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神様からの手紙 その二

 
4 神様からの手紙 その二

P180
 これから語ることは「中つ神を含む宇宙すべてを生んだ元つ神」からのそなたへの最後最後の警告のフミであるぞ。そなたが今までやっていたことはすべて神のおきてとアベコベであったのぞ。そのまま今までのゲームを続けていてはほとんどの者に新しい世はこないぞ。これからこの方が真実の真実を伝えるから素直にココロして聞くのであるぞ。

 そなたがいるヒノモト(日本)のお土(おつち=国土)はこの方の御神体であるぞ。そなたが魂と肉体を持っているのと同じであるぞ。この方はすべてのすべてを創った親(おや)神(がみ)であるぞ。この方はヒノモトを創ってから世界を創ったのであるぞ。すべてのすべてはヒノモトから始まっているのであるぞ。ヒ(霊、日、火、一)が先であるぞ。世界も人間もすべて同じ仕組みであるぞ。そなたの魂はこの方の創った仕組み通りに体験するのであるぞ。そなたの魂というのはこの方の分身であるぞ。そなたがこの方の言うとおりにやれば天国ぞ。この方の言うことに逆らうと苦しみであるぞ。そういうふうに創っているのであるぞ。そなたの苦しみや悩みや問題はそなたがこの方に逆らっているからぞ。人のせいや社会のせいや制度のせいにするのは自分勝手なトリチガイ、それこそ迷惑であるぞ。神なければ人はないのぞ。魂が先で肉体が後であるぞ。魂が天国ならば肉体でも天国になるのぞ。魂が天国でなければ肉体の世界をいくらコントロールしても天国にはならないのぞ。人をコントロールしたり、文句を言ったり、批判をしたり、やめさせようとしたりしているそなたは自分勝手であるぞ。永遠に天国はないぞ。人間の創った勝ち負け自分よしのゲームで天国になっても死後に天国になることもミロクの民になることもできないのぞ。このフミは永遠の天国をそなたが体験するためのテキストであるぞ。皆が成功する天国の方法を書いたものであるぞ。そなたのシナリオを書き換える参考書であるぞ。
P181
 そなたが自分の回りに文句を言ったり、自分以外のせいにしたりするのはそなたの勝手な思い込みであるぞ。自分勝手であるぞ。天国創るこの方の言うことに逆らっているのであるぞ。そなたは神を知らない者に騙されているのであるぞ。この方のことを知ったら、人を騙すことや人をコントロールするのは自分の天国をなくすことになると分かっているから、人に口出ししたり、人を支配したり、人を責めたり、人を騙したり、人を教育したりしないのであるぞ。宗教はつくらないのであるぞ。一人ひとりの魂の状態が体験を決めると知っているからぞ。人をコントロールする必要がないと知っているからぞ。そなたは影の世界を変えようとしているのであるぞ。人を変えることはできないのぞ。相手がシナリオを変えたから形が変わったのであるぞ。取り違えするでないぞ。いつまでもこの方に逆らう教えにとらわれて混乱や葛藤を創りだしているでないぞ。文句言うのは迷惑であるぞ。口出しするのは迷惑であるぞ。自分勝手だと人を責める自分勝手は卒業しろよ。
P182
 そなたは自分の見ている影を消そうとしているのであるぞ。そなたがいれば影はなくならないのであるぞ。そなたが形を変えなければ影の形は変わらないのぞ。そなたの魂が天国でなければ形は天国ではないぞ。そなたのココロというのは肉体で魂の状態を見るための道具であるぞ。生きながらにして霊界が体験できるのであるぞ。そなたがココロで想像しているように霊界で生きているのであるぞ。そなたのココロが天国でなければ現界も霊界も天国でないぞ。現界が天国でないのは霊界が天国でないからぞ。そなたが外の責任にしているから外の責任になるのぞ。そういう幽界を創っているのであるぞ。そなたがシナリオを変えなければ何も変わらんのであるぞ。みんな同じシナリオでやるから取り合いに成るのであるぞ。みんな違うシナリオでやるから天国のパズルがはまるのであるぞ。人の行動はシナリオの結果であるぞ。○×創って形を同じにするのは自分で自分の首をしめているのと同じであるぞ。自分で制限を創って人のせいにする自分だけ勝手なゲームをしているのであるぞ。人の行動に口出しするのは人に自分のシナリオをやらせることになるぞ。人の言うことを聞くとその者のシナリオを生きることになるのぞ。そなたが選んだシナリオをそなたが体験しているのであるぞ。一人ひとりのゲームであるぞ。

 そなたの影を創っているのは太陽であるぞ。この方の神界があって霊界のそなたの魂があって現界のそなたの肉体になっているのぞ。この方は初めからあるのぞ。そなたの魂の状態が現界に現れているのぞ。そなたの肉体を通して見えるものはそなたの魂の世界のものであるぞ。そなたが魂の世界を変えなければそなたの現界は何も変わらんのぞ。そなたが肉体世界で学んだことを使って一番になったとしても、そなたの魂が天国でなければそなたは死後に天国にはなれんのぞ。ミロクの世界は半霊半物の世界であるぞ。ココロが肉体になるのであるぞ。そなたのココロが神のココロになっていればそなたはミロクの民になれるのぞ。そなたのココロが天国ならばその映しである現界も天国であるぞ。霊界も天国であるぞ。いつでもどこでも天国であるぞ。そなたから死の恐れは消えるのであるぞ。
P183
 そなたはこの方の構えるヒノモトの民であるぞ。世界中の人間はすべてこの方のお子であるが、ヒノモトの民であるそなたは世界の民の親であるぞ。ヒノモトの民であるそなたが親の自覚ないからすべてのすべてが狂ったのであるぞ。そなたが西洋文明の輸入と言って子のやり方を真似たからすべてがおかしくなったのぞ。そなたはこの方のやり方を世界の民に示す親であるぞ。人類は兄弟姉妹ではないぞ。ヒノモトのそなたが親で世界の民は子であるぞ。親と子の区別タテ分けを忘れ、すべてのすべてをまぜこぜにしたからわけが分からなくなったのぞ。世界の親としての自覚なき者は新しい世、ミロクの民としては失格であるぞ。今ここでヒノモトのこの方がすべてを伝えるからショウネを据えて聞くのぞ。

 ヒノモトの言葉はこの方の真意を伝えるためのシンボルであるぞ。五十音はこの方そのものであるぞ。この方の言葉を伝える文字であるぞ。この方は姿は見えないが響きで表に出ているぞ。そなたの想念と語るのであるぞ。この方は光であるぞ。この方の言葉は古語(=光語)であるぞ。この方はヒノモトの言葉を使って語るのであるぞ。そなたが知りたいすべてのすべては、この方の語る「神示」に書いてあるのぞ。この方は「神示」という形でこの方の御用をする人間を通してこれから起きることや神の法則を伝えているのであるぞ。そなたは「難しい」とか「バカバカしい」とか「ありえない」とか言ってこの方の語ることを素直に受け入れようとしないから、そなたは何も知らずに「滅びの坂道」を駆け降りているのであるぞ。ヒノモトのそなたがこの方の言うことを聞いて世界の民に見本を見せなければならないのであるぞ。それがこの方の望みであるぞ。それが世紀末を超えるための唯一の道であるぞ。そなたが親の自覚を持つことが肝心要の要石(意志)ぞ。
P184
 このフミは、そなたが地獄へ転落するのを最後の最後の崖っぷちで止めるために出されたものであるぞ。これはそなたが長い間探していた「真理」であるぞ。そなたという身魂が従わなければならなかった神の掟であるぞ。そなたはこの掟を外すと苦しみやトラブルを感じることになるのぞ。神は喜びしか渡していないのぞ。神の掟通りに生きれば、そなたは喜びだけなのぞ。そなたの回りは調和だけなのぞ。そなたに苦しみがあるのは、そなたが神の掟を外していることを知らせるために創った神の仕組みによるものであるぞ。そなたという身魂が神の掟を外せばそなたは滅びるだけであるぞ。この方が教えなければそなたはいなくなるのであるぞ。それが「神成る身魂」のルールであるのぞ。そなたは、苦しみを人の責任にしているが、それ自体が掟破りであるぞ。そなたは「不調和」を創りだしているのぞ。神の世界は調和だけのすべての民が嬉し嬉しの天国なのであるぞ。不調和創りだして平気な顔をして威張っているのでは神なる身魂とはいえないのであるぞ。不調和創りだす身魂は新しい神の世には生きられないのであるぞ。
P185
 そなたは形に現れている「悪」ばかりを責めるが、そなたが見ている悪はそなたの中にあるものであるぞ。そなたの中の悪を目の前の鏡に映しているだけであるぞ。そなたは悪を祓おうとしているが厄祓いをするならば、副祓いもすることぞ。否定的、肯定的という見方は神にはないのぞ。そなたが善を見ているのであればそなたには悪もあるのぞ。善人も悪人も同じことであるぞ。片方だけを祓うのであれば、そなたは偏っている証拠であるぞ。善も悪も偏見であるぞ。そなたが善人だというならばそなたは悪人でもあるぞ。そなたという身魂は「快欲」に囚われると自分ではそこから抜け出すことはできないのであるぞ。そなたは楽なもの、いいものばかりを見ようとするからぞ。苦しいもの、悪いものを排除しようとするからであるぞ。喜びだけなら喜びとも感じないぞ。やすらぎが神の世。

 この方の分身であるそなたという身魂には本来善も悪もないのぞ。そなたが善悪を分離しようとするならばそなたという身魂は分裂していることになるぞ。そなたは自らを分けているのであるぞ。そなたは何も言わずにほっといたら、滅びの道を辿るのであるぞ。そなたは楽を求めているから、善に偏っているから、この方が仕組みを創って反対の感覚である「苦」をもって知らせているのであるぞ。善の身魂には苦で教えなければ分からないからであるぞ。気づかないからぞ。そなたは苦を悪と決めているから、嫌なものを避けようとするからこの道理に気づかないのぞ。苦は天国へのお知らせであるぞ。矛盾に見えるがこのことを自覚せねばそなたは滅びるのであるぞ。魂が滅べば肉体どころの話ではないのであるぞ。死を怖がっている暇があったら神の言うことを聞けよ。この方の言うことはすべてのすべてがアベコベであるぞ。そなたがアベコベをやっていたからそう見えるのであるぞ。そなたが疑っていれば、いつまでもそのままであるぞ。永遠に天国ないぞ。
P186
 そなたは今まで、まったくアベコベのルールに基づいてモノを見て、行動して、決めていたのであるぞ。この方が語ることは、そなたの学んできたそのルールを全くアベコベに引っ繰り返すことになるものであるぞ。そなたから見ればアベコベであるぞ。この方がアベコベなのではなく、そなたがアベコベをやっていたからアベコベに見えるのであるぞ。表面上は「大掃除」のプロセス、タテカエのプロセスで、「-」が見えるぞ。そなたが神のルールとはアベコベの「あやま知」で創ったもの、守っているものが、崩れるからであるぞ。そなたはアベコベをやっていたのであるぞ。そなたはそれを手放さないと神のルールは分からないのであるぞ。次のものは来ないのであるぞ。「信じられない」というのは○×判断、保身であるぞ。今までの自分を守っているぞ。そなたは、神があってあるのものであるぞ。神に生かされている身に保身は必要ないのぞ。そなたが「死」と言っているのは「肉体」の死であって、そなたの死ではないぞ。そなたの「神の法則違反」が創りだしたものであるぞ。「死」を恐れるということ自体が「神の法則」違反をしていることの証明であるぞ。そなたが神のことを何も知らない証拠であるぞ。そなたが知らなかったことをたくさん聞かすからよく聞くのであるぞ。自分の無智を白状しているのを知っているか。
P187
 神の法則に従うことを「神に真釣ろう」というのぞ。「真釣り」というのぞ。神の法則に反することを「魔つり」というのぞ。両方とも同じ「マ釣り」であるが、全くアベコベの結果になるのぞ。「真釣り」は永遠の繁栄、「魔釣り」は永遠の滅びであるぞ。この方のヒノモトの言葉はこういうふうに違いが分かるようにしてあるのぞ。そなたは今まで「魔釣りの世」で生きていたのであるぞ。そなたが今持っているものは「魔釣り」のやり方であるぞ。そなたが今まで学んだものを持ちつづけると最後は滅びることになるのであるぞ。新しい世は神の世であるぞ。神の世は「真釣り」のみであるぞ。「魔釣り」はないのであるぞ。神が最後の最後に「魔釣ろう形」をすべて掃除するのであるぞ。そなたが「真釣り」に生きることを始めなければそなたには次の世界はないのであるぞ。

 神なくて人あると思うなよ。そなたはまず想念が先にあって行動は後であるぞ。魂が先にあり、肉体が後であるぞ。そなたは考えてから行動するのであるぞ。神が先で人が後、霊界があって現界(物理次元、物質世界、現実)があるのであるぞ。この順番をまぜこぜにするとすべてのすべてが狂うのであるぞ。天国を創るためにはこの方が創った順序通りにすることが必要であるぞ。そなたが「天地」と言っているのがそもそもアベコベであるぞ。この方がいる「元つ天」が初めにあったのぞ。次にこの方は「大地」を創ったのぞ。最後に大地を守護する「中つ天(小天)」を創ったのぞ。そなたらは「元つ天」と「中つ天」をまぜこぜにして「天」「地」としていたのであるぞ。この順番が狂えばすべてが狂うのであるぞ。神の法則に従えば、現界でも天国を体験できるのであるぞ。現界が天国でなければ、そなたは何らかの神の法則外し(真釣り外し)をやっているのぞ。自分がしたことを人のせいにしているのであるぞ。そなたには神成る身の自覚がないぞ。
P188
 人は食らう量限りあるぞ。天恵は無限であるぞ。「資源は有限である」というのは、あやま知であるぞ。この方は何でも創りだせるのであるぞ。そなたは「あやま知」を使ってそなたらを支配しようとしていた者たちに騙されていたのであるぞ。その者たちも自分たちが真釣り外しをしていることを知らないのであるぞ。最後の最後には両方ともアウトであるぞ。この方が今ここで教えているのであるから素直に改心しろよ。「あやま知」に基づいて創られる観念はすべて神の法則に反しているのであるぞ。だから、問題が生じることになるのぞ。そのままやれば永遠に天国はないのであるぞ。そなたはお金を集める商売にせいを出しているが、そなたが扱っているものはすべて資源がなければアウトのものばかりであるぞ。資源は神が創りだしたものであるぞ。「神はいない」「神は信じない」と言っているならば、資源を引き上げられたらそなたがどうなるか考えてみやれよ。お金が神になっているぞ。お金がなければすべてないような錯覚にとらわれているぞ。経済制裁が効くのは過ちの世だけのことであるぞ。神に真釣ろえば、お金の脅しは効かないことがわかるぞ。そなたが神に真釣ろえば、お金でも食べ物でも何でも与えるのであるぞ。魔釣りの世でも真釣りに生きることができるのであるぞ。一人ひとりが天国になれるのぞ。
P189
 「神を信じない」という者は何を信じるのか。そなたの本体は想念であるぞ。想念は神の分身であるぞ。想念というのは魂を肉体で感じているものであるぞ。そなたは「地の日月の神成る身(日月地の神成る身)」であるぞ。そなたは「神」に成る身であるぞ。そなたは神の掟に反することはできないのぞ。人間のルールは人間だけのものであるぞ。この方は神の掟を押しつけるつもりはないが、このフミをよく読んで決めろよ。このフミを議論しているのは「あやま知」に囚われし証であるぞ。今の世の道徳には、クサキものたくさんあるのぞ。そなたは苦があるのを当たり前と思ってないか。神は喜びであるぞ。神の世に悪はないのぞ。悪を見ているのはそなたぞ。苦は真釣り外しをしたそなたが創ったものであるぞ。自らが創ったものを外のせいにするからますます真釣り外しするのぞ。

 この本は「ハラ」が書いた本ぞ。「アタマ」にはチャレンジに見えるぞ。そなたが抵抗に感じるならば、そなたは「アタマ」で生きているぞ。アタマで着て、アタマで食べて、アタマで住んでいるのであるぞ。「アタマ」で学んだ知識で生きているのであるぞ。アタマで考えてもこの方の仕組みは分からないぞ。アタマでは一つにはならんぞ。アタマは二つに分ける知恵であるぞ。アタマの仕組みは左右アベコベであるぞ。アタマでやると逆になるのぞ。どっちが得か、どっちが楽かとやっているといつまでも神にはなれんのぞ。そなたは一つにならなければ神にはなれんのぞ。死して天国でなければこの世でも天国でないぞ。この方がこのフミで今までの「あやま知」を全部バラすから、明らかにするから、ツベコベ言わずに、黙って、シカと聞くのであるぞ。
P190
 このフミは人類史上初、神の智を人間というフィルターを通して語った「真理」であるぞ。すべてのすべての問題を解結する決定版であるぞ。「日月神示」「火水伝文」というのもこの方からのフミであるぞ。この本はその超訳であるぞ。「神示」を難しいといって避けている者が多いから、神のルールを体験した人間を通してあらためてフミを出したのであるぞ。神のルールに基づいてフツウの生活の中で修業をさせて、今までしてきたことが「あやま知」であり、神の言うとおりにすると天国になることを体験で確認させて書かせたものであるぞ。人間という証拠が必要ならば、神はそういう人間を派遣することもできるのであるぞ。この者はそういう御用をする者として生まれたのであるぞ。特別でも最初にやったからエライというわけでもないのぞ。前人未踏の森が安全であることを確かめて道を付けて戻ってきたのであるぞ。神の道の冒険をして、皆に伝える斥候(せっこう)であるぞ。この者の借金は研究費としてこの方が与えたものであるぞ。借金通して「お金が神」である世のあやま知を体験させたのであるぞ。神の研究成果発表して返済するプログラム。形は借金であるが、それも神の与えた道具であるぞ。借金に感謝であるぞ。
P191
 「火水伝文」とこの者のノートとは同時に出ているのぞ。この者は体験を先にさせて後から「神示」を与えて確認させたのであるぞ。体験が先で理屈(仕組み)が後ぞ。「あやま知」をすべて捨てないと、この方の仕組みは見えないのぞ。すべてアベコベなのぞ。「あやま知」を持ったままではこの方の言うことがすべて「オカシキこと」に見えるぞ。この方がオカシイのではなく、そなたがオカシキことにとらわれているのぞ。どっちがオカシイかではないぞ。そなたがオカシイのであるぞ。そなたがキ違いであるぞ。キが違うのであるぞ。そなたが考えている「気違い」ではないぞ。そなたは天国の方法を拒否して悩んでいるのであるぞ。地獄の方法を教える宗教に狂っているのであるぞ。この方を拒否すればそなたに天国はないぞ。そなたがキ違いであるぞ。この方に狂えば天国なのであるぞ。皆気違いであるぞ。皆狂っているのであるぞ。皆同じであるぞ。自分を正常だと思い込んでいる者は異常であるぞ。そなたの言う正常異常は数で決めているだけであるぞ。よりたくさんの人間が狂っている宗教の考え方が正常であるだけぞ。精神病はないぞ。

