スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

真のヒトになるための生き方(上)


【真のヒトになるための生き方(上)】  
                    長谷 章宏 著

魔九十(言)が統(す)べるФ(アク、悪、現空、開く)の世に、真九十(異)の⦿(親神)現れて、万古末代二度と来ぬ、㊉(とわ、十◯、永久)の⦿(天、十、点、・)国開く成り。

百十(元)の九二(国)の◯九十(マコト)の⦿(かみ)が、⦿(元、素、基)の神力(じんりょく、尽力、人力)現して、◑と◐(中と中)との戦いに、最後の艮(とどめ)を致す也。

魔九十が統べる地獄(●)の世、真九十が統べる神(⦿)の世に、戻さな現(こ)の世が滅びると、叫ぶ真九十(・)の九九路(こころ、心、真、信、親/神への道=百に1)知れ。

元の真釣り(⦿)の大神が、三歳(みとせ)苦難(くなん)のその前に、中の魔釣り(Ф)の神々(◑◐)へ、中つ魔釣りの人々(◑◐)へ、真釣り(⦿)真コトのフミ出して、最後のオフレを致す鳴り。

元つ真釣り(⦿)の真九十の神(⦿)が、真コトのイノチの種を蒔き、神から人まですべてのすべて、元つ真釣りの親神が三千世界を統べ真釣る(⦿)、元の神世(⦿)に返すなり。

中つФ(魔釣り)のФ(魔コト)の神と、元つ⦿(真釣り)のこの方(⦿)が、元つ四九三(しくみ)で対峙する、末代動かぬ三六九(ミロク)世開く、最期の舞台と成りたなり。

神の情報公開は100%でござるぞ。神の規制緩和は100%でござるぞ。岩戸をすべて開くと申すのは、そなたの内にある戒律をすべて外すことにてござるのぞ。何も難しいことはござらんぞ。素直に全部自由にすればよいだけぞ。混乱するのは、悪くなるのは、今までの掟破りの清算ぞ。全員掃除するから混乱するぞ。今の今もメチャクチャでござろうが。どこに平和がござるのじゃ。最後の最後は大掃除。地獄の如き様になるのぞ。自らが調和を壊しておいて、壊すことを悪じゃと申すのはいかなることぞ。壊して創る仕組み。悪くなって善くなる仕組み。取ったものを出してゼロぞ。壊しただけ壊されてゼロぞ。してはいかんことは何もござらん。殺されあろう何あろう、すべてのすべてはメグリ逢いでござるぞ。神の世界を穢したら肉体を怪我して身魂の清算するのでござる。肉体はこの方の貸しもの。そなたのものではござらんぞ。この方が肉体貸して清算させておるのぞ。




 はじめに

 この本を読むにあたって心得ておいて欲しいこと(心構え/予備知識)

P7
 この本は、今までの宗教、哲学、思想、道徳、教育、心理学、精神医学、生き方、成功法、人生論等々の本とは全く違う性質のものです。皆さん一人一人の人生(生き方)の根本(大元/源/魂/本質)に係わる、皆さん一人一人のこれからの人生に係わる、「人間」として生きている皆さん全員に当てはまる、非常に大切なことが書かれています。「本文」に入る前に、少々長くなりますが、この本の「本文」に書かれている内容(情報/話)の真意を正確に、取り違いなく受け取れるよう(理解の助けとなるよう)に、誰にでも分かるように、この本の「読み方(基本的姿勢/視点/観点/見方)と「要点(言いたいこと)」を手を変え品を替えて(表現を換えて)書いておきます。今ここで意味の取り違い(誤解/曲解/ねじ曲げ)をしては、この先、本当の本当に「大変なこと(取り返しのつかないこと)」になりますので、アタマ(今までのデーター/今までの知識/今までの基準)を一旦ゼロに戻してください。価値判断を一切やめて素直に読めば一つの意味しか取れないようになっています。今まで学んだ知識で価値判断をすれば何も意味がありません(混乱するだけです)からその積もりでどうぞ。また、今までの「神示」を読んだことがある方も、復習、確認、整理をする積もりで、必ずここから読み始めてください。
P8
 この本は、皆さんが、「真実の眼」を養い、「ヒトとしての真の生き方」を学び直すための教材であり、皆さんが「真の人生(本当の人生)」を生きるための、皆さんが本当に生きたい(真に望む)人生を生きるための、皆さんの「人生」をもう一度出直すための、皆さんが自由になる社会を創るための、新しい時代を生きるためのガイドブックです。この本には、皆さんの本当の幸福、本当の喜び、本当の平和、本当の自由、本当の平等、本当の安全、本当の成功、本当の天国への道が、時代を超えて、国を超えて、生死を超えて(時空を超えて)通用する普遍的な真理(ルール/視点/法則/態度/基準/生き方)が、皆さんの日常生活で即応用できるよういな実践的ノウハウとして語られています。

 この本(この「はじめに」も含めて)を読んで、「過激だ」「危険(思想)だ」「不可解だ」「狂っている」「あり得ない」「言い過ぎだ」「非常識だ」「常軌を逸している」「とんでもない考え方だ」「やめさせるべきだ」等々と思う方もおられるかも知れませんが、この本は皆さん一人一人の心を映す鏡(今までの生き方を見つめ直すための教材)として書かれているわけですから、ツベコベと屁理屈をこねまわして批判(反論/否定)しても、何の意味もありません。批判(反論/否定)するということは、皆さんが「批判する心」「悪を裁く心」「不自由な心」「戦う心」「自分勝手な基準」を持っている(心が分裂している)という証明になります。そして、自分自身を、元の⦿を、批判して、否定して、裁いていることにもなってしまいます。口に出さずとも、心の内でやっていれば同じことです。今まで皆さんがやっていたゲームは、この本に関しては一切通用しません。やりたいならばやっても結構ですが、自らの「無智」(⦿を知らないこと)をさらけ出すだけのことです。
P9
 この本に書かれていることは、皆さんの人生という料理の調理法ですから、どの材料をどう調理するか、どんな料理を食べるかは、皆さん自身がご自分と相談して決めればよいだけです。もし、皆さんが新しい世で天国(平和/調和/自由/平等/公平)という「人生のフルコース」を満喫したいならば、今まで食わず嫌いだった料理を食べる(肯定する/受け入れる/認める/許す)必要があります。新しい世で新しい料理を美味しく食べたいならば、今から好き嫌いを無くす(許せない、認めないをやめる/⦿心に戻る)訓練をしてください。調理法を替えれば美味しくなる材料や、見た目はグロテスクでも、食べた瞬間は不味くても、よく噛ん(神)でいくうちに非常に美味しくなる料理が沢山隠れています。見た目に惑わされている皆さんには見つけることはできません。皆さんが一番嫌いな食べ物が一番美味しいかも知れません。人に料理の味を聞いても、姿形を目で見ても、少しぐらい味見をしても、本当の⦿のフルコースの美味しさは絶対に分かりません。
P10
 この本に書かれていることが、どうしても認められない(反論したい/許せない)と言うならば、それはそれで結構ですが、口に出すのはこの本を最後まで全部読んでからでも遅くはありません。まずは、「自分とは違う別の見方(別の考え方/生き方)のサンプル(モデルケース)として、とにかく最後まで目を通してみてください。皆さんのこれからの人生の中で、この本を読む時間などほんの僅かな労力です。全部分からなくても結構ですから、段々と分かってきますから、とにかく最後まで読み通してみてください。皆さんと「アベコベの生き方(反対の考え方)」をしている人間の心の内を知ることができるのですから、自分の人生の枠を広げるためにも、絶対に読んで損はありません。

 この本は、神(創造主/霊/魂/天使/悪魔/祟り/呪い)、心(意識/考え/思考/心理/精神/感情)、自分(他人)、人間(人間性/人格/性格)、人生(生き方)、生と死(この世とあの世)、宗教(思想/基準/原理/前提/よりどころ/考え方)、本音と建前、絶対と相対、時間(過去/現在/未来)、空間、愛(恋愛/優しさ/思いやり/厳しさ)、罪悪感(罪/罰/制限/弱み)、恨み、信頼と疑い、知識と智慧、自立と依存、善と悪、理想(夢)と現実、安全と危険、被害(補償/保険/担保)、葛藤(悩み/ストレス/不安/恐れ)、奇跡と偶然、自由(勝手)、平和(幸福/天国/地獄)、秩序(安定)、人権(差別/平等/公平)、責任、道徳(倫理/マナー)、常識(しきたり/礼儀/慣例/通念/儀式)、約束(ルール/契約)、世間体(立場/評価/信用)、理性(禁止/制限/規制/本性/タガ/枠)、権利と義務、理屈(理論/批評)、科学、医学(病気/生命)、奉仕(援助/ボランティア/無料)、感謝(お詫び)、文句(苦情)、正義、権力、遊び(ゲーム)、真面目(冗談)、仕事(職業/就職)、固定観念、価値判断、正常と異常、賛成と反対、正しさ(間違い)、秘密、損得、有る無し、相対と絶対、生活(衣食住)、損害(被害/災害)、自然(至善)、ウソとホント、真実、本物と偽物、常識(普通/当り前)等々の人間の根本に係わる概念(定義/イメージ)を『宗教』と『科学』(心と体/神と人/エネルギーと物質/見えない世界と見える世界)を統合した(一つにした)視点(人間という体験を創り出す元の仕組み、創造主の眼、元の神⦿の眼、元のルール)から再定義し、法律(ルール/掟/違法/犯罪/規制)、裁判(裁き/拘束/取締り/証拠/警察/許す許さない/疑い/責任)、政治(行政/国際関係/貿易/管理/支配/監督/許可)、経済(ビジネス/商売/需給/お金/税金/財産/ローン/貧富/所有/失業)、教育(しつけ/知識/指導/管理/勉強/受験/不登校/非行)、福祉(世話/障害者/高齢者)、勝ち負け(略奪/競争/議論/戦争/攻撃と防御/軍隊)、コントロール(操作/命令/強制/脅し/被害者意識)、文化(しきたり/伝統/家訓/先祖代々)、家族(親子/血統/戸籍/結婚)、奪い合い、相談(疑問)、検査(調査/点検/監視)、危機管理(予知/予防/検診/破壊や苦を避ける)等々の社会システムの矛盾や、現代社会の混乱をキレイサッパリ収拾する(大掃除する/建て直す)ための新しい材料(根本的解結策)を提供するマニュアル本でもあります。
P12
 今までの皆さんは、Фの世で自分が手に入れた「相対的な世界」だけで通用する「もの(評価/地位/名誉/正義/人/財産/知識/基準/頼るもの/杖)」を守るために、人間の本質、創造のメカニズムの根本の部分、社会システムの矛盾の本当の原因をウヤムヤにし、誤魔化し、覆い隠し、避けて通り、見えなくして、盲目のまま歩いて、何が何だか分からなくなって、勝手な屁理屈をこねて自分に都合が悪いことは責任転嫁をして、たくさんの悩み、恐れ、葛藤、問題を次々に創りだして、お互いに傷つけ合って来たのです。今までのФの世のやり方では、創りだした「問題」は何も解結しないばかりか、どんどん「問題」を創り出して、ますます分けが分からなくなって、最後は動けなくなってしまうのです。今の現在の社会がその最期の姿なのです。これはちっとも大げさな表現ではありません。

 皆さんには、本当は「問題」など、ただの一つもありません。皆さんは元の元がアベコベのままですから、本当の本質(イノチの元/本当のイノチ)が見えないばかりに、闇を恐れ、死を恐れ、闇を避け、死を避け、悪を裁き、悪を避け、苦しみを避け、責任を押しつけあい、たくさんの「問題」を創り出し、その「問題」を解結しようとして、どんどん更なる「問題」を創り出して来たのです。それが今までの人類の歴史なのです。「問題があるのが当たり前」「苦しみがあるのは当たり前」の仮定のもとに、「いかに苦を避けるか」「いかに楽をするか」のコンセプトで社会システムを創って来てしまったのです。皆さんの社会がうまくいかなくなったのは、元の前提が全くアベコベだからなのです。
P13
 今やっているやり方をそのままいくら続けても平和も幸福も自由も平等も博愛も公平も安全も創れないどころか、やればやるほどどんどん争いや不幸や不自由や不平等や不博愛や不公平や危険な世を創り出すばかりです。今の世を創り出している大きな宗教(前提/同意/仮定)を引っ繰り返さなければ、ますます混乱が進むだけです。元の初めの⦿の道具を壊したのですから、もう元には戻りません。ですから、「遊び場」を別の道具(半霊半物質)に取り替えて、初めからやり直すための計画が何千年にも渡って着々と進んでいるのです。皆さんが今まで気づかなかっただけです。新しい世⦿は一人一人のココロを入れ換えなければ生きられません。今のままでは、もうすぐ本当のイノチが無くなってしまいます。ですから、最期のギリギリのところでハッキリとカラクリを明かしているのです。

 皆さんは、一度も死んでいません。皆さんの本体は身魂(心/心体)です。心体の動きが身体に現れているだけです。霊体の動きを肉体で体験しているだけです。肉体という服を着て物質の世で遊んでいるだけです。霊界の映しが現界です。人間というのは霊体と肉体が一つになっている存在(身魂)です。肉体は霊体の映しです。霊体の動きの通りに肉体が動いて(喋って)いるのです。肉体でФしていれば、霊体もФです。霊体がФの生き方をしていれば、次の世⦿には生き返ることは出来ません。宗教というのは、霊体の生き方のことです。霊が先で体が後です。元は霊です。肉体が死んでも(壊れても)心体は死にません。心体が死ねば必ず肉体は無くなります。皆さんが死ねば皆さんの服が動かなくなるのと同じです。今まではФ(分裂/魔コト/善悪分ける)の心でも物質の世で遊ぶことが出来ましたが、今度ばかりは「遊び場」を取り替えてしまうのですから、自分(霊体)の生き方(態度)を⦿にしなければ「本当の死」がきます。⦿にした積もりになっても駄目です。皆さんの心の動きが皆さんの本体の動きです。霊界と現界の両方にいますから⦿を実行できなければウソになります。新しい世では、今までの道具は使えず、物質の肉体という服は着られません。⦿の心を100%行動できなければ、人生は終わりです。
P14
 霊のイノチが元で、肉体のイノチ(命)は現れです。皆さんは元を忘れているから、肉体のイノチを元にして考えるから、「死後の世界があるかないか」「霊はいるかいないか」の議論をすることになるのです。その議論をしている本体が霊なのです。肉体の視点から見るから「死」になるだけです。皆さんが⦿なら死はありません。霊のイノチが死ねば肉体の命も死にます。肉体の命が死んでも霊のイノチは死にません。今までの皆さんが次の世でやり直して、何回でも生き返ることが出来たのは、物質の世界がФでも存在可能だったから(霊体がФでも肉体という服を着られたから)です。今までも⦿に戻る修行の機会が与えられていたのですが、皆さんは⦿の修行をさぼり、Фのままで⦿の世をどんどん壊し続けてきたのです。今度ばかりは今までと同じだと思ったら皆さんの人生は終わりです。今までのような輪廻転生のゲームはもうお終いです。⦿に戻るための修行のチャンスは今世限りです。今回の大掃除は皆さんのФが招いたものです。誰にも文句は言えません。一人一人が⦿する以外に助かる道はありません。この先は、他人や社会に責任を転嫁したり、Фの神にお祈りしたりしている場合ではありません。オカシイのはФしている「あなた自身」です。⦿が神の世(霊の世/ヒトの世)の憲法です。⦿に違反する法律はすべて無効です。霊の視点で法律やルールを見れば、今までのトラブルはすべて自分勝手な茶番劇になります。全員ルール違反です。
P15
 皆さんは神⦿の世の住人です。⦿の世が皆さんの元の国(故郷)です。元の国の法律が⦿だから、皆さんはФ出来るのです。Фしたら自分が不自由になるようにしてありますから、神⦿は裁きません。最期にФしている世界をすべて大掃除すれば済むからです。Фしている身魂は自動的に世界もろとも掃除です。一人一人に⦿の自覚があれば現界の大掃除は何も関係ありません。「国家の根本に挑戦する者は許さない」「国家転覆を図る者は極刑に処すべきだ」「法律を破る者は許さない」「借りたものは返すべきだ」云々というのは正しいことです。但し、皆さんの守るべきルールは⦿(調和)です。⦿を基準に考えてください。皆さんがФしていて、「自分のものだ」と言っているならば、皆さんは「法を破った犯罪者」であり、「⦿の国の調和を乱す(破壊する)テロリスト」です。争いФのルール(ゲーム)は、すべてルール違反です。ルールを守らない者は処罰されても文句は言えません。⦿の世の「破壊防止法」を適用されるのは皆さん自身です。但し、⦿は何も裁いていません。皆さんがФしていなければ、皆さんは痛くも痒くもないのです。
P16
 皆さんは、元の神⦿の創った資源を借りて遊んでいるだけです。「自分のものがある」という幻想を持っている人間は、次の世には生き返ることは出来ません。現代社会の混乱というのは、本来の姿(⦿)を忘れた人間(Ф)が創り出してきた、略奪ゲーム、支配ゲーム、コントロールゲーム、地獄Фのゲームの末の「究極の魔姿」なのです。上にあがった者だけが天国になれる「自分だけ勝手」な地獄の世です。皆さんの「物質の遊び場」はもう壊されることが決まっている箱です。皆さんが着ている服(肉体)ももうすぐ脱がなければなりません。「ハルマゲドン」というのはこの大掃除のことです。皆さんのルール違反の強制執行です。⦿の綱(⦿であれば抜けられる網)を被せて、その中にいるФの魂を⦿になるまで出さないのです。今までの借りの一括払いです。今までФでばら蒔いた不調和や迷惑を全部引き受ける(逆に言えば、人から取った調和を返す/損する/苦しむ/楽を返す)のが清算です。ゼロ⦿になるまで続きます。皆さんが肉体という服を脱いでも、皆さん自身(霊体/心)が⦿に戻らなければ(Фの違反を清算しなければ/⦿で100%生きなければ)皆さんは新しい服⦿は着られませんし、勿論、新しい⦿の世界には生き返る(遊ぶ)ことはできません。今度の世界はФをしている者は許さない(初めから入れない)世界ですから、破壊して創りなおす必要はありません。つまり、永遠のイノチ、永遠の天国です。Фを掃除すれば本当の不老不死のイノチを手に入れることができるのです。決まっているものは⦿だけです。Фの世のルールはすべて「決めた」もの。強制力はありません。
P17
 「政教分離」「教育の中立」というそれ自体も「宗教」です。皆さんの分離したい宗教はФの中の神を語った宗教のことです。宗教団体も学校も株式会社も福祉団体も環境保護団体も家庭も全部Фの宗教団体です。悪の宗教を排除しようと言う宗教(理屈)こそが悪Фの宗教です。悪を裁くのが悪。調和を乱すのが悪。皆さんが今していることを見直してみてください。これから先は⦿のルールに基づいて厳しく、一点の曇りなくなるまで掃除をしていきます。神のルールは厳密です。絶対です。100%です。破壊Фの可能性のある掟破りは一人として許しません。皆さんが自分自身の存在の元の元を思い出さなければ、この先は、もう動きが取れなくなってしまいます。「認める認めない」の問題ではありません。⦿が掟です。⦿の法律通りに生きていなければ、皆さんは動きが取れなくなっていくのです。皆さんの霊体(肉体で認識する心体)の世界(霊界)は、最後の大掃除(タテカエタテナオシ)に向かってどんどん⦿のルール通りに厳しく掃除しています。Фしている霊体はどんどん苦しくなってきますから、肉体の世界でも不自由になっていきます。⦿でなければ生きられない世界が近づいているのです。Фをしているとどんどん不自由になります。どんどん厳しくなります。ヒトとして「してはいけないこと」はФです。

 皆さんが今まで「避けてきた」「封じ込めてきた」⦿の真実をハッキリと明かすことにより、闇に光を当てることにより、悪魔や恐怖や死や霊や神⦿の本当の姿を明かすことにより、この部分を知ること(見ること、眼を開けること)により、知って生きることにより、皆さんが怖がっているものが全然怖いものではなかったことが分かり、今までの悩み、葛藤、制限、争い、議論、問題がキレイサッパリと解消していきます。と同時に、結論の出ない無駄な議論を戦わせて、「エネルギー」や「時間」や「お金」を無駄遣いする必要がなくなり、自分のために自由に楽に生きられるよう(同時に、みんなを自由にすることができるよう)になっていきます。⦿を実際に生きることによって、本質を見分ける眼が養われ、何が起きても動じない、どんな策略にも騙されない、人をコントロールせずに自分で何でもできる自立した人間となることができます。表現を変えれば、今までの常識のウソ、今の社会状況の真の原因、今の社会問題の根本的解結策、神と人との関係、人間の本当の姿、「自分とは何か」、これからの生き方、死後の世界、心のメカニズム、「宗教とは何か」等々の今まで議論しても答えの出なかった『人間の生の本質』をハッキリと認識することにより、迷路から脱出して、本当の人生を生きることができるようになるのです。それまでは傷つき、騙され、痛みながら掃除していくのです。何があっても⦿を貫いてください。Фしただけ返せばФの世のコントロールから抜け出すことができます。
P18
 この本は、今まで答えの出なかった、人間の悩みの大もと、葛藤の大もとを語ってあります。これから新しい世(二十一世紀)にかけての数年間に起きること、前代未聞の出来事にどう対処したらよいか、の答えがズバリ語ってあります。心と体が一つであること、神と人が一つであることを思い出すことです。認める認めないと言っていること自体がФの証拠です。⦿でない証拠です。肉体や物質の視点(自己中心/人間中心)では何も解結しません。この本は、皆さんが今まで学んだ常識(基準/視点/前提/知識/通念/当たり前)とは全くアベコベの視点(反対側の眼/もう一方の別の視点/元の一つの視点)から書かれています。皆さんが今まで学んできた常識から見れば全く逆の常識が語られています。今までの常識で価値判断をすれば「許せない」「あり得ない」「善くない」「危ない」「不可能」「非常識」な思想(宗教)です。今までの常識Фが正しいという前提で見れば、「間違っている」ことになります。オカシイものに見えます。今までのФの常識をあくま(悪魔)でも正しいと言うならば、ミロクの世⦿はあなたにとって関係ない世ですから、この本は必要ないものですから、この本が欲しいという方にお渡しください。
P19
 この本の情報を否定、反論、抹殺するのは簡単ですが、今までの常識Фを正しいもの、絶対的なものと仮定するとして、それとアベコベのものが「存在する」のはいかなることでしょうか。Фの基準で「どっちが正しいか」の議論をすれば、永遠に議論(戦い/封じ込めあい)が続きます。二つに分かれて「花いちもんめ」をしていては、永遠に平和にはなりません。最期の最期に答えは出ますが、そこで気づいても遅いですから、どちらがすべての矛盾を説明出来るものか、一つにするものか、より広い見方か、今ここでよく考えてください。今までの常識Фが元の原理(ルール)⦿を引っ繰り返したもの(アベコベにしたもの/反抗したもの)ですから、アベコベのアベコベで元に戻るのです。逆の逆は真。霊が先で体が後、霊界が先で現界が後、神が先で人が後、肉体の感覚で言えば、心が行動の素。心に何があるかで行動が変わり、形も変わります。相対二元では、かみ合うことはありません。全世界全人類全員賛成の結論が出る筈はありません。相手を抹殺するか自分が引くかしかありませんから、全員がうまくいくなどあり得ないことです。元の⦿世では、⦿に全員賛成、Фに全員反対です。つまり賛成、反対という概念はありません。全世界全人類の目指しているものは調和です。調和を壊したやり方で調和を創れるはずがありません。簡単な道理です。Фの方はもうすぐサヨナラです。
P20
 見える世界Фを元と見ていれば、「競争」という幻想が絶対のシステム(原理)になってしまいますから調和⦿は不可能。競争が原理ですから、平和を議論しても、天国を求めても無駄です。実現できるのは自分だけの天国です。永遠の貧富、永遠の不平等、永遠の戦争の世界です。人間の歴史は戦争の歴史、略奪の歴史、支配の歴史です。永遠に調和が不可能ならば、神が不平等、不公平と言っているのと同じです。不平等の神にお祈りしても夢は実現しません。今の世は皆さんの言う悪魔Фの創りだした世であることは明白です。悪魔の心Фを持った人間が、天使の心⦿の神や人間を悪魔として封じ込め、自分だけ勝手なシステムを創り出したのです。Фを白だと教育すればФでコントロールするのは簡単です。⦿を聞いても黒になりますから、Фのシステムを当たり前の原理として教えればそのシステムの世が続きます。Фが世の原理だとすれば、創れないものを創りだそうとする原動力は何でしょうか。今の世の元は霊界、神、見えない世界、響きですから、元の神⦿が動けば、今の世の人間の悪魔の心は通用しなくなります。調和を求める心を「仕方がない」と封じ込めているのは自分自身です。自分が地獄を創っておいて、自由や天国や平等ができないのは誰かのせいだと言っているのですから、自分だけ勝手な人間ばかりの地獄の世だと言っているのです。人を責めて人を封じ込めて平和が創れると言う大アホばかりの集まりです。
P21
 今の法律は神の法律(調和)を乱す神の憲法⦿違反の法律です。その法律を使って悪の裁きあいをやっても意味はありません。ただの茶番劇です。今の法律が正しいと言うならば調和などできません。自由を制限するならば、全体が自由ではありません。法律で自由や調和や平等や公平を規定するならば、今の世に自由や調和や平等や公平はありません。平和は平和です。戦いがあるならば平和ではありません。分離思考で創り出した相対二元の為の平和です。妄想を実現しようとしているゲームに過ぎません。自然を人間の思い通りしようとしているのは、人や世界や⦿を思い通りにしようとしているのと同じです。肉体が動く前に心が動きます。心にすべての元があります。「自然(素直)」とは操作しないこと、加工しないこと、創ろうとしないことです。出てくるままに表現することです。
P22
 初めから「アベコベのことが書いてあるよ」と断ってあるのですから、反対、批判、否定、疑い、反論、反抗をしても意味はありません。あなたが認めたくなければそれで構いませんが、反論するにしても、この本を最後まで読んだ上でやってください。初めから認めない許さないというならば、自分は絶対的に正しいと言っているのですからあなたは人の話を聴かない、人の気持ちを考えない、手前勝手な、世界征服を企む悪魔です。これがいったい何を意味するのか、自分自身によく聞いてみてください。今までの社会が矛盾ばかりでうまくいかない世ならばアベコベをやればうまくいく、という簡単な道理です。これを受け入れるかどうかで皆さん一人一人の今後が決まります。一つのものを分離して、分離したものを正しいと言えば、永遠に戦いになります。一つにする思考⦿すらも分離思考で見ますから、⦿にはなりません。自らの保身(ほしん)、恐れ、身欲、自らの正しさや体面や財産を失いたくないという自分勝手な人間ばかりでは永遠に平和は訪れません。分離の果ては分解。逆の逆は元、裏の裏は表です。
 逆立ちをして見ている人が逆立ちをすれば足で立つことになります。この本は、言わば、逆立ちして見ている世界が真実だと思っている人に、足で立って見ている世界が真実だと言っているのですから、逆立ちしたまま、それは違う、それはオカシイと言っても意味がありません。皆さんが逆立ちをやめたらどうみえるか、そのまま逆立ちをしているとどうなるかを書いたものですから、皆さんが逆立ちをやめるかどうかを決めて、それを実行すればよいだけです。皆さん方は今まで、逆立ちをやめると大変なことになるぞ。逆立ちをやめるともっと疲れて死ぬぞ、逆立ちをやめるのは社会に反抗することだ、逆立ちをして疲れるのが人間の生き方だ、と教わってきたのです。死んだり、大変なことになったり、嫌われたりするのは嫌だから、疲れるけどそのまま逆立ちを続けて、もはや体力の限界に来ているのです。何も知らずに現界を超えたら、そのまま死にます。逆立ちをやめたらどうなるかを知って、自覚して足で歩き始めれば何も怖いものはありません。「逆立ち」と「両足立ち」とどちらが楽かは明白です。皆さんがこの本の内容(情報/考え方/見方/生き方)を受け入れるか、受け入れないかは皆さん自身の問題です。今まで学んできたことがウソか、ここに書かれていることがらがウソか、どちらかが真実です。実を言うと、どっちがウソかとやることが今までのФのゲームです。結論は一つです。それがわかるかどうかが天国と滅亡の分かれ目です。
P23
 この本には、「宇宙創成の元の神⦿の目から見た現代の人間たちの姿」が、親が子に語りかける口調(文体)で、有無を言わせぬ論調で、ズバリとハッキリと遠慮なく、厳しく語られています。一つは、長い歴史を通じて人類が世代を超えて代々受け渡してきた「葛藤」と「戦い」と「混乱」を進める地獄の宗教(ウソの常識、ウソの教育、ウソの道徳、「アヤマ知」、「魔コトФ」)が創り出してきた、このまま進めば末は滅びるだけの、真コトの人間の姿(真姿)とは程遠い、見るも無残な「魔コトの人間の姿(魔姿)」であり、もう一つは、今までずっと続けてきた「葛藤」「争い」「略奪」「コントロール(洗脳)」の地獄の遊び(ゲーム)を完全に終わらせるための「元の神⦿の真実(「真コト⦿」)を生きている「真コトの人間の姿(真姿)」です。魔コトにいれば真コトではなく、真コトにいれば魔コトではない、同時には体験できない生き方です。魔コトをやめれば自動的に真コト、真コトを生きれば魔コトは消え、魔コトを生きれば真コトはない、どちらか一つ。二つは裏と表。一つは天国に向かう道、一つは地獄が激しくなり、末は滅びに向かう道。天国は100%天国です。1%でも闇、曇り、悪、裁きの心、争い、葛藤あれば、それは地獄を創る素、今今の戦いの世は地獄Фそのものです。
P24
 今までの世は滅びの道を生きる教育(宗教/強制/マインドコントロール)の成果、作品であり、この本は皆がうまくいく天国へ向かう道に戻るため(を生きるため)の教育(宗教/強制/マインドコントロール)の方法を語ったものです。⦿の真の姿、⦿の世のルール、⦿の世の生き方、⦿の世の常識とは全くアベコベの姿Фを生きている今の世の人間たちが長い間探し求めても見つからなかった「全世界全人類共通の宗教(本当の天国に生き返る方法/すべてを一つにするオオモトの教え)」でもあります。一人でも多くの人間が、宇宙創世以来の最初で最後の大峠(「世の大掃除」「世のタテカエタテナオシ」)を無事に越して、本当の平和、平等、安全、調和、自由、喜びの世界である「二十一世紀(新しい世界/真の⦿の世/天国)」に生まれ変われるように元の神⦿が用意した、全世界全人類共通の唯一の道(「神ながらの道」)でもあります。言い換えれば、今まで隠されていた真実(「真コト」)、人間たちが気づかなかった真実、神から人まですべての世界(「三千世界」「生死越えた世界」)に共通の普遍的な真理(⦿の法則/生き方/生死の境を超えた法則)、新しい時代への世界の大掃除(「三歳苦難のタテカエ」「世のタテナオシ」)のメカニズム、新しい世に生き返るための一人一人の心(「心体」「本当の自分の体」)の大掃除(「大洗濯」「掟破りの清算」)のノウハウを語ったのが、この本なのです。インチキな宗教というのは、今までの世を創っているФそのものです。
P25
 一九九六年(平成八年)は、干支(えと)の始めの子(ね)の年です。宇宙創世の元の神⦿が表の世に現れて、人間から見て分かるように真の白黒(「善悪」)をハッキリと示す初めの年、今までのすべてのすべての一切の制限を一度に一気に開き、生死の境を創っている戒律(制限)を解き放ち、現界(「限界」「幻界」)の大岩戸(「一八十」)開き(すべての真実を明かし、心と体を完全に解放する/現(こ)の世を⦿のルールに戻し、神と人の生き方を一致させる/霊体神人合一)が目に見える形で本格化する年です。自らの産みの親である元の神⦿をキレイサッパリ忘れ去り、元の神⦿の親心などそっちのけでアヤマ知Фの人間の世で学んだ常識を持ち出して自分勝手な屁理屈をこねて、平気で元の⦿の掟(ルール)を破って⦿の世を壊し続けて大騒ぎし、自らがしていることを知らず、自らの首を締めているとは知らず、わけがわからなくなってお互いに責任のなすり合いをして大混乱している、⦿を忘れた人間たちにも取り違えなくハッキリと分かるように元の⦿の掟(きまり)をズバリと明かし、元の⦿の視点(⦿の世の仕組み/⦿の見方/⦿の生き方/真実の眼鏡)を渡し、身魂(みたま)が生まれてから今までのすべての掟破り(「⦿の憲法違反」)を清算させ、日常生活での実地体験を通じて身をもって真の⦿の生き方(新しい世のヒトとしての態度)を体得できる(ミロクの民となれる)よう、元の⦿による⦿の世の社会人(神)を育てる再教育が始まる年が、平成八年でもあります。
P26
 宇宙創世以来、今の今まで、⦿を外し続けた人間たちが自覚して改心できるように、一人一人の心に語りかけながら、一人一人に⦿を外していることを教えながら、人間たちの好き放題を黙って見ていた元の親神⦿、人間たちが好き放題やりたい放題で⦿を無視し、⦿の世を壊し、自覚して改心するどころか、⦿を悪者にし、⦿を足蹴にし、⦿との約束を破り続けても、何をされても黙ってじっと耐えて時期を待っていた宇宙創成の元の神⦿が、いよいよ後がない今この時期に⦿の真コトを明かすため、現(こ)の世に降ろして修行させていた因縁の御用の身魂(今回の⦿の大掃除のお手伝いをする人間)を表に出して、元の⦿の秘密を完全に情報公開し、人間が創り出してきたすべての問題を解結し、すべての身魂を自由にする完全規制緩和策を人間の言葉で人間の口を通して人間に提供するプロセスが始まります。
 この本は、人間たちがしていた取り違い(誤解/迷信/幻想/嘘/誤った知識/「あやま知」/トリック)、真の⦿の憲法、真の⦿の常識、真の秩序や平和を創るルール、現実創造のメカニズム、人間の(心の)仕組み、神(霊界、心)と人間(現界、体)の関係、宗教(肉眼では見えない世界)と科学(肉眼で見える世界)の関係をハッキリと明かし、Фが創り出したすべての問題を一気に解結する、生死を超えた「世の大掃除」の仕組みをすべて教えて、人間たちに心の大掃除の教材をすべて渡して、次から次へと現れる問題の解結策に行き詰った全人類を元の世界⦿に戻すための最期の救いの手でもあるのです。
P27
 今のこの時期というのは、間もなくやってくる、今までのアベコベの世を引っ繰り返して、すべてのすべてを元に戻す(元の調和の⦿の世に戻す)、すべての穢(けが)れを一気に祓う最期の大掃除(「三歳苦難」)を人間たちが少しでも楽に越せるよう、新しい世の法律(「元の⦿のルール」)を知らせ、「⦿の法律違反の清算」をさせ、体験を通して新しい世の生き方を学ばせる、現界の掟(法律)の変更の『周知期間』でもあります。今ここですべてのすべての真実を、すべてのすべての仕組みをハッキリと知らせるのですから、これから先は、「知らなかった」という言い訳(屁理屈)は通用しません。勝手に⦿のルールに違反して、屁理屈をこねて好き勝手なことをして、何が何だか分からなくしたのは皆さんですから、「もっと早く教えてくれれば」という理屈も通用しません。元の⦿は、この期間の間にも少しずつ大掃除(地震、洪水、干ばつ、津波、噴火等々の天変地異/気象異変/犯罪/病気/事故/人間のシステムの崩壊等々の再生への破壊)を進めますが、この期間が終われば、有無を言わせず、⦿のルール通りにビシビシとすべてを立て直していきます。Фのあるほど厳しくなります。今のままではФの人間たちにはとても耐えきれない、生きるもならず死ぬもならずの阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄絵図となります。
 すべてのすべての原因は、一人一人のФ心です。今までの世で通用していた、元の⦿のルールを外したФ見方、考え方、常識、思考パターン、知識はもはや通用しません。一番の失敗は⦿を外したことです。一番のドジは⦿を忘れていることです。皆さん全員は初めの一歩からすでに失敗しているのです。皆さんは善と悪の戦い(◐と◑の戦争)の地獄にいるのです。皆さんがこれからすることはすべてをゼロに戻し、元の⦿のルールを生きる態度を身につける本当の修行です。
P28
 この本は、現代社会の混乱の真の原因を明かし、混迷の世紀末に⦿の光を灯す、Фの善人もФの悪人も、日本人も外国人も、人間も幽霊も、全員をマコトの天国、幸福に導く、「元の神⦿の目から見た真コトのヒトの生き方」を語った究極の人生(神生)テキストであり、真の(心の)自立への独習テキストです。同時に、現代社会のすべての問題をキレイサッパリ解結する、すべての議論、対立、葛藤をキレイサッパリ終わらせる究極の解結策を書いたマニュアルであり、これでわからなければもう手だてがない、ここで改心しなければもう間に合わない、これを否定すれば本当の「死」が待っている、新しい世界(二十一世紀/新しい時代の一世紀)に向けた大掃除(遊び場の交換)を直前に控えた、全世界全人類に告ぐ「元つ神⦿からの本当に最期の警告(オフレ/予告)」でもあります。今まで世に出ている「神示」と同様に、元の神⦿の響きを伝えるために、本文は「古文調」の文体ですが、今回は、「古文不得意」の皆さんにも十分に分かるように、現代の社会を生きる皆さんが体験している実例(材料/用語)を採り入れながら「現代語」の表現に近づけて(翻訳されて)書かれています。皆さん自身の体験や現実と置き換えて読み進めてください。表面だけを見て「難しい」「わからない」と言わずに、一つ一つの漢字の読み方や誤字や脱字や文法や言葉の意味にこだわらずに、一々止まらずに、一々価値判断せずに、アタマで意味を取ろうとせずに、ハラ(イメージ/響き/感覚)で意味を取るように、とにかく最後まで一気に読み通してください。それが皆さんのする最初の「心のお掃除」です。
 この「はじめに」も含めて、今までの本の形態とは違って、章分けも、項目分けも、小題もなく、初めから終わりまで一続きの文章をなっています。上下二冊に渡る長い長い「伝えフミ(お手紙)」ですが、これは必要があってのことです。すべてのものは一つですから、切っても切り離せません。すべては繋がっていますから、どこから読んでも他のすべてのすべてと関連しています。皆さんのいる世界も同じです。Фの心の眼鏡で見るから、分かれて見えるのです。原因は皆さん一人一人の内にあります。内を変えなければ外は変わりません。皆さんが今まで、たくさんたくさん学んできた(仕入れてきた/信じてきた)何でもかんでも善悪正誤真偽に分けて見る(考える)「Фの常識(ウソの常識)」をすべて外さないと、Фの思考(心/生き方/態度)を止めないと、いつまでたっても元の⦿には戻れません。元の⦿に戻らないと新しい世ではもう遊ぶことはできません。ですから、皆さんの魂に直接響くように、心に直接響くように、アタマの知識(「アヤマ知」/真実を隠している知識)を外せるように、皆さんの持っている論理の矛盾を解消できるように、手を変え品を変え、様々に言い換えて、一つのこと⦿を伝えて(渡して)います。
 してはいけない「形(行動/発言)」はありません。してはいけない「心(Ф)」があるだけです。⦿への掃除の結果現れた破壊や混乱(●)の形を裁く(避ける)ことが悪です。Фの心での建前の◯を認めることが悪です。⦿をФして壊しておいて、形(外道)の善を守る(自らの苦しみや破壊を避ける/善を保つために悪を裁く)ことが悪です。
 このくらいしつこく厳しく、ズバリと、何度も何度も繰り返して同じことを書かないと、皆さんの元の⦿の魂についた今までのФの垢(アカ/ヨゴレ/曇り)は落ちないのです。今まで身についた思考の癖(「価値判断」「アヤマ知」)、生き方の癖(苦しみを避けよう/痛みを避けよう/楽しよう/責任を逃れよう/邪魔者は消そう)はなかなか取れないのです。
P30
 この本に書かれている内容(情報)が全部分かるならば、ただの一つも異論(抵抗)がないならば、何も疑問がないならば、何も不安がないならば、何も不思議がないならば、何も誰もコントロール(操作)せずに100%思い通りにいくならば、あなたはすでに⦿の人間(の人生)を生きています。そういうあなたには「死」はありません。そういうあなたには「時間」や「空間」や「お金」や「法律」や「肉体」は、何の制限にもなりえません。そういうあなたには「神示」も「生き方の本」も「人の体験談」も「新聞」も「テレビ」も「宗教」も「この本」も「超能力」も「カウンセラー」も「学校」も必要ありません。「計画」も「段取り」も「操作」も「心配」も必要ありません。そういうあなたには、あなたが「必要な時」に元の⦿があなたの心に語りかけますから、素直にその通りに動けば(処理していけば)全部うまくいきます。あなたも相手もお互いに満たし合える「必要な人間」と出会わせて、「必要な場所」を渡して、「必要な道具」を渡して、「必要な情報」や「必要なもの(お金)」を、その時に「必要なだけ」過不足なく与えてくれますから、何の心配も要りません。そして、新しい世(ミロク)が開く「その時」には元の⦿がお迎えに参ります(お知らせします)から、ミロクが開くその瞬間まで、どうぞ、そのまま安心してお好きなことをして遊んでいてください。これから始まる元の⦿の最後の大仕事である「世のタテカエタテナオシの大掃除」という史上最大のドラマを、お茶でも飲みながら、ゆっくりと見物なさっていてください。もっとも、こういう方々はこの本を手にしてはいませんが。「郷に入れば郷に従え」⦿の世ではФは通用せず。
P31
 言い換えると、この本を読んでいるあなたは⦿ではありません。「そんなことはありえない」「そんなことは夢物語だ」と言っているあなたはФです。あなたがそう言っているからあなたはうまくいかないのです。あなたがそう言っているから世が乱れた(壊れた)のです。「そうじゃなくて悪いのは~」と原因を外にあると思い込んでいる(錯覚している)から自らのФに気づかないのです。あなたがあなたの制限を創り出しているのです。あなたがあなたの自由を封じ込めているのです。あなたがあなたをマインドコントロールしているのです。あなたが騙されるのはあなたのせいです。今の今でもあなたがあなたを自由に操作できるのですから、あなたがあなた自身を操作していると気づいて、あなたがあなたを自由にすれば、その瞬間から、あなたの「天国への道」がスタートします。
 あなたの現実(体験/心の内)に、たとえ〇・一%でも悩みや葛藤や戦いがあるならば、コントロールや思い通りにならないことがあるならば、自ら以外の責任だと思うものがあるならば、不可能だと思うことがあるならば、制限や恐れや被害者意識や死の感覚や焦りがあるならば、心の掃除(Фを⦿にして行動すること)が必要です。あなたの従う憲法は⦿(調和)です。Фは全部「憲法違反」です。新しい世は⦿でなければ遊べません。⦿の憲法に違反しているあなたは、この本の情報やあなたの回りの状況に文句を言う資格はありません。違反者が違反者に説教をしても何の効力もありません。外をコントロールしようとするその心がФの証なのです。神妙にルール違反の清算を始めてください。それがヒトとしての当然の態度であり、本当のイノチを助けるための、新しい世に生き返るための唯一の方法です。それをしないならば、あなたは新しい世の住人にはなれませんし、⦿の憲法に違反してきた責任をまとめて取って頂くことになります。
 あなたが新しい世に生まれ変われないと言うことは、あなたは「死刑」になるということです。あなたが⦿の憲法に違反し続けてきたのですから極刑になることは依存ないはずです。あなたがあなたを死刑にするのですから文句を言うところはありません。しただけのことはしていただきます。「ルール違反は責任をとる」「約束は守る」「借りたものは返す」のはヒトとして当然の生き方です。Фの中で取った「もの」を返さないならば泥棒です。泥棒の心を持っている人間は、新しい世には入れてくれません。邪魔者は消せ、国家転覆は有無も言わせず死刑です。
P33
 ここに書いてあることが分からないと悩む必要も、分からないことを卑下する必要もありません。Фしているあなたには分からないのが当たり前です。分からないのはФした自らの責任だと自覚して、分からないことを一々気にせず、自分なりに分かったことを片っ端からどんどん素直にそのまま行動してください。一つ一つ実行していけばだんだんと分かってきます。心の眼で見えてきます。悩んだりつっかえたりしている暇はありません。初めてのことをするのですから、初めての世界を歩くのですから、分からないのは不安なのは怖いのは当然です。今までのФが失敗なのですから、もう失敗することを恐れる必要はありません。そのままそこにФのまま居つづけることが、失敗を積み重ねることになります。今の世がもう大混乱の世なのです。平和や調和や喜びや自由や平等や博愛などどこか遠くに行ってしまった地獄の世です。何でもかんでも戦って、人を落として、人をけなして、人を騙して、人に頼って文句を言って、人のものを取って、人を動かして楽をして、人の話は聴かず、自らの意見が通らないと駄々をこねて、⦿のルールを外しておいて想い通りにしようとしても、どんなに見事な理屈をつけようともそれは全部「我(われ)善し(自分勝手/利己主義)」の、人より上に上がろうとする自分勝手な人間の茶番劇です。⦿で生きることが反省の証です。

 この本に書かれていることに一つでもカチンとくるならば、反論したくなるならば、あなた自身に想い当たるフシがあるならば、耳が痛くなるならば、あなたがФならば、今までの価値判断をすべてすべてゼロにして、全く何も知らない人間になって初めからヒトの世⦿のルールを学ぶ積もりでハラを括って取り組んでください。タテマエの理屈をこねくり回しても、Фの人間には通用しても、Фの人間は誤魔化せても、⦿は全部分かっていますから、無駄なことです。あなたがどんどん苦しくなるだけです。最後の最後は身魂の死刑台の階段が待っています。それは同時に、新しい世では遊べないということです。あなたが今ここから⦿の違反を清算する気があるならば、あなたには死はなくなります。苦しいのは今まで楽をしたツケです。取っただけ出す。借りただけ返す。楽しただけ苦しむ。得しただけ損する。壊しただけ壊される。偏らせただけ戻す。+しただけ-する。それで初めてゼロです。バランスです。調和です。不調和を調和に戻すのが「人(ヒト)」のハタラキです。役目です。調和を崩した世界を当たり前のものと思っているから、どんどん不調和になるのです。最後の最後の大掃除はФの世界丸ごと調和に戻しますから、Фをしている皆さんは「大変なこと」になります。物質の世界(現界)も心の世界(霊界)も全部⦿にする大掃除ですから、たとえ死んでも(自殺して)も逃げられません。苦しみから逃れようとするほどもっと苦しむことになります。今の苦しみはあなたのしてきた結果です。あなたが蒔いてきた不調和です。あなたが回りに与えた苦しみです。そのまま辛抱していることがあなたのお掃除です。逃げよう避けようとするほどますます苦しくなります。今までとはアベコベですから、よく覚えておいてください。今までの自分勝手なФのやり方は通用しません。心の掃除をしない限りあなたには助かる道はありません。
P35
 ここに書いてあることが本当に体験を通して分かったならば、完全にルール違反を清算して自立したならば、外のマニュアルは要りません。この本も要らなくなります。不安も恐れも心配も何も感じなくなります。誰も何も操作せずに、自分も相手もうまくいくように(必要なものが交換できるように)想いの通りに実現しますから、疲れません。あなたは天国の体験をします。今皆さんに来ている苦しみや不都合は、皆さんが元の⦿に戻るために「必要な」道具なのです。今の今も必要なものを交換しているのです。⦿に戻ったらあなたが本当に欲しいものだけが来ます。相手もあなたも嬉し嬉しで交換できるようになります。それが新しい世の、いや、本来のヒトの生き方なのです。皆さんは⦿の世をФで壊して、自らのクビを締めておいて、自らの不都合を不快感を不自由を誰かや何かの責任にして、迷惑をかけてきたのです。全員お互いさまです。それがわかったなら今ここから素直に⦿に戻ることです。Фをキレイサッパリやめることです。それができないならば、できない方だけ本当の死(滅び)の体験をすることになります。永遠のイノチを自ら捨てることになります。今苦しいからといって避けようものなら、先に行けばもっと厳しくなります。最後の最後はいやでも全員「ルール違反」の清算をさせられることになります。あなたがしたことですから文句は言えません。自主的に始めるか、強制執行されるか、あなたが決めればよいことです。いずれにしても、しただけのことはせねばなりません。今の今がФですから、後に行くほど延ばすほどルール違反を積むことになりますから、どんどん厳しくなりますし、「後で」は必ずやって来ます。今から始めれば一番楽に掃除できるのです。
P36
 皆さんがФの世で今まで学んできたものは九分九厘⦿に至れないウソの常識です。今までのФの知識、常識を基準にした価値判断を持ち出せば、永遠に⦿にはなれません。天国にも平和にも自由にも至れません。本当の天国は100%です。苦や不自由や痛みや悲しみが一点でもあれば、そこは地獄です。あなたの今までの癖でこの本を読めば、いちいちむかつくこともあるでしょうし、ゆるせないこともあるでしょう。認められないこともあるでしょうし、信じられないこともあるでしょう。でも、この本を読み終えるまでは、そこはちょっとおさえて、おさえられないと言うところをもうちょっとおさえて、「でも」「しかし」「だって」「そうは言っても」は一切やめて、「長い文章だからかったるい」などと言わずに、「めんどうくさい」などと言わずに、ツベコベと屁理屈ををこねずに、価値判断を一切持ち出さず、批判する心は一切捨てて、細かい所で一々止まらずに、アタマ(知識)を一旦ゼロにして、この本を読みおえるまでの間は「赤ん坊」になって、素直な心で最後まで辛抱して読み切ることが肝心です。これが皆さんの最初の修行でもあります。そして、分かったところからどんどん実行していってください。いいのかどうかと判断すれば、元のゲームに戻ってしまいます。「難しい」「大変」なのは当然のことです。本当の修行はそんなに甘くはありません。⦿せずに「現界で」何処に逃げても無駄です。出家しても出家ではありません。日常生活すべてで⦿を実践することが本当の修行です。あなたの行動、態度が全部⦿でなければ、新しい世には行けません。アタマを切り換えてください。皆さんの行動を通して、「分からなかった」ところがどんどん「分かって」きます。今までとは別のものが見えてきます。不思議なことや信じ難いことやあり得なかったことを体験します。だんだんと雲が晴れてきます。もともとあったものが見えてきます。あなたが何を見ようとも、それはあなたにとってはすべて真実です。あなたが今まで体験しなかったことを体験しても、決して「狂ったのでは」とか「変になったのでは」とか、考える必要はありません。あなたが見たものをあなたが疑えば、あなたは永遠に⦿にはなれません。⦿には奇跡も変なこともありません。あなたが隠していたものが見えただけです。Фが⦿の世の変人。
P37
 この本は、体験を通した「⦿の生き方の独学」ができるようになっていますから、自らのすることを自らが考えて自らが決めて自らが実行してください。それを繰り返してください。決して振り返らずゴールを見ず、ただただやりつづけてください。だんだんと想いと形が一致してきます。一致させるのではありません。一致して来るのです。その時その時で分かります。「自分の言うことを全部素直に(正直に裏表無く)実行する」こと。それが、皆さんのルール違反の清算、心の掃除、⦿の修行、天国へのガイドになります。Фならば死であり新しい世⦿(永遠のイノチ)は遊べません。新しい世で遊べなければ永遠の死を意味します。すべてのすべては一つです。Фの心を掃除すれば、そのプロセスがルール違反の清算になり、同時に、永遠のイノチを得て新しい世で遊べることになります。Фの掃除をしなければその逆です。⦿に戻ることが「神に成る」と言うことです。
 自分のことが誰にもおんぶせずに文句も言わずにお互い満たし合いの中で自分で全部できるのが神です。議論も戦争も不都合も混乱も何も必要ありません。議論やコントロールや戦争があるのは、今の世がアベコベである証拠です。元の神は⦿(戒律はありません)ですから、神心というのは、自らの心を⦿にすることです。⦿をそのまま実行することです。人生全部⦿で生きることです。自らを全部信じることです。裏を返すと、Фを全部やめることです。自らを疑わないことです。自らの心を判断しないことです。⦿とФは裏表。人生丸ごと⦿にするのがヒトの生き方です。誰も迷惑にならず皆がうまくいく生き方です。
P38
 自らの心に出てくることは元の⦿の言葉です。自らの想いを一切裁かないで、判断しないで、疑わないで、操作しないで、全部そのまま実行してください。それが自然(至善)と言うことです。そのままが「自然」です。結果として、悪くなることもあります。損すること、病気をすること、怪我をすること、騙されること、失うこと、死ぬこともあります。そこでまた⦿してください。悪くなるのはФをしていたツケです。破壊は再生、損は得、今の世に悪は一つもありません。⦿が憲法ですから、Фが違反ですから、絶対的悪はФです。調和を乱せば地獄ができますから、Фは悪です。つまり、戦争、競争、裁判、コントロールのある世は悪の世だということです。そのまま続けても絶対に天国には戻りません。平和は創るものではなく、初めからあるものです。あるものを壊したのはФの人間たちなのです。壊した自分自身の態度、行動を自覚せずに責任転嫁をしていては、戻れるものも戻れなくなってしまいます。⦿をФしたなら自分がФされて⦿に戻ります。「ルール違反をした者は償う」というのは元の⦿の世でも通用する常識です。⦿のルール違反の清算をしてください。清算とは借りたものを返すこと、貸し借りゼロにすることです。自分のものは何もありません。取ったものは借りたもの、握っているものは借りたもの、借りたものは返してください。
 ルール違反を清算して初めて完全に自由になります。⦿は100%自由です。100%喜びです。100%天国です。100%平和です。不自由なのは既にルール違反をしている証です。議論をしているのは平和を乱した証です。戦争に反対する心が平和を乱した原因(犯人)です。一人一人が自らの被害の加害者です。自ら以外に責任はありません。自らが自らを縛っているのです。あなたの人生の創造主はあなた自身なのです。あなたがあなたを自由にすればあなたは自由になります。あなたの元は肉体ではなく霊体(肉体で感じる「心」)です。心のままに肉体で体験します。心に制限あれば肉体でも制限。人の責任にすればするほどどんどんクビを締めることになります。
P39
 自らの行動の基準を⦿(完全自由)にしてください。価値判断を一切やめてください。皆が揃ってФをしていたから乱れた世になったのです。Фでは平和も平等も調和も自由も創れません。⦿の世をФで乱した今の世はすでに「乱れた世」なのです。「⦿をしたら乱れる、混乱する、悪くなるから善くない」と言うあなたは、Фしています。「⦿の世に反抗した(⦿の憲法違反の)世が今の世(Фの世)ですから、今のФの世から見て反抗的に見える「自分自身に素直な行動」は⦿に戻る行動なのです。価値判断することがすでにФですから、その積もりで歩いていってください。「いいのかどうか」「どうすればよいのか」と聞くこと自体がФです。あなたは何かを守っています。自分のものは何もありません。あなたは悪くなるのを避けています。ルール違反の清算を逃げています。あなたが⦿を乱した悪人(違反者/犯罪者)です。Фの責任を取ってください。今までФの生き方をして⦿を壊した(取った/得した/+した)だけ自らが壊れて(取られて/損して/-して)初めて清算(+-0)になります。元々は悪も損もありません。元々はゼロ(0/零/霊)ですから損も得もありません。悪くなって善くなる仕組み。すべては元の神のものです。人間には「資源」は創れません。本当の被害者はすべてを創った神だけなのです。
P40
 人の言うことやすることを「迷惑だ」と言うあなたが迷惑です。自らのすることを「迷惑かけるからやめよう」というあなたも迷惑です。Фが迷惑です。人はどうであろうと、あなただけは、先が見えなくても、損すると思っても、死ぬと思っても、一人になると思っても、不安でも、怖くても、自分の心に100%素直に生きてください。⦿の生き方を貫いてください。あなたは肉体ではありません。⦿の掃除を始めているなら、肉体死んでも魂は死にません。あなたの元は生き続けています。あなたに死はありえません。悪くなって損して苦しんで傷んで壊れてルール違反の清算をして、行動を通して体験から様々なことを学んでいきます。これが本当の勉強です。勉強は遊びです。遊びは仕事です。ハタラキです。お金を介する遊びを仕事と言っているだけです。お金と交換する遊びが「仕事」です。あなたが正直に生きているならば、その場その場でお金を交換できるようになります。「やったらどうなるか」はやれば分かります。具体例が皆さん一人一人の体験として現れてきます。したことがないことはやってみなければわかりません。Фがすでに失敗ですから、あなたは失敗を恐れる必要はないのです。Фが真の迷惑。コントロール、文句、制止、禁止、批判すること自体が迷惑なのです。何も気にする必要はありません。⦿をФしたらその時点で反抗していることになります。何でもできるのに制限を嵌めています。制限をはめたФを基準にして文句を言っても無効です。Фの人間には文句を言う資格はありません。⦿が憲法です。Фは違反です。⦿の世に罪悪感などありません。罪悪感を無くして行動することが⦿に戻る第一歩です。神はすべて許しているというのはこういう意味です。
P41
 あなたが⦿を生きはじめれば(掃除を始めれば)、あなたにあなたを納得させる出来事がどんどん起きてきます。自分が自分に証明することになります。人の具体例を聞いてもあなた自身に何が起きるかはあなたがやらなければ何も分かりません。何も変わりません。人がやったから、前例があるからできるのであれば、今すぐにでもできます。あなたがただやればよいだけです。「出来ない」のではなく「やらない」だけです。⦿がルールですから、してはいけないことは一つもありません。肉体が傷ついてもそれは神が自分のものを使って自分のものを壊しただけです。この世のものはすべて神のものです。資源は神にしか創れません。すべてのすべては神のものです。肉体が死んでもあなたは死んでいません。肉体が壊れるのはあなたのФを清算するためです。神は自分のもの(体)を壊してあなたと共に痛みを分かち合っているのです。「被害者だ」「損害を賠償しろ」と言っても通用しません。借りたものを自分のものにして取った取られたと騒いでも無効です。法律で決めるまでもありません。借りたものをそのまま持っているならば泥棒です。全部返さなければ天国はありません。世界を偏らせた犯罪者には居るところはありません。
 今の世は⦿の犯罪者の刑務所です。⦿のルール違反を清算した者から順番に⦿の娑婆(しゃば)に出られます。今の世が自由だ平和だと思ったら大間違いです。人を落として自分だけ金持ちになってもここだけのことです。次の世に持っていけるのは⦿の魂(心)だけです。モノは一切もって行けません。Фの世で築いたФの世だけで通用する地位や信用や世間体や建前や保身や欲や善人心や知識や秘密や宗教は邪魔になります。Фは裁く心です。⦿は裁かない心です。⦿は裏表無し。Фは裏と表の使い分け。⦿の世は心が丸見えの世です。Фは意味がありません。⦿の世に行けるのは素直な心体をもつ魂だけです。今からどんどんФの服を脱いで心を真っ裸にしていってください。最後の最後にはいやだといってもФの衣は全部剥がされます。Фを掃除するのが新しい世への条件です。Фの人間の言う「死」は関係ありません。生死を超えた大掃除ですから。⦿人間からみればФの悪あがきは丸見え。隠しても無駄です。
P43
 あなたがあなたの心に100%素直に生きればよいだけです。自分に正直に生きればよいだけです。今までの価値判断は一切要りません。間違ったものを選択すれば間違った作品が出来上がります。Фはウソですから、Фは全部捨ててください。簡単なことです。できないと言うならばФを持っています。全くアベコベですから厳しいのは当然です。⦿の世はФでは生きられません。⦿の神は「いいよ」と言っているのですから難しいことなどありません。あなたは死にません。「やめろ」「ゆるさない」「みとめない」「させよう」「させない」等々のコントロールはルール違反です。もうФの人間の操作や文句は一切無効です。勝手に恐れを創って、借り物を握って、自分は動かないで楽しようとして、人をコントロールしている(人の責任にしている)自分勝手な人間はどんどん苦しくなっていきます。一人一人が素直に生きることです。それが⦿の生き方。あなたがФなければあなたの思いの通りにやればうまくいきます。あなたがФあるならばどんなに避けてもあなたが心配していることがおきます。あなたが避けるならば、あなたの恐れていることをそのままお返しします。どうなるかは、やればわかります。助かりたいならば、Фをやめて⦿を生きることです。助かろうとするのをやめることです。先を見るのをやめることです。心配するのをやめることです。何があっても⦿を堅持することです。肉体壊れても死にません。肉体という服を着た幽霊が皆さんなのです。皆さんが⦿ならば、何度でもやり直せます。古くなった服(体)を新しく交換して続きが楽しめます。今度だけは⦿にすることが生の条件なのです。怖いものは何もありません。「死」や「競争」は全部Фの世の幻想です。
P44
 「はじめに」で今まで書いてきたことも含めて、この本に書いてあることは、実は、魂のレベルで皆さんがもともと知っていることばかりです。皆さんがФをしたから、恐れを創ったから、Фのコントロールに嵌まったから、ウソの知識をホントだと信じて疑わないで、死を創って、霊と体を分けて、一つのものを分けて、⦿をФしてしまったから、争いの世が始まって、何がなんだか分からなくなったのです。分からない人間がФの知識を教え合っても分からないままです。分からないままどんどん混乱していくだけです。Фの世がホントの世だと錯覚していますから、都合の悪いことは隠します。皆さんは分からないフリをしているだけです。自分の都合で、都合の悪いものを封じ込めただけです。やると怖い(ことになると錯覚している)ことを避けているだけです。皆さんが皆さんの正直な心、素直な心、⦿を疑うから葛藤になるのです。皆さんが⦿を忘れているから、Фのコントロール(操作/洗脳)に嵌まるのです。騙されるのです。
 皆さんが皆さん自身を苦しめている帳本人です。皆さんの「被害(損害)」の加害者は皆さん自身です。本当の被害者は元の⦿だけなのです。皆さんが⦿を思い出せば、Фの相対二元の「花いちもんめ」ゲームから出られます。いつまでやっても仲良くなれない滅びの道です。早く、「とおりゃんせ」の歌を歌いながら、「天神様の細道」を通って、⦿の世に戻って来てください。

