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神様からの手紙 その一


3 神様からの手紙 その一

P94
 それでは、いよいよ神様からの『フミ』に移りたいと思います。素直な気持ちで最後まですべて読み通してください。途中でやめれば、真実を知ることはできませんから。

               *****

 これから語ることは、そなたら(=あなたたち)人間として生まれている者一人残らず全員に伝えておくべき大切な大切なことでござるぞ。そなたらのこれからの永遠のイノチに係わる、そなたの魂(肉体ではないぞ)の生死を決める重大事でござるよ。今までのように、このフミの表面だけを見て「自分とは係わりない神事である」などと、早合点していい加減に扱っていると、それこそ取り返しがつかなくなるから、そのつもりで読むことぞ。そなたが知らないこともたくさん聞かすから、あやま知で曇った寝ぼけ眼(まなこ)を見開いて、この方(このほう=このフミを語っている神)の言うことを一つ残らず、素直に、真剣に聞くのであるぞ。今度の今度こそ、マコトのマコトの真実でござるよ。そなた自身のためになる、マコトの神のマコトの生き方でござるぞ。

 そなたらは何千年にもわたって、真実を覆い隠す「あやま知」に囚われて、「地の日月の神成る身」である、自らの本当の姿と元つ神のこの方とをキレイサッパリ忘れ去っているのでござるぞ。そなたらは「ミロクの世で神に成る」為に今今のこの世で修業をするべき身魂でござるのぞ。今今のそなたらというのは、何世にもわたって、ゆりかごから墓場まで「あやま知」に囚われた人間の創りだした「あやまちの世」にどっぷりと漬かって生きてきた成りの果ての姿でござるのぞ。「あやま知」を当然の常識であると錯覚して、アベコベやって自分にも人にも迷惑をかけ続け、何が真実か、何がマコトか、見分けがつかないほどに曇りに曇っているのでござるぞ。マコトを語るこのフミすら本当かどうかと疑い始めるのがその証し、そなたらの癖でござるよ。自覚している者は僅かでござるぞ。
P95
 今度ばかりは今までとは違うのぞ。非常に大事なことであるから、もう後がないから、聞く聞かないは別にして、どうあっても人間に成っているすべての身魂に伝えねば成らぬことでござる。この方の言うことを聞かず、アタマで着て、アタマで食べて、アタマで住んで平然としている、曇りに曇った今今のそなたらでも分かるように、嫌でもやらざるを得なくなるように、今この時代を生きて、今この時代の中でこの方の言う通りに修行を終えたこの者を通して、あやま知の世界の人間の為に改めて語るフミであるぞ。「神の真理(神理)」「神の仕組み」「神の計画」「人生のカラクリ」のすべてのすべてを伝えるから耳の穴をよくほじくって、ココロして聞くのぞ。今までの宗教や哲学と同じだと思ったら大間違いであるから、くれぐれも取り違いなさらぬよう、最初に注意しておくぞ。
P96
 神の真理は人の真理でもござるのぞ。神あって人あるのぞ。すべては元つ大神様の意志から始まっているのでござるよ。たくさんの神々を経由して、そなたのココロを通して人間であるそなたらに伝わっているのでござる。人の世界の出来事はすべてのすべて神の世界の映しでござるぞ。このフミで語っていることは、宇宙の創世、世界の始源、そなたらの身魂の誕生の時からすべて決まっていたことでござるのぞ。すべて始めから計画していたことでござる。そなたら人間が何と言おうと、動かせない仕組みでござるよ。そなたら人間から見れば何世代にもわたる長い長い時間の出来事に見えるが、この方から見れば、そなたらが一日の計画を創って実行しているようなものでござる。

 そなたらは、我善しで、自分だけが正しいと、ご都合宜しくアレコレと理屈をこねて我を張っていなさるが、本来は、すべてのすべてを産み生んだ元つ大神様の意志が人間のとるべき意志でござるのぞ。至誠至愛至善の元つ大神様が、自らのお子であるすべての人間が喜びに生きられるように、嬉し楽しのミロクの世界を体験できるように、すべてのすべてを産み生んだのが始めでござるよ。神の計画、神の仕組みは寸分違わず人間の世界に現れるのぞ。ミロクに至る今までも、大神様の意志通りに生きていれば、嬉し楽しで暮らせたのでござるぞ。そなたらが嬉し苦しなのは、そなたらが大神様の意志に反して、身欲、保身に走って好き勝手なことをしてきた結果ぞ。自業自得でござるよ。神や人を恨むのは筋違いもいいところでござるのぞ。人の責任などというものは始めからなかったのぞ。
P97
 自らの責任を置き忘れている、神なる身魂である自覚なき者ばかりであるから、今の乱れた世になったのぞ。そなたらがいくら善くしようとしても一向に善くならないのは、やり方が違うからであるぞ。善くしようとして問題ばかりを創りだしているのにまだ気づかんのか。今の今まで、そなたら人間が解結したものなど何もないのであるぞ。すべてのすべてはそなたら一人ひとりのこの方を忘れた生き方の結果でござるよ。今のそなたらのやり方、そのままの態度、そのままの姿では、ミロクの民になるなどおこがましいことでござるぞ。今度の今度は、最初で最後、一人残らずミロクへ誘うオーラスの大掃除の始まりであるぞ。人間として生まれた者は、誰一人として避けられないぞ。まずはこのフミを読むことが、ミロクの民への改心の、神成る修行の始まりじゃ。

 今までの人間の歴史というのは、この方の計画も仕組みも何も知らずに、たとえココロで気づいても我善しでかき消して、できもしない平和や平等や自由を創ろうとして、「身欲」と「保身」で「我善し勝手」に、この方の仕組みの中で勝手にもがいていただけの「あやま知の歴史」でござるのぞ。わざわざ自分から苦しむゲームを選んで、皆で一緒に真剣に苦しめ合って遊んでいただけのことでござるよ。この方から見れば滑稽に見えていたのを知っているか。この方が創ったものすべて、神々も人間も、どうあがいてもこの方の中からは出られないのであるぞ。出ようとしてもぐるぐる回って始めからでござる。堂々巡りになるのは当然の結果であるぞ。この方の言うことをウソだと言う者は、思う存分、納得するまで今まで通りやってみてござれ。但し、そうしている間にも、全体の大掃除は進むのぞ。どんどん後がなくなることをお忘れ無きよう、改めてお知らせしておくぞ。
P98
 この方の言うことに従うか反するかで、そなたらの体験すること、創るものが決まるのであるぞ。始めからこの方の言う通りにすれば何の問題もなくミロクへ行けたのでござるぞ。大掃除が必要になったのは、そなたらが「身欲」「保身」に囚われたのが原因であるぞ。神の掟を外したら自ら滅ぶのが神成る身魂の掟であるぞ。そなた自ら囚われを解くことはできないのであるぞ、今の今まで、真実に気づかなかったのがその証であるぞ。ほおっておいたら魂が滅びるから、そなたら人間に成った身魂を最後の最後のこの時まで導くために、調和を乱す者には苦を与えて気づかせ、調和を創る者にはお陰を与えて気づかせる、「情けと花の仕組み」にすべてを託し、すべての者が「至然」に「ミロク」へ行けるように仕組んでいたのであるぞ。

 そうとは知らぬ、気づかぬ、神成る身魂の自覚なきそなたらは、この方が与える情けの苦を神のせいにしてますますミロクから遠ざかるだけであったのぞ。本来なればそのような自分勝手な身魂にはミロクはなかったのであるぞ。この方の親ゴコロでそなたらを何とかミロクまで生かそうと、そなたらの想像も及ばない苦労をして「情けと花の仕組み」を構えたのであるぞ。そなたが自らの責任を自覚していれば、苦をお陰に変えることができたはずでござるぞ。メグリなければ苦はない仕組みであるよ。苦がないのが当たり前でござるのぞ。苦があるのが当たり前などと平気で喋っている者は大掃除が必要であるぞ。悪神生んで悪心映し、悪を使って悪を祓う、最後の最後の舞台では、善も悪も改心させる、嬉し楽しに導く神芝居。それがこの方の構えた「ミロクを創る仕組み」にござるのぞ。
P99
 この方は今までも、そなたらのココロや体験を通して、数々のフミを通して知らせていたのであるぞ。保身と身欲を持った人間では我善し勝手に我(われ)の都合で解釈するから気づかぬ者がほとんどで、すぐに真偽の議論を始め、挙句の果ては「弾圧」「抑圧」する始末でござるよ。この方は、そういう結果になることを分かっていたこととはいえ、ことごとく閉口して見ていたのであるぞ。とはいえ、それもこれもこの方の計画の内。そなたら人間のやることなすことすべて見越した上で、最後の最後に用意した今回のフミであるぞ。もう後はないのぞ。言っても言っても聞かないわが子へ向けての最後の最後の親心。この方からの最後の警告としてそなたら人間に渡す最後の最後のフミであるぞ。聞き分けのない、悪い子ほど可愛いのが親と言うものぞ。このフミだけは冥土(めいど)の土産(みやげ)にはできないぞ。今ここで読まなければ、二度とお目に掛かれなくなるシロモノでござるのぞ。
P100
 今ここは、ミロク世を創る最後の最後の仕上げに掛かっている時期であるから、もう後が少なくなっているから、早く改心せねば魂が滅びてしまうから、この方の言うことに反するものはどんどん厳しく教えていくようになるから、仕組みが厳しくなるから注意しておくぞ。そなたらは真理、真実を初めて聞くのであるから、今まで学んだ学や教を持ち出してブツブツ言わずに最後まで黙って素直に聞いてくだされよ。バカらしいと思う者、反抗したくなる者、本当かどうか疑う者、無神論者だと言う者、こういう者こそこのフミが必要な者であるのぞ。分かっている者には気の毒であるが、ここまで言わなければわからない者もいるのじゃ。これも修行のうち、辛抱して最後までつきあってくだされよ。

 この方は何度も何度も同じことを言うが、それというのも、一人でも多くの者に改心してもらいたいから、永遠のイノチを得てミロクの世で素晴らしい世界に生きてもらいたいから、こうでもしないとそなたらの改心はおぼつかないから、しつこく厳しく繰り返すのであるぞ。子を思う親心に免じて、暫くのあいだ辛抱して聞いてくだされよ。神、頼んだぞ。批判や反論がしたい者もいるだろうが、そういうことは最後の最後に好きなだけやればよいから、今度だけは今までの癖を出さずに、出そうになったら引っ込めて、まずはこのフミを最後まで黙って読んでみてくだされよ。その上で、「こんなものはいらない」という者は、最後の最後の大掃除である「三歳(みとせ)苦難(くなん)」で身をもって知らせるから、それまでの間、お好きなようになさって結構ぞ。但し、最後の最後で間違いに気づいてももう遅いから、今この瞬間からハラを括って取り組んだ方がそなたの為になるぞ。
P101
 この方は、そなたらの世界はいうまでもなく、神の世界も、宇宙も、すべてのすべてを自らの中に生み産んだ「元つ神」であるぞ。そなたらが創りだした今までの宗教の神とは違うのぞ。そなたらの神々も含めて、すべてのすべて、すべての仕組みを創りだした元の神であるから、マゼコゼにすると本当に取り返しがつかないことになるから、覚悟してこのフミを読むのぞ。ここで間違えば二度と元には戻れない、末期の不覚となりぬるぞ。今まで学んできた常識や道徳や価値判断の基準や学問の成果や宗教の教えはすべてアベコベであるから、一旦すべてをこの方に返して、何も学んでいない生まれたばかりの赤子になって、この方の言うことを素直に聞いてくれよ。「もう学んでいるんだから無理だ」等という者は、まず赤子になれよ。今度だけは辛抱してくだされよ。神、頼むぞ。

 そなたらヒノモトの民は、世界の人民の、すべての身魂の「親」でござるのぞ。ガイコクの人民はヒノモトの民の「子」であるのぞ。ヒノモトもガイコクも両方ともこの方の「子」であることには変わりないが、今まで教わっていたように「兄弟」ではないから取り違いするなよ。子にマコトを示すのが親の役目であるぞ。親子平等にして、親子逆転させてどうするのぞ。本当の上下というのは神と人の上下であるぞ。この方の創った通りにすることであるぞ。区別が大切であるぞ。そなたらのいう差別ではないぞ。すべてのすべて、この方の創った通りにすることが嬉し楽しを形にするための神の掟であるのぞ。そなたらの世界だけに通用する理屈ではないのぞ。取り違いするでないぞ。
P102
 この方の声を素直に聞いて神成る修行(本当の生き方に戻す行動)をし、世界の民にマコトの姿を伝えることがヒノモトの人民の役目でござるのぞ。「日月地の神成る身魂」である人間の、世界の親であるヒノモトの人民様、何もしらない「子」が創った「あやま知」にいつまでも囚われているでないぞ。いつまでやろうと一つになれず、平和も平等も自由も永遠に創りだせない、問題だけを創りつづける常識、自分だけ善しの、相対二元の争いのゲームに引っ掛かっておらずに、いい加減に目を覚しなされよ。そなたらが子の真似をして親の役目を忘れたから、今の乱れた世と成ったのであるぞ。自覚なきといってもほどがあろうぞ。ヒノモトから先に大掃除が始まるのであるぞ。ヒノモトがすべてのすべての始めであるぞ。まずは親から改心させるのぞ。そなたから始めるのぞ。

 人間の世界に起きることは、すべてのすべては身魂の世界、神の世界の写しであるぞ。子供が親の言うことを聞かないというそなたらの人間社会の状況は身魂の世界、神の世界が映っているのであるぞ。すべてのすべてが写しであるぞ。子であるガイコクの民が、親であるそなたらヒノモトの民を尊敬しないのは、そなたらの責任でもあるのぞ。今ここで親成る修行を始めることが肝心ぞ。今度の大掃除の鍵であるぞ。要石ぞ。親の姿を見せる第一歩であるぞ。ヒノモトの民がマコトを示さなければ、世界の民は何も気づかないで滅ぶことになるのぞ。世界の民が、神成る身魂が生きるも死ぬも、そなたらヒノモトの民の態度次第できまるのであるよ。そなたらヒノモトがすべてのすべての鍵でござるのぞ。
P103
 この方がついてござるゆえ、潔く間違いを認めて、素直に改心して、早く本当の「親」になってくだされ。ヒノモト変わらねば、世界は変わらないのぞ。そなたが変わらなければ、回りのすべては変わらないのであるぞ。それが神の仕組みであるぞ。人ごとではないぞ。一人ひとりのことであるぞ。そなた自身のことでござるぞ。すべてのすべてはそなた次第であるぞ。人のことをアレコレ口出ししている場合ではないぞ。今度の今度は最後の最後のどん詰まりであるから、何が何でも改心してもらわねばならないのぞ。そうは言っても余りに曇りがひどいから、肉の眼で見て見えるように、肉の体の言葉で分かるように、このフミと共に、このフミを書いている者を先に掃除して、サンプルとしてそなたらの目の前にお見せするのであるぞ。この者をモデルにして、分からないことは何でも素直に聞いて、一人でも多くの者が、最後の最後に間に合うように改心してくれよ。