 そなたが天国に生きるには、「自分の中のお掃除」が必要であるぞ。「神の法則に従うこと」であるぞ。「価値判断」をするのをやめることぞ。「○×善悪正誤」を無くすことであるぞ。そなたの外側に映っているもの見て自分の内側を掃除することぞ。「人間の法則をお掃除すると神の法則が見える」のであるぞ。神の法則は始めからあるのぞ。あるものを曇らせているのはそなたであるぞ。これを疑ったり、批判したりすることは、今までのルールに基づくゲームであるぞ。そなたが「真釣り」を外しているから、苦を以って教えることになるのぞ。そなたが混乱しているのが、葛藤を持っているのが、反論しているのがその証拠であるぞ。この方が語ることだけが、そなたが本当の幸せ、平和、安らぎ、成功を創りだすための真実のルールであるぞ。この方の言うことを聞かないとどうなるかというのもこの方の語ることであるぞ。そなたの今までのゲームもこの方の言うとおりになっているのであるぞ。この方の言うことを素直に聞けばアベコベの体験ができるのであるぞ。みんなそろって天国ぞ。簡単な道理であるぞ。わかるか。
P192
 この方が語ることは、そなたが今まで神と言っていた神(中つ神々)を含む宇宙を創った(自らの中に生んだ)本人(「元つ神」)の言葉であるぞ。そなたが「神」と言っていた「中つ神」にも分からなかった仕組みであるぞ。今までは中つ神々自らが「快欲」にとらわれ、全能の神であると思い込んでいたからそなたらもそうなったのであるぞ。今までの神に聞いても何もわからなかったのであるぞ。聞けば聞くほど魔釣りが進んだのであるぞ。「元つ神」のルールは寸分の狂いもないのぞ。一人としてこの方のルールから出ることはできないのであるぞ。今の今は中つ神々にもすべて教えて改心させてあるから、これからは人間のお手伝いであるぞ。そなたが改心するならば、応援するぞ。そなたが「快欲」にとらわれ続けるならば、それも応援するのぞ。そなたにはすべての仕組みを教えるから、自分が何をしているかよく考えて、改心(改神)することであるぞ。神を変えることであるぞ。神カエルことであるぞ。神を変えなければそなたの体験は何も変わらないのであるぞ。我にカエルのは今までの考えであるぞ。この方が今ここですべてのカラクリを教えるのだからよく考えて行動することであるぞ。知らんという言い訳は通用せんぞ。
P193
 そなたが今まで信じていたルールは「あやま知」と言われるものであるぞ。「元つ神」の法則に反しているものであるぞ。元つ神のルールに反しているが、元つ神のルール通りでもあるぞ。「そなたのすることがそなたに返る」のであるぞ。「この方の言う通りにしなければ天国はない」というのもこの方の言うことであるぞ。そなたはこの方の仕組みからはでられないのであるぞ。この方に反抗してもこの方の言うとおりになるのぞ。どうするかよく考えて決めろよ。そなたは、今の今まで「快欲」にとらわれて、すべて「自分自身の保身、身欲」をもとに思考しているのであるぞ。そなたがやっているのは「自分だけ勝手」であるぞ。「あの人は自分中心だ」というそなたが「自分中心」であるぞ。そなたが言っていることは自分のことであるぞ。そなたが見ているのは自分の姿であるぞ。そなたがそなたの外側を見て感じること言いたくなることはそなたのことであるぞ。そなたの外側を批判するのはそなたを批判しているのと同じぞ。自分で自分を批判している一人芝居であるぞ。すべてのすべては神がしていることであるから、そなたは神を批判していることにもなるのぞ。神を批判してそなたの天国があると思っているのか。
P194
 この方の語ることを○×判断したり、疑ったり、気違いだ、アホだ、変だと言っているとしたら、怖いとか、不安だとか、良くないとか感じるとしたら、それはそなたが「あやま知」にとらわれている証拠であるぞ。そなたは「あやま知」のゲームの中にいるのぞ。この方はすべてを許しているのぞ。この方の許さないものは形にならないのぞ。そなたらがトンネルを掘ろうとして事故になるのはこの方が許さないからぞ。「悪」という形は、この方が許しているから存在しているのであるぞ。この方が許しているものを何故にそなたは裁くのであるか。「悪」を「悪」というのが「悪」であるぞ。「悪」を「悪」というそなたが「悪」であるぞ。そなたがこの方の言うとおりに聞いていれば「悪」は関係なくなるのぞ。「悪」が気になるのは、この方を無私している証拠であるぞ。外に頼るゲームをしている証拠であるぞ。外に頼るならば何が起きても外に文句を言うでないぞ。この方に真釣われば、そなたは何でもできるのであるぞ。人に頼って文句いうのは自分だけ勝手のご都合主義というものであるぞ。自分勝手でない者はいないのぞ。神の自分勝手を生きるならば皆がうまくいくのであるぞ。悪を裁くそなたが邪魔者であるぞ。

 この方は何も裁いていないぞ。いっさい裁いていないのぞ。この方はすべてを許しているのだから戒律はないのぞ。神のルールは「自分のしたことは自分で責任をとる」ことだけであるぞ。神の仕組みはそなたの選択通りにそなたが体験するように創っているのぞ。自業自得であるぞ。そなたがどんな体験をしようともすべてそなたの選択の結果なのであるぞ。外をコントロールしたり、外を制限したりする必要はないのぞ。法律はいらないのであるぞ。神のルールが分かったら、争いも犯罪もなくなるのぞ。できなくなるのぞ。それをしていると自分が危ないことが分かるからであるぞ。「裁く」というゲームは、この方が許しているものをそなたが裁いていることになるのぞ。そなたは何をしているのか。いい加減に裁くのをやめないとそなたが地獄に落ちることになるぞ。神が落とすのではないのぞ。そなたが落ちるのであるぞ。自分の苦の原因が外にあると思っているから、外の悪を裁くことになるのぞ。外の悪をやめさせる必要があると思うことになるのぞ。そなたがしていることであるぞ。外の悪とそなたの体験とは関係ないのぞ。裁判官様、警察官様、自らのしていることが何かをかえりみられよ。そのままでは皆終わりであるぞ。
P195
 「人間として許されないこと」などというものはないのぞ。そなたは身魂であるぞ。人間というのは身魂が肉体を通して体験しているゲームであるぞ。そなたの肉体はそなたという身魂の服であるぞ。そなたが物質の世界で遊ぶためのぬいぐるみであるぞ。そなたは身魂であるぞ。身魂は神の分身であるぞ。自分で責任をとれば何をしてもよいのぞ。外を責めるのは責任をとっていない行動であるぞ。そなたがこの方のルールに従えば外をコントロールする必要はなくなるのぞ。人のすることを「するな」「やめろ」というゲームはいらないのぞ。人間として許されないことがあるなら、人を裁くことであるぞ。人に口出しすることであるぞ。そなたは神成る身魂であるぞ。人間というのは神になる身魂であるぞ。神のルールに反することが「人間として許されないこと」であるぞ。許されないことをすれば、そなたが苦しみを感じるようにしてあるのぞ。誰も裁いていないのぞ。自分のことは自分で責任をとるのであるぞ。「人を裁く」というのは、「人のコントロール」というのは、「あやま知」をもとに生きている人間が創りだしたルールであるぞ。人間の恐れが創りだした幻想であるぞ。今のままでは自分自身が神に成れないぞ。
P196
 そなたが、神を否定するとしたら、そなたは○×をやっているだけではなく、自分より大きいものを否定するというオカシなゲームをやっているのであるぞ。そなたが否定しているのはそなたが創ったものであるぞ。そなたはこの方の中にいるのぞ。なぜにそなたがこの方を見ることができるのか。そなたが宇宙を見ることができないのと同じ道理であるぞ。そなたが宇宙を否定したらそなたはいないのぞ。そなたがこの方を否定したらそなたはいないのぞ。そなたが否定しているのはそなたが創った神であるぞ。この方を否定したいならしてもよいが、そなたはこの方の言うことにもとづいて苦しみを感じつづけることになるのぞ。そなたが選んだ通りにそなたが体験するだけであるぞ。最後の最後は天国はないぞ。そなたは天国の方法を否定しているのぞ。どうしてもやりたいならばお好きなだけやればよいぞ。そなたの人生はそなたが選ぶものであるからな。そのかわり、そなたが体験していることはそなたが選んだことを忘れるでないぞ。人を責めたり、グチグチと文句を言ったりするならば、そなたは神成る身魂としては失格であるぞ。
P197
 この方の法則とこの方を知らぬ人間の法則は裏と表、どっちか一つであるぞ。この方を体験した人間の法則はこの方の法則であるぞ。人間の法則から手を放さないと、この方の法則は見えないのであるぞ。「二十一世紀は国際化社会だから英語を学ぶのが大事だ」とそなたらは言うが、それは誰に聞いたことぞ。「国際社会になる」と決めているのは誰であるか。神は英語を学べなどと言った覚えはないぞ。「英語」という言葉は、今までの人間のゲームで、肉体同士の会話だけで通用するものであるぞ。ミロク世になれば今までの言葉はいらんのぞ。ミロクの世はココロが見えるのぞ。ココロが体になるのぞ。ミロク世になれば、光でその人の位が分かるのであるぞ。全部見えるのぞ。ウソというものはないのぞ。ウソを付けないのではなく、今のそなたが想念で創ったものがそのまま見えるのであるぞ。そなたのココロがすべて見えるのぞ。魂が肉体になると思えばよいぞ。これはそなたがアタマで考えてもわからんことであるぞ。自分の学んだ言葉でココロの掃除せよ。

 ココロというのはそなたの魂の言葉を肉体で感じているものであるぞ。ココロ(想念)が肉体であるから、思った瞬間形になるのであるぞ。そなたの想いが即、形であると思えばよいぞ。想いと形が一つであるから、ウソはつけんのであるぞ。そなたのココロが肉体になるのであるぞ。英語というのは肉体と肉体での翻訳であるぞ。意識や想念のイメージ(想い)は日本人もアメリカ人も同じであるぞ。表現の形が違うだけであるぞ。次の世ではイメージそのものが見えるから、言葉は必要ないのであるぞ。「自動車=CAR」という勉強は卒業しろよ。言葉と言葉の翻訳は意味がなくなるのであるぞ。言葉というのは今の世界だけで必要な道具であるぞ。言葉の通訳は通訳がいるから通訳に任せればよいぞ。そなたは自分の言葉で神の言葉を学ぶことであるぞ。掃除することぞ。外国語を学ぶより神の言葉を学べよ。この者のノートも、この者の語っていることも、このフミも、すべてこの方の言っていることであるぞ。すべて言った通りになるぞ。言った通りであるぞ。神に偽りなし。この方が言うことがその通りになるかどうかを試してやろうとして外を見ている者は最後の最後で大掃除されるぞ。そなたが自分の大掃除すればわかることぞ。
P198
 そなたには過去や未来というものはないのであるぞ。過去も未来も人のことも社会のことも、そなたが今語っていることは、すべて今この瞬間にそなたの基準でそなたが創っているものであるぞ。そなたが想像していることをそなたの肉体で翻訳しているだけであるぞ。そなたが見ているのは目の前にある形だけであるぞ。目の前のその形には決まった意味はないのぞ。そなたは想像の世界でアレコレ創りだして、アレコレ決めつけているだけであるぞ。そなたは過去のことか、未来のことか、人のことか、仮定のことか、今この瞬間以外のことを語っているぞ。そなたが心配しているのはそなたが創った幻想であるぞ。まだ起きていないことをそなたが勝手に心配しているのぞ。もう終わったことを勝手に後悔しているのぞ。そなたは今この瞬間を連続して体験しているだけであるぞ。そなたは自分で自分の体験を勝手に決めているぞ。あるわけがないと決めているぞ。もし、もし、と言って勝手に都合よく物語を創ろうとして悩んでいるのぞ。したことは消えないぞ。
P199
 そなたが語っている「○○さん」というのはそなたが創ったその人の姿であるぞ。そなたが見ているものはすべてそなたが創ったものであるぞ。そなたがそなたの基準で目の前のものを見て勝手に解釈しているだけであるぞ。そなたが語っている社会というのはそなたが創った社会であるぞ。社会は不況ではないぞ。そなたが不況に見えるやり方をそなたが選んでいるのぞ。そなたが選んでいるやり方でやると不況になるのぞ。不況をどうにかしようとするともっと不況になるぞ。不況が恐怖になるぞ。そなたのやり方は最後の最後はすべてアウトであるぞ。集団自決であるぞ。悪の芽、悪の糸はもう切ってあるのぞ。今までのやり方がまだ続くように見えるのは最後の最後の大掃除のための舞台作りのためであるぞ。いつまでも今までのやり方が続くと思ったら残念がでるぞ。人間ゲーム卒業ぞ。

 そなたはこの方が構えた「情けと花の仕組み」を知らんから不安になるのぞ。この方の仕組みを知らんから自らの真釣り外しのお知らせである「苦」を自分以外のせいにできるのぞ。そなたは楽をしようとするから苦で知らせるのぞ。自分以外のせいにするとますます真釣り外しをすることになるのぞ。そなたは自分で自分を苦しめているのぞ。自分が自分で苦しんでいるのに自分以外のせいにするとは何事であるか。神なる身の自覚なきもほどほどにしろよ。そなたは掃除終わっていないから病気や苦しみやトラブルがあるのぞ。自分がどうなるかと心配していると永遠に掃除終わらんぞ。心配することは魔釣りぞ。自分だけ勝手であるぞ。心配やめると真釣りになるぞ。そなたを通して神がやっていることを何故にそなたが心配するのか。この方は喜びを創るだけであるぞ。喜びを創ろうとしているこの方の言うことを心配するというのはどういうことであるか考えよ。
P200
 文句、不安、心配、責任追及、勝ち負け損得ゲームは「あやま知人間」のゲームぞ。そなたが自分で自分を苦しめているのに気づかん限り、そなたは文句言いつづけるぞ。そなたは心配し続けるぞ。そなたは人を責めつづけるぞ。トラブルや問題や悩みや葛藤や不調和を創り続けるぞ。それはこの方の望みではないのぞ。そなたが人の責任ゲームを続けている限り、そなたに天国はないのぞ。そなたはそなたの首を自分で締めているのぞ。早く気づかんとそなたが危ないのぞ。回りにも迷惑であるぞ。迷惑だというそなたが迷惑であるぞ。回りには何の責任も何の問題もないのぞ。そなたがそういう見方をしているだけであるぞ。そなたが見ているものはそなたの姿であるぞ。この道理わかるようになれよ。

 この方のやり方を生きることを決めた者は、どこまでもやり通せよ。そなたを悪く言う者は人の責任ゲームをやっている者であるぞ。そなたが気になるというならば、そなたも人の責任ゲームをやっているぞ。罪悪感はいらんのであるぞ。無私してよいのぞ。悪く言われておけよ。気違いに成っておけよ。悪者に成っておけばよいぞ。そなたがキチガイの見本になるのぞ。キチガイになりたい者の前例になるぞ。モデルになるぞ。この方の生き方をしたい者がそなたを見て安心するぞ。キチガイが増えれば神の世は近くなるぞ。キ違いになれば、神が入るぞ。キが違うのぞ。狂っているのではないぞ。神のキがはいるのぞ。キが違うと人生が変わるのぞ。喜びを創るこの方の言葉を拒否しているそなたの方が狂っているのであるぞ。そなたが言っている言葉はそなたのことであるぞ。キはシナリオ。
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 この本は神の真理を書いたものであるぞ。初めて明かした真理のテキストであるぞ。掃除の教科書であるぞ。普通の生活の中で、日常の出来事を材料にして掃除をするためのバイブルであるぞ。ハラが語る真実ぞ。宗教、法律、教え、全部今までのゲームであるぞ。神はチャネリングぞ。人間みんなチャネリングしているぞ。霊界と現界は合わせ鏡ぞ。霊界にあるものが現界にあるのぞ。霊界に山川あるから現界に山川あるのぞ。これが真実であるぞ。霊界と現界はアベコベであるぞ。現界の形だけ見ていると霊界が見えないぞ。霊界で起きていることが現界で形になるのであるぞ。そなたは霊界と現界に生きているぞ。そなたの姿が映っているのが現界であるぞ。そなたは鏡を見ているのぞ。そなたが見ているものはそなたであるぞ。善悪損得○×責任、ぜんぶそなたが持っているものであるぞ。そなたが持っているものを映しているだけであるぞ。この道理わかれよ。
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 「君が代」は霊と体、気と身、キとミの代であるぞ。キミの世であるぞ。キとミが一つにナル代であるぞ。千代に八千代にさざれ意志のイはオとなるのぞ。アイウエオがアオウエイになるぞ。イはオとなるのぞ。アベコベになるのぞ。こけのむすまで永遠に神の代になるのぞ。「君が代」は戦争の歌ではないぞ。神のお知らせぞ。国歌はこの方の歌ぞ。国旗はこの方の旗ぞ。日の丸はヒ(霊)のマル(○)ぞ。ヒ(一)のマル(○)ぞ。十であるぞ。神のしるしぞ。ヒノモトのしるしぞ。国旗国歌の是非を論じるのはあやま知のゲームであるぞ。そなたの思惑で、そなたの都合で勝手に意味を付けているぞ。そなたらの善悪で自分勝手な理屈を創って争っているぞ。世界のありとあるものすべてが神の現れであるぞ。すべてが神ぞ。神の型示しぞ。この方はすべてを形にして教えているぞ。型で教えているのぞ。真実を明かしているのぞ。この方の言っていることを聞けば見えてくるのぞ。この方の言っていることを聞かなければ見えないのぞ。この方の言うことを聞くか聞かないか二つに一つであるぞ。この方の言っていることを素直に聞けよ。この方の言うことを人間心出して判断するなよ。そなたが滅びるぞ。イザナギとイザナミが一つになるぞ。ヒノモトの童謡や昔話はこの方のメッセージであるぞ。「カゴメ、カゴメ、カゴの中のトリ(十理、神のコトワリ)はいついつ出やる、夜(「やゆよ」が明ける晩、らりるれろの世界が)明けの晩に、ツルとカメがすべった(統べった/滑った)後ろの正面だーれ。」そなたの後ろの正面がそなたの前に映っているだけであるぞ。烏はトリにあと一歩の鳥。
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 いよいよ三歳苦難のタテカエタテナオシが迫っているぞ。一気に一度にメグリ渡して大掃除してもらうぞ。掃除さぼれなくなるぞ。掃除終わるまで休憩ないぞ。今なら少しずつできるぞ。休憩しながらできるぞ。だんだん厳しくなるぞ。今までの「人の責任ゲーム」や「あやまつ形」はあと二年で終わりであるぞ。あやまつ形を大掃除する仕組みが形になるからぞ。そなたが「人の責任ゲーム」をやろうとすると苦しくなるぞ。そなたにはもう後がないのぞ。三歳苦難のタテカエタテナオシの三年の間、神は一切手出しせんのぞ。掃除できていないと苦しいぞ。そなたが掃除できていれば助けることができるぞ。掃除なきものは新しい世界には行かれんのぞ。そなたのメグリをすべて清算するまではそなたは楽にならないぞ。神の仕組み知ってその時にまとめて掃除して天国になろうとしても無駄であるぞ。そなたのメグリを、真釣り外しをすべて清算するまでは天国にはならんのぞ。今なら今ここで始められるぞ。そなたの自覚大切ぞ。そなたが天国にいくも地獄にいくもすべてそなた次第であるぞ。自分のことであるぞ。人ごとではないぞ。自分で決めよ。

