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真のヒトになるための生き方(上)


【真のヒトになるための生き方(上)】  
                    長谷 章宏 著

魔九十(言)が統(す)べるФ(アク、悪、現空、開く)の世に、真九十(異)の⦿(親神)現れて、万古末代二度と来ぬ、㊉(とわ、十◯、永久)の⦿(天、十、点、・)国開く成り。

百十(元)の九二(国)の◯九十(マコト)の⦿(かみ)が、⦿(元、素、基)の神力(じんりょく、尽力、人力)現して、◑と◐(中と中)との戦いに、最後の艮(とどめ)を致す也。

魔九十が統べる地獄(●)の世、真九十が統べる神(⦿)の世に、戻さな現(こ)の世が滅びると、叫ぶ真九十(・)の九九路(こころ、心、真、信、親/神への道=百に1)知れ。

元の真釣り(⦿)の大神が、三歳(みとせ)苦難(くなん)のその前に、中の魔釣り(Ф)の神々(◑◐)へ、中つ魔釣りの人々(◑◐)へ、真釣り(⦿)真コトのフミ出して、最後のオフレを致す鳴り。

元つ真釣り(⦿)の真九十の神(⦿)が、真コトのイノチの種を蒔き、神から人まですべてのすべて、元つ真釣りの親神が三千世界を統べ真釣る(⦿)、元の神世(⦿)に返すなり。

中つФ(魔釣り)のФ(魔コト)の神と、元つ⦿(真釣り)のこの方(⦿)が、元つ四九三(しくみ)で対峙する、末代動かぬ三六九(ミロク)世開く、最期の舞台と成りたなり。

神の情報公開は100%でござるぞ。神の規制緩和は100%でござるぞ。岩戸をすべて開くと申すのは、そなたの内にある戒律をすべて外すことにてござるのぞ。何も難しいことはござらんぞ。素直に全部自由にすればよいだけぞ。混乱するのは、悪くなるのは、今までの掟破りの清算ぞ。全員掃除するから混乱するぞ。今の今もメチャクチャでござろうが。どこに平和がござるのじゃ。最後の最後は大掃除。地獄の如き様になるのぞ。自らが調和を壊しておいて、壊すことを悪じゃと申すのはいかなることぞ。壊して創る仕組み。悪くなって善くなる仕組み。取ったものを出してゼロぞ。壊しただけ壊されてゼロぞ。してはいかんことは何もござらん。殺されあろう何あろう、すべてのすべてはメグリ逢いでござるぞ。神の世界を穢したら肉体を怪我して身魂の清算するのでござる。肉体はこの方の貸しもの。そなたのものではござらんぞ。この方が肉体貸して清算させておるのぞ。




 はじめに

 この本を読むにあたって心得ておいて欲しいこと(心構え/予備知識)

P7
 この本は、今までの宗教、哲学、思想、道徳、教育、心理学、精神医学、生き方、成功法、人生論等々の本とは全く違う性質のものです。皆さん一人一人の人生(生き方)の根本(大元/源/魂/本質)に係わる、皆さん一人一人のこれからの人生に係わる、「人間」として生きている皆さん全員に当てはまる、非常に大切なことが書かれています。「本文」に入る前に、少々長くなりますが、この本の「本文」に書かれている内容(情報/話)の真意を正確に、取り違いなく受け取れるよう(理解の助けとなるよう)に、誰にでも分かるように、この本の「読み方(基本的姿勢/視点/観点/見方)と「要点(言いたいこと)」を手を変え品を替えて(表現を換えて)書いておきます。今ここで意味の取り違い(誤解/曲解/ねじ曲げ)をしては、この先、本当の本当に「大変なこと(取り返しのつかないこと)」になりますので、アタマ(今までのデーター/今までの知識/今までの基準)を一旦ゼロに戻してください。価値判断を一切やめて素直に読めば一つの意味しか取れないようになっています。今まで学んだ知識で価値判断をすれば何も意味がありません(混乱するだけです)からその積もりでどうぞ。また、今までの「神示」を読んだことがある方も、復習、確認、整理をする積もりで、必ずここから読み始めてください。
P8
 この本は、皆さんが、「真実の眼」を養い、「ヒトとしての真の生き方」を学び直すための教材であり、皆さんが「真の人生(本当の人生)」を生きるための、皆さんが本当に生きたい(真に望む)人生を生きるための、皆さんの「人生」をもう一度出直すための、皆さんが自由になる社会を創るための、新しい時代を生きるためのガイドブックです。この本には、皆さんの本当の幸福、本当の喜び、本当の平和、本当の自由、本当の平等、本当の安全、本当の成功、本当の天国への道が、時代を超えて、国を超えて、生死を超えて(時空を超えて)通用する普遍的な真理(ルール/視点/法則/態度/基準/生き方)が、皆さんの日常生活で即応用できるよういな実践的ノウハウとして語られています。

 この本(この「はじめに」も含めて)を読んで、「過激だ」「危険(思想)だ」「不可解だ」「狂っている」「あり得ない」「言い過ぎだ」「非常識だ」「常軌を逸している」「とんでもない考え方だ」「やめさせるべきだ」等々と思う方もおられるかも知れませんが、この本は皆さん一人一人の心を映す鏡(今までの生き方を見つめ直すための教材)として書かれているわけですから、ツベコベと屁理屈をこねまわして批判(反論/否定)しても、何の意味もありません。批判(反論/否定)するということは、皆さんが「批判する心」「悪を裁く心」「不自由な心」「戦う心」「自分勝手な基準」を持っている(心が分裂している)という証明になります。そして、自分自身を、元の⦿を、批判して、否定して、裁いていることにもなってしまいます。口に出さずとも、心の内でやっていれば同じことです。今まで皆さんがやっていたゲームは、この本に関しては一切通用しません。やりたいならばやっても結構ですが、自らの「無智」(⦿を知らないこと)をさらけ出すだけのことです。
P9
 この本に書かれていることは、皆さんの人生という料理の調理法ですから、どの材料をどう調理するか、どんな料理を食べるかは、皆さん自身がご自分と相談して決めればよいだけです。もし、皆さんが新しい世で天国(平和/調和/自由/平等/公平)という「人生のフルコース」を満喫したいならば、今まで食わず嫌いだった料理を食べる(肯定する/受け入れる/認める/許す)必要があります。新しい世で新しい料理を美味しく食べたいならば、今から好き嫌いを無くす(許せない、認めないをやめる/⦿心に戻る)訓練をしてください。調理法を替えれば美味しくなる材料や、見た目はグロテスクでも、食べた瞬間は不味くても、よく噛ん(神)でいくうちに非常に美味しくなる料理が沢山隠れています。見た目に惑わされている皆さんには見つけることはできません。皆さんが一番嫌いな食べ物が一番美味しいかも知れません。人に料理の味を聞いても、姿形を目で見ても、少しぐらい味見をしても、本当の⦿のフルコースの美味しさは絶対に分かりません。
P10
 この本に書かれていることが、どうしても認められない(反論したい/許せない)と言うならば、それはそれで結構ですが、口に出すのはこの本を最後まで全部読んでからでも遅くはありません。まずは、「自分とは違う別の見方(別の考え方/生き方)のサンプル(モデルケース)として、とにかく最後まで目を通してみてください。皆さんのこれからの人生の中で、この本を読む時間などほんの僅かな労力です。全部分からなくても結構ですから、段々と分かってきますから、とにかく最後まで読み通してみてください。皆さんと「アベコベの生き方(反対の考え方)」をしている人間の心の内を知ることができるのですから、自分の人生の枠を広げるためにも、絶対に読んで損はありません。

 この本は、神(創造主/霊/魂/天使/悪魔/祟り/呪い)、心(意識/考え/思考/心理/精神/感情)、自分(他人)、人間(人間性/人格/性格)、人生(生き方)、生と死(この世とあの世)、宗教(思想/基準/原理/前提/よりどころ/考え方)、本音と建前、絶対と相対、時間(過去/現在/未来)、空間、愛(恋愛/優しさ/思いやり/厳しさ)、罪悪感(罪/罰/制限/弱み)、恨み、信頼と疑い、知識と智慧、自立と依存、善と悪、理想(夢)と現実、安全と危険、被害(補償/保険/担保)、葛藤(悩み/ストレス/不安/恐れ)、奇跡と偶然、自由(勝手)、平和(幸福/天国/地獄)、秩序(安定)、人権(差別/平等/公平)、責任、道徳(倫理/マナー)、常識(しきたり/礼儀/慣例/通念/儀式)、約束(ルール/契約)、世間体(立場/評価/信用)、理性(禁止/制限/規制/本性/タガ/枠)、権利と義務、理屈(理論/批評)、科学、医学(病気/生命)、奉仕(援助/ボランティア/無料)、感謝(お詫び)、文句(苦情)、正義、権力、遊び(ゲーム)、真面目(冗談)、仕事(職業/就職)、固定観念、価値判断、正常と異常、賛成と反対、正しさ(間違い)、秘密、損得、有る無し、相対と絶対、生活(衣食住)、損害(被害/災害)、自然(至善)、ウソとホント、真実、本物と偽物、常識(普通/当り前)等々の人間の根本に係わる概念(定義/イメージ)を『宗教』と『科学』(心と体/神と人/エネルギーと物質/見えない世界と見える世界)を統合した(一つにした)視点(人間という体験を創り出す元の仕組み、創造主の眼、元の神⦿の眼、元のルール)から再定義し、法律(ルール/掟/違法/犯罪/規制)、裁判(裁き/拘束/取締り/証拠/警察/許す許さない/疑い/責任)、政治(行政/国際関係/貿易/管理/支配/監督/許可)、経済(ビジネス/商売/需給/お金/税金/財産/ローン/貧富/所有/失業)、教育(しつけ/知識/指導/管理/勉強/受験/不登校/非行)、福祉(世話/障害者/高齢者)、勝ち負け(略奪/競争/議論/戦争/攻撃と防御/軍隊)、コントロール(操作/命令/強制/脅し/被害者意識)、文化(しきたり/伝統/家訓/先祖代々)、家族(親子/血統/戸籍/結婚)、奪い合い、相談(疑問)、検査(調査/点検/監視)、危機管理(予知/予防/検診/破壊や苦を避ける)等々の社会システムの矛盾や、現代社会の混乱をキレイサッパリ収拾する(大掃除する/建て直す)ための新しい材料(根本的解結策)を提供するマニュアル本でもあります。
P12
 今までの皆さんは、Фの世で自分が手に入れた「相対的な世界」だけで通用する「もの(評価/地位/名誉/正義/人/財産/知識/基準/頼るもの/杖)」を守るために、人間の本質、創造のメカニズムの根本の部分、社会システムの矛盾の本当の原因をウヤムヤにし、誤魔化し、覆い隠し、避けて通り、見えなくして、盲目のまま歩いて、何が何だか分からなくなって、勝手な屁理屈をこねて自分に都合が悪いことは責任転嫁をして、たくさんの悩み、恐れ、葛藤、問題を次々に創りだして、お互いに傷つけ合って来たのです。今までのФの世のやり方では、創りだした「問題」は何も解結しないばかりか、どんどん「問題」を創り出して、ますます分けが分からなくなって、最後は動けなくなってしまうのです。今の現在の社会がその最期の姿なのです。これはちっとも大げさな表現ではありません。

 皆さんには、本当は「問題」など、ただの一つもありません。皆さんは元の元がアベコベのままですから、本当の本質(イノチの元/本当のイノチ)が見えないばかりに、闇を恐れ、死を恐れ、闇を避け、死を避け、悪を裁き、悪を避け、苦しみを避け、責任を押しつけあい、たくさんの「問題」を創り出し、その「問題」を解結しようとして、どんどん更なる「問題」を創り出して来たのです。それが今までの人類の歴史なのです。「問題があるのが当たり前」「苦しみがあるのは当たり前」の仮定のもとに、「いかに苦を避けるか」「いかに楽をするか」のコンセプトで社会システムを創って来てしまったのです。皆さんの社会がうまくいかなくなったのは、元の前提が全くアベコベだからなのです。
P13
 今やっているやり方をそのままいくら続けても平和も幸福も自由も平等も博愛も公平も安全も創れないどころか、やればやるほどどんどん争いや不幸や不自由や不平等や不博愛や不公平や危険な世を創り出すばかりです。今の世を創り出している大きな宗教(前提/同意/仮定)を引っ繰り返さなければ、ますます混乱が進むだけです。元の初めの⦿の道具を壊したのですから、もう元には戻りません。ですから、「遊び場」を別の道具(半霊半物質)に取り替えて、初めからやり直すための計画が何千年にも渡って着々と進んでいるのです。皆さんが今まで気づかなかっただけです。新しい世⦿は一人一人のココロを入れ換えなければ生きられません。今のままでは、もうすぐ本当のイノチが無くなってしまいます。ですから、最期のギリギリのところでハッキリとカラクリを明かしているのです。

 皆さんは、一度も死んでいません。皆さんの本体は身魂(心/心体)です。心体の動きが身体に現れているだけです。霊体の動きを肉体で体験しているだけです。肉体という服を着て物質の世で遊んでいるだけです。霊界の映しが現界です。人間というのは霊体と肉体が一つになっている存在(身魂)です。肉体は霊体の映しです。霊体の動きの通りに肉体が動いて(喋って)いるのです。肉体でФしていれば、霊体もФです。霊体がФの生き方をしていれば、次の世⦿には生き返ることは出来ません。宗教というのは、霊体の生き方のことです。霊が先で体が後です。元は霊です。肉体が死んでも(壊れても)心体は死にません。心体が死ねば必ず肉体は無くなります。皆さんが死ねば皆さんの服が動かなくなるのと同じです。今まではФ(分裂/魔コト/善悪分ける)の心でも物質の世で遊ぶことが出来ましたが、今度ばかりは「遊び場」を取り替えてしまうのですから、自分(霊体)の生き方(態度)を⦿にしなければ「本当の死」がきます。⦿にした積もりになっても駄目です。皆さんの心の動きが皆さんの本体の動きです。霊界と現界の両方にいますから⦿を実行できなければウソになります。新しい世では、今までの道具は使えず、物質の肉体という服は着られません。⦿の心を100%行動できなければ、人生は終わりです。
P14
 霊のイノチが元で、肉体のイノチ(命)は現れです。皆さんは元を忘れているから、肉体のイノチを元にして考えるから、「死後の世界があるかないか」「霊はいるかいないか」の議論をすることになるのです。その議論をしている本体が霊なのです。肉体の視点から見るから「死」になるだけです。皆さんが⦿なら死はありません。霊のイノチが死ねば肉体の命も死にます。肉体の命が死んでも霊のイノチは死にません。今までの皆さんが次の世でやり直して、何回でも生き返ることが出来たのは、物質の世界がФでも存在可能だったから(霊体がФでも肉体という服を着られたから)です。今までも⦿に戻る修行の機会が与えられていたのですが、皆さんは⦿の修行をさぼり、Фのままで⦿の世をどんどん壊し続けてきたのです。今度ばかりは今までと同じだと思ったら皆さんの人生は終わりです。今までのような輪廻転生のゲームはもうお終いです。⦿に戻るための修行のチャンスは今世限りです。今回の大掃除は皆さんのФが招いたものです。誰にも文句は言えません。一人一人が⦿する以外に助かる道はありません。この先は、他人や社会に責任を転嫁したり、Фの神にお祈りしたりしている場合ではありません。オカシイのはФしている「あなた自身」です。⦿が神の世(霊の世/ヒトの世)の憲法です。⦿に違反する法律はすべて無効です。霊の視点で法律やルールを見れば、今までのトラブルはすべて自分勝手な茶番劇になります。全員ルール違反です。
P15
 皆さんは神⦿の世の住人です。⦿の世が皆さんの元の国(故郷)です。元の国の法律が⦿だから、皆さんはФ出来るのです。Фしたら自分が不自由になるようにしてありますから、神⦿は裁きません。最期にФしている世界をすべて大掃除すれば済むからです。Фしている身魂は自動的に世界もろとも掃除です。一人一人に⦿の自覚があれば現界の大掃除は何も関係ありません。「国家の根本に挑戦する者は許さない」「国家転覆を図る者は極刑に処すべきだ」「法律を破る者は許さない」「借りたものは返すべきだ」云々というのは正しいことです。但し、皆さんの守るべきルールは⦿(調和)です。⦿を基準に考えてください。皆さんがФしていて、「自分のものだ」と言っているならば、皆さんは「法を破った犯罪者」であり、「⦿の国の調和を乱す(破壊する)テロリスト」です。争いФのルール(ゲーム)は、すべてルール違反です。ルールを守らない者は処罰されても文句は言えません。⦿の世の「破壊防止法」を適用されるのは皆さん自身です。但し、⦿は何も裁いていません。皆さんがФしていなければ、皆さんは痛くも痒くもないのです。
P16
 皆さんは、元の神⦿の創った資源を借りて遊んでいるだけです。「自分のものがある」という幻想を持っている人間は、次の世には生き返ることは出来ません。現代社会の混乱というのは、本来の姿(⦿)を忘れた人間(Ф)が創り出してきた、略奪ゲーム、支配ゲーム、コントロールゲーム、地獄Фのゲームの末の「究極の魔姿」なのです。上にあがった者だけが天国になれる「自分だけ勝手」な地獄の世です。皆さんの「物質の遊び場」はもう壊されることが決まっている箱です。皆さんが着ている服(肉体)ももうすぐ脱がなければなりません。「ハルマゲドン」というのはこの大掃除のことです。皆さんのルール違反の強制執行です。⦿の綱(⦿であれば抜けられる網)を被せて、その中にいるФの魂を⦿になるまで出さないのです。今までの借りの一括払いです。今までФでばら蒔いた不調和や迷惑を全部引き受ける(逆に言えば、人から取った調和を返す/損する/苦しむ/楽を返す)のが清算です。ゼロ⦿になるまで続きます。皆さんが肉体という服を脱いでも、皆さん自身(霊体/心)が⦿に戻らなければ(Фの違反を清算しなければ/⦿で100%生きなければ)皆さんは新しい服⦿は着られませんし、勿論、新しい⦿の世界には生き返る(遊ぶ)ことはできません。今度の世界はФをしている者は許さない(初めから入れない)世界ですから、破壊して創りなおす必要はありません。つまり、永遠のイノチ、永遠の天国です。Фを掃除すれば本当の不老不死のイノチを手に入れることができるのです。決まっているものは⦿だけです。Фの世のルールはすべて「決めた」もの。強制力はありません。
P17
 「政教分離」「教育の中立」というそれ自体も「宗教」です。皆さんの分離したい宗教はФの中の神を語った宗教のことです。宗教団体も学校も株式会社も福祉団体も環境保護団体も家庭も全部Фの宗教団体です。悪の宗教を排除しようと言う宗教(理屈)こそが悪Фの宗教です。悪を裁くのが悪。調和を乱すのが悪。皆さんが今していることを見直してみてください。これから先は⦿のルールに基づいて厳しく、一点の曇りなくなるまで掃除をしていきます。神のルールは厳密です。絶対です。100%です。破壊Фの可能性のある掟破りは一人として許しません。皆さんが自分自身の存在の元の元を思い出さなければ、この先は、もう動きが取れなくなってしまいます。「認める認めない」の問題ではありません。⦿が掟です。⦿の法律通りに生きていなければ、皆さんは動きが取れなくなっていくのです。皆さんの霊体(肉体で認識する心体)の世界(霊界)は、最後の大掃除(タテカエタテナオシ)に向かってどんどん⦿のルール通りに厳しく掃除しています。Фしている霊体はどんどん苦しくなってきますから、肉体の世界でも不自由になっていきます。⦿でなければ生きられない世界が近づいているのです。Фをしているとどんどん不自由になります。どんどん厳しくなります。ヒトとして「してはいけないこと」はФです。

 皆さんが今まで「避けてきた」「封じ込めてきた」⦿の真実をハッキリと明かすことにより、闇に光を当てることにより、悪魔や恐怖や死や霊や神⦿の本当の姿を明かすことにより、この部分を知ること(見ること、眼を開けること)により、知って生きることにより、皆さんが怖がっているものが全然怖いものではなかったことが分かり、今までの悩み、葛藤、制限、争い、議論、問題がキレイサッパリと解消していきます。と同時に、結論の出ない無駄な議論を戦わせて、「エネルギー」や「時間」や「お金」を無駄遣いする必要がなくなり、自分のために自由に楽に生きられるよう(同時に、みんなを自由にすることができるよう)になっていきます。⦿を実際に生きることによって、本質を見分ける眼が養われ、何が起きても動じない、どんな策略にも騙されない、人をコントロールせずに自分で何でもできる自立した人間となることができます。表現を変えれば、今までの常識のウソ、今の社会状況の真の原因、今の社会問題の根本的解結策、神と人との関係、人間の本当の姿、「自分とは何か」、これからの生き方、死後の世界、心のメカニズム、「宗教とは何か」等々の今まで議論しても答えの出なかった『人間の生の本質』をハッキリと認識することにより、迷路から脱出して、本当の人生を生きることができるようになるのです。それまでは傷つき、騙され、痛みながら掃除していくのです。何があっても⦿を貫いてください。Фしただけ返せばФの世のコントロールから抜け出すことができます。
P18
 この本は、今まで答えの出なかった、人間の悩みの大もと、葛藤の大もとを語ってあります。これから新しい世(二十一世紀)にかけての数年間に起きること、前代未聞の出来事にどう対処したらよいか、の答えがズバリ語ってあります。心と体が一つであること、神と人が一つであることを思い出すことです。認める認めないと言っていること自体がФの証拠です。⦿でない証拠です。肉体や物質の視点(自己中心/人間中心)では何も解結しません。この本は、皆さんが今まで学んだ常識(基準/視点/前提/知識/通念/当たり前)とは全くアベコベの視点(反対側の眼/もう一方の別の視点/元の一つの視点)から書かれています。皆さんが今まで学んできた常識から見れば全く逆の常識が語られています。今までの常識で価値判断をすれば「許せない」「あり得ない」「善くない」「危ない」「不可能」「非常識」な思想(宗教)です。今までの常識Фが正しいという前提で見れば、「間違っている」ことになります。オカシイものに見えます。今までのФの常識をあくま(悪魔)でも正しいと言うならば、ミロクの世⦿はあなたにとって関係ない世ですから、この本は必要ないものですから、この本が欲しいという方にお渡しください。
P19
 この本の情報を否定、反論、抹殺するのは簡単ですが、今までの常識Фを正しいもの、絶対的なものと仮定するとして、それとアベコベのものが「存在する」のはいかなることでしょうか。Фの基準で「どっちが正しいか」の議論をすれば、永遠に議論(戦い/封じ込めあい)が続きます。二つに分かれて「花いちもんめ」をしていては、永遠に平和にはなりません。最期の最期に答えは出ますが、そこで気づいても遅いですから、どちらがすべての矛盾を説明出来るものか、一つにするものか、より広い見方か、今ここでよく考えてください。今までの常識Фが元の原理(ルール)⦿を引っ繰り返したもの(アベコベにしたもの/反抗したもの)ですから、アベコベのアベコベで元に戻るのです。逆の逆は真。霊が先で体が後、霊界が先で現界が後、神が先で人が後、肉体の感覚で言えば、心が行動の素。心に何があるかで行動が変わり、形も変わります。相対二元では、かみ合うことはありません。全世界全人類全員賛成の結論が出る筈はありません。相手を抹殺するか自分が引くかしかありませんから、全員がうまくいくなどあり得ないことです。元の⦿世では、⦿に全員賛成、Фに全員反対です。つまり賛成、反対という概念はありません。全世界全人類の目指しているものは調和です。調和を壊したやり方で調和を創れるはずがありません。簡単な道理です。Фの方はもうすぐサヨナラです。
P20
 見える世界Фを元と見ていれば、「競争」という幻想が絶対のシステム(原理)になってしまいますから調和⦿は不可能。競争が原理ですから、平和を議論しても、天国を求めても無駄です。実現できるのは自分だけの天国です。永遠の貧富、永遠の不平等、永遠の戦争の世界です。人間の歴史は戦争の歴史、略奪の歴史、支配の歴史です。永遠に調和が不可能ならば、神が不平等、不公平と言っているのと同じです。不平等の神にお祈りしても夢は実現しません。今の世は皆さんの言う悪魔Фの創りだした世であることは明白です。悪魔の心Фを持った人間が、天使の心⦿の神や人間を悪魔として封じ込め、自分だけ勝手なシステムを創り出したのです。Фを白だと教育すればФでコントロールするのは簡単です。⦿を聞いても黒になりますから、Фのシステムを当たり前の原理として教えればそのシステムの世が続きます。Фが世の原理だとすれば、創れないものを創りだそうとする原動力は何でしょうか。今の世の元は霊界、神、見えない世界、響きですから、元の神⦿が動けば、今の世の人間の悪魔の心は通用しなくなります。調和を求める心を「仕方がない」と封じ込めているのは自分自身です。自分が地獄を創っておいて、自由や天国や平等ができないのは誰かのせいだと言っているのですから、自分だけ勝手な人間ばかりの地獄の世だと言っているのです。人を責めて人を封じ込めて平和が創れると言う大アホばかりの集まりです。
P21
 今の法律は神の法律(調和)を乱す神の憲法⦿違反の法律です。その法律を使って悪の裁きあいをやっても意味はありません。ただの茶番劇です。今の法律が正しいと言うならば調和などできません。自由を制限するならば、全体が自由ではありません。法律で自由や調和や平等や公平を規定するならば、今の世に自由や調和や平等や公平はありません。平和は平和です。戦いがあるならば平和ではありません。分離思考で創り出した相対二元の為の平和です。妄想を実現しようとしているゲームに過ぎません。自然を人間の思い通りしようとしているのは、人や世界や⦿を思い通りにしようとしているのと同じです。肉体が動く前に心が動きます。心にすべての元があります。「自然(素直)」とは操作しないこと、加工しないこと、創ろうとしないことです。出てくるままに表現することです。
P22
 初めから「アベコベのことが書いてあるよ」と断ってあるのですから、反対、批判、否定、疑い、反論、反抗をしても意味はありません。あなたが認めたくなければそれで構いませんが、反論するにしても、この本を最後まで読んだ上でやってください。初めから認めない許さないというならば、自分は絶対的に正しいと言っているのですからあなたは人の話を聴かない、人の気持ちを考えない、手前勝手な、世界征服を企む悪魔です。これがいったい何を意味するのか、自分自身によく聞いてみてください。今までの社会が矛盾ばかりでうまくいかない世ならばアベコベをやればうまくいく、という簡単な道理です。これを受け入れるかどうかで皆さん一人一人の今後が決まります。一つのものを分離して、分離したものを正しいと言えば、永遠に戦いになります。一つにする思考⦿すらも分離思考で見ますから、⦿にはなりません。自らの保身(ほしん)、恐れ、身欲、自らの正しさや体面や財産を失いたくないという自分勝手な人間ばかりでは永遠に平和は訪れません。分離の果ては分解。逆の逆は元、裏の裏は表です。
 逆立ちをして見ている人が逆立ちをすれば足で立つことになります。この本は、言わば、逆立ちして見ている世界が真実だと思っている人に、足で立って見ている世界が真実だと言っているのですから、逆立ちしたまま、それは違う、それはオカシイと言っても意味がありません。皆さんが逆立ちをやめたらどうみえるか、そのまま逆立ちをしているとどうなるかを書いたものですから、皆さんが逆立ちをやめるかどうかを決めて、それを実行すればよいだけです。皆さん方は今まで、逆立ちをやめると大変なことになるぞ。逆立ちをやめるともっと疲れて死ぬぞ、逆立ちをやめるのは社会に反抗することだ、逆立ちをして疲れるのが人間の生き方だ、と教わってきたのです。死んだり、大変なことになったり、嫌われたりするのは嫌だから、疲れるけどそのまま逆立ちを続けて、もはや体力の限界に来ているのです。何も知らずに現界を超えたら、そのまま死にます。逆立ちをやめたらどうなるかを知って、自覚して足で歩き始めれば何も怖いものはありません。「逆立ち」と「両足立ち」とどちらが楽かは明白です。皆さんがこの本の内容(情報/考え方/見方/生き方)を受け入れるか、受け入れないかは皆さん自身の問題です。今まで学んできたことがウソか、ここに書かれていることがらがウソか、どちらかが真実です。実を言うと、どっちがウソかとやることが今までのФのゲームです。結論は一つです。それがわかるかどうかが天国と滅亡の分かれ目です。
P23
 この本には、「宇宙創成の元の神⦿の目から見た現代の人間たちの姿」が、親が子に語りかける口調(文体)で、有無を言わせぬ論調で、ズバリとハッキリと遠慮なく、厳しく語られています。一つは、長い歴史を通じて人類が世代を超えて代々受け渡してきた「葛藤」と「戦い」と「混乱」を進める地獄の宗教(ウソの常識、ウソの教育、ウソの道徳、「アヤマ知」、「魔コトФ」)が創り出してきた、このまま進めば末は滅びるだけの、真コトの人間の姿(真姿)とは程遠い、見るも無残な「魔コトの人間の姿(魔姿)」であり、もう一つは、今までずっと続けてきた「葛藤」「争い」「略奪」「コントロール(洗脳)」の地獄の遊び(ゲーム)を完全に終わらせるための「元の神⦿の真実(「真コト⦿」)を生きている「真コトの人間の姿(真姿)」です。魔コトにいれば真コトではなく、真コトにいれば魔コトではない、同時には体験できない生き方です。魔コトをやめれば自動的に真コト、真コトを生きれば魔コトは消え、魔コトを生きれば真コトはない、どちらか一つ。二つは裏と表。一つは天国に向かう道、一つは地獄が激しくなり、末は滅びに向かう道。天国は100%天国です。1%でも闇、曇り、悪、裁きの心、争い、葛藤あれば、それは地獄を創る素、今今の戦いの世は地獄Фそのものです。
P24
 今までの世は滅びの道を生きる教育(宗教/強制/マインドコントロール)の成果、作品であり、この本は皆がうまくいく天国へ向かう道に戻るため(を生きるため)の教育(宗教/強制/マインドコントロール)の方法を語ったものです。⦿の真の姿、⦿の世のルール、⦿の世の生き方、⦿の世の常識とは全くアベコベの姿Фを生きている今の世の人間たちが長い間探し求めても見つからなかった「全世界全人類共通の宗教(本当の天国に生き返る方法/すべてを一つにするオオモトの教え)」でもあります。一人でも多くの人間が、宇宙創世以来の最初で最後の大峠(「世の大掃除」「世のタテカエタテナオシ」)を無事に越して、本当の平和、平等、安全、調和、自由、喜びの世界である「二十一世紀(新しい世界/真の⦿の世/天国)」に生まれ変われるように元の神⦿が用意した、全世界全人類共通の唯一の道(「神ながらの道」)でもあります。言い換えれば、今まで隠されていた真実(「真コト」)、人間たちが気づかなかった真実、神から人まですべての世界(「三千世界」「生死越えた世界」)に共通の普遍的な真理(⦿の法則/生き方/生死の境を超えた法則)、新しい時代への世界の大掃除(「三歳苦難のタテカエ」「世のタテナオシ」)のメカニズム、新しい世に生き返るための一人一人の心(「心体」「本当の自分の体」)の大掃除(「大洗濯」「掟破りの清算」)のノウハウを語ったのが、この本なのです。インチキな宗教というのは、今までの世を創っているФそのものです。
P25
 一九九六年(平成八年)は、干支(えと)の始めの子(ね)の年です。宇宙創世の元の神⦿が表の世に現れて、人間から見て分かるように真の白黒(「善悪」)をハッキリと示す初めの年、今までのすべてのすべての一切の制限を一度に一気に開き、生死の境を創っている戒律(制限)を解き放ち、現界(「限界」「幻界」)の大岩戸(「一八十」)開き(すべての真実を明かし、心と体を完全に解放する/現(こ)の世を⦿のルールに戻し、神と人の生き方を一致させる/霊体神人合一)が目に見える形で本格化する年です。自らの産みの親である元の神⦿をキレイサッパリ忘れ去り、元の神⦿の親心などそっちのけでアヤマ知Фの人間の世で学んだ常識を持ち出して自分勝手な屁理屈をこねて、平気で元の⦿の掟(ルール)を破って⦿の世を壊し続けて大騒ぎし、自らがしていることを知らず、自らの首を締めているとは知らず、わけがわからなくなってお互いに責任のなすり合いをして大混乱している、⦿を忘れた人間たちにも取り違えなくハッキリと分かるように元の⦿の掟(きまり)をズバリと明かし、元の⦿の視点(⦿の世の仕組み/⦿の見方/⦿の生き方/真実の眼鏡)を渡し、身魂(みたま)が生まれてから今までのすべての掟破り(「⦿の憲法違反」)を清算させ、日常生活での実地体験を通じて身をもって真の⦿の生き方(新しい世のヒトとしての態度)を体得できる(ミロクの民となれる)よう、元の⦿による⦿の世の社会人(神)を育てる再教育が始まる年が、平成八年でもあります。
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 宇宙創世以来、今の今まで、⦿を外し続けた人間たちが自覚して改心できるように、一人一人の心に語りかけながら、一人一人に⦿を外していることを教えながら、人間たちの好き放題を黙って見ていた元の親神⦿、人間たちが好き放題やりたい放題で⦿を無視し、⦿の世を壊し、自覚して改心するどころか、⦿を悪者にし、⦿を足蹴にし、⦿との約束を破り続けても、何をされても黙ってじっと耐えて時期を待っていた宇宙創成の元の神⦿が、いよいよ後がない今この時期に⦿の真コトを明かすため、現(こ)の世に降ろして修行させていた因縁の御用の身魂(今回の⦿の大掃除のお手伝いをする人間)を表に出して、元の⦿の秘密を完全に情報公開し、人間が創り出してきたすべての問題を解結し、すべての身魂を自由にする完全規制緩和策を人間の言葉で人間の口を通して人間に提供するプロセスが始まります。
 この本は、人間たちがしていた取り違い(誤解/迷信/幻想/嘘/誤った知識/「あやま知」/トリック)、真の⦿の憲法、真の⦿の常識、真の秩序や平和を創るルール、現実創造のメカニズム、人間の(心の)仕組み、神(霊界、心)と人間(現界、体)の関係、宗教(肉眼では見えない世界)と科学(肉眼で見える世界)の関係をハッキリと明かし、Фが創り出したすべての問題を一気に解結する、生死を超えた「世の大掃除」の仕組みをすべて教えて、人間たちに心の大掃除の教材をすべて渡して、次から次へと現れる問題の解結策に行き詰った全人類を元の世界⦿に戻すための最期の救いの手でもあるのです。
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 今のこの時期というのは、間もなくやってくる、今までのアベコベの世を引っ繰り返して、すべてのすべてを元に戻す(元の調和の⦿の世に戻す)、すべての穢(けが)れを一気に祓う最期の大掃除(「三歳苦難」)を人間たちが少しでも楽に越せるよう、新しい世の法律(「元の⦿のルール」)を知らせ、「⦿の法律違反の清算」をさせ、体験を通して新しい世の生き方を学ばせる、現界の掟(法律)の変更の『周知期間』でもあります。今ここですべてのすべての真実を、すべてのすべての仕組みをハッキリと知らせるのですから、これから先は、「知らなかった」という言い訳(屁理屈)は通用しません。勝手に⦿のルールに違反して、屁理屈をこねて好き勝手なことをして、何が何だか分からなくしたのは皆さんですから、「もっと早く教えてくれれば」という理屈も通用しません。元の⦿は、この期間の間にも少しずつ大掃除(地震、洪水、干ばつ、津波、噴火等々の天変地異/気象異変/犯罪/病気/事故/人間のシステムの崩壊等々の再生への破壊)を進めますが、この期間が終われば、有無を言わせず、⦿のルール通りにビシビシとすべてを立て直していきます。Фのあるほど厳しくなります。今のままではФの人間たちにはとても耐えきれない、生きるもならず死ぬもならずの阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄絵図となります。
 すべてのすべての原因は、一人一人のФ心です。今までの世で通用していた、元の⦿のルールを外したФ見方、考え方、常識、思考パターン、知識はもはや通用しません。一番の失敗は⦿を外したことです。一番のドジは⦿を忘れていることです。皆さん全員は初めの一歩からすでに失敗しているのです。皆さんは善と悪の戦い(◐と◑の戦争)の地獄にいるのです。皆さんがこれからすることはすべてをゼロに戻し、元の⦿のルールを生きる態度を身につける本当の修行です。
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 この本は、現代社会の混乱の真の原因を明かし、混迷の世紀末に⦿の光を灯す、Фの善人もФの悪人も、日本人も外国人も、人間も幽霊も、全員をマコトの天国、幸福に導く、「元の神⦿の目から見た真コトのヒトの生き方」を語った究極の人生(神生)テキストであり、真の(心の)自立への独習テキストです。同時に、現代社会のすべての問題をキレイサッパリ解結する、すべての議論、対立、葛藤をキレイサッパリ終わらせる究極の解結策を書いたマニュアルであり、これでわからなければもう手だてがない、ここで改心しなければもう間に合わない、これを否定すれば本当の「死」が待っている、新しい世界(二十一世紀/新しい時代の一世紀)に向けた大掃除(遊び場の交換)を直前に控えた、全世界全人類に告ぐ「元つ神⦿からの本当に最期の警告(オフレ/予告)」でもあります。今まで世に出ている「神示」と同様に、元の神⦿の響きを伝えるために、本文は「古文調」の文体ですが、今回は、「古文不得意」の皆さんにも十分に分かるように、現代の社会を生きる皆さんが体験している実例(材料/用語)を採り入れながら「現代語」の表現に近づけて(翻訳されて)書かれています。皆さん自身の体験や現実と置き換えて読み進めてください。表面だけを見て「難しい」「わからない」と言わずに、一つ一つの漢字の読み方や誤字や脱字や文法や言葉の意味にこだわらずに、一々止まらずに、一々価値判断せずに、アタマで意味を取ろうとせずに、ハラ(イメージ/響き/感覚)で意味を取るように、とにかく最後まで一気に読み通してください。それが皆さんのする最初の「心のお掃除」です。
 この「はじめに」も含めて、今までの本の形態とは違って、章分けも、項目分けも、小題もなく、初めから終わりまで一続きの文章をなっています。上下二冊に渡る長い長い「伝えフミ(お手紙)」ですが、これは必要があってのことです。すべてのものは一つですから、切っても切り離せません。すべては繋がっていますから、どこから読んでも他のすべてのすべてと関連しています。皆さんのいる世界も同じです。Фの心の眼鏡で見るから、分かれて見えるのです。原因は皆さん一人一人の内にあります。内を変えなければ外は変わりません。皆さんが今まで、たくさんたくさん学んできた(仕入れてきた/信じてきた)何でもかんでも善悪正誤真偽に分けて見る(考える)「Фの常識(ウソの常識)」をすべて外さないと、Фの思考(心/生き方/態度)を止めないと、いつまでたっても元の⦿には戻れません。元の⦿に戻らないと新しい世ではもう遊ぶことはできません。ですから、皆さんの魂に直接響くように、心に直接響くように、アタマの知識(「アヤマ知」/真実を隠している知識)を外せるように、皆さんの持っている論理の矛盾を解消できるように、手を変え品を変え、様々に言い換えて、一つのこと⦿を伝えて(渡して)います。
 してはいけない「形(行動/発言)」はありません。してはいけない「心(Ф)」があるだけです。⦿への掃除の結果現れた破壊や混乱(●)の形を裁く(避ける)ことが悪です。Фの心での建前の◯を認めることが悪です。⦿をФして壊しておいて、形(外道)の善を守る(自らの苦しみや破壊を避ける/善を保つために悪を裁く)ことが悪です。
 このくらいしつこく厳しく、ズバリと、何度も何度も繰り返して同じことを書かないと、皆さんの元の⦿の魂についた今までのФの垢(アカ/ヨゴレ/曇り)は落ちないのです。今まで身についた思考の癖(「価値判断」「アヤマ知」)、生き方の癖(苦しみを避けよう/痛みを避けよう/楽しよう/責任を逃れよう/邪魔者は消そう)はなかなか取れないのです。
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 この本に書かれている内容(情報)が全部分かるならば、ただの一つも異論(抵抗)がないならば、何も疑問がないならば、何も不安がないならば、何も不思議がないならば、何も誰もコントロール(操作)せずに100%思い通りにいくならば、あなたはすでに⦿の人間(の人生)を生きています。そういうあなたには「死」はありません。そういうあなたには「時間」や「空間」や「お金」や「法律」や「肉体」は、何の制限にもなりえません。そういうあなたには「神示」も「生き方の本」も「人の体験談」も「新聞」も「テレビ」も「宗教」も「この本」も「超能力」も「カウンセラー」も「学校」も必要ありません。「計画」も「段取り」も「操作」も「心配」も必要ありません。そういうあなたには、あなたが「必要な時」に元の⦿があなたの心に語りかけますから、素直にその通りに動けば(処理していけば)全部うまくいきます。あなたも相手もお互いに満たし合える「必要な人間」と出会わせて、「必要な場所」を渡して、「必要な道具」を渡して、「必要な情報」や「必要なもの(お金)」を、その時に「必要なだけ」過不足なく与えてくれますから、何の心配も要りません。そして、新しい世(ミロク)が開く「その時」には元の⦿がお迎えに参ります(お知らせします)から、ミロクが開くその瞬間まで、どうぞ、そのまま安心してお好きなことをして遊んでいてください。これから始まる元の⦿の最後の大仕事である「世のタテカエタテナオシの大掃除」という史上最大のドラマを、お茶でも飲みながら、ゆっくりと見物なさっていてください。もっとも、こういう方々はこの本を手にしてはいませんが。「郷に入れば郷に従え」⦿の世ではФは通用せず。
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 言い換えると、この本を読んでいるあなたは⦿ではありません。「そんなことはありえない」「そんなことは夢物語だ」と言っているあなたはФです。あなたがそう言っているからあなたはうまくいかないのです。あなたがそう言っているから世が乱れた(壊れた)のです。「そうじゃなくて悪いのは~」と原因を外にあると思い込んでいる(錯覚している)から自らのФに気づかないのです。あなたがあなたの制限を創り出しているのです。あなたがあなたの自由を封じ込めているのです。あなたがあなたをマインドコントロールしているのです。あなたが騙されるのはあなたのせいです。今の今でもあなたがあなたを自由に操作できるのですから、あなたがあなた自身を操作していると気づいて、あなたがあなたを自由にすれば、その瞬間から、あなたの「天国への道」がスタートします。
 あなたの現実(体験/心の内)に、たとえ〇・一%でも悩みや葛藤や戦いがあるならば、コントロールや思い通りにならないことがあるならば、自ら以外の責任だと思うものがあるならば、不可能だと思うことがあるならば、制限や恐れや被害者意識や死の感覚や焦りがあるならば、心の掃除(Фを⦿にして行動すること)が必要です。あなたの従う憲法は⦿(調和)です。Фは全部「憲法違反」です。新しい世は⦿でなければ遊べません。⦿の憲法に違反しているあなたは、この本の情報やあなたの回りの状況に文句を言う資格はありません。違反者が違反者に説教をしても何の効力もありません。外をコントロールしようとするその心がФの証なのです。神妙にルール違反の清算を始めてください。それがヒトとしての当然の態度であり、本当のイノチを助けるための、新しい世に生き返るための唯一の方法です。それをしないならば、あなたは新しい世の住人にはなれませんし、⦿の憲法に違反してきた責任をまとめて取って頂くことになります。
 あなたが新しい世に生まれ変われないと言うことは、あなたは「死刑」になるということです。あなたが⦿の憲法に違反し続けてきたのですから極刑になることは依存ないはずです。あなたがあなたを死刑にするのですから文句を言うところはありません。しただけのことはしていただきます。「ルール違反は責任をとる」「約束は守る」「借りたものは返す」のはヒトとして当然の生き方です。Фの中で取った「もの」を返さないならば泥棒です。泥棒の心を持っている人間は、新しい世には入れてくれません。邪魔者は消せ、国家転覆は有無も言わせず死刑です。
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 ここに書いてあることが分からないと悩む必要も、分からないことを卑下する必要もありません。Фしているあなたには分からないのが当たり前です。分からないのはФした自らの責任だと自覚して、分からないことを一々気にせず、自分なりに分かったことを片っ端からどんどん素直にそのまま行動してください。一つ一つ実行していけばだんだんと分かってきます。心の眼で見えてきます。悩んだりつっかえたりしている暇はありません。初めてのことをするのですから、初めての世界を歩くのですから、分からないのは不安なのは怖いのは当然です。今までのФが失敗なのですから、もう失敗することを恐れる必要はありません。そのままそこにФのまま居つづけることが、失敗を積み重ねることになります。今の世がもう大混乱の世なのです。平和や調和や喜びや自由や平等や博愛などどこか遠くに行ってしまった地獄の世です。何でもかんでも戦って、人を落として、人をけなして、人を騙して、人に頼って文句を言って、人のものを取って、人を動かして楽をして、人の話は聴かず、自らの意見が通らないと駄々をこねて、⦿のルールを外しておいて想い通りにしようとしても、どんなに見事な理屈をつけようともそれは全部「我(われ)善し(自分勝手/利己主義)」の、人より上に上がろうとする自分勝手な人間の茶番劇です。⦿で生きることが反省の証です。

 この本に書かれていることに一つでもカチンとくるならば、反論したくなるならば、あなた自身に想い当たるフシがあるならば、耳が痛くなるならば、あなたがФならば、今までの価値判断をすべてすべてゼロにして、全く何も知らない人間になって初めからヒトの世⦿のルールを学ぶ積もりでハラを括って取り組んでください。タテマエの理屈をこねくり回しても、Фの人間には通用しても、Фの人間は誤魔化せても、⦿は全部分かっていますから、無駄なことです。あなたがどんどん苦しくなるだけです。最後の最後は身魂の死刑台の階段が待っています。それは同時に、新しい世では遊べないということです。あなたが今ここから⦿の違反を清算する気があるならば、あなたには死はなくなります。苦しいのは今まで楽をしたツケです。取っただけ出す。借りただけ返す。楽しただけ苦しむ。得しただけ損する。壊しただけ壊される。偏らせただけ戻す。+しただけ-する。それで初めてゼロです。バランスです。調和です。不調和を調和に戻すのが「人(ヒト)」のハタラキです。役目です。調和を崩した世界を当たり前のものと思っているから、どんどん不調和になるのです。最後の最後の大掃除はФの世界丸ごと調和に戻しますから、Фをしている皆さんは「大変なこと」になります。物質の世界(現界)も心の世界(霊界)も全部⦿にする大掃除ですから、たとえ死んでも(自殺して)も逃げられません。苦しみから逃れようとするほどもっと苦しむことになります。今の苦しみはあなたのしてきた結果です。あなたが蒔いてきた不調和です。あなたが回りに与えた苦しみです。そのまま辛抱していることがあなたのお掃除です。逃げよう避けようとするほどますます苦しくなります。今までとはアベコベですから、よく覚えておいてください。今までの自分勝手なФのやり方は通用しません。心の掃除をしない限りあなたには助かる道はありません。
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 ここに書いてあることが本当に体験を通して分かったならば、完全にルール違反を清算して自立したならば、外のマニュアルは要りません。この本も要らなくなります。不安も恐れも心配も何も感じなくなります。誰も何も操作せずに、自分も相手もうまくいくように(必要なものが交換できるように)想いの通りに実現しますから、疲れません。あなたは天国の体験をします。今皆さんに来ている苦しみや不都合は、皆さんが元の⦿に戻るために「必要な」道具なのです。今の今も必要なものを交換しているのです。⦿に戻ったらあなたが本当に欲しいものだけが来ます。相手もあなたも嬉し嬉しで交換できるようになります。それが新しい世の、いや、本来のヒトの生き方なのです。皆さんは⦿の世をФで壊して、自らのクビを締めておいて、自らの不都合を不快感を不自由を誰かや何かの責任にして、迷惑をかけてきたのです。全員お互いさまです。それがわかったなら今ここから素直に⦿に戻ることです。Фをキレイサッパリやめることです。それができないならば、できない方だけ本当の死(滅び)の体験をすることになります。永遠のイノチを自ら捨てることになります。今苦しいからといって避けようものなら、先に行けばもっと厳しくなります。最後の最後はいやでも全員「ルール違反」の清算をさせられることになります。あなたがしたことですから文句は言えません。自主的に始めるか、強制執行されるか、あなたが決めればよいことです。いずれにしても、しただけのことはせねばなりません。今の今がФですから、後に行くほど延ばすほどルール違反を積むことになりますから、どんどん厳しくなりますし、「後で」は必ずやって来ます。今から始めれば一番楽に掃除できるのです。
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 皆さんがФの世で今まで学んできたものは九分九厘⦿に至れないウソの常識です。今までのФの知識、常識を基準にした価値判断を持ち出せば、永遠に⦿にはなれません。天国にも平和にも自由にも至れません。本当の天国は100%です。苦や不自由や痛みや悲しみが一点でもあれば、そこは地獄です。あなたの今までの癖でこの本を読めば、いちいちむかつくこともあるでしょうし、ゆるせないこともあるでしょう。認められないこともあるでしょうし、信じられないこともあるでしょう。でも、この本を読み終えるまでは、そこはちょっとおさえて、おさえられないと言うところをもうちょっとおさえて、「でも」「しかし」「だって」「そうは言っても」は一切やめて、「長い文章だからかったるい」などと言わずに、「めんどうくさい」などと言わずに、ツベコベと屁理屈ををこねずに、価値判断を一切持ち出さず、批判する心は一切捨てて、細かい所で一々止まらずに、アタマ(知識)を一旦ゼロにして、この本を読みおえるまでの間は「赤ん坊」になって、素直な心で最後まで辛抱して読み切ることが肝心です。これが皆さんの最初の修行でもあります。そして、分かったところからどんどん実行していってください。いいのかどうかと判断すれば、元のゲームに戻ってしまいます。「難しい」「大変」なのは当然のことです。本当の修行はそんなに甘くはありません。⦿せずに「現界で」何処に逃げても無駄です。出家しても出家ではありません。日常生活すべてで⦿を実践することが本当の修行です。あなたの行動、態度が全部⦿でなければ、新しい世には行けません。アタマを切り換えてください。皆さんの行動を通して、「分からなかった」ところがどんどん「分かって」きます。今までとは別のものが見えてきます。不思議なことや信じ難いことやあり得なかったことを体験します。だんだんと雲が晴れてきます。もともとあったものが見えてきます。あなたが何を見ようとも、それはあなたにとってはすべて真実です。あなたが今まで体験しなかったことを体験しても、決して「狂ったのでは」とか「変になったのでは」とか、考える必要はありません。あなたが見たものをあなたが疑えば、あなたは永遠に⦿にはなれません。⦿には奇跡も変なこともありません。あなたが隠していたものが見えただけです。Фが⦿の世の変人。
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 この本は、体験を通した「⦿の生き方の独学」ができるようになっていますから、自らのすることを自らが考えて自らが決めて自らが実行してください。それを繰り返してください。決して振り返らずゴールを見ず、ただただやりつづけてください。だんだんと想いと形が一致してきます。一致させるのではありません。一致して来るのです。その時その時で分かります。「自分の言うことを全部素直に(正直に裏表無く)実行する」こと。それが、皆さんのルール違反の清算、心の掃除、⦿の修行、天国へのガイドになります。Фならば死であり新しい世⦿(永遠のイノチ)は遊べません。新しい世で遊べなければ永遠の死を意味します。すべてのすべては一つです。Фの心を掃除すれば、そのプロセスがルール違反の清算になり、同時に、永遠のイノチを得て新しい世で遊べることになります。Фの掃除をしなければその逆です。⦿に戻ることが「神に成る」と言うことです。
 自分のことが誰にもおんぶせずに文句も言わずにお互い満たし合いの中で自分で全部できるのが神です。議論も戦争も不都合も混乱も何も必要ありません。議論やコントロールや戦争があるのは、今の世がアベコベである証拠です。元の神は⦿(戒律はありません)ですから、神心というのは、自らの心を⦿にすることです。⦿をそのまま実行することです。人生全部⦿で生きることです。自らを全部信じることです。裏を返すと、Фを全部やめることです。自らを疑わないことです。自らの心を判断しないことです。⦿とФは裏表。人生丸ごと⦿にするのがヒトの生き方です。誰も迷惑にならず皆がうまくいく生き方です。
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 自らの心に出てくることは元の⦿の言葉です。自らの想いを一切裁かないで、判断しないで、疑わないで、操作しないで、全部そのまま実行してください。それが自然(至善)と言うことです。そのままが「自然」です。結果として、悪くなることもあります。損すること、病気をすること、怪我をすること、騙されること、失うこと、死ぬこともあります。そこでまた⦿してください。悪くなるのはФをしていたツケです。破壊は再生、損は得、今の世に悪は一つもありません。⦿が憲法ですから、Фが違反ですから、絶対的悪はФです。調和を乱せば地獄ができますから、Фは悪です。つまり、戦争、競争、裁判、コントロールのある世は悪の世だということです。そのまま続けても絶対に天国には戻りません。平和は創るものではなく、初めからあるものです。あるものを壊したのはФの人間たちなのです。壊した自分自身の態度、行動を自覚せずに責任転嫁をしていては、戻れるものも戻れなくなってしまいます。⦿をФしたなら自分がФされて⦿に戻ります。「ルール違反をした者は償う」というのは元の⦿の世でも通用する常識です。⦿のルール違反の清算をしてください。清算とは借りたものを返すこと、貸し借りゼロにすることです。自分のものは何もありません。取ったものは借りたもの、握っているものは借りたもの、借りたものは返してください。
 ルール違反を清算して初めて完全に自由になります。⦿は100%自由です。100%喜びです。100%天国です。100%平和です。不自由なのは既にルール違反をしている証です。議論をしているのは平和を乱した証です。戦争に反対する心が平和を乱した原因(犯人)です。一人一人が自らの被害の加害者です。自ら以外に責任はありません。自らが自らを縛っているのです。あなたの人生の創造主はあなた自身なのです。あなたがあなたを自由にすればあなたは自由になります。あなたの元は肉体ではなく霊体(肉体で感じる「心」)です。心のままに肉体で体験します。心に制限あれば肉体でも制限。人の責任にすればするほどどんどんクビを締めることになります。
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 自らの行動の基準を⦿(完全自由)にしてください。価値判断を一切やめてください。皆が揃ってФをしていたから乱れた世になったのです。Фでは平和も平等も調和も自由も創れません。⦿の世をФで乱した今の世はすでに「乱れた世」なのです。「⦿をしたら乱れる、混乱する、悪くなるから善くない」と言うあなたは、Фしています。「⦿の世に反抗した(⦿の憲法違反の)世が今の世(Фの世)ですから、今のФの世から見て反抗的に見える「自分自身に素直な行動」は⦿に戻る行動なのです。価値判断することがすでにФですから、その積もりで歩いていってください。「いいのかどうか」「どうすればよいのか」と聞くこと自体がФです。あなたは何かを守っています。自分のものは何もありません。あなたは悪くなるのを避けています。ルール違反の清算を逃げています。あなたが⦿を乱した悪人(違反者/犯罪者)です。Фの責任を取ってください。今までФの生き方をして⦿を壊した(取った/得した/+した)だけ自らが壊れて(取られて/損して/-して)初めて清算(+-0)になります。元々は悪も損もありません。元々はゼロ(0/零/霊)ですから損も得もありません。悪くなって善くなる仕組み。すべては元の神のものです。人間には「資源」は創れません。本当の被害者はすべてを創った神だけなのです。
P40
 人の言うことやすることを「迷惑だ」と言うあなたが迷惑です。自らのすることを「迷惑かけるからやめよう」というあなたも迷惑です。Фが迷惑です。人はどうであろうと、あなただけは、先が見えなくても、損すると思っても、死ぬと思っても、一人になると思っても、不安でも、怖くても、自分の心に100%素直に生きてください。⦿の生き方を貫いてください。あなたは肉体ではありません。⦿の掃除を始めているなら、肉体死んでも魂は死にません。あなたの元は生き続けています。あなたに死はありえません。悪くなって損して苦しんで傷んで壊れてルール違反の清算をして、行動を通して体験から様々なことを学んでいきます。これが本当の勉強です。勉強は遊びです。遊びは仕事です。ハタラキです。お金を介する遊びを仕事と言っているだけです。お金と交換する遊びが「仕事」です。あなたが正直に生きているならば、その場その場でお金を交換できるようになります。「やったらどうなるか」はやれば分かります。具体例が皆さん一人一人の体験として現れてきます。したことがないことはやってみなければわかりません。Фがすでに失敗ですから、あなたは失敗を恐れる必要はないのです。Фが真の迷惑。コントロール、文句、制止、禁止、批判すること自体が迷惑なのです。何も気にする必要はありません。⦿をФしたらその時点で反抗していることになります。何でもできるのに制限を嵌めています。制限をはめたФを基準にして文句を言っても無効です。Фの人間には文句を言う資格はありません。⦿が憲法です。Фは違反です。⦿の世に罪悪感などありません。罪悪感を無くして行動することが⦿に戻る第一歩です。神はすべて許しているというのはこういう意味です。
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 あなたが⦿を生きはじめれば(掃除を始めれば)、あなたにあなたを納得させる出来事がどんどん起きてきます。自分が自分に証明することになります。人の具体例を聞いてもあなた自身に何が起きるかはあなたがやらなければ何も分かりません。何も変わりません。人がやったから、前例があるからできるのであれば、今すぐにでもできます。あなたがただやればよいだけです。「出来ない」のではなく「やらない」だけです。⦿がルールですから、してはいけないことは一つもありません。肉体が傷ついてもそれは神が自分のものを使って自分のものを壊しただけです。この世のものはすべて神のものです。資源は神にしか創れません。すべてのすべては神のものです。肉体が死んでもあなたは死んでいません。肉体が壊れるのはあなたのФを清算するためです。神は自分のもの(体)を壊してあなたと共に痛みを分かち合っているのです。「被害者だ」「損害を賠償しろ」と言っても通用しません。借りたものを自分のものにして取った取られたと騒いでも無効です。法律で決めるまでもありません。借りたものをそのまま持っているならば泥棒です。全部返さなければ天国はありません。世界を偏らせた犯罪者には居るところはありません。
 今の世は⦿の犯罪者の刑務所です。⦿のルール違反を清算した者から順番に⦿の娑婆(しゃば)に出られます。今の世が自由だ平和だと思ったら大間違いです。人を落として自分だけ金持ちになってもここだけのことです。次の世に持っていけるのは⦿の魂(心)だけです。モノは一切もって行けません。Фの世で築いたФの世だけで通用する地位や信用や世間体や建前や保身や欲や善人心や知識や秘密や宗教は邪魔になります。Фは裁く心です。⦿は裁かない心です。⦿は裏表無し。Фは裏と表の使い分け。⦿の世は心が丸見えの世です。Фは意味がありません。⦿の世に行けるのは素直な心体をもつ魂だけです。今からどんどんФの服を脱いで心を真っ裸にしていってください。最後の最後にはいやだといってもФの衣は全部剥がされます。Фを掃除するのが新しい世への条件です。Фの人間の言う「死」は関係ありません。生死を超えた大掃除ですから。⦿人間からみればФの悪あがきは丸見え。隠しても無駄です。
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 あなたがあなたの心に100%素直に生きればよいだけです。自分に正直に生きればよいだけです。今までの価値判断は一切要りません。間違ったものを選択すれば間違った作品が出来上がります。Фはウソですから、Фは全部捨ててください。簡単なことです。できないと言うならばФを持っています。全くアベコベですから厳しいのは当然です。⦿の世はФでは生きられません。⦿の神は「いいよ」と言っているのですから難しいことなどありません。あなたは死にません。「やめろ」「ゆるさない」「みとめない」「させよう」「させない」等々のコントロールはルール違反です。もうФの人間の操作や文句は一切無効です。勝手に恐れを創って、借り物を握って、自分は動かないで楽しようとして、人をコントロールしている(人の責任にしている)自分勝手な人間はどんどん苦しくなっていきます。一人一人が素直に生きることです。それが⦿の生き方。あなたがФなければあなたの思いの通りにやればうまくいきます。あなたがФあるならばどんなに避けてもあなたが心配していることがおきます。あなたが避けるならば、あなたの恐れていることをそのままお返しします。どうなるかは、やればわかります。助かりたいならば、Фをやめて⦿を生きることです。助かろうとするのをやめることです。先を見るのをやめることです。心配するのをやめることです。何があっても⦿を堅持することです。肉体壊れても死にません。肉体という服を着た幽霊が皆さんなのです。皆さんが⦿ならば、何度でもやり直せます。古くなった服(体)を新しく交換して続きが楽しめます。今度だけは⦿にすることが生の条件なのです。怖いものは何もありません。「死」や「競争」は全部Фの世の幻想です。
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 「はじめに」で今まで書いてきたことも含めて、この本に書いてあることは、実は、魂のレベルで皆さんがもともと知っていることばかりです。皆さんがФをしたから、恐れを創ったから、Фのコントロールに嵌まったから、ウソの知識をホントだと信じて疑わないで、死を創って、霊と体を分けて、一つのものを分けて、⦿をФしてしまったから、争いの世が始まって、何がなんだか分からなくなったのです。分からない人間がФの知識を教え合っても分からないままです。分からないままどんどん混乱していくだけです。Фの世がホントの世だと錯覚していますから、都合の悪いことは隠します。皆さんは分からないフリをしているだけです。自分の都合で、都合の悪いものを封じ込めただけです。やると怖い(ことになると錯覚している)ことを避けているだけです。皆さんが皆さんの正直な心、素直な心、⦿を疑うから葛藤になるのです。皆さんが⦿を忘れているから、Фのコントロール(操作/洗脳)に嵌まるのです。騙されるのです。
 皆さんが皆さん自身を苦しめている帳本人です。皆さんの「被害(損害)」の加害者は皆さん自身です。本当の被害者は元の⦿だけなのです。皆さんが⦿を思い出せば、Фの相対二元の「花いちもんめ」ゲームから出られます。いつまでやっても仲良くなれない滅びの道です。早く、「とおりゃんせ」の歌を歌いながら、「天神様の細道」を通って、⦿の世に戻って来てください。