 そなたら「人間」は、この方の創った「有」の世界の中に生み出された身魂であるぞ。そなたという魂が肉の体を持ったのが人間であるぞ。そなたのココロは、肉の体に翻訳した魂の声であるぞ。そなたのココロはこの方と繋がっているのであるぞ。そなた次第でいくらでも語りかけることができるのであるぞ。身魂がそなた自身であるぞ。本当の自分であるぞ。身と魂であるぞ。一つであるぞ。そなた自身は一つであるぞ。そなたは物質の世界だけの存在ではないのぞ。そなたらの言う「死」は、そなたが肉の体を脱いだだけのことであるぞ。状態が変化しただけのことであるぞ。水が水蒸気になったのと同じぞ。見えなくなってもそなたはいるのぞ。人も同じであるぞ。死は悲しいものではないぞ。今までのゲームはやめろよ。悲しみの世界はこの方の望みではないぞ。そなたの悲しみは、「自分のものを失った」というそなたの都合で創りだしたものぞ。そなたが悲しいだけぞ。死んだ者は別の状態で生きているのぞ。勝手に怖がったり、可哀想がったりするなよ。
P104
 そなたら人間は、「無(響き)」から「有(形)」を創りだすことはできないのであるぞ。そなたらはこの方の貸し与えた肉の体を持って、この方の創った資源を使って、様々な物を創りだしてきただけであるぞ。そなたらが創ったものの大元は「資源」であるぞ。「資源」はこの方であると言ってもよいのぞ。そなたの持ち物はすべてこの方のものであるぞ。「資源」取られて、そなたらは一日たりとも生きていることはできないのぞ。そなたらは今まで、この方を覆い隠す「あやま知」に囚われて、この方が見えなくなって、この方の恩恵をキレイさっぱり忘れて、苦し辛しのゲームを遊んでいたのであるぞ。嬉し楽しの遊びもできたのであるぞ。「魂」も「資源」も「肉の体」もこの方がなければ、すべてないのであるぞ。人間が創りだしたものはすべてこの方のお陰があるからあるものぞ。
P105
 この方があってそなたらがあるのぞ。この方を無きものにしてそなたがあるはずがないのであるぞ。無神論者でいられるのはこの方のお陰であるぞ。そなたが信じていないのはそなたが創った神であるぞ。そなたは別の神を信じているのぞ。そなたはこの方を否定しているつもりになっているが、この方がいなければそなたはこの方を否定できないのであるぞ。そなたは自分を否定されて怒っているが、それでは神心は遠いぞ。この方はそなたに否定されているが、怒った覚えはないぞ。この方が許さなければそなたは他人を怒ることなどできないのであるぞ。この方がそなたを許しているのは親心であるぞ。いつ気づくかとじっと控えていたのでござるぞ。最後の最後の改心を楽しみにしているぞ。

 そなたが見ている、持っている、人が見ている、持っている、すべてのすべてがこの方の持ち物であったのぞ。この方がそなたらが遊べるように、そなたらにレンタルしていただけであるぞ。ミロク世まで、物質の世界で遊べるように貸していたものであるぞ。いわんや、お金や家や服や地位や名誉や財産や、人間が創ったすべてのすべて、「自分のもの」であるわけがないのは一目瞭然であろうが。「自分の子」や「自分の家族」が、そなたの持ちものであるわけがないのは当然のことぞ。そなたと同じ「身魂」であるぞ。形の後先で上下関係を創って支配するなど、本来なれば許しがたいことであるのぞ。平等どころか、すべての者が天国に生きることを望んでいる神に反する大罪であるのぞ。
P106
 この方は、そなたらのすること、そなたらの創るもの、すべてのすべてを許して、最後の最後で改心させる仕組みを創っているから、神に反する作品はほおっておいても壊れていくから、そうなってからでは遅いから、今の内に改心することぞ。アタマの教育などというものは本来いらんものであるぞ。掃除の手間を増やすだけであるぞ。人の子には人の親が神の生き方を後ろ姿で示せばそれでよいことぞ。マコトを示すべき親がこの方を忘れていては肝心の「親の心」も分かるまいが。「親の心子知らず」とは、そなたら全員にこの方からプレゼントした言葉であるぞ。神知らぬ親が自分のご都合よろしく子供を思いどおりにするために使っているだけであるぞ。「人の気持ちを考えろ」と言いながら、人の気持ちなどどうでもよくなっているぞ。「二度と同じことはするな」と教えておいて、何度も何度も懲りずに神に反することをやりつづけているのぞ。親や教師や宗教家が親の心を知らずにいるから、本当の教育ができないのであるぞ。いつまでたっても自由も平和も平等もないのであるぞ。競争やいじめや貧富の差が無くならないのは当然であるぞ。

 今までのやり方は何千年続けても天国どころか地獄に続く道であるぞ。今度の今度はこの方が表に出て、しかるべき人間を使ってすべてのすべてを知らせるから、もう今までのやり方は通用しなくなるぞ。続けようとすればそなたが苦しくなるだけであるぞ。すべてのすべては表裏一体であるぞ。神の仕組みが人の仕組みであるぞ。アベコベになっていた神の世界を元に戻したから、そなたらは反すれば反するほどきつくなっていくぞ。最後の最後は魂の滅びが待っているぞ。この方は、自らの子を殺すような真似はしたくないぞ。最後の最後の親心でそなたらの肉の体で分かるように本当のことを教えるから、そなたの錯覚を知らせるから、よく聞いてどうすればよいか一人ひとりが考えて行動してくれよ。
P107
 今の学校が乱れているのはそなたらのしてきたことが行き詰まっている証拠であるぞ。この方のやり方を素直に聞かなければ、ますます乱れるぞ。ますます訳が分からなくなっていくぞ。学歴社会も競争社会もそなたらが勝手に創ったものであるぞ。この方はそんな原理を創った覚えも、語った覚えもないのぞ。そなたらは何千年にもわたって「ウソ」を教えられてきたのであるぞ。教えている方も「ウソ」と気付かずに、代々「ウソ」を伝え続けてきたのであるぞ。この方を知らぬ教えに基づく「宗教」や「学問」や「道徳」や「知恵」を教え続けても、ますますこの方が見えなくなって混乱していくだけであるぞ。今ここで真実を教えたのであるから、いつまでも「あやま知」の教育を続けておらずに、キレイサッパリやめて、この方の言う通りに素直に始めてみなされよ。

 「取った取られた」というのは、「あやま知」に囚われたそなたらの自分勝手なゲームに過ぎないのであるぞ。「自分のもの」が「見えなくなった」のを「誰かのせい」にするという神を無視した自分勝手なゲームが混乱を創りだしているのであるぞ。一人残らず「人に迷惑をかけるゲーム」をしていたのであるぞ。人に迷惑なことは神に迷惑なことであるぞ。そなたが神に迷惑をかければそなたが苦しむことでそれを気づくような仕組みになっていたのぞ。そなたが人を責めれば責めるほど、自分で自分のクビをしめていたのであるぞ。自ら苦しみを創りだしていたということぞ。そなたの創りだす感情もモノもすべてそなたの作品であるぞ。そなたの体験はすべて自分のしたことの結果であるぞ。このことを自覚することが掃除の始めぞ。人に責任転嫁をするのはいい加減に終わらせろよ。
P108
 「自分のもの」は何もないのであるぞ。そなたが使っているものや自分に所属すると決めたものがあるだけであるぞ。人間の勝手に決めたゲームであるぞ。土地を自分のものにしているのは、この方を知らぬ証。人間の「我善し」の暴挙であるといってもよいのぞ。ましてや、土地を「売り買い」するなどはもってのほかであったのぞ。「資源」から創りだしたすべてのものを売り買いするのも同じであるぞ。本来は交換ができるだけであったのぞ。「財産」はそなたのものではないぞ。モノの「財産」をいくらもっていても、最後の最後の今回はすべてのすべてをこの方に返すことになるのぞ。今度の今度は、肉の体も含めて、全員がすべてのものを返すのであるぞ。どんなに守っても無駄であるぞ。そなたの「財産」はそなたの体験だけであるぞ。体験はモノが無くなっても残っているぞ。そなたが人に渡せるものはそなたの体験だけであるぞ。モノを渡すのは限りがあるのぞ。
P109
 保険や防災や耐震や予知云々と、今までのやり方で「失う」のを避けようとしても今度ばかりは無駄になるぞ。この方がしていることを人間がコントロールすることはできないのであるぞ。そなたらは今まで、神を忘れた「我善し」の知恵を使って、我が者顔に物質世界を支配しているつもりになるゲームをしていただけであるぞ。神のすることは未だに支配できずに「天災」とか「災害」とか「自然の猛威」とか言って神のせいにして神を無きものにしているばかりか、人間が創りだしたシステムの問題すら何も解結していないのであるぞ。人間の手には負えないことの方が遥かにおおいでござろうが。いい加減に神の力を素直に認めなされ。そろそろ神にアタマを下げる時期がきたぞ。今度の今度はそなたらの我善しのそのゲームは終わりであるから覚悟せよ。この方が終わりにするのぞ。

 そなたらがやってきたゲームをそのまま続ければ滅びるだけでござるのぞ。そなたらの今までの「常識」や「思考」ではもう何も元にもどせないのであるぞ。「良くしよう」という思考そのものがアベコベであるのぞ。すべてはひとつであるのに、「善」も「悪」もないのに、悪を批判し、悪を避け、善だけを創ろうとしていたのがそなたらのゲームであるぞ。そなたらが元に戻そうとしているのは、そなたらの考えた「善」を形にしようとしているだけのことであるぞ。元の元の「至善」を知らずに自然を語っているぞ。
P110
 そなたらが身欲や保身を元の我善しでアベコベに走ったその瞬間から「破壊」のプロセス、破壊の歴史が始まっていたのであるぞ。楽しようとするから破壊が進歩に見えるのであるぞ。そなたの回りをすべて取られてそなたは何ができるのぞ。この後に及んでまだ破壊の歴史を続けるおつもりか。そなたが破壊しているもの、資源も自然も地球も自分の肉の体も他の者の肉の体も、ココロさえもこの方のものでござるのぞ。そなたはそれを知ってやっているのか。そのことをお気づきか。自らのご都合で神を冒涜(ぼうとく)するのもいい加減にせいよ。自覚なきも情けなき所業ぞ。神成る修行をすることがそなたの償いであるぞ。

 この方は壊したものを元に戻せと言った覚えはないぞ。元に戻す仕組みはこの方が創っているからぞ。そなたらは「すべてはアベコベであったのか」と、知らずとはいえ今までやったご無礼を素直にお詫びし、今ここで滅びる前のお知らせに感謝し、素直に改心して「神のココロ」を実行することだけでよいのであるぞ。今ここから始めることが改心であるぞ。ツベコベ言っているとアベコベのままであるぞ。この方の言うことを分かっていないことを白状しているのと同じであるぞ。そなたがしてきたことは「取り返し」がつかないことであるのぞ。ではあるが、神の最後の親心で、そなたらがしてきたことを自分自身が責任をとって自分自身の苦しみとして返すならば、許そうと決めていたのぞ。口だけの改心ではこの方は許さんぞ。すべてはそなたがこの方の意に反した結果であるぞ。今ここで気づいたそのココロをこの先ずっと持ちつづけて掃除に励むことが「反省」の証であるぞ。「反省」した者はこの方が守護して苦しいながらも楽に掃除を終わらせてやるぞ。
P111
 この方とこの方の家来の神々が助けてすべてのすべての大掃除をやるから、そなたらは言われたとおりに自分の掃除をやればよいだけであるぞ。天災も人災もないのであるぞ。すべてはそなた自身がやった結果が形になっているのぞ。そなたが神のルール通りにやれば「災害」は無かったのであるぞ。すべてはそなたが創りだしたものであるぞ。そなたが神のルールに反していることを教えていたのがそなたの苦しみや病気や死であったのぞ。そなたは「自分のもの」を「傷つけられた」と思い込んでいるから、「神のせい」にして「被害者」になっていたのであるぞ。「被害者」はいないのであるぞ。「裁判」も「法律」も本来必要ないものでござるのぞ。

 すべて自分のしたことが自分に返ってきているだけであるぞ。そなたがそなたの加害者であるのぞ。加害者も被害者も一つであるぞ。そなたに悪のメグリなければ、苦のメグリ会いは無かったのであるぞ。そなたの苦はそなたが創ったものぞ。自分でつくった苦を楽に変えようとしているのはいかなることであるか。今まで教えられてきた「自分のもの」意識、「被害者」意識、「楽しよう」意識をやめないと、何も変わらないばかりか、最後の最後の大掃除に向けて、お知らせの「苦」がきつくなるだけであるぞ。ますます壊れていくだけであるぞ。自らを自らが滅ぼすことになるのぞ。
P112
 すべてアベコベだと言っても、今までそなたらが創りだしてきた学や教や知もこの方が人間を通して創りだしたものであるから批判するでないぞ。最後の最後にそなたらの「あやま知」を壊して神世に戻すための道具に使うから、そなたらが神の持ち物を壊しても許していたのであるぞ。この方の真意は「すべての身魂に天国を体験させる」ことであったのぞ。だから、神のルールに反した身魂も今ここまで引っ張っていたのであるぞ。死は滅びを避けるための仕組みであったのぞ。輪廻転生は神の親心であったのぞ。本来ならば光と闇は同居できないのであるぞ。すべての身魂に最後の最後までチャンスを与えるために想像を絶する苦労をして元つご霊統の神々様が創った仕組みぞ。ミロク世は光のみでござるぞ。

 そなたらのすることは、今ここにある道具を使って「ココロの掃除」をすることだけであるぞ。今ここにあるものを否定すればすべてを否定することになるのぞ。飛行機や新幹線や電話やファックスを使わないと間に合わないのであるぞ。使ったほうが早く掃除できるのであるぞ。「公害」だとか「省資源」だとかいうマヤカシに囚われていてはますますアベコベになるぞ。この方の創りだしている資源は無限でござるのぞ。「節約」や「倹約」や「備蓄」のゲームはそなたらのゲームが創りだした幻想であるぞ。

 この方は何でもできるのであるぞ。この方に枠をはめるとは何事か。この方を無視している証拠であるぞ。「エコロジー」を唱えながら紙を使っていることに気づかぬか。今ここにあるものは、そなたの肉の体も含めてすべてのすべては壊れるのであるぞ。今ここにあるものを使って早く神ゴコロに戻せよ。ミロクの世は、今までの肉の体も物質も使えない、全く別の世であるぞ。掃除できた者だけを神がつまみ上げて、ミロクの民にするのであるぞ。今度は神々も含めたすべての建て替え建て直しであるぞ。縦を直すのぞ。今までのそなたらのアタマでは想像できないことであるぞ。何が起きるかを知っても、神の仕組みの知識を知っても、人の動きを知っても、意味ないぞ。
P113
 これから始まるのは、万古末代一度きりの、神も人も、魂も肉の体も、すべての世界を建て直す大掃除であるぞ。神界も幽界も現界もすべてのすべて三千世界を建て替える宇宙始まって以来の最初で最後の大掃除であるぞ。天意転換ではあるが、そなたらが神のルールに違反しなければ、嬉し楽しの幕の上がりだったのぞ。人の法律違反を責めているそなたが神の法律違反をしているのであるぞ。そなたの申すことは自分自身のことであるぞ。この道理わきまえて、言ったこととやっていることを一〇〇パーセント一致させることぞ。きついのは当り前であるぞ。今までさぼっていたツケを払うのであるからぞ。「難しい」というのはできない理由にはならないぞ。そなたがやらないだけぞ。自分のしたことの責任をとれば永遠の天国が待っているのであるぞ。言ったことをやる親が子の信頼を得るのであるぞ。
P114
 今回はすべての世界の建て直しであるから、死んでも続く身魂の掃除、生死一如の仕組みであるから、物質世界の肉の体を守っても意味がないのぞ。死んでも頑張るのぞ。生きて戻れるように死んでくだされよ。今までの人間からみれば、「人間じゃない」ということになるだろうが、そなたらはもともと「人間」ではないのであるぞ。そなたのイノチはこの方のものであるぞ。そなたの生死はこの方次第であるのぞ。そなたがアレコレ考える必要はないのぞ。そなたは生かされているのだから何も心配はないのであるぞ。人の死を悲しんでいないで、殺人を責めていないで、自分自身の掃除をしてくれよ。

 この方がもっとも嫌うのは「裁くココロ」であるぞ。神ゴコロとは裁かないココロであるぞ。疑わない心であるぞ。そなたのイノチは一旦この方に返して、掃除に集中することぞ。そなたの肉の体がどうなろうと、どんなに苦しかろうと、すべてそなたが神のルールを外して迷惑をかけてきた結果であるから文句を言えないのであるぞ。自分がしたことを自分以外のせいにするのが今までのゲームであるぞ。今までの持ちものへの執着はすべて手放して、ココロの掃除をすることであるぞ。どんなに苦しかろうと、決してそなた自ら「肉の体」を無くそうとするでないぞ。そなたの肉の体はこの方のものであるぞ。人のものを勝手に処理するのは自分勝手であるぞ。人の体を壊すのは言わずもがなであるぞ。
P115
 そなたら人間が創りだせないものはすべてこの方のものであるぞ。そなたが持っているモノやシステムは「資源」を元に創り出したものであるぞ。そなたの体験以外はすべてのすべてがこの方のものであるといってもよいのぞ。今度ばかりは死んでも続く掃除であるぞ。死んでからの掃除はもっときついぞ。そなたという身魂が生まれて以来、何世にもわたってしてきたルール違反の結果創りだしてきたものをすべて掃除するのであるぞ。そなたの身魂が生まれてからすべての「借金」を返済しなければミロクの世はないのであるぞ。今度が最後の転生であるぞ。掃除なき者は二度とヒノモトのお土は踏めんのぞ。