 このフミもこの者の言うことも神示の受け売りではないぞ。この者が体験を通してその後に出した実践神示であるぞ。この者にとっては、神示は後から来たのぞ。この方の声と知らずに、神を知らずに、何が何だかわからずに、回りの抵抗の中で自分の直感だけに従って、この方の声に従って、先にやって、先に掃除して、タテカエタテナオシのすべてのプロセスを体験しているのぞ。体験してから神示で確認したのぞ。そなたは神示読めばすべて分かるのぞ。神示読まん人間多いから、神示を敬遠する者が多いから、最後の最後の大サービスとして出したフミであるぞ。この者の体験というフィルターを通して、特別な形ではなく、トランスチャネリングではなく、人間に分かるように人間の体験として人間の言葉で伝えているのであるぞ。これ読まなければ神避けるそなたは何もわからんぞ。
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 そなたらの議論している「二十一世紀に向けて何をどうすればよいか」というテーマに対する答えは、今のそなたらは持っていないのぞ。そなたらの考えているような二十一世紀はもうこないのぞ。マルチメディア社会も高齢化社会も国際化社会ももうこないのぞ。情報化社会ももう終わりであるぞ。エイズや環境破壊や臓器移植や犯罪や平和や差別や不平等やイジメや景気をどうするかを議論しても意味ないぞ。そなたらのアタマで議論すればするほど分からなくなるぞ。ますます問題が深刻になるぞ。「解決」しようとするほど「解結」しなくなるぞ。どんどん問題を創りだすだけであるぞ。今ここで形になっている「不都合」や「不調和」や「問題」というのは、すべてのすべてが今までそなたらが学んできた「あやま知」で動いた結果として創りだしたものであるからぞ。すべての出来事、体験は、今の今までそなたらが今持っている「神の仕組みとアベコベのモノの見方」を行動した結果であるぞ。議論というのは「あやま知」そのものであるぞ。同じやり方では同じものしか創りだせんのであるぞ。今までのやり方は不調和、不都合、トラブル、問題、不平等、不自由、不博愛を創る「地獄のゲーム」であるぞ。天国は永遠に創り出せんやり方であるぞ。
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 そなたという身魂はこの方の分身であるぞ。そなたという身魂のすることを肉体という物質の体に翻訳しているのが人間であるぞ。そなたの死後に残るのは身魂だけであるぞ。そなたの「考え」「ココロ」「想像」そのものがそなたであるぞ。新しい世はそなたのココロがそのまま現れる世であるぞ。そなたのココロに地獄があれば、そなたのココロに制限があれば、そのまま見るのであるぞ。戦いがあれば戦うのであるぞ。そなたとこの方は想念の世界で対話しているのであるぞ。この方はそなたの想念をすべて見ることができるのであるぞ。そなたらすべての想念を見ることができるのであるぞ。そなたらが何をするか、何を創るかはこの方はすべて知っているのであるぞ。悪の企みもすべて知っているのであるぞ。この方はそなたの考えることはすべてわかるのであるぞ。そなたがどんな反論をするか、そなたが何をしようとしているか、そなたがどういう見方をしているか、分かるのであるぞ。そなたのやり方でやるとどうなるか、結果は全部分かるのであるぞ。

 この方はこの方が創った仕組みの中でそなたが何をしたらどうなるかすべて知っているのであるぞ。この方はそなたらの混乱の原因も収拾の方法もすべて分かっているのであるぞ。そなたらの悪の企みも嘘も建前もすべて知っているのであるぞ。そなたらの秘密もすべて知っているのであるぞ。そなたらの秘密をバラすこともできるのであるぞ。そなたらはこの方の創った仕組みの中で遊んでいるだけであるからぞ。そなたがやっていることは何もないのであるぞ。この方が許しているから悪の企みができるのであるぞ。これからは不調和創り出す今までのやり方はこの方は許さないのであるぞ。自分だけがうまくやろうというのでは天国はこないのであるぞ。そなただけが良く成ろうとしているつもりであるが悪くなっているのであるぞ。身魂の視点で見ればそなたは得しているようで損しているのであるぞ。そなたの人間というゲームはそなたの選んだルール通りに体験する身魂のゲームに過ぎないのであるぞ。そなたはどんな体験も自分で選べるのであるぞ。選べるのではあるがそなたがするのではないぞ。そなたの注文をこの方が聞くのであるぞ。
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 そなたが使っているのはこの方が創ったモノであるぞ。この方が許さなければ使えないものであるぞ。この方が創ったものはこの方がどうにでもできるのであるぞ。そなたのものは何もないのであるぞ。この方のことを知らぬそなたの今までの思い込みはそなたの自分勝手なものであるぞ。そなたが自分を正当化するどんな理屈も通用しないのであるぞ。人のことを人が決めるゲーム、人のすることを賛成反対するゲーム、許す許さないゲームには自由はないのであるぞ。この方はすべてを許しているのであるが、そなたらは何をしているのであるか。許しているから賛成反対ゲームも、自分のしたいことをするゲームもできるのであるぞ。お互い自由なのであるぞ。裁くゲームは迷惑であるぞ。そなたの肉体の世界の出来事はそなたの魂の世界の出来事の結果であるぞ。そなたの魂の世界はこの方の仕組み通りに成るのであるぞ。魂の世界で成ったことが肉体の世界に映し出されているのであるぞ。そなたが人生だと思っているのはすべて幻想のゲームであるのぞ。
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 この方はそなたら皆を天国にすることもできるのであるぞ。この方は、だれが何を欲していて、だれが何をあげたいのか、どうすれば満たし和えるかをすべて知っているのであるぞ。一人ひとりを組み合わせてお互い満たし合って嬉し嬉し楽し楽しの天国のパズルを組み立てることもできるのであるぞ。この方の御用をするこの者もこの方と同じものが見えているのであるぞ。そなたもこの方の言う世界が見えるようになるのであるぞ。そなたの肉体の世界はそなたの魂の世界の鏡であるぞ。そなたは鏡の世界を変えようとしているのであるぞ。元を変えずに鏡の像をいじくっているのであるぞ。元がそのままならば鏡を何枚割っても同じものが見えるのであるぞ。気にくわない者の肉体を奪ってもそなたは安心できないのであるぞ。外を変えようとするそなたが迷惑であるぞ。そなたはそなたの責任を逃げているのであるぞ。自分が選んだ体験が都合悪いと自分以外のせいにしているのであるぞ。そなたが外側に見ているのはそなたが持っている○×善悪正誤美醜であるぞ。魂の世界が天国でなければ肉体の世界の天国はないのであるぞ。肉体の世界の天国は、魂の世界、即ち肉体で認識するところの「ココロ」を掃除することでできるのであるぞ。そなたは肉体をもって魂の世界を知ることができるのであるぞ。神の世界を見ることができるのであるぞ。この方の語る話を聞くことができるのであるぞ。
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 そなたは、この方の言うことを素直に実行すれば神の世界を体験することができるのであるぞ。この方の言う通りにすれば肉体の世界でも天国を体験することができるのであるぞ。この方がそなたの注文を聞いてこの方の創ったものを使ってそなたに必要なものを与えているのであるぞ。この方の言うことを疑えば天国はないのであるぞ。どっちが本当かを比べていても分からないのであるぞ。そなたが今やっているやり方とアベコベを実行して初めて体験する世界であるぞ。そなたは今そのやり方をしているからその体験をしているのであるぞ。アベコベのやり方をすればアベコベの体験をするのであるぞ。「もし失敗したら」「もし騙されてたら」「もしもしもしでもでもでも」をやっているのは今までのやり方であるぞ。今までのやり方から出ていないのであるぞ。この道理分かるか。

 そなたは身魂の掃除なくして新しい世の民になることはできないのであるぞ。そなたが掃除をするかしないかでそなたの身魂の永遠の生死が決まるのであるぞ。そなたの身魂が死ねばそなたは永遠に消えるのであるぞ。肉体の生死、財産、地位、名誉、金、信用、世間体云々どころの話ではなくなるのぞ。そんな小さなことにこだわっているとそなたはいなくなるのであるぞ。取り返しのつかないことになるぞ。疑えば疑うほどそなたは死に近づくのであるぞ。新しい世へのプログラムは決まっているのであるぞ。掃除を先に延ばせば延ばすほど厳しくなるのであるぞ。大変になるのであるぞ。最後はすべての人間が掃除を体験することになるのぞ。そなたがたよっている外のものをすべて壊して、いやでも掃除をせねばならない状況を創るのであるぞ。今そなたの回りで起きている天変地異や事故や問題はすべてその前兆であるぞ。少しずつ体験させているのであるぞ。今までのやり方で何とかしようとすればますます泥沼にはまるのであるぞ。そなたの今までの見方では怖いことばかりおきるのであるぞ。最後の最後には身魂の掃除ができたかできないかの身魂改めがあるのであるぞ。そなたの身魂が生まれて以来初めての関所であるぞ。関所の通行手形は「掃除の終わった(神ゴコロに戻った)身魂」であるぞ。今度の今度だけは裏工作もワイロも学問も知識も地位も財産も何も通用しないのであるぞ。すべての者が平等にできることであるぞ。最後の最後に必要なのは「掃除が完了した身魂」だけであるぞ。
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 身魂の掃除というのは「ココロ」の声を使ってそなたが持っている「あやま知」を「神の智」に交換して行動する練習をすることであるぞ。そなたのココロにある基準を取り替える(十理=神を替える)ことであるぞ。そなたのココロをこの方のココロと同じにすることであるぞ。そなたは、そなたがココロに持っている基準通りの物語を体験するのであるぞ。そなたが持っているシナリオを変えなければ体験は変わらないのであるぞ。「天国創る神のやり方」を実践すれば形は天国であるぞ。今までのシナリオは地獄の物語であるぞ。自分だけが満足して勝つ、争いを創るシナリオであるぞ。この方は「天国のパズル」が完成するように一人ひとりの想念を通して指示することができるのであるぞ。そなたがいくら考えてもすべての人間を天国にすることはできないのであるぞ。
すべてのすべてを調和のもとに機能するように創ったこの方の言うことを素直に聞かなければ、個人的な問題も社会的な問題も、すべてのすべてがもう何も解結しないのであるぞ。不調和創り出している限り平和も自由も平等も何もないのであるぞ。この方はそなたが不調和を創りだしたときに自分自身で気づいて調和に戻せるように「情けと花の仕組み」を創ったのであるぞ。そなたがバラまいた不調和と同じだけの「苦」を与えて知らせて自分のしたことを自覚させて、お詫び、感謝、改心したら「楽」になるようにしたのであるぞ。改心というのはそなたが分かったこと、気づいたことを行動することであるぞ。お祈りや感謝の言葉だけではだめであるぞ。そなたが分かったことをそのまま行動することで改心した証拠になるのであるぞ。神を信じているならば、神の言う通りに動くことであるぞ。判断を入れたらそなたは神を信じていないことになるぞ。言い訳や理由はいらなくなるのであるぞ。疑いをもったら改心していないのであるぞ。
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 この方は、この方の仕組みで肉体をもった身魂であるそなたが肉体の世界で掃除できるようにココロというものを創ったのであるぞ。肉体を使って魂の掃除ができるようにしてあるのぞ。ココロを使って神の心に戻れるような仕組みを創ったのであるぞ。そなたは今まで「あやま知」にとらわれていたからそのことに気づかず、自分の「苦」や「葛藤」や「混乱」や「問題」を自分以外の責任にして、ますます不調和をバラまいて、ますます混乱や苦しみを創りだしていたのであるぞ。そなたの「苦」というのはそなたが創ったものであるぞ。そなたが不調和ばらまいたことを知らせるお知らせであるぞ。そなたがバラまいたと同じだけの苦を体験しているのであるぞ。そなたがしたことが返ってきているのであるぞ。「あやま知」にとらわれているそなたが気づかないことがわかっているからこの方が人間の言葉に翻訳してここですべてを教えているのであるぞ。「知恵」と「智慧」は違うのぞ。知恵は人間の創ったものであり、智慧は神のものであるぞ。「知」の下に「日(火、一、霊=神)」があるのが智慧であるぞ。神の教えであるぞ。そなたがとらわれているのは神の智とアベコベの、混乱をつくる、「自分だけ善しの知恵」であるぞ。そなたらはみんな自分勝手であるぞ。人のすることをとやかく言える筋合いはないのであるぞ。そなたは正しくないのであるぞ。そなたは普通でないのであるぞ。そなたはキ違いぞ。
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 自分のしたことの結果を人のせいにするというのはどういうことであるかよく考えてみよ。そなたが感じている「苦」はそなたがそなたのまわりに、見える世界見えない世界に宇宙にばらまいて神や人に与えた「苦」と同じであるぞ。神の世界は天国であるぞ。そなたが不調和ばらまけば天国の安らぎはないのであるぞ。そなたがばらまいただけのものはそなたに体験してもらうのであるぞ。これは一人として避けられないものであるぞ。そなたが安らぎや天国を感じようとしてもそなたが蒔いた分だけは引き受けることになるのであるぞ。そなたがこの方の言うことを理解したとしても、そなたがまき散らした分だけはしっかりと引き受けてもらうのぞ。そなたがしただけのものは返してもらうのぞ。そなたがこの方の言うことに反論したり疑ったりすればますます不調和をまき散らすことになるのぞ。そなたのしたことの結果はそなたに戻るだけであるぞ。そなたはこの後に及んでまだ「苦」を体験したいのか。そなたの「苦」や「問題」や「怪我」や「病気」や「事故」は、そなたが不調和出していたことに気づかせるために、この方がこの方の家来を使って、そなたが出した分だけ、忠実に、一つのもれもなく、多くも少なくもなく、ピタリピタリとそなたに返しているのであるぞ。今ならばそなたが耐えられる分量ずつ渡せるが、最後の最後はまとめて渡すのぞ。そなたがすべて返済するまで、お掃除が終わるまでそなたは天国になれないのぞ。後ろの期限は決まっているから、先に行くほど纏(まと)めてやることになるぞ。先に延ばすほど自分が苦しくなるのぞ。今怖いものはもっと怖くなるぞ。早く始めるほど楽に天国になれるぞ。楽であるが楽ではないぞ。そなたの身魂が生まれて今まで何世代にもわたってまき散らしてきたものを全部清算するのであるからぞ。
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 そなたが体験していることはそなたがしたことであるぞ。文句や愚痴を言っているならばますます不調和ばらまいているのであるぞ。自分のしたことの責任をとっていないのであるぞ。ますます「苦」や「問題」や「怪我」や「病気」や「事故」を体験することになるぞ。責任追及や裁判をやっている者は早く気づけよ。そなたにメグリ、真釣り外し、不調和ばらまくことがなければ「損」も「被害」もないのであるぞ。そなたが受け取っているものはそなたのメグリに応じて、そなたが耐えられるだけの分量をこの方が与えたものであるぞ。そなたの加害者はそなたであるぞ。「偶然」などというものはないのであるぞ。自分のものもないのぞ。この方のものであるからこの方が自由につかえるのであるぞ。最後には一度に与えるのであるぞ。「原始時代」の民はこの方と共にいたのであるぞ。病気も事故もないから医師も裁判もいらないのであるぞ。自らしたことだと知っているからこの方と共に直していたのであるぞ。「苦」も「病気」も「事故」もお互いのメグリ合いであるぞ。すべてこの方が与えたものであるぞ。
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 この方の言うことを聞くことだけが「調和」を創りだすやり方であるぞ。不調和はメグリ積むだけであるぞ。メグリあれば平和も自由も天国もないぞ。遊べないぞ。メグリを掃除しなければ、自分のしたことを自分で自覚しなければ、そなたは新しい世界も死後の天国もないのであるぞ。今ここの天国もないのぞ。善いことをしてもだめであるぞ。世紀末のことや神のことを知っても何もならないのであるぞ。そなたがすることは「あやま知」の掃除だけであるぞ。文句言わないことであるぞ。愚痴を言わないことであるぞ。人を責めないことであるぞ。口だけの感謝はだめであるぞ。感謝しているならば、自分の責任をとっているならば、文句も愚痴も言えないのであるぞ。わかったら態度で示すことぞ。行動することぞ。この方の言うことを行動することであるぞ。そうすればこの方はそなたの掃除を手伝うぞ。きついならきついなりに一番はやく一番楽に掃除できるような材料を与えるぞ。掃除終わればオカゲをやるぞ。最後のプログラムはこの方が創ったのであるぞ。こうやってこの者を使ってすべての種明かしをしているのだから素直に改心結構ぞ。
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 どっちがよいか、どっちが得かのゲームは問題を創るだけであるぞ。物事を二つに分け続けるだけであるぞ。ねずみ講であるぞ。どんどんワケが分からなくなっていくだけであるぞ。そなたらは分けに分けてそなたとこの方の関係まで見えなくなってしまったのであるぞ。宗教とか哲学とか言って学問や他力本願の対象にしてしまったのであるぞ。この方を忘れてしまって、自分が何をしているかわからなくなってしまったから「問題の山」を前にして途方に暮れてしまっているのであるぞ。そなたらは自分で問題を創って自分で悩んでいるのであるぞ。これ以上「あやま知」に占領されたアタマを使って外側の情報を創りだしては神の世界がますます見えなくなるだけであるぞ。ますます混乱が進むだけであるぞ。ますます思惑とは反対の方向に行くだけであるぞ。平和も平等も自由も安全も全部遠くなっていくぞ。分けがわからなくなるだけであるぞ。何とかしようとするほど何とかならなくなるのであるぞ。人間にはもう何も解結できないのであるぞ。今ある問題は、神の世界を創る大掃除の序曲であると同時に、そなたらの魂のお掃除をするための材料であるぞ。神の視点になる訓練をする教室であるぞ。そなた次第でゴミにも宝にもなるぞ。

 そなたがすることは今までのあやま知をきれいさっぱり捨て去って、調和を創る神の仕組みを生きることであるぞ。生きる基準を変えることであるぞ。そなたの魂のお掃除を始めれば今起きていることが見えてくるのぞ。今起きていることがそなたとは関係なくなるのぞ。そなたが見方を変えなければどんどん怖いことになっていくのぞ。そなたが今までのゲームを続ければ続けるほどそなたが危なくなるのぞ。そなたとそなたの回りとは関係ないのぞ。そなたが掃除済めば、何が起きようが気にしないで遊べるのであるぞ。そなたがメグリ持っている分だけ遊べないのであるぞ。「遊べない」「できない」と言っているからずっとできないのであるぞ。そなたは物質を使って遊ぶ魂であるぞ。今世はメグリなければ嬉し楽しの遊び場であるぞ。
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 外を探していても何も答えはないぞ。二十一世紀というのは全く別の世界になるのぞ。魂の世界と物質の世界が半分ずつの世界になるのであるぞ。今のそなたが想像しても分からないのであるぞ。想像するよりも掃除をすることぞ。掃除をすれば見えてくるのぞ。どうなるか、何が起きるか、どうすれば助かるか、をやっていると助からんぞ。何もわからんぞ。肉体を守っても魂がなければ何もないのぞ。肉体の死を恐れていると魂が死ぬのぞ。神の世界の規則通りに生きればそなたに死はないのぞ。肉体の死はあってもそなたに死はないのぞ。そなたは物質ではないぞ。そなたは魂であって肉体であるぞ。そなたが守っているものは今までの遊び場で与えられた遊び道具であるぞ。今までの遊び道具を握っていると新しい遊び道具を渡すことができないのぞ。新しい道具がほしいならば今までの道具を放すことであるぞ。新しい世界は今の肉体では遊べないのであるぞ。一度肉体を脱いで新しい肉体(服)を着る必要があるのぞ。そなたという魂が新しい世に合った行動をしていないと新しい服は着られないのであるぞ。
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 今までの知識が今までの物質の世がこのままずっと続くと思うなよ。今までの「当たり前」や「常識」が続くと思うでないぞ。いつまでも「我よし」や「保身」や「損得勝ち負け」ゲームや「私はどうなるのでしょう」ゲームや「利害関係調整」ゲームをやっていると残念が出るぞ。もう後がないのぞ。この方は、新しい世を創る時が迫っているから、すべてのすべてのカラクリを公開して、後悔しないように準備をさせようとしているのであるぞ。そなたがもっている不調和創りだす知恵を調和を創りだす智慧に変えないとそなたに次の世はないのぞ。そなたが掃除をさぼれば掃除の手間が増えるだけであるぞ。後はないのだから後に行くほど大変になるぞ。一度にたくさんの掃除をすることになるぞ。外側の掃除をする「三歳苦難のタテカエ」ではそなたのメグリを一気に渡して掃除させるのぞ。今の怖さどころではないのぞ。そなたが神の智慧を外している分だけ、ルール違反している分だけ怖いことになるぞ。今やるか後でやるか本当の本当に取り返し(十理=神のコトワリに返ること)がつかないことになるぞ。