 この本は、すべてのすべての秘密を明かしてあります。皆さんが知っていて隠していることを全部書いてあります。皆さんはここに書いてあることを知っています。皆さんの「いいのかな」に対する答えがあります。皆さんの心に正直に行動してください。⦿を生きてください。自分で見つけて、自分で確認して、自分で決めて、自分で答えて、自分で行動して、自分で体験して、自分で気づいて、人に迷惑をかけずに(人に文句を言わずに)自分で自分のことができるようになってください。この本はそのためのテキストです。早くテキストを手放せる日を迎えてください。皆さんの心に正直に生きてください。最後の最後に残るのは心だけです。モノ(人、本)がなければ動けないならば、この先の⦿の世は生きては行けません。今からどんどん自分で決めて動いてください。駄目なら次へ移ってください。コントロールはやめてください。人を動かすのではなく、自分が動くことが鍵です。皆さんが⦿に戻ってくれるのを一番楽しみにしているのは、皆さん自身なのです。そして、それが皆さんの元の親である⦿が一番望んでいることなのです。元の神⦿は、一人でも多くの人間(子供)が新しい世⦿で永遠のイノチを得て、嬉し嬉しで遊べるようになることを願っているのです。
 皆さん自身の本当の心が元の親神⦿の心です。自分に正直に生きることが⦿を生きることです。後少しの辛抱です。永遠のイノチを得るためのご苦労です。今まで好き放題に⦿の世を荒らしてきたのですから、これからの大掃除の苦労をグチグチ言っている人間は、⦿の世に生き返る資格はありません。死んでも続く心の掃除(心体の洗濯)です。本当の「イノチの洗濯」です。本当の「ルール違反の清算」です。本当の「神成る修行」です。死んでも頑張ってください。善いことも悪いこともしただけのことは全部受け取ってください。借りたものは全部返してください。Фの戦いを終わらせてください。宇宙のバランスを戻してください。最後の最後は全部返して素っ裸(心体)になります。⦿の心体を持つ魂だけが次の世に行けます。まずは、一人一人が心を⦿にすることです。
 戦争も議論も争いも悩みもストレスも自分が創っているФが原因です。⦿のルールは⦿です。Фがルール違反です。ルールは守ってください。真のルールに従ってください。形に現れる状況は悪でも善でもありません。悪くしただけ悪くなってゼロです。悪くなって善くなる仕組み。死んで(心で、真で)生き返る仕組み。それが大掃除の鍵です。それが最後の一厘です。
P46
 ミロクが開くその時まで、どうぞご無事で心の掃除に励んでください。それが自分のためであり、人のため、社会のためなのです。世のため人のためにハタラキたいならば、自分の心の掃除に励むことです。⦿に戻ってください。それが一人一人のお役目です。ミロクを創るのが人間の天命です。それが永遠のイノチを得る方法でもあります。あなたが天命を全うしたいならば、自分にも人にも社会にも迷惑なФの悪あがきはいい加減にやめて、⦿を生きてください。皆さんの心が皆さんのガイドです。皆さんの心が皆さんの「神示」です。この本も「神示」も皆さんが⦿心を思い出すまでの道具に過ぎません。皆さんが自分自身で歩けるようになるまでの杖に過ぎません。真理はシンプルです。普遍的です。絶対です。心理が真理で神⦿理です。皆さんの⦿の心が皆さんの生死をつなぐ接着剤です。「ハコブネ」です。
 間もなく皆さんの人生の分岐点(本当の生死の境)がやってきます。⦿かФかで雲泥の差になります。まったくアベコベの結果になります。光か闇か(天国か滅びか/残るか消えるか)の二つに一つです。皆さんの歩くべき道は一つだけです。それがわかった人間だけが永遠の天国、永遠のイノチを手にすることができます。身魂磨き(心の掃除/⦿)が済んだ皆さんは、これから何が起ころうとも一切関係ありません。⦿心体(神体/⦿体)に戻った皆さんには、現界での天変地異も核戦争も毒ガスも犯罪も何も関係ありません。古い肉体を脱いで新しい肉体を着るだけのことですから。一人でも多くの方が早く⦿心に戻れるように祈っています。
P47
 それではこのあたりで長い長い「はじめに」を終わりにして、いよいよ「本文」(「伝えフミ」)に入ります。「伝えフミ」から直接、元の神⦿の親心(真意/親意)を受け取って、今までのФの生き方を見直して、⦿を実践して、心の掃除に励んでください。この本と合わせて『人生というゲームの新しい遊び方』『新しい時代を生きる人間学』『西暦2000年ミロクの世が開かれる』(以上三冊とも、たま出版刊)、も読んで頂けば、何がホノトで何がウソか、何をどうすればよいのか、ハッキリと見えてくると思います。素直が一番、アホが一番。Фの世のアホが⦿。

 そろそろ自分自身に抵抗するのはヤメにしては如何でしょうか。でも、それはあなたが決めることですからこれ以上とやかくは言いません。どうぞこの本をあなたの選択(洗濯)の参考にしてください。この本が、皆さんへの最期(止め/艮(とどめ))のフミ(マニュアル/テキスト)になることを願っています。皆さんと新しい世⦿(ミロク)で再会して、元の神⦿と共に、私たち人間の長い間の念願だった「永遠の地上天国」を創れる日を楽しみにしています。新しい世⦿でご一緒に嬉し嬉しの本当の人生を心行くまで満喫しましょう。



  目    次 

元つ神からの最期の艮(とどめ)のフミ その一 51
元つ神からの最期の艮のフミ その二  125
元つ神からの最期の艮のフミ その三  159
元つ神からの最期の艮のフミ その四  237
元つ神からの最期の艮のフミ その五  267




元つ神からの最期の艮(とどめ)のフミ その一 

P52
 今今のそなたらと申すのは、元つ真釣りのこの方が居ることなどキレイサッパリと忘れ去り、自らこそが三千世界すべてを産み生んだ真コトの神じゃと思い込んで居る元つ真コトの一厘を見失った中つ魔釣りの魔コトの神々の手下となりて、宇宙も世界も人類も、最後の最後は自ら自身も、形あるものすべてが滅びる世界人類丸潰れの仕組みの内に居るとも知らずに、現(こ)の世のことは何でもかんでも自らの思い通りに成るのじゃと勘違い致して中つ世界の人類の征服を画策して居る者どもの企みに、世界丸ごと上から下まで、一人残らず、まんまと嵌まりてござるのぞ。そなたら人間は、ウソをウソで塗り固めた魔釣りの世の常識を天国を創る真釣りの世の常識と取り違い致して、天国どころか地獄さえも創れぬ、末(すえ)はすべてが消え去る運命の魔釣りのやり方であるとも知らずに、自らの教えて居ることは正しいことじゃ、自らの申すことは真実じゃ等と申して、宇宙創世以来、人類の長い歴史を通じて、今の今まで何世代にも渡って、教育や政治や宗教の名のもとに、全世界全人類挙げて、親から子へ、教師から生徒へ、教祖から信者へと次々に渡し続けて来て居るのでござるぞ。最期は世界人類丸潰れの魔釣りで創りた魔コトの世界を真釣りの神の創りた真コトの世界と取り違え、魔釣りの創り出したウソを真釣りの真コトと取り違え、自らの望みとは全くアベコベの世を創り出すウソのシナリオに基づいて、すべてのすべての社会システムを創り出して来た成りの果ての姿が、今今のそなたらが居る乱れた世でござるのじゃ。
P53
 そなたらに魔コトを教えて居る当の本人達はと申せば、自らは魔釣りの神に囚われて居るからこの方の真コトは見えず、自らだけがすべての仕組みを知って居る唯一の者じゃから自らだけは騙されることはござらんと思い込み、自らが世界人類の王の王に成れると勘違い致して、自らがウソの魔コトを教えて居るとは露も知らず、最後は自ら自身も滅びる魔コトの世を進み来てしまって居るのに全く気づいて居らんのじゃ。そなたらが真コトに気づくその前に、魔釣りの知恵で真釣りの智慧を覆い隠し、真コトを魔コトにすり替えて、至福を利便と言い換えて、神を金に置き換えて、自らの支配に都合善き、自らが操り易き「ケモノ」ばかりの世と成して居るのでござるぞ。その者達は、金が無ければ何も出来ぬ、外が無ければ何も出来ぬ、教えて貰わねば何も分からぬ、自ら思考することの出来ぬ、自らの欲望のままに生きる、自らの力だけでは何もできぬように成りた者達の首根っこを押さえ込んで、不安や恐れや罪悪感を操作して、逆らう者には脅しをかけて、金から命まですべてのすべて、挙げ句の果ては神までも、何でもかんでも自らの思い通りに支配できる世を九分九厘実現したと思って油断なさってござるが、肝心要の元つ真コトの一厘を忘れて居るから、最後の最後にどんでん返しがあることなど露知らず、自らの企みしその仕組みに自ら自身が嵌まって居ることなど、コレっぽっちも気づいて居らんのじゃ。
P54
 そなたらは、自らに原因があるなどとは思って居らんから、何でもかんでも外のせいに致して、外を責めて、闘って、傷つけて、自らの思い通りに善く成ると思い込んでいなさるが、結局のところ、自らが自らを傷つけて居ることに気づいておるか、そなたらが外と闘えば闘うほど、外を責めれば責めるほど、外を排除しようとすればするほど、魔釣りの世の支配を企んで居る者達の創りた仕組みをどんどん進めて、自らの首を締めてゆくばかりでござるのぞ。今のまま進めば、その者達もそなたらも、全員丸潰れの滅びの坂道をどんどん駆け降りて行くだけでござるのじゃ。何も知らぬそなたらは、何がマコトで何がウソかも分からずに、平和じゃ、自由じゃ、平等じゃ等と大騒ぎしてなさるが、元々のやり方がアベコベでござるから、いつまでやっても真コトの自由や幸福や安全や平和など出来る筈も無く、やればやるほど何が何だか分からなくなりて、何でもかんでも外に頼り、人に頼って騙されて、不平不満を申しても、何一つ自らの思い通りにはならず、ますます混乱して行くばかりでござろうが。そなたらの居る魔釣りの世を支配して居る上の者達が自らの為して居ることに全く気づいて居らんから、何も知らずに下に居るそなたらが真コトに気づく筈もなく、魔釣りで創った不都合を更なる魔釣りでまつり縫い、目の前の問題を解結するどころか、次々に更なる問題を創り出し、挙げ句の果ては何が何だか分からなくなりて、もはや自らの手ではどうすることもできぬ、神無き地獄の世と成してしまって居るのでござるのぞ。
P54
 今の世の人間どもは、上から下まで揃いも揃って世界丸潰れの魔釣りの仕組みにまんまと嵌まりて、神も光も真コトの親も、すべてのすべてが見えなくなりて、真コトの神のこの方の創りた世を壊し続けて居るとも知らずに、我(われ)は善人じゃ、何も悪いことなどして居らんのに苦しむのはオカシキことじゃ等とホザイて、自らの無智(真コトを知らぬこと)を自ら白状して居る、大タワケ者ばかりでござるのぞ。そなたらは、末は全員滅びるだけの魔釣りの世を進める「アヤマ知(マ違った知識、知恵、観念、常識)」であるなどとは露知らず、我(われ)はそなたのためを思って為して居るのじゃ、人間は誰でも上に上がりたいのが当然じゃ、困って居る者や貧しい者を助けることは善いことじゃ、自らを犠牲にして人に尽くすのは尊いことじゃ、人に勝たねば人生終わりじゃ、競争や議論をして磨き合うのが人間じゃ、人間にはストレスがあるのが当然じゃ、人間は優しさや思いやりが大切じゃ、人間だから分からんことがあるのは当然じゃ、今の社会では出世しなければ幸せはござらん、自ら損してまで人を助けるのはバカ者じゃ、真面目に勉強することは将来のために大事なことじゃ、人に迷惑をかけるのは悪いことじゃ、人を傷つけるのは悪いことじゃ等々と、何の疑いも無く当たり前のように申してなさるが、そなたらがそう申せば申すほど、ますます真釣りを外し行き、どんどん平和や自由や平等や天国から遠ざかって居ることにお気づきあれよ。ここに来てまで、まだ世界人類を支配出来ると思って居る大タワケ者がおられるようでござるが、そなたらは、最後の最後は自らも人も共倒れの世界丸潰れの仕組みを進めて居るのじゃということをお忘れなきよう、ここで改めてきつくご注意申しおくぞ。早う目を覚まさんと、本当の本当に取り返しのつかんことになるぞ。
P56
 今今のそなたらと申すのは、このまま進めば何も知らずに滅びる、末はすべてが消え去る運命の闇(病み)の世界の住人でござるのぞ。そなたらは、魔釣りの魔コトで心が曇りに曇ってしまって居るから、元つ真釣りの真コトの神のこの方の影も形も見事に見えなくなりて、自らが、元つ真釣りの真コトの神が産み生んだ、ミロクで神(地の日月の神/ヒト/自らのことは自らで出来る身魂)と成るべき尊き身魂であることなど綺麗サッパリと忘れ去ってしまって居るのでござるぞ。そなたらがこの方の申すことを一つなりとも疑うことがその証でござる。そなたらが自らの真コトの姿(素型)を生きて居るならば、そなたらの世には、争いや葛藤や混乱や不都合や疑問など何一つもござらんのぞ。そなたらが、自らの内にすべての原因があることを知って居るならば、自らのしてきたことの結果を自ら以外の責任にして不平不満を申すなど、オカシキことでござろうが。そなたらが何もかも知って居ると申すならば、自らの使命も天命もこの方のことも、すべて分かって居るのでござるから、神など居らん、神など迷信じゃ、我は何のために生きて居るのか等と申して居ること自体、マコトにオカシキことでござるのじゃ。善くなるどころか、ますます混乱が加速して、何がなんだか分からなくなって居る今今の世と申すのは、そなたらが為して来た魔釣りの世の成りの果ての魔姿でござるのぞ。

 そなたらは、三六九で神(⦿)成って調和の世を創る御役を背負って居る尊き真釣りの身魂であるという自らの真コトの姿(真姿)など綺麗サッパリと忘れ去り、魔釣りの世を真釣りの世と勝手に取り違い致して、略奪や戦いや病気や悩みや制限があるのが当たり前じゃ、人間には出来ないことがあるのは当然のことじゃ等と、何の疑いも無く、当然の事のように、平気で申してござるが、如何に「あやま知」で心の眼が曇って真コトが見えなくなって居るとはいえ、人間と人間とが闘って、責め合いや奪い合いやコントロール合戦をしておりては、平和も自由も平等も天国も何も出来はせんことぐらい気づかんでどうするのじゃ。こんな簡単なことが分からんようでは、そなたはミロクの民にはなれんぞ。そなたらは真釣りの何たるかを綺麗に忘れ去って居るから、元つ真釣りのこの方を無きものにして、何の疑いもなく現(こ)の世が今のまま続くと思い込んで居るが、我(われ)善し勝手な思い上がりもいい加減に致せよ。何も知らんとは申せ、神成る身魂であることを忘れたそなたらのあまりの情けなき所業に、神はことごとく閉口して居るのじゃぞ。今今の世と申すのは、この方(神)を無きものにして平和や自由や平等や天国を人間の力だけで創れるものといつまでも思って居る、自らの魔釣りが創った不都合を魔釣りで解結できると未だに思って居る、自ら(人間)が霊界との関係ですべての九十を成して居ることを忘れて、何でもかんでも現(こ)の世だけで解結できると思って居る、自ら創った不都合を自らの力では何一つ解結することが出来もせんで自らがこの世で一番じゃと思い込んで居る、曇りに曇った盲目の身魂、地獄の人民ばかりがウヨウヨしてござるのぞ。
P58
 そなたら人間と申すのは、神の力を借りてすべてのすべての物事を成して居るのでござるのぞ。そなたらは、元の神の力(産土力(うぶすなりき))がなければ何一つ出来はせんのじゃ。この方はそなたらが無と申して居る元つ響きからどんな有の響きでも無限に創り出せるのでござるぞ。そなたらの世にあるものはすべてのすべて、宇宙、太陽、資源からそなたらの肉の体まで、今の今もこの方が休みなく創り続けて居るから有るものでござるのぞ。そなたらが平気で荒らして居る資源や土地や植物や動物は、すべてのすべてが元の真釣りの調和のもとにこの方の産み成したものでござるのぞ。そなたらが真釣りに生きて居れば、この方はそなたらの欲しいものを欲しいだけ、幾らでもお渡しするのでござるぞ。そなたらが有限と思って居る資源や自然は有限などではござらんぞ。そなたらの食らうものは有限でござるが、この方の天恵は無限でござるのぞ。この方は、そなたらがこの世で生きていく為に必要なものくらい、幾らでもお渡しすることができるのでござる。そなたらがこの方を忘れて、資源は有限じゃと申せば、この方はそなたらの取り違いを教えるために有限の世界を見せることもできるのでござるぞ。この方が自らの都合で勝手に有限にして居るのではござらんぞ。この方とて自らのお子であるそなたらを何も好んでわざわざ苦しめるようなことは致さん。そのままの態度では永遠の天国、ミロクの世に生まれることは出来んから、そなたらが無限の天国に生き戻れるように、そなたらの取り違いを形にして教えて居るのでござる。有限の原因はそなたら自身にあるのでござるぞ。
P59
 資源は有限じゃ等と申すのは、そなたらが元の無限のこの方を忘れ去って居る証でござるぞ。そなたらが元の真釣りのこの方を忘れて居るから、そなたらの眼には何でもかんでも有限に見えるのじゃ。資源が有限なのではなく、そなたら自らが自らの心を有限にして居るから、この方がそれを見せて差し上げて居るのでござるぞ。そなたらが有限じゃと申すから、そなたらの外がそうなって居るのでござるぞ。この方が有の響きを創り出すことをやめれば、そなたら人間は、一日たりとも生きてはおられんのじゃぞ。すべてのすべてはこの方次第でござるのぞ。自らが真釣りを外しておいて、自らの都合で勝手に資源を取り荒らし、アレが無いコレが無いと不平不満を申すなど、神成る身魂のすることではござらんぞ。そなたらがして居ることは、神成る身魂の自覚無き所業、神の調和を乱す、調和の神の世を壊す大罪でござるぞ。この方は、何から何までそなたらの申す通りにして差し上げて居るのでござるから、そなたらに文句を言われる筋合いはござらんぞ。そなたらには自由意思を与えてあるから、そなたらがどんなに苦しくなろうとも、すべてそなたらの申す通りにして居るのでござるのじゃ。

 自らのお子であるそなたらが苦しむようなことはさせたくないのが親心ではござるが、そなたらがそなたら自らの意志で真釣りに戻って欲しいから、自らが自らの手で自らの世話をすることが出来ねば、自ら自覚して真釣りに戻らねばミロクの民にはなれんから、鬼となりて、悪魔となりて、手を出したいのを引っ込めて、そなたらが自ら気づいて改心できるように、辛抱に辛抱して、堪えに堪えて、手を出したいのを我慢致して、そなたらに苦を渡し、悪を見せて居るのでござるのぞ。自らのお子が危ない目に遭いそうになれば、すぐに口出し手を出して、お子がしたいと申すことを自らの我を出してやめさせるのがそなたら人間の親でござろう。それでは真コトの教育は出来んぞ。それでは本当に助けたことにはならんぞ。それではお子自らが自らの力で学ぶ体験は出来んぞ。それでは真コトの智慧は身につかんぞ。損して、怪我して、病気して、失敗して、危ない目に遭って、その体験から新しきことを学ぶのでござるぞ。知識だけを仕入れても本当に学んだことにはならん。身を以って体験して初めて自らの実となるのじゃ。そなたが真釣りを外して居る分量だけ、そなたが真釣りを外しただけピタリしか渡して居らんから、苦しめようとして多めに渡して居るなどと勘違い致さんでくだされよ。
P60
 そなたは死んでもこの方の内でござるから、そなたの肉の身の危険など関係無きことでござる。そなたは死んでも生きて居るのでござるぞ。そなたの肉の身がどのような状況になろうとも、そなたが真釣りに居るならば、そなたにはマコトの死はござらん。そなたが魔釣りに居るならば、たとえモノカネどんなに持ちても、肉の身の姿、形がどんなに綺麗であろうとも、そなたにはマコトの死が待って居るのでござるぞ。そなたらの本当の財産と申すのは「体験」だけでござるのぞ。たとえモノカネ山ほど手に入れようとても、そなたの肉の身でさえも、次のミロクには一つとして持って行けるモノはござらんぞ。我(われ)善し勝手な「あやま知」の基準を持ち出して、危険だから、迷惑だから、見たくないからと申して、人の体験を奪うのは、泥棒でござるぞ。そなたらは、身魂の掃除が第一でござるから、身魂がそなたらの本体でござるから、肉の身で、肉の世界でどんな酷き状況、姿に成ろうとも、辛抱するのが真コトの親ぞ。子が真釣りに戻るのを邪魔する親は、真コトの親ではござらんぞ。そなたのお子や家族や友人は死んでもこの方の内でござるから、そなたがアレコレ心配せんでも宜しいぞ。子は親の真似をして育つのでござろうが。まずはそなた自らが手本を示さねば、本当のしつけなど出来はせんのぞ。
P61
 この方は、そなたらが苦しいと申しても、そなたらが思う通りにいかんと申しても、そなたらがどんな屁理屈を付けようとも、すべてそなたらが申す通りにして居るのでござるぞ。そなたらは魔釣りの神に囚われて元の真釣りの何たるかが分かっておらんから、神など居らんと申して、魔釣りの世で学んだやり方で現(こ)の世を善くしようと躍起になっていなさるが、平和で自由で安らぎの天国どころか、戦争や制限や問題ばかりの地獄の世をどんどん進め来て居るのにまだ気づかんのか。歴史を通じて今の今まで、そなたら人間が解結したものなど、ただの一つも御座らんのぞ。元々は問題などただの一つも御座らんから、解結などと申すことも必要無きことでござるのぞ。自らの魔釣りの結果創り出した問題を自らで解結するどころか、ますます問題を積み上げて、今の今では自らの手ではどうすることも出来ないところまで来て居るでござろうが。神など居らん等と申していつまでも我を張っておらずに、自らのアヤマチを素直に認めて、これ以上地獄を進めるのはやめて、後のことはこの方にお任せなされ。そなたらが為して居ることは、元の元がアベコベでござるから、先に行くほど行き詰るだけでござるぞ。そなたらが魔釣りの仕組みの中で、自らの世界を善くしようとすればするほど、この方の創りた元の至善の天国を壊し行くのでござるから、いい加減に悪あがきはやめて、早う真釣りに戻ってくだされよ。
P62
 そなたらには元の至善を創ることは出来んのでござるから、そなたらが今目の前にある形になった自然(至善)を元に戻すことなど無理な話でござろうが。そなたらは元に戻すと申すが、一度壊したものは元の元には戻らんのぞ。そなたらのしてきたことの尻ぬぐいは、もうこの方がするしか無きところまで来て居ることに早うお気づきあれよ。何も知らなかったとは申せ、元の調和の世界を勝手に魔釣りで壊し来て、自らがしてきたことの責任を取れぬと申すのは、いかなることでござろうか。何でもかんでも自ら以外のせいにして、我(われ)は悪いことなどして居らん等と申すのは、神成る身魂として恥ずかしき所業でござるのぞ。調和を壊すのは、神の掟違反でござるのぞ。調和を壊しては、天国も自由も平等も何も御座らん。元の真釣りのこの方にとっては、そなたらもろとも世界宇宙の大掃除を致してそなたらが壊した至善を元に戻すことなど簡単なことにてござるが、それではそなたらが可哀想なから、この方のお子を殺すのは忍びないから、そなたら自らが改心して真釣りに戻ってくれることを期待して、今の今まで大掃除を猶予して来たのでござるぞ。この方が世界の大掃除を始めれば、この方の内に居るそなたらはひとたまりも無いぞ。この方はそなたらの親でござるから、そなたらお子がしたことは、この方の責任でもござるから、予告無しで一度に掃除するようなことは致さんから、カラクリを予め全部教えるから、外の大掃除はこの方に任せて、そなたらは内の心の大掃除を始めてくれよ。
P63
 そなたらが壊し来た自然(至善)と申すのは、この方が自らの内に産み生んだ有の世界でござるから、この方にしか作り替えることは出来んのでござるぞ。そなたらのイノチもこの方次第でござるのぞ。そなたらに出来ることは、自らの心の立替え立て直しだけでござるぞ。そなたらの内の通りに外が形に成って居るのでござるのぞ。この方がそなたの内の通りにそなたらの外に見せて居ったのじゃ。そなたらの内に不調和がござれば、世界の調和が壊れるから、そなたら自らが内を調和に戻せるように、そなたらの内の不調和を外に見せて教えて居ったのでござるぞ。この方を忘れ去って居るそなたら人間が、自らの外にあるものを、自然や動物や他人や世界や神を、そなたらの力で変えられるなどと申す思い上がった考えは、キレイサッパリ捨てなされ。そなたらはそなたらの力では外を変えることはできんのぞ。そなたらが自然や地球を元に戻せると申すなど、とんでもない取り違いでござるぞ。そなたらの魔釣りが自然を壊した原因でござるのぞ。そなたらが魔釣りに居るから、この方が、自らの胎内にある自然を壊して教えて来たのでござるぞ。そなたらが内に悪を持って居れば、外に悪を見たいと申して居るのと同じことでござるぞ。この方は、そなたらの見たいものを見せて差し上げて居るのでござるぞ。そなたらが見たいと申すから外に悪を創りて差し上げたのに悪を消そうと致すのはいかなることでござるか。
P64
 そなたらが外の悪を裁けば裁くほど外に悪が現れる道理。そなたらが内に悪を持たねば悪は外には現れなかったのでござるぞ。すべてのすべてがそなたら自らが希望したことでござるのぞ。最後の最後はこの方自らがすべてを元に戻すから、そなたらがどんなに外を壊そうとも、この方にとっては大きな問題ではござらん。外に見える環境破壊と申すのは、そなた自身の心の破壊の映しでござるぞ。そなたらの魔釣りをそのままにしておいて地球環境云々(うんぬん)と大騒ぎ致しても、何も知らぬ大アホ集団の茶番劇でござる。自らが自然を操作できると申す、人が人を変えられると申す、そなたらの我(われ)善し勝手な取り違いが今今の混乱を創りだした原因でござるぞ。そなたらは魔釣りに居るから、自らの肉の身を失うことを恐れて、悪くなることを避けようとして、地震や天気や人の心や自らの未来を予知なさろうとして居るが、犯罪や戦争や破壊をして居る者を排除しようとなさって居るが、そなたらが真釣りに居れば、そのようなことは不要なことでござるのぞ。そなたが真釣りに居れば、そなたにはなんの関係も無きことでござるのぞ。そなたらは自然の猛威を十分に目にして居るのに、未だに自然を征服、克服しようなどと考えていなさるが、そろそろ素直になりなされ。この方にどんなに抵抗しても無駄なことでござるのぞ。

 そなたらの今までのデーターでは、これから起きることは、想像もつかんことでござるのぞ。そなたらが真釣りに戻らねば、そなたらには安全な場所も、逃げる所もどこにもござらんぞ。地震や噴火や毒や犯罪や病気や死が恐ろしいのではござらんぞ。そなたらが魔釣りのままで居ることが恐ろしいことでござるのぞ。そなたらの内の通りにこの方が与えて居るのでござるから、そなたらの内を変えれば、そなたの現実が、そなたらの外が変わるのでござるぞ。汚染物質だろうが、核兵器だろうが、麻薬だろうが、化学兵器だろうが、銃だろうが、病原菌だろうが、毒キノコだろうが、すべてはこの方の産み生んだ自然から創り出されたものでござるから、そなたらからはどう見えようとも、何一つ「危険なもの」はござらんぞ。この方は、そなたが内の調和を乱せば、そなたが危険に感じることをそなたに渡してそなたの改心を促すのでござるぞ。そなたが見ておるものを「危険じゃ」と申して居るだけで、それ自体が「危険なもの」ではござらんから、勘違いなさるでないぞ。そなたらが申す悪は悪ではござらんぞ。そなたらの内の悪を見せるための外の悪でござるぞ。そなた自身が悪と申して居るだけでござる。そなたらの外はそなたらの内の映しでござるのぞ。モノやシステムの破壊や体の破壊(殺人、自殺、病気、怪我)が悪じゃと申すならば、自らの内に悪を持って居るそなたらは全員悪人でござるぞ。
P65
 そなたらが内を乱して行動すれば、今今のそなたらの世のように、外が乱れるのでござるぞ。次の世では二度と地獄は創らせんから、もう同じアヤマチを繰り返すことはさせんから、そなたの内に悪あればそなたの外を乱す原因になるから、心の掃除の無き者は次の世へは連れていくことは出来んのぞ。外の世界の大掃除はそなたの掃除の有無とは関係無しに進んで居るから、そなたが自主的に自らの心の掃除をせねば、そなたは次の世に行かれんから、そなたが内を乱せば外を乱して心の掃除が必要であることを気づかせるのでござるぞ。そなたらは、自らの肉体や「持ちもの」が壊された取られた傷つけられたと大騒ぎして居るが、そなたらは今の今までこの方の創りたものを取って壊して乱し続けて居るのでござるぞ。そなたらの内の悪をそなたらに教えるために、この方がこの方の創りた世界にあるものを壊すことを許して居るから出来ることでござるのぞ。この方が許さなければそなたら人間は、何も出来んのでござるぞ。この方は、そなたらの壊したものを元に戻せと申して居るのではござらんぞ。この方にとっては、最後にまとめて大掃除致して、そっくり交換すればよいだけでござるから、そなたらがどんなに壊そうとも痛くも痒(かゆ)くもござらんが、そなたらが真コトに気づかねば、真コトに気づかぬ者だけが大掃除に巻き込まれてしまうから、ご注意申し上げて居るのでござるぞ。自らの創りた調和を壊し、自らの体を傷つけてまでも、そなたらに教えるのは、自らのお子を何としても天国の世に連れていきたいこの方の親心でござるぞ。この方の真意(神意)を分かってくだされよ。
P66
 この方は、これから先は真釣り無き者は許さんから、魔釣りを生きて居る者はどんどん厳しくするから、魔釣りのやり方はどんどん壊していくから覚悟致せよ。真釣りの身魂でなければミロクの世には生き返れんから、魔釣りの癖を取らねばならんから、今ここが真釣りに戻るギリギリのところでござるから、この方は、今今からしつこく厳しく申して居るのでござるぞ。この方の申して居ることをハイハイと素直に聴いて、一人一人が自らのしておることを省みられよ。すべてのすべてはそなた自身のためでござるのぞ。真釣りの身魂が魔釣りの仕組みにまんまと嵌まって、真釣りの世を壊してきたから、今今の世の混乱の状況と成りたのでござるぞ。そなたらは楽をしようと致すから、すぐに苦を避けようとなさるから、真釣りに戻るどころかどんどん魔釣りの世を進めるばかりでござる。この方が表に現れて真釣りの何たるかを教えねば、真釣りには戻れんところまで来て居るのでござるぞ。そなたらの回りにあるものは、そなたらの肉体も含めて、すべてのすべてがこの方の貸しものでござるのぞ。そなたらは、この方がいくら申しても今まで手に入れたものにしがみついてなかなか真釣りに戻ろうとは致さんから、外にあるものを取られなければ真釣りに戻ろうとは致さんから、真釣りに戻るために邪魔になるものはどんどん返して頂いて居るのでござるぞ。そなたらは、取られたやられた傷つけられたと大騒ぎして居るが、そなたらのものは一つもござらんぞ。そなたらが真釣りに戻るのに邪魔になるものを人間を通して取って差し上げて居るのに、わざわざ取り戻してどうするのじゃ。
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 そなたらは、失敗は許されない等と申して居るが、真釣りの身魂が調和とはアベコベの魔釣りの世を創りて居るのでござるから、初めから全員失敗して居るのでござるぞ。そなたらが壊した世界は、もうそなたら自身では元には戻せんところまで来ておるのでござるぞ。外の世界の大掃除はこの方が進めて参るから、そなたらは自らの魔釣りを真釣りに戻して、身魂の掃除を致してくだされば宜しいぞ。そなたらは、これから、そなたらの失敗をこの方と共に戻して行くのでござるぞ。この方がそなたらが真釣りに戻しやすいようにして差し上げるから、どんなに怖くても厳しくても、どんなことが起きても真釣りに生き続けてくだされよ。真釣りなければそなたにはミロクはござらんから、今までとは全く違うから、今までのやり方は通用せんから、今度は身魂の生死でござるから、肉体を離れても続くから、そのつもりでハラを据えて取り組んでくだされよ。そなたらは、人間の力だけで今今の混乱した状況を元に戻せると思ってござるが、今今の状況と申すのは、そなたらの魔釣りを解(ほど)くための最後の舞台でござるのぞ。魔釣りを生きて居る者には分からんかも知れんが、信じられんかも知れんが、今起きて居る出来事と申すのは、そなたらを真釣りに戻すための最後の大手術が形に成って居るのでござるぞ。そなたらは、この方を無視して、いつまでも物質の世だけの眼鏡で見て居るから、真コトのことがチッとも分からんで、魔釣りの者達にまんまと騙されてしまうのでござるぞ。
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 そなたらは、この方を忘れておるから、人間だけですべてのコトを成して居ると取り違いなさって居るが、そなたらのやり方は全くのアベコベでござるから、一向に問題が解結せんばかりか、ますます問題を積み重ねてしまうのでござるぞ。そなたらは、何でもかんでも自らだけで解結しようとなさるが、この方の力無しではもう何も解結致さん時節に成りて居るのでござるぞ。そなたらが魔釣りに居るから悪や危険が外にあると勘違いして、外の悪を排除しよう、危険を避けようとなさるのでござるぞ。そなたらの外はすべてこの方が創りたものでござるから、そなたらの外には、一つとして「悪いこと」も「危険なこと」もござらんぞ。そなたらの身魂は生き通しでござるから、そなたが真釣りに生きておれば、肉体の世の出来事には善も悪も危険も安全も一切ござらん。すべてはただの出来事でござるのぞ。そなたがそなたの眼鏡で、悪じゃ、危険じゃと申して居るだけでござるのぞ。この方から見れば、失礼な話でござるぞ。そなたが魔釣りでござれば、肉体をそなた自身と思うから、身の危険や外の悪が見えるのでござるぞ。死や怪我や病気を恐れるのでござるぞ。外の出来事がそなたを危険にするのではござらんぞ。そなたが外の出来事を危険じゃと申して居るだけでござるぞ。自らの内に悪だと思って居ることがござるから、そなたらの外がそう見えるのでござるぞ。この方は、そなたらの内を外に見せて居るだけでござるぞ。そなたの都合で外の出来事に文句や不満を申すのは、自分勝手でござるぞ。そなたの心にあるものを悪じゃと申すそなた自身が、外の悪の根源でござるのぞ。
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 そなたがそなた自身の内にある映像を悪じゃと申して居るから、外に見える同じ映像を悪じゃと申すことになるのでござる。そなたが外に向けて表現して居ることは、自らの内にあることでござる。外を悪じゃと申すのは、自らの内の悪を外にバラして居るのと同じでござるのぞ。そなたがどんなに隠そうとも、この方から見れば、そなたはスッ裸でござるのぞ。そなたが外の悪を批判すればするほど自らが自らの内の悪を白状し居ることになるのじゃが、いかがなものでござろうか。そなたがそなたを責めて居るのでござるぞ。そなたはこの方を責めて居るのでござるぞ。そなたは自らの責任を認めて居るのでござるぞ。そなたの責めて居るものはそなたの内でござるのぞ。人を責めると申すのはそなた自身を責めて居るのと同じことでござるのじゃ。そなた自身の責任でござるのに外を責めて居ると申すのは、矛盾して居るとは思わんか。そなたが外に責任があると申せば、そなた自らの勝手で外のものを壊して居ることになるのでござるぞ。この方のものを壊して居るのと同じでござるぞ。この方は、そなたの内に「危険じゃ」「悪じゃ」と決めて居るものがござれば、それを外に映してそなたに教えるのでござるぞ。外に見えて居るものは、そなたの内が原因でござるのじゃ。そなたらが魔釣りを生きてきた結果、外に創りだしたものを、自らに都合が悪いからと申して消そうとしたり、表面上の責任追及をしたりしても、何も解結したことにはならんぞ。自ら創りだしたものを自ら邪魔者にして居るのでござるぞ。最後の最後はそなた自身に返ってくることになるのでござるぞ。
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 そなたらのしておることは全くアベコベでござるぞ。魔釣りを真釣りに戻す仕組みの中で現れた悪を裁けば、ますます悪が現れて、最後の最後は自ら以外は全部悪となりて、そなた自身が身動きが取れなくなるのでござるぞ。この方がそなたらに悪を見せるのは、そなたらは自らが行き詰まらなければ、そのまま楽をしようとするからでござるぞ。そなたらが自らの外を見て、自らが悪じゃと気づけば、自らの心を掃除することができるでござろうが。そなたらは真コトを知らんから、外の悪を裁いて、自らの首を締めて居るのでござるぞ。そなたらの今のそのやり方が魔釣りでござるぞ。自らの保身(ほしん)のために外を責めて闘って、より確実に邪魔者を消すために武器を創り、挙げ句の果ては核兵器まで創りだして、自らの身が危険になると気づいたのはよいのじゃが、自らの魔釣りを忘れて居るから、またまた外を責めて闘って消そうとする堂々巡りの繰り返し。そなたらの創りだしたものは、そなたらの力ではもう二度と消すことは出来んのでござるぞ。最期にこの方が全部まとめて大掃除するのでござるから、物質の世をキレイサッパリ別の組成の世に取り替えるのでござるから、そなたらの創りだした「悪」や「危険物」はキレイさっぱり無くなるから、何も心配することはござらんぞ。そなたらのすることは、自らの身魂の掃除、つまり、心の掃除をすることだけじゃ。
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 そなたらは、自ら進んで心の掃除をせねば、外の世界の大掃除と共にそなたらもキレイさっぱり無くなってしまうのぞ。そなたらの肉体は、この方の貸しものでござるから、最後の最後はお返し頂くぞ。そなたらの申す死でござる。そなたは身魂でござるから、マコトの死と申すのは、身魂の死のことでござるぞ。そなたがこの方のものを壊したら、最期の最期はそなたの身魂を壊してゼロにして頂くのでござるぞ。そなたの身魂の死は、そなたの永遠の死を意味するのでござるぞ。そなたが、今ここから、そなたがしただけ、そなたの肉体を使って痛みや苦しみや苦労を引き受けなさるならば、そなたには身魂の死は必要ござらん。後数年、肉体を離れても、何があっても頑張りてくだされよ。そなたが永遠のイノチを得るためには、そなたがしたことをゼロに戻すことが必要でござるのぞ。宇宙も物質も肉体も食べ物も、すべてのすべてがバランスでござろうが。すべてはこの方の、神の現れでござるのぞ。調和を乱すのが悪でござるぞ。神の掟は調和でござる。調和を乱すのは掟破りでござるぞ。この方は、調和を乱せば不都合創りて気づかせて、調和に戻るようにすべてのすべてを創りてござるのぞ。そなた自らが自らの掟違反を清算できるようにしてござるのじゃ。この方の世に法律も裁判も警察も必要ござらん。そなたに不都合、不調和、苦しみが現れ来るのは、そなたが調和を乱して居るからでござるぞ。そなたが悪を裁いておるからでござるぞ。そなたが調和に戻れば、そなたには不都合はござらんぞ。
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 そなたらの世にあるものすべてのすべて、この方の仕組みが形になって居るのでござるぞ。物理学と申すのは、この方の仕組みを物質を通して学ぶ学問でござるぞ。数学も同じでござるぞ。+と-で0でござろうが。そなたが取ったら取られるのでござるぞ。取られたのではなく、ゼロに戻しただけでござるのぞ。0は零、霊、○、和、輪、環、=、話、我、調和でござるぞ。偏れば戻すのぞ。ゼロに戻って出せば来るのでござるぞ。一歩の前はゼロ歩でござるぞ。この方の仕組みはすべて肉体を通して分かるようにしてござる(型示し)から、この方の仕組みが分かったら、心の世界も同じにしてくだされよ。いつまでも肉の世だけにこだわって居るから、この方の神示を取り違い致すのでござるぞ。そなたがバランスを崩せば、そなたに返るのでござるぞ。そなたのしたことがそなたに返るのでござるぞ。最期の大掃除と申すのは、神から人まで、すべてのすべてをゼロに戻す仕組みでござるのぞ。三千世界のすべてをゼロに戻して初めから創り直すのがタテカエタテナオシでござるぞ。そなたらが偏りを持っておれば、そなたの居るところはござらんから、早う掃除をなさった方が宜しいぞ。そなたがどんな屁理屈を持ち出そうとも、そなたには何もできん。この方がすべてのすべてを産み生んだのでござるから、この方の申す通りにすることが、そなたがミロクに生き返る唯一の方法でござるぞ。天国の方法でござる。
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 そなたらは肉体を持ったままではミロクへは行かれんのでござるから、早う身魂を掃除して、死んで生き返れるように準備してくだされよ。そなたが掃除を終えれば、この方がキッチリ見取って、ミロクの服に着せ替えて差し上げるから、頑張りてくだされよ。そなたらの申す死は何の問題でもござらんぞ。ただの出来事でござる。この方の申すことが嘘じゃと申すならば、そなたの理屈をそのまま続けておれば宜しいぞ。近いうちにそなたにも分かる時が来るからな。この方はこのフミの中で同じことをしつこく申して居るが、このくらい申さんと、そなたらの魔釣りで曇ったアタマは言うことを聞かんから、そなたが死んでしまうから、この方はあらゆるものを使って、手を変え品を変え、人間のサンプルも用意して、そなたらに教えて居るのでござるぞ。この方の創りたものに「悪いもの」や「危険なもの」は一つとしてござらん。そなたらが勝手に自らに都合悪きものを創りだして、「危険じゃ」「悪じゃ」と申して居るのでござろうが。そなたらの反対する心と申すのは、闘いの心でござるぞ。自ら創り出したものに反対すると申すのは、自ら自身のしておることに反対して居るのと同じことでござるぞ。そなたの外にあるものを悪と申すのは、そなた自身を悪と申して居るのと同じことでござる。この方のやり方を悪と申して居るのと同じことでもござるのぞ。
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 そなたは、自らを危なくするものは全部悪と申して居るが、そなたを危なくして居るのはそなたの魔釣りでござるから、最大の悪はそなた自身の魔釣りでござるぞ。自らがして居ることを棚に上げて悪を裁く心は極悪でござるぞ。自らの魔釣りが創りた苦を避けて楽に走って科学技術を発達させて、病気や事故や公害を創って、自らの損害を賠償を請求するのも同じ理屈でござるぞ。そなたの損害はそなたに請求致せよ。そなたの魔釣りを真釣りに戻せと申して居るのじゃ。そなたらは、自らが危険だからと申して、何でもかんでも戦争や核に反対して居るが、元々は、そなたらのその闘う心が創り出したものでござるのぞ。そなたらの魔釣りを真釣りに戻さねば、闘いがますます激しくなるぞ。そなたらが不調和創って壊しただけそなたらの肉体を通して、そなたらの痛みとして返して居るのでござるぞ。元々は調和の世でござるから、現(こ)の世には何の偏りも、何の不都合も、何の問題もござらん。そなたが調和を乱したから、そなたが乱れるのでござるぞ。そなたが外にしたことをそなたがされて全体のバランスが取れるのでござろうが。そなたが内を乱せばそなたの外を乱すことになるのでござるぞ。そなたが内を乱せば外に形にして教えて内を修正出来るようにしてあるからでござる。
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 そなたが内を壊すからそなたの外が壊れるのでござるのぞ。そなたが外を変えようとすれば、ますます外が壊れるのでござるぞ。そなたがそなたの加害者でござるぞ。この方は、そなたらが何もせんのに毒を創りだしたり天変地異を起こしたりは致さん。そなたらは身魂でござるから、そなたが真釣りに生きて居れば、そなたには何の被害も危険も恐れも不都合もござらんぞ。そなたに被害や危険や恐れや不都合がござるのは、そなたが魔釣りを生きて居る証でござる。こ度の大掃除も天変地異もそなたらが創り出したものでござることは、これで明白でござろうが。そなたらが初めから真釣りに居れば、ミロクへの大掃除は必要無きものでござったのぞ。この方を恨むのは筋違いでござるぞ。この方を、神や仏を恨むその心が魔釣りでござるぞ。そなたがそなたの危険を創りだした原因でござるのぞ。そなたの肉体の危険はそなたの身魂の危険ではござらん。そなたらの形はそなたらの心を見せて居るのでござるから、そなたの見ておる形の因はそなたの心でござるぞ。そなたの外に悪が見えるならば、悪はそなたの内にござるのぞ。そなたらが申す被害や危険や損害はそなた自らの魔釣りが原因でござるから、すべてそなた自身が招いたものでござるのぞ。そなたの外には何の悪も危険もござらんから、改めてお知らせしておくぞ。