 ミロクの世は闇も悪も一切存在できないのであるぞ。そなたのココロが体になるのであるぞ。そなたのココロに一点でも曇りがあれば、裁くココロがあれば、そなたはミロクには行けないのであるぞ。そういう身魂は今世で終わりであるぞ。裁くココロがあるのは、そなたが善悪を分けているからであるぞ。この方が許しているから悪が存在するのであるぞ。この方が許しているものをそなたが裁くとは何事であるか。天国を創るためには、すべてこの方のココロ通り、この方が創った順序通りにすることが必要なのであるぞ。この方がすべてのすべてを生み産んだ親神であるぞ。神々の親、人間の親であるぞ。

 親が創ったとおりにすればすべてがうまくいくのであるぞ。この方の言うことを素直にハイハイと真似すればよいのであるぞ。この方の言うことを裁くのは神のルール違反であるぞ。人が反抗的だ、人が頑固だ、というのはそなたのことであるぞ。この方から見ればそなたが反抗的であるぞ。頑固であるぞ。自分勝手であるぞ。差別的であるぞ。アホであるぞ。障害者であるぞ。何も分かっていないぞ。うまくいかないのはそなたのしているゲームのせいでござるぞ。神のせいでも、人のせいでもないのぞ。そなたが改心(改神)すれば、今ここでも天国になるのであるぞ。今ここの人生でそなたの掃除相応に善き方に向けてやるのであるぞ。今の今が嬉し嬉しでない者は掃除終わっていないぞ。
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 この方が先でそなたが後であるぞ。この方の言うとおりにすればすべてうまくいくのであるぞ。この方は全員が天国に行けるようにすべてのすべてを創ったのであるぞ。そなたらが勝手に、自分だけ善しのゲームをして、自分で自分のクビをしめているのであるぞ。自分だけでなく人も一緒に地獄に誘っていたのであるぞ。自分のしたことを自分以外のせいにしている限り、改心はできないのぞ。そなたが改心すればよいだけであるぞ。そなたがやればよいだけであるぞ。人は関係ないぞ。できないのではなく、やらないだけであるぞ。この方は今までもそなたのココロに語りかけていたのであるぞ。そなたが無視していただけであるぞ。そなたのせいであるぞ。自分のことを自分でできるのが神ぞ。そなたらは「神成る身魂」でござる。一〇〇パーセント神のココロになって初めて修行が完了するのであるぞ。すべてのすべてを形にして教えているのであるから素直に聞いて改心結構ぞ。
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 元つ神を無視してやってきたゲームが「病気」や「災害」を創りだしたのぞ。地震や噴火や洪水や台風を天災というのはそなたらの見方であるぞ。そなたらが神の掟を外して創りだしてきたものを神が掃除するのであるぞ。そなたらの天命はミロクの世を創ることであったのぞ。そなたらのしてきたことは元つ大神様の意志とはアベコベであったのぞ。そなたはそなたの身魂の大掃除をすることがそなたの役目であるぞ。今までの常識、思考ではミロク世へは生き返れないのであるぞ。今ここで「あやま知」の常識をキレイさっぱり捨てることぞ。善悪の裁き、真偽の判断、恐れの思考、責任転嫁、責任追及、コントロールのゲームをやめることであるぞ。今までの学や教や金では世紀末は超えられないのぞ。

 古い教えでは天国はこないのぞ。古い教えを裁く者にも天国はないのぞ。何でもかんでもこの方の言う通りにすることであるぞ。今ここがそなたのスタートであるぞ。そなたらが創りだしてきたものを使って掃除をするのであるぞ。批判していたら今ここにいるそなたを批判することになるのぞ。今までの思考では地球の環境はますます破壊されるだけであるぞ。外の掃除はこの方がやるから、そなたは自分の掃除をすすめることぞ。天災というものはないのぞ。そなたらのしてきた結果ぞ。愚痴や苦情を慎めよ。迷惑であるぞ。人のすることに口出ししている暇があったら自分の掃除をしなされよ。愚痴も責任追及もお世話も同じことであるぞ。可哀想な身魂はないぞ。すべてのすべてが自業自得であるぞ。
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 取り合いのゲームでは神なる修行はできないのぞ。お互いの足らざるを満たし合って神になる修行をするのであるぞ。正直に行動せよ。正直に表現せよ。自らの掃除だけが自らも人も助けるのであるぞ。血統の関係は手放せよ。家族も他人も関係ないぞ。新しい関係で満たしあって掃除をするのぞ。そなたの人間関係を広げることが鍵ぞ。そなたに悪あれば排除するゲームが続くぞ。そなたに保身あれば近づく人間が限られるぞ。そなたが限るのぞ。そなたは死んでもそなたであるぞ。どんな考えの者もいるぞ。一人になることはないぞ。みんな足りない人間であるぞ。人の足りないものを持っているぞ。足りないものを満たし合って掃除するのであるぞ。そなたが動けばそなたが足りないものを持っている者がいるぞ。そなたが持っているものが足りない者がいるぞ。お互いに提供して欲しいものを手に入れるのであるぞ。交換し合うのであるぞ。誰も傷つかないやり方ぞ。取るのではないぞ。損も得もないのであるぞ。自分も人も満たされるのが神のやり方であるぞ。

 自らと対話することは神と対話することであるぞ。人に頼るから騙されるのであるぞ。すべてはそなたが決めているのぞ。人に聞こうがそなたが決めようが、そなたの責任であるぞ。自分で決めて自分で動けよ。駄目なら別のやり方をせよ。人を責めるのは自分勝手であるぞ。できないことはないぞ。しないだけぞ。この方はすべて許しているぞ。この方がついているから何でもやってみればよいぞ。この方は素直な者には仏であるぞ。仏であるが、自分がしただけの苦しみは辛抱しろよ。そなたがしたことであるから愚痴は認めんぞ。人には責任はないのぞ。そなたが掃除しただけそなたの思うようにしてやるぞ。
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 この方は逆らう者には鬼に見えるぞ。そなたが鬼であるぞ。この方はそなたらが見たいように見えるのであるぞ。そなたがこの方に見ているものはすべて自らのことであると自覚せよ。そなたが人に見ているものは自らのことであるとも言えるのぞ。人に言っていることは自らのことであるぞ。人を鏡にして自分の態度を正せよ。そなたが人にするなと言っていることはそなたもするなよ。人にするなと言ってしているぞ。自分勝手をするなと言う自分勝手をしているのぞ。人の気持ちを考えろと言って考えていないぞ。そなたが言ったことを寸分の狂いなくそなたがすることぞ。そうすることがお掃除を進めることになるぞ。この方の仕組みを知らずともお掃除ができるぞ。そなたがそなたをできないようにしているのぞ。人は関係ないぞ。コントロールは迷惑以外の何者でもないのぞ。

 最後の三年間は全員が大掃除をすることになるぞ。老人、子供、障害者、女といえども同じであるぞ。身魂でしただけのことを返してもらうのぞ。形にこだわるでないぞ。どんな状況でもすべてその者が創りだしたものであるぞ。悲惨な状況もその者がしたことの結果であるぞ。すべて自業自得であるぞ。見た目で決めるなよ。どんなことがあっても最後の最後まで頑張ってくだされよ。人のことは心配せずともこの方に任せておけばよいぞ。死んでも頑張ってくだされよ。一人ひとりの修行であるぞ。一人ひとりの身魂相応の試練であるぞ。形は不公平に見えても、その者のしてきたルール違反(真釣り外し、カルマ、メグリ)相応の出来事であるぞ。メグリに平等な苦しみであるぞ。本当の平等であるぞ。
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 形の平等はメグリ創るぞ。そなたらの言う平等は「一〇〇〇万円借金した者も借金の無い者も一律五〇〇万円返せ」と言っているのと同じであるぞ。こういうふうに言えばそなたらは「それはおかしい」と気づくであろうが。不平等であると分かるであろうが。形はその者の身魂の借金の結果であるぞ。人に愚痴を言っても、人を責めても駄目であるぞ。可哀想ではないのぞ。助けてやる必要はないのぞ。最後の最後は人のことなどかまっていられなくなるぞ。この方も、このフミも、この者もなくなるのであるぞ。外には頼れなくなるぞ。メグリなければ喜びだけぞ。メグリ掃除すればどんどん善き方に向くぞ。このままいけば地獄になることは見えているぞ。一人でも早く掃除を始めてくれよ。

 自分で自分のことがすべてできるのが神であるぞ。最後の最後の大掃除、「三歳苦難」の阿鼻叫喚の地獄は神を生きているほど楽になるのぞ。掃除終わればどこにいても何をしていても安心していてよいのぞ。防災用品も避難訓練もいらないのであるぞ。今までのやり方は滅びへの道をたどるだけであるぞ。最後の最後にはそなたの身魂がなくなるぞ。そなたの身魂がなければ肉の体はないのぞ。今回は掃除なければどこにも生まれ落ちるところはないのぞ。どこにも逃げるところはないぞ。神々といえども例外ではないのぞ。いつまでも肉の体の保身、モノに執着するゲームをしていると全部なくなってしまうぞ。
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 自分が決めたことを人のせいにするなよ。オカシキことであるぞ。自分のしていることに責任をもてよ。元つ神は悪の存在も許しているのぞ。罪悪感などというものはないのぞ。そなたにメグリなければ何もないのぞ。神ゴコロの者はそなたが何をしても文句は言わないのぞ。そなたが神ゴコロならば、罪悪感はないのであるぞ。トラブルも悩みもないのであるぞ。罪悪感はそなたが創っているものであるぞ。文句を言う者に文句を言ったり、文句を言う者の言う通りにするとお互いに滅びるぞ。人の期待も満たす必要はないぞ。人に期待するのはアベコベをやっている証拠であるぞ。人や自分を責めるのは神を責めることであるぞ。そなたの夢を人に託すのは迷惑であるぞ。そなたが人に言っていることは神がそなたに言っていることであるぞ。自分が言っていることとやっていることを一〇〇パーセント一致させよ。神は一〇〇ぞ。九九・九ではないぞ。一点の曇りなくなるまで掃除することがミロクの世へ生き返る条件であるぞ。
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 そなたがそなたを曇らせたのぞ。そなたにしかそなたの曇りは祓えないのぞ。人は人、自分は自分ぞ。この方の家来が一人ひとりについて掃除を手伝うから、人の掃除にちょっかい出している暇があったらそなた自身の掃除をすることぞ。人に口出しするのは、この方を疑っているのと同じであるぞ。この方に任せていないのと同じであるぞ。人の掃除を邪魔しているのと同じであるぞ。人の掃除道具を取っているのと同じであるぞ。迷惑であるぞ。人の天国を邪魔しているのであるぞ。自分の天国も邪魔しているのであるぞ。そなたがしたことがすべてそなたに返るのぞ。そなたがどんなに邪魔しようと、世話しようと、そなたとは関係なしに掃除が進むのぞ。そなたも同じであるぞ。人が邪魔しようと世話しようとそなたは関係ないのぞ。こだわっているのは気にしているのはそなたであるぞ。最後の最後は、掃除なきそなただけがサヨナラになるぞ。

 今までの仕組み、悪の仕組みが続くように見えるのは、大掃除の舞台造りであるぞ。そなたが囚われているとそなたも一緒に大掃除されるぞ。人のことより自分のことを心配せよ。外の掃除はこの方に任せよ。このままでは全世界が滅びるから、ミロクが創れないから、この方が響きで表に出てきて大掃除をするのであるぞ。こうなることは始めから分かっていたのぞ。だから、間に合うようにお知らせする仕組みを創ったのであるぞ。最後の最後ですべてを明かし、最後の最後でどんでん返しをするのであるぞ。
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 このフミの真偽やこの者の真偽を研究していては間に合わないのぞ。疑いのココロをいれる暇がないように仕組んでいるのであるぞ。今までのやり方は通用しないように創ってあるのぞ。この方の言うとおりにすればよいだけであるぞ。神なる修行は一人ひとりのすることであるぞ。神の心になることだけが自分も人も助かる唯一の道であるぞ。人の掃除にちょっかいを出している暇はないぞ。今度の今度は殺さなならん者はどこまでも追いかけて殺すのぞ。生かさなならん者はどこまでも何があっても守るのぞ。生きて掃除する者と死んで掃除する者とがあるのぞ。死ぬかどうかは関係ないことであるぞ。

肉体の生死や安全は捨てて、すべてこの方に任せて、今ここにあるものを使って掃除に励むことぞ。食べなくても死なないぞ。健康管理を完璧にしても死ぬぞ。一人ひとり違うのぞ。人は関係ないぞ。今までの常識関係ないぞ。生死はこの方に預けよ。人のこともこの方に預けよ。家族も他人もこの方の子であるぞ。形の関係は掃除には邪魔であるぞ。この度は身魂の掃除であるぞ。掃除なき人間に聞いても何も分からないぞ。掃除できなくなるぞ。すべてこの方の言う通りにやってみよ。身魂は一つであるぞ。神の世と人の世は合わせ鏡であるぞ。身魂の掃除相応に思い通りになってくるぞ。人を責めたり、支配したり、脅したりしなくても思い通りに成ってくるぞ。楽しむために苦しめよ。そなたがやったことぞ。自分で自分におとしまえをつけるのぞ。
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 すべてを一つに戻す大掃除の仕組みが加速しているのぞ。今までのやり方はもう通用しないばかりか、先に行くほど危なくなるのぞ。宗教も科学も一つであるぞ。このまま争いを続ければすべての魂が滅びるぞ。一〇〇パーセント自分自身に正直に生きる自分勝手だけが、元つ神の真意に従う生き方ぞ。「すべての身魂が助かる唯一の道」であるぞ。自分のことは自分で決めよ。今までの常識は混乱を造りだすだけの破壊への道、地獄への道であるぞ。今ここだけのイノチか、永遠のイノチかどっちか選べと言えば、答えは一つであろうが。永遠の地獄はないぞ。滅びか天国かであるぞ。神の世には悪はないのぞ。今ここも悪はないのぞ。そなたが欲を出すから悪が形になるのぞ。そなたの身欲を引っかけて気づかせるための仕組みであったのぞ。そなたが欲しいものが形になるのぞ。無くそうとするならば、そなたが欲しがるのをやめることであるぞ。今の今も悪の影はないのであるぞ。

 二十一世紀は神の心になった身魂のみが生き残れる嬉し楽しの天国であるぞ。そなたが長い間待ち望んでいた世界であるぞ。そなたは始源の時、この方と共にあったのであるぞ。時来たりて元の神世に戻すのであるぞ。そなたの曇りを早くとれるようにこの方はあらゆる手段を使っていたのであるぞ。悪もって悪祓う仕組みぞ。そなたに悪見せて悪心に気づかせる仕組みであるぞ。悪裁いていては掃除はできないぞ。そなたの見ているものはそなたであるぞ。悪の神がそなたの悪の心を見せるべく、メグリ相応の者を出会わせているのであるぞ。殺す方も殺される方もメグリ会いであるぞ。自業自得であるぞ。
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 すべての出会いはお互いの欲しいものを交換しただけであるぞ。殺人も強盗も誘拐も戦争もいじめもすべてのすべてがメグリ会いであるぞ。どっちも悪くないぞ。どっちも正しくないぞ。お互いが自分自身のしたことの結果であるぞ。形の善悪はないのぞ。「そういう見方はよくない。人間じゃない」と言う者、そなたは裁いていることにお気づきか。自分のしていることをわかっているか。メグリなければ、犯罪も苦しみも悩みもないのであるぞ。そなたには何も裁くものはないのであるぞ。裁きたくなるのはメグリある証拠であるぞ。あやま知に囚われているぞ。いい加減に目を覚ませよ。最後の最後で消しゴムで消してしまうぞ。この方が消すのではないぞ。そなたがそなたを消すのぞ。この方は滅びる方法も助かる方法も見せているのぞ。そなたがしたことがそなたの体験になるのぞ。この方が消したというのはそなたが人のせいにしている証拠であるぞ。早く改心しろよ。

