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実践・日本真道 (P208~212)

   【実践・日本真道】 長谷 章宏 著 (P208~212)より

社会にあるものを見れば、その社会の属する世界の姿がわかる。財政破綻は国家自体の破綻を意味し、再生するためには、融資先の許可が必要となる。世界銀行とIMFという国際社会の金融機関を作り、国家という会社の財政政策を監視し、破綻した場合には、『条件を呑まなければ融資はしない』という論法で、支配者の思惑に合わせて、国家を操る仕組みが形になっている。市場経済の世界では、すべての国家がその仕組みの中に自ら足を踏み入れている。従って、現代社会では、金融システムを操って、帳簿上で国家財政を赤字にさせて、IMFなる金融機関が条件を付けて債権を買い取ることで、世の支配者の思惑通りに国家を操ることができる。金融システムを普及させ、金融システムを巧妙に駆使して、国家を破綻させることにより、都合の悪い国家を吸収合併することが容易となるのである。お金が国家の生死を左右する仕組みを作れば、お金を牛耳る黒幕が国家の生殺与奪の権を握ることができる。個人と銀行の関係が世界を動かす基の仕組みの鏡なのである。

世界の仕組みが国内の仕組みに投影されているのであるが、自らの生き残りばかりに躍起になっている限り、世界を動かしている大きなカラクリには気づかない。自らの生活に汲々として、自らの属する社会がどんな世界なのかを考える余裕が無い大衆を操ることは簡単なのである。お金と金融システムは、形の世界に足場を置いている世界を支配するために必要不可欠な道具である。まずは経済の力学で支配関係を整理し、政治統合して、最終的には、宗教統合して、魔釣りの知恵の神の千年王国を作る、それが、「人類の歴史」の最終章である。欧州が経済統合から政治統合に向かっているのは、世界統一への型示しである。簡単に書いたが、実際には、とんでもなく複雑巧妙な策略で世界は動いている。しかし、それも、自然の仕組みを壊して成り立つ「文明社会」という仮想現実に参加している、「現代人」という、自然や宇宙から見れば、ほんの僅かな「人間の集団」の作る自縄自縛のお遊びである。文明と接触のない未開民族やお金のない「あの世」にとっては何の意味もない。結局は、世のカラクリを知ろうと知るまいと、真釣りに戻らない限り、永遠の滅びとなる。
P209
この本で、いろいろと書いているのは、真コトの道に戻るために魔コトの嘘を捨てるにあたっての拠り所、アタマに沢山詰め込んできた分けのわからないアヤマ知の正体や、自らが今していることの、自らが今いる世界のカラクリを知るための材料を提供しただけに過ぎず、元つ真釣りに素直になれる者にとっては、別に、必要のないものである。ここに書いてある事実にこだわったり、言葉自体をアレコレと価値判断したりすれば、逆に魔釣りを呼び込んでしまうことになるから、その点だけは気をつけて欲しい。要は、自分が嘘に騙されて全く逆さまの生き方をしていたことを認め、自らの立場は大神に任せて、今までの嘘を捨てて、真コトの生き方をゼロからやり直していけばよいだけである。生きている間も死んだ後も、本当に素直に正直に、「口心行」を一致させることが真釣りの真コトである。

『日本を金融システムに巻き込み、国内市場を開放させて日本を世界市場に誘き出し、その後、世界市場を破綻させて日本を潰す』それが世界支配の最終シナリオである。天孫降臨から、古代国家の中国文明、仏教、鉄砲、文明開化、大正デモクラシー、GHQ占領軍、インターネットまで、快欲に囚われた日本は、ものの見事に魔釣りの罠に嵌まり、形の仮面に騙されて、歴史を通じて、魔釣りの勢力を自らで招き入れ続けたのである。その結果が、21世紀の日本国の今の状況である。大神がいなくなったどころか、魔コトの金にすら困っているようでは、世の末も近い。日本を潰すための、魔釣りの三千年に渡る企みが成就する直前、魔釣りの日本占領が九分九厘完了した今が、魔釣りの最終段階、日本を潰す仕上げに入る時であり、今となっては魔釣りの世界の形でどんな対策を取ろうとも、手遅れである。しかし、それは同時に、真釣りに戻す最後の仕上げの立て直しが始まる直前でもあることを、真釣り戻しの天命を担うヒノモトの神民がしっかり自覚することである。魔釣りの立て替えの仕上げと同時に立て直しが始まるのである。一厘の真コトが鍵である。