 地にある資源も、資源から創りだされたすべてのモノも、そなたらの肉体も、すべてこの方が貸し与えたものでござるから、「自分のもの」と申すものは一つもないから、勘違いなさるでないぞ。そなたの「被害」の加害者と申すのは、魔釣りを外したそなた自身でござるのぞ。そなたらは全員一人残らず、至善を壊した加害者じゃ。マコトの被害者と申すのは、この方一人でござるのぞ。そなたらは、被害じゃ、災害じゃ、損得じゃ等と好き勝手なことを申して、取られたやられた傷つけられたと大騒ぎして、他人や会社や国や神の責任追及や損害賠償請求をしてござるが、そなたが危険な状況になるのは、そなたが被害を受けるのは、そなたが病気や怪我をするのは、そなたが事故に遭うのは、そなた自身の魔釣りが原因でござるのぞ。そなたが魔釣りをして居るから、自らが不自由になるのでござろうが。自らのことだけを考えて、自らの利便だけを追求して、科学なるものを発展させて来て、その結果として、そなたらが身の危険を感じるようなものを自ら創りだしてしまったのではござらぬか。戦争や犯罪や武器や毒や病気や事故や悩みと申すのは、そなたら一人一人がして来た魔釣りの結果でござるのぞ。一人一人に責任がござるのじゃ。自ら以外を責めると申すのは、いかなることでござるのか。自らのしたことを自ら以外の責任に致すとは、迷惑な話ではござらんか。そなたは、人に対して、迷惑じゃ等と申すが、お互い様でござるのぞ。人を邪魔だと申すそなたが邪魔者でござるぞ。自らの責任が取れん身魂はミロクの民にはなれんから、その積もりで取り組んでくだされよ。
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 そなたらが囚われて居る魔釣りの神と申すのは、破壊や痛みや苦しみや行き詰まりの状況をそなたらに渡して、そなたらの我(われ)善しの悪の心をそなたらの外に形にして、真釣りを外したそなたらを元の真釣りに戻すためにご苦労致しておられる、この方が産み生んだ尊き御役の神でござるのぞ。そなたらの生まれ落ちた世界には、悪と申すものは一つとしてござらんぞ。そなたらの世界と申すのは、そなたらの心の通りの神がつき、眼に見えるものも見えないものも、この方の創りたあらゆる自然を材料にして、人間の肉の身を通して、そなたらの心の通りの形に成して居る世界でござるぞ。そなたらが魔釣りの神と繋がれば、そなたらの世は魔釣りの世と成るのは当然のことではござらぬか。外のシステムをどんなに変えようとも、そなたら一人一人の心の有り様(よう)を真釣りに戻さねば、天国を創ることなど永遠に不可能なことでござるのぞ。そなたらが今のまま魔釣りの世を続ければ、末はすべてが滅ぶのでござるぞ。最期の最期、世が滅ぶ寸前にこの方がどんでん返しをお見せして、見事にミロクの世に致すから心配はござらんが、そなたに掃除がござらねば、そなたの居る場所はござらんから、そなたは現(こ)の世もろとも消え去るから、その積もりで掃除に励んでくだされよ。そなたらの外に見えて居るものは、そなたら一人一人の心の姿でござるのぞ。そなたらの身魂の態度、身魂の生き方でござるのぞ。そなたらの内に悪の心がござらねば、そなたらが悪を演じなければ、外の悪は形にならぬのじゃ。そなたらが外の悪を悪と申せば、魔釣りの神を悪の神と申して居るのと同じでござるのぞ。自らが悪であることを白状して居るのと同じことじゃ。
P77
 そなたが自らを正しいと申せば、外が悪じゃと申して居るのと同じでござるぞ。この方が不調和の神じゃと申して居るのと同じでござる。この方が調和乱す悪の神ならば、そなた自身も悪の身魂でござるぞ。自らを正しいと申すのは矛盾して居るとは思わぬか。そなたらは元々神成る身魂でござるから、そなたらの元の元の肝心のところはこの方がマ釣って居るから、そなたらの想いなすことは何でも形になるのでござるぞ。魔釣りでも真釣りでもどちらでもそなたらの想い通りに形になるのでござる。そなたらが魔釣りの心で事を為せば、魔釣りの神が魔釣り来て、破壊の仕組みを進めることになるのでござる。そなたらは元々、善の真釣りの身魂でござるから、悪が外に見えれば、善くしようとなさるから、この方は魔釣りの神を産み生んで、そなたらの内の魔釣りを外に見せ、真釣りに戻させる仕組みを構えたのじゃ。自らを真釣りに戻す魔釣りの仕組みで現れた悪を自らを滅ぼす悪魔と取り違え、悪を排除し、悪と戦って、ますます魔釣りを進めて居るのに気づいて居るか。そなたらが悪と闘えば闘うほど悪が現れるのでござるぞ。悪を法律で制限すればするほど自らも動けなくなりて、最後は自らが自らの首を締めることになるのじゃぞ。
P78
 そなたらは、真釣りに戻す魔釣りの仕組みを勝手に取り違えて、自らが創りだした悪を排除し、苦を避け、楽な方、楽な方へと進み来て、逃げた積もりになって安心してなさるが、そなたらの創りだした悪や苦は一つも無くなってはおらんぞ。そればかりか、危険じゃ、迷惑じゃ等と申して、悪や苦を排除して、ますます悪や苦を創りて、創りた悪や苦をまたまた排除して、最後の最後は自分以外は悪ばかりとなる袋小路に自らで自らを追い詰める堂々巡りに嵌まって居ることに気づいておるか。最後の最後は自らの首を締めることになるとも知らず、末はすべてが滅びるアヤマチ教の熱心な信者となりて、もがけばもがくほど泥沼と化し、やればやるほど壊れ行く、永遠に出られない地獄の箱の中で苦しんで、自らの苦しみの原因が自らに有るとは気づかず、責任をなすりつけ合って、苦し紛れの共喰いをして居るのが、今今のそなたらの姿でござるのぞ。そのまま進めば、末は自らが自らを喰うことになるから、よくよくご注意申しおくぞ。最後の最後には自らが自らの責任を自覚することになるが、その時ではもう遅いから、今ここで目を覚ましてくれよ。
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 真コトの神の掟と申すのは、調和でござるぞ。調和を乱すが悪ぞ。調和を乱せば、乱しただけ自らのもとに返り来て、最後は自らが自らを消すことになるのでござる。それがそなたらの世で起きておる様々な出来事の基のカラクリでござるのぞ。自らが自らの加害者でござる。自らの加害者と申すのは、世の混乱の加害者でもござるのぞ。そなたは身魂でござるから、今世だけではなく、身魂として生まれてから体験したすべての世を通しての魔釣り外しを清算せねばならんのじゃ。今世では覚えがなくとも、今ここでうまくいかんことがあるのは、そなたという身魂の魔釣りの証でござる。そなたらは全員、調和を乱す悪人でござるから、人を責める資格は一人としてござらんぞ。そうは申しても、如何に悪人とは申せ、何も知らずにおりては、この方のお子が全員滅びてしまうから、それはこの方の望みではござらんから、そなたらの申す善人も悪人も全員助かるようにしてやるから安心して宜しいぞ。このフミは、この方のお子であるそなたら全員に宛てた、そなたらの身魂を産み生んだ大元の親神からの、神から人まですべての世界、神幽現、三千世界を産み生んだ元つ真釣りの真コトの大神からの、最後の最後の真コトの助け舟、本当の本当にこれが最後の、真コトを出してアヤマチ解(ほど)く、真コトを伝える真コトのオフレ紙でござるから、ここに書いてあることを真コト素直にハイハイと聴いてくだされよ。
P80
 魔釣りの魔コトの神と申しても、悪魔ではござらんぞ。今のままではそなたらが消えてしまうから、身魂のイノチが無くなるから、ミロクの世に生き返ることは出来んから、そなたらが楽に走って調和を乱し、自らも人も滅びる道に居ることを教えるために、楽に走ったそなたらに苦を与え、内にある悪を表に見せて、一人でも多くの者が、自ら気づいて真コトに改心してくれることを願って、今の今も、叩かれても蹴られても否定されても消されても、何と言われようとも、自ら悪者となりて、自ら悪魔となりて、何も文句を申さずに、真コト黙ってご苦労されて居る、この方が産み生んだ尊き神々様でござるのぞ。そなたらは何も知らんから、何でもかんでも自らを悪くするものは悪だと思って居るから、真コトの神々様を悪魔じゃ等と申すことになるのでござるぞ。外が悪くなるのはそなたらの魔釣りが原因でござるのぞ。そなたらの、善悪分ける心のせいでござる。そなたら自身が悪魔を産む悪の根源でござるのぞ。そなたらが申す悪魔はマコトは天使でござるぞ。

 そうとは知らぬそなたらは、魔釣りに釣られたそなたらは、元つ真釣りの何たるかをキレイサッパリと忘れ、外に見える苦を避けて、厄を祓って不幸を避けて、悪を裁いて封じ込め、怖いものには蓋(ふた)をして、見て見ぬふりを決め込んで、我(われ)は悪いことはしておらん等と申して、それが魔釣りの証とも知らず、一向に改心の気配なし。それどころか、悪が自らの内にあるとも気づかず、善人を気取って、平気で悪を責め、悪を排除し、悪を避け、少しでも早く苦から逃れんと、苦労をせずに楽に成ろうと、アレコレと策略を巡らして、楽なもの便利なものへと進み行き、ますます悪の世を進めるばかりでござる。今今の世には、悪を潰して善を創れる、戦争を批判して平和を創れると思っておる大タワケ者ばかりがウヨウヨしておるぞ。真コトを知らぬ大アホばかりでござるから、悪を裁くが善である等と申す者のタワケタ教えに見事に騙され踊らされ、人も自分も世界も消え行く魔釣りの世をどんどん進めることになるのじゃ。そなたに悪を語るその者自身、真釣りを外した身魂でござるのぞ。自らも滅びる教えを説いて居るとは露とも知らず、自らが正しいと思い込んでそなたに善を語り居る、何も知らない大タワケ者でござるのぞ。そなたがその者について行けばそなたも同じでござるぞ。そなたが真釣りに居れば、そのようなタワケた戯れ言(ざれごと)は、笑い飛ばして無視出来るのでござるぞ。
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 そなたが外の者に騙されるのはそなたの魔釣りのせいでござるぞ。そなたがどうなろうとそれはそなたのしたことでござる。誰のせいでもござらんぞ。人に責任を押しつけるそなたは、自らの無智をさらけ出して居るのでござるぞ。神成る調和の身魂としては、何とも恥ずかしきことよのう。そなたらの魔釣りが作りだした相対二元の善悪で闘っても、何も答えは出んぞ。そなたらは、元の元を分かっておらんから、どんなに議論しようとも何も解結致さん。これから始まる闘いは元つ真釣りと中つ魔釣りの闘いぞ。元と中の闘いぞ。ハラとアタマの闘いぞ。中つ魔釣りの神々は、元つ真釣りのこの方が産み生んだ神々でござるのぞ。元つ最後の一厘を、綺麗サッパリ忘れて居るから、今今の混乱の世を創りだして居るのでござろうが。最後の最後はどちらが勝つかは明白でござるぞ。いい加減にアタマを下げてこの方の申す通りに素直になさるが宜しかろう。最後の最後で気づいても、もう取り返しが付かんから、そなたらが、何も見えんから信じられんと申して居る今今から、こうしてしつこくうるさく厳しく申して居るのでござるぞ。真コトの親心を分かってくだされよ。
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 この方はすべてのすべてを教えて居るのぞ。この方の言葉にウソはござらんぞ。苦を避け、悪を裁く、そなたらのその善人心が危ういぞ。真コトはこの方の言葉にあるのぞ。今の今もこの方はそなたら一人一人の心に語りかけておるのじゃ。そなたは身魂でござるから、そなたの心がそなた自身でござるのぞ。肉の身が無くなったら心も精神も魂も無くなるのじゃ等とタワケタことを申す者達が、科学と申す迷信にとらわれ、この方の申すことを迷信と断じて、神など居らん等と申して、今の世の混乱を進め来たのでござるぞ。そなたら一人一人が真釣りに居れば、外の者が何と申しても、そなたは何一つ惑わされることは無いのでござるぞ。迷信とは迷神なり。神が居らんと申すから混乱して居るのでござるぞ。そなたが自らの言葉を裁くから外の悪に惑わされることになるのでござるぞ。そなたの内の素直な心はこの方そのものでござるのぞ。そなたの素直な心をそのまま動いて、形が壊れたとしても、それはそれでそなたのメグリが取れたのじゃ。相手のメグリが取れたのじゃ。物を壊すのが悪ではござらんぞ。人を殺すのが悪ではござらんぞ。だからと申して、人を殺してもよいのじゃと申すのは屁理屈と申すもの。自らが原因でござるから、人を殺すのはオカシキことじゃ。そのような結果を創りだしたそなたら一人一人の、調和を乱す心が悪でござるのぞ。
P83
 そなたらは、故意と過失の違いは分かるでござろうが。故意に壊して過失じゃと申してもこの方には通用せんぞ。この方は、人間の裁判官のように、過失で壊したものを故意とは申さんぞ。この方がキッチリ見ておるから、悪くなるのを、壊れるのを恐れずに、自らの心を素直に生きてくだされよ。悪くなって善くなる仕組み、壊して創る仕組みでござるぞ。この方は、最後の最後はすべてのすべてを壊して、大掃除するのでござるが、勘違いなさらんでくだされよ。そなたらが身魂の掃除をなされば、肉の世の大掃除など、そなたには何の関係も無きことでござるのぞ。そなたが身魂の掃除なければ、そなただけが醜き様になるのでござるぞ。元からある調和を壊して居るのはそなたらでござるぞ。調和を壊せば不調和が現れて、調和に戻せとお知らせするのがこの方の仕組みでござる。外の悪は内の悪。外は内の鏡でござる。人は自分の映しでござる。彼(か)我身(がみ)でござる。そなたが我を取れば神(化身、彼身)となるのでござるぞ。自らの悪の心が創った苦を避けるとはいかなることか。自らの内にある悪を映すための外の悪を裁くとはいかなることか。そなた自身が調和を乱した張本人でござるのぞ。外を裁くその態度がそなたが責任を取っておらん証でござるぞ。我(われ)は悪くない等と申すそなたが悪いのぞ。そなたは我(われ)善しでござるぞ。自分の苦を自分以外のせいにしておるぞ。そなたに悪なければそなたには苦はない仕組みぞ。調和に生きる者に不調和あるのはオカシキことぞ。不調和あるのはそなたの不調和の証でござるぞ。そなたは神を裁いておるぞ。そなたはそなた自身を裁いておるぞ。真コト裁いておるのぞ。真コトがますます遠のくぞ。そなたはいったい何をして居るのじゃ。
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 天国を求めておるのに地獄を進めてどうするのじゃ。そなたらはまんまと魔釣りの仕組みにはまって居るぞ。そなたは天国への道じゃと申して居るが、アベコベでござるぞ。今、目の前に見えて居る風景にだまされるでないぞ。茨の道は天国でも地獄でもござらんぞ。楽な道は天国でも地獄でもござらんぞ。見た目で決めるなと申してあろう。宗教が悪じゃと申して何でもかんでも宗教と申すものを避ければマコトの宗教も避けることになるぞ。楽が善くないと申して苦をわざわざ選ぶ必要もござらんぞ。うまくいっておる時には何も疑う必要はござらんぞ。天国地獄は最後に見えるのぞ。そなたの心が天国に案内してくれるぞ。今のそなたはそなた自身を地獄に引っ張って居るのぞ。そなたらは、一度魔釣りに走れば、相対二元の善悪に入れば、調和を乱せば、悪を裁き始めれば、自らだけ楽をしようと始めれば、その瞬間から滅びの道を駆け降りるのでござるぞ。真釣りを外して調和を乱す者は滅びる定めでござるのぞ。そのまま許せば地獄の世となるからぞ。されども、そのまま消してしまっては、この方の生んだ神の血筋が絶えてしまうから、自らの御子を殺すには忍びないから、それでは可哀想なから、自ら改心致す機会を与えておるのでござるのぞ。調和の世に悪の身魂出(いで)来れば、悪を表に出して自らの内に悪があることを教え、改心致せば真釣りに戻す仕組みでござる。そなたに悪が見えるは、そなたの悪の映しでござるぞ。善には悪、楽には苦をもって知らせねば、永遠に改心できん。自らが善人だと申す者は、言葉で申しても、自らが悪人であることを認めんから、苦でお知らせするのでござる。
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 そなたらが善人で居られるのもあと少しの間ぞ。善人で居れば居るほど苦しくなっていくから、覚悟いたせよ。そなたが善人でござれば、そなたの外は悪人ということになる。そなたの外が悪であると申すそなたは、自らの真釣り外しを白状しておるのを知り居るか。自らが犯罪を犯して居るのを自供しておるのでござるぞ。そなたの外に悪があるのはそなたの内の悪の証ぞ。そなたが悪を裁いて居るのはそなたが悪を持ちたるからぞ。そなたが悪人を裁くのは、そなたが悪を持ちたる証でござるから、そなたが調和を乱す悪人でござるのぞ。悪人の仲間入りを避けるのが、そなたらの善悪で申す善人の性でござるから、一度善人だと思い込めば最後、悪人にならないようにアレコレと屁理屈を申して策略を致すから、善人を改心させるが一番難しいのでござる。そなたが何と申そうとも、この方から見ればすべて丸見えでござるのぞ。相対二元の善悪教の信者は誤魔化せても、この方は誤魔化せんぞ。自らが自らに騙されて居るのをご存じか。この方とそなたは善悪の基準が違うのでござるぞ。調和乱すが悪ぞ。
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 この方の産み生んだ身魂に善も悪もござらん。そなたらは、真釣りを忘れて魔釣りの常識を当たり前のものとして平然として生きて居るから、真釣りを悪と申して排除することになるのぞ。マコトの善を知らんから、至善を知らんから、自らがして居ることにちっとも気づかんのでござる。善悪に分けた善人は、調和を乱す「悪人」でござるのぞ。そなたらの善と悪との戦いは、『悪人』が悪人を裁く、悪人同志の勧善懲悪の茶番劇でござる。そんなことではいつまでたってもマコトの調和は創れんぞ。調和は創るものにあらず。元からあるものぞ。そなたが分けるから壊れたのでござる。不調和やめれば調和に戻るぞ。元つ真釣りのこの方が産み有無ものには、調和しかござらん。そなたらは皆、元々、善人(全人)でござるのぞ。善人でござるから相対二元の善人が自らのマコトの姿であると思い込めるのでござる。一度自らが善人だと思い込めば、改心はなかなか難しいぞ。この方の申すことを悪じゃと申すそなたは、見事に偽の善人と化して居るぞ。真の善人は、悪は語らんぞ。悪は裁かんぞ。この方の申すことに抵抗は致さんぞ。分からんことなど何もないぞ。分からんことがある者は、この方の申すことを疑う者は、偽の善人である証でござる。自らのしておることをよく見やれよ。そなたはそなたの姿を自ら白状しておるぞ。

 善悪二元の世界では調和はござらんぞ。そなたらは、元の元の始源の時、そなたの身魂が初めて現(こ)の世に生まれたその時は、この方と共にありたのぞ。そなたらは、目の前の物に目が眩み、身欲に囚われしその瞬間から、魔釣りに走って善悪創り、調和のものを分けに分ける破壊の歴史を歩き始めたのでござるぞ。調和を乱したその時から、今までずっと絶えることなく人類の戦いの歴史が続いて居るのでござるぞ。魔釣りのままで悪を排除しても戦いは消えんぞ。元の魔釣りを真釣りに戻さねば、戦いは無くならんのぞ。平和を願い、核兵器を無くそうとする者が、戦いをしておりては、戦争も軍隊も無くならんぞ。簡単な道理ではないか。そなたらの今今は、平和でも天国でもござらんぞ。形の冷戦を終わらせた積もりで、身魂の霊戦がますます激しくなりておるのぞ。そなたらのココロの葛藤、犯罪、病気、事故が増えて居るのがその証ぞ。そなたらの魔釣りが進めば、外の不調和、不都合がますます激しくなるのでござるぞ。そなたが、平和や調和や自由や天国を求めても、元の元が違って居るからいくらやっても思いのままにいかんのじゃ。この方の申すことが真コトでござるぞ。戦いの素は善悪分離する心でござるぞ。戦えば魔コトのままぞ。調和の世に戦いがあるはオカシキことでござるのぞ。外に戦いあるのは戦いの心があるからぞ。『魔釣りは滅び』が神の掟。そのままではすべてが滅びてしまうから、元に戻せ、真釣りに戻れと教えるために、至善に悪が出(いで)来て、お知らせする仕組みを構えありたのでござるぞ。魔釣りを教える外の悪、裁けば魔釣りが進むだけぞ。
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 本来なれば、魔釣りに走れば即滅び、魔釣りの身魂はこの世におられんのでござるが、今の今までそなたらが真釣りを外す掟破りを続けて来られたのは、ミロク世開くこ度までに、何とか真釣りに戻ってくれよ、自ら気づいて改心致してくれよ、と申す、自らの子を助けたい、自らの子と共にミロクを創りたい親神の、子を思う親心、子を信じる親心、至誠至愛の大神様の大情けでござるのぞ。この方がすべてやっては、そなたらの為にはならんから、そなたらが自立出来んから、この方は耐えに耐えて、そなたらに苦を与え、悪を見せ、手を出したいのを我慢して、そなたらを見守って来たのでござるぞ。危ないから善くないからとすぐに手を出す口を出すそなたらの親とはわけが違うぞ。真コトの愛と申すのは、何があっても黙って見ておることぞ。肉の身傷ついても魂傷つかず。肉の身死んでも魂死なず。そなたの身魂には危険も失敗も死も何もござらんぞ。人が人をやめさせる理由は何もござらん。すべて取り違いの善悪の我(われ)善しの屁理屈の結果でござる。自立の邪魔はやめなされ。いつまでも我(われ)善し、利己主義、外道(げどう)の善人をして居らずに、善悪の争いをして居らずに、我を張って居らずに、善悪教の信者をして居らずに、元の身魂の親神の真コトの親心を悟ってくだされよ。そなたらはいったいいつになったらこの方との約束を思い出してくれるのじゃ。時(トキ)来たったら、一緒にミロクを創ると申したではないか。我(われ)はそんなことは申しておらん、と申す聞き分けのないお子は、もういらぬ。人生最期の地獄のパーティー、心ゆくまで堪能するがよいぞ。この方の真コトの親心が分かった者は、今の今から真コト素直にこの方の申す通りに生きてくだされよ。
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 この方はそなたらとミロクの世界を天国を共に創るのが願いでござるのぞ。親子そろって嬉し嬉しの世で暮らすのがこの方の望みでござるのぞ。そなたらもこの方も嬉し嬉しの世でござるぞ。今今も、そなたらが真釣りに戻れば善悪などないことが分かるぞ。今の今も悪はござらん。真釣りの者はミロクが体験できるのぞ。されども、真コトのミロクは物質の世にあらず。真コトの形も真コトの者もすべてのすべては一旦お召し上げでござる。全員仮死の状態に致して身魂磨けた者だけを真コトのミロク世に生き返らせる仕組みでござるぞ。今の肉身のままではミロクはござらん。今の物質の世ではミロクは出来申さん。今の身のまま、今の物質の世のままでミロクが出来ると思って居る大タワケ者は早々に改心致せよ。身を入れ換えて生きる仕組みぞ。一度死んで再び生き変える仕組み、心(神、真、新)で生きる仕組みぞ。生きどおしの魂を磨いた者だけが、真釣りに戻った者だけが、次の世の民となるのでござる。死を避けて天国あると思うなよ。魔釣りで壊しただけ自らの身を以って償うのでござるぞ。そなたの身はこの方の貸し与えた服でござる。そなたのものではござらんぞ。ゆめ取り違えなさらんでくだされよ。そなたの身魂の穢れ相応に痛み苦しんで掟違反を清算するのぞ。すべてのすべてはそなたのしたこと、神にも人にも社会にも、そなた以外の誰にも責任はござらんぞ。

 この方は調和の世界にそなたらを生み出したのでござるぞ。自らが創りた調和の世界を壊す、掟破りの犯罪人を許すのは、わが子を思う親神の情けでござるのぞ。そなたらは自らの安定を壊そうとする者、自らの所有物を取ろうとする者、自らの幸せを壊そうとする者を排除するでござろうが。法律違反の悪人は締め上げて罪を認めさせて罰を与えるでござろうが。この方はそんなことは致しておらんぞ。そなたらが、自ら改心することを願って、苦を与えてお知らせして、改心してくれようがくれまいが、手を出したいところを辛抱して、酷いことになりてもただただ耐えて、見守っておるのでござるぞ。そうはいっても、いつまでも真釣り外しの身魂に現(こ)の世を任せておりては、神の創りた世が壊れてしまうから、元の初発の泥に戻さなならんようになるから、その前のギリギリの所でこの方が大掃除を致す仕組みを用意してござるのぞ。最後の最後は真釣り外しの身魂もろとも魔釣りの世を大掃除することになって居るから、早く改心してくれよ。親に子を殺させるような真似はさせんでくだされよ。いきなりやってはそなたらが気の毒ざから、今の今のこの時期から、信じられんと申す時から、そなたらに分かるようにお知らせして居るのでござるぞ。素直になってゼロからやり直してくだされよ。イチからでは魔釣りぞ。ゼロからぞ。一歩を踏み出す前にゼロ、0、霊になれよ。このフミ読んで○、和を知れよ。
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 そなたらの善悪は相対二元の善悪でござるぞ。善は悪を見て、悪は善を見て居るぞ。善は悪になり、悪は善になる。永遠に調和に至れぬ。戦いの終わらぬ、自称善人が他称悪人を倒す、滅びに至る地獄のドラマでござるぞ。この方の産み生んだ、元は一つの調和の世界を善と悪に分離したら、調和が壊れるのが道理。一点でも悪あれば、一厘でも悪あれば、○・一%でも曇りあれば、もう調和ではござらんぞ。善と悪、神と人、宗教と科学、加害者と被害者、戦争と平和、損と得等々に分けて、何でもかんでも対立して居るのがその証。分けたら一つにならんという簡単な道理にも気づかず、既に調和を乱して居るのも気づかず、何千年にも渡って平和を守る戦争をして居ることを知り居るか。どちらが悪いとか申すそなたらの遊びは、地獄の遊びでござるのぞ。平和を求めて戦いをして居るぞ。戦争に反対するそなたが戦争をして居るのぞ。抗議する、反対するその心を掃除致せよ。簡単な道理分からずに、天国はないぞ。戦争を悪と申すそなたが戦争を創りだした犯人でござるぞ。善人気取りはそろそろやめにして、いい加減に目を覚ましてくだされよ。そなたがどんなに善人を演じようとも、この方にはすべて丸見えの臭き極悪人でござるぞ。
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 調和が善、調和乱すが悪ぞ。そなたらのして居る善悪の争いは、善人も悪人も、相対二元の世界だけでの平面の善悪交換試合の事でござる。元々一つでござるから善と悪に分けられるのでござるぞ。この方が調和乱す悪を許しておらねば、悪は形には成り申さん。調和乱せば滅びでござる。黙って居れば全員滅びるから、悪を形にして見せて、改心の機会を創って差し上げて居るのでござるぞ。最後の最後のギリギリのところで見事にグレンと引っ繰り返して魔釣りの世は大掃除するから、悪が幾ら形になろうと、この方には何の影響も無きことでござる。改心致さぬ者だけが、掟通りに魔釣りの世と共にそのまま消え去るだけでござる。すべてはそなたらのためにして居ることぞ。そなたが裁いている悪はこの方が許してあるものでござるぞ。悪を形にするのは悪魔じゃと申す者、そなたが心に悪魔を創り出すのもこの方は許して居るのぞ。この方が許さんものはそなたの心には出ては来んぞ。そなたの外にも出ては来んぞ。そなたが悪を見て居るのはこの方が悪を許しあるからぞ。この方が許しあるものをそなたらは何故に裁いて居るのか。神が先で人が後、この方無くしてそなたらは無いのでござるぞ。親が先で子が後、親を否定してそなたら子がないのと同じぞ。そなたらの身魂の親はこの方でござる。この方の許しあるものをそなたらが裁けば、親に反抗して居ることになるのぞ。そなたがこの方を裁いて居ることになるのぞ。この方を裁けば、そなたは自らの元を裁いて居る。そなたの親を裁いておるのぞ。そなたがそなたの元を否定しては、そなたは居らんのぞ。元の元の元の親の申す通りにすることが、真コトの天国を創るただ一つの方法でござるぞ。この方はそなたらのイノチの元をつかむ元つ神。
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 そなたの親が悪魔じゃと申すなら、そなたは悪魔の子ではござらぬか。自らは善人だと申す者、そなたは悪人でござるぞ。善と悪が戦って居るならば、調和の世界を二分して戦争をして居るのでござるぞ。元の始めの調和を壊しておいて、我(われ)は善人なり等と申すとは何事でござるか。善人も悪人も同じ穴のムジナでござるのぞ。善悪を議論する者、そなたの内に悪あるぞ。そなたの内に悪あれば、そなたは調和を乱して居るのぞ。この道理分かれば議論も裁きもできなくなるぞ。いつまでも外道の善人を気取っておりて、調和を乱し続けるでないぞ。反論、反対、抗議、説教、禁止、制止、取締り、制裁、懲罰、処分、しつけ、指導管理云々と申して、外道の善に囚われて居るそなたらは、相対二元の善悪を教え込む教育をして居るそなたらは、相対二元の善悪で悪を裁いて自由を奪うそなたらは、調和の世を壊す方法を善じゃと申し、調和を創る善を悪と申して排除なさって居るのでござるぞ。そなたら全員、元の調和を壊す相対二元の善宗(善悪教)の臭き信者でござるのじゃ。我(われ)は無神論者なり、我(われ)は宗教には興味はござらん等と平気で申す者こそ、真コトを知らぬアヤマ知教の立派な信奉者でござるのぞ。無神論とは無心論のことにてござるのぞ。そなたには心はござらんのか。そなたの心の通りの神つくのでござるぞ。そなたがどの神を選ぶかでそなたの体験が決まるのでござるぞ。神など居らんと申すそなたは、そなた勝手な神を創りて居る「自分教」の教祖でござるぞ。無神論者と申す者こそ、自ら創りた宗教を心から信じて居る立派な信者でござるのじゃ。
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 宗教とは宗(もと)の教えのことでござる。この方の申すことが、現(こ)の世のすべてを創りだす元の教えでござるのぞ。調和が善でござるぞ。調和乱すが悪でござるぞ。そなたらの心の有り様(よう)でどんな世界も出来るのでござる。調和が元でござるから、調和乱せば不都合現れ、乱せば乱すほど不都合厳しくなりて、何が何でも調和に戻す仕組みでござるぞ。そなたらが善悪語って戦って居るならば、調和の世を乱す掟破りの集団でござるのぞ。調和を乱して居ることにそなたら自身が気づいて、善悪分ける心を掃除して、そなたら自らが戦いをやめるまでそなたらの永遠に戦いは続くぞ。このまま世が続けば永遠に続くのでござるが、最後の最後はこの方が大掃除して、元の調和に戻すのでござるから、残念ながら、あと少しで、戦いゲームをしたくても出来んようになるぞ。調和を壊すゲームをいつまでも許しておくこの方ではござらんぞ。そなたらが気づかぬ内に、突然、現(こ)の世の終わりが来るぞ。内に戦いを持って居る者達は、現(こ)の世の終わりと共に、マコトの終わりとなるのじゃ。新しき世は調和の身魂だけしか行かれん天国の世でござるからな。今今のそなたらのして居ることはアベコベでござるぞ。悪の世の悪人と悪人の共喰いでござる。最後は我(われ)が我(われ)を喰うことになるぞ。そなたの身魂のイノチが永遠に消え去るぞ。元々あるものを壊し続けて居ることに早う気付けよ。
P94
 そなたらは、自ら滅ぶ魔釣りをいつまで続けるお積もりか。末は滅ぶ悪の中の戯れ言をいつまで申すお積もりか。いつまでやっても調和も平和も天国も自由も平等も公平もござらんぞ。そなたらは自らが消える滅びの坂道を下って居るのでござるぞ。上り坂に見えるのは、そなたらの曇った眼(まなこ)が創りだす幻想でござる。今の世のそなたらがして居ることは、この方の大きな目から見れば、すべてのすべてが、善悪創って至善を壊す、調和を乱す悪でござるぞ。魔釣りで壊したものを魔釣りで繕っても元の真釣りには戻らんぞ。魔釣りで魔釣りを魔釣り縫い、ますます魔釣りを進め行く。魔釣りで魔釣りの綻(ほころ)びを縫っても真釣りに戻れぬぞ。最後の最後に気づいても、もう掛け違えたボタンを元に戻すことはできんぞ。今ここでこの方が、ボタンを掛け違えて居るぞとお教え致して居るのでござるから、素直に掛け直してくだされよ。今今のそなたらは生きる元がアベコベでござるのぞ。今のままでは滅びの坂道ぞ。早う真釣りに戻ってくだされよ。そなたの内の戦いをやめなされ。この方はすべて許して居るぞ。罪悪感はいらんぞ。そなたの心を素直に生きれば、それが真釣りでござるのぞ。真釣りかどうかを問うのは魔釣りでござるぞ。いいのかどうかと問うから、善くないぞと申す魔釣りの者に引っ掛かるのでござるぞ。そなたが原因でそなたが騙されておるのぞ。誰のせいでもないぞ。そのまま行けばそなたにはミロクはないぞ。ミロクの出口は潰れておるぞ。嘘じゃと申す者は、誠か嘘かの二元の戦いをして居るぞ。誠は一つ。嘘はござらん。簡単なことぞ。そなたが苦しいのはそなたがしてきた結果でござる。辛抱が、真釣りに戻す、神成る修行でござるのじゃ。
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 自分で決められることを何故にこの方に聞くのじゃ。この方に聞くのは、この方に責任を着せて居るのと同じことぞ。この方はすべてを許して居るのぞ。殺人も窃盗も強姦も横領も戦争もすべてのすべてを形にしておるぞ。そなたらがしておる真釣り外しをお知らせする為でござるから、この方のことを悪魔じゃなどと勘違いなさるなよ。そなたらの身魂は生き通しでござるのぞ。そなたの肉の身はこの方の貸しものでござるぞ。真釣りに戻れば、そなたには死はござらんぞ。そなたには危険はござらんぞ。肉の眼から見れば、死や怪我や病気と申す状態があるだけでござるぞ。そなたらが申す失敗と申すのは、そなたが思いをそなたの時間で区切った枠のその中で、そなたの計画、そなたの思った形通りにならんことでござる。そなたは身魂でござるぞ。やりつづければ成功しかないのぞ。そなたには何の危険もござらんぞ。現(こ)の世は、そなたが肉の服を来て演じて居る神芝居でござるのぞ。元は自由の世でござるのぞ。何故に他人のすることを邪魔なさるのか。何故に自らのすることを邪魔なさるのか。何故に他人の申すことを批判なさるのか。何故に起きて居らんことを理由にやめさせるのでござろうか。そなたが真釣りに居れば、そなたには死も危険もござらんぞ。魔釣りに居れば、どんなにさけても危険が来るぞ。肉体から見れば危険になるが、身魂には死はござらん。自らの真釣り外しの清算でござるから、避ければ魔釣りが進むだけでござる。人が人のすることを邪魔する理由は一つとしてござらんぞ。そなた自らの勝手なご都合で、そなた自らの勝手な理屈で、人の掃除の邪魔をするのはやめなされよ。
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 そなたが肉の身でどうなろうと、そなたはこの方の中でござる。そなたらは何を以って悪と申しておるのか。悪と申して、悪を裁くから自由も天国も無くなったのでござるぞ。自立する者に不都合が出るのは当たり前。自ら決めたことを自らの責任で行ってみよ。それがミロクの民の生き方でござるぞ。自ら以外の責任にしないと申すことぞ。自らの内を判断致すなと申して居るのぞ。結果がどうなろうとそなたの思うままに生きてみなされ。そなたに善悪なければ、できないと申すセリフはそなたにはござらんぞ。ここでできない身魂はミロクの民としては失格でござるぞ。人間とはヒトになる間の身魂のことでござるから、そなたらは人間失格でござるぞ。掟を乱す犯罪人の説教を聞く者はもうだれも居らんぞ。犯罪人同士の足の引っ張り合いの茶番劇はもうやめなされ。調和を乱して居る者が、調和を乱す者を裁いてもただの戯れ言でござるぞ。調和を乱すと申しても、そなたらの思って居る調和とは違うぞ。そなたらは、調和を乱した今の世で、恐れや弱みをつっつき合って、脅し合って、コントロールし合って、制限し合って、自らだけが安定しようと、自分だけ善しで人を脅し、人の気持ちを考えると申して自分を殺して意見を言わず、人のわがままに合わせて混乱を避けた積もりになって、善悪の世界だけの表向きの調和や平和を創り出して居るだけでござるぞ。人を説得するのも、人の説得を受け入れるのも、コントロールゲームでござる。脅す方も脅される方も同じゲームをして居るだけぞ。我(われ)善しの、調和を乱した世をますます進めるだけでござるぞ。お互い様でござる。自業自得でござる。どっが悪いかと申すなら、両方悪いのでござる。お互いに自ら自身のせいでござるから、今の世でも責任転嫁や争いがあるのはオカシキことでござるのぞ。自らの真釣り外しを知らん者ばかりであるから、今の乱れた世と成ったのぞ。自分勝手な者の気持ちを考えて自らの正直な気持ちを言わぬなら、自分勝手の世を許すことになるぞ。
P97
 自分を殺して人を立てるのは調和ではござらん。人を殺して自らを立てるのも調和ではござらん。自分も人も立てるのが調和でござる。自分も人もうまくいくのが天国でござるのぞ。そんなことができるわけはござらん等と申すそなたは、不調和の身魂でござる。善悪二元のそなたの眼では調和の神のミロクは見えんぞ。その態度を改めて行動せよ。そなたらは戦争を反対して居るが、武器を使わずとも、喧嘩をせずとも、内の葛藤が戦争そのものでござるのぞ。そなたらの内の戦いが口論、喧嘩、武器、軍隊、核兵器を創り出して居る元ぞ。そなたら一人一人の内の葛藤が外の戦争の素でござるのぞ。外の戦争の被害者と申す者は一人としてござらんぞ。全員が加害者でござる。自らが自らの加害者でござるのじゃ。戦争をして居る者を責める資格はござらんぞ。戦争犯罪人を裁く資格はござらんぞ。悪を裁くことが悪でござるから、悪人が悪人を裁いても無効でござる。ただの遊びでござる。善悪の法律には何の根拠もござらんぞ。そなたらは、人生はサバイバルじゃ等と申して、何でもかんでも戦って、勝手に自らを苦しめて居るのでござるぞ。この方から見れば、そなたら自らわざわざ戒律を創って、制限を創って、枠を嵌めて、苦し苦しの遊びをしておいて、自由にならんと申して戦いを挑み、自らが創りだした一人芝居の戦争の責任を人になすりつけて居る、大アホ集団の茶番劇でござるぞ。戦って居るから戦いが無くならんのでござるぞ。調和を乱す者は最後に勝手に潰れるから、そなたらがわざわざ戦って潰さんでも宜しいぞ。戦争を無くしたいならば、そなたの内の戦争をやめなされ。
P98
 相対二元の世界で人の上に立とうとする、人に勝とうとする、頂点を目指そうとするその心が、我(われ)善し自分だけ勝手の、調和を乱す基でござる。自からが生きる、安定する、生き残るためには人を落とす、負かす、消す必要があると申すのは、そなたが戦いのシナリオを生きておる証でござるぞ。戦争に反対するのはそなたが戦いをして居る証、戦争をやめさせれば平和になると思って居る、臭き悪魔の心でござるぞ。最後はそなたが滅びるぞ。人を落として上に立つ世界では全員が一番にはなれん。たとえ世界を征服しても、そなたの征服したその世界は後わずかで大掃除でござる。そなたが手に入れたものは、すべてこの方にお返し頂くぞ。モノカネどんなに集めても、全世界の肉の身を支配しようとも、そなたの身魂の掃除が無ければそなたはそこで消え行くぞ。枠の中の奪い合いをしておりては、いつまでたっても平和も自由も平等もござらん。一人一人の望むものを一人一人が交換で手に入れたらお互い自由でござるのぞ。今の世は奪い合いの世界、偏った世界、調和はござらん世界じゃから、このまま続けてももう元には戻らんから、最後の最後には世界を入れ替えて、始めから創り直すのぞ。今の物質の世は後少しで掃除でござるぞ。そなたが身魂を磨けば、そなたがしただけ返してくだされば、そなたの心が調和に戻れば、そなたは新しい世でゼロから天国を体験できるのでござるぞ。これからは、身魂の掃除の時間でござるぞ。いつまでも消え去るモノを集めても、そなたが消え去るだけでござるぞ。大掃除が始まるその前に、一人一人がミロクの民の態度を身につけておいてくれよ。
P99
 そなたらは、調和を乱した中で手に入れたその調和や平和を守ろうとして、調和や平和を乱すように見えるものを排除するゲームをして居るだけでござる。自らが調和や平和を乱しておいて、自らの持ち物を壊す者を責めると申すのは、いったい何を致して居るのでござろうか。自らのものなど何もないのでござるぞ。そなたの世界の元の元はこの方の産み生んだ資源、至善でござる。そなたが壊したものはすべて神のものでござるのぞ。調和を生きれば調和ができる道具にてござるぞ。そなたらが魔釣りのやり方で見事に壊した世界が今の世でござるのぞ。そなたらは、ここへ来てまで、まだ壊すと申すのか。調和だ平和だ平等だと申しても、一人一人の心の中は葛藤、戦いだらけでござろうが。人を責めて居るでござろうが。喧嘩をして居るでござろうが。悩みや病気があるでござろうが。武器を使った戦争もあるでござろうが。そのまま続けば全滅ぞ。神はその前にすべてを取り替えるから、そなたは身魂の掃除をしておけよ。掃除無き身魂はミロクには行けんぞ。
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 そなたが調和を乱すココロをもって居るから、眼で見て分かるように、葛藤や病気や戦争を形にして教えて居るのでござるぞ。そなたらが調和を乱す内の葛藤を持っておらねば、病気も戦争も形に成ることはないのでござるぞ。戦争や病気があるのは、そなたらのココロの型示しでござるのぞ。肉体を持ったそなたらは、形に見せねば気づかんでござろうが。形はそなたのココロの型ぞ。心の映しぞ。外の形を責めるは自らを、自らを責めるは神を責めることでござるのぞ。そなたが、自らは被害者でござると申すならば、自ら以外を加害者にするゲームになるでござろう。裁判所ゲームの究極は、自らが自らを滅ぼす世界丸潰れの運命が待っておるのでござるぞ。自らが損をする、壊れる、失敗するのを避けようとするそのココロが、そなたが既に調和を壊して居る証拠でござるぞ。自らが神のものを壊しておいて、自らを壊す者を裁くとは何事か。そなたがしたことが、そなたに返って来て居るだけでござるぞ。そなた以外の誰にも責任はござらんぞ。枠の中で全員が責任転嫁をすれば、最後は自分自身に返ってくるでござろうが。最後の最後はその枠を壊してしまって取り替えるのでござるから、堂々めぐりの責任転嫁ゲームは、そこまでで終わりでござる。全員が自らの責任を取る、真コトの平等でござるぞ。戦争を裁く、病気を避けるそのココロをやめることが、調和に戻す第一歩でござるぞ。そなたが調和乱した分、そなたが苦しみをもって責任をとる。+と-でゼロでござろうが。調和乱せば、偏れば、ゼロに戻すのが調和の仕組み。肉の身はこの方の貸しものでござる。肉体を自らの体じゃと申すその考えが、調和乱す基でござる。自分のものを壊された、壊したものが悪いのじゃと申すそなたのその理屈、その心が世界を壊した基でござるのぞ。
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 現(こ)の世に被害者と申す者は一人も居らん。そなた自身が悪いのでござる。そなたには外を責める資格は有り申さん。すべてのすべて、そなたがしたことがそなたに返って居るだけのことぞ。そなたがこれを認めねば、外を責めつづければ、そなたに返ってそなたが苦しみ続けるだけでござるぞ。そなたが何と申そうとも、すべてのすべてがこの法則通りに成って居るのでござるが、まだお気づきにならんのか。我(われ)は悪いことはして居らん等と申すその言葉が、調和乱した証でござる。真コトの調和と申すのは、内にも外にもただの一つの葛藤も争いもござらん。嬉し嬉しの世界のことでござるのぞ。戦争に反対するそのココロ、自分が危ないからやめさせると申すそのココロ、自分のものを壊した者を責めるそのココロ、そなたのそういうココロが世界の調和を乱して来たのでござるのぞ。いつまでも続けておっては調和も平和も自由も平等もござらん。ますます壊し続けるだけでござるのぞ。悪は至善に滅びるのぞ。滅ぼすのではござらんぞ。自らが自らを消すのでござるぞ。自らのしたことが自らに返るのでござるから、外を壊せば自らが壊れるのでござる。そなたらが世界を変えるのではござらん。この方が変えた世界にそなたが入るのでござるぞ。そなたから見れば、世界が変わるのでござるぞ。取り違いなさるでないぞ。外を操作しようとする者、悪を滅ぼそうとする者には次の世はござらんぞ。その態度が今今の乱れた世を創ったのでござるぞ。もうこれ以上壊さんでくだされよ。
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 こ度の大掃除の仕組み、ミロクを創る計画、ミロク世に至る神仕組みは、そなたらの身魂が生まれたその時からすべて出来て居ったのぞ。そなたにはどうすることもできんから夢取り違えなされるなよ。そなたが世界を変えるのではなく、そなたがこの方の世界に合わせるのぞ。この方がすべてのすべてを新たにするから、そなたらは自らの掃除をしてくれよ。自らの世界を調和に戻せよ。自らが調和に戻ればそなたはミロクに生き返れるのでござるぞ。そなたが世を直すのではなく、この方が直した世にそなたが行くのでござる。肉の服を脱いでミロクの服を着るのでござる。死して生き返る仕組みぞ。次の世紀は半霊半物の世でござるぞ。このまま変わると思ったら大きな間違いでござるぞ。取り違いして居る者、はなはだ多いぞ。不調和の身魂がこの世でミロクを創ろうとしても残念ながら無理な話でござる。この方の生き方をしたら、そんな自分勝手をしたら混乱するから善くないぞ等と申すそなたが、すでに混乱して居るのでござるぞ。善いか悪いか分ける者が混乱を創りだす素ぞ。この方の申す通りにする者を責めるそなたが、調和を乱す者にてござるのぞ。反論して、反抗して、責任転嫁をして、悪を裁いて、善悪分けて、文句を言って、やめさせて、奪い合いをしておりて、何が調和でござろうか。何が平和でござろうか。何が自由でござろうか、何が自然でござろうか。そなたらは、調和も平和も自由も自然も全部壊してきたのでござるのぞ。壊した元はそなたらの魔釣りのやり方でござるぞ。魔釣りで創りだしたものは、末は解(ほど)くもの、無くなるものばかりでござるのぞ。ホトケの世をホドケの世としたのはそなたらの神成る自覚なき魔釣りの心でござるのぞ。
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 真釣りを外せば滅びるのが神の掟でござるのぞ。神の掟と申すのは、神の中に産み生んだ、宇宙や自然や人間の掟でもござるのぞ。天国を壊す者は、自ら改心せねば、消えていく定めでござる。ルール違反は責任を取るのがそなたらの法律でござろうが。道徳、倫理でござろうが。そなたらの申す、「邪魔者は消せ」の論理でござる。調和を乱せば邪魔になるから、消えて頂くことには依存なかろうな。この方は、真釣りを外したそなたらを、本来なればその場で消える身魂を、我が子を天国に連れていきたい親心で、自ら改心してくれるのを願って、情と花の仕組みにすべてを託し、万物万象に変化してメグリ相応に苦を渡し、悪を見せ、自主的改心を願って、今まで何世にも渡って、そなたの身魂をここまで生かしてきたのでござるぞ。わが子とミロクを遊びたい、親神の情けでござる。されど、それもこれもあとわずかのことでござる。この方の創った天国を壊してきたそなたらの所業を辛抱に辛抱をして、最後の最後で改心させる、いよいよ最期の時となりたぞよ。これから先は真コト無き者はおられんようになりたから、ここでお知らせしておくぞ。
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 この方は、調和、自由、平和、天国の世界の中に、そなたらを産み生んだのでござるのぞ。現(こ)の世のことは、すべてのすべてをそなたら人間に任せたのでござる。任せたら手出し口出しせんのが真コトでござるぞ。一度任すと申したら、何があろうとギリギリの最後まで任すのが真コトでござるぞ。この方が創った調和の世、その世を壊した責任を取るのが、そなたら一人一人の成すべき役目でござる。不調和を調和に変えるのがそなたらの元のハタラキでござるのぞ。自らの魔釣りを真釣りに戻すのが神成る修行でござるのぞ。魔コトの魔釣りの神と申すのは、調和を乱すそなたらのアヤマ知を解(ほど)き、そなたらを真コトに導く御役目を担った、この方の産み生んだ神であることをお忘れくださるなよ。真コトを魔コトにして居るのはそなたら自身でござるのぞ。そなたらが魔コト魔釣りに生きて居らねば、魔コトの神々の出番は無かったのでござるぞ。悪魔を恐れるそのココロ、魔釣りでござるを知り居れよ。厄を祓うその心、悪魔の心と知り居れよ。

 この先は真コト無き者はどんどん厳しく、規則通りにビシビシと、滅びの道に居ることをハッキリ知らせて差し上げるから、そのままでは大変なことになるぞ、元の真釣りの真コトの神の力がどんなものかを、ハッキリと見せる時節になりておるのぞ。今までのように甘い心で居る身魂は、耐えられん事になるから、今ここで改心結構ぞ。真釣りを外したことを真コトにお詫びすると申すならば、今ここから即、真釣りに戻りなされよ。口だけではこの方は許さんぞ。そなたが申した通りに一〇〇%態度で示せよ。心と口と行いを寸分違わず一致させよ。今までの善悪分けるその考えを、苦楽分けるその態度を、キレイサッパリ捨てなされ。それが真釣りの大道の入口ぞ。真釣りの身魂に苦はないぞ。苦はそなたの真釣り外しの結果でござる。苦は苦として受入れよ。雨は雨じゃと濡れて行けよ。そなたが判断やめ、自由にして行動すれば、苦は苦で無くなるのでござるぞ。そなたは、この肉の身でどうなろうと生きておるのぞ。身魂がそなた自身でござるのぞ。肉体の心は身魂の態度でござる。死を恐れるその心、善悪分けるその心、苦を避けるその心、その心がそなたの永遠の死の基でござるのぞ。それがマコトに危険なことでござるのぞ。犯罪や戦争や天変地異は危険なことではござらんぞ。こ度は身魂の掃除無くしてどこに逃げても無駄でござるからそのお積もりで居られよ。身魂の掃除だけが、真コトの安全得る法ぞ。
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 この方は一つとして戒律は設けておらん。そなたは、どういう考え方をしてもよいのでござるぞ。変なものや非常識なものやオカシイものはござらんぞ。そなたが選んだものは、そなたの意志で選んだのでござるから、すべてそなたの責任でござるから、責任転嫁は一切認めんぞ。そなたには何の制限もないのでござるから、そなたが何を選ぼうが自由でござるのぞ。そなたが何でもできるのならば、そなたのしたことは、そなたの選んだ結果でござるのぞ。責任転嫁など本来ありえんことでござるのぞ。当然の結論でござろうが。責任や被害と申すものは元々ござらんから、神の世には法律はいらん。神の世には争いはないぞ。損得もないぞ。そなたが体験して居る制限の状況は、そなたのしてきた結果でござるから、不平不満を申すのはオカシキことぞ。そなたはどんな考え方でもできるのでござるから、してよいのでござるから、外に不平不満を申す必要はないのでござるぞ。そなたのものは何もないのでござるから、損害や被害はござらんぞ。そなたの制限は自らのした結果でござるから、誰にも責任はござらんぞ。今のその状況の中でそなたのできることをせよ。そなたが自由になる考え方を選んで行動せよ。この方はそなたには、何も制限は渡して居らんぞ。そなたにそれができれば抜ける手だてが見えてくるぞ。そなたがそなたに嵌めて居る制限を自由にして行動すれば、次の手だてをこの方が見せて差し上げるぞ。
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 神のバチや神の呪いや神の祟り等と申すものはござらん。魔コトの神を魔釣って居るからそなたに苦や悪が現れるのでござるぞ。不幸が悪ではござらんぞ。不幸を悪の仕業じゃと申すそなたが悪でござるのぞ。そなたが祟(たた)って居るのはそなた自身でござるぞ。そなたが魔釣りに生きるから、魔釣りの神がつくのでござるぞ。そなたが自らが悪魔を味方にしておるのぞ。自業自得でござる。神のバチを避けるそなたは真釣りを外しておるぞ。真釣りを外せば不都合出して調和に戻すが神仕組み。調和に悪はござらん。恐れもござらん。祟りやバチを恐れる心は真釣り外しの証でござるのぞ。そなたが魔釣りに居れば、悪魔も見せるぞ。悪を表に出したのは、そなたの善悪分ける心ぞ。そなたらの悪避けるココロぞ。そなたらの楽を求めるココロぞ。苦を避けようとするココロぞ。元つ真釣りのこの方のお子であるそなたらに、苦があるのはオカシキことでござるのぞ。この方は、そなたらに自由意志を与えて居るから、そなたらが、我(われ)善し、保身(ほしん)に走り、自らだけが得をしようとするのを分かって居ったから、一度魔釣りに走ったら楽を求めて苦を避けるから、自らでは改心出来んから、そのままほおっておいたら滅ぶから、魔釣りの神々にお願いして、そなたらの内にある悪を外に悪を出して教える仕組みを構えありたのぞ。そなたがうまくいかんのは、そなたが苦しいのは、そなたが辛いのは、そなたが怖いのは、神や人や社会を責めて居る、そなた自らの責任でござるのぞ。
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 この方は、何度も何度も同じようなことを繰り返すが、それは、そなたにとって真コトに誠に大切なことでござるからぞ。そなたが永遠に死ぬか、永遠のイノチを得るかの瀬戸際でござるからぞ。これを逃してはマコトのマコトにもう取り返しがつかん、そなたの身魂の人生で一度コッキリの分水嶺でござるからぞ。後になって知りたくなっても、欲しくなっても、その時にはこのフミもこの者も無くなるから、今ここから始めねば間に合わんから、今ここで聴かねばもう二度と聴けんようになるから、手を変え品を変え、しつこくうるさく厳しく申して居るのでござるぞ。今今の魔釣りのそなたらにとっては、厳しいことや苦しいこともたくさん申すが、しつこい等と申さずに、我(われ)には関係ござらん等と申さずに、この方の親心に免じて、辛抱してくだされよ。これも真釣りに戻る修行でござるぞ。そなたらは一人残らずこの方のお子でござるから、世界全員この方の信者でござるから、今今の現(こ)の世で申す善人も悪人も、日本人も外国人も、男も女も、子供も大人も、神々も人間も、天使も悪魔も、科学者も宗教家も、占い師も霊能者も予言者も、教師も生徒も、教祖も信者も、上の者も下の者も、富める者も貧しき者も、社長も社員も、王様も人民も、誰も彼も、全員、最後まで神妙に聴いてくだされよ。
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 そなたらは心配性でござるから、自分は分かるが、自分は大丈夫だが、そなたらの申す先祖や死者や障害者や赤子や胎児や文盲の者や痴呆の者や動物や植物等がどうなるのかと申すが、それはそなたには何の関係もないことでござるぞ。そなたはそなたのことだけを考えていれば宜しいぞ。そなたが他の者のことを心配してくれるのはありがたいが、そなたがアレコレと心配しても、今度ばかりはそなたにはどうすることもできん。一人一人の身魂の掃除でござるから、そなた以外の者のことは、この方とこの方の家来が引き受けるから、そなたはそなたのことだけを考えてくれれば結構ぞ。そなたが人を心配するのは、そなた自身の身の不安の裏返しでござるぞ。そなたは死んでも生きて居るから、初めから生き通しでござるから、肉の身を脱いだそなたがそなた自身でござるから、そなたの肉の身は無くなってもそなた自身には「死」はござらんから、初めてのことで怖いのは分かるが、そなたのことはこの方が善きようにしてやるから、この方が手を引いてやるから、足元を照らしてやるから、その時その時に必要なことを一つ一つ教えて差し上げるから、そんなことは信用できん等と申さずに、アレコレと今までのデーターを持ち出して屁理屈をこねずに、アタマであれこれ思案せずに、先先を案ぜずに、何も心配致さずに、何が起きようとも、ミロクが開くその瞬間まで、この方の申す通りに素直について参れよ。
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 今までのやり方はすべてアベコベでござるから、すべてのすべてを棚に上げて、この方の申す通りに、ゼロから、赤子から始めてくれよ。判断を持ち出すのは、今までのやり方が残っておる証拠でござるぞ。コントロールや判断をすれば、そなたも人も自由にはならんぞ。そなたがそなたに制限を課しているのでござるぞ。そなたがそなたを動けなくして居るのでござる。そなたが動かずに人を動かそうとすれば、そなたも人も自由ではござらんぞ。人をコントロールして自由になった積もりになっても、それはそなたの創りだしている幻想でござる。人が人をコントロールすることはできん。人が人を変えることはできん。そなたに出来るのはそなたがそなたを自由にすることだけ、そなたがそなたの内を変えることだけでござる。そなたには死はないぞ。そなたには終わりはないぞ。人間はいつかは死ぬのじゃからそんなはずはない等と申すのは、そなたの嵌めた制限でござる。そなたの今の肉の身はそなたという身魂の服でござるぞ。服を脱いでもそなたは居るぞ。今までの学や教や知に囚われて居ると、そなたが自由にならん。そなたが自由にならんと、そなたの理屈で人を操作することになるから、人も自由にならんぞ。そなたも人も共倒れになるぞ。そなたがどんな操作をしても、制限を外した者には何の効果もないぞ。そなただけが動けなくなるだけぞ。制限も恐れも持たん者を操作することはできんぞ。
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 人がそなたの申す通りに動くのは、その者が制限や恐れを持って居るからぞ。自らのセルフマインドコントロールが、人からマインドコントロールされる原因ぞ。そなたの体験はすべてそなたの責任でござる。人の体験も人の責任でござる。お互い自らの責任でござるから、責任転嫁や争いと申すゲームは本来無きものでござるのぞ。そなた自身も人も自由にしてやれよ。そなたは何でもしてよいのぞ。何でもしてよいと申せばすべてはそなたが選んで居ることぞ。そなたの体験はそなたの責任でござるぞ。罪悪感も質問も要らなくなるぞ。自分のことは自分で決められるのが真コトぞ。質問してはならんと申すわけではないが、質問はいらんということぞ。そなたの答がそなたの正解ぞ。正しい解釈と申すものはござらん。そなたが今までの知識で正常じゃ異常じゃと判断して居るだけぞ。そなたがそうして居るのでござる。そなたの外には常識も社会もござらんぞ。そなたが創った常識や社会や神を使ってそなたがそなたを制限して居るだけぞ。そなたがそなたを不自由にしておいて人に文句を申すのはいかなることか。自分勝手もいい加減に致せよ。