 二つに分ける知恵では一つにする神の心にはなれないのぞ。「分かつ知」「我善し」を捨てることが神の世に生きることになるぞ。本当かどうか疑うのは「分かつ知」を持っている証ぞ。損得の「保身」を持っている証拠ぞ。神に反して造りだした形あるものはすべて壊れる仕組みであるぞ。最後の最後は全員が肉体を去ることになるのぞ。仮死の状態にして掃除できた身魂だけを救いあげてミロクの民に致すのであるぞ。今までの学や知や教は綺麗サッパリ捨てて掃除をすることぞ。このフミを黙って読むことが最初の掃除であるぞ。判断が出てきたら捨てろよ。赤子になって出直せよ。今までのそなたのしてきた借金を一気に返す方法を教えているのであるぞ。元つ神でなければできないのぞ。何億の人間がいようとこの方にとっては簡単なことであるぞ。
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 すべてのすべてを一気に大掃除するのぞ。借金を滞納すればどうなるか分かっているであろうな。ミロク世は決まっているから、後ろが決まっているから、間に合うように全額返済できるようにしてあるのぞ。苦しいのはそなたの身魂の借金の結果であるぞ。最後の三年は、すべてのメグリを一気に一度で渡すぞ。一括払いをすることになっているのぞ。払い終わるまで楽はないぞ。今なら楽あるぞ。文句をいうなよ。すべてそなたがしたことぞ。今からやれば間に合うぞ。一括払いはきついから今ここから始められるようにしているのでござるぞ。後二年でできるぞ。但し、身魂相応の体験は覚悟いたせよ。
 
 「間に合うはずがない」「もしできなかったら」というのは掃除始めていない証拠であるぞ。そなたらは今まで、マコトを語りし者を抹殺して、この方を無きものにしようとしていたのであるぞ。それが自分のクビをしめることになるとは知らずにやっていたのであるぞ。人を支配しようとしている者は、自分のクビをしめていることに気付けよ。人類を支配しようとしても無駄であるぞ。悪魔も悪神もこの方の手の中にいるのぞ。この方の仕組みをすべて知っているのはこの方だけであるぞ。悪の企み「九分九厘」でグレンと引っ繰り返るのぞ。いつまでも勝てると思っていたら大間違いであるぞ。
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 このフミを形にしている者以外すべて掃除が必要であるぞ。自分だけは違うと思うそなたもそうであるぞ。一〇〇パーセント喜びで思いどおりにならなければ掃除必要であるぞ。早く改心するほど楽に掃除できるのぞ。死してもそなたは死なないのぞ。掃除なければ身魂が滅ぶぞ。生も死もなくなるぞ。輪廻転生は終わりであるぞ。最後の転生であるぞ。掃除ない身魂は二度と生ないぞ。そなたの身魂は初めて死んで、初めて生きるのであるぞ。そなたの身魂が生まれて以来初めての死であるぞ。死は変化であるぞ。ミロクの体に変化するのであるぞ。物質の世から半霊半物の世に移るのであるぞ。掃除なければ身魂ないのぞ。永遠のイノチか今ここだけの楽しみか、どちらにするか一人ひとりが決める最後の最後、瀬戸際であるぞ。最後のチャンスであるぞ。生かすも殺すもそなた次第ぞ。

 今までの教はすべて捨てなされ。そなたという身魂の人生、最初で最後の決断をする時であるぞ。自分のことは自分で決めろよ。天国へ行くか滅びるか、一人ひとりの最初で最後の選択であるぞ。もう間違えている暇はないぞ。このフミ読んで今ここで決めろよ。決めたら直ぐに始めろよ。掃除終わるまでさぼるでないぞ。そなたへの最後の最後の警告であるぞ。そなたが掃除始めれば、天国への最後の最後の招待状になるぞ。今度の今度は神も人もすべてのすべて、全員逃れられないから覚悟いたせよ。
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 しただけのことはせなならんが、そなたが素直に従えば、このフミは天国への案内状にもなるのぞ。最後の最後、最初で最後の、二度とこないただ一度の機会であるぞ。そなたのマコトの心、ここを逃しては使うところはないのぞ。すべてを捨てて決死の覚悟でやりなされよ。生きるも死ぬもこの方次第ぞ。そなたは心配することではないぞ。死んでも続くのだから今までの教えは一切使えないのであるぞ。この方の家来が守護するから安心してやりなされ。ここまで言ってやらないならばそなたの身魂はないと思えよ。

 今度の今度はこの方の真意を伝える人間をあらかじめ掃除させて今ここで用意しているぞ。この方が表に出ているから邪魔するものは容赦はせんぞ。今度は、この方の言うとおりにすべて出てくるぞ。ウソだと思うものはもういらんから、最後の人生をお好きなように楽しむがよいぞ。この方に逆らえば天国はないのぞ。今度ばかりはそなたの身を持ってすべて教えてやるから覚悟してかかってこられよ。そなたが素直にこの方の言うことを聞けばミロクが待っているのであるぞ。どうやってもそなたに勝ち目はないのであるから、この方にアタマを下げてこられよ。この方は喜んでそなたを抱くぞ。そなたが待ちに待っていたミロクの世がいよいよ迫ってきているのであるぞ。我を張るのはもうやめにして、この方と共にミロクの世を創ろうではないか。

        ************

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 これから語ることはすべてのすべてを創りだすオオモトの元の神の真理であるぞ。これは宗教ではないぞ。哲学でもないぞ。倫理学でも、心理学でも、道徳でもないぞ。そなたという身魂が生まれて初めて聞く真理であるぞ。そなたが今まで見ざる言わざる聞かざるで無視していた神の真理であるぞ。初めて聞くものは議論できないのぞ。このフミをすべて読みおわるまでは、見たものを直ぐに批判したがるそなたの癖を出すでないぞ。そなたの判断の基準はそなたが創ったものであるぞ。神を知っていれば神を体験していれば判断はしないのであるぞ。そなたが神を知らずに創ったものはそなたの自分勝手であるぞ。そなたの我であるぞ。そなたが神を知っていれば判断はできないのぞ。できないと言っているのにまだ判断する者は神の言うことを分かっていないぞ。神を知らない証拠であるぞ。これから、そなたが知りたがっていた、探していた神の真理をすべて聞かすから、今まで学んだ、神を知らぬタワケた教えは無私してすべてを白紙にして素直に聞けよ。そなたがそなたの癖で判断を始めれば、神の真理は永遠に分からなくなるぞ。このフミはすべてのすべてを創った神が語るものであるぞ。このフミを文字にした、この者のただの考え方だと思ったら大きな間違えであるぞ。そこのところをよく心得て読むのぞ。

 今までも、神は、そなたの想念を通して、いつもそなたに語りかけていたのぞ。そなたのココロの声はすべて神の声であるぞ。そなたが、神を知らぬ人間に教わった基準で神の声を批判して、分けて、今までの人間のゲームで都合の善いものだけを選んで、行動していたのぞ。そなたが直感とかヒラメキとか何だか分からないけど聞こえる声とか言っていたものが神の声であるぞ。人間に都合の悪いものの中に神の答えがあるぞ。そなたは神を知らずに神を創っていたのぞ。そなたが、あやま知にとらわれた人間が創りだしたタワケた宗教に騙されて、神の声を無視していたから、そなたは無私になったのぞ。神が見えなくなったのぞ。そなたが神の声を無私していたから、騙されることになったのぞ。この真理を無私していたから自分が分からなくなったのぞ。自分が何者なのか分からなくなったのぞ。自分がここで何をしているか分からなくなったのぞ。自分とは何者か、などという哲学なるものを創りだして、ますます分からなくなっていったのぞ。
P130
 そなたの疑問は神に聞けばすべて解結するのぞ。神に聞くとは、神の言う通りに生きることぞ。神の言うことを分かっただけではだめであるぞ。神にお祈りだけしてもだめであるぞ。神の言うことを行動して、初めて神の声を聞いたことになるのぞ。神を信頼したことになるのぞ。神を信じたことになるのぞ。神の言うことが分かったと言うならば、言ったとおりにやれよ。神は信頼と引換えにそなたに教えるのぞ。神の言う通りに生きていれば、そなたに疑問はないのぞ。わからないことはないのぞ。分かろうとするのは神を生きていない証拠であるぞ。神は体験を通して一つ一つ教えるのぞ。神の言った通りにやってみればすべて分かるのであるぞ。神の言った通りにやっていれば何の悩みもないのぞ。
P131
 この者は、神の言う通りに生きたから、神の想念をそのまま文字にすることができるのぞ。このフミは、この者の考え方ではないが、この者の考え方であるとも言えるのぞ。神の生き方をマスターした者であるぞ。神の生き方をマスターした者のモデルであるぞ。神の言う通りに生きていない者には、このフミは書けんのぞ。神が言うことを信じられないからであるぞ。神を生きていない者には神が文字にさせないからであるぞ。このフミを書いていることが、神の生き方をマスターした証拠であるぞ。このフミを書いていることが神を生きている証拠であるぞ。このフミに書いてあることは神の真理である証拠ぞ。神を知らぬそなたにこのフミが書けるかどうか考えてみよ。そなたがこのフミを批判するならばそなたにはこのフミは書けないのぞ。そなたは神を知らないのであるぞ。神を知らないそなたに神を批判することはできないのぞ。神を知らぬ人間が神を批判するとはどういうことであるのか。この神を批判すればそなた自身を批判することになるのぞ。この道理が分からなければ、そなたは永遠に自由になることはできないのぞ。

 この者に聞けば神の生き方についてすべて分かるぞ。生き方は分かるが神は分からないのぞ。神を知ろうとするのは神を分からなくするのと同じであるぞ。神とは何かなどというタワケタ問いはもうやめることぞ。神の言う通りに生きていれば神を知らなくてもそなたの思いはすべて叶うのぞ。今は神を無私しているから直ぐには叶わないが、神を生きるようになればだんだんと想いが叶うようになるのぞ。神の言う通りに生きているということは、想念が神と同じになったということであるぞ。神ではないが、神と同じであるぞ。神がそなたの注文を聞くから、そなたの言う通りになるのぞ。この者はモデルであるぞ。この者を見れば神の生き方が分かるようにしてあるぞ。この者は神のサンプルであるが、この者は自由であるぞ。そなたもそなたの想念を通して神と語ることができるのぞ。そなたも神を生きればこのフミに書いてあることが真理であると分かるのぞ。真理であることが分かってから生きることはできないぞ。神は体験であるぞ。神は行動であるぞ。
P132
 そなたが創ったものでない人間についてそなたがいくら考えても答えはでないのぞ。この神を知らぬ人間に聞いても答えはでないのぞ。ましてや、神を知ろうとしても無駄なことであるぞ。この方の話を無私して答えを出そうとしても無駄な抵抗であるぞ。神を知らないからこの方の語ることについて議論になっているのぞ。答えはこの方しか知らないのぞ。そなたが神を知りたいならば、そなたのココロの声を素直にすべて聞くことであるぞ。聞いたことを実行することであるぞ。それがこの方の仕組みを知る唯一の手だてであるぞ。そなたの外には神はいないのぞ。そなたの外には神を教えてくれる宗教はないのぞ。この方のことを教えられる者はいないのぞ。この方のことを教えられるものはいないが、この方のやり方を語れる者はいるのであるぞ。
P133
 この方は、この方の言う通りに生きて、初めて分かる神であるぞ。いかにして神と対話するかということは教えられる人間はいるが、神そのものを教えられる者はいないのぞ。この方は一人ひとりと対話するのぞ。この方は一人ひとりに分かる神であるぞ。この方のことを教えているつもりになっている者は、いい加減に目を覚ませよ。この方はそなたのやり方を頼んだ覚えはないぞ。そなたのやり方ではこの方は教えられんのぞ。そなたのやり方ではこの方は見えないのぞ。外の神を信じるゲームではこの方の声は聞けないぞ。この方を体験することはできないのぞ。そなたはこの方を無私する方法を教えているのぞ。そなたは混乱や悩みを創る方法を教えているのぞ。そなたは戦いに勝つ方法(人を負かして勝つ方法)を教えているのぞ。神には戦いはないぞ。神のやり方はすべての者が勝つのぞ。この神を知らずに、これから起きる「大変」を超えることはできないぞ。今のうちにこの神と対話できるようになっておけよ。

 そなたは、自分ができないのを何かのせいだと思っているが、それはそなたの自分勝手な考えであるぞ。そなたは、不満や文句を言ったり、神や人や社会や自分以外のものを責めたりしているが、それはとんだ見当違いであるぞ。そなたは今までの学問や教えに騙されているのぞ。神を知らない人間の創りだした学問や教えを信じても神を知ることはできないぞ。神を知ることができないということは、喜びもないということであるぞ。喜びしかない神の教えに争いや悩みがあるのはオカシキことではないか。こんな簡単な道理、なぜに気づかんのか。そなたが信じているのは神の教えではないのぞ。そなたは自由にならないやり方を信じているのぞ。自由にならないやり方を教えているのぞ。早く気づかんと、取り返しがつかんようになるのぞ。この方の言うことを聞くことだけが、そなたが自由になり、人が自由になり、自分も人も次の世で生き返ることができる唯一の方法であるぞ。
P134
 そなたがこの神を無私していたから、そなたは何もできなくなったのぞ。思い通りにならなくなったのぞ。そなたが神を知らぬ学や教にとらわれて神の子であることを忘れ、親の存在を忘れたから何が何だか分からなくなったのぞ。そなたが元の元の神のいることを忘れ去ってしまったから不自由、不平等、不博愛、不幸せな、矛盾や疑問や問題ばかりの世になってしまったのぞ。そなたは、先祖供養は大切だというが、血統の先祖の行き着く先はすべてのすべてを創った元の神であるぞ。そなたは、家系の先祖を祀って、この元の神を祀るのを忘れているぞ。この方を無私しているぞ。この元の神がなければ、この世のものは何もないのぞ。そなたもそなたの回りもすべてないのぞ。そなたも回りもすべてのすべてがこの方が創ったものであることを忘れるでないぞ。これを忘れては、自由も平等も平和も幸福も豊かさも永遠にないのぞ。今までのゲームはもう終わりであるぞ。

 そなたは、そなたができないと言うから、できなかったのであるぞ。ありえないと言うから、ありえなかったのであるぞ。そなたが善悪を持っているから、善悪が見えるのぞ。そなたがそなたの内で戦っているから、外の者同士で戦うことになったのぞ。すべてそなたがしたいようになっているぞ。そなたが神を無私しているから喜びでないものがあるのぞ。この方が創った法則は、皆が喜びに生きられるやり方であるぞ。そなたの言う通りにそなたの体験を創りだす法則であるぞ。そなたがこの方の法則に違反したら、そなたに不都合や不調和を体験させて、元に戻す仕組みも創ってあるのぞ。すべての人間が喜びに生きてもらいたいという親ゴコロであるぞ。そなたの苦しみや問題はそなたが神の声を無私しているお知らせであるぞ。そなたの今までのすべての体験も、この方の法則に従ったものであるぞ。そなたがこの神の法則を無私したから、この神の法則に従って無私していることを知るために、苦しみを体験しているのであるぞ。
P135
 そなたの体験することは、すべてそなたのしたいようになっているのぞ。そなたがしたいことをすべて体験しているのぞ。そなたができるわけがないと言うとずっとできないのぞ。そなたが外のせいにするのは神の法則違反であるぞ。だから、不都合や不調和を体験しているのぞ。そなたがそれを外のせいにする限り、そなたは不調和を創りだそうとしているのと同じであるぞ。そなたは不調和を創って平気な顔をしているぞ。いつまで外のせいにし続けるおつもりか。この先は、神の法則違反をいている者にはビシビシ知らせていくぞ。神の声を聞いているものにはお陰をどんどんやるぞ。今までと同じであると思ったら、大きな間違えであるぞ。この方が言ったことはすべてその通りになるぞ。取り返しがつかなくならないうちにこの方の言う通りに生きはじめることぞ。この方はすべて教えているのぞ。知らないとは言わせないぞ。後になって気づいてもこの方はもう知らんぞ。
P136
 そなたは、神の法則を無私して、神を知らぬ人間の法則に従っていたから悩みを創りだしたのぞ。そなた自身が悩みを創りだしたのぞ。自分で創っておいて神に頼っているぞ。自分でしたことを人の責任にしているぞ。そなたが頼っている神は人間が創った神であるぞ。そなたの創りだした神はそなたの外にいるのぞ。外の神では悩みはなくならんのぞ。そなたの創った神はそなたの外にいるぞ。本当はそなたと神は一体であるぞ。神が外にあるという宗教、外を信じろという宗教はすべてウソであるぞ。そなたは、そなたの外に神を創りだして悩んでいたのぞ。そなたの外にいる神とそなたの境はどこにあるのぞ。そなたは自分で創った悩みを外の責任にするから悩みがいつまでも消えんのであるぞ。そなたが神を創ったのなら、そなたが神の神であるぞ。そなたは神であるのに、なぜに不満や文句を言うのか。神は何でもできるのであるぞ。神には悩みはないのぞ。そなたが神の子であるからそなたは悩みでも喜びでも創れるのぞ。神がそなたのお望み通りのものを与えるからぞ。外にある神を信じれば悩みがなくなるなどということはないのであるぞ。内と外を分けていてなぜに一つになるのぞ。悩みは分けているからあるものであるぞ。

