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実践・日本真道 (P215~217)

【実践・日本真道】 長谷 章宏 著 (P215~217)より

P215
「この世(人間界)」と呼ぶ世界は、物理体(五感)で認識できる世界を現実としている霊の集団が創る物理界のことである。最低位の霊が、自らが住めるように、自らが操作可能な材料で創った世界で、相互に依存(干渉)し合うシステムをその内に持つ。しかし、実際には、霊界は一つの世界であり、「物理界」という実体は存在しない。幽界霊の作り出す世界を分類した場合の呼び名に過ぎない。現存する物理界は霊界のうちで最も自由のない世界になっているが、その物理界の中にさらに様々な「界」を作り出し、その世界の相互依存で成り立つのが「現代社会」である。物理界の法則は、より高位の霊には通用しない。

霊界なくしては、その映しである現界は存在しない。霊界があって初めて現界が存在する。現界の物理体そのものを、他の霊界に移すことはできない。物理体で操作できない別次元に霊が移ることで、その次元の組成で構成された体に入り、その霊界が現実の体験となる現象を物理界で「死」と呼んでいるだけであって、移った霊界では「生」が現実となる。ミロクの体に入ればミロクの民となるが、ミロクの世は、真釣りの世であるから、霊が真釣りの響きに戻っていなければ、ミロクの体でミロクの世の現実を体験することはできない。あなたが真釣り戻しをしなければならないのは、三千世界がすべてミロクの世に戻るからである。あなたが魔釣りのままならば、あなたの生きる場所はどこにもなくなる。

元つ大神が情けをかけたのは、あなたをミロクの天国に生かしてあげたいという親心からである。本来ならば、真釣りを外した霊は自然淘汰の滅びであり、今ここには存在しない霊である。その霊が生み出す現代社会も実際には存在しない世界である。あなたが魔釣りのまま生き続けるというならば、最後に天地の掟通りに滅んでも、あなたには訴える資格はない。そんなあなたを真釣りに生かすために「情けと花の仕組み」を構えるご苦労は、慙愧慟哭の艱難辛苦の修羅の地獄の苦しみ以上の厳しいものである。大神がそれほどのご苦労をされてまで、天地の理法を破った我が子をミロクに迎えようとする親心、神意を汲み取り、真釣り外して好き放題に天地を荒らしてきたことに対する本当に心底からのお詫びと、あなたを真釣りに戻すご苦労をして頂いたことへの本当の感謝をもって、どんなに厳しい試練、ご苦労にも耐えて真釣りに戻すことが大神への恩返しであり、天地自然の掟を破ったことへの罪滅ぼしとなる。あなたは大神の情けなくして命は無い存在なのである。

「死の恐れ」は、真釣りを外して、霊界の真実を忘れ去った霊が産み出す幻である。死の恐れを持っているから、アメとムチで操ることができるのである。あなたが真釣りを外したことが、騙された原因であり、あなたが今世でどんな体験をしていようと、すべて、自らの不手際がもたらした自業自得の現実なのである。あなたの現実の責任はあなた以外にはどこにもないのである。心は、他の霊界の姿を映す。脳は、霊が物理体を操作するための中継伝達器官であって、霊の持つプログラムが物理体というロボットを動かすためのコンピューターである。二極分裂である脳が「永遠無限」を創造する心を作ることは絶対にできない。霊が『脳が心を創る』と思えば、脳に心があるという現実を体験し、その世界で心の存在を探すことになる。霊の同意なしにはその霊の物理体を動かすことはできない。
P216
物理体から霊界を想像することはできるが、物理界が霊界を創り出すことはできない。物理界の現実は、霊が物理体に入ることで体験する現象だからである。従って、物理体に現われた傷病や物理界の不都合は、物理体自体には原因はない。その治癒(解決)には、物理界の中(形)だけの修繕を繰り返してもその目的は達成できない。霊が自らを殺そうとすれば、戦争界を産み出す。物理界で言う「命」とは、物理体の有無を指す言葉でしかなく、その有無は本当の命の消滅とは関係しない。形の生命保存の社会システムがある限り、物理界での戦争は消えない。法律で「殺人」を禁止しても、それがなくなることはない。

『死者に冥福を祈る』という行為は、物理体をもった霊が、物理体を離れた霊よりも上位の霊界にいると思い込んでいることに起因する。実際には、物理界は、最も不自由な体験をする最下層霊界であるから、その実体はアベコベである。あの世から見た人間(箱に入った不自由な霊、死者)が、この世から見た霊(箱から出た自由な霊、生者)に戻るのがこの世で言う「死」である。あの世から見たら「誕生」であり、あの世で言えば、この世に産まれることが「死(私=利己主義、子=霊が親)」なのである。誕生と死、行きと帰りがアベコベとなる。どの視点から見るか、の違いであるが、真実を知るなら、立体の上下左右(平面の対立)ではなく、あの世とこの世という、肉体(箱)の出入りを伴う「立体の立体(立立体)」の行き来の話となる。逆さまの生き方をして、この世(箱、霊の器)とあの世(中身、霊の命)の関係が分からなくなった結果、本当の死の世界を聖なる世界、本当の生の世界を穢れた冥土と思い込んで、『死んでいる者が生き戻った者を哀れみ、冥土の幸せを願う』という、よく考えてみればおかしなことが当たり前の如くできるのである。

『人間が墓参りをしてくれなければ自分は成仏しない』と言っている霊は、何ともおかしな霊である。それは、人間界でのビジネスの取り引きと同じ論理であり、非物理霊(大人)が物理霊(子ども)相手に我がままを言っている幼稚な戯れに過ぎないが、物理体の霊に自らの欲望を満たさせるというのは、動物霊以下の行為である。慈悲、罪悪感などをもっていると、このような霊につけこまれ、自らの霊力を自らで殺すことになる。霊界は自己責任の世界である。操られたとしても、それは、自らの取り違いのゆえであり、誰のせいでもありえない。霊能者に霊を祓ってもらっても、それは、その霊能者と憑依霊の戦いであって、お祓いを要求した本人には意味がない。人間界で例えれば、強い人間を連れてきて、自分をいじめる者を排除させようとしているのと同じであり、力の無い者が力のある者の自尊心を操って、楽して危険を回避しようとする茶番である。それは、自分自身の力で戦ったことにはならない。誰も助けてくれなければ、自分の力で排除することになるが、自分の力で戦ったことがない者は、為す術もなく殺される。誰かに自分の代わりに何かを訓練させても、それは、その誰かの能力が向上するだけであって、自分の能力は向上できない。誰かに毒見をさせたとしても、自分の毒死の危険は去ってはいない。自らが自らですべてをやらない限りは、依存していたものがすべて消えたときに、何もできなくなる。
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