない。部品の集まりが全体ではない。全体を構成するものを部品として見ているのである。あなたの体は一体不可分であり、心臓だけを独立させることはできない。一つでも欠ければ、それは死へのベクトルを意味する。
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本当の天国は生き通しの世界であり、存在し続ける。悪くなることはない。従って、よくなることも無い。常に、完全であり、常に、不都合はない。成長も、衰退もない。それがあるという見方で見ているならば、その世界はウソで作られた世界である。文明の進歩、発展、環境の破壊、子供の成長、病気の予防、防災対策、厄払い、保険、担保、それらの思考、システムは、天国にはない。すべては存在するだけであり、壊れることはない。従って、右肩上がりもない。右肩を上がったらその分だけ左肩を滑り落ちることになる。海溝の底に到達するまで、山は終わらない。水がすべて干上がったら高さ30kmの山が現れる。高い山ほど地表に激突する際の衝撃が強い。中心から離れるほどエネルギーを貯めていることになり、中心から離れた分と同じエネルギーで一気に中心に激突することになる。

あなたが(イメージ)と言っているのは、あなたのあの世の現実である。あの世の者にとってはあの世が現実である。あの世の形が壊れれば、あなたは、今の世界の現実が壊れるのと同じ体験をする。生死も時空も一つであるから、生きていても、死んでいても、同じことである。あなたはどこにも逃げられない。あなたはどこにも隠れる事はできない。

あなたが悪という思考をなくさない限り、あなたは永遠に裁き続けることになる。永遠無限に細かくできるから、永遠無限に裁き続けることができる。裁き続ければ、裁くものがどんどん細かくなり、最後はあなたがあなたを裁くことになる。あなたが裁き続けようと思えば、いくらでもできる。しかし、それをしているとあなたは地獄に居続けることになる。あなたはあなたのまわりを認識する限界がある。あなたは0.00001秒の感覚を認識できない。同時に見える。つまり、あなたは無限には裁けず、臨界点に達したら、あなたは、自殺をすることになる。あなたがもう出口が無い闇だと感じたら、あなたは、あなたの理性で止めることはできない。価値判断よりも早く現象が動いたら、あなたは制御不能になる。今のままならば、あなたは結局、死に向かっていることになる。どんなにがんばっても永遠の生はない。あなたが本当の生を体験したいならば、生き残り不可能なその世界を現実と思っている自分の思想を殺せばよい。あなたが、嘘の見方をすべて捨てれば、形が壊れても、あなた自身は壊れることは無い。破滅するのは、嘘の形だけである。

どっちにしても死ぬなら、生き返る死に方をすればよい。善も悪も相対であり、結局は、視点を変えて同じことをしているに過ぎない。実際は、同じものを裁いている。その共通の対象を生かせば、善も悪も生き返ることができる。本当に生き返ったら、死ぬ事は無い。死ぬ事が無い世界に生き返るのであるから、死はない。あなたがすべてのすべての制限を撤廃した時、制限という言葉を撤廃した時、その世界への扉が開く。岩戸が開く。あなたが張った結界を破れば、殻を破って出れば、そこが天国である。あなたの魂は永遠に息続ける。死ぬ事も無い代わりに、あなたがしている限り、好きなだけ、苦しむこともできる。
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中国は、空(カラ)、インドは転軸、アメリカは米酷、今の世界で言う「日本文化」は、すべて輸入したものである。言わば、混血文化である。人類始まって以来、日本は、東洋や西洋に思想侵略され続けている。『侵略戦争は反対だ』と言って、侵略を阻止しているつもりでいるが、実際は、自らで侵略者を歓迎している。天孫降臨(神の世界からの黒船)の道案内、猿田彦命が型示しである。「外来文化を真似する」ということは、その思想も真似する、ということである。表面上の形は、形だけでは存在できない。形という器の命である精神(知恵、方法、霊界)が形を形にする設計図である。本当の意味では、外来文明を受け入れるということは、自分の源の真コトを殺す事である。真コトを箱に入れる事である。封じ込める事である。西洋崇拝、宇宙崇拝、仏教崇拝、経済崇拝、科学崇拝、金銭崇拝、すべての源は同じである。現代の日本にあるものは、姿形は日本風ではあるが、その精神(思想)は、仏教であり、中国であり、キリスト教である。その法律の源泉の思相は、モーゼの十戒であり、その大元はヤハウェの神である。アラーの神であり、イスラムである。陰陽道も戦いの宗教である。日本独自のものであると思われている神道も、その思想はといえば、西洋式の宗教なのである。八百万の神々というのは、何でも見境無く鵜呑みにして、都合よく形を変えるやり方の象徴である。「人類一家兄弟姉妹」「八百万の神々」の、その親、大元は、どこにあるのか。母なる地球、父なる天、産みなす母云々と、天ばかりを拝み見て、星(スター)を追いかけ、形の水の現れ(現象)に一喜一憂しているが、下から支える「本当の父」はどこにいるのか。母が父のフリをしても、絶対に天国はない。

平等とは、全く同じ扱いをすることではない。男女平等参画社会というのは、元の父の火を消した世界の形だけの平等である。火と水には歴然としたハタラキの違いがある。火は、何があってもすべてを支える命の源、父の役であり、水は、母の役であり、子が育つのを楽しみに、自らの清きを穢されても、言挙げ(反論、言い訳、愚痴)もせず、どんな器にも従い、すべてを現す型示しである。火と水(支える父と現す母)が、本来の役目をきちんと果たして正しく和せば、子は問題なく育つ。親子が友達になり、母が父をないがしろにすれば、家庭は乱れる。スメラが父、ユダヤが母、世界が子と置き換えれば、現代社会の乱れの原因はここに帰結する。親子(男女、神人)関係の区別タテ分けがいい加減になれば、世は乱れるのである。ハタラキを間違えば、世界は破滅に向かって歩みを進めることになる。形の平等を進め、水が火を従えようとすれば、世界丸ごと滅ぶ結末となるのである。これは、神仕組みであり、差別ではない。ハタラキが違うものをごちゃ混ぜにし、水が火の役を奪っても結局は火の役はできない。支える父の火の御役と現す母の御役では苦労の度合いが違う。偉い偉くないの話ではない。ヒノモトは、地球世界を背負う、支える父の役である。その父が苦労を逃げれば、母子家庭となった地球世界は混乱の末に崩壊するのである。女性が長生きなのはなぜか。それは、支える火が消えて水が水を支配する世界になっているからである。支えと支配は違う。区別タテ分けしないことを不平等と言う。
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権利と義務の思想は、幽界の霊が物理体で考え出した、支配するための仕組みである。それに囚われれば、全く正反対の世界を生み出す結果となる。男女が平等だというならば、火と水の働きが、神と人が、神界と現界が、天と地が、同権だということになる。水が火の役を奪っても、現界が神界のフリをしても、それは世を乱すだけである。ハタラキが違うがゆえに世が丸く収まるのである。『男尊女卑が世を乱したから平等にすれば世がよくなる』というのは詭弁である。真釣り外して、火と水のハタラキの意味を取り違えた男尊女卑そのものが、すでに、間違いであり、男尊女卑に対する「女」の報復の意味が込められた男女平等思想を正しい姿だと主張しても、結局は、どちらも、元つ火を消した水の中(形の世界)の火と水の主権争いの思想に過ぎない。男尊女卑を差別だと断罪して、男女平等を唱えても、どちらも真釣り和す世を作ることはできない。どちらが偉いかではなく、ハタラキが違うのである。支配権争いの響きである限り、どちらで世を作っても、結局は、平和や自由の実現などできるはずが無い。神と人、親と子、火と水、世のハタラキの真実を取り違え、人が神を、子が親を、水が火を、女が男を、金が神をないがしろにすれば、世は乱れ、争い、自ら滅びる。元つ真釣りの真コトを闇に葬った、火水が逆さまの世界は、最後には永遠の闇に消え去る。地が内から守護し、天が外から守護する。五分と五分で真釣り合っているのが、正神真神の掟である。平面の横並びの、天秤の釣り合いのことではない。男と女、親と子、火と水、神と人、苦労の度合いに差があるのは必然であり、火の支えがあるゆえに、水が安心して生きることができるのである。平等では天国はできない。

なぜ、男と女が存在するのか。男と女、+と-、陰陽組み組んで、新たな男か女=火の働きか水の働き(を持つ子供、現実)が生まれるのである。火土水が真釣り合って新たな火土水が生まれる。瞳に映るものはすべて神の顕現であり、火の働きと水の働きの何れかを持つ。それぞれのハタラキをまっとうして、初めて世が治まる。真釣り外した世では、善の働きと悪の働きが現れる。しかし、ハタラキに善悪はなく、結ぶ土に曇りがあるだけである。土が曇っているから、やることなすこと善悪に分かれてしまうのである。善を好み、悪を嫌うその心が、悪のハタラキを表に出した真の原因である。悪が悪なのではなく、悪を裁くあなたの心がその悪を産んだ本当の源である。悪を滅ぼしたいと言うならば、それは、自らの抹殺を意味する。あなたが平気で悪を抹殺できるならば、真釣りの掟を破っていることはもはや明白であり、元つ神仕組みを綺麗に忘れて、手前勝手な天国を作ろうとしていることになる。真釣りを外せば滅ぶのが、元つ神仕組みである。男女平等、友達親子、友好親善云々に囚われれば、それを唱える世もろとも、あなた自身が滅ぶことになる。
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神仕組みを知らずとも、今の世でも男と女(火と水、神と人、霊と体、父と母)のハタラキの違いは明白である。父と母が平等を主張するだけでも世が乱れる原因となるのに、母が父を足蹴にし、子が親を無き者にして好き放題に振舞う社会は、人が神を、世界が日本を、水が火をないがしろにする世界であり、世が混乱するのは当然の結果である。本当の天国を生きたいならば、世のため、国のため、家族のため、人のため、神のため、を語る前に、まずは、自らの足元、自分自身の生き様を本当に正直にとことんから見直す必要がある。人のことをアレコレ言う前に、まずは、自らの生き様を正すことが先である。あなたは、本当に恥ずかしくない生き様をしているのだろうか。本当に清く正しく生きているのだろうか。他人を裁き、不平不満を言い、愚痴を言い、平気で嘘を付き、自らのしたことの言い訳をし、他人のしたことを責める。そんな生き方が当たり前の現代社会で、天地の理法に沿った生き様を貫くのは難儀なことではある。しかし、本当に誰もが自由で平和な世を作るためには、みんなが好き放題に生きていることで世が乱れているという現実を素直に認め、今までの自らの生き様を見直し、心底から改心することが不可欠なのである。