 神は歓喜弥栄であるぞ。神には喜びしかないのぞ。神は一〇〇パーセント喜びであるぞ。一時の喜びではないぞ。全部喜びにならないと神ではないのぞ。現世利益を求めるのは構わないが、神の言うとおり生きればすべて望みが叶うようになるのぞ。神を生きれば、御利益がすべて叶うから御利益を求めることはないのぞ。そなたが何かを求めている時、そなたは神の生き方していないのぞ。そなたの望みが叶っていないから求めることになるのぞ。そなたの欲しいものを外に探しても何も叶わないのぞ。そなたの内にすべての鍵があるのぞ。そなたの内にあるものが外に見えているのぞ。そなたの外に見えているものはそなたの内にあるものであるぞ。そなたの内を変えなければ、外に見えるものは変わらないのぞ。そなたの姿があるかぎり、鏡を割っても何回でもそなたが映るのと同じであるぞ。外の鏡を割っても何も消えないのぞ。そなたの姿を変えれば、映るものが変わるのぞ。
P137
 そなたは自分の想念を肉体を使って感じているだけであるぞ。そなたのココロの対話はすべて想念の世界であるぞ。そなたが見ているものは形はないのぞ。そなたは未来か過去か仮定の話か人の話か自分で勝手に決めた話をしているのぞ。新しい世界は神の世であるぞ。そなたのココロが神のココロにならなければそなたはいることができないのぞ。次の世界の肉体は神のココロでないと入れないのであるぞ。そなたにこれから必要なのは神のココロになる修行をすることであるぞ。そなたはそなたが見ているものを使ってそなたの中の○×を見つけて消していくのぞ。そなたが○×をやめれば神がそれに応じてお望み通りのものを見せるのぞ。そなたはそなたの中の○×をなくしていくのが役目であるぞ。
P138
 いつまでも人を批判するのはよいが自分が神ココロにならなければ何をしても駄目であるぞ。お金でも学でも知でも財産でもだめぞ。今回の大掃除は誰一人として避けることはできないのぞ。どこにも逃げるところはないのぞ。肉体で助かろうとすると助からないぞ。人の邪魔をするとそなたが危ないぞ。神ゴコロになることだけがそなたが助かる道ぞ。世紀末に何が起きるか知っても意味ないぞ。そなたが神ゴコロになれば、何が起きても大丈夫であるぞ。そなたの肉体は、そのままでも、神ゴコロになっても、どっちにしても一旦お召し上げ(肉体を脱ぐ=死ぬこと)ぞ。そなたが神ゴコロになっていれば、次の世界に生き返ることができるのぞ。神ゴコロでなければ、死んだあとも修行は続くのであるぞ。死んでからの魂での修行はきついぞ。肉体あるうちに魂の掃除をしてしまうことぞ。

 そなたがアレコレ心配しているのは物質世界の大変であるぞ。そなたは肉体が無くなることを心配しているぞ。そなたは肉体ではないのぞ。そなたの本質は魂であるぞ。肉体が無くなっても魂は残るのぞ。魂は物質世界のどんな危険も毒もまったく関係ないのぞ。そなたの魂が神ゴコロであれば、噴火も地震も放射能も肉体がバラバラになっても関係ないぞ。そなたの魂は新しい肉体を得るぞ。そなたの心配している死は関係ないぞ。そなたが今までの死を避けようとしていると魂がアウトになるぞ。魂の掃除あれば、肉体で何が起きても関係ないぞ。何も怖くないぞ。肉体去っても神ゴコロならばOKであるぞ。食べるもの無くなっても毒食べても関係ないぞ。そなたが神ゴコロになることだけが必要なことであるぞ。神の最後の一厘であるぞ。そなたが嵌まっているトリックであるぞ。
P139
 そなたが学んだ今までの教えとはアベコベであるぞ。この道理分からねば、そなただけがアウトぞ。だれが助かるかは外からみてもわからんぞ。このフミはこのことを教えるための最後のフミであるぞ。これが最後の本当の真実であるぞ。人を頼る教や人を助けようとする教や争っている教についていくとアウトであるぞ。何が起きるか知れば知るほどそなたは危ないのぞ。これは真実であるぞ。これが真実かどうかと判断するのは嵌まっている証拠であるぞ。神の知識をいくら持っていても、目くそ鼻くそであるぞ。学や知や教や金では今回の大掃除は超えられないのであるぞ。そなたが自分がどうなるか心配しているとそなたが心配していることが起きるのぞ。心配するほど心配することになるぞ。

 そなたは神の子であるぞ。そなたの魂は神の分身であるぞ。そなたには本来喜びしかないのぞ。そなたが悩むのはそなたが喜びを創る神の声を拒否しているからぞ。神に病気直しや予言はいらないぞ。神に病気はないのぞ。病気はキの病であるぞ。神のキを疑っているから肉体に出てくるのぞ。そなたは神の声と人間の声とどちらを選ぶかというゲームをやって、葛藤を創りだしているのぞ。神には損得はないぞ。善悪もないぞ。神の声はすべての人間がうまくいくようにする方法を語っているのぞ。自分だけうまくいくようにしようとするから損得や善悪でものごとを分けて見ることになるのぞ。そなたの死は神にしかコントロールできないのぞ。そなたは自分に起きていることの真実を何も知らないのぞ。原因を知らないで勝手に原因を創って勝手に治そうとしているのぞ。
P140
 神には自分の未来がすべて分かるのぞ。何でもできるから自分の思いどおりの未来があるのぞ。自分の想いがすべて叶うから未来というものはないのぞ。期待もないのぞ。忍耐もないのぞ。起きることすべてが思いどおりのことであるから今この瞬間以外ないのぞ。過去も未来も後悔も心配もないのぞ。あるなら神でないぞ。そなたに悩みがあるならば、そなたは神の生き方をしていないぞ。神の生き方をマスターしていないぞ。そなたが神の言う通りにすれば、今ここでも神の体験ができるのぞ。そなたが神の言うとおりにしていれば神の仕組みや神の世界を知ることができるのぞ。知識ではないぞ。体験であるぞ。

 これから語ることは、そなたの体験やそなたの目の前のもの、すべてのすべてを創りだす神の真理であるぞ。そなたの誤解や、あやま知や、問題や、悩みや、苦しみや、戦争や、平和や、喜びや、幸福や、豊かさや、病気や、怪我や、事故や、不満や、文句や、すべてのすべてを創りだすことのできる、神の法則であるぞ。神は全能であるぞ。何でもできるから、すべてのすべてを創りだす法則を創ることができるのであるぞ。そなたは、喜びでも悲しみでも、何でも好きなものを創ることができるのぞ。そなたが創るのではないぞ。神が、そなたの想念(想い、ココロの声)を通して、そなたの注文を聞いて、神の創った道具(資源)を操作して、そなたのしたいように体験させてやっているのであるぞ。
P141
 そなたのしたことに、そなたがやったことというものはないのぞ。人間がしたことは、すべて神が人間を通して形にしていることであるぞ。人間の言葉も、人間の行動も、神が人間を通して形にしていることであるぞ。人間の歴史はすべて神が人間を通して創りだしてきたものであるぞ。自分たちがやってきたなどと勘違いするでないぞ。そなたが戦っているから神が外に戦いを見せるのであるぞ。外に戦いが見えるのは、そなたが戦っているからであるぞ。戦争があるのは、そなたが内なる戦争をやっているからであるぞ。どんなに戦争をなくす方法を話し合っても、この方のことを知らなければ答えはないのぞ。

 そなたが許せば神はそなたに語りかけるのであるぞ。神はそなたがしたいようにするから、そなたが許さなければ神は何も語らないのであるぞ。この方はいつもそなたに話しかけているのぞ。そなたが聞かなければ聞こえないのであるぞ。そなたは神の言葉を判断しているぞ。そなたは神の言葉を拒否しているのぞ。喜び創る声を拒否したら喜びないのが当たり前ぞ。当たり前ではなく、そなたが当たり前にしてしまったのであるぞ。今そなたらが体験している問題を解結するのも、神であるぞ。解結できるのは神のやり方だけであるぞ。今までの人間のココロを出すとますます混乱するぞ。神を知らない人間がいくら話し合っても混乱を創るだけであるぞ。今までは、すべて神が許していたからできたことであるぞ。物質文明も、情報化社会も、国際化社会も、戦争もすべて神が許していたからできたことであるぞ。今までも、人間の歴史は神の言う通りになっているのぞ。これからは、神のルール通りにビシビシ出していくぞ。神のルールをビシビシ適用するぞ。
P142
 そなたらは、平気で人を裁いているが、それは神がもっとも嫌うことであるぞ。神は一度たりとも裁いたことはないのぞ。そなたらが勝手に、罪や裁きを創ったのであるぞ。神が許していたからできたことであることにお気づきあれよ。人の行動や言葉は神の想念が形になったものであるぞ。人の言葉、人の行動、自分の言葉、自分の行動を裁くのは、神を裁くのと同じであるぞ。そなたが裁いている限り、そなたの思い通りにはならんのぞ。そなたが裁けばそなたも裁かれるのぞ。自分が自分を裁くのであるぞ。神を裁いていて神のココロになれると思っていなさるのか。神を無きものにしてこの先の天国あると思うなよ。自覚無きとはいえ、いい加減に目を覚まされよ。

 この方は、そなたやそなたが言う神々を含めた、すべての宇宙、すべてのすべてを産み生んだ、元の元のオオモトの元つ神であるぞ。この方のことを知ろうとしても無駄な抵抗であるぞ。この方はそなたよりも大きいのぞ。そなたはこの方の法則のはたらきを知ることができるだけであるぞ。神とは何ぞや、という宗教は永遠に答えはでないぞ。答えのでない問い掛けをいつまで続けるおつもりか。そなたの外を見ても探しても答えはないぞ。そなたの内を見なければ、この方は見えないのぞ。この方のことは何も分からないのぞ。この方が見えなければ、自分も見えないのぞ。自分自身が見えないで、この方を、元つ神を見ようというのは無理なことであるぞ。いい加減に目を覚ませよ。
P143
 このフミは、この方が創ったものについてのことを、創った張本人が、自ら語るのであるぞ。そなたも宇宙も神々も分からないことをキレイサッパリ全部教えるのであるぞ。こんな確かなことはないであろうが。こんな願ってもないことはないであろうが。このフミを伝えているこの者(=著者)はこの方が、そなたらが自動書記と言っている方法でノートに伝えて、一つ一つ実験させて、試行錯誤させて、苦労辛抱しながら気づいていったのであるぞ。そなたはそれを全部教えてもらえるのぞ。そなたは理科の実験の如く、人間を通して実証されている仮説を追実験するだけでよいのぞ。結果は決まっているのぞ。

 神のやり方は絶対であるぞ。こんな楽なことはないではないか。楽に見えるが楽ではないぞ。この者がしただけの苦労を短期間でするのであるから覚悟いたせよ。そなたが今まで楽をしようとしていた分だけそなたは苦労することになるぞ。苦労することになるが、神の苦労は必ず報われるのであるぞ。人間にさせられる苦労とまぜこぜにするでないぞ。神は騙す必要はないのぞ。神はウソをつく必要はないのぞ。神は何でも好きなだけ与えることができるのぞ。そなたが提案した分だけキッチリと与えるのであるぞ。このことについては、後々に、しつこくしつこくいやというほど語るから、シッカリとココロして聞くのぞ。いい加減な気持ちで聞いていると、最後の最後で取り返しがつかなくなるから、そのつもりでハラを据えて修行に取り組めよ。
P144
 騙されていると思う者も、今度だけは、最後まで聞くのぞ。そなたはフミを読んでいるのではあるが、そなたのココロの声を聞いているのでもあるぞ。そなたが読むという時はココロの中の声を聞いているのであるぞ。このフミは、人を騙そうとか、自分だけ得しようとか思っている人間が語っているのとは違うのぞ。この方は、そなたの身魂を生んだ神であるぞ。この方は、きついことをたくさん言うぞ。しつこくしつこく何回も何回も同じようなことを言うぞ。それは、今ここで、この方の言うことを素直に聞かねば、そなたの身魂が栄えるか滅びるかの瀬戸際であるからぞ。身魂が滅びれば、肉体の死どころの話ではないのぞ。こらえにこらえて最後まで聞くのだぞ。これが本当の勉強、本当の修行であるぞ。悟りというのは神のやり方と人間のやり方の差を取ることぞ。瞑想は悟りを得る手段ではないぞ。神のやり方を実践して初めて差が取れるのぞ。差取れるのぞ。神のやり方を実際に行動することだけが悟りの道であるぞ。今までの教にとらわれるでないぞ。
P145
 そなたの人生が、そなたの思い通りにならないのは、そなたが神ではないからぞ。神はすべて自分でできるのぞ。人の責任にすることはないのぞ。すべて思いどおりになるから人の責任にする必要はないのぞ。人の責任にするのは、神ではない証拠であるぞ。そなたは、今は「神成る修行の身魂」であるぞ。新しい世で神に成るための修行をしている魂であるぞ。今は、この方とこの方の家来の神々がいなくては、何もできないのぞ。そなたの修行を神々が手伝っているのであるぞ。神に損得はないぞ。神は永遠無限であるぞ。いくらでも、何でも、創りだせるのぞ。騙す必要はないぞ。出し惜しみもしないぞ。そなたが必要なものは何でも与えることができるのぞ。そなたは神の言うことを聞いて素直にハイハイと言ってやれば楽に修行ができるのぞ。欲しいものが楽に手に入るのであるぞ。神の言うことを聞かないから、欲しくないものという欲しいものが楽に手に入っているのぞ。神の言うことを聞かなければ欲しくないものが簡単に手に入るのであるぞ。

 そなたの回りにあるものは、そなたも含めて、すべてこの方が創ったものであるぞ。この方が創ったオオモトの資源を人間を通して組み合わせたり分解したりして創りだしたものであるぞ。すべてがすべて神のものであるぞ。神が自由自在に操作できるのであるぞ。人間からみたら奇跡や偶然に見えるのは、そなたがこの方のことを忘れてしまっているからであるぞ。この方は、騙したり、約束違反をしたり、出し惜しみしたりはしないのぞ。この方は無限の手札をもっているのぞ。あやま知にとらわれたゲームをしている人間とは違うのぞ。そなたは自分が何をしているのか何も知らないのぞ。このフミをよく読んで、神の言うことをよく聞いて、早う目を覚ませよ。
P146
 この方が偉そうにしていると思う者、この方は威張っているのではないぞ。この方はそなたを生んだ神であるぞ。すべての仕組みを創った神であるぞ。そなたの親であるぞ。そなたのことは一から十まで知っているのぞ。そなたの身魂のしてきたことをすべて知っているのぞ。そなたの-も+も見えるのぞ。そなたの知らないことも全部知っているのぞ。そなたの未来も知っているのぞ。そなたが天国になる方法も知っているのぞ。この方の言うことを聞けば、何でも与えるのであるぞ。そなたが身魂の掃除を終われば、そなたは歓喜弥栄なのぞ。この方の言うことを聞いたら、喜びだけであるぞ。疑うのは、この方の言うことを聞いていない証拠であるぞ。この方の言うことを聞くといっても、人間の言う家来や奴隷になると考えるなよ。神の奴隷になれば歓喜弥栄なのぞ。そなたが思い通りにならなかったのは、この方の言うことを無視していたからであるぞ。そなたの苦しみや問題や悩みは、この方のやり方を無視しているお知らせであるぞ。お知らせをさらに無視して、人のせい、神のせいにするからますますお知らせがきつくなるのであるぞ。そなたがこのことを認めない限り、そなたはどんどん地獄に落ちるだけであるぞ。
P147
 この先は、神の規則通りにビシビシと出していくぞ。そなたが助かる方法は、神のルールを学んで、今までのルールと入れ換えて行動することだけぞ。そなたから見れば怖いことであるぞ。危ないことであるぞ。神から見ればそなたの方が危険であるぞ。そなたが身魂の、宗教の入替えをすることがそなたが助かる道ぞ。そなたが神の道を自分で歩き出すことぞ。これを身魂の掃除というぞ。そなたの身魂の掃除が済めば、外で起きることは何も関係なくなるのであるぞ。外に何が起きるか考えていると危険なのであるぞ。外で起きることを考えなくなるのが安全になる道であるぞ。これは今までの宗教で考えていてもわからんのであるぞ。そなたがやらなければ絶対に分からないのであるぞ。やらないで知ろうというのは甘い考えであるぞ。人生は甘くないのであるぞ。欲しいならば先に提供することぞ。神を信頼せよ。騙されるかどうかを心配するのはそなたの自分勝手であるぞ。