 そなたはそなたが今まで学んだ材料を使って創りだした(組み立てた)シナリオ(モノの見方)に基づいて動いているのであるぞ。そなたのシナリオに照らして外を見ているのであるぞ。そなたの基準はそなたが創ったものであるぞ。そなたの見方はすべて自分勝手であるぞ。そなたが一つの見方に固執しているならばそなたは偏見を持っているのぞ。人のことをとやかく言う筋合いではないのぞ。そなたが議論したくなったら自分が正しいと思っているぞ。こだわっているぞ。そなたがどんな理由をつけようとそなたは「絶対的」には正しくないのぞ。人はコントロールできないのぞ。今までの世のゲームの中だけで使えるものは別の世になれば使えないのであるぞ。そなたがそのシナリオを握っている限りそなたの体験は変わらないのであるぞ。変わらないばかりか、ますます苦しくなるのであるぞ。ますます大変が増えるのであるぞ。不安や恐れが増えるのであるぞ。そなたが人の責任にしている部分をお掃除する手間が増えるだけであるぞ。ますますトラブルや嫌なことが増えてくるぞ。そなたが一つの基準に固執していると、「人の責任」というあやま知にとらわれていると、文句や愚痴や不満や責任転嫁をしていると、そなたの苦しみやトラブルの体験はなくならないのぞ。そなたの言い分は「神の社会」では通用しないのぞ。
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 そなたが「損」「事故」「病気」「トラブル」「いやなこと」と見ているものはそなたがかつてやったことの結果であるぞ。この方のはすべてをバランスよく創ったのであるぞ。そなたが偏ったことをしたからその結果を体験しているのであるぞ。そなたの体験は自分でしたことの結果であるぞ。人の責任などというものはないのであるぞ。殺人もお互いのメグリ合いであるぞ。メグリが合ったのであるぞ。死をもって、障害をもって自らのしたことを清算しているのであるぞ。外側を見てかわいそうとか悲しいとか言っているとそなたがその通りになるぞ。赤ちゃんで死んでも、障害を持ってきても、その魂にとってはそれで今までのメグリを清算しているのであるぞ。メグリ持っては次の世には行かれないのであるぞ。「人の責任」というシナリオはメグリを創りだすだけであるぞ。ますます掃除たいへんになるぞ。もう後がないのであるぞ。掃除急ぐのぞ。自分のした責任転嫁を清算するのであるぞ。すべて終わらなければそなたには天国はないのぞ。そなたのシナリオを変えなければそなたの未来はないぞ。今まで学んだアヤマ知を入れ換えなければそなたはこの世で終わりであるぞ。肉体世界の出来事に一喜一憂していると魂も肉体もいなくなるぞ。掃除終われば、世紀末の出来事は楽しんで見ていられるぞ。そなたのお掃除終われば世紀末の大変は関係ないのぞ。怖いものはなくなるのぞ。何が起きても楽しいのぞ。最後の最後は全員が肉体という服を脱いで、魂の掃除終わった者から新しい肉体に入るのぞ。最後の最後は死ぬのぞ。残るのは魂だけぞ。魂の掃除することがこれからの全員の役目であるぞ。魂の掃除することがミロクの世を創ることになるのぞ。ミロクの世を創るのが人間の使命であるから、掃除をするのがそなたらの使命であるといってもよいのぞ。掃除終われば今ここでも調和の中で遊べるのであるぞ。今ここで遊べるようになれば、そなたには「死」も「世紀末の大変」も何も関係なくなって「永遠の天国」になるぞ。
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 そなたは肉体ではなく生き通しの魂であるぞ。生き通しの魂が肉体を使って自分を体験しているだけであるぞ。そなたの「死」は肉体を脱ぐだけのことであるぞ。そなたの状態が変化するだけであるぞ。死は怖くないのであるぞ。悲しくないのであるぞ。そなたはずっと生き続けるのであるぞ。そなた以外の人間も同じであるぞ。人間というのは魂を肉体として見たときの状態のことであるぞ。肉体をとったそなたがそなたであるぞ。そなたの想念に悪や恐れがあればそのまま見ることになるぞ。そなたが体験していることはそなたがしたことの結果であるぞ。そなたにトラブルや病気や事故や損があるのはそなたという魂がいつかどこかで不調和創りだす行動をしたのであるぞ。今世はいままでのすべての生でそなたがまき散らした不調和の種を刈り取る時期であるぞ。新しい世は調和のみの神の世であるぞ。不調和もっている魂は行けないのであるぞ。そのための大掃除であるぞ。最後の最後にすべてを清算する大掃除をするのであるぞ。そなたが目の前のものを責めたり疑ったりしていれば更にメグリを積むことになり、それを全部清算するまではそなたは新しい世にはいけないのであるぞ。そなたが苦しいのは、つらいのは、今までそなたがやってきた不調和創り出す行動で回りに与えたものであるぞ。そなたがしたことをそなたが体験しているのであるぞ。自分のしたことを自分が体験して辛抱すればそれでそなたのしたことは精算であるぞ。文句や愚痴や責任追求をしているとさらに掃除が必要になるぞ。
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 「自分の与えたものが自分に返ってくる」のが唯一の法則であるぞ。自分の責任であるぞ。人の責任というのはないのぞ。そなたが辛いのも苦しいのもそなたがしたことの結果であるぞ。「そんなことをした覚えはない」といってもそなたが体験していることが証拠であるぞ。目の前で起きていることが証拠であるぞ。そなたは、魂のやったメグリを知らないからそういうことが言えるのであるぞ。そなたにはわからないのだから、起きたことを素直に見て、不調和不都合感じたら、素直にお詫びして、しただけのことは辛抱して改心していくことであるぞ。人のせいにしないことであるぞ。「もし~していたら」というのはないのぞ。この方はそなたのメグリ相応の体験をさせているのであるぞ。そなたのメグリを知らせているのであるぞ。偶然はないのぞ。そのセリフは神のせいにしていることになるのぞ。もう悪の芽は切ってあるのぞ。悪の仕組みは最後の最後はなくなるのぞ。今今に悪を残してあるのは大掃除の舞台造り。悪を以って悪を払う仕組み。悪に執着して自分だけうまくやろう、もうけてやろう、得してやろう、人に勝ってやろうというゲームに現(うつつ)を抜かすような、神成る身の自覚なき者が多いから、そういう身魂を引っかけてまとめてお掃除するための仕組みであるぞ。この方はまとめてお掃除して初めからやり直す方が楽であるのぞ。そなたが外に頼っているとそなたが大掃除されるぞ。人ごとではないぞ。人のことをアレコレ言っているとそなたが掃除の対象になるぞ。そなたの欲や保身やとらわれがそなたの悪の体験を創りだすのぞ。「欲をもって何が悪いのか」などといつまでも言っている者は最後に大掃除してやるから最後の人生をせいぜい楽しむがよいぞ。この方のことをイジワルだとかコワイとかズルイとか言うならば、今までのゲームをやっているぞ。そなたがこの方の親ゴコロを知ってか知らずか、勝手に不調和創りだす人のせいゲームに現を抜かしているのぞ。この方は人間の言葉でそなたが助かる方法を明かしているのであるから聞かないそなたが悪いのであるぞ。自業自得、自体験自責任ぞ。
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 この方はすべてのカラクリを明かしているのであるぞ。助かる方法も助からない方法も目に見える形で教えているのであるぞ。最後の大サービスをしているのであるぞ。一人でも多くこの方のところへ戻って欲しい親ゴコロであるぞ。この方のところは皆が皆、嬉し嬉し楽し楽しの天国であるぞ。この方はすべての秘密をバラしているのぞ。そなたが目で見て耳で聞いて選べるように言葉で文字でサンプルで見せているのぞ。この方の言うことを無私した結果、そなたがどうなろうとも、それはそなたの自業自得であるぞ。この方や回りを恨むのは筋違いであるぞ。恨んでいるから恨みの感情が続いているのぞ。そういうことをしているから今まで混乱、不調和、争い、悩みが絶えなかったのであるぞ。この方を無私した結果が今までの社会、常識、宗教、教育、政治、経済の仕組みの行き着くところであるぞ。今ここであるぞ。何がなんだかわからないでやっている目隠しゲームの結果が今の混乱であるぞ。今までの延長の思考で今、目の前で起きていることを手前勝手に解釈していると、最後の最後でどんでん返しになるぞ。様子を見ていると手遅れになるぞ。
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 この方のやり方は外から見ても何もわからんのであるぞ。そなたがやって初めて分かるのぞ。そなたがこの方が教えるシナリオを選ばなければそなたには分からないのぞ。この方がそなたのココロを通して渡すシナリオは一人ひとり違うのであるぞ。そなたがそなたの学んだアタマの理屈で何と言おうとも、この方の語るすべてのすべてがすべて真実であるぞ。最後の最後になればすべてハッキリとわかるぞ。だが、最後の最後になってわかってももう手遅れであるぞ。だから、この方が今ここで親切に大サービスして知らせているのぞ。本来ならばそなたが自分でこの方のサインに気づかなければならなかったのぞ。それが神成る身魂の責任であるぞ。最後の機会を与えているのであるぞ。親にウラ切られない(神の世界を切られない/魂を消されない)うちに改心した方がそなたのためであるぞ。これが最後の最後の機会であるぞ。今なら間に合うのぞ。自分のために自分で決めよ。
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 「天国の方法」は今ここでも(ミロクの世でも肉体の死後でも)天国であるぞ。「人間の方法」は今ここだけ、自分だけの天国ぞ。永遠のイノチを得るか、今ここだけの優越感を得るか、二つに一つの選択ぞ。今ここがそなたの人生の分岐点の瀬戸際の崖っぷちであるぞ。今までのゲームを綺麗サッパリ捨て去ってこの方の「天国のシナリオ作りの個別授業」を受けるか、今までのゲームでこの方の言うことを判断議論する今までのゲームをするか。まったく正反対の結果になるのぞ。バージンから始めて永遠の天国ゲームを体験するか、そのまま地獄のゲームを続けて滅びるか、そなただけがそなたの選択の結果を体験するのぞ。人生というゲームをどう遊ぶか、一人ひとりのゲームであるぞ。一人ひとり、別のゲームであるぞ。そなたが楽しめばそれでよいのぞ。人のしていることを外から見てツベコベ言うでないぞ。そなたの基準であるぞ。そなたの○×であるぞ。この方は○×を言った覚えはないぞ。そなたは人を責めるゲームが好きなのか。そなたが迷惑であるぞ。人間として一番の迷惑であるぞ。そなたが人を裁くならば、人がそなたを裁いても文句言わないことぞ。お互いが満たし合って楽しいことをすればそれでよいのぞ。それがこの方の望むことであるぞ。人に迷惑をかけられることはないのぞ。そなたがそう思い込んでいるだけであるぞ。この方を知らぬ道徳、倫理の議論は卒業ぞ。この方は裁いた覚えはないぞ。
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 そなたが今までやっていたゲームはもう終わっているのであるぞ。この方が終わらせるのであるぞ。そなたらが創りだした地獄の形を清算して、整地して、聖地にして、初めから皆嬉し楽しのミロクの世を創る準備をするのであるぞ。「天国の方法」で天国のゲームを初めの初めから始めるのであるぞ。そなたらがやった結果は、この方にしか直せないところまできているのぞ。今までのデーターで勝手に想像しても予想しても無駄であるぞ。残念ながらそなたの期待通りにはいかないのであるぞ。人のすることに口出しするでないぞ。人の言うことを鵜呑みにするでないぞ。人を支配するでないぞ。すべてのゲームは一人ひとりであるぞ。そなたのココロはそなたしか見えないであろうが。この方を知らずに、この方を無きものにして、人のココロを勝手に決めつけて、自分勝手な理屈でツベコベ言うでないぞ。そなたのシナリオはそなただけのものであるぞ。そなたの基準はそなた勝手のものであるぞ。この方は人に口出ししろとは言っていないのぞ。空想が現実であるぞ。

 この方は一人ひとりの想念を通して、ココロを通して語りかけているのであるから誰も教える必要はないのぞ。誰にも教えてもらう必要はないのであるぞ。愛のムチなどというものはないのぞ。親ゴコロは強制しないのぞ。自分で自分の選択の結果を体験する仕組みだからであるぞ。何をするかは一人ひとりの勝手であるぞ。人を責めるのが、人を裁くのが迷惑であるぞ。人を裁くと自分が何もできなくなるぞ。この方を知らぬ人間が創ったルールや知識を覚えても天国はないのであるぞ。皆が負けるゲームであるぞ。皆で同じことをしても競争になるだけであるぞ。取り合いになるだけであるぞ。この方の声は一人ひとりの専用のシナリオを語るのであるぞ。天国のパズルの指定席へとガイドする声であるぞ。人の指定席に座って威張っている者が多いぞ。自分の指定席を探してウロウロしている者が多いぞ。そなたのココロを通して語る、この方の言うとおりに動けば、皆天国になるのであるぞ。そなたのゲームのままで議論しても解結策はないのであるぞ。二度と起きないようにすることはできないぞ。外から見てもいじめの原因はわからんぞ。人の悩みや不安は見えないのぞ。いつまでも地獄を創る方法を教えるゲームを続けていると教える方も教えられる方もアウトであるぞ。教師様、教祖様、自分のしていることをかえりみやれよ。
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 この方の声を聞けばこの方のシナリオを生きるのぞ。この方のシナリオは一人ひとりのオーダーメイドであるぞ。人に聞けば人のシナリオ通りに体験するぞ。人のシナリオはその人だけのものであるぞ。そなたのシナリオではないぞ。そなたが選んだらそなたのシナリオになるぞ。そなたが何を体験しようとそなたが選んだのだから誰のせいでもないぞ。そなたがシナリオを変えればよいだけであるぞ。人を責めたり、人に頼ったり、人を変えようとしたり、人と一緒にやろうとしたりしても、叶わぬアダ花が咲くぞ。お金もカードも食べ物もすべて同じ遊び道具であるぞ。人間が勝手に価値をつけているだけであるぞ。ギャンブルも風俗も学校もビジネスもすべてゲームであるぞ。お互い嬉しなら何をしてもよいのであるぞ。いけないことはないのであるぞ。損や失敗もゲームであるぞ。悩むのもゲームであるぞ。責めるのもいじめるのもゲームであるぞ。遊びであるぞ。遊びでないぞというのもそういう遊びであるぞ。すべて人間が創ったゲームであるぞ。魂の遊びであるぞ。どの遊びをするかは自由であるぞ。人も自分も自由であるぞ。
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 そなたらは、不平等になるから、不公平になるからといって、アレコレとルールを創って、形を一つにしようとして、自分たちで不自由にしているのぞ。悪いこと(望まないこと)にならないようにしているからそうなるのぞ。競争しているからそうなるのぞ。人間のゲームで勝っても負けても、魂の掃除なければ人間の世界だけのことぞ。魂から見れば人間の世界はほんの一瞬のことであるぞ。人間のゲームは一瞬の天国、永遠の地獄であるぞ。この方のやり方は全員が勝つのぞ。そなたがほしいものはすべて手に入るのぞ。信じない者は信じない限りわからんのであるぞ。「そんなうまい方法はないぞ」という声もあるがそのセリフがこの方のやり方をやっていない証拠であるぞ。この方のやり方をやれば天国が見えるのぞ。こういうセリフはでないのであるぞ。この方は「天国の方法」を一から十まで。ヒト(一十)に成る方法を全部教えているのだから、神ゴコロというものをすべて教えているのだから、みんなが勝つ方法を教えているのだから、この方は人間の親としての責任を果たしているぞ。子であるそなたがどうなろうとそれはそなたの自由ぞ。
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 そなたが何と言おうとも、そなたが体験しているのはそなたが選んだそなたの体験であるぞ。そなたの選んだゲームであるぞ。誰の責任でもないぞ。そなたが決めた成功という形を追い求めると失敗するぞ。そなたがこの方の声に従って動けば成功という形になるのであるぞ。そなただけでなく、たくさんの者がそなたの生き方から恩恵を受けるぞ。自分も人も嬉し楽しであるぞ。人を負かさずにそなたの思い通りの人生を体験する方法はこの方の言うことを聞くことだけであるぞ。この方はすべての者のシナリオを知っているのであるぞ。振り分け、ガイド、交通整理ができるのはこの方だけであるぞ。この方の言うことに文句がある者は納得いくまで相手をするぞ。ただし、そういうそなたはこの方の分身であるということを忘れるでないぞ。そなたは何をしていようとこの方の仕組みの中にいるのぞ。そなたの失敗も成功もすべてこの方の仕組みの中で体験しているゲームであるぞ。そなたが相手にするこの方は今までの相手とは違うのぞ。すべてを創ってすべてを知っている元つ神であるぞ。勝ち負けゲームをやっても勝ち目はないぞ。いい加減に不調和創る戦いのゲームをやめなされ。何年続けても自由も平和も平等もないぞ。皆が天国になることを望んで皆が地獄になるゲームをしているのぞ。そろそろ夢から目を覚ませよ。
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 「言葉」は肉体をもった人間の世界だけで必要な道具であるぞ。子宮内宇宙だけで必要な臍の緒であるぞ。英語も日本語も方言も標準語も共通語も、すべては想念(ココロ、イメージ)を別の形で表現しただけであるぞ。「意味」は同じであるぞ。言葉になる前のイメージはどれも同じであるぞ。魂で見ているものをシンボルに意味を与えて表現しているだけぞ。出す方と受け取る方が同じ意味を付けた言葉でやりとりしているだけぞ。同じ意味でも同じ意味でないぞ。お互いのイメージは見えないからであるぞ。言葉が必要なのはあと少しの間ぞ。言葉を学ぶより、そなたが今持っている言葉でそなたの○×の掃除をせよ。神の真理を早く学べよ。思い出せよ。学んだ者は神の真理を伝えよ。今度の大変、大掃除には人間の学は通じんぞ。知でも教でもお金でも越えられんぞ。次の世は神の世ぞ。神ゴコロになることだけが必要なことであるぞ。神のココロになれば魂の掃除完了ぞ。神ゴコロとは何かというのを今までの人間に聞いてもわからんぞ。だから、この方がこの者を通して教えているのであるぞ。そなたに神の基準がなければ掃除はできないからな。
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 ココロの時代というのは想念が肉体になる時代のことぞ。神の代のことぞ。誰も嘘がつけんようになるぞ。悪がいられんようになるのぞ。個性化の時代というのは個別の専用シナリオの通りに動くことであるぞ。この方の教え方は予約なしぞ。その場その場で必要なだけ与えて、必要なだけ教えるのぞ。できない状況というのもこの方が与えたものであるぞ。肉体の視点で見ていると大大どんでん返しをくらうぞ。ミロクの世界はすべてが変わるのであるぞ。半霊半物の世界であるぞ。土地も変わるぞ。物質変わるぞ。毒関係ないぞ。原爆関係ないぞ。エイズ関係ないぞ。そなたのすることは掃除することだけぞ。掃除ないと、毒も原爆もエイズも地震も火事もすべて怖いぞ。最も危険なのはこの方から離れることであるぞ。この方と対話できるようにならないとそなたの怖いことが全部出てくるぞ。そなたらが汚した聖地ヒノモトの大掃除はこの方がするから心配いらんぞ。全部壊して整地するぞ。大掃除するのぞ。地名も道路も学問も名前も山も川も海も鉄道も学校も建物もすべて変わるのぞ。あと少しぞ。ありえないことが起きるぞ。今何を学べばよいか、何をすればよいか、このフミ読んで考えよ。最初で最後の本当の勉強の開始であるぞ。
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 そなたが受け取っているものはそなたが与えているものであるぞ。そなたが与えているものをそなたは受け取っているのであるぞ。そなたが感じることはそなたがしたことの結果であるぞ。人の感じていることであるぞ。そなたが不快ならば人も不快なのであるぞ。そなたが不快を感じているならばそなたがそれを外にまき散らしているのぞ。そなたが感じている結果を人のせいにしているならばそなたにはずっと天国はないぞ。そなたの体験したことで人を責めるのも人のお陰だと思うのも同じことであるぞ。そなたが何もしないでそれが来ることはないのであるぞ。そなたがしてきたことがそのまま返っているのであるぞ。そなたがもうけたと思うときは相手は損をしているのであるぞ。相手が喜んでそなたも喜んでいればそれは善いのであるぞ。もらうというのは交換している証拠であるぞ。一方的というのはないぞ。そなたが損しても得しても、すべてそなたが何かを提供した結果であるぞ。それが何かは考えなくて善いのぞ。五〇対五〇の交換であるぞ。コントロールや脅しで受け取ったモノはそなたにメグリを創るのであるぞ。自分で自分のメグリを創ってどうするのぞ。そなたがモノで得したと思っているときは身魂で損をしているのであるぞ。みずからメグリを創ってますます天国を遠ざけているのであるぞ。文句を言える筋合いではないのであるぞ。文句を言うとますます遠ざかるぞ。
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 人のものを取ることは悪いことだからやってはいけないのではないぞ。そなたがメグリを創りたければやればよいことであるぞ。人の持っているモノを交換なしで取ったならばそなたは楽に欲しいものを得る状況をどんどん遠ざけているのであるぞ。創っただけのメグリを清算しなければならないからであるぞ。そなたは自分で自分の首をしめているのであるぞ。取られた者は文句を言わなければ取られただけの価値が分かるぞ。取られてメグリを取っているのであるぞ。文句を言えばメグリはそのままであるぞ。取られたらお陰が早くなるぞ。メグリなければ天国ぞ。すべてがアベコベであるぞ。正直者はバカを見ないのであるぞ。形で損すると身魂で得なのであるぞ。損して得なのであるから損も得もないのであるぞ。得しようとして損するならば損しているぞ。形を創ることではなく、そなたの態度が問題なのであるぞ。そなたがモノの世界で形として体験した結果を素直に受け入れればよいことぞ。そなたが調和を提供すれば調和が返ってくるのであるぞ。そなたが不調和提供すれば不調和が返ってくるのであるぞ。