 そなたらは、自らの出した答を何故に判断するのか。何故に人に聞くのか。何故に宗教に聞くのか。そなたがそなたの答を疑えばそなたは分裂するぞ。今までのやり方がマチガイぞ。この方のマチガイの基準で判断したら、そなたらのして来たことは大マチガイになるぞ。そなたが判断のゲームを抜けることが、そなたも人も自由にすることになるぞ。社会のため、人のため、家族のため、神のため、そして、そなた自身のためになる真コトの方法ぞ。誰も損はせん。誰も傷つかん。そなたがしたことを悪じゃと判断しておる者が反論するだけでござるぞ。反論する者は調和を乱しておる。そなたが判断せずに行動し続けることが、その者に真コトを見せることになるぞ。その者の目を覚ますことになるぞ。そなたに反論する者にいくら言葉で説明致してもその者は受け入れんぞ。そなたはその者から見れば悪でござるから、そなたの申すことは悪でござるから、その者は何も聞かんぞ。人に証拠を見せるためではなく、そなたがそなたのために行動すれば、一つ一つ形になるから、それを人が見ることになるから、結果として人に見せることになるぞ。そなたがサンプルになるのでござるぞ。そなたが真コトを教えたければ、教えようとするのをやめてまずは自らの掃除を致せよ。そなたが真釣りに戻れば、真釣りが形に成るのでござる。真釣りを見せようとするのは魔釣りでござるぞ。霊が体に現れる、心が形に現れる、「する」のではなく「成る」のでござるぞ。そなたの心の通りにこの方が現すのでござるぞ。自分以外に責任というものはござらん。責任追及をしたり責任についてアレコレ議論したりすることは、本来はオカシキことでござるのぞ。
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 そなたが今持っている目は今までの人間の世界を基にした目にてござる。肉の眼で見えるもの、物質の状態、物質の有無をもとにして判断して居るだけでござるぞ。そなたが「ナイ」と申すものは、すべて「アル」のでござる。そなたが「認めない」「許せない」と申すものは、この方がすべて許して「アル」のでござる。そなたは、何について「認めない」「許せない」と申して居るのか。いったい何が「ナイ」のでござるか。何を基準に「認めない」「許せない」と申してござるのか。そなたが想像できるもの、議論できるもの、形に見えるもの、聞こえるもの、ココロに出せるものは、信じようが信じまいが、認めようが認めまいが、許そうが許さなかろうが、そなたが何と申そうとも、すべて必要があってこの方が許して「アル」ものでござるぞ。そなたが判断出来るものはアルのでござるぞ。そなたが考えたことを、そなたが決めた善悪で、そなたが学んだ過去のデーターで、アレコレと判断して居るだけでござるぞ。そなた以外の者が語ることや為すことを、そなたが選んだ善悪で、そなたの過去のデーターで判断して居るだけでござるぞ。神など居らんと申せるのはそなたがアルからでござるぞ。そなたはナイと申して居るものを見ておるのじゃが、そのことに気づいて居るか。そなたが神を否定すれば、そなたは居らんのでござる。そなたが居るのは神が居るからでござるぞ。
P112
 そなたの判断の基準は相対二元の善悪でござる。そなたの基準は物質の世の肉の身でござるぞ。そなた自身を肉の身だと思って居るから、肉の身の生死を基準として、善悪、危険安全、有る無し等の議論が創りだされるのでござるぞ。そなたは二つに分けることになるぞ。そなたの混乱の原因は、何でもかんでも二つに分ける、永遠に一つにならん、分かつ知でござるぞ。魔釣りの世を創る素のアヤマ知でござる。早う身魂の眼に戻ってくだされよ。身魂の眼になればそなたには何も問題はござらんぞ。そなたが出来ないと申すことがあるならば、そなたは枠の中を生きて居るぞ。そなたが、この方を忘れて、勝手に怖がって、勝手にやめて、しないだけでござるぞ。そなたが勝手に悪を裁いて居るのでござるぞ。そなたが悪と決めて居ることは、そなたは行動致さんから、形にならんぞ。そなたがうまくいかないだけでござるぞ。どんな考えも、どんな行動も、この方が許しあるから形にできるのでござるぞ。そなたらの目から見れば、時間が掛かったり、思ったように行かなかったりするが、もっと大きな眼で見なされよ。この方の目から見れば、すべては成就するのでござるぞ。そなたらは今今の魔釣りの世のように、この方を忘れてしまう仕組みをも見事に形にできるのでござるぞ。そなたらが、たとえ魔釣りの世を創りだそうとも、この方は黙って見ておるのでござるぞ。そなたが外の悪を裁くのであれば、制限するのであれば、やめさせるのであれば、自らの自由意志もそなた以外の者の自由意志も侵害して居ることになるのぞ。この方は悪も形にするのぞ。真コトの自由を知らんそなたは、そなた以外の者の語ることや為すことに口出しする資格はござらんぞ。
P113
 そなたが悪と申すものも、必要があるから形となるのでござる。そなたが「悪」を語れるならば、そなたは「悪」を持って居る。そなたは何をみて「悪」を語って居るのか。そなたの外に「悪」がござると申すが、何故に「悪」とわかるのか。そなたが「悪」を想像できなければ、そなたが「悪とは何か」を語ることはできんのぞ。そなたが許せんと申す「悪」を、自らの内に持って居るのはいかなることでござるのか。自らを許せんと申して居るのと同じことぞ。神を許せんと申して居るのと同じことぞ。外の「悪」が、どんな必要があって許しあるかは後々、存分に聞かせてやるから、このことはこ度の大掃除で避けては通れん一番大切な事でござるから、そなたらの最大の取り違いでござるから、よくよくハラに入れて置いてくだされよ。「悪」(「開(あ)く」)の仕組みが分からねば、こ度の大峠は越せんから、ツベコベと屁理屈こねて居ると、そなたの身魂の真コトのイノチが無くなるから、ツベコベ申す者は悪の仕組みが分かっておらんことを白状して居ることになるから、その積もりで、この方の申すことを素直に取りなされ。このフミを読んで居るそなたらは「善」と「悪」を持っておるぞ。そなたが善悪の議論をして居る時、そなた以外の者の申すことを批判して居る時、そなたは何をしてござるのか。そなたが、議論や批判をする時は、その対象物を想像しなければならんから、肉眼で見たり、聴いたり、心で見たりすることができなければ、そなたらは議論も反論も批判もできまいが。そなたらは内に「善」「悪」を持って居るぞ。そなたらはすべてを見ておるぞ。
P114
 そなたが想像できるものは、すべてこの方が霊界にて創りだすものでござるのぞ。神が先で人があと、霊が先で体があと、そなたらは先に心に出てからその後で行動するのでござろうが。そなたの心に出たものを行動して形になって居るのでござろうが。形に成って居るもの、心に想像できるものは、すべてこの方が許して居るものでござる。そなたのココロに出ないものは、そなたは行動できん。そなたのココロに出ないものは、そなたには有る無しは申せんぞ。そなたは何を議論して居るのか。そなたは何を裁いておるのか。そなたの心やそなたの外に「アル」ものを、そなたの理屈で認めんだけでござろうが。そなたが許さんと申して居るだけでござろうが。そなたが信じられんと申して居るだけでござろうが。この方が認めて許して居るものが、そなたの心やそなたの外に現れて、そなたに認識できるのでござるぞ。そなた以外の者が言葉や行動にて表現するものは、その者のココロに出てきて居るものでござるぞ。形あるものの基はココロでござる。そなたが認めんのはそなたの勝手でござるが、この方が許してすべて「アル」ものでござる。そなた以外の者が話すこと、成すこと、造るもの、出来ておるものは、すべてこの方が許しあるものでござることをお忘れ無きよう。神、たのむぞ。
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 片方からの目は、すべて偏見の目でござる。そなたという人間から見れば、死や障害や赤子や痴呆等に見えるが、この方から見れば、そうではないぞ。この方から見れば、善も悪も神も人もないのでござる。すべてはこの方の中でござるからぞ。この方の世界の中にそなたの世界がある。神あって人あることを思い出してくだされよ。神の目が客観でござる。そなたらがどんなに客観的に見ておる積もりであろうと、それはすべて主観でござるぞ。相対二元の平面の物質の世の魔釣りの善悪正誤の目でござる。善は悪、悪は善、正は誤、誤は正、絶対的観念でござれば、議論の余地はないのでござる。差別だ、偏見だ、と申すそなたの目が、差別の目、偏見の目でござるぞ。神の目は、そなたらの善悪両方とも見えるのでござるぞ。戦って居る両方の心が見えるのでござる。相対二元の分裂思考では、平和などありもうさん。早う立体に入ってくだされよ。そなたらの元はこの方でござるのぞ。神心になると申すのは、この方と同じ心になると申すことでござるのじゃ。
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 魂の世界が肉の世界の元でござるから、この方はすべての者と心でつながって居るから、そなた以外の者にはこの方が直接語るから、直接見せるから、魂の世界で出会いを創るから、この方の家来に指示して魂の世界で動かすから、そなた以外の者に頼んで世話をさせるから、必要なものはこの方がすべて渡すから、魂はこの方が面倒を見るから、そなたから見たその者の肉の身が無くなろうとも(死んでも)魂は生きて居るから、この方から見れば死んでは居らんから、この方が服を脱がしただけでござるから、物質の世でどのようなことが起きようとも、どのような姿になろうとも、どのような状況になろうとも、そなたの心配することではござらんぞ。そなたはそなた以外の身魂の世話はできんぞ。そなた以外の者から見たそなたも同じでござる。そなた以外の者はそなたの身魂の世話はできん。肉体の世話は出来ても、身魂の世話は誰にもできん。掃除をするのは一人一人でござるぞ。人がどうであれ、そなたはこの方の申す通りに素直にやってくれれば宜しいぞ。それがそなたの為であり、人の為でもある。ミロクはそなた一人だけでも結構ぞ。

 そなたらは、やれ援助だ、世話だ、心配だ、ボランティアだと大騒ぎしてなさるが、困って居る者に援助するのは当然じゃ等と申しておるが、そなたは死んだ後の魂の責任まで持てるのか。そなたがその者の魂を、最後まで責任を持って面倒を見られるならば、世話をしてくれてもよいが、そなたは何でもかんでもすぐ物質の援助をしたがるが、そなたの持ち物はもともとこの方のものでござるぞ。そなたがモノを与えようとても、この方が許さねば、モノがなくなれば、そなたは何もできんぞ。金も薬も食べ物も本も警察も、すべてのものは末は無くなって行くものばかりでござるぞ。そなたらは何も考えずとも宜しいぞ。この方の申す通りにハイハイと動けば宜しい。アレコレ考えるから、堂々巡りから出られんのでござるぞ。こ度は死んでも続く大掃除でござるから、身魂の大掃除でござるから、表面上は物質的に満たされておっても、身魂が磨かれて居らねばミロクはないから、本当に助けたことにはならんぞ。物質的に満たされておらんでも、肉の身がどんな状況であろうとも、身魂が磨かれておれば助かるのでござる。今度ばかりは、身魂磨きが済んでおらぬそなたが人の面倒を見ることはできんぞ。人を本当に助けることはできんぞ。
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 そなたがアレコレと屁理屈申して居るならば、人のことを心配致して居るならば、人に手出し口出ししたくなるならば、まずはそなたの掃除が先ぞ。そなたがそなたの世話をすることが先でござる。人のことはこの方に任せて、アレコレと心配するそなた自身の大掃除を致してくれよ。そなたが心配して手出し口出しすれば、かえってその者の掃除を邪魔することになるぞ。一人一人にこの方が語りかけてござるから、横やりを入れて、その者の選択(洗濯)を、掃除を邪魔することの無きようにお願い致すぞ。自らの満足のために、身欲のために、正しさを保つために、いい子を演じるために、他人の自由意志を侵害するゲームはもう終わらせてくれよ。心配しないことが人のためでござる。迷惑をかけてはいかんと申して、自らのしたいことを我慢することが、したくないことをして葛藤を創ることが、マコトに迷惑なことでござるぞ。今までとはアベコベでござるから、家族や子供をほおっておいてよいのか、と申すような罪悪感は必要ないぞ。身魂の系は肉体の家系とは別でござるぞ。霊統と血統は一致しておらんぞ。そなたの家族と申せども、身魂は全く別の独立した存在でござるのぞ。そなたらの霊統の元の元はこの方でござるぞ。すべての家系はこの方から始まってござるのぞ。この方のお子同士で喧嘩するのはもうやめてくだされよ。この方の計画通りに、全員ミロクへ行けるようにしてあるから、もう人の世話はせんでも宜しいから、そなたは自分自身の世話をしなされよ。
P118
 そなたとそなた以外の者とは、独立した魂が、最も掃除が進むように今世の関係となって生まれて来ておるだけぞ。そこには、どんな上下関係も、制限も、義務も、強制も、一切ござらん。一人一人の自由意志で、一人一人が独立して、自立して生活してよいのでござる。親と申すのは、子が自らの意志で行動できるようになるまでのお役目でござるぞ。子が自らの意志を持ち始めた後で、アレコレと考え方に口出ししおれば、それは信教の自由の侵害でござるぞ。子供だから、学生だからと申すが、子供を子供として扱い、肉体の年齢や性別で一律に教育することが平等じゃ等と申す魔釣りの者に騙されて、自立できんようなシステムを創りだしたのはそなたらでござろう。小学生は小学生ではござらんぞ。そなたらのやり方次第で、独立した社会を創れる立派な神の臣民でござるぞ。子供だから無理じゃと申すのは、そなたらの創りだした社会だけで通用するものでござる。家族も他人も関係ござらん。形の上で、家系を追っても、それはその時その時でまったく別の霊統の魂が演じておった肉の身の名前でござる。そなたの墓が沢山あるぞ。家系を継ぐ必要はござらん。今世で終わりでござる。そなたがどんなに心配しようとも、どんなに苦労しようとも、どんなに世話しようとも、最後の最後はそなたにはどうすることもできんぞ。そなたは人の身魂のメグリをすべて知って居るのか。真コトの掃除の手伝いは、この方にしかできんのでござるぞ。そなたら一人一人がこの方の申す通りにしてくだされば、それがどんな状況を創ろうと、お互いの援助となるのじゃ。たとえ家族と言えども、そなたには口出し出来ん。人のことを心配する暇があるなら、そなた自身の掃除を進めてくれよ。
P119
 目に見える世界は霊界の映しでござるぞ。霊界の光がそなたを通して影を創って居るのじゃ。影をいじくっても何も変わらんぞ。そなたの心配はそなた自身が一人になること、そなた自身の大切なものが傷つくこと、無くなることでござる。それはそなたの一人よがりでござるぞ。そなたが心配して居る者は、何の心配もござらんぞ。そなたが口出しすれば、かえって迷惑でござるのぞ。肉の身の形はどうであれ、身魂は障害者でも病人でも怪我人でも狂人でも犯罪者でも子供でもないぞ。形を見て判断するでないぞ。この方はすべての者とつながって居るから、すべての者の真釣り外しを帳面に書いてあるから、どの者とどの者を引き合わせれば最も掃除が進むか、真釣りに戻れるか、分かるのでござるぞ。一つのズレも無く、ピタリピタリと出合わして、過不足なくすべての者にメグリを渡すことができるのでござるぞ。完璧に掃除が進むのでござるぞ。すべてこの方が決めて居るのじゃ。そなたには、すべての者がミロクに行けるように仕組むことなどできはしまいが。すべては霊界で動いて居るのじゃ。霊界の動きが現界に現れて居るのぞ。そなたが魔釣りの世の責任とやらで、自らしたくない世話をするのはこの方は望んでおらん。かえって身魂の掃除の邪魔になるだけでござる。その者が苦しくとも危なくとも、その状況を体験して、初めて掃除が進むのでござるぞ。人のことはこの方に任せて、そなたはそなたの世話を致せよ。形は子供や障害者でも、すべての者がミロクに行けるように仕組みあるから、何も心配ござらん。家族も他人もないから、血統と霊統は違うから、形の関係で強制することはできん。責任を取ったり、取らされたりする必要はござらん。人のことはそなたが心配することではござらん。そなたはそなたの心配をすれば宜しいぞ。
P120
 そなたがすでに真コトの者でござれば、そなたは喜びだけの天国でござる。喜びが当たり前の世界に居るのぞ。当たり前と申すのは、至善にできること、取り立てて議論せぬことでござる。この方は、空気みたいなものでござるぞ。健常者が、我(われ)は歩けたなり!と一々喜んでござろうか。もし、誰かがそう申せば、そなたは、歩けるのが当たり前じゃと申すでござろう。至善、当たり前と申すのは、何も思考せず、何も議論せず、何も葛藤せずにできること、してしまうことを申すのでござる。そなたが真コトを生きて居れば、うまくいって当たり前でござる。奇跡はござらん。この神は何でもできる元つ神でござるから、この方の申す通りにやって居るならば、苦も悩みも謎も何もござらん。夢はすべて実現しておる。すべて実現して居るから、神頼みも、夢を追うことも、神について議論することも必要無きことぞ。そなたはこの方と共に居るから、この方とそなたは一体でござるから、空気みたいなものでござるから、親子でござるから、取り立てて議論しようとも思わんぞ。神じゃ、宗教じゃと大騒ぎして居るのは、真コトの神から見れば、滑稽(こっけい)なことでござるのぞ。そなたは、この方が居らねば存在しない身魂でござるぞ。そなたが現界でアレコレ成すことができるのは、神あってのことでござるのぞ。
P121
 そなたが神を信じないと申すならば、そなたがそこに居るのは何故なのか、そなたが病気も死も自然も想い通りにならんのは何故なのか、そなたの回りの自然は誰が創りだしたのか、そなたが申すエネルギーは誰が創りだしたのか、いろいろな神が居るのは何故なのか、病気や事故や死や争いや葛藤や悩みや謎や不思議が無くならんのは、超常現象や幽霊や超能力があるのは何故なのか、あり得ないことが次々に起きるのは何故なのか、創造主とはいかなる存在なのか、地球や宇宙は何故あるのか、この者がこのようなフミを出せるのは何故なのか、そなたが分からんことを語れるのは何故なのか等々、そなた自身に、そなたの回りに、納得いくように、矛盾がないようにすべて説明してござれ。そなたがそれをできないならば、魔釣りのアタマで創りた屁理屈をこねるのはいい加減にやめて、この方に素直にアタマを下げて、この方の申す通りにやりなされ。この方が善きようにしてやるから、赤子に戻って素直に出直しなさるがよいぞ。
P121
 このフミをすべて読み終えても、ツベコベ申してあくまで抵抗致すならば、それでも構わん。得心行くまでそなたの理屈をこねて、お好きなようになさって居るが善いぞ。じゃが、近い将来、そなたがアタマを下げる時が必ず来るから、その時では酷きことになるから、後になって気づいても、いよいよとなってこの方にすがって来ても、掃除なければもう遅いから、その点、ご承知あれよ。この方、今ここで確かに申し渡したぞ。この方がすべてを教えた今今からは、そなたにはもう何も知らんとは言わせんから、分からんとは言わせんから、言い訳は一切許さんから、ハラを括ってやりなされよ。この方に抵抗致しても無駄なことでござるから、いい加減に素直に致せよ。我(われ)には関係ござらん、我(われ)は神なり、我(われ)は無神論者なり、神など居らん等と申す者は、臭き魔釣りの信奉者なるぞ。悪魔も地獄も犯罪も神も超能力も科学も宗教も世俗も何も批判せぬ、どんな意見も否定せぬ、神も社会も自分も人も何も責めぬ、神も霊も天国も喜びも奇跡もすべてのすべてが当たり前、何のこだわりも不安も恐れも特別も無い、普通の人間が真コトのミロクの民でござるのぞ。ただの一点なりとも苦や葛藤や悩みや不安や恐れや疑問や不思議や謎や希望や夢や想い通りにならんことがござれば、そなたはこのフミを読むべき者でござるぞ。そなたが学んだ屁理屈はすべて一旦棚上げして、ツベコベ申すのは後の後の後にして、まずは最後まで黙って読み通してくだされよ。一歩の前に○歩があるぞ。ゼロが調和でござる。このフミ黙って読むことがそなたがミロクで神成るための修行の始めの○歩でござる。



元つ神からの最期の艮のフミ その二 
 
P126
 このフミは、そなたら一人一人へ渡すフミでござるのぞ。この方からそなた自身へ渡す手紙でござる。現(こ)の世に生まれし身魂、一人としてこのフミと関係無き者はござらん。今まで学んだ知識や知恵は一旦すべてをゼロにして、全員赤子に戻ってくだされよ。

 この方の申すことは誠の真コトでござるから、議論の余地はあり申さん。この方の申すコトを本当かウソかと議論するのはオカシキことでござるぞ。議論を致すそなたは魔コトの者でござるぞ。それがそなたが騙された原因でござるぞ。そなたらの魔コトの眼でこの方の語る真コトを見れば、悪に映るぞ。真コトは一つ、魔コトは二つぞ。疑う心はすべて捨て、魔コトの眼鏡を外して、この方の真コトの話を誠素直に聴いてくだされよ。

 このフミは、一人一人の曇り具合に応じて、一人一人の眼鏡に応じて、一人一人のサングラスの色に応じて映るようにしてあるから、どのような者にも対応できるように同じことを何度も何度も表現を変えて書かせてあるのぞ。この者を人間として魔釣りの中で修業させて、魔釣りから真釣りへの掃除をすべて体験させて、人間の取り違いや魔釣りの者の反論をすべて取材させて、人間の体験を通して書かせてあるから、そなたらの魔釣りに曇ったアタマでも分かるように書いてあるから、その積もりで読むことぞ。
P127
 今度の今度はツベコベ申せんようにしてあるから、ツベコベ申すならば自らが分かって居らんことを白状して居ることになるぞ。この方の申すことが真コトに分かりたならば、何も申せんハズでござるぞ。この方の申すことが分かりたならば、真釣りの道を歩むしか道はなくなるハズでござるぞ。難しい、大変だ、できない等と申すならば、そなたの魔釣りの証でござる。そなたが難しくしただけでござるぞ。

 マコトはシンプル、簡単ぞ。簡単だから、複雑になったのぞ。一つのものを二つに分けて、それをまた二つに分けて、分けに分けてたどり着いたのが今今のこの世界ぞ。分ければ分けるほど複雑になるぞ。そのまま続けておれば、真釣り戻れなくなるぞ。永遠に調和には戻れんぞ。最後の最後は消え去るぞ。そなたらの壊した世はこの方が創り直すのでござるから、そなたらは地球や他人のことは心配せんで善いぞ。そなたは自らの魔釣りを真釣りに戻せば宜しいぞ。物質の世は後少し。このままでは行かんぞ。今までのアヤマチの教えや学問の常識はキレイサッパリ捨てて、この方の申す通りにしてみやれよ。
P128
 今の世では無理じゃ等と申す者も居るが、今の世はアヤマチの世でござるぞ。全くアベコベでござるから当然のことでござる。無理にしたのはそなた自身でござるぞ。この方の申すことを出来んと申すならば、そなたにはミロクは無き世と思えよ。そなたが世界を変えるのではないぞ。この方が変えた世界にそなたが入るのでござるぞ。身魂に戻って、マコトの裸に戻って、服を着替えるのでござるぞ。ミロクの服は身魂に一点でも曇りあれば着られんぞ。真釣りに戻った身魂だけが着ることができる光一つあがりた肉宮でござるのぞ。ミロクの服を着られねば、ミロクの民になることはできんぞ。

 ミロクと申すのは、上から下まで真コトが統べる、嬉し嬉しの真釣りの世、光り輝く神代でござる。闇も悪も一切入れん魔釣り無き世でござるのぞ。今度ばかりは魔釣りをして居る身魂の行くところはござらんぞ。今の今から掃除を始めんと、そなたは本当に本当の死を迎えることになるぞ。そなたがミロクの世を語っても、そなたの心の掃除がなければ、そなたはその世には行けんぞ。掃除なしでミロクの話をしても夢に終わるぞ。ミロクを語る暇があったら自らの掃除をせよ。自らの取り違いを素直に認めて掃除をしてくれよ。

 今の世の宗教家殿、教師殿、取り違いして居る者多いぞ。天国に行くべき神民を地獄に誘ってくれるなよ。どうあってもこの方の申すことを聞かんと申すならば、それはそれで宜しいから、真コトの者のお邪魔をせずに下がってみてござれ。この方の大掃除を邪魔する者は容赦は致さんぞ。この方は元つ神ぞ。今までの神や仏とはわけが違うのぞ。得心いくまで相手をしてやるから遠慮なくかかってこられよ。そなたに勝ちはないぞ。
P129
 この方が始めのゼロ歩を見せるから、始めの始めを教えるから、今ここから素直にその通りにやれよ。ツベコベ申すのは、二つに分けて居る魔釣りの身魂ぞ。アヤマチ教の信奉者なるぞ。そなたは誰に向かってツベコベ申しておるか分かっておるか。そなたの見ておる世界はそなただけのものでござるのぞ。この方を批判するそなたは魔釣りでござる。調和の神の申すことを批判するそなたはキ違いでござるぞ。そなたは地獄が好きなのか。そなたは戦いが好きなのか。そなたは自殺をしたいのか。身魂の自殺は永遠の自殺でござるぞ。この方が殺すのではないぞ。神の掟を外したそなたが自ら滅びるのでござるぞ。

 そなたの外を、そなたの相手を批判して、この方を批判して一つに成れると思いてか。調和を創れると思ってござるのか。善悪分けて、戦って、平和も調和もミロクも何もござらんぞ。このフミを裁けば、そなたが魔釣りの身魂であることを白状して居ることになるのぞ。こう申して居るのにそれをまた裁くならば、その通りでござるぞ。そなたはいったい何と申せば分かるのか。この方の申すこと、黙って素直に聴けよ。
P130
 程度の差こそあれそなたら全員魔釣りの者にてござるから、そなたも魔釣りの者でござるから、そのままではミロクへは行かれんから、そなたが真釣りに戻るためのやり方を手を変え品を替え語るから、そなたの混乱を収拾する唯一のやり方を教えて差し上げるから、そなたの魔釣りの常識を真釣りの常識に改める教材でござるから、この方からそなたへの手紙、親からの我が子への天国の手紙でござるから素直に受け取ってくれよ。

 動物を殺すのは悪でござると申すそなたが悪ぞ。そなたは身魂を殺して居るぞ。身魂殺すだけではないぞ。身魂殺せば肉の身はないぞ。肉の身なければ、そなたにはこの世はないのぞ。ミロクの身なければミロクはござらんのぞ。そなたは神の調和の世を壊して来たのでござるぞ。アヤマチ教の善悪の知識を持ち出してツベコベ申すそなたは何者ぞ。悪い血を創ったのはそなたの悪い知でござるぞ。型は心の映しぞ。いつまでも型に囚われておると、真コトのことは何も分からんぞ。この方の神示を取り違い致す大きな原因ぞ。

 そなたらが生きて居る今今の世は、このまま進めば末(すえ)は全てが滅びる、元つ真釣りを忘れた、魔釣りが統べるアヤマチ教の創りだした魔コトの世でござるぞ。そなたら人間の真コトの姿は、日月地の神成る身、ミロクの世で神に成る、修行の身魂でござるのぞ。修行と申しても瞑想や超能力や滝行や読経や断食ではないぞ。そなたの日常生活のすべてを真コトに生きることでござるのぞ。起きてから寝るまでのすべてのすべてを真コトで生きることでござるのぞ。そなたの真姿(素型)は、不調和を調和に変える尊き御ハタラキの真釣りの神成る身魂でござるのぞ。
P131
 調和が真釣りでござる。不調和は魔釣りでござる。戦い、裁き、悩み、葛藤、不満、苦情、不都合、責任追及、善悪勝ち負け、損得貧富、戒律罰則、脅し、恐怖、危険等々、今の世の姿は調和の身魂の創り出すものではござらんぞ。今の世には平和も自由も平等も公平もござらん。平和は平和ぞ。戦いある世を平和と申す、臭き心を掃除せよ。そなたの前には「戦争」なくとも、戦い、不自由、不平等、不公平の世でござろうが。権力持たねば上にも上がれぬ、上に上がりても守らねばならん、安全も安心もない世でござろうが。どこに平和があるのぞ。真コトの調和は一〇〇%ぞ。反対語などござらんぞ。創ってしまったものはもうよいから、そなたの心を掃除せよ。

 そなたの元は魂でござる。そなたのココロと申すのは、魂の声、魂の行動でござる。そなたがどんなココロを持つかでどんな神がつくか決まるのでござるぞ。そなたは神がついて初めて人間として生きておられるのでござるぞ。そなたのココロのままぞ。そなたが神を選んでおるのぞ。神の力無くして、そなたらは何もできはせんのぞ。人間と申すのは、神成る身魂でござる。神ではござらん。現界と申すのは、神と人が共に創りだす世界でござる。神は人が居らねば現界は創れず、人は神が居らねば現界にはおられん。霊が先で体があとでござる。そなたが幽霊でござるぞ。幽霊怖がるそなたはアベコベでござるぞ。
P132
 そなたは霊界と現界の両方に居る存在ぞ。霊界でのそなたがどの神と交流するかで、現界のそなたの現実が決まるのでござる。そなたが魔釣りの神にまつろえば、そなたは魔釣りの現実を生き、そなたが真釣りの神にまつろえば、そなたは真釣りの現実に生きるのでござる。真釣りの神は喜びしか渡しておらん。魔釣りの神も真釣りの神がありてあるものぞ。真釣りの神が魔釣りの神を許さんと申せば、魔釣りに生きるそなたらも何もできんようになるのでござるぞ。これからは真釣りの世となるのでござるぞ。

 この方から見れば、善も悪も神界も幽界もないのでござるが、そなたら人間から見て分かるように申して居るのぞ。霊界は神界と幽界に分かれ、神界は天国と霊国に分かれ、天人と霊人が住み、幽界は陽界と陰界に分かれ、陽霊人と陰霊人が住むのでござる。陽霊人は悪人、陰霊人は善人の如き性を持つぞ。幽界は本来ないものでござるが、人間の地獄の想念が創りだした世界でござる。善悪持つ者は、幽界の霊との繋がりが強いぞ。幽界では天国は創れん。善悪の判断申す者は、幽界の身魂でござる。最後に幽界は掃除するから、自らの善悪掃除して、早く神界に行かねば、そなたはミロクへは行かれんぞ。
P133
 一人一人の魔釣りの度合い相応に掃除するのでござるぞ。皆一緒に行くのは無理な話でござる。一人一人が心の掃除をするのぞ。人の魔コトにチョッカイを出す者は魔釣りでござる。自らの掃除が先ぞ。今の今もそなたの回りには悪はござらん。そなたが悪と申して居るだけぞ。悪を裁いて居るだけぞ。善人は悪を裁くぞ。悪裁く者悪ぞ。善人もこの方から見れば悪人でござる。悪人が悪人を裁くとは、滑稽なお芝居ではないか。そなたらが善と思って居るものはことごとく逆ぞ。そなたはそなたの心の有り様(よう)の通りの神がついてその通りに見えるから、そなたは自らの現実を正しいと錯覚して居るだけぞ。

 魔釣りの神はこの方を忘れて居るから自らを正しいと思って居るぞ。その神に囚われて居るそなたらは、自らを善であると思って居るから、何も気づかんのでござるぞ。そなたらが今まで、正しい、善だ、常識だ、と教えられて来たものは、九分九厘、我(われ)善しの、魔釣りの神の魔コトの力が全てを統べる魔コトの神の常識でござる。そなたが魔釣りをやめれば魔釣りの神は手出しできん。この方ら真釣りの神がそなたを守るから安心して改心してござれ。この方を疑う心が魔釣りの神を釣るぞ。信じることが真コトなり。

 こ度は、そなたら自らが、自らにはめて居る魔釣りの神のマインドコントロール(洗脳)に気づき、身魂(肉身のココロ)の戦(いくさ)を終わらせねば、疑うココロを無くさねば、一人として助かる者は居らんから、ミロクの御世には生まれ変われんから、全てを仕組み構えたこの方が、誠の神の真コトを明かして、真コトの親心を知らせて、魔コトの神の洗脳をすべて外して、そなたらを完全に自由にしてさしあげるぞ。
P134
 ミロク世はすでに創ってあるのでござるぞ。そなたから見れば時間を追って体験して行くが、この方からみれば時間と申すものはないのでござるぞ。掃除無き身魂には、この方の仕組みが見えんから、目の前だけを見て居るから、突然に世界が変わるように見えるぞ。突然大掃除が始まるように見えるぞ。大慌てになるぞ。恐ろしいことになるぞ。最後の最後は掃除なければ通れんミロクの入口ぞ。今ここで改心致せば、怖いことは減るぞ。

 今までの世のカラクリ、こ度の大掃除のカラクリ、魔コトの神のアヤマチ教の仕組み、真コトの神の真コトの仕組み、魔釣りに生きるそなたらが気づかぬ取り違い、今の今まで人類の歴史を通じて当たり前だと思っておりた常識のマ違い等々、ミロクに至る神仕組み、真コトの神芝居のカラクリを、アヤマチに曇りに曇ったそなたらの魔釣りのアタマでも魔釣りの眼でも、いやでも分かるようにして、すべてハッキリと明かすから、暫くの間、アヤマ知を持ち出してツベコベ申さずに黙って聴いてくだされよ。
P135
 この方が語ることは、万古末代二度とはない、そなたという身魂が生まれて以来初めてのことでござるから、そなたらにとっては生まれて初めての初の体験でござるから、過去のデーターを持ち出して、今までの魔釣りの善悪を基準にして価値判断をすれば神の真コトは見えなくなるから、くれぐれも気を付けてくだされよ。初めての聞くものに判断と申すゲームはござらんぞ。赤子には判断基準はござらんぞ。ここまで申しても、また屁理屈をこねて判断を始める者多いぞ。誠に素直になりなされよ。

 この方の申すことを判断する者、疑う者、裁く者は、魔コトの世の住人でござるぞ。真コトのミロクの世の民にはなれんぞ。そなたは何をもってこの方の申すことがウソだと申すのか。そなたがこの方を悪だと申すならば、そなたが善でござるから、そなたの申す通りにやればよかろう。この方がどうなろうと、この方を信じる者がどうなろうと、そなたには関係なきことでござる。そなただけが助かればよかろうぞ。残念ながら今度ばかりはそなたは助からんぞ。そなたに善悪分ける心がござれば、そなたは死ぬのぞ。

 そなたが善ならば、そなたが正ならば、そなたが、そなたの申す通りに生きておればそれでよいではないか。わざわざこの方の申すことにチョッカイを出す必要はござらん。他人にチョッカイを出す必要はござらん。よけいなお世話でござる。真コトの者にとっては、この方が何を申そうと、他人が何をして居ろうと、関係なきことでござる。悪を責めて、悪を潰して、自らの善を立てたいならば、そなたは善悪に分けた身魂でござるぞ。
P136
 この方の内にある悪を潰すとは何事か。この方を潰そうとしておるのと同じことぞ。そなたが外にしておる通りにそなた自身が体験するぞ。最後はそなたが潰れるぞ。どうあっても今まで通りにやると申すなら、それで宜しいから、最後の最後に分かるから、その時までお好きにしなされ。最期に気づいてももう遅いから、今から申して居るのぞ。

 この方の世界にあるもの、すべてのすべてに善も悪もないのぞ。善も悪も同じ世界にあるものぞ。悪を掃って、悪を端に寄せて、悪を潰して、善を立てて、守って居る積もりになっても、戦って居るならば、全体は一つにはならんぞ。こんな簡単なことすら分からんようでは、そなたは神成る身魂としては失格でござるぞ。神成る修行の身である人間としても失格でござるぞ。そなたは魔釣りのアヤマチ教の信者でござるぞ。

 そなたがそなたの外を想いの通りにさせようとするならば、そなたが神であることになるぞ。そなたの外を思い通りにしようさせようとするのは、そなたの想いが形になって居らん証でござる。そなたが自由になるために、他人を制限するならば、そなたは自分だけ勝手でござるぞ。そなたは真コトの臣民ではござらんぞ。不満や不平や文句や責任追及や損害賠償や批判等々を為すならば、そなたの想い通りになって居らん証でござる。
P137
 現世利益を求めての神頼みや占いやおみくじや予言や霊能力や超能力や宗教に頼るのも同じことでござる。そなたが想いの通りに成って居るならば、未来を知る必要も、人に頼る必要も、外に探す必要もござらんぞ。未来を知りたがるのは、不安があるからでござる。今に生きて居らん証ぞ。分からないことや不思議なことや謎や奇跡や偶然があるならば、そなたは偏って居るぞ。そなたがそなたの想いの通りに成って居るならば、誰が何をしようとも関係無きことぞ。人をコントロールせずとも、そなたがそなたの想いの通りに素直に動けば、そなたの欲しいものは来るのでござるぞ。

 そなたが外を操作しようとしておる時は、そなたが外に頼って居る時は、そなたは自らの魔釣りを白状しておるぞ。隠しておっても隠せんぞ。この方からは丸見えでござるぞ。最後の最後はビックリがでるぞ。そなたが真釣りを外して居るから、真釣りに戻すために、行き詰まりや悪や苦や痛みが来るのでござる。そなたの欲しいものは来ておるぞ。そなたが魔釣りを生きるから、真釣りに戻す機会が来るのでござるぞ。そなたは調和を創る神成る身魂、調和に生きるがハタラキなるぞ。そなたが真コトに生きておれば、そなたにできんことなど一つもないぞ。
P138
 この方はすべてのすべてを産み生んだ元つ真釣りの神なるぞ。そなたができんと申すなら、この方に不可能があると申しておるのと同じでござるぞ。そなたがそなたを自由にすれば、そなたが魔釣りをやめて、今までしたことを償えば、そなたの想いはすべて成るぞ。そんなうまい話はありえん等と申す者、そなたは自らの想いの通りにいっておらんことを、真コトの神の道を歩んで居らんことを、悪を裁いておることを白状して居るぞ。早よう気づいて真釣りに戻れよ。

 悪の宗教を裁くことは、そなたが悪である証でござる。そなたが神でござるならば、想い通りにいかんと申すのはいかなることか。そなたがうまく行かんならば、そなたがこの方のことが気に掛かるならば、そなたは魔釣りに生きて居るぞ。魔コトでは真コトのミロクの御世の住人にはなれんから、この方が真コトを教え、そなたの外に悪映し、そなたの内の魔コトを掃除致すぞ。魔釣りでは真釣りに至れぬぞ。最後の最後はそなたの悪をすべてそなたに返すから、しただけのことはして頂くから覚悟致せよ。

 そなたの肉の身はこの方の貸しものぞ。そなたのしただけのことをそなたの肉の身を通して、痛みや苦しみを渡して、すべて掃除して頂くぞ。もう魔釣りは許さんからご自覚召されよ。そなたらがこれから致すことが、マコト最後の真コトのご苦労でござるから、この方にはウソも騙しもござらんから、この方が申すご苦労は必ず実るから、大神様の実地テストの答え(=ミロクの御世に生まれ変わるノウハウ、閻魔(えんま)様の裁きの身魂改めの準備)をすべて教えるから、死んでも続くから、頑張りてくだされよ。
P139
 この方の申す通りに素直にやれば善人も悪人も誰も彼も全員合格できるようにしてあるから、ちょっとの間、真コトに戻すご苦労をすれば、ミロクの御世で永遠に遊べるから、ミロクの御世が開くその瞬間まで、そなたの身にどんなことが起きようとも、絶対に自ら死なずあきらめず、堪えに堪えて、辛抱してついて来てくだされよ。そなたがどんなに抵抗しようとも、この方の仕組みは動かんぞ。そなたから見ればミロクが出来るように見えるが、ミロクは既にできて居るのぞ。掃除さぼるほどますますきつくなるぞ。

 現(こ)の世に人間として生まれしすべての身魂、ご先祖様や神々様とても、このフミと関係無き者は一人として居らんから、そなたはこの方のお子の身魂でござるから、この方の申すことをしっかりと聴いてくだされよ。この方の申すことは、他人事や神様事などではござらんぞ。そなたという身魂の生死がかかってござるから、いい加減に扱って居ると末代後悔する残念が出るぞ。そなたらの申す今までの神事や宗教や哲学や予言とは全く違うから、シッカリと区別タテワケして聴いてくだされよ。
P140
 今までの教えはことごとく逆様でござるから、今まで学んだアヤマチの、コントロールの、善悪勝負(かちまけ)損得ゲームの常識はすべてのすべてを白紙に戻して、屁理屈こねてツベコベ申さずに、誰も彼も一人残らず、今この瞬間から、この方の申す通りに、ハラを据えて取り組んでくだされよ。逆じゃと申せば逆なのぞ。そなたの内のすべてのすべてを引っ繰り返せよ。そなたの心をすべて引っ繰り返せよ。裏になったり表になったりして居るといつまでたっても魔釣りのままぞ。分かったらその通りに実行してくだされよ。一旦ゼロに戻せよ。裏と表ぞ。何方か一つぞ。全部入れ替えよ。

 この方は、この方の産み生んだ御子であるそなたらを一人でも多く永遠の天国に連れて行ってやりたいから、一人でも多く素晴らしい世界に生き返ってもらいたいから、もう戻れないギリギリの瀬戸際にきて居るから、厳しいかも知れんが、苦しいかも知れんが、腹が立つかも知れんが、今度の今度だけはココロを鬼にして申すぞ。そなたらが今まで繰り返してきたように、形に現れたこの方の表現、姿だけを見て、鬼だ、悪魔だ、と申していい加減に扱って居ると、それこそ取り返しのつかない大失態をやらかすことになるから、ここできつく御注意申し置くぞ。我が子を思う真コトの親心、分かってくだされよ。

 今までの魔釣りの世でも、そなた自らがこの方からのお知らせを素直に聴けば、アヤマチに気づくことができたのでござるぞ。そなた自らがマコトに改心致せば、この方が手伝って、他人はどうあれ、社会はどうあれ、そなただけは真コトの天国の、神の道に入ることができたのぞ。我(われ)だけ善くなってもよいのか、我(われ)の自分勝手ではないのか等と申していつまでも真釣りに戻らんそなたのココロが、アヤマチを進めに進めて来たのでござるぞ。そなたがアヤマチを出れば、真コトに戻れば、一人でもアヤマチの世から出れば、調和に戻れば、この方の元に帰れば、それが皆のためにてござるのぞ。
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 そなたらは、アヤマチの中に引き戻す、魔釣りのコントロールにまんまと嵌まって居るぞ。そなただけでも真釣りに戻ってくだされよ。そなたのすることに口を出す、そなたのすることをやめさせようとする、そなたに特定の生き方を強制する、その者が自分勝手でござるぞ。この方は強制はして居らんぞ。そなたがいらんと申すならばそれでよいぞ。そなたが天国に生きたいと申すから、天国とは逆の道に居るから、お教えして居るだけでござるぞ。自分勝手の者の申すこと聞く必要はござらん。掟破りの犯罪者の申すこと聞くならばそなたも犯罪者でござるぞ。ここに来てまでまだ魔釣りを続けるお積もりか。

 この方が、ミロクの御世、新しい世を創りても、そなた自らがアヤマチを自覚せねば、何も知らずに再び地獄を創ることになるから、今度ばかりは魔釣りの者は連れていかれんようにして居るのぞ。同じアヤマチを繰り返しては天国がいつまでたっても出来んから、地獄を繰り返してはそなたらが可哀相なから、この方がすべてやってはそなたらは奴隷になってしまうから、そなたらの自由意志で天国を創れるようにさせたいから、教えたくても知らせたくても辛抱に辛抱を重ねて、情けと花の仕組みを構えて、そなたらの自発的改心を待っておったのぞ。そなたの魔釣りは世界滅亡の生き方でござるのぞ。
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 この方は、そなたら自らが自らのマ違いに気づくよう、ただただ行き詰まりや苦しい状況を創って、そなたらのマ違いを知らせ、同時に数々の真コトのフミや真コトの御用の者を使って真コトを知らせて、そなた自身が自らの体験を通して自らの魔コトに気づき、真コトに気づき、そなたらが自発的に改心致してくれることを、長い間ずっと待ちに待っておりたのでござるぞ。そなたが自ら真釣りに戻らねば、そなたはミロクの民にはなれんのぞ。自分のことをすべて自分で決められるのが、自立した身魂が「日月知の神」なるぞ。

 そうとは知らぬそなたらは、アヤマチに囚われたそなたらは、魔釣りのワナにまんまと嵌まって魔コトを真コトと取り違えたそなたらは、自らが何をしているのか気づかぬままに、自らも回りも滅びの坂道を下って居ることも知らずに、自らのご都合宜しく、自らの身欲と保身のため、財産や地位や名誉や世間体を守るため、自らは悪人にキ違いに成りたくないがため、自らだけが正しいと、自らの理屈で真コトの者を悪魔に仕立てて迫害を繰り返し、自らの繁栄には都合の悪いこの方の真コトを魔コトと教え込み、調和を創る真コトを悪と教え込み、この方を悪魔と断じて鬼門に封じ込め、真コトを避けさせ批判させ、破壊を進歩と置き換えて、誰も真コトに気づかん仕組みを造り上げてきたのでござる。
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 そなたらがどんなにうまく隠したつもりでいても、この方からはすべて丸見えでござるぞ。悪神生んで悪心映し、悪を使って悪を和す、情けと花の仕組みにすべてを託し、最後の最後にはすべてをグレンと引っ繰り返し、真コト渡してミロクを創る、タテカエタテナオシの仕組みを構えありたから、そなた自らが気づくことを願って、今まで黙って見ておったのぞ。この方が表に現れた今今は、魔コトの世も後わずかの間でござる。いつまでも続けられると思ったら大きなマ違いでござるぞ。

 この方の申すことを素直にきかぬと、本当に取り返しのつかんことになるから、この方のミロクを開く仕組みは見事に出来て居るから、そなたらがどんなに抵抗しても邪魔してもミロクの仕組みは動かんから、後になって気づいても遅いから、間に合わんと気の毒ざから、今ここから申すのでござるぞ。真コトの親の申すことをマコト素直に聴きなされ。そなたは今まで騙され騙されして来たから、信じられんかも知れんが、この方の申すことにウソはござらん。そなたの最後の人生、もう一回だけこの方に賭けてくだされよ。
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 そなたらが申す「悪」というのは、魔釣りの世の相対二元の善悪の「悪」でござる。そなたの外の悪と申すのは、そなた自身が持つ「悪」を映す鏡でござるのぞ。そなたが持ちたる悪を見せるため、そなたの悪を自覚させるために、魔釣りの神にお願いして、この方が許して形にして居るものぞ。この方が許しある悪を裁くことが悪でござる。そなたが悪を持ちたる証でござるぞ。そなたの内に悪なければ、そなたの外には悪は見えんぞ。そなたが外を悪と申すならば、そなたの内に悪があるぞ。ミロクは悪は入れん世でござる。

 神が先で人があと、霊が先で体があと、この方無くしてそなたは居らん。今今のこの世は仮(借り)の世ぞ。この方の世が真コトの世でござるぞ。そなたから見てあの世と申すのが真コトのそなたの居場所でござる。そなたという身魂がこの世の服を来て居るのが人間でござるぞ。人間とは一十(ヒト)に成る間、ミロクの世で「地の日月の神」成る身魂でござるぞ。獣と人との中間でもござるから、「人間」と教えてあるのぞ。獣の性が、戦いが魔釣りぞ。人の性が、調和が真釣りぞ。今今は「ケモノ」ばかりが栄える世となって居るぞ。

 そなたらは、ミロクの御世で調和を創る、日月地を統べ真釣る神成る身魂でござる。この方は、神もヒトもすべてのすべて、三千世界を統べ真釣る、元の元の親神なるぞ。ミロクの世は、上から下まで、すべてのすべてがハッキリタテワケある、悪の影さえ入れん、嬉し嬉しの光り輝く御世でござるぞ。調和を創る身魂だけが行ける、真釣りが統べる神世でござる。一点なりとも闇や悪を持ってはミロクへは行けん。調和を乱す者は、ルールを破る者は、一人たりとも入れんのでござるぞ。
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 そなたらが今今の世で為して居るように、金や学や教や理屈やコネを持ち出しても、どんなに高級な接待をしようとも、ヨイショをしても無駄でござる。そなたの我(われ)善しの臭き身魂は丸見えでござるぞ。ミロク世の入り口は、抜け道も裏道もない、そなたの身魂の掃除なくしては入ることができん針の穴の関所でござる。そなたが、魔釣りの世でどんなに善人でも、神の世界の調和を乱す悪人でござれば、ミロクの世は関係なき世となるぞ。

 魔釣りの世のアヤマチの教えにまんまと騙されて、そなたが持つ悪を和すための、そなたが天国に行くための教材である悪を裁き、潰し、消し、排除し、死を避け、病気を避け、怪我を避け、破壊を避け、悪避けるのは、悪許さないのは人間として当たり前のことじゃ等と、善人のフリをして勝手に安心して居る者ばかり。そなたらの申して居ることは正しいが、悪の基準が違って居るぞ。立体に入らんと、マコトの善は分からんぞ。
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 そなたらは、神の調和を壊しておいて、自らが何も無しでミロクへ行けると思ったら大間違いでござるぞ。そなたがしただけのことはしてもらうぞ。そなたが壊しただけ、そなたが不調和蒔いただけ、そなたの苦しみとして、痛みとして引き受けて責任をとって頂くのぞ。法律破ったら、自ら責任をとるのが道理でござろう。ルール違反を致しておいて、我(われ)は善人じゃ等と申す者、そなたは魔釣りの世の善悪で善人を演じておるだけでござる。魔釣りそのものがルール違反でござるのぞ。魔釣りに生きる者、すべてのすべてが神の世の犯罪者でござるぞ。人のことはとやかく言えんぞ。罪償わねばミロクはないぞ。

 この方が許しある悪を裁くそなたが悪でござるぞ。悪は最後に滅びるとも知らず、呑気(のんき)な者が多いのう。この方の真コトを悪と教えこまれては、アヤマチに囚われた自らがマコトの者にてござるから、目の前の悪に真コトがあるとは気づかず、悪を裁き、善人を気取って当たり前のように暮らして居るのが今のそなたらの姿でござるのぞ。今となっては、真コトの何たるかも分からずに、目の前の悪の中に真コトあることすら気づかず、自らも世界も滅びるアヤマチのマ釣りの世の常識を当たり前のように生きて居る、アヤマチの世で上に上がりて喜んで居る極楽トンボばかりでござるから、このままでは誰も真コトを知らずに滅びてしまうから、このフミを出して、誠の真コトを知らしめるのでござるぞ。
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 今今の世に本当に笑える者は一人として居らんのぞ。我(われ)は違うと申す、そなた自身が一番危ないぞ。この方のやり方をしておるならば、うまく行って当たり前でござるのぞ。奇跡や偶然などござらん。神頼みもいらん。霊能力や超能力など必要ないぞ。そなたは神とつながって神の霊力ですべてを成しておるのぞ。真釣りの神につながるか、魔釣りの神につながるか、どちらとつながるかでそなたの体験が、創りだすものが決まるのでござる。神が先で人があと。霊界との、神との関係ですべてが形に成るのでござるぞ。

 そなたらだけの力で形にして居るのではござらんぞ。そなたが自然を変えられるのではござらんぞ。すべてが人間だけの成したことだ思ったら、大きなマ違いでござるぞ。神の力無くしてそなたらは何も出来んのぞ。この方の申す通り、真釣りを生きて居れば、苦あるのはオカシキことでござる。うまく行かんのは、そなたがアヤマチに囚われて居るからぞ。そなたが真コトでござれば、何も誰もコントロールせずとも、欲しいモノ、必要なモノは、必要な時にすべてあるのぞ。この方がすべてのすべてをお渡しするのでござるぞ。誰に口出しする必要もござらん。誰が何をしようとそなたとは関係なきことでござる。

 そなたが真コトを正直に生きれば、この方が手伝って、すべてそなたの想いの通りに成就致すのでござるぞ。そなたが不足を申すならば、そなたが他人を気にするならば、そなたはアヤマチの者ぞ。そなたが申す通りの現実を体験し続けるぞ。そなたが申す通りに魔釣りの神がそなたにくれるぞ。自らが魔釣りをして居るからうまく行かんのでござるぞ。この方は今の今も、そなたが真釣りに戻れるように、苦を与えて教えて居るのぞ。そなたが天国を求めるから、天国に戻るに必要な真釣り戻しの材料を渡して居るのでござるぞ。そなたは悪を持って居るから外を悪と申すが、悪もそなたに必要なものでござるのぞ。
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 この方は、メグリであれ、お陰であれ、苦であれ、喜びであれ、そなたが真釣りに生きられるように、そなたに必要なものをお渡しして居るのでござるぞ。そなたが欲しいものは天国でござるから、大きな眼で見れば、苦も喜びも、どちらもそなたの欲しいものでござるのぞ。この道理分かるか。そなたが欲しいものは100%来て居るのでござるぞ。そなたがそなたの理屈で苦は欲しくないと申して居るから、不平不満を申して居るだけでござるぞ。そなたのしたことを返さねば、そなたに天国はないのでござる。悪も感謝。

 この方はそなたの自由意志で何でもできるようにしてござるぞ。そなたは魔釣りでも真釣りでもできるのでござる。すべてはそなたが自由意志で選んだことでござるのぞ。魔釣りを善と思っておるから、それしかないと思っておるから、しかたない、当然だ、これしかない等と申すのでござる。自らが自らのしておる結果を誰のせいにするお積もりか。そんなことでは、いつまでたっても幸福も平和も自由もござらん。真釣りには戻れんぞ。
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 魔釣りをして居る自分がすべてのすべての原因だと自覚するところから真釣りが始まるのぞ。霊界が現界に現れる。ココロ替えねばカラダ変わらず。霊替えねば体変わらず。神替えねば人変わらず。常識替えねば現実変わらず。そなたの申すことを替えねば、そなたの現実は変わらん。外を変えようとする、自ら以外のせいにしようとする、何でもかんでも神に聴こう、人に聴こうとする、そなたのその考えを変えることが先でござる。

 そなたが分からんのは、そなたが混乱して居るのは、そなたが真釣りを外した結果ぞ。そなたがそなたの答えを疑うから、いつまでたっても行動できず、何も変わらんのでござるぞ。そなたがそなたを疑えば、この方を疑うのと同じぞ。そなたの心に出ることは、この方からの声でござる。そなたの質問の正解は、そなたが思う答えでござる。これでいいのかと申すのをやめることぞ。いいのかどうかを問うことが真釣り外しを進める基ぞ。

 そなたの想いの通りになるのがこの世でござる。この方がその通りに創ってござるからぞ。そなたがココロの世界を替えなければ、変えて行動しなければ、そなたの現実は何も変わらんのでござる。そなたが分からんことが、ますます分からんことになるぞ。そなたが善悪に分けて善にしがみついてござるから、偏ったものしか来ないのでござるぞ。悪を裁いて居るから、悪を見せて教えるのでござる。そなたが持って居るものが外から来るのでござるぞ。そなたが霊界でして居ることが現界の形として現れるのぞ。
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 そなたのココロの声は、そなたの想像するものは、そなたの霊界の姿ぞ。神が許しあるから出てくるものぞ。神が許しあるものをそなたは何故に裁くのか。疑うことが魔釣りでござるぞ。そなたが悪を持っておらんと申すならば、それが悪持っている証拠でござる。悪裁くそなたは悪を見ておるぞ。悪裁けばそなたは悪であることを白状しておるぞ。真コトの神から見れば、善悪はないぞ。そなたがしておることは、すべてお見通しでござる。