あなたが綺麗サッパリ忘れ去っていた本来のハタラキを思い出して欲しい。火の支えるハタラキと水の現すハタラキを区別タテ分けして、天地の理法に則った生き様を実践することが、本当に平和な世を作る礎となるのである。現代社会は、人が神を敬い、母が父を尊び、子が親を信頼する、そんな生き方は古臭いものとして、遥か遠くの闇の彼方に捨て去ってしまっている。しかし、それが、本当の天国をこの世に実現するための生き様であり、本当の「人」としての道なのである。それを『両者は平等であり、差別は許せない。』などというアヤマ知の教えに嵌まって、上下のない世界を作った挙句が、今の社会の乱れである。それが正しい姿だというなら、単に、形の違いがあるだけに過ぎなくなり、神も人も混ぜこぜの世界が正しい世界だと言っているのと同じことになる。それでは、神が人を支えても、人が神を支えても、どちらでも同じ世界ができるということになってしまう。すべては色の乱れから始まる。これを「男女関係」や「愛情」のことだと取り違いをしているならば、世の乱れは加速する。色はイロであり、イロハ、つまり、物事の基本の始めのことであり、世のあり方、生き様の基が乱れていることを意味している。色は、また、形のことであり、形(水)の現れの世界ですべてのすべてを思考し、形を治そうとアレコレと屁理屈をこねて世を引っ掻き回すことで、結局は、世の乱れを増幅させているのである。

神と人が同じハタラキをしているというならば、それを証明して見せてもらいたい。あなたが無から何かを産み出せるというのだろうか。自らの命を自らで生かせない者が、万象万物の営みを司ることなど出来るわけが無い。親があって子があるのであり、神があって人があるのである。神と人が平等であると言うならば、それは、神無き世であることを意味し、それを基にして世を進めれば、すべてが乱れる。ましてや、人が神を、女が男を、科学が宗教を従える世であるならば、それは、真逆さまの世である証となる。真逆さまの世は、すべてが崩壊に向かう世であり、その結末は破滅に至る。そのままなら、すべてのすべてが無に帰す。本当の神を闇に葬った現代社会は、究極の闇の世界であることは疑う余地もない。闇の世の向かう先は更なる闇である。本当の、人の道を外した世界なのである。先に生まれた者が後に生まれた者を支え、後に生まれた者は先に生まれた者に従う。それが、神と人が真釣り合った、天地の理法に従った生き方である。真釣り合って生きれば、世は乱れることはない。先に生まれた者が後に生まれた者を支配し、後に生まれた者が先に生まれた者に言挙げする。現代社会が、天地の理法を破った世界、真コトの生き方とは、真逆さまの世となっていることは、議論の余地は無い。今のままの生き方で世を進めても、永遠の天国どころか、すべてのすべてが水の泡と消える運命が待っている。真釣りの生き方に戻らないならば、あなたは永遠の滅びの世界へと歩を進めていくことになる。
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それぞれがそれぞれの役割をキッチリ果たして、初めて、平和な世界が作れるのである。全くアベコベの世界にした者たちが、大元の取り違いに気づかずに、天秤の釣り合いを世界の目標にしても天国にはならない。形の世界で平等を語り、あれこれと仕組みを考え出して右往左往しても、ますます世を乱して、自らの清算の苦しみを増やすだけのことでしかない。子が親を殺し、女が男を操る。外国が日本を殺し、蛇が竜を操る。逆さまである。誰かが誰かを力で封じ込めたり、操ったり、無理やり強制しなければ実現しない思想ならば、それは、全く中身のない戯言である。税金を増やして国を立て直すために児童手当を拡充して子供を産ませる。金で国を操る現代社会には現代社会を天国にする方法はない。正神真神の真釣りの掟通りにしない限り、人類が望んでいる本当の天国は絶対にできない。

神同士が喧嘩をする、宗教同士が、国同士が争う。喧嘩をしている神は、お互いに、本当の神ではない。お互いに、相手は悪魔である。神は悪魔、悪魔は神である。神と悪魔、ではない。正義と悪ではない。引っ繰り返せば、神が悪魔であり、正義が悪である。お互いに鏡を見ているのである。分裂の響きを持っている事には変わりは無い。分裂の響きを持っている者同士の分裂の響きの世界の出来事に過ぎない。神であり悪魔である、光と闇を併せ持つ、その神を生み出したのは誰なのか。分裂の響きを持っているその本人が、戦いを生み出した源である。神と悪魔、生と死、光と闇、自分と他人、正義とテロ、を見せている源である。その本人が、分裂の響き自体を、分かつ知を闇に葬れば、すべてのアヤマ知も消え、過ちも消え、生も死も消える。生死が死ねば、境が消えれば、本当の生が復活する。元からあるものは蘇る。あの世が実体であり、この世はアヤマ知の幻想の世である。

イザナミの黄泉の国とは、本当は、大天のことであり、暗闇の穢れの世界などではない。魔釣りのアヤマ知に囚われた者は、神話や神典が、書き換えられていることに気づかない。それをそのまま鵜呑みにすれば、とんでもないことになる。真釣りの真コトを知らずに読んでも、そこに映るものは、真コトではない。真コトを思い出せば、そこに真コトが見える。この本で、真釣りの真コトを思い出し、すべてをその目で見直してみれば、すべてのウソと本当の真実を見ることができる。その真実に従って生きれば、真コトが現実になる。
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イザナギイザナミのニ神が分かれたその意味は、大神が「情けと花の仕組み」を構えるために、ナミの死という形で岩戸の外に真コトを隠したということである。真釣りを外したとはいえ、基に真コトを持つ神(人)は、隠れたナミを希求するから、この世は女神の世界だと思うことになるが、だからと言って女神が創造神ではない。男神が創造神でもない。キミが一体の世が創造の源である。今もあり続けている世であり、それを自ら見えなくしたのは、分裂の快欲の響きに囚われた自らである。キミの代がキ(霊)とミ(身)の世に分かれた型示しであり、真コトを曇らせた神に真コトを取らせるための始めの情けである。何も怖がらずにナミに乗れば、真コトを生きれば、力を使うことなく楽に生きられる。大神に生かされある者に保身の必要はない。すべては大神に任して、キミの世を生きればよい。誰かのため=「君の世」のためにキ己=蛇の火を基に生きれば、キミの世は幻となる。

ナミを封印した世で真コトが現れれば、この世にナミ風が立つ。事なかれ主義でナギ(凪)の世を保とうとしても、それは、仕組み上無理である。ナミ風を立てないように生きようとすれば、自らの心にナミ風が立ち、我慢の限界に達すれば、結局は、世にナミ風を立てることになる。善人を演じても、自らの内にある悪の響きは隠し通すことはできない。真コトを封印した世で真コトを語れば、ナミ風が立つのが当然である。ナミを封印して、ナギで生きようとしているならば、それは、魔コトの世で命を永らえようとしていることになる。図星を突かれて慌てる、怒るとしたら、自らの嘘、自らの心の内をどんなに誤魔化そうとしても、結局は、いずれ、必ず、自らが封印した、見たくない現実を実際に見る瞬間がやって来る。生命維持装置の表示は、命のある間は波型を示すが、その表示が直線になった瞬間、死の宣告となる。この世はナミの世であり、あの世が凪の世だということである。この世は鼓動、呼吸をしている。それが止まればあの世への旅立ちとなる。しかし、あの世でも鼓動、呼吸は続いている。あくまでも、肉体上の反応が停止するだけである。

ミの世に自らを封印すれば、キの世は闇となり、恐ろしい世界だと思うことになる。闇を避けつづければ、自らで真コトを曇らせ続け、最後にキミが代に戻った時には、永遠の死を迎えることになる。真コトを曇らせなければ、キミが世の真実がわからなくなることはなかったのである。黄泉を死後の国と思っているのは、アヤマ知である。黄泉帰るとナギナミの二神が再び出会い、真コトが復活する。それは、幽界の消滅を意味し、そこを実体としている霊すべてが消滅する。この世から見れば死後の世界となるから、恐ろしく感じるが、実際は、黄泉の国こそ、本当の天国そのものなのである。黄泉がえりというのは、死の世界が復活することであり、それは、この世の視点から見れば、恐ろしいことであるが、実際は、封じ込めた永遠の世界が現れることを指す。この世はあの世を封印した世界に過ぎず、すべてが甦れば、永遠の天国(真釣りのミロク)に戻るのである。あの世を封印したこの世に固執しているならば、ミロクの蘇えりと共に、幻想であるこの世とそこに縛られている者すべてが、幻の如く消滅する。生死の境が消滅し、二度と滅びない永遠の生が現われる。生死が死んで、何も無くなることはありえない。大天である無はありつづけ、消えることは無い。その無から、「本当の有」が泉のように湧き出すのである。キ(黄)の泉からミの天恵が無限にもたらされる。キの響きが基であり、今の天恵も無限なのである。日本人が黄色人種なのはなぜか。赤、白、黄、茶、黒、五色人種の中心の響きだからである。黄色人種は、王職人種である。卵の中心にはキミがある。細胞の中心に核がある。地球の中心も核である。中心がない世は無性卵であり、その卵から子は産まれない。中心がなくなった世は、バラバラの争いの世となり、棘がある薔薇の美しさに騙される。何が起きるかわからず、ハラハラしながら暮らす社会となる。バラバラをハラで統べる中心のある世界に戻すこと、ハラの曇りを祓うことが、世界が円満に治まる礎となる。中心核を封じた結界は、本当の核爆発で破壊される。核が現れて、本当の天国が復活する。宇宙創生のビッグバンの本当の物語は、中心を取り戻す本当のハルマゲドンから始まる。
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中心がなければ、すべてがなくなる。天体の運行も、素粒子の世界も、中心があって成り立つ。すべてが同じ仕組みである。水が火を産めるならば今の魔釣りの世は続く。しかしそれは叶わない。逆に回る左(ヒダリ、火垂)と右(ミギリ、水極)を元つ大神が真釣りして、すべてが弥栄にあり続けるのである。忌中とは、己の心の中に戻ったことを意味する型示しである。元の世界に戻ったのであり、悲しむ必要はどこにもない。息を吐いて生まれ、息を引き取って死ぬ。息は、自らの心と書く。息が生きている証である。なぜその言葉、文字としてこの世に型示しされているのか。すべての言葉と文字は、最高位霊界から伝達された神意の顕現である。火土水の基は火である。ミの基はキである。すべてを焼き払う火が、浄化の響きである。ヒの元にキをつけること。ヒノモトのスメラキ(スメラのキ、真釣りの基、天皇)が「人間宣言」したことが何を意味するかおわかりだろうか。