 この本は、すべてのすべての秘密を明かしてあります。皆さんが知っていて隠していることを全部書いてあります。皆さんはここに書いてあることを知っています。皆さんの「いいのかな」に対する答えがあります。皆さんの心に正直に行動してください。⦿を生きてください。自分で見つけて、自分で確認して、自分で決めて、自分で答えて、自分で行動して、自分で体験して、自分で気づいて、人に迷惑をかけずに(人に文句を言わずに)自分で自分のことができるようになってください。この本はそのためのテキストです。早くテキストを手放せる日を迎えてください。皆さんの心に正直に生きてください。最後の最後に残るのは心だけです。モノ(人、本)がなければ動けないならば、この先の⦿の世は生きては行けません。今からどんどん自分で決めて動いてください。駄目なら次へ移ってください。コントロールはやめてください。人を動かすのではなく、自分が動くことが鍵です。皆さんが⦿に戻ってくれるのを一番楽しみにしているのは、皆さん自身なのです。そして、それが皆さんの元の親である⦿が一番望んでいることなのです。元の神⦿は、一人でも多くの人間(子供)が新しい世⦿で永遠のイノチを得て、嬉し嬉しで遊べるようになることを願っているのです。
 皆さん自身の本当の心が元の親神⦿の心です。自分に正直に生きることが⦿を生きることです。後少しの辛抱です。永遠のイノチを得るためのご苦労です。今まで好き放題に⦿の世を荒らしてきたのですから、これからの大掃除の苦労をグチグチ言っている人間は、⦿の世に生き返る資格はありません。死んでも続く心の掃除(心体の洗濯)です。本当の「イノチの洗濯」です。本当の「ルール違反の清算」です。本当の「神成る修行」です。死んでも頑張ってください。善いことも悪いこともしただけのことは全部受け取ってください。借りたものは全部返してください。Фの戦いを終わらせてください。宇宙のバランスを戻してください。最後の最後は全部返して素っ裸(心体)になります。⦿の心体を持つ魂だけが次の世に行けます。まずは、一人一人が心を⦿にすることです。
 戦争も議論も争いも悩みもストレスも自分が創っているФが原因です。⦿のルールは⦿です。Фがルール違反です。ルールは守ってください。真のルールに従ってください。形に現れる状況は悪でも善でもありません。悪くしただけ悪くなってゼロです。悪くなって善くなる仕組み。死んで(心で、真で)生き返る仕組み。それが大掃除の鍵です。それが最後の一厘です。
P46
 ミロクが開くその時まで、どうぞご無事で心の掃除に励んでください。それが自分のためであり、人のため、社会のためなのです。世のため人のためにハタラキたいならば、自分の心の掃除に励むことです。⦿に戻ってください。それが一人一人のお役目です。ミロクを創るのが人間の天命です。それが永遠のイノチを得る方法でもあります。あなたが天命を全うしたいならば、自分にも人にも社会にも迷惑なФの悪あがきはいい加減にやめて、⦿を生きてください。皆さんの心が皆さんのガイドです。皆さんの心が皆さんの「神示」です。この本も「神示」も皆さんが⦿心を思い出すまでの道具に過ぎません。皆さんが自分自身で歩けるようになるまでの杖に過ぎません。真理はシンプルです。普遍的です。絶対です。心理が真理で神⦿理です。皆さんの⦿の心が皆さんの生死をつなぐ接着剤です。「ハコブネ」です。
 間もなく皆さんの人生の分岐点(本当の生死の境)がやってきます。⦿かФかで雲泥の差になります。まったくアベコベの結果になります。光か闇か(天国か滅びか/残るか消えるか)の二つに一つです。皆さんの歩くべき道は一つだけです。それがわかった人間だけが永遠の天国、永遠のイノチを手にすることができます。身魂磨き(心の掃除/⦿)が済んだ皆さんは、これから何が起ころうとも一切関係ありません。⦿心体(神体/⦿体)に戻った皆さんには、現界での天変地異も核戦争も毒ガスも犯罪も何も関係ありません。古い肉体を脱いで新しい肉体を着るだけのことですから。一人でも多くの方が早く⦿心に戻れるように祈っています。
P47
 それではこのあたりで長い長い「はじめに」を終わりにして、いよいよ「本文」(「伝えフミ」)に入ります。「伝えフミ」から直接、元の神⦿の親心(真意/親意)を受け取って、今までのФの生き方を見直して、⦿を実践して、心の掃除に励んでください。この本と合わせて『人生というゲームの新しい遊び方』『新しい時代を生きる人間学』『西暦2000年ミロクの世が開かれる』(以上三冊とも、たま出版刊)、も読んで頂けば、何がホノトで何がウソか、何をどうすればよいのか、ハッキリと見えてくると思います。素直が一番、アホが一番。Фの世のアホが⦿。

 そろそろ自分自身に抵抗するのはヤメにしては如何でしょうか。でも、それはあなたが決めることですからこれ以上とやかくは言いません。どうぞこの本をあなたの選択(洗濯)の参考にしてください。この本が、皆さんへの最期(止め/艮(とどめ))のフミ(マニュアル/テキスト)になることを願っています。皆さんと新しい世⦿(ミロク)で再会して、元の神⦿と共に、私たち人間の長い間の念願だった「永遠の地上天国」を創れる日を楽しみにしています。新しい世⦿でご一緒に嬉し嬉しの本当の人生を心行くまで満喫しましょう。



  目    次 

元つ神からの最期の艮(とどめ)のフミ その一 51
元つ神からの最期の艮のフミ その二  125
元つ神からの最期の艮のフミ その三  159
元つ神からの最期の艮のフミ その四  237
元つ神からの最期の艮のフミ その五  267




元つ神からの最期の艮(とどめ)のフミ その一 

P52
 今今のそなたらと申すのは、元つ真釣りのこの方が居ることなどキレイサッパリと忘れ去り、自らこそが三千世界すべてを産み生んだ真コトの神じゃと思い込んで居る元つ真コトの一厘を見失った中つ魔釣りの魔コトの神々の手下となりて、宇宙も世界も人類も、最後の最後は自ら自身も、形あるものすべてが滅びる世界人類丸潰れの仕組みの内に居るとも知らずに、現(こ)の世のことは何でもかんでも自らの思い通りに成るのじゃと勘違い致して中つ世界の人類の征服を画策して居る者どもの企みに、世界丸ごと上から下まで、一人残らず、まんまと嵌まりてござるのぞ。そなたら人間は、ウソをウソで塗り固めた魔釣りの世の常識を天国を創る真釣りの世の常識と取り違い致して、天国どころか地獄さえも創れぬ、末(すえ)はすべてが消え去る運命の魔釣りのやり方であるとも知らずに、自らの教えて居ることは正しいことじゃ、自らの申すことは真実じゃ等と申して、宇宙創世以来、人類の長い歴史を通じて、今の今まで何世代にも渡って、教育や政治や宗教の名のもとに、全世界全人類挙げて、親から子へ、教師から生徒へ、教祖から信者へと次々に渡し続けて来て居るのでござるぞ。最期は世界人類丸潰れの魔釣りで創りた魔コトの世界を真釣りの神の創りた真コトの世界と取り違え、魔釣りの創り出したウソを真釣りの真コトと取り違え、自らの望みとは全くアベコベの世を創り出すウソのシナリオに基づいて、すべてのすべての社会システムを創り出して来た成りの果ての姿が、今今のそなたらが居る乱れた世でござるのじゃ。
P53
 そなたらに魔コトを教えて居る当の本人達はと申せば、自らは魔釣りの神に囚われて居るからこの方の真コトは見えず、自らだけがすべての仕組みを知って居る唯一の者じゃから自らだけは騙されることはござらんと思い込み、自らが世界人類の王の王に成れると勘違い致して、自らがウソの魔コトを教えて居るとは露も知らず、最後は自ら自身も滅びる魔コトの世を進み来てしまって居るのに全く気づいて居らんのじゃ。そなたらが真コトに気づくその前に、魔釣りの知恵で真釣りの智慧を覆い隠し、真コトを魔コトにすり替えて、至福を利便と言い換えて、神を金に置き換えて、自らの支配に都合善き、自らが操り易き「ケモノ」ばかりの世と成して居るのでござるぞ。その者達は、金が無ければ何も出来ぬ、外が無ければ何も出来ぬ、教えて貰わねば何も分からぬ、自ら思考することの出来ぬ、自らの欲望のままに生きる、自らの力だけでは何もできぬように成りた者達の首根っこを押さえ込んで、不安や恐れや罪悪感を操作して、逆らう者には脅しをかけて、金から命まですべてのすべて、挙げ句の果ては神までも、何でもかんでも自らの思い通りに支配できる世を九分九厘実現したと思って油断なさってござるが、肝心要の元つ真コトの一厘を忘れて居るから、最後の最後にどんでん返しがあることなど露知らず、自らの企みしその仕組みに自ら自身が嵌まって居ることなど、コレっぽっちも気づいて居らんのじゃ。
P54
 そなたらは、自らに原因があるなどとは思って居らんから、何でもかんでも外のせいに致して、外を責めて、闘って、傷つけて、自らの思い通りに善く成ると思い込んでいなさるが、結局のところ、自らが自らを傷つけて居ることに気づいておるか、そなたらが外と闘えば闘うほど、外を責めれば責めるほど、外を排除しようとすればするほど、魔釣りの世の支配を企んで居る者達の創りた仕組みをどんどん進めて、自らの首を締めてゆくばかりでござるのぞ。今のまま進めば、その者達もそなたらも、全員丸潰れの滅びの坂道をどんどん駆け降りて行くだけでござるのじゃ。何も知らぬそなたらは、何がマコトで何がウソかも分からずに、平和じゃ、自由じゃ、平等じゃ等と大騒ぎしてなさるが、元々のやり方がアベコベでござるから、いつまでやっても真コトの自由や幸福や安全や平和など出来る筈も無く、やればやるほど何が何だか分からなくなりて、何でもかんでも外に頼り、人に頼って騙されて、不平不満を申しても、何一つ自らの思い通りにはならず、ますます混乱して行くばかりでござろうが。そなたらの居る魔釣りの世を支配して居る上の者達が自らの為して居ることに全く気づいて居らんから、何も知らずに下に居るそなたらが真コトに気づく筈もなく、魔釣りで創った不都合を更なる魔釣りでまつり縫い、目の前の問題を解結するどころか、次々に更なる問題を創り出し、挙げ句の果ては何が何だか分からなくなりて、もはや自らの手ではどうすることもできぬ、神無き地獄の世と成してしまって居るのでござるのぞ。
P54
 今の世の人間どもは、上から下まで揃いも揃って世界丸潰れの魔釣りの仕組みにまんまと嵌まりて、神も光も真コトの親も、すべてのすべてが見えなくなりて、真コトの神のこの方の創りた世を壊し続けて居るとも知らずに、我(われ)は善人じゃ、何も悪いことなどして居らんのに苦しむのはオカシキことじゃ等とホザイて、自らの無智(真コトを知らぬこと)を自ら白状して居る、大タワケ者ばかりでござるのぞ。そなたらは、末は全員滅びるだけの魔釣りの世を進める「アヤマ知(マ違った知識、知恵、観念、常識)」であるなどとは露知らず、我(われ)はそなたのためを思って為して居るのじゃ、人間は誰でも上に上がりたいのが当然じゃ、困って居る者や貧しい者を助けることは善いことじゃ、自らを犠牲にして人に尽くすのは尊いことじゃ、人に勝たねば人生終わりじゃ、競争や議論をして磨き合うのが人間じゃ、人間にはストレスがあるのが当然じゃ、人間は優しさや思いやりが大切じゃ、人間だから分からんことがあるのは当然じゃ、今の社会では出世しなければ幸せはござらん、自ら損してまで人を助けるのはバカ者じゃ、真面目に勉強することは将来のために大事なことじゃ、人に迷惑をかけるのは悪いことじゃ、人を傷つけるのは悪いことじゃ等々と、何の疑いも無く当たり前のように申してなさるが、そなたらがそう申せば申すほど、ますます真釣りを外し行き、どんどん平和や自由や平等や天国から遠ざかって居ることにお気づきあれよ。ここに来てまで、まだ世界人類を支配出来ると思って居る大タワケ者がおられるようでござるが、そなたらは、最後の最後は自らも人も共倒れの世界丸潰れの仕組みを進めて居るのじゃということをお忘れなきよう、ここで改めてきつくご注意申しおくぞ。早う目を覚まさんと、本当の本当に取り返しのつかんことになるぞ。
P56
 今今のそなたらと申すのは、このまま進めば何も知らずに滅びる、末はすべてが消え去る運命の闇(病み)の世界の住人でござるのぞ。そなたらは、魔釣りの魔コトで心が曇りに曇ってしまって居るから、元つ真釣りの真コトの神のこの方の影も形も見事に見えなくなりて、自らが、元つ真釣りの真コトの神が産み生んだ、ミロクで神(地の日月の神/ヒト/自らのことは自らで出来る身魂)と成るべき尊き身魂であることなど綺麗サッパリと忘れ去ってしまって居るのでござるぞ。そなたらがこの方の申すことを一つなりとも疑うことがその証でござる。そなたらが自らの真コトの姿(素型)を生きて居るならば、そなたらの世には、争いや葛藤や混乱や不都合や疑問など何一つもござらんのぞ。そなたらが、自らの内にすべての原因があることを知って居るならば、自らのしてきたことの結果を自ら以外の責任にして不平不満を申すなど、オカシキことでござろうが。そなたらが何もかも知って居ると申すならば、自らの使命も天命もこの方のことも、すべて分かって居るのでござるから、神など居らん、神など迷信じゃ、我は何のために生きて居るのか等と申して居ること自体、マコトにオカシキことでござるのじゃ。善くなるどころか、ますます混乱が加速して、何がなんだか分からなくなって居る今今の世と申すのは、そなたらが為して来た魔釣りの世の成りの果ての魔姿でござるのぞ。

 そなたらは、三六九で神(⦿)成って調和の世を創る御役を背負って居る尊き真釣りの身魂であるという自らの真コトの姿(真姿)など綺麗サッパリと忘れ去り、魔釣りの世を真釣りの世と勝手に取り違い致して、略奪や戦いや病気や悩みや制限があるのが当たり前じゃ、人間には出来ないことがあるのは当然のことじゃ等と、何の疑いも無く、当然の事のように、平気で申してござるが、如何に「あやま知」で心の眼が曇って真コトが見えなくなって居るとはいえ、人間と人間とが闘って、責め合いや奪い合いやコントロール合戦をしておりては、平和も自由も平等も天国も何も出来はせんことぐらい気づかんでどうするのじゃ。こんな簡単なことが分からんようでは、そなたはミロクの民にはなれんぞ。そなたらは真釣りの何たるかを綺麗に忘れ去って居るから、元つ真釣りのこの方を無きものにして、何の疑いもなく現(こ)の世が今のまま続くと思い込んで居るが、我(われ)善し勝手な思い上がりもいい加減に致せよ。何も知らんとは申せ、神成る身魂であることを忘れたそなたらのあまりの情けなき所業に、神はことごとく閉口して居るのじゃぞ。今今の世と申すのは、この方(神)を無きものにして平和や自由や平等や天国を人間の力だけで創れるものといつまでも思って居る、自らの魔釣りが創った不都合を魔釣りで解結できると未だに思って居る、自ら(人間)が霊界との関係ですべての九十を成して居ることを忘れて、何でもかんでも現(こ)の世だけで解結できると思って居る、自ら創った不都合を自らの力では何一つ解結することが出来もせんで自らがこの世で一番じゃと思い込んで居る、曇りに曇った盲目の身魂、地獄の人民ばかりがウヨウヨしてござるのぞ。
P58
 そなたら人間と申すのは、神の力を借りてすべてのすべての物事を成して居るのでござるのぞ。そなたらは、元の神の力(産土力(うぶすなりき))がなければ何一つ出来はせんのじゃ。この方はそなたらが無と申して居る元つ響きからどんな有の響きでも無限に創り出せるのでござるぞ。そなたらの世にあるものはすべてのすべて、宇宙、太陽、資源からそなたらの肉の体まで、今の今もこの方が休みなく創り続けて居るから有るものでござるのぞ。そなたらが平気で荒らして居る資源や土地や植物や動物は、すべてのすべてが元の真釣りの調和のもとにこの方の産み成したものでござるのぞ。そなたらが真釣りに生きて居れば、この方はそなたらの欲しいものを欲しいだけ、幾らでもお渡しするのでござるぞ。そなたらが有限と思って居る資源や自然は有限などではござらんぞ。そなたらの食らうものは有限でござるが、この方の天恵は無限でござるのぞ。この方は、そなたらがこの世で生きていく為に必要なものくらい、幾らでもお渡しすることができるのでござる。そなたらがこの方を忘れて、資源は有限じゃと申せば、この方はそなたらの取り違いを教えるために有限の世界を見せることもできるのでござるぞ。この方が自らの都合で勝手に有限にして居るのではござらんぞ。この方とて自らのお子であるそなたらを何も好んでわざわざ苦しめるようなことは致さん。そのままの態度では永遠の天国、ミロクの世に生まれることは出来んから、そなたらが無限の天国に生き戻れるように、そなたらの取り違いを形にして教えて居るのでござる。有限の原因はそなたら自身にあるのでござるぞ。
P59
 資源は有限じゃ等と申すのは、そなたらが元の無限のこの方を忘れ去って居る証でござるぞ。そなたらが元の真釣りのこの方を忘れて居るから、そなたらの眼には何でもかんでも有限に見えるのじゃ。資源が有限なのではなく、そなたら自らが自らの心を有限にして居るから、この方がそれを見せて差し上げて居るのでござるぞ。そなたらが有限じゃと申すから、そなたらの外がそうなって居るのでござるぞ。この方が有の響きを創り出すことをやめれば、そなたら人間は、一日たりとも生きてはおられんのじゃぞ。すべてのすべてはこの方次第でござるのぞ。自らが真釣りを外しておいて、自らの都合で勝手に資源を取り荒らし、アレが無いコレが無いと不平不満を申すなど、神成る身魂のすることではござらんぞ。そなたらがして居ることは、神成る身魂の自覚無き所業、神の調和を乱す、調和の神の世を壊す大罪でござるぞ。この方は、何から何までそなたらの申す通りにして差し上げて居るのでござるから、そなたらに文句を言われる筋合いはござらんぞ。そなたらには自由意思を与えてあるから、そなたらがどんなに苦しくなろうとも、すべてそなたらの申す通りにして居るのでござるのじゃ。

 自らのお子であるそなたらが苦しむようなことはさせたくないのが親心ではござるが、そなたらがそなたら自らの意志で真釣りに戻って欲しいから、自らが自らの手で自らの世話をすることが出来ねば、自ら自覚して真釣りに戻らねばミロクの民にはなれんから、鬼となりて、悪魔となりて、手を出したいのを引っ込めて、そなたらが自ら気づいて改心できるように、辛抱に辛抱して、堪えに堪えて、手を出したいのを我慢致して、そなたらに苦を渡し、悪を見せて居るのでござるのぞ。自らのお子が危ない目に遭いそうになれば、すぐに口出し手を出して、お子がしたいと申すことを自らの我を出してやめさせるのがそなたら人間の親でござろう。それでは真コトの教育は出来んぞ。それでは本当に助けたことにはならんぞ。それではお子自らが自らの力で学ぶ体験は出来んぞ。それでは真コトの智慧は身につかんぞ。損して、怪我して、病気して、失敗して、危ない目に遭って、その体験から新しきことを学ぶのでござるぞ。知識だけを仕入れても本当に学んだことにはならん。身を以って体験して初めて自らの実となるのじゃ。そなたが真釣りを外して居る分量だけ、そなたが真釣りを外しただけピタリしか渡して居らんから、苦しめようとして多めに渡して居るなどと勘違い致さんでくだされよ。
P60
 そなたは死んでもこの方の内でござるから、そなたの肉の身の危険など関係無きことでござる。そなたは死んでも生きて居るのでござるぞ。そなたの肉の身がどのような状況になろうとも、そなたが真釣りに居るならば、そなたにはマコトの死はござらん。そなたが魔釣りに居るならば、たとえモノカネどんなに持ちても、肉の身の姿、形がどんなに綺麗であろうとも、そなたにはマコトの死が待って居るのでござるぞ。そなたらの本当の財産と申すのは「体験」だけでござるのぞ。たとえモノカネ山ほど手に入れようとても、そなたの肉の身でさえも、次のミロクには一つとして持って行けるモノはござらんぞ。我(われ)善し勝手な「あやま知」の基準を持ち出して、危険だから、迷惑だから、見たくないからと申して、人の体験を奪うのは、泥棒でござるぞ。そなたらは、身魂の掃除が第一でござるから、身魂がそなたらの本体でござるから、肉の身で、肉の世界でどんな酷き状況、姿に成ろうとも、辛抱するのが真コトの親ぞ。子が真釣りに戻るのを邪魔する親は、真コトの親ではござらんぞ。そなたのお子や家族や友人は死んでもこの方の内でござるから、そなたがアレコレ心配せんでも宜しいぞ。子は親の真似をして育つのでござろうが。まずはそなた自らが手本を示さねば、本当のしつけなど出来はせんのぞ。
P61
 この方は、そなたらが苦しいと申しても、そなたらが思う通りにいかんと申しても、そなたらがどんな屁理屈を付けようとも、すべてそなたらが申す通りにして居るのでござるぞ。そなたらは魔釣りの神に囚われて元の真釣りの何たるかが分かっておらんから、神など居らんと申して、魔釣りの世で学んだやり方で現(こ)の世を善くしようと躍起になっていなさるが、平和で自由で安らぎの天国どころか、戦争や制限や問題ばかりの地獄の世をどんどん進め来て居るのにまだ気づかんのか。歴史を通じて今の今まで、そなたら人間が解結したものなど、ただの一つも御座らんのぞ。元々は問題などただの一つも御座らんから、解結などと申すことも必要無きことでござるのぞ。自らの魔釣りの結果創り出した問題を自らで解結するどころか、ますます問題を積み上げて、今の今では自らの手ではどうすることも出来ないところまで来て居るでござろうが。神など居らん等と申していつまでも我を張っておらずに、自らのアヤマチを素直に認めて、これ以上地獄を進めるのはやめて、後のことはこの方にお任せなされ。そなたらが為して居ることは、元の元がアベコベでござるから、先に行くほど行き詰るだけでござるぞ。そなたらが魔釣りの仕組みの中で、自らの世界を善くしようとすればするほど、この方の創りた元の至善の天国を壊し行くのでござるから、いい加減に悪あがきはやめて、早う真釣りに戻ってくだされよ。
P62
 そなたらには元の至善を創ることは出来んのでござるから、そなたらが今目の前にある形になった自然(至善)を元に戻すことなど無理な話でござろうが。そなたらは元に戻すと申すが、一度壊したものは元の元には戻らんのぞ。そなたらのしてきたことの尻ぬぐいは、もうこの方がするしか無きところまで来て居ることに早うお気づきあれよ。何も知らなかったとは申せ、元の調和の世界を勝手に魔釣りで壊し来て、自らがしてきたことの責任を取れぬと申すのは、いかなることでござろうか。何でもかんでも自ら以外のせいにして、我(われ)は悪いことなどして居らん等と申すのは、神成る身魂として恥ずかしき所業でござるのぞ。調和を壊すのは、神の掟違反でござるのぞ。調和を壊しては、天国も自由も平等も何も御座らん。元の真釣りのこの方にとっては、そなたらもろとも世界宇宙の大掃除を致してそなたらが壊した至善を元に戻すことなど簡単なことにてござるが、それではそなたらが可哀想なから、この方のお子を殺すのは忍びないから、そなたら自らが改心して真釣りに戻ってくれることを期待して、今の今まで大掃除を猶予して来たのでござるぞ。この方が世界の大掃除を始めれば、この方の内に居るそなたらはひとたまりも無いぞ。この方はそなたらの親でござるから、そなたらお子がしたことは、この方の責任でもござるから、予告無しで一度に掃除するようなことは致さんから、カラクリを予め全部教えるから、外の大掃除はこの方に任せて、そなたらは内の心の大掃除を始めてくれよ。
P63
 そなたらが壊し来た自然(至善)と申すのは、この方が自らの内に産み生んだ有の世界でござるから、この方にしか作り替えることは出来んのでござるぞ。そなたらのイノチもこの方次第でござるのぞ。そなたらに出来ることは、自らの心の立替え立て直しだけでござるぞ。そなたらの内の通りに外が形に成って居るのでござるのぞ。この方がそなたの内の通りにそなたらの外に見せて居ったのじゃ。そなたらの内に不調和がござれば、世界の調和が壊れるから、そなたら自らが内を調和に戻せるように、そなたらの内の不調和を外に見せて教えて居ったのでござるぞ。この方を忘れ去って居るそなたら人間が、自らの外にあるものを、自然や動物や他人や世界や神を、そなたらの力で変えられるなどと申す思い上がった考えは、キレイサッパリ捨てなされ。そなたらはそなたらの力では外を変えることはできんのぞ。そなたらが自然や地球を元に戻せると申すなど、とんでもない取り違いでござるぞ。そなたらの魔釣りが自然を壊した原因でござるのぞ。そなたらが魔釣りに居るから、この方が、自らの胎内にある自然を壊して教えて来たのでござるぞ。そなたらが内に悪を持って居れば、外に悪を見たいと申して居るのと同じことでござるぞ。この方は、そなたらの見たいものを見せて差し上げて居るのでござるぞ。そなたらが見たいと申すから外に悪を創りて差し上げたのに悪を消そうと致すのはいかなることでござるか。
P64
 そなたらが外の悪を裁けば裁くほど外に悪が現れる道理。そなたらが内に悪を持たねば悪は外には現れなかったのでござるぞ。すべてのすべてがそなたら自らが希望したことでござるのぞ。最後の最後はこの方自らがすべてを元に戻すから、そなたらがどんなに外を壊そうとも、この方にとっては大きな問題ではござらん。外に見える環境破壊と申すのは、そなた自身の心の破壊の映しでござるぞ。そなたらの魔釣りをそのままにしておいて地球環境云々(うんぬん)と大騒ぎ致しても、何も知らぬ大アホ集団の茶番劇でござる。自らが自然を操作できると申す、人が人を変えられると申す、そなたらの我(われ)善し勝手な取り違いが今今の混乱を創りだした原因でござるぞ。そなたらは魔釣りに居るから、自らの肉の身を失うことを恐れて、悪くなることを避けようとして、地震や天気や人の心や自らの未来を予知なさろうとして居るが、犯罪や戦争や破壊をして居る者を排除しようとなさって居るが、そなたらが真釣りに居れば、そのようなことは不要なことでござるのぞ。そなたが真釣りに居れば、そなたにはなんの関係も無きことでござるのぞ。そなたらは自然の猛威を十分に目にして居るのに、未だに自然を征服、克服しようなどと考えていなさるが、そろそろ素直になりなされ。この方にどんなに抵抗しても無駄なことでござるのぞ。

 そなたらの今までのデーターでは、これから起きることは、想像もつかんことでござるのぞ。そなたらが真釣りに戻らねば、そなたらには安全な場所も、逃げる所もどこにもござらんぞ。地震や噴火や毒や犯罪や病気や死が恐ろしいのではござらんぞ。そなたらが魔釣りのままで居ることが恐ろしいことでござるのぞ。そなたらの内の通りにこの方が与えて居るのでござるから、そなたらの内を変えれば、そなたの現実が、そなたらの外が変わるのでござるぞ。汚染物質だろうが、核兵器だろうが、麻薬だろうが、化学兵器だろうが、銃だろうが、病原菌だろうが、毒キノコだろうが、すべてはこの方の産み生んだ自然から創り出されたものでござるから、そなたらからはどう見えようとも、何一つ「危険なもの」はござらんぞ。この方は、そなたが内の調和を乱せば、そなたが危険に感じることをそなたに渡してそなたの改心を促すのでござるぞ。そなたが見ておるものを「危険じゃ」と申して居るだけで、それ自体が「危険なもの」ではござらんから、勘違いなさるでないぞ。そなたらが申す悪は悪ではござらんぞ。そなたらの内の悪を見せるための外の悪でござるぞ。そなた自身が悪と申して居るだけでござる。そなたらの外はそなたらの内の映しでござるのぞ。モノやシステムの破壊や体の破壊(殺人、自殺、病気、怪我)が悪じゃと申すならば、自らの内に悪を持って居るそなたらは全員悪人でござるぞ。
P65
 そなたらが内を乱して行動すれば、今今のそなたらの世のように、外が乱れるのでござるぞ。次の世では二度と地獄は創らせんから、もう同じアヤマチを繰り返すことはさせんから、そなたの内に悪あればそなたの外を乱す原因になるから、心の掃除の無き者は次の世へは連れていくことは出来んのぞ。外の世界の大掃除はそなたの掃除の有無とは関係無しに進んで居るから、そなたが自主的に自らの心の掃除をせねば、そなたは次の世に行かれんから、そなたが内を乱せば外を乱して心の掃除が必要であることを気づかせるのでござるぞ。そなたらは、自らの肉体や「持ちもの」が壊された取られた傷つけられたと大騒ぎして居るが、そなたらは今の今までこの方の創りたものを取って壊して乱し続けて居るのでござるぞ。そなたらの内の悪をそなたらに教えるために、この方がこの方の創りた世界にあるものを壊すことを許して居るから出来ることでござるのぞ。この方が許さなければそなたら人間は、何も出来んのでござるぞ。この方は、そなたらの壊したものを元に戻せと申して居るのではござらんぞ。この方にとっては、最後にまとめて大掃除致して、そっくり交換すればよいだけでござるから、そなたらがどんなに壊そうとも痛くも痒(かゆ)くもござらんが、そなたらが真コトに気づかねば、真コトに気づかぬ者だけが大掃除に巻き込まれてしまうから、ご注意申し上げて居るのでござるぞ。自らの創りた調和を壊し、自らの体を傷つけてまでも、そなたらに教えるのは、自らのお子を何としても天国の世に連れていきたいこの方の親心でござるぞ。この方の真意(神意)を分かってくだされよ。
P66
 この方は、これから先は真釣り無き者は許さんから、魔釣りを生きて居る者はどんどん厳しくするから、魔釣りのやり方はどんどん壊していくから覚悟致せよ。真釣りの身魂でなければミロクの世には生き返れんから、魔釣りの癖を取らねばならんから、今ここが真釣りに戻るギリギリのところでござるから、この方は、今今からしつこく厳しく申して居るのでござるぞ。この方の申して居ることをハイハイと素直に聴いて、一人一人が自らのしておることを省みられよ。すべてのすべてはそなた自身のためでござるのぞ。真釣りの身魂が魔釣りの仕組みにまんまと嵌まって、真釣りの世を壊してきたから、今今の世の混乱の状況と成りたのでござるぞ。そなたらは楽をしようと致すから、すぐに苦を避けようとなさるから、真釣りに戻るどころかどんどん魔釣りの世を進めるばかりでござる。この方が表に現れて真釣りの何たるかを教えねば、真釣りには戻れんところまで来て居るのでござるぞ。そなたらの回りにあるものは、そなたらの肉体も含めて、すべてのすべてがこの方の貸しものでござるのぞ。そなたらは、この方がいくら申しても今まで手に入れたものにしがみついてなかなか真釣りに戻ろうとは致さんから、外にあるものを取られなければ真釣りに戻ろうとは致さんから、真釣りに戻るために邪魔になるものはどんどん返して頂いて居るのでござるぞ。そなたらは、取られたやられた傷つけられたと大騒ぎして居るが、そなたらのものは一つもござらんぞ。そなたらが真釣りに戻るのに邪魔になるものを人間を通して取って差し上げて居るのに、わざわざ取り戻してどうするのじゃ。
P67
 そなたらは、失敗は許されない等と申して居るが、真釣りの身魂が調和とはアベコベの魔釣りの世を創りて居るのでござるから、初めから全員失敗して居るのでござるぞ。そなたらが壊した世界は、もうそなたら自身では元には戻せんところまで来ておるのでござるぞ。外の世界の大掃除はこの方が進めて参るから、そなたらは自らの魔釣りを真釣りに戻して、身魂の掃除を致してくだされば宜しいぞ。そなたらは、これから、そなたらの失敗をこの方と共に戻して行くのでござるぞ。この方がそなたらが真釣りに戻しやすいようにして差し上げるから、どんなに怖くても厳しくても、どんなことが起きても真釣りに生き続けてくだされよ。真釣りなければそなたにはミロクはござらんから、今までとは全く違うから、今までのやり方は通用せんから、今度は身魂の生死でござるから、肉体を離れても続くから、そのつもりでハラを据えて取り組んでくだされよ。そなたらは、人間の力だけで今今の混乱した状況を元に戻せると思ってござるが、今今の状況と申すのは、そなたらの魔釣りを解(ほど)くための最後の舞台でござるのぞ。魔釣りを生きて居る者には分からんかも知れんが、信じられんかも知れんが、今起きて居る出来事と申すのは、そなたらを真釣りに戻すための最後の大手術が形に成って居るのでござるぞ。そなたらは、この方を無視して、いつまでも物質の世だけの眼鏡で見て居るから、真コトのことがチッとも分からんで、魔釣りの者達にまんまと騙されてしまうのでござるぞ。
P68
 そなたらは、この方を忘れておるから、人間だけですべてのコトを成して居ると取り違いなさって居るが、そなたらのやり方は全くのアベコベでござるから、一向に問題が解結せんばかりか、ますます問題を積み重ねてしまうのでござるぞ。そなたらは、何でもかんでも自らだけで解結しようとなさるが、この方の力無しではもう何も解結致さん時節に成りて居るのでござるぞ。そなたらが魔釣りに居るから悪や危険が外にあると勘違いして、外の悪を排除しよう、危険を避けようとなさるのでござるぞ。そなたらの外はすべてこの方が創りたものでござるから、そなたらの外には、一つとして「悪いこと」も「危険なこと」もござらんぞ。そなたらの身魂は生き通しでござるから、そなたが真釣りに生きておれば、肉体の世の出来事には善も悪も危険も安全も一切ござらん。すべてはただの出来事でござるのぞ。そなたがそなたの眼鏡で、悪じゃ、危険じゃと申して居るだけでござるのぞ。この方から見れば、失礼な話でござるぞ。そなたが魔釣りでござれば、肉体をそなた自身と思うから、身の危険や外の悪が見えるのでござるぞ。死や怪我や病気を恐れるのでござるぞ。外の出来事がそなたを危険にするのではござらんぞ。そなたが外の出来事を危険じゃと申して居るだけでござるぞ。自らの内に悪だと思って居ることがござるから、そなたらの外がそう見えるのでござるぞ。この方は、そなたらの内を外に見せて居るだけでござるぞ。そなたの都合で外の出来事に文句や不満を申すのは、自分勝手でござるぞ。そなたの心にあるものを悪じゃと申すそなた自身が、外の悪の根源でござるのぞ。
P69
 そなたがそなた自身の内にある映像を悪じゃと申して居るから、外に見える同じ映像を悪じゃと申すことになるのでござる。そなたが外に向けて表現して居ることは、自らの内にあることでござる。外を悪じゃと申すのは、自らの内の悪を外にバラして居るのと同じでござるのぞ。そなたがどんなに隠そうとも、この方から見れば、そなたはスッ裸でござるのぞ。そなたが外の悪を批判すればするほど自らが自らの内の悪を白状し居ることになるのじゃが、いかがなものでござろうか。そなたがそなたを責めて居るのでござるぞ。そなたはこの方を責めて居るのでござるぞ。そなたは自らの責任を認めて居るのでござるぞ。そなたの責めて居るものはそなたの内でござるのぞ。人を責めると申すのはそなた自身を責めて居るのと同じことでござるのじゃ。そなた自身の責任でござるのに外を責めて居ると申すのは、矛盾して居るとは思わんか。そなたが外に責任があると申せば、そなた自らの勝手で外のものを壊して居ることになるのでござるぞ。この方のものを壊して居るのと同じでござるぞ。この方は、そなたの内に「危険じゃ」「悪じゃ」と決めて居るものがござれば、それを外に映してそなたに教えるのでござるぞ。外に見えて居るものは、そなたの内が原因でござるのじゃ。そなたらが魔釣りを生きてきた結果、外に創りだしたものを、自らに都合が悪いからと申して消そうとしたり、表面上の責任追及をしたりしても、何も解結したことにはならんぞ。自ら創りだしたものを自ら邪魔者にして居るのでござるぞ。最後の最後はそなた自身に返ってくることになるのでござるぞ。
P70
 そなたらのしておることは全くアベコベでござるぞ。魔釣りを真釣りに戻す仕組みの中で現れた悪を裁けば、ますます悪が現れて、最後の最後は自ら以外は全部悪となりて、そなた自身が身動きが取れなくなるのでござるぞ。この方がそなたらに悪を見せるのは、そなたらは自らが行き詰まらなければ、そのまま楽をしようとするからでござるぞ。そなたらが自らの外を見て、自らが悪じゃと気づけば、自らの心を掃除することができるでござろうが。そなたらは真コトを知らんから、外の悪を裁いて、自らの首を締めて居るのでござるぞ。そなたらの今のそのやり方が魔釣りでござるぞ。自らの保身(ほしん)のために外を責めて闘って、より確実に邪魔者を消すために武器を創り、挙げ句の果ては核兵器まで創りだして、自らの身が危険になると気づいたのはよいのじゃが、自らの魔釣りを忘れて居るから、またまた外を責めて闘って消そうとする堂々巡りの繰り返し。そなたらの創りだしたものは、そなたらの力ではもう二度と消すことは出来んのでござるぞ。最期にこの方が全部まとめて大掃除するのでござるから、物質の世をキレイサッパリ別の組成の世に取り替えるのでござるから、そなたらの創りだした「悪」や「危険物」はキレイさっぱり無くなるから、何も心配することはござらんぞ。そなたらのすることは、自らの身魂の掃除、つまり、心の掃除をすることだけじゃ。
P71
 そなたらは、自ら進んで心の掃除をせねば、外の世界の大掃除と共にそなたらもキレイさっぱり無くなってしまうのぞ。そなたらの肉体は、この方の貸しものでござるから、最後の最後はお返し頂くぞ。そなたらの申す死でござる。そなたは身魂でござるから、マコトの死と申すのは、身魂の死のことでござるぞ。そなたがこの方のものを壊したら、最期の最期はそなたの身魂を壊してゼロにして頂くのでござるぞ。そなたの身魂の死は、そなたの永遠の死を意味するのでござるぞ。そなたが、今ここから、そなたがしただけ、そなたの肉体を使って痛みや苦しみや苦労を引き受けなさるならば、そなたには身魂の死は必要ござらん。後数年、肉体を離れても、何があっても頑張りてくだされよ。そなたが永遠のイノチを得るためには、そなたがしたことをゼロに戻すことが必要でござるのぞ。宇宙も物質も肉体も食べ物も、すべてのすべてがバランスでござろうが。すべてはこの方の、神の現れでござるのぞ。調和を乱すのが悪でござるぞ。神の掟は調和でござる。調和を乱すのは掟破りでござるぞ。この方は、調和を乱せば不都合創りて気づかせて、調和に戻るようにすべてのすべてを創りてござるのぞ。そなた自らが自らの掟違反を清算できるようにしてござるのじゃ。この方の世に法律も裁判も警察も必要ござらん。そなたに不都合、不調和、苦しみが現れ来るのは、そなたが調和を乱して居るからでござるぞ。そなたが悪を裁いておるからでござるぞ。そなたが調和に戻れば、そなたには不都合はござらんぞ。
P72
 そなたらの世にあるものすべてのすべて、この方の仕組みが形になって居るのでござるぞ。物理学と申すのは、この方の仕組みを物質を通して学ぶ学問でござるぞ。数学も同じでござるぞ。+と-で0でござろうが。そなたが取ったら取られるのでござるぞ。取られたのではなく、ゼロに戻しただけでござるのぞ。0は零、霊、○、和、輪、環、=、話、我、調和でござるぞ。偏れば戻すのぞ。ゼロに戻って出せば来るのでござるぞ。一歩の前はゼロ歩でござるぞ。この方の仕組みはすべて肉体を通して分かるようにしてござる(型示し)から、この方の仕組みが分かったら、心の世界も同じにしてくだされよ。いつまでも肉の世だけにこだわって居るから、この方の神示を取り違い致すのでござるぞ。そなたがバランスを崩せば、そなたに返るのでござるぞ。そなたのしたことがそなたに返るのでござるぞ。最期の大掃除と申すのは、神から人まで、すべてのすべてをゼロに戻す仕組みでござるのぞ。三千世界のすべてをゼロに戻して初めから創り直すのがタテカエタテナオシでござるぞ。そなたらが偏りを持っておれば、そなたの居るところはござらんから、早う掃除をなさった方が宜しいぞ。そなたがどんな屁理屈を持ち出そうとも、そなたには何もできん。この方がすべてのすべてを産み生んだのでござるから、この方の申す通りにすることが、そなたがミロクに生き返る唯一の方法でござるぞ。天国の方法でござる。
P73
 そなたらは肉体を持ったままではミロクへは行かれんのでござるから、早う身魂を掃除して、死んで生き返れるように準備してくだされよ。そなたが掃除を終えれば、この方がキッチリ見取って、ミロクの服に着せ替えて差し上げるから、頑張りてくだされよ。そなたらの申す死は何の問題でもござらんぞ。ただの出来事でござる。この方の申すことが嘘じゃと申すならば、そなたの理屈をそのまま続けておれば宜しいぞ。近いうちにそなたにも分かる時が来るからな。この方はこのフミの中で同じことをしつこく申して居るが、このくらい申さんと、そなたらの魔釣りで曇ったアタマは言うことを聞かんから、そなたが死んでしまうから、この方はあらゆるものを使って、手を変え品を変え、人間のサンプルも用意して、そなたらに教えて居るのでござるぞ。この方の創りたものに「悪いもの」や「危険なもの」は一つとしてござらん。そなたらが勝手に自らに都合悪きものを創りだして、「危険じゃ」「悪じゃ」と申して居るのでござろうが。そなたらの反対する心と申すのは、闘いの心でござるぞ。自ら創り出したものに反対すると申すのは、自ら自身のしておることに反対して居るのと同じことでござるぞ。そなたの外にあるものを悪と申すのは、そなた自身を悪と申して居るのと同じことでござる。この方のやり方を悪と申して居るのと同じことでもござるのぞ。
P74
 そなたは、自らを危なくするものは全部悪と申して居るが、そなたを危なくして居るのはそなたの魔釣りでござるから、最大の悪はそなた自身の魔釣りでござるぞ。自らがして居ることを棚に上げて悪を裁く心は極悪でござるぞ。自らの魔釣りが創りた苦を避けて楽に走って科学技術を発達させて、病気や事故や公害を創って、自らの損害を賠償を請求するのも同じ理屈でござるぞ。そなたの損害はそなたに請求致せよ。そなたの魔釣りを真釣りに戻せと申して居るのじゃ。そなたらは、自らが危険だからと申して、何でもかんでも戦争や核に反対して居るが、元々は、そなたらのその闘う心が創り出したものでござるのぞ。そなたらの魔釣りを真釣りに戻さねば、闘いがますます激しくなるぞ。そなたらが不調和創って壊しただけそなたらの肉体を通して、そなたらの痛みとして返して居るのでござるぞ。元々は調和の世でござるから、現(こ)の世には何の偏りも、何の不都合も、何の問題もござらん。そなたが調和を乱したから、そなたが乱れるのでござるぞ。そなたが外にしたことをそなたがされて全体のバランスが取れるのでござろうが。そなたが内を乱せばそなたの外を乱すことになるのでござるぞ。そなたが内を乱せば外に形にして教えて内を修正出来るようにしてあるからでござる。
P75
 そなたが内を壊すからそなたの外が壊れるのでござるのぞ。そなたが外を変えようとすれば、ますます外が壊れるのでござるぞ。そなたがそなたの加害者でござるぞ。この方は、そなたらが何もせんのに毒を創りだしたり天変地異を起こしたりは致さん。そなたらは身魂でござるから、そなたが真釣りに生きて居れば、そなたには何の被害も危険も恐れも不都合もござらんぞ。そなたに被害や危険や恐れや不都合がござるのは、そなたが魔釣りを生きて居る証でござる。こ度の大掃除も天変地異もそなたらが創り出したものでござることは、これで明白でござろうが。そなたらが初めから真釣りに居れば、ミロクへの大掃除は必要無きものでござったのぞ。この方を恨むのは筋違いでござるぞ。この方を、神や仏を恨むその心が魔釣りでござるぞ。そなたがそなたの危険を創りだした原因でござるのぞ。そなたの肉体の危険はそなたの身魂の危険ではござらん。そなたらの形はそなたらの心を見せて居るのでござるから、そなたの見ておる形の因はそなたの心でござるぞ。そなたの外に悪が見えるならば、悪はそなたの内にござるのぞ。そなたらが申す被害や危険や損害はそなた自らの魔釣りが原因でござるから、すべてそなた自身が招いたものでござるのぞ。そなたの外には何の悪も危険もござらんから、改めてお知らせしておくぞ。