 身魂の掃除をすればそなたは自由になるぞ。喜びになるぞ。身魂の掃除とは、善悪、正誤、苦楽に分けて考える分かつ知をやめて行動することぞ。この方の言う通りに素直に行動することぞ。この方の宗教を信じることぞ。信じることとは行動することぞ。わかったら一言一句違わず行動することぞ。わかったフリは、この方には一切通用せんぞ。タテマエは人間のゲームの中で身を守るゲームであるぞ。お互いにタテマエと知っていてタテマエのゲームをやって苦しんでいるのぞ。神なる修行とは、神の生き方を今ここで実践することであるぞ。できないというのはこの方の言うことを聞いていない証拠であるぞ。
P148
 この神の言うことを素直に聞いていれば、そなたはもともと、何の苦しみも悲しみもないのであるぞ。苦はこの方のやり方から外れていることを教えているお知らせであるぞ。苦あるのはそなたの神のルール違反の証拠であるぞ。喜びを創る神のルールを拒否しているから教えているのであるぞ。苦あるのは当たり前ではないのぞ。本来は苦ないのが当たり前であるぞ。苦あるのが当たり前だと言う者、この方の言うことを聞いてないぞ。この方の言うこととアベコベをやっているのぞ。この方の家来になれば喜びであるぞ。この方の家来になることが喜び、自由になる唯一の道であるぞ。この方に抵抗することが、苦しみ、不自由になる唯一の道であるぞ。今のそなたの姿であるぞ。素直が一番ぞ。人に素直ではなく、神に素直になれよ。すべてアベコベであると思って行動せよ。

 神に素直になるということは、自分に素直になるということぞ。神はそなたの想念に入って語っているぞ。そなたの想念に同調するのぞ。そなたの想念にいつも語りかけているのぞ。そなたが神を無私すれば神は何も言わないのぞ。何も教えないのぞ。そなたから神に近づかなければ何も聞こえないのぞ。何も聞かなければ何もこないのぞ。神の声を聞いただけではだめであるぞ。聞いたものを実行して、初めて神は教えるのぞ。体験を通して教えるのぞ。学や知ではだめであるぞ。信頼と引換えであるぞ。そなたが信頼した分量だけ忠実に与えるぞ。そなたが疑っている分量だけ忠実に与えないぞ。そなたが疑っていると気づくようなものを与えるぞ。与えないで与えるのぞ。この方の言うことを聞けば、そなたは何でも得られるのぞ。人や社会は関係ないぞ。神の制限の中で人間の永遠の自由が得られるのであるぞ。人間から見ると矛盾して見えるが、これが真理であるぞ。この方の言うこと聞くと自由になるのぞ。この道理分かるか。
P149
 この方の申すことを信じるか信じないかはそなたの自由であるが、そなたの身魂はこの方が産んだものであることを心得てこのフミを読めよ。そなたが神がいるとかいないとか言えるのも、そなたの身魂をこの神が産み生んだからであるぞ。そなたはどうあがいても抵抗しても、この方の中からは出られないのであるぞ。疑う者は、こころゆくまでこの方から出ることを試みよ。そなたが抵抗するほどそなたが苦しむだけであるぞ。人は苦しみを解結できないぞ。そなたが人の苦しみを解結することもできないぞ。そなたは、この方の創った「神の法則」の中でそなたのお望みのゲームをやっているだけなのであるぞ。

 そなたら人間は、次の世では「神」と成る身魂であるぞ。本当のヒトになる身魂であるぞ。一十(ヒト)になるのぞ。今はヒトになる間であるぞ。神に成る修行をしているのぞ。神に成れば全部自分でできるのであるぞ。神なる修行の身では、神の助けが必要であるぞ。そなたは自分が正しいなどとは言えないのであるぞ。自分がやったとは言えないのであるぞ。そなたがしたいことを神が手伝うのぞ。そなたが見ているものはすべて神の作品であるぞ。神が自由に操れるのであるぞ。そなた以外の人間も想念に指示して動かすこともできるのぞ。自分勝手だと言うのはそなたが自分勝手であるぞ。そなたは自分で何かしたと思い込んでいるだけぞ。人のことを言う前に自分のしていることを見ることぞ。
P150
 神なる修行の身であるそなたらは、神の法則を外すことはできないのであるぞ。神の法則は喜び創る、天国創る法則であるぞ。神の法則を外すのは不調和を創りだすことであるぞ。地獄を創る方法であるぞ。不調和創りだしている者、全部、神のルールに違反しているのぞ。人のこと言えないのぞ。人を裁いている場合ではないのぞ。自分はルール違反していないなどとタワケたことを言うでないぞ。自分は善人だ、自分は正しい、などと言うでないぞ。善悪、正誤で裁いている者は、ルール違反であるぞ。神は身魂を見るのぞ。身魂のルールであるぞ。迷惑だと言う者、そなたが迷惑であるぞ。そなたが自分勝手であるぞ。そなたは、肉体のゲーム、目に見える世界だけの損得、善悪のルールを決めてゲームをしているだけであるぞ。そなたがすべきことは、身魂のルールに従うことであるぞ。モノの損得など言っている場合ではないのぞ。身魂のルールを思い出せよ。この方が、このフミですべて教えるから、ここでシッカリとショウネを据えて勉強しろよ。

 神は喜びであるぞ。神は永遠に喜びであるぞ。喜びしかない神が創るもの、すべて喜びであるぞ。神の法則も喜びを創るものであるぞ。簡単な道理ではないか。そなたは苦しみを神のせいにするが、そなたの苦しみは、そなたが神の法則を外しているのをお知らせするために神が与えているのであるぞ。「苦」「不都合」「不調和」は、そなたが神の法則を外している証拠であるぞ。自分のしたことを神の責任にするなよ。ますます外すぞ。そなたが神の法則を外したのを気づかせるために、本来ない「苦」を与える仕組みを創ったのであるぞ。神の法則を外せば、そなたの身魂は滅びるのであるぞ。なくなるのであるぞ。そなたは文句言えないのであるぞ。誰が決めたのかなどと言えないのであるぞ。本来ならば自分のしたことは自分の責任であるから、神なる身の自覚がないから、ほっといて滅びる体験をさせてもよいのであるが、素晴らしい次の世を一人でも多くに体験させてやりたいという、親心であるぞ。神の情けであるぞ。神の大サービスであるぞ。
P151
 この方は響きで表に出ているぞ。波動といってもよいぞ。振動数が違うといってもよいぞ。すべてのすべてを創りだす振動であるといってもよいぞ。そなたが今まで創っていた神とは違うのぞ。神はそなたの中にいるといってもよいぞ。神が放送局でそなたが受信機であるといってもよいぞ。そなたがチャンネルを合わせないと神は見えないのであるぞ。そなたには神の形は見えないから隠り身であるが、そなたの想念を通して語りかけるからココロして聞くことであるぞ。そなたのココロの声にこの方の言葉があるのぞ。ココロを判断しているとこの方の語る真理を聞くことはできないのぞ。そなたの価値判断を一切やめることが真理を知るための第一歩であるぞ。これをこの方はお掃除と言っているのぞ。どっちがどうか、と比べる分かつ知をやめることがお掃除であるぞ。比べるから分かれるのであるぞ。楽を見るから苦を見ることになるのぞ。善いも悪いも神にはないのぞ。そなたらが悪と言っているものも神が許してそこにあるものぞ。そなたは悪を裁いているぞ。そなたが悪を悪ということが悪であるぞ。これは大事なことだからよく覚えておけよ。
P152
 人間というのは、この方が産み生んだ身魂が肉体という衣を着たものであるぞ。そなたは身魂であるぞ。肉体ではないぞ。身魂が肉体を通して感じているのであるぞ。そなたの想念がそなた自身であるぞ。そなたの想念と神の想念が語っているのであるぞ。そなたの想念を神が聞いて、神の創ったモノを操作して、そなたの希望通りのものをそなたに与えているのであるぞ。そなたが何かしているのではないぞ。そなたの想念を神が形にしているのであるぞ。そなたの目の前にあるものはモトモトは神の響きであるぞ。そこにある形はすべて神が創ったものであるぞ。そなたが生まれる前からあったものがそなたら人間を通して形になったものであるぞ。そなたは借り物を自分の物にしているぞ。そなたから見れば自分がしているように見えるのぞ。そなたがしたいことを神が形にするのぞ。そなたがしたくないならばしたくないと感じることを形にするのぞ。

 そなたが今まで創りだしてきたものは、すべて幻想であるぞ。神のルールを無視して創りだしているから「問題」や「悩み」や「争い」が絶えないのであるぞ。この方は、歓喜弥栄、天国を創るのが望みであるぞ。イヨイヨ(5454)最後の最後、そなたらが創りだしたアベコベの形をすべて清算して、末代動かない神の世を創る地ならしを始める時節になりたぞよ。外の清め、人間(わが子)のしりぬぐいは神がやるから、そなたらは自分自身の大掃除だけに専念することぞ。神は総出で手伝うぞ。この後に及んで、まだ掃除をせんという神なる身魂の自覚なき者は、容赦はせんから覚悟いたせよ。そなたは不調和をまき散らしているのぞ。これは天国を創るための避けられんプロセスなのであるぞ。
P153
 すべてのすべての始めは「元つ神」であるぞ。すべてのすべては「元つ神」であるこの方が自らの内に産み生んだものであるぞ。そなたらも、中の神々も、宇宙も、すべてこの方の中であるぞ。元つ神であるこの方をそなたらの外に創りだすことはできないのぞ。そなたらが神と言っているのはそなたが創りだした自分勝手な神であるぞ。神が外にいるという宗教、自分の神だけを信じろという宗教はこの方の宗教ではないぞ。そなたにはこの方は分からないのぞ。見えないのであるぞ。この方のやり方が分かるだけであるぞ。そなたは、この方の言うとおりに、この方のやり方通りにやれば、今ここでも「天国」を生きることができるのであるぞ。すべてのすべてを創った神が言うことであるぞ。これ以外にそなたがこの先、生き残る道はないのであるぞ。

 そなたが、今ここで「天国」を生きていればどこへいってもどうなっても天国なのであるぞ。そなたが天国ならば、今ここで死んでも天国であるぞ。新しい世の民にもなれるのであるぞ。次の世がどうなるか、死後がどうなるか、社会がどうであるか、これから何が起きるかを気にする必要はないのであるぞ。そなたの外で、物質の世界で、何が起きるかを心配するのは、神成る修行が足りない証拠であるぞ。そなたが体験からこの道理が分かったときに、そなたは初めて笑えるのであるぞ。本当に安全なのであるぞ。神成る修行をしたことになるのぞ。そなたらには一人として本当に笑える者はいないのであるぞ。神の修行をせずに今ここにあるものを楽しんで最後の人生を終えるか、神の修行を終えてから神の世界にいくまで今ここにあるもので楽しむか、大きな違いであるぞ。
P154
 今ここにあるものはすべて神のものであるから、人間のゲームでも神のゲームでも使えるのであるぞ。神の修行をしてからゆっくり遊ぶことができるのであるぞ。「そんなことはありえない」「そんなことはバカバカしい」などと言っている者は、この方のやり方は永遠に分からないのぞ。そなたは「新しい世の民」にはなれないのであるぞ。新しい世は、「神のルールを身につけた身魂」だけが生きることができる「神の世界」であるからぞ。そなたが神の世界に生きたいならば、人間のゲームからきれいさっぱり足を洗って神の修行をすることであるぞ。神の修行をすることが調和を創りだすことにもなるのであるぞ。神の修行をすることがみんなのためになるのであるぞ。自分のためが人のためであるぞ。今までの人間のゲームは迷惑掛け合う自分勝手ゲームであるぞ。神のゲームをすることが調和を創りだす方法であるぞ。神のやり方を迷惑だというそなたが迷惑であるぞ。

 この方が語っているのは、そなたの世界にあるもの、神の世界にあるもの、すべてのすべてを創りだす「オオモトの元の神の真理」であるぞ。すべてのすべてを自らの内に産み生んだ「元つ神」が語る「オオモトの原理」であるぞ。すべてを創りだす「創造の物理学」であるぞ。「神成る修行のやり方」でもあるぞ。そなたが新しい世で神に成るためのルールを語ったものであるぞ。そなたらには、最後の大掃除までもう時はないのであるぞ。いつまでも「我れ善し」の自分だけ勝手ゲーム、お金集めゲーム、人集めゲーム、自分が一番ゲーム、損得ゲーム、自分だけ勝つぞゲーム、あんたのせいだゲーム、俺は偉いぞゲーム等々、地獄の混乱ゲームをやっている暇はないのであるぞ。不調和を創りだす人間勝手なゲームはいい加減にやめて、このフミ読んで神成る修行にはげんでくだされよ。
P155
 「どれが元つ神のやり方か」「どれが本物であるか」「どうすれば神が生きられるか」「どうすれば神のルールから外れないか」「どうすれば天国になれるのか」などと言っている者は、この方の言うことを分かっていないぞ。この方にこういう質問をすること自体がこの方のやり方から外れているのぞ。損得○×善悪判断ゲームをしている者、人をコントロールしようとしている者、ある特定の見方(常識等々)しか認めないと言っている者、自分は正しいと言って他を排除している者、自分の外の神に頼っている者、人のすることに口出しする者は、この方を知らない者であるぞ。そなたが同じことをするならば、そなたも同じであるぞ。この方のやり方を知らない人間に答えを求めてもこの方は語らないのであるぞ。そなたがこの方を知らないならばこの方は判断できないのであるぞ。
P156
 この方は、そなたの想念と対話するのであるぞ。そなたの内側に問いかけなければこの方は答えないのぞ。この方のやり方は天国であるぞ。そなたは内なる声に従って一つ一つやればよいだけであるぞ。この方には、損得も善悪も○×もないのぞ。この方に判断はないのぞ。そなたがそなたの内側の声を判断をするならばこの方の声は聞けないのぞ。この方の言うことを聞くだけではなくてこの方の言う通りにやることが必要であるぞ。この方は、体験で分かる神であるぞ。この方のやり方は実際に体験して初めて分かるのであるぞ。特別なことではないぞ。そなたの行動指針というものを取り替えるだけであるぞ。今まで学んだものをこの方の言うことに交換するだけであるぞ。神の生き方と言っても特別なものではないのぞ。人に頼っていて文句を言うでないぞ。人のすることに口出しするでないぞ。自分のすることを判断するでないぞ。自分の体験を人の責任にするでないぞ。そなたがこの方のやり方をやっているならば、外のものは関係なくなるのぞ。