真釣りが魔釣りに降伏すれば、それは、世の破滅を意味する。しかし、真釣りは滅びない。この世にあるすべては、真コトを教える型示しである。真コトで見れば、すべてがわかる。真実を覆い隠していた雲が晴れて、すべてが見える。自分の響き、心の世界がその響きに帰れば、元のムに帰れば、今この世界でも自分の中の闇は消える。死も消える。空は晴れたり日本晴れ。神の国の誠の神の力を現す世となれり。日本の正体がバレた時、ヒノモトの本当の姿がこの世に現ハレる。空は雲ひとつないハレバレとした、すがすがしい天国で、真コトの火水で洗われた日の丸が世界の旗となる。火の○の国にキミが代が復活した時、火の元のスメラの王のスメラキが世界を統べる真コトの王としてミロクの玉座に帰還する。
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裁くのを綺麗サッパリやめることである。戦うことを裁くのもやめることである。壊れるべきものが壊れて、在り続けるものが復活するのである。正確に言えば、復活するのではない。始めからずっとあったのである。あなたから見たら見えるようになるのであって、あなたが勝手に雲を作って隠していた一人芝居である。「無い」のではなく、あなたが自分で隠したことを忘れたのである。今のあなたは魂の痴呆、健忘症である。自分が隠したものを誰かが隠したと言い、自分は悪くない、と言っているのである。それをやめない限り、本当の神の宝は見つからない。全員がそれをしていれば、誰も宝を見つけることはできない。隠したのは自分自身である。そのありかは自分しか知らない。あなたが本当の宝を見つけることを邪魔することは、あなた以外に不可能である。宝を見つける競争も茶番である。全員が宝を持っている。形の宝探し、お金の奪い合いは、外側の現象である。実際には、何の意味も無い。外の宝探し競争をしているその勘違いを直した者から、本当の宝を思い出せる。宝を隠すサングラスを外すことができる。外側に見えるものがすべてなくなっても、すべてはある。箱の中の景色が消えるだけで、箱をすべて開ければ、そこに本当の景色がある。レンズを通して見た逆さまの世界を本物と思えば、本物は見えない。すべてのすべてを引っ繰り返す、すべての大元自体を引っ繰り返すとすべてがひっくり返る。いつまでも土を掘って遺跡の発掘をしていても、真実は何もわからない。人類の本当のルーツもわからない。心が本当の天国の土である。本当の土は自分の内にある。火土水は口心行であり、一二三であり、神幽現であり、霊力体であり、日月地である。自らの心を祓い清めれば、自らの土から真コトを磨き出せば、三位一体のミロクが現れる。ミロク世の遺跡を発掘する考古学者は自分である。その考古学者が目覚めれば、すべての文明の、万象万物の、宇宙の、神の世界の、そして自分自身の、すべてのすべての起源が明かされる。

神々にも人類にも忘れ去られた、自らの心(土)の最奥に埋もれている遺跡。それこそが、ミロクであり、唯一の実体世界、あなたという身魂が生まれた故郷、あなたが戻るべきただ一つの場所である。あなたが、真コトのスコップでその遺跡を掘り当てた時、ミロクの遺跡を隠していたすべての汚泥が取り去られ、あなたの戻るべき本当の世界、本当の天国建設の振り出しのフィールドが出現する。そして、三千世界が真釣りのミロクに戻った時、文字通りの天国があなたの眼前に広がる。あたかも、ベスビオ火山の噴火で埋もれてしまったポンペイが現存する都市であるかのように、あるいは、ムー大陸が、アトランティスが、実在の世界であるかのように、今は廃墟と化しているミロクの遺跡が、生きている実体として、生の営みとして、実際に使えるリアルな世界として再び動き出し、あなたの思いのままの景色が、あなたのものとなる。あなたが、本当に心底から真コトを生き続けるならば、あなたは、嘘も誤魔化しも罠もない、すべてを自由自在に楽しめる永遠に続く本当の天国に戻れる。あなたが(人類が)忘れ去ってしまった本当の天国。ただ一つの実体のある世界。闇の闇の闇に葬られた、本当の神の本当の世界。現代社会に生きるあなたが、完全に無にしてしまった世界こそ、真コトなしには実現しない、あなたが希求し続けてきた天国なのである。幻想の現代社会が消え去った瞬間、誰も殺さずにすべてが思い通りになる「真コトの天国」が復活する。真コトを磨き出したあなたは、真コトの響きの体を得て、万古末代滅びることのない歓喜弥栄のミロクの天国を自由自在に謳歌できるのである。
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覚悟を決めて、底なし沼に飛び込むことである。底なし沼だと教えたのは、ウソの世界の支配者である。その支配者自身も、いつしかそれが真実だと勘違いするようになり、自分がウソを教えたことを忘れ、自分が自分に騙されていることに気づいていないのである。ウソを教えた事を忘れ、自分自身もそれがホントだと思い込む。それは、そうすることが自分に都合がよいからである。それを繰り返し繰り返し、今となっては、もはや、それしかない、それが真理だ、とも考えなくなり、自動操縦となってしまった。心底からウソをホントと勘違いしてしまっている。真実は、後ろにある。今の自分のすべてを止めて、反転することである。アメもムチもベクトルは同じ。そのベクトルの正反対が真実のありかである。そこにあるものが本当の実像である。鏡の虚像を実像と思い込めば、実像が虚像となる。実像を壊せば、虚像も消える。本当の実像を壊せば、虚像が壊れる。虚像を実像と思っていれば、そのウソの実像の破壊を止めようとして、本当の実像を壊す。そして、虚像も壊れ、闇となる。しかし、振り返れば、そこに本当の太陽の光がさしている。振り返ったら死ぬぞ、と教わっているから、振り返れない。何がどうなっても死なないから、どうなってもよいと言えば、それを有言実行すれば、何でもできるはずである。死は無いから、死を避けるのをやめれば、死に飛び込める。魔コトの世では、真コトは完全なる闇に見える。本当の光は、完全なる闇に隠れている。悪の中に真コトが隠れているのである。

すべてを捨てて闇に飛び込むことが、真コト思い出し、体験する唯一の方法である。真コトを手にしなければ、最後はすべてが闇となる。しかし、そのすべてはすべてではない。真コトを除いたすべてである。従って、「すべて」を失うことは絶対に無い。本当にすべてを失ったら、その一部である自分も失うから、失ったとは思わない。失ったと思う自分がいないからである。本当の意味で、何かを失う、ことはない。「無い」ものを「ある」と言えば、ウソの世界になる。そして、失い続けることになる。本当に、すべてを失った時、すべてを失っていないと気づく。真釣りならば死なないから、本当の神は助けない。自分で自分を助けることしかできない。自分を助けることがすべてを助ける事になり、神も助かるのである。世話をする者が1人でも減れば、楽になる。自分で家出して、親に助けを請う。本当の親孝行をしたければ、自分のしたこと、自分の勘違いを早く直すことである。

真コトは一つである。今の世でいう善も悪も、本当の善でも悪でもない。どちらもウソである。善を奉るのも、悪を批判するのも同じことである。神を信仰するのも冒涜するのも同じことである。魔釣りの世のご利益を求める自分本位の信仰心が戦いを作る。神も悪魔も、崇めているものは同じである。形が違うだけである。自らの神を偽物だと言われて怒るのは、自分の神を冒涜されたからではない。魔釣りの世での自分の命綱を切られたからである。自らに都合がよい神を作った自分という神を殺されると思っているからである。外の神はダシに使われただけである。今の世は、自分の外に権威をつくってそれを武器に脅しあっている世界である。本当の自分を殺しているのは、魔釣りに囚われた自分自身である。殺し合うのは勝手であるが、その世界から抜ける方法はただの一つである。善も悪も、生き返る方法は同じである。善にも悪にも機会を与えるのが本当の神である。本当の神は、悪を殺すことはしない。本当の神は何も奪ってはいない。何かを奪う者は、最後に自分を殺す。真の神の世にバチなどない。処刑も、懲らしめもない。有るという見方をしているのは自分である。自分が自分を生かすために他人を殺すならば、それは、その響きを持っている自分を殺す事である。すべては自分のためである。他人を生かすのも、他人を殺すのも、他人を世話するのも、他人から奪うのも、すべて、自分を生かすためである。
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自分のためにすべてをしている、そのことを完全に認めることである。すがっているのも、甘えているのも、批判しているのも、自分のためである。加害者も被害者も、強者も弱者も、自分のための都合のよい側で、奪い合っているだけである。善人も悪人もない。どちらも死人である。生き返りたいならば、自分を生かす事である。仮面をつけた弱者、仮面を付けた善人をやめる事である。それをしている他人を無視することである。あなたに罪悪感を植え付けたのは、自分が何かに影響を与えられると思い込んでいた自分である。表の裏は裏、裏の裏は表。真コトを殺したものを殺し、天国を壊したものを壊すと、元に戻るのである。今この瞬間が、自分が生きるか死ぬかの最後の決断の機会である。自分の永遠の命がかかっている。それでも、善人をやるか、可哀想な人をやるか、今の命か、永遠の世に生きる命か、どちらかを選べ、と言われたら、答えは一つのはずである。永遠の生死の分かれ道。ここでマ違ったらもう後がない。どっちをとるかの踏絵である。ウソは自分を殺す。答えは一つだけ。それを手にしなければ永遠の滅びとなる。さて、どうするか。

善と悪がそれぞれ絶対的善、絶対的悪、ならば、『善悪はない』ことになる。なぜなら、絶対的なものには、対立、矛盾がないからである。絶対の世界に裁き合いはない。善と悪の裁き合いができるのは、お互いに、自分が善、相手が悪、と思っているからである。善は悪ともいえるし、悪は善ともいえる。つまり、善=悪、である。A=Bである。自らの保身に精一杯で、善の世界と悪の世界が同居し、お互いに反対の意味付けをしていることに気づかない。絶対善と絶対悪の世界は、善の世界であり、悪の世界ともいえる。ただ、相反するように見える、どっちで自分が生きているかの違いで、他が他を殺す関係の世界があるだけである。それを善、悪、とそれぞれが主張しているに過ぎない。その二つの世界は、もともと一つの世界を二つの見方で見ているだけである。二重規範がある世界である。どっちも善でも悪でもない。分離思考そのものが、戦いの基である。悪を作り出す基である。相手を悪に仕立て上げる基である。つまり、お互いに、悪の源は自分にある。自分にあるものを他人にあると思っているのは共通であるから、結局、自分も他人も悪かった、となる。二つの対立世界が並立して一つの道具を共有しているならば、その世界は奪い合いになる。基は一つである。道具も一つである。どちらにでも使える。自分にとって善にも悪にもできる。包丁は、料理にも殺人にも使える。対立しているのは、自分同士であって、それを直さない限り、一つになる事はない。本当は『善悪はない』のである。自分が二つに分ける眼鏡をかけたことがすべての対立の始まりである。お互いにそれを認めて、めがねを外せば、幻想から抜けられる。3Dの映画は、眼鏡を外せば、現実の世界に戻る。生き延びても滅びても、それは分裂した世界の中のお伽話に過ぎない。
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生き延びるか滅びるか、どちらの形を作るか、の違いであり、自分という存在そのものは滅びてはいない。相手も滅びていない。源は一つだから、自分も相手も全く同じ仕組みの中にいる。どっちが悪か、と言っているお互いが悪であり、言い換えれば、自分が悪の根源だということになる。つまり、自傷行為をしているのに、誰かを傷つけている、誰かに傷つけられていると錯覚しているだけなのである。誰かを殺していると思っているが、実際に殺しているのは自分である。自分が自分を生かせばよい。裁くのをやめればよい。自分以外が何をしていようと、それは自分には関係ない。自分が裁いていれば、相手が裁いていようがいなかろうが、関係ない。自分が何をしているか、である。誰かを裁くのも、誰かを助けるのも、結局は、自分の状況を変えるためである。アメもムチも結局は、同じである。神につこうが悪魔につこうが、結局は、誰かについている事には変わりはない。あなたは、自分がもたれかかっているものによって相応の現実を体験する。その現実があなたを滅するものであれば、それは、自分を滅するものにもたれかかったあなたの責任である。自分以外に責任は無い。自分がもたれかかったものを責めても何の解決にもならない。もたれかかるものをあなたが変えればよい。あなたを生かす存在は自分しかない。