 地にある資源も、資源から創りだされたすべてのモノも、そなたらの肉体も、すべてこの方が貸し与えたものでござるから、「自分のもの」と申すものは一つもないから、勘違いなさるでないぞ。そなたの「被害」の加害者と申すのは、魔釣りを外したそなた自身でござるのぞ。そなたらは全員一人残らず、至善を壊した加害者じゃ。マコトの被害者と申すのは、この方一人でござるのぞ。そなたらは、被害じゃ、災害じゃ、損得じゃ等と好き勝手なことを申して、取られたやられた傷つけられたと大騒ぎして、他人や会社や国や神の責任追及や損害賠償請求をしてござるが、そなたが危険な状況になるのは、そなたが被害を受けるのは、そなたが病気や怪我をするのは、そなたが事故に遭うのは、そなた自身の魔釣りが原因でござるのぞ。そなたが魔釣りをして居るから、自らが不自由になるのでござろうが。自らのことだけを考えて、自らの利便だけを追求して、科学なるものを発展させて来て、その結果として、そなたらが身の危険を感じるようなものを自ら創りだしてしまったのではござらぬか。戦争や犯罪や武器や毒や病気や事故や悩みと申すのは、そなたら一人一人がして来た魔釣りの結果でござるのぞ。一人一人に責任がござるのじゃ。自ら以外を責めると申すのは、いかなることでござるのか。自らのしたことを自ら以外の責任に致すとは、迷惑な話ではござらんか。そなたは、人に対して、迷惑じゃ等と申すが、お互い様でござるのぞ。人を邪魔だと申すそなたが邪魔者でござるぞ。自らの責任が取れん身魂はミロクの民にはなれんから、その積もりで取り組んでくだされよ。
P76
 そなたらが囚われて居る魔釣りの神と申すのは、破壊や痛みや苦しみや行き詰まりの状況をそなたらに渡して、そなたらの我(われ)善しの悪の心をそなたらの外に形にして、真釣りを外したそなたらを元の真釣りに戻すためにご苦労致しておられる、この方が産み生んだ尊き御役の神でござるのぞ。そなたらの生まれ落ちた世界には、悪と申すものは一つとしてござらんぞ。そなたらの世界と申すのは、そなたらの心の通りの神がつき、眼に見えるものも見えないものも、この方の創りたあらゆる自然を材料にして、人間の肉の身を通して、そなたらの心の通りの形に成して居る世界でござるぞ。そなたらが魔釣りの神と繋がれば、そなたらの世は魔釣りの世と成るのは当然のことではござらぬか。外のシステムをどんなに変えようとも、そなたら一人一人の心の有り様(よう)を真釣りに戻さねば、天国を創ることなど永遠に不可能なことでござるのぞ。そなたらが今のまま魔釣りの世を続ければ、末はすべてが滅ぶのでござるぞ。最期の最期、世が滅ぶ寸前にこの方がどんでん返しをお見せして、見事にミロクの世に致すから心配はござらんが、そなたに掃除がござらねば、そなたの居る場所はござらんから、そなたは現(こ)の世もろとも消え去るから、その積もりで掃除に励んでくだされよ。そなたらの外に見えて居るものは、そなたら一人一人の心の姿でござるのぞ。そなたらの身魂の態度、身魂の生き方でござるのぞ。そなたらの内に悪の心がござらねば、そなたらが悪を演じなければ、外の悪は形にならぬのじゃ。そなたらが外の悪を悪と申せば、魔釣りの神を悪の神と申して居るのと同じでござるのぞ。自らが悪であることを白状して居るのと同じことじゃ。
P77
 そなたが自らを正しいと申せば、外が悪じゃと申して居るのと同じでござるぞ。この方が不調和の神じゃと申して居るのと同じでござる。この方が調和乱す悪の神ならば、そなた自身も悪の身魂でござるぞ。自らを正しいと申すのは矛盾して居るとは思わぬか。そなたらは元々神成る身魂でござるから、そなたらの元の元の肝心のところはこの方がマ釣って居るから、そなたらの想いなすことは何でも形になるのでござるぞ。魔釣りでも真釣りでもどちらでもそなたらの想い通りに形になるのでござる。そなたらが魔釣りの心で事を為せば、魔釣りの神が魔釣り来て、破壊の仕組みを進めることになるのでござる。そなたらは元々、善の真釣りの身魂でござるから、悪が外に見えれば、善くしようとなさるから、この方は魔釣りの神を産み生んで、そなたらの内の魔釣りを外に見せ、真釣りに戻させる仕組みを構えたのじゃ。自らを真釣りに戻す魔釣りの仕組みで現れた悪を自らを滅ぼす悪魔と取り違え、悪を排除し、悪と戦って、ますます魔釣りを進めて居るのに気づいて居るか。そなたらが悪と闘えば闘うほど悪が現れるのでござるぞ。悪を法律で制限すればするほど自らも動けなくなりて、最後は自らが自らの首を締めることになるのじゃぞ。
P78
 そなたらは、真釣りに戻す魔釣りの仕組みを勝手に取り違えて、自らが創りだした悪を排除し、苦を避け、楽な方、楽な方へと進み来て、逃げた積もりになって安心してなさるが、そなたらの創りだした悪や苦は一つも無くなってはおらんぞ。そればかりか、危険じゃ、迷惑じゃ等と申して、悪や苦を排除して、ますます悪や苦を創りて、創りた悪や苦をまたまた排除して、最後の最後は自分以外は悪ばかりとなる袋小路に自らで自らを追い詰める堂々巡りに嵌まって居ることに気づいておるか。最後の最後は自らの首を締めることになるとも知らず、末はすべてが滅びるアヤマチ教の熱心な信者となりて、もがけばもがくほど泥沼と化し、やればやるほど壊れ行く、永遠に出られない地獄の箱の中で苦しんで、自らの苦しみの原因が自らに有るとは気づかず、責任をなすりつけ合って、苦し紛れの共喰いをして居るのが、今今のそなたらの姿でござるのぞ。そのまま進めば、末は自らが自らを喰うことになるから、よくよくご注意申しおくぞ。最後の最後には自らが自らの責任を自覚することになるが、その時ではもう遅いから、今ここで目を覚ましてくれよ。
P79
 真コトの神の掟と申すのは、調和でござるぞ。調和を乱すが悪ぞ。調和を乱せば、乱しただけ自らのもとに返り来て、最後は自らが自らを消すことになるのでござる。それがそなたらの世で起きておる様々な出来事の基のカラクリでござるのぞ。自らが自らの加害者でござる。自らの加害者と申すのは、世の混乱の加害者でもござるのぞ。そなたは身魂でござるから、今世だけではなく、身魂として生まれてから体験したすべての世を通しての魔釣り外しを清算せねばならんのじゃ。今世では覚えがなくとも、今ここでうまくいかんことがあるのは、そなたという身魂の魔釣りの証でござる。そなたらは全員、調和を乱す悪人でござるから、人を責める資格は一人としてござらんぞ。そうは申しても、如何に悪人とは申せ、何も知らずにおりては、この方のお子が全員滅びてしまうから、それはこの方の望みではござらんから、そなたらの申す善人も悪人も全員助かるようにしてやるから安心して宜しいぞ。このフミは、この方のお子であるそなたら全員に宛てた、そなたらの身魂を産み生んだ大元の親神からの、神から人まですべての世界、神幽現、三千世界を産み生んだ元つ真釣りの真コトの大神からの、最後の最後の真コトの助け舟、本当の本当にこれが最後の、真コトを出してアヤマチ解(ほど)く、真コトを伝える真コトのオフレ紙でござるから、ここに書いてあることを真コト素直にハイハイと聴いてくだされよ。
P80
 魔釣りの魔コトの神と申しても、悪魔ではござらんぞ。今のままではそなたらが消えてしまうから、身魂のイノチが無くなるから、ミロクの世に生き返ることは出来んから、そなたらが楽に走って調和を乱し、自らも人も滅びる道に居ることを教えるために、楽に走ったそなたらに苦を与え、内にある悪を表に見せて、一人でも多くの者が、自ら気づいて真コトに改心してくれることを願って、今の今も、叩かれても蹴られても否定されても消されても、何と言われようとも、自ら悪者となりて、自ら悪魔となりて、何も文句を申さずに、真コト黙ってご苦労されて居る、この方が産み生んだ尊き神々様でござるのぞ。そなたらは何も知らんから、何でもかんでも自らを悪くするものは悪だと思って居るから、真コトの神々様を悪魔じゃ等と申すことになるのでござるぞ。外が悪くなるのはそなたらの魔釣りが原因でござるのぞ。そなたらの、善悪分ける心のせいでござる。そなたら自身が悪魔を産む悪の根源でござるのぞ。そなたらが申す悪魔はマコトは天使でござるぞ。

 そうとは知らぬそなたらは、魔釣りに釣られたそなたらは、元つ真釣りの何たるかをキレイサッパリと忘れ、外に見える苦を避けて、厄を祓って不幸を避けて、悪を裁いて封じ込め、怖いものには蓋(ふた)をして、見て見ぬふりを決め込んで、我(われ)は悪いことはしておらん等と申して、それが魔釣りの証とも知らず、一向に改心の気配なし。それどころか、悪が自らの内にあるとも気づかず、善人を気取って、平気で悪を責め、悪を排除し、悪を避け、少しでも早く苦から逃れんと、苦労をせずに楽に成ろうと、アレコレと策略を巡らして、楽なもの便利なものへと進み行き、ますます悪の世を進めるばかりでござる。今今の世には、悪を潰して善を創れる、戦争を批判して平和を創れると思っておる大タワケ者ばかりがウヨウヨしておるぞ。真コトを知らぬ大アホばかりでござるから、悪を裁くが善である等と申す者のタワケタ教えに見事に騙され踊らされ、人も自分も世界も消え行く魔釣りの世をどんどん進めることになるのじゃ。そなたに悪を語るその者自身、真釣りを外した身魂でござるのぞ。自らも滅びる教えを説いて居るとは露とも知らず、自らが正しいと思い込んでそなたに善を語り居る、何も知らない大タワケ者でござるのぞ。そなたがその者について行けばそなたも同じでござるぞ。そなたが真釣りに居れば、そのようなタワケた戯れ言(ざれごと)は、笑い飛ばして無視出来るのでござるぞ。
P81
 そなたが外の者に騙されるのはそなたの魔釣りのせいでござるぞ。そなたがどうなろうとそれはそなたのしたことでござる。誰のせいでもござらんぞ。人に責任を押しつけるそなたは、自らの無智をさらけ出して居るのでござるぞ。神成る調和の身魂としては、何とも恥ずかしきことよのう。そなたらの魔釣りが作りだした相対二元の善悪で闘っても、何も答えは出んぞ。そなたらは、元の元を分かっておらんから、どんなに議論しようとも何も解結致さん。これから始まる闘いは元つ真釣りと中つ魔釣りの闘いぞ。元と中の闘いぞ。ハラとアタマの闘いぞ。中つ魔釣りの神々は、元つ真釣りのこの方が産み生んだ神々でござるのぞ。元つ最後の一厘を、綺麗サッパリ忘れて居るから、今今の混乱の世を創りだして居るのでござろうが。最後の最後はどちらが勝つかは明白でござるぞ。いい加減にアタマを下げてこの方の申す通りに素直になさるが宜しかろう。最後の最後で気づいても、もう取り返しが付かんから、そなたらが、何も見えんから信じられんと申して居る今今から、こうしてしつこくうるさく厳しく申して居るのでござるぞ。真コトの親心を分かってくだされよ。
P82
 この方はすべてのすべてを教えて居るのぞ。この方の言葉にウソはござらんぞ。苦を避け、悪を裁く、そなたらのその善人心が危ういぞ。真コトはこの方の言葉にあるのぞ。今の今もこの方はそなたら一人一人の心に語りかけておるのじゃ。そなたは身魂でござるから、そなたの心がそなた自身でござるのぞ。肉の身が無くなったら心も精神も魂も無くなるのじゃ等とタワケタことを申す者達が、科学と申す迷信にとらわれ、この方の申すことを迷信と断じて、神など居らん等と申して、今の世の混乱を進め来たのでござるぞ。そなたら一人一人が真釣りに居れば、外の者が何と申しても、そなたは何一つ惑わされることは無いのでござるぞ。迷信とは迷神なり。神が居らんと申すから混乱して居るのでござるぞ。そなたが自らの言葉を裁くから外の悪に惑わされることになるのでござるぞ。そなたの内の素直な心はこの方そのものでござるのぞ。そなたの素直な心をそのまま動いて、形が壊れたとしても、それはそれでそなたのメグリが取れたのじゃ。相手のメグリが取れたのじゃ。物を壊すのが悪ではござらんぞ。人を殺すのが悪ではござらんぞ。だからと申して、人を殺してもよいのじゃと申すのは屁理屈と申すもの。自らが原因でござるから、人を殺すのはオカシキことじゃ。そのような結果を創りだしたそなたら一人一人の、調和を乱す心が悪でござるのぞ。
P83
 そなたらは、故意と過失の違いは分かるでござろうが。故意に壊して過失じゃと申してもこの方には通用せんぞ。この方は、人間の裁判官のように、過失で壊したものを故意とは申さんぞ。この方がキッチリ見ておるから、悪くなるのを、壊れるのを恐れずに、自らの心を素直に生きてくだされよ。悪くなって善くなる仕組み、壊して創る仕組みでござるぞ。この方は、最後の最後はすべてのすべてを壊して、大掃除するのでござるが、勘違いなさらんでくだされよ。そなたらが身魂の掃除をなされば、肉の世の大掃除など、そなたには何の関係も無きことでござるのぞ。そなたが身魂の掃除なければ、そなただけが醜き様になるのでござるぞ。元からある調和を壊して居るのはそなたらでござるぞ。調和を壊せば不調和が現れて、調和に戻せとお知らせするのがこの方の仕組みでござる。外の悪は内の悪。外は内の鏡でござる。人は自分の映しでござる。彼(か)我身(がみ)でござる。そなたが我を取れば神(化身、彼身)となるのでござるぞ。自らの悪の心が創った苦を避けるとはいかなることか。自らの内にある悪を映すための外の悪を裁くとはいかなることか。そなた自身が調和を乱した張本人でござるのぞ。外を裁くその態度がそなたが責任を取っておらん証でござるぞ。我(われ)は悪くない等と申すそなたが悪いのぞ。そなたは我(われ)善しでござるぞ。自分の苦を自分以外のせいにしておるぞ。そなたに悪なければそなたには苦はない仕組みぞ。調和に生きる者に不調和あるのはオカシキことぞ。不調和あるのはそなたの不調和の証でござるぞ。そなたは神を裁いておるぞ。そなたはそなた自身を裁いておるぞ。真コト裁いておるのぞ。真コトがますます遠のくぞ。そなたはいったい何をして居るのじゃ。
P84
 天国を求めておるのに地獄を進めてどうするのじゃ。そなたらはまんまと魔釣りの仕組みにはまって居るぞ。そなたは天国への道じゃと申して居るが、アベコベでござるぞ。今、目の前に見えて居る風景にだまされるでないぞ。茨の道は天国でも地獄でもござらんぞ。楽な道は天国でも地獄でもござらんぞ。見た目で決めるなと申してあろう。宗教が悪じゃと申して何でもかんでも宗教と申すものを避ければマコトの宗教も避けることになるぞ。楽が善くないと申して苦をわざわざ選ぶ必要もござらんぞ。うまくいっておる時には何も疑う必要はござらんぞ。天国地獄は最後に見えるのぞ。そなたの心が天国に案内してくれるぞ。今のそなたはそなた自身を地獄に引っ張って居るのぞ。そなたらは、一度魔釣りに走れば、相対二元の善悪に入れば、調和を乱せば、悪を裁き始めれば、自らだけ楽をしようと始めれば、その瞬間から滅びの道を駆け降りるのでござるぞ。真釣りを外して調和を乱す者は滅びる定めでござるのぞ。そのまま許せば地獄の世となるからぞ。されども、そのまま消してしまっては、この方の生んだ神の血筋が絶えてしまうから、自らの御子を殺すには忍びないから、それでは可哀想なから、自ら改心致す機会を与えておるのでござるのぞ。調和の世に悪の身魂出(いで)来れば、悪を表に出して自らの内に悪があることを教え、改心致せば真釣りに戻す仕組みでござる。そなたに悪が見えるは、そなたの悪の映しでござるぞ。善には悪、楽には苦をもって知らせねば、永遠に改心できん。自らが善人だと申す者は、言葉で申しても、自らが悪人であることを認めんから、苦でお知らせするのでござる。
P85
 そなたらが善人で居られるのもあと少しの間ぞ。善人で居れば居るほど苦しくなっていくから、覚悟いたせよ。そなたが善人でござれば、そなたの外は悪人ということになる。そなたの外が悪であると申すそなたは、自らの真釣り外しを白状しておるのを知り居るか。自らが犯罪を犯して居るのを自供しておるのでござるぞ。そなたの外に悪があるのはそなたの内の悪の証ぞ。そなたが悪を裁いて居るのはそなたが悪を持ちたるからぞ。そなたが悪人を裁くのは、そなたが悪を持ちたる証でござるから、そなたが調和を乱す悪人でござるのぞ。悪人の仲間入りを避けるのが、そなたらの善悪で申す善人の性でござるから、一度善人だと思い込めば最後、悪人にならないようにアレコレと屁理屈を申して策略を致すから、善人を改心させるが一番難しいのでござる。そなたが何と申そうとも、この方から見ればすべて丸見えでござるのぞ。相対二元の善悪教の信者は誤魔化せても、この方は誤魔化せんぞ。自らが自らに騙されて居るのをご存じか。この方とそなたは善悪の基準が違うのでござるぞ。調和乱すが悪ぞ。
P86
 この方の産み生んだ身魂に善も悪もござらん。そなたらは、真釣りを忘れて魔釣りの常識を当たり前のものとして平然として生きて居るから、真釣りを悪と申して排除することになるのぞ。マコトの善を知らんから、至善を知らんから、自らがして居ることにちっとも気づかんのでござる。善悪に分けた善人は、調和を乱す「悪人」でござるのぞ。そなたらの善と悪との戦いは、『悪人』が悪人を裁く、悪人同志の勧善懲悪の茶番劇でござる。そんなことではいつまでたってもマコトの調和は創れんぞ。調和は創るものにあらず。元からあるものぞ。そなたが分けるから壊れたのでござる。不調和やめれば調和に戻るぞ。元つ真釣りのこの方が産み有無ものには、調和しかござらん。そなたらは皆、元々、善人(全人)でござるのぞ。善人でござるから相対二元の善人が自らのマコトの姿であると思い込めるのでござる。一度自らが善人だと思い込めば、改心はなかなか難しいぞ。この方の申すことを悪じゃと申すそなたは、見事に偽の善人と化して居るぞ。真の善人は、悪は語らんぞ。悪は裁かんぞ。この方の申すことに抵抗は致さんぞ。分からんことなど何もないぞ。分からんことがある者は、この方の申すことを疑う者は、偽の善人である証でござる。自らのしておることをよく見やれよ。そなたはそなたの姿を自ら白状しておるぞ。

 善悪二元の世界では調和はござらんぞ。そなたらは、元の元の始源の時、そなたの身魂が初めて現(こ)の世に生まれたその時は、この方と共にありたのぞ。そなたらは、目の前の物に目が眩み、身欲に囚われしその瞬間から、魔釣りに走って善悪創り、調和のものを分けに分ける破壊の歴史を歩き始めたのでござるぞ。調和を乱したその時から、今までずっと絶えることなく人類の戦いの歴史が続いて居るのでござるぞ。魔釣りのままで悪を排除しても戦いは消えんぞ。元の魔釣りを真釣りに戻さねば、戦いは無くならんのぞ。平和を願い、核兵器を無くそうとする者が、戦いをしておりては、戦争も軍隊も無くならんぞ。簡単な道理ではないか。そなたらの今今は、平和でも天国でもござらんぞ。形の冷戦を終わらせた積もりで、身魂の霊戦がますます激しくなりておるのぞ。そなたらのココロの葛藤、犯罪、病気、事故が増えて居るのがその証ぞ。そなたらの魔釣りが進めば、外の不調和、不都合がますます激しくなるのでござるぞ。そなたが、平和や調和や自由や天国を求めても、元の元が違って居るからいくらやっても思いのままにいかんのじゃ。この方の申すことが真コトでござるぞ。戦いの素は善悪分離する心でござるぞ。戦えば魔コトのままぞ。調和の世に戦いがあるはオカシキことでござるのぞ。外に戦いあるのは戦いの心があるからぞ。『魔釣りは滅び』が神の掟。そのままではすべてが滅びてしまうから、元に戻せ、真釣りに戻れと教えるために、至善に悪が出(いで)来て、お知らせする仕組みを構えありたのでござるぞ。魔釣りを教える外の悪、裁けば魔釣りが進むだけぞ。
P87
 本来なれば、魔釣りに走れば即滅び、魔釣りの身魂はこの世におられんのでござるが、今の今までそなたらが真釣りを外す掟破りを続けて来られたのは、ミロク世開くこ度までに、何とか真釣りに戻ってくれよ、自ら気づいて改心致してくれよ、と申す、自らの子を助けたい、自らの子と共にミロクを創りたい親神の、子を思う親心、子を信じる親心、至誠至愛の大神様の大情けでござるのぞ。この方がすべてやっては、そなたらの為にはならんから、そなたらが自立出来んから、この方は耐えに耐えて、そなたらに苦を与え、悪を見せ、手を出したいのを我慢して、そなたらを見守って来たのでござるぞ。危ないから善くないからとすぐに手を出す口を出すそなたらの親とはわけが違うぞ。真コトの愛と申すのは、何があっても黙って見ておることぞ。肉の身傷ついても魂傷つかず。肉の身死んでも魂死なず。そなたの身魂には危険も失敗も死も何もござらんぞ。人が人をやめさせる理由は何もござらん。すべて取り違いの善悪の我(われ)善しの屁理屈の結果でござる。自立の邪魔はやめなされ。いつまでも我(われ)善し、利己主義、外道(げどう)の善人をして居らずに、善悪の争いをして居らずに、我を張って居らずに、善悪教の信者をして居らずに、元の身魂の親神の真コトの親心を悟ってくだされよ。そなたらはいったいいつになったらこの方との約束を思い出してくれるのじゃ。時(トキ)来たったら、一緒にミロクを創ると申したではないか。我(われ)はそんなことは申しておらん、と申す聞き分けのないお子は、もういらぬ。人生最期の地獄のパーティー、心ゆくまで堪能するがよいぞ。この方の真コトの親心が分かった者は、今の今から真コト素直にこの方の申す通りに生きてくだされよ。
P89
 この方はそなたらとミロクの世界を天国を共に創るのが願いでござるのぞ。親子そろって嬉し嬉しの世で暮らすのがこの方の望みでござるのぞ。そなたらもこの方も嬉し嬉しの世でござるぞ。今今も、そなたらが真釣りに戻れば善悪などないことが分かるぞ。今の今も悪はござらん。真釣りの者はミロクが体験できるのぞ。されども、真コトのミロクは物質の世にあらず。真コトの形も真コトの者もすべてのすべては一旦お召し上げでござる。全員仮死の状態に致して身魂磨けた者だけを真コトのミロク世に生き返らせる仕組みでござるぞ。今の肉身のままではミロクはござらん。今の物質の世ではミロクは出来申さん。今の身のまま、今の物質の世のままでミロクが出来ると思って居る大タワケ者は早々に改心致せよ。身を入れ換えて生きる仕組みぞ。一度死んで再び生き変える仕組み、心(神、真、新)で生きる仕組みぞ。生きどおしの魂を磨いた者だけが、真釣りに戻った者だけが、次の世の民となるのでござる。死を避けて天国あると思うなよ。魔釣りで壊しただけ自らの身を以って償うのでござるぞ。そなたの身はこの方の貸し与えた服でござる。そなたのものではござらんぞ。ゆめ取り違えなさらんでくだされよ。そなたの身魂の穢れ相応に痛み苦しんで掟違反を清算するのぞ。すべてのすべてはそなたのしたこと、神にも人にも社会にも、そなた以外の誰にも責任はござらんぞ。

 この方は調和の世界にそなたらを生み出したのでござるぞ。自らが創りた調和の世界を壊す、掟破りの犯罪人を許すのは、わが子を思う親神の情けでござるのぞ。そなたらは自らの安定を壊そうとする者、自らの所有物を取ろうとする者、自らの幸せを壊そうとする者を排除するでござろうが。法律違反の悪人は締め上げて罪を認めさせて罰を与えるでござろうが。この方はそんなことは致しておらんぞ。そなたらが、自ら改心することを願って、苦を与えてお知らせして、改心してくれようがくれまいが、手を出したいところを辛抱して、酷いことになりてもただただ耐えて、見守っておるのでござるぞ。そうはいっても、いつまでも真釣り外しの身魂に現(こ)の世を任せておりては、神の創りた世が壊れてしまうから、元の初発の泥に戻さなならんようになるから、その前のギリギリの所でこの方が大掃除を致す仕組みを用意してござるのぞ。最後の最後は真釣り外しの身魂もろとも魔釣りの世を大掃除することになって居るから、早く改心してくれよ。親に子を殺させるような真似はさせんでくだされよ。いきなりやってはそなたらが気の毒ざから、今の今のこの時期から、信じられんと申す時から、そなたらに分かるようにお知らせして居るのでござるぞ。素直になってゼロからやり直してくだされよ。イチからでは魔釣りぞ。ゼロからぞ。一歩を踏み出す前にゼロ、0、霊になれよ。このフミ読んで○、和を知れよ。
P90
 そなたらの善悪は相対二元の善悪でござるぞ。善は悪を見て、悪は善を見て居るぞ。善は悪になり、悪は善になる。永遠に調和に至れぬ。戦いの終わらぬ、自称善人が他称悪人を倒す、滅びに至る地獄のドラマでござるぞ。この方の産み生んだ、元は一つの調和の世界を善と悪に分離したら、調和が壊れるのが道理。一点でも悪あれば、一厘でも悪あれば、○・一%でも曇りあれば、もう調和ではござらんぞ。善と悪、神と人、宗教と科学、加害者と被害者、戦争と平和、損と得等々に分けて、何でもかんでも対立して居るのがその証。分けたら一つにならんという簡単な道理にも気づかず、既に調和を乱して居るのも気づかず、何千年にも渡って平和を守る戦争をして居ることを知り居るか。どちらが悪いとか申すそなたらの遊びは、地獄の遊びでござるのぞ。平和を求めて戦いをして居るぞ。戦争に反対するそなたが戦争をして居るのぞ。抗議する、反対するその心を掃除致せよ。簡単な道理分からずに、天国はないぞ。戦争を悪と申すそなたが戦争を創りだした犯人でござるぞ。善人気取りはそろそろやめにして、いい加減に目を覚ましてくだされよ。そなたがどんなに善人を演じようとも、この方にはすべて丸見えの臭き極悪人でござるぞ。
P91
 調和が善、調和乱すが悪ぞ。そなたらのして居る善悪の争いは、善人も悪人も、相対二元の世界だけでの平面の善悪交換試合の事でござる。元々一つでござるから善と悪に分けられるのでござるぞ。この方が調和乱す悪を許しておらねば、悪は形には成り申さん。調和乱せば滅びでござる。黙って居れば全員滅びるから、悪を形にして見せて、改心の機会を創って差し上げて居るのでござるぞ。最後の最後のギリギリのところで見事にグレンと引っ繰り返して魔釣りの世は大掃除するから、悪が幾ら形になろうと、この方には何の影響も無きことでござる。改心致さぬ者だけが、掟通りに魔釣りの世と共にそのまま消え去るだけでござる。すべてはそなたらのためにして居ることぞ。そなたが裁いている悪はこの方が許してあるものでござるぞ。悪を形にするのは悪魔じゃと申す者、そなたが心に悪魔を創り出すのもこの方は許して居るのぞ。この方が許さんものはそなたの心には出ては来んぞ。そなたの外にも出ては来んぞ。そなたが悪を見て居るのはこの方が悪を許しあるからぞ。この方が許しあるものをそなたらは何故に裁いて居るのか。神が先で人が後、この方無くしてそなたらは無いのでござるぞ。親が先で子が後、親を否定してそなたら子がないのと同じぞ。そなたらの身魂の親はこの方でござる。この方の許しあるものをそなたらが裁けば、親に反抗して居ることになるのぞ。そなたがこの方を裁いて居ることになるのぞ。この方を裁けば、そなたは自らの元を裁いて居る。そなたの親を裁いておるのぞ。そなたがそなたの元を否定しては、そなたは居らんのぞ。元の元の元の親の申す通りにすることが、真コトの天国を創るただ一つの方法でござるぞ。この方はそなたらのイノチの元をつかむ元つ神。
P92
 そなたの親が悪魔じゃと申すなら、そなたは悪魔の子ではござらぬか。自らは善人だと申す者、そなたは悪人でござるぞ。善と悪が戦って居るならば、調和の世界を二分して戦争をして居るのでござるぞ。元の始めの調和を壊しておいて、我(われ)は善人なり等と申すとは何事でござるか。善人も悪人も同じ穴のムジナでござるのぞ。善悪を議論する者、そなたの内に悪あるぞ。そなたの内に悪あれば、そなたは調和を乱して居るのぞ。この道理分かれば議論も裁きもできなくなるぞ。いつまでも外道の善人を気取っておりて、調和を乱し続けるでないぞ。反論、反対、抗議、説教、禁止、制止、取締り、制裁、懲罰、処分、しつけ、指導管理云々と申して、外道の善に囚われて居るそなたらは、相対二元の善悪を教え込む教育をして居るそなたらは、相対二元の善悪で悪を裁いて自由を奪うそなたらは、調和の世を壊す方法を善じゃと申し、調和を創る善を悪と申して排除なさって居るのでござるぞ。そなたら全員、元の調和を壊す相対二元の善宗(善悪教)の臭き信者でござるのじゃ。我(われ)は無神論者なり、我(われ)は宗教には興味はござらん等と平気で申す者こそ、真コトを知らぬアヤマ知教の立派な信奉者でござるのぞ。無神論とは無心論のことにてござるのぞ。そなたには心はござらんのか。そなたの心の通りの神つくのでござるぞ。そなたがどの神を選ぶかでそなたの体験が決まるのでござるぞ。神など居らんと申すそなたは、そなた勝手な神を創りて居る「自分教」の教祖でござるぞ。無神論者と申す者こそ、自ら創りた宗教を心から信じて居る立派な信者でござるのじゃ。
P93
 宗教とは宗(もと)の教えのことでござる。この方の申すことが、現(こ)の世のすべてを創りだす元の教えでござるのぞ。調和が善でござるぞ。調和乱すが悪でござるぞ。そなたらの心の有り様(よう)でどんな世界も出来るのでござる。調和が元でござるから、調和乱せば不都合現れ、乱せば乱すほど不都合厳しくなりて、何が何でも調和に戻す仕組みでござるぞ。そなたらが善悪語って戦って居るならば、調和の世を乱す掟破りの集団でござるのぞ。調和を乱して居ることにそなたら自身が気づいて、善悪分ける心を掃除して、そなたら自らが戦いをやめるまでそなたらの永遠に戦いは続くぞ。このまま世が続けば永遠に続くのでござるが、最後の最後はこの方が大掃除して、元の調和に戻すのでござるから、残念ながら、あと少しで、戦いゲームをしたくても出来んようになるぞ。調和を壊すゲームをいつまでも許しておくこの方ではござらんぞ。そなたらが気づかぬ内に、突然、現(こ)の世の終わりが来るぞ。内に戦いを持って居る者達は、現(こ)の世の終わりと共に、マコトの終わりとなるのじゃ。新しき世は調和の身魂だけしか行かれん天国の世でござるからな。今今のそなたらのして居ることはアベコベでござるぞ。悪の世の悪人と悪人の共喰いでござる。最後は我(われ)が我(われ)を喰うことになるぞ。そなたの身魂のイノチが永遠に消え去るぞ。元々あるものを壊し続けて居ることに早う気付けよ。
P94
 そなたらは、自ら滅ぶ魔釣りをいつまで続けるお積もりか。末は滅ぶ悪の中の戯れ言をいつまで申すお積もりか。いつまでやっても調和も平和も天国も自由も平等も公平もござらんぞ。そなたらは自らが消える滅びの坂道を下って居るのでござるぞ。上り坂に見えるのは、そなたらの曇った眼(まなこ)が創りだす幻想でござる。今の世のそなたらがして居ることは、この方の大きな目から見れば、すべてのすべてが、善悪創って至善を壊す、調和を乱す悪でござるぞ。魔釣りで壊したものを魔釣りで繕っても元の真釣りには戻らんぞ。魔釣りで魔釣りを魔釣り縫い、ますます魔釣りを進め行く。魔釣りで魔釣りの綻(ほころ)びを縫っても真釣りに戻れぬぞ。最後の最後に気づいても、もう掛け違えたボタンを元に戻すことはできんぞ。今ここでこの方が、ボタンを掛け違えて居るぞとお教え致して居るのでござるから、素直に掛け直してくだされよ。今今のそなたらは生きる元がアベコベでござるのぞ。今のままでは滅びの坂道ぞ。早う真釣りに戻ってくだされよ。そなたの内の戦いをやめなされ。この方はすべて許して居るぞ。罪悪感はいらんぞ。そなたの心を素直に生きれば、それが真釣りでござるのぞ。真釣りかどうかを問うのは魔釣りでござるぞ。いいのかどうかと問うから、善くないぞと申す魔釣りの者に引っ掛かるのでござるぞ。そなたが原因でそなたが騙されておるのぞ。誰のせいでもないぞ。そのまま行けばそなたにはミロクはないぞ。ミロクの出口は潰れておるぞ。嘘じゃと申す者は、誠か嘘かの二元の戦いをして居るぞ。誠は一つ。嘘はござらん。簡単なことぞ。そなたが苦しいのはそなたがしてきた結果でござる。辛抱が、真釣りに戻す、神成る修行でござるのじゃ。
P95
 自分で決められることを何故にこの方に聞くのじゃ。この方に聞くのは、この方に責任を着せて居るのと同じことぞ。この方はすべてを許して居るのぞ。殺人も窃盗も強姦も横領も戦争もすべてのすべてを形にしておるぞ。そなたらがしておる真釣り外しをお知らせする為でござるから、この方のことを悪魔じゃなどと勘違いなさるなよ。そなたらの身魂は生き通しでござるのぞ。そなたの肉の身はこの方の貸しものでござるぞ。真釣りに戻れば、そなたには死はござらんぞ。そなたには危険はござらんぞ。肉の眼から見れば、死や怪我や病気と申す状態があるだけでござるぞ。そなたらが申す失敗と申すのは、そなたが思いをそなたの時間で区切った枠のその中で、そなたの計画、そなたの思った形通りにならんことでござる。そなたは身魂でござるぞ。やりつづければ成功しかないのぞ。そなたには何の危険もござらんぞ。現(こ)の世は、そなたが肉の服を来て演じて居る神芝居でござるのぞ。元は自由の世でござるのぞ。何故に他人のすることを邪魔なさるのか。何故に自らのすることを邪魔なさるのか。何故に他人の申すことを批判なさるのか。何故に起きて居らんことを理由にやめさせるのでござろうか。そなたが真釣りに居れば、そなたには死も危険もござらんぞ。魔釣りに居れば、どんなにさけても危険が来るぞ。肉体から見れば危険になるが、身魂には死はござらん。自らの真釣り外しの清算でござるから、避ければ魔釣りが進むだけでござる。人が人のすることを邪魔する理由は一つとしてござらんぞ。そなた自らの勝手なご都合で、そなた自らの勝手な理屈で、人の掃除の邪魔をするのはやめなされよ。
P96
 そなたが肉の身でどうなろうと、そなたはこの方の中でござる。そなたらは何を以って悪と申しておるのか。悪と申して、悪を裁くから自由も天国も無くなったのでござるぞ。自立する者に不都合が出るのは当たり前。自ら決めたことを自らの責任で行ってみよ。それがミロクの民の生き方でござるぞ。自ら以外の責任にしないと申すことぞ。自らの内を判断致すなと申して居るのぞ。結果がどうなろうとそなたの思うままに生きてみなされ。そなたに善悪なければ、できないと申すセリフはそなたにはござらんぞ。ここでできない身魂はミロクの民としては失格でござるぞ。人間とはヒトになる間の身魂のことでござるから、そなたらは人間失格でござるぞ。掟を乱す犯罪人の説教を聞く者はもうだれも居らんぞ。犯罪人同士の足の引っ張り合いの茶番劇はもうやめなされ。調和を乱して居る者が、調和を乱す者を裁いてもただの戯れ言でござるぞ。調和を乱すと申しても、そなたらの思って居る調和とは違うぞ。そなたらは、調和を乱した今の世で、恐れや弱みをつっつき合って、脅し合って、コントロールし合って、制限し合って、自らだけが安定しようと、自分だけ善しで人を脅し、人の気持ちを考えると申して自分を殺して意見を言わず、人のわがままに合わせて混乱を避けた積もりになって、善悪の世界だけの表向きの調和や平和を創り出して居るだけでござるぞ。人を説得するのも、人の説得を受け入れるのも、コントロールゲームでござる。脅す方も脅される方も同じゲームをして居るだけぞ。我(われ)善しの、調和を乱した世をますます進めるだけでござるぞ。お互い様でござる。自業自得でござる。どっが悪いかと申すなら、両方悪いのでござる。お互いに自ら自身のせいでござるから、今の世でも責任転嫁や争いがあるのはオカシキことでござるのぞ。自らの真釣り外しを知らん者ばかりであるから、今の乱れた世と成ったのぞ。自分勝手な者の気持ちを考えて自らの正直な気持ちを言わぬなら、自分勝手の世を許すことになるぞ。
P97
 自分を殺して人を立てるのは調和ではござらん。人を殺して自らを立てるのも調和ではござらん。自分も人も立てるのが調和でござる。自分も人もうまくいくのが天国でござるのぞ。そんなことができるわけはござらん等と申すそなたは、不調和の身魂でござる。善悪二元のそなたの眼では調和の神のミロクは見えんぞ。その態度を改めて行動せよ。そなたらは戦争を反対して居るが、武器を使わずとも、喧嘩をせずとも、内の葛藤が戦争そのものでござるのぞ。そなたらの内の戦いが口論、喧嘩、武器、軍隊、核兵器を創り出して居る元ぞ。そなたら一人一人の内の葛藤が外の戦争の素でござるのぞ。外の戦争の被害者と申す者は一人としてござらんぞ。全員が加害者でござる。自らが自らの加害者でござるのじゃ。戦争をして居る者を責める資格はござらんぞ。戦争犯罪人を裁く資格はござらんぞ。悪を裁くことが悪でござるから、悪人が悪人を裁いても無効でござる。ただの遊びでござる。善悪の法律には何の根拠もござらんぞ。そなたらは、人生はサバイバルじゃ等と申して、何でもかんでも戦って、勝手に自らを苦しめて居るのでござるぞ。この方から見れば、そなたら自らわざわざ戒律を創って、制限を創って、枠を嵌めて、苦し苦しの遊びをしておいて、自由にならんと申して戦いを挑み、自らが創りだした一人芝居の戦争の責任を人になすりつけて居る、大アホ集団の茶番劇でござるぞ。戦って居るから戦いが無くならんのでござるぞ。調和を乱す者は最後に勝手に潰れるから、そなたらがわざわざ戦って潰さんでも宜しいぞ。戦争を無くしたいならば、そなたの内の戦争をやめなされ。
P98
 相対二元の世界で人の上に立とうとする、人に勝とうとする、頂点を目指そうとするその心が、我(われ)善し自分だけ勝手の、調和を乱す基でござる。自からが生きる、安定する、生き残るためには人を落とす、負かす、消す必要があると申すのは、そなたが戦いのシナリオを生きておる証でござるぞ。戦争に反対するのはそなたが戦いをして居る証、戦争をやめさせれば平和になると思って居る、臭き悪魔の心でござるぞ。最後はそなたが滅びるぞ。人を落として上に立つ世界では全員が一番にはなれん。たとえ世界を征服しても、そなたの征服したその世界は後わずかで大掃除でござる。そなたが手に入れたものは、すべてこの方にお返し頂くぞ。モノカネどんなに集めても、全世界の肉の身を支配しようとも、そなたの身魂の掃除が無ければそなたはそこで消え行くぞ。枠の中の奪い合いをしておりては、いつまでたっても平和も自由も平等もござらん。一人一人の望むものを一人一人が交換で手に入れたらお互い自由でござるのぞ。今の世は奪い合いの世界、偏った世界、調和はござらん世界じゃから、このまま続けてももう元には戻らんから、最後の最後には世界を入れ替えて、始めから創り直すのぞ。今の物質の世は後少しで掃除でござるぞ。そなたが身魂を磨けば、そなたがしただけ返してくだされば、そなたの心が調和に戻れば、そなたは新しい世でゼロから天国を体験できるのでござるぞ。これからは、身魂の掃除の時間でござるぞ。いつまでも消え去るモノを集めても、そなたが消え去るだけでござるぞ。大掃除が始まるその前に、一人一人がミロクの民の態度を身につけておいてくれよ。
P99
 そなたらは、調和を乱した中で手に入れたその調和や平和を守ろうとして、調和や平和を乱すように見えるものを排除するゲームをして居るだけでござる。自らが調和や平和を乱しておいて、自らの持ち物を壊す者を責めると申すのは、いったい何を致して居るのでござろうか。自らのものなど何もないのでござるぞ。そなたの世界の元の元はこの方の産み生んだ資源、至善でござる。そなたが壊したものはすべて神のものでござるのぞ。調和を生きれば調和ができる道具にてござるぞ。そなたらが魔釣りのやり方で見事に壊した世界が今の世でござるのぞ。そなたらは、ここへ来てまで、まだ壊すと申すのか。調和だ平和だ平等だと申しても、一人一人の心の中は葛藤、戦いだらけでござろうが。人を責めて居るでござろうが。喧嘩をして居るでござろうが。悩みや病気があるでござろうが。武器を使った戦争もあるでござろうが。そのまま続けば全滅ぞ。神はその前にすべてを取り替えるから、そなたは身魂の掃除をしておけよ。掃除無き身魂はミロクには行けんぞ。
P100
 そなたが調和を乱すココロをもって居るから、眼で見て分かるように、葛藤や病気や戦争を形にして教えて居るのでござるぞ。そなたらが調和を乱す内の葛藤を持っておらねば、病気も戦争も形に成ることはないのでござるぞ。戦争や病気があるのは、そなたらのココロの型示しでござるのぞ。肉体を持ったそなたらは、形に見せねば気づかんでござろうが。形はそなたのココロの型ぞ。心の映しぞ。外の形を責めるは自らを、自らを責めるは神を責めることでござるのぞ。そなたが、自らは被害者でござると申すならば、自ら以外を加害者にするゲームになるでござろう。裁判所ゲームの究極は、自らが自らを滅ぼす世界丸潰れの運命が待っておるのでござるぞ。自らが損をする、壊れる、失敗するのを避けようとするそのココロが、そなたが既に調和を壊して居る証拠でござるぞ。自らが神のものを壊しておいて、自らを壊す者を裁くとは何事か。そなたがしたことが、そなたに返って来て居るだけでござるぞ。そなた以外の誰にも責任はござらんぞ。枠の中で全員が責任転嫁をすれば、最後は自分自身に返ってくるでござろうが。最後の最後はその枠を壊してしまって取り替えるのでござるから、堂々めぐりの責任転嫁ゲームは、そこまでで終わりでござる。全員が自らの責任を取る、真コトの平等でござるぞ。戦争を裁く、病気を避けるそのココロをやめることが、調和に戻す第一歩でござるぞ。そなたが調和乱した分、そなたが苦しみをもって責任をとる。+と-でゼロでござろうが。調和乱せば、偏れば、ゼロに戻すのが調和の仕組み。肉の身はこの方の貸しものでござる。肉体を自らの体じゃと申すその考えが、調和乱す基でござる。自分のものを壊された、壊したものが悪いのじゃと申すそなたのその理屈、その心が世界を壊した基でござるのぞ。
P101
 現(こ)の世に被害者と申す者は一人も居らん。そなた自身が悪いのでござる。そなたには外を責める資格は有り申さん。すべてのすべて、そなたがしたことがそなたに返って居るだけのことぞ。そなたがこれを認めねば、外を責めつづければ、そなたに返ってそなたが苦しみ続けるだけでござるぞ。そなたが何と申そうとも、すべてのすべてがこの法則通りに成って居るのでござるが、まだお気づきにならんのか。我(われ)は悪いことはして居らん等と申すその言葉が、調和乱した証でござる。真コトの調和と申すのは、内にも外にもただの一つの葛藤も争いもござらん。嬉し嬉しの世界のことでござるのぞ。戦争に反対するそのココロ、自分が危ないからやめさせると申すそのココロ、自分のものを壊した者を責めるそのココロ、そなたのそういうココロが世界の調和を乱して来たのでござるのぞ。いつまでも続けておっては調和も平和も自由も平等もござらん。ますます壊し続けるだけでござるのぞ。悪は至善に滅びるのぞ。滅ぼすのではござらんぞ。自らが自らを消すのでござるぞ。自らのしたことが自らに返るのでござるから、外を壊せば自らが壊れるのでござる。そなたらが世界を変えるのではござらん。この方が変えた世界にそなたが入るのでござるぞ。そなたから見れば、世界が変わるのでござるぞ。取り違いなさるでないぞ。外を操作しようとする者、悪を滅ぼそうとする者には次の世はござらんぞ。その態度が今今の乱れた世を創ったのでござるぞ。もうこれ以上壊さんでくだされよ。
P102
 こ度の大掃除の仕組み、ミロクを創る計画、ミロク世に至る神仕組みは、そなたらの身魂が生まれたその時からすべて出来て居ったのぞ。そなたにはどうすることもできんから夢取り違えなされるなよ。そなたが世界を変えるのではなく、そなたがこの方の世界に合わせるのぞ。この方がすべてのすべてを新たにするから、そなたらは自らの掃除をしてくれよ。自らの世界を調和に戻せよ。自らが調和に戻ればそなたはミロクに生き返れるのでござるぞ。そなたが世を直すのではなく、この方が直した世にそなたが行くのでござる。肉の服を脱いでミロクの服を着るのでござる。死して生き返る仕組みぞ。次の世紀は半霊半物の世でござるぞ。このまま変わると思ったら大きな間違いでござるぞ。取り違いして居る者、はなはだ多いぞ。不調和の身魂がこの世でミロクを創ろうとしても残念ながら無理な話でござる。この方の生き方をしたら、そんな自分勝手をしたら混乱するから善くないぞ等と申すそなたが、すでに混乱して居るのでござるぞ。善いか悪いか分ける者が混乱を創りだす素ぞ。この方の申す通りにする者を責めるそなたが、調和を乱す者にてござるのぞ。反論して、反抗して、責任転嫁をして、悪を裁いて、善悪分けて、文句を言って、やめさせて、奪い合いをしておりて、何が調和でござろうか。何が平和でござろうか。何が自由でござろうか、何が自然でござろうか。そなたらは、調和も平和も自由も自然も全部壊してきたのでござるのぞ。壊した元はそなたらの魔釣りのやり方でござるぞ。魔釣りで創りだしたものは、末は解(ほど)くもの、無くなるものばかりでござるのぞ。ホトケの世をホドケの世としたのはそなたらの神成る自覚なき魔釣りの心でござるのぞ。
P103
 真釣りを外せば滅びるのが神の掟でござるのぞ。神の掟と申すのは、神の中に産み生んだ、宇宙や自然や人間の掟でもござるのぞ。天国を壊す者は、自ら改心せねば、消えていく定めでござる。ルール違反は責任を取るのがそなたらの法律でござろうが。道徳、倫理でござろうが。そなたらの申す、「邪魔者は消せ」の論理でござる。調和を乱せば邪魔になるから、消えて頂くことには依存なかろうな。この方は、真釣りを外したそなたらを、本来なればその場で消える身魂を、我が子を天国に連れていきたい親心で、自ら改心してくれるのを願って、情と花の仕組みにすべてを託し、万物万象に変化してメグリ相応に苦を渡し、悪を見せ、自主的改心を願って、今まで何世にも渡って、そなたの身魂をここまで生かしてきたのでござるぞ。わが子とミロクを遊びたい、親神の情けでござる。されど、それもこれもあとわずかのことでござる。この方の創った天国を壊してきたそなたらの所業を辛抱に辛抱をして、最後の最後で改心させる、いよいよ最期の時となりたぞよ。これから先は真コト無き者はおられんようになりたから、ここでお知らせしておくぞ。
P104
 この方は、調和、自由、平和、天国の世界の中に、そなたらを産み生んだのでござるのぞ。現(こ)の世のことは、すべてのすべてをそなたら人間に任せたのでござる。任せたら手出し口出しせんのが真コトでござるぞ。一度任すと申したら、何があろうとギリギリの最後まで任すのが真コトでござるぞ。この方が創った調和の世、その世を壊した責任を取るのが、そなたら一人一人の成すべき役目でござる。不調和を調和に変えるのがそなたらの元のハタラキでござるのぞ。自らの魔釣りを真釣りに戻すのが神成る修行でござるのぞ。魔コトの魔釣りの神と申すのは、調和を乱すそなたらのアヤマ知を解(ほど)き、そなたらを真コトに導く御役目を担った、この方の産み生んだ神であることをお忘れくださるなよ。真コトを魔コトにして居るのはそなたら自身でござるのぞ。そなたらが魔コト魔釣りに生きて居らねば、魔コトの神々の出番は無かったのでござるぞ。悪魔を恐れるそのココロ、魔釣りでござるを知り居れよ。厄を祓うその心、悪魔の心と知り居れよ。