 霊界が先、現界があとでござるぞ。現界でどんなに隠しても、そなたのココロが霊界の動きでござるから、この方には丸見えでござる。魔コトの人間は欺けるが、真コトの人間には丸見えでござるぞ。この方には、真コトの人間には、そなたの脅しもコントロールも一切通用せんぞ。秘密と申して秘密を想像したら、その秘密は霊界にあるぞ。霊界にあるものは現界に出るぞ。人間からは見えんが、神からは丸見えぞ。秘密もてば、そなたは守るぞ。秘密が暴かれそうになると、そなたは隠そうとするぞ。戦うぞ。戦うそなたに永遠に安全はない。秘密は秘密ではござらん。真釣りが真コトの安全ぞ。
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 この方の創った世界をアヤマチ使って壊し、我(われ)は悪くない等と申して堂々と神や仏や他人のせいにして、苦あるのが当たり前の如く振る舞って居るそなたらは、今のままではミロクの民には成れんぞ。自らのアヤマチを認めて、早々に改心致して、この方の申す通りに素直にやり直すが善いぞ。そなたが壊した世界はこの方が掃除するから、そなたはそなたの魔釣りをやめよ。そなたのココロを掃除せよ。

 そなたが今まで蒔いた不調和を引き受けよ。苦しいぞ。辛いぞ。酷いぞ。怖いぞ。自らしたことでござるから、辛抱が肝心でござるぞ。苦しい、辛いと申せども、それはそなたのしたことだと自覚致せよ。自らしたことが原因でござるから、自らの真釣り外しの掃除でござるから、それを認めることがミロクの御世への第一歩でござる。あくまで人のせいだと申すならば、お好きになさるが宜しいぞ。そなたの身魂のイノチはござらんぞ。

 人のせいにしたものは、すべて我(われ)のせいだと認めよ。そなたの肉の身はこの方のもの。肉身傷めて借りをかえすのぞ。文句言って、奪って、傷めた分、自分が引き受けるのぞ。そなたがしただけのことは返して差し上げるぞ。そなたがゼロにならねばミロクには行けんから、しただけのことは辛抱してくだされよ。そなたがした真釣り外しの責任とらずに、そのままミロクへ行けると思ったら大きな間違いぞ。最後はすべての者に身を以って教えて差し上げるから、覚悟致せよ。
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 この方がやると決めたらそなたには何もできんぞ。この方に抵抗するだけ、そなたが傷つくぞ。そなたはこの方の中ぞ。そなたの回りはこの方でござるぞ。そなたの宇宙はこの方の中ぞ。そなたとこの方はつながって居る。この方と他の者も同様ぞ。この方裁けば自ら裁くのと同じことでござる。人を裁けば、回りを裁けば、自らを裁けば、この方を裁くのと同じことでござる。裁くことが魔釣りでござる。裁き無ければ疑いなし。100%の信頼が、行動が真釣り外しのお詫びの印ぞ。そなたが申したことを全部やりなされよ。

 この方はそなたの身魂の空気でござるぞ。呼吸止まればそなたは死ぬでござろうが。神は呼吸、宇宙は呼吸、そなたも呼吸して居るだけでござるぞ。すべてのすべては呼吸して居るだけでござる。○、環、円、0、縁、零、霊が神ぞ。すべてのすべてはそなたに返ってくるのでござる。神を裁くことはそなたの呼吸を止めること。吸いっぱなしでは何もできんぞ。出すから入れることができる、吐くから吸えるのぞ。呼吸を溜めるから行き詰まる(息詰まる)のでござるぞ。経済も金も考えもすべてのすべてが神の通りになってござるのぞ。今今のそなたらは誰も彼も窒息寸前でござるぞ。持っているものを出しなされよ。
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 神あって人あり。霊あって体あり。魂あって身あり。そなたの真コトの親はこの方ぞ。そなたの本体は魂でござるぞ。霊界の行動が現界の行動。現界の行動は霊界の行動。他人裁くのは神裁くのと同じ。現界の行動に不調和あれば幽界の身魂ぞ。幽界掃除するぞ。現界も変えるぞ。そなたの行くところなくなるぞ。本当の死ぞ。ミロクを望むそなたが行くのは神界でござる。現界でどこに逃げても身魂が幽界で逃げておるだけぞ。幽界を掃除すればそなたはいなくなるぞ。幽界から神界に出ることが安全地帯に逃げること。神裁いておると逃げるところはないぞ。逃げるようにするのをやめることが誠に逃げることになるのぞ。

 現界造り直してミロクにするのぞ。善悪の幽界から神界に引っ越さねば、そなたはミロクの家にははいれんぞ。そなたから見れば時間を追って「出来る」のであって、ミロクの御世はすでに出来て居る。出来て居るから、時間がないから、間に合うように、今から真釣り戻しをせよとうるさくと申しておる。急げ急げと申しておるのぞ。急ぎすぎては真釣りを外すぞ。慌てないで急いでくだされよ。そなたは十分まに合うぞ。一つ一つぞ。

 いつまでも屁理屈こねて、「でもでもでも」を繰り返して居ると本当に慌てることになるぞ。本当にビックリすることになるぞ。腰を抜かすことになるぞ。二度と立ち上がれんことになるぞ。このフミ手にする者は、幽界との繋がり切れておらん。神界に居れば、このフミは必要ないからぞ。真釣りの者には真コトを教える必要はないからぞ。幽界が今のそなたの居るところ。そなたの居る世界、後わずかで無くなるぞ。そなたの居る世界が無くなれば、そなたはどこにも行けんぞ。そなたが幽界を出なければ、そなたもろとも大掃除でござる。早う掃除始めんと、大掃除に巻き込まれるぞ。
P154
 肉の戦い終わってタマの戦い始まるぞ。タマの戦いは怖いぞ。霊戦は恐ろしいぞ。この方はそなたが苦しむ姿を見たくないのぞ。そなたが掃除なければ、巻き込まれるぞ。そなたが掃除なければ、この方とて助けることはできん。早う神界に戻ってくれよ。早う掃除を始めてくれよ。このフミ読んだ、今ここからやらんと間に合わんぞ。今ここから始めんとミロクはないぞ。いつまで地獄に居るお積もりか。今の地獄も最後は消え去るから、大きな眼で見れば地獄はないのでござるぞ。神は天国。地獄を創ったのはそなたらぞ。すべてのすべては真釣りでござるぞ。魔釣りの世はあと暫く。神世に戻す大掃除始まるぞ。

 そなたは真コトを知らんから、魔釣りを生きるそなたらが悪魔と決めたこの方の申すことを聴けばそなたらは悪魔になってしまうから、そなたらは自らが悪人にはなりたくないから、自らがキ違いになってしまうから、自らは善人で居たいから、この方の真言(まこと)は聴かず、魔(ま)言(こと)の申す仕組みにどっぷりと漬かり、末は滅びる仕組みとは露ほども知らずに、滅びの坂道を駆け降りて居るとも知らずに、目の前の欲や楽に目が眩み、悪企みし者自らも含め、すべてが滅びに至る悪の仕組みを、魔コトのやり方を善と申し、教育や躾(しつけ)の名のもとに、教師から生徒へ、教祖から信者へ、親から子へと、世代を超えて次々に伝え続け、魔コトの世をどんどん進めて参ったのぞ。
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 魔コト伝える教師や教祖や親達も、自らが真コトである、自らは善人である、自らは正しいと錯覚致してござるから、我(われ)善しでござるから、自らは善人でござるから、悪人は悪であるから、真コトが悪でござるから、誰も気づかず改心出来ず、気づいた者はキチガイと、狂った者と決めつけて、魔コトの善を追い求め、真コトの善を曇らせる、真コト無き世と成したなり。

 そなたら人民に任せた現(こ)の世界、このまま魔コトの民に任せておりては世が滅びてしまうから、いつまでも魔コトの世を進めては、すべてが滅びてしまうから、このまま続けても真コトには気づかんから、元つ真釣りのこの方が表に出て、三千世界をタテカエタテナオシて、すべてのミチ(三千、道、満、倫)を真コトで統べる、ミロクの御世に変える大掃除を致すのでござる。この方が大掃除にかからんうちに、この方が小出しにして居るうちに、自ら掃除を始めてくだされよ。悪の世の大みそかが近づいておるぞ。掃除なき者に真コトの正月(正神の月/新年、神年)はないぞ。

 陰は縦(ささえ)、陽は横(現れ)、火は縦、水は横。火はすべての元、水はすべての表現。陰気は神のキ、陽気は人のキでござる。そなたらの申すように、暗い明るいではござらんから取り違い致すなよ。この方は陰に隠れてそなたらを支えて居ったのぞ。この方は下の下の下からそなたらを守護しておりたのぞ。火は下から上に上がるでござろう。地球の基は火でござるぞ。火が一旦上がればすべてを焼き尽くしてマコトだけしか残さんぞ。この方が大掃除を始める前に、早く気づいてくだされよ。陰陽逆転とは、真釣りの神(正神、真神)が表にでることぞ。
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 悪の中に真コトあり。悪の中に真コトの一厘が隠してござる。一厘なければ真コトではござらん。神は一〇〇でござるぞ。九九・九では神ではござらん。百でござる。桃でござる。魔コトの仕組みも真コトの仕組みも神一重でござるから、魔コトの者には外から見ても見分けがつかんから、まんまと嵌まってしまったのでござるぞ。

 真コトを隠す魔コトの仕組み、魔コトを語る者自身も魔コトに嵌まり、真コトが何たるかを忘れ、自らは真コトであると思って居るから自らは魔コトには嵌まらんと安心し、自らも魔釣りの毒牙に侵されて居るとも気づかず、自らが滅びるとも気づかず、身魂の自殺に向かって生きる、世の自殺に向かって進んで居るのでござるぞ。このままいけば最後の最後は全員丸潰れの仕組みでござるのぞ。

 このまま魔釣りに囚われたそなたらに現(こ)の世を任せておりてはすべてが滅びてしまうから、このままでは悪神の思うままにされてしまうから、悪神にとらわれた外道の善人に思うようにされてしまうから、ますます争いが激しくなるから、ますます貧富が進むから、ますます破壊が進むから、ますます滅びが早まるから、いくらやっても平和も自由も平等も出来んから、最後の最後のいよいよに、元の真釣りの神のこの方が、三千世界に現れて、すべてのすべての大掃除を致すのぞ。

 真釣りの真コトの大神が、桃(百)の太郎を従えて、魔コトの神の鬼退治、致す時節となりたぞよ。



元つ神からの最期の艮のフミ その三 
 
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 世に落ちているすべての身魂の大掃除、1414(いよいよ)激しくなる時節となりたぞよ。現(こ)の世から穢(けが)れある者消えるまで、そなたらの心にも現(こ)の世にも一点の曇りも無くなるまで、戦いがすべて無くなるまで、葛藤がすべて無くなるまで、悪がすべて消ゆるまで、我(われ)善しの身魂が一人残らず消ゆるまで、不調和まき散らす身魂がすべて消ゆるまで、たとえ肉の命が死しても、身魂になりても続く、神から人まですべてのすべて、悪も闇も穢れも一つも残らぬように、キレイサッパリ祓い去り、末代動かぬ神代に致す、最初で最後の三千世界の大大大掃除でござるぞ。中の魔釣りの神々もそなたら人間(人現、人言)も、身魂生まれて初めての、万古末代二度と無い、一度コッキリの大掃除でござるのぞ。

 今の今まではすべてが滅ぶ、魔釣りの仇なす悪しき世となりてしまって居るから、上から下まですべてが壊れるホドケの世となりてしまって居るから、ほおっておいたらこの方のお子が全員死んでしまうから、神の生んだ現(こ)の世を初発の泥にもどさなならんことになってしまうから、そなたら魔釣りの者にこのまま現(こ)の世を任せておりてはすべてのすべてが滅んでしまうから、ギリギリの所で元の元の大神が総出で表に現れて、塵(ちり)一つ残さぬように三千世界の大掃除を致すのじゃ。それもこれもすべてのすべて、現(こ)の世を生んだ初発より、この方が計画しておりたことでござるのぞ。そなたらがどんなに抵抗しようとも、どんな理屈をこね回そうともこの方の仕組みは動かんぞ。この方の家来総出で手伝うから、そなたらはこの方の申す通りに素直に掃除をなさるがよいぞ。
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 元々は、そなたらすべて調和の元に生まれた身魂でござるのぞ。この方が調和の神でござるから、親と子は同じ性を引き継ぐのが道理ぞ。そなたと親、そなたと子とは、似ておるでござろうが。そなたらの肉の身は、この方の、元の神の似姿でござる。そなたらの世界は、この方の世界の映しでござる。この方とそなたの関係を、神の世と人の世の関係を、そなたに見える形に託し、すべてのすべてを教えあるのぞ。そなたに見える形にすべて現れているのでござるよ。そなたが内を掃除せねば、そなたの外は変わらぬぞ。DNAと申すのは、この方とそなたらが似ておることをそなたらの形に見せるための仕組みでござるぞ。目に見える現象に囚われておりては、真コトの真実が見えなくなるぞ。この方が居るから、そなたらが居るのでござるのぞ。この方の世界があるからそなたらの世界があるのぞ。そなたらの肉の身はこの方がメグリ相応に掃除させるように仕組みた、真釣りの響きを内に持つ、尊い神の肉宮でござるのぞ。そなたの身魂相応に、病気や怪我や痛みや苦しみが現れるように仕組みあるのじゃ。肉の遺伝は身魂の遺伝の型示しぞ。

 調和乱すが悪ぞ。悪を裁くが悪ぞ。そなたが内に悪を持たねば、そなたの前には悪はござらん道理。そなたが真釣りを外さねば、そなたには苦はないのでござる。病気も怪我もないのでござるぞ。調和が善ぞ。調和が神のルールぞ。ルール違反したならば、責任をとるのがルールでござろう。そなたが調和を乱しただけ、自らの痛みとして引き受けるのでござるぞ。そなたの真釣り外しをそなたの肉宮を通して痛みで教え、真釣りに戻す仕組みでござるぞ。自ら真釣りを外しておりて、楽をしようと申すのは、痛みを避けようと致すのは、虫の善い話でござろうが。自ら創りた病気を治してくれる医師のミスを責めるはオカシキことぞ。そなたを傷つけた者を責めるのはオカシキことぞ。取った取られたと騒ぐそなたは、自らのして居ることを何も知らない大アホでござるぞ。迷惑なのはそなたでござるぞ。
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 そなたも人も同じ仕組みなり。そなたの回りの世界も同じ仕組みなり。真釣り外せば破壊となりて、創り直す仕組みなり。可哀相な身魂と申すものはござらん。殺されあろう何であろう、一人一人の真釣り外しの結果でござる。そなたの病気や怪我や事故や苦しみと申すのは、そなたの魔釣りをそなたに教える型でござるぞ。そなたの身魂に魔釣りなければ、そなたには病気も怪我もござらんぞ。そなたの不幸や苦しみは、そなたの真釣り外しのお知らせぞ。神が、人をモノをすべてを使ってそなたにメグリ渡す仕組みでござる。「たまたま」と申す状況はござらんぞ。神先人後(あと)、霊先体後(あと)、そなたの身魂が因、そなたの肉体は果。そなたの魔釣り相応に肉のお宮に痛み出し、真釣りに戻す仕組みなり。
P163
 この方、そなたらに自由意思を与えあるから、そなたは何でもできるのでござるぞ。そなたの態度に応じた神がついて何でも形に成るのでござるぞ。そなたは神成る身とは申せども、肉体あるからは獣のキも入れてあるから、一度身欲に走れば、獣のキが出てきて戦いの乱れた世と成るのでござる。戦いの果ては自らの滅びでござるのぞ。自ら滅ぶ魔釣りの世、いつまで続けても平和も自由もござらんぞ。一度外せば自ら真釣り戻すことは出来んから、そなたら人民は、近欲でござるから、神のお陰を待てんから、そなたらが目の前のモノや人を追いかけて、目の前のモノと比べて、自ら上に上がろうと、自らだけが得をしようと、身欲に走るを分かっていたから、苦を与えて身欲を解(ほど)き、ミロクの世に導く仕組みを構えありたのぞ。身欲に走れば不調和創り、不調和創る者は滅びるのが神の掟でござるから、そのままでは折角生まれたそなたらを滅ぼすことになるから、身欲に走ったそなたらに、情けをかけて、悪の神を生んで、内の悪を見せ、今の今の今今まで、ミロクの世のできるまで、真釣りに戻れるよう導いてきたのでござるぞ。

 自分は何故生まれてきたのか、神は何故人間を生んだのか、自分は生まれてきたくなかった云々と申す者、そなたら人間が、何故子供を産むのか考えあれよ。親であるこの方は子であるそなたらと、嬉し楽しの世を遊ぶのを願ってそなたらを産み生んだのでござるのぞ。調和のこの方の子であるそなたらは、元々、天国に生きられるようにしてあるのでござるぞ。そなたが天国ならば、感謝しかないでござろう。感謝もお詫びもいらぬのぞ。そなたがこの方の申す通りに生きておれば、こういう問いは出てくる筈はござらん。そなたに不平不満があるから、そなたが真釣り外しして居るから、ナゼナゼナゼで哲学創り、宗教創り、何も知らん神々に囚われて、ますますわからなくなっていったのでござるぞ。
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 真釣りのこの方の子であるそなたらは、人に命令することも、人を制限することも、人を責めることも、オカシキことでござるのぞ。そなたが真釣りを外し、魔釣りの世で自らだけが成功しようとしておる証でござるぞ。この方だけがそなたに何かをさせることができるのぞ。人権などと申すものはござらん。もともと平等であるそなたらが、自由であるそなたらが、人が人を操作するなどもってのほかでござるぞ。そんなことでは自由も平等も公平もないでござろうが。この方の眼は、この方の善の基準は調和でござる。そなたが苦しみはそなたの真釣り外しが因ぞ。誰のせいでもござらんぞ。真釣りを忘れたそなたらは、平気で自らを被害者と申し、形の上の出来事を見て、取られたやられた傷つけられたと大騒ぎ致すそなたは何をして居るのでござろうか。そなたの不満は、そなたの葛藤は、そなたがつくったものでござるぞ。そなたの苦はそなたの魔釣りが原因ぞ。

 今の世が乱れたのは、人民が身欲に囚われ、我(われ)善しに走り、快欲を求め、略奪、競争を始めたことが真因でござるぞ。現(こ)の世は人間に任せたから、この方はそなたらに好きにさせて、自ら改心致さす仕組みを構えて、自覚を促し続けたのでござるが、一向に改心する気配なし。最後の最後の今今は、時節が来たりた今今は、この方といえども、もう堪忍袋の緒が切れたぞ。いつまでも人民に任せておりては現(こ)の世が滅んでしまうから、この方が表にでて、最期の仕組みに入るなり。
 いよいよ時節迫りて、最後の最後に物質の世を大掃除して、自ら改心致す者だけ連れてミロクの御世に致すしかなくなりた。この方は、全員助けたいなれども、そなたら自らが真釣りを持ちて来てくれねば、この方とてどうすることもできんのじゃ。神の掟はこの方とても破ることは出来ん。ワイロでも脅しでもどうにもならんぞ。真釣りに戻すことだけが、そなたが生き返るただ一つの道でござるぞ。
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 神がいるなら、知っているなら助けてくれればよかったのに等と申す者、そなたのその態度がこの世をここまで壊し来たのでござるぞ。自らの真釣り外しの責任を脇において、この方に責任をきせるとは何事ぞ。そなたが真釣りに生きておればうまくいかんことなどただの一つもないのでござるぞ。この方の申す通りに生きておれば、この方の家来がついてすべてのすべてを想いの通りに嬉し嬉しに形に成すのぞ。自らが真釣りを外して、自ら不都合創りだしておいて、人に頼って文句を申すそなたには、ミロクの世はないぞ。神の創った世界を壊したことをお詫びするなら、今の今の今の瞬間から、調和に生きることぞ。口だけでは許さんぞ。ツベコベ申さず、この方の申すとおりにすることが神へのお詫びでござるのぞ。お詫びをしてもすぐには楽にならんぞ。そなたがした分だけは苦労がござるぞ。うまくいかんのはそなたが今までしてきた真釣り外しの責任をとっていただいておるのじゃ。自業自得でござるぞ。人に申す筋合いなど、唯の一つもござらんぞ。
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 そなたらがこの方の申す通りに致しておりたなら、こ度の大掃除はなかったのでござるぞ。嬉し嬉しでミロクの世になりたのでござる。この方がそなたらを産み生んだのは、楽しい世を体験させてやりたかったからでござるぞ。お子であるそなたらをミロクの世に連れて行くのがこの方の望みでござる。すべてのすべてを調和に戻す、元の元の元の神の力無くしては成就致さん。人民には想像できん、たいそうなお仕組みの仕上げの時でござるのぞ。今の今の今までも、すべてこの方の申す通りになって居るのぞ。気づかぬはアヤマチに囚われた人民ばかりなり。外の世界の掃除はそなたの掃除とは関係なしに進んで居るぞ。そなたから見れば時間を追って現れるが、神の仕組みは寸分違わず進んでおるぞ。早う目を覚まさんと間に合わんことになるぞ。そなたが世界を変えるのではないぞ。そなたがこの方の世界に合わせるのでござるぞ。そなたが変えようとすればするほど厳しくなるぞ。

 この方の申すことが真コトなり。この方の申すことを一つでも分からんと申すならば、そなたは真釣り外しでござるのぞ。一点でも曇りあれば真釣りではござらんぞ。一〇〇%の嬉しが真釣りでござる。宇宙創世の大神様のご真意は、皆が嬉し嬉しのミロクの世に致すことでござるから、今までの世をタテカエてタテナオす大掃除が迫っているから、我(われ)善しや戦いやコントロールのゲームは、調和を乱す今までのやり方は、もう許さんようになったから、今までの世がいつまでも続くと思ったら大マ違えであるから覚悟致せよ。そんなことはありえん、そんなことはまやかしだ等と申すそなたはいつまでも今までのやり方が通用すると思ったら残念がでるぞ。真コトの神の真コトの力を見せてやるから、ビックリ致さんように、早う真釣りに戻ってくだされよ。いつまでも目の前の出来事に一喜一憂しておりては、善じゃ悪じゃと争っておりては、やったやられた取った取られたと騒いでおりては、真釣りに戻れなくなってしまうぞ。この方は、今までの宗教の神とはわけが違うから、今までの常識を持ち出してツベコベ申さずに、素直に聞けよ。
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 天の岩戸はすでに開いているから、すべての身魂の借銭払い、三千世界の大掃除の、最後の仕上げの舞台が始まるから、掃除無くしては神も人も何処にも逃げられぬ。今までのように、アヤマチの常識を持ち出して、我(われ)善しの自分勝手な屁理屈をこねて、ツベコベ申している暇はもうないのじゃ。神の仕組みを事細かに知っても何もならん。そんなことは掃除すれば、ミロクに行けば、すべてのすべてが分かることぞ。そなたが真釣りを外して居るから分からなくなるのぞ。ワープロの仕組み知らずとも打ち方が分かれば文章が出来るでござろう。そなたは仕組みを知るよりも、掃除をすればよいことぞ。今までのゲームをしたいものはいつまでもしていればよいが、この方の申すことを聞かねば、肉の体の命どころではなく、そなたという身魂のマコトのイノチがなくなるから、天国に行くことはできなくなるから、そこのところをよく心得なされよ。今までの宗教や哲学と同じだと思ったら残念では済まなくなるぞよ。
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 この方は、そなたらの宇宙も、そなたらの神々も、そなたらの身魂も、すべてのすべてを産み生んだ、マコトのマコトの元の神なるぞ。この方の申すことに嘘はあり申さん。この方の申すことを素直に聞くのがそなたのためぞ。今までに一度もない、これからも二度とない、万世一度のことでござるのぞ。最後の大掃除と申すのは、誰も見たことのない、この方しか知らぬ、想像絶する世界でござるのぞ。ミロクの世は素晴らしい世でござるのぞ。そなたが魔釣りのまま想像して居っても何も分からんぞ。そなたが真釣りに生きて居ればそなたには何も恐ろしいものはないぞ。そなたが魔釣りでござれば酷き様になるのでござるぞ。三千世界の大掃除、掃除なければどこへ逃げても無駄でござるぞ。掃除無き者は、肉体はたとえ女や子供と申せども、元は身魂でござるから容赦は致さん。掃除無き者にとっては修羅の地獄となりぬるぞ。そなたがしただけは返して頂くから覚悟召されよ。掃除有る者はどうあっても助けるから、安心してこの方に任すがよいぞ。

 そなたが今までのアヤマチのゲームをこのまま進めれば、永遠のイノチ、天国への最後の機会、身魂の生死を分ける大掃除に間に合わんから、それでは気の毒では済まなくなるから、そなたらはこの方のかわいいお子であるから、そうなっては可哀相だから、掃除を終えたこの者(著者)を通して、そなたらのアタマで分かるように、そなたらのアヤマチの目でも見えるように、人間の体験を通して誠の真コトを語らせるのでござる。この者のただの考え方だと思って軽く扱っておりては大きな大きな取り違えでござるから、よくよくご注意申し置くぞ。人の考えは神の考えなり。神にもいろいろ居るぞ。この者の考えはこの方の考えでござるぞ。この方の考えをこの者の体を通してそなたら人間に分かる形で表現しているのぞ。勘違いするでないぞ。神違えるとトンでもないことになるぞ。マコトのマコトの神の親心を、マコトの神のカラクリを、マコトの神の仕組みを、ミロクに生き戻るマコトの神のやり方を、取り違いせぬよう、ズバリとハッキリと、鬼となりて一人一人に厳しく申し渡しておるのでござるぞ。今までのようにいい加減に扱っていると取り返しのつかないことになるから、性根(しょうね)を据えて聞きあれよ。
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 現(こ)の世に生まれ落ちし身魂、一人として借銭の無い者は居らぬのぞ。神の掟を外してきた者ばかりでござるから、調和を乱したルール違反の者ばかりでござるから、マ違いを犯した者ばかりでござるから、誰一人、こ度の掃除に関係無き者はござらん。そなた自身の事を語っているのであるから、我(われ)には関係ない他人事である、神示の話である等と申して知らぬ存ぜぬを決め込むならば、それは大きなマ違いでござるぞ。ミロクへの計画はできて居るから、調和乱す身魂はミロクの世へは行けんから、ここで聞かねばそなたという身魂のおイノチがなくなるから、しつこく厳しく申すのであるぞ。我が子の行く末を案じるが故の、そなたという身魂の親であるこの方の言葉でござる。
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 本当にマコトの神の言葉か、人間の考え方ではないか、騙しているのではないか、悪神の申すことではないか等と、いつまでも魔釣りの世のアヤマチに囚われたアタマでツベコベ申しておらずに、いい加減に目を覚ましあれよ。そういうそなたが悪神に囚われた悪魔でござるのぞ。今までずっと騙され来たのにまだ気づかんのか。そなたの肉親も自らは正しいと思うて居るのぞ。人がそなたを騙そうと思っておりても、そなたに真コトあれば、騙されることはござらんぞ。神や人や親を責めるのは筋違いでござる。自らが真釣りを外して、何も分からなくなって居りて、騙した騙されたとグチグチ申すでないぞ。嘘を見破れぬそなたの責任でござるぞ。子に嘘を申す親は居らん。

 現(こ)の世のすべてを、神を人を宇宙を、すべてのすべてを産み生んだ、こ度の仕組みを構えた、ミロクの仕組みを構えた、元の元の大元の神の申すことであるから、マ違いはないから、この方の申すことを、耳の穴をよくほじくって、赤子に戻ってハイハイと素直に聞きなされ。今までの理屈でツベコベ申しても、初めてのことであるから、そなたには何も分からんぞ。神々にも分からん仕組みでござるぞ。人間がいくら考えても無駄な抵抗でござる。人間の善悪と神の善悪は違うぞ。そなたらが申す善は、神の善ではないぞ。調和乱すが悪ぞ。相対的善悪では天国はできん。悪の身魂では天国は創れんから、大掃除を致すのであるぞ。大掃除をせねばミロク世へ行ける身魂がござらんから、この方が表に出て掃除を致すのでござるのぞ。
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 そなたらが魔釣りで真釣りを乱したから、そのままミロクに行けたものをわざわざ壊して掃除することになりたのぞ。そなたらが真釣りに生きておれば、掃除は必要なかりたことを今今にお知らせしておくぞ。-創れば+がくるぞ。一度壊したこの世界、聖地を整地してゼロから始めるぞ。真釣りの世界でござるなら、何も壊す必要はなかりたのでござるぞ。自らが自らを苦しめたのでござるぞ。文句を申すところは自分以外にはないぞ。この方の申すことをすべて分かるならば、そなたは天国でござるぞ。真釣りの者にはこの方の神示は要らんぞ。神示出るのはそなたらが真釣り外した証でござる。この方の申すことを分からないと申すならば、そなたはルール違反の身魂でござるから、全部分からんでもよいから、分かるところから一つ一つ素直に実行してくれよ。やれば分かるぞ。そなたらの裁判は魔コトの中の遊びでござるぞ。真コトの罪の償いは、真コトの矯正は、これから始まるのでござるぞ。そなたらは今までずっと神の世の刑務所の中でござるのぞ。最後までルール違反をする者は、真コトの死刑が待って居るから、掃除頑張ってくだされよ。

 そなたの想いはこの方の言葉でござる。そなたの回りが何と申そうとも、そなたの答えがマコトでござるぞ。そなたがこの方の申す通り、そなたの申す通りに素直に動いた結果何が起きようとも、回りがどう反応しようとも、そなたの答えを疑うでないぞ。そなたの声を素直に表現していくことで掃除が進むのぞ。損も病気も怪我も事故もすべてのすべてが掃除でござる。この方は悪も許して居るぞ。この方が許さんものは形にならん。そなたが故意で壊すか過失で壊すか、そなたの態度が問題でござるぞ。壊すことが悪ではござらんぞ。そなたらは今まで壊して来たのでござるぞ。全員、死に向かって行進しているのでござるぞ。天国じゃと思って地獄に向かって歩いて居るのでござるぞ。この方はすべて知って居るから、誤魔化しはきかんぞ。そなたの回りにあるものはこの方が許してあるものぞ。そなたの心に現れたそなたの答えを疑わんことぞ。自らを分けるから自分がわからなくなるのでござるぞ。一つのものを分けては、調和はござらん。
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 この方の世界には、非常識も、してはいかんことも、すべきことも何もないのぞ。この方の世には悪はござらんぞ。そなたらが悪と申して居るだけでござるぞ。そなたらの善悪は、そなたらの我(われ)善しからそなたらが勝手に創った相対二元の善悪でござる。善悪の世界の善人は、ほおっておいては自らは改心致さんから、ますます調和乱す悪を進めるから、そなたらが申す悪を許して、そなたらの持つ悪を見せて、苦を渡して、内の悪を掃除させておるのぞ。そなたが見ておる悪は、そなたがマコトに返る、善悪を掃除する教材でござるのぞ。そなたの前に悪はござらん。そなたがアタマで学んだ知識で、自らが損をするものを悪と申しているだけでござる。破壊や盗みが悪と申すならば、そなたらは全員犯罪者でござるのぞ。この方は戒律は一つも創っておらん。この方に不可能なことは一つとしてないぞ。そなたはこの方あっての身魂であるぞ。そなたはこの方が居るから何でもできるのでござるぞ。してはいけないことも不可能なことも何もないぞ。あるとすれば、それは勝手に制限をつけた人間の目からみた規則であるぞ。自分が都合が悪いから、人を裁いて落として弱くしておるのぞ。心に出るものはこの方の出したものぞ。たとえ、そなたの回りが駄目だと申しても、やめろと申しても、そなたの答えを実行することぞ。
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 そなたの答えをそなたが疑うならば、そなたは魔釣りの常識に囚われておるぞ。そなたの答えをそなたが疑って、そなた以外の魔釣りの者の申すように生きてきたのが今までのそなたの現実を創りだしてきた原因でござるのぞ。すべてはそなたの責任でござるぞ。全員が自分自身の加害者でござるぞ。誰も責める筋合いはござらん。そなたらではもう元には戻せないから、この方が大掃除するのでござるぞ。そなたらは、身魂生まれて以来、初めての体験をするのでござるぞ。今までしなかったことをするのでござる。最後の最後がどうなるかはこの神しか知らんのぞ。神の申す通りに素直にやらねばわからんぞ。魔釣りの者にいくら聞いても答えは出んぞ。ますます混乱するだけでござる。分からんと申して、どうなるのか確認したくて、魔釣りの者に聞けば、ますます分からなくなるだけぞ。そなたらはこの方の申す通りにハイハイと素直にやればよいだけでござる。この方が間違いなくミロクの世へ連れていって差し上げるから、楽しみにして頑張ってくだされよ。

 そなたらが真釣りを外して何も分からなくなりて、先がどうなるか知りたがるから予言や占いや超能力や宗教ができたのでござるぞ。この方に生かされておるそなたらは先を知る必要はござらんぞ。この方はそなたらの心を通して、形を通してその場その場で一つ一つ教えて差し上げるぞ。いっぺんに知ろうとなさるから、騙されるのでござるぞ。一つ一つ教えるのでござるから、最後の最後は全部分かるから、それまでの辛抱でござるぞ。それがそなたの修行でござるぞ。分からないのはそなたの魔釣りが原因でござるぞ。一度に知ろうと申すのは虫の善い話でござる。そなたが一つ一つやればそなた自身に証明されることぞ。やっておらん者には何もわからん。やっておらん者はそんなことは無理じゃと申すぞ。
P174
 そなたはそなたの心の掃除をしたいのかしたくないのか。天国に戻りたいのか戻りたくないのか。今ここでハッキリ決めよ。今までのやり方から見れば不安で危険で勇気がいることに見えるぞ。今までもそうであったのぞ。この方のやり方にマ違いはないぞ。すべてのすべてがこの方が構えた仕組み通りになるぞ。この方が創ったものでござるから、創った本人が申しておるのだから、これ以上確実なものはござらんぞ。そなたは何も心配いらんのぞ。初めてのことでござるから、そなたには一切段取りはできんぞ。そなたの真釣り外しのすべてのすべてを知って居るのはこの方だけぞ。そなたの心を通して、その時その時、必要なだけ渡すから、心配致さずに、この方の申すことを一つ一つそのまま行動してくれよ。ミロクまでもう時間がないのぞ。ツベコベ申さずに、この方の申すことを素直に聴いてくだされよ。
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 今までの魔釣りの世の宗教や学問に囚われて、いつまでも、神など信じられん等と申しておる者は、この先、そなたのおイノチは無いものと思ってよいぞ。そなたのドラマは今世でキレイサッパリ終わりでござるから、最後の人生をどうにでもご自由にお過ごしくだされ。但し、真釣りを外した分だけは最後の大掃除は避けることができんから覚悟せよ。最後の最後はそなたがどこに逃げようとも、神も人もすべての世界を開いて、そなたがしただけすべてお渡し致すぞ。今のそなたらではとても耐えられん、死んでも続く修羅の地獄ぞ。この方の申すことを素直に聞けば、永遠の人生、永遠のイノチが待っているのでござるぞ。厳しく聞こえるかもしれんが、そなたという身魂が死ぬか生きるかの瀬戸際であるから、いよいよギリギリの所であるから、身魂の掃除無き者は次の世界に生き返れんから、死して生き返る仕組みであるから、どうあっても子を助けたい親心に免じて、暫くの間辛抱して聞いてくだされよ。どちらを取ろうが、それはそなたの勝手であるが、元の元の大神が表に出て最後の大掃除を致すから、これから先は、マコト無き者、神の掟に反する者は、一人として容赦は致さんから覚悟致せよ。今までの世のやり方がいつまでもうまくいくと思ったら大魔違いでござるぞ。今今の世の魔釣りの末のそなたらにとっては、一度に掃除するのは厳しいぞ。一つ一つできる今ここから始めんと大変なことになるぞ。

 ここでもう一度、非常に非常に大切な事をあらためて申し置くぞ。そなたらが当たり前のように生きてきた今までの世は、いくら努力を重ねても、待てど暮らせど良くならぬ、悪魔ばかりが栄えある、そなたらが望む天国も自由も平等も平和も形にならぬ、最後はすべてが消え去る運命の魔釣りが基のホドケの世であったのぞ。魔釣りが進めば進むほど、神に祈れば祈るほど、科学が進めば進むほど、不調和、不都合が現れ、現れ来たその不調和、不都合をさらに魔釣りでマツリ縫い、不調和隠す繰り返し。堂々巡りで自らの首を締め、動きが取れなくなったその末は、最後の最後はすべてが滅ぶ、天国どころか地獄も出来ぬ、悪魔の統べる世であったのぞ。そうとは知らぬそなたらは、まんまと魔釣りの者の術中にはまってしまって魔釣りが善と思いこみ、足の引っ張り合い、潰し合いをしていたのでござるぞ。人を犠牲にして自分が上がる、自分を犠牲にして人を上げる、我(われ)だけよければ善い世となっているのであるぞ。神の生き方は人も自分も上がるのでござるぞ。そなたらは悪魔と申すが、悪魔とはそなたらの内にある魔釣りのことにてござるのぞ。世界人類揃って自らが自らを地獄に誘って居ったのぞ。世界全部が地獄となるのは当然じゃ。
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 神の世は天国のみでござるのぞ。100%喜びの天国しかござらん。天国を壊したそなたらが天国に戻る掃除の途中で現れる、バランスを取る間の混乱の世のことを地獄と申すのぞ。調和を乱した世のことにてござるぞ。そなたらはすでに地獄に落ちて居るのぞ。神の世と申すのは天国が当たり前でござるのじゃ。今の世の地獄の状況は掃除終わりた最後には消えるから、大きな眼で見ればもともと地獄はござらんぞ。地獄と申すのはミロクの世に至るまでの掃除の途中で時間に沿ってあらわれる、そなたらの魔釣りの思いが創りだした幻想の世界でござるのぞ。そなたら人間は一つ一つ時間に従って体験するから、この方の申すことが分からんかも知れんが、一点でも曇りあれば地獄でござるのぞ。九九の暗闇も一の暗闇も地獄でござるぞ。悪の数は関係ござらん。一〇〇の光、○の暗闇が天国、光のみが神の世でござるのぞ。天国が当たり前でござれば、天国と申す言葉もいらんのでござるぞ。今今のそなたらから見て分かるように、善悪、陰陽、光闇、天国地獄、霊界幽界と分けて申して居るだけぞ。天国に苦があるのはオカシキことでござろうが。
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 そなたらを支配している者共も、自ら魔釣りに囚われておること知らず。最後の最後は自ら滅びる定めが待っていることなど気づかず、一生懸命自ら上に上がることばかりを考えておるのぞ。上の者が気づかぬから、下の者はコントロールに嵌まってしまって、何も見えなくなりて、どうにもならなくなってしまっておるのぞ。上から下まで魔釣りで滅びるは目に見えておる。それではかわいそうなから魔釣りの中のマコトの者を助けるためのこ度のフミでござるのぞ。すべてのカラクリを知らすから、そなただけでも魔釣りを出て真釣りのこの方のところへお帰りくだされよ。そなたが魔釣りをやめることが皆のためになるのぞ。魔釣りの者から見ればそなたは勝手な者に見えるが、人の気持ちを考えない者に見えるが、そういう者は自らが魔釣りにとらわれしを気づかず、自らは正しい者と思っておるのぞ。そなたがそれに嵌まればそなたも同じぞ。早う勇気を持って真釣りに戻ってくだされよ。真釣りに戻ることがそなたのためでも皆の為でもあるのぞ。自分の為が人の為であるぞ。あなたのためよは自分の為ぞ。自ら上に上がるため、自らの欲しいモノを得るために、人を操作する必要はないのぞ。そなたは自らの身魂の穢れが消え去るまで、死んでも掃除を続けるのでござるのぞ。そなたの身に何があってもこの方が守るから、勇気を出して真釣りに戻ってくだされよ。すべてをホドいてミロクに致す仕組みぞ。悪いことは善悪で裁くことでござる。この方に悪はないぞ。くれぐれもアヤマチの知識に囚われてマ違えることの無きよう、ここでキッチリとご注意申しおくぞ。
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 この方は至善の神でござるぞ。神は善、全、善のみでござる。そなたらが悪に走ったから善に至る道ができたのでござるぞ。悪も地獄もそなたらが創りたものぞ。この方には悪はござらん。今までは、そなたらの自らの改心を願って、そなたが真釣りに戻れるようにするために、そなたが自らに悪があることに気づかせるため、悪が形になる世を許していたのでござるぞ。この方が許さねば、悪のやり方は形にすることはできんのぞ。いつまでも今までの悪の世が続くと思ったら大きなマ違いであるぞ。そなたらが真釣りを外さねば、悪は形にならなかったことを覚えておいてくだされよ。元々無き外の悪を裁くそなたの心が悪の世を進め来たりたのぞ。今度という今度はこの方がすべての穢れをキレイサッパリ大掃除致すから、覚悟致せよ。今度の仕組みは始めから決まりありたのぞ。そなたらの眼から見れば、いよいよ大掃除の時となりただけでござるぞ。ここで真釣りに戻らねば、そなたはこの世と共に大掃除でござるぞ。もうマ違いは許されんから、アヤマチに囚われたそなたらにも分かるようにすべてをハッキリと教えるから、悪魔に囚われた寝ぼけ眼(まなこ)を見開いて、この方の申す通りに素直についてくるが宜しいぞ。
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 今度の立替え建て直しは元の神の力がなければ、成就致さん仕組みでござるのぞ。人力ではどうにもならん。神力に頼るより他に方法はないのぞ。だからと申して、掃除無き神頼みは一切通用せんから、今までのクセを直すがよいぞ。そなたがこの方の申す通りにやって、この方がそなたを手伝うのでござるぞ。人事を尽くして天命を待ってくだされよ。そなたの自力が神の他力を呼ぶぞ。そなたが真釣りに戻ればこの方が手を貸すのでござるぞ。この方に他力本願するならば、自力本願してくだされよ。人力が神力を呼び込むぞ。今度の神は今までの神とは違うのぞ。この方の申すことを素直に聴くことだけが、そなたのイノチを救う網、そなたを助ける最後のイノチ網でござるぞ。そなたらが何と言おうとも、すべてをマコトに返す仕組みは見事にできておるから、何事もハイハイと安心してついて来てござれ。いつまでも魔釣りをしておると、ビックリが出るぞ。腰を抜かしてヘナヘナになるぞ。二度と立ち直れんことになるぞ。

 このままほおっておけば、現(こ)の世が滅びるから、元つ真釣りの神々が響きで表に現れて、人間の世界から神々の世界まで、三千世界に眼(まなこ)を光らせ、中つ天地の魔コトの理(ことわり)を、元つ天地の真コトの理に、キレイサッパリ建て直す、万古末代二度とない、一度コッキリの三千世界の大掃除を致すのでござる。ただ一度の、初めてのことであるから、そなたら人間の想像できることではないぞ。マコトの神の力はそなたらの想像をはるかに超えたものでござるぞ。今度の今度は、徹底的に、この世に仇なすすべての悪を、すべての曇りを祓うまで、人間に成っている身魂も、中の世界の神々も、男も女も子供も老人も、病人も怪我人も障害者も、富める者も貧しき者も、宗教家も科学者も、誰も彼も例外なく、一人残らず身魂(肉の御身の感覚ではココロ)の大掃除が必要なのじゃ。やればやるほどホドケ行く、魔コトで穢(けが)れた現(こ)の世界、神も人も天も地も、真コト無き世と成りたから、真コトで相和す神の世に、変えねば末代滅びると、元の真釣りの神々が、総出で表に現れて、上から下まで真コトの立ちた、嬉し嬉しの天国開き、ミロクの御世と致すなり。
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 こ度のタテカエタテナオシは、元の元の大神様が自らの内に産み成したすべてのすべての世界を、上も下も右も左も前も後も、すべてのすべてを真コトに返す、元の誠の神世に返す、元の元の元の大神様にしかわからぬ大層なお仕組みでござるよ。魔コトの仕組みを掃除して、真コトの御世へと導く、誠の神の真コトのお仕組みでござる。真コトを魔コトに取り違え、マコトの世をケガした人間が、何もなしでは済まされんぞ。この方の言葉を疑っていることが、初めて明かされることだと申すのに魔釣りの知恵でツベコベと理屈を申していることが、魔コトに囚われし証でござる。そなたが魔釣りの世のアタマをもってどんな理屈を並べようとても、恐ろしいから嫌だと申しても、金をもって神のところにすがってこようとも、神社や寺や教会に何度お参りしようとも、食をどんなに節制しようとも、身魂の掃除無き者、真コト無き者、借銭ある者は、たとえ神々様でも誰一人として逃げられんから覚悟いたせよ。そなたの心に正直にやりなされ。壊して戻す仕組みぞ。壊れることを恐れなさるなよ。メグリござれば壊れるぞ。ケガを避けても無駄でござる。悪裁くが悪でござるぞ。悪裁いて居らねば、出来ないことがあるのはオカシキことぞ。何をしても結構ぞ。損して怪我して病気して死んでメグリを取るのでござるぞ。
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 真釣りの何たるかを忘れ去った、悪や苦や痛みを避ける、今が幸せだと勘違いして居る極楽トンボのそなたらには、この神は悪魔に見えるぞ。鬼に見えるぞ。そなたらはこの方の創りた天国を壊しに壊して来たのでござるぞ。破壊を許す神は悪魔じゃと申すのは、自らのしてきた真釣り外しの自覚なき身魂でござるぞ。そなたらだけ逃げられると思ったら大マ違いでござるぞ。ツベコベ申すのはやめにして、このあたりでいい加減に観念致して、自らの怪我や痛みや死を避けず、自らのしたことをキッチリと償ってくだされよ。ヘラヘラと笑って居られるのも今の内でござるぞ。イヨイヨとなりては、そなたらには耐えられん状況になるから、メグリ持つそなたが怪我を避ければ、後に行くほどもっと痛い目に遭うことになるから、この方は今ここで厳しく申すのぞ。

 すべてのすべてはこの方が創りた仕組みでござるから、今今のそなたらがどうなるかはこの方はよく知って居るから、自らのお子が酷い目に遭うのは見たくないから、しつこく厳しくお教え致すのでござるぞ。この方の申すことにウソはござらん。そなたらは、一人として身魂の掃除を避けることは出来んのでござるから、今ここでハラを据えて、フンドシを締め直して、覚悟して掃除に励んでくだされよ。そなたらは、掃除終わればミロクで永遠に遊べるから、今の今は最後の掃除第一で生きてくだされよ。後数年の辛抱でござるぞ。魔釣りの人間から見れば長い苦労かも知れんが、永遠のミロクが待って居るのでござるから、神から見ればほんの僅かのご苦労でござるぞ。そなたが何と申そうとも、そなたのメグリだけの掃除はせねばならんのぞ。掃除せねば、調和に戻さねば、そなたには永遠のミロクの世の天国はござらんぞ。最期の仕上げは天地世界の大掃除でござるから、逃げるところはござらんぞ。身魂の大掃除でござるから、肉の身の傷病生死は関係ござらんぞ。最後の最後は天地開いてすべてを壊し、修羅の地獄と化さしめん。今まで体験したこともなき酷き状況になるのでござるぞ。天地一度に掃除して永遠の天国に致すのじゃ。
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 魔コトで穢れたそなたの心を掃除することだけがそなたをミロクへ誘う松の杖ぞ。そなたの悪をそなたの外に映し、自らの悪に気づいて自らの悪を掃除する仕組みでござる。そなたが悪と見ているものは悪ではござらんぞ。そなたの悪を掃除する教材でござるぞ。外の悪を裁くそなたが悪であるぞ。悪ある身魂は至善のミロクへは連れていかれんのぞ。神心とは善悪ない心ぞ。そなたにメグリなければそなたに苦はござらん。そなたにメグリあれば、損、怪我、病気、死は避けられんぞ。そなたの取られたものはそなたのものではござらんぞ。元々のそなたには損も怪我も病気も死もござらんのぞ。そなたが真釣りを外したから真釣りを戻すだけでござるぞ。真釣りを外せば調和を乱すから、真釣りを戻す途中で乱しただけ乱されるのでござるぞ。すべてはそなたがしたことぞ。そなたが真釣りを外して壊しただけ、そなたの身を持って痛い目にあって返すのぞ。そなたらの申す悪は神の世にはござらんぞ。今ここでも悪はないのぞ。そなたの悪を映すために悪を形にするのぞ。そなたらが裁いている悪が形になっているのはこの方が許しているからぞ。そなたの申す悪は悪ではござらん。ただの出来ごとでござるぞ。ただの状況でござるぞ。
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 そなたが真釣りを外すから、そなたが被害を受けるのぞ。そなたの加害者はそなたでござるぞ。そなたの取られたものはこの方のものでござるぞ。そなたが取ってしがみついてござるから、この方が離して差し上げるのでござるぞ。呼吸が神でござるぞ。調和とは、とどまることなき呼吸でござるぞ。そなたが取って溜めて居るから呼吸が乱れて調和が乱れて悪の世となるのでござる。神が許して居るものをそなたが裁くとは何事ぞ。魔釣りの毒牙にまんまとはまっておるぞ。早う掃除して神心に戻らんと、真釣りに戻らんと、本当の本当に取り返しのつかんことになるぞ。魔釣りから見れば、この方は悪魔に見えるぞ。危険な神に見えるぞ。そなたが魔釣りに居るからそう見えるのぞ。この方が悪魔ではなく、そなたが悪魔でござるぞ。誠の調和の世界を壊した破壊の悪魔でござろうが。どうあってもこの方が悪魔だと申す者は掃除厳しくしてやるぞ。ミロクまでの時はないぞ。借銭ゼロにせんとミロクはないのぞ。そなたに曇りあればあるほど掃除は厳しくなるぞ。借金ある者ほど返済額が多くなるのと同じでござる。いつまでも悪魔を演じておるとミロクどころの話ではないぞ。そなたは地獄の中で死ぬぞ。そなたの外はそなたが映っているものでござるぞ。そなたが見ているのはそなたの姿ぞ。自らが自らを裁いておるぞ。
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 悪もって悪祓う仕組み、悪祓って開ける仕組み、死んで生きる仕組みでござる。悪使って悪祓う、開くの仕組みぞ。物質の世を建て替えるのであるから、このまま二十一世紀に進むと思ったら大きなマ違いでござるぞ。物質の世の体のままでは、物質の世界では真釣りの世は創れん。魔釣りで壊した世界はもう戻らん。そなたらが真釣りに生きておりたならば、何の掃除もなくミロクの世界となりたのぞ。神がこ度に世界を変えるのは始めの始めから決まっておったことぞ。神が世界を変えるから、そなたらは身魂を磨けよ。そなたの身魂の掃除、洗濯ぞ。そなたの身魂を神の心にすることぞ。真釣りに戻すことぞ。魔釣りのままではどうにもならんぞ。魔釣りでは世が滅びるばかりであるから、キレイサッパリ真釣りの世に取り替えるのであるぞ。真釣りの身魂でなければ生き返れん世界であるぞ。真釣りに生きればそなたの掃除が進むぞ。そなたがミロクに生き返れば、そなたから見ればミロクの世界が目の前に広がるぞ。そなたが世界を変えるのではないぞ。この方の創った世界にそなたが来るのでござるぞ。そなたから見れば世界が変わったのと同じでござるぞ。そなたが外を変えようなどと申すのは、神を変えよう操作しようとして居るのと同じでござるぞ。世紀の大魔違いでござるぞ。
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 今の世は、すべてのすべてがコントロールの世となりておるではござらぬか。いい加減にその態度を改めてくだされよ。この方が変えた世界にそなたが行くのでござるぞ。くれぐれも取り違いなさらないでくだされよ。魔釣りのままでミロクを想像して今の世でミロクを創ろうとしてもミロクはできんぞ。ミロクの型を出すのではないぞ。真釣りに生きればミロクの型が出るのぞ。ミロクを出そうとするその心をやめよ。そなたが想像した世界は魔釣りの世界ぞ。相対的善悪の善の世界ぞ。世界を変えようとする態度が、そなたが魔釣りの証であるぞ。至善を知らずに自然を戻そうとなさるからますます壊れていくのでござるのぞ。エコロジーなるまやかしに囚われて居らず、自らの掃除をしてくだされよ。そなたが世界を変えるならばそなたが神でござるぞ。そなたが神ならば、できないことがあることがオカシキことでござるのぞ。そなたは神の中で生かされておるのでござる。この方の申す通りにやれば何の不都合もござらん。今今のそなたが壊した世界は、そなたの今の態度が創りだした世界でござるぞ。そなたの態度をそのままで、外を善くしようとしても善くならん。善悪の善を形にしようとしておるから、ますます悪くするばかりでござるぞ。悪排除して善を創ろうとしてきたから、偏った破壊の世と成ったのでござるぞ。ここに来てまだ続けるお積りなのか。そなたは自殺したいのか。いい加減に目を覚ませよ。