盗もうが与えようが、それは、自分のものではない。誰かのものでもない。泥棒したものを泥棒しあっているのであり、泥棒したものを与え合っているだけに過ぎない。施しをうけたとしても、泥棒の分け前にすがって生きていることに変わりはなく、それは、さらに泥棒したのと同じことである。泥棒するのも、施しを期待するのも、同じである。実行するかしないかは関係ない。その思考、思いがあれば、同じことである。思考が行動となり、形となる。従って、その思考があるかないか、が問題なのである。それがなくならない限り、清算したことにはならず、生産していることにはならない。借りていると言っても、返さないならば、それは泥棒である。返す意志があっても、先延ばしにすれば、同じことである。返す意志を誤魔化しなく実行して初めて清算していることになるのである。生産力を回復しているのである。他人にフリをしても、自分を誤魔化していれば、自分が、誤魔化していることを知っていれば、それは返していることにはならない。返さないならば、取り続けていることを意味する。奪ったものを返さない限り、どんどん泥棒したものが増えるだけで、清算が大変になるだけである。お金や物を返す、返さない、ではない。泥棒思考で奪ったもの、泥棒の響きをすべて返すのである。自分が生きた分、死ぬのである。しかし、それは死ぬのではなく、奪った衣を脱ぐだけである。それを死と勘違いすれば、ますます衣は重くなる。最後は自分が泥棒したもので圧死することになる。死んだら生き返る、生き延びたら本当に死ぬ。真実は全くアベコベなのである。この世もあの世も同じ仕組みであるから、この清算は死んでも続く。どこにも逃げられない。泥棒の響き、魔釣りの響きを持っているほど、分裂しているほど、真釣り戻しの最後の一括清算は痛い。
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他人や自然や社会をどうするか、ではなく、自分をどうするかである。自分がどうなるか、である。自業自得であるから、自分でよく考えて決めればよい。どんな体験をしようとも、誰のせいでもない。すべては、自分の取り違い、自分が自分の都合でいい加減に生きてきたツケである。ツケを払わなければ、清算ではない。すべて自分が自分にしたことである。

自分が自分の生死を決める。滅ぶも生きるもあなたの勝手である。神も自然もあなたがどうしようと影響はない。すべてが掟通りになるだけである。あなたがどういう選択をしようとあなたの勝手ではあるが、大神は、武士の情けで、あなたが意識的に自覚して決められるように、あなたが進退を決める機会を与えたに過ぎない。「情けと花の仕組み」は、魔釣りに囚われなければ発動しなかった仕組みである。あなたが魔釣り(快欲)に囚われたことが情けと花の輪廻転生の堂々巡りに陥った唯一の理由である。使うも使わないもあなた次第である。そして、その結果は、あなただけが負う。誰かのためでも、神のためでもない。誰かを殺しても、神を殺しても、あなたは生き延びることはできない。二極分裂の世界を包含する、一つ大きな世界でのルール違反を清算するかしないか、が問題なのである。真釣りに戻るか戻らないか、それが、今のあなたの行うべきただ一つの課題である。

覇権争い、シェア争奪戦、大きな賭け、外交カード、ギャンブル、リスク、交渉戦術、水の奪い合い、限りあるものの奪い合い。この世にある自らの投影の表現を見れば、自らがどんな世界にいるのかわかる。咲き誇る、咲き乱れる、水面下の交渉、暗礁に乗り上げる、舵を切る、背水の陣、水の泡と消える、バブル経済、冷や水を浴びせる、浮上する、リーダーシップ、フレンドシップ、順風満帆、宇宙船地球号、日本丸、国の針路、潮目に乗る、流れに乗る、流れを読む、世界の潮流、水の惑星地球、波に乗る、犯人を泳がせる、情けに流される。国際交流、+と-が入れ替わるのが交流電流であり、上下の主導権争いの繰り返しで光を発している型示し。スターになる、希望の星、赤白青、自由平等博愛、星と月の国旗が、世界の争いの主役。星の旗の国の勢力争い。人類の起源は猿だという。自然から文明に移ることを進歩発展だと言う。ケモノは闇と火を怖がる。人類は火を使えるようになった。道具を使えるようになった。言葉を使えるようになった。文字を発明した。百獣の王ライオン(獅子)像を万物の霊長がシンボルにするケモノの身魂の支配。二足歩行の人間の裏の響きは四つ足の肉食(形を食べる霊、体主心従霊属、魔釣り)の響きである。
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石の油(火の基)を握った者、希少鉱石(お金の基)の採掘権、見えない力(原子力)の科学、を握ったものがこの世を牛耳れる。火を支配した者が水を消せる。宝の石をお金に変える仕組みを作る。石の文化、石頭は頑丈だが再建、改心に時を要する。紫外線、放射能、細菌兵器、化学兵器、見えないもの、わからないものを怖がる。学力、競争力、経済力、国力、権力、選挙戦、戦いの火蓋、烈火の如く怒る、爆弾発言、集中砲火を浴びせる、生贄にする、見せしめにする、揚げ足をとる、足を引っ張る、政権奪取、戦略会議、経営戦略、プロパガンダ、主導権争い、落とし穴、ターゲット、勝利の女神、先陣を切る、法の網をかける、包囲網、のろしを上げる、操作、円を売ってドルを買う、会社を買収する、国を売り渡す、必要な者に貸さない、仮面を剥がす、墓穴を掘る、葬る、沈める、暗雲が立ち込める、勝てば官軍負ければ賊、人材派遣、奴隷貿易、所有権、主権、特権、特許、火を使って水を消す。美しい慈悲、助け合いを語る裏で、泥沼の世界が展開される。

金が世を支える、水が水の神になる。美しいものには棘があるが虜になる、魅せられる。ゲット(奪取)はゲットー(強制収容所)、ローン(金融)はロン(上がり、論、龍=蛇の破滅)、ドル(経済)はドール(人形)、フリー(自由)はフリ(不利、振り、茶番、仮面、マヤカシ)、マネー(お金)はマネ(真似、神の世の物まね)、レース(競争、レース網)はレス(失う、無くなる)、外来語の―の加除をすると、裏の意味、その正体が見える。

目が点になる(Фが⦿になると動けない)、目から鱗が落ちる、目が覚める、市民団体、消費者団体、動物愛護団体、団子になって圧力をかける。臓器移植、献血、献金、寄付、賄賂、国益、利益誘導、保身を基の効率的略奪システム。火の用心、防火壁、電気、太陽光発電、燃料電池、目の前から火を消す。天下を取る、蛇の睨み合い、長いものには巻かれろ、蛇足、竜頭蛇尾、八叉の大蛇、蛇行、長蛇の列、やぶ蛇、邪道、脱皮する、知恵を鵜呑み丸呑みする平面の蛇の世。手足のない二枚舌。毒蛇の毒牙。頭を上げて威嚇するコブラは空を飛べない。手足のある蛇=蜥蜴のしっぽ切り。頭が残っても蛇は蛇。頭を潰さなければ、林檎の毒は消えない。甲羅に隠れる亀、隠れられないスッポンは噛み付く。亀のピラミッド。親亀の上の子ガメは親亀コケたら皆コケる。竜宮城は水の中、亀に乗った裏死魔太郎。開けるなと言われた玉手箱、欲に駆られて蓋を開けたら、不老長寿は幻となる。

臭いものに蓋、ゴミの分別、衛生管理、下水道、汚物処理、口から綺麗な食べ物を入れて、栄養だけをゲットし、ウンコとオシッコは食べない。要るものだけを食らう。処理不能な不要物、自分のケツ(決)を他人に拭かせる。九尾の狐、掛け算九九、七つの海、虹の七色、七癖、七草、七つ道具、荒野の七人、北斗七星、七曜、初七日、七×七=四十九日法要、七×四=二十八宿、(七+刀=切、切って開く=八九、八く、吐く、掃く、柏、白=無実)、五体、五感、五大陸、五色人種、五葉(御用)の松、三種の神器、三位一体、三部作、三権分立、三国同盟、三階建(ホップ、ステップ、ジャンプ)、三度目の正直、三千世界、三次元、上中下、序破急、序論本論結論、珊瑚十五鳴る。縦三×横三の九御座マ方陣は、左上から右下に一二三四五六七八九。七五三、×の縦/の五±二(真中±心)。表に一から九と陰に外枠の口=0と十。11数字、表と裏で22、不二、父子、不死、富士の神。縦横斜めの加減はそれぞれ十五、横の二五八と縦の四五六の十の中心の五は神の真中。プッシュホンのボタンは下の並びに※0♯、0を拝した左上から横に123456789、ヒダリ90度に回せば、ヒノモト九御座と上下逆さま、鏡の配置。五はイツ(何時)でも真ん中で動かない。西洋数字は0123456789の10数字。十は10で分裂。小数点の前後に無限に広がる、際限のない奪い合い。+、-。正、負。整数、分数、少数。実数、虚数。真中の天で別離(別理)。中心のない○は中心二つの楕円の競争。0に・を入れて⦿。真中がすべての世界を統べる。現代社会の基の真中に座すのはヤマタノオロチである。真中に居座る大蛇が平面の八方世界、三千世界に睨みを効かしている。真中に居座るヤマタノオロチを退治するヤマトタケルは、真釣りの神剣の響きを手にしたあなた自身である。
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今でいう「武士道」は、魔釣りの戦いの中での処世術である。取り違いをしたままでそれを復活させてもますます魔釣りが進むだけである。現代社会は、便利、安心、安全、快適、快感、快楽、清潔、衛生的、健康的、平和、自由、博愛、平等、公平、やすらぎ、癒し、優しさ、思いやり、美形、夢、希望、期待、愛の手、祝福、天使、繁栄、成長、進化、進歩、つまり、快欲を追い求めた結果の社会である。逆さまの世の水の形で美醜を判断すれば、罠に落ちる。永遠に取り返しのつかないことになる。元の天国は、すべてが一つになった世界だったが、真釣りを外した結果、快欲に囚われたことが、二極分裂の光と闇の戦い、機械文明で天国を目指し平面の世界しか動けなくなった今世のすべての始まりである。