 そなたの体験しているものはそなたという身魂が生まれて以来のすべてメグリの清算であるぞ。そなたはもともと喜びのみであったのぞ。そなたが持っているメグリの分だけ欲しいものがこないのであるぞ。この方の言うことを疑うのはメグリ持っている証拠であるぞ。そなたに起きることをそなたが一〇〇パーセント許して、この方の与える苦も喜びも次々に受け取っていったとき、メグリが清算されて、自動的にそなたの欲しいものが簡単に手に入る状況が来るのであるぞ。メグリ取りの苦を辛抱し、喜びのお陰を嬉しを持って受け取るということを繰り返していくことで喜びが増えてくるのであるぞ。もともとに戻るだけであるぞ。そなたは天国であるぞ。この方のやり方は先にいくほどうまくいく方法であるぞ。そなたはメグリ来た苦を後悔反省することはないのぞ。人の責任にしないでその状況を抜け出すまで体験すればよいだけであるぞ。自分のしたことを自分で受ければ善いだけであるぞ。そなたの体験はそなたの提供したものの結果であるぞ。
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 最初で最後の大掃除が迫っているこの時期は、そなたがしていることをそなたにハッキリと気づかせねばならんから、文句や不満やグチを言ったり、外の責任にしたり、コントロールしようとしたりするとますますそういう状況を体験するようになるのぞ。この方の言う通りに、人のせいや価値判断をやめて素直に行動すれば、嬉し楽しをハッキリと体験することができるのぞ。今までより早く、苦も喜びも来るのぞ。そなたがしただけのことは清算せねばならんが、清算すれば責任を取れば喜びが来るのであるぞ。掃除も大変であるが、オカゲも大きく来るのであるぞ。こんなに善い時期はかつて無かったのであるぞ。そなたがこのチャンスを使うか使わないかはそなた次第であるぞ。やれば嬉し、やらねば苦し、どっちにしてもこの方の言う通りになるから存分に試してみるがよいぞ。天国を創るこの方のやり方が分かったらそこから切り換えればよいぞ。最後の最後ですべてが明らかになるからそれまではお好きなようになさっているがよいぞ。そなたのしたことはすべてそなたに返るだけであるからな。地獄でも天国でも好きなものを貰うがよいぞ。
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 そなたがそなたの内側の掃除をしていけば、黙っていてもそなたが欲しいものは来るのであるぞ。欲しいものが来る状況が来るのであるぞ。形になるのであるぞ。すべてのすべてはお互いの満たし合いなのであるぞ。そなたの苦もそなたが与えたものであるぞ。そなたがそれに気づくように返ってきているのであるぞ。楽ばかり見ている身魂には苦を与えなければ不調和をまき散らしていることに気づかんからそういう仕組みを創ったのであるぞ。苦も喜びも神に感謝なのであるぞ。感謝しかないのぞ。感謝が当然なのぞ。感謝を議論するのは感謝を知らない者であるぞ。感謝を請求するのは自分勝手ぞ。そなたが体験したことをどう見るかというのはそなたの選んだ見方であるぞ。そなたがそなた以外の見方を否定するとしたらそなたは天国にはなれないのであるぞ。この方はすべての見方を許しているのであるぞ。「これしかない」というのはないのであるぞ。「これしか認めない」と言ってもこの方が認めているからそれがあるのであるぞ。この方の言うとおりにすれば一つ一つ欲しいものが来るのであるぞ。早く楽に一度に手に入れようとするから混乱するのであるぞ。掃除をすればそなたが欲しいものはあげたい人から来るのであるぞ。そなたが心地よさを感じているならばそなたがそれを外にまき散らしているのぞ。「してはならない」と人を責める理由はそなたの幻想であるぞ。「~すると混乱する」というのはそなたが持っている観念が創りだす幻想の結論であるぞ。すでに混乱しているのぞ。調和まき散らせよ。
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 答えは一つではないぞ。そなたが答えを一つにしようとするときはそなたが枠をもっているのぞ。そなたの思い通りにならないと思っているときはそなたの掃除ない証拠であるぞ。そなたが外側をなんとかしよう、すべきでない、やめさせよう、教えよう、としているときはそなたが「固定観念」を持っている証拠であるぞ。掃除できていない証拠であるぞ。許していない証拠であるぞ。迷惑はないのぞ。そなたに掃除あれば思い通りになるのぞ。文句を言っているのは、そなたに掃除ない証拠であるぞ。文句を言う方が自分勝手であるぞ。そなたが体験していれば文句も疑いもでないのであるぞ。そなたが議論をしているときはそなたは外から見ているのであるぞ。そなたはこの方のやり方をしていないのであるぞ。そなたはそなたのやり方に固執しているのであるぞ。そなたのやり方で創りだしたものに執着しているのであるぞ。そなたのやり方の作品(現実)だけを真実だと正しいのだと思い込んでいるぞ。そなたがやっているものはそなたの議論の対象ではないのであるぞ。そなたがすべてを許していれば批判も疑いも議論も必要ないのであるぞ。そなたのやり方でそなたが何を体験するかわかるように、この方のやり方で何を体験するかはこの方のやり方をやったら分かるのであるぞ。そなたが疑ったり否定したり議論したりしているのはそなたがそなたの想念を分けている証拠であるぞ。そなたがすべてを許していない証拠であるぞ。そなたがすべてのシナリオをやればすべて形になるのであるぞ。
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 そなたが掃除をすればこの方がすべて必要なものを与えるのであるぞ。この方は掃除の道具も与えるのであるぞ。そなたから見て苦に見えるものはこの方が与えた掃除の道具であるぞ。そなたが使わないで文句言って否定して避けている限り、そなたには天国はないのであるぞ。そなたがすべてやっているのだとしたら思い通りにいかないのはいかなることであるか。そなたが思い通りに行かないのはそなたのせいであるぞ。人のせいにしているから思い通りにいかないのぞ。その通りになっているであろうが。そなたが自分のせいであると認めて行動すればすべてわかることであるぞ。言い訳、反論、議論をしているならば人のせいにしていることを白状していることになるぞ。神に素直でない者は神のやり方はいつまでも体験できんのであるぞ。いつまでも混乱のゲームをしているがよいぞ。地獄のゲームがいやならば、ツベコベ理屈を言っていないでこの方の言う通りに素直にやってみるがよいぞ。できるかできないかを議論している限りそなたはできないのであるぞ。そなたができるかできないか議論しているからできないのであるぞ。そなたのしたいことは議論することであるぞ。そうでないといってもそなたがしていることが証拠であるぞ。

 この方のやり方を始めたならば、そなたの想いがすべて形になるまでやることぞ。「もう無理だ」「まだできない」と言っているのはそなたがやめているだけであるぞ。そなたが外を見ている証拠であるぞ。そなたが外をさがしている証拠であるぞ。そなたの内側の掃除が進めば進むほど、今までのそなたから見れば奇跡に見えるやり方で簡単にお望みのものを提供するのであるぞ。そなたはもともとは天国なのであるぞ。そなたがとらわれた快欲が、あやま知が、そなたの天国を曇らせているのであるぞ。今のそなたから見ればこの方のやり方は怖いぞ。怖いからこの方を信頼していないと手を放せないのであるぞ。そなたが言ったことを行動に移したとき信頼と引換えにそなたの望み通りに与えるのであるぞ。行動したら戻れないから、行動することで信頼していると認めるのであるぞ。神のテストは口先だけでは駄目なのであるぞ。そなたのシナリオを形で見せてくれればこの方も次の教材を与えるのであるぞ。今ならお陰もらいながら一つずつ掃除できるぞ。最後の最後は掃除終わるまでお陰渡さないのぞ。どっちがよいか今ここで決めて行動せよ。
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 そなたに○×なければそなたは何でもできるのであるぞ。言い訳も責任転嫁もしなくてよいのであるぞ。文句もでないのであるぞ。そういうものを口に出したりココロで思ったりしているのは○×がある証拠であるぞ。○×は自分の保身が前提であるぞ。自分が損しないようにするにはどうしたらよいかを見ているのであるぞ。損しないと得はないのであるが知っているか。得ばかりでは偏ってしまうのであるぞ。そなたがしたいことを形になるまでやればこの方のことが分かってくるのであるぞ。人がどう言うかを気にしているときはできないぞ。人の言うことに文句言うとできないぞ。人を説得しながらやろうとすると遅くなるぞ。そなたがたとえ死んだとしてもそれはそれでメグリの清算ができたのであるぞ。魂のそなたが掃除できていればいつでも肉体を持てるのであるぞ。そなたは何を怖がっているのか。怖がっている間はそなたは何もできないのであるぞ。そなたが守っているものは崩れるものであるぞ。そなたがどんなに抵抗しようとこの方の言うことを疑ったり批判したりしているならば、そなたはこの方のことを知っているのであるぞ。そなたは何を批判しているのか。そなたがそれをやらないだけであるぞ。想念は消せないのであるぞ。そなたが想像できるもの否定できるものはすべてあるのであるぞ。後はそなたが選ぶか選ばないかであるぞ。言い訳はそなた自身にしているのであるぞ。
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 そなたが受け取るものを見てそなたが何を与えているかを見ることぞ。人のせいであるものは一つもないのぞ。そなたが与えないで人がくれるものはないのぞ。すべてそなたが与えたものと交換であるぞ。そなたが与えたものが返っているのであるぞ。そなたが不快をまき散らしたから不快なのであるぞ。今ここはそなたの今までのすべての生で与えたものを受け取る時期であるぞ。調和を蒔いていたものは天国の実を刈り取れるぞ。不調和を蒔いていたものは地獄の実を刈り取るのぞ。地獄の実を刈り取らねば天国の実は成らないのであるぞ。そなたに覚えがないものはそなたがいつかどこかで与えたものであるぞ。人は鏡であるぞ。鏡に文句言うのは自分に文句言っていることになるぞ。この方から見ればオカシキことをしていることになるのぞ。人のことをアホだと笑うそなたがこの方から見ればアホであるぞ。何も知らずに、永遠に自分がいなくなる自分勝手なゲームをしているのであるぞ。自殺したくない者、死にたくない者が自分を滅ぼすゲームをしているぞ。
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 そなたの外には何もないのぞ。そなたも相手も完全に自由なのであるぞ。迷惑なのは人のすることに口出しすることであるぞ。そなたの○×、そなたの現実で人のすることをアレコレ言うことであるぞ。そなたの「AはBだ」という現実はそなたの観念が創りだしているものであるぞ。現実は一つではないぞ。自分の責任ゲームに迷惑はないのぞ。そなたがこの方の言う通りにやらなければわからないことであるぞ。そんなものはあり得ないというそなたはその想念を持っているぞ。そなたが許していないから行動しないから見えないのであるぞ。そなたは勝手に自分の都合良く形にしようとしているぞ。最後の最後はそなた自身が危ないぞ。そなたの基準はそなたが選んでいるものであるぞ。そなたが外側を変えようとしているとき、そなたのすることは全部、迷惑になるぞ。そなたが神のココロになれば外側は関係ないのぞ。そなたがすべてを許せば相手のすることは関係ないのぞ。そなたが人のことが気になるならば、自分の理屈で自分勝手に人をコントロールしているのであるぞ。コントロールし合うゲームでは自由も天国もないのであるぞ。形や行動を○×しているならば天国も自由もないのであるぞ。自分の外側が自分の思い通りにならないからそなたは外を責めるのであるぞ。そなたが混乱すると思っているやり方は混乱しないのであるぞ。そなたが混乱すると思っている限り、この方のやり方はできないぞ。文句言うのも羨むのも同じことであるぞ。外を比べると天国は遅くなるぞ。それがこの方のやり方であるのぞ。そなたの内側が外側に形になるのであるぞ。この道理早う体得せよ。
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 白神山地(世界遺産)についての「立ち入ると自然破壊する」いや「立ち入ってこそ自然の大切さ理解できる」の議論、結論は永遠に出んぞ。もう力では押さえられんのぞ。知恵では解結しないのぞ。この方は、うまくいかなくなる方法も教えているぞ。自然は至善ぞ。すべては善に向かっているのぞ。魂の善(=天国の想念)が外の善を引き寄せるぞ。そなたらには自然の意味分かってないぞ。勝手に自然を創っているぞ。勝手に神を創っているぞ。そなたはこの方が創った初めの初めの「至善」を知らんのであるぞ。そなたは木や森や山や湖や海が自然だと取り違えしているのぞ。このフミの内容を議論する意識が自然を壊すことになるのぞ。神を知らん神頼みがキ違いを創るのぞ。議論している者は、どっちもどっちであるぞ。批判している者を批判する者は同じゲームをしているのぞ。勝ち負けゲームは勝ちはないのぞ。相対的な勝ちに過ぎないのぞ。両方負けるぞ。けんか両成敗であるぞ。両方とも初めから敗者に成っているのぞ。「地球環境をどうするか」と「あやま知人間」が話し合っても、永遠に答えはでないぞ。話し合うほど環境を壊すぞ。話し合うほど犯罪や戦争や貧富やイジメが増えるぞ。「環境」というものは守るものではないのぞ。守っている環境や平和は、すでに破壊されているのぞ。守ろうとする意識があべこべなのぞ。そなたが握っているあやま知から見ると悪いように見えるだけであるぞ。
P238
 政治家は、みんな良くしようとしてやっているぞ。よくならないのは何故か。良くしようとすること自体、あやま知ぞ。あやま知の悪の選挙で選ばれたものは悪しかないのぞ。我善しの思惑の損得のゲームは自分だけ勝手な皆負けのゲームであるぞ。皆が負ける世界を続けることになるぞ。戦いと統合は共存できないのぞ。メグリなければ事故ないぞ。失敗もないぞ。すべてのすべてがメグリ合いぞ。魂と魂の同意の結果であるぞ。殺人も病気もすべてメグリの結果であるぞ。肉体のそなたには見えなくても当然であるぞ。そなたのココロが何を批判して、何にひかれるかを見ろよ。そなたは肉体の感覚で魂を、霊界の自分を知ることができるようになっているのぞ。叱るのも褒めるのも同じことであるぞ。判断は神のゲームではないぞ。すべてのすべてがお互いに自分のせいであるぞ。どっちもどっちぞ。事故なくしたいなら、真釣りもどしをすることぞ。スピード控えても事故なくならんぞ。病気も同じぞ。もともとないものなのぞ。無いものを予防するというのはオカシキことぞ。迷惑だから良くないというのが迷惑であるぞ。自らの魂の真釣り外しのお知らせである病気を人に治してもらおうと思うのがオカシキことぞ。自らが真釣り外ししたから病気あるのぞ。自らのメグリの清算をしているのに人のせいにしているから悩みや混乱や葛藤がなくならないのであるぞ。始めに真釣りもどしぞ。真釣り外しを神にお詫びして、滅びる前のお知らせに感謝して、改心を行動することぞ。アタマで分かっても駄目であるぞ。分かったことを行動することであるぞ。事故を無くそうとするより、真釣りを戻すことであるぞ。形を変えようとすると壊れていくことになるぞ。
P239
 病気が治らないのは医師が悪いのでないぞ。そなたは、この方の仕組み、自らの身魂のメグリを知らずに形を治すゲームをしているだけであるぞ。医師の手術の失敗を責めるでないぞ。薬の調合ミスを責めるでないぞ。医療ミスの結果を生み出したのは病気を創っている自分のせいであるぞ。病気なければ医療ミスないぞ。霊先体後であるぞ。自分で創ったものを人に治してくれと言っても望まない結果がくるぞ。そなたがこの方に真釣ろえば病気も事故もないのぞ。安楽死というものはないのぞ。苦しそうだから死なせようというのは神に逆らうことであるぞ。肉体を保存しようというのは自然ではないのぞ。肉体を失わないようにしようとすると苦しむことになるのぞ。そなたにメグリなければ病気も事故もないのぞ。そなたにメグリなければ自分で全部できるのぞ。人に何かしてもらう必要はないのであるぞ。万が一はないのぞ。すべてはメグリ相応の出来事であるぞ。