 そなたの生き方を魔釣りから真釣りに変えることがそなたがミロクに生き返るただ一つの手段でござるぞ。魔釣りと真釣りは裏表でござる。アベコベでござる。魔釣りから見れば真釣りは非常識ぞ。鬼でござるぞ。悪魔に見えるぞ。冷たく見えるぞ。愛がないように見えるぞ。苦しいぞ。辛いぞ。怖いぞ。痛いぞ。損するぞ。勇気がいるぞ。すべてはそなたが魔釣りに生きてアベコベにしたからぞ。ツベコベ申す者は魔釣りのままでござるぞ。そなたが魔釣りに居るから、取った自分を自分じゃと思って居るから、取られたやられた傷つけられた騙されたと被害者を演じることになるのでござるぞ。そなたがこの方のものを壊しておいて、不平不満を申すとは自分勝手な話でござるぞ。最後の最後は全部お返し頂くぞ。身魂になって責任を取って頂くぞ。そなた自ら掃除をすれば、そなたがしただけこの方はそなたを助けるぞ。そなたが掃除しただけ楽にして差し上げるぞ。
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 そなたのものは始めから何もござらんぞ。そなたはこの方の貸しものを使って遊んで居るだけでござるぞ。この方が今のこの世界を壊せば、そなたには何も渡せるモノはござらんぞ。そなたが取ったものはすべてお返し頂くぞ。そなたが壊しただけの苦しみは体験して頂くぞ。肉体の生死越えた身魂の掃除でござるぞ。そなたの肉の身はこの方のものでござるから、そなたのメグリを渡す道具でもござるから、取り違え無きよう。そなたがどのような状況になろうとも、そなたのメグリの結果でござるぞ。そなたのものは身魂だけでござるぞ。そなたが人に渡せるのは体験だけでござる。そなたがゼロならば、そなたは何も取られるものはござらんぞ。そなたが始めに取るから取られることになったのぞ。本来のそなたは渡すことができるだけでござるぞ。そなたが渡せばそなたに戻るのでござるぞ。すべてのすべてをゼロにするのが掃除でござるぞ。そなたが壊しただけそなたが壊れてゼロでござるぞ。そなたの身魂は死んでおらんぞ。そなたの生死は最後の最後に決まるのでござるぞ。ミロク開くまで決してさぼらんでくだされよ。何があっても決して諦めんでくだされよ。そなたはこの方の中でござるから、そなたに掃除ござれば、そなたが死ぬことはござらんぞ。そなたが壊しただけを償うのが掃除でござる。そなたがしただけ返せばよいぞ。ゼロから外しただけ戻せばよいぞ。そなたがしただけ過不足無くピッタリでござるぞ。余分も不足もござらん。そなたの財産は身魂の体験だけでござるぞ。
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 真釣りの者には、勇気も苦しみも怖いものも悪魔も、そんなものはありもうさん。そなたが魔釣りの者ならば、勇気をもって魔釣りの世のそなたを捨てて、命を捨てて決死の覚悟でやりなされ。自殺しろと申して居るのではござらんぞ。魔釣りの世でのそなたの持ち物を全部捨てて、コダワリを全部捨てて、赤子になって掃除にかかれと申すのぞ。そなたのイノチはこの方が預かっておるから、死んでも続くから、何も恐れるものはないぞ。掃除せんことが、最も恐ろしいことでござるのぞ。核も噴火も戦争も地震も、それ自体が「怖いもの」ではござらんぞ。危険なものや怖いものを創るのはそなたの魔釣りぞ。戦争を怖くするのはそなたでござるぞ。そなたに失うものなければ、そなたは何を怖がる必要がござるのか。そなたの肉の身はこの方のものぞ。そなたには死はござらん。怖いものがあるのはいかなることでござるのか。そなたが握って居るだけ怖いことになるぞ。真コトの安全は真釣りに戻ることでござるぞ。この方のもとに帰ることだけぞ。神の創る世界、神のもとにおれば何も怖いものはござらん。本来ならば魔釣りは自ら滅ぶのぞ。それが神の掟ぞ。犯罪者は罪を償うのが人間の世界のルールであろうが。神の世界も同じであるぞ。神の掟は真釣りであるぞ。真釣り戻すが罪の償いでござる。もともと罪などござらんぞ。そなたが創ってそなたが償う一人芝居でござるのぞ。神の掟の犯罪者、魔釣りにに生きるそなたらを、大神様の情けを以って、真釣りの世に導く「開(あ)くの仕組み」でござるぞ。
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 真コトに生きるを真釣りと申し、魔コトに生きるを魔釣りと申すなり。真釣りも魔釣りも元つ仕組みのマ釣りにありて、元は一つにつながれど、裏と表のハタラキで、現れは全くの逆様となるぞ。どちらのマ釣りを生きるかで、全くアベコベの世を創りだしてしまうのじゃ。魔釣りで創ったホドケの世を、真釣りで建て直す、最初で最後の大掃除でござるぞ。魔釣りと真釣りは同居はできず、元のマコトの神世、すべてが真コトに変わりたその後は、真釣りの者だけが生きる世であるぞ。世界が真コトに変わるのでござるから、魔コトで学んだやり方は、もはや通用せんのが道理でござろう。魔コトのやり方を続ける者は、どんどん厳しくなっていくからその積もりでおれよ。今まで学んだ魔コトの教えは、闇も悪も一点の曇りなきまで掃除せねばならん。光だけの神の世に、悪や闇を持つ者の居る場所はもはやどこにもないのじゃ。次の世は、悪や闇を持って居る者は、行かれん世界であるということぞ。一点の穢れも無く掃除せねば、そなたにミロクはござらんぞ。
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 真釣り外しのそなたらは、真釣りを外して悪避ける、掟破って逃げ回る、臭き魔釣りの悪魔でござる。犯罪者が刑を逃れて逃げ回って居るのと同じでござる。そなたはこの方の中でござるから、そなたはこの方から逃げられんから、この方はそなたを黙って泳がせて居るのでござるぞ。そのまま逃げれば全員地獄の修羅場となりて、最後の最後は死刑でござるぞ。誰一人としてこの方からは逃げられん。掃除終わって真釣りに戻れば、嬉し楽しとなるのでござるぞ。次のマコトの神の世に生きて戻るためには、身魂の完全掃除が条件じゃ。永遠(とわ)のマコトの神の世の、真コトのイノチに生き戻るには、地の日月の神成るためには、どうあっても避けては通れん関所でござる。真釣り戻しが新しき世への転生の条件じゃ。魔釣りのままではもう転生はできんぞ。そなたは死ぬぞ。

 借銭持たぬ身魂は一人として居らん。我(われ)は掃除は要らん、我(われ)は神の化身なり、我(われ)は救世主なり、神示はインチキじゃ等と申す者こそ、元の元の根の底からひっくり返す大掃除が必要であるぞよ。最初で最後のこの大切な時期に、真コトの神のフリをして魔コトの神を語って人民を混乱させ居る者、元の元の元の親神が得心いくまで相手をするから、覚悟してかかってこられよ。こ度はハラとアタマの戦いぞ。今まで通用したどんな脅しも、この方には通用せんからハラを括って参られよ。いよいよとなって、自らのマ違いに気づいても、身魂の掃除無くしては、どんなにすがってきても、どんなに泣きわめいても、どんなに神や仏に祈っても、金や学や教では何もならんぞ。そなたがしたことを返すまでは、この方は許さんから、よく覚えておけよ。身魂の掃除なくしては、この方とて助けることはできんのぞ。今度ばかりは、どんな脅しも付け届けも力も通用せんぞ。自らしたことを自ら責任をとる。それがマコトの神の仕組み、それがマコトの掟ぞ。
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 そなた(という身魂)が生まれて以来、今の今の今今まで幾多の人生に渡ってしてきたことは、マコトの神の世の調和を乱す大罪ではあるが、最期のここの瀬戸際で、マコトに改心を致して神の心に戻るならば、すべてを許して、この方の家来である正神真神の御霊統の神々にも総出をお願いして、この方、喜んで掃除を手伝うぞ。この方、自らの御子が、御親であるこの方の元へ戻ってきてくれることを切に願っておるのじゃ。真釣りに戻ればこの方の神界に帰れるのでござるぞ。この方の元に一旦帰り来れば、この方はもう離さんから、何があっても安心してついてきてくだされよ。真釣りを忘れて楽をして、世を乱す魔釣りにとらわれしは許しがたいことなれど、そなたが改心するならば、真釣りの世へと来てござれ。そなたが今までしただけのことはしてもらわにゃならんが、今までまき散らした不調和だけの分は苦しいことになるが、苦しいなりにも楽に済むようにしてやるから、神の世に生き戻れるように、最初で最後の大掃除を頑張りてくだされよ。万古末代一度きりの永遠の天国を得るご苦労でござるぞ。そなたは身魂は生きているのぞ。肉体の死は死ではないぞ。死んでも続く身魂の掃除でござるぞ。生きて戻れるように死んでくだされよ。これが最後の最後、そなたの元のオヤからの、本当に最後のお知らせじゃ。
P191
 すべては神の計らいぞ。神が先で人があと、親が先で子が後ぞ。神無くしてそなた(という身魂)はなかったと最期のここでお気づきあれよ。そなたはこの方の産み生んだ尊い御子(おんこ)でござる。この方とてかわいいわが子を見殺しにはしたくないのぞ。神の気持ち、マコトの親心、分かってくだされよ。そうは申しても、神の掟を外す者は世を乱すだけで、他の御子に迷惑が掛かるから、次の世には生かさん仕組みを構えしぞ。ここまで申してもまだわからん、聞き分けのない御子はもう要らぬ。神成る自覚のなき身魂、元の初めの約束通りに致すぞよ。この方との約束をよもや忘れたわけではあるまいな。今ここで思い出したならば、早う掃除を始めてくれよ。そなたがどうあってもこの方の申すことを聞かぬと申すならば、ここまで生かしたそなたのイノチ、最後の最後に頂戴致す。本来ならば、神の掟を破りし身魂は、とっくのとうに滅びて居るのぞ。最後のミロクへ連れていきたい親心から、情けをかけてそなたの身魂を生かしてきたのでござるぞ。
P191
 掃除をさぼりたいならばそれでよい。後僅かで消える運命の物質の世、最後の人生お好きなようになさるがよいぞ。そなたはそれでよいが、くれぐれも真コトの者のお邪魔にならぬようにしてくれよ。地位も名誉も財産も肉の御身も物質のハコも何もかもが消えるを待つばかりのものでござるぞ。いつまでしがみついているお積りか。そなたのしがみついているものは魔釣りの道具でござるのぞ。魔釣りの道具を使って真釣りに戻す掃除を致すのぞ。もはや役目を終わった掃除の道具ぞ。そなたがいくらしがみついても後少しで無くなるものでござるのぞ。そなたの身魂の掃除が無ければ、そなたの居るところはないのぞ。そなたが魔釣りに走らねば、今ここの世も嬉し楽しの世でござったのぞ。そなたが真釣りをを外したから、魔釣りの世となりたのぞ。
P192
 この方は、そなたの真釣りを自ら戻して欲しいのじゃ。掃除終わった身魂だけが次のミロクへ行けるのぞ。すべてはそなた自身の成せし結果でござる。神恨むでないぞ。神恨む、人恨む、その心がそなたのイノチを奪うことになるのであるぞ。魔釣りの世を進めてきたのでござるのぞ。自ら以外のせいにする、そなたがそなたを消すのであるぞ。神のミロクはすでにできているのぞ。早う掃除、洗濯結構ぞ。そなたが内が悪ならばミロクには行けん。そなたが調和の善に戻れば、ミロクの世の民ぞ。末代続く永遠の天国ぞ。そなたが思い込みで動けば、その通りになるぞ。善も悪も地獄も天国もどっちも思いどおりになるぞ。神の申すことに耳を貸さず、好き勝手に世を荒らし、最後にマコトに気づいても、その時ではもう遅いからハラを据えて聴くことぞ。ギリギリになったらやればよいなどといい加減に扱っていると、悔やんでも悔やみきれん、取り返しの付かんことになるから、今ここから、そんなことは起きるわけがないと思う時から、キチガイと言われる時から、厳しく申すのでござるぞ。そなたが一度に真釣りに戻すのは至難の技でござるのぞ。
P192
 そなたのしたことをすべて知って居るのはこの方だけでござるのぞ。そなたらの借りをすべて返すには今ここから始めんと間に合わんのでござる。現(こ)の世は突然に変わるぞ。現(こ)の世はこの方のココロの中ぞ。この方のココロの世界ぞ。大神様のルール通りにこの方のココロを形にしていくぞ。この方がココロを変えるから、そなたらにこの方の計画を語ることになるのでござる。この方は何千年にも渡って語り続けて居ったのぞ。この方はそなたらを産み生んだその時に、すべてを構えありたのぞ。一つ一つ創って居るのではござらんぞ。それはそなたらの見ておる知恵で勝手に創りだした幻想でござるぞ。そなたから見れば一つ一つ時間を追って現れるだけでござるぞ。神に時空はござらんぞ。
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 この神の申すことが真コトでござるぞ。ミロクもすでに出来て居る。そなたらは出来て居るミロクに向かって歩いておるだけぞ。人間から見たらもう時間がないから、この方がすべてを明かして、この方の計画に合わせてそなたの掃除が進むようにさせているのでござる。いつまでも人間の枠の思考でこの方の申すことを判断して好き勝手をしておると、この方はもうどうなっても知らんぞ。そなたらはこの方のココロの中に居る。そなたが世界を変えようとして居るのはこの方のココロを変えようとして居るのと同じぞ。この方のココロを替えようとしても無駄な抵抗ぞ。この方がココロを替えれば、そなたから見たら世界が変わったように見えるのぞ。調和の神の心を不調和の悪の心に変えようとするなどとんでもないことでござろうぞ。そなたがこの方に抵抗するほど、そなた自身が苦しむぞ。
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 この方、そなたという身魂を産み生んでから今の今まで、そなたが生まれ変わる度ごとに、三千年の長きに渡って、真釣りに戻せと申してきたのぞ。今までの常識を持ち出して三千年かどうかと探ってもマコトのことは分からんぞ。数字にこだわるそなたは魔釣りの証ぞ。何を基準にこの方の申すことを判断しておるのじゃ。今までの常識がすべてアベコベざと申しておるのぞ。素直に取れよ。もう時間がないから、この方の仕組みは出来ておるから、この方の計画はどんどん進むから、ミロクが近いから、しつこく申さんと間に合わんから、嫌われても避けられても蹴られても罵声を浴びせられても、悪魔だ鬼だと言われて地の底に封じこめられても、悪者になりて、掃除せよ、洗濯せよと、うるさき程に、しつこく厳しく、一人一人のココロに語りかけていたのでござるぞ。魔釣りの神に囚われてアレコレ屁理屈申す者ばかりで素直に聞く者は僅かでござる。自らに都合の善い宗教や哲学を創りて、自らに都合の善い神を創り、自らの魔釣りが創りた悪を避け苦を避け、楽してミロクに行こう等と虫の良いことを申しておる臭き身魂ばかりじゃぞ。

 天国に行くことはそんなに甘いものではござらんぞ。元々は天国でござるから、そなたらが真釣りを外さなければ、地獄も大掃除も無かったのでござるぞ。天国から天国に行くのでござるから、何の苦しみも問題もないでござろうが。そなたらが部屋から部屋へ移るようなものでござるぞ。今今のそなたらは、水の部屋の中にある空気の部屋から外に出るようなものぞ。この方は外の水を内に入れて居るのでござるぞ。そなたが泳ぎ方を覚えなければ、そなたは死ぬでござろうが。そなたはまったくアベコベの世に行くことになるから、大掃除が必要になるのでござるぞ。闇から光に出るのでござる。自らの内にこの方の声があることをキレイサッパリと忘れ、外を探す身魂が多いから、御用の身魂を世に降ろし、神示を出して目に見えるようにも教えていたのであるが、悪の仕組みに囚われし者甚(はなは)だ多く、我(われ)善し勝手の取り違い甚だしく、神の真意は一向に伝わらず、手前勝手な神を作り、ますます乱れし世としてしまったのでござるぞ。御用どころか掃除の手間を増やす者ばかりでござる。今度の今度はすべてのカラクリを明かしているのであるから目を覚ましてくだされよ。御用の者は、いつまでも悪の御用をして居らずに、しっかり御用を致してくれよ。この者の為すこと申すことを、よく見て聴いて、真コトの真コトを知ってくだされよ。今ここで改心なければ、もう容赦は致さんぞ。
P195
 そなたはこの方のココロの中ぞ。この方のココロの映像を世界と申して居るのぞ。この方がココロを変えればそなたから見る世界は変わるぞ。そなたのイメージとは別ものぞ。そなたはこの方の世界をコントロールすることはできん。この方が悪を許さんイメージを創れば、そなたらは悪は出来んぞ。この方がココロを変えれば、掃除を始めれば、ミロクに変えればそなたらの目の前は、突然変わるぞ。突然ぞ。そなたが掃除をして居れば、この方のココロが見えてくるぞ。この方はそなたのイメージ通りになどしておらんぞ。この方のイメージがそなたに伝わるだけぞ。そなたに合わせて掃除をしておるわけではござらんぞ。そなたは真釣りが当たり前。真釣り外したそなたがこの方に合わせて掃除するのが当然でござるぞ。この方の申す通り、イメージに、ココロに出る通りに、悪も危険も恐れも何も全部体験すればそなたは天国ぞ。この方のイメージ変わればそなたらから見える世界は突然変わるぞ。そなたがそなたの体を自由に動かせるように、この方も同じことをしておるのぞ。そなたはこの方の映しぞ。この方が、そなたから見たら天変地異に見えるものをイメージすればそなたらはそれを体験するぞ。この方の世界をそなたらがコントロールすることはできんぞ。そなただけの幻想でござるぞ。人も神がついておる。人に怖れがあるからコントロールできるのぞ。そなたが変えたのではないぞ。勘違いするなよ。
P196
 この方がここまで申しても、悪神に囚われた今までのアタマでツベコベ申す者、我(われ)とは関係なき宗教である、神事(かみごと)であると申す者は、それでよいから、最後の大掃除までお好きになさるがよいぞ。真コトの者のお邪魔にならぬよう、最後の人生をせいぜい楽しむがよいぞ。永遠のイノチをいらんと申すそなたには、神はもうご機嫌取りは致さんから、神の仕組みを厳しく致して教えるから、マコト無き者は一人として許さんから、言っても分からん者には身を以って教えるから、覚悟しておれよ。この方の大掃除は一夜漬けは効かんから今からやっておけよ。

 この方のフミは、魔釣りの者から見れば、脈絡がないように見えるが、すべては一つの目からそなたらの世界を語って居るのぞ。すべて繋がっておる。申して居ることは一つでござるぞ。そなたが分かりた所からどんどんやってくだされよ。そなたがしただけ怪我をすることもあるぞ。怪我も薬でござる。そなたがしたことを引き受けると申すのは、そなたが外の責任にしたことをそなたが受け戻すことでござるぞ。これがマコトの反省ぞ。反省しておるならば、被害だ、犠牲だ、やられたされたと申す、その臭き心を掃除することぞ。来たものはそなたがしたものでござるぞ。そなたがしたことが返っておる。何世にも渡って身魂のそなたがしたことでござるから、くれぐれも今世だけの目で「何も悪いことはしてないのに」「何の罪もない人を」等と申すことの無きようにしてくだされよ。
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 そなたがしておらんことはそなたには返らんぞ。神先人後、霊先体後。そなたの体に出てくるものは、そなたがしたことでござるぞ。何でも正直に表現することでござるぞ。悪裁くが悪。自分のしたことを相対の善悪で裁いて秘密にして苦しんで居るのは自分でござるぞ。他人の悪裁く者が悪人ぞ。そなたの体験はそなたのしたことぞ。そなたがしただけは返して頂くぞ。調和を乱して居りて自分だけ傷つかんで天国行けると思うなよ。今して居ることがそなたのしてきたことの証。いつまでも屁理屈をこねておらんで、自らのしてきたことを素直に認めなされよ。どんなに隠してもこの方からは丸見えでござるぞ。

 そなたが、文字をココロで読むということは、黙読(目読)するということは、この方の言葉を聴くことと同じでござる。肉の耳で、物理的な音で、この方の言葉を聴こうとしても無駄なことでござるぞ。聴こうとするほど真コト神の声は聞こえんぞ。聴こうとするほど魔コト神の声が聞こえるぞ。魔コトの神の声を語る人間が、奇跡を見せる人間がそなたの前に現れるぞ。そなたは宗教に引っ掛かったと申すが、超能力は嘘じゃと申すが、そなたに原因がござるのぞ。そなたがこの方の申す通りに素直に生きておるならば、必要なものは、人を通してこの方がすべて渡すから、超能力などいらんのぞ。本もテレビもポスターも人の話も絵も音楽もお金も、すべてのすべてがこの方の世界の中で人を通して形になって居るものでござるぞ。人を通して渡すと申すのは、人を通して形にすると申すことでござる。そなたと人の出会いをつくって渡すと申すことでござるぞ。
P198
 損も得も怪我も病気もお金も食べ物も考え方も音楽も騒音も文句も暴力も殺人事件も地震も台風も火事も喧嘩も、そなたの回りにあるものはすべて、そなたのメグリ相応にこの方がそなたに渡しておるものぞ。そなたの身魂の掃除相応にこの方が渡して居るものでござるぞ。お陰が欲しければ、自らのしたことの結果から逃げるのをやめることでござるぞ。損や怪我や病気やトラブルを避けないことぞ。そなたがこの方の世界を傷つけただけは返して頂かんとそなたはゼロ(調和)には戻れんぞ。そなたが掃除終えればお陰だけになるぞ。お陰が当たり前でござる。お陰に戻るための怪我もお陰でござるぞ。そなたが心に曇った眼鏡をかけて居るから、都合の良いものだけをお陰と申し、嫌なものを排除しておるだけぞ。すべてのすべてがこの方からのプレゼントでござるぞ。感謝感謝でござろうが。
P199
 そなたが真コトを無視して魔コトを生きるから、そなたの想うようにうまく行かんのでござるぞ。魔コトで生きればそなたの回りは怖いものが多くなるから、そなたは動けなくなるから、何もできなくなるから、人をコントロールするしかないのでござるぞ。自らが自らに制限をはめて、動けなくして、人を操作するとは、人の責任にするとは、何事でござるのか。魔コトは不調和、真コトは調和。殺人が、泥棒が、横領が、違法駐車が、恐喝が、犯罪が悪なのではござらんぞ。調和乱すのが悪でござる。悪を裁くのが悪でござるぞ。悪くした者を悪く申すのが悪でござるぞ。そなたにメグリなければそなたは悪くはならんぞ。悪くなるのはそなたのルール違反の結果でござるぞ。掟破りのツケでござる。真コトの神の世のルール違反でござる。掟違反ある者は天国に居ることあたわず。掟違反を清算した者から、天国のドアをくぐれるのでござるぞ。

 人が人をコントロールすれば調和などござらんぞ。自由などござらんぞ。自分だけ勝手な自由でござる。そなたがルール違反をしたままでは、そなたに天国はないから、調和に戻す仕組みを構えあるのぞ。そなたが不調和を続ければ続けるほどうまくいかんようにして、調和を乱しておることを知らせる仕組みでござる。そなたの不都合は、誰のせいでもなく、そなたが今までしてきたルール違反の結果でござるぞ。そなたが不調和続けるならば、ますます行き詰まっていくぞ。そなたが我欲で、どうあっても、不調和のままで、人をコントロールして手に入れようとするならば、どんどんうまくいかなくなるぞ。そなたが魔コトに生きるならば、真コトから外れるならば、この方は容赦は致さんぞ。この世界のどこへにげようともそなたの身魂はこの方の中ぞ。警察からはにげられるが、この方から隠れることはできんのぞ。そなたは身魂であることを夢々お忘れなさるなよ。悪くなって善くなる仕組み。壊して創る仕組み。開くの仕組みがミロクの仕組みでござるのぞ。いつまでもそなたらの相対二元の善悪の眼鏡で見ておるとどんでん返しを食らうぞ。
P200
 ミロクに近づくほど、神の掟は厳しくなるぞ。掃除が激しくなるぞ。不調和して居る者ほど苦しくなるぞ。これから先は、魔コトの者は許さんことに規則定まったのぞ。調和に戻す仕組みを強化するから、ますます旨くいかなくなるのでござるぞ。そなたらの時間で見てミロクに近づくほど天国に近づくのでござるから、調和から外れて居る者ほど厳しくなるのは当然の道理でござるぞ。神の仕組みは出来て居る。そなたら人間が変えることは出来んぞ。神から見れば時空はござらんから、過去も現在も未来も一つでござるから、ミロクは出来ておるから、そなたの掃除とは関係なしに外の掃除は進むのぞ。

 そなたらの都合で変えることは出来ん。神の掟は動かんぞ。そなたらに不調和ござるのはそなたらが掟違反をして居るからぞ。そなたが神の仕組みに合わせなければ、そなたがきつくなるだけぞ。ミロクは決まって居るから、もう出来て居るから、そなたから見れば時間が無くなるから、借銭払いの期間が短くなるから、メグリ持つ者ほど返済がきつくなるのでござるぞ。最後の一括払いはきついぞ。そなたらがしただけまとめて一度に返して頂くのでござるぞ。このフミ読んでツベコベ申して居る者は、借銭、ルール違反たくさんござるぞ。今ここで違反して居るということは、今までずっとしてきたのでござるぞ。メグリ多いぞ。外の大掃除は着々と進んでおるから、早く掃除始めんと間に合わんぞ。
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 そなたがルール違反をしておいて、自らの想い通りに、欲しいものを早く手に入れようとするのは、身欲丸出しの、我(われ)善しの、自分勝手の、ご都合主義の生き方でござるぞ。キマリを破るのは人間の法治国家なるゲームでも許されんことでござろうが。そなたが掟違反をしておれば、そなたが死ぬのぞ。そなたがどんなに極悪人でも、そなたがしただけのルール違反を清算すれば、そなたが調和に戻せば、真釣りを戻せば、ゼロに戻れば、天国に行けるのぞ。一人一人の身魂の掟破り相応に掃除のご苦労が必要でござるから、平等でござるぞ。甘い汁を吸った者ほど厳しくなるぞ。今までとは上下逆転じゃ。

 神の仕組みは動かんから、時間を追ってどんどんミロクが形に見えてくるぞ。大掃除がどんどん形になってくるぞ。一人一人の掃除具合が、一人一人の生死を決めるのぞ。この方はそなたの掟破りは絶対認めんぞ。そなたがどんなに善人じゃと申しても、神の掟に違反しておれば、この方はそなたを助けることはできんぞ。そなたらの法律のことではござらんぞ。身魂の社会のキソクのことでござるぞ。神の掟破りは天国ないぞ。調和に戻さんと、ゼロに致さんとミロクの民にはなれんぞ。傷つけただけ苦しめよ。そなたのしたことでござるから、差引ゼロでござるぞ。文句を申すところはござらんぞ。ミロクが近づいて居るから、一括清算が近づいて居るから、早う自ら清算を始めてくだされよ。
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 そなただけがそなたの都合で動くならば、そなたは我(われ)善しでござるぞ。この方は全員が想い通りになるように、想い通りに生きられるように、想い通りに出会えるように、現の世を創ったのでござるぞ。その世界を壊したのはそなたらでござる。不調和の世界で自らの想い通りにしようとすれば、それは自分勝手と申すもの。そなたが外への責任転嫁、外のコントロールなしで欲しいものが得られんのならば、そなたの真釣り外しは明白でござるから、辛抱肝心でござるぞ。そなたの想いをすべて果たそうなどおこがましいぞ。そなたの夢はミロクまでおあずけじゃ。まずは心の掃除をしてくだされよ。

 そなたがそなたの想いを行動して必要な者(物)が来るのを待つ。世は需要と供給の関係でござるぞ。そなたが出さねば入らんぞ。そなたが取って居るならば、限界くればそれ以上入らなくなるぞ。枠の世界で溜めたり取ったりすれば偏るのは当然のことでござるのぞ。今今の経済状況は、枠の世界の現界でござるぞ。出さねば入らん仕組み。入れたら出さねばバランスが偏るぞ。借金を借金でかえすならば、最後は自分に借りねばならなくなるぞ。そなたが傷つければそなたが傷つく仕組み。そなたがしたことを逃げても、最後の最後で死刑でござるぞ。そなたは神の掟からは逃げられん。この方からは逃げられんのでござるから、掟違反を清算すれば天国に行けるのでござるから、いい加減に観念してアタマを下げて掃除に励んでくだされよ。自らのしたことが自らに返るのでござるぞ。そなたが調和ならそなたは天国ぞ。そなたの元はゼロでござる。すべてのすべて呼吸が大切ぞ。
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 そなたは物質の世界に居るから、物質を欲しがるのは構わんが、そなたが真コトに生きておれば、いるものはすべてこの方が人間を通して渡すのでござる。そなたも人も損得なしが真コトの姿でござるのぞ。呼吸するだけ、与え合うだけ、交換するだけでござるからぞ。そなたがいるものは人があげたいもの、人がいるものはそなたのあげたいものでござれば、損も得もござらん。そなたが魔コトに生きておるから、取りあいをして居るから、そなたが身魂の人生を通じて魔コトで生きてきたから、今世のそなたが損や病気や怪我をするのでござるぞ。すべてうまく行かんのでござるぞ。そなたが原因でござるぞ。どこかに責任転嫁すればますます自らを苦しめることになるから、ご自覚召されよ。
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 超能力や予知や予言や特別な能力や奇跡を求めるのは、魔コトの神に囚われておる証拠でござる。真コトの神は、強制も禁止も命令も手出し口出しも致さんぞ。真コトの神は、戒律も罰も創ってはおらんぞ。そなたは何をしても宜しいのでござるから、自らしたことを清算する責任を取る積もりがござれば、危険なことも怖いことも、そなたの行動を止める理由にはならん。傷ついて傷つけた清算となるのでござる。出した不調和を戻して調和でござるぞ。そなたには何の制限も障害もござらん。そなたは何を避けて居るのか。そなたが苦しくなるのはそなたがしたことではござらんか。そなたが壊しただけそなたが引き受けるのでござるから、いいのかな、と申すセリフはそなたには必要ござらん。失敗して、損して、怪我して掃除するのでござるから、そなたに真釣り外しあれば失敗も怪我も成功に向かう清算のプロセスでござるから、出来ないと申すのはオカシキことぞ。

 罪悪感はそなたが創って居るものぞ。そなたが悪くなるのを避ける言い訳でござるぞ。避ければ避けるほど、最期の清算が厳しくなるぞ。言い訳するほどそなた自身が苦しくなるぞ。そなたがそなた自身を制限するならば、どうしたらよいのか、いいのかどうかと聞くならば、価値判断するならば、悪を避けるならば、それは魔コトの神の申す通りに掟違反を進めておる証ぞ。戒律をつくっておらんとこの方が申しておるのだから戒律は一つもござらん。この方は一〇〇%でござるぞ。素直に取れよ。アルと申すならば、それはそなたが勝手にやっておることでござる。常識が、社会が、神が仏が云々と何でも外のせいにして居るのは、動くのが怖いからぞ。掟破りの責任を取っておらんからぞ。責任転嫁が掟破りそのものぞ。そなたが真釣り戻しの苦を避けるから、怖いことを避けるから、自らのしたことを棚上げして悪くなることを避けるから、常識や社会や宗教が戒律になるのぞ。神の祟りや悪魔の呪いが出来るのぞ。悪魔を創って居るのはそなた自身でござるぞ。
P205
 この方が戒律でそなたら人間を縛ることはないのでござるぞ。そなたがしただけ返して居るだけぞ。神の祟りはそなたの掟違反の結果ぞ。神のせいと申すのは掟違反ぞ。神のせいに致すから神の祟りになるのでござるぞ。そなたがそなたに戒律をはめてそなたを動けなくしておるのぞ。そなたを封じ込めて居るのはそなたでござるぞ。すべてのすべてそなたの申す通りになって居るでござろうが。それをやめることが、そなた自身に素直にやることが、真コトの神のやり方でござるのぞ。戒律はないと申すこの方に『でも』と申せば、そのそなたの理由は、そなたの理屈は、そなたの創りた戒律でござるぞ。魔コトの神もこの方の生んだ神でござる。他力本願では何もならんぞ。他力に頼って文句を申すようではミロクはないぞ。この方に頼って自分で生きよ。そなたが頼るのはこの方だけでござるぞ。そなたがこの方を頼ったら自力で行かねばならなくなるぞ。そなたが自力でいくことはこの方の他力に頼ることでござるのぞ。この道理わかれば文句は言えなくなるぞ。

 この方は、生死を超えた神でござるぞ。そなたらの肉の身を生と申せば身魂の世界は死でござるぞ。そういう意味の生死を超えた神でござる。この方はそなたの身魂の親でござるぞ。そなたがした通りのことを形にするだけぞ。そなたの意志の通りに自由に行動させるぞ。この方はするなと申した覚えはござらんぞ。そなたができなくなるのはそなたの魔釣りのせいでござるぞ。そなたが真釣り戻しの苦を避けて、掟破りの責任回避をして、そなたの行動を制限して居るだけぞ。そなたは何がしたいのか。そなたのよいと思うことを素直にすればよいだけぞ。そなたが動いた結果、そなたが悪くなるのはそなたのしたことでござるから、そなたの掟違反の清算になるから、辛抱肝心ぞ。
P206
 そなたは何を探しているのか。正しい答えは外にはあり申さん。戒律創れば制限創り、調和の世界を壊すのぞ。真コトの神はそなたのすることをやめさせることは致さんぞ。そなたが調和を乱せばそなたに不都合が出るのでござるぞ。そなたが不都合を人や神の責任に致せばますます不都合が出るぞ。そなたに不都合出た時は、自らの制限の結果でござるぞ。制限外せばだんだん不都合なくなっていくぞ。清算するまでは辛抱肝心ぞ。どんな考え方をしてもよいのでござる。そなたは身魂でござるから、死は不幸でも危険でもござらん。死を不幸と申すそなたは掟破りの身魂でござるぞ。そなたに真釣り外しなければ、そなたに怪我や事故や損や失敗はござらんぞ。思いどおりになるのが神の世ぞ。

 そなたがしてはならんことは戒律つくることでござる。してはならんことはないと申して、戒律創ってはならんと申すのは戒律ではないかと申す者も居るが、戒律つくっては調和が乱れるだけ、そなたが不都合になるだけぞ。戒律なければ自由でござろう。戒律を創るなと申せば、何でもしてよいと申すのと同じぞ。戒律つくるなと申す戒律を創れば、自由になるのでござるぞ。自由でござれば、そなたのしたことはそなたの責任しかないでござろう。責任転嫁はござらんから、文句は申せんから、戦いはなくなるのでござるぞ。責任と申す概念も消えるのでござるぞ。責任転嫁が法律創り、罰則創り、自らの首を締めて行くのでござるぞ。お互い自らの責任ならば、悪を裁く法律は必要無きものぞ。お互い自由でござれば、そなたらの申す宗教も必要無きものぞ。知識教える教育も必要ござらん。
P207
 そなたらが自由でござれば、自由に遊べるのでござるぞ。戒律が戒律を生んで自らを不自由にして居ることに気づいて居るか。始めの初めの戒律を外さねば、そなたらに自由はござらんぞ。悪を裁くのが悪でござるから、悪を裁く法律や道徳やルールは必要無きものになるぞ。自らしたことが自らに返るのぞ。そなたがしただけこの方が渡すのぞ。全員が掟破りの清算すれば、悪は消える道理でござる。掟破りの清算が済むまでは、悪を避けても悪は出るぞ。一人一人が自らの違反相応に苦しむだけぞ。悪は悪ではござらん。迷惑は迷惑ではござらんぞ。全員が取り違いして居るぞ。悪の中に天国のカギがござるのぞ。
P208
 そんなのはただの屁理屈じゃと申すそなたは戒律をつくっておるぞ。この考え方しか許さない、そんな考え方は善くないと申すのが戒律でござるのぞ。この方は戒律を創っておらんから、そなたがそういうことを言えるのでござるぞ。戒律がないから戒律が創れるのでござる。そなたらのしたいことができるのでござるぞ。戒律創って制限すれば、そなたらが不自由になるだけでござるから、この方には関係無きことでござる。この方は自由にして善いと申して居るのでござるから、そなたらの自業自得でござるぞ。いやならやめればよいではないか。この方や他人に責任をなすりつけてもそなたは自由にはならんぞ。そなたが掟違反をしたならば、悪を避けても無駄でござるぞ。言い訳は自らを不自由にする理屈でしかござらんぞ。そなたがしたいことをすればよいではないか。

 法律が戒律ではないぞ。そなたの考え方に嵌めた枠が戒律でござる。この方は自由な世界を創って居るのでござるが、そなたが戒律を嵌めれば自分で自分を不自由にすることになるぞ。そんな考え方は出来んと申すそなたが、そんな考え方をした上で出来んと申しておるだけぞ。そなたは「そんな考え方」をして居るぞ。そなたが選んで居らんだけぞ。そなたがそなたを勝手に不自由にして居ることに気づいておるか。この方は何も制限は設けておらんぞ。時間ですら制限ではござらんぞ。そなたがこの方の申す通りにしておれば、掟違反をすべて清算すれば、必要なものはすべて渡すから、何の制限も感じなくなるのでござるぞ。この方の申す通りにすれば、自由になるのでござるぞ。騙されるのを恐れて居るそなたはすでに騙されておるぞ。騙されて損して清算して自由になるのぞ。そなたが悪くなるのを避ければ、自らの自由を制限して居ることになるぞ。この道理分かるか。
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 そなたの問いにそなたが答えればよいだけぞ。そなたの答えがこの方の答えぞ。そなたはそなたの内の声を、いいのかどうかと外に確認しておるだけぞ。外に確認するから、魔コトの神に囚われるのでござる。魔コトの者に騙されるのでござるぞ。そなたが外を探すほど、悪くなるのを避けるほど、そなたは遠回りをしておるのでござるぞ。いいのかどうかと申しても、そなたの答えは決まって居るではないか。何故にそなたは自らを疑うのでござるのか。そなたの学んできた学や教に枠があるならば、今まで学んだものの中には答はないぞ。この方は何の制限もござらんぞ。変なものも不思議なものもござらんぞ。そなたの答えはすべてイエスぞ。そなたのことを変人と申す者が自らを不自由にして外に文句を申して迷惑をかけて居る変人でござるぞ。

 戒律が無いならば、誰に聞いても答はイエスぞ。そなたの答えが正解ぞ。イエス・キリストはイエスの十(神)ぞ。何でもよいと申す神ぞ。何処に聞いてもイエスの答しかないのに外に聞くのは時間の無駄ぞ。ノーと申す者は戒律ある者ぞ。支配の神に囚われて居るから、言うこと聞けばそなたも制限の世に入るぞ。そなたがイエスならばこの方もイエスでござるぞ。そなたの申す通りに素直にやりなされ。自らの答えをノーと申すから葛藤が出来るのでござるぞ。したいことができないのではなく、したいことをしないだけでござるぞ。そなたが葛藤を創っておるぞ。自業自得でござるぞ。被害者演じても茶番劇ぞ。自らが自らを自由にすればよいだけでござる。自らに素直に行動すればそなたは自由ぞ。
P210
 真釣りのこの方はもともと自由の神ぞ。そなたがしたいことをしないだけぞ。しない理由はそなたの理屈ぞ。そなたがそなたを不自由にしておるだけぞ。そなたがそなたの現実を創っておるぞ。そなたを自由にするのはそなただけぞ。そなたがそなたに正直に動きつづければそなたを邪魔する者はいなくなるぞ。そなたに戒律はなくなるぞ。この方の心が見えてくるぞ。魔釣りに生きておるものが文句を申すだけでござるぞ。神の掟を破る犯罪人の苦情など聞かんで宜しいぞ。そなたにバチはないぞ。戒律をはめることがバチを創るのぞ。そなたがうまく行かんならばすでに神の刑務所の中ぞ。バチを避けることがバチに当たることになるぞ。自分のつくったバチに自分で当たりにいくようなものぞ。

 真コトの神を知らぬそなたが、真コトの神を探しても、いつまでたっても見つからん。どれが真コトの神か分かるならば、そなたはすでにマコトの者であるから、神を探すことはオカシキことぞ。真コトの神が分かる者は、外には探さんぞ。すべて自分で決められるぞ。神とは何ぞや等と申す議論とは無縁でござる。そなたのココロを素直に行動することが、真コトの神を知る唯一の手だてでござるぞ。それはできんと申せば、真コトの神はいつまでたってもそなたの中には現れんぞ。神が姿で見えるのではないから取り違いするでないぞ。神が見えないと申して神を見ようとするから、魔コトの宗教に引っ掛かるのぞ。
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 そなたの日常生活が一つでも思い通りにいかんならば、一つでも葛藤があるならば、そなたの神は魔コトの神ぞ。神を拝む宗教はいらんぞ。そなたの生き方が神でござる。魔コトの神の善悪分ける心を掃除することが、真コトに生きる手だてでござる。そなたが今までしてきたことが、善悪分けて居ることが、すでに調和乱す悪でござるのぞ。いいのかどうか、どうしたらよいのかと聞くことが、すでに真コトの神ではござらんぞ。悪くなって善くなる仕組み。悪くしたのはそなたでござる。いいのかどうかと魔コトに聞けば、してはならんと申すなり。真コトの神には疑問なし。

 真コトのそなたは、この方が、この方の家来の神々が添い和して、人間として何でも自分でできるから、神を探す必要などござらんぞ。現世利益(りやく)はすべて叶っておるから、神頼みも致さんぞ。感謝しかあり申さんから、罪悪感はござらんぞ。感謝を要求したり感謝を期待したり感謝しない者に文句を申したりはせんぞ。お互い満たし合いでござるから、文句などあり申さん。自らのすることをいちいち判断致さんぞ。判断するのはうまくいっておらん証でござる。真コトの神がつけば何をしてもうまくゆくのでござるから、どっちを選んでもよいのでござる。迷いがござらんのが真コトの神ぞ。マコトは一つ。
P212
 真釣りを戻すその間は、したことを引き受ける、責任をとるその間は、病気や怪我や失敗が起きるが、それを過ぎればだんだんうまくいくようになってくるぞ。悪くなって善くなる仕組みぞ。真コトの者は自らに問うこともせんぞ。思ったことをすぐやるぞ。当然ながら自ら以外の者に聴くこともせんぞ。神に聴くこともせんぞ。神にお願いすることもないぞ。神は始めからそなたについておるのぞ。神の申す通りになっておるのぞ。この方が居ることは当たり前、この方は空気のような存在でござるから、この方について議論することがオカシキことぞ。この方の申す通りにすることが、そなた自身の申す通りにすることが、この方の意に乗ることが、誠の祈り(意乗り)なり。この方に降参すれば、お真入り(参り)すれば、ミロクの道ぞ。魔に入るからそなたは参ってしまうのでござる。

 そなたが神を探しておるならば、そなたの現実が想い通りでないならば、そなたは魔コトの神に囚われておるぞ。そなた自身のすることを疑っておるならば、この方を探しておるならば、そなたは真コトの者ではござらんぞ。この方を求めるのが、この方に戦いを挑むのが、この方を否定するのが、その証でござる。真コトの神のこの方はそなたの心の声となって語りかけておるぞ。そなたが神の音声を聴こうとするから、魔コトの神が使う者の超能力に引っ掛かるのぞ。神の声はそなたの心でござるのぞ。そなたがすぐに思うことが形にならぬのは、今まで真釣りを外したからぞ。すぐには想い通りにならんぞ。真釣りに戻したならば、何が起きようとも二度と魔釣りに戻らんことぞ。判断するのが魔釣りなり。怪我も病気も失敗も事故も死もすべて真釣りの道中でござるぞ。悪くなるからやめると申すのは、魔釣りでござるぞ。そなたがしたことを避ければ天国はござらんぞ。思うことを行動して形になる。心形にする遊びが人間の世ぞ。思うだけでは形にならぬ。失敗さければ動けんぞ。そなたが守って居るならば、そなたは魔釣りの証でござるのぞ。
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 真コトの神に奇跡はないぞ。奇跡がないのが真コトの神ぞ。真コトの人間ぞ。うまくいって当たり前、喜びしかないこの方の世界に奇跡があるのがオカシキことぞ。この方の力を知っておれば、何がおきても不思議はないぞ。そんなことはありえない等と申す者、自らが魔コトの神に囚われて居ることを白状しておるぞ。自らが真コトでないことを白状しておることを気づかんそなたは、調和を乱す臭き魔コトの悪魔でござる。すべての価値判断を手放したそなたの正直な心が、悪くなるのを避けない心が、そなた以外の者にではなくそなた自身に素直な考えが、そなたの内なる声が、この方の、真コトの神の真コトの声でござるのぞ。真コトは一つ。魔コトは二つ。そなたの心を素直に出せよ。

 この方が、そなたのココロに語りかけても、いつまでも魔コトの教えに囚われおりて、アタマで判断して聴かんから、無視するから、真コトを外に探して居るから、そなたの目に見えるように、そなたのアタマでも分かるように、今ここでフミが出せるように、前もってこの者の心に語りかけ、人間として真コトの体験させて、魔コトを真コトに戻す掃除をさせて、この方の申すことが真コトであると確認させて、誠の真コトを知らしめて、この者の肉身を使って、そなたの肉身の外側に文字にして語るのじゃ。○九十の神の真コトを知らす、これが最期の伝えフミであると心得よ。このフミを一つでも批判したらそなたにはミロクはないぞ。注意一秒怪我一生ではござらんぞ。肉体怪我して身魂直るのぞ。
P214
 この方は、この者に、この御用をする為に、生まれてこの方、魔釣りの中にどっぷり漬からせ、様々な知識を身に付けさせ、様々な体験をさせてきたのでござるぞ。この者は、常識世界も、精神世界も、宗教も、神示も、魔釣りも、真釣り戻しの道もすべてのすべてを通り抜け、神と人、精神と肉体、心と体、魂と体、宗教と科学、見えるものと見えないもの、エネルギーと物質が一つであることを説明し、人間として一つにするための、人間としてミロクへの案内をするためのテクニックを学んできたのでござる。この者はこの方の特派員でござるのぞ。この方直々の訓練を終えた真コトのトレーナーでござるぞ。この者が気づかんように、そなたらが取り違いするすべての状況を体験させて、抜けさせて、そなたらが間違いなく掃除ができるよう、この方が導いたのでござるよ。この方はこの者を使って一人一人の人間の掃除を致すから、この者の申すことを素直に聴いて、掃除に励むがよいぞ。このフミを読むことが掃除の最初でござる。この者が、神を使って自らの理屈に権威をつけて居ると思ったら、大きな間違いでござるぞ。そなたはまんまと悪神の企みにはまっておるぞ。
P215
 人間と神は一体でござるのぞ。この方とそなたらに契約書などいらん。そなたが不都合つくれば不都合を体験し、調和を創れば調和を体験するよう、自らのしたことが自らに帰るようにすべてのすべてを仕組みあるのぞ。そなたが不調和まき散らせば、そなたが消える運命でござる。この方はそなたの身魂が生まれたその時にすべてのすべてを教えてあるのぞ。そなたが魔釣りに走ればこの方が見えなくなるのが分かって居ったから、そのように創ってあるから、最後の最後に真コトをすべて明かして大掃除をするのでござるぞ。そなたが魔釣りに走ったのが原因ぞ。もっと早く、もっと分かるように教えろと申すのはそなたのご都合主義の証でござるぞ。分からんのはそなたの責任ぞ。この方の言葉を聞いて分かったならば、今ここから真釣りに戻れよ。真釣りとは何かと聞くことが魔釣りの証でござるのぞ。善も悪もござらんぞ。危険なのは魔釣りに居ることぞ。肉死んで魂生きるのぞ。してはならんことはないぞ。言ってはいかんこともないぞ。どんな見方も自由でござるから、受け取る方が見方を変えよ。言葉には善悪ないぞ。善悪つけて居るそなたが善悪やめるのが先ぞ。優しく、分かりやすく、差別用語だ云々と申すそなたが差別でござる。

 神は人のイノチ、人は神のイレモノ。神あって人あり、人あって神あるのぞ。そなたのイノチは身魂のイノチ。死んでもイノチは生きておるぞ。人間と申すのは神界の神の動きが現界で形に成った姿でござる。そなたがここでしていることを見れば、そなたが感応しておる神が分かるのでござるぞ。そなたがしておることは丸見えでござるぞ。真コトの神も、魔コトの神も、髪一重(神一重)でござるから、神は一重でござるから、裏と表は一つでござるから、現れ方が、働きがアベコベになるだけでござる。魔コトに囚われた人間には外から見ても見分けはつかん。善悪やめれば真コトが見えるぞ。真コトの神から見ればすぐ分かる。コントロールに善悪判断、文句に脅し、説教、罰に疑い、不信にしつけに戒律、倫理に道徳、禁止に制止に助言に屁理屈、不満に反論、抗議に皮肉、宗教、科学に教育、認めん許せん、悩みに葛藤、戦争、言い訳、すべてのすべてが魔釣りなり。制止は生死が理由なり。どれが真コトかと探して居る者にはイロイロな神ガカリが出てきて訳がわからんようになってござるから、魔コトを真コトと思っておる人間にも分かるように、真コトの神が真コトを知らせる、魔釣りに真釣りを指し示すこのフミでござるぞ。このフミの表面を見ておると何も見えんぞ。指し示す指を見ておらんで、指の指す先にあるものを見てくれよ。そなたらは目の前ばかりを見るから大きな目(視点)になれんのぞ。
P216
 そなたはそなたの見たいものを見ておるだけぞ。そなたの見たいようにそなたの創った眼鏡で見ておるだけぞ。そなたが見たいように見えるのぞ。そなたの見ておるものはそなたの創って居るものぞ。そなたが形を創ったのではなく、この方が創っておる形をそなたの見たいように見てお話を創って居るだけぞ。そなたは人のココロなど見ておらん。人の気持ちなど考えておらん。外に現れたことを見て勝手に自らの眼鏡に基づいて意味付けしているだけぞ。自分の戒律で自分の想像で自分を制限して自分を苦しめて、人の責任にして居るだけぞ。自分の眼鏡で見たものを語って居るだけぞ。人が悪いと申すならば、そなたが悪いものを持って居るのでござるのぞ。そなたの眼鏡は正しいか。そなたの眼鏡は真コトであるか。真コトであるならば、この方の申すことにツベコベ申さんぞ。

P217
 この者は何も判断せずにこの方の言葉をそのまま文字にできるようになって居るから、この者の語ることは、この方の語ることでござるぞ。そなたも含めて、人間の語ることは、すべてのすべて神の語ることでござるのぞ。神がそなたらの心に語っておることをそなたが自らの考えであると思いこんで語っておるのでござる。自らの考えじゃと申すことも神の考えでござるぞ。人間の考えだと思っておるから、平気で人を批判できるのでござろうが。神の祟りを恐れるそなたが神の申すことを批判しておるのぞ。何をしておるかよく考えて見よ。そなたがしておる議論と申すのは神と神の戦いでござるぞ。霊戦でござるのぞ。霊界が現界に現れておるのぞ。現界の戦いは霊界の戦いの映しでござるぞ。霊界と申すも、そは幽界でござるぞ。神界には戦いはござらん。戦いあれば神界には行けんぞ。ミロクは戦いの無き世界でござるのぞ。戦いある者は門前払いでござるぞ。
P218
 いろいろな神が居るからよくよくご注意申し上げるぞ。マコトの神のマコトの言葉をここですべて渡すから、自らが、相手が、どんな神と感応しておるか、よくよくサニワ致せよ。ついていくものを間違えると取り返しの付かんことになるから、今ここで、キッチリと申し渡すぞ。マコトの神を知らぬ者、アヤマチの神をマコトの神と思うこともあるから、気をつけなされよ。そなたのことを申しておるのぞ。人ごとじゃと申す者が一番危ないぞ。この者の語ることは、受け売りの、寄せ集めの、アタマだけの知識ではござらんぞ。真コトの智慧でござるぞ。体験の裏付けがある知識でござるぞ。実践を通しての智慧でござる。考察でござるぞ。結果でござるぞ。判断するのが魔コトの証なり。

 このように申せば、今までの予言や神示の寄せ集めじゃ、この者の潜在意識が入って居る等とすぐに疑うのがそなたらの悪い癖ぞ。そなたの意見の根拠は何か。智慧を知らぬ者が、魔釣りの知恵と真釣りの智慧の区別はつかんぞ。真コト知らん者が、真コトは見分けられんぞ。疑うのは、真コトがない証でござる。疑うことが魔コトの証でござるぞ。真コトを分ける眼鏡しか持たんから、真コトを分からんから、真コトの眼鏡を渡すのでござるぞ。真コトの眼鏡にかけかえて、真釣りに戻る掃除を始めることぞ。そなた自身の心を止めるその基準が魔釣りの知恵でござるぞ。悪くなって善くなれよ。
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 こう申しても、まだ、偽物じゃ、悪神の申すことじゃ等と申す者は、自らがアヤマチに囚われ居る、悪神に感応しておる身魂であると知れよ。そなたの基準にあわんもの、そなたの正しさを崩すものが出てくる度に、何でもかんでもそのような屁理屈を申して排除するから、この方の言葉を無視するから、いつまでたっても真コトの事が分からんのでござるよ。そなたは真コトの者でござるのか。そなたが真コトの者ならば、この方の言葉は一つとして異議はない筈でござるが如何なものでござろうか。そなたが真コトを知って居るならば、外を調べるのは、この方のフミを読んで居るのは、マコトオカシキことではござらぬか。そなたの申すこととこの方の申すことは同じでござるから、全部賛成の筈でござるぞ。真コトの者は、この方が真コトであるかどうか証明せよ等とは申さんぞ。

 そなたは正しい者でござるのか。そなたは善人でござるのか。そなたは正常でござるのか。何を基にそのようなことを申すのか。そなたが正しいならば、この方が何を申そうとも、そなたはこの方のことは気にする必要はないのでござるぞ。そなたの申す通りにそなたが生きればよいだけぞ。この方の申すことに異議を唱えるならば、そなたは分裂しておるぞ。異議を唱えるものは善を掲げておるぞ。そなたは善悪を持って居るぞ。自らが正しいと思うならば、そなたが勝手にやればよいだけではござらぬか。そなたは自ら正しいと思うことを何故に外に聴くのじゃ。何故に証拠を探すのじゃ。何故に外を批判するのじゃ。そなたは真コトの者ではござらんぞ。自分が正しければ自分だけがやればよろしかろう。人の邪魔、神の邪魔をするでないぞ。勝手に魔コトを遊んで居れば宜しいぞ。
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 そなたが真コトの者であるならば、分からんことや不思議なことは一つもないぞ。神が居るか居らぬかという議論をなして居る者は、自らと神を分けて居ることにお気付きあれよ。そなたは分離しておるぞ。そなたがそなたの心を分けて居るのぞ。そなたがそなたの心を分けておらねば、議論は不要でござろうが。真コトの者に不思議なことや分からんことがあると申すのはオカシキことでござるのぞ。分からんと申すのは、外が悪じゃと申すのは、自らの真釣り外しを白状しておるようなものでござるぞ。この方が居るのは当たり前のことでござるのぞ。神を議論するそなたが魔釣りぞ。戦いある宗教はニセモノぞ。

 ここを逃せば二度とは申さん、これで分からねばもう助からん、そなたのマコトのイノチを助けるための、そなたら一人一人に渡す、身魂が生きるか死ぬかの瀬戸際の、ミロクに誘う案内状、この方からの最期のフミでござるぞ。読んで絶対に損はないフミでござるぞ。読まねば取り返しがつかんことになるフミぞ。後になって感謝感激することになるから、後になって後悔することになるから、今まで学んだアタマの常識を使ってツベコベ申さずに、今は黙って読むことが、そなたの掃除の九十(事)始めじゃ。そなたのココロをすべて公開せんと後になって後悔することになるぞ。そなたがどんなに秘密に致しても、この方からは丸見えじゃ。そなたが秘密に致すほど、そなたが枠にはまるだけぞ。そなたが動けんようになるだけでござるぞ。秘密は火水、霊満、神そのものでござる。心に出るものは秘密ではござらんぞ。形で隠しても心は丸見えでござろうが。そなたに見えるもの、そなたが分かるもの、すべて秘密ではござらんぞ。
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 神の情報公開は一〇〇%でござるぞ。神の規制緩和は一〇〇%でござるぞ。岩戸をすべて開くと申すのは、そなたの内にある戒律をすべて外すことにてござるのぞ。何も難しいことはござらんぞ。素直に全部自由にすればよいだけぞ。混乱するのは、悪くなるのは、今までの掟破りの清算ぞ。全員掃除するから混乱するぞ。今の今もメチャクチャでござろうが。どこに平和がござるのじゃ。最後の最後は大掃除。地獄の如き様になるのぞ。自らが調和を壊しておいて、壊すことを悪じゃと申すのはいかなることぞ。壊して創る仕組み。悪くなって善くなる仕組み。取ったものを出してゼロぞ。壊しただけ壊されてゼロぞ。してはいかんことは何もござらん。殺されあろう何あろう、すべてのすべてはメグリ逢いでござるぞ。神の世界を穢したら肉体を怪我して身魂の清算するのでござる。肉体はこの方の貸しもの。そなたのものではござらんぞ。この方が肉体貸して清算させておるのぞ。

 何も慌てることはござらん。今ここで目を覚まして、気づいて自覚して、今ここから始めれば、苦しいなりにも間に合うぞ。そなたが掃除始めればこの方が手を引くから、すべて任せて安心してござれ。このフミ読まぬと、読んでも実行せぬと、本当に慌てることになるぞ。キリキリ舞いになるぞ。このフミ読むことがミロクへの早道ぞ。慌てないで急げよ。いっぺんはないぞ。一つ一つぞ。一度に楽に成ろうと申すのは、怪我をしないで天国に行こうと申すのは、虫の良い話でござるぞ。ツベコベ申すそなたは、今のままではミロクはないぞ。滅びの坂道を転がり落ちて行くだけでござるぞ。悪くなって善くなれよ。
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 もう間に合わん、時間がないと申す暇に、やり続ければよいではないか。間に合うかどうかを考える時間があるではないか。そなたが歩きつづければゴールは必ず来るのでござるぞ。立ち止まっておりては、本当に間に合わなくなるぞ。そなたの永遠のイノチと比べれば、このフミを読む時間など、一瞬のことでござる。今なら間に合うから、すべて読んだら、分かったなら、分かったことを今ここから即、実行することぞ。分かったことをやらんのが、自分で決めればよいことを人に聞くのが、今までのそなたの悪い癖ぞ。人に聞いて、人に任せて、うまくいかんと文句を申す、悪い癖を直せよ。