「イシヤの仕組み」というのは、水の形の世界で、真釣りを外した者たちを罠に嵌めて、自らで思考できず、欲望のままに生きるケモノにして、アメとムチで支配する偽の天国に導く仕組みである。真釣りを外さなければ発動しなかった仕組みであり、快欲に囚われた者たちを真釣りに戻すために構えた仕組みである。今の日本がどんな社会になっているかシッカリと目を見開いて見ることである。快欲に囚われれば、自らで離れることはできず、末は滅びに至るから、元つ大神が岩戸を閉めて、真釣りを外した者に情け(苦)を渡してそれを知らせる仕組みである。あなたが、快欲に囚われなければ、悪を外に出すことはなかった、つまり、破滅の道はなかったということである。快欲を追いかけるほど身魂が曇り、形の裏にある闇が増幅する。すべては、真釣り外した自らが招いた結果であり、真釣り戻さなければ、イシヤの仕組み諸共、滅びる末路となる。イシヤの仕組みを導く知恵の蛇の神も、その神に囚われたこの世の黒幕も、自らが滅びることを知らず、自らだけは囚われていない、と思っている。支配を企む自らも含めたすべてが滅びるのである。これが、真釣りと魔釣りの因縁の秘密である。「自らを含めたすべて」というのが鍵である。
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今世は、揺りかごから墓場まで、あの世からこの世まで、神から人まで魔釣りのイシヤの張った蜘蛛の巣の中。インターネットのWWWは、世界に広がる蜘蛛の巣の意。すべてをIT化すれば、すべての個人情報、生活情報、国家情報を一元管理できる。すべてを監視する超スーパーコンピューターを中心に据えれば、世界支配は容易。現界に現われた世界統一のシナリオ。国境無き国際社会。情報検索、情報発信が自由になった、電脳仮想国際社会は、霊界の型示し。蜘蛛の巣の中心はイシヤの黒幕。IT情報社会を推進する日本。アタマの知恵のエリートが考え出したインターネットシステム。電脳支配網が何を意味するのか。蜘蛛は八本足。自ら産み出せず、罠で餌を待つ。粘液糸を辿って蜘蛛の座を奪おうとする意図(糸)を持つ獲物は蜘蛛の糸(意図)に絡まって動けなくなる。蜘蛛は自らは自由に動けるが、網がなければ獲物は取れず、網の中心で自縄自縛。コンピューターが不可欠の社会に自ら命を預けるその行く末に、何が待っているのか。八方世界の網の中心で待つイシヤの王の目をすり抜ける方法は真釣り戻し(真コト)以外にない。自らを救うためには、自らで真釣りに戻るしか術はない。網を張った、罠を仕掛けた王自身が、その網にかかり、罠にはまっていることに気づいていない。元の真釣りの真コトの大神が、三千世界を真釣りに戻せば、電脳世界のイシヤの仮想神国(魔釣りの響き)は一網打尽となる。

蜘蛛の巣は、獲物を捕獲する網である。その網元は、元つ大神である。元つ大神【知恵の蛇の神{宗教の神〔イシヤの黒幕(世界の王と庶民、奴隷=親と子=大人と子供=債権者と債務者=娑婆と刑務所=政府と国民=社会と学校=現実と仮想現実)〕}】=アの世【コの世{あの世〔この世(親の世と子の世=自由と制限)〕}】の入れ子の箱の仕組み。アの世がなければ、すべてない。元つ大神のアの世に戻ることだけが永遠の命を取り戻す唯一の道。

元々は、すべての地に先住民がいた。現代社会は、真釣りを見失った蛇の知恵の神から始まる、何千年にも渡る宗教、思想、民族、文化、経済の覇権(主権、支配権)争いの侵略合戦の結果引かれた地図の上での戦争ゲームの中である。その正体は、魔釣りの悪神が裏の世を統べる、宗教と思想と民族の混血の限りを尽くした人類の、金を神とする文明先進国が覇権争いを続ける、戦うほど戦いが激しくなる破滅への途上にある汚泥混濁の世界である。魔釣りの人類史の現代社会の親(リーダー、神)は、007の諜報大国、魔法学校の物語、冥王の指輪を捨てる物語、サッカー、ビートルズ、ゴルフ、テニス等々大衆文化の発祥(大衆に渡すアメを創る)国、魔法と妖精の国、剣の騎士道の国、魔釣りの王権神授説を後盾にする王室の貴族の国、紳士の国、×が裏に隠れた+と赤白青の国旗を持つ薔薇(バラ)が国花の七つの海を支配した元の大英帝国である英国(実体は連合王国であり、「イギリス」という国はない)をその宗主国とする肉食の家禽類の白頭鷲が国鳥であり、元は合州国である、闇(病み)の世界で星(性、欲し)の国を束ねる、金と軍事と科学の支配者である米国である。なぜ米国が金融と映画とインターネットとマスコミと科学と移民の大国なのか。なぜ多国籍、多宗教国家なのか。なぜ米国が最大の知と力を持つのか。民主化を扇動する国の大統領がなぜ神のご加護を願うのか。なぜ六亡星の国旗のイスラエルを応援するのか。なぜ独裁者や共産主義を潰そうとするのか。米国の大統領が祝福を請う神が世の黒幕、裏の王の正体である。お札も映画もインターネットも、ただの道具ではない。すべてに世界を統べる黒幕の企みが隠されている。世界経済を支配する1ドル札にすべてのメッセージが込められている。例えば、ピラミッドの頂点の「すべてを見通す目」は魔釣りの魔眼、中央には『神の下に我らは一つ(ONE)になる』とある。電子マネー+クレジットカード+インターネット=大衆の全個人情報の完全把握。これが何を意味しているのかお分かりだろうか。完全に曇った大衆はそれに気づかず、相変わらずお金に命を預け、利便と快楽を追いかけている。『教えたのに気づかないのは大衆が馬鹿だからだ。自分で罠に嵌まったのだから、何をされても自業自得だ』というのが黒幕の最後の言葉である。その時、大衆は虫けら同然となる。世界征服の企みを成就させるために。だからと言って、陰謀を暴いて潰そうと画策しても、意味がない。その反応自体も計画の内である。その行為をするならば、まんまと罠の罠に嵌まった証であり、今だ魔釣りの網の中である。表の歴史の世界征服の野望は潰えたが、裏の世界では今も着々と統一計画が進行している。霊的盲目にされ、完全に魔釣りの虜になった大衆は、自らの奴隷化計画に気づいていない。
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英国のルーツは、ベネチアの商人であり、もっと辿れば、エホバの神に行き着く。ユダヤのハタラキの現われ、魔釣りの世の表の総帥なのである。魔釣りの仕組みの源流は蛇の知の神である。今でも「大英帝国」は健在であり、現代社会の裏で、その陰の力は息づいている。英語と経済と民主思想を植え付けられた元の植民地を見てみればよい。独立は果たしたが、今も自国の文化に根付いた大英帝国の呪縛の中にいる。米国は多民族国家、すなわち、現代社会の雛型となっている。その雛型を治める王が大統領である。米国の州は欧州の国に当り、EUと米国は同格である。日米欧三極委員会というものがあるが、小国日本が入っているのは、世界の三極として重要視されているわけではなく、統合計画推進のために日本を監視するのが目的である。裏を返せば、有史以来、神道の皇室が続く日本は、王室の血統を重視する欧州にとって、謎であり、脅威でもある。ましてや、大統領の権力が唯一の国家統一の支えである米国はなおさらである。現代経済社会の裏の響きは、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の三つ巴の聖戦である。魔釣りの罠にまんまと嵌まり、真中の親神をなきものにした親国ヒノモトは、子の世の混乱の元凶と化している。天皇を象徴(お飾り)と為し、世界統一どころか、世界破滅の運命の、文明の進歩発展に貢献する国家元首が消えた宗教なき孤立国家。金と科学の教育で、神のカの字もなくなった日本国。魔釣りの神の思惑どころか、裏の世界政府の企みにすら気づかず、国連と米国の顔色を見ながら、生き残りを賭けて国際貢献、経済発展、IT国家を推進する日本政府。その政府の政策に勇んで従う国民。経済とITと慈善に命を捧げ、現代社会の裏のカラクリにすら気づいていない一般庶民は、『そんな悪魔のような考えは妄想だ』と鼻であしらって、何の疑いもなく快適生活を追い求める。経済統合、政治統合、国家統合、その仕上げが「世界統一」である。総大統領は果たして誰であろうか。ただし、それが成就すれば、の話だが。
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世界は欧米の覇権争いであり、そこに中東イスラムと華僑中国が絡む。文明世界の独裁者を王とする米国が攻撃した独裁者が支配していたイラクは、シュメール文明の末裔であり、言わば、米国のルーツである。これは魔釣りが真釣りを、子が親を支配しようとする企みの型示しである。米国が日本を思想的、経済的、軍事的に殺そうと企んでいるならば、それは全く同じことを意味する。文明世界に見えていない裏の世界の動きが型に現われる。現象に裏の動きが暗示される。今の世界がどんな世界なのかは、型示しを見ればわかる。

形に現われた人類の戦争の実体は神と神の覇権争いであり、エホバとアッラーの聖戦は相討ちするまで終わることはない。このままいけば、人類滅亡である。しかし、戦いを終わらせる元の大神が現われれば、すべてが元の天国に戻る。人類の争いは、真釣りを知らない神同士の戦いであり、元の神の霊統である真釣りを知らせる御役の国がその神を闇に葬っていれば、世界の破滅は必至となる。人類史は、子が親を殺す滅亡への歴史なのである。

米国のポチと言われて久しい日本は、正神真神の栄養(真コト)を運んで体(三千世界)を生かす腹の御役、真コトの胎児を宿す胎の国、すべての基である肚の国、神風精神の国、忠義礼節の国、刀の武士道の国、スメラギの皇室の皇族の国、⦿の国旗の、真釣りのハラの御役なのである。最後の国産の朱鷺(時、解き、十気)キン(金、禁)=金・時が死んだからと、混血の朱鷺を残せば絶滅を避けられたと思うその心が、形の魔釣りの罠に嵌まって曇った型示し。それが中国産の朱鷺であることが、日本の歩んできた歴史の象徴である。ちなみに、京都は陰陽道で作った、日本の歴史の響都であり、宇治に左右対称の平等院鳳凰堂がある。十円の絵柄であり、平等な二極対立の矛盾の世で、仏の極楽浄土を表現した法皇の栄華の象徴。不死鳥の鳳凰が闇に葬られ、法王がキリスト教世界のお飾りの王としてバチカンに座る現代社会は、自由平等博愛のキリスト精神を唱えながら悲惨な戦争を繰り返す世界である。宇治金時は、アメとムチ、甘渋が一体となった、粒あんと抹茶のアイスである。アイスは火が立てば水になって形がなくなる。日本人一人一人が清水の舞台から飛び降りる覚悟で、すべてを捨てて、時空生死を超えた真釣りに生きれば、世界は蘇る。