 そなたらにはもともと保険はいらないのぞ。保険も銀行ももう終わりであるぞ。病気あるから医学ができたのであるぞ。神の代には病気ないぞ。医師はいらないぞ。裁判はないぞ。犯罪はないぞ。裁判所、消防署、警察、形の取締りや形のキリハリ全く違うぞ。そなたの体験で人のせいにするのはオカド違いであるぞ。警察、裁判所、病院、学校、すべてあやまちの世だけで通用する道具であるぞ。すべて夢うつつの、幻想のゲームであるぞ。現実というのが幻想であるぞ。リアリティーがファンタジーであるぞ。夢が現実であるぞ。すべてはそなたのしたいようになっているのであるぞ。できないと言うからできないのであるぞ。
P240
 人間から見れば一時間の渋滞は長く感じても、この方から見ればチョンぞ。何を慌てているのか。何をイライラしているのか。そなたが急ぐのは勝手であるが、人に文句を言うでないぞ。そなたが何をしようとしてもそなたの勝手であるぞ。そなたのしたいようになるのであるぞ。そなたが何をしようと人には関係ないのであるぞ。そなたの思いどおりにならないのはそなたのせいであるぞ。自分勝手を言って迷惑をまき散らすのをいい加減にやめろよ。そなたが今までのゲームを変えれば、掃除をすればしただけ想いが形になるのであるぞ。そなたが掃除をしただけ想い通りになるのであるぞ。そなたが掃除をしていない分だけそなたの想いが叶わないのであるぞ。内側の掃除をさぼっていてそなたの思いどおりにしようとしてもそれは自分だけ勝手の迷惑であるぞ。そなたの内側を掃除すればそなたの欲しいもの、欲しい状況はすべて来るのであるぞ。人から取らなくても、人をコントロールしなくてもすべてお互いに満たし合った状況で来るのであるぞ。損したとか失敗したとか言うのはそなたの自分勝手であるぞ。文句は不調和創るぞ。自分も苦しむぞ。

 戦争は戦いの想念を持った人間が創り出したものであるぞ。一人ひとりの○×が、競争が、善悪が、戦いが表の戦争を創るのであるぞ。肉体を保証しろ、肉体治せ、家族を返せというのは無知の証というものぞ。そなたが戦っていなければ戦争はないのぞ。メグリとれば病気直るのぞ。戦争責任はそなたにあるのぞ。人の責任ゲームでは戦争はなくならんのであるぞ。戦うのをやめることであるぞ。戦争が悪いのではないぞ。戦争を悪だと言って戦争をしていることに気づけよ。何でもかんでも戦おうというそなたのゲームをやめることであるぞ。すべての葛藤はすべてそなたの戦いが創りだしているのぞ。病気と戦うと病気になるぞ。事故は自分のせいであるぞ。保証はいらないのであるぞ。裁いたり訴えたりしているとそなたがますますメグリ積むのぞ。裁きや判断は人のせいゲームであるぞ。そなたがメグリなければ事故も病気もないのであるぞ。外がどういう状況だろうとそなたには関係ないことであるぞ。そなたはもともと戦う必要はないのであるぞ。今ここでどんな障害をもっていても、魂のそなたには手にも足にも目にも障害はないのぞ。肉体が難病でも魂は難病ではないのぞ。そなたのメグリを肉体で体験しているだけであるぞ。そなたの魂が肉体で苦しんでいるだけぞ。そなたのメグリを解消するための状況であるぞ。そなたも人も同じであるぞ。自分のしたことを自分で体験しているだけであるぞ。かわいそうだとか、気の毒だとかいうそなたが気の毒であるぞ。人の責任ゲームを持っている者が魂の障害者であるぞ。魂の障害は形の障害を創るのであるぞ。メグリ取れば死後魂は健康。
P241
 「治す」と「直す」は違うのであるぞ。「水(さんずい)」を基(台)にした形の修繕ゲームを「治す」というのぞ。神「+」の「目」でナオスのを直すというのぞ。ガンの原因分からずにガンを治す方法やガンにならない方法を勝手に創りだしているのぞ。死を知らずに死を悲しむゲームをしているぞ。死を悲しまない者を気違いというそなたが気違いであるぞ。この方のやり方の肉体調節をカゼと言っているのぞ。薬では治らないのぞ。外から見ても分からないのぞ。直ったかどうかは本人にも分からないのぞ。心臓の細胞がどうして自分で動くのか分かっているか。マントル対流が何故動くのか分かっているか。そなたは何も知らずに混乱の不思議のゲームを遊んでいるのであるぞ。すべては神の仕組みの中であるぞ。トキが立てば、神が手伝ってメグリを取れば直るのぞ。安らぎになるのぞ。肉体があるかないかどうでもよいようになるぞ。それがヤスラギであるぞ。魂と肉体が一つであるぞ。おイノチをこの方に預ければ病気や死の心配から解放されるのぞ。もっとも、生かされているそなたのおイノチはこの方がそなたに預けているものであるがな。
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 そなたの見るもの聞くものに例年と違う、今までにない「異常」が多いのは、今までと違うことになってきた証ぞ。この方のお知らせに気づけよ。「異常」というものはないのぞ。今までを「正常」と決めているから「異常」になるのぞ。相対的な表現に過ぎないのぞ。季節決まってないぞ。春の次、夏でないぞ。夏に雪降るぞ。決まってないことを教えるためにこの方が降らすのぞ。気づかないそなたらが降らすのであるぞ。季節決まってると思っているそなたらへの型示しぞ。決まったものないぞ。決めているのぞ。あたりまえのものないぞ。当たり前だと思っているだけぞ。勝手に決めているだけぞ。この方のすることを自分の都合で勝手に創っているぞ。自分勝手しているとビックリが出るぞ。ショックが来るぞ。一攫千金は無くなったら終わりであるぞ。この方のお金は永遠に必要なだけ来るのぞ。一回の金額の大小でさわぐでないぞ。一攫千金にのめりこむなよ。お金ためても魂の掃除なければ死んだ瞬間に地獄になるぞ。お金ためるより魂の掃除せよ。魂の掃除すれば永遠千金になるぞ。そなたがやれば分かるぞ。中今に生かしているそなたに必要なお金は預けるぞ。お金はそなたに預けたものであるぞ。独り占めすると損するぞ。
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 西暦二〇〇〇年は辰年ぞ。立つ年ぞ。龍が立つのぞ。二〇〇一年はないぞ。巳年はこないぞ。ヘビは滅びるのぞ。神の計画、寸分の狂いないぞ。型示しぞ。教えているぞ。ここにあるものすべて必然であるぞ。たくさんの型示しで教えているぞ。気づかないのはそなたのメガネが曇っているからぞ。このフミやこの者に神のメガネをもらえば見えるぞ。今までのデーターで未来を決めて対策たてるゲームはすべてアウトであるぞ。ビジネスも教育も宗教もそろそろ改心しろよ。この方がすべて教えているのぞ。肯定的、否定的という偏見はやめて、肉体の世界でアレコレ騒ぐのはやめて、この方の言う通りにモノを見て、行動して体験することであるぞ。それが「絶対助かる」唯一の方法であるぞ。そなたは一つの見方にとらわれているぞ。この方のメガネで見ればこの方の言うことが分かるぞ。この方はこの者を通してこの方のメガネを与えているぞ。この方の見方を教えているのぞ。この方の見方に取り替えることが掃除であるぞ。新しい世は神の世であるから神にしかルールは分からないのであるぞ。最後のときまでに少しでも掃除進めろよ。後ろは決まっているからツベコベ言ってさぼっているとそなたがきつくなるだけぞ。肉体の障害者は魂の障害者ではないぞ。脳が肉体を動かしているのではないぞ。脳で覚えているのではないぞ。アタマの学問、アタマの宗教卒業せよ。研究するほど分からなくなるぞ。そなたの魂が快欲にとらわれたら自分では解(ほど)けんのぞ。だから、神が知らせてるのぞ。苦をもって知らせているのぞ。苦も感謝しかないのぞ。神が滅ぶのをとめているのぞ。そなたがさぼっても裏切っても黙ってお知らせしているのであるぞ。神の法に反したら滅びぞ。響きなくなるのぞ。肉体もなくなるぞ。そなたが滅ぶ前に神がお知らせしているのぞ。お詫びぞ。気づいて改心自分のためぞ。ホドケの世になっていることに気づけよ。ホトケの世は神にしか創れんのであるぞ。そなたの響きなくなればそなたの肉体もないのぞ。
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 そなたは「人に迷惑だからしてはならない」などと人を教育しているが、迷惑なのは真釣りを外してそういう発言をしているそなたの方ぞ。神は喜びだけぞ。調和だけぞ。反対語というのはないのぞ。愛だけぞ。愛という言葉もないぞ。みんながわかるのぞ。みんなが仲間であるぞ。みんな同じ神ゴコロであるぞ。自分の好きなことができるから同じココロであっても一人ひとり違うのであるぞ。これが本当の個性の尊重であるぞ。形の○×ゲームやって不調和創りだしているそなた迷惑であるぞ。人のことを自己中心だと責めるそなたが自己中心であるぞ。人間はすべて自分中心に、自分の肉体の感覚、肉体の目で見ているのぞ。自分が選んだルールで外を見ているのであるぞ。外を変えようとすること自体が真釣りはずしであるぞ。自分の内側に応じてこの方が形を与えるのであるぞ。そなたの形が思いどおりになっていないのはそなたの内側が原因であるぞ。人のせいというのはないのぞ。この方は、アベコベの神にとらわれて気づく気配もないそなたに情けの苦でお知らせしているのぞ。そなたの魂が滅ぶ前に肉体をおめしあげしていたのが今までの「死」であるぞ。霊界預かりぞ。魂の傷をいやす機会を与えていたのぞ。今までの世の「輪廻転生」はこの仕組みの結果ぞ。前世で何をしていたかは問題ではないのぞ。この方の仕組みを学んで今世ですべての大掃除をすることぞ。楽ではないが楽になる唯一の方法ぞ。魂には生死ないのぞ。魂は生き通しであるぞ。肉体で見るから生死になるのぞ。そなたは霊界と現界にいるのぞ。次の世は霊界と現界半分ずつぞ。今までの現界の法則、物質の法則成り立たんぞ。原爆も噴火も平気ぞ。助かるには次に行くには神の法を学ぶことぞ。神の法は魂の法ぞ。永遠のイノチの素ぞ。肉体は魂の一つの形ぞ。魂滅べば肉体ないぞ。魂の法外せば滅びるのぞ。自分のしていることをかえりみよ。最後の最後のチャンスであるぞ。
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 神は「火(カ)水(ミ)」ぞ。初めにこの方が創った元つ火ありて水生じたのぞ。無から有を生んだのぞ。無とは響きであるぞ。有とは形のことであるぞ。何もないとは形のないことであるぞ。人間は生まれたときに有にかこまれていたであろうが。無から有創りだせぬ人間ぞ。資源引き揚げられて生きていられると思うなよ。神は天地を売り買いした覚えはないぞ。初めの者が金を取るから後の後が金で苦しむのであるぞ。自分勝手卒業ぞ。神は「過未」でもあるぞ。過去も未来も今の瞬間に一つであるぞ。そなたは過去や未来や今ここにないことを口に出しているだけぞ。そなたの想念には時間も距離もないであろう。そなたが語っていることは過去と未来のことであるぞ。勝手に決めて好き勝手にしゃべっているだけであるぞ。人の噂をするのは勝手であるが、裁くことはこの方が最も嫌うことであるぞ。この方がすべて許しているからすべてのすべてがあるのぞ。そなたらは何を裁いているのか。人間の法律は、ただのゲームぞ。分かつ知のゲームぞ。形の○×のゲームぞ。そなたは楽をみるから苦をみるのぞ。どっちが早いかを見るから遅いを見るのぞ。今までの苦を一つにすればよいなどというなよ。苦をつくった分だけ戻すのぞ。もともと無き苦を解結するというのはオカシキことぞ。楽を創って解結したら、新たな苦を創ったのぞ。喜びのみの神に楽を見る必要はないのぞ。楽のみぞ。楽しかないのぞ。楽もないぞ。
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 そなたの苦は真釣り外しの証ぞ。「おれにはおぼえはない」などと言うなよ。いつかどこかの生でそなたがやったことぞ。今ここで形になっているのが証拠であるぞ。素直にお詫びし、お知らせに感謝し、改心せよ。この方がその時その場からもどすぞ。今の時節というときは、手一本足一本なくなってもおかしくないのぞ。最後の最後の大掃除の前であるぞ。この方に真釣ろえば、お詫び、感謝、改心あれば、大難を小難にすることもできるのぞ。小難を何もなくできるのぞ。死を骨折に、骨折を打撲にすることもできるのぞ。そなたのメグリだけは苦しみを体験することになるが、軽くすることもできるということぞ。この方がすべてやっているのぞ。疑いのゲームは自分で自分の病気や事故を呼び込むぞ。賛成反対の議論のゲームはそろそろやめろよ。「ルール違反はよくない」と裁くのは、神のルール違反ぞ。自分のしていることわかっているのか。ルールやぶったことを責めているが、自らのルール違反はどうしたのぞ。ルールやぶるのが悪いことだということがルール違反であること知っているのか。そなたは自分ではめているトリックに気づいてないぞ。
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 「働かざるもの食うべからず」と言う者がいるが、この方はそんなことを言った覚えはないぞ。「働く」は他(ハタ)楽(ラク)ぞ。神にまつろえば楽になるぞ。食らうことから自由になるのぞ。何でも与えるぞ。そなたたがしたいことをすれば回りが楽になるのぞ。他が楽になることが働キであるぞ。働くのも遊びであるぞ。倹約もゲームぞ。借金返済もゲームぞ。争いもただのゲームであるぞ。そなたが回りと共に嬉し楽しで遊べればそなたはミロクの民であるぞ。そなたを救うのはそなただけぞ。仏も教祖も神も警察も誰も救ってくれないぞ。この方もそなたを手伝うだけであるぞ。そなたの注文通りに教材を与えるだけであるぞ。他力本願では本願は叶わないぞ。このフミもこの者もそなたに鏡を見せているだけであるぞ。このフミを批判したり、この者と戦ったりするのは自由であるが、そなたがいつまでもその現実の中にいるだけであるぞ。いつまで続けるおつもりか。そなたは今までの人生でも同じことをして来たのであるぞ。このフミもこの者もただあるだけぞ。○や×が見えるならばそれはそなたの持っている○×であるぞ。価値判断しているのはそなたであるぞ。「殺人」という状況に検事の見方と弁護士の見方という二つの見方があるのは何故か。「殺人」には意味はないのぞ。検事と弁護士のメガネ、フィルターを通してみるとそういう見方になるだけぞ。見ているそなたに意味があるのぞ。人のせいはないのぞ。自分の○×を掃除せよ。裁くのも価値判断もやめろよ。やめただけ想いが叶うぞ。掃除なき神頼みは効果ないぞ。この方がもう許さないからぞ。掃除なき者天国ないぞ。選ぶのは、やるのは、そなたであるぞ。この方に逆らう方法はどんどん壊れるぞ。ますます分離してわけがわからなくなるぞ。やさしさ、責任、という外の言葉にふりまわされるなよ。
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 「高齢化社会がくるから対策をねる」云々というが、この方はそんな社会にすると言った覚えはないぞ。人間という肉体はもう終わりであるから出生数が減っているのぞ。結果として高齢化社会になるようにみえるのぞ。勝手に解釈して混乱させるではないぞ。そなたらの解釈はこの方の仕組みと計画を知らん証拠であるぞ。福祉や奉仕は「カネ」の世、「人のせい」ゲームが創りだしたものであるぞ。いつまで続けるおつもりか。本来ならば福祉や奉仕は要らないのであるぞ。この方の世界では貧富も障害もないからぞ。自分のことは自分でできるからぞ。そなたらのやり方ではますます福祉や援助がいるようになるぞ。いるようになるがカネがなくなっていくぞ。カネがないから福祉ができなくなるぞ。貧富や差別はそなたのゲームを変えなければなくならないのであるぞ。早く気づけよ。マルチメディアは要らなくなるぞ。わざわざ自ら問題を創って解結できない方法で解結しようとするゲームは終わりぞ。ごくろうであったな。民主主義は話し合いというが、神の世界に話し合いはいらないのぞ。交換して満たし合う交渉があるだけぞ。神の世界の映しであるこの世界も同じであるぞ。天国になれば議論なくなるぞ。批判なくなるぞ。病気、怪我はメグリの結果ぞ。自分が真釣りもどせば直るのぞ。国会の議論は、自分の都合よい有利な状況にしようという思惑があるぞ。すべて「仮定の話」ぞ。自分の見方押しつけてるぞ。人を落として自分が上がるゲームでは天国ないぞ。相対的な勝ち負けでは全員勝てないぞ。人と比較して競争するゲームは終わりであるぞ。神から見れば何兆円もっていようと世界で一番になろうとチョンであるぞ。「国民の代表」である政治家様、いつまで自分たち勝手な議論を続けるおつもりか。何も解結していないぞ。国民は納得していないぞ。見放しているぞ。国民も政治家を批判していると、抗議やデモでさわいでいると自分がアウトになるぞ。他力本願では何も変わらんのぞ。身魂の視点に変えろよ。自分のしていること気づけよ。
P249
 「もしそれをやったらどうなるのか」と人に聞くとき、自分の意見はどうかを自分に聞いてみよ。この方がそなたの納得いくように答えてやるぞ。この方の答えを実際に行動すれば納得するぞ。行動しないで考えていても先に進まんぞ。「やらなかったらどうなるのか」という問いに、そなたは「こうなるああなる」とアレコレ言うが、その通りになるのか。このフミに対しての意見、批判、賛成反対の議論疑いゲームをやっているとますます真釣り外すぞ。この方は、それをやめろと言っているのぞ。この方が批判しているかしていないかというのも同じぞ。「ありえない、よくない」というのも同じぞ。「あやま知」にとらわれている証拠ぞ。外を見ているぞ。外を分けているぞ。何をしても自由だがそなたがどうなるかよく考えろよ。気づけよ。外を替える唯一の方法は内を替えることぞ。「あやま知」を入れ替える提案をしているこのフミやこの者の提供する情報を「あやま知」を使って見てどうするのぞ。そなたはいつまでも「あやま知」から出られないぞ。そなたは何も知らずに滅びていくぞ。せっかくのチャンスを逃すでないぞ。そなたのためであるぞ。全員がミロクへ行けるのぞ。お掃除が完全に済めば、怒り悲しみイライラ不安はなくなるぞ。喜びもなくなるぞ。喜びが当たり前になるのぞ。当たり前のものをいちいち騒がないだろうが。感情もなくなるのぞ。なくなるがあるのぞ。皆がしたいことをして嬉し嬉しで暮らせるようになるのぞ。そのためにはそれなりの苦労が必要であるぞ。「そんな夢みたいな方法はない」と言う者は好きなようになさるがよいぞ。そなたは夢を見ているのであるぞ。そなたが見たいものを見ているのであるぞ。見たくないものを見ているというならば、そなたが見たいものを見られるようにすればよいのぞ。そなたが見たいものを見るやり方を避けているからそなたは苦しんでいるのぞ。このカラクリに気づかなければそなたには永遠に天国はこないのぞ。気づいたら実行あるのみぞ。アタマの判断卒業ぞ。
P250
 神は「火(ひ)水(みつ)」ぞ。「秘密」は明かされるぞ。神は「化身(かみ)」でもあるぞ。そなたは神の化身であるぞ。神は響きで鳴って形に成るのぞ。神は変身ぞ。そなたは神の化身ぞ。分身であるぞ。神の成りの成りの成りの果ての姿であるぞ。そなたは神のココロを持っているのぞ。そなたが神のココロを持っているから神のココロを否定できるのぞ。この方に文句言えるのぞ。そなたは何を否定しているのか。そなたは何に文句を言っているのか。そなたが否定するのは勝手だが、そなたが否定しているものはあるのぞ。そなたが想像できるものはすべてこの方の響きであるぞ。そなたが選んで行動した想念だけが形に成るのぞ。選ぶというのは行動することぞ。信じているならばその通りにすることぞ。そなたが想像できるものはそなたという身魂が持っているものであるぞ。そなたが否定しているときは自分自身を否定しているのであるぞ。そなたの持ちものをすべて認めて、すべて許して、初めてそなたは神に成るのぞ。×や悪で裁いている分だけ苦しんでいるのぞ。
P251
 そなたが想像できるものはすべてそなたのものであるぞ。そなたの想念はすべてこの方のココロであるぞ。悪も善もすべてであるぞ。そなたが分けているだけぞ。そなたが価値判断できるものはそなたが想像できるものであるぞ。身魂が想念がそなた自身であるぞ。そなたが否定しているのはそなた自身であるぞ。そなたも人も同じココロを持っているのであるぞ。どれを選んで表現しているかの違いであるぞ。全部許せばこの方と同じココロになるのぞ。この方のココロを表現できるようになれば天国であるぞ。そなたが裁いている分だけ天国ないのぞ。天国と地獄ができるのぞ。この方が天国そのものであるぞ。この方は何も裁いていないのぞ。そなたが裁くならばこの方のココロと同じではないぞ。そなたはこの方のココロを分けているのであるぞ。一つにしないと天国ないのぞ。そなたが否定している「人の発言や行動」はその者の想念を形にしたものであるぞ。そなたが想念を語るのと同じであるぞ。そなたの中のその発言や行動をそなたが否定しているからそれと同じものを外に見たときにそなたは否定するのであるぞ。そなたが否定しているものは「神」であると気づけよ。神を否定してそなたに天国ないぞ。そなた自身をすべて認めてすべて許して行動してそなたは天国であるぞ。そなたがそなたをすべて許せばそなたは天国ぞ。そなたの外も許せるぞ。それが「愛」であるぞ。すべての者が天国になる想念を愛というのぞ。そなたの外に見えているものはすべてそなたの鏡であるぞ。そなたの外に×や悪が見えたら責めるのをやめて許せよ。今のそなたらのゲームではきついことであるが、それが神成る修行であるぞ。そなたがさぼっていたからきついのぞ。そなたの目の前のものを裁くのをやめるのが修行であるぞ。自分の○×、善悪が映っているだけであると自覚せよ。まずは自分を許すことから始めることぞ。人のすることを許せない認めないとさわいでいる者には天国はないと思えよ。新しい世は関係ない世となるぞ。どうするかはそなた次第、地獄でも天国でも好きにするがよいぞ。