 この先は真コト無き者はどんどん厳しく、規則通りにビシビシと、滅びの道に居ることをハッキリ知らせて差し上げるから、そのままでは大変なことになるぞ、元の真釣りの真コトの神の力がどんなものかを、ハッキリと見せる時節になりておるのぞ。今までのように甘い心で居る身魂は、耐えられん事になるから、今ここで改心結構ぞ。真釣りを外したことを真コトにお詫びすると申すならば、今ここから即、真釣りに戻りなされよ。口だけではこの方は許さんぞ。そなたが申した通りに一〇〇%態度で示せよ。心と口と行いを寸分違わず一致させよ。今までの善悪分けるその考えを、苦楽分けるその態度を、キレイサッパリ捨てなされ。それが真釣りの大道の入口ぞ。真釣りの身魂に苦はないぞ。苦はそなたの真釣り外しの結果でござる。苦は苦として受入れよ。雨は雨じゃと濡れて行けよ。そなたが判断やめ、自由にして行動すれば、苦は苦で無くなるのでござるぞ。そなたは、この肉の身でどうなろうと生きておるのぞ。身魂がそなた自身でござるのぞ。肉体の心は身魂の態度でござる。死を恐れるその心、善悪分けるその心、苦を避けるその心、その心がそなたの永遠の死の基でござるのぞ。それがマコトに危険なことでござるのぞ。犯罪や戦争や天変地異は危険なことではござらんぞ。こ度は身魂の掃除無くしてどこに逃げても無駄でござるからそのお積もりで居られよ。身魂の掃除だけが、真コトの安全得る法ぞ。
P105
 この方は一つとして戒律は設けておらん。そなたは、どういう考え方をしてもよいのでござるぞ。変なものや非常識なものやオカシイものはござらんぞ。そなたが選んだものは、そなたの意志で選んだのでござるから、すべてそなたの責任でござるから、責任転嫁は一切認めんぞ。そなたには何の制限もないのでござるから、そなたが何を選ぼうが自由でござるのぞ。そなたが何でもできるのならば、そなたのしたことは、そなたの選んだ結果でござるのぞ。責任転嫁など本来ありえんことでござるのぞ。当然の結論でござろうが。責任や被害と申すものは元々ござらんから、神の世には法律はいらん。神の世には争いはないぞ。損得もないぞ。そなたが体験して居る制限の状況は、そなたのしてきた結果でござるから、不平不満を申すのはオカシキことぞ。そなたはどんな考え方でもできるのでござるから、してよいのでござるから、外に不平不満を申す必要はないのでござるぞ。そなたのものは何もないのでござるから、損害や被害はござらんぞ。そなたの制限は自らのした結果でござるから、誰にも責任はござらんぞ。今のその状況の中でそなたのできることをせよ。そなたが自由になる考え方を選んで行動せよ。この方はそなたには、何も制限は渡して居らんぞ。そなたにそれができれば抜ける手だてが見えてくるぞ。そなたがそなたに嵌めて居る制限を自由にして行動すれば、次の手だてをこの方が見せて差し上げるぞ。
P106
 神のバチや神の呪いや神の祟り等と申すものはござらん。魔コトの神を魔釣って居るからそなたに苦や悪が現れるのでござるぞ。不幸が悪ではござらんぞ。不幸を悪の仕業じゃと申すそなたが悪でござるのぞ。そなたが祟(たた)って居るのはそなた自身でござるぞ。そなたが魔釣りに生きるから、魔釣りの神がつくのでござるぞ。そなたが自らが悪魔を味方にしておるのぞ。自業自得でござる。神のバチを避けるそなたは真釣りを外しておるぞ。真釣りを外せば不都合出して調和に戻すが神仕組み。調和に悪はござらん。恐れもござらん。祟りやバチを恐れる心は真釣り外しの証でござるのぞ。そなたが魔釣りに居れば、悪魔も見せるぞ。悪を表に出したのは、そなたの善悪分ける心ぞ。そなたらの悪避けるココロぞ。そなたらの楽を求めるココロぞ。苦を避けようとするココロぞ。元つ真釣りのこの方のお子であるそなたらに、苦があるのはオカシキことでござるのぞ。この方は、そなたらに自由意志を与えて居るから、そなたらが、我(われ)善し、保身(ほしん)に走り、自らだけが得をしようとするのを分かって居ったから、一度魔釣りに走ったら楽を求めて苦を避けるから、自らでは改心出来んから、そのままほおっておいたら滅ぶから、魔釣りの神々にお願いして、そなたらの内にある悪を外に悪を出して教える仕組みを構えありたのぞ。そなたがうまくいかんのは、そなたが苦しいのは、そなたが辛いのは、そなたが怖いのは、神や人や社会を責めて居る、そなた自らの責任でござるのぞ。
P107
 この方は、何度も何度も同じようなことを繰り返すが、それは、そなたにとって真コトに誠に大切なことでござるからぞ。そなたが永遠に死ぬか、永遠のイノチを得るかの瀬戸際でござるからぞ。これを逃してはマコトのマコトにもう取り返しがつかん、そなたの身魂の人生で一度コッキリの分水嶺でござるからぞ。後になって知りたくなっても、欲しくなっても、その時にはこのフミもこの者も無くなるから、今ここから始めねば間に合わんから、今ここで聴かねばもう二度と聴けんようになるから、手を変え品を変え、しつこくうるさく厳しく申して居るのでござるぞ。今今の魔釣りのそなたらにとっては、厳しいことや苦しいこともたくさん申すが、しつこい等と申さずに、我(われ)には関係ござらん等と申さずに、この方の親心に免じて、辛抱してくだされよ。これも真釣りに戻る修行でござるぞ。そなたらは一人残らずこの方のお子でござるから、世界全員この方の信者でござるから、今今の現(こ)の世で申す善人も悪人も、日本人も外国人も、男も女も、子供も大人も、神々も人間も、天使も悪魔も、科学者も宗教家も、占い師も霊能者も予言者も、教師も生徒も、教祖も信者も、上の者も下の者も、富める者も貧しき者も、社長も社員も、王様も人民も、誰も彼も、全員、最後まで神妙に聴いてくだされよ。
P108
 そなたらは心配性でござるから、自分は分かるが、自分は大丈夫だが、そなたらの申す先祖や死者や障害者や赤子や胎児や文盲の者や痴呆の者や動物や植物等がどうなるのかと申すが、それはそなたには何の関係もないことでござるぞ。そなたはそなたのことだけを考えていれば宜しいぞ。そなたが他の者のことを心配してくれるのはありがたいが、そなたがアレコレと心配しても、今度ばかりはそなたにはどうすることもできん。一人一人の身魂の掃除でござるから、そなた以外の者のことは、この方とこの方の家来が引き受けるから、そなたはそなたのことだけを考えてくれれば結構ぞ。そなたが人を心配するのは、そなた自身の身の不安の裏返しでござるぞ。そなたは死んでも生きて居るから、初めから生き通しでござるから、肉の身を脱いだそなたがそなた自身でござるから、そなたの肉の身は無くなってもそなた自身には「死」はござらんから、初めてのことで怖いのは分かるが、そなたのことはこの方が善きようにしてやるから、この方が手を引いてやるから、足元を照らしてやるから、その時その時に必要なことを一つ一つ教えて差し上げるから、そんなことは信用できん等と申さずに、アレコレと今までのデーターを持ち出して屁理屈をこねずに、アタマであれこれ思案せずに、先先を案ぜずに、何も心配致さずに、何が起きようとも、ミロクが開くその瞬間まで、この方の申す通りに素直について参れよ。
P109
 今までのやり方はすべてアベコベでござるから、すべてのすべてを棚に上げて、この方の申す通りに、ゼロから、赤子から始めてくれよ。判断を持ち出すのは、今までのやり方が残っておる証拠でござるぞ。コントロールや判断をすれば、そなたも人も自由にはならんぞ。そなたがそなたに制限を課しているのでござるぞ。そなたがそなたを動けなくして居るのでござる。そなたが動かずに人を動かそうとすれば、そなたも人も自由ではござらんぞ。人をコントロールして自由になった積もりになっても、それはそなたの創りだしている幻想でござる。人が人をコントロールすることはできん。人が人を変えることはできん。そなたに出来るのはそなたがそなたを自由にすることだけ、そなたがそなたの内を変えることだけでござる。そなたには死はないぞ。そなたには終わりはないぞ。人間はいつかは死ぬのじゃからそんなはずはない等と申すのは、そなたの嵌めた制限でござる。そなたの今の肉の身はそなたという身魂の服でござるぞ。服を脱いでもそなたは居るぞ。今までの学や教や知に囚われて居ると、そなたが自由にならん。そなたが自由にならんと、そなたの理屈で人を操作することになるから、人も自由にならんぞ。そなたも人も共倒れになるぞ。そなたがどんな操作をしても、制限を外した者には何の効果もないぞ。そなただけが動けなくなるだけぞ。制限も恐れも持たん者を操作することはできんぞ。
P110
 人がそなたの申す通りに動くのは、その者が制限や恐れを持って居るからぞ。自らのセルフマインドコントロールが、人からマインドコントロールされる原因ぞ。そなたの体験はすべてそなたの責任でござる。人の体験も人の責任でござる。お互い自らの責任でござるから、責任転嫁や争いと申すゲームは本来無きものでござるのぞ。そなた自身も人も自由にしてやれよ。そなたは何でもしてよいのぞ。何でもしてよいと申せばすべてはそなたが選んで居ることぞ。そなたの体験はそなたの責任でござるぞ。罪悪感も質問も要らなくなるぞ。自分のことは自分で決められるのが真コトぞ。質問してはならんと申すわけではないが、質問はいらんということぞ。そなたの答がそなたの正解ぞ。正しい解釈と申すものはござらん。そなたが今までの知識で正常じゃ異常じゃと判断して居るだけぞ。そなたがそうして居るのでござる。そなたの外には常識も社会もござらんぞ。そなたが創った常識や社会や神を使ってそなたがそなたを制限して居るだけぞ。そなたがそなたを不自由にしておいて人に文句を申すのはいかなることか。自分勝手もいい加減に致せよ。

 そなたらは、自らの出した答を何故に判断するのか。何故に人に聞くのか。何故に宗教に聞くのか。そなたがそなたの答を疑えばそなたは分裂するぞ。今までのやり方がマチガイぞ。この方のマチガイの基準で判断したら、そなたらのして来たことは大マチガイになるぞ。そなたが判断のゲームを抜けることが、そなたも人も自由にすることになるぞ。社会のため、人のため、家族のため、神のため、そして、そなた自身のためになる真コトの方法ぞ。誰も損はせん。誰も傷つかん。そなたがしたことを悪じゃと判断しておる者が反論するだけでござるぞ。反論する者は調和を乱しておる。そなたが判断せずに行動し続けることが、その者に真コトを見せることになるぞ。その者の目を覚ますことになるぞ。そなたに反論する者にいくら言葉で説明致してもその者は受け入れんぞ。そなたはその者から見れば悪でござるから、そなたの申すことは悪でござるから、その者は何も聞かんぞ。人に証拠を見せるためではなく、そなたがそなたのために行動すれば、一つ一つ形になるから、それを人が見ることになるから、結果として人に見せることになるぞ。そなたがサンプルになるのでござるぞ。そなたが真コトを教えたければ、教えようとするのをやめてまずは自らの掃除を致せよ。そなたが真釣りに戻れば、真釣りが形に成るのでござる。真釣りを見せようとするのは魔釣りでござるぞ。霊が体に現れる、心が形に現れる、「する」のではなく「成る」のでござるぞ。そなたの心の通りにこの方が現すのでござるぞ。自分以外に責任というものはござらん。責任追及をしたり責任についてアレコレ議論したりすることは、本来はオカシキことでござるのぞ。
P111
 そなたが今持っている目は今までの人間の世界を基にした目にてござる。肉の眼で見えるもの、物質の状態、物質の有無をもとにして判断して居るだけでござるぞ。そなたが「ナイ」と申すものは、すべて「アル」のでござる。そなたが「認めない」「許せない」と申すものは、この方がすべて許して「アル」のでござる。そなたは、何について「認めない」「許せない」と申して居るのか。いったい何が「ナイ」のでござるか。何を基準に「認めない」「許せない」と申してござるのか。そなたが想像できるもの、議論できるもの、形に見えるもの、聞こえるもの、ココロに出せるものは、信じようが信じまいが、認めようが認めまいが、許そうが許さなかろうが、そなたが何と申そうとも、すべて必要があってこの方が許して「アル」ものでござるぞ。そなたが判断出来るものはアルのでござるぞ。そなたが考えたことを、そなたが決めた善悪で、そなたが学んだ過去のデーターで、アレコレと判断して居るだけでござるぞ。そなた以外の者が語ることや為すことを、そなたが選んだ善悪で、そなたの過去のデーターで判断して居るだけでござるぞ。神など居らんと申せるのはそなたがアルからでござるぞ。そなたはナイと申して居るものを見ておるのじゃが、そのことに気づいて居るか。そなたが神を否定すれば、そなたは居らんのでござる。そなたが居るのは神が居るからでござるぞ。
P112
 そなたの判断の基準は相対二元の善悪でござる。そなたの基準は物質の世の肉の身でござるぞ。そなた自身を肉の身だと思って居るから、肉の身の生死を基準として、善悪、危険安全、有る無し等の議論が創りだされるのでござるぞ。そなたは二つに分けることになるぞ。そなたの混乱の原因は、何でもかんでも二つに分ける、永遠に一つにならん、分かつ知でござるぞ。魔釣りの世を創る素のアヤマ知でござる。早う身魂の眼に戻ってくだされよ。身魂の眼になればそなたには何も問題はござらんぞ。そなたが出来ないと申すことがあるならば、そなたは枠の中を生きて居るぞ。そなたが、この方を忘れて、勝手に怖がって、勝手にやめて、しないだけでござるぞ。そなたが勝手に悪を裁いて居るのでござるぞ。そなたが悪と決めて居ることは、そなたは行動致さんから、形にならんぞ。そなたがうまくいかないだけでござるぞ。どんな考えも、どんな行動も、この方が許しあるから形にできるのでござるぞ。そなたらの目から見れば、時間が掛かったり、思ったように行かなかったりするが、もっと大きな眼で見なされよ。この方の目から見れば、すべては成就するのでござるぞ。そなたらは今今の魔釣りの世のように、この方を忘れてしまう仕組みをも見事に形にできるのでござるぞ。そなたらが、たとえ魔釣りの世を創りだそうとも、この方は黙って見ておるのでござるぞ。そなたが外の悪を裁くのであれば、制限するのであれば、やめさせるのであれば、自らの自由意志もそなた以外の者の自由意志も侵害して居ることになるのぞ。この方は悪も形にするのぞ。真コトの自由を知らんそなたは、そなた以外の者の語ることや為すことに口出しする資格はござらんぞ。
P113
 そなたが悪と申すものも、必要があるから形となるのでござる。そなたが「悪」を語れるならば、そなたは「悪」を持って居る。そなたは何をみて「悪」を語って居るのか。そなたの外に「悪」がござると申すが、何故に「悪」とわかるのか。そなたが「悪」を想像できなければ、そなたが「悪とは何か」を語ることはできんのぞ。そなたが許せんと申す「悪」を、自らの内に持って居るのはいかなることでござるのか。自らを許せんと申して居るのと同じことぞ。神を許せんと申して居るのと同じことぞ。外の「悪」が、どんな必要があって許しあるかは後々、存分に聞かせてやるから、このことはこ度の大掃除で避けては通れん一番大切な事でござるから、そなたらの最大の取り違いでござるから、よくよくハラに入れて置いてくだされよ。「悪」(「開(あ)く」)の仕組みが分からねば、こ度の大峠は越せんから、ツベコベと屁理屈こねて居ると、そなたの身魂の真コトのイノチが無くなるから、ツベコベ申す者は悪の仕組みが分かっておらんことを白状して居ることになるから、その積もりで、この方の申すことを素直に取りなされ。このフミを読んで居るそなたらは「善」と「悪」を持っておるぞ。そなたが善悪の議論をして居る時、そなた以外の者の申すことを批判して居る時、そなたは何をしてござるのか。そなたが、議論や批判をする時は、その対象物を想像しなければならんから、肉眼で見たり、聴いたり、心で見たりすることができなければ、そなたらは議論も反論も批判もできまいが。そなたらは内に「善」「悪」を持って居るぞ。そなたらはすべてを見ておるぞ。
P114
 そなたが想像できるものは、すべてこの方が霊界にて創りだすものでござるのぞ。神が先で人があと、霊が先で体があと、そなたらは先に心に出てからその後で行動するのでござろうが。そなたの心に出たものを行動して形になって居るのでござろうが。形に成って居るもの、心に想像できるものは、すべてこの方が許して居るものでござる。そなたのココロに出ないものは、そなたは行動できん。そなたのココロに出ないものは、そなたには有る無しは申せんぞ。そなたは何を議論して居るのか。そなたは何を裁いておるのか。そなたの心やそなたの外に「アル」ものを、そなたの理屈で認めんだけでござろうが。そなたが許さんと申して居るだけでござろうが。そなたが信じられんと申して居るだけでござろうが。この方が認めて許して居るものが、そなたの心やそなたの外に現れて、そなたに認識できるのでござるぞ。そなた以外の者が言葉や行動にて表現するものは、その者のココロに出てきて居るものでござるぞ。形あるものの基はココロでござる。そなたが認めんのはそなたの勝手でござるが、この方が許してすべて「アル」ものでござる。そなた以外の者が話すこと、成すこと、造るもの、出来ておるものは、すべてこの方が許しあるものでござることをお忘れ無きよう。神、たのむぞ。
P115
 片方からの目は、すべて偏見の目でござる。そなたという人間から見れば、死や障害や赤子や痴呆等に見えるが、この方から見れば、そうではないぞ。この方から見れば、善も悪も神も人もないのでござる。すべてはこの方の中でござるからぞ。この方の世界の中にそなたの世界がある。神あって人あることを思い出してくだされよ。神の目が客観でござる。そなたらがどんなに客観的に見ておる積もりであろうと、それはすべて主観でござるぞ。相対二元の平面の物質の世の魔釣りの善悪正誤の目でござる。善は悪、悪は善、正は誤、誤は正、絶対的観念でござれば、議論の余地はないのでござる。差別だ、偏見だ、と申すそなたの目が、差別の目、偏見の目でござるぞ。神の目は、そなたらの善悪両方とも見えるのでござるぞ。戦って居る両方の心が見えるのでござる。相対二元の分裂思考では、平和などありもうさん。早う立体に入ってくだされよ。そなたらの元はこの方でござるのぞ。神心になると申すのは、この方と同じ心になると申すことでござるのじゃ。
P116
 魂の世界が肉の世界の元でござるから、この方はすべての者と心でつながって居るから、そなた以外の者にはこの方が直接語るから、直接見せるから、魂の世界で出会いを創るから、この方の家来に指示して魂の世界で動かすから、そなた以外の者に頼んで世話をさせるから、必要なものはこの方がすべて渡すから、魂はこの方が面倒を見るから、そなたから見たその者の肉の身が無くなろうとも(死んでも)魂は生きて居るから、この方から見れば死んでは居らんから、この方が服を脱がしただけでござるから、物質の世でどのようなことが起きようとも、どのような姿になろうとも、どのような状況になろうとも、そなたの心配することではござらんぞ。そなたはそなた以外の身魂の世話はできんぞ。そなた以外の者から見たそなたも同じでござる。そなた以外の者はそなたの身魂の世話はできん。肉体の世話は出来ても、身魂の世話は誰にもできん。掃除をするのは一人一人でござるぞ。人がどうであれ、そなたはこの方の申す通りに素直にやってくれれば宜しいぞ。それがそなたの為であり、人の為でもある。ミロクはそなた一人だけでも結構ぞ。

 そなたらは、やれ援助だ、世話だ、心配だ、ボランティアだと大騒ぎしてなさるが、困って居る者に援助するのは当然じゃ等と申しておるが、そなたは死んだ後の魂の責任まで持てるのか。そなたがその者の魂を、最後まで責任を持って面倒を見られるならば、世話をしてくれてもよいが、そなたは何でもかんでもすぐ物質の援助をしたがるが、そなたの持ち物はもともとこの方のものでござるぞ。そなたがモノを与えようとても、この方が許さねば、モノがなくなれば、そなたは何もできんぞ。金も薬も食べ物も本も警察も、すべてのものは末は無くなって行くものばかりでござるぞ。そなたらは何も考えずとも宜しいぞ。この方の申す通りにハイハイと動けば宜しい。アレコレ考えるから、堂々巡りから出られんのでござるぞ。こ度は死んでも続く大掃除でござるから、身魂の大掃除でござるから、表面上は物質的に満たされておっても、身魂が磨かれて居らねばミロクはないから、本当に助けたことにはならんぞ。物質的に満たされておらんでも、肉の身がどんな状況であろうとも、身魂が磨かれておれば助かるのでござる。今度ばかりは、身魂磨きが済んでおらぬそなたが人の面倒を見ることはできんぞ。人を本当に助けることはできんぞ。
P117
 そなたがアレコレと屁理屈申して居るならば、人のことを心配致して居るならば、人に手出し口出ししたくなるならば、まずはそなたの掃除が先ぞ。そなたがそなたの世話をすることが先でござる。人のことはこの方に任せて、アレコレと心配するそなた自身の大掃除を致してくれよ。そなたが心配して手出し口出しすれば、かえってその者の掃除を邪魔することになるぞ。一人一人にこの方が語りかけてござるから、横やりを入れて、その者の選択(洗濯)を、掃除を邪魔することの無きようにお願い致すぞ。自らの満足のために、身欲のために、正しさを保つために、いい子を演じるために、他人の自由意志を侵害するゲームはもう終わらせてくれよ。心配しないことが人のためでござる。迷惑をかけてはいかんと申して、自らのしたいことを我慢することが、したくないことをして葛藤を創ることが、マコトに迷惑なことでござるぞ。今までとはアベコベでござるから、家族や子供をほおっておいてよいのか、と申すような罪悪感は必要ないぞ。身魂の系は肉体の家系とは別でござるぞ。霊統と血統は一致しておらんぞ。そなたの家族と申せども、身魂は全く別の独立した存在でござるのぞ。そなたらの霊統の元の元はこの方でござるぞ。すべての家系はこの方から始まってござるのぞ。この方のお子同士で喧嘩するのはもうやめてくだされよ。この方の計画通りに、全員ミロクへ行けるようにしてあるから、もう人の世話はせんでも宜しいから、そなたは自分自身の世話をしなされよ。
P118
 そなたとそなた以外の者とは、独立した魂が、最も掃除が進むように今世の関係となって生まれて来ておるだけぞ。そこには、どんな上下関係も、制限も、義務も、強制も、一切ござらん。一人一人の自由意志で、一人一人が独立して、自立して生活してよいのでござる。親と申すのは、子が自らの意志で行動できるようになるまでのお役目でござるぞ。子が自らの意志を持ち始めた後で、アレコレと考え方に口出ししおれば、それは信教の自由の侵害でござるぞ。子供だから、学生だからと申すが、子供を子供として扱い、肉体の年齢や性別で一律に教育することが平等じゃ等と申す魔釣りの者に騙されて、自立できんようなシステムを創りだしたのはそなたらでござろう。小学生は小学生ではござらんぞ。そなたらのやり方次第で、独立した社会を創れる立派な神の臣民でござるぞ。子供だから無理じゃと申すのは、そなたらの創りだした社会だけで通用するものでござる。家族も他人も関係ござらん。形の上で、家系を追っても、それはその時その時でまったく別の霊統の魂が演じておった肉の身の名前でござる。そなたの墓が沢山あるぞ。家系を継ぐ必要はござらん。今世で終わりでござる。そなたがどんなに心配しようとも、どんなに苦労しようとも、どんなに世話しようとも、最後の最後はそなたにはどうすることもできんぞ。そなたは人の身魂のメグリをすべて知って居るのか。真コトの掃除の手伝いは、この方にしかできんのでござるぞ。そなたら一人一人がこの方の申す通りにしてくだされば、それがどんな状況を創ろうと、お互いの援助となるのじゃ。たとえ家族と言えども、そなたには口出し出来ん。人のことを心配する暇があるなら、そなた自身の掃除を進めてくれよ。
P119
 目に見える世界は霊界の映しでござるぞ。霊界の光がそなたを通して影を創って居るのじゃ。影をいじくっても何も変わらんぞ。そなたの心配はそなた自身が一人になること、そなた自身の大切なものが傷つくこと、無くなることでござる。それはそなたの一人よがりでござるぞ。そなたが心配して居る者は、何の心配もござらんぞ。そなたが口出しすれば、かえって迷惑でござるのぞ。肉の身の形はどうであれ、身魂は障害者でも病人でも怪我人でも狂人でも犯罪者でも子供でもないぞ。形を見て判断するでないぞ。この方はすべての者とつながって居るから、すべての者の真釣り外しを帳面に書いてあるから、どの者とどの者を引き合わせれば最も掃除が進むか、真釣りに戻れるか、分かるのでござるぞ。一つのズレも無く、ピタリピタリと出合わして、過不足なくすべての者にメグリを渡すことができるのでござるぞ。完璧に掃除が進むのでござるぞ。すべてこの方が決めて居るのじゃ。そなたには、すべての者がミロクに行けるように仕組むことなどできはしまいが。すべては霊界で動いて居るのじゃ。霊界の動きが現界に現れて居るのぞ。そなたが魔釣りの世の責任とやらで、自らしたくない世話をするのはこの方は望んでおらん。かえって身魂の掃除の邪魔になるだけでござる。その者が苦しくとも危なくとも、その状況を体験して、初めて掃除が進むのでござるぞ。人のことはこの方に任せて、そなたはそなたの世話を致せよ。形は子供や障害者でも、すべての者がミロクに行けるように仕組みあるから、何も心配ござらん。家族も他人もないから、血統と霊統は違うから、形の関係で強制することはできん。責任を取ったり、取らされたりする必要はござらん。人のことはそなたが心配することではござらん。そなたはそなたの心配をすれば宜しいぞ。
P120
 そなたがすでに真コトの者でござれば、そなたは喜びだけの天国でござる。喜びが当たり前の世界に居るのぞ。当たり前と申すのは、至善にできること、取り立てて議論せぬことでござる。この方は、空気みたいなものでござるぞ。健常者が、我(われ)は歩けたなり!と一々喜んでござろうか。もし、誰かがそう申せば、そなたは、歩けるのが当たり前じゃと申すでござろう。至善、当たり前と申すのは、何も思考せず、何も議論せず、何も葛藤せずにできること、してしまうことを申すのでござる。そなたが真コトを生きて居れば、うまくいって当たり前でござる。奇跡はござらん。この神は何でもできる元つ神でござるから、この方の申す通りにやって居るならば、苦も悩みも謎も何もござらん。夢はすべて実現しておる。すべて実現して居るから、神頼みも、夢を追うことも、神について議論することも必要無きことぞ。そなたはこの方と共に居るから、この方とそなたは一体でござるから、空気みたいなものでござるから、親子でござるから、取り立てて議論しようとも思わんぞ。神じゃ、宗教じゃと大騒ぎして居るのは、真コトの神から見れば、滑稽(こっけい)なことでござるのぞ。そなたは、この方が居らねば存在しない身魂でござるぞ。そなたが現界でアレコレ成すことができるのは、神あってのことでござるのぞ。
P121
 そなたが神を信じないと申すならば、そなたがそこに居るのは何故なのか、そなたが病気も死も自然も想い通りにならんのは何故なのか、そなたの回りの自然は誰が創りだしたのか、そなたが申すエネルギーは誰が創りだしたのか、いろいろな神が居るのは何故なのか、病気や事故や死や争いや葛藤や悩みや謎や不思議が無くならんのは、超常現象や幽霊や超能力があるのは何故なのか、あり得ないことが次々に起きるのは何故なのか、創造主とはいかなる存在なのか、地球や宇宙は何故あるのか、この者がこのようなフミを出せるのは何故なのか、そなたが分からんことを語れるのは何故なのか等々、そなた自身に、そなたの回りに、納得いくように、矛盾がないようにすべて説明してござれ。そなたがそれをできないならば、魔釣りのアタマで創りた屁理屈をこねるのはいい加減にやめて、この方に素直にアタマを下げて、この方の申す通りにやりなされ。この方が善きようにしてやるから、赤子に戻って素直に出直しなさるがよいぞ。
P121
 このフミをすべて読み終えても、ツベコベ申してあくまで抵抗致すならば、それでも構わん。得心行くまでそなたの理屈をこねて、お好きなようになさって居るが善いぞ。じゃが、近い将来、そなたがアタマを下げる時が必ず来るから、その時では酷きことになるから、後になって気づいても、いよいよとなってこの方にすがって来ても、掃除なければもう遅いから、その点、ご承知あれよ。この方、今ここで確かに申し渡したぞ。この方がすべてを教えた今今からは、そなたにはもう何も知らんとは言わせんから、分からんとは言わせんから、言い訳は一切許さんから、ハラを括ってやりなされよ。この方に抵抗致しても無駄なことでござるから、いい加減に素直に致せよ。我(われ)には関係ござらん、我(われ)は神なり、我(われ)は無神論者なり、神など居らん等と申す者は、臭き魔釣りの信奉者なるぞ。悪魔も地獄も犯罪も神も超能力も科学も宗教も世俗も何も批判せぬ、どんな意見も否定せぬ、神も社会も自分も人も何も責めぬ、神も霊も天国も喜びも奇跡もすべてのすべてが当たり前、何のこだわりも不安も恐れも特別も無い、普通の人間が真コトのミロクの民でござるのぞ。ただの一点なりとも苦や葛藤や悩みや不安や恐れや疑問や不思議や謎や希望や夢や想い通りにならんことがござれば、そなたはこのフミを読むべき者でござるぞ。そなたが学んだ屁理屈はすべて一旦棚上げして、ツベコベ申すのは後の後の後にして、まずは最後まで黙って読み通してくだされよ。一歩の前に○歩があるぞ。ゼロが調和でござる。このフミ黙って読むことがそなたがミロクで神成るための修行の始めの○歩でござる。



元つ神からの最期の艮のフミ その二 
 
P126
 このフミは、そなたら一人一人へ渡すフミでござるのぞ。この方からそなた自身へ渡す手紙でござる。現(こ)の世に生まれし身魂、一人としてこのフミと関係無き者はござらん。今まで学んだ知識や知恵は一旦すべてをゼロにして、全員赤子に戻ってくだされよ。

 この方の申すことは誠の真コトでござるから、議論の余地はあり申さん。この方の申すコトを本当かウソかと議論するのはオカシキことでござるぞ。議論を致すそなたは魔コトの者でござるぞ。それがそなたが騙された原因でござるぞ。そなたらの魔コトの眼でこの方の語る真コトを見れば、悪に映るぞ。真コトは一つ、魔コトは二つぞ。疑う心はすべて捨て、魔コトの眼鏡を外して、この方の真コトの話を誠素直に聴いてくだされよ。

 このフミは、一人一人の曇り具合に応じて、一人一人の眼鏡に応じて、一人一人のサングラスの色に応じて映るようにしてあるから、どのような者にも対応できるように同じことを何度も何度も表現を変えて書かせてあるのぞ。この者を人間として魔釣りの中で修業させて、魔釣りから真釣りへの掃除をすべて体験させて、人間の取り違いや魔釣りの者の反論をすべて取材させて、人間の体験を通して書かせてあるから、そなたらの魔釣りに曇ったアタマでも分かるように書いてあるから、その積もりで読むことぞ。
P127
 今度の今度はツベコベ申せんようにしてあるから、ツベコベ申すならば自らが分かって居らんことを白状して居ることになるぞ。この方の申すことが真コトに分かりたならば、何も申せんハズでござるぞ。この方の申すことが分かりたならば、真釣りの道を歩むしか道はなくなるハズでござるぞ。難しい、大変だ、できない等と申すならば、そなたの魔釣りの証でござる。そなたが難しくしただけでござるぞ。

 マコトはシンプル、簡単ぞ。簡単だから、複雑になったのぞ。一つのものを二つに分けて、それをまた二つに分けて、分けに分けてたどり着いたのが今今のこの世界ぞ。分ければ分けるほど複雑になるぞ。そのまま続けておれば、真釣り戻れなくなるぞ。永遠に調和には戻れんぞ。最後の最後は消え去るぞ。そなたらの壊した世はこの方が創り直すのでござるから、そなたらは地球や他人のことは心配せんで善いぞ。そなたは自らの魔釣りを真釣りに戻せば宜しいぞ。物質の世は後少し。このままでは行かんぞ。今までのアヤマチの教えや学問の常識はキレイサッパリ捨てて、この方の申す通りにしてみやれよ。
P128
 今の世では無理じゃ等と申す者も居るが、今の世はアヤマチの世でござるぞ。全くアベコベでござるから当然のことでござる。無理にしたのはそなた自身でござるぞ。この方の申すことを出来んと申すならば、そなたにはミロクは無き世と思えよ。そなたが世界を変えるのではないぞ。この方が変えた世界にそなたが入るのでござるぞ。身魂に戻って、マコトの裸に戻って、服を着替えるのでござるぞ。ミロクの服は身魂に一点でも曇りあれば着られんぞ。真釣りに戻った身魂だけが着ることができる光一つあがりた肉宮でござるのぞ。ミロクの服を着られねば、ミロクの民になることはできんぞ。

 ミロクと申すのは、上から下まで真コトが統べる、嬉し嬉しの真釣りの世、光り輝く神代でござる。闇も悪も一切入れん魔釣り無き世でござるのぞ。今度ばかりは魔釣りをして居る身魂の行くところはござらんぞ。今の今から掃除を始めんと、そなたは本当に本当の死を迎えることになるぞ。そなたがミロクの世を語っても、そなたの心の掃除がなければ、そなたはその世には行けんぞ。掃除なしでミロクの話をしても夢に終わるぞ。ミロクを語る暇があったら自らの掃除をせよ。自らの取り違いを素直に認めて掃除をしてくれよ。

 今の世の宗教家殿、教師殿、取り違いして居る者多いぞ。天国に行くべき神民を地獄に誘ってくれるなよ。どうあってもこの方の申すことを聞かんと申すならば、それはそれで宜しいから、真コトの者のお邪魔をせずに下がってみてござれ。この方の大掃除を邪魔する者は容赦は致さんぞ。この方は元つ神ぞ。今までの神や仏とはわけが違うのぞ。得心いくまで相手をしてやるから遠慮なくかかってこられよ。そなたに勝ちはないぞ。
P129
 この方が始めのゼロ歩を見せるから、始めの始めを教えるから、今ここから素直にその通りにやれよ。ツベコベ申すのは、二つに分けて居る魔釣りの身魂ぞ。アヤマチ教の信奉者なるぞ。そなたは誰に向かってツベコベ申しておるか分かっておるか。そなたの見ておる世界はそなただけのものでござるのぞ。この方を批判するそなたは魔釣りでござる。調和の神の申すことを批判するそなたはキ違いでござるぞ。そなたは地獄が好きなのか。そなたは戦いが好きなのか。そなたは自殺をしたいのか。身魂の自殺は永遠の自殺でござるぞ。この方が殺すのではないぞ。神の掟を外したそなたが自ら滅びるのでござるぞ。

 そなたの外を、そなたの相手を批判して、この方を批判して一つに成れると思いてか。調和を創れると思ってござるのか。善悪分けて、戦って、平和も調和もミロクも何もござらんぞ。このフミを裁けば、そなたが魔釣りの身魂であることを白状して居ることになるのぞ。こう申して居るのにそれをまた裁くならば、その通りでござるぞ。そなたはいったい何と申せば分かるのか。この方の申すこと、黙って素直に聴けよ。
P130
 程度の差こそあれそなたら全員魔釣りの者にてござるから、そなたも魔釣りの者でござるから、そのままではミロクへは行かれんから、そなたが真釣りに戻るためのやり方を手を変え品を替え語るから、そなたの混乱を収拾する唯一のやり方を教えて差し上げるから、そなたの魔釣りの常識を真釣りの常識に改める教材でござるから、この方からそなたへの手紙、親からの我が子への天国の手紙でござるから素直に受け取ってくれよ。

 動物を殺すのは悪でござると申すそなたが悪ぞ。そなたは身魂を殺して居るぞ。身魂殺すだけではないぞ。身魂殺せば肉の身はないぞ。肉の身なければ、そなたにはこの世はないのぞ。ミロクの身なければミロクはござらんのぞ。そなたは神の調和の世を壊して来たのでござるぞ。アヤマチ教の善悪の知識を持ち出してツベコベ申すそなたは何者ぞ。悪い血を創ったのはそなたの悪い知でござるぞ。型は心の映しぞ。いつまでも型に囚われておると、真コトのことは何も分からんぞ。この方の神示を取り違い致す大きな原因ぞ。

 そなたらが生きて居る今今の世は、このまま進めば末(すえ)は全てが滅びる、元つ真釣りを忘れた、魔釣りが統べるアヤマチ教の創りだした魔コトの世でござるぞ。そなたら人間の真コトの姿は、日月地の神成る身、ミロクの世で神に成る、修行の身魂でござるのぞ。修行と申しても瞑想や超能力や滝行や読経や断食ではないぞ。そなたの日常生活のすべてを真コトに生きることでござるのぞ。起きてから寝るまでのすべてのすべてを真コトで生きることでござるのぞ。そなたの真姿(素型)は、不調和を調和に変える尊き御ハタラキの真釣りの神成る身魂でござるのぞ。
P131
 調和が真釣りでござる。不調和は魔釣りでござる。戦い、裁き、悩み、葛藤、不満、苦情、不都合、責任追及、善悪勝ち負け、損得貧富、戒律罰則、脅し、恐怖、危険等々、今の世の姿は調和の身魂の創り出すものではござらんぞ。今の世には平和も自由も平等も公平もござらん。平和は平和ぞ。戦いある世を平和と申す、臭き心を掃除せよ。そなたの前には「戦争」なくとも、戦い、不自由、不平等、不公平の世でござろうが。権力持たねば上にも上がれぬ、上に上がりても守らねばならん、安全も安心もない世でござろうが。どこに平和があるのぞ。真コトの調和は一〇〇%ぞ。反対語などござらんぞ。創ってしまったものはもうよいから、そなたの心を掃除せよ。

 そなたの元は魂でござる。そなたのココロと申すのは、魂の声、魂の行動でござる。そなたがどんなココロを持つかでどんな神がつくか決まるのでござるぞ。そなたは神がついて初めて人間として生きておられるのでござるぞ。そなたのココロのままぞ。そなたが神を選んでおるのぞ。神の力無くして、そなたらは何もできはせんのぞ。人間と申すのは、神成る身魂でござる。神ではござらん。現界と申すのは、神と人が共に創りだす世界でござる。神は人が居らねば現界は創れず、人は神が居らねば現界にはおられん。霊が先で体があとでござる。そなたが幽霊でござるぞ。幽霊怖がるそなたはアベコベでござるぞ。
P132
 そなたは霊界と現界の両方に居る存在ぞ。霊界でのそなたがどの神と交流するかで、現界のそなたの現実が決まるのでござる。そなたが魔釣りの神にまつろえば、そなたは魔釣りの現実を生き、そなたが真釣りの神にまつろえば、そなたは真釣りの現実に生きるのでござる。真釣りの神は喜びしか渡しておらん。魔釣りの神も真釣りの神がありてあるものぞ。真釣りの神が魔釣りの神を許さんと申せば、魔釣りに生きるそなたらも何もできんようになるのでござるぞ。これからは真釣りの世となるのでござるぞ。

 この方から見れば、善も悪も神界も幽界もないのでござるが、そなたら人間から見て分かるように申して居るのぞ。霊界は神界と幽界に分かれ、神界は天国と霊国に分かれ、天人と霊人が住み、幽界は陽界と陰界に分かれ、陽霊人と陰霊人が住むのでござる。陽霊人は悪人、陰霊人は善人の如き性を持つぞ。幽界は本来ないものでござるが、人間の地獄の想念が創りだした世界でござる。善悪持つ者は、幽界の霊との繋がりが強いぞ。幽界では天国は創れん。善悪の判断申す者は、幽界の身魂でござる。最後に幽界は掃除するから、自らの善悪掃除して、早く神界に行かねば、そなたはミロクへは行かれんぞ。
P133
 一人一人の魔釣りの度合い相応に掃除するのでござるぞ。皆一緒に行くのは無理な話でござる。一人一人が心の掃除をするのぞ。人の魔コトにチョッカイを出す者は魔釣りでござる。自らの掃除が先ぞ。今の今もそなたの回りには悪はござらん。そなたが悪と申して居るだけぞ。悪を裁いて居るだけぞ。善人は悪を裁くぞ。悪裁く者悪ぞ。善人もこの方から見れば悪人でござる。悪人が悪人を裁くとは、滑稽なお芝居ではないか。そなたらが善と思って居るものはことごとく逆ぞ。そなたはそなたの心の有り様(よう)の通りの神がついてその通りに見えるから、そなたは自らの現実を正しいと錯覚して居るだけぞ。

 魔釣りの神はこの方を忘れて居るから自らを正しいと思って居るぞ。その神に囚われて居るそなたらは、自らを善であると思って居るから、何も気づかんのでござるぞ。そなたらが今まで、正しい、善だ、常識だ、と教えられて来たものは、九分九厘、我(われ)善しの、魔釣りの神の魔コトの力が全てを統べる魔コトの神の常識でござる。そなたが魔釣りをやめれば魔釣りの神は手出しできん。この方ら真釣りの神がそなたを守るから安心して改心してござれ。この方を疑う心が魔釣りの神を釣るぞ。信じることが真コトなり。

 こ度は、そなたら自らが、自らにはめて居る魔釣りの神のマインドコントロール(洗脳)に気づき、身魂(肉身のココロ)の戦(いくさ)を終わらせねば、疑うココロを無くさねば、一人として助かる者は居らんから、ミロクの御世には生まれ変われんから、全てを仕組み構えたこの方が、誠の神の真コトを明かして、真コトの親心を知らせて、魔コトの神の洗脳をすべて外して、そなたらを完全に自由にしてさしあげるぞ。
P134
 ミロク世はすでに創ってあるのでござるぞ。そなたから見れば時間を追って体験して行くが、この方からみれば時間と申すものはないのでござるぞ。掃除無き身魂には、この方の仕組みが見えんから、目の前だけを見て居るから、突然に世界が変わるように見えるぞ。突然大掃除が始まるように見えるぞ。大慌てになるぞ。恐ろしいことになるぞ。最後の最後は掃除なければ通れんミロクの入口ぞ。今ここで改心致せば、怖いことは減るぞ。

 今までの世のカラクリ、こ度の大掃除のカラクリ、魔コトの神のアヤマチ教の仕組み、真コトの神の真コトの仕組み、魔釣りに生きるそなたらが気づかぬ取り違い、今の今まで人類の歴史を通じて当たり前だと思っておりた常識のマ違い等々、ミロクに至る神仕組み、真コトの神芝居のカラクリを、アヤマチに曇りに曇ったそなたらの魔釣りのアタマでも魔釣りの眼でも、いやでも分かるようにして、すべてハッキリと明かすから、暫くの間、アヤマ知を持ち出してツベコベ申さずに黙って聴いてくだされよ。
P135
 この方が語ることは、万古末代二度とはない、そなたという身魂が生まれて以来初めてのことでござるから、そなたらにとっては生まれて初めての初の体験でござるから、過去のデーターを持ち出して、今までの魔釣りの善悪を基準にして価値判断をすれば神の真コトは見えなくなるから、くれぐれも気を付けてくだされよ。初めての聞くものに判断と申すゲームはござらんぞ。赤子には判断基準はござらんぞ。ここまで申しても、また屁理屈をこねて判断を始める者多いぞ。誠に素直になりなされよ。

 この方の申すことを判断する者、疑う者、裁く者は、魔コトの世の住人でござるぞ。真コトのミロクの世の民にはなれんぞ。そなたは何をもってこの方の申すことがウソだと申すのか。そなたがこの方を悪だと申すならば、そなたが善でござるから、そなたの申す通りにやればよかろう。この方がどうなろうと、この方を信じる者がどうなろうと、そなたには関係なきことでござる。そなただけが助かればよかろうぞ。残念ながら今度ばかりはそなたは助からんぞ。そなたに善悪分ける心がござれば、そなたは死ぬのぞ。

 そなたが善ならば、そなたが正ならば、そなたが、そなたの申す通りに生きておればそれでよいではないか。わざわざこの方の申すことにチョッカイを出す必要はござらん。他人にチョッカイを出す必要はござらん。よけいなお世話でござる。真コトの者にとっては、この方が何を申そうと、他人が何をして居ろうと、関係なきことでござる。悪を責めて、悪を潰して、自らの善を立てたいならば、そなたは善悪に分けた身魂でござるぞ。
P136
 この方の内にある悪を潰すとは何事か。この方を潰そうとしておるのと同じことぞ。そなたが外にしておる通りにそなた自身が体験するぞ。最後はそなたが潰れるぞ。どうあっても今まで通りにやると申すなら、それで宜しいから、最後の最後に分かるから、その時までお好きにしなされ。最期に気づいてももう遅いから、今から申して居るのぞ。

 この方の世界にあるもの、すべてのすべてに善も悪もないのぞ。善も悪も同じ世界にあるものぞ。悪を掃って、悪を端に寄せて、悪を潰して、善を立てて、守って居る積もりになっても、戦って居るならば、全体は一つにはならんぞ。こんな簡単なことすら分からんようでは、そなたは神成る身魂としては失格でござるぞ。神成る修行の身である人間としても失格でござるぞ。そなたは魔釣りのアヤマチ教の信者でござるぞ。

 そなたがそなたの外を想いの通りにさせようとするならば、そなたが神であることになるぞ。そなたの外を思い通りにしようさせようとするのは、そなたの想いが形になって居らん証でござる。そなたが自由になるために、他人を制限するならば、そなたは自分だけ勝手でござるぞ。そなたは真コトの臣民ではござらんぞ。不満や不平や文句や責任追及や損害賠償や批判等々を為すならば、そなたの想い通りになって居らん証でござる。
P137
 現世利益を求めての神頼みや占いやおみくじや予言や霊能力や超能力や宗教に頼るのも同じことでござる。そなたが想いの通りに成って居るならば、未来を知る必要も、人に頼る必要も、外に探す必要もござらんぞ。未来を知りたがるのは、不安があるからでござる。今に生きて居らん証ぞ。分からないことや不思議なことや謎や奇跡や偶然があるならば、そなたは偏って居るぞ。そなたがそなたの想いの通りに成って居るならば、誰が何をしようとも関係無きことぞ。人をコントロールせずとも、そなたがそなたの想いの通りに素直に動けば、そなたの欲しいものは来るのでござるぞ。

 そなたが外を操作しようとしておる時は、そなたが外に頼って居る時は、そなたは自らの魔釣りを白状しておるぞ。隠しておっても隠せんぞ。この方からは丸見えでござるぞ。最後の最後はビックリがでるぞ。そなたが真釣りを外して居るから、真釣りに戻すために、行き詰まりや悪や苦や痛みが来るのでござる。そなたの欲しいものは来ておるぞ。そなたが魔釣りを生きるから、真釣りに戻す機会が来るのでござるぞ。そなたは調和を創る神成る身魂、調和に生きるがハタラキなるぞ。そなたが真コトに生きておれば、そなたにできんことなど一つもないぞ。
P138
 この方はすべてのすべてを産み生んだ元つ真釣りの神なるぞ。そなたができんと申すなら、この方に不可能があると申しておるのと同じでござるぞ。そなたがそなたを自由にすれば、そなたが魔釣りをやめて、今までしたことを償えば、そなたの想いはすべて成るぞ。そんなうまい話はありえん等と申す者、そなたは自らの想いの通りにいっておらんことを、真コトの神の道を歩んで居らんことを、悪を裁いておることを白状して居るぞ。早よう気づいて真釣りに戻れよ。

 悪の宗教を裁くことは、そなたが悪である証でござる。そなたが神でござるならば、想い通りにいかんと申すのはいかなることか。そなたがうまく行かんならば、そなたがこの方のことが気に掛かるならば、そなたは魔釣りに生きて居るぞ。魔コトでは真コトのミロクの御世の住人にはなれんから、この方が真コトを教え、そなたの外に悪映し、そなたの内の魔コトを掃除致すぞ。魔釣りでは真釣りに至れぬぞ。最後の最後はそなたの悪をすべてそなたに返すから、しただけのことはして頂くから覚悟致せよ。

 そなたの肉の身はこの方の貸しものぞ。そなたのしただけのことをそなたの肉の身を通して、痛みや苦しみを渡して、すべて掃除して頂くぞ。もう魔釣りは許さんからご自覚召されよ。そなたらがこれから致すことが、マコト最後の真コトのご苦労でござるから、この方にはウソも騙しもござらんから、この方が申すご苦労は必ず実るから、大神様の実地テストの答え(=ミロクの御世に生まれ変わるノウハウ、閻魔(えんま)様の裁きの身魂改めの準備)をすべて教えるから、死んでも続くから、頑張りてくだされよ。
P139
 この方の申す通りに素直にやれば善人も悪人も誰も彼も全員合格できるようにしてあるから、ちょっとの間、真コトに戻すご苦労をすれば、ミロクの御世で永遠に遊べるから、ミロクの御世が開くその瞬間まで、そなたの身にどんなことが起きようとも、絶対に自ら死なずあきらめず、堪えに堪えて、辛抱してついて来てくだされよ。そなたがどんなに抵抗しようとも、この方の仕組みは動かんぞ。そなたから見ればミロクが出来るように見えるが、ミロクは既にできて居るのぞ。掃除さぼるほどますますきつくなるぞ。

 現(こ)の世に人間として生まれしすべての身魂、ご先祖様や神々様とても、このフミと関係無き者は一人として居らんから、そなたはこの方のお子の身魂でござるから、この方の申すことをしっかりと聴いてくだされよ。この方の申すことは、他人事や神様事などではござらんぞ。そなたという身魂の生死がかかってござるから、いい加減に扱って居ると末代後悔する残念が出るぞ。そなたらの申す今までの神事や宗教や哲学や予言とは全く違うから、シッカリと区別タテワケして聴いてくだされよ。
P140
 今までの教えはことごとく逆様でござるから、今まで学んだアヤマチの、コントロールの、善悪勝負(かちまけ)損得ゲームの常識はすべてのすべてを白紙に戻して、屁理屈こねてツベコベ申さずに、誰も彼も一人残らず、今この瞬間から、この方の申す通りに、ハラを据えて取り組んでくだされよ。逆じゃと申せば逆なのぞ。そなたの内のすべてのすべてを引っ繰り返せよ。そなたの心をすべて引っ繰り返せよ。裏になったり表になったりして居るといつまでたっても魔釣りのままぞ。分かったらその通りに実行してくだされよ。一旦ゼロに戻せよ。裏と表ぞ。何方か一つぞ。全部入れ替えよ。

 この方は、この方の産み生んだ御子であるそなたらを一人でも多く永遠の天国に連れて行ってやりたいから、一人でも多く素晴らしい世界に生き返ってもらいたいから、もう戻れないギリギリの瀬戸際にきて居るから、厳しいかも知れんが、苦しいかも知れんが、腹が立つかも知れんが、今度の今度だけはココロを鬼にして申すぞ。そなたらが今まで繰り返してきたように、形に現れたこの方の表現、姿だけを見て、鬼だ、悪魔だ、と申していい加減に扱って居ると、それこそ取り返しのつかない大失態をやらかすことになるから、ここできつく御注意申し置くぞ。我が子を思う真コトの親心、分かってくだされよ。

 今までの魔釣りの世でも、そなた自らがこの方からのお知らせを素直に聴けば、アヤマチに気づくことができたのでござるぞ。そなた自らがマコトに改心致せば、この方が手伝って、他人はどうあれ、社会はどうあれ、そなただけは真コトの天国の、神の道に入ることができたのぞ。我(われ)だけ善くなってもよいのか、我(われ)の自分勝手ではないのか等と申していつまでも真釣りに戻らんそなたのココロが、アヤマチを進めに進めて来たのでござるぞ。そなたがアヤマチを出れば、真コトに戻れば、一人でもアヤマチの世から出れば、調和に戻れば、この方の元に帰れば、それが皆のためにてござるのぞ。
P141
 そなたらは、アヤマチの中に引き戻す、魔釣りのコントロールにまんまと嵌まって居るぞ。そなただけでも真釣りに戻ってくだされよ。そなたのすることに口を出す、そなたのすることをやめさせようとする、そなたに特定の生き方を強制する、その者が自分勝手でござるぞ。この方は強制はして居らんぞ。そなたがいらんと申すならばそれでよいぞ。そなたが天国に生きたいと申すから、天国とは逆の道に居るから、お教えして居るだけでござるぞ。自分勝手の者の申すこと聞く必要はござらん。掟破りの犯罪者の申すこと聞くならばそなたも犯罪者でござるぞ。ここに来てまでまだ魔釣りを続けるお積もりか。

 この方が、ミロクの御世、新しい世を創りても、そなた自らがアヤマチを自覚せねば、何も知らずに再び地獄を創ることになるから、今度ばかりは魔釣りの者は連れていかれんようにして居るのぞ。同じアヤマチを繰り返しては天国がいつまでたっても出来んから、地獄を繰り返してはそなたらが可哀相なから、この方がすべてやってはそなたらは奴隷になってしまうから、そなたらの自由意志で天国を創れるようにさせたいから、教えたくても知らせたくても辛抱に辛抱を重ねて、情けと花の仕組みを構えて、そなたらの自発的改心を待っておったのぞ。そなたの魔釣りは世界滅亡の生き方でござるのぞ。
P142
 この方は、そなたら自らが自らのマ違いに気づくよう、ただただ行き詰まりや苦しい状況を創って、そなたらのマ違いを知らせ、同時に数々の真コトのフミや真コトの御用の者を使って真コトを知らせて、そなた自身が自らの体験を通して自らの魔コトに気づき、真コトに気づき、そなたらが自発的に改心致してくれることを、長い間ずっと待ちに待っておりたのでござるぞ。そなたが自ら真釣りに戻らねば、そなたはミロクの民にはなれんのぞ。自分のことをすべて自分で決められるのが、自立した身魂が「日月知の神」なるぞ。

 そうとは知らぬそなたらは、アヤマチに囚われたそなたらは、魔釣りのワナにまんまと嵌まって魔コトを真コトと取り違えたそなたらは、自らが何をしているのか気づかぬままに、自らも回りも滅びの坂道を下って居ることも知らずに、自らのご都合宜しく、自らの身欲と保身のため、財産や地位や名誉や世間体を守るため、自らは悪人にキ違いに成りたくないがため、自らだけが正しいと、自らの理屈で真コトの者を悪魔に仕立てて迫害を繰り返し、自らの繁栄には都合の悪いこの方の真コトを魔コトと教え込み、調和を創る真コトを悪と教え込み、この方を悪魔と断じて鬼門に封じ込め、真コトを避けさせ批判させ、破壊を進歩と置き換えて、誰も真コトに気づかん仕組みを造り上げてきたのでござる。
P143
 そなたらがどんなにうまく隠したつもりでいても、この方からはすべて丸見えでござるぞ。悪神生んで悪心映し、悪を使って悪を和す、情けと花の仕組みにすべてを託し、最後の最後にはすべてをグレンと引っ繰り返し、真コト渡してミロクを創る、タテカエタテナオシの仕組みを構えありたから、そなた自らが気づくことを願って、今まで黙って見ておったのぞ。この方が表に現れた今今は、魔コトの世も後わずかの間でござる。いつまでも続けられると思ったら大きなマ違いでござるぞ。

 この方の申すことを素直にきかぬと、本当に取り返しのつかんことになるから、この方のミロクを開く仕組みは見事に出来て居るから、そなたらがどんなに抵抗しても邪魔してもミロクの仕組みは動かんから、後になって気づいても遅いから、間に合わんと気の毒ざから、今ここから申すのでござるぞ。真コトの親の申すことをマコト素直に聴きなされ。そなたは今まで騙され騙されして来たから、信じられんかも知れんが、この方の申すことにウソはござらん。そなたの最後の人生、もう一回だけこの方に賭けてくだされよ。
P144
 そなたらが申す「悪」というのは、魔釣りの世の相対二元の善悪の「悪」でござる。そなたの外の悪と申すのは、そなた自身が持つ「悪」を映す鏡でござるのぞ。そなたが持ちたる悪を見せるため、そなたの悪を自覚させるために、魔釣りの神にお願いして、この方が許して形にして居るものぞ。この方が許しある悪を裁くことが悪でござる。そなたが悪を持ちたる証でござるぞ。そなたの内に悪なければ、そなたの外には悪は見えんぞ。そなたが外を悪と申すならば、そなたの内に悪があるぞ。ミロクは悪は入れん世でござる。

 神が先で人があと、霊が先で体があと、この方無くしてそなたは居らん。今今のこの世は仮(借り)の世ぞ。この方の世が真コトの世でござるぞ。そなたから見てあの世と申すのが真コトのそなたの居場所でござる。そなたという身魂がこの世の服を来て居るのが人間でござるぞ。人間とは一十(ヒト)に成る間、ミロクの世で「地の日月の神」成る身魂でござるぞ。獣と人との中間でもござるから、「人間」と教えてあるのぞ。獣の性が、戦いが魔釣りぞ。人の性が、調和が真釣りぞ。今今は「ケモノ」ばかりが栄える世となって居るぞ。

 そなたらは、ミロクの御世で調和を創る、日月地を統べ真釣る神成る身魂でござる。この方は、神もヒトもすべてのすべて、三千世界を統べ真釣る、元の元の親神なるぞ。ミロクの世は、上から下まで、すべてのすべてがハッキリタテワケある、悪の影さえ入れん、嬉し嬉しの光り輝く御世でござるぞ。調和を創る身魂だけが行ける、真釣りが統べる神世でござる。一点なりとも闇や悪を持ってはミロクへは行けん。調和を乱す者は、ルールを破る者は、一人たりとも入れんのでござるぞ。
P145
 そなたらが今今の世で為して居るように、金や学や教や理屈やコネを持ち出しても、どんなに高級な接待をしようとも、ヨイショをしても無駄でござる。そなたの我(われ)善しの臭き身魂は丸見えでござるぞ。ミロク世の入り口は、抜け道も裏道もない、そなたの身魂の掃除なくしては入ることができん針の穴の関所でござる。そなたが、魔釣りの世でどんなに善人でも、神の世界の調和を乱す悪人でござれば、ミロクの世は関係なき世となるぞ。