 「考えてはならんこと」や「してはならんこと」と申すことは何一つないぞ。そなたが申す「してはならんこと」と申すのは、善悪の世で学んだことぞ。真釣りに生きる者は、回りが何をしようと何の影響もないぞ。そなたの罪悪感はそなたが創っておるものぞ。そなたが魔釣りでござるぞ。そなたがそなたを批判しておるぞ。そなたが決めたことを素直に実行すればよいことぞ。そなたが選んだこと、そなたが決めたこと、何が起きようともそなたの責任でござる。何が起きても誰も責められん。そなたが自ら選んだことであると自覚をもってするならば、何をしても構わんぞ。何をしても構わんと申すのは、そなたの責任であるということでござるのぞ。何をしてもよいとなれば、自由になるかわりに人は責められんぞ。お互いに自分の責任でござるならば、戦いあるのはオカシキことでござる。そなたが真釣りの者なれば、怪我も、病気も、事故も、損も、無いぞと申してあろう。そなたが魔釣りでござるから、損して、怪我して、悪くなって、苦しんで、辛抱して、今までした不調和を返す仕組みが発動致すのぞ。悪くなるのはそなたのした結果ぞ。そなたが取ったものを返してゼロに戻す仕組みぞ。それが責任をとると申すことぞ。それが調和に戻すことぞ。それが真コトの自由でござるぞ。善悪戦いの中で自由になりても、まだ制限の中でござるぞ。相対的な自由でござるぞ。神の自由は人も自分も完全な自由でござる。そんなことはありえないと申すそなたは魔釣りの者でござるぞ。真釣りに戻れよ。
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 「人間として」してはいかんことと申すのは、本当は「神成る身魂として」してはいかんことでござるのぞ。そなたらの申す「人間」というは、善悪の世界で創りだしたイメージでござる。人間とは何ぞやと申す議論はもう終わりにしなされよ。そなたらがこの方の申すことを認めん限り、その議論は続くぞ。肉体に入った身魂が、神成る身魂がマコトの「人間」でござるぞ。神成る身魂がしてはならんことは、神のルールに違反することぞ。調和乱すことぞ。善悪創って判断することぞ。人を責めることぞ。自らを責めることぞ。戦うことぞ。悪を裁くことぞ。罪悪感を持つことぞ。人をコントロールすることぞ。自分をコントロールすることぞ。そなたが調和に生きておるならば、ここで申したことは何もできなくなるのでござる。する必要はないのでござる。真釣りの世なれば、ここに挙げたこと共は、何も無きものでござるのぞ。そなたは、元々ないものをわざわざ創りだして何を勝手に苦しんでおるのじゃ。そなたらも法律違反は罰でござろうが。神のルール違反は誰も裁きはせんぞ。そなたが違反しただけそなたが不自由になるだけぞ。そなたらの罰と申すのは、人間が人間を不自由にすることでござる。裁く者の思惑でどうにでもなるぞ。神の不自由は身魂の違反相応、すべてのものに公平ぞ。形の平等はござらんぞ。
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 人を脅して、人を負かして勝っても得しても、それは今までの悪の世だけの損得ぞ。得しておりては徳は得られんぞ。そなたのしたことがすべてを壊した基でござる。そなたが壊した責任をとると申すならば、今すぐ不調和のゲームをやめることでござる。キレイサッパリやめることぞ。でもでも、難しい、すぐには、と申すのは不調和でござるぞ。いつまでもそんなことをしていては、調和などないぞ。平和も自由も平等もないぞ。ミロクの世には生き返れんぞ。今まで学んだ価値判断、すべて手放して素直になれよ。今までの世のそなたという幻想を殺せよ。そなたの生き方を変えろよ。そなたは神の世界の犯罪者でござるのぞ。いつまで続けるお積もりか。神は一〇〇ぞ。善(全)ぞ。前ぞ。人の仕組みは神の仕組みの現れぞ。神先人後、神の申す通りにすることがマコトの善でござるぞ。
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 そなたのココロに映るもの、そなたのココロに出てくるものは、すべてこの方が許したものでござるぞ。そなたの思った答えがそなたの正解でござる。「いいのか?」「ほんとうか?」「騙されないか?」と問うことが、そなたの葛藤、混乱を創りだした基でござるぞ。そなたの回りの世界を壊した基でござるぞ。そなたの今までのすべての体験を創りだした、そなたの癖でござる。そなたが善悪損得で悪を損を避けるならば、そなた以外の者を苦しめることになるぞ。迷惑でござるぞ。その問いを今すぐキレイサッパリやめて、自らの申すことを一言違わず実行することが、そなた自身の申すことをそのまま素直に実行することが、この方の申す「掃除」でござるぞ。神はすべてを許しておるぞ。そなたがしただけ悪くなって、善くなってくだされよ。真釣り外しなければ悪くはならん。

 今までのアヤマチの、善悪のゲームの中での「してはならんこと」を持つ者に聞けば、「してはならん」というそのルールをそなたも生きることになるぞ。そなたがイエスと申すものを何故に人に聞くのじゃ。そなたがイエスと申せばこの方がイエスと申したのと同じことでござるのぞ。そなたが損や苦や悪を体験するのを避けようとすれば、そなたが動けなくなるぞ。最後の最後はそなたがどうあろうとそなたの回りは大掃除が始まるぞ。掃除無ければそなたが逃げられんようになるぞ。そなたの逃げるところは現界にはないぞ。そなたが大掃除から逃げたいならば、逃げるのをやめることぞ。そのまま続ければ、今までと同じ葛藤を、戦いを、悩みを創るだけでござるぞ。今までよりももっと混乱するぞ。もっときついことになるぞ。戒律やめよと聞いたならば、すべてを許せと聞いたならば、一〇〇%やることぞ。「全て許しておるのは分かるが、でも」と申すそなたは何も分かって居らん。この方の申すことを全部素直にとれよ。
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 この方が、これが最期のフミでござると申せば、「前にもそう言ったではないか。神はウソつきだ。」等と平気で申す者、そなたこそ最後までハラを据えて読むことぞ。今のままでは、そなたのイノチが、真コトのイノチが本当に無くなってしまうから、何としてでも自らご自覚なさってもらいたいから、何度も同じことをしつこく申すのでござるぞ。そなたが分からんから分かるように何回も何回も申すのでござるぞ。そなたのような、自らが何を申して居るか、何をなして居るかの自覚なき者、手を替え品を替え何度申しても分からん者、真コトを申す者を無視する者が多いから、神は自らのお子であるそなたらすべての者をミロクの世に迎えたいから、聞き分けなない子にも分からせねばならんから、何度もしつこく出すのでござるぞ。そなたが分からんのはそなたの魔釣りが原因ぞ。分かるように教えろ等と申す者、そなたは何を申しておるのじゃ。ご自覚召されよ。
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 このフミで今まで出した神示の種明かしをしてあるから、そなたらの取り違いをすべて明かしてあるから、最後の一通りの解釈を教えるから、今まで読んだことを思い出してみよ。今まで取り違えていたことが分かったら、今ここで取り直せよ。自らの神にしがみつくでないぞ。そなたの結論に矛盾が出たならば、そなたの結論は真コトの目ではないぞ。矛盾が出たらやり直せ。過去にこだわるでないぞ。今ここから直せばよいことぞ。過去にこだわれば、間に合わんことになるぞ。間違えだとわかったら、いつまでも屁理屈こねて、保身をして居らずに、素直に今ここから修正することぞ。反省文はいらん。態度で示せよ。「でもでも」をやっているならば、口だけの反省ぞ。この神の基準が真コトの基準ぞ。この神の基準と照らして間違いかどうかであるぞ。善悪、正誤の相対二元で間違っても正しくても意味ないぞ。「この神」と「この方」がどうちがうのか等と申して居る者はこの方の申すことを分かって居らんぞ。見た目で決めるなよ。この方は自由の神。開(あ)くの神。

 このフミは闇夜を照らす灯台ぞ。ミロクに向かう最新鋭のナビゲーションシステムぞ。この方は、地図は渡すが、実際に歩くのはそなたらでござるぞ。そなたが歩かねば、肉の身で動かねば、霊の身は動かんぞ。霊動かねば、そなたの肉は体験出来ん。霊先体後でござるぞ。そなたを止めるのはそなたでござる。そなたが道を歩むのぞ。そなたが歩む道々に、そなたの欲しいものが置いてあるのでござるぞ。そなたは今そこに止まって、置いてあるものを引き寄せようとしているぞ。コントロールではミロクは手に入らんぞ。そなたが歩くのぞ。そなたが動くのぞ。そなたがミロクを創ろうとして居るのは、アメリカ大陸を引き寄せて居るのと同じぞ。そなたが動けば行けるのぞ。必要なものはこの方が渡すと申したではないか。必要なものは道中に置いてあるぞ。ミロクへのオリエンテーリングでござるぞ。その場その場で指示するから、心に出すから、外に見せるから、この方の申す通りに歩けばよいぞ。今ここで全部準備しようとしても無駄でござるぞ。
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 人間と申すのは、心を体で験(み)る遊びでござるぞ。心だけでは片手落ち。心と体の映像が一致せんから葛藤になるのぞ。そなたがしたいことをせんだけぞ。この方は自由の神ぞ。そなたは何故制限を嵌めるのか。できない理由はござらんぞ。そなたらはもともと一つでござるぞ。一致せんようにしたのはそなたの真釣り外しでござるぞ。そなたは何でもしてよいのぞ。そなたが「してはいかんから」と止めて居るから、心と体がズレるのぞ。そなたの葛藤はそなたが創って居るものぞ。早い川の流れを逆行すれば抵抗があるぞ。魔釣りの川を逆に泳げば真釣りに戻ることなるぞ。そなたが「きついから泳がん」と申せば、そなたの川の流れの行き着く先は、滝壺の無い永遠の滝でござるぞ。そなたが川を逆上れば源流にたどり着くのでござるぞ。鯉の滝登りでござる。川は竜の型示し。

 そなたが心でしたいことを怖いと思えば、したいことはできんぞ。いっぺんに形にしようと思っても葛藤になるぞ。そなたが一つ一つ真釣り外したのでござるから。一つ一つ真釣り戻していくことぞ。早く楽になろうとするその心が魔釣りでござるぞ。今のそなたでも楽になる考え方があるのぞ。そなたは肉の身を持って居るだけですでに欲しいものは手に入れておる。神に借りた肉宮は、真釣りが静まる尊き神社でござるのぞ。そなたが素直に心を動けば、神のお陰は簡単に頂けるのでござるのぞ。外の神社にお参りするのはよいが、心が魔釣りでござれば、魔釣りの神がつくぞ。格の高い神社でもそなたが魔釣りでござれば格の高いフリをした格の低い霊がつくぞ。そなたは神に借りた肉身を元手に神の創りた遊び場で、何でも創りだして嬉し楽しの遊びができるのぞ。嬉し苦しになりたのは、遊び方を間違えたからでござるぞ。一度マ違えれば二度と戻れん。今度だけは神がすべてを掃除して創りなおすから、借りた肉身をお返しして、魂磨いて待っておれ。そなたがしておることぞ。心先体後でござるから、そなたが動けば何でも形になるぞ。すぐになると勘違いするでないぞ。神違いしておるぞ。そなたの想いに近づくように一つ一つ成るのでござるぞ。怖いこと体験して、怖くなくなる仕組み。悪くなって開く仕組み。
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 頭が良い者と申すのは、知識がある者ではござらんぞ。自らがしておることをすべて分かって居る者のことでござるぞ。自らの身に起きること、自らの心に出ることを、自らの責任であると自覚しておる者のことでござるぞ。自分自身に説明できることでござるのぞ。言葉にして人に説明するのは難しくても、自分には説明できるでござろうが。それでよいのでござるぞ。そなたらは人に説明しようと苦労して居るが、自分が自分に説明して分かればよいことぞ。自らが分からんのに人に分からせることは難しいぞ。自らがしたことを後悔するのではなく、したことを自ら自覚することが大切でござるぞ。殴ったことが悪いのではないぞ。人を殴った、人に殴られたその原因が自らの魔釣りにあることを自覚することぞ。自覚したならば、人を責める、人を恨むのはオカシキことなり。殺人をした者、人を殴った者、泥棒した者、文句を申した者を責めるそなたが魔釣りでござる。ユダヤでござる。身欲がござるぞ。我善しがござるぞ。イシヤの仕組みを責めるそなたがイシヤでござるぞ。イシヤの裏を暴こうとするそなたがイシヤでござるぞ。自らが外に映って居るだけでござるぞ。人がガンコだ、人が魔釣りだ、あいつは人を責めるからよくない等と申すそなたが魔釣りぞ。そなたがして居ることでござる。相手の気持ちを考えておりたら、何も申せん筈ぞ。人のすることの結果はすべてのすべてのプロセスの結論でござるぞ。その結論だけを見て、何故したのか等と聞くのは分かって居らん証ぞ。殺されてメグリを取って頂くのぞ。死んで生きる仕組み。悪くなって善くなる仕組み。身魂に死は無し。
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 第三の目とはすべてを見通す目のことぞ。肉眼は左右二つ。霊眼は一つ。霊能力は開発するものにては非ず。そなたが真釣りに生きれば至善に開けてくるものぞ。そなたがもともと持って居るものぞ。龍は天から天降りてハラにマコトを開くなり。蛇はハラから上がりてアタマに分かつ知の目を開くなり。そなたらのハラに封印してある蛇をわざわざ上げるお手伝いをしておる者、何をして居るのじゃ。瞑想でこの方を知ろうとしても無駄なことぞ。この方だと思って居る神は魔釣りの神ぞ。蛇はどんなにあがりても蛇ぞ。龍は天まで登れるぞ。龍は架空の動物なり。この方はまだあらわれておらんぞ。あらわれて居らんが霊界には居るから、そなたらの心で想像できるのぞ。架空の動物は存在しない動物にてはあらず。肉眼で見て居らんものなり。龍は動物に非ず。神の現界での化身なり。魔釣りのままで開く目は魔眼となるなり。分かつ知恵の目でござる。いつまでやっても一つにならん、破壊を進める悪魔なり。外にあるもの分けるそなたが魔釣りなり。悪魔を裁く、鬼を嫌う、そなたが悪魔でござるのぞ。そなたが我がママでござるぞ。我がママとは我(われ)のままに行動することぞ。我がママは責められるものでござらん。
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 この方の基は火でござる。火は一度上がればすべてを焼き尽くし、マコトのみを残すなり。そなたらが今まで水で火を消せたのは、この方が加減をしておったからでござるのぞ。水や消火剤で火が消せると思ったら大魔違いでござるぞ。水を壁で止められると思ったらおおまちがいぞ。ダムを創っても水を枯らすぞ。百日雨を降らすぞ。そなたらにはわけのわからんことを次々に見せてやるから、すべてのすべてを大掃除してミロクの天国に連れていってやるから、マコトの神の力を、マコトの神がかりを見せてやるから、魂磨いて待っておれよ。魂磨けて居らん分きついぞ。そなたらが偏らせた分だけそなたらに戻すから覚悟いたせよ。火の災い、水の災い、どんなに怖いか、これから思い知らせるから覚悟いたせよ。そなたらがしたことであるから、抵抗するほどきつくなるぞ。
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 魂磨けば、肉の身がどうなろうともそなたらは助かるぞ。身魂助けてミロクに生かす、元の神の仕組みなり。肉の身の死を避けておると身魂は助からんぞ。春は暖か、夏は暑い、秋は涼しく、冬は寒い。火の元日本は四季がござるぞ。この方は温かいぞ。冷たく、熱く感じるのは、そなたの魔釣りが原因でござるぞ。そなたが掟を破らねば、この方は怖いことは何も致さん。そなたを優しく包むのぞ。この方のせいにして居るそなたは自らこの方に油を注いでおるのぞ。そなたは神の現れでござるから、水でござる。水が火に添い和して、申すことを素直に聞けば、丁度よいお湯になるのでござる。日本には温泉が沢山あるでござろうが。火と水が添い和せば、恩恵となるのでござるぞ。元の火のこの方と戦って勝てると思うそなたが魔釣りぞ。火は日、霊、一、元の始めでござるぞ。

 他界は死後の世界にあらず。他の状況の世でござる。そなたらに紫外線は見えないが日焼けで紫外線があるのが分かるのと同じでござるぞ。目に見えない世界はない世界ではござらんぞ。そなたが肉の身では認識できない世界でござるぞ。認識できないが不思議なことが沢山起きておるでござろうが。直接見せずに間接に見せておるぞ。そなたが霊を怖がれば、そなたは神界には行けん。そなたはそのまま消えるぞ。そなたは自分の元を怖がって居るのぞ。そなたが怖いことを避ければ、そなたはその中には行かんから、いつまでも闇のままでござるぞ。最後の最後はすべての闇に光を当てて、すべてを見せることになるからきついぞ。怖いぞ。全部見せるから恐ろしいぞ。怖くても死ぬことは出来ん。死後の世界とそなたらの世界の境を取るのでござるから、そなたは勝手に死ねんぞ。霊先ぞ。
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 自らを認めんと申すことはそなたの親であるこの方を、この方のつくりた宇宙を、至善を、そなたの肉の親を認めんと申すことぞ。そなたが認めておらん親から生まれたのがそなたでござるぞ。この方否定すればそなたは居らんぞ。そなたが居るのはこの方が居るからでござろうが。そなたの心はこの方ぞ。この方裁けば自由にならん。自らが裁いて不自由にしておいて人を責めるとは何事か。そなたが自由に動くなら、そなたは自由になるのでござる。そなたが人を責めてきた分だけ、怪我をするから覚悟せよ。したこと責任取らねば、そなたには自由はござらんぞ。自らのわがままで外に文句を申し、外を傷つけたのでござるから、そなたが自由になる道はそなたがしただけイバラの道ぞ。そなたがしただけ返したら、そこから先は天国ぞ。自由になりたくれば、不都合を覚悟して歩きなされ。冒険でござるぞ。怪我して失敗して強くなるのでござるぞ。怪我して失敗して自ら生きる智慧を学ぶのぞ。体験して確認するのぞ。そなたがしただけ受ければそなたは自由でござるぞ。そなたがしたことでござるから辛抱なされ。

 そなたには災害も被害も犠牲もござらんぞ。そなたがしたことが返って居るだけぞ。被害を受けた原因はそなたでござるのぞ。そなたの肉の身はこの方の貸しもの。肉の身通して痛みを受けて、そなたのしたことを返すのでござる。外にしただけ辛抱する道具でござるぞ。被害者をしつづければますます自らに被害を創りだすぞ。被害を受けて魂磨けよ。そなたの雨はそなたのしたことぞ。雨をさければ大雨になるぞ。そなたは死んでもそなたでござる。肉の身はあと僅か。物質は壊れるぞ。壊れたら元には戻らん。そなたらが壊したものはこの方が新しく創りなおすのでござるから、そなたは魂磨いて新しい服を着られるように待っておれよ。次の世は永遠に続く天国でござるぞ。破壊の魔釣りは入れん光の世でござる。最高の人生でござるぞ。得るもの大きければ苦労も大きいぞ。良いものは簡単には手に入らん。生死越えた仕組みでござるから、得心なされよ。
P234
 魂磨けた者に死はござらん。死を語る者、そなたの身魂は死んでおるぞ。早う魔釣りの世を出なされ。魔釣りの世の自分を殺しなされ。自殺せよと申して居るのではないぞ。そなたの魔釣りの生き方をやめよと申しておるのぞ。真釣りのミロクは魔釣りはできんぞ。真釣りに戻してミロクの民ぞ。魂磨くと申すのは、したこと素直に引き受けて、被害を素直に受け入れて、しただけ責任とることぞ。そなたがしただけこの方が渡すから、何もしようとせずに、逃れようとせずに、すべて受け取れよ。苦しみ続けるということはござらんぞ。そなたがしただけ返せばお陰でござる。神は騙さんから安心致せよ。

 「我(われ)はミロクの世など要らん」「我(われ)は今ここを楽しめればよい」等と申す者、それはそれで構わんが、後になって気づいても遅いから、今ここで、この方の話を素直に聞いた方がそなたの為でござるぞ。「天国に行かせたいと申すのは、神の我(が)ではないか」「我(われ)は生まれたくて生まれたのではない。こんな苦しい人生は望んでおらん」等と申す者、そなたは天国に生きたくないのか。そなたが苦しいのは、そなたが、ルール違反を犯したからでござるぞ。人間の創ったルールではなく、神のルールの違反者でござるぞ。「そんなことはない。世間が、社会が、神が悪い」等と申す者には、後で得心いくまで教えてやるから、今は黙ってこのフミを読み進めることじゃ。
P235
 この方は、そなたらが、そなたらの子や友に、何度申しても聞き分けの無い者に文句を申すように、「聞き分けの無い者はもう知らんから勝手にせよ」と申すように、文句の一つも申したいところであるが、そんなことは致さんぞ。そなたらがどんなに好き勝手しようと、この方が創った世界を壊そうと、そなたら全員、ミロクの世を体験させたいから申すのでござる。この方は最後の最後ですべてをヒックリ返してビックリ見せて、見事ミロクの世を創る仕組みを構えて居るから、この方の申すことに抵抗するそなただけが消えるだけでござる。そなたらの身魂の親である神は極上の情けがあるぞ。やさしさが情けではないぞ。どんな悪人でもどんな犯罪者でも天国に迎える用意がござるのぞ。真コトの神の、子を思う親心、いい加減にわかって下されよ。

 いつまでも駄々をこねずに親の申すことに耳を貸す素直な子になってくだされよ。そなたが苦しくなるから申して居るのぞ。この方も子が苦しむ様は見たくないのぞ。ルール違反は責任をとるのが神の掟、人の掟でござる。そなたがどんなに苦しもうとも、しただけのことを返すまではこの方は一切手出しできんから申して居るのぞ。調和乱せば天国はござらん。神の掟は一〇〇点でござるぞ。一点もお負け致さんぞ。妥協は無いぞ。厳しいぞ。この方とて天地創りた元の元の大神様のご意志には逆らうことは出来んのじゃ。



元つ神からの最後の艮のフミ その四

P238
 このフミは、そなたの人生のすべてのカラクリ、そなたらのして居る取り違い、そなたらが今まで正しいと信じて学んできた教えてきた伝えてきた常識や知識の嘘や勘違い、幻想や錯覚、宗教の真実、コントロールの仕組み、ミロクへの道乗り、神と人の関係、人類の歴史の真実、そなたのココロの仕組み、マコトのイノチの仕組み、大神様のご真意、この方の産み生んだ神の世のすべてのすべてのすべての仕組みをキレイサッパリズバリと明かす、今まで出したすべての神示の種明かす、元つ真釣りのこの方からの、現(こ)の世に生まれし全ての身魂への、最後の最後の神伝え、ミロクへ誘うオフレ紙でござるのぞ。

 このフミが出て居ることが、元つ真釣りのこの方が現(こ)の世に現れし証なり。そなたに分からんことを何故にこの者が書けるのか。そなたに分からんことを何故にこの者が説明できるのか。そなたが何も分からぬと申すならば、自らの無智を素直に認めて、いつまでも抵抗して居らずに、自らの大きなアヤマチを認めて素直に観念してござれ。この方に逆らってもそなたが傷付くだけでござるぞ。そなたが素直にお詫びをするならば、そなたがどんなにこの世で悪者といわれてござりても、この方は喜んで手を貸すぞ。そなたが自ら真釣りを取らねば、この方は何も手出し口出し出来んのぞ。真釣り無しではミロクはござらん。そなたが真釣りに戻ると申すならば、この方は全力挙げてそなを助けるぞ。最後の最後のミロクまで何があってもそなたの手を引いてやるから安心してついて参れよ。
P239
 このフミは、ここ数年に起きておる前代未聞の出来事を、この方の大掃除の予兆の数々を「この目」で見ても、いまだに、この世に神など居らんと申す、二十一世紀をこのまま迎えると申す、ハルマゲドンや天意転換の大掃除を何とかして逃れようとして居る、聞き分けのない身魂にも分かるようにしてござるから、実身(耳)をよくほじくってシッカと聞きなされよ。忌まわしい大震災だとか、何の関係も無き者が犠牲になった地獄絵のサリン事件だとか、人類の平和を脅かす核実験は許せんだとか、自らのしてきた魔釣りをすべて棚に上げて、自らは悪いことはして居らんと申して、何でもかんでも誰かの責任に致して、災害だ被害だ犠牲だ防災だ反戦だ制裁だと大騒ぎして、悪い状況を何とか避けよう、何とか生き延びようとして居るそなたらは、いったい何をして居るのじゃ。

 今の世は、平和でも自由でも平等でも公平でも安全でも何でもござらんぞ。神の創りた調和の世を魔釣りの知恵で壊しに壊した成りの果ての混乱の世でござるのぞ。このまま進めばそなたらは何も出来ずに動けんようになるぞ。この方の申すことを聞かねば、最後の最後に史上最大のビックリが出るぞ。何とした取り違いであったかと呆然と立ち尽くすことになるぞ。先行き不透明でござるのが、そなたらにはもう何も出来ん証でござる。何も見えんで、何も分からんで、原因不明で、如何にして解結致すと申すのか。医学も政治も経済も教育も、この世の仕組みのすべてのすべてが同じでござるぞ。魔釣りの身魂の浅知恵で小手先だけの対策を講じても、人間だけで何とかしようと致しても、ますます混乱して分からなくなるだけでござるのぞ。これ以上問題を創り続けてどうするお積もりか。
P240
 誠の平和、安全、自由、公平な世と申すのは、戦争も犯罪も病気も事件も差別も公害も問題も何も無き、嬉し嬉しの世のことを申すのでござるぞ。創るものでも守るものでもなく、初めからずっとあるべきものでござるのぞ。そなたらは、この方がそなたら人間に渡した、預けた調和の世を自ら壊して平気な顔をして居るのでござるぞ。軍隊創って平和を守ると申して居るが、平和な世なれば戦いはござらん。軍隊があること自体がオカシキことでござるのぞ。誠の平和と申すのは一〇〇%戦争無き世のことでござるぞ。攻撃も防衛もどちらも同じ屁理屈でござる。本来なれば、正当防衛等と申す、善人の屁理屈は通用せんのぞ。攻撃も防衛もどちらも神の世の調和を乱す悪の論理でござるのぞ。
 
 今の世でそんな理想郷は実現するはずはござらん、神が居るならば戦争を創る前にやめさせればよかったではないか等と申す、何でもかんでも自らのご都合よく考える、破壊を進歩と勘違いして居る、いまだ平和や自由を創れると思って居る、臭き魔釣りの身魂にはもう何もできはせんぞ。元つ真釣りのこの方の力無しではもう何も解結致さんぞ。この方が許さねばそなたはこの世には居られんのぞ。そなたが破壊の世を創ろうとも、最後の最後で創り直す仕組みを構えあるから、最後の最後に改心致せば宜しいから、今の今まで生かしてきたのでござるぞ。上から下まで魔釣りの神のマインドコントロールにまんまと嵌まって居るそなたらは、許せない認めない信じないありえない云々と自らのご都合主義でツベコベと屁理屈を申して居るが、何でもかんでも戦って悪を消そうとして居るが、すべてのすべてはそなたらが三千年の長きに渡り、歴史を通じてしてきたことのツケでござるのぞ。今のこの世に一人として自ら以外に責任転嫁できる者は居らんのじゃぞ。
P241
 今今のそなたらは、この方がおらねば何もできん身魂でござるのぞ。そなたら人間が自らの力で解結したものなど、ただの一つもござらんぞ。そなたらの申す二十一世紀の姿と申すのは問題ばかりではござらぬか。今まで問題ばかり創って来て居るそなたらに如何にして解結できると申すのか。そなたらの壊しに壊したこの世界、誠の真釣りのこの方の、誠の神の力がござらねば、新しき世には成らんのぞ。そなたら魔釣りにかぶれた人間には到底想像できぬが、ここまで壊したこの世界を、ミロクの世に変えるには、誠の神にしかできぬ、次元超えたる大掃除が必要でござるのぞ。何が起きるか探しても、そなたらのアタマでは分からんぞ。分かったところで真釣りなければ何にもならん。何を知ろうとも真釣りが無ければ無駄でござるぞ。アタマでっかちではミロクのドアはくぐれんぞ。
P242
 魔釣りで壊したホドケの世、いつまでも魔釣りの知恵で魔釣り縫って居らずに、早う真釣りに戻ってくだされよ。魔釣り縫ったその先は、すべてほどかねばならんボタンの掛け違いでござるぞ。そなたらの上から全体を見て居るこの方が、ボタンを掛け違えて居るぞと教えて居るのだから、今のうちに全部ほどいて初めから真釣りで縫い直してくだされよ。今ならまだ間に合うぞ。最後の最後で掛け違いに気づいてももう間に合わんぞ。最後の最後の瀬戸際でいよいよ誠の神の誠の力を顕す世と成りて居るのでござるぞ。魔釣りで腐ったアタマを下げてこの方の元に帰る時節となりたのでござるぞ。そなたらが待ちに待ちたミロクの天国が近づいて居るのでござるぞ。正直、素直結構ぞ。魔釣りは滅びぞ。

 このフミ読んでもまだ分からんと申す、魔釣りにかぶれた大ウツケでは、ミロクの民になるなどおこがましいぞ。最後の最後の大掃除でこの方の申す通りに得心行くまで身をもって教えてやるから、分からんと申すならば分かるように教えてやるから、それまで黙って控えておれ。そなたが何と申そうとも、神の掃除は計画通りに着々と進んで居る。魔釣りのそなたには何が起きて居るか何も見えんぞ。今見えんものを信じることが信頼と申すもの。今から始めねば間に合わんから、ギリギリでござるから、最後の掃除はそなたには耐えられんから、今から申して居るのでござる。この方の話は誠の誠の話でござるぞ。
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 この方の申す通りに真釣りに戻れば、肉の目には見えずともそなたにもだんだんと分かりてくるぞ。そなたが魔釣りの身魂でござりても、先に行くほど目に見えてくるぞ。肉の目に見えるようになりて慌てて逃げ回っても、この世には真釣り無きそなたの逃げる所はどこにもござらんぞ。身魂の掃除の出来具合相応に苦しむことになるぞ。身魂の掃除相応に楽に越せるのでござるぞ。すべてはそなた次第でござる。見えてからでは間に合わんから、見えんうちから申しておるのでござるぞ。こうして文字になること自体、そんなことはあり得ないと申すこと自体、肉の目で見て、心に映して見て居ることに気づけよ。文字で伝えて居るうちに、早く気づいてくだされよ。この方の申すことを素直に聞いてくだされよ。実地で形になったその時は、真釣り無き者には地獄の地獄の地獄となるのぞ。

 そなたの内の通りに外に映って居るのじゃ。そなたの内にあるものが外から来て居るのでござる。そなたが「そんなことは嘘じゃ」と申すから、外から来るものが変わらんのでござるよ。そなたが外と戦えば、外には戦う者が有り続けるぞ。そなたが戦うことをやめねば外は戦いだけでござるぞ。そなたが何でもかんでも戦おうとするから戦いを続けることになるのぞ。戦争反対と申して居るから戦争が有り続けるのでござるのぞ。そなたが戦いをやめても、戦いをしておる身魂がある限りは戦争と申す形は有り続けるぞ。そなたの外に形として戦争が有りても、そなたが戦いをやめて居れば、そなたにとってはただの映画になるのでござる。そなたが心を変えれば外が無くなると申して居るのではござらんから取り違いなさるなよ。そなたにとって戦争がただの出来事になるだけぞ。一人一人が戦いをやめれば、戦いは無くなってゆくのぞ。悪と戦うから悪が相手をしてくれるのぞ。
P244
 そなたは外を変えられる魔法使いではござらんぞ。そなたの外側を変えられるのはこの方だけでござるのぞ。この方にとっては自らの内でござるからな。そなたから見た外はこの方の内でござるぞ。そなたが変えられるのはそなたの内だけでござる。そなたが内を変えれば外が変わって見えるのぞ。そなたの内の通りのものをこの方がそなたの外に渡すのぞ。この方の内にそなたが居るから、そなたの内と同じものをそなたの外に渡せるのぞ。そなたの内もそなたの外もこの方の内でござる。そなたの想いは丸見えぞ。そなたの思う通りのものをそなたの外に見せることなど簡単なことでござるぞ。

 自らの内の掃除をせずに外から来るものに文句を申すそなたは何をして居るのじゃ。そなたはそなたの内を変えられる、そなたの神ではござるが、外を変えられる元つ神ではござらんぞ。そなたはそなたの現実を自由に創りだせる神でござるぞ。今のそなたはこの方がありてそなたの外を自由にできるのでござるのぞ。そなたの内の通りに外に成って居るのぞ。そなたはそなたの創造者でござる。すべてのすべてがそなたの思う通りに成って居るのでござるのぞ。そなたが戦いを創るからこの方が戦う相手を渡すのぞ。最後の最後はそなたの内が戦って居れば大変なことを体験することになるぞ。天地ほどいて時空一つにしてそなたが内に持って居るものをすべて一度に渡すのぞ。今のそなたには想像できんことでござるぞ。そなたがしてきたすべてのツケを一気にお渡し致すのぞ。そなたが内にあるものがそなたの外にあるのでござる。自らが自らを祓うことになるから覚悟致せよ。
P245
 そなたの肉の目で見えるようになって掃除を始めても、もう遅い。そなたがしただけ纏(まと)めて渡すから、今までツケにしただけ纏めて請求するから、最期の掃除は厳しいぞ。今今の修行にも耐えられんでツベコベ申すそなたでは、愚痴や文句や泣き言を平気で申すそなたでは、何でもかんでも神や人のせいにするそなたでは、とてもとても耐え切れん修羅の地獄と成るのでござる。この方には時空はござらんから、最期の掃除もミロク世も、既に創りてござるから、最期の地獄は今今のそなたらには可哀想で見て居れんから、今の今からしつこく申しておるのぞ。これは予言ではないぞ。この方の情けの予告でござる。これからそなたが体験することを、この方が予め教えて差し上げて居るのでござるぞ。
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 最後の最後の三歳苦難と申すのは、神から人まですべてのすべて、天地すべてを一気に開き、天地の穢れをまとめて祓う、今のそなたには想像できん修羅の地獄でござるのぞ。そなたがこの方の申す通りに素直に真釣りに戻れば、戻ったそなたに地獄はないぞ。今から掃除を始めねば、そなたはミロクの世で神成ることはできんぞ。ツベコベ申さずに、今の今からハラを括って身魂の掃除、洗濯してくれよ。そなたに死はござらんから、死を恐れておりては、本当に死んでしまうから、早う身魂の掃除を始めてくだされ。この方とて自らのお子を見殺しにはしたくないから、今からすべてを教えて居るのでござるぞ。いつまでも頑固で居らずにいい加減に親の申すことを素直に聞いてくだされよ。神の最後の頼みでござる。一人でも多くのお子がこの方の元に戻って来てくれよ。宇宙の始源のその時にそなたと交わした約束通り、神と共にミロクの世を遊ぼうぞ。

 ミロク世が近づいたこの時節、そなたらにはもう試行錯誤して居る暇はござらんから、そなたの肉の目、魔釣りで曇ったアタマでも分かるようにして要点だけを教えるから、美味しいところだけを渡すから、ミロク入試の勉強法と正解をすべて教えるから、神の秘密の情報をすべて公開するから、嘘や暗号やひっかけや騙し討ちはもう御座らんから、今まで身につけたすべての知識、常識、宗教、哲学、教育、法律等々の魔釣りの世の価値観、そなたの過去の体験は、すべてのすべてを一旦棚に置いて、身魂をすべて裸にして、今そこでゼロから出直せよ。そなたの肉は服でござるぞ。そなたのマコトの裸と申すのは魂のことにてござる。マコトの裸にならぬと、そなたはミロクの服は着られんぞ。肉の身の裸を恥ずかしいと申すそなたは、醜き臭き魔釣りの身魂でござるぞ。神成る身魂として、マコト恥ずかしき所業でござるぞ。そなたがどんなに隠そうとも、この方からは丸見えでござるのぞ。最後の最後は丸裸にして洗濯することになるから、今から洗濯始めろよ。
P247
 そなたが学んだ魔釣りの知恵で、どんな屁理屈申しても、神の仕組みは動かんぞ。神の世直しは待った無し。この方の計画はそなたらを産み生んだ時からすべて決まって居るのでござるぞ。そなたが真釣りを生きねば、最後の一厘は分からんぞ。真釣りを外した現(こ)の世の中に、魔釣りの神を産み生んで、魔釣りの者を引っかけて、不都合創って気づかせて、真釣りに戻す仕組みなり。そなた自身の魔釣りを映す外の悪を平気で裁き、自らは真釣りと思いこんで善人を気どり、悪をますます進め行く、気づかぬそなたが悪の種ぞ。魔釣りは滅びが神の掟ぞ。そなたが真釣りに戻らねば、現(こ)の世もろとも消え去るぞ。いつまでも魔釣りの神に囚われた宗教が語る誤った知識を鵜(う)呑みにして居ると、とんでもないことになるぞ。魔釣りの神もこの方の内でござるのぞ。そなたが真釣りに居れば、どんな神が現れようともそなたには何の影響もござらんぞ。そなたが魔釣りに居るからものの見事に引っ掛かるのでござるのぞ。そなたの外に見える悪と申すは、そなたの悪を映す鏡ぞ。

 そなたが真釣りでござるなら、そなたの外には何の悪もござらんぞ。そなたが外の悪を裁くならば、この方の申すことを嘘だと申すならば、そなたは魔釣りに生きて居ることを白状して居るぞ。そなたが外の宗教を裁くならば、そなたは魔釣りの者でござるのぞ。外の宗教を悪と申す、そなたの心を改めよ。悪の宗教裁くそなた自身が、調和を壊す悪の宗教の臭き教祖でござるのぞ。この方の構えしマ釣りの仕組み、ミロクを創る神仕組み、真釣りに戻す神仕組み、そなたらがどんな手を使おうとも、どんな悪企みを策略しようとも、そなたらのご都合ではどうにも変えられんのぞ。最後はそなたがそなたを殺すことになるから、よくよく心得ておきなされよ。そなたがしたことがそなたに戻って居るのぞ。そなたが真釣りを外したからそなたはこの方の申すことが分からなくなりたのぞ。何も見えなくなりたのぞ。自ら外した真釣りを戻すことだけが、調和を壊したそなたにできる、神に対するお詫びのお印(しるし)でござろうが。
P248
 元つ真釣りの神成る身魂であるそなたらに、真コトを教える神示が出ること自体がそもそもオカシキことでござると気付けよ。言わねば分からぬ魔釣りの身魂ばかりになりたから、そうなることは分かりて居りたから、最後の最後にマコトを出さねばお子が皆死んでしまうから、このフミを出すのでござるぞ。これもこの方の計画の内でござる。そなたらがすることは、この方の申す通りに素直に掃除をすることだけぞ。そなたが自ら歩いてこの方の元に帰ることでござるのぞ。そなたがそなたの魔釣りの知恵で、世界を変えようとすることではござらんぞ。そなたが壊した至善は何をしようともそなたらには元には戻せんぞ。この方は今の今もそなたらの世界を創りつづけて居るのでござるぞ。この方が何もせねば、そなたらの世界は一瞬のうちに無くなるのでござるぞ。
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 この方の創りだす資源は無限でござるのぞ。有限に見えるのは、そなたらが枠の世界で思考して居る結果、そなたらの内を見せる型示しでござるぞ。そなたらの内を映す鏡でござるのぞ。そなたらが自ら壊しておいて、有限にしておいて、エコロジーだ、ボランティアだ、省エネだ、倹約だ、節約だ等と申して、無駄を無くせ、壊すのは許せん等と申して、魔釣りの浅知恵で無駄な抵抗をして居らずに今あるものを使って自らの掃除をしてくだされよ。そなたらが世界を変えられるのではござらんぞ。この方がそなたらの内の通りに見せておるだけでござるぞ。最後の大掃除では、そなたらの力では何も出来ん。山火事をコップの水で消すようなもの。そのコップの水もとめてしまえば、そなたらは何もできんでござろうが。最後の最後はこの方が、すべての不調和、すべての偏り、すべての問題を一気に片づけるから、この方にとっては簡単なことでござるから、そなたらは心配なさってくださらなくとも結構ぞ。そなたらが自ら創った箱庭を一遍に壊して創りなおすようなものでござるぞ。そなたに掃除がなければ、そなたも一気に片付けられるぞ。そなたらにはもう何も解結できんから、後のことはこの方にすべて任せて、そなたは自らの掃除をしてくだされよ。すべてのすべてを自由にできるのは、この方だけでござるのぞ。

 外の大掃除をするのはこの方の役目でござるから、そなたらは自らの内の戦いをキレイサッパリやめてくだされ。戦うから外を変えようと思うようになるのでござる。そなたらが自然を支配するなど不可能なことでござるのぞ。真釣りのこの方を忘れて自らが何でもできると思っておる魔釣りの神々様に釣られて居るから、外を変えられると思い込む取り違いをするのでござるぞ。人も自然も含めて外を変えると申すのは、この方と戦うのと同じことでござるのぞ。魔釣りの神々様すらこの方と戦っても勝ちはないのぞ。そなたら人間がこの方と戦ってもそなたらの負けは明白でござろうが。そなたの外にあるものは人も自然もすべてのすべてこの方の創りたものでござるぞ。自らが壊したものを自ら直そうとするのは宜しいが、やり方がアベコベでござるから、ますます壊すことになるから、よけいなことはもうやめてくだされ。そなたの内の掃除をすることだけがそなたにできることでござるぞ。それがそなたの御用でござる。それが神の掃除を助けることぞ。大掃除のお手伝いでござるのぞ。神も人も助けることでござるのぞ。
P250
 そなた一人だけでも自立して、この方の、元つ真釣りの神々様のご苦労を少しは楽にしてくれよ。真コトに真コトの援助と申すは、助けると申すのは、物質で援助をすることではござらんぞ。そなたが自らの身魂の掃除をすることぞ。そなた一人でも魔釣りの世を出れば、魔釣りの常識を出れば、不調和が調和に向かうのぞ。そなたから見れば、自分一人だけではと思うかも知れんが、そなたには小さい一歩でも神にとっては大きな助けとなるのでござるぞ。そなた一人でも真釣りに戻れば、そなた一人だけでも自立してくれれば、聞き分けの無い悪餓鬼の世話が一人分なくなるのでござるから、親にとってはこれほど嬉しきことはないのぞ。そなたが自立をすることが親に対する恩返しでござるぞ。
P251
 誠に人を助けたければ、そなたが魔釣りをやめなされ。飢餓も環境破壊も戦争も身魂にとっては映画でござるぞ。そなたが「悪い」と思っておるから、そういうふうに見えるのぞ。そなたの心を映して見て居るだけぞ。人の歯の痛みは分からん。歯が痛いと申すのを聞いてそなた自身の痛みを創りだして居るだけぞ。自分がそうであるから人も同じであると思うのがそもそも取り違いでござるのぞ。飢餓の子供がどう感じて居るか、盲目の者が何を見て居るか、そなたが何故に分かるのぞ。すべてはそなたの一人芝居。悪い者は、可哀想な者は、そなたの方でござるのぞ。そなたらの持って居る金や教ではもう何も解結致さんぞ。真コトの御用の無き者は天神様の細道はとてもとても通れんぞ。そなたが身魂の大掃除を進めるほど、この方の掃除、神の大掃除に合わせてそなたは楽になって行くのでござるぞ。ミロクの入試の合格点は一〇〇点でござるぞ。満点だけが合格ぞ。満天ぞ。神が満ちるぞ。万はヨロズぞ。何でもかんでもすべて神でござるぞ。真釣りの神に戻らねば、ただの一厘足りなくてもミロクはないと申すことでござる。ミロクに持って行けるものは、肉の身脱いで掃除の済んだ清めたそなたの身魂だけでござるのぞ。悪の心も持っては行けぬ。いい加減な気持ちでは、真コトのイノチはござらんぞ。

 疑う心はキレイサッパリ捨て去って、裏の裏を探るようなことはもうやめて、このフミに書いてある通りに、この方の申す通りに、この者の申す通りに、何でもかんでもハイハイと素直に取りてくだされよ。批判、抗議、抵抗、反論、言い訳、策略、戦い云々の魔釣りの勝ち負けゲームは、もうそなたの為にはならぬのぞ。略奪が、戦いが当たり前じゃ等と屁理屈申して、いつまで同じことを繰り返して居るのじゃ。そなたは真釣りの世を壊す臭き魔釣りの極悪人でござるぞ。そなたは天国壊す悪魔でござるぞ。そなたが不自由でござればそなた以外の者を不自由にすることでもござるのぞ。調和を乱す犯罪者でござる。早くやめんと死刑でござるぞ。肉の身の死刑ではござらんぞ。身魂の死刑でござるぞ。身魂が死ねばそなたのイノチは消え去るぞ。そなたは永遠のイノチを自ら捨てるのか。後数年で無くなる物質の世の地位や名誉や世間体や財産や会社や評価や肉の命にこだわって、やったやられた取った取られたと大騒ぎして居ると、ミロクの世には行かれんぞ。そなたは身魂でござるのぞ。そなたの肉の身は物質の世の服でござるぞ。いつまで魔釣りの宗教の教えにしがみついておるのじゃ。死を恐れるそなたは死に向かって居るのぞ。
P252
 そなたが戦うこの方は、すべてのすべてを産み生んだ元つ真釣りの神なるぞ。そなたは誰を相手にして居るか分かって居るでござろうな。今までの神と同じだと思ったら大怪我では済まんぞ。肉の身の死では済まんのぞ。この方はそなたの身魂のイノチを握る、そなたのマコトの生死を握る、元の元の神なるぞ。この方の申す通りにそなたが生きればこの方は、ホトケの神でござるのぞ。この世で何が起きようとも、そなたの身魂は安全ぞ。何の心配もする必要はなくなるぞ。そなたが神の真釣りを壊す魔釣りを続ければこの方はオニとなるのぞ。何処に逃げてもそなたに安全はないぞ。たとえ霊界に逃げようともこの方からは逃げられん。そなたはこの方の中に居ることをお忘れ無きよう、改めてご注意申しおくぞ。そなたが神の掟を破っておいて、そなたが神の世界を壊しておいて、この方に逆らうとは何事ぞ。そなたが誠に謝罪する相手はこの方でござるのぞ。そなたが誠に感謝する相手はこの方だけでござるのぞ。全員犯罪人でござるから、人間の裁判は茶番なり。
P253
 そなたの夢をそなたが消すからそなたの夢は実現しないのでござるぞ。夢を語る者の話を裁く者、人の夢を壊す者、人の夢を否定する者は、神の世を創ろうとする真コトの民の邪魔を致して居るのでござるぞ。人の嬉しを邪魔するなどもってのほかでござるのぞ。そなたの心の葛藤はそなたがそなたと戦って居る証でござるぞ。そなたが戦うからそなたは自由にならんのぞ。いつまで続けても平和にもやすらかにもならんのぞ。そなたがそなたを不自由にしておいて、人の自由をねたむのは、人の夢を邪魔するのは、この方から見れば許し難いことでござるぞ。そなたらは、死者の冥福を祈って居るが、自らはちっとも幸福ではござらんではないか。そなたがそなたのしたいことを外の責任にしてやらんからそなたが動けんのでござるぞ。そなたの外がそなたをとめるのではござらんぞ。そなたの外の者が夢を壊すのではござらんぞ。そなたがそなたの理屈でそなたが恐れを避けてそなたを動かさんようにして居るだけでござる。誰にも文句は申せんぞ。
P254
 肉の身を持つ人間は、行動せねば何も形にならぬのぞ。心を形にする遊びが人間の人生でござるのぞ。そなたがそなたを疑えば、そなたは檻(おり)の中でござるぞ。そなたがそなたを疑う心がそなたの心を縛るのぞ。そなたが心を縛ればそなたは動けんのでござる。そなたがそなたをコントロールして居るのぞ。そなたがそなたを封じ込めて居るのぞ。そなたを封じ込める悪魔はそなた自身でござるのぞ。そなたがそなたを封じ込めるから、外の者に封じ込められることになるのぞ。そなたが誠に自由な者ならば、外の圧力は何も影響せんぞ。人のせいにしても、悪魔のせいにしても、悪霊のせいにしても、何も変わりは致さんぞ。悪魔のせいにするそなたの心が悪魔でござるぞ。そなたを不自由にするそなた自身の圧力を無くすことが自由の道ぞ。そなたがそなたの制限をすべて取り去ることぞ。そうすることがそなたが元の真釣りに生き戻るただ一つの道でござるぞ。

 神は一〇〇ぞ。完全ぞ。完全に自由ぞ。制限をすべて取り去れば神心ぞ。魔釣りの世では神心で動けば不都合も出るぞ。魔釣りは善悪の裁きの世でござるから、文句を申す者が居るぞ。損や怪我や病気もあるぞ。そなたのメグリ戻すまで、掃除する間は辛抱でござるぞ。そなたが神心で有れば、何が起きようとも一つ一つ善くなるぞ。初めは悪いことが起きることもござるが、段々に楽にして差し上げるから、辛抱肝心ぞ。そなたがこの方の申すことを一点なりとも疑えば、そなたは真釣りに戻れんぞ。そなたはミロクに生き返れんぞ。疑う心が魔釣りでござる。疑いとは損したくない者がすることぞ。損を避ければ魔釣りのままぞ。騙されて損して騙されなくなるぞ。魔釣りでござれば損もある。一時の損だけ見ておりては真釣りには戻れん。そなたらには時間がござるから、ある時だけを見れば損でござるが、大きく見れば損も得もござらんぞ。損して大騒ぎして居ると真釣りは遠のくぞ。一時を見れば破壊でござるが、大きく見れば再生への道ぞ。大我に入れよ。
P255
 戦う心は魔釣りでござる。人のせいにする心は魔釣りでござる。外の悪を裁く心が魔釣りでござる。そなたがこの書物を信頼できんと申すならば、何を読んでも構わんが、すべてのすべては一つでござるぞ。魔釣りも真釣りもマ釣りでござる。現れは逆でござるから、逆だと気づいて逆に替えれば魔釣りが真釣りになるのでござる。魔釣りを許して悪解(ほど)き、真釣りに戻す神仕組み。裏と表。裏になったり表になったりして居るのは魔釣りぞ。全く引っ繰り返してくだされよ。全部許すのが神ぞ。疑いか信頼か。信頼が神。真釣りに疑いあるのはオカシキことぞ。真釣りに戻れば損はござらん。そなたに悪なければそなたの外には悪はござらん仕組みでござる。そなたらは目の前のものだけ見て損だ得だと申すが、ちいせえちいせえ。どんと構えて大きな眼になってくだされよ。

 すべては真釣りに向かう道でござるのぞ。魔釣りも真釣りも裏表。真釣りの目で見れば魔釣りのものは一目瞭然。そなたが魔釣りでござるから、何でもかんでも真コトに見えるのでござるぞ。表はどんなものをもっておりても、地位や財産がありても、どんなに綺麗な肉身をもっておりても、どんなに知識をもっておりても、魔釣りの者でござればミロクはござらん。魔釣りのままでミロクを語る宗教では、自らの掃除をせずに神が救ってくれると申す宗教では、世俗を避ける宗教では、集団創る宗教では、ミロクの天国には行かれんぞ。現の世が世俗そのものでござるぞ。どんな山奥に出家しようとも、世俗からは出られんぞ。真コトの修行は日常の修行でござるぞ。楽なものには気をつけなされよ。
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 この方は、現の世ではどんな悪人でござろうとも、自らのお子全員にミロクの切符を渡すから、きちんと支払いをすればよいから、喜んで受け取ってくれよ。そなたが真釣りを生きることが支払いをすることでござるぞ。この方がそなたに渡した切符をどうするかは、そなた自身で決めなされ。ミロクの世界は宝の山ぞ。ウソ無きマコトの世ぞ。後数年で取り替えるこの物質の世で、どれほど物カネ山ほどありても、宝の山を掘り当てようとも、たとえ世界を征服しようとも、人類すべての独裁者になりても、身魂が魔釣りでござればそなたはミロクへは行けんのぞ。ミロクの世界は物質の組成が変わる世ぞ。今の物質の箱をキレイサッパリ交換するのでござるぞ。身魂を綺麗に掃除洗濯して、肉の身離れて物質の服脱いで、新しき服を着るのでござる。今の肉の身のままではミロクには行かれん道理。これを真コトかどうかと疑えば、この方の仕組みを疑うことになるぞ。そなたはうまくいかんから、神に頼むのでござろうが。すべては裏と表でござるぞ。ある瞬間は裏か表か何方か一つ。AとA-1でござるぞ。すべての瞬間を真釣りにしてくだされよ。今のそなたのやり方で一〇〇%うまくいかんなら、この方の仕組みが真コトでござるぞ。
P257
 そなたは善人も悪人も動物も植物も海も山もすべてのすべてが天国になれる仕組みを創れるのか。そなた自身は何を生み出したのでござろうか。そなたらはこの方の産み生んだ「有」の世界の中にこの方が産み生んだ身魂でござるのぞ。物質の世でのそなたは、肉の身も含めてこの方からの借り物しか持って居らんのぞ。食べ物もこの方の与えたものでござるのぞ。この方の「有」の性質を調べて応用して加工して居るだけぞ。人間が加工したものは人間が壊せるぞ。あるものはなくなるぞ。加工したものは壊せるぞ。創ったものは消えるぞ。鉛筆は消しゴムで消せるぞ。ダイヤはジェット水流で切れるぞ。秘密は表に出るぞ。隠してもばれるぞ。暗号は解けるぞ。ウイルスとワクチンのいたちごっこでござるぞ。この方は、そなたら元の元の元の「有」をすべて消し去ることができるのぞ。そなたらのココロの世界を目の前にお見せすることもできるのぞ。いつまでもハラの探り合いや情報合戦をして居っても、この方はすべてお見通しでござるのぞ。最後の最後に心の中のすべてをバラして差し上げるから、今の内から出しておく方が賢明でござるぞ。