日本人を拉致した北朝鮮は、金正日が独裁する「民主主義人民共和国」である。古代日本は朝鮮(挑戦)半島から仏教や文化を輸入した。言い換えると、魔釣りの響きの渡来人を招き入れた。真釣りの響きを奪った(拉致した)「朝鮮」から「拉致被害者」を取り戻した。中国や朝鮮が大日本帝国に蹂躙された。靖国参拝を非難する中国の地から仏教の僧が渡り、密教を広め、真釣りを封印し、神民を蹂躙した。物部と蘇我の戦は神道と仏教の覇権争い。言い換えれば、仏教の侵略に対する神道の防衛戦。法隆寺建立の「聖」徳太子はキリスト教の信者(隠れキリシタン)であり、名を「厩戸」御子という。イエスは馬小屋で生まれた。十七条憲法の第一条『和(統一)を以って尊しと為す』は、世界統一の思想の尊重であり、冠位十二階は、能力主義の支配ピラミッドの仕組みである。形だけの世界統一は、魔釣りの身欲の悪神の世界制覇を意味し、真釣りの復活で消滅する。お友達の仲良し思想に曇った日本人は、今の世ではありもしない「平和なニコニコ天国」の思想と取り違え、未だに崇拝している。仏教やキリスト教どころか、神道すら魔釣りである。日本国のシステムのルーツである大化の改新からの仕組みを完成させた現代日本の行く末は、果たしてどこに行き着くのか。法隆寺の東院伽藍は聖徳太子の理想、仏教の言う弥勒世の型示しであり、八角形の夢殿(八方世界)の秘仏は「救世」観音である。隠れキリシタンの皇太子が建立した世界太古の木造建築である法隆寺は現代日本の鏡である。飛鳥時代から神仏戦争をしている日本。神仏習合、神仏分離、神道指令、国家神道の解体、政教分離、公立学校の宗教教育禁止、小学校で英語、IT、福祉、ボランティア、環境教育、男女平等、友好親善。魔釣りの天孫に国を売り渡し、仏でホドケ、イシヤの設計図で国作りに励んだ瓢箪島が漂流して辿り着いた現代日本は、汚泥混濁の混沌、金と電脳の支配する科学で作る淀んだ泥沼に浮かぶ死魔国、「悪し腹」の中の国となった。天が下の「葦原」の中つ国を治すのはスサノオ尊。真釣りの立て直しの総帥、カムスサナル大神は、魔釣りの蛇には恐ろしい鬼門の神として復活。魔釣り世のマヤカシの歴史上の形示しであるが、参考までに。
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ヒノモトは、地球世界の中で神気の出づるただ一つの国である。元つ火、出づる国である。火の基である。その国がアヤマ知で曇り、魔コトで穢れ、魔釣りを信奉して神の道を捨て、十や卍や☯を信仰し、進歩発展の文明の金の道を邁進することがいったい何を意味するのか。ハラの曇りをすべて祓わなければ世は滅ぶ。それが元つ真釣りの神仕組みなのである。ヒノモトの民が真コトに目覚め、アヤマ知を捨てて、魔釣りの穢れの曇りを祓って、濁点(汚点)のないバラと武士道、「ハラの正(生、誠)花」と「不死(父子)道」を復活することが、真釣りで魔釣り世を(正竜が邪竜を)導くことが、すべての過ちを正す唯一の術、魔釣りの世を止めて世界を救うただ一つの道である。本当の意味で世界のために貢献したいなら、国際貢献に現を抜かす前に、ヒノモトに生まれたあなた自身が真コトに戻ることが先である。逆さまの今の日本人に荒唐無稽に見えることこそ真実なのである。

現代社会の日本は、魔釣りで穢れに穢れきって、いわゆる伝統の日本や神道、天皇すらも捨て去って、脳と金、知恵と悪神が支配する魔釣りの奴隷と化している。今の日本にある、どんな思想、哲学、宗教、技術を持ってしても本当の再生はできない。奴隷の中の再生が関の山で、結局は裏の冥王の支配からは逃れられない。もがけばもがくほど首が締まる罠に嵌まって、絶対に自由になることはない「強制収容所」に自ら入ってしまったのである。ゲットーの中で「ゲット」思考で生きれば、最後は自らの永遠の死をゲットすることになる。これは、悪ふざけでも、洒落でもない。真コトの真実を伝える型示しである。面白がっているなら、それは身の破滅を意味する。自らがどんな世界にいるのか、今まで何をしていたのか、眼を見開いてよく見て欲しい。そして、どうすればよいのかを真剣に考えることである。ここで踏み誤ればもう後がない、二度とやり直しが効かない、逃げられない、生死時空神人を超えた究極の選択、自分で自分の永遠の運命を決める最後の踏絵である。
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最初で最後の唯一の機会、あなたの本当の試練の場、それは、あなたがあなたに与えた試練である。あなたがもっと早く清算していたら、もっと軽かったし、違反していなかったらなら、試練はなかったのである。『怖い、認めない、許せない』と思うのが違反の証しである。口に出すか出さないかは関係ない。自分がそう思っているなら、違反を自覚したことになる。すべては、あなた自身が知っていることである。フリをしても意味がないどころか、ますます違反が重くなるだけである。自分が自分に誤魔化しをもっていれば、それで終りである。清算の機会を永遠に失う。『自分は悪くない、自分はそんなことは思っていない』と言うことが思っている証しである。この台詞から、「自分が悪であること」「そんなこと」を否定しているのは明白な事実である。あなたの内に否定するものが存在していれば、あなたは分裂思考を持っていることになる。分裂した片方を避けている。すべてを知っている者は否定する必要はない。違反がないからである。自分の中にその言葉がないからである。ないものは否定できない。否定するなら、それはある。否定は、存在する証明である。

すべてを許している者には「許せないもの」は一つもない。大神が悪を許しているから裁けるのである。大神が「悪」を許しているのは、真釣り外した者に自らの内にある悪に気づかせるためである。悪は自ら滅ぶ。大神が何もしなければ、自ら消える仕組みである。大神は、真釣り外した我が子に真釣り戻す機会を与えるために、真釣り外せば不都合が現われる鏡の世界を作った。その彼我身の世界の苦(悪)は、悪に気づかせるための悪であるから、それは罰ではなく、滅びから救うための情けである。今のあなたは、大神の情けがなければ、ミロクに戻れない。大神が許している悪をあなたが『許さない』と言うなら、それは『悪人はミロクには行かせない』と言ったことになる。大神が許している者を人間が許さないとすれば、許さないと言った者自身が大神のしたことを裁いていることになる。大神がしないことを人間がしていることになる。つまり、あなたの言う「悪」は悪ではなく、本当の悪人は、大神の情けを悪として排除しようとしている側である。大神が用意した「悪人のためのミロク道」を邪魔することであり、善人は天国、悪人は地獄というアヤマ知の宗教の信者の証でもある。それは、大神の誠意を踏みにじる以外の何ものでもない。

この世には、今のあなたから見てどんなに許しがたいことであるとしても、大神の許しなくして存在するものは一つも存在しない。従って、この世にあるすべてのものを許さない限り、大神への反逆となる。それが、真釣りを外している証であり、悪は許さないが、悪を裁く自らは許しているということになる。『悪を裁くことは当然のことだ』と思い込んでいることになる。自らが悪でないこと(自らが善であること)を証明するために、悪を裁く(悪と呼ぶ行為をしている他人と自分は仲間ではないことを証明する)のである。しかし、それは、善悪の世界で言う「善」の証明に過ぎず、善悪がない世界では、善悪を作っている者は、善悪のない世界を分裂させる破壊者である。善の証明は魔釣りの証明でもある。大神は、大神が許していることを裁くことも許しているのである。大神は自らに反抗する者すら許しているのである。あなたがこのことが本当にわかったならば、裁くことも、愚痴を言うことも、できなくなるはずである。「悪」を裁く者こそ、その「悪」を産み出した源である。あなたが、本当の意味での悪を持っていれば、あなたにとってのミロクはない。
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自分が本当にやばいと思うなら、観念してきちんと清算しないと自分が本当に大変なことになる。自らのしていることを誤魔化したければいくらでも誤魔化せるが、それは、自分のためにならないことをしっかりとハラに据えておくことである。それでも誤魔化すならば、好きなだけやればよい。もし、マ違いをあくまでも否定するならば、それは図星だから否定するのであり、抵抗しても無駄である。これは脅しでも何でもない。これは事実である。手を上げて、万歳して、観念すれば99.9の悪人でも清算できる。いい加減ならば、99.9の善人も、滅ぶ。「100%」清算するかしないかである。この清算は、泥棒した分、厳しいのであるから、平等、公平である。機会は平等、清算は公平、自分が奪っただけ返せばよい。各自の清算の状態は、違反の度合である。形は不公平、不平等に見える。不公平だと言うのは、違反の証し。自業自得ということが本当にはわかっていない。たくさん違反しておいて、少しの苦労で天国を得ようとしている、泥棒の極みである。

思いの一部でも叶えば、と言うのは詭弁である。それこそ、楽して天国を得ようとしている欲の塊の証し。盗んだものを一つでも持っているならば、天国へは入れない。最後の関門、関所は、すべての垢を落して真釣り鳴った魂しか通れない針の穴である。持っていても通れるのではないか、といい加減な期待をし、もし通れるならラッキーと思っていれば、それが自分への引導となるのである。自分がしたことをすべて正直に認め、観念して清算している者はそんなことは考えもしない。とにかくやる続けることが精一杯であり、余計な画策などしている暇はないのである。自分が永遠に生きるか滅びるかの究極の最後の機会である。本当に真実かどうか、と考える暇もないはずである。今のままでもどんどん闇が増し、清算の道も闇に見える。どっちにしても闇であるなら迷うことはない。甘いアメはすべて罠。本当の天国への道は苦労辛抱のみである。自らの苦が自らの違反の証しである。何と言おうとも、苦のある現実が違反の証しなのである。あなたは、今の今まで、それだけの違反をし続けて来たのだから、そのことを正直に認めることが、清算の道に入る第一歩である。甘い気持ちは身の破滅であることを自分によく言い聞かせて、自分の本当の命を救うことである。自分が自分を生かすか殺すか。すべては自分次第なのである。
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あなた一人だけでも助かれば、大神は大喜びなのである。自らがどんな仕打ちを受けようとも、真コトの真実を、1人でも分かってくれればそれだけで大喜びの、あなたを本当に救うため、我が子を真釣りに戻すために艱難辛苦の苦労で支えてきた大神様である。自分が違反したことで「親」に苦労をかけたことをお詫びして、本当に心底改心して、天国に戻ることが、本当の意味での神への感謝の印である。大神様のしてきた苦労の万分の一の苦労をガタガタ言っているならば、あなたにはもう天国はない。苦しいから改心する、では本当の改心ではない。誤魔化しは自分の破滅である。神にフリをしても意味がない。したければさせるが、できるからと言ってそれが正しいわけではない。何が真コトなのかわかったら、もう、そんな小細工はこんりんざいできなくなる。本当に神を信頼するならば、態度で示すことである。誤魔化しは一切通用しない。真コトなき者は通らない。言い訳や弱音を吐くのは勝手だが、それは自分の滅びを進めるだけである。自分が自分に厳しくすることが本当に本当の自分のためである。理屈はもう意味がない。御託を並べたり、他人や神に言い訳や説明をしたり、誰かや神を恨んだりしている暇があったら、早く本当の清算を始めたほうがあなたのためである。自分が自分を生かすか殺すか、二つに一つ。自分のために自分を生かす、それが本当の天国への鍵である。あなたはただ、すでに持っている剣をハラを決めてつかうだけでよいのである。最も簡単であり、最も困難な決断である。

本来は公金も私金もない。すべてが公金であり、すべてが私金である。『税金は公金だから、税金の流用は許せない』と言うが、それは、自分のものを強制的に取られて自分が自由にならない、自分の私金を勝手に使うのは許せない、と言うことである。ずるい、と言うことである。借金も給料も、結局は、略奪の結果の金である。略奪したものを使って作った仕組みで生き残るために使う道具は、略奪したものである。自分では何も産み出せないのに「自分のもの」と言って奪い合っているのが略奪している証し。自分で産み出せる者は、自分のものを奪われたと主張する必要はない。泥棒を裁く理由もない。泥棒していないと言う者は泥棒である。自分も悪いが他人もやっている、と言うが、自分がやっているならそれを言う資格はない。もっと悪いことをしている、と悪の度合いの比較をしても、自分のしたことは消せない。消せないどころか、ますます、清算の激痛を増やすだけに過ぎない。