お金の世界は、金で国を売り買いする世界であり、国家は経営するものである。日本円が日本国であるから、円を外貨に変換させることで、自らのフィールドに取り込んで、操作しやすくする仕組みである。金で操作する仕組みを作り出せば、金額の損得で人を誘導できる。しかし、お金では本当の神(真コト)は買えない。お金は、天恵が無ければ作れないものだからである。自らの子が自らの親を支配する仕組みでガンジガラメなのが現代社会なのである。資源で作ったお金で資源を支配する。神の作ったもので神を支配する。子が親を支配する。地球が宇宙を支配する。機械が人間を支配する。人が霊を支配する。この世があの世を支配する。脳が心を支配する。金が神を支配する。全くアベコベである。
P210
自然(天恵)は無限にあるのに、なぜ有限だというのだろうか。それはいったい誰が言ったことなのか。それはいったい誰が決めたことなのか。今のあなたは『天恵は無限ではない』と言うかもしれない。しかし、それは『天恵は有限である』という現代社会の真理に基づいた結論に過ぎず、それが絶対的真理であるというわけではない。あなたが生きる基である考えを捨てれば、自らを殺すことになる。従って、自らの生き残りのために『天恵は有限である』と言い続けているだけの、個人的見解の一つに過ぎないから、それは何の強制力もない。結局は、自らが有限の世界の中で苦しみを増やした挙句に自滅する自業自得の一人芝居である。天恵は有限か無限か、どちらか一つが真理である。あなたが、いや、人類が「永遠無限の天国」を望んでいるならば、天恵は無限でなければ、実現しない。天恵が無限であるから、永遠無限の天国が生きられるのである。有限の天恵で無限の天国を生きられると言うならば、それは、辻褄が合わない戯言である。あなたは何の目的があってその嘘を語り続けるのだろうか。あなたの持っている考えが真理かどうかは、論理が一致しているかどうかを見ればよい。もし、言っていることとやっていること、持っている思想と実際の現実が違っているならば、あなたの教わったことの根底には嘘がある。あなたは、誰かが誰かの都合で決めたことを鵜呑みにし、嘘をホントと思い込んで、全くアベコベのやり方で、自分の思いを実現しようとしていることになる。そして、実現しないのは誰かのせいだと言って、本当の意味で何の罪もない誰かに責任を押付けているのである。

あなたは、真釣りを外したことを奇麗サッパリ忘れ去っている。『真釣りとは何か』『真コトとは何か』『大掃除とは何か』云々の問いがあるならば、それは、魔釣りの世にいる証しであり、自らの命の源、世を作る大元を忘れ去っている証に他ならない。あなたが同じことをしていれば、あなただけが天地を自由に走ることはままならなくなっていく。そこで飼い主や世間に文句を言っても、犯罪者の言い逃れ、カモフラージュの涙には、誰も耳を貸してくれない。相互依存者同士の場合は、どんな言い逃れをしようとも、魔釣りを自ら暴露することになる。言い訳、逃げ道を探すこと自体が魔釣りの証である。魔釣りのままならば、最後の最後の身魂の大掃除は絶対に超えることはできない。魔釣りの道具を駆使して、魔釣りの世界で生き残ろうと躍起になっているが、魔釣りのままで、誰かを思い通りに動かして、自分の思いを果たそうとしてもそれは成就しない。そればかりか、何も産み出せなくなったあなたは、最後には、自分と自分の共喰いの結末を体験することになる。