 おわりに

P253
 さて、初めて読んだ「神様からの手紙」はいかがなものだったでしょうか? 皆さんが今までやっていたことがアベコベであることがお分かりになりましたか? そのことを知ってどう感じましたか? あるいは、まだ、アレコレ理屈をつけて抵抗しているでしょうか? 神様はどちらも許していますから、皆さんのお好きなように解釈してください。
 神様も言っていますが、この本は今までの「あやま知の人間」に書ける本ではありません。皆さんが抵抗している部分、批判している部分は皆さんには活字にできないということです。言い換えると、皆さんが活字にできない部分は皆さんはやっていないということです。やっていないから抵抗するのです。私自身、この本を早く出そう出そうとしても、掃除が済まないと形にならないことを実際に体験して、このことを痛切に実感しています。活字にするプロセスは、同時に、私自身が自分の書いたものを読んで自分の体験してきた掃除のプロセスについて復習するという修行でもあったのです。
 この本は、今までの見方で見れば、自分で書いていて自分で書いたものではないという「不思議な」本なのです。これで、私の体験がアベコベのゲームをやっている皆さんには説明しても理解できないものであったこと、私の第一冊目、第二冊目が私の理屈ではなかったことがお分かり頂けたものと思います。「神様のやり方を人間のゲームに翻訳して体験というフィルターを通して語った本」だったというわけです。私がここに形にしたことをただの考え方だと言う方はそれはそれで構いません。皆さんの自由ですから。すべては皆さんの体験として返ってきますから、その時にもう一度選び直してください。
 この本と今までの一冊目と二冊目を併せて読んで頂くと、新しい時代のことやこれからすべきこと、皆さんの嵌めているトリック、幻想のゲームのカラクリ等々がよりハッキリと見えてくるでしょう。要は、「やってみなけりゃわからない」ということです。「やらなきゃずっとわからない」ということです。ごちゃごちゃ議論している間に試してみてください。やれば天国、やらねば地獄。最後の最後にはどちらも証明されますから、その時になればすべてが分かります。これから先、皆さんの目の前の出来事がどんどん変化していきますから、抵抗している皆さんにもここで書いていることが真実かどうか見えるときがくるでしょう。結局は、今回に限っては、人や社会のことは関係なくて、皆さんという魂の一人ひとりの問題だということです。天国に行くも、地獄に行くも、皆さん次第だということです。最後の最後にはすべてが形になりますから、それまでお好きなようにやってください。反省も後悔も要りません。気づいたらその瞬間から別のゲームを始めればよいだけです。何でもやってみてください。無駄なことは一つもありませんから。
 神様が語る情報が下記きの形でまだまだたくさん提供されていますが、取りあえずここまでの部分を本にするようにということですので、今回はこれで終わりにします。ここまでのフミで、皆さんのトリックを外すには十分な情報がありますから、このフミを読んで今まで皆さんがしてきたことを振り返ってみてください。そして、新しい情報を試してみてください。この先の情報は、このフミが読めるようになってからでないと多分理解できませんから、この続きは機会を見て少しずつ公開していくことになると思います。
皆さんが天国に行けることを、そして、今ここの天国でも遊べるようになることを願っています。自分自身のために最初で最後のこの機会を有効に使ってください。
 この本の最後の最後に、次の公開への準備として、少しだけ、神様からの情報をそのまま書いておきます。近いうちに本の形にして分かりやすく公開されると思います。私自身へのメッセージも含まれていますから、理解できるできないは別にして、細かいところにこだわらずに、新しい智慧を学ぶための一つの情報として読んでみてください(実を言うと、この部分までが今回の本で公開する掃除のための材料であるということです)。


           *******

P255
 今回の世紀末の大変というのは、「あやま知」を壊してタテカエて、神の真理へタテナオスための大掃除ぞ。今までの形はいずれ壊れるのぞ。壊れるしかない形を創っているのはあやま知にとらわれたそなたらぞ。分離のゲームをいつまでも続けても天国は創れないのであるぞ。いつまでも自分の都合で自分が創った神や天国にこだわって、争っているでないぞ。そなたの語る神は自分勝手な神であるぞ。天国創ろうという者が、人のことを責めているではないぞ。そなたがどうなろうとこの方に文句言う筋合いはないぞ。この方は初めからそなたらに気づかせていたのであるぞ。文句言う、形の善悪良否を言う、責めるというのは「あやま知」持ちたる人間のゲームぞ。神の真理はあやま知から見ればキ違いに見えるぞ。非常識ぞ。善と悪、正常と異常、○と×に分けるゲームであるから当然のことぞ。この方から見ればそなたらが「気違い」であるぞ。キが違うのであるぞ。想念が違うのであるぞ。違うのではなく許しているかいないかであるぞ。この方はすべて許しているのぞ。そなたが裁くのも許しているからそなたは裁けるのであるぞ。そなたが裁いていることを苦しみを体験することで気づくのを待っていたのであるぞ。そなたは裁いているぞ。この方の言うことを裁いているから混乱がなくならないのであるぞ。
P256
 この方のやり方では証明書も印鑑もいらないのぞ。約束違反やルール違反をすれば自分自身が苦しむことを知っているからぞ。借りたものは返さないと自分が危ないと知っているからぞ。皆が天国になる自分勝手であるぞ。調和を創りだす自分勝手であるぞ。天国を創りだす保身であるぞ。自分も人も嬉し嬉しであるぞ。形の損得のゲームでは、人は何も保証してくれないぞ。メグリある者は約束しても思いどおりにならないぞ。「適」マークは保証ではないぞ。「保証書」も保証ではないぞ。過去一〇年無事故でも今後事故がないという保証はないのぞ。今一流企業に勤めていても保証はないのぞ。今失業していても今後の展開は分からないのぞ。否定的な出来事に見えるものはそなたへの教材であるぞ。
P257
 そなたは自ら創ったメグリ相応の出来事を体験するのであるぞ。自分のメグリを自分で体験するのであるぞ。年金は保証ないぞ。生命保険受け取る人ないぞ。火災保険地震保険ないぞ。みんな壊れるのぞ。お金も無くなるのぞ。救急車も消防車も自衛隊も何も助けてくれんのぞ。全国一斉に火事になったら誰が消すのぞ。山火事だけで右往左往している人間に何ができるのか。「そんなことは起きるはずはない」というそなたはメグリを創り続けているぞ。殺人や発砲やイジメや地震や水不足で大騒ぎしているが、これから先、それどころではないビックリがでるのぞ。取材する者足りなくなるぞ。ニュース伝える時間なくなるぞ。ニュース伝える資材がなくなるぞ。オカネが無くなるぞ。交通が止まるぞ。危険なことばかり起きるぞ。被害うけた、損したと大騒ぎして責任追及している者はもっと被害を受けるのぞ。そなたがそなたの加害者であるぞ。そなたはそなたのメグリ相応の修行をしているのぞ。最後の最後はみんな一斉に掃除するのぞ。人のせいにせず、修行に堪えて身魂掃除をしたものだけが永遠に助かるのぞ。修行に堪えるというがそなたのメグリが原因ぞ。そなたが創った苦であるぞ。今なら少しずつできるぞ。

 この本は、掃除終わった人間でないと書けんのぞ。この方の言うことを一つでも疑い、拒否していると書けんのぞ。行動して体験しないとこの方の言葉は形にできないのぞ。この方が形にさせんのであるぞ。この本、掃除おわった証明ぞ。証拠ぞ。この者の自分のまとめでもあるぞ。この方の仕組みやこの方の計画を知りたければこのフミを素直に読むことであるぞ。この方の言うことを素直に実行することであるぞ。すべてのすべてはそなたの想念の選択の結果であるぞ。そなたが選んだものが形になっているのぞ。欲しいものを交換しあって喜びを体験するゲームであるぞ。すべてのすべては交換であるぞ。そなたが提供しただけ戻ってくるぞ。そなたが得ただけ提供するのぞ。損も得もないのぞ。エネルギーが偏れば解消することになるぞ。得したと喜んでいると損するぞ。今損したのはそなたのメグリの解消であるぞ。そなたは損をしたことで魂の掃除をしたのぞ。そなたは損をしたことで魂のメグリを取ったのぞ。そなたに想いがけない得がきたときはそなたはどこかで提供しているのであるぞ。損を嘆くなよ。くれるものは喜んでもらっておけよ。
P258
 お金もモノであるぞ。特別にしているのはそなたらであるぞ。制限の中でお金を集めても幸せはないぞ。集めたお金が無くなればまた集めることになるぞ。神のやり方は永遠に必要なお金は手元にあるぞ。情報ビジネスはお金と智慧の交換ぞ。お金はそなたの創ったエネルギーの変化した形であるぞ。借金というのは他人のエネルギーで創ったお金を使っているぞ。自分のエネルギーでお金つくって返せよ。借金で借金を返しても借りが残っているぞ。想念の借りを返さなければそなたは天国ないのぞ。形で逃げても想念は逃げられないのぞ。自己破産して形で逃げても想念の世界の借りはあるぞ。別のところでメグリ解消することになるぞ。そなたが自分のエネルギーで交換したお金で返さなければ清算してないぞ。形になっているものはそなたの身魂の世界の現れであるぞ。形が天国でなければ想念の○×をやめることで天国になるぞ。許したものだけが形になるのぞ。
P259
 そなたのしたいことを素直にやることぞ。人の言うことは無私して一つ一つ交換することぞ。そなたがしたいことをすればよいぞ。障害にぶつかったらその時その瞬間に対応すればよいのであるぞ。うまくいっているときにうまくいかなくなったときのことを考える必要はないぞ。「うまくいくときばかりでないから万が一のことを考えて」というのはあやま知であるぞ。そなたが掃除すすめばうまくいくことばかりであるぞ。そなたにメグリなければすべてうまくいくのであるぞ。神の世界は一〇〇パーセント喜びであるからぞ。智慧を提供してお金と交換して豊かになる。お金提供して智慧と交換して豊かになる。

 お互いに足らざるところを満たし合って嬉し嬉しで修行するのぞ。自分のためが人のためぞ。みんなでみんなのお手伝いするのぞ。人間のすることは神のすることぞ。人間を通して神の世界を形にするのぞ。そなたの身魂も嬉し嬉しの世界であるぞ。そなたも神も人も嬉し楽しで遊ぶのであるぞ。人を負かして自分が上に上がるゲームは終わっているのぞ。お互い不快感のゲームはもううまくいかなくなるぞ。自分だけ得しようとする者は自分だけ損をすることになるぞ。一人ひとりできるゲームであるからぞ。
P260
 医者に治してもらおう、薬、注射すれば治ると思うのは大きな間違いぞ。治すと直すは違うのぞ。病気、事故、損、犯罪、すべてメグリ合いぞ。メグリの型示しぞ。そなたのしたことぞ。そなたが加害者ぞ。そなたが原因ぞ。すべてそなたが源ぞ。人間というそなたに分かるように肉体を通して型で示すのぞ。肉の体というのは神の肉宮ぞ。神の仕組みが型に成ったものぞ。この方の言う通りやれば神の仕組みを体験できるのぞ。この方に逆らうやり方をしていることを教えるために肉体で苦しみを感じているのぞ。肉体はそなたのメグリを解消するために神が与えた道具であるぞ。そなたのものではないのぞ。傷つけたお詫びをせよ。お詫びして改心(改神)したらオカゲやるぞ。そなたが掃除をすればしただけ思い通りのものを与えるのぞ。何もしなくても欲しいもの来るようになるぞ。

 智慧はいくら与えても無くならんぞ。この方の智慧は無限であるぞ。この方の与えるものは無限であるぞ。「天恵」は無限であるぞ。「資源」は無限であるぞ。節約するゲームはいらないのぞ。足りなくなるのはそなたのゲームの型示しぞ。人間の創り出すモノは限りあるぞ。モノの商売、もう終わりぞ。あやま知の知恵を教えるとみんなが地獄になるぞ。この方知らずに幸せや天国や世紀末を語る者は目を覚ませよ。皆で地獄に行く気か。今ここにあるもの、九九パーセントあやま知であるぞ。その創りだす形、九九パーセントあやまつ形であるのは明白であるぞ。そのままのゲームを続ければ、最後の最後の大掃除で九九パーセント獣(ケモノ)になるぞ。ヒト(地の日月の神)になれるのは一パーセントであるぞ。数字を出したが数字にこだわるなよ。数字に振り回されるのはそなたがケモノの予備軍である証拠ぞ。この方の修行をすれば今からでも「ヒト」になれるぞ。この方は一人でも多くの「お子」を天国に連れていきたいのであるぞ。ヒトとケモノの人員整理始まるぞ。早く目を覚ませよ。
P261
 そなたらのしていること、九九パーセントアベコベぞ。逆ぞ。アタマでっかちぞ。すべてが九九パーセントと一パーセントの戦いであるぞ。戦いあれば一つになれんのぞ。戦っている者はカミになれんのであるぞ。最後の最後は一パーセントなければ勝てんのぞ。一パーセントあれば一〇〇であるぞ。百(もも)であるぞ。桃であるぞ。桃太郎になるぞ。あやま知に勝つのはカミだけぞ。あやま知とあやま知が戦ってもあやま知のままであるぞ。

 この方は悪のやり方に九九パーセントまでは勝たしてやるぞ。何でもかんでも九分九厘と一厘の戦いぞ。一厘ないと一〇「十(カミ)」にはなれんのぞ。九九は皇(スメラ)ぞ。一あって百ぞ。「一〇」x「一〇」ぞ。一厘はこの方だけが知ってるのぞ。この方の家来とこの方を生きている者は知っているぞ。一厘なければすべてないのぞ。この方がなければすべてないということであるぞ。神の一厘なければすべてないのぞ。そなたが否定しているものもないのぞ。神なければすべてがないのぞ。そなたがこの方を疑えばそなたはなくなるのぞ。この方がいるからそなたは否定できるのであるぞ。そなたが否定しているのはこの方であるぞ。そなたは否定していてこの方を認めているぞ。この方を知っているから否定できるのぞ。この道理分かるか。否定して消すというゲームは幻想であるぞ。
P262
 すべてはスメラとユダヤの戦いぞ。スメラはこの方の一厘を知っているヒノモトの身魂であるぞ。ユダヤは一厘を知らない「分かつ知恵」の身魂であるぞ。今までの世は「知恵」の世であるぞ。これからの世は「智慧」の世であるぞ。戦いではあるがスメラは戦わずに勝つのぞ。勝っている者は自滅するのぞ。ヒノモトの民は世界の民に一厘知らす親であるぞ。ヒノモトから大掃除を始めるぞ。世界征服の企み、九九パーセントでグレンとひっくり返るのぞ。悪の企み企てる者、自らがあやま知にとらわれおるのを知らんぞ。悪を企んでおると自分が滅ぶぞ。悪の神もお役目ぞ。そなたが釣られてついていけば魔釣りに引っ掛かるぞ。そなたが滅ぶぞ。悪の芽は残らず切っているのぞ。次の世は悪は存在できん世であるぞ。今の今も悪はないのぞ。悪を悪と見ているそなたが悪を創りだしているだけぞ。智慧はなくならんぞ。お金無限大に創りだせるぞ。自分だけがもうけようとしている者、自分だけが損することになるぞ。
P263
「苦あるのが当たり前」「病気あるのは当たり前」というのはあやま知ぞ。苦ないのが当たり前なのぞ。ここまできて「でも~」とこの方に戦いを挑むか。本来ならば病院はいらないのぞ。そなたらが作ったものであるぞ。必要有るものができるのぞ。メグリ忘れて形の修繕に走るなよ。肉体の状態は魂の状態を教える型示しぞ。病気あるのはオカシキことと気づけるようになれよ。医師を責めるのは魔釣りぞ。病気なければ医師いらんのぞ。医療ミスもないのぞ。自らの真釣り外しをわすれて人を責めてますます真釣りを外す、ふがいないのう。医師に真釣りはずしさせておるぞ。医学だけではないぞ。すべてのすべてが「魔釣り」であるぞ。滅びの坂道駆け降りてどうするのぞ。いい加減に目を覚ませよ。いつまでも魔釣りをやっていると最後にグレンと返すぞ。お祭りやって魔釣りをしているぞ。魔釣りやっているものは最後の最後で大掃除であるぞ。自業自得であるぞ。