自給自足というのは、自分ですべてができることである。お金を稼ぐことではない。給料だろうと、借金だろうと、それはお金の世界で物を手にする道具でしかない。給料で買おうが、借金で買おうが、自然から採集しようが、それは問題ではない。金の世界でも、金が要らない世界でも、同じことができなければならない。自分の世話を自分でやる。頼んだら感謝しかない。自分の思い通りにしたければ、自分がやるしかない。自分でしたことは失敗でも文句は言えない。他人に頼んで、神に祈って任せていれば、文句が言える、いざとなったら文句を言えばよい、と思っているが、それは自分勝手の極みである。それをするなら、自分勝手の権化である。自分でできて当たり前、であり、自分でできなくなったのなら、お互いに文句は言えない。相手の期待通りにできなくても罪悪感はいらず、相手が期待通りにしてくれなくても文句は言えない。お互いにできて当たり前、やってもらうか、やってあげるか、である。お互い様である。衣食住、自分でできないなら、何をされても、何を食べさせられても、文句は言えず、自分でできるなら文句は言わないのである。知識も同じ。質問の答えも同じ。すべてが分かっていて当たり前、それが真実である。
P249
自分だけやればよいと言う者がなぜ人に教えるのか、と言う者は教えてもらわなければわからない者である。否定するものは存在する。つまり、始めから知っていたのである。教えてもらおうがもらわなかろうが、知っていたのである。知っていたものを自ら無視していたのであるから、知らなかった、もっと早く教えてくれたら、と言う資格はない。本当はアベコベだ、ということすらも教えてもらう必要がない。自分が否定していた方をやれば、自分で真実がわかったのであり、否定した方をやる、という選択もあったのである。しかし、否定しているがゆえに、それをしなかったということである。つまり、自分ですべてをわかったうえで、自分の意志で、すべてをやっていたのである。これを批判することが、その証拠である。あなたが今まで教わってきたことは、すべてアベコベである。否定していたものを否定するのをすべて止めなければ、元には戻れない。自分を魔釣りの世界で生かすがために、故意に知らん振りをしたのであるから、すべてが自分のせいである。

外にすがっているとすれば、あなたがいるところは、誰かによって作られた社会である。誰かが決めた決まりに従って、自らの存在価値が決まる世界である。違法行為とは、ある行為をされては困る者が、その世界で生き残るために、その「されては困る行為」を法律という力を使って封印した行為のことを言う。「違法行為」という行為自体は存在しない。

外に原因があると言う者は、すべて外のことを語る。しかし、結局、それは、自分にとってどうか、を語っているだけである。自分がどうなるか、という目ですべてを思考し、選択している。他人が気になるのは、他人を気にしているのは自分である。社会がどうなるかを気にするのは、自分が社会に左右されると思っているからである。自分がそれに依存しなければ生きられなくなってしまった結果である。そのままならば、自由は永遠にない。

なぜ日曜は休日なのか、暦はなぜ一週間サイクルなのか。その大元はどこにあるのか。当たり前のように繰り返しているものについてその起源を遡ってみれば、その「当たり前」が実は、強制でも何でもないことに気づく。それは、誰かが決めたもの、誰かがつくったものであり、あなたの都合に合わせて同意して使っていただけである。もしそれが強制に思えるなら、それはあなたがあなたを強制しているに過ぎない。あなたを縛っているのはあなた自身であり、暦や常識や社会に不平不満を言っても、それは、あなたの自分勝手というものである。あなたが、自分が自分に嵌めたその束縛を自由にすればよいのであって、それはあなた次第である。ある社会の構成員が、その社会のシステムに同意し続けている限り、そのシステムは続く。誰かに決めてもらったことをする方が、自分で考える必要もなく、楽に生きられるからである。しかし、それが自らを滅する仕組みであれば、楽が苦に転換する時が来る。その時になって騙されたことを知っても後の祭りである。現代社会は、自らも滅ぶことを知らない誰かによって仕組まれた世界であることを肝に銘じておくことである。その世界で楽を追い求めれば、それは自らの天国を放棄することを意味する。
P250
この世での「被害」は、元に戻すことも体験を返すこともできない。相応の返金をすることでしか補填しえない。賠償金をもらうことはできるが、心の傷、悲しみ、喪失感は消えない。消えないどころか、ますます深くなる。自分が作ったものは自分が消すしかない。誰かにされた、と思うこと、もっと遡れば、自分は何も悪くない、と思うことがすべての怒りの感情の基である。何も悪いことをしていない者がなぜ被害に遭うのか、生まれながらに平等な人間になぜ金持ちと貧乏人がいるのか、なぜ不公平が存在するのか。そもそも、その問いの前提自体が間違っている。略奪の世界では、金持ちと貧乏人が居なければその世界は成り立たない。+と-がゼロ、になるように全てが動く。誰がどの立場になるか、の違いであり、その形自体を無くすことはできない。善と悪があることが真理である世界では、戦争を無くすことはできない。誰かが誰かの憎しみを消すこともできない。善悪があると自分が思っているから善悪がある、のである。それに気づいて、自分が善悪を消さなければ善悪は消えない。全員がそれをしなければ、平和は実現しない。思想がシステムになっているのであるから、今の世界のシステムの維持をしようとしている限り、何も変わらない。思想を変えれば古いものは壊れる。新しい思想のシステムが生まれながら、古い思想のシステムが壊れていく。システム自体の形が変わるだけで、なくなるわけではない。古いシステムにしがみついている者は、自らの生存を保障していた古いシステムの崩壊を防ごうとして抵抗する。しかし、それは叶わない。略奪の世界でどんなに表面上のシステムを変えようとも、略奪の仕組み自体は変わらない。「私有財産」の喪失を避ける限り、全人類が平和になることはありえない。すべてある条件の範囲で成り立つルールである。

もともと一つのものを二つに分け、それを繰り返してバラバラにした結果が現代社会である。真釣り戻し、違反の清算というのは、それを元の一つに戻そうとしているだけである。神の世界から自分の体まで、すべてが自分の世界だったのであるが、それを分離したことがすべての困難、問題の始まりである。遠く離れたものを結ぶために交通機関ができ、電話ができ、テレビができ、全員が世界を共有できるようになった。これを進化、発展だと思っているが、それを可能にするには、機械の仲立ちが必要である。その機械を生産するためにはお金が必要である。文明が全て壊れたら、あなたの世界は、あなたが今いる、目で見える周囲だけになる。あなたが五感で感知できる世界の外の情報はなくなる。本当は、自分の居る周りだけがあれば、あなたは何も困らない。いつどこでも、あなたが自分の世界を思い通りに作れるからである。あなたが動くと世界も動くのである。あなたが自分で動かなければ、あなたは何も知ることはできなくなる。しかし、あなたの心の中は時空を超え、生死を超えている。空も飛べるし、生き返ることもできる。タイムトラベルも、宇宙を創造することもできる。その世界を現実として体験していたのが、あなたの元の世界である。その世界がすべて現実として五感で体感できたのが、この世の始めである。五感がすべて一つになったのが、あなたである。五感だけではなく、直感も、霊感も、すべてが一つの世界である。元の世界を分離し、できなくなった部分を機械を使って補填する。しかし、それは元の世界ではない。元の世界を知っているから、不自由にした分、文明を作り出し、ズレを埋めて、元の世界に近づこうとしているが、大きな間違いに気づいていない。あなたが壊したものを、あなた以外が考えた道具を使って元に戻す事は絶対にできない。不都合をいくら形でカバーをしても、中身はそのままである。それどころか、中身はどんどん壊れていく。自分で産み出す力がどんどん消えていく。自分の外のエネルギーや材料を使って誰かが考えた道具を使い続ける限り、それに依存し続ける限り、あなたはどんどんロボット化していく。あなたは、何かの命令なしでは何もできなくなる。あなたの脳はCPUと化し、あなたの体はコンピューターのハードウェアと化す。誰かにプログラムを入れてもらわなければ動けなくなり、その誰かの思い通りの世界を体験させられるだけになる。あなたは獣化していく。あなたはサバイバルゲームを体験する。その体験をしているあなたが本当のあなたそのものであり、あなた自身が誰かの言う通りに動くことを選んでいる。あなたが死を避けている限り、ウソは見破れない。あなたは自由をなくしていく。本当の天国には、あなたに命令する者はあなたしかいない。あなたが納得していないならば、その考えは、誰かの命令である。法律も道徳も常識もすべてが誰かの策略である。
P251
いつどこで誰がそれを始めたのか、それがウソなのか誠なのかわからなくても、今便利であれば、自分が危険にならなければ、後先考えず、あなたは鵜呑みにしてしまう。便利だから使う、しないといけないからする、それが、あなたが天国を捨てる道で使う台詞である。あなたに命令する者、あなたに干渉する者のその真意は、あなたをそうしなければ、自らの生存が危ういからである。自分の都合であなたを動かす、あなたの都合で誰かを動かす。思いやり、優しさ、あなたのため、というマヤカシの正体である。形の美しさに騙されないようにすることである。あなた以外の者が、あなたを利することはできない。天国は全員に不足はない。不足があるのは略奪の世界である。気づいているかどうかは別にして、そこであなたに優しくする者の仮面の裏は悪魔である。思いやりや依存の心を利用して、あなた自身の意思で出させる。その実態は、善の仮面を被った巧妙な略奪である。
P252
あなたは、自らの命を自ら泥棒に差し出していることになる。あなたがそれに気づかなければ、あなたはすべてを失う。可哀相な者はいない。施しという思想もおかしい。奪ったものを返しても、それは当たり前のことである。略奪の世界で有り余っているのはおかしい。今の世で、自分の生存を保証しておいて誰かを生かせるならば、それは奪ったものである。形がどんなに美しく見えようと、合法的に見えようと、その実体は略奪の思想である。天国では施しは不要である。必要性はない。意味がない。本当の天国には、合法も違法もない。合法しかないから、合法だとわざわざ主張するのは、本当の天国ではない証しである。違法を責めるのはその裏返しの行動である。自分の正しさの証明に他人の間違いを指摘する。それ自体が善悪の思想に基づくものであり、分裂思考、責任転嫁は明らかである。恨み、妬み、嫉妬、不平不満を言う言わない、行動するしない、その大小、優劣は関係ない。略奪の思考、略奪の響きそれ自体が間違っているのである。他人を裁ける者は誰もいないはずである。本当にわかったら、恐ろしくて、不平不満の思いさえも出せなくなる。苦情などとんでもないことだと思う筈である。形も心もその思想がない者は、現代社会には一人もいない。それがないなら、本当の天国にいることになり、今この世界にはいない。従って、この本は読んではいない。堂々と裁判に訴える者は言うに及ばす、誰かのせいだと一瞬でも考えれば、それがあなたの世界のすべてであり、その瞬間は、あなたは、世界を滅ぼしているのと同じである。すべてが元に戻った時、一瞬の考えがすべての世界となり、あなたはその場で消滅することになる。あなたが裁く心をもっているほど、苦しくなる。裁いた量だけ痛みとなる。それが、最後の大掃除の時のあなたの現実である。自分のしたことを誰かのせいにするならば、それがあなたの最大で唯一の間違いである。