生きは息であり、自らの心、あるいは、自然の心と言う意味である。誕生の瞬間には『オギャー』と息を吐いて、肉体死の瞬間には息を引き取って戻っていく。しかし、今のあなたの生き様は、楽を吸い取って、苦を吐くという、全くのアベコベである。あなたは、植物が生み出す酸素(O2)を吸って自らを生き長らえ、Cをつけて吐き出している。そのCO2が環境を破壊しているのである。綺麗なものだけを食べて、汚いものだけを返す。下等生物に分類している植物に自らの汚れを浄化してもらわなければ生きていられない矛盾した人間たち。自然を都合よく利用して、世を汚す人類が生き延びる世界はいつまでも続かない。自らのしたことが自らに戻ることを自覚するようになったが、形で見えるようになってから、形の世界でどんな対策をしようとも、手遅れである。ここまで見えても、まだ、自らが悪の根源だと認めず、自然との共生とか、環境保護とか、資源を大事に使おうとかいうマヤカシで、自らのしていることを誤魔化し続けている。もがけばもがくだけ、どんどん状況は悪化していく。世界は自分の鏡であり、すべては、あなたが吐いた息様が作る世界である。汚物製造機と化している今のあなたの身魂は、たとえ死んでも同じ世界をさまようのである。人類が歴史を通じてしてきた逆さまの生き様の辿り着いた先が、現代社会である。あなたの現実の味噌もクソもすべて自分の結果である。穢れた息をすべて引き取って、蒔いた糞尿の始末を自ら付けて、魔釣りの世界から抜け出せば、真釣りの天国に自心が生きることができる。自然を破壊する生き様をしてきたならば、自分が破壊されて差し引きゼロである。息を吸い続けても、吐く時が必ず来る。あなたはこの世にだけ生きているのではないから、たとえ死んでも破壊責任から逃れられない。死ぬ時は黙って死んで、あの世で清算を続ければ、あなたは清算を終えることができる。この世で何とかしようとすれば、それは神法違反を続けることを意味し、永遠の死をもって償うことになる。
P211
あなたの現実にある不都合はすべてあなた自身が魔釣りに曇った証しであり、それを解消しない限り、天国は夢と消える。世界を動かすやり方の結末は、天国か滅びか、二つに一つである。後者のやり方をしているならば、結末は滅びであり、それに気づいたとしてもそれをやめなければ、後者のやり方のままであるから、自業自得の破壊を体験する現実を自らが選んでいることになる。後者が正ならば、前者は誤である。後者は、前者を何の罪悪感も無く闇に葬っている。もし、前者が正ならば、後者は誤となるから、後者を完全に闇に葬っても罪悪感を持つ必要はない。真釣りが天国の絶対法則であり、その法則を破っている魔釣りは、何もしなければ、結局、すべて闇に消える。絶対法則である真釣りを闇に葬っているアヤマ知の現代社会のすべてを闇に葬っても、罪悪感を持つ必要はない。『絶対法則など無い』と言うのは、アヤマ知の言葉であり、自らの生を保つための詭弁である。あなたがそれを選び続ければ、永遠に真釣りには戻れず、真釣りの天国はない。真釣りを否定するのは、魔釣りが正しいからではなく、魔釣りの命を失いたくないという自分勝手な理由に過ぎない。罪悪感を植え付けたのは、魔釣りの世を壊したくない支配者であり、もし、それが正しいならば、滅びの世を壊すことに罪悪感をもっているというおかしなことになる。本当の天使を殺した悪魔が天使のフリをして『天使を殺すのは罪である』と言ったとすれば、あなたがその偽天使の世界で生き延びたければ、本当の天使を殺し続けることになる。あなたの信奉している天使の正体が悪魔ならば、その偽天使を殺すことに罪悪感を持つ必要があるだろうか。あなたは、ヒットラーや麻原教祖や病原体ウイルスを死刑にすることに罪悪感を持つだろうか。あなたが罪悪感という理由を使ってそれをしないならば、あなたは、本当の天使を殺すことに罪悪感をもっていないことになる。あなたが自分の都合で天地の掟を破っているのだから、死刑になっても自分以外に文句は言えない。
P212
今まで本当の天使を殺しつづけた分の償いをすれば、どんなに極悪人だろうと天国に戻る資格がある。逆に、究極の善人を演じ続けるならば、本当の天使を殺し続けて天国を自ら捨てることになる。あなたに、罪悪感がなければ、天国の方法(道具)を使うことが出来る。ただし、自らしてきたことを清算するならば、である。もし、あなたが天地の理法を破った世界の支配者だったとしても、しただけの罪を償えば、永遠の天国に戻ることができる。あなたが天地の理法を破った理法の中で救世主だとしても、しただけの罪を償わなければ永遠の滅びとなる。事実は、善と悪が全く逆さまなのである。あなたが悪を裁き続ければ、永遠の天国を自ら放棄することになるだけであり、あなた以外のすべての存在には、あなたの選択は影響しない。あなたと同じ選択をした者が自滅するだけである。あなたが真釣りに戻れば、あなただけは、本当の天国に戻ることができるが、本当の意味で誤っている方を完全に捨てなければ、永遠の天国はない。つまり、永遠の滅びが現実になる。嘘の世界で救いの父、即ち、救世主を待っても絶対に来ない。あなたが世を壊した悪魔であるならば、世を救う救世主はあなた自身だからである。あなたが覚醒することが鍵である。