「あやま知」とらわれある人間が考えるもの、創りだすものすべて「あやまつ形」だと気付けよ。何がよいかわるいかの議論はオカシキことぞ。あやま知では平等はつくれんのぞ。つくれん方法でつくろうとしているぞ。はやく気づかんと気の毒でるぞ。取り返しつかんことなるぞ。十理(神のことわり)に返れんことになるぞ。そなたは神になれんぞ。いつまでもグチグチ言っているそなたには、ミロクはないと思えよ。すべてのすべてがアタマとハラの戦いぞ。二つに分けるアタマが戦っているだけぞ。ハラはすべて知っているのぞ。この方は知っていて戦わせているだけぞ。早く気づかんと悪と悪と共食いすることになるぞ。最後には自らのアタマを潰すことになるぞ。ヘビはアタマを潰さんと死なんのぞ。戦いの型示しぞ。ハラは勝つ由のんびりぞ。戦いやめんと自滅するぞ。
P264
 悪魔というものはないのぞ。そなたの世は「アク間」であるが悪魔はいないのぞ。そなたは取り違えしているぞ。「アイウエオカキク」の八の世であるぞ。五十音はこの方の言葉であるぞ。この方の仕組みを伝えているのぞ。そなたの居る世界は八方世界であるぞ。枠の中の世界であるぞ。枠の外はこの方しか知らんのぞ。アとクの間ぞ。アク間を悪魔にしているのはそなたらのとらわれしココロであるぞ。戦いのココロであるぞ。このことを知らぬあやま知であるぞ。そなたは初めての世界に出る産道にいるのぞ。

 この方の構えた宇宙の出産が始まっているぞ。そなたは産道にいるのぞ。九の道ぞ。九九路、ココロぞ。ココロの世界の出産であるぞ。そなたらの世は「12345678」の世であるぞ。神の型になる仮の型であるぞ。神の真型は「〇12345678九十」ぞ。神の型とそなたの型の差を取るのが「悟り」であるぞ。〇九十(マコト)は1~8の外にあるのぞ。そなたが誠を語ることはできないのぞ。マコトは一人ひとりのココロにあるのであるぞ。良いことをするのがマコトではないぞ。神ゴコロがマコトであるぞ。外から中へ伝わるぞ。神は想念に入るぞ。この方との臍の緒がココロであるぞ。
P265
 日本の国土は国常立の神の御神体であるぞ。日本は神のキいずる唯一の国なるぞ。ヒノモトぞ。霊(ヒ)の元(モト)なるぞ。日本と世界は似ているぞ。日本先(さき)世界後(あと)ぞ。ヒノモト創って世界を創ったのぞ。ヒノモト変わらなければ世界は変わらんのぞ。そなたが変わらなければそなたの外は変わらんのぞ。すべてのすべてが同じ仕組みであるぞ。

 日本が親で世界が子ぞ。兄弟ではないぞ。幹あって枝あるぞ。親あって子あるぞ。神あって人あるぞ。幹が枝の真似をしてどうするのぞ。世界の人民は神の子ではあるが、日本が親で世界が子ぞ。五体は五大陸ぞ。日本がハラぞ。五体はハラが統べ真釣るのぞ。ハラは一つぞ。後は対であるぞ。頭は左右分けているぞ。アタマでは統べ真釣れんのぞ。アタマでやるとアベコベになるぞ。アタマでは魔釣りになるぞ。すべてのすべてに型示しあるぞ。ハラで栄養とるようになっているであろうが。

 そなたの議論している宇宙は神の子宮の中ぞ。出産はただ一度ぞ。今までの知識イランぞ。邪魔であるぞ。そなたの知識では理解できんのであるぞ。この方の言う通りにしていれば安産であるぞ。臍の緒切るのぞ。九九パーセント逆子ぞ。帝王切開するぞ。

 障害者はそなたらのしていることの型示しぞ。そなたらが偏っていることを教えているのぞ。障害持ってメグリを清算することを選んだものが肉体をもってきているのぞ。難病も同じであるぞ。年齢は関係ないぞ。メグリ相応の形になるのぞ。形は不平等ぞ。取り違えするでないぞ。
頭は頭、足は足それぞれ役目もって動いて始めて調和ぞ。形の平等ないぞ。目が鼻になりたいと言ったらそなたの顔はどうなるぞ。区別大切ぞ。差別でないぞ。区別タテワケしないことが差別ぞ。「天地」ではないぞ。「元つ天/地/小天」ぞ。「霊心体」ぞ。霊先(さき)体後(あと)ぞ。神先(さき)人後(あと)ぞ。霊界先(さき)現界後(あと)ぞ。合わせ鏡であるぞ。
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 人間性は神そのものぞ。人間は真実知らんぞ。マコトの智慧はこの方だけが知っているのぞ。そなたの想念を通していつでも教えるぞ。メグリ掃除すれば与えるぞ。自分のしただけのことは返せよ。人間というのは「ヒトの間」ぞ。「ヒト」は「一十」ぞ。○12345678九十が神の真型ぞ。1から十を統べ奉る神がヒトぞ。そなたは1~8の世界にいるのぞ。九は産道ぞ。十への準備ぞ。異常出るぞ。八の世の知識では分からんことばかりであるぞ。人間はヒトではないぞ。人になる間であるぞ。

 ○~十は元つ神ぞ。012345678九十(表)と十九876543210(裏)全部で22あるぞ。表と裏が一つになって22を産むぞ。22(フツ)産(ウ)ぞ。フツウは神ぞ。人間はフツウでないぞ。上下に並べてそれぞれを足すと「十」になるぞ。表と裏が一つになって神が形になるぞ。すべてのすべてが神であるぞ。「火」と「水」の十字であるぞ。十が傾いているから×になるのぞ。「火水」は「秘密」ぞ。神は形になるぞ。
表面上は不平等ぞ。一人ひとりのメグリによって「病気」や「事故」や「怪我」や「損」や「死」は違うのぞ。不平不満言うなよ。人と形を比べるなよ。うらやましいとか不公平だとかいうなよ。納得できなくてもそれは自分のしたことぞ。形の平等はつくれんぞ。掃除するまでできんぞ。自分のしたことだけは拒めないのぞ。神恨むのは逆恨みぞ。逆恨みは自分にカエルぞ。自分のしたことの結果を人のせいにするなよ。自分勝手であるぞ。
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 形にあることはすべて自分のした結果ぞ。今度のタテカエタテナオシもそなたらがしたことを元に戻すための計画であるぞ。そなたはもともと、この方の嬉しの世界にいたのぞ。そなたが神の法はずさなければ今度の「世紀末」は嬉し嬉しで神代となったのぞ。大掃除無かったのであるぞ。すべてのすべてはそなたが創りだしたことであるぞ。この方はそなたらのしたことのしりぬぐいをしているのであるぞ。そなたらにはもうどうにもできないことであるからこの方がやるのであるぞ。この方は大掃除をやる前にすべてを教えているのであるぞ。予言ではないぞ。警告であるぞ。予告であるぞ。今までの知にとらわれるでないぞ。このフミは今までの予言書とは違うのぞ。マゼコゼにすると残念がでるぞ。
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 人間の代は神の代であるぞ。今の人間の世も悪神にとらわれた神の世であるぞ。そなたらが悪神にとらわれているから悪の世になったのぞ。悪も神ぞ。そなたらがとらわれなければ悪の世はなかったのぞ。死後は肉体から見た見方ぞ。そなたに死後はないぞ。そなたという身魂が肉体を通して見ているだけぞ。アベコベであるぞ。生死一如ぞ。今度は三千世界のタテカエぞ。子宮の中の神々の神の世界もタテカエルのであるぞ。中の神々がアベコベをしているからアベコベになったのであるからぞ。初めてぞ。神界はタテナオシ終わっているぞ。アベコベになっている神を戻したのぞ。神界タテナオシタぞ。神界が現界に映るぞ。タイムラグがあるが形になるぞ。鏡に映るぞ。現界の掃除あるぞ。ウソだと申すならお好きになさるがよいぞ。そなたは何も知らないのであるぞ。

 外側の大掃除始まれば人間ひとたまりもないぞ。肉体にこだわっている身魂にはきついことになるぞ。資源なくなるのぞ。早う神の法、学べよ。あやま知の本、あやま知の話はあやま知をさらに進めるだけぞ。滅びるだけぞ。今までのやり方は進歩と見えるようになっているのぞ。便利になったその外側、全部とられてどうするぞ。コンピューターでは大峠は超えられないのぞ。神の知識持っても何もならんのぞ。掃除なく神を拝んでも神は何もしないぞ。神はすべてを知って、とぼけてそなたを引っかけているのぞ。すべてアベコベぞ。そなたが気づけば直るのぞ。進歩は破壊ぞ。タテカエぞ。ユダヤぞ。壊せば直るのぞ。古いもの壊さねば建て直せないぞ。想念がこの方であるぞ。自分と自分が語るのぞ。神と神ぞ。自分を疑うのは神を疑うことであるぞ。
P269
 魂が神の法を学ぶと、思い出すと天国ぞ。現界も天国ぞ。永遠のイノチぞ。あやま知祓えば苦なくなるぞ。見えるのぞ。魂はじめからスミキッテイルのぞ。○も善も祓えよ。

 今度のタテカエタテナオシは始めから決まっていたことなのぞ。万古末代二度とないただ一度のことであるぞ。末代動かぬ神代とするのぞ。神の世に闇はないぞ。悪はないぞ。悪神も新しい世では神となる神ぞ。大掃除のタテカエを手伝うお役目ぞ。悪ではないぞ。悪祓うとそなたらが引っ掛かるのぞ。

 そなたらは神の中で呼吸しているだけぞ。人間から見たら時間が見えるだけぞ。すべて呼吸ぞ。円ぞ。縁であるぞ。出会いは縁ぞ。呼吸は吐いて吸うのぞ。手放すと入るぞ。提供するものが入ってくるのぞ。取ったものは出ていくぞ。

 神の掟を学び、あやま知手放すほどに神が現れるぞ。感じるぞ。気づくぞ。体験するぞ。形になるぞ。嬉し嬉しが来るぞ。そなたが選べば対話するぞ。神の掟通りに生きると天国になっていくぞ。人間は神なる身であるぞ。神の法、学ばないと新しい世には生き残れないぞ。肉体で生き残ろうとすると残れないぞ。女子供老人病人障害者、係わりなく、一人残らず掃除あるのぞ。肉体の形は関係ないぞ。そなたらが身魂でしただけのことはするのぞ。掃除しただけ、その瞬間から善き方に回すぞ。
P270
 新しい代は光一つ上がる世であるぞ。すべてのすべてが変わる世であるぞ。末代続く天国であるぞ。今度の今度は悪の存在は許さないのぞ。今までの知識ではわからない世であるぞ。この方の言うとおりにすると分かるぞ。たくさんのオフレ紙が出ているぞ。この方を生きると真実を語っているものが見えるぞ。そなたの前にはこの方の言葉があるのぞ。この方は天国の方法を教えているのぞ。そなたが見ないだけであるぞ。このフミを批判している者、疑っている者、このフミが人間の書けるものであるかどうか考えてみよ。神の響きは人間の言葉となることができるのぞ。人間が翻訳できるのぞ。早くあやま知から目を覚まさんと取り返しがつかんようになるぞ。

 宇宙は神の子宮の中ぞ。無限ではないぞ。宇宙全体が出産するのぞ。宇宙人もこの方の創ったものであるぞ。この方の家来が形になっている者もいるのぞ。新しい世の肉体は光一つ上がるのぞ。光一つ上がると今の肉体からは見えんのぞ。悪や闇を持っていると入(はい)れんのぞ。戦い持っていると肉体はないぞ。魂が滅びるぞ。今度の今度はカミとケモノに振り分けるのぞ。この方はすべてのすべてのカラクリを教えているのぞ。今までも教えていたのぞ。そなたが気づかなかったのぞ。今ここで気づいて今ここからやり直せよ。まだ間に合うぞ。次の世の肉体には掃除せんと入(はい)れんぞ。今ここの死後も同じことであるぞ。自殺しても逃げられんぞ。肉体の天国なければ天国へは行けんのぞ。古い教にいつまでもとらわれているでないぞ。良いことをしても天国ないぞ。掃除だけが天国の切符ぞ。
P271
 そなたが天国でなければ天国ないぞ。今度の今度は掃除無くして生まれ変わるところはないぞ。生死一如の仕組みであるぞ。死んで逃げようとしても万倍の苦しみを体験するのであるぞ。何処にも逃げるところはないのぞ。苦しくても掃除をすればそなたは助かるのであるぞ。そなたのイノチはこの方のものであるぞ。何が起きてもこの方の言う通りにしていればこの方が守護するぞ。そなたが心配している死はないのであるぞ。

 鳥はトリぞ。十理ぞ。鳩は九に導く鳥ぞ。ハトは八渡ぞ。八十ぞ。八から十に渡す鳥ぞ。烏もトリにあと一ぞ。烏は縁起悪くないぞ。色で判断するでないぞ。不吉も大吉もないのぞ。そなたが分けているだけであるぞ。そなたが思ったとおりのドラマを体験しているのぞ。

 日本の国土はこの方の仕組みの型示しぞ。富士は火ぞ。鳴門は水ぞ。その間に土があるぞ。火(ひ)土(と)水(み)ぞ。土の働き大切ぞ。+と-で±ぞ。土ぞ。×を建て直して十にするぞ。一で立てて動かんようにするのぞ。フジは22ぞ。ナルトは成る十ぞ。火水をタテカエル(建て替える)ぞ。陰陽を入れ換えるぞ。体心霊を霊心体にするぞ。富士と鳴門が入れ代わるぞ。鳴門は渦ぞ。霊はヒダリに体はミギリに。霊はヒぞ。火ぞ。富士ぞ。体はミぞ。水ぞ。鳴門ぞ。富士と鳴門が入れ代わるのぞ。ヒが満ちてミが現れるぞ。ヒミツが形になるぞ。日本はヒダリ側通行ぞ。
P272
 一二三が基ぞ。ヒフミぞ。ヒ(霊)フ(心)ミ(身=体)ぞ。すべては一つであるぞ。霊から体に現れるのであるぞ。神の仕組みが人間の仕組みぞ。そなたの中の仕組みを建て直さなければそなたの回りは変わらないのであるぞ。身魂の掃除なければ天変地異怖いのぞ。最後の大掃除で掃除されるぞ。身魂の掃除あれば天変地異怖くないのぞ。そなたの身魂は物質ではないからぞ。神を学ばねば噴火地震危ないぞ。神学べば噴火地震心配ないぞ。次元が変わるのぞ。この方が守護するのぞ。身魂に働きかけるぞ。

 掃除した者もしない者も一度は肉体おめし上げぞ。肉体去って魂になるぞ。魂天国でないと苦しいぞ。最後の最後の身魂改めであるぞ。閻魔様の裁きであるぞ。裁きでないが裁きであるぞ。○×でないぞ。掃除できたかできないかであるぞ。神のルールを生きているかいないかであるぞ。神なる身の修行が終わっているかどうかであるぞ。今までの社会が続くと思ったらタイヘンなコトになるぞ。コトは九十ぞ。

 死んで生きる者と生きながら死ぬもの出るぞ。身魂掃除あれば死んでも安心ぞ。衣食住無くなるぞ。肉体保身やめろよ。肉体守っても意味ないぞ。お金も知識も宗教も財産も何も意味ないぞ。物質はすべてアウトであるぞ。誰も助けてくれないのぞ。身魂助けられるのは、掃除手伝えるのはこの方だけであるぞ。これ真理ぞ。本当ぞ。信じられんならお好きなようにしなされよ。最後の最後にすべて分かるぞ。分かっても手遅れぞ。この方はすべて教えているぞ。神恨むでないぞ。神恨むココロがそなたの地獄を創るのぞ。
P273
 二十一世紀は半霊半物の神の代となるのぞ。すべてが光り輝くぞ。ミロクの代ぞ。369ぞ。666でないぞ。神の情けの苦のお知らせを聞けよ。聞いて行動して花に結べよ。神話は例えであるぞ。形にこだわるなよ。神の世界を人間に分かりやすく語っているのぞ。形にしないと人間が想像できないからぞ。神話は書き換えられているぞ。岩戸探してもないぞ。岩戸は自らの中にあるのぞ。この方のやり方聞けば自分の岩戸開(ひら)けるのぞ。言えば答えるぞ。岩戸開ければすべてが変わるのぞ。そなたを天国に導く言(いわ)答(と)ぞ。

 人間自由ではないのぞ。神の中からでられんからぞ。この方の言うとおりにすれば、人間の世界のことは何でも形になるから自由に感じるぞ。それを自由といっているのぞ。神とまつろわねば自由ないぞ。天国はないぞ。人間は神なくして何もできないのぞ。すべてのすべては神が人間を通して形にしているからであるぞ。新しい世ではそなたはカミであるぞ。何でもできるぞ。それまでは神が必要ぞ。

 バチ、運、タタリ、幽霊、不幸ないぞ。宗教法人は無税の特権を得ているが今の宗教ビジネスぞ。神の祟りはないぞ。あやま知ぞ。神様だからと言って特別はいらないぞ。神様は普通ぞ。祟り怖いから特別にしただけぞ。普通は22産ぞ。22を、神の世を産む力であるぞ。あやま知では公平、平等、博愛、自由、平和創れんぞ。創るものではないぞ。もともとあるものぞ。
P274
 戦いはアタマが創るものぞ。もともと戦いないぞ。守るために軍隊を持ち、軍備の為にお金を遣い問題創っているのぞ。すべてのすべてはあやま知にとらわれし人間の仕業ぞ。あやま知の創りだすものぞ。戦いなければ軍隊ないぞ。防衛問題なくなるぞ。一パーセント枠ないぞ。軍縮問題ないぞ。核の問題ないぞ。軍事費の問題ないぞ。スパイ要らないぞ。秘密いらないぞ。議論はいらなくなるぞ。不公平税制はあやま知の創りだすものぞ。あやま知の代ではみんなによいものは創れんぞ。形の平和、公平、平等、自由を創る話し合いは、話せば話すほど不公平になるぞ。平和から遠ざかるぞ。分ける知では一つにならんぞ。簡単な道理に気づかんで天国はないのぞ。

 葬儀はいらんぞ。死んだ肉体は脱け殻ぞ。肉体の名前は魂の名前ではないぞ。その人というのは魂ではないぞ。その肉体が演じていた幻想ぞ。厄払いするなら福払いもしろよ。片方だけ祓うから偏った世になったのぞ。○も×も無くせよ。物質偏重ミギリが重くなって傾いているのぞ。だから十が×ぞ。建て直すぞ。水と火組み方逆ぞ。ホドいて組み直すぞ。形壊れるのぞ。避けられんぞ。避けようとすると苦しむぞ。+も-もないぞ。肯定も否定もないぞ。偏るなよ。賛成反対○×ないぞ。損得は分かつ知の結果ぞ。楽を見ると苦見えるのぞ。苦解結して楽作ったようでいて実は新たな苦と楽に分けただけぞ。気づけよ。木を見て森見えてないぞ。人見て神見えてないぞ。見失っているぞ。神を見ないで何も見えないぞ。いつまで続けるおつもりか。
P275
 天国に生きたいならば掃除をすることであるぞ。神の真理を知ることであるぞ。神の心理ぞ。神理ぞ。日本語はこの方の言葉ぞ。この方の話ぞ。この方の道理伝える道具ぞ。一つの言葉だがたくさんの意味あるぞ。真実隠せるぞ。神知ればすべて見えるぞ。心理は神理が真理ぞ。この道理分からないならばそなたは天国ないぞ。このフミをただの考えだと言う者はお好きになさるがよいぞ。いずれそなたにも分かるときがくるからな。


             ******


 それではこれで長い長い「おわりに」を終わりにします。では、皆さんと天国でお会いできることを楽しみにして筆をおくことにします。

  平成六年一二月一三日            長谷 章宏




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