 魔釣りの世のアヤマチの教えにまんまと騙されて、そなたが持つ悪を和すための、そなたが天国に行くための教材である悪を裁き、潰し、消し、排除し、死を避け、病気を避け、怪我を避け、破壊を避け、悪避けるのは、悪許さないのは人間として当たり前のことじゃ等と、善人のフリをして勝手に安心して居る者ばかり。そなたらの申して居ることは正しいが、悪の基準が違って居るぞ。立体に入らんと、マコトの善は分からんぞ。
P146
 そなたらは、神の調和を壊しておいて、自らが何も無しでミロクへ行けると思ったら大間違いでござるぞ。そなたがしただけのことはしてもらうぞ。そなたが壊しただけ、そなたが不調和蒔いただけ、そなたの苦しみとして、痛みとして引き受けて責任をとって頂くのぞ。法律破ったら、自ら責任をとるのが道理でござろう。ルール違反を致しておいて、我(われ)は善人じゃ等と申す者、そなたは魔釣りの世の善悪で善人を演じておるだけでござる。魔釣りそのものがルール違反でござるのぞ。魔釣りに生きる者、すべてのすべてが神の世の犯罪者でござるぞ。人のことはとやかく言えんぞ。罪償わねばミロクはないぞ。

 この方が許しある悪を裁くそなたが悪でござるぞ。悪は最後に滅びるとも知らず、呑気(のんき)な者が多いのう。この方の真コトを悪と教えこまれては、アヤマチに囚われた自らがマコトの者にてござるから、目の前の悪に真コトがあるとは気づかず、悪を裁き、善人を気取って当たり前のように暮らして居るのが今のそなたらの姿でござるのぞ。今となっては、真コトの何たるかも分からずに、目の前の悪の中に真コトあることすら気づかず、自らも世界も滅びるアヤマチのマ釣りの世の常識を当たり前のように生きて居る、アヤマチの世で上に上がりて喜んで居る極楽トンボばかりでござるから、このままでは誰も真コトを知らずに滅びてしまうから、このフミを出して、誠の真コトを知らしめるのでござるぞ。
P147
 今今の世に本当に笑える者は一人として居らんのぞ。我(われ)は違うと申す、そなた自身が一番危ないぞ。この方のやり方をしておるならば、うまく行って当たり前でござるのぞ。奇跡や偶然などござらん。神頼みもいらん。霊能力や超能力など必要ないぞ。そなたは神とつながって神の霊力ですべてを成しておるのぞ。真釣りの神につながるか、魔釣りの神につながるか、どちらとつながるかでそなたの体験が、創りだすものが決まるのでござる。神が先で人があと。霊界との、神との関係ですべてが形に成るのでござるぞ。

 そなたらだけの力で形にして居るのではござらんぞ。そなたが自然を変えられるのではござらんぞ。すべてが人間だけの成したことだ思ったら、大きなマ違いでござるぞ。神の力無くしてそなたらは何も出来んのぞ。この方の申す通り、真釣りを生きて居れば、苦あるのはオカシキことでござる。うまく行かんのは、そなたがアヤマチに囚われて居るからぞ。そなたが真コトでござれば、何も誰もコントロールせずとも、欲しいモノ、必要なモノは、必要な時にすべてあるのぞ。この方がすべてのすべてをお渡しするのでござるぞ。誰に口出しする必要もござらん。誰が何をしようとそなたとは関係なきことでござる。

 そなたが真コトを正直に生きれば、この方が手伝って、すべてそなたの想いの通りに成就致すのでござるぞ。そなたが不足を申すならば、そなたが他人を気にするならば、そなたはアヤマチの者ぞ。そなたが申す通りの現実を体験し続けるぞ。そなたが申す通りに魔釣りの神がそなたにくれるぞ。自らが魔釣りをして居るからうまく行かんのでござるぞ。この方は今の今も、そなたが真釣りに戻れるように、苦を与えて教えて居るのぞ。そなたが天国を求めるから、天国に戻るに必要な真釣り戻しの材料を渡して居るのでござるぞ。そなたは悪を持って居るから外を悪と申すが、悪もそなたに必要なものでござるのぞ。
P148
 この方は、メグリであれ、お陰であれ、苦であれ、喜びであれ、そなたが真釣りに生きられるように、そなたに必要なものをお渡しして居るのでござるぞ。そなたが欲しいものは天国でござるから、大きな眼で見れば、苦も喜びも、どちらもそなたの欲しいものでござるのぞ。この道理分かるか。そなたが欲しいものは100%来て居るのでござるぞ。そなたがそなたの理屈で苦は欲しくないと申して居るから、不平不満を申して居るだけでござるぞ。そなたのしたことを返さねば、そなたに天国はないのでござる。悪も感謝。

 この方はそなたの自由意志で何でもできるようにしてござるぞ。そなたは魔釣りでも真釣りでもできるのでござる。すべてはそなたが自由意志で選んだことでござるのぞ。魔釣りを善と思っておるから、それしかないと思っておるから、しかたない、当然だ、これしかない等と申すのでござる。自らが自らのしておる結果を誰のせいにするお積もりか。そんなことでは、いつまでたっても幸福も平和も自由もござらん。真釣りには戻れんぞ。
P149
 魔釣りをして居る自分がすべてのすべての原因だと自覚するところから真釣りが始まるのぞ。霊界が現界に現れる。ココロ替えねばカラダ変わらず。霊替えねば体変わらず。神替えねば人変わらず。常識替えねば現実変わらず。そなたの申すことを替えねば、そなたの現実は変わらん。外を変えようとする、自ら以外のせいにしようとする、何でもかんでも神に聴こう、人に聴こうとする、そなたのその考えを変えることが先でござる。

 そなたが分からんのは、そなたが混乱して居るのは、そなたが真釣りを外した結果ぞ。そなたがそなたの答えを疑うから、いつまでたっても行動できず、何も変わらんのでござるぞ。そなたがそなたを疑えば、この方を疑うのと同じぞ。そなたの心に出ることは、この方からの声でござる。そなたの質問の正解は、そなたが思う答えでござる。これでいいのかと申すのをやめることぞ。いいのかどうかを問うことが真釣り外しを進める基ぞ。

 そなたの想いの通りになるのがこの世でござる。この方がその通りに創ってござるからぞ。そなたがココロの世界を替えなければ、変えて行動しなければ、そなたの現実は何も変わらんのでござる。そなたが分からんことが、ますます分からんことになるぞ。そなたが善悪に分けて善にしがみついてござるから、偏ったものしか来ないのでござるぞ。悪を裁いて居るから、悪を見せて教えるのでござる。そなたが持って居るものが外から来るのでござるぞ。そなたが霊界でして居ることが現界の形として現れるのぞ。
P150
 そなたのココロの声は、そなたの想像するものは、そなたの霊界の姿ぞ。神が許しあるから出てくるものぞ。神が許しあるものをそなたは何故に裁くのか。疑うことが魔釣りでござるぞ。そなたが悪を持っておらんと申すならば、それが悪持っている証拠でござる。悪裁くそなたは悪を見ておるぞ。悪裁けばそなたは悪であることを白状しておるぞ。真コトの神から見れば、善悪はないぞ。そなたがしておることは、すべてお見通しでござる。

 霊界が先、現界があとでござるぞ。現界でどんなに隠しても、そなたのココロが霊界の動きでござるから、この方には丸見えでござる。魔コトの人間は欺けるが、真コトの人間には丸見えでござるぞ。この方には、真コトの人間には、そなたの脅しもコントロールも一切通用せんぞ。秘密と申して秘密を想像したら、その秘密は霊界にあるぞ。霊界にあるものは現界に出るぞ。人間からは見えんが、神からは丸見えぞ。秘密もてば、そなたは守るぞ。秘密が暴かれそうになると、そなたは隠そうとするぞ。戦うぞ。戦うそなたに永遠に安全はない。秘密は秘密ではござらん。真釣りが真コトの安全ぞ。
P151
 この方の創った世界をアヤマチ使って壊し、我(われ)は悪くない等と申して堂々と神や仏や他人のせいにして、苦あるのが当たり前の如く振る舞って居るそなたらは、今のままではミロクの民には成れんぞ。自らのアヤマチを認めて、早々に改心致して、この方の申す通りに素直にやり直すが善いぞ。そなたが壊した世界はこの方が掃除するから、そなたはそなたの魔釣りをやめよ。そなたのココロを掃除せよ。

 そなたが今まで蒔いた不調和を引き受けよ。苦しいぞ。辛いぞ。酷いぞ。怖いぞ。自らしたことでござるから、辛抱が肝心でござるぞ。苦しい、辛いと申せども、それはそなたのしたことだと自覚致せよ。自らしたことが原因でござるから、自らの真釣り外しの掃除でござるから、それを認めることがミロクの御世への第一歩でござる。あくまで人のせいだと申すならば、お好きになさるが宜しいぞ。そなたの身魂のイノチはござらんぞ。

 人のせいにしたものは、すべて我(われ)のせいだと認めよ。そなたの肉の身はこの方のもの。肉身傷めて借りをかえすのぞ。文句言って、奪って、傷めた分、自分が引き受けるのぞ。そなたがしただけのことは返して差し上げるぞ。そなたがゼロにならねばミロクには行けんから、しただけのことは辛抱してくだされよ。そなたがした真釣り外しの責任とらずに、そのままミロクへ行けると思ったら大きな間違いぞ。最後はすべての者に身を以って教えて差し上げるから、覚悟致せよ。
P152
 この方がやると決めたらそなたには何もできんぞ。この方に抵抗するだけ、そなたが傷つくぞ。そなたはこの方の中ぞ。そなたの回りはこの方でござるぞ。そなたの宇宙はこの方の中ぞ。そなたとこの方はつながって居る。この方と他の者も同様ぞ。この方裁けば自ら裁くのと同じことでござる。人を裁けば、回りを裁けば、自らを裁けば、この方を裁くのと同じことでござる。裁くことが魔釣りでござる。裁き無ければ疑いなし。100%の信頼が、行動が真釣り外しのお詫びの印ぞ。そなたが申したことを全部やりなされよ。

 この方はそなたの身魂の空気でござるぞ。呼吸止まればそなたは死ぬでござろうが。神は呼吸、宇宙は呼吸、そなたも呼吸して居るだけでござるぞ。すべてのすべては呼吸して居るだけでござる。○、環、円、0、縁、零、霊が神ぞ。すべてのすべてはそなたに返ってくるのでござる。神を裁くことはそなたの呼吸を止めること。吸いっぱなしでは何もできんぞ。出すから入れることができる、吐くから吸えるのぞ。呼吸を溜めるから行き詰まる(息詰まる)のでござるぞ。経済も金も考えもすべてのすべてが神の通りになってござるのぞ。今今のそなたらは誰も彼も窒息寸前でござるぞ。持っているものを出しなされよ。
P153
 神あって人あり。霊あって体あり。魂あって身あり。そなたの真コトの親はこの方ぞ。そなたの本体は魂でござるぞ。霊界の行動が現界の行動。現界の行動は霊界の行動。他人裁くのは神裁くのと同じ。現界の行動に不調和あれば幽界の身魂ぞ。幽界掃除するぞ。現界も変えるぞ。そなたの行くところなくなるぞ。本当の死ぞ。ミロクを望むそなたが行くのは神界でござる。現界でどこに逃げても身魂が幽界で逃げておるだけぞ。幽界を掃除すればそなたはいなくなるぞ。幽界から神界に出ることが安全地帯に逃げること。神裁いておると逃げるところはないぞ。逃げるようにするのをやめることが誠に逃げることになるのぞ。

 現界造り直してミロクにするのぞ。善悪の幽界から神界に引っ越さねば、そなたはミロクの家にははいれんぞ。そなたから見れば時間を追って「出来る」のであって、ミロクの御世はすでに出来て居る。出来て居るから、時間がないから、間に合うように、今から真釣り戻しをせよとうるさくと申しておる。急げ急げと申しておるのぞ。急ぎすぎては真釣りを外すぞ。慌てないで急いでくだされよ。そなたは十分まに合うぞ。一つ一つぞ。

 いつまでも屁理屈こねて、「でもでもでも」を繰り返して居ると本当に慌てることになるぞ。本当にビックリすることになるぞ。腰を抜かすことになるぞ。二度と立ち上がれんことになるぞ。このフミ手にする者は、幽界との繋がり切れておらん。神界に居れば、このフミは必要ないからぞ。真釣りの者には真コトを教える必要はないからぞ。幽界が今のそなたの居るところ。そなたの居る世界、後わずかで無くなるぞ。そなたの居る世界が無くなれば、そなたはどこにも行けんぞ。そなたが幽界を出なければ、そなたもろとも大掃除でござる。早う掃除始めんと、大掃除に巻き込まれるぞ。
P154
 肉の戦い終わってタマの戦い始まるぞ。タマの戦いは怖いぞ。霊戦は恐ろしいぞ。この方はそなたが苦しむ姿を見たくないのぞ。そなたが掃除なければ、巻き込まれるぞ。そなたが掃除なければ、この方とて助けることはできん。早う神界に戻ってくれよ。早う掃除を始めてくれよ。このフミ読んだ、今ここからやらんと間に合わんぞ。今ここから始めんとミロクはないぞ。いつまで地獄に居るお積もりか。今の地獄も最後は消え去るから、大きな眼で見れば地獄はないのでござるぞ。神は天国。地獄を創ったのはそなたらぞ。すべてのすべては真釣りでござるぞ。魔釣りの世はあと暫く。神世に戻す大掃除始まるぞ。

 そなたは真コトを知らんから、魔釣りを生きるそなたらが悪魔と決めたこの方の申すことを聴けばそなたらは悪魔になってしまうから、そなたらは自らが悪人にはなりたくないから、自らがキ違いになってしまうから、自らは善人で居たいから、この方の真言(まこと)は聴かず、魔(ま)言(こと)の申す仕組みにどっぷりと漬かり、末は滅びる仕組みとは露ほども知らずに、滅びの坂道を駆け降りて居るとも知らずに、目の前の欲や楽に目が眩み、悪企みし者自らも含め、すべてが滅びに至る悪の仕組みを、魔コトのやり方を善と申し、教育や躾(しつけ)の名のもとに、教師から生徒へ、教祖から信者へ、親から子へと、世代を超えて次々に伝え続け、魔コトの世をどんどん進めて参ったのぞ。
P155
 魔コト伝える教師や教祖や親達も、自らが真コトである、自らは善人である、自らは正しいと錯覚致してござるから、我(われ)善しでござるから、自らは善人でござるから、悪人は悪であるから、真コトが悪でござるから、誰も気づかず改心出来ず、気づいた者はキチガイと、狂った者と決めつけて、魔コトの善を追い求め、真コトの善を曇らせる、真コト無き世と成したなり。

 そなたら人民に任せた現(こ)の世界、このまま魔コトの民に任せておりては世が滅びてしまうから、いつまでも魔コトの世を進めては、すべてが滅びてしまうから、このまま続けても真コトには気づかんから、元つ真釣りのこの方が表に出て、三千世界をタテカエタテナオシて、すべてのミチ(三千、道、満、倫)を真コトで統べる、ミロクの御世に変える大掃除を致すのでござる。この方が大掃除にかからんうちに、この方が小出しにして居るうちに、自ら掃除を始めてくだされよ。悪の世の大みそかが近づいておるぞ。掃除なき者に真コトの正月(正神の月/新年、神年)はないぞ。

 陰は縦(ささえ)、陽は横(現れ)、火は縦、水は横。火はすべての元、水はすべての表現。陰気は神のキ、陽気は人のキでござる。そなたらの申すように、暗い明るいではござらんから取り違い致すなよ。この方は陰に隠れてそなたらを支えて居ったのぞ。この方は下の下の下からそなたらを守護しておりたのぞ。火は下から上に上がるでござろう。地球の基は火でござるぞ。火が一旦上がればすべてを焼き尽くしてマコトだけしか残さんぞ。この方が大掃除を始める前に、早く気づいてくだされよ。陰陽逆転とは、真釣りの神(正神、真神)が表にでることぞ。
P156
 悪の中に真コトあり。悪の中に真コトの一厘が隠してござる。一厘なければ真コトではござらん。神は一〇〇でござるぞ。九九・九では神ではござらん。百でござる。桃でござる。魔コトの仕組みも真コトの仕組みも神一重でござるから、魔コトの者には外から見ても見分けがつかんから、まんまと嵌まってしまったのでござるぞ。

 真コトを隠す魔コトの仕組み、魔コトを語る者自身も魔コトに嵌まり、真コトが何たるかを忘れ、自らは真コトであると思って居るから自らは魔コトには嵌まらんと安心し、自らも魔釣りの毒牙に侵されて居るとも気づかず、自らが滅びるとも気づかず、身魂の自殺に向かって生きる、世の自殺に向かって進んで居るのでござるぞ。このままいけば最後の最後は全員丸潰れの仕組みでござるのぞ。

 このまま魔釣りに囚われたそなたらに現(こ)の世を任せておりてはすべてが滅びてしまうから、このままでは悪神の思うままにされてしまうから、悪神にとらわれた外道の善人に思うようにされてしまうから、ますます争いが激しくなるから、ますます貧富が進むから、ますます破壊が進むから、ますます滅びが早まるから、いくらやっても平和も自由も平等も出来んから、最後の最後のいよいよに、元の真釣りの神のこの方が、三千世界に現れて、すべてのすべての大掃除を致すのぞ。

 真釣りの真コトの大神が、桃(百)の太郎を従えて、魔コトの神の鬼退治、致す時節となりたぞよ。



元つ神からの最期の艮のフミ その三 
 
P160
 世に落ちているすべての身魂の大掃除、1414(いよいよ)激しくなる時節となりたぞよ。現(こ)の世から穢(けが)れある者消えるまで、そなたらの心にも現(こ)の世にも一点の曇りも無くなるまで、戦いがすべて無くなるまで、葛藤がすべて無くなるまで、悪がすべて消ゆるまで、我(われ)善しの身魂が一人残らず消ゆるまで、不調和まき散らす身魂がすべて消ゆるまで、たとえ肉の命が死しても、身魂になりても続く、神から人まですべてのすべて、悪も闇も穢れも一つも残らぬように、キレイサッパリ祓い去り、末代動かぬ神代に致す、最初で最後の三千世界の大大大掃除でござるぞ。中の魔釣りの神々もそなたら人間(人現、人言)も、身魂生まれて初めての、万古末代二度と無い、一度コッキリの大掃除でござるのぞ。

 今の今まではすべてが滅ぶ、魔釣りの仇なす悪しき世となりてしまって居るから、上から下まですべてが壊れるホドケの世となりてしまって居るから、ほおっておいたらこの方のお子が全員死んでしまうから、神の生んだ現(こ)の世を初発の泥にもどさなならんことになってしまうから、そなたら魔釣りの者にこのまま現(こ)の世を任せておりてはすべてのすべてが滅んでしまうから、ギリギリの所で元の元の大神が総出で表に現れて、塵(ちり)一つ残さぬように三千世界の大掃除を致すのじゃ。それもこれもすべてのすべて、現(こ)の世を生んだ初発より、この方が計画しておりたことでござるのぞ。そなたらがどんなに抵抗しようとも、どんな理屈をこね回そうともこの方の仕組みは動かんぞ。この方の家来総出で手伝うから、そなたらはこの方の申す通りに素直に掃除をなさるがよいぞ。
P161
 元々は、そなたらすべて調和の元に生まれた身魂でござるのぞ。この方が調和の神でござるから、親と子は同じ性を引き継ぐのが道理ぞ。そなたと親、そなたと子とは、似ておるでござろうが。そなたらの肉の身は、この方の、元の神の似姿でござる。そなたらの世界は、この方の世界の映しでござる。この方とそなたの関係を、神の世と人の世の関係を、そなたに見える形に託し、すべてのすべてを教えあるのぞ。そなたに見える形にすべて現れているのでござるよ。そなたが内を掃除せねば、そなたの外は変わらぬぞ。DNAと申すのは、この方とそなたらが似ておることをそなたらの形に見せるための仕組みでござるぞ。目に見える現象に囚われておりては、真コトの真実が見えなくなるぞ。この方が居るから、そなたらが居るのでござるのぞ。この方の世界があるからそなたらの世界があるのぞ。そなたらの肉の身はこの方がメグリ相応に掃除させるように仕組みた、真釣りの響きを内に持つ、尊い神の肉宮でござるのぞ。そなたの身魂相応に、病気や怪我や痛みや苦しみが現れるように仕組みあるのじゃ。肉の遺伝は身魂の遺伝の型示しぞ。

 調和乱すが悪ぞ。悪を裁くが悪ぞ。そなたが内に悪を持たねば、そなたの前には悪はござらん道理。そなたが真釣りを外さねば、そなたには苦はないのでござる。病気も怪我もないのでござるぞ。調和が善ぞ。調和が神のルールぞ。ルール違反したならば、責任をとるのがルールでござろう。そなたが調和を乱しただけ、自らの痛みとして引き受けるのでござるぞ。そなたの真釣り外しをそなたの肉宮を通して痛みで教え、真釣りに戻す仕組みでござるぞ。自ら真釣りを外しておりて、楽をしようと申すのは、痛みを避けようと致すのは、虫の善い話でござろうが。自ら創りた病気を治してくれる医師のミスを責めるはオカシキことぞ。そなたを傷つけた者を責めるのはオカシキことぞ。取った取られたと騒ぐそなたは、自らのして居ることを何も知らない大アホでござるぞ。迷惑なのはそなたでござるぞ。
P162
 そなたも人も同じ仕組みなり。そなたの回りの世界も同じ仕組みなり。真釣り外せば破壊となりて、創り直す仕組みなり。可哀相な身魂と申すものはござらん。殺されあろう何であろう、一人一人の真釣り外しの結果でござる。そなたの病気や怪我や事故や苦しみと申すのは、そなたの魔釣りをそなたに教える型でござるぞ。そなたの身魂に魔釣りなければ、そなたには病気も怪我もござらんぞ。そなたの不幸や苦しみは、そなたの真釣り外しのお知らせぞ。神が、人をモノをすべてを使ってそなたにメグリ渡す仕組みでござる。「たまたま」と申す状況はござらんぞ。神先人後(あと)、霊先体後(あと)、そなたの身魂が因、そなたの肉体は果。そなたの魔釣り相応に肉のお宮に痛み出し、真釣りに戻す仕組みなり。
P163
 この方、そなたらに自由意思を与えあるから、そなたは何でもできるのでござるぞ。そなたの態度に応じた神がついて何でも形に成るのでござるぞ。そなたは神成る身とは申せども、肉体あるからは獣のキも入れてあるから、一度身欲に走れば、獣のキが出てきて戦いの乱れた世と成るのでござる。戦いの果ては自らの滅びでござるのぞ。自ら滅ぶ魔釣りの世、いつまで続けても平和も自由もござらんぞ。一度外せば自ら真釣り戻すことは出来んから、そなたら人民は、近欲でござるから、神のお陰を待てんから、そなたらが目の前のモノや人を追いかけて、目の前のモノと比べて、自ら上に上がろうと、自らだけが得をしようと、身欲に走るを分かっていたから、苦を与えて身欲を解(ほど)き、ミロクの世に導く仕組みを構えありたのぞ。身欲に走れば不調和創り、不調和創る者は滅びるのが神の掟でござるから、そのままでは折角生まれたそなたらを滅ぼすことになるから、身欲に走ったそなたらに、情けをかけて、悪の神を生んで、内の悪を見せ、今の今の今今まで、ミロクの世のできるまで、真釣りに戻れるよう導いてきたのでござるぞ。

 自分は何故生まれてきたのか、神は何故人間を生んだのか、自分は生まれてきたくなかった云々と申す者、そなたら人間が、何故子供を産むのか考えあれよ。親であるこの方は子であるそなたらと、嬉し楽しの世を遊ぶのを願ってそなたらを産み生んだのでござるのぞ。調和のこの方の子であるそなたらは、元々、天国に生きられるようにしてあるのでござるぞ。そなたが天国ならば、感謝しかないでござろう。感謝もお詫びもいらぬのぞ。そなたがこの方の申す通りに生きておれば、こういう問いは出てくる筈はござらん。そなたに不平不満があるから、そなたが真釣り外しして居るから、ナゼナゼナゼで哲学創り、宗教創り、何も知らん神々に囚われて、ますますわからなくなっていったのでござるぞ。
P164
 真釣りのこの方の子であるそなたらは、人に命令することも、人を制限することも、人を責めることも、オカシキことでござるのぞ。そなたが真釣りを外し、魔釣りの世で自らだけが成功しようとしておる証でござるぞ。この方だけがそなたに何かをさせることができるのぞ。人権などと申すものはござらん。もともと平等であるそなたらが、自由であるそなたらが、人が人を操作するなどもってのほかでござるぞ。そんなことでは自由も平等も公平もないでござろうが。この方の眼は、この方の善の基準は調和でござる。そなたが苦しみはそなたの真釣り外しが因ぞ。誰のせいでもござらんぞ。真釣りを忘れたそなたらは、平気で自らを被害者と申し、形の上の出来事を見て、取られたやられた傷つけられたと大騒ぎ致すそなたは何をして居るのでござろうか。そなたの不満は、そなたの葛藤は、そなたがつくったものでござるぞ。そなたの苦はそなたの魔釣りが原因ぞ。

 今の世が乱れたのは、人民が身欲に囚われ、我(われ)善しに走り、快欲を求め、略奪、競争を始めたことが真因でござるぞ。現(こ)の世は人間に任せたから、この方はそなたらに好きにさせて、自ら改心致さす仕組みを構えて、自覚を促し続けたのでござるが、一向に改心する気配なし。最後の最後の今今は、時節が来たりた今今は、この方といえども、もう堪忍袋の緒が切れたぞ。いつまでも人民に任せておりては現(こ)の世が滅んでしまうから、この方が表にでて、最期の仕組みに入るなり。
 いよいよ時節迫りて、最後の最後に物質の世を大掃除して、自ら改心致す者だけ連れてミロクの御世に致すしかなくなりた。この方は、全員助けたいなれども、そなたら自らが真釣りを持ちて来てくれねば、この方とてどうすることもできんのじゃ。神の掟はこの方とても破ることは出来ん。ワイロでも脅しでもどうにもならんぞ。真釣りに戻すことだけが、そなたが生き返るただ一つの道でござるぞ。
P165
 神がいるなら、知っているなら助けてくれればよかったのに等と申す者、そなたのその態度がこの世をここまで壊し来たのでござるぞ。自らの真釣り外しの責任を脇において、この方に責任をきせるとは何事ぞ。そなたが真釣りに生きておればうまくいかんことなどただの一つもないのでござるぞ。この方の申す通りに生きておれば、この方の家来がついてすべてのすべてを想いの通りに嬉し嬉しに形に成すのぞ。自らが真釣りを外して、自ら不都合創りだしておいて、人に頼って文句を申すそなたには、ミロクの世はないぞ。神の創った世界を壊したことをお詫びするなら、今の今の今の瞬間から、調和に生きることぞ。口だけでは許さんぞ。ツベコベ申さず、この方の申すとおりにすることが神へのお詫びでござるのぞ。お詫びをしてもすぐには楽にならんぞ。そなたがした分だけは苦労がござるぞ。うまくいかんのはそなたが今までしてきた真釣り外しの責任をとっていただいておるのじゃ。自業自得でござるぞ。人に申す筋合いなど、唯の一つもござらんぞ。
P166
 そなたらがこの方の申す通りに致しておりたなら、こ度の大掃除はなかったのでござるぞ。嬉し嬉しでミロクの世になりたのでござる。この方がそなたらを産み生んだのは、楽しい世を体験させてやりたかったからでござるぞ。お子であるそなたらをミロクの世に連れて行くのがこの方の望みでござる。すべてのすべてを調和に戻す、元の元の元の神の力無くしては成就致さん。人民には想像できん、たいそうなお仕組みの仕上げの時でござるのぞ。今の今の今までも、すべてこの方の申す通りになって居るのぞ。気づかぬはアヤマチに囚われた人民ばかりなり。外の世界の掃除はそなたの掃除とは関係なしに進んで居るぞ。そなたから見れば時間を追って現れるが、神の仕組みは寸分違わず進んでおるぞ。早う目を覚まさんと間に合わんことになるぞ。そなたが世界を変えるのではないぞ。そなたがこの方の世界に合わせるのでござるぞ。そなたが変えようとすればするほど厳しくなるぞ。

 この方の申すことが真コトなり。この方の申すことを一つでも分からんと申すならば、そなたは真釣り外しでござるのぞ。一点でも曇りあれば真釣りではござらんぞ。一〇〇%の嬉しが真釣りでござる。宇宙創世の大神様のご真意は、皆が嬉し嬉しのミロクの世に致すことでござるから、今までの世をタテカエてタテナオす大掃除が迫っているから、我(われ)善しや戦いやコントロールのゲームは、調和を乱す今までのやり方は、もう許さんようになったから、今までの世がいつまでも続くと思ったら大マ違えであるから覚悟致せよ。そんなことはありえん、そんなことはまやかしだ等と申すそなたはいつまでも今までのやり方が通用すると思ったら残念がでるぞ。真コトの神の真コトの力を見せてやるから、ビックリ致さんように、早う真釣りに戻ってくだされよ。いつまでも目の前の出来事に一喜一憂しておりては、善じゃ悪じゃと争っておりては、やったやられた取った取られたと騒いでおりては、真釣りに戻れなくなってしまうぞ。この方は、今までの宗教の神とはわけが違うから、今までの常識を持ち出してツベコベ申さずに、素直に聞けよ。
P167
 天の岩戸はすでに開いているから、すべての身魂の借銭払い、三千世界の大掃除の、最後の仕上げの舞台が始まるから、掃除無くしては神も人も何処にも逃げられぬ。今までのように、アヤマチの常識を持ち出して、我(われ)善しの自分勝手な屁理屈をこねて、ツベコベ申している暇はもうないのじゃ。神の仕組みを事細かに知っても何もならん。そんなことは掃除すれば、ミロクに行けば、すべてのすべてが分かることぞ。そなたが真釣りを外して居るから分からなくなるのぞ。ワープロの仕組み知らずとも打ち方が分かれば文章が出来るでござろう。そなたは仕組みを知るよりも、掃除をすればよいことぞ。今までのゲームをしたいものはいつまでもしていればよいが、この方の申すことを聞かねば、肉の体の命どころではなく、そなたという身魂のマコトのイノチがなくなるから、天国に行くことはできなくなるから、そこのところをよく心得なされよ。今までの宗教や哲学と同じだと思ったら残念では済まなくなるぞよ。
P168
 この方は、そなたらの宇宙も、そなたらの神々も、そなたらの身魂も、すべてのすべてを産み生んだ、マコトのマコトの元の神なるぞ。この方の申すことに嘘はあり申さん。この方の申すことを素直に聞くのがそなたのためぞ。今までに一度もない、これからも二度とない、万世一度のことでござるのぞ。最後の大掃除と申すのは、誰も見たことのない、この方しか知らぬ、想像絶する世界でござるのぞ。ミロクの世は素晴らしい世でござるのぞ。そなたが魔釣りのまま想像して居っても何も分からんぞ。そなたが真釣りに生きて居ればそなたには何も恐ろしいものはないぞ。そなたが魔釣りでござれば酷き様になるのでござるぞ。三千世界の大掃除、掃除なければどこへ逃げても無駄でござるぞ。掃除無き者は、肉体はたとえ女や子供と申せども、元は身魂でござるから容赦は致さん。掃除無き者にとっては修羅の地獄となりぬるぞ。そなたがしただけは返して頂くから覚悟召されよ。掃除有る者はどうあっても助けるから、安心してこの方に任すがよいぞ。

 そなたが今までのアヤマチのゲームをこのまま進めれば、永遠のイノチ、天国への最後の機会、身魂の生死を分ける大掃除に間に合わんから、それでは気の毒では済まなくなるから、そなたらはこの方のかわいいお子であるから、そうなっては可哀相だから、掃除を終えたこの者(著者)を通して、そなたらのアタマで分かるように、そなたらのアヤマチの目でも見えるように、人間の体験を通して誠の真コトを語らせるのでござる。この者のただの考え方だと思って軽く扱っておりては大きな大きな取り違えでござるから、よくよくご注意申し置くぞ。人の考えは神の考えなり。神にもいろいろ居るぞ。この者の考えはこの方の考えでござるぞ。この方の考えをこの者の体を通してそなたら人間に分かる形で表現しているのぞ。勘違いするでないぞ。神違えるとトンでもないことになるぞ。マコトのマコトの神の親心を、マコトの神のカラクリを、マコトの神の仕組みを、ミロクに生き戻るマコトの神のやり方を、取り違いせぬよう、ズバリとハッキリと、鬼となりて一人一人に厳しく申し渡しておるのでござるぞ。今までのようにいい加減に扱っていると取り返しのつかないことになるから、性根(しょうね)を据えて聞きあれよ。
P169
 現(こ)の世に生まれ落ちし身魂、一人として借銭の無い者は居らぬのぞ。神の掟を外してきた者ばかりでござるから、調和を乱したルール違反の者ばかりでござるから、マ違いを犯した者ばかりでござるから、誰一人、こ度の掃除に関係無き者はござらん。そなた自身の事を語っているのであるから、我(われ)には関係ない他人事である、神示の話である等と申して知らぬ存ぜぬを決め込むならば、それは大きなマ違いでござるぞ。ミロクへの計画はできて居るから、調和乱す身魂はミロクの世へは行けんから、ここで聞かねばそなたという身魂のおイノチがなくなるから、しつこく厳しく申すのであるぞ。我が子の行く末を案じるが故の、そなたという身魂の親であるこの方の言葉でござる。
P170
 本当にマコトの神の言葉か、人間の考え方ではないか、騙しているのではないか、悪神の申すことではないか等と、いつまでも魔釣りの世のアヤマチに囚われたアタマでツベコベ申しておらずに、いい加減に目を覚ましあれよ。そういうそなたが悪神に囚われた悪魔でござるのぞ。今までずっと騙され来たのにまだ気づかんのか。そなたの肉親も自らは正しいと思うて居るのぞ。人がそなたを騙そうと思っておりても、そなたに真コトあれば、騙されることはござらんぞ。神や人や親を責めるのは筋違いでござる。自らが真釣りを外して、何も分からなくなって居りて、騙した騙されたとグチグチ申すでないぞ。嘘を見破れぬそなたの責任でござるぞ。子に嘘を申す親は居らん。

 現(こ)の世のすべてを、神を人を宇宙を、すべてのすべてを産み生んだ、こ度の仕組みを構えた、ミロクの仕組みを構えた、元の元の大元の神の申すことであるから、マ違いはないから、この方の申すことを、耳の穴をよくほじくって、赤子に戻ってハイハイと素直に聞きなされ。今までの理屈でツベコベ申しても、初めてのことであるから、そなたには何も分からんぞ。神々にも分からん仕組みでござるぞ。人間がいくら考えても無駄な抵抗でござる。人間の善悪と神の善悪は違うぞ。そなたらが申す善は、神の善ではないぞ。調和乱すが悪ぞ。相対的善悪では天国はできん。悪の身魂では天国は創れんから、大掃除を致すのであるぞ。大掃除をせねばミロク世へ行ける身魂がござらんから、この方が表に出て掃除を致すのでござるのぞ。
P171
 そなたらが魔釣りで真釣りを乱したから、そのままミロクに行けたものをわざわざ壊して掃除することになりたのぞ。そなたらが真釣りに生きておれば、掃除は必要なかりたことを今今にお知らせしておくぞ。-創れば+がくるぞ。一度壊したこの世界、聖地を整地してゼロから始めるぞ。真釣りの世界でござるなら、何も壊す必要はなかりたのでござるぞ。自らが自らを苦しめたのでござるぞ。文句を申すところは自分以外にはないぞ。この方の申すことをすべて分かるならば、そなたは天国でござるぞ。真釣りの者にはこの方の神示は要らんぞ。神示出るのはそなたらが真釣り外した証でござる。この方の申すことを分からないと申すならば、そなたはルール違反の身魂でござるから、全部分からんでもよいから、分かるところから一つ一つ素直に実行してくれよ。やれば分かるぞ。そなたらの裁判は魔コトの中の遊びでござるぞ。真コトの罪の償いは、真コトの矯正は、これから始まるのでござるぞ。そなたらは今までずっと神の世の刑務所の中でござるのぞ。最後までルール違反をする者は、真コトの死刑が待って居るから、掃除頑張ってくだされよ。

 そなたの想いはこの方の言葉でござる。そなたの回りが何と申そうとも、そなたの答えがマコトでござるぞ。そなたがこの方の申す通り、そなたの申す通りに素直に動いた結果何が起きようとも、回りがどう反応しようとも、そなたの答えを疑うでないぞ。そなたの声を素直に表現していくことで掃除が進むのぞ。損も病気も怪我も事故もすべてのすべてが掃除でござる。この方は悪も許して居るぞ。この方が許さんものは形にならん。そなたが故意で壊すか過失で壊すか、そなたの態度が問題でござるぞ。壊すことが悪ではござらんぞ。そなたらは今まで壊して来たのでござるぞ。全員、死に向かって行進しているのでござるぞ。天国じゃと思って地獄に向かって歩いて居るのでござるぞ。この方はすべて知って居るから、誤魔化しはきかんぞ。そなたの回りにあるものはこの方が許してあるものぞ。そなたの心に現れたそなたの答えを疑わんことぞ。自らを分けるから自分がわからなくなるのでござるぞ。一つのものを分けては、調和はござらん。
P172
 この方の世界には、非常識も、してはいかんことも、すべきことも何もないのぞ。この方の世には悪はござらんぞ。そなたらが悪と申して居るだけでござるぞ。そなたらの善悪は、そなたらの我(われ)善しからそなたらが勝手に創った相対二元の善悪でござる。善悪の世界の善人は、ほおっておいては自らは改心致さんから、ますます調和乱す悪を進めるから、そなたらが申す悪を許して、そなたらの持つ悪を見せて、苦を渡して、内の悪を掃除させておるのぞ。そなたが見ておる悪は、そなたがマコトに返る、善悪を掃除する教材でござるのぞ。そなたの前に悪はござらん。そなたがアタマで学んだ知識で、自らが損をするものを悪と申しているだけでござる。破壊や盗みが悪と申すならば、そなたらは全員犯罪者でござるのぞ。この方は戒律は一つも創っておらん。この方に不可能なことは一つとしてないぞ。そなたはこの方あっての身魂であるぞ。そなたはこの方が居るから何でもできるのでござるぞ。してはいけないことも不可能なことも何もないぞ。あるとすれば、それは勝手に制限をつけた人間の目からみた規則であるぞ。自分が都合が悪いから、人を裁いて落として弱くしておるのぞ。心に出るものはこの方の出したものぞ。たとえ、そなたの回りが駄目だと申しても、やめろと申しても、そなたの答えを実行することぞ。
P173
 そなたの答えをそなたが疑うならば、そなたは魔釣りの常識に囚われておるぞ。そなたの答えをそなたが疑って、そなた以外の魔釣りの者の申すように生きてきたのが今までのそなたの現実を創りだしてきた原因でござるのぞ。すべてはそなたの責任でござるぞ。全員が自分自身の加害者でござるぞ。誰も責める筋合いはござらん。そなたらではもう元には戻せないから、この方が大掃除するのでござるぞ。そなたらは、身魂生まれて以来、初めての体験をするのでござるぞ。今までしなかったことをするのでござる。最後の最後がどうなるかはこの神しか知らんのぞ。神の申す通りに素直にやらねばわからんぞ。魔釣りの者にいくら聞いても答えは出んぞ。ますます混乱するだけでござる。分からんと申して、どうなるのか確認したくて、魔釣りの者に聞けば、ますます分からなくなるだけぞ。そなたらはこの方の申す通りにハイハイと素直にやればよいだけでござる。この方が間違いなくミロクの世へ連れていって差し上げるから、楽しみにして頑張ってくだされよ。

 そなたらが真釣りを外して何も分からなくなりて、先がどうなるか知りたがるから予言や占いや超能力や宗教ができたのでござるぞ。この方に生かされておるそなたらは先を知る必要はござらんぞ。この方はそなたらの心を通して、形を通してその場その場で一つ一つ教えて差し上げるぞ。いっぺんに知ろうとなさるから、騙されるのでござるぞ。一つ一つ教えるのでござるから、最後の最後は全部分かるから、それまでの辛抱でござるぞ。それがそなたの修行でござるぞ。分からないのはそなたの魔釣りが原因でござるぞ。一度に知ろうと申すのは虫の善い話でござる。そなたが一つ一つやればそなた自身に証明されることぞ。やっておらん者には何もわからん。やっておらん者はそんなことは無理じゃと申すぞ。
P174
 そなたはそなたの心の掃除をしたいのかしたくないのか。天国に戻りたいのか戻りたくないのか。今ここでハッキリ決めよ。今までのやり方から見れば不安で危険で勇気がいることに見えるぞ。今までもそうであったのぞ。この方のやり方にマ違いはないぞ。すべてのすべてがこの方が構えた仕組み通りになるぞ。この方が創ったものでござるから、創った本人が申しておるのだから、これ以上確実なものはござらんぞ。そなたは何も心配いらんのぞ。初めてのことでござるから、そなたには一切段取りはできんぞ。そなたの真釣り外しのすべてのすべてを知って居るのはこの方だけぞ。そなたの心を通して、その時その時、必要なだけ渡すから、心配致さずに、この方の申すことを一つ一つそのまま行動してくれよ。ミロクまでもう時間がないのぞ。ツベコベ申さずに、この方の申すことを素直に聴いてくだされよ。
P175
 今までの魔釣りの世の宗教や学問に囚われて、いつまでも、神など信じられん等と申しておる者は、この先、そなたのおイノチは無いものと思ってよいぞ。そなたのドラマは今世でキレイサッパリ終わりでござるから、最後の人生をどうにでもご自由にお過ごしくだされ。但し、真釣りを外した分だけは最後の大掃除は避けることができんから覚悟せよ。最後の最後はそなたがどこに逃げようとも、神も人もすべての世界を開いて、そなたがしただけすべてお渡し致すぞ。今のそなたらではとても耐えられん、死んでも続く修羅の地獄ぞ。この方の申すことを素直に聞けば、永遠の人生、永遠のイノチが待っているのでござるぞ。厳しく聞こえるかもしれんが、そなたという身魂が死ぬか生きるかの瀬戸際であるから、いよいよギリギリの所であるから、身魂の掃除無き者は次の世界に生き返れんから、死して生き返る仕組みであるから、どうあっても子を助けたい親心に免じて、暫くの間辛抱して聞いてくだされよ。どちらを取ろうが、それはそなたの勝手であるが、元の元の大神が表に出て最後の大掃除を致すから、これから先は、マコト無き者、神の掟に反する者は、一人として容赦は致さんから覚悟致せよ。今までの世のやり方がいつまでもうまくいくと思ったら大魔違いでござるぞ。今今の世の魔釣りの末のそなたらにとっては、一度に掃除するのは厳しいぞ。一つ一つできる今ここから始めんと大変なことになるぞ。

 ここでもう一度、非常に非常に大切な事をあらためて申し置くぞ。そなたらが当たり前のように生きてきた今までの世は、いくら努力を重ねても、待てど暮らせど良くならぬ、悪魔ばかりが栄えある、そなたらが望む天国も自由も平等も平和も形にならぬ、最後はすべてが消え去る運命の魔釣りが基のホドケの世であったのぞ。魔釣りが進めば進むほど、神に祈れば祈るほど、科学が進めば進むほど、不調和、不都合が現れ、現れ来たその不調和、不都合をさらに魔釣りでマツリ縫い、不調和隠す繰り返し。堂々巡りで自らの首を締め、動きが取れなくなったその末は、最後の最後はすべてが滅ぶ、天国どころか地獄も出来ぬ、悪魔の統べる世であったのぞ。そうとは知らぬそなたらは、まんまと魔釣りの者の術中にはまってしまって魔釣りが善と思いこみ、足の引っ張り合い、潰し合いをしていたのでござるぞ。人を犠牲にして自分が上がる、自分を犠牲にして人を上げる、我(われ)だけよければ善い世となっているのであるぞ。神の生き方は人も自分も上がるのでござるぞ。そなたらは悪魔と申すが、悪魔とはそなたらの内にある魔釣りのことにてござるのぞ。世界人類揃って自らが自らを地獄に誘って居ったのぞ。世界全部が地獄となるのは当然じゃ。
P176
 神の世は天国のみでござるのぞ。100%喜びの天国しかござらん。天国を壊したそなたらが天国に戻る掃除の途中で現れる、バランスを取る間の混乱の世のことを地獄と申すのぞ。調和を乱した世のことにてござるぞ。そなたらはすでに地獄に落ちて居るのぞ。神の世と申すのは天国が当たり前でござるのじゃ。今の世の地獄の状況は掃除終わりた最後には消えるから、大きな眼で見ればもともと地獄はござらんぞ。地獄と申すのはミロクの世に至るまでの掃除の途中で時間に沿ってあらわれる、そなたらの魔釣りの思いが創りだした幻想の世界でござるのぞ。そなたら人間は一つ一つ時間に従って体験するから、この方の申すことが分からんかも知れんが、一点でも曇りあれば地獄でござるのぞ。九九の暗闇も一の暗闇も地獄でござるぞ。悪の数は関係ござらん。一〇〇の光、○の暗闇が天国、光のみが神の世でござるのぞ。天国が当たり前でござれば、天国と申す言葉もいらんのでござるぞ。今今のそなたらから見て分かるように、善悪、陰陽、光闇、天国地獄、霊界幽界と分けて申して居るだけぞ。天国に苦があるのはオカシキことでござろうが。
P177
 そなたらを支配している者共も、自ら魔釣りに囚われておること知らず。最後の最後は自ら滅びる定めが待っていることなど気づかず、一生懸命自ら上に上がることばかりを考えておるのぞ。上の者が気づかぬから、下の者はコントロールに嵌まってしまって、何も見えなくなりて、どうにもならなくなってしまっておるのぞ。上から下まで魔釣りで滅びるは目に見えておる。それではかわいそうなから魔釣りの中のマコトの者を助けるためのこ度のフミでござるのぞ。すべてのカラクリを知らすから、そなただけでも魔釣りを出て真釣りのこの方のところへお帰りくだされよ。そなたが魔釣りをやめることが皆のためになるのぞ。魔釣りの者から見ればそなたは勝手な者に見えるが、人の気持ちを考えない者に見えるが、そういう者は自らが魔釣りにとらわれしを気づかず、自らは正しい者と思っておるのぞ。そなたがそれに嵌まればそなたも同じぞ。早う勇気を持って真釣りに戻ってくだされよ。真釣りに戻ることがそなたのためでも皆の為でもあるのぞ。自分の為が人の為であるぞ。あなたのためよは自分の為ぞ。自ら上に上がるため、自らの欲しいモノを得るために、人を操作する必要はないのぞ。そなたは自らの身魂の穢れが消え去るまで、死んでも掃除を続けるのでござるのぞ。そなたの身に何があってもこの方が守るから、勇気を出して真釣りに戻ってくだされよ。すべてをホドいてミロクに致す仕組みぞ。悪いことは善悪で裁くことでござる。この方に悪はないぞ。くれぐれもアヤマチの知識に囚われてマ違えることの無きよう、ここでキッチリとご注意申しおくぞ。
P178
 この方は至善の神でござるぞ。神は善、全、善のみでござる。そなたらが悪に走ったから善に至る道ができたのでござるぞ。悪も地獄もそなたらが創りたものぞ。この方には悪はござらん。今までは、そなたらの自らの改心を願って、そなたが真釣りに戻れるようにするために、そなたが自らに悪があることに気づかせるため、悪が形になる世を許していたのでござるぞ。この方が許さねば、悪のやり方は形にすることはできんのぞ。いつまでも今までの悪の世が続くと思ったら大きなマ違いであるぞ。そなたらが真釣りを外さねば、悪は形にならなかったことを覚えておいてくだされよ。元々無き外の悪を裁くそなたの心が悪の世を進め来たりたのぞ。今度という今度はこの方がすべての穢れをキレイサッパリ大掃除致すから、覚悟致せよ。今度の仕組みは始めから決まりありたのぞ。そなたらの眼から見れば、いよいよ大掃除の時となりただけでござるぞ。ここで真釣りに戻らねば、そなたはこの世と共に大掃除でござるぞ。もうマ違いは許されんから、アヤマチに囚われたそなたらにも分かるようにすべてをハッキリと教えるから、悪魔に囚われた寝ぼけ眼(まなこ)を見開いて、この方の申す通りに素直についてくるが宜しいぞ。
P179
 今度の立替え建て直しは元の神の力がなければ、成就致さん仕組みでござるのぞ。人力ではどうにもならん。神力に頼るより他に方法はないのぞ。だからと申して、掃除無き神頼みは一切通用せんから、今までのクセを直すがよいぞ。そなたがこの方の申す通りにやって、この方がそなたを手伝うのでござるぞ。人事を尽くして天命を待ってくだされよ。そなたの自力が神の他力を呼ぶぞ。そなたが真釣りに戻ればこの方が手を貸すのでござるぞ。この方に他力本願するならば、自力本願してくだされよ。人力が神力を呼び込むぞ。今度の神は今までの神とは違うのぞ。この方の申すことを素直に聴くことだけが、そなたのイノチを救う網、そなたを助ける最後のイノチ網でござるぞ。そなたらが何と言おうとも、すべてをマコトに返す仕組みは見事にできておるから、何事もハイハイと安心してついて来てござれ。いつまでも魔釣りをしておると、ビックリが出るぞ。腰を抜かしてヘナヘナになるぞ。二度と立ち直れんことになるぞ。

 このままほおっておけば、現(こ)の世が滅びるから、元つ真釣りの神々が響きで表に現れて、人間の世界から神々の世界まで、三千世界に眼(まなこ)を光らせ、中つ天地の魔コトの理(ことわり)を、元つ天地の真コトの理に、キレイサッパリ建て直す、万古末代二度とない、一度コッキリの三千世界の大掃除を致すのでござる。ただ一度の、初めてのことであるから、そなたら人間の想像できることではないぞ。マコトの神の力はそなたらの想像をはるかに超えたものでござるぞ。今度の今度は、徹底的に、この世に仇なすすべての悪を、すべての曇りを祓うまで、人間に成っている身魂も、中の世界の神々も、男も女も子供も老人も、病人も怪我人も障害者も、富める者も貧しき者も、宗教家も科学者も、誰も彼も例外なく、一人残らず身魂(肉の御身の感覚ではココロ)の大掃除が必要なのじゃ。やればやるほどホドケ行く、魔コトで穢(けが)れた現(こ)の世界、神も人も天も地も、真コト無き世と成りたから、真コトで相和す神の世に、変えねば末代滅びると、元の真釣りの神々が、総出で表に現れて、上から下まで真コトの立ちた、嬉し嬉しの天国開き、ミロクの御世と致すなり。
180
 こ度のタテカエタテナオシは、元の元の大神様が自らの内に産み成したすべてのすべての世界を、上も下も右も左も前も後も、すべてのすべてを真コトに返す、元の誠の神世に返す、元の元の元の大神様にしかわからぬ大層なお仕組みでござるよ。魔コトの仕組みを掃除して、真コトの御世へと導く、誠の神の真コトのお仕組みでござる。真コトを魔コトに取り違え、マコトの世をケガした人間が、何もなしでは済まされんぞ。この方の言葉を疑っていることが、初めて明かされることだと申すのに魔釣りの知恵でツベコベと理屈を申していることが、魔コトに囚われし証でござる。そなたが魔釣りの世のアタマをもってどんな理屈を並べようとても、恐ろしいから嫌だと申しても、金をもって神のところにすがってこようとも、神社や寺や教会に何度お参りしようとも、食をどんなに節制しようとも、身魂の掃除無き者、真コト無き者、借銭ある者は、たとえ神々様でも誰一人として逃げられんから覚悟いたせよ。そなたの心に正直にやりなされ。壊して戻す仕組みぞ。壊れることを恐れなさるなよ。メグリござれば壊れるぞ。ケガを避けても無駄でござる。悪裁くが悪でござるぞ。悪裁いて居らねば、出来ないことがあるのはオカシキことぞ。何をしても結構ぞ。損して怪我して病気して死んでメグリを取るのでござるぞ。
P181
 真釣りの何たるかを忘れ去った、悪や苦や痛みを避ける、今が幸せだと勘違いして居る極楽トンボのそなたらには、この神は悪魔に見えるぞ。鬼に見えるぞ。そなたらはこの方の創りた天国を壊しに壊して来たのでござるぞ。破壊を許す神は悪魔じゃと申すのは、自らのしてきた真釣り外しの自覚なき身魂でござるぞ。そなたらだけ逃げられると思ったら大マ違いでござるぞ。ツベコベ申すのはやめにして、このあたりでいい加減に観念致して、自らの怪我や痛みや死を避けず、自らのしたことをキッチリと償ってくだされよ。ヘラヘラと笑って居られるのも今の内でござるぞ。イヨイヨとなりては、そなたらには耐えられん状況になるから、メグリ持つそなたが怪我を避ければ、後に行くほどもっと痛い目に遭うことになるから、この方は今ここで厳しく申すのぞ。