 神のルールというのは「自分のしたことは自分で責任をとる」ということであるぞ。そなたのしたことはすべてそなたの選択の結果であるぞ。人や神や社会のせいにしている者、人や神や社会に頼っている者、人や神や社会を善悪○×損得で判断している者、自分の外側に神を探している者は、改心(改神)が必要であるぞ。人や社会が何と言おうとそなたが人の責任にせずにやればよいのであるぞ。神に善悪、○×はないのぞ。神に失敗はないのぞ。何をしてもよいと言っても、殺人や泥棒やいじめ等々は「人の責任ゲーム」の結果であるぞ。そなたのしたことを判断している者と議論するならば、そなたは神のルールではないぞ。迷惑というものはないのぞ。人のしていることを善悪○×損得で判断することが迷惑であるぞ。皆自分勝手であるぞ。神の自分勝手をすることであるぞ。
P157
 神のルールに反していればそなたは神には成れんのぞ。人間が創った「法律」違反どころの話ではないのぞ。そなたは調和を創りだす神のルールを破っているのぞ。そなたは神の犯罪人であるぞ。犯罪人を責めているそなたが神から見たら犯罪人であるぞ。この道理分かるか。厳しいが、そなたのために言っているのであるぞ。神成る修行の身であるそなたらは、神成る修行をすることが使命であるぞ。人のせいにしていた部分、○×の争いをしていた部分を無くすことが神なる修行であるぞ。今までのすべての人生で「自分の責任をとっていなかった部分」を清算するのが修行であるぞ。そなたの身に振りかかるように見える出来事、病気や事故や怪我や損や家族の死や失業等々の「不幸」と言われるものは、そなたが今までの人生での神のルール違反を自らの痛みで清算し、教えてくれているものであるぞ。そなたの苦は、そなたの今までやった「真釣り外し(神のルール違反)」を肉体を通して清算するための出来事であるぞ。そなたの葛藤や悩みは「神のルール以外のもの」を選んでいる証拠であるぞ。
P158
 神には「不幸」や「悩み」というものはないのぞ。神は喜びだけであるぞ。苦あるのはオカシキことであるぞ。苦あるのはそなたの責任転嫁の証拠であるぞ。自らのしていることを自覚して神成る修行をすることぞ。そなたが肉体の世界で苦しみ、痛み、辛さ、不幸等々を感じているときは、今までの真釣り外しの清算をしてくれていると思うことであるぞ。神がそなたの肉体を使って清算してくれているのぞ。自分の苦しみを人のせいにするでないぞ。自分の辛さを人にグチグチ言うでないぞ。人に言っても不調和まき散らすだけぞ。不幸がきたら感謝であるぞ。そなたの身に覚えがなくても、今までの過去の人生のどこかでやったことであるから、肉体に形になっていることが証拠であるから、素直に感謝してお詫びして改心することであるぞ。そなたの外側に○×が見えたとき、外側に責任が見えたときは、そなたがそう見ているのであるぞ。そなたが体験しているのはそなたがした結果であるぞ。そなたが見ているのは自分の内側であるぞ。そなたの肉体の体験というのはそなたの身魂のしていることの結果であるぞ。

 そなたらは「犯罪」や「病気」や「事故」や「トラブル」等々についての本当の原因を知らないのであるぞ。「神」や「死後の世界」や「天国」について何も知らないのであるぞ。そなたがすべてを知っていれば何の混乱も、何の悩みも、何の恐れもないのぞ。そなたが神への感謝を忘れて不満や文句を言ったり、感謝を後回しにしてすぐに形の修繕に走ったり(医者に治して貰おうとしたり)、自分の身を守ったり、死を恐れたりしているならば、そなたにとって「新しい世」は遠くなるのであるぞ。そなたが今までの学や教にとらわれて神の言うことを聞かないならば、そなたの人生は今世で終わりであるぞ。神の言うことについてアレコレ言うのは勝手であるが、この方の言うことを否定すればそなたには「新しい世」はないものと思ってよいぞ。そなたの肉体は修行のための道具でもあるのぞ。今のそなたにとっては、グチを言ったり、文句を言ったり、人を責めたり、お金を集めたり、人をコントロールしたり、勝ち負けゲームや取り合いゲームに励んだりしている暇があったら、外側の鏡を使って、肉体を通して神なる修行を始めることが必要なのであるぞ。これは誰のためでもなくそなた自身のためであるぞ。
P159
 そなたらが宇宙と思っているものは、元つ神の中にはらんだ子宮内宇宙であるぞ。そなたらの宇宙にあるものはすべてこの方が産み生んだものであるぞ。宇宙は無限ではないのぞ。元の神まで考えれば無限なのであるぞ。そなたは宇宙について何も知らないのであるぞ。この方に聞けば宇宙のことはすべて分かるのであるぞ。そなたらがこれから体験するのは、初めての「子宮内宇宙の出産」であるぞ。そなたの宇宙そのものが神の世界に生まれるのであるぞ。それがどういうことかということを考えても分からないのであるぞ。そなたは神の世界を何も知らないのであるぞ。何を知ろうとしているのか。そなたが神の世に生まれればすべてが分かるのであるぞ。今度の出来事は、そなたらにとっては万古末代二度とない一度こっきりの出来事であるぞ。そなたは生まれて初めて見る世界にいくのであるぞ。そなたがすることは出産の準備を進めることだけであるぞ。神の世界のルールを学んで実行することであるぞ。神の世界への産道はもう開いているぞ。そなたはもう戻れないのであるぞ。神に成るか、滅びるかの二つに一つの選択であるぞ。
P160
 天神様の細道は神の修行がなければ通れないのであるぞ。産道は参道であるぞ。神社の参道は産道の型示し(神の仕組みを形で現したもの)であるぞ。神社には修行なくてもお参りできるが、神の世界へは修行(五用=神のココロ)なき者はお参りできないのであるぞ。この方の言う通りに修行をしなければそなたには神の世はないのであるぞ。この方しか知らない世界のことを人間に聞いても分からないのであるぞ。神の世界を知りたいならばそなたの内側のこの方と対話することであるぞ。時代劇の「お上の御用」というのは「お神の五用」のことであるのぞ。殿様は偉くないのぞ。元の神が一番偉いのであるぞ。そなたらはこの方なくしては存在できない身魂であるぞ。いつまでも、この方を知らぬ人間が創った身分や地位の上下ゲームをして威張っているでないぞ。威張っている者ほど、神の修行は厳しいのであるぞ。そなたが知っている神や仏は人間がつくったものであるぞ。そなたが神や仏のことをいくら知っても研究しても目くそ鼻くそであるぞ。そなたは神の世界のことを何も知らないのであるぞ。わかりたか。

 そなたらは、これから、元つ神の子宮の外に出て「神」に成るので あるぞ。「神」といっても、そなたらは「日月地の神(地の日月の神)」という神であるぞ。「日月地(昼夜地)」を統べ真釣る神であるぞ。この方はすべてのすべてを統べ真釣る神であるぞ。そなたが神になるにはまず神の響きをださなければならないのぞ。神の想念になることであるぞ。神の響きを鳴らすことであるぞ。今この世界で神の行動をすることであるぞ。神の響きが鳴って、初めて神に成るのぞ。想念があって形になるのであるぞ。そなたが今ここで神の想念でなければ、次の世界にはいけないのであるぞ。そなたの想念の響きの通りの形を創るからであるぞ。次の世でいきなり神に成ろうとしても無駄なことであるぞ。最後になってまとめて修行しようなどと考えていても、そなたには耐えられんことであるのぞ。この方の言う通りに今ここで一つ一つ神成る修行をしていれば、厳しいとはいえ楽に神に成れるのであるぞ。今ここでこの方の言うことを聞けば必ず神に成れるのであるぞ。
P161
 そなたは「神」に成れば、そなたがしたいことはすべて自分でできるのであるぞ。そなたの欲しいものは、誰も傷つけずにすべて手に入るのであるぞ。そなたが神の響きを出せば、今ここでも神の助けを借りてできることであるぞ。そなたが神に成ればこの方の助けは要らなくなるのであるぞ。そなたが神に成るには神に成る修行が必要であるぞ。そなたが今ここでするのは「神成る修行」であるぞ。そなたがすることは、この方から神のルールを学んで、今ここで実行して、すべてを自分の責任で行動する態度を身につけることであるぞ。今までの○×のゲームをきれいさっぱりやめることであるぞ。そなたが学んだアベコベの行動を改めることであるぞ。今ここで「改心(改神)」することであるぞ。そなたがどんな神になろうともそなたはこの方の外には出られないのであるぞ。このことをシッカリと覚えておくことであるぞ。すべてのすべてが調和のもとに機能できるように創ったこの方の言うことだけがそなたが天国になるやり方であるのぞ。そなたが神に成ったらこの方は喜んで引退させてもらうぞ。この方を早く楽にさせてくれよ。
P162
 そなたが神に成るとはいっても、この方の子宮の外もこの方の中であるから、そなたらは「元つ神のルール」に従うのであるぞ。神の子宮の外は、神の世界だから、神でなければいられないのであるぞ。神に成った者しか新しい世の民にはなれないのであるぞ。新しい世の肉体は光一つ上がった体であるぞ。そなたという身魂が神の響きを出していなければ入れないのであるぞ。そなたらは、今のままでは、この世が最後の人生となるのであるぞ。そなたらが今握っているものは、子宮の中だけで通用していた道具であるぞ。この方は、子宮の外で必要な道具について語っているのであるぞ。子宮の外ではこの方が語っている真理がそなたの生命の源となるのぞ。そなたは子宮の中で必要なものにしがみついているのであるぞ。赤ん坊は臍の緒で母親と繋がっているが、外に出れば臍の緒は必要ないのぞ。赤ん坊にとっては臍の緒は命であるから怖いことであるが、母親は子宮の外の世界のことを知っているから大丈夫だと分かるのであるぞ。この方が臍の緒(今まで学んだ知識や今まで手に入れた地位名誉財産等々)を切れというのはそういうものは神の世では必要ないからであるぞ。神の世を知っているのはこの方だけであることを覚えておけよ。
P163
 そなたはまだ体験したことのないことをあれこれと想像しているのぞ。知ろうとしているのぞ。そなたは自分の安全を探しているぞ。安全を探すと安全はないのであるぞ。そなたは今までずっと子宮の中の胎児だったのであるぞ。そなたには子宮の外のことは分からないのであるぞ。子宮の中の胎児は子宮の外のことを知らないのであるぞ。そなたの親であるこの方だけが知っているのであるぞ。人間の胎児は何回も生まれ変わっているから人間の子宮の外のことを知っていることもあるが、神の胎児は一度も出産していないから、神の世界のことはこの方に聞かなければわからないのであるぞ。この方は子宮の中の胎児とも通信できるのであるぞ。この方は子宮内宇宙の存在を通して子宮内宇宙の存在に語りかけるのであるぞ。宇宙存在のメッセージもこの者の書くこのフミもそなたら子宮内の存在へのこの方の通信であるぞ。子宮の外のことは見えないが、通信を通じて知ることはできるのであるぞ。この方の言うことだけがそなたが外の世界を知る唯一の手だてであるぞ。

 この方が語ることは、そなたという身魂が生まれてこのかた初めて聞く「元つ神の真理」であるぞ。この方は、このフミを通して、そなたら、肉の体を持って人間になっている身魂に分かるように、神の子宮の中で同じ人間の体験をしているこの者を通して、「日本語(実は、この方のことを伝えるシンボル)」という人間の言葉を使って、目に見える形で初めて聞かす(=見せる)のであるぞ。そなたは、この方が今までそなたのココロに語りかけていたにも係わらず、この方の元つ真理を知らぬ人間から学んだ「アヤマ知(神の法則から外れた知恵)」でココロを曇りに曇らせて、人間のゲームの中で自分を守るために、人から気違いと言われないために、見ざる言わざる聞かざるでこの方の語る真理を無視していたのであるぞ。この方がそなたのココロに語りかけてもそなたが無視し続けるから、今の今は、もう最後の大掃除の舞台まで時がないから、最後の手段として、最後の情けとして、最後の大サービスとして、こうやって目に見える形で見せるのであるぞ。この方の語ることを聞かなければ、そなたには新しい世はないからであるぞ。これが本当の「子を思う親ゴコロ」であるぞ。そなたら人間の親がやっているように親の期待を満たすためだけの親ゴコロではないぞ。この親神のココロがわかるか。神の真意(神意)をくんで、一人でも多くのお子がこの方のところへ来てくれることを楽しみにしているぞ。
P164
 この方が語るのは、そなたがずっと探していた「夢を実現する方法」であるぞ。みんなが嬉し嬉しになる「天国を創る方法」であるぞ。今の今の今今も、肉の体を脱いだ(死んだ)あとも天国でいつづける方法であるぞ。天国を創りだす唯一つの真理であるぞ。そなたが今まで無視してきたから、そなたには天国がなかったのであるぞ。形の上では平和に見えてもそなたのココロは地獄なのであるぞ。そなたのココロに戦いがある限り、そなたの外側の戦いはなくならないのであるぞ。そなたの内を掃除しなければ、そなたの外にあるものは何一つ変わらないのであるぞ。そなたの内にあるものを神が見せているからであるぞ。そなたが見ているものはそなたの内にあるものであるぞ。外側にあるものを責めたり変えようとしたりしているといつまでもそのままであるぞ。
P165
 そなたは神に取りつかれているのぞ。そなたが人間として動けるのは、そなたの想念に応じて神が働くからであるぞ。そなたはいつもなんらかの神に取りつかれているのぞ。幽霊や悪霊に取りつかれている云々と人を批判したりバカにしたりするそなたもそういう神に取りつかれているのであるぞ。そなたがどの神に取りつかれたいかを決めているのであるぞ。そなたが人間のゲームに取りつかれて身欲や保身に走ったときに、そなたと同調して知らせる神もいるのぞ。そなたがこの方を無視すればこの方の生んだ「悪神」に引っ掛かるのぞ。「悪神」も新しい世では神になる「神」であるぞ。「悪神」に取りつかれたそなただけが新しい世にいけなくなるのであるぞ。「悪神」にはこの方がすべて教えてあるから、自分のしていることをすべて知っているぞ。「悪神」はすべてを知っていてそなたを引っ掛けているのであるぞ。「騙した騙された」というゲームをやるでないぞ。この方はこうやってすべて教えているのぞ。もう知らないという言い訳は通用しないのぞ。人のせいにも神のせいにもできないぞ。今までもそなたの心掛け次第でこの方やこの方の家来の神に取りつかれて天国になることもできたのであるぞ。すべてのすべてはそなたの責任であるぞ。責任はそなたにしかないのであるぞ。責任追及ゲームは幻想であるぞ。