あなたは、普段、何の疑問もなく使っている常識や言葉の正体をどれだけ分かって使っているのだろうか。この世には無駄なことは一つもなく、砂粒一つの動きが万象万物に影響するのである。ましてや、あなたが使っている言葉、あなたの思い、あなたの行いが、万象万物に与える影響は計り知れない。あなたが動くときは、万象万物が動き、万象万物の糸を手繰れば、すべてあなたに及ぶのである。あなたの何気ない行いが、天地自然をどれだけ乱しているのか、アヤマ知にどっぷり漬かっている今のあなたには、全く見えなくなっていることだろう。しかし、これが嘘(マヤカシ、絵空事)ならば、この世には守るべき何の掟もなく、みんながバラバラに好き勝手なことをしても世は保たれることになる。そうであるならば、法律で規制するのは矛盾である。あなたの生き様があなたの現実をつくっている。あなたが魔釣りならば、世界の出来事に関係ないものなど一つも無い。だからと言って、世界の不幸を何とかしようとすれば、それは全くの逆さまであり、ますます世界の不幸を増長することに手を貸すことになる。あなたが真釣りに戻らない限り、あなたは魔釣りの世もろとも永遠に消滅する。あなたの生き様を奇麗サッパリ変えることである。

天恵が有限だと言うなら、天地創造の神は有限のものしか作れない神であるか、あるいは、無限に作れるのにわざと作らないかのどちらかである。前者ならば、その神は無限の天国を作れない偽物であり、後者ならば、その気になれば全員に天恵を渡せるのに自分の子どもたちを思い通りに操りたいがために渡さない自分勝手な親である。天恵を誰かが勝手に所有し、その誰かに「お金」を渡さなければそれを使うことができない仕組みでは、天国などありえない。天恵は誰のものでもない。『誰のものでもないから早い者勝ちで所有してよい』という屁理屈は自分勝手な究極の詭弁である。誰のものでもないものは誰もが自由に使ってもよいのである。真釣りで真釣りの天恵をタダ(無料)で使うならば、天恵を使って作り出した形は真コトであるから、世を乱すことはない。魔釣りで天恵を使うから問題(悪、汚物、有害物)が出来るのである。もっとも、真釣りの世界には、お金という「金の世界で物に化ける神=儲けの道具」は無いから、無料も有料もない。タダと言う言葉は、有料が当たり前の世界でだけ使えるものに過ぎない。本当は、タダが当たり前なのである。
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