 すべてのすべてはこの方が創りた仕組みでござるから、今今のそなたらがどうなるかはこの方はよく知って居るから、自らのお子が酷い目に遭うのは見たくないから、しつこく厳しくお教え致すのでござるぞ。この方の申すことにウソはござらん。そなたらは、一人として身魂の掃除を避けることは出来んのでござるから、今ここでハラを据えて、フンドシを締め直して、覚悟して掃除に励んでくだされよ。そなたらは、掃除終わればミロクで永遠に遊べるから、今の今は最後の掃除第一で生きてくだされよ。後数年の辛抱でござるぞ。魔釣りの人間から見れば長い苦労かも知れんが、永遠のミロクが待って居るのでござるから、神から見ればほんの僅かのご苦労でござるぞ。そなたが何と申そうとも、そなたのメグリだけの掃除はせねばならんのぞ。掃除せねば、調和に戻さねば、そなたには永遠のミロクの世の天国はござらんぞ。最期の仕上げは天地世界の大掃除でござるから、逃げるところはござらんぞ。身魂の大掃除でござるから、肉の身の傷病生死は関係ござらんぞ。最後の最後は天地開いてすべてを壊し、修羅の地獄と化さしめん。今まで体験したこともなき酷き状況になるのでござるぞ。天地一度に掃除して永遠の天国に致すのじゃ。
P182
 魔コトで穢れたそなたの心を掃除することだけがそなたをミロクへ誘う松の杖ぞ。そなたの悪をそなたの外に映し、自らの悪に気づいて自らの悪を掃除する仕組みでござる。そなたが悪と見ているものは悪ではござらんぞ。そなたの悪を掃除する教材でござるぞ。外の悪を裁くそなたが悪であるぞ。悪ある身魂は至善のミロクへは連れていかれんのぞ。神心とは善悪ない心ぞ。そなたにメグリなければそなたに苦はござらん。そなたにメグリあれば、損、怪我、病気、死は避けられんぞ。そなたの取られたものはそなたのものではござらんぞ。元々のそなたには損も怪我も病気も死もござらんのぞ。そなたが真釣りを外したから真釣りを戻すだけでござるぞ。真釣りを外せば調和を乱すから、真釣りを戻す途中で乱しただけ乱されるのでござるぞ。すべてはそなたがしたことぞ。そなたが真釣りを外して壊しただけ、そなたの身を持って痛い目にあって返すのぞ。そなたらの申す悪は神の世にはござらんぞ。今ここでも悪はないのぞ。そなたの悪を映すために悪を形にするのぞ。そなたらが裁いている悪が形になっているのはこの方が許しているからぞ。そなたの申す悪は悪ではござらん。ただの出来ごとでござるぞ。ただの状況でござるぞ。
P183
 そなたが真釣りを外すから、そなたが被害を受けるのぞ。そなたの加害者はそなたでござるぞ。そなたの取られたものはこの方のものでござるぞ。そなたが取ってしがみついてござるから、この方が離して差し上げるのでござるぞ。呼吸が神でござるぞ。調和とは、とどまることなき呼吸でござるぞ。そなたが取って溜めて居るから呼吸が乱れて調和が乱れて悪の世となるのでござる。神が許して居るものをそなたが裁くとは何事ぞ。魔釣りの毒牙にまんまとはまっておるぞ。早う掃除して神心に戻らんと、真釣りに戻らんと、本当の本当に取り返しのつかんことになるぞ。魔釣りから見れば、この方は悪魔に見えるぞ。危険な神に見えるぞ。そなたが魔釣りに居るからそう見えるのぞ。この方が悪魔ではなく、そなたが悪魔でござるぞ。誠の調和の世界を壊した破壊の悪魔でござろうが。どうあってもこの方が悪魔だと申す者は掃除厳しくしてやるぞ。ミロクまでの時はないぞ。借銭ゼロにせんとミロクはないのぞ。そなたに曇りあればあるほど掃除は厳しくなるぞ。借金ある者ほど返済額が多くなるのと同じでござる。いつまでも悪魔を演じておるとミロクどころの話ではないぞ。そなたは地獄の中で死ぬぞ。そなたの外はそなたが映っているものでござるぞ。そなたが見ているのはそなたの姿ぞ。自らが自らを裁いておるぞ。
P184
 悪もって悪祓う仕組み、悪祓って開ける仕組み、死んで生きる仕組みでござる。悪使って悪祓う、開くの仕組みぞ。物質の世を建て替えるのであるから、このまま二十一世紀に進むと思ったら大きなマ違いでござるぞ。物質の世の体のままでは、物質の世界では真釣りの世は創れん。魔釣りで壊した世界はもう戻らん。そなたらが真釣りに生きておりたならば、何の掃除もなくミロクの世界となりたのぞ。神がこ度に世界を変えるのは始めの始めから決まっておったことぞ。神が世界を変えるから、そなたらは身魂を磨けよ。そなたの身魂の掃除、洗濯ぞ。そなたの身魂を神の心にすることぞ。真釣りに戻すことぞ。魔釣りのままではどうにもならんぞ。魔釣りでは世が滅びるばかりであるから、キレイサッパリ真釣りの世に取り替えるのであるぞ。真釣りの身魂でなければ生き返れん世界であるぞ。真釣りに生きればそなたの掃除が進むぞ。そなたがミロクに生き返れば、そなたから見ればミロクの世界が目の前に広がるぞ。そなたが世界を変えるのではないぞ。この方の創った世界にそなたが来るのでござるぞ。そなたから見れば世界が変わったのと同じでござるぞ。そなたが外を変えようなどと申すのは、神を変えよう操作しようとして居るのと同じでござるぞ。世紀の大魔違いでござるぞ。
P185
 今の世は、すべてのすべてがコントロールの世となりておるではござらぬか。いい加減にその態度を改めてくだされよ。この方が変えた世界にそなたが行くのでござるぞ。くれぐれも取り違いなさらないでくだされよ。魔釣りのままでミロクを想像して今の世でミロクを創ろうとしてもミロクはできんぞ。ミロクの型を出すのではないぞ。真釣りに生きればミロクの型が出るのぞ。ミロクを出そうとするその心をやめよ。そなたが想像した世界は魔釣りの世界ぞ。相対的善悪の善の世界ぞ。世界を変えようとする態度が、そなたが魔釣りの証であるぞ。至善を知らずに自然を戻そうとなさるからますます壊れていくのでござるのぞ。エコロジーなるまやかしに囚われて居らず、自らの掃除をしてくだされよ。そなたが世界を変えるならばそなたが神でござるぞ。そなたが神ならば、できないことがあることがオカシキことでござるのぞ。そなたは神の中で生かされておるのでござる。この方の申す通りにやれば何の不都合もござらん。今今のそなたが壊した世界は、そなたの今の態度が創りだした世界でござるぞ。そなたの態度をそのままで、外を善くしようとしても善くならん。善悪の善を形にしようとしておるから、ますます悪くするばかりでござるぞ。悪排除して善を創ろうとしてきたから、偏った破壊の世と成ったのでござるぞ。ここに来てまだ続けるお積りなのか。そなたは自殺したいのか。いい加減に目を覚ませよ。

 そなたの生き方を魔釣りから真釣りに変えることがそなたがミロクに生き返るただ一つの手段でござるぞ。魔釣りと真釣りは裏表でござる。アベコベでござる。魔釣りから見れば真釣りは非常識ぞ。鬼でござるぞ。悪魔に見えるぞ。冷たく見えるぞ。愛がないように見えるぞ。苦しいぞ。辛いぞ。怖いぞ。痛いぞ。損するぞ。勇気がいるぞ。すべてはそなたが魔釣りに生きてアベコベにしたからぞ。ツベコベ申す者は魔釣りのままでござるぞ。そなたが魔釣りに居るから、取った自分を自分じゃと思って居るから、取られたやられた傷つけられた騙されたと被害者を演じることになるのでござるぞ。そなたがこの方のものを壊しておいて、不平不満を申すとは自分勝手な話でござるぞ。最後の最後は全部お返し頂くぞ。身魂になって責任を取って頂くぞ。そなた自ら掃除をすれば、そなたがしただけこの方はそなたを助けるぞ。そなたが掃除しただけ楽にして差し上げるぞ。
P186
 そなたのものは始めから何もござらんぞ。そなたはこの方の貸しものを使って遊んで居るだけでござるぞ。この方が今のこの世界を壊せば、そなたには何も渡せるモノはござらんぞ。そなたが取ったものはすべてお返し頂くぞ。そなたが壊しただけの苦しみは体験して頂くぞ。肉体の生死越えた身魂の掃除でござるぞ。そなたの肉の身はこの方のものでござるから、そなたのメグリを渡す道具でもござるから、取り違え無きよう。そなたがどのような状況になろうとも、そなたのメグリの結果でござるぞ。そなたのものは身魂だけでござるぞ。そなたが人に渡せるのは体験だけでござる。そなたがゼロならば、そなたは何も取られるものはござらんぞ。そなたが始めに取るから取られることになったのぞ。本来のそなたは渡すことができるだけでござるぞ。そなたが渡せばそなたに戻るのでござるぞ。すべてのすべてをゼロにするのが掃除でござるぞ。そなたが壊しただけそなたが壊れてゼロでござるぞ。そなたの身魂は死んでおらんぞ。そなたの生死は最後の最後に決まるのでござるぞ。ミロク開くまで決してさぼらんでくだされよ。何があっても決して諦めんでくだされよ。そなたはこの方の中でござるから、そなたに掃除ござれば、そなたが死ぬことはござらんぞ。そなたが壊しただけを償うのが掃除でござる。そなたがしただけ返せばよいぞ。ゼロから外しただけ戻せばよいぞ。そなたがしただけ過不足無くピッタリでござるぞ。余分も不足もござらん。そなたの財産は身魂の体験だけでござるぞ。
P187
 真釣りの者には、勇気も苦しみも怖いものも悪魔も、そんなものはありもうさん。そなたが魔釣りの者ならば、勇気をもって魔釣りの世のそなたを捨てて、命を捨てて決死の覚悟でやりなされ。自殺しろと申して居るのではござらんぞ。魔釣りの世でのそなたの持ち物を全部捨てて、コダワリを全部捨てて、赤子になって掃除にかかれと申すのぞ。そなたのイノチはこの方が預かっておるから、死んでも続くから、何も恐れるものはないぞ。掃除せんことが、最も恐ろしいことでござるのぞ。核も噴火も戦争も地震も、それ自体が「怖いもの」ではござらんぞ。危険なものや怖いものを創るのはそなたの魔釣りぞ。戦争を怖くするのはそなたでござるぞ。そなたに失うものなければ、そなたは何を怖がる必要がござるのか。そなたの肉の身はこの方のものぞ。そなたには死はござらん。怖いものがあるのはいかなることでござるのか。そなたが握って居るだけ怖いことになるぞ。真コトの安全は真釣りに戻ることでござるぞ。この方のもとに帰ることだけぞ。神の創る世界、神のもとにおれば何も怖いものはござらん。本来ならば魔釣りは自ら滅ぶのぞ。それが神の掟ぞ。犯罪者は罪を償うのが人間の世界のルールであろうが。神の世界も同じであるぞ。神の掟は真釣りであるぞ。真釣り戻すが罪の償いでござる。もともと罪などござらんぞ。そなたが創ってそなたが償う一人芝居でござるのぞ。神の掟の犯罪者、魔釣りにに生きるそなたらを、大神様の情けを以って、真釣りの世に導く「開(あ)くの仕組み」でござるぞ。
P188
 真コトに生きるを真釣りと申し、魔コトに生きるを魔釣りと申すなり。真釣りも魔釣りも元つ仕組みのマ釣りにありて、元は一つにつながれど、裏と表のハタラキで、現れは全くの逆様となるぞ。どちらのマ釣りを生きるかで、全くアベコベの世を創りだしてしまうのじゃ。魔釣りで創ったホドケの世を、真釣りで建て直す、最初で最後の大掃除でござるぞ。魔釣りと真釣りは同居はできず、元のマコトの神世、すべてが真コトに変わりたその後は、真釣りの者だけが生きる世であるぞ。世界が真コトに変わるのでござるから、魔コトで学んだやり方は、もはや通用せんのが道理でござろう。魔コトのやり方を続ける者は、どんどん厳しくなっていくからその積もりでおれよ。今まで学んだ魔コトの教えは、闇も悪も一点の曇りなきまで掃除せねばならん。光だけの神の世に、悪や闇を持つ者の居る場所はもはやどこにもないのじゃ。次の世は、悪や闇を持って居る者は、行かれん世界であるということぞ。一点の穢れも無く掃除せねば、そなたにミロクはござらんぞ。
P189
 真釣り外しのそなたらは、真釣りを外して悪避ける、掟破って逃げ回る、臭き魔釣りの悪魔でござる。犯罪者が刑を逃れて逃げ回って居るのと同じでござる。そなたはこの方の中でござるから、そなたはこの方から逃げられんから、この方はそなたを黙って泳がせて居るのでござるぞ。そのまま逃げれば全員地獄の修羅場となりて、最後の最後は死刑でござるぞ。誰一人としてこの方からは逃げられん。掃除終わって真釣りに戻れば、嬉し楽しとなるのでござるぞ。次のマコトの神の世に生きて戻るためには、身魂の完全掃除が条件じゃ。永遠(とわ)のマコトの神の世の、真コトのイノチに生き戻るには、地の日月の神成るためには、どうあっても避けては通れん関所でござる。真釣り戻しが新しき世への転生の条件じゃ。魔釣りのままではもう転生はできんぞ。そなたは死ぬぞ。

 借銭持たぬ身魂は一人として居らん。我(われ)は掃除は要らん、我(われ)は神の化身なり、我(われ)は救世主なり、神示はインチキじゃ等と申す者こそ、元の元の根の底からひっくり返す大掃除が必要であるぞよ。最初で最後のこの大切な時期に、真コトの神のフリをして魔コトの神を語って人民を混乱させ居る者、元の元の元の親神が得心いくまで相手をするから、覚悟してかかってこられよ。こ度はハラとアタマの戦いぞ。今まで通用したどんな脅しも、この方には通用せんからハラを括って参られよ。いよいよとなって、自らのマ違いに気づいても、身魂の掃除無くしては、どんなにすがってきても、どんなに泣きわめいても、どんなに神や仏に祈っても、金や学や教では何もならんぞ。そなたがしたことを返すまでは、この方は許さんから、よく覚えておけよ。身魂の掃除なくしては、この方とて助けることはできんのぞ。今度ばかりは、どんな脅しも付け届けも力も通用せんぞ。自らしたことを自ら責任をとる。それがマコトの神の仕組み、それがマコトの掟ぞ。
P190
 そなた(という身魂)が生まれて以来、今の今の今今まで幾多の人生に渡ってしてきたことは、マコトの神の世の調和を乱す大罪ではあるが、最期のここの瀬戸際で、マコトに改心を致して神の心に戻るならば、すべてを許して、この方の家来である正神真神の御霊統の神々にも総出をお願いして、この方、喜んで掃除を手伝うぞ。この方、自らの御子が、御親であるこの方の元へ戻ってきてくれることを切に願っておるのじゃ。真釣りに戻ればこの方の神界に帰れるのでござるぞ。この方の元に一旦帰り来れば、この方はもう離さんから、何があっても安心してついてきてくだされよ。真釣りを忘れて楽をして、世を乱す魔釣りにとらわれしは許しがたいことなれど、そなたが改心するならば、真釣りの世へと来てござれ。そなたが今までしただけのことはしてもらわにゃならんが、今までまき散らした不調和だけの分は苦しいことになるが、苦しいなりにも楽に済むようにしてやるから、神の世に生き戻れるように、最初で最後の大掃除を頑張りてくだされよ。万古末代一度きりの永遠の天国を得るご苦労でござるぞ。そなたは身魂は生きているのぞ。肉体の死は死ではないぞ。死んでも続く身魂の掃除でござるぞ。生きて戻れるように死んでくだされよ。これが最後の最後、そなたの元のオヤからの、本当に最後のお知らせじゃ。
P191
 すべては神の計らいぞ。神が先で人があと、親が先で子が後ぞ。神無くしてそなた(という身魂)はなかったと最期のここでお気づきあれよ。そなたはこの方の産み生んだ尊い御子(おんこ)でござる。この方とてかわいいわが子を見殺しにはしたくないのぞ。神の気持ち、マコトの親心、分かってくだされよ。そうは申しても、神の掟を外す者は世を乱すだけで、他の御子に迷惑が掛かるから、次の世には生かさん仕組みを構えしぞ。ここまで申してもまだわからん、聞き分けのない御子はもう要らぬ。神成る自覚のなき身魂、元の初めの約束通りに致すぞよ。この方との約束をよもや忘れたわけではあるまいな。今ここで思い出したならば、早う掃除を始めてくれよ。そなたがどうあってもこの方の申すことを聞かぬと申すならば、ここまで生かしたそなたのイノチ、最後の最後に頂戴致す。本来ならば、神の掟を破りし身魂は、とっくのとうに滅びて居るのぞ。最後のミロクへ連れていきたい親心から、情けをかけてそなたの身魂を生かしてきたのでござるぞ。
P191
 掃除をさぼりたいならばそれでよい。後僅かで消える運命の物質の世、最後の人生お好きなようになさるがよいぞ。そなたはそれでよいが、くれぐれも真コトの者のお邪魔にならぬようにしてくれよ。地位も名誉も財産も肉の御身も物質のハコも何もかもが消えるを待つばかりのものでござるぞ。いつまでしがみついているお積りか。そなたのしがみついているものは魔釣りの道具でござるのぞ。魔釣りの道具を使って真釣りに戻す掃除を致すのぞ。もはや役目を終わった掃除の道具ぞ。そなたがいくらしがみついても後少しで無くなるものでござるのぞ。そなたの身魂の掃除が無ければ、そなたの居るところはないのぞ。そなたが魔釣りに走らねば、今ここの世も嬉し楽しの世でござったのぞ。そなたが真釣りをを外したから、魔釣りの世となりたのぞ。
P192
 この方は、そなたの真釣りを自ら戻して欲しいのじゃ。掃除終わった身魂だけが次のミロクへ行けるのぞ。すべてはそなた自身の成せし結果でござる。神恨むでないぞ。神恨む、人恨む、その心がそなたのイノチを奪うことになるのであるぞ。魔釣りの世を進めてきたのでござるのぞ。自ら以外のせいにする、そなたがそなたを消すのであるぞ。神のミロクはすでにできているのぞ。早う掃除、洗濯結構ぞ。そなたが内が悪ならばミロクには行けん。そなたが調和の善に戻れば、ミロクの世の民ぞ。末代続く永遠の天国ぞ。そなたが思い込みで動けば、その通りになるぞ。善も悪も地獄も天国もどっちも思いどおりになるぞ。神の申すことに耳を貸さず、好き勝手に世を荒らし、最後にマコトに気づいても、その時ではもう遅いからハラを据えて聴くことぞ。ギリギリになったらやればよいなどといい加減に扱っていると、悔やんでも悔やみきれん、取り返しの付かんことになるから、今ここから、そんなことは起きるわけがないと思う時から、キチガイと言われる時から、厳しく申すのでござるぞ。そなたが一度に真釣りに戻すのは至難の技でござるのぞ。
P192
 そなたのしたことをすべて知って居るのはこの方だけでござるのぞ。そなたらの借りをすべて返すには今ここから始めんと間に合わんのでござる。現(こ)の世は突然に変わるぞ。現(こ)の世はこの方のココロの中ぞ。この方のココロの世界ぞ。大神様のルール通りにこの方のココロを形にしていくぞ。この方がココロを変えるから、そなたらにこの方の計画を語ることになるのでござる。この方は何千年にも渡って語り続けて居ったのぞ。この方はそなたらを産み生んだその時に、すべてを構えありたのぞ。一つ一つ創って居るのではござらんぞ。それはそなたらの見ておる知恵で勝手に創りだした幻想でござるぞ。そなたから見れば一つ一つ時間を追って現れるだけでござるぞ。神に時空はござらんぞ。
P193
 この神の申すことが真コトでござるぞ。ミロクもすでに出来て居る。そなたらは出来て居るミロクに向かって歩いておるだけぞ。人間から見たらもう時間がないから、この方がすべてを明かして、この方の計画に合わせてそなたの掃除が進むようにさせているのでござる。いつまでも人間の枠の思考でこの方の申すことを判断して好き勝手をしておると、この方はもうどうなっても知らんぞ。そなたらはこの方のココロの中に居る。そなたが世界を変えようとして居るのはこの方のココロを変えようとして居るのと同じぞ。この方のココロを替えようとしても無駄な抵抗ぞ。この方がココロを替えれば、そなたから見たら世界が変わったように見えるのぞ。調和の神の心を不調和の悪の心に変えようとするなどとんでもないことでござろうぞ。そなたがこの方に抵抗するほど、そなた自身が苦しむぞ。
P194
 この方、そなたという身魂を産み生んでから今の今まで、そなたが生まれ変わる度ごとに、三千年の長きに渡って、真釣りに戻せと申してきたのぞ。今までの常識を持ち出して三千年かどうかと探ってもマコトのことは分からんぞ。数字にこだわるそなたは魔釣りの証ぞ。何を基準にこの方の申すことを判断しておるのじゃ。今までの常識がすべてアベコベざと申しておるのぞ。素直に取れよ。もう時間がないから、この方の仕組みは出来ておるから、この方の計画はどんどん進むから、ミロクが近いから、しつこく申さんと間に合わんから、嫌われても避けられても蹴られても罵声を浴びせられても、悪魔だ鬼だと言われて地の底に封じこめられても、悪者になりて、掃除せよ、洗濯せよと、うるさき程に、しつこく厳しく、一人一人のココロに語りかけていたのでござるぞ。魔釣りの神に囚われてアレコレ屁理屈申す者ばかりで素直に聞く者は僅かでござる。自らに都合の善い宗教や哲学を創りて、自らに都合の善い神を創り、自らの魔釣りが創りた悪を避け苦を避け、楽してミロクに行こう等と虫の良いことを申しておる臭き身魂ばかりじゃぞ。

 天国に行くことはそんなに甘いものではござらんぞ。元々は天国でござるから、そなたらが真釣りを外さなければ、地獄も大掃除も無かったのでござるぞ。天国から天国に行くのでござるから、何の苦しみも問題もないでござろうが。そなたらが部屋から部屋へ移るようなものでござるぞ。今今のそなたらは、水の部屋の中にある空気の部屋から外に出るようなものぞ。この方は外の水を内に入れて居るのでござるぞ。そなたが泳ぎ方を覚えなければ、そなたは死ぬでござろうが。そなたはまったくアベコベの世に行くことになるから、大掃除が必要になるのでござるぞ。闇から光に出るのでござる。自らの内にこの方の声があることをキレイサッパリと忘れ、外を探す身魂が多いから、御用の身魂を世に降ろし、神示を出して目に見えるようにも教えていたのであるが、悪の仕組みに囚われし者甚(はなは)だ多く、我(われ)善し勝手の取り違い甚だしく、神の真意は一向に伝わらず、手前勝手な神を作り、ますます乱れし世としてしまったのでござるぞ。御用どころか掃除の手間を増やす者ばかりでござる。今度の今度はすべてのカラクリを明かしているのであるから目を覚ましてくだされよ。御用の者は、いつまでも悪の御用をして居らずに、しっかり御用を致してくれよ。この者の為すこと申すことを、よく見て聴いて、真コトの真コトを知ってくだされよ。今ここで改心なければ、もう容赦は致さんぞ。
P195
 そなたはこの方のココロの中ぞ。この方のココロの映像を世界と申して居るのぞ。この方がココロを変えればそなたから見る世界は変わるぞ。そなたのイメージとは別ものぞ。そなたはこの方の世界をコントロールすることはできん。この方が悪を許さんイメージを創れば、そなたらは悪は出来んぞ。この方がココロを変えれば、掃除を始めれば、ミロクに変えればそなたらの目の前は、突然変わるぞ。突然ぞ。そなたが掃除をして居れば、この方のココロが見えてくるぞ。この方はそなたのイメージ通りになどしておらんぞ。この方のイメージがそなたに伝わるだけぞ。そなたに合わせて掃除をしておるわけではござらんぞ。そなたは真釣りが当たり前。真釣り外したそなたがこの方に合わせて掃除するのが当然でござるぞ。この方の申す通り、イメージに、ココロに出る通りに、悪も危険も恐れも何も全部体験すればそなたは天国ぞ。この方のイメージ変わればそなたらから見える世界は突然変わるぞ。そなたがそなたの体を自由に動かせるように、この方も同じことをしておるのぞ。そなたはこの方の映しぞ。この方が、そなたから見たら天変地異に見えるものをイメージすればそなたらはそれを体験するぞ。この方の世界をそなたらがコントロールすることはできんぞ。そなただけの幻想でござるぞ。人も神がついておる。人に怖れがあるからコントロールできるのぞ。そなたが変えたのではないぞ。勘違いするなよ。
P196
 この方がここまで申しても、悪神に囚われた今までのアタマでツベコベ申す者、我(われ)とは関係なき宗教である、神事(かみごと)であると申す者は、それでよいから、最後の大掃除までお好きになさるがよいぞ。真コトの者のお邪魔にならぬよう、最後の人生をせいぜい楽しむがよいぞ。永遠のイノチをいらんと申すそなたには、神はもうご機嫌取りは致さんから、神の仕組みを厳しく致して教えるから、マコト無き者は一人として許さんから、言っても分からん者には身を以って教えるから、覚悟しておれよ。この方の大掃除は一夜漬けは効かんから今からやっておけよ。

 この方のフミは、魔釣りの者から見れば、脈絡がないように見えるが、すべては一つの目からそなたらの世界を語って居るのぞ。すべて繋がっておる。申して居ることは一つでござるぞ。そなたが分かりた所からどんどんやってくだされよ。そなたがしただけ怪我をすることもあるぞ。怪我も薬でござる。そなたがしたことを引き受けると申すのは、そなたが外の責任にしたことをそなたが受け戻すことでござるぞ。これがマコトの反省ぞ。反省しておるならば、被害だ、犠牲だ、やられたされたと申す、その臭き心を掃除することぞ。来たものはそなたがしたものでござるぞ。そなたがしたことが返っておる。何世にも渡って身魂のそなたがしたことでござるから、くれぐれも今世だけの目で「何も悪いことはしてないのに」「何の罪もない人を」等と申すことの無きようにしてくだされよ。
P197
 そなたがしておらんことはそなたには返らんぞ。神先人後、霊先体後。そなたの体に出てくるものは、そなたがしたことでござるぞ。何でも正直に表現することでござるぞ。悪裁くが悪。自分のしたことを相対の善悪で裁いて秘密にして苦しんで居るのは自分でござるぞ。他人の悪裁く者が悪人ぞ。そなたの体験はそなたのしたことぞ。そなたがしただけは返して頂くぞ。調和を乱して居りて自分だけ傷つかんで天国行けると思うなよ。今して居ることがそなたのしてきたことの証。いつまでも屁理屈をこねておらんで、自らのしてきたことを素直に認めなされよ。どんなに隠してもこの方からは丸見えでござるぞ。

 そなたが、文字をココロで読むということは、黙読(目読)するということは、この方の言葉を聴くことと同じでござる。肉の耳で、物理的な音で、この方の言葉を聴こうとしても無駄なことでござるぞ。聴こうとするほど真コト神の声は聞こえんぞ。聴こうとするほど魔コト神の声が聞こえるぞ。魔コトの神の声を語る人間が、奇跡を見せる人間がそなたの前に現れるぞ。そなたは宗教に引っ掛かったと申すが、超能力は嘘じゃと申すが、そなたに原因がござるのぞ。そなたがこの方の申す通りに素直に生きておるならば、必要なものは、人を通してこの方がすべて渡すから、超能力などいらんのぞ。本もテレビもポスターも人の話も絵も音楽もお金も、すべてのすべてがこの方の世界の中で人を通して形になって居るものでござるぞ。人を通して渡すと申すのは、人を通して形にすると申すことでござる。そなたと人の出会いをつくって渡すと申すことでござるぞ。
P198
 損も得も怪我も病気もお金も食べ物も考え方も音楽も騒音も文句も暴力も殺人事件も地震も台風も火事も喧嘩も、そなたの回りにあるものはすべて、そなたのメグリ相応にこの方がそなたに渡しておるものぞ。そなたの身魂の掃除相応にこの方が渡して居るものでござるぞ。お陰が欲しければ、自らのしたことの結果から逃げるのをやめることでござるぞ。損や怪我や病気やトラブルを避けないことぞ。そなたがこの方の世界を傷つけただけは返して頂かんとそなたはゼロ(調和)には戻れんぞ。そなたが掃除終えればお陰だけになるぞ。お陰が当たり前でござる。お陰に戻るための怪我もお陰でござるぞ。そなたが心に曇った眼鏡をかけて居るから、都合の良いものだけをお陰と申し、嫌なものを排除しておるだけぞ。すべてのすべてがこの方からのプレゼントでござるぞ。感謝感謝でござろうが。
P199
 そなたが真コトを無視して魔コトを生きるから、そなたの想うようにうまく行かんのでござるぞ。魔コトで生きればそなたの回りは怖いものが多くなるから、そなたは動けなくなるから、何もできなくなるから、人をコントロールするしかないのでござるぞ。自らが自らに制限をはめて、動けなくして、人を操作するとは、人の責任にするとは、何事でござるのか。魔コトは不調和、真コトは調和。殺人が、泥棒が、横領が、違法駐車が、恐喝が、犯罪が悪なのではござらんぞ。調和乱すのが悪でござる。悪を裁くのが悪でござるぞ。悪くした者を悪く申すのが悪でござるぞ。そなたにメグリなければそなたは悪くはならんぞ。悪くなるのはそなたのルール違反の結果でござるぞ。掟破りのツケでござる。真コトの神の世のルール違反でござる。掟違反ある者は天国に居ることあたわず。掟違反を清算した者から、天国のドアをくぐれるのでござるぞ。

 人が人をコントロールすれば調和などござらんぞ。自由などござらんぞ。自分だけ勝手な自由でござる。そなたがルール違反をしたままでは、そなたに天国はないから、調和に戻す仕組みを構えあるのぞ。そなたが不調和を続ければ続けるほどうまくいかんようにして、調和を乱しておることを知らせる仕組みでござる。そなたの不都合は、誰のせいでもなく、そなたが今までしてきたルール違反の結果でござるぞ。そなたが不調和続けるならば、ますます行き詰まっていくぞ。そなたが我欲で、どうあっても、不調和のままで、人をコントロールして手に入れようとするならば、どんどんうまくいかなくなるぞ。そなたが魔コトに生きるならば、真コトから外れるならば、この方は容赦は致さんぞ。この世界のどこへにげようともそなたの身魂はこの方の中ぞ。警察からはにげられるが、この方から隠れることはできんのぞ。そなたは身魂であることを夢々お忘れなさるなよ。悪くなって善くなる仕組み。壊して創る仕組み。開くの仕組みがミロクの仕組みでござるのぞ。いつまでもそなたらの相対二元の善悪の眼鏡で見ておるとどんでん返しを食らうぞ。
P200
 ミロクに近づくほど、神の掟は厳しくなるぞ。掃除が激しくなるぞ。不調和して居る者ほど苦しくなるぞ。これから先は、魔コトの者は許さんことに規則定まったのぞ。調和に戻す仕組みを強化するから、ますます旨くいかなくなるのでござるぞ。そなたらの時間で見てミロクに近づくほど天国に近づくのでござるから、調和から外れて居る者ほど厳しくなるのは当然の道理でござるぞ。神の仕組みは出来て居る。そなたら人間が変えることは出来んぞ。神から見れば時空はござらんから、過去も現在も未来も一つでござるから、ミロクは出来ておるから、そなたの掃除とは関係なしに外の掃除は進むのぞ。

 そなたらの都合で変えることは出来ん。神の掟は動かんぞ。そなたらに不調和ござるのはそなたらが掟違反をして居るからぞ。そなたが神の仕組みに合わせなければ、そなたがきつくなるだけぞ。ミロクは決まって居るから、もう出来て居るから、そなたから見れば時間が無くなるから、借銭払いの期間が短くなるから、メグリ持つ者ほど返済がきつくなるのでござるぞ。最後の一括払いはきついぞ。そなたらがしただけまとめて一度に返して頂くのでござるぞ。このフミ読んでツベコベ申して居る者は、借銭、ルール違反たくさんござるぞ。今ここで違反して居るということは、今までずっとしてきたのでござるぞ。メグリ多いぞ。外の大掃除は着々と進んでおるから、早く掃除始めんと間に合わんぞ。
P201
 そなたがルール違反をしておいて、自らの想い通りに、欲しいものを早く手に入れようとするのは、身欲丸出しの、我(われ)善しの、自分勝手の、ご都合主義の生き方でござるぞ。キマリを破るのは人間の法治国家なるゲームでも許されんことでござろうが。そなたが掟違反をしておれば、そなたが死ぬのぞ。そなたがどんなに極悪人でも、そなたがしただけのルール違反を清算すれば、そなたが調和に戻せば、真釣りを戻せば、ゼロに戻れば、天国に行けるのぞ。一人一人の身魂の掟破り相応に掃除のご苦労が必要でござるから、平等でござるぞ。甘い汁を吸った者ほど厳しくなるぞ。今までとは上下逆転じゃ。

 神の仕組みは動かんから、時間を追ってどんどんミロクが形に見えてくるぞ。大掃除がどんどん形になってくるぞ。一人一人の掃除具合が、一人一人の生死を決めるのぞ。この方はそなたの掟破りは絶対認めんぞ。そなたがどんなに善人じゃと申しても、神の掟に違反しておれば、この方はそなたを助けることはできんぞ。そなたらの法律のことではござらんぞ。身魂の社会のキソクのことでござるぞ。神の掟破りは天国ないぞ。調和に戻さんと、ゼロに致さんとミロクの民にはなれんぞ。傷つけただけ苦しめよ。そなたのしたことでござるから、差引ゼロでござるぞ。文句を申すところはござらんぞ。ミロクが近づいて居るから、一括清算が近づいて居るから、早う自ら清算を始めてくだされよ。
P202
 そなただけがそなたの都合で動くならば、そなたは我(われ)善しでござるぞ。この方は全員が想い通りになるように、想い通りに生きられるように、想い通りに出会えるように、現の世を創ったのでござるぞ。その世界を壊したのはそなたらでござる。不調和の世界で自らの想い通りにしようとすれば、それは自分勝手と申すもの。そなたが外への責任転嫁、外のコントロールなしで欲しいものが得られんのならば、そなたの真釣り外しは明白でござるから、辛抱肝心でござるぞ。そなたの想いをすべて果たそうなどおこがましいぞ。そなたの夢はミロクまでおあずけじゃ。まずは心の掃除をしてくだされよ。

 そなたがそなたの想いを行動して必要な者(物)が来るのを待つ。世は需要と供給の関係でござるぞ。そなたが出さねば入らんぞ。そなたが取って居るならば、限界くればそれ以上入らなくなるぞ。枠の世界で溜めたり取ったりすれば偏るのは当然のことでござるのぞ。今今の経済状況は、枠の世界の現界でござるぞ。出さねば入らん仕組み。入れたら出さねばバランスが偏るぞ。借金を借金でかえすならば、最後は自分に借りねばならなくなるぞ。そなたが傷つければそなたが傷つく仕組み。そなたがしたことを逃げても、最後の最後で死刑でござるぞ。そなたは神の掟からは逃げられん。この方からは逃げられんのでござるから、掟違反を清算すれば天国に行けるのでござるから、いい加減に観念してアタマを下げて掃除に励んでくだされよ。自らのしたことが自らに返るのでござるぞ。そなたが調和ならそなたは天国ぞ。そなたの元はゼロでござる。すべてのすべて呼吸が大切ぞ。
P203
 そなたは物質の世界に居るから、物質を欲しがるのは構わんが、そなたが真コトに生きておれば、いるものはすべてこの方が人間を通して渡すのでござる。そなたも人も損得なしが真コトの姿でござるのぞ。呼吸するだけ、与え合うだけ、交換するだけでござるからぞ。そなたがいるものは人があげたいもの、人がいるものはそなたのあげたいものでござれば、損も得もござらん。そなたが魔コトに生きておるから、取りあいをして居るから、そなたが身魂の人生を通じて魔コトで生きてきたから、今世のそなたが損や病気や怪我をするのでござるぞ。すべてうまく行かんのでござるぞ。そなたが原因でござるぞ。どこかに責任転嫁すればますます自らを苦しめることになるから、ご自覚召されよ。
P204
 超能力や予知や予言や特別な能力や奇跡を求めるのは、魔コトの神に囚われておる証拠でござる。真コトの神は、強制も禁止も命令も手出し口出しも致さんぞ。真コトの神は、戒律も罰も創ってはおらんぞ。そなたは何をしても宜しいのでござるから、自らしたことを清算する責任を取る積もりがござれば、危険なことも怖いことも、そなたの行動を止める理由にはならん。傷ついて傷つけた清算となるのでござる。出した不調和を戻して調和でござるぞ。そなたには何の制限も障害もござらん。そなたは何を避けて居るのか。そなたが苦しくなるのはそなたがしたことではござらんか。そなたが壊しただけそなたが引き受けるのでござるから、いいのかな、と申すセリフはそなたには必要ござらん。失敗して、損して、怪我して掃除するのでござるから、そなたに真釣り外しあれば失敗も怪我も成功に向かう清算のプロセスでござるから、出来ないと申すのはオカシキことぞ。

 罪悪感はそなたが創って居るものぞ。そなたが悪くなるのを避ける言い訳でござるぞ。避ければ避けるほど、最期の清算が厳しくなるぞ。言い訳するほどそなた自身が苦しくなるぞ。そなたがそなた自身を制限するならば、どうしたらよいのか、いいのかどうかと聞くならば、価値判断するならば、悪を避けるならば、それは魔コトの神の申す通りに掟違反を進めておる証ぞ。戒律をつくっておらんとこの方が申しておるのだから戒律は一つもござらん。この方は一〇〇%でござるぞ。素直に取れよ。アルと申すならば、それはそなたが勝手にやっておることでござる。常識が、社会が、神が仏が云々と何でも外のせいにして居るのは、動くのが怖いからぞ。掟破りの責任を取っておらんからぞ。責任転嫁が掟破りそのものぞ。そなたが真釣り戻しの苦を避けるから、怖いことを避けるから、自らのしたことを棚上げして悪くなることを避けるから、常識や社会や宗教が戒律になるのぞ。神の祟りや悪魔の呪いが出来るのぞ。悪魔を創って居るのはそなた自身でござるぞ。
P205
 この方が戒律でそなたら人間を縛ることはないのでござるぞ。そなたがしただけ返して居るだけぞ。神の祟りはそなたの掟違反の結果ぞ。神のせいと申すのは掟違反ぞ。神のせいに致すから神の祟りになるのでござるぞ。そなたがそなたに戒律をはめてそなたを動けなくしておるのぞ。そなたを封じ込めて居るのはそなたでござるぞ。すべてのすべてそなたの申す通りになって居るでござろうが。それをやめることが、そなた自身に素直にやることが、真コトの神のやり方でござるのぞ。戒律はないと申すこの方に『でも』と申せば、そのそなたの理由は、そなたの理屈は、そなたの創りた戒律でござるぞ。魔コトの神もこの方の生んだ神でござる。他力本願では何もならんぞ。他力に頼って文句を申すようではミロクはないぞ。この方に頼って自分で生きよ。そなたが頼るのはこの方だけでござるぞ。そなたがこの方を頼ったら自力で行かねばならなくなるぞ。そなたが自力でいくことはこの方の他力に頼ることでござるのぞ。この道理わかれば文句は言えなくなるぞ。

 この方は、生死を超えた神でござるぞ。そなたらの肉の身を生と申せば身魂の世界は死でござるぞ。そういう意味の生死を超えた神でござる。この方はそなたの身魂の親でござるぞ。そなたがした通りのことを形にするだけぞ。そなたの意志の通りに自由に行動させるぞ。この方はするなと申した覚えはござらんぞ。そなたができなくなるのはそなたの魔釣りのせいでござるぞ。そなたが真釣り戻しの苦を避けて、掟破りの責任回避をして、そなたの行動を制限して居るだけぞ。そなたは何がしたいのか。そなたのよいと思うことを素直にすればよいだけぞ。そなたが動いた結果、そなたが悪くなるのはそなたのしたことでござるから、そなたの掟違反の清算になるから、辛抱肝心ぞ。
P206
 そなたは何を探しているのか。正しい答えは外にはあり申さん。戒律創れば制限創り、調和の世界を壊すのぞ。真コトの神はそなたのすることをやめさせることは致さんぞ。そなたが調和を乱せばそなたに不都合が出るのでござるぞ。そなたが不都合を人や神の責任に致せばますます不都合が出るぞ。そなたに不都合出た時は、自らの制限の結果でござるぞ。制限外せばだんだん不都合なくなっていくぞ。清算するまでは辛抱肝心ぞ。どんな考え方をしてもよいのでござる。そなたは身魂でござるから、死は不幸でも危険でもござらん。死を不幸と申すそなたは掟破りの身魂でござるぞ。そなたに真釣り外しなければ、そなたに怪我や事故や損や失敗はござらんぞ。思いどおりになるのが神の世ぞ。

 そなたがしてはならんことは戒律つくることでござる。してはならんことはないと申して、戒律創ってはならんと申すのは戒律ではないかと申す者も居るが、戒律つくっては調和が乱れるだけ、そなたが不都合になるだけぞ。戒律なければ自由でござろう。戒律を創るなと申せば、何でもしてよいと申すのと同じぞ。戒律つくるなと申す戒律を創れば、自由になるのでござるぞ。自由でござれば、そなたのしたことはそなたの責任しかないでござろう。責任転嫁はござらんから、文句は申せんから、戦いはなくなるのでござるぞ。責任と申す概念も消えるのでござるぞ。責任転嫁が法律創り、罰則創り、自らの首を締めて行くのでござるぞ。お互い自らの責任ならば、悪を裁く法律は必要無きものぞ。お互い自由でござれば、そなたらの申す宗教も必要無きものぞ。知識教える教育も必要ござらん。
P207
 そなたらが自由でござれば、自由に遊べるのでござるぞ。戒律が戒律を生んで自らを不自由にして居ることに気づいて居るか。始めの初めの戒律を外さねば、そなたらに自由はござらんぞ。悪を裁くのが悪でござるから、悪を裁く法律や道徳やルールは必要無きものになるぞ。自らしたことが自らに返るのぞ。そなたがしただけこの方が渡すのぞ。全員が掟破りの清算すれば、悪は消える道理でござる。掟破りの清算が済むまでは、悪を避けても悪は出るぞ。一人一人が自らの違反相応に苦しむだけぞ。悪は悪ではござらん。迷惑は迷惑ではござらんぞ。全員が取り違いして居るぞ。悪の中に天国のカギがござるのぞ。
P208
 そんなのはただの屁理屈じゃと申すそなたは戒律をつくっておるぞ。この考え方しか許さない、そんな考え方は善くないと申すのが戒律でござるのぞ。この方は戒律を創っておらんから、そなたがそういうことを言えるのでござるぞ。戒律がないから戒律が創れるのでござる。そなたらのしたいことができるのでござるぞ。戒律創って制限すれば、そなたらが不自由になるだけでござるから、この方には関係無きことでござる。この方は自由にして善いと申して居るのでござるから、そなたらの自業自得でござるぞ。いやならやめればよいではないか。この方や他人に責任をなすりつけてもそなたは自由にはならんぞ。そなたが掟違反をしたならば、悪を避けても無駄でござるぞ。言い訳は自らを不自由にする理屈でしかござらんぞ。そなたがしたいことをすればよいではないか。

 法律が戒律ではないぞ。そなたの考え方に嵌めた枠が戒律でござる。この方は自由な世界を創って居るのでござるが、そなたが戒律を嵌めれば自分で自分を不自由にすることになるぞ。そんな考え方は出来んと申すそなたが、そんな考え方をした上で出来んと申しておるだけぞ。そなたは「そんな考え方」をして居るぞ。そなたが選んで居らんだけぞ。そなたがそなたを勝手に不自由にして居ることに気づいておるか。この方は何も制限は設けておらんぞ。時間ですら制限ではござらんぞ。そなたがこの方の申す通りにしておれば、掟違反をすべて清算すれば、必要なものはすべて渡すから、何の制限も感じなくなるのでござるぞ。この方の申す通りにすれば、自由になるのでござるぞ。騙されるのを恐れて居るそなたはすでに騙されておるぞ。騙されて損して清算して自由になるのぞ。そなたが悪くなるのを避ければ、自らの自由を制限して居ることになるぞ。この道理分かるか。
P209
 そなたの問いにそなたが答えればよいだけぞ。そなたの答えがこの方の答えぞ。そなたはそなたの内の声を、いいのかどうかと外に確認しておるだけぞ。外に確認するから、魔コトの神に囚われるのでござる。魔コトの者に騙されるのでござるぞ。そなたが外を探すほど、悪くなるのを避けるほど、そなたは遠回りをしておるのでござるぞ。いいのかどうかと申しても、そなたの答えは決まって居るではないか。何故にそなたは自らを疑うのでござるのか。そなたの学んできた学や教に枠があるならば、今まで学んだものの中には答はないぞ。この方は何の制限もござらんぞ。変なものも不思議なものもござらんぞ。そなたの答えはすべてイエスぞ。そなたのことを変人と申す者が自らを不自由にして外に文句を申して迷惑をかけて居る変人でござるぞ。

 戒律が無いならば、誰に聞いても答はイエスぞ。そなたの答えが正解ぞ。イエス・キリストはイエスの十(神)ぞ。何でもよいと申す神ぞ。何処に聞いてもイエスの答しかないのに外に聞くのは時間の無駄ぞ。ノーと申す者は戒律ある者ぞ。支配の神に囚われて居るから、言うこと聞けばそなたも制限の世に入るぞ。そなたがイエスならばこの方もイエスでござるぞ。そなたの申す通りに素直にやりなされ。自らの答えをノーと申すから葛藤が出来るのでござるぞ。したいことができないのではなく、したいことをしないだけでござるぞ。そなたが葛藤を創っておるぞ。自業自得でござるぞ。被害者演じても茶番劇ぞ。自らが自らを自由にすればよいだけでござる。自らに素直に行動すればそなたは自由ぞ。
P210
 真釣りのこの方はもともと自由の神ぞ。そなたがしたいことをしないだけぞ。しない理由はそなたの理屈ぞ。そなたがそなたを不自由にしておるだけぞ。そなたがそなたの現実を創っておるぞ。そなたを自由にするのはそなただけぞ。そなたがそなたに正直に動きつづければそなたを邪魔する者はいなくなるぞ。そなたに戒律はなくなるぞ。この方の心が見えてくるぞ。魔釣りに生きておるものが文句を申すだけでござるぞ。神の掟を破る犯罪人の苦情など聞かんで宜しいぞ。そなたにバチはないぞ。戒律をはめることがバチを創るのぞ。そなたがうまく行かんならばすでに神の刑務所の中ぞ。バチを避けることがバチに当たることになるぞ。自分のつくったバチに自分で当たりにいくようなものぞ。

 真コトの神を知らぬそなたが、真コトの神を探しても、いつまでたっても見つからん。どれが真コトの神か分かるならば、そなたはすでにマコトの者であるから、神を探すことはオカシキことぞ。真コトの神が分かる者は、外には探さんぞ。すべて自分で決められるぞ。神とは何ぞや等と申す議論とは無縁でござる。そなたのココロを素直に行動することが、真コトの神を知る唯一の手だてでござるぞ。それはできんと申せば、真コトの神はいつまでたってもそなたの中には現れんぞ。神が姿で見えるのではないから取り違いするでないぞ。神が見えないと申して神を見ようとするから、魔コトの宗教に引っ掛かるのぞ。
P211
 そなたの日常生活が一つでも思い通りにいかんならば、一つでも葛藤があるならば、そなたの神は魔コトの神ぞ。神を拝む宗教はいらんぞ。そなたの生き方が神でござる。魔コトの神の善悪分ける心を掃除することが、真コトに生きる手だてでござる。そなたが今までしてきたことが、善悪分けて居ることが、すでに調和乱す悪でござるのぞ。いいのかどうか、どうしたらよいのかと聞くことが、すでに真コトの神ではござらんぞ。悪くなって善くなる仕組み。悪くしたのはそなたでござる。いいのかどうかと魔コトに聞けば、してはならんと申すなり。真コトの神には疑問なし。

 真コトのそなたは、この方が、この方の家来の神々が添い和して、人間として何でも自分でできるから、神を探す必要などござらんぞ。現世利益(りやく)はすべて叶っておるから、神頼みも致さんぞ。感謝しかあり申さんから、罪悪感はござらんぞ。感謝を要求したり感謝を期待したり感謝しない者に文句を申したりはせんぞ。お互い満たし合いでござるから、文句などあり申さん。自らのすることをいちいち判断致さんぞ。判断するのはうまくいっておらん証でござる。真コトの神がつけば何をしてもうまくゆくのでござるから、どっちを選んでもよいのでござる。迷いがござらんのが真コトの神ぞ。マコトは一つ。
P212
 真釣りを戻すその間は、したことを引き受ける、責任をとるその間は、病気や怪我や失敗が起きるが、それを過ぎればだんだんうまくいくようになってくるぞ。悪くなって善くなる仕組みぞ。真コトの者は自らに問うこともせんぞ。思ったことをすぐやるぞ。当然ながら自ら以外の者に聴くこともせんぞ。神に聴くこともせんぞ。神にお願いすることもないぞ。神は始めからそなたについておるのぞ。神の申す通りになっておるのぞ。この方が居ることは当たり前、この方は空気のような存在でござるから、この方について議論することがオカシキことぞ。この方の申す通りにすることが、そなた自身の申す通りにすることが、この方の意に乗ることが、誠の祈り(意乗り)なり。この方に降参すれば、お真入り(参り)すれば、ミロクの道ぞ。魔に入るからそなたは参ってしまうのでござる。

 そなたが神を探しておるならば、そなたの現実が想い通りでないならば、そなたは魔コトの神に囚われておるぞ。そなた自身のすることを疑っておるならば、この方を探しておるならば、そなたは真コトの者ではござらんぞ。この方を求めるのが、この方に戦いを挑むのが、この方を否定するのが、その証でござる。真コトの神のこの方はそなたの心の声となって語りかけておるぞ。そなたが神の音声を聴こうとするから、魔コトの神が使う者の超能力に引っ掛かるのぞ。神の声はそなたの心でござるのぞ。そなたがすぐに思うことが形にならぬのは、今まで真釣りを外したからぞ。すぐには想い通りにならんぞ。真釣りに戻したならば、何が起きようとも二度と魔釣りに戻らんことぞ。判断するのが魔釣りなり。怪我も病気も失敗も事故も死もすべて真釣りの道中でござるぞ。悪くなるからやめると申すのは、魔釣りでござるぞ。そなたがしたことを避ければ天国はござらんぞ。思うことを行動して形になる。心形にする遊びが人間の世ぞ。思うだけでは形にならぬ。失敗さければ動けんぞ。そなたが守って居るならば、そなたは魔釣りの証でござるのぞ。
P213
 真コトの神に奇跡はないぞ。奇跡がないのが真コトの神ぞ。真コトの人間ぞ。うまくいって当たり前、喜びしかないこの方の世界に奇跡があるのがオカシキことぞ。この方の力を知っておれば、何がおきても不思議はないぞ。そんなことはありえない等と申す者、自らが魔コトの神に囚われて居ることを白状しておるぞ。自らが真コトでないことを白状しておることを気づかんそなたは、調和を乱す臭き魔コトの悪魔でござる。すべての価値判断を手放したそなたの正直な心が、悪くなるのを避けない心が、そなた以外の者にではなくそなた自身に素直な考えが、そなたの内なる声が、この方の、真コトの神の真コトの声でござるのぞ。真コトは一つ。魔コトは二つ。そなたの心を素直に出せよ。

 この方が、そなたのココロに語りかけても、いつまでも魔コトの教えに囚われおりて、アタマで判断して聴かんから、無視するから、真コトを外に探して居るから、そなたの目に見えるように、そなたのアタマでも分かるように、今ここでフミが出せるように、前もってこの者の心に語りかけ、人間として真コトの体験させて、魔コトを真コトに戻す掃除をさせて、この方の申すことが真コトであると確認させて、誠の真コトを知らしめて、この者の肉身を使って、そなたの肉身の外側に文字にして語るのじゃ。○九十の神の真コトを知らす、これが最期の伝えフミであると心得よ。このフミを一つでも批判したらそなたにはミロクはないぞ。注意一秒怪我一生ではござらんぞ。肉体怪我して身魂直るのぞ。
P214
 この方は、この者に、この御用をする為に、生まれてこの方、魔釣りの中にどっぷり漬からせ、様々な知識を身に付けさせ、様々な体験をさせてきたのでござるぞ。この者は、常識世界も、精神世界も、宗教も、神示も、魔釣りも、真釣り戻しの道もすべてのすべてを通り抜け、神と人、精神と肉体、心と体、魂と体、宗教と科学、見えるものと見えないもの、エネルギーと物質が一つであることを説明し、人間として一つにするための、人間としてミロクへの案内をするためのテクニックを学んできたのでござる。この者はこの方の特派員でござるのぞ。この方直々の訓練を終えた真コトのトレーナーでござるぞ。この者が気づかんように、そなたらが取り違いするすべての状況を体験させて、抜けさせて、そなたらが間違いなく掃除ができるよう、この方が導いたのでござるよ。この方はこの者を使って一人一人の人間の掃除を致すから、この者の申すことを素直に聴いて、掃除に励むがよいぞ。このフミを読むことが掃除の最初でござる。この者が、神を使って自らの理屈に権威をつけて居ると思ったら、大きな間違いでござるぞ。そなたはまんまと悪神の企みにはまっておるぞ。
P215
 人間と神は一体でござるのぞ。この方とそなたらに契約書などいらん。そなたが不都合つくれば不都合を体験し、調和を創れば調和を体験するよう、自らのしたことが自らに帰るようにすべてのすべてを仕組みあるのぞ。そなたが不調和まき散らせば、そなたが消える運命でござる。この方はそなたの身魂が生まれたその時にすべてのすべてを教えてあるのぞ。そなたが魔釣りに走ればこの方が見えなくなるのが分かって居ったから、そのように創ってあるから、最後の最後に真コトをすべて明かして大掃除をするのでござるぞ。そなたが魔釣りに走ったのが原因ぞ。もっと早く、もっと分かるように教えろと申すのはそなたのご都合主義の証でござるぞ。分からんのはそなたの責任ぞ。この方の言葉を聞いて分かったならば、今ここから真釣りに戻れよ。真釣りとは何かと聞くことが魔釣りの証でござるのぞ。善も悪もござらんぞ。危険なのは魔釣りに居ることぞ。肉死んで魂生きるのぞ。してはならんことはないぞ。言ってはいかんこともないぞ。どんな見方も自由でござるから、受け取る方が見方を変えよ。言葉には善悪ないぞ。善悪つけて居るそなたが善悪やめるのが先ぞ。優しく、分かりやすく、差別用語だ云々と申すそなたが差別でござる。