今ある常識や思想は、いったいいつ、誰が、どこで、何の目的で生み出したものなのか。一体いつからこの世は始まったのか。「いつ」とは、五であり、一である。天地自然の理法は始めも終りもなく、神話の世界のその前から、今も、これからも、万古末代、永遠に変わらない。真釣りの真法陣の九御座の中心は絶対に動かない。真釣りには+も-もない。真釣りの真コトで真中を祓い清めて、あなたの世界の中心に居座る大蛇を本当の竜に戻さなければ、現代社会の十(神)をー(始め)の位置に戻さなければ、最後の最後には+-=0になる。今のあなたがどんなに+を集めても、それは、略奪の分裂の世界の+であり、最後は、集めた+の分だけを痛みを伴って-される。時が至った瞬間にあなたが持っているすべての+が0になる。その時、あなたが真釣りに戻っていなければ、あなたは永遠の命を失うことになる。三千世界で略奪した+の響きを最後に-するなら、慙愧慟哭、阿鼻叫喚の修羅の地獄の火と水の洗礼を覚悟しておくことである。『情けと花の仕組み』の総仕上げである、すべての穢れを祓う大神の最期の祓い清めは、時空生死を超えた世界の現実であり、今の肉体上での苦や痛みどころの話ではなく、苦しさのあまり改心しても、それは許されず、最後は自らの首を自らで刎ねる末路となる。草薙の剣の響きは魔釣りの者にとっては究極の苦痛の響きである。生死時空を超えた身魂の穢れの祓い清めだから、あなたが真釣り戻すまで(真コトを磨き出すまで)死んでも死んでも続く。すべての穢れを祓い清めない限り、あなたはミロクの肉のお宮には入れず、真釣りのミロクには生きられない。
P253
時が至れば、元つ真釣りの大神が三千世界を真釣り戻すから、その時に魔釣りの響きを僅かでも残す身魂は、神も仏も人民も、一柱も残さず成敗されることになる。神法違反の者が逃げるところはどこにもない。元つ大神の真釣りの真コトに戻す大掃除、本当の大祓いは、生死時空を超えた慙愧慟哭の修羅の地獄を耐えに堪えて自ら真釣り戻してミロクに戻るか、苦しみのあまり自らの首を刎ねて自ら滅ぶか、最後の最期に真コトに成敗されてイノチを終えるか、である。いずれにしても、真釣り戻さない限り、あなたは永遠の滅びとなる。真釣りのミロクの本当の天国は、万象万物、真釣りのものしか存在できない、元の神の世である。永遠の命を失ったあなたは、もう、どこにも産まれることはできない。真釣りに戻るための最初で最後の機会、それが、元つ大神の世の大掃除である。言葉で言うのは簡単だが、これが文字通りの体験として、すべての人類、すべての神仏の現実となるのである。これを絵空事、荒唐無稽と言うならば、あなたの滅びは必至である。今は何とでも言えるが、その時になって後悔しても、後の真釣りとなることをよくよく肝に銘じて、今ここでどの選択をするか決めることである。自分が真釣りに戻るか戻らないか、の個人的選択である。永遠の生死が決まる瞬間が間もなくやってくる。自分には関係ないと思うなら、それで構わない。ミロクへの最期の戦が始まった時、真コトを磨き出していない分苦しみとなり、真コトがなければミロクは永遠になくなる。あなたが自らの真釣り戻しをしない限り、神仏と言えども、あなたを助けることはできないことを覚えておいて欲しい。

あなたが学んできた歴史は本当のことなのか。神話とは何なのか。何も操作せずに伝わっているのか。もし、そうならば、謎はない。宗教は存在しない。歴史を学ぶことはしない。議論はない。天国を探している世界は天国ではなく、問題解決をしている世界は問題がなくならない世界である。天国には問題はない。すべてを説明できる真理でできた世界ならば、その世界が形になる。問題があるのは天国ではない。天国にないことをしても天国にはならない。形だけの修繕や問題解決自体をやめることである。社会や誰かを天国にすることをやめることである。あなたが地獄の生き様をしているならば、あなたは地獄を進めることしかできない。あなたには、あなた以外を本当の意味で助けることも変えることもできない。あなたは、誰かを楽にしてあげることも、苦しめることもできない。すべては、あなたの生き様が作り出した結果である。あなたは誰かに助けてもらうことも、楽にしてもらうことも、傷つけられることも、実際にはありえない。あると思うならば、それは幻想である。自らが犯した天地自然の法則違反の結果、様々な問題を産み続け、その幻想を実体のあるものと思い込み、自らの責任を回避しようと、責任を転嫁するシステムを作り出して、文明なる幻想を押し進めてきたのが人類の歴史である。嘘のやり方は地獄を経て最後は滅ぶ。あなたを含めたすべての存在が同じ仕組みの中にいる。あなたが、現代社会で学んだやり方を使って天国創造の幻想を追いかけているならば、あなたの現実は滅びの世界に向かっていることになる。あなたが、天国という現実を体験することは永遠にない。
P254
本当の意味で、世界を救うことは誰にもできない。今のあなたが地球環境をよくすることは不可能である。今のあなたが何かをしようとすれば、ますます問題が増えていくだけである。自分自身の大掃除の苦が増えるだけである。形だけの○の世界を創った積もりになることはできるが、本当の意味では、誰かの天国を創る(創ってあげる)ことも、誰かに天国を創ってもらうことも、できないのである。あなたができるのは、あなたの中身を天国にすることだけである。あなた自身の心の掃除だけである。あなたにはあなたを変えることしかできない。あなたが天国の生き様をすれば、現代社会では非常識であり、存在価値のない者に見える。しかし、本当の天国、真釣りのミロクの神世から見れば、現代社会こそが非常識であり、文明を進歩させてきた(と思い込んでいる)人類の歴史という、存在価値のない中身は空っぽの空想物語の究極の結果なのである。その空想物語の世界で、権力や財産や自由や偽神の力を得てもそれは儚い幻であり、苦しみも悲しみも怒りも永遠に消えることはない。お金や経済や宗教や科学で、世界を平和にすることも、天国にすることも、本当の自由を得ることも絶対にできない。天国は個人的現実である。あなたという身魂が産まれたその大元の世界の生き様に戻ることが、あなたが本当の天国を体験できる唯一の方法である。問題を産むやり方では問題を産むことしかできない。人類の歴史は、問題生産の歴史であり、神代から現代社会まで、問題は何一つ解決してはいないのである。

天国創造の源に戻ることが、今のあなたのやるべき唯一の課題である。皆が源に(已名が身の元に)帰れば、問題はすべて解決することができる。まずは、あなた自身が元に戻ることである。あなた自身が、問題の産みの親であるアヤマ知を奇麗サッパリ捨てることである。あなたが真釣りに戻った時、魔釣りの世の現実は崩れ去っていく。今の真実が嘘であったことをあなたの現実を通して確認することができる。善悪などなかったことが分かり、あなたは、今までの現実から自由になることができる。あなたの問題の責任はあなた自身にあり、あなた以外の他人の問題はその本人に責任があることが分かってくる。この世にある問題は問題ではなく、この世にある不幸や悲しい出来事は、自分には手におえないことだと分かり、あなたは、自分にとっての問題の原因を直せばよいことが分かってくる。あなたが、あなた自身の真コトを貫き通すことが、自分を自由にする唯一の術である。

あなたの周りの問題を解決してあげようとしても、それは不可能である。環境破壊や、社会問題や、他人の苦しみをあなたが引き受けることはできず、あなたの苦しみを他人に転嫁することもできない。現代社会にあるどんなやり方をもってしても、歴史のどこを紐解いて見ても、自由や平和や安心や安全や永遠の命は決して得られない。怖れや不安や怒りや苦しみや悲しみや恨みも消えることはない。本当の天国には、問題を持っている者は存在できない。従って、いかなる社会問題も存在しない。真コトを思い出し、真コトで生きていくことで、あなたは真釣りの天国に戻ることができる。あなたが本当の天国に戻った時、死の怖れは消える。あなたにとっての問題はすべて解決する。本当の真実を思い出し、自分の犯した本当の過ちを正して、嘘が作り出した幻想から早く目を覚ますことである。
P255
あなたがすることは、現代社会を変えることでも、他人のために生きることでも、誰かを助けることでもない。今あなたがすべきことは、あなたの現実を創ってきた生き様の根本を奇麗サッパリ入れ替えることである。あなたが本当の天国の生き方を実践しない限り、あなたの現実は天国にはならない。すべては、あなたの取り違いが産みだした問題であり、あなた以外の誰の(何の)せいにもできない。あなた以外の他人も、同じである。自分の現実の責任は自分自身にしかない。自分の責任を取らない者たちがつくった現代社会の末路は、破滅であり、最後の最後は、自分の本当の責任を取らない者たちは、その世界とともに、永遠に命を失うことになる。本当の天国は、本当の天国の響きで生きる者しか体験出来ない現実である。現代社会は幻想の現実である。あなたが残すべきものは、あなたの真コトただ一つである。あなたが真コトそのものに戻らない限り、あなたはミロクの天国の体をもつことはできない。ミロクの体に入ることで、あなたの世界はミロクに変わる。世界を変えるのではなく、あなたを変えることである。天国の通りに行動して壊れるものは元々なかったものである。すべてのアヤマ知を捨てて、一言違わず実行した時、本当の天国がわかる。幻想で作った形がすべて消えたとき、本当の親神の天国が子の世に現れる。

万古末代一度だけの、生死時空を超えた身魂の総決算。本当の大掃除を終えると本当の正月、真釣りの神代の第一日が始まる。万象万物が永遠に弥栄える、滅びることの無い本当の新年(神年)の始まり、本当の天地創世である。人類が夢見ていた天国は本当にやって来る。それは、天国を壊してきた取り違い=魔釣りの響きをすべて清算した者だけの世界である。本当の真釣りの天国とは、生まれ変わり死に変わりして犯してきた今までのすべての違反を清算する、生死時空を超えた真釣りの元つ大神の末代一度の大祓いを終えた者だけが帰ることを許される、あなたが真釣りを外して家出する前にいた、魂の故郷なのである。あなたが心底から真釣りを信奉するならば、一言違わず実行することである。行じなければ開くことのない本当の神徳、それが、真釣りの真コトである。真コトの一厘を見事磨き出せば、元つ真釣りの大神の待つ、霊界で唯一の実体であるミロクに産まれ戻ることができる。あなたがすべてを捨てて生死時空を超えた神の真コトの道を歩みつづければ、あなたは絶対にミロク世に戻ることができる。大神に命を預けて天命を全うして欲しい。

この本に書かれていることは、あなたが本当の故郷に帰る大掃除のための掃除道具である。


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