 そなたがこの方を知らずにそなたの理屈で外を変えようとすると、ますます思惑と逆の方向へ進むのであるぞ。この方が表に出ている今今は、このことをハッキリと分からせるぞ。この方が許さないから今までのゲームはできないのであるぞ。そなたが人を変えることはできないのぞ。人が変わったのは人が変わることを選んだからであるぞ。そなたが変えたのではないぞ。いつまでもアベコベの幻想にとらわれていないで、この方が訓練したこの者の言うことをよく聞いて自らの嵌まっているトリックに気づいてくれよ。この者はこの方のやり方を人間としてすべて知っているのぞ。この方の天国の方法をマスターしているのぞ。今すぐにでも神の世界へ行ける身魂であるぞ。この者の肉体を消せば、そなたらがこの方のやり方が分からなくなるだけであるぞ。この者はこの方が守護しているから手出しするとそなたが危ないのであるぞ。そなたが新しい世界へいけなくなるだけであるぞ。教祖様、支配者様、権力者様、この方を知らぬ宗教を創って人民を地獄のゲームに誘うのはもうやめてくれよ。いい加減に目を覚ましてくだされよ。皆がそろってアウトになるのぞ。そなた自身もアウトになるのぞ。それでもよいのか。今ここで決めろよ。
P166
 そなたが見て、外側が変わったように見えても、それは力を使って変えたものであるから守る必要がでてくるのであるぞ。力を使って創ったものは、力を使って壊れるのであるぞ。軍隊があるのは今ある平和が創ったものであるからぞ。そなたがやっているのは自分だけが良ければ良い、我れ善しの力と力の戦いのゲームであるぞ。天国には戦いはないのであるぞ。天国は皆が嬉し嬉しであるぞ。皆善しの世界であるぞ。そなたがなんとかしようという時はそなたの自分勝手であるぞ。この方を知らない者が、人を導くことはできないのであるぞ。人を地獄に導くことになるぞ。人を変えよう、人に知らせよう、人に分からせようとするのはすべてそなたの我であるぞ。そなたの自分勝手であるぞ。新しい世界には「五用(神のルール)」がなければいけないのぞ。そなたらは「四用(人間のルール)」を持っているぞ。「しよう」「させよう」は「四用」であるぞ。「四用」は「死用」であるぞ。もう終わりであるぞ。そなたの身魂が死ぬぞ。人を導く者は、神の世界の御用をしてくれよ。そなたがまず神の響きを出すことであるぞ。そなたがまず神の修行をすることであるぞ。そなたの後ろ姿で教えるのであるぞ。「四用」の宗教は死ぬぞ。
P167
 この方が語っているのは、そなたが「そんなうまい話はない」「そんなことはありえない」と言っていた話であるぞ。そなたの世界の(そなた自身の)すべての疑問を解きあかし、すべての問題を解結する唯一の考え方、ものの見方であるぞ。そなたの疑問や問題はこの方が言っていることを無視していたからできたものであるぞ。そなたがこの方を無視していたから創ったものであるぞ。この方の言うことを聞けば解結するのであるぞ。間違っていたことを素直に認めて、人間のルールで創ったものをすべて解(ほど)いて、神のルールで結ぶことが「解結」の本当の意味であるぞ。この方を知らぬそなたらの学や教ではもう何も解結しないのぞ。今までも人間が解結したものは何一つないのぞ。すべてを分ける「分かつ知」の人間のゲームでは、解結するたびに問題を創りだすだけであるぞ。
P168
 この方の言うことだけがすべてのすべてをハッキリさせる真実の真実であるぞ。これなくしては、そなたも含めて、すべてのものはないのであるぞ。そなたは「元つ真理」を初めて聞くのであるぞ。初めて聞くものに判断というゲームはないのぞ。生まれて初めて学校で学ぶことをどうやって判断するのぞ。判断はできないのぞ。議論はできないのぞ。そなたが判断や議論できるのは、そなたが基準をもっているからであるぞ。判断のゲームは今までの人間のゲームだけで成り立つものであるぞ。この方の真理は、そなたが今まで学んできたものとはまったくアベコベに働くものであるぞ。すべて裏表であるぞ。そなたが人間ゲームから手を放さなければこの方のゲームは分からないのぞ。人間のゲームで判断しているうちは人間ゲームの学や教と同じであるぞ。この方のゲームは「教」ではなく「道」であるぞ。この方を生きなければこの方の天国は分からないのであるぞ。そなたがやっている判断や議論というのは、今までの学や教の中の損得○×善悪ゲームであるぞ。自分勝手な基準でこの方の真理を判断するというのは、この方の真理を拒否しているのと同じであるぞ。この方の真理を拒否すれば、そなたには永遠に天国はないのであるぞ。

 そなたの判断の基準は元の神を知らないそなた自身が、今までのゲームの中で自分を守るために、そなたの理屈で都合よく手前勝手に創ったものであるぞ。ここで語られることをそなたの創った基準で判断したり、議論したりすると、そなたは永遠に自由になれないものであるぞ。そなたがこの方を無視すれば、そなたが探している天国も自由も幸福も永遠に手に入らなくなるのであるぞ。そなたは自分で自分の天国を放棄することになるのであるぞ。そなたは今までそれをしていたから何も分からなかったのであるぞ。そなたがこの方を無視して、何も知らずに外を探しているからこの方を知らぬ地獄の教や学に騙されるのであるぞ。そなたが騙されたのであるぞ。そなたの体験はすべてそなたのせいであるぞ。人や組織を責めるのは筋違いであるぞ。損得善悪を使って判断をしていると、いつまでも平和も平等も幸福もないのであるぞ。いつまでも戦いや犯罪はなくならないのであるぞ。今度の今度だけは、このフミをすべて読みおわるまで、一切の価値判断をするでないぞ。今までのように見たものを直ぐに批判したがるそなたの癖を出すでないぞ。今度だけは元つ神の言うことを素直に聞けよ。誰のためでもないそなた自身のためであるぞ。
P169
 元つ神には判断はないのぞ。すべてのすべてを知っているからぞ。すべてを創ったからであるぞ。そなたの判断の基準というのはそなたが勝手に創ったものであるぞ。そなたの基準で元の神の真理を判断することがどういうことか、ここでよく考えてみるがよいぞ。そなたが、この方を、この元の神を知らずに創ったものはすべて、そなたの手前勝手であるぞ。自分だけ得しようとする自己流であるぞ。自分だけ勝手であるぞ。そなたの「我」であるぞ。そなたがそれを続ければ不調和を創りだすだけであるぞ。そなたがこの方を知っていれば判断はできないと分かるのぞ。判断は消えるのぞ。判断というのは、そなたの内側をそなたの外側を二つに分ける、いつまでたっても一つにはならない幻想のゲームであることを知っておけよ。そなたが探している天国には分裂はないのであるぞ。そなたが戦っている教を信じているならば、そなたには天国はないのであるぞ。そなたが本当に天国に生きたければこの道理をよく心得ることぞ。
P170
 この方が、「判断はできない」と言っているのにまだ判断している者は、この方の言うことを分かっていないぞ。判断するのは元つ神を知らない証拠であるぞ。これから暫くの間、この者を通して、そなたが知りたがっていた、ずっと探して見つからなかった「神の真理」をすべて聞かすから、今までそなたが学んできた混乱を創りだすだけの元つ神を知らぬタワケた教えは無視して、すべてのすべてを白紙に戻してハイハイと素直に聞くのぞ。そなたがそなたの癖で判断を始めれば、神の真理は永遠に分からなくなるのぞ。そなたが天国に行くためにはこの方の語ることを素直に聞くことだけが唯一の道であるぞ。

 この「フミ」はすべてのすべてを創った元つ神であるこの方が語るものであるぞ。この「フミ」を文字にしているこの者のただの考え方だと思ったら大きな間違えであるぞ。そこのところをよく心得て読むのであるぞ。この者はこの方の言葉を文字にする「御用」をしているのであるぞ。この「フミ」はこの方のやり方をマスターしていないと文字にできないのであるぞ。この者がいて初めてこの方の言葉が伝わるのであるぞ。神と人はもちつもたれつであるぞ。そなたがこの方にまつろえばこの方もそなたを抱くのであるぞ。そなたがこの方の言うことを素直に聞けば、この者のように文字にもできるのであるぞ。この方の言うことを語ったり文字にしたりできるようになればそなたは天国であるぞ。そなたはこの方の真意やこの方のプログラムがすべて見えるようになるのであるぞ。
P171
 今までも、神は、そなたの想念を通して、いつもそなたに語りかけていたのぞ。そなたのココロの声はすべて神の声であるぞ。そなたが、神を知らぬ人間に教わった基準で神の声を判断して、分けて、今までの人間のゲームで都合の善いものだけを選んで行動していたのぞ。そなたが直感とかヒラメキとか何だか分からないけど聞こえる声とか言っていたものがこの方の声であるぞ。そなたが怖いと感じるもの、人間のゲームでは都合の悪いものの中に神の答えがあるぞ。そなたはこの方を知らずに神を創っていたのぞ。そなたが、この方を知らず、あやま知にとらわれた人間が創りだしたタワケた宗教に騙されて、この方の声を無視していたから、そなたは無私になったのぞ。神が見えなくなったのぞ。そなたが神の声を無視していたから、騙されることになったのぞ。この方の真理を無私していたから自分が分からなくなったのぞ。自分が何者なのか分からなくなったのぞ。自分がここで何をしているか分からなくなったのぞ。自分とは何者か、などという哲学なる学問を創りだして、ますます分からなくなっていったのぞ。

 そなたの持っている疑問はこの方に聞けばすべて解結するのぞ。この方に聞くというのは、この方の言う通りに生きることであるぞ。この方の言うことを分かっただけではだめであるぞ。神にお祈りだけしてもだめであるぞ。神の言うことを行動して、初めて神の声を聞いたことになるのぞ。神を信頼したことになるのぞ。神を信じたことになるのぞ。そなたがこの方の言うことが分かったと言うならば、言ったとおりにやれよ。そなたが言ったことをすべて行動せよ。神はそなたの信頼と引換えにそなたに教えるのぞ。そなたが行動すれば神は改心したことを認めるのぞ。神の言う通りに生きていれば、そなたには疑問も悩みもないのぞ。わからないことは何もないのぞ。分かろうとするのは神を生きていない証拠であるぞ。神はそなたの体験を通して一つ一つ教えるのぞ。この方の言った通りにやってみればすべて分かるのであるぞ。そなたは、この方の言った通りにやっていれば何の悩みもないのぞ。そなたの今までの体験はこの方を無私していた結果であるぞ。だまされたと思ってこの方の言うとおりにやってみやれよ。
P172
 そなたが創ったものでない人間についてそなたがいくら考えても答えはでないのぞ。この方を知らぬ人間に聞いても、答えはでないのぞ。ましてや、この方を知ろうとしても無駄なことであるぞ。この方を知ったところでそなたは何も分からないのであるぞ。この方の話を無私して、答えを出そうとしても無駄な抵抗であるぞ。そなたは神を知らないからこの方の語ることについて議論になっているのぞ。すべてのすべての答えはこの方しか知らないのぞ。そなたが神を知りたいならば、そなたのココロの声をすべて素直に聞くことであるぞ。聞いたことをすべて実行することであるぞ。実験することであるぞ。何万の人間に有効であったものでもそなたに有効であるかどうかはそなたがやってみないとわからないのであるぞ。この方の言うことを実行することだけがこの方の仕組みを知る唯一の手だてであるぞ。そなたの外には神はいないのぞ。そなたの外には神を教えてくれる宗教はないのぞ。この方のことを教えられる者はいないのぞ。この方はそなたの中にいるのぞ。そなたの想念を通して語るのぞ。このことをしかと心得ておくことぞ。
P173
 この方は、この方の言う通りに生きて、初めて分かる神であるぞ。いかにして神と対話するかということは教えられる人間はいるが、神そのものを教えられる者はいないのぞ。この方は一人ひとりと対話するのぞ。この方は一人ひとりにわかる神であるぞ。この方のことを教えているつもりになっている者は、いいかげんに目を覚ませよ。この方はそなたのやり方で神を教えてくれと頼んだ覚えはないぞ。そなたのやり方ではこの方は教えられんのぞ。そなたのやり方ではこの方は見えないのぞ。教育やしつけでは神はわからんのであるぞ。教育やしつけは神を分からなくするのに有効な方法であるぞ。そなたはこの方を無私する方法を教えているのぞ。そなたは混乱や悩みを創る方法を教えているのぞ。そなたは戦いに勝つ方法(人を負かして勝つ方法)を教えているのぞ。外の神を信じるゲームではこの方の声は聞けないのぞ。この方を体験することはできないのぞ。元つ神には戦いはないぞ。神のやり方はすべての者が勝つぞ。この神を知らずに、これから起きる「大変」を超えることはできないぞ。今のうちにこの神と対話できるようになっておけよ。
P174
 新しい世界は「神の世」であるぞ。そなたのココロが神のココロにならなければそなたはいられないのぞ。次の世界の肉体には神のココロでないと入れないのであるぞ。そなたは神のココロになる修行をしているのであるぞ。そなたが見ているものを使ってそなたの中の○×を見つけて消していくのぞ。そなたが○×をやめれば神がその通りに形にして見せるのぞ。人を批判するのも神のせいにするのも勝手だが、そなた自身が「神ゴコロ」にならなければ何をしても駄目であるぞ。お金でも学でも知でも財産でもだめぞ。どこにも逃げるところはないのぞ。今回の大変は肉体で助かろうとすると助からないのぞ。人の邪魔をするとそなたが危ないぞ。神ゴコロになることだけがそなたが助かる道であるぞ。

 世紀末に何が起きるかを知っても何の意味もないぞ。何が起きるかを心配してもそれは肉体の世界のことであるぞ。そなたが神ゴコロになれば、肉体の世界で何が起きようと関係ないのであるぞ。何の影響もないのであるぞ。そなたの身魂が神ゴコロになれば、何が起きても大丈夫であるぞ。この方とこの方の家来が守護するのであるぞ。最後の最後の大掃除の後には、神ゴコロになった者もならない者も、そなたらの肉体は、一旦お召し上げであるぞ。そなたの身魂を改めた上で、神ゴコロになった者だけを新しい肉体に入れるのであるぞ。これがそなたの言っている閻魔(えんま)様の審判の真実であるぞ。裁くのではないぞ。そなたが神ゴコロになっているかどうかを見るのであるぞ。そなたがそなたを見るのであるぞ。そなたは今ここで閻魔様の審判の結果が分かるのであるぞ。そなたがここで天国になれば、思いどおりの現実を体験すれば、そなたは新しい世の神に成るのであるぞ。
P175
 そなたが心配しているのは物質世界の大変であるぞ。そなたの身魂が神ゴコロであれば、噴火も地震も津波も戦争も放射能も人食いも、たとえ肉体がバラバラになっても関係ないのぞ。そなたの魂は、新しい世で新しい肉体を得るぞ。そなたの心配している「死」は関係ないぞ。そなたが心配している「死」は肉体の死であるぞ。肉体がなくなってもそなたはいるのであるぞ。そなたの他の人間からそなたが見えなくなるだけであるぞ。そなたが今までの死を避けようとしていると魂がアウトになるぞ。身魂の掃除が終われば肉体で何が起きても関係ないぞ。怖くないのぞ。肉体を去っても神ゴコロならばOKであるぞ。食べるものが無くなっても毒と言われるものを食べても関係ないぞ。そなたが神ゴコロになることだけが必要なことであるぞ。最後の大掃除ではそなたの回りは地獄の如き状況になるのぞ。ナマ物を食らうことになるぞ。衣食住なくなるぞ。身魂の掃除ができていれば何の影響もないのぞ。そなたが助かるための神の最後の一厘であるぞ。

 そなたの今まで学んだこととはすべてアベコベであるぞ。そなたがこの道理分からねば、分からないそなただけがアウトぞ。今回は一人ひとりの問題であるぞ。一人ひとりの出来事であるぞ。一人ひとりの身魂の掃除であるぞ。だれが助かるかは外からみても分からんぞ。この「フミ」はこのことを教えるための最後の最後のトドメのフミであるぞ。これが最後の最後の本当の真実であるぞ。そなたが人を頼る教や肉体の人を助けようとする教や争っている教についていくとそなたがアウトであるぞ。何が起きるか知れば知るほどそなたは危なくなるぞ。怖くなるぞ。先に行くほどわけが分からなくなるぞ。これが真実かどうかと判断するのはそなたが嵌まっている証拠であるぞ。この方の言う通りにすればそなたの知りたいことがだんだん分かるようになってくるのぞ。
P176
 そなたは神の子であるぞ。そなたはこの方の子であるぞ。そなたの魂はこの方の分身であるぞ。そなたはこの方の言う通りやっていれば、もともと喜びしかないのぞ。そなたが悩むのはそなたが喜びを創るこの方の声を拒否しているからであるぞ。神に病気治しや予言はいらないのぞ。神に病気はないのぞ。病気はキの病であるぞ。神のキを疑っているから肉体に出てくるのぞ。そなたは神の声と人間の声とどちらを選ぶかというゲームをやって、葛藤を創りだしているのぞ。神には損得はないぞ。善悪もないぞ。神の声はすべての人間がうまくいくようにする方法を語っているのぞ。人と比べて自分だけうまくいくようにしようとするから損得や善悪でものごとを分けて見ることになるのぞ。

 そなたの「死」は神にしかコントロールできないのぞ。そなたは自分に起きていることの真実を何も知らないのぞ。原因を知らないで、見えているものの中に勝手に原因を創って勝手に治そうとしているぞ。神には自分の未来は分かるのぞ。何でもできるから自分の思いどおりの未来があるのぞ。自分の思いがすべて叶うから未来というものはないのぞ。期待もないのぞ。忍耐もないのぞ。あるならそなたは神でないぞ。そなたに悩みがあるならば、そなたは神の生き方をしていないぞ。そなたが神の言う通りにすれば、今ここでも神の体験ができるのぞ。そなたがこの方の語ることを素直にきけばすべてのすべてが分かるのであるぞ。そなたの問題はすべて解結するのであるぞ。死後の世界も新しい世のことも神の仕組みも争いをなくす方法もすべてのすべてが分かるのであるぞ。そなたは何も知らなかったことを神にお詫びして、今ここから素直に神の修行を始めるがよいぞ。それがそなたもそなた以外の者も調和の中で天国に行ける唯一の道であるぞ。まずは、この方のフミをよく読んでこの方の真意を知ることから始めることぞ。



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