 神は人のイノチ、人は神のイレモノ。神あって人あり、人あって神あるのぞ。そなたのイノチは身魂のイノチ。死んでもイノチは生きておるぞ。人間と申すのは神界の神の動きが現界で形に成った姿でござる。そなたがここでしていることを見れば、そなたが感応しておる神が分かるのでござるぞ。そなたがしておることは丸見えでござるぞ。真コトの神も、魔コトの神も、髪一重(神一重)でござるから、神は一重でござるから、裏と表は一つでござるから、現れ方が、働きがアベコベになるだけでござる。魔コトに囚われた人間には外から見ても見分けはつかん。善悪やめれば真コトが見えるぞ。真コトの神から見ればすぐ分かる。コントロールに善悪判断、文句に脅し、説教、罰に疑い、不信にしつけに戒律、倫理に道徳、禁止に制止に助言に屁理屈、不満に反論、抗議に皮肉、宗教、科学に教育、認めん許せん、悩みに葛藤、戦争、言い訳、すべてのすべてが魔釣りなり。制止は生死が理由なり。どれが真コトかと探して居る者にはイロイロな神ガカリが出てきて訳がわからんようになってござるから、魔コトを真コトと思っておる人間にも分かるように、真コトの神が真コトを知らせる、魔釣りに真釣りを指し示すこのフミでござるぞ。このフミの表面を見ておると何も見えんぞ。指し示す指を見ておらんで、指の指す先にあるものを見てくれよ。そなたらは目の前ばかりを見るから大きな目(視点)になれんのぞ。
P216
 そなたはそなたの見たいものを見ておるだけぞ。そなたの見たいようにそなたの創った眼鏡で見ておるだけぞ。そなたが見たいように見えるのぞ。そなたの見ておるものはそなたの創って居るものぞ。そなたが形を創ったのではなく、この方が創っておる形をそなたの見たいように見てお話を創って居るだけぞ。そなたは人のココロなど見ておらん。人の気持ちなど考えておらん。外に現れたことを見て勝手に自らの眼鏡に基づいて意味付けしているだけぞ。自分の戒律で自分の想像で自分を制限して自分を苦しめて、人の責任にして居るだけぞ。自分の眼鏡で見たものを語って居るだけぞ。人が悪いと申すならば、そなたが悪いものを持って居るのでござるのぞ。そなたの眼鏡は正しいか。そなたの眼鏡は真コトであるか。真コトであるならば、この方の申すことにツベコベ申さんぞ。

P217
 この者は何も判断せずにこの方の言葉をそのまま文字にできるようになって居るから、この者の語ることは、この方の語ることでござるぞ。そなたも含めて、人間の語ることは、すべてのすべて神の語ることでござるのぞ。神がそなたらの心に語っておることをそなたが自らの考えであると思いこんで語っておるのでござる。自らの考えじゃと申すことも神の考えでござるぞ。人間の考えだと思っておるから、平気で人を批判できるのでござろうが。神の祟りを恐れるそなたが神の申すことを批判しておるのぞ。何をしておるかよく考えて見よ。そなたがしておる議論と申すのは神と神の戦いでござるぞ。霊戦でござるのぞ。霊界が現界に現れておるのぞ。現界の戦いは霊界の戦いの映しでござるぞ。霊界と申すも、そは幽界でござるぞ。神界には戦いはござらん。戦いあれば神界には行けんぞ。ミロクは戦いの無き世界でござるのぞ。戦いある者は門前払いでござるぞ。
P218
 いろいろな神が居るからよくよくご注意申し上げるぞ。マコトの神のマコトの言葉をここですべて渡すから、自らが、相手が、どんな神と感応しておるか、よくよくサニワ致せよ。ついていくものを間違えると取り返しの付かんことになるから、今ここで、キッチリと申し渡すぞ。マコトの神を知らぬ者、アヤマチの神をマコトの神と思うこともあるから、気をつけなされよ。そなたのことを申しておるのぞ。人ごとじゃと申す者が一番危ないぞ。この者の語ることは、受け売りの、寄せ集めの、アタマだけの知識ではござらんぞ。真コトの智慧でござるぞ。体験の裏付けがある知識でござるぞ。実践を通しての智慧でござる。考察でござるぞ。結果でござるぞ。判断するのが魔コトの証なり。

 このように申せば、今までの予言や神示の寄せ集めじゃ、この者の潜在意識が入って居る等とすぐに疑うのがそなたらの悪い癖ぞ。そなたの意見の根拠は何か。智慧を知らぬ者が、魔釣りの知恵と真釣りの智慧の区別はつかんぞ。真コト知らん者が、真コトは見分けられんぞ。疑うのは、真コトがない証でござる。疑うことが魔コトの証でござるぞ。真コトを分ける眼鏡しか持たんから、真コトを分からんから、真コトの眼鏡を渡すのでござるぞ。真コトの眼鏡にかけかえて、真釣りに戻る掃除を始めることぞ。そなた自身の心を止めるその基準が魔釣りの知恵でござるぞ。悪くなって善くなれよ。
P219
 こう申しても、まだ、偽物じゃ、悪神の申すことじゃ等と申す者は、自らがアヤマチに囚われ居る、悪神に感応しておる身魂であると知れよ。そなたの基準にあわんもの、そなたの正しさを崩すものが出てくる度に、何でもかんでもそのような屁理屈を申して排除するから、この方の言葉を無視するから、いつまでたっても真コトの事が分からんのでござるよ。そなたは真コトの者でござるのか。そなたが真コトの者ならば、この方の言葉は一つとして異議はない筈でござるが如何なものでござろうか。そなたが真コトを知って居るならば、外を調べるのは、この方のフミを読んで居るのは、マコトオカシキことではござらぬか。そなたの申すこととこの方の申すことは同じでござるから、全部賛成の筈でござるぞ。真コトの者は、この方が真コトであるかどうか証明せよ等とは申さんぞ。

 そなたは正しい者でござるのか。そなたは善人でござるのか。そなたは正常でござるのか。何を基にそのようなことを申すのか。そなたが正しいならば、この方が何を申そうとも、そなたはこの方のことは気にする必要はないのでござるぞ。そなたの申す通りにそなたが生きればよいだけぞ。この方の申すことに異議を唱えるならば、そなたは分裂しておるぞ。異議を唱えるものは善を掲げておるぞ。そなたは善悪を持って居るぞ。自らが正しいと思うならば、そなたが勝手にやればよいだけではござらぬか。そなたは自ら正しいと思うことを何故に外に聴くのじゃ。何故に証拠を探すのじゃ。何故に外を批判するのじゃ。そなたは真コトの者ではござらんぞ。自分が正しければ自分だけがやればよろしかろう。人の邪魔、神の邪魔をするでないぞ。勝手に魔コトを遊んで居れば宜しいぞ。
P220
 そなたが真コトの者であるならば、分からんことや不思議なことは一つもないぞ。神が居るか居らぬかという議論をなして居る者は、自らと神を分けて居ることにお気付きあれよ。そなたは分離しておるぞ。そなたがそなたの心を分けて居るのぞ。そなたがそなたの心を分けておらねば、議論は不要でござろうが。真コトの者に不思議なことや分からんことがあると申すのはオカシキことでござるのぞ。分からんと申すのは、外が悪じゃと申すのは、自らの真釣り外しを白状しておるようなものでござるぞ。この方が居るのは当たり前のことでござるのぞ。神を議論するそなたが魔釣りぞ。戦いある宗教はニセモノぞ。

 ここを逃せば二度とは申さん、これで分からねばもう助からん、そなたのマコトのイノチを助けるための、そなたら一人一人に渡す、身魂が生きるか死ぬかの瀬戸際の、ミロクに誘う案内状、この方からの最期のフミでござるぞ。読んで絶対に損はないフミでござるぞ。読まねば取り返しがつかんことになるフミぞ。後になって感謝感激することになるから、後になって後悔することになるから、今まで学んだアタマの常識を使ってツベコベ申さずに、今は黙って読むことが、そなたの掃除の九十(事)始めじゃ。そなたのココロをすべて公開せんと後になって後悔することになるぞ。そなたがどんなに秘密に致しても、この方からは丸見えじゃ。そなたが秘密に致すほど、そなたが枠にはまるだけぞ。そなたが動けんようになるだけでござるぞ。秘密は火水、霊満、神そのものでござる。心に出るものは秘密ではござらんぞ。形で隠しても心は丸見えでござろうが。そなたに見えるもの、そなたが分かるもの、すべて秘密ではござらんぞ。
P221
 神の情報公開は一〇〇%でござるぞ。神の規制緩和は一〇〇%でござるぞ。岩戸をすべて開くと申すのは、そなたの内にある戒律をすべて外すことにてござるのぞ。何も難しいことはござらんぞ。素直に全部自由にすればよいだけぞ。混乱するのは、悪くなるのは、今までの掟破りの清算ぞ。全員掃除するから混乱するぞ。今の今もメチャクチャでござろうが。どこに平和がござるのじゃ。最後の最後は大掃除。地獄の如き様になるのぞ。自らが調和を壊しておいて、壊すことを悪じゃと申すのはいかなることぞ。壊して創る仕組み。悪くなって善くなる仕組み。取ったものを出してゼロぞ。壊しただけ壊されてゼロぞ。してはいかんことは何もござらん。殺されあろう何あろう、すべてのすべてはメグリ逢いでござるぞ。神の世界を穢したら肉体を怪我して身魂の清算するのでござる。肉体はこの方の貸しもの。そなたのものではござらんぞ。この方が肉体貸して清算させておるのぞ。

 何も慌てることはござらん。今ここで目を覚まして、気づいて自覚して、今ここから始めれば、苦しいなりにも間に合うぞ。そなたが掃除始めればこの方が手を引くから、すべて任せて安心してござれ。このフミ読まぬと、読んでも実行せぬと、本当に慌てることになるぞ。キリキリ舞いになるぞ。このフミ読むことがミロクへの早道ぞ。慌てないで急げよ。いっぺんはないぞ。一つ一つぞ。一度に楽に成ろうと申すのは、怪我をしないで天国に行こうと申すのは、虫の良い話でござるぞ。ツベコベ申すそなたは、今のままではミロクはないぞ。滅びの坂道を転がり落ちて行くだけでござるぞ。悪くなって善くなれよ。
P222
 もう間に合わん、時間がないと申す暇に、やり続ければよいではないか。間に合うかどうかを考える時間があるではないか。そなたが歩きつづければゴールは必ず来るのでござるぞ。立ち止まっておりては、本当に間に合わなくなるぞ。そなたの永遠のイノチと比べれば、このフミを読む時間など、一瞬のことでござる。今なら間に合うから、すべて読んだら、分かったなら、分かったことを今ここから即、実行することぞ。分かったことをやらんのが、自分で決めればよいことを人に聞くのが、今までのそなたの悪い癖ぞ。人に聞いて、人に任せて、うまくいかんと文句を申す、悪い癖を直せよ。

 「考えてはならんこと」や「してはならんこと」と申すことは何一つないぞ。そなたが申す「してはならんこと」と申すのは、善悪の世で学んだことぞ。真釣りに生きる者は、回りが何をしようと何の影響もないぞ。そなたの罪悪感はそなたが創っておるものぞ。そなたが魔釣りでござるぞ。そなたがそなたを批判しておるぞ。そなたが決めたことを素直に実行すればよいことぞ。そなたが選んだこと、そなたが決めたこと、何が起きようともそなたの責任でござる。何が起きても誰も責められん。そなたが自ら選んだことであると自覚をもってするならば、何をしても構わんぞ。何をしても構わんと申すのは、そなたの責任であるということでござるのぞ。何をしてもよいとなれば、自由になるかわりに人は責められんぞ。お互いに自分の責任でござるならば、戦いあるのはオカシキことでござる。そなたが真釣りの者なれば、怪我も、病気も、事故も、損も、無いぞと申してあろう。そなたが魔釣りでござるから、損して、怪我して、悪くなって、苦しんで、辛抱して、今までした不調和を返す仕組みが発動致すのぞ。悪くなるのはそなたのした結果ぞ。そなたが取ったものを返してゼロに戻す仕組みぞ。それが責任をとると申すことぞ。それが調和に戻すことぞ。それが真コトの自由でござるぞ。善悪戦いの中で自由になりても、まだ制限の中でござるぞ。相対的な自由でござるぞ。神の自由は人も自分も完全な自由でござる。そんなことはありえないと申すそなたは魔釣りの者でござるぞ。真釣りに戻れよ。
P223
 「人間として」してはいかんことと申すのは、本当は「神成る身魂として」してはいかんことでござるのぞ。そなたらの申す「人間」というは、善悪の世界で創りだしたイメージでござる。人間とは何ぞやと申す議論はもう終わりにしなされよ。そなたらがこの方の申すことを認めん限り、その議論は続くぞ。肉体に入った身魂が、神成る身魂がマコトの「人間」でござるぞ。神成る身魂がしてはならんことは、神のルールに違反することぞ。調和乱すことぞ。善悪創って判断することぞ。人を責めることぞ。自らを責めることぞ。戦うことぞ。悪を裁くことぞ。罪悪感を持つことぞ。人をコントロールすることぞ。自分をコントロールすることぞ。そなたが調和に生きておるならば、ここで申したことは何もできなくなるのでござる。する必要はないのでござる。真釣りの世なれば、ここに挙げたこと共は、何も無きものでござるのぞ。そなたは、元々ないものをわざわざ創りだして何を勝手に苦しんでおるのじゃ。そなたらも法律違反は罰でござろうが。神のルール違反は誰も裁きはせんぞ。そなたが違反しただけそなたが不自由になるだけぞ。そなたらの罰と申すのは、人間が人間を不自由にすることでござる。裁く者の思惑でどうにでもなるぞ。神の不自由は身魂の違反相応、すべてのものに公平ぞ。形の平等はござらんぞ。
P224
 人を脅して、人を負かして勝っても得しても、それは今までの悪の世だけの損得ぞ。得しておりては徳は得られんぞ。そなたのしたことがすべてを壊した基でござる。そなたが壊した責任をとると申すならば、今すぐ不調和のゲームをやめることでござる。キレイサッパリやめることぞ。でもでも、難しい、すぐには、と申すのは不調和でござるぞ。いつまでもそんなことをしていては、調和などないぞ。平和も自由も平等もないぞ。ミロクの世には生き返れんぞ。今まで学んだ価値判断、すべて手放して素直になれよ。今までの世のそなたという幻想を殺せよ。そなたの生き方を変えろよ。そなたは神の世界の犯罪者でござるのぞ。いつまで続けるお積もりか。神は一〇〇ぞ。善(全)ぞ。前ぞ。人の仕組みは神の仕組みの現れぞ。神先人後、神の申す通りにすることがマコトの善でござるぞ。
P225
 そなたのココロに映るもの、そなたのココロに出てくるものは、すべてこの方が許したものでござるぞ。そなたの思った答えがそなたの正解でござる。「いいのか?」「ほんとうか?」「騙されないか?」と問うことが、そなたの葛藤、混乱を創りだした基でござるぞ。そなたの回りの世界を壊した基でござるぞ。そなたの今までのすべての体験を創りだした、そなたの癖でござる。そなたが善悪損得で悪を損を避けるならば、そなた以外の者を苦しめることになるぞ。迷惑でござるぞ。その問いを今すぐキレイサッパリやめて、自らの申すことを一言違わず実行することが、そなた自身の申すことをそのまま素直に実行することが、この方の申す「掃除」でござるぞ。神はすべてを許しておるぞ。そなたがしただけ悪くなって、善くなってくだされよ。真釣り外しなければ悪くはならん。

 今までのアヤマチの、善悪のゲームの中での「してはならんこと」を持つ者に聞けば、「してはならん」というそのルールをそなたも生きることになるぞ。そなたがイエスと申すものを何故に人に聞くのじゃ。そなたがイエスと申せばこの方がイエスと申したのと同じことでござるのぞ。そなたが損や苦や悪を体験するのを避けようとすれば、そなたが動けなくなるぞ。最後の最後はそなたがどうあろうとそなたの回りは大掃除が始まるぞ。掃除無ければそなたが逃げられんようになるぞ。そなたの逃げるところは現界にはないぞ。そなたが大掃除から逃げたいならば、逃げるのをやめることぞ。そのまま続ければ、今までと同じ葛藤を、戦いを、悩みを創るだけでござるぞ。今までよりももっと混乱するぞ。もっときついことになるぞ。戒律やめよと聞いたならば、すべてを許せと聞いたならば、一〇〇%やることぞ。「全て許しておるのは分かるが、でも」と申すそなたは何も分かって居らん。この方の申すことを全部素直にとれよ。
P226
 この方が、これが最期のフミでござると申せば、「前にもそう言ったではないか。神はウソつきだ。」等と平気で申す者、そなたこそ最後までハラを据えて読むことぞ。今のままでは、そなたのイノチが、真コトのイノチが本当に無くなってしまうから、何としてでも自らご自覚なさってもらいたいから、何度も同じことをしつこく申すのでござるぞ。そなたが分からんから分かるように何回も何回も申すのでござるぞ。そなたのような、自らが何を申して居るか、何をなして居るかの自覚なき者、手を替え品を替え何度申しても分からん者、真コトを申す者を無視する者が多いから、神は自らのお子であるそなたらすべての者をミロクの世に迎えたいから、聞き分けなない子にも分からせねばならんから、何度もしつこく出すのでござるぞ。そなたが分からんのはそなたの魔釣りが原因ぞ。分かるように教えろ等と申す者、そなたは何を申しておるのじゃ。ご自覚召されよ。
P227
 このフミで今まで出した神示の種明かしをしてあるから、そなたらの取り違いをすべて明かしてあるから、最後の一通りの解釈を教えるから、今まで読んだことを思い出してみよ。今まで取り違えていたことが分かったら、今ここで取り直せよ。自らの神にしがみつくでないぞ。そなたの結論に矛盾が出たならば、そなたの結論は真コトの目ではないぞ。矛盾が出たらやり直せ。過去にこだわるでないぞ。今ここから直せばよいことぞ。過去にこだわれば、間に合わんことになるぞ。間違えだとわかったら、いつまでも屁理屈こねて、保身をして居らずに、素直に今ここから修正することぞ。反省文はいらん。態度で示せよ。「でもでも」をやっているならば、口だけの反省ぞ。この神の基準が真コトの基準ぞ。この神の基準と照らして間違いかどうかであるぞ。善悪、正誤の相対二元で間違っても正しくても意味ないぞ。「この神」と「この方」がどうちがうのか等と申して居る者はこの方の申すことを分かって居らんぞ。見た目で決めるなよ。この方は自由の神。開(あ)くの神。

 このフミは闇夜を照らす灯台ぞ。ミロクに向かう最新鋭のナビゲーションシステムぞ。この方は、地図は渡すが、実際に歩くのはそなたらでござるぞ。そなたが歩かねば、肉の身で動かねば、霊の身は動かんぞ。霊動かねば、そなたの肉は体験出来ん。霊先体後でござるぞ。そなたを止めるのはそなたでござる。そなたが道を歩むのぞ。そなたが歩む道々に、そなたの欲しいものが置いてあるのでござるぞ。そなたは今そこに止まって、置いてあるものを引き寄せようとしているぞ。コントロールではミロクは手に入らんぞ。そなたが歩くのぞ。そなたが動くのぞ。そなたがミロクを創ろうとして居るのは、アメリカ大陸を引き寄せて居るのと同じぞ。そなたが動けば行けるのぞ。必要なものはこの方が渡すと申したではないか。必要なものは道中に置いてあるぞ。ミロクへのオリエンテーリングでござるぞ。その場その場で指示するから、心に出すから、外に見せるから、この方の申す通りに歩けばよいぞ。今ここで全部準備しようとしても無駄でござるぞ。
P228
 人間と申すのは、心を体で験(み)る遊びでござるぞ。心だけでは片手落ち。心と体の映像が一致せんから葛藤になるのぞ。そなたがしたいことをせんだけぞ。この方は自由の神ぞ。そなたは何故制限を嵌めるのか。できない理由はござらんぞ。そなたらはもともと一つでござるぞ。一致せんようにしたのはそなたの真釣り外しでござるぞ。そなたは何でもしてよいのぞ。そなたが「してはいかんから」と止めて居るから、心と体がズレるのぞ。そなたの葛藤はそなたが創って居るものぞ。早い川の流れを逆行すれば抵抗があるぞ。魔釣りの川を逆に泳げば真釣りに戻ることなるぞ。そなたが「きついから泳がん」と申せば、そなたの川の流れの行き着く先は、滝壺の無い永遠の滝でござるぞ。そなたが川を逆上れば源流にたどり着くのでござるぞ。鯉の滝登りでござる。川は竜の型示し。

 そなたが心でしたいことを怖いと思えば、したいことはできんぞ。いっぺんに形にしようと思っても葛藤になるぞ。そなたが一つ一つ真釣り外したのでござるから。一つ一つ真釣り戻していくことぞ。早く楽になろうとするその心が魔釣りでござるぞ。今のそなたでも楽になる考え方があるのぞ。そなたは肉の身を持って居るだけですでに欲しいものは手に入れておる。神に借りた肉宮は、真釣りが静まる尊き神社でござるのぞ。そなたが素直に心を動けば、神のお陰は簡単に頂けるのでござるのぞ。外の神社にお参りするのはよいが、心が魔釣りでござれば、魔釣りの神がつくぞ。格の高い神社でもそなたが魔釣りでござれば格の高いフリをした格の低い霊がつくぞ。そなたは神に借りた肉身を元手に神の創りた遊び場で、何でも創りだして嬉し楽しの遊びができるのぞ。嬉し苦しになりたのは、遊び方を間違えたからでござるぞ。一度マ違えれば二度と戻れん。今度だけは神がすべてを掃除して創りなおすから、借りた肉身をお返しして、魂磨いて待っておれ。そなたがしておることぞ。心先体後でござるから、そなたが動けば何でも形になるぞ。すぐになると勘違いするでないぞ。神違いしておるぞ。そなたの想いに近づくように一つ一つ成るのでござるぞ。怖いこと体験して、怖くなくなる仕組み。悪くなって開く仕組み。
P229
 頭が良い者と申すのは、知識がある者ではござらんぞ。自らがしておることをすべて分かって居る者のことでござるぞ。自らの身に起きること、自らの心に出ることを、自らの責任であると自覚しておる者のことでござるぞ。自分自身に説明できることでござるのぞ。言葉にして人に説明するのは難しくても、自分には説明できるでござろうが。それでよいのでござるぞ。そなたらは人に説明しようと苦労して居るが、自分が自分に説明して分かればよいことぞ。自らが分からんのに人に分からせることは難しいぞ。自らがしたことを後悔するのではなく、したことを自ら自覚することが大切でござるぞ。殴ったことが悪いのではないぞ。人を殴った、人に殴られたその原因が自らの魔釣りにあることを自覚することぞ。自覚したならば、人を責める、人を恨むのはオカシキことなり。殺人をした者、人を殴った者、泥棒した者、文句を申した者を責めるそなたが魔釣りでござる。ユダヤでござる。身欲がござるぞ。我善しがござるぞ。イシヤの仕組みを責めるそなたがイシヤでござるぞ。イシヤの裏を暴こうとするそなたがイシヤでござるぞ。自らが外に映って居るだけでござるぞ。人がガンコだ、人が魔釣りだ、あいつは人を責めるからよくない等と申すそなたが魔釣りぞ。そなたがして居ることでござる。相手の気持ちを考えておりたら、何も申せん筈ぞ。人のすることの結果はすべてのすべてのプロセスの結論でござるぞ。その結論だけを見て、何故したのか等と聞くのは分かって居らん証ぞ。殺されてメグリを取って頂くのぞ。死んで生きる仕組み。悪くなって善くなる仕組み。身魂に死は無し。
P230
 第三の目とはすべてを見通す目のことぞ。肉眼は左右二つ。霊眼は一つ。霊能力は開発するものにては非ず。そなたが真釣りに生きれば至善に開けてくるものぞ。そなたがもともと持って居るものぞ。龍は天から天降りてハラにマコトを開くなり。蛇はハラから上がりてアタマに分かつ知の目を開くなり。そなたらのハラに封印してある蛇をわざわざ上げるお手伝いをしておる者、何をして居るのじゃ。瞑想でこの方を知ろうとしても無駄なことぞ。この方だと思って居る神は魔釣りの神ぞ。蛇はどんなにあがりても蛇ぞ。龍は天まで登れるぞ。龍は架空の動物なり。この方はまだあらわれておらんぞ。あらわれて居らんが霊界には居るから、そなたらの心で想像できるのぞ。架空の動物は存在しない動物にてはあらず。肉眼で見て居らんものなり。龍は動物に非ず。神の現界での化身なり。魔釣りのままで開く目は魔眼となるなり。分かつ知恵の目でござる。いつまでやっても一つにならん、破壊を進める悪魔なり。外にあるもの分けるそなたが魔釣りなり。悪魔を裁く、鬼を嫌う、そなたが悪魔でござるのぞ。そなたが我がママでござるぞ。我がママとは我(われ)のままに行動することぞ。我がママは責められるものでござらん。
P231
 この方の基は火でござる。火は一度上がればすべてを焼き尽くし、マコトのみを残すなり。そなたらが今まで水で火を消せたのは、この方が加減をしておったからでござるのぞ。水や消火剤で火が消せると思ったら大魔違いでござるぞ。水を壁で止められると思ったらおおまちがいぞ。ダムを創っても水を枯らすぞ。百日雨を降らすぞ。そなたらにはわけのわからんことを次々に見せてやるから、すべてのすべてを大掃除してミロクの天国に連れていってやるから、マコトの神の力を、マコトの神がかりを見せてやるから、魂磨いて待っておれよ。魂磨けて居らん分きついぞ。そなたらが偏らせた分だけそなたらに戻すから覚悟いたせよ。火の災い、水の災い、どんなに怖いか、これから思い知らせるから覚悟いたせよ。そなたらがしたことであるから、抵抗するほどきつくなるぞ。
P232
 魂磨けば、肉の身がどうなろうともそなたらは助かるぞ。身魂助けてミロクに生かす、元の神の仕組みなり。肉の身の死を避けておると身魂は助からんぞ。春は暖か、夏は暑い、秋は涼しく、冬は寒い。火の元日本は四季がござるぞ。この方は温かいぞ。冷たく、熱く感じるのは、そなたの魔釣りが原因でござるぞ。そなたが掟を破らねば、この方は怖いことは何も致さん。そなたを優しく包むのぞ。この方のせいにして居るそなたは自らこの方に油を注いでおるのぞ。そなたは神の現れでござるから、水でござる。水が火に添い和して、申すことを素直に聞けば、丁度よいお湯になるのでござる。日本には温泉が沢山あるでござろうが。火と水が添い和せば、恩恵となるのでござるぞ。元の火のこの方と戦って勝てると思うそなたが魔釣りぞ。火は日、霊、一、元の始めでござるぞ。

 他界は死後の世界にあらず。他の状況の世でござる。そなたらに紫外線は見えないが日焼けで紫外線があるのが分かるのと同じでござるぞ。目に見えない世界はない世界ではござらんぞ。そなたが肉の身では認識できない世界でござるぞ。認識できないが不思議なことが沢山起きておるでござろうが。直接見せずに間接に見せておるぞ。そなたが霊を怖がれば、そなたは神界には行けん。そなたはそのまま消えるぞ。そなたは自分の元を怖がって居るのぞ。そなたが怖いことを避ければ、そなたはその中には行かんから、いつまでも闇のままでござるぞ。最後の最後はすべての闇に光を当てて、すべてを見せることになるからきついぞ。怖いぞ。全部見せるから恐ろしいぞ。怖くても死ぬことは出来ん。死後の世界とそなたらの世界の境を取るのでござるから、そなたは勝手に死ねんぞ。霊先ぞ。
P233
 自らを認めんと申すことはそなたの親であるこの方を、この方のつくりた宇宙を、至善を、そなたの肉の親を認めんと申すことぞ。そなたが認めておらん親から生まれたのがそなたでござるぞ。この方否定すればそなたは居らんぞ。そなたが居るのはこの方が居るからでござろうが。そなたの心はこの方ぞ。この方裁けば自由にならん。自らが裁いて不自由にしておいて人を責めるとは何事か。そなたが自由に動くなら、そなたは自由になるのでござる。そなたが人を責めてきた分だけ、怪我をするから覚悟せよ。したこと責任取らねば、そなたには自由はござらんぞ。自らのわがままで外に文句を申し、外を傷つけたのでござるから、そなたが自由になる道はそなたがしただけイバラの道ぞ。そなたがしただけ返したら、そこから先は天国ぞ。自由になりたくれば、不都合を覚悟して歩きなされ。冒険でござるぞ。怪我して失敗して強くなるのでござるぞ。怪我して失敗して自ら生きる智慧を学ぶのぞ。体験して確認するのぞ。そなたがしただけ受ければそなたは自由でござるぞ。そなたがしたことでござるから辛抱なされ。

 そなたには災害も被害も犠牲もござらんぞ。そなたがしたことが返って居るだけぞ。被害を受けた原因はそなたでござるのぞ。そなたの肉の身はこの方の貸しもの。肉の身通して痛みを受けて、そなたのしたことを返すのでござる。外にしただけ辛抱する道具でござるぞ。被害者をしつづければますます自らに被害を創りだすぞ。被害を受けて魂磨けよ。そなたの雨はそなたのしたことぞ。雨をさければ大雨になるぞ。そなたは死んでもそなたでござる。肉の身はあと僅か。物質は壊れるぞ。壊れたら元には戻らん。そなたらが壊したものはこの方が新しく創りなおすのでござるから、そなたは魂磨いて新しい服を着られるように待っておれよ。次の世は永遠に続く天国でござるぞ。破壊の魔釣りは入れん光の世でござる。最高の人生でござるぞ。得るもの大きければ苦労も大きいぞ。良いものは簡単には手に入らん。生死越えた仕組みでござるから、得心なされよ。
P234
 魂磨けた者に死はござらん。死を語る者、そなたの身魂は死んでおるぞ。早う魔釣りの世を出なされ。魔釣りの世の自分を殺しなされ。自殺せよと申して居るのではないぞ。そなたの魔釣りの生き方をやめよと申しておるのぞ。真釣りのミロクは魔釣りはできんぞ。真釣りに戻してミロクの民ぞ。魂磨くと申すのは、したこと素直に引き受けて、被害を素直に受け入れて、しただけ責任とることぞ。そなたがしただけこの方が渡すから、何もしようとせずに、逃れようとせずに、すべて受け取れよ。苦しみ続けるということはござらんぞ。そなたがしただけ返せばお陰でござる。神は騙さんから安心致せよ。

 「我(われ)はミロクの世など要らん」「我(われ)は今ここを楽しめればよい」等と申す者、それはそれで構わんが、後になって気づいても遅いから、今ここで、この方の話を素直に聞いた方がそなたの為でござるぞ。「天国に行かせたいと申すのは、神の我(が)ではないか」「我(われ)は生まれたくて生まれたのではない。こんな苦しい人生は望んでおらん」等と申す者、そなたは天国に生きたくないのか。そなたが苦しいのは、そなたが、ルール違反を犯したからでござるぞ。人間の創ったルールではなく、神のルールの違反者でござるぞ。「そんなことはない。世間が、社会が、神が悪い」等と申す者には、後で得心いくまで教えてやるから、今は黙ってこのフミを読み進めることじゃ。
P235
 この方は、そなたらが、そなたらの子や友に、何度申しても聞き分けの無い者に文句を申すように、「聞き分けの無い者はもう知らんから勝手にせよ」と申すように、文句の一つも申したいところであるが、そんなことは致さんぞ。そなたらがどんなに好き勝手しようと、この方が創った世界を壊そうと、そなたら全員、ミロクの世を体験させたいから申すのでござる。この方は最後の最後ですべてをヒックリ返してビックリ見せて、見事ミロクの世を創る仕組みを構えて居るから、この方の申すことに抵抗するそなただけが消えるだけでござる。そなたらの身魂の親である神は極上の情けがあるぞ。やさしさが情けではないぞ。どんな悪人でもどんな犯罪者でも天国に迎える用意がござるのぞ。真コトの神の、子を思う親心、いい加減にわかって下されよ。

 いつまでも駄々をこねずに親の申すことに耳を貸す素直な子になってくだされよ。そなたが苦しくなるから申して居るのぞ。この方も子が苦しむ様は見たくないのぞ。ルール違反は責任をとるのが神の掟、人の掟でござる。そなたがどんなに苦しもうとも、しただけのことを返すまではこの方は一切手出しできんから申して居るのぞ。調和乱せば天国はござらん。神の掟は一〇〇点でござるぞ。一点もお負け致さんぞ。妥協は無いぞ。厳しいぞ。この方とて天地創りた元の元の大神様のご意志には逆らうことは出来んのじゃ。



元つ神からの最後の艮のフミ その四

P238
 このフミは、そなたの人生のすべてのカラクリ、そなたらのして居る取り違い、そなたらが今まで正しいと信じて学んできた教えてきた伝えてきた常識や知識の嘘や勘違い、幻想や錯覚、宗教の真実、コントロールの仕組み、ミロクへの道乗り、神と人の関係、人類の歴史の真実、そなたのココロの仕組み、マコトのイノチの仕組み、大神様のご真意、この方の産み生んだ神の世のすべてのすべてのすべての仕組みをキレイサッパリズバリと明かす、今まで出したすべての神示の種明かす、元つ真釣りのこの方からの、現(こ)の世に生まれし全ての身魂への、最後の最後の神伝え、ミロクへ誘うオフレ紙でござるのぞ。

 このフミが出て居ることが、元つ真釣りのこの方が現(こ)の世に現れし証なり。そなたに分からんことを何故にこの者が書けるのか。そなたに分からんことを何故にこの者が説明できるのか。そなたが何も分からぬと申すならば、自らの無智を素直に認めて、いつまでも抵抗して居らずに、自らの大きなアヤマチを認めて素直に観念してござれ。この方に逆らってもそなたが傷付くだけでござるぞ。そなたが素直にお詫びをするならば、そなたがどんなにこの世で悪者といわれてござりても、この方は喜んで手を貸すぞ。そなたが自ら真釣りを取らねば、この方は何も手出し口出し出来んのぞ。真釣り無しではミロクはござらん。そなたが真釣りに戻ると申すならば、この方は全力挙げてそなを助けるぞ。最後の最後のミロクまで何があってもそなたの手を引いてやるから安心してついて参れよ。
P239
 このフミは、ここ数年に起きておる前代未聞の出来事を、この方の大掃除の予兆の数々を「この目」で見ても、いまだに、この世に神など居らんと申す、二十一世紀をこのまま迎えると申す、ハルマゲドンや天意転換の大掃除を何とかして逃れようとして居る、聞き分けのない身魂にも分かるようにしてござるから、実身(耳)をよくほじくってシッカと聞きなされよ。忌まわしい大震災だとか、何の関係も無き者が犠牲になった地獄絵のサリン事件だとか、人類の平和を脅かす核実験は許せんだとか、自らのしてきた魔釣りをすべて棚に上げて、自らは悪いことはして居らんと申して、何でもかんでも誰かの責任に致して、災害だ被害だ犠牲だ防災だ反戦だ制裁だと大騒ぎして、悪い状況を何とか避けよう、何とか生き延びようとして居るそなたらは、いったい何をして居るのじゃ。

 今の世は、平和でも自由でも平等でも公平でも安全でも何でもござらんぞ。神の創りた調和の世を魔釣りの知恵で壊しに壊した成りの果ての混乱の世でござるのぞ。このまま進めばそなたらは何も出来ずに動けんようになるぞ。この方の申すことを聞かねば、最後の最後に史上最大のビックリが出るぞ。何とした取り違いであったかと呆然と立ち尽くすことになるぞ。先行き不透明でござるのが、そなたらにはもう何も出来ん証でござる。何も見えんで、何も分からんで、原因不明で、如何にして解結致すと申すのか。医学も政治も経済も教育も、この世の仕組みのすべてのすべてが同じでござるぞ。魔釣りの身魂の浅知恵で小手先だけの対策を講じても、人間だけで何とかしようと致しても、ますます混乱して分からなくなるだけでござるのぞ。これ以上問題を創り続けてどうするお積もりか。
P240
 誠の平和、安全、自由、公平な世と申すのは、戦争も犯罪も病気も事件も差別も公害も問題も何も無き、嬉し嬉しの世のことを申すのでござるぞ。創るものでも守るものでもなく、初めからずっとあるべきものでござるのぞ。そなたらは、この方がそなたら人間に渡した、預けた調和の世を自ら壊して平気な顔をして居るのでござるぞ。軍隊創って平和を守ると申して居るが、平和な世なれば戦いはござらん。軍隊があること自体がオカシキことでござるのぞ。誠の平和と申すのは一〇〇%戦争無き世のことでござるぞ。攻撃も防衛もどちらも同じ屁理屈でござる。本来なれば、正当防衛等と申す、善人の屁理屈は通用せんのぞ。攻撃も防衛もどちらも神の世の調和を乱す悪の論理でござるのぞ。
 
 今の世でそんな理想郷は実現するはずはござらん、神が居るならば戦争を創る前にやめさせればよかったではないか等と申す、何でもかんでも自らのご都合よく考える、破壊を進歩と勘違いして居る、いまだ平和や自由を創れると思って居る、臭き魔釣りの身魂にはもう何もできはせんぞ。元つ真釣りのこの方の力無しではもう何も解結致さんぞ。この方が許さねばそなたはこの世には居られんのぞ。そなたが破壊の世を創ろうとも、最後の最後で創り直す仕組みを構えあるから、最後の最後に改心致せば宜しいから、今の今まで生かしてきたのでござるぞ。上から下まで魔釣りの神のマインドコントロールにまんまと嵌まって居るそなたらは、許せない認めない信じないありえない云々と自らのご都合主義でツベコベと屁理屈を申して居るが、何でもかんでも戦って悪を消そうとして居るが、すべてのすべてはそなたらが三千年の長きに渡り、歴史を通じてしてきたことのツケでござるのぞ。今のこの世に一人として自ら以外に責任転嫁できる者は居らんのじゃぞ。
P241
 今今のそなたらは、この方がおらねば何もできん身魂でござるのぞ。そなたら人間が自らの力で解結したものなど、ただの一つもござらんぞ。そなたらの申す二十一世紀の姿と申すのは問題ばかりではござらぬか。今まで問題ばかり創って来て居るそなたらに如何にして解結できると申すのか。そなたらの壊しに壊したこの世界、誠の真釣りのこの方の、誠の神の力がござらねば、新しき世には成らんのぞ。そなたら魔釣りにかぶれた人間には到底想像できぬが、ここまで壊したこの世界を、ミロクの世に変えるには、誠の神にしかできぬ、次元超えたる大掃除が必要でござるのぞ。何が起きるか探しても、そなたらのアタマでは分からんぞ。分かったところで真釣りなければ何にもならん。何を知ろうとも真釣りが無ければ無駄でござるぞ。アタマでっかちではミロクのドアはくぐれんぞ。
P242
 魔釣りで壊したホドケの世、いつまでも魔釣りの知恵で魔釣り縫って居らずに、早う真釣りに戻ってくだされよ。魔釣り縫ったその先は、すべてほどかねばならんボタンの掛け違いでござるぞ。そなたらの上から全体を見て居るこの方が、ボタンを掛け違えて居るぞと教えて居るのだから、今のうちに全部ほどいて初めから真釣りで縫い直してくだされよ。今ならまだ間に合うぞ。最後の最後で掛け違いに気づいてももう間に合わんぞ。最後の最後の瀬戸際でいよいよ誠の神の誠の力を顕す世と成りて居るのでござるぞ。魔釣りで腐ったアタマを下げてこの方の元に帰る時節となりたのでござるぞ。そなたらが待ちに待ちたミロクの天国が近づいて居るのでござるぞ。正直、素直結構ぞ。魔釣りは滅びぞ。

 このフミ読んでもまだ分からんと申す、魔釣りにかぶれた大ウツケでは、ミロクの民になるなどおこがましいぞ。最後の最後の大掃除でこの方の申す通りに得心行くまで身をもって教えてやるから、分からんと申すならば分かるように教えてやるから、それまで黙って控えておれ。そなたが何と申そうとも、神の掃除は計画通りに着々と進んで居る。魔釣りのそなたには何が起きて居るか何も見えんぞ。今見えんものを信じることが信頼と申すもの。今から始めねば間に合わんから、ギリギリでござるから、最後の掃除はそなたには耐えられんから、今から申して居るのでござる。この方の話は誠の誠の話でござるぞ。
P243
 この方の申す通りに真釣りに戻れば、肉の目には見えずともそなたにもだんだんと分かりてくるぞ。そなたが魔釣りの身魂でござりても、先に行くほど目に見えてくるぞ。肉の目に見えるようになりて慌てて逃げ回っても、この世には真釣り無きそなたの逃げる所はどこにもござらんぞ。身魂の掃除の出来具合相応に苦しむことになるぞ。身魂の掃除相応に楽に越せるのでござるぞ。すべてはそなた次第でござる。見えてからでは間に合わんから、見えんうちから申しておるのでござるぞ。こうして文字になること自体、そんなことはあり得ないと申すこと自体、肉の目で見て、心に映して見て居ることに気づけよ。文字で伝えて居るうちに、早く気づいてくだされよ。この方の申すことを素直に聞いてくだされよ。実地で形になったその時は、真釣り無き者には地獄の地獄の地獄となるのぞ。

 そなたの内の通りに外に映って居るのじゃ。そなたの内にあるものが外から来て居るのでござる。そなたが「そんなことは嘘じゃ」と申すから、外から来るものが変わらんのでござるよ。そなたが外と戦えば、外には戦う者が有り続けるぞ。そなたが戦うことをやめねば外は戦いだけでござるぞ。そなたが何でもかんでも戦おうとするから戦いを続けることになるのぞ。戦争反対と申して居るから戦争が有り続けるのでござるのぞ。そなたが戦いをやめても、戦いをしておる身魂がある限りは戦争と申す形は有り続けるぞ。そなたの外に形として戦争が有りても、そなたが戦いをやめて居れば、そなたにとってはただの映画になるのでござる。そなたが心を変えれば外が無くなると申して居るのではござらんから取り違いなさるなよ。そなたにとって戦争がただの出来事になるだけぞ。一人一人が戦いをやめれば、戦いは無くなってゆくのぞ。悪と戦うから悪が相手をしてくれるのぞ。
P244
 そなたは外を変えられる魔法使いではござらんぞ。そなたの外側を変えられるのはこの方だけでござるのぞ。この方にとっては自らの内でござるからな。そなたから見た外はこの方の内でござるぞ。そなたが変えられるのはそなたの内だけでござる。そなたが内を変えれば外が変わって見えるのぞ。そなたの内の通りのものをこの方がそなたの外に渡すのぞ。この方の内にそなたが居るから、そなたの内と同じものをそなたの外に渡せるのぞ。そなたの内もそなたの外もこの方の内でござる。そなたの想いは丸見えぞ。そなたの思う通りのものをそなたの外に見せることなど簡単なことでござるぞ。

 自らの内の掃除をせずに外から来るものに文句を申すそなたは何をして居るのじゃ。そなたはそなたの内を変えられる、そなたの神ではござるが、外を変えられる元つ神ではござらんぞ。そなたはそなたの現実を自由に創りだせる神でござるぞ。今のそなたはこの方がありてそなたの外を自由にできるのでござるのぞ。そなたの内の通りに外に成って居るのぞ。そなたはそなたの創造者でござる。すべてのすべてがそなたの思う通りに成って居るのでござるのぞ。そなたが戦いを創るからこの方が戦う相手を渡すのぞ。最後の最後はそなたの内が戦って居れば大変なことを体験することになるぞ。天地ほどいて時空一つにしてそなたが内に持って居るものをすべて一度に渡すのぞ。今のそなたには想像できんことでござるぞ。そなたがしてきたすべてのツケを一気にお渡し致すのぞ。そなたが内にあるものがそなたの外にあるのでござる。自らが自らを祓うことになるから覚悟致せよ。
P245
 そなたの肉の目で見えるようになって掃除を始めても、もう遅い。そなたがしただけ纏(まと)めて渡すから、今までツケにしただけ纏めて請求するから、最期の掃除は厳しいぞ。今今の修行にも耐えられんでツベコベ申すそなたでは、愚痴や文句や泣き言を平気で申すそなたでは、何でもかんでも神や人のせいにするそなたでは、とてもとても耐え切れん修羅の地獄と成るのでござる。この方には時空はござらんから、最期の掃除もミロク世も、既に創りてござるから、最期の地獄は今今のそなたらには可哀想で見て居れんから、今の今からしつこく申しておるのぞ。これは予言ではないぞ。この方の情けの予告でござる。これからそなたが体験することを、この方が予め教えて差し上げて居るのでござるぞ。
P246
 最後の最後の三歳苦難と申すのは、神から人まですべてのすべて、天地すべてを一気に開き、天地の穢れをまとめて祓う、今のそなたには想像できん修羅の地獄でござるのぞ。そなたがこの方の申す通りに素直に真釣りに戻れば、戻ったそなたに地獄はないぞ。今から掃除を始めねば、そなたはミロクの世で神成ることはできんぞ。ツベコベ申さずに、今の今からハラを括って身魂の掃除、洗濯してくれよ。そなたに死はござらんから、死を恐れておりては、本当に死んでしまうから、早う身魂の掃除を始めてくだされ。この方とて自らのお子を見殺しにはしたくないから、今からすべてを教えて居るのでござるぞ。いつまでも頑固で居らずにいい加減に親の申すことを素直に聞いてくだされよ。神の最後の頼みでござる。一人でも多くのお子がこの方の元に戻って来てくれよ。宇宙の始源のその時にそなたと交わした約束通り、神と共にミロクの世を遊ぼうぞ。

 ミロク世が近づいたこの時節、そなたらにはもう試行錯誤して居る暇はござらんから、そなたの肉の目、魔釣りで曇ったアタマでも分かるようにして要点だけを教えるから、美味しいところだけを渡すから、ミロク入試の勉強法と正解をすべて教えるから、神の秘密の情報をすべて公開するから、嘘や暗号やひっかけや騙し討ちはもう御座らんから、今まで身につけたすべての知識、常識、宗教、哲学、教育、法律等々の魔釣りの世の価値観、そなたの過去の体験は、すべてのすべてを一旦棚に置いて、身魂をすべて裸にして、今そこでゼロから出直せよ。そなたの肉は服でござるぞ。そなたのマコトの裸と申すのは魂のことにてござる。マコトの裸にならぬと、そなたはミロクの服は着られんぞ。肉の身の裸を恥ずかしいと申すそなたは、醜き臭き魔釣りの身魂でござるぞ。神成る身魂として、マコト恥ずかしき所業でござるぞ。そなたがどんなに隠そうとも、この方からは丸見えでござるのぞ。最後の最後は丸裸にして洗濯することになるから、今から洗濯始めろよ。
P247
 そなたが学んだ魔釣りの知恵で、どんな屁理屈申しても、神の仕組みは動かんぞ。神の世直しは待った無し。この方の計画はそなたらを産み生んだ時からすべて決まって居るのでござるぞ。そなたが真釣りを生きねば、最後の一厘は分からんぞ。真釣りを外した現(こ)の世の中に、魔釣りの神を産み生んで、魔釣りの者を引っかけて、不都合創って気づかせて、真釣りに戻す仕組みなり。そなた自身の魔釣りを映す外の悪を平気で裁き、自らは真釣りと思いこんで善人を気どり、悪をますます進め行く、気づかぬそなたが悪の種ぞ。魔釣りは滅びが神の掟ぞ。そなたが真釣りに戻らねば、現(こ)の世もろとも消え去るぞ。いつまでも魔釣りの神に囚われた宗教が語る誤った知識を鵜(う)呑みにして居ると、とんでもないことになるぞ。魔釣りの神もこの方の内でござるのぞ。そなたが真釣りに居れば、どんな神が現れようともそなたには何の影響もござらんぞ。そなたが魔釣りに居るからものの見事に引っ掛かるのでござるのぞ。そなたの外に見える悪と申すは、そなたの悪を映す鏡ぞ。

 そなたが真釣りでござるなら、そなたの外には何の悪もござらんぞ。そなたが外の悪を裁くならば、この方の申すことを嘘だと申すならば、そなたは魔釣りに生きて居ることを白状して居るぞ。そなたが外の宗教を裁くならば、そなたは魔釣りの者でござるのぞ。外の宗教を悪と申す、そなたの心を改めよ。悪の宗教裁くそなた自身が、調和を壊す悪の宗教の臭き教祖でござるのぞ。この方の構えしマ釣りの仕組み、ミロクを創る神仕組み、真釣りに戻す神仕組み、そなたらがどんな手を使おうとも、どんな悪企みを策略しようとも、そなたらのご都合ではどうにも変えられんのぞ。最後はそなたがそなたを殺すことになるから、よくよく心得ておきなされよ。そなたがしたことがそなたに戻って居るのぞ。そなたが真釣りを外したからそなたはこの方の申すことが分からなくなりたのぞ。何も見えなくなりたのぞ。自ら外した真釣りを戻すことだけが、調和を壊したそなたにできる、神に対するお詫びのお印(しるし)でござろうが。
P248
 元つ真釣りの神成る身魂であるそなたらに、真コトを教える神示が出ること自体がそもそもオカシキことでござると気付けよ。言わねば分からぬ魔釣りの身魂ばかりになりたから、そうなることは分かりて居りたから、最後の最後にマコトを出さねばお子が皆死んでしまうから、このフミを出すのでござるぞ。これもこの方の計画の内でござる。そなたらがすることは、この方の申す通りに素直に掃除をすることだけぞ。そなたが自ら歩いてこの方の元に帰ることでござるのぞ。そなたがそなたの魔釣りの知恵で、世界を変えようとすることではござらんぞ。そなたが壊した至善は何をしようともそなたらには元には戻せんぞ。この方は今の今もそなたらの世界を創りつづけて居るのでござるぞ。この方が何もせねば、そなたらの世界は一瞬のうちに無くなるのでござるぞ。
P249
 この方の創りだす資源は無限でござるのぞ。有限に見えるのは、そなたらが枠の世界で思考して居る結果、そなたらの内を見せる型示しでござるぞ。そなたらの内を映す鏡でござるのぞ。そなたらが自ら壊しておいて、有限にしておいて、エコロジーだ、ボランティアだ、省エネだ、倹約だ、節約だ等と申して、無駄を無くせ、壊すのは許せん等と申して、魔釣りの浅知恵で無駄な抵抗をして居らずに今あるものを使って自らの掃除をしてくだされよ。そなたらが世界を変えられるのではござらんぞ。この方がそなたらの内の通りに見せておるだけでござるぞ。最後の大掃除では、そなたらの力では何も出来ん。山火事をコップの水で消すようなもの。そのコップの水もとめてしまえば、そなたらは何もできんでござろうが。最後の最後はこの方が、すべての不調和、すべての偏り、すべての問題を一気に片づけるから、この方にとっては簡単なことでござるから、そなたらは心配なさってくださらなくとも結構ぞ。そなたらが自ら創った箱庭を一遍に壊して創りなおすようなものでござるぞ。そなたに掃除がなければ、そなたも一気に片付けられるぞ。そなたらにはもう何も解結できんから、後のことはこの方にすべて任せて、そなたは自らの掃除をしてくだされよ。すべてのすべてを自由にできるのは、この方だけでござるのぞ。

 外の大掃除をするのはこの方の役目でござるから、そなたらは自らの内の戦いをキレイサッパリやめてくだされ。戦うから外を変えようと思うようになるのでござる。そなたらが自然を支配するなど不可能なことでござるのぞ。真釣りのこの方を忘れて自らが何でもできると思っておる魔釣りの神々様に釣られて居るから、外を変えられると思い込む取り違いをするのでござるぞ。人も自然も含めて外を変えると申すのは、この方と戦うのと同じことでござるのぞ。魔釣りの神々様すらこの方と戦っても勝ちはないのぞ。そなたら人間がこの方と戦ってもそなたらの負けは明白でござろうが。そなたの外にあるものは人も自然もすべてのすべてこの方の創りたものでござるぞ。自らが壊したものを自ら直そうとするのは宜しいが、やり方がアベコベでござるから、ますます壊すことになるから、よけいなことはもうやめてくだされ。そなたの内の掃除をすることだけがそなたにできることでござるぞ。それがそなたの御用でござる。それが神の掃除を助けることぞ。大掃除のお手伝いでござるのぞ。神も人も助けることでござるのぞ。
P250
 そなた一人だけでも自立して、この方の、元つ真釣りの神々様のご苦労を少しは楽にしてくれよ。真コトに真コトの援助と申すは、助けると申すのは、物質で援助をすることではござらんぞ。そなたが自らの身魂の掃除をすることぞ。そなた一人でも魔釣りの世を出れば、魔釣りの常識を出れば、不調和が調和に向かうのぞ。そなたから見れば、自分一人だけではと思うかも知れんが、そなたには小さい一歩でも神にとっては大きな助けとなるのでござるぞ。そなた一人でも真釣りに戻れば、そなた一人だけでも自立してくれれば、聞き分けの無い悪餓鬼の世話が一人分なくなるのでござるから、親にとってはこれほど嬉しきことはないのぞ。そなたが自立をすることが親に対する恩返しでござるぞ。
P251
 誠に人を助けたければ、そなたが魔釣りをやめなされ。飢餓も環境破壊も戦争も身魂にとっては映画でござるぞ。そなたが「悪い」と思っておるから、そういうふうに見えるのぞ。そなたの心を映して見て居るだけぞ。人の歯の痛みは分からん。歯が痛いと申すのを聞いてそなた自身の痛みを創りだして居るだけぞ。自分がそうであるから人も同じであると思うのがそもそも取り違いでござるのぞ。飢餓の子供がどう感じて居るか、盲目の者が何を見て居るか、そなたが何故に分かるのぞ。すべてはそなたの一人芝居。悪い者は、可哀想な者は、そなたの方でござるのぞ。そなたらの持って居る金や教ではもう何も解結致さんぞ。真コトの御用の無き者は天神様の細道はとてもとても通れんぞ。そなたが身魂の大掃除を進めるほど、この方の掃除、神の大掃除に合わせてそなたは楽になって行くのでござるぞ。ミロクの入試の合格点は一〇〇点でござるぞ。満点だけが合格ぞ。満天ぞ。神が満ちるぞ。万はヨロズぞ。何でもかんでもすべて神でござるぞ。真釣りの神に戻らねば、ただの一厘足りなくてもミロクはないと申すことでござる。ミロクに持って行けるものは、肉の身脱いで掃除の済んだ清めたそなたの身魂だけでござるのぞ。悪の心も持っては行けぬ。いい加減な気持ちでは、真コトのイノチはござらんぞ。

 疑う心はキレイサッパリ捨て去って、裏の裏を探るようなことはもうやめて、このフミに書いてある通りに、この方の申す通りに、この者の申す通りに、何でもかんでもハイハイと素直に取りてくだされよ。批判、抗議、抵抗、反論、言い訳、策略、戦い云々の魔釣りの勝ち負けゲームは、もうそなたの為にはならぬのぞ。略奪が、戦いが当たり前じゃ等と屁理屈申して、いつまで同じことを繰り返して居るのじゃ。そなたは真釣りの世を壊す臭き魔釣りの極悪人でござるぞ。そなたは天国壊す悪魔でござるぞ。そなたが不自由でござればそなた以外の者を不自由にすることでもござるのぞ。調和を乱す犯罪者でござる。早くやめんと死刑でござるぞ。肉の身の死刑ではござらんぞ。身魂の死刑でござるぞ。身魂が死ねばそなたのイノチは消え去るぞ。そなたは永遠のイノチを自ら捨てるのか。後数年で無くなる物質の世の地位や名誉や世間体や財産や会社や評価や肉の命にこだわって、やったやられた取った取られたと大騒ぎして居ると、ミロクの世には行かれんぞ。そなたは身魂でござるのぞ。そなたの肉の身は物質の世の服でござるぞ。いつまで魔釣りの宗教の教えにしがみついておるのじゃ。死を恐れるそなたは死に向かって居るのぞ。
P252
 そなたが戦うこの方は、すべてのすべてを産み生んだ元つ真釣りの神なるぞ。そなたは誰を相手にして居るか分かって居るでござろうな。今までの神と同じだと思ったら大怪我では済まんぞ。肉の身の死では済まんのぞ。この方はそなたの身魂のイノチを握る、そなたのマコトの生死を握る、元の元の神なるぞ。この方の申す通りにそなたが生きればこの方は、ホトケの神でござるのぞ。この世で何が起きようとも、そなたの身魂は安全ぞ。何の心配もする必要はなくなるぞ。そなたが神の真釣りを壊す魔釣りを続ければこの方はオニとなるのぞ。何処に逃げてもそなたに安全はないぞ。たとえ霊界に逃げようともこの方からは逃げられん。そなたはこの方の中に居ることをお忘れ無きよう、改めてご注意申しおくぞ。そなたが神の掟を破っておいて、そなたが神の世界を壊しておいて、この方に逆らうとは何事ぞ。そなたが誠に謝罪する相手はこの方でござるのぞ。そなたが誠に感謝する相手はこの方だけでござるのぞ。全員犯罪人でござるから、人間の裁判は茶番なり。
P253
 そなたの夢をそなたが消すからそなたの夢は実現しないのでござるぞ。夢を語る者の話を裁く者、人の夢を壊す者、人の夢を否定する者は、神の世を創ろうとする真コトの民の邪魔を致して居るのでござるぞ。人の嬉しを邪魔するなどもってのほかでござるのぞ。そなたの心の葛藤はそなたがそなたと戦って居る証でござるぞ。そなたが戦うからそなたは自由にならんのぞ。いつまで続けても平和にもやすらかにもならんのぞ。そなたがそなたを不自由にしておいて、人の自由をねたむのは、人の夢を邪魔するのは、この方から見れば許し難いことでござるぞ。そなたらは、死者の冥福を祈って居るが、自らはちっとも幸福ではござらんではないか。そなたがそなたのしたいことを外の責任にしてやらんからそなたが動けんのでござるぞ。そなたの外がそなたをとめるのではござらんぞ。そなたの外の者が夢を壊すのではござらんぞ。そなたがそなたの理屈でそなたが恐れを避けてそなたを動かさんようにして居るだけでござる。誰にも文句は申せんぞ。
P254
 肉の身を持つ人間は、行動せねば何も形にならぬのぞ。心を形にする遊びが人間の人生でござるのぞ。そなたがそなたを疑えば、そなたは檻(おり)の中でござるぞ。そなたがそなたを疑う心がそなたの心を縛るのぞ。そなたが心を縛ればそなたは動けんのでござる。そなたがそなたをコントロールして居るのぞ。そなたがそなたを封じ込めて居るのぞ。そなたを封じ込める悪魔はそなた自身でござるのぞ。そなたがそなたを封じ込めるから、外の者に封じ込められることになるのぞ。そなたが誠に自由な者ならば、外の圧力は何も影響せんぞ。人のせいにしても、悪魔のせいにしても、悪霊のせいにしても、何も変わりは致さんぞ。悪魔のせいにするそなたの心が悪魔でござるぞ。そなたを不自由にするそなた自身の圧力を無くすことが自由の道ぞ。そなたがそなたの制限をすべて取り去ることぞ。そうすることがそなたが元の真釣りに生き戻るただ一つの道でござるぞ。

 神は一〇〇ぞ。完全ぞ。完全に自由ぞ。制限をすべて取り去れば神心ぞ。魔釣りの世では神心で動けば不都合も出るぞ。魔釣りは善悪の裁きの世でござるから、文句を申す者が居るぞ。損や怪我や病気もあるぞ。そなたのメグリ戻すまで、掃除する間は辛抱でござるぞ。そなたが神心で有れば、何が起きようとも一つ一つ善くなるぞ。初めは悪いことが起きることもござるが、段々に楽にして差し上げるから、辛抱肝心ぞ。そなたがこの方の申すことを一点なりとも疑えば、そなたは真釣りに戻れんぞ。そなたはミロクに生き返れんぞ。疑う心が魔釣りでござる。疑いとは損したくない者がすることぞ。損を避ければ魔釣りのままぞ。騙されて損して騙されなくなるぞ。魔釣りでござれば損もある。一時の損だけ見ておりては真釣りには戻れん。そなたらには時間がござるから、ある時だけを見れば損でござるが、大きく見れば損も得もござらんぞ。損して大騒ぎして居ると真釣りは遠のくぞ。一時を見れば破壊でござるが、大きく見れば再生への道ぞ。大我に入れよ。
P255
 戦う心は魔釣りでござる。人のせいにする心は魔釣りでござる。外の悪を裁く心が魔釣りでござる。そなたがこの書物を信頼できんと申すならば、何を読んでも構わんが、すべてのすべては一つでござるぞ。魔釣りも真釣りもマ釣りでござる。現れは逆でござるから、逆だと気づいて逆に替えれば魔釣りが真釣りになるのでござる。魔釣りを許して悪解(ほど)き、真釣りに戻す神仕組み。裏と表。裏になったり表になったりして居るのは魔釣りぞ。全く引っ繰り返してくだされよ。全部許すのが神ぞ。疑いか信頼か。信頼が神。真釣りに疑いあるのはオカシキことぞ。真釣りに戻れば損はござらん。そなたに悪なければそなたの外には悪はござらん仕組みでござる。そなたらは目の前のものだけ見て損だ得だと申すが、ちいせえちいせえ。どんと構えて大きな眼になってくだされよ。

 すべては真釣りに向かう道でござるのぞ。魔釣りも真釣りも裏表。真釣りの目で見れば魔釣りのものは一目瞭然。そなたが魔釣りでござるから、何でもかんでも真コトに見えるのでござるぞ。表はどんなものをもっておりても、地位や財産がありても、どんなに綺麗な肉身をもっておりても、どんなに知識をもっておりても、魔釣りの者でござればミロクはござらん。魔釣りのままでミロクを語る宗教では、自らの掃除をせずに神が救ってくれると申す宗教では、世俗を避ける宗教では、集団創る宗教では、ミロクの天国には行かれんぞ。現の世が世俗そのものでござるぞ。どんな山奥に出家しようとも、世俗からは出られんぞ。真コトの修行は日常の修行でござるぞ。楽なものには気をつけなされよ。
P256
 この方は、現の世ではどんな悪人でござろうとも、自らのお子全員にミロクの切符を渡すから、きちんと支払いをすればよいから、喜んで受け取ってくれよ。そなたが真釣りを生きることが支払いをすることでござるぞ。この方がそなたに渡した切符をどうするかは、そなた自身で決めなされ。ミロクの世界は宝の山ぞ。ウソ無きマコトの世ぞ。後数年で取り替えるこの物質の世で、どれほど物カネ山ほどありても、宝の山を掘り当てようとも、たとえ世界を征服しようとも、人類すべての独裁者になりても、身魂が魔釣りでござればそなたはミロクへは行けんのぞ。ミロクの世界は物質の組成が変わる世ぞ。今の物質の箱をキレイサッパリ交換するのでござるぞ。身魂を綺麗に掃除洗濯して、肉の身離れて物質の服脱いで、新しき服を着るのでござる。今の肉の身のままではミロクには行かれん道理。これを真コトかどうかと疑えば、この方の仕組みを疑うことになるぞ。そなたはうまくいかんから、神に頼むのでござろうが。すべては裏と表でござるぞ。ある瞬間は裏か表か何方か一つ。AとA-1でござるぞ。すべての瞬間を真釣りにしてくだされよ。今のそなたのやり方で一〇〇%うまくいかんなら、この方の仕組みが真コトでござるぞ。
P257
 そなたは善人も悪人も動物も植物も海も山もすべてのすべてが天国になれる仕組みを創れるのか。そなた自身は何を生み出したのでござろうか。そなたらはこの方の産み生んだ「有」の世界の中にこの方が産み生んだ身魂でござるのぞ。物質の世でのそなたは、肉の身も含めてこの方からの借り物しか持って居らんのぞ。食べ物もこの方の与えたものでござるのぞ。この方の「有」の性質を調べて応用して加工して居るだけぞ。人間が加工したものは人間が壊せるぞ。あるものはなくなるぞ。加工したものは壊せるぞ。創ったものは消えるぞ。鉛筆は消しゴムで消せるぞ。ダイヤはジェット水流で切れるぞ。秘密は表に出るぞ。隠してもばれるぞ。暗号は解けるぞ。ウイルスとワクチンのいたちごっこでござるぞ。この方は、そなたら元の元の元の「有」をすべて消し去ることができるのぞ。そなたらのココロの世界を目の前にお見せすることもできるのぞ。いつまでもハラの探り合いや情報合戦をして居っても、この方はすべてお見通しでござるのぞ。最後の最後に心の中のすべてをバラして差し上げるから、今の内から出しておく方が賢明でござるぞ。

 この方はすべてのすべてを変えることができる元の神でござるのぞ。すべてのすべてがこの方の仕組み通りに成って居るのでござるぞ。今の今も、そなたがこの方の申して居ることを疑って居るからうまくいかんのでござろうが。そなたが真釣りを取るために、魔釣りを見分ける真コトの眼鏡を渡すのが、このフミの目的でござるのぞ。そなたの見るもの聞くもの感じるもの、すべてそなたの心のままに映るのでござる。真釣りのフミを読んでも魔釣りの眼のままでござれば魔釣りのやり方に変わるのぞ。そなたが真釣りの眼鏡に掛けなおせば、すべてのすべてが変わって見えるぞ。そなたがこの方を疑えば、魔釣りのままでござるのぞ。そなたが疑うから見えんのでござるぞ。そなたは、見えんから信じられんと申すが、アベコベでござるぞ。神が先で人が後、心先で形後ぞ。そなたの見ておる形と申すは、そなたの心の姿でござる。そなたが「見えんから信じられん」と申すから見えんのでござるぞ。いつまでたっても「信じられん」と申すことになるぞ。簡単なトリックに嵌まっておるぞ。簡単なトリックではあるが、そなたの人生を支配することになる、すべてのすべてを変えてしまう大きな大きなカラクリでござるのぞ。そなたがこれに気づいてトリックを外さなければ、そなたの見方を変えなければ何も変わらんのでござるぞ。そなたが信じないから見えないのでござるぞ。最後はすべてお見せして差し上げるぞ。
P258
 そなたらは、運だ不運だと申すが、運とか不運がござれば、公平ではござらんではないか。この神が、偏った、不公平な世を創りたと申すのか。幸運の女神なる神は、何を基準に幸せに致すのでござろうか。そなたの魔釣りがそなたの不運の原因でござるぞ。運不運があることが不運でござるのぞ。運は一〇〇%運でござる。不運は一つもござらんぞ。そなたが運を無くして居るのぞ。運と申すのは「云(うん)」でござる。2(二)つの6(ム)でござる。66でござる。一二三(ヒフミ)を足せば六でござる。ヒフミが神でござるぞ。三の中に一と二があるぞ。霊心体でもあるぞ。一つでござるぞ。霊が体、神が人に現れておるのぞ。体は霊の、人は神の現れでござるぞ。「有」と「無」は同じぞ。「有」の世界は神の現れじゃと申すのと同じでござるぞ。「無」とは響きでござる。裏と表の神を足せば二つの「ム」でござるぞ。神と人で神世を創って居るのぞ。ムからウを有無(産む)のが神でござるぞ。運は神の道そのものでござるぞ。Aを1としてHIFUMI(一二三)を数字に置き換えて加えれば8+9+6+21+13+9=66でござるから、これも「云」でござるぞ。東洋も西洋も世界すべてをこの方が産み生んだと申すことぞ。この世には神の道しかござらんと申すもの。運を不運に変えるのは、そなたが歩む魔釣りの道でござるのぞ。
P259
 これをただの理屈と思ったら、語呂合わせと思ったら大きな間違えでござるぞ。この世が神の現れでござるから、この世のものはすべてのすべてが一つでござるぞ。この世のものを見れば神の仕組みが分かるのぞ。眼鏡が曇りて居るから見えんのでござる。見えない世界を創り出しておるのはそなた自身でござるのぞ。この方の申すこと、この者の申すことをただの理屈として片づければそなたには何も見えないのでござるぞ。手を変え品を変え、一つのことを教えて居るのでござるぞ。表面上の違いにこだわっておると大事な大事な一つが見えんぞ。元の一つが見えたら後はどんどん見えてくるぞ。この方はアレコレと申すが、一つのことを語る方便に過ぎないのでござるぞ。一つ一つに一喜一憂して居らずに、全体を見なされよ。森を見なされ。一つ一つにこだわらずに、全体の要点要旨を取りなされ。そなたが分かったことをその通りにやりなされ。この方の申す通りに見れば、別のものが見えてくるぞ。騙し絵、隠し絵のもう一つの答えを見せて差し上げておるのでござる。両方見えればいつでも両方見えるぞ。両面見て初めて全部見たことになるのでござるぞ。裏も表も全部見て、初めて神が見えるのぞ。そなたの神(紙)を全部引っ繰り返して裏を歩いて見なされよ。神が見えればミロクも見えるぞ。取った者は全部返せよ。
P260
 こう申しても、そなたは「難しくて分からん「難しくてできん」「そうは言っても現実は」等々と申すが、魔釣りの世のやり方にどっぷりつかったそなたには、初めからすべては見えんぞ分からんぞ。初めは怖く見えるぞ。不可能に見えるぞ。そなたがそう見て居る限り、いつまでたってもそのままぞ。今のままでは今のまんまぞ。そなたが分かったところから、そなたが取りたいようにとれば宜しいぞ。そなたが分かった通りにそのまま実行してみなされよ。思うだけでは何もならん。分かっただけではまだ半分。分かったら分かったことをすぐやりなされ。元々が幽霊でござるそなたらに、この世では何も怖いことはござらんから、今すぐ魔釣りをやめて真釣りの道に入りなされよ。やればやるほど見えてくるぞ。もう迷っておる時間はござらんぞ。行じることが掃除の鍵でござるのぞ。失敗して気付けよ。怪我して学べよ。やってから考えよ。肉体怪我して穢(けが)したもの清算ぞ。

 この方はそなたに無理やりさせることも、来させることも、追いかけることも致しておらん。そなたに真釣りを押しつけることは致さんが、神成る身魂のそなたらが歩むべき道は真釣りの道でござるのぞ。そなたが真コトに分かりたならば、そなたの歩む道は一つしかござらんぞ。初めからすべてうまくやろうと思えば魔釣りになるぞ。苦労もせんで初めから全部分かろうとするのは魔釣りぞ。教えてくれん、分かりにくい等と申すのは自分勝手でござるぞ。うまくいかなくしたのはそなたであるから一度にはうまくいかんぞ。そなたがしただけ返すのでござるから、損して怪我して病気して事故して失敗して掃除をしていくのでござるぞ。段々に善くなるのが真釣りの神のやり方ぞ。一度に善くなるのは魔釣りのやり方ぞ。善くなった分だけ一度にぶり返すぞ。病気直しや超能力の神には気をつけなされよ。そなたの肉体の病気は身魂の穢れの型示し。病気の元は身魂でござるのぞ。
P261
 そなたが創った病気を型だけ霊に治してもらおうと思うその心が魔釣りでござるぞ。医師や製薬会社を責めるのはオカシキことでござるぞ。肉体だけ修繕して治したと思って居る医師殿、身魂の穢れを直さねば、真コトに直ったとは申せんのぞ。怪我して損して病気になって身魂の穢れを祓うのぞ。祓うとは払うこと、清算すること、和(○)すること、差引き0(ゼロ)にすることぞ。霊に戻すことぞ。体主霊従を霊主体従に戻すことぞ。陽先陰後を陰先陽後に直すことぞ。+先-後、得先損後を損先得後にすることぞ。霊が基ぞ。霊の病気、霊の偏り、霊の障害を直さねば、ミロクの体は着られんぞ。身魂のリハビリを終えねばミロクの体には入れんぞ。そなたらは身魂の障害者でござるぞ。身魂穢したから肉体怪我したのぞ。そなたが体験するにつれて、一つ一つ分かってくるのが真コト真釣りでござるのぞ。この方の申すことを、今のそなたなりに自由に使ってみなされ。
P262
 この方はそなたが真釣りに戻りたいことは十分に知って居る。そなたの道がマ違っておればこの方が体験を通して教えるから、行き詰まりで教えるから、その場その場で教えて差し上げるから、将来のことをアレコレと段取りせずに、何が起きるか心配せずに、何もかにも心配せずにどんどん思った通りにやりなされ。計画せずとも計画通りになるのが真釣りでござるぞ。計画通りに行かんのは魔釣りの証でござるから、魔釣りの段取りはすべて捨てて、今今を素直に生きてみなされよ。今のそなたのすることは、まずは今までの世が魔釣りでござることを自覚して、真釣りに戻るを決めることぞ。決めたら真釣りを戻すまで、この方にすべてを任せて、何があっても続けてくだされよ。ミロク開くその瞬間まで耐えに耐えて魂磨いてくだされよ。任せると申してもお祈りだけでは駄目でござるぞ。そなたの心を素直に行じることが、この方に助けを請う信号でござるのぞ。日常すべてで行じることがカギでござるぞ。日常とは日の常ぞ。神の床ぞ。そなたの生活全部が神の世界でござるのぞ。実地に入った今今は、祈りや瞑想や読経や滝行や断食や祝詞(のりと)や参拝では何もならん。神示読んでも行じねば神の力は現れんぞ。

 魔釣りのそなたが真釣りに戻る始めは知ることからでござるが、アタマのお勉強だけでは何も分からんぞ。分かったつもりで分かっておらん。そなたの実にはならんぞ。そなたの生活の中にあるものすべてが生きている教科書ぞ。すべてのすべてがこの方が用意した教材ぞ。そなたの生活がそなたの真釣りの学校ぞ。真釣り遊びに戻すための、積んだホコリを掃除する罪(積み)を清算する刑務所ぞ。そなたの現(こ)の世そのものが学校ぞ。刑務所ぞ。そなたらの学校や刑務所は、相対二元の善悪の遊びの中の劇中劇でござるぞ。現場から、体験からすべて学ぶのが真コトの勉強でござるぞ。そなたが知識を実行して気づいて使って智慧と為すのぞ。毎日が予習、授業、復習、テストでござるぞ。この方の申す通りに素直にやれば、誰でもミロクに合格できるのぞ。神は普段の授業態度をみておるぞ。「勉強しているフリ」は通用せんぞ。魔釣りの知恵でアタマでっかちの者ほど、上に上がりていい気になって居る者ほど掃除は厳しいぞ。全部捨てて恥をさらして秘密をバラして赤子になって裸一貫ゼロからやり直せよ。1ではないぞ。0からぞ。アタマの善い者ほどアホでござるぞ。魔釣りの世のアホは真コトの賢者でござるぞ。
P263
 悪を一つでも裁いたら、苦を一つでも避けたら、そなたに真釣りはござらんぞ。そなたが壊しただけ、肉の身で痛むのぞ。痛みを避ければ自らのしたことの責任を取って居らんぞ。アタマでっかちではミロクの入口はくぐれんぞ。そなたのツケをすべて返せよ。借りを清算せねばミロクには入場出来ん。知識は行じて智慧となる。真釣りの知識を智慧にせねば、そなたにミロクの世はないぞ。応用できねばミロクはないぞ。掃除せん者がミロクのことを知っても無駄でござる。掃除する者は何も知らずともミロクの民に成れるぞ。先がどうなるかを知るより、神の仕組みを知るより、今今のそなたの心に素直に行動することぞ。知らずして知ることになる。そなたの知りたいことがだんだん分かってくるから、頑張りてくだされよ。分かろうとしなくても分かるのでござるぞ。今必要なものを一つ一つ知って行けばよいぞ。一つ一つの積み重ねぞ。体験から学ぶのが心と体が一つの証。神の仕組みの真コトなり。心を体で現す遊びが人間ぞ。身魂の矯正が必要なものばかりでござるぞ。真コト素直に行動せよ。一人一人が学校そのものでござるぞ。
P264
 真コトの幸せは一〇〇%。小さな幸せでは神ではござらん。真コトの民はミロクの完全な顕現を望んでおるぞ。うまいことやってほんの一部だけでも恩恵に預かれればよい、ミロクの一部でも得られればよい、ミロクに行ってから残りの一部を創ればよい等といい加減なことを申して居るととんでもないことになるぞ。そんないい加減な気持ちで真釣りに戻ろうとしても、そんなことではミロクどころではござらんぞ。そなたは地獄でござる。最後の最後は消滅するぞ。ミロクは初めから一〇〇%でござる。掃除はすべて完了して居るのでござる。ゴミを持っては入れんぞ。衛生管理はそなたらの半導体の工場よりも、もっと厳しいのでござるぞ。ゴミやホコリは一粒たりとも持ち込めんぞ。身魂の洗濯完了して居らねば、ミロクの服は着せんのぞ。ミロクに行く前に一〇〇%完了しておらねばならん。百ぞ。神に成らねばミロクはござらん。
P265
 神に成ったと同時にミロクでござる。ミロクに成ったと同時に神に成るのでござるぞ。裏の裏は表。裏と表は一つなり。すべて同時なり。表の裏を行動して裏に戻れば表なり。裏と表を一つにして表に返れば普通の人間ぞ。宗教家では今回の掃除は指導できんぞ。実地テストをクリアせねば実践指導は出来はせんぞ。教義だけ学んだ教祖では掃除のガイドは出来はせんぞ。日常生活で修行するのでござるぞ。人の世は神の世。神の世の映しでござるぞ。まずは自らの掃除が先ぞ。自ら動いて神が助ける、神人合一の共同作業でござる。やるかやらぬか二つに一つ。両方あれば魔釣りでござるぞ。迷いは魔釣り。我善しは魔釣り。九割九分九厘の成功でも駄目でござるぞ。九割九分九厘魔釣りでござる今のそなたは、真釣りに戻るは厳しい道乗りぞ。そなたの日常全部を真釣りにせねばミロクの世では生きられん。宗教では真釣りは取れんぞ。この方は妥協は致さんぞ。そなたがミロクに生き返るための、神の情けの親心。この方は我が子の為ならオニと成って差し上げるぞ。
今ここから真釣りの道乗れよ。ミロクは迫っておるぞ。ミロクのハコブネに乗り遅れんようにしてくだされよ。



元つ神からの最期の艮のフミ その五

P268
 この方が申すことは、もともとはそなたが自ら気づかねばならぬことばかりでござるのぞ。この方はそなたが魔釣りに走ることを分かっておりたからそなたが自ら気づけるような仕組みを構えておりたのぞ。そなたが自らすべきことをせずに、この方に何も渡せずにすべてを教えて頂くのでござるから、ツベコベ申さず素直に黙って聞けよ。この方が教えることは簡単でござるが、そなたがすべてを知ったところで、知っただけでは何もならん。知っただけでは借金をしたのと同じでござるから、知ったことを応用して、すべて使って、仕入れたものを出して、借りを返してくだされよ。そなたが真釣りでござるなら借りは一つもござらんのぞ。そなたは0(ゼロ)でござるから、出して入れて出して入れてでござるから、いつでも欲しいものは来て、いつでも与えるだけでござるのぞ。この方はそなたから取りたるものは一つとして無く、そなたが略奪致しても、与えるばかりでござるのぞ。この方の真意を知っただけではそなたがしてきたことの清算にはならん、掃除にはならんぞ。知ったものを実行せねば実を結ばんから、知って分かって安心して喜んで居るでないぞ。分かって嬉しければ、それを実行して初めて本当の嬉しになるのでござるぞ。嬉し嬉しの仕組み。

 知ることは苦労の始めの初めでござる。知ったことを実行して体験して身を以って確かめて、肉の身で確認して、自らの智慧と成るのでござるぞ。智慧となれば形も成るぞ。知っただけではアタマでござる。アタマをハラにおろして初めて実と結ぶのでござる。身で行じて実を結べよ。宗教や哲学では何もならん。分かったけれども難しい等と申しておりては何年勉強しようが目くそ鼻くそでござるぞ。そなたの身魂に必要なのは、知識ではなく智慧でござるぞ。心と体を一つにする実践でござるぞ。分かったことをすべて実行する態度でござるぞ。そなたは知ろう知ろうとしておるが、そなたが真釣りを外しておらねば、この方の申す通りに始めからなして居れば、すべて分かるのでござるぞ。分からんもの、不思議なもの、できんことがあることがオカシキことでござるのぞ。分からんこと、苦があることがオカシキことでござるのぞ。知らんことを教えてくれん、困っておる者を助けてくれんのは人間ではない等と文句を申すそなたは何をしておるのじゃ。分からん自分の恥を知れ。困った自分の恥を知れ。知ったらツベコベ申さずに、アタマを下げて実践なされよ。神成る身魂が何も知らんのはオカシキことでござるのぞ。そなたが魔釣りに奉られて、楽を求めて壊し行き、自らだけが上に行き、取って取って取りまくり、世を偏らせて迷惑かけて、神成る修行をさぼった分、しっかりと戻してくだされよ。真コトの天国に行くのは楽な道ではござらんぞ。
P269
 この方はすべてを生んだ元つ神でござるのぞ。すべてのすべてがこの方の化身でござるのぞ。すべてのすべてがこの方の申す通りに成って居るのぞ。この方は時空超えてすべての仕組みを構えて居るのぞ。今までの歴史も、これからの歴史も、ミロクの道も、この方の申す通りでござるのぞ。この方の申すことに反論できるのも、この方が許して居るからでござるぞ。反論致す、世界を壊す身魂は、最後の最後に掃除致すようにしてござるからそれまで好き勝手に泳がせて居るのでござるぞ。いつまでもいい気になって居ると、永遠に取り返しのつかんことになるぞ。何も申さずに黙って消しても善いのぞ。この方はそうした方が簡単でござるが、それでは可哀想じゃから、神の世壊し、迷惑かける犯罪者にも情けを掛けて、今の今まで生かし来たのぞ。そなたはツベコベ申せる身分ではござらんぞ。身のほどをわきまえよ。
P270
 この方は、すべてのカラクリを明かして知らせて居るのでござるぞ。この方の申すことを、嘘じゃ、マヤカシじゃと申すならば、そなたは永遠にアベコベのままでござるぞ。アベコベのままではミロクはござらん。そなたらの魔釣りの生き方の果てに、壊れに壊れた穢れに穢れた物質の世はキレイサッパリ終わらせて、真コト無き身魂は一人として入れん天垂敷き(新しき)世に取り替えるから、魔コト持ちたるそなたの身魂は後数年のイノチでござるぞ。そなたがこの方の申すことを嘘じゃと申すならば、そなたの申すことが誠でござるから、その通りにすれば善かろうぞ。わざわざこの方や他人に抵抗したり、反論したりする必要はあり申さん。そなたが正しいならば、そなたは正しいのじゃから、正しさを他人にもこの方にも証明する必要はござらん。神を否定するそなたは、この方に反抗して居るのと同じでござるから、そなたの身魂の真コトの親を無きものにして居るのじゃから、最後の最後にそれがどういうことでござるのかそなたの身をもって教えてやるから、その積もりで覚悟して楽しみに待って居れよ。修羅の地獄で会おうぞよ。
P271
 そなたの居る世界自体が、資源自体が、海山自体が、この方のお子でござるのぞ。そなたの居る世界自体がこの方のお子の神の現れでござるのぞ。そなたの肉の身を育む親でござるのぞ。そなたを育んできた神でござるのぞ。そなたはこの方に断りもなく、真釣りなく土を無断で掘って居るが、何をしておるのじゃ。真釣り無き者(魔釣りの者)に感謝なし。この方の申すことを疑う者は魔釣りでござる。土を掘ることが悪じゃと申して居るのではござらんぞ。何も知らずに我(われ)善し勝手に好き放題をして居る者が、この方のものを壊して居ると申しておるのぞ。そなたの肉の身もこの方の貸しものぞ。そなたの魔釣りを教えるために、病気や怪我の形にて、壊して傷めて居るのでござるぞ。自ら壊した肉の身を治して下さる医師のミスを責めるそなたが悪でござるぞ。何も知らずに壊したお詫びをせよ。お詫びするなら真釣りに戻れよ。モノを壊すのが悪ではござらんぞ。そなたの魔釣りが悪ぞ。

 神は一〇〇点ぞ。満天ぞ。百ぞ。桃ぞ。百の神(十)が百十(もと、元)の神ぞ。マコトの警察(百十番)はこの方ぞ。神の善が誠の善。調和が善ぞ。自分も人もうまく行くのが神のやり方でござるぞ。自分は善くて人は駄目と申すのは自分勝手ぞ。健全な体と申すのは肉の体のではござらんぞ。霊の体のことぞ。霊健康ならば肉も健康でござるぞ。魔釣りを生きておいて肉だけ健康に成ろうとしても無駄なことでござるのぞ。一時的に健康になっても最後の最後で壊れるぞ。霊の食べ物を整えることが先でござるぞ。肉の身の食べ物を整えても、霊が魔釣りでござるなら、何を食べてもご無念ぞ。菜食主義と申すが、肉食を避けて、制限して、何が自由でござろうか。菜食と申すのは、この方のやり方をせよと申すことでござるぞ。霊の食べ物とは考え方のことでござるぞ。真釣りに奉ればそなたは肉の身で何を食べても構わんのぞ。
P272
 四つ足(肉食)とは魔釣りのことでござるのぞ。肉食を避けるそなたの心が肉食しておる証でござる。四つ足は戦いでござるぞ。獣は戦いでござろうが。植物は満たし合いでござろうが。形の例えををそのまま鵜呑みにして玄米正食等と申しておるそなたは、最後の最後で肉を食わねばならぬぞよ。何でも食べられるようにしておいてくれよ。真釣りに生きよと申して居るのぞ。土のまんじゅうでござるぞ。土はこの方そのものぞ。+-で0(ゼロ)ぞ。この方の意志を固めたものが考え方の饅頭でござるぞ。土も饅頭。そなたに食べられんものはないぞ。食べてはならんものはないぞ。そなたの回りにあるものはすべてのすべてが神の化身。この方自身でござるのぞ。毒にしたのはそなたらの魔釣りでござる。毒が薬、薬が毒。毒も薬も無いぞ。一〇〇%真釣りならば毒はござらん、悪はござらん道理。

 この方は渡すだけぞ、何も強制はせんが、早う自ら気づいてそなたが壊した責任は取れよ。この方のやり方を真似ることが神心でござるぞ。お子や生徒に欲しく無いものを無理に食べさせるでないぞ。好き嫌いを無くせと申すのは、魔釣りをやめよと申すことでござるぞ。悪を裁くなと申すことでござるぞ。給食を全部食べろと申すが、食べ物の好き嫌いは後の後でござるのぞ。偏食を無くすのはそなたの方でござるぞ。偏食して居ると変色するぞ。霊が偏食して居るから体(色、現れ)が壊れるのでござるぞ。この方が、そなたに、無理やり一気に真コトを食べさせれば、そなたはとても耐えられんぞ。そなたは、苦しくてのたうち回ることになるのぞ。この方は少しずつ与えておるのぞ。そなたが食べられる分だけ渡しておる。食べるか食べないかはそなたの決めることでござるぞ。水の飲み場を教えることはするが、地図は渡すが、歩くのは、飲むのはそなたでござるぞ。
P273
 そなた自身が、霊が偏食しておいて体の偏食を語るではないぞ。人のすることなすことを点検するでないぞ。禁止するでないぞ。しては行かん行動と申すものはござらんぞ。そなたらが魔釣りと申す、神成る身として、してはいかん道を歩いたから、したら迷惑な行動に見えるようになったのでござるぞ。悪を止めるは、掃除の邪魔ぞ。そなたらはゴミを捨てるのは勿体ないと申すが、そなたがいらんと決めたものをゴミと申すだけでござろうが。そなたの肉の身を通して形を変えるだけではござらぬか。形を変えて流すだけのことぞ。この方は無限でござるから、いくらでも与えるのぞ。そなたらが止めるから止めて見せるのでござるぞ。そなたが溜めるから無くして教えるのでござるぞ。そなたらが使ったものは元はすべて土でござるから、神でござるから、汚いものや無駄なものはござらんぞ。ゴミと申すものは一つもござらんぞ。ゴミは御身、五実、神の体でござるぞ。汚いものや有害なものを創りだしたのはそなたらの魔釣りでござるぞ。そなたの魔釣りが臭きものでござるぞ。そなたらが臭いからゴミが臭いのぞ。この方の内にあるものが害であるとは何事か。この方が害を創ったと申して居るのと同じでござるぞ。そなたが害であると白状して居るのと同じでござる。悪は最期に全部掃除致すから、悪を止めるでないぞ。
P274
 自らの由(意志)で出来る者が真の自由人、自遊人でござる。失礼とは霊を失うことぞ。神を見失うことぞ。0(ゼロ)を、真釣りを、バランスを崩すことぞ。そなたがそなたに失礼なことをして居るのでござるぞ。失礼なことがあるのはそなたが失礼なことをしたからでござるぞ。そなたが魔釣りをして居るからでござるぞ。礼儀(霊儀、0気)はこの方に対する態度でござるのぞ。そなたに対する自分自身の態度のことでござるぞ。そなたが正(ただ)しいと申す通りにしたら反論や批判や抗議や疑いが必要になると申すならば、そなたの申すことは、永遠に自由にも平和にも天国にもならん、我(われ)だけ善しの、自分だけ勝手の、末は滅びる破壊のやり方でござるのぞ。善悪分けて、正誤分けて、戦い続く分離の世界を創り出す、永遠に調和にならん混乱の世を続けるやり方でござるぞ。魔釣りの理屈でござるぞ。グルグル回って始めからでござる。堂々巡りでござる。堂々巡りと申すのは、枠の中、制限の中に居る証でござるぞ。現界は時間の順序、空間の順序ある限界ではござるが、この方の申す通りにすれば、自由、平和、天国でござるのぞ。そなたらが天国を地獄にしたのでござるぞ。堂々巡りのやり方は、最後の最後はこの方の所に戻ってくることになるが、戻ってきたときにはもう間に合わんから、今から申して居るのでござるぞ。
P275
 この方のやり方を違うと申すならば、この方の「理論」を超える代案を出して見よ。すべてのすべてを説明できるフミを出してみなされ。それができないならば、素直にこの方の申すことをハイハイと実行していけよ。このフミは、この方の申すことを、この者を通して人間の言葉に翻訳して居るものでござるぞ。この者の勝手な独自の考え方ではござらんぞ。この方の申すことを一つの疑いも無く、そのまま文字にして居るのでござる。この方が、この者の真釣り戻しを手伝って、最後の最後に書かせたフミでござるのぞ。この者の書物と申すのはこの方の書かせたものでござる。そなたらから見れば、何冊にも分けて居るが、手を変え品を替え、同じことを申しておるだけぞ。この方から見れば、一冊でござるぞ。そなたらは、いろいろな形にせんと興味を示さんから、分厚い書物は読む前から敬遠するから、いろいろな目、いろいろな知識を持って居るから、いろいろな形で著して居るのでござる。一つ一つの文章にいちいち反応して居っては真コトは見えんぞ。

 自分の内も家庭も国も世界も宇宙も政党も教団も会社もミクロもマクロもすべて同じ仕組みでござるぞ。宇宙の仕組みも素粒子の仕組みも同じでござるのは、この方の内でござるからぞ。すべては円でござる、○、縁、霊でござる。神でござる。宗教と科学に分けるから○がCになって繋がらんのでござるぞ。そなたを中心に見ておることを自覚せよ。そなたの心眼で見えるものが宗教、そなたの肉眼で見えるものが科学でござるぞ。そなたが宗教を科学すれば、そなたの心を行じて行けば、現実が変わるのでござるぞ。Cが○になって流れるぞ。そなたが科学を宗教すれば、そなたの体に見える型示しを霊の原理に置き換えれば、すべての繋がりが見えるのでござるぞ。あの世を彼岸(ひがん)、浄土、極楽、理想、悟りの世と申し、この世を此岸、穢土(えど)、現実、迷いの世と申し、人間には悟りは開けない等と申して居る者は悪魔でござるぞ。生きて悟りの開けん者は死んでも悟りは開けんぞ。悟りとは差取りぞ。神の心と人の心、真釣りの心と魔釣りの心、真型と仮型の差を取ることぞ。神の心を実行することぞ。実行して得た智慧が覚りでござる。相対二元の善悪で善いことをした者が天国に行くのではござらんぞ。夢取り違いなさるなよ。
P276
 神と人が共に創るのぞ。神が外の掃除を致し、人が神の真意を伝える。神が居らねば人は神に成れず、人が居らねばミロクは出来ん。お互い様の持ちつ持たれつの誰も損をせぬ神人和合の世を創る世紀の大芝居、最期のハコブネを創る、史上最大の作戦(作船)でござるのぞ。神が人の居る世界を掃除してミロクの世に変えて行き、人が自らの内を掃除して神の内(人の外)に沿い和して共にミロクに向かうのぞ。それが神人和合の真釣りの道ぞ。真コト伝える真釣りの御用の身魂も魔コト進める魔釣りの御用の身魂も居るぞ。どちらもこの方の仕組みありてこの世に降ろしてある身魂でござるから、どちらも裁くではないぞ。そなたがどちらにつくかでそなたの行く末が決まるのぞ。魔釣りの身魂は自らが魔釣りであるとは気づいておらん。魔釣りの御用をして居る者は、自らが魔釣りでは真釣りには成らんことを早く気付けよ。人民をいつまでも地獄に勧誘して居るではないぞ。そなたは天国どころではなく、地獄でもなく、末は消え行く滅びの道を語って居るのぞ。行く末は集団自決でござるぞ。魔釣り教と申すカルト教団の集団自殺に行き着くぞ。真釣りの真コトが出たならば、魔釣りの御用は終わりでござるぞ。そなたらも早う真釣りに戻りなされよ。魔釣りを真釣りで真釣って嬉し嬉しのミロクに致す⦿仕組みでござる。
P277
 神はすべての形にあらわれておるぞ。顕す、表す、現す、露す、著すとは「アラ和す」でござるぞ。五十音はこの方の現れ。「ん」はこの方のすべて。この世の終わりの始まりでござるぞ。「ン」は「ム」でもあるぞ。「N」「M」「無」「夢」「六」でもあるぞ。すべての言葉の頭は「ン」から始まって居るぞ。すべての音は「ン」から始まっておる。ア行~ラ行まで一~九までを十(和、ワ)して、「ワ」ヲ(を)「ン」に、元の真釣りに戻すのが神の仕組みのミロクなり。「アイウエオ」が「アオウエイ」に成るぞ。「アイ」から始まった世が「アイ」が統べる世になるぞ。「AI」は1+9=10、十、⦿でござる。⦿から出て⦿が統べる世になるぞ。多数決では和はござらん。一人でも反対が居る社会は、神の真釣りの世ではござらんぞ。簡単な道理でござる。戦いが基じゃ、競争が原理じゃと申して居る限り、そなたらは真コト知らずに死んで行くぞ。そなたらがそう申して居るから、それを基にすべての仕組みを創りだしたのではござらんか。そなたらが申すことを替えねば、そなたらの仕組みはそのままでござるぞ。この方の申すことを聞かん限り、そなたらの地獄の遊びはもう終わりぞ。危なくして良くする仕組み。臭いものに蓋をしてもそなたらの蓋はこの方の材料でござるのぞ。心も物質もすべてこの方でござるのぞ。そなたらのありえない、ばかばかしいと申す思考もこの方の材料を加工したものでござるぞ。
P278
 そなたがこの方の申すことを嘘じゃと申すならば、そなたとこの方はアベコベのことを申しておるのでござろうが。そなたがうまくいかんなら、うまくいくやり方を探して居るならば、そなたはうまくいくやり方をして居らん。そなたとはアベコベの、この方の申すことがうまくいくやり方ではござらぬか。簡単な道理でござるぞ。反対、反対、抗議、抗議もよいが、そなたが反対をして居るから、何でもかんでも反対し続けることになるのでござるぞ。そなたの求めるものは何も得られて居らんではござらぬか。いつまで探しつづけるのじゃ。そなたが旅行を計画しても天候荒れば動けんでござろうが。そなたが家を修理いたして、自動車を点検いたしても、どこで壊れるかは自由にはならんでござろうが。そなたらにはこの方に逆らって自由はござらんのぞ。この方に従えば自由でござるのぞ。すべてのすべてが調和で出来ておるから調和に生きれば自由でござる。調和を乱せば不自由になって、乱したことに気がついて調和に戻せば、自由に成るぞ。それが⦿仕組み。

 「そなたら」も「そなた」も申して居ることは同じことぞ。「あなた」も「おまえ」も同じことぞ。表面上の言葉の違いにこだわって降りてはマコトは取れんぞ。「あなた」も「わたし」も同じことぞ。自分も他人も神も人も同じ仕組みぞ。このフミもそなたらの生活も同じことぞ。今ここから、ゼロになって、赤子になって、生まれ変わって0(ゼロ)歩から歩き直してくだされ。そうすることが真釣りに戻る一番の近道でござるのぞ。それが人事を尽くすことでござるのぞ。今までの常識がすべて逆じゃと申すのを聞いたならば、一つ残らずスッカリ入れ換えねば元には戻らんぞ。すべて捨てろと申すのは全部手放せと申すことでござるぞ。神は一〇〇ぞ。百ぞ。全部手放すのは難しいと申すならば最後の最後に手放させてやるから、待っておれ、大地震が一度に起きればそなたの持ちものなどひとたまりもないぞ。そなたの肉の身の命はこの方にしかわからんのぞ。
P279
 マコトは真コト。魔コトではござらん。魔と真、裏と表、愛と罪悪感、嘘の自分と本当の自分、疑いと信頼、相反するものは、ある一瞬には同時にあることはできん。そなたは毎瞬毎瞬どちらかを選んでおるのでござるぞ。過去も未来もござらんぞ。過去を見て過去を判断して結論を出して居るのぞ。順番に見ておるのぞ。繋がって居ると錯覚するから、そのまま残るのでござるぞ。そなたの心は時空がないから相反するものを同居して居ると錯覚するのでござるぞ。裏か表か二つに一つ。そなたのすべての瞬間に真釣りを生きることが真釣りに戻る、神心に成ると申すことぞ。自らの心を分けるのをやめて、すべての瞬間に真コトの心を素直に歩いてくだされよ。
P280
 今のそなたらは身魂の障害者でござるぞ。補助無しには自ら動けん心体障害者、自ら決められん誠心薄弱者、神の声が聞こえん聾者(龍の耳を持たん者)、自ら考えられん(自ら口に出せん)啞者、先の見えん盲者でござる。そなたらは身障者や病気の者を可哀相だと申すが、可哀想なのはそなたの方でござるぞ。自ら動けなくしておいて、困って居る者を助けてくれんのはオカシキことじゃと申し、自らのして居ることを知らずにタダ働きのボランティアを要求する、自分勝手な身魂でござるぞ。そなたが出来ん(しない)ことをしてもらうのでござるぞ。そなたが分からんこと(やれば分かること)を楽して教えてもらうのでござるぞ。楽した分、そなたの苦労と交換でござるぞ。タダで貰えばメグリを積むぞ。同意の上のタダなら宜しいぞ。見返り求める無償は無償ではござらんぞ。無償とは償いの無いこと、制限の無いこと、貸し借りゼロ、0(ゼロ)、真釣りのことでござるぞ。自らすべてできるのが真コト神民でござるのぞ。自らのことをすべて出来るのが日月地の神(一から十まで出来るヒト)でござるぞ。世界のことも全部できるのが元つ神(⦿、○十、㊉、田)なるぞ。限界に現れし障害や偏りは、そなたらの身魂のしておる姿(素型)ぞ。型ぞ。果ぞ。結果ぞ。現れぞ。偏見や差別を語るそなた自身が偏見、差別の持ち主ぞ。

 人を責めるそなたが口に出すことは自らのことでござるのぞ。自ら何も出来ずに、外を頼って人に任せ、うまくいかんとなれば文句を申し、自らは人に何も渡せずに、自らは何も提供せずに、自分だけによこせよこせと大騒ぎする、臭き魔釣りの悪魔なり。魔釣りの世を当たり前の世と申し、苦あるのは、花が散るのは、悩みがあるのは当たり前と申して平然として居るそなたが、そなたの外の悪を形にしてきたのでござるのぞ。そなたらのその態度を教えるために、この方がこの方の産み生んだものを壊して、そなたの外に形にして教えて居るのでござるのぞ。花もずっと咲きたいのぞ。花は十十(⦿、神)が化けておるのぞ。そなたの心を見せてくれておるのじゃぞ。すべてのすべての基はそなたの心でござるのぞ。そなたに教える型示しを、それがあるのが当たり前と申せば、それが当たり前であると申すそなたはそのままでござるから、その世の中が、その常識が続くのでござるぞ。そなたの心が形になるのぞ。そなたが態度を変えねば、見方を変えて動かねば、形はいつまでもそのままでござるのぞ。物質の世は後少し、早く真釣りに戻ってくだされよ。真釣りがミロクの生き方ぞ。掟ぞ。真釣り無き者は、今世で消え行く者ぞ。
P281
 早く解結しよう、楽しよう、怪我を避けよう、危険を避けようとなさるから、臭き宗教や超能力や予言者に引っ掛かるのでござるぞ。そなたが自立しておれば、そなたらが裁く宗教や犯罪や集団はそなたらの前には有り申さん。そなたが外を頼るから、需要があるから供給が形になるのでござるぞ。外にある悪者に文句を申す前に、外にあるものを潰そうとする前に、そなた自身の悪魔をつぶせよ。楽をしようとする心を捨てなされ。そなたが真釣りに戻れば楽になるのが当たり前ぞ。楽をするのではなく、楽に成るのでござるぞ。そなたが分からないことがござるのは、そなたができないことがござるのは、そなたの態度に原因があるのでござる。疑う心は悪魔を呼ぶぞ。信じる心は天使を呼ぶぞ。失敗はそなたの治療薬。被害はそなたのしたことのツケ。自分は悪くない、被害は悪魔の仕業じゃと申すそなたの悪魔をキレイサッパリ殺しなされよ。いつまでも悪魔と一緒に居っては、そなたに天国はないぞ。外を裁くのは筋違いと申すもの。
P282
 自然と共に居ると申すのは至善と共に、この方と共に居ると申すことぞ。太陽と共に起きると申すのはこの方の申す通りに生きると申すことぞ。規則正しく生活すると申すのはこの方のキ則通りに、キの足でキ足で歩くということぞ。声を出して読むと申すのは、そなたがその通りに生きることでござるぞ。神示を音読してばかりいても何も変わらんぞ。神示読んで分かったら分かったことを実行しなされよ。歩くことは生きることぞ。食べることとは生きることぞ。霊の食べ物を偏らせておいて、肉の食べ物を菜食にしてもそなたは偏って居るままぞ。肉食避けるがその証。菜食して肉の身が楽になるのは真釣りに生きれば身魂が健康になると教えて居るだけぞ。菜食して肉の身が健康になった積もりでおりても、そなたの身魂は臭きままでござるから、最期に偏った分をすべてお返し頂くぞ。

 こ度のことは、そなた自身のマコトのイノチ、身魂の生死がかかっておる、そなたの身魂の人生でたった一度コッキリの、一度超えたらそれで済む、最初で最後の大峠でござるのぞ。大峠を越える迄の冒険を、苦労を避ければ、楽を続けるそなたには、この大峠は越えられんぞ。ミロクへの大峠には生死の境はござらん。そなたの身魂の山登りでござる。そなたには危険なことはござらんぞ。危険なのは危険を避ける心でござる。そなたがこの峠を越さねば、そなたは永遠の死を迎えるのでござる。そなたのマコトの安全策は、この方の申す通りになすことぞ。表面の危険、悪、苦に惑わされるでないぞ。そなたのマコトの姿は身魂でござるのぞ。肉の身はこの方の貸し与えたそなたの服でござるのぞ。現界がどうなってもそなたの身魂が真釣りに戻れば、そなたのイノチはなくならんのぞ。
P283
 時節来たれば、そなたの登って居る登山道、そなたの生き居る現界(限界、幻界)と申す山野はすべて消え去るのでござるぞ。こ度の峠を越さねばそなたは消え去る運命でござるのぞ。死を避けて、危険を避けて、冒険を避けて、麓にいつまでも居るならば、そなたは消え行く身魂でござる。最後はそなたの尻に火をつけてでも登らすのが、そなたを天国に連れて行きたい親神の心でござるから、最後の最後はそうすることになっておるから、そうならないうちに早う自らの足で、自らの意志で歩き出せよ。後になるほど厳しくなるぞ。ミロクの道を歩くそなたには死はないぞ。肉の身の怪我や病気や被害は、そなたの試練でござる。そなたがそなたのしたことと自覚して歩くならば、そなたの肉の身がどうなろうと、そなたはミロクにたどり着くことができるのぞ。この方が案内するから安心してついて参れよ。そなたの服がボロボロでも、そなたが生きて居れば、新しい服が着られるのでござる。新しい服は真釣りの身魂だけへの贈り物ぞ。いつ大掃除が来るかと待つ心は悪の心ぞ。
P284
 「人事を尽くして天命を待つ」とは、真釣り戻しをすることぞ。そなたが真釣りを戻せば、そなたが今まで真釣りを外し、外に対してしただけの、怪我や苦労をさせながら、神がミロクへ導くぞ。被害者も加害者もござらんぞ。そなたの被害はそなたのしたことの結果でござる。そなたの被害を何かのせいに致せば、今までと同じことを続ければ、ますます被害が増えるだけでござるぞ。そなたは山道の途中で止まることになるぞ。今でもきつい登山道を自ら厳しく致すことと同じでござるのぞ。この方がきついなりにも楽な道を用意してござるのに、自らイバラの道にしてどうするぞ。

 そなたが旅の途中でした怪我を癒す時間もすべて計算してござるから、ミロクに間に合うようにしてあるから、一人一人のオーダーメイドの旅でござるから、慌てず騒がず、一歩一歩登って来てくだされよ。そなたの心がガイドでござる。そなたの外には近道の地図はないぞ。そなたの外にあるものは、表向きは楽そうに見えるが実際歩けば遠回りの危険な地図でござるぞ。見た目の楽に走るのがそなたらの癖でござるから、くれぐれも気をつけなされよ。先に行こうとする、浮かれたウサギに惑わされないでくだされよ。先に行きたい者は先に行かせてくれよ。そなたはそなたのペースで自分の地図通りに歩けばよいのぞ。慌てて間に合わんウサギに乗らず、龍宮城に案内するカメに乗ってくだされよ。


スポンサーサイト
カテゴリ
リンク
FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

最新記事
プロフィール

愚喇叭

Author:愚喇叭
関西在住
369屋

月別アーカイブ
最新トラックバック
最新コメント
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。