 この方はすべてのすべてを変えることができる元の神でござるのぞ。すべてのすべてがこの方の仕組み通りに成って居るのでござるぞ。今の今も、そなたがこの方の申して居ることを疑って居るからうまくいかんのでござろうが。そなたが真釣りを取るために、魔釣りを見分ける真コトの眼鏡を渡すのが、このフミの目的でござるのぞ。そなたの見るもの聞くもの感じるもの、すべてそなたの心のままに映るのでござる。真釣りのフミを読んでも魔釣りの眼のままでござれば魔釣りのやり方に変わるのぞ。そなたが真釣りの眼鏡に掛けなおせば、すべてのすべてが変わって見えるぞ。そなたがこの方を疑えば、魔釣りのままでござるのぞ。そなたが疑うから見えんのでござるぞ。そなたは、見えんから信じられんと申すが、アベコベでござるぞ。神が先で人が後、心先で形後ぞ。そなたの見ておる形と申すは、そなたの心の姿でござる。そなたが「見えんから信じられん」と申すから見えんのでござるぞ。いつまでたっても「信じられん」と申すことになるぞ。簡単なトリックに嵌まっておるぞ。簡単なトリックではあるが、そなたの人生を支配することになる、すべてのすべてを変えてしまう大きな大きなカラクリでござるのぞ。そなたがこれに気づいてトリックを外さなければ、そなたの見方を変えなければ何も変わらんのでござるぞ。そなたが信じないから見えないのでござるぞ。最後はすべてお見せして差し上げるぞ。
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 そなたらは、運だ不運だと申すが、運とか不運がござれば、公平ではござらんではないか。この神が、偏った、不公平な世を創りたと申すのか。幸運の女神なる神は、何を基準に幸せに致すのでござろうか。そなたの魔釣りがそなたの不運の原因でござるぞ。運不運があることが不運でござるのぞ。運は一〇〇%運でござる。不運は一つもござらんぞ。そなたが運を無くして居るのぞ。運と申すのは「云(うん)」でござる。2(二)つの6(ム)でござる。66でござる。一二三(ヒフミ)を足せば六でござる。ヒフミが神でござるぞ。三の中に一と二があるぞ。霊心体でもあるぞ。一つでござるぞ。霊が体、神が人に現れておるのぞ。体は霊の、人は神の現れでござるぞ。「有」と「無」は同じぞ。「有」の世界は神の現れじゃと申すのと同じでござるぞ。「無」とは響きでござる。裏と表の神を足せば二つの「ム」でござるぞ。神と人で神世を創って居るのぞ。ムからウを有無(産む)のが神でござるぞ。運は神の道そのものでござるぞ。Aを1としてHIFUMI(一二三)を数字に置き換えて加えれば8+9+6+21+13+9=66でござるから、これも「云」でござるぞ。東洋も西洋も世界すべてをこの方が産み生んだと申すことぞ。この世には神の道しかござらんと申すもの。運を不運に変えるのは、そなたが歩む魔釣りの道でござるのぞ。
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 これをただの理屈と思ったら、語呂合わせと思ったら大きな間違えでござるぞ。この世が神の現れでござるから、この世のものはすべてのすべてが一つでござるぞ。この世のものを見れば神の仕組みが分かるのぞ。眼鏡が曇りて居るから見えんのでござる。見えない世界を創り出しておるのはそなた自身でござるのぞ。この方の申すこと、この者の申すことをただの理屈として片づければそなたには何も見えないのでござるぞ。手を変え品を変え、一つのことを教えて居るのでござるぞ。表面上の違いにこだわっておると大事な大事な一つが見えんぞ。元の一つが見えたら後はどんどん見えてくるぞ。この方はアレコレと申すが、一つのことを語る方便に過ぎないのでござるぞ。一つ一つに一喜一憂して居らずに、全体を見なされよ。森を見なされ。一つ一つにこだわらずに、全体の要点要旨を取りなされ。そなたが分かったことをその通りにやりなされ。この方の申す通りに見れば、別のものが見えてくるぞ。騙し絵、隠し絵のもう一つの答えを見せて差し上げておるのでござる。両方見えればいつでも両方見えるぞ。両面見て初めて全部見たことになるのでござるぞ。裏も表も全部見て、初めて神が見えるのぞ。そなたの神(紙)を全部引っ繰り返して裏を歩いて見なされよ。神が見えればミロクも見えるぞ。取った者は全部返せよ。
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 こう申しても、そなたは「難しくて分からん「難しくてできん」「そうは言っても現実は」等々と申すが、魔釣りの世のやり方にどっぷりつかったそなたには、初めからすべては見えんぞ分からんぞ。初めは怖く見えるぞ。不可能に見えるぞ。そなたがそう見て居る限り、いつまでたってもそのままぞ。今のままでは今のまんまぞ。そなたが分かったところから、そなたが取りたいようにとれば宜しいぞ。そなたが分かった通りにそのまま実行してみなされよ。思うだけでは何もならん。分かっただけではまだ半分。分かったら分かったことをすぐやりなされ。元々が幽霊でござるそなたらに、この世では何も怖いことはござらんから、今すぐ魔釣りをやめて真釣りの道に入りなされよ。やればやるほど見えてくるぞ。もう迷っておる時間はござらんぞ。行じることが掃除の鍵でござるのぞ。失敗して気付けよ。怪我して学べよ。やってから考えよ。肉体怪我して穢(けが)したもの清算ぞ。

 この方はそなたに無理やりさせることも、来させることも、追いかけることも致しておらん。そなたに真釣りを押しつけることは致さんが、神成る身魂のそなたらが歩むべき道は真釣りの道でござるのぞ。そなたが真コトに分かりたならば、そなたの歩む道は一つしかござらんぞ。初めからすべてうまくやろうと思えば魔釣りになるぞ。苦労もせんで初めから全部分かろうとするのは魔釣りぞ。教えてくれん、分かりにくい等と申すのは自分勝手でござるぞ。うまくいかなくしたのはそなたであるから一度にはうまくいかんぞ。そなたがしただけ返すのでござるから、損して怪我して病気して事故して失敗して掃除をしていくのでござるぞ。段々に善くなるのが真釣りの神のやり方ぞ。一度に善くなるのは魔釣りのやり方ぞ。善くなった分だけ一度にぶり返すぞ。病気直しや超能力の神には気をつけなされよ。そなたの肉体の病気は身魂の穢れの型示し。病気の元は身魂でござるのぞ。
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 そなたが創った病気を型だけ霊に治してもらおうと思うその心が魔釣りでござるぞ。医師や製薬会社を責めるのはオカシキことでござるぞ。肉体だけ修繕して治したと思って居る医師殿、身魂の穢れを直さねば、真コトに直ったとは申せんのぞ。怪我して損して病気になって身魂の穢れを祓うのぞ。祓うとは払うこと、清算すること、和(○)すること、差引き0(ゼロ)にすることぞ。霊に戻すことぞ。体主霊従を霊主体従に戻すことぞ。陽先陰後を陰先陽後に直すことぞ。+先-後、得先損後を損先得後にすることぞ。霊が基ぞ。霊の病気、霊の偏り、霊の障害を直さねば、ミロクの体は着られんぞ。身魂のリハビリを終えねばミロクの体には入れんぞ。そなたらは身魂の障害者でござるぞ。身魂穢したから肉体怪我したのぞ。そなたが体験するにつれて、一つ一つ分かってくるのが真コト真釣りでござるのぞ。この方の申すことを、今のそなたなりに自由に使ってみなされ。
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 この方はそなたが真釣りに戻りたいことは十分に知って居る。そなたの道がマ違っておればこの方が体験を通して教えるから、行き詰まりで教えるから、その場その場で教えて差し上げるから、将来のことをアレコレと段取りせずに、何が起きるか心配せずに、何もかにも心配せずにどんどん思った通りにやりなされ。計画せずとも計画通りになるのが真釣りでござるぞ。計画通りに行かんのは魔釣りの証でござるから、魔釣りの段取りはすべて捨てて、今今を素直に生きてみなされよ。今のそなたのすることは、まずは今までの世が魔釣りでござることを自覚して、真釣りに戻るを決めることぞ。決めたら真釣りを戻すまで、この方にすべてを任せて、何があっても続けてくだされよ。ミロク開くその瞬間まで耐えに耐えて魂磨いてくだされよ。任せると申してもお祈りだけでは駄目でござるぞ。そなたの心を素直に行じることが、この方に助けを請う信号でござるのぞ。日常すべてで行じることがカギでござるぞ。日常とは日の常ぞ。神の床ぞ。そなたの生活全部が神の世界でござるのぞ。実地に入った今今は、祈りや瞑想や読経や滝行や断食や祝詞(のりと)や参拝では何もならん。神示読んでも行じねば神の力は現れんぞ。

 魔釣りのそなたが真釣りに戻る始めは知ることからでござるが、アタマのお勉強だけでは何も分からんぞ。分かったつもりで分かっておらん。そなたの実にはならんぞ。そなたの生活の中にあるものすべてが生きている教科書ぞ。すべてのすべてがこの方が用意した教材ぞ。そなたの生活がそなたの真釣りの学校ぞ。真釣り遊びに戻すための、積んだホコリを掃除する罪(積み)を清算する刑務所ぞ。そなたの現(こ)の世そのものが学校ぞ。刑務所ぞ。そなたらの学校や刑務所は、相対二元の善悪の遊びの中の劇中劇でござるぞ。現場から、体験からすべて学ぶのが真コトの勉強でござるぞ。そなたが知識を実行して気づいて使って智慧と為すのぞ。毎日が予習、授業、復習、テストでござるぞ。この方の申す通りに素直にやれば、誰でもミロクに合格できるのぞ。神は普段の授業態度をみておるぞ。「勉強しているフリ」は通用せんぞ。魔釣りの知恵でアタマでっかちの者ほど、上に上がりていい気になって居る者ほど掃除は厳しいぞ。全部捨てて恥をさらして秘密をバラして赤子になって裸一貫ゼロからやり直せよ。1ではないぞ。0からぞ。アタマの善い者ほどアホでござるぞ。魔釣りの世のアホは真コトの賢者でござるぞ。
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 悪を一つでも裁いたら、苦を一つでも避けたら、そなたに真釣りはござらんぞ。そなたが壊しただけ、肉の身で痛むのぞ。痛みを避ければ自らのしたことの責任を取って居らんぞ。アタマでっかちではミロクの入口はくぐれんぞ。そなたのツケをすべて返せよ。借りを清算せねばミロクには入場出来ん。知識は行じて智慧となる。真釣りの知識を智慧にせねば、そなたにミロクの世はないぞ。応用できねばミロクはないぞ。掃除せん者がミロクのことを知っても無駄でござる。掃除する者は何も知らずともミロクの民に成れるぞ。先がどうなるかを知るより、神の仕組みを知るより、今今のそなたの心に素直に行動することぞ。知らずして知ることになる。そなたの知りたいことがだんだん分かってくるから、頑張りてくだされよ。分かろうとしなくても分かるのでござるぞ。今必要なものを一つ一つ知って行けばよいぞ。一つ一つの積み重ねぞ。体験から学ぶのが心と体が一つの証。神の仕組みの真コトなり。心を体で現す遊びが人間ぞ。身魂の矯正が必要なものばかりでござるぞ。真コト素直に行動せよ。一人一人が学校そのものでござるぞ。
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 真コトの幸せは一〇〇%。小さな幸せでは神ではござらん。真コトの民はミロクの完全な顕現を望んでおるぞ。うまいことやってほんの一部だけでも恩恵に預かれればよい、ミロクの一部でも得られればよい、ミロクに行ってから残りの一部を創ればよい等といい加減なことを申して居るととんでもないことになるぞ。そんないい加減な気持ちで真釣りに戻ろうとしても、そんなことではミロクどころではござらんぞ。そなたは地獄でござる。最後の最後は消滅するぞ。ミロクは初めから一〇〇%でござる。掃除はすべて完了して居るのでござる。ゴミを持っては入れんぞ。衛生管理はそなたらの半導体の工場よりも、もっと厳しいのでござるぞ。ゴミやホコリは一粒たりとも持ち込めんぞ。身魂の洗濯完了して居らねば、ミロクの服は着せんのぞ。ミロクに行く前に一〇〇%完了しておらねばならん。百ぞ。神に成らねばミロクはござらん。
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 神に成ったと同時にミロクでござる。ミロクに成ったと同時に神に成るのでござるぞ。裏の裏は表。裏と表は一つなり。すべて同時なり。表の裏を行動して裏に戻れば表なり。裏と表を一つにして表に返れば普通の人間ぞ。宗教家では今回の掃除は指導できんぞ。実地テストをクリアせねば実践指導は出来はせんぞ。教義だけ学んだ教祖では掃除のガイドは出来はせんぞ。日常生活で修行するのでござるぞ。人の世は神の世。神の世の映しでござるぞ。まずは自らの掃除が先ぞ。自ら動いて神が助ける、神人合一の共同作業でござる。やるかやらぬか二つに一つ。両方あれば魔釣りでござるぞ。迷いは魔釣り。我善しは魔釣り。九割九分九厘の成功でも駄目でござるぞ。九割九分九厘魔釣りでござる今のそなたは、真釣りに戻るは厳しい道乗りぞ。そなたの日常全部を真釣りにせねばミロクの世では生きられん。宗教では真釣りは取れんぞ。この方は妥協は致さんぞ。そなたがミロクに生き返るための、神の情けの親心。この方は我が子の為ならオニと成って差し上げるぞ。
今ここから真釣りの道乗れよ。ミロクは迫っておるぞ。ミロクのハコブネに乗り遅れんようにしてくだされよ。



元つ神からの最期の艮のフミ その五

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 この方が申すことは、もともとはそなたが自ら気づかねばならぬことばかりでござるのぞ。この方はそなたが魔釣りに走ることを分かっておりたからそなたが自ら気づけるような仕組みを構えておりたのぞ。そなたが自らすべきことをせずに、この方に何も渡せずにすべてを教えて頂くのでござるから、ツベコベ申さず素直に黙って聞けよ。この方が教えることは簡単でござるが、そなたがすべてを知ったところで、知っただけでは何もならん。知っただけでは借金をしたのと同じでござるから、知ったことを応用して、すべて使って、仕入れたものを出して、借りを返してくだされよ。そなたが真釣りでござるなら借りは一つもござらんのぞ。そなたは0(ゼロ)でござるから、出して入れて出して入れてでござるから、いつでも欲しいものは来て、いつでも与えるだけでござるのぞ。この方はそなたから取りたるものは一つとして無く、そなたが略奪致しても、与えるばかりでござるのぞ。この方の真意を知っただけではそなたがしてきたことの清算にはならん、掃除にはならんぞ。知ったものを実行せねば実を結ばんから、知って分かって安心して喜んで居るでないぞ。分かって嬉しければ、それを実行して初めて本当の嬉しになるのでござるぞ。嬉し嬉しの仕組み。

 知ることは苦労の始めの初めでござる。知ったことを実行して体験して身を以って確かめて、肉の身で確認して、自らの智慧と成るのでござるぞ。智慧となれば形も成るぞ。知っただけではアタマでござる。アタマをハラにおろして初めて実と結ぶのでござる。身で行じて実を結べよ。宗教や哲学では何もならん。分かったけれども難しい等と申しておりては何年勉強しようが目くそ鼻くそでござるぞ。そなたの身魂に必要なのは、知識ではなく智慧でござるぞ。心と体を一つにする実践でござるぞ。分かったことをすべて実行する態度でござるぞ。そなたは知ろう知ろうとしておるが、そなたが真釣りを外しておらねば、この方の申す通りに始めからなして居れば、すべて分かるのでござるぞ。分からんもの、不思議なもの、できんことがあることがオカシキことでござるのぞ。分からんこと、苦があることがオカシキことでござるのぞ。知らんことを教えてくれん、困っておる者を助けてくれんのは人間ではない等と文句を申すそなたは何をしておるのじゃ。分からん自分の恥を知れ。困った自分の恥を知れ。知ったらツベコベ申さずに、アタマを下げて実践なされよ。神成る身魂が何も知らんのはオカシキことでござるのぞ。そなたが魔釣りに奉られて、楽を求めて壊し行き、自らだけが上に行き、取って取って取りまくり、世を偏らせて迷惑かけて、神成る修行をさぼった分、しっかりと戻してくだされよ。真コトの天国に行くのは楽な道ではござらんぞ。
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 この方はすべてを生んだ元つ神でござるのぞ。すべてのすべてがこの方の化身でござるのぞ。すべてのすべてがこの方の申す通りに成って居るのぞ。この方は時空超えてすべての仕組みを構えて居るのぞ。今までの歴史も、これからの歴史も、ミロクの道も、この方の申す通りでござるのぞ。この方の申すことに反論できるのも、この方が許して居るからでござるぞ。反論致す、世界を壊す身魂は、最後の最後に掃除致すようにしてござるからそれまで好き勝手に泳がせて居るのでござるぞ。いつまでもいい気になって居ると、永遠に取り返しのつかんことになるぞ。何も申さずに黙って消しても善いのぞ。この方はそうした方が簡単でござるが、それでは可哀想じゃから、神の世壊し、迷惑かける犯罪者にも情けを掛けて、今の今まで生かし来たのぞ。そなたはツベコベ申せる身分ではござらんぞ。身のほどをわきまえよ。
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 この方は、すべてのカラクリを明かして知らせて居るのでござるぞ。この方の申すことを、嘘じゃ、マヤカシじゃと申すならば、そなたは永遠にアベコベのままでござるぞ。アベコベのままではミロクはござらん。そなたらの魔釣りの生き方の果てに、壊れに壊れた穢れに穢れた物質の世はキレイサッパリ終わらせて、真コト無き身魂は一人として入れん天垂敷き(新しき)世に取り替えるから、魔コト持ちたるそなたの身魂は後数年のイノチでござるぞ。そなたがこの方の申すことを嘘じゃと申すならば、そなたの申すことが誠でござるから、その通りにすれば善かろうぞ。わざわざこの方や他人に抵抗したり、反論したりする必要はあり申さん。そなたが正しいならば、そなたは正しいのじゃから、正しさを他人にもこの方にも証明する必要はござらん。神を否定するそなたは、この方に反抗して居るのと同じでござるから、そなたの身魂の真コトの親を無きものにして居るのじゃから、最後の最後にそれがどういうことでござるのかそなたの身をもって教えてやるから、その積もりで覚悟して楽しみに待って居れよ。修羅の地獄で会おうぞよ。
P271
 そなたの居る世界自体が、資源自体が、海山自体が、この方のお子でござるのぞ。そなたの居る世界自体がこの方のお子の神の現れでござるのぞ。そなたの肉の身を育む親でござるのぞ。そなたを育んできた神でござるのぞ。そなたはこの方に断りもなく、真釣りなく土を無断で掘って居るが、何をしておるのじゃ。真釣り無き者(魔釣りの者)に感謝なし。この方の申すことを疑う者は魔釣りでござる。土を掘ることが悪じゃと申して居るのではござらんぞ。何も知らずに我(われ)善し勝手に好き放題をして居る者が、この方のものを壊して居ると申しておるのぞ。そなたの肉の身もこの方の貸しものぞ。そなたの魔釣りを教えるために、病気や怪我の形にて、壊して傷めて居るのでござるぞ。自ら壊した肉の身を治して下さる医師のミスを責めるそなたが悪でござるぞ。何も知らずに壊したお詫びをせよ。お詫びするなら真釣りに戻れよ。モノを壊すのが悪ではござらんぞ。そなたの魔釣りが悪ぞ。

 神は一〇〇点ぞ。満天ぞ。百ぞ。桃ぞ。百の神(十)が百十(もと、元)の神ぞ。マコトの警察(百十番)はこの方ぞ。神の善が誠の善。調和が善ぞ。自分も人もうまく行くのが神のやり方でござるぞ。自分は善くて人は駄目と申すのは自分勝手ぞ。健全な体と申すのは肉の体のではござらんぞ。霊の体のことぞ。霊健康ならば肉も健康でござるぞ。魔釣りを生きておいて肉だけ健康に成ろうとしても無駄なことでござるのぞ。一時的に健康になっても最後の最後で壊れるぞ。霊の食べ物を整えることが先でござるぞ。肉の身の食べ物を整えても、霊が魔釣りでござるなら、何を食べてもご無念ぞ。菜食主義と申すが、肉食を避けて、制限して、何が自由でござろうか。菜食と申すのは、この方のやり方をせよと申すことでござるぞ。霊の食べ物とは考え方のことでござるぞ。真釣りに奉ればそなたは肉の身で何を食べても構わんのぞ。
P272
 四つ足(肉食)とは魔釣りのことでござるのぞ。肉食を避けるそなたの心が肉食しておる証でござる。四つ足は戦いでござるぞ。獣は戦いでござろうが。植物は満たし合いでござろうが。形の例えををそのまま鵜呑みにして玄米正食等と申しておるそなたは、最後の最後で肉を食わねばならぬぞよ。何でも食べられるようにしておいてくれよ。真釣りに生きよと申して居るのぞ。土のまんじゅうでござるぞ。土はこの方そのものぞ。+-で0(ゼロ)ぞ。この方の意志を固めたものが考え方の饅頭でござるぞ。土も饅頭。そなたに食べられんものはないぞ。食べてはならんものはないぞ。そなたの回りにあるものはすべてのすべてが神の化身。この方自身でござるのぞ。毒にしたのはそなたらの魔釣りでござる。毒が薬、薬が毒。毒も薬も無いぞ。一〇〇%真釣りならば毒はござらん、悪はござらん道理。

 この方は渡すだけぞ、何も強制はせんが、早う自ら気づいてそなたが壊した責任は取れよ。この方のやり方を真似ることが神心でござるぞ。お子や生徒に欲しく無いものを無理に食べさせるでないぞ。好き嫌いを無くせと申すのは、魔釣りをやめよと申すことでござるぞ。悪を裁くなと申すことでござるぞ。給食を全部食べろと申すが、食べ物の好き嫌いは後の後でござるのぞ。偏食を無くすのはそなたの方でござるぞ。偏食して居ると変色するぞ。霊が偏食して居るから体(色、現れ)が壊れるのでござるぞ。この方が、そなたに、無理やり一気に真コトを食べさせれば、そなたはとても耐えられんぞ。そなたは、苦しくてのたうち回ることになるのぞ。この方は少しずつ与えておるのぞ。そなたが食べられる分だけ渡しておる。食べるか食べないかはそなたの決めることでござるぞ。水の飲み場を教えることはするが、地図は渡すが、歩くのは、飲むのはそなたでござるぞ。
P273
 そなた自身が、霊が偏食しておいて体の偏食を語るではないぞ。人のすることなすことを点検するでないぞ。禁止するでないぞ。しては行かん行動と申すものはござらんぞ。そなたらが魔釣りと申す、神成る身として、してはいかん道を歩いたから、したら迷惑な行動に見えるようになったのでござるぞ。悪を止めるは、掃除の邪魔ぞ。そなたらはゴミを捨てるのは勿体ないと申すが、そなたがいらんと決めたものをゴミと申すだけでござろうが。そなたの肉の身を通して形を変えるだけではござらぬか。形を変えて流すだけのことぞ。この方は無限でござるから、いくらでも与えるのぞ。そなたらが止めるから止めて見せるのでござるぞ。そなたが溜めるから無くして教えるのでござるぞ。そなたらが使ったものは元はすべて土でござるから、神でござるから、汚いものや無駄なものはござらんぞ。ゴミと申すものは一つもござらんぞ。ゴミは御身、五実、神の体でござるぞ。汚いものや有害なものを創りだしたのはそなたらの魔釣りでござるぞ。そなたの魔釣りが臭きものでござるぞ。そなたらが臭いからゴミが臭いのぞ。この方の内にあるものが害であるとは何事か。この方が害を創ったと申して居るのと同じでござるぞ。そなたが害であると白状して居るのと同じでござる。悪は最期に全部掃除致すから、悪を止めるでないぞ。
P274
 自らの由(意志)で出来る者が真の自由人、自遊人でござる。失礼とは霊を失うことぞ。神を見失うことぞ。0(ゼロ)を、真釣りを、バランスを崩すことぞ。そなたがそなたに失礼なことをして居るのでござるぞ。失礼なことがあるのはそなたが失礼なことをしたからでござるぞ。そなたが魔釣りをして居るからでござるぞ。礼儀(霊儀、0気)はこの方に対する態度でござるのぞ。そなたに対する自分自身の態度のことでござるぞ。そなたが正(ただ)しいと申す通りにしたら反論や批判や抗議や疑いが必要になると申すならば、そなたの申すことは、永遠に自由にも平和にも天国にもならん、我(われ)だけ善しの、自分だけ勝手の、末は滅びる破壊のやり方でござるのぞ。善悪分けて、正誤分けて、戦い続く分離の世界を創り出す、永遠に調和にならん混乱の世を続けるやり方でござるぞ。魔釣りの理屈でござるぞ。グルグル回って始めからでござる。堂々巡りでござる。堂々巡りと申すのは、枠の中、制限の中に居る証でござるぞ。現界は時間の順序、空間の順序ある限界ではござるが、この方の申す通りにすれば、自由、平和、天国でござるのぞ。そなたらが天国を地獄にしたのでござるぞ。堂々巡りのやり方は、最後の最後はこの方の所に戻ってくることになるが、戻ってきたときにはもう間に合わんから、今から申して居るのでござるぞ。
P275
 この方のやり方を違うと申すならば、この方の「理論」を超える代案を出して見よ。すべてのすべてを説明できるフミを出してみなされ。それができないならば、素直にこの方の申すことをハイハイと実行していけよ。このフミは、この方の申すことを、この者を通して人間の言葉に翻訳して居るものでござるぞ。この者の勝手な独自の考え方ではござらんぞ。この方の申すことを一つの疑いも無く、そのまま文字にして居るのでござる。この方が、この者の真釣り戻しを手伝って、最後の最後に書かせたフミでござるのぞ。この者の書物と申すのはこの方の書かせたものでござる。そなたらから見れば、何冊にも分けて居るが、手を変え品を替え、同じことを申しておるだけぞ。この方から見れば、一冊でござるぞ。そなたらは、いろいろな形にせんと興味を示さんから、分厚い書物は読む前から敬遠するから、いろいろな目、いろいろな知識を持って居るから、いろいろな形で著して居るのでござる。一つ一つの文章にいちいち反応して居っては真コトは見えんぞ。

 自分の内も家庭も国も世界も宇宙も政党も教団も会社もミクロもマクロもすべて同じ仕組みでござるぞ。宇宙の仕組みも素粒子の仕組みも同じでござるのは、この方の内でござるからぞ。すべては円でござる、○、縁、霊でござる。神でござる。宗教と科学に分けるから○がCになって繋がらんのでござるぞ。そなたを中心に見ておることを自覚せよ。そなたの心眼で見えるものが宗教、そなたの肉眼で見えるものが科学でござるぞ。そなたが宗教を科学すれば、そなたの心を行じて行けば、現実が変わるのでござるぞ。Cが○になって流れるぞ。そなたが科学を宗教すれば、そなたの体に見える型示しを霊の原理に置き換えれば、すべての繋がりが見えるのでござるぞ。あの世を彼岸(ひがん)、浄土、極楽、理想、悟りの世と申し、この世を此岸、穢土(えど)、現実、迷いの世と申し、人間には悟りは開けない等と申して居る者は悪魔でござるぞ。生きて悟りの開けん者は死んでも悟りは開けんぞ。悟りとは差取りぞ。神の心と人の心、真釣りの心と魔釣りの心、真型と仮型の差を取ることぞ。神の心を実行することぞ。実行して得た智慧が覚りでござる。相対二元の善悪で善いことをした者が天国に行くのではござらんぞ。夢取り違いなさるなよ。
P276
 神と人が共に創るのぞ。神が外の掃除を致し、人が神の真意を伝える。神が居らねば人は神に成れず、人が居らねばミロクは出来ん。お互い様の持ちつ持たれつの誰も損をせぬ神人和合の世を創る世紀の大芝居、最期のハコブネを創る、史上最大の作戦(作船)でござるのぞ。神が人の居る世界を掃除してミロクの世に変えて行き、人が自らの内を掃除して神の内(人の外)に沿い和して共にミロクに向かうのぞ。それが神人和合の真釣りの道ぞ。真コト伝える真釣りの御用の身魂も魔コト進める魔釣りの御用の身魂も居るぞ。どちらもこの方の仕組みありてこの世に降ろしてある身魂でござるから、どちらも裁くではないぞ。そなたがどちらにつくかでそなたの行く末が決まるのぞ。魔釣りの身魂は自らが魔釣りであるとは気づいておらん。魔釣りの御用をして居る者は、自らが魔釣りでは真釣りには成らんことを早く気付けよ。人民をいつまでも地獄に勧誘して居るではないぞ。そなたは天国どころではなく、地獄でもなく、末は消え行く滅びの道を語って居るのぞ。行く末は集団自決でござるぞ。魔釣り教と申すカルト教団の集団自殺に行き着くぞ。真釣りの真コトが出たならば、魔釣りの御用は終わりでござるぞ。そなたらも早う真釣りに戻りなされよ。魔釣りを真釣りで真釣って嬉し嬉しのミロクに致す⦿仕組みでござる。
P277
 神はすべての形にあらわれておるぞ。顕す、表す、現す、露す、著すとは「アラ和す」でござるぞ。五十音はこの方の現れ。「ん」はこの方のすべて。この世の終わりの始まりでござるぞ。「ン」は「ム」でもあるぞ。「N」「M」「無」「夢」「六」でもあるぞ。すべての言葉の頭は「ン」から始まって居るぞ。すべての音は「ン」から始まっておる。ア行~ラ行まで一~九までを十(和、ワ)して、「ワ」ヲ(を)「ン」に、元の真釣りに戻すのが神の仕組みのミロクなり。「アイウエオ」が「アオウエイ」に成るぞ。「アイ」から始まった世が「アイ」が統べる世になるぞ。「AI」は1+9=10、十、⦿でござる。⦿から出て⦿が統べる世になるぞ。多数決では和はござらん。一人でも反対が居る社会は、神の真釣りの世ではござらんぞ。簡単な道理でござる。戦いが基じゃ、競争が原理じゃと申して居る限り、そなたらは真コト知らずに死んで行くぞ。そなたらがそう申して居るから、それを基にすべての仕組みを創りだしたのではござらんか。そなたらが申すことを替えねば、そなたらの仕組みはそのままでござるぞ。この方の申すことを聞かん限り、そなたらの地獄の遊びはもう終わりぞ。危なくして良くする仕組み。臭いものに蓋をしてもそなたらの蓋はこの方の材料でござるのぞ。心も物質もすべてこの方でござるのぞ。そなたらのありえない、ばかばかしいと申す思考もこの方の材料を加工したものでござるぞ。
P278
 そなたがこの方の申すことを嘘じゃと申すならば、そなたとこの方はアベコベのことを申しておるのでござろうが。そなたがうまくいかんなら、うまくいくやり方を探して居るならば、そなたはうまくいくやり方をして居らん。そなたとはアベコベの、この方の申すことがうまくいくやり方ではござらぬか。簡単な道理でござるぞ。反対、反対、抗議、抗議もよいが、そなたが反対をして居るから、何でもかんでも反対し続けることになるのでござるぞ。そなたの求めるものは何も得られて居らんではござらぬか。いつまで探しつづけるのじゃ。そなたが旅行を計画しても天候荒れば動けんでござろうが。そなたが家を修理いたして、自動車を点検いたしても、どこで壊れるかは自由にはならんでござろうが。そなたらにはこの方に逆らって自由はござらんのぞ。この方に従えば自由でござるのぞ。すべてのすべてが調和で出来ておるから調和に生きれば自由でござる。調和を乱せば不自由になって、乱したことに気がついて調和に戻せば、自由に成るぞ。それが⦿仕組み。

 「そなたら」も「そなた」も申して居ることは同じことぞ。「あなた」も「おまえ」も同じことぞ。表面上の言葉の違いにこだわって降りてはマコトは取れんぞ。「あなた」も「わたし」も同じことぞ。自分も他人も神も人も同じ仕組みぞ。このフミもそなたらの生活も同じことぞ。今ここから、ゼロになって、赤子になって、生まれ変わって0(ゼロ)歩から歩き直してくだされ。そうすることが真釣りに戻る一番の近道でござるのぞ。それが人事を尽くすことでござるのぞ。今までの常識がすべて逆じゃと申すのを聞いたならば、一つ残らずスッカリ入れ換えねば元には戻らんぞ。すべて捨てろと申すのは全部手放せと申すことでござるぞ。神は一〇〇ぞ。百ぞ。全部手放すのは難しいと申すならば最後の最後に手放させてやるから、待っておれ、大地震が一度に起きればそなたの持ちものなどひとたまりもないぞ。そなたの肉の身の命はこの方にしかわからんのぞ。
P279
 マコトは真コト。魔コトではござらん。魔と真、裏と表、愛と罪悪感、嘘の自分と本当の自分、疑いと信頼、相反するものは、ある一瞬には同時にあることはできん。そなたは毎瞬毎瞬どちらかを選んでおるのでござるぞ。過去も未来もござらんぞ。過去を見て過去を判断して結論を出して居るのぞ。順番に見ておるのぞ。繋がって居ると錯覚するから、そのまま残るのでござるぞ。そなたの心は時空がないから相反するものを同居して居ると錯覚するのでござるぞ。裏か表か二つに一つ。そなたのすべての瞬間に真釣りを生きることが真釣りに戻る、神心に成ると申すことぞ。自らの心を分けるのをやめて、すべての瞬間に真コトの心を素直に歩いてくだされよ。
P280
 今のそなたらは身魂の障害者でござるぞ。補助無しには自ら動けん心体障害者、自ら決められん誠心薄弱者、神の声が聞こえん聾者(龍の耳を持たん者)、自ら考えられん(自ら口に出せん)啞者、先の見えん盲者でござる。そなたらは身障者や病気の者を可哀相だと申すが、可哀想なのはそなたの方でござるぞ。自ら動けなくしておいて、困って居る者を助けてくれんのはオカシキことじゃと申し、自らのして居ることを知らずにタダ働きのボランティアを要求する、自分勝手な身魂でござるぞ。そなたが出来ん(しない)ことをしてもらうのでござるぞ。そなたが分からんこと(やれば分かること)を楽して教えてもらうのでござるぞ。楽した分、そなたの苦労と交換でござるぞ。タダで貰えばメグリを積むぞ。同意の上のタダなら宜しいぞ。見返り求める無償は無償ではござらんぞ。無償とは償いの無いこと、制限の無いこと、貸し借りゼロ、0(ゼロ)、真釣りのことでござるぞ。自らすべてできるのが真コト神民でござるのぞ。自らのことをすべて出来るのが日月地の神(一から十まで出来るヒト)でござるぞ。世界のことも全部できるのが元つ神(⦿、○十、㊉、田)なるぞ。限界に現れし障害や偏りは、そなたらの身魂のしておる姿(素型)ぞ。型ぞ。果ぞ。結果ぞ。現れぞ。偏見や差別を語るそなた自身が偏見、差別の持ち主ぞ。

 人を責めるそなたが口に出すことは自らのことでござるのぞ。自ら何も出来ずに、外を頼って人に任せ、うまくいかんとなれば文句を申し、自らは人に何も渡せずに、自らは何も提供せずに、自分だけによこせよこせと大騒ぎする、臭き魔釣りの悪魔なり。魔釣りの世を当たり前の世と申し、苦あるのは、花が散るのは、悩みがあるのは当たり前と申して平然として居るそなたが、そなたの外の悪を形にしてきたのでござるのぞ。そなたらのその態度を教えるために、この方がこの方の産み生んだものを壊して、そなたの外に形にして教えて居るのでござるのぞ。花もずっと咲きたいのぞ。花は十十(⦿、神)が化けておるのぞ。そなたの心を見せてくれておるのじゃぞ。すべてのすべての基はそなたの心でござるのぞ。そなたに教える型示しを、それがあるのが当たり前と申せば、それが当たり前であると申すそなたはそのままでござるから、その世の中が、その常識が続くのでござるぞ。そなたの心が形になるのぞ。そなたが態度を変えねば、見方を変えて動かねば、形はいつまでもそのままでござるのぞ。物質の世は後少し、早く真釣りに戻ってくだされよ。真釣りがミロクの生き方ぞ。掟ぞ。真釣り無き者は、今世で消え行く者ぞ。
P281
 早く解結しよう、楽しよう、怪我を避けよう、危険を避けようとなさるから、臭き宗教や超能力や予言者に引っ掛かるのでござるぞ。そなたが自立しておれば、そなたらが裁く宗教や犯罪や集団はそなたらの前には有り申さん。そなたが外を頼るから、需要があるから供給が形になるのでござるぞ。外にある悪者に文句を申す前に、外にあるものを潰そうとする前に、そなた自身の悪魔をつぶせよ。楽をしようとする心を捨てなされ。そなたが真釣りに戻れば楽になるのが当たり前ぞ。楽をするのではなく、楽に成るのでござるぞ。そなたが分からないことがござるのは、そなたができないことがござるのは、そなたの態度に原因があるのでござる。疑う心は悪魔を呼ぶぞ。信じる心は天使を呼ぶぞ。失敗はそなたの治療薬。被害はそなたのしたことのツケ。自分は悪くない、被害は悪魔の仕業じゃと申すそなたの悪魔をキレイサッパリ殺しなされよ。いつまでも悪魔と一緒に居っては、そなたに天国はないぞ。外を裁くのは筋違いと申すもの。
P282
 自然と共に居ると申すのは至善と共に、この方と共に居ると申すことぞ。太陽と共に起きると申すのはこの方の申す通りに生きると申すことぞ。規則正しく生活すると申すのはこの方のキ則通りに、キの足でキ足で歩くということぞ。声を出して読むと申すのは、そなたがその通りに生きることでござるぞ。神示を音読してばかりいても何も変わらんぞ。神示読んで分かったら分かったことを実行しなされよ。歩くことは生きることぞ。食べることとは生きることぞ。霊の食べ物を偏らせておいて、肉の食べ物を菜食にしてもそなたは偏って居るままぞ。肉食避けるがその証。菜食して肉の身が楽になるのは真釣りに生きれば身魂が健康になると教えて居るだけぞ。菜食して肉の身が健康になった積もりでおりても、そなたの身魂は臭きままでござるから、最期に偏った分をすべてお返し頂くぞ。

 こ度のことは、そなた自身のマコトのイノチ、身魂の生死がかかっておる、そなたの身魂の人生でたった一度コッキリの、一度超えたらそれで済む、最初で最後の大峠でござるのぞ。大峠を越える迄の冒険を、苦労を避ければ、楽を続けるそなたには、この大峠は越えられんぞ。ミロクへの大峠には生死の境はござらん。そなたの身魂の山登りでござる。そなたには危険なことはござらんぞ。危険なのは危険を避ける心でござる。そなたがこの峠を越さねば、そなたは永遠の死を迎えるのでござる。そなたのマコトの安全策は、この方の申す通りになすことぞ。表面の危険、悪、苦に惑わされるでないぞ。そなたのマコトの姿は身魂でござるのぞ。肉の身はこの方の貸し与えたそなたの服でござるのぞ。現界がどうなってもそなたの身魂が真釣りに戻れば、そなたのイノチはなくならんのぞ。
P283
 時節来たれば、そなたの登って居る登山道、そなたの生き居る現界(限界、幻界)と申す山野はすべて消え去るのでござるぞ。こ度の峠を越さねばそなたは消え去る運命でござるのぞ。死を避けて、危険を避けて、冒険を避けて、麓にいつまでも居るならば、そなたは消え行く身魂でござる。最後はそなたの尻に火をつけてでも登らすのが、そなたを天国に連れて行きたい親神の心でござるから、最後の最後はそうすることになっておるから、そうならないうちに早う自らの足で、自らの意志で歩き出せよ。後になるほど厳しくなるぞ。ミロクの道を歩くそなたには死はないぞ。肉の身の怪我や病気や被害は、そなたの試練でござる。そなたがそなたのしたことと自覚して歩くならば、そなたの肉の身がどうなろうと、そなたはミロクにたどり着くことができるのぞ。この方が案内するから安心してついて参れよ。そなたの服がボロボロでも、そなたが生きて居れば、新しい服が着られるのでござる。新しい服は真釣りの身魂だけへの贈り物ぞ。いつ大掃除が来るかと待つ心は悪の心ぞ。
P284
 「人事を尽くして天命を待つ」とは、真釣り戻しをすることぞ。そなたが真釣りを戻せば、そなたが今まで真釣りを外し、外に対してしただけの、怪我や苦労をさせながら、神がミロクへ導くぞ。被害者も加害者もござらんぞ。そなたの被害はそなたのしたことの結果でござる。そなたの被害を何かのせいに致せば、今までと同じことを続ければ、ますます被害が増えるだけでござるぞ。そなたは山道の途中で止まることになるぞ。今でもきつい登山道を自ら厳しく致すことと同じでござるのぞ。この方がきついなりにも楽な道を用意してござるのに、自らイバラの道にしてどうするぞ。

 そなたが旅の途中でした怪我を癒す時間もすべて計算してござるから、ミロクに間に合うようにしてあるから、一人一人のオーダーメイドの旅でござるから、慌てず騒がず、一歩一歩登って来てくだされよ。そなたの心がガイドでござる。そなたの外には近道の地図はないぞ。そなたの外にあるものは、表向きは楽そうに見えるが実際歩けば遠回りの危険な地図でござるぞ。見た目の楽に走るのがそなたらの癖でござるから、くれぐれも気をつけなされよ。先に行こうとする、浮かれたウサギに惑わされないでくだされよ。先に行きたい者は先に行かせてくれよ。そなたはそなたのペースで自分の地図通りに歩けばよいのぞ。慌てて間に合わんウサギに乗らず、龍宮城に案内するカメに乗ってくだされよ。


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真のヒトになるための生き方(下) 

【真のヒトになるための生き方(下)】 
                            長谷 章宏 著

魔九十(言)が統(す)べるФ(アク、悪、現空、開く)の世に、真九十(異)の⦿(親神)現れて、万古末代二度と来ぬ、㊉(とわ、十◯、永久)の⦿(天、十、点、・)国開く成り。

百十(元)の九二(国)の◯九十(マコト)の⦿(かみ)が、⦿(元、素、基)の神力(じんりょく、尽力、人力)現して、◑と◐(中と中)との戦いに、最後の艮(とどめ)を致す也。

魔九十が統べる地獄(●)の世、真九十が統べる神(⦿)の世に、戻さな現(こ)の世が滅びると、叫ぶ真九十(・)の九九路(こころ、心、真、信、親/神への道=百に1)知れ。

元の真釣り(⦿)の大神が、三歳(みとせ)苦難(くなん)のその前に、中の魔釣り(Ф)の神々(◑◐)へ、中つ魔釣りの人々(◑◐)へ、真釣り(⦿)真コトのフミ出して、最後のオフレを致す鳴り。

元つ真釣り(⦿)の真九十の神(⦿)が、真コトのイノチの種を蒔き、神から人まですべてのすべて、元つ真釣りの親神が三千世界を統べ真釣る(⦿)、元の神世(⦿)に返すなり。

中つФ(魔釣り)のФ(魔コト)の神と、元つ⦿(真釣り)のこの方(⦿)が、元つ四九三(しくみ)で対峙する、末代動かぬ三六九(ミロク)世開く、最期の舞台と成りたなり。


どんなに苦しい事が、あっても辛抱肝心。決して人を責める
べからず。自らのした事が、今、目の前に結果として現れて
居る。その者は、その状況は、それを見せてくれた存在に過
ぎない。苦を避けると申す事は、楽をも遠ざけてしまう事に
なる。人も自分も受け入れる、人も自分も許し合う、人も自
分も認め合う事が、大事なのである。人を責めないという事
は、自らを責めないという事と同じ意味を持っている。反省
する事、自らを追い詰める事、自らを嫌いになる事は、何の
意味も持たない。未来や現在に何の変化ももたらさない。人
は体験を通してのみ、成長できる。体験を怖がり、拒否して
いる限り、何の成長もあり得ない。体験出来た一つ一つが、
自らの真実であり、答えなのである。自らを責めない代わり
に、まず自らを受入れる事を身に付けよ。次には自らを許す
という事を身に付け、最後に自らを認めるという事を身に付
ける事になる。その体験を基本にとすれば、人と係わる時、
その人が自らにしたごとくに人を裁くという事は、おのずと
出来なくなるのである。本来、人が人を裁くという事は、あ
り得ないオカシキ事なのである。自らの内奥を見つめる心の
目がつぶれている事にすら気づかず、人と争い、自らと争い、
満たされない心でさまよい、疲れ切る。これが自業自得だと
気づいた者は、何とオカシキ事にエネルギーを使っていた事
かと思えるはずである。もうФの争いは十分でござろう。


     目   次

元つ神からの最期の艮(とどめ)のフミ その六 9
元つ神からの最期の艮のフミ その七    39
元つ神からの最期の艮のフミ その八    79
元つ神からの最期の艮のフミ その九   121
元つ神からの最期の艮のフミ その十   155
元つ神からの最期の艮のフミ その十一  201
元つ神からの最期の艮のフミ その十二  235
  あとがき・281



元つ神からの最期の艮(とどめ)のフミ その六

P10
 この方の語ることは人ごとでも神ごとでもござらんぞ。そなた自身のこととして聞くことぞ。この者(=著者)を先に掃除させて、人間の体験として、そなたらのアヤマチで曇った眼(まなこ)、そなたらが人類の歴史を通じて代々、長年受け渡し続けてきた葛藤創るやり方を、魔釣りのゲームを解(ほど)くテクニックを語らせてあるから、ツベコベ申さずに、素直に読みなされよ。読んだら実行しなされよ。自らのしたことを棚に上げて、「あいつもそうだ」「あいつのせいだ」と申す、その態度が魔釣りそのものでござるぞ。あいつがそうならそなたもそうでござるぞ。そなたがして居ることを人にするなと申す、人のことを裁く、人のことに口を出す、そなたが魔釣りでござるのぞ。人のゲームに、人の人生に口を出す暇があったら、自らの人生(神生)を元に戻せよ。そのまま進めばそなたのシナリオはジ・エンドでござるぞ。自らが消えるシナリオをいい気になって演じて居るのは大バカ者でござるぞ。人のことをツベコベ申す前に、自らの掃除をしなされよ。

 そなたの問題は、そなたの悩みは、そなたの課題は、そなたの葛藤は、そなたの疑問は、そなたの洗濯は、そなた自身のことであるから、人に聞いても何も解結致さんぞ。この方の申すことを聞いて、素直に実行致すことだけが、そなた自身がしてきた魔釣りを真釣りに戻す方法ぞ。すべてのすべてを明かしてあるから、そなたが分かるようにおいしいところだけを教えてあるから、何をしたらよいかを語ってあるから、自らのすべきことをこのフミ読んで考えよ。そなたが自分で考えよ。すべきことはないのではないかと申す者、そなたは真コトが分かっておるか。真釣りがそなたのすべきことでござるのぞ。魔釣りの世でそなたがすべきことは真釣りでござるぞ。真釣りに生きておれば、すべきことはないぞ。真釣りが当たり前でござるから、何をしたらよいかと申す問いはいらんからな。
P11
 魔釣りに穢れたこの世だけで通用する善悪創り出す分離思考では、アヤマチの常識では、ミロクの民とは申せんぞ。自らを自らが制限して居るのを気づかずに、この方の構えたマ釣りの仕組みを何も知らずに、魔釣りの世で学んだ知恵で、自らは正しいと、自らの苦は自ら以外の責任であると申しておるとそなたは消え去る運命の身魂でござるぞ。この方は、魔釣りを最後に真釣りでマ釣る大きな仕組みを構えて居るから、最後は消え行く魔釣りも許して大掃除まで黙って控えて居るのでござるぞ。世界人類すべてのすべてが同じ仕組みでござるから、全世界共通の同じ魔釣りの仕組みでござるから、魔釣りで学んだアタマの知識でブツブツ申して迷惑まき散らして生きて居る者にも分かるように、今今の魔釣りの世に人間として行き居るこの者の肉宮を通して、日本(ヒノモト)、世界の区別なく、この世に生まれある全ての人間に分かるように、人間の体験として真コトを語らせてあるから、今までのアタマはキレイサッパリ捨てて、赤子になって素直に読めよ。今までの魔釣りの心を出せば分からなくなるぞ。今までの悪も悪ではござらんから、疑えば、批判すれば、何も見えんぞ。ゼロから始めよ。0ならば先入観は無いぞ。あれば0ではござらんぞ。判断するなと聞いたならば、すべてやめるのが素直と申すもの。
P12
 この方の申すことは、誰のことでもない、そなた自身のことでござるから、ハラを据えて取り組めよ。この方にとっては、自ら真釣りを外したそなたがどうなろうと、どうでもよいことでござるのぞ。そなたが自ら気づいて、自ら自覚して自ら掃除を始めねば、この方は何も手出しできんから、掃除洗濯してくれよ。心の掃除、洗濯ぞ。それが神成る身魂の掟でござる。自らのして居ることを省みられよ。この方は、ウソは申しておらん。ウソだと申すそなたには真コトはござらんぞ。真コトが有ればウソは無い道理。ウソだと申せばマコトは見えんぞ。外に助けがござると申す、魔釣りの教にだまされるなよ。そなたの内の掃除がそなたの外を変えるのぞ。そなたの外は変えるものに非ず。そなたの外は内に応じて変わるのぞ。そなたの内の掃除が進めば魔コトの嘘はすべて見えるぞ。家の掃除は自らの内の掃除の型示しぞ。内が掃除されれば外も綺麗に成るものぞ。外は綺麗にするものではござらんぞ。内を綺麗にすれば綺麗に成るのでござるぞ。

 内の穢れをそのままに、外の掃除を強制してもますます内が穢れるだけぞ。掃除を強制してますます外を穢す種を植えておるのが今の教育ぞ。道徳や倫理や教育や宗教と申すものは本来いらんものでござるのぞ。内の掃除をせずに教室の掃除を強制しても、それは取り違いと申すもの。形をいくら綺麗にしても、内が穢れておれば掃除をしたことにはならん。内の穢れを外に出して散らかして掃除する繰り返し。内の穢れが外に出れば、内を正直に出せば、外は穢れるのが道理でござる。外は混乱するのが道理でござる。内にあるものすべて出し、外を掃除するのでござる。膿(うみ)を出して新しきものを産み出すのでござるぞ。外に穢れを出すことを止めれば真釣りに戻れんぞ。外に出していいのかどうかと判断することが、すでに魔釣りでござるのぞ。最後の最後にはすべてを出して大掃除して頂くから、どんなに隠しても無駄なことでござるぞ。そなたが苦しくなるだけぞ。最期に全てを出してもよいが、苦しみ痛みに耐えられずにのたうち回るだけでござるぞ。今までのように甘く考えて居ると超特大の火傷をするぞ。この方は火でござる。
P13
 この方がこのフミで申すことが嘘か誠か分からんと申す者は魔コトの者でござるぞ。今まで出ておる神示を比べてみよ。先に行くほど、後に出したものほどそなたのアタマで見ても分かりやすく、そなたが有無を申せんようになって来ておるではないか。実践的になって来ておるではないか。どんな形で出ようとも、この方の申すことは三千年間一度も変わって居らんぞ。曇ったそなたが分からんだけぞ。「この道(九(こ)のミチ)はいつか来た道、アアそうだよ、アカシア(証しア)の花が咲いてる。」今のこの時期、アのアの初めの証がすべて形になる時節ぞ。最初の最初の真実が、すべて現れる時期でござるのぞ。そなたは産道を通って神の子宮の中に入ったのでござるから、再び産道を通って神の元に帰る(生まれる)のでござるぞ。産道を下れば元の神が見えてくるぞ。産道は下でござるのにそなたらは上に上に行こうとして居るから、きつくなるのでござるぞ。子宮の中に残ると申すならばそれでもよいが、最期は帝王切開で全員真コトの世に出すから、真コトの掃除無き者には耐えられんぞ。自らアタマを下げれば安産じゃ。この方の申すことを素直に聞くことが、そなたが安産でミロクに生まれるための松(末)の杖じゃ。
P14
 この方の申すことを、何でもかんでも形の世界で考えるそなたの癖を無くさねば、この方の神示はすべて取り違えるぞ。日本人、外国人、黒人、白人、男、女、子供、肉食、菜食、親子、善悪、法律、食べ物、音読、家系、戦争、損得、被害、障害、病気、事故、怪我、犯罪、死、危険、責任、借金、秘密等々、すべては一旦身魂の世界に上げて、置き換えて、その後に、体の世界に戻せば、取り違いも矛盾も無くなるのでござるぞ。形の表現は型示し、霊の仕組みを人間に教えるための「例え」でござるのぞ。形の世界で文字通り取れば、見事に取り違えるぞ。この方は神の響きから、「ム」からすべてを創りだしたのでござるぞ。体の初めは、元は、霊でござる。霊を基に体を見よ。何でもかんでも形だけで考える癖をやめなされ。体の立体の仕組みは霊の立体の映しでござるぞ。体の立体だけで考えるから相対二元の善悪になるのでござる。魂が肉体の付属物になって仕舞うのでござるぞ。体の世だけで考えるから、問題ばかり創るのでござるぞ。いつまでたっても問題が解結せんのでござるぞ。霊を忘れて居るから、体の世界だけでこの方の神示を取りて、ますますわけが分からなくなって居るのでござるぞ。
P15
 この世でそなたらがしておることは全部遊びでござるぞ。そなたらが神にして居るオカネと申す紙や金属は、この方の資源から加工して、そなたらが価値を付けて居る、⦿の子ども銀行のオカネでござるぞ。本物、偽物と申すのは基準を変えれば変わるのぞ。先に創りたものを本物と申せば、後から創りたものは偽物でござる。大蔵省しか創ってはならんと決めれば、そなたが勝手に創ればニセ札じゃ。偽造が犯罪じゃと申すが、窃盗が犯罪じゃと申すが、そなたらはこの方のものを勝手に荒らして、魔釣りでニセの天国を創りて居るのぞ。いったいどうしてくれるお積もりか。人間の目だけで見るから、真コトの元の世界が分からなくなって仕舞うのでござるぞ。ミスやエラーや事故や犯罪を哲学や脅しや道徳を使ってゼロにしようと思っても無駄なことでござるぞ。そなたらが神の掟の違反をしておいて、何も無しでは済まんのぞ。事故や病気や犯罪が無いのはミロクの世になってからでござるぞ。事故がゼロになるのは身魂がゼロになってからぞ。

 元の神を忘れた、自らのオオモトを忘れた者たちがつくり出した物を「偽物」と申すのぞ。神をムシした人間が為したことどもを「ニセ」と申すのぞ。神に「似せ」てはおるが、そなたらが為して居ることは全く逆でござるぞ。真コトを疑っておるからメチャクチャな世となるのじゃ。疑(ギ)は偽(ギ)の元なり。真偽に分ける知は真コトなき地獄の世を進め、末(すえ)はすべてが滅ぶなり。神の「キ」を曇らせる「ギ」となるのぞ。心の曇りをとれば元の「キ」の⦿世となる(戻る)のじゃ。
P16
 そなたらの身魂が偏っておりて、事故や怪我や病気を無くそうとしても無駄な努力と申すもの。無事故の者の表彰をしてござるが、神の世では無事故が当たり前でござるのぞ。事故したものを裁いて居るが、そなたら全員、身魂で事故を起こしておるのぞ。型の事故はメグリの清算の巡り合いの事故じゃから、お互いの責任でござるぞ。道路で車が事故したらさっさと片づけてくだされよ。現場検証などして居るから、渋滞が長引くのでござるぞ。いったい何を調べて居るのじゃ。スピード違反が事故の原因ではござらんぞ。原因は当人同士の真釣り外しでござるぞ。原因は初めから分かって居るのでござるぞ。自分の怪我や損害は、自らのメグリの結果でござるから、自分の出費で直せよ。そなたら全員に損害賠償請求をする権利があるのはこの方だけでござるぞ。これからは、ますますメグリの苦が形になるから、壊して悪くなって善くなる仕組みでござるから、ますます事故や病気や犯罪や争いが増えるのぞ。善くするのではなく、善く成るのでござるぞ。犯罪や事故や病気や怪我は、そなたらの魔釣りの結果でござるぞ。犯罪が悪いのではござらんぞ。

 日本は、世界の雛(ひな)型、すべての気候、地形、料理、季節がござるぞ。こんなに善き国はござらんのぞ。何に不満がござるのか。自らのことばかり考えて居るから、全体が見えんのでござるぞ。世界中にはその土地その土地のそれぞれの響き、それぞれの文化、それぞれの言葉、この方の考えが、それぞれいろいろな形に成って居るのでござるぞ。すべてのすべてはこの方の型示しでござるぞ。形で見るから不公平、不平等などとタワケたことを申して、自ら問題を創って仕舞うのでござるぞ。人種差別じゃ貧富の差じゃとツベコベ抜かして大騒ぎして居るが、そなたらの魔釣りが不都合創った原因ぞ。魔釣りのままで解結しようと申しても、それは無理な話でござるぞ。すべての問題を解結する方法は真釣り戻しでござるのぞ。この方が世界の大掃除をしてキレイサッパリ塵一つない世に交換するから、そなたらは自らの掃除をしてくだされよ。ミロクは何の問題も無き世となるから、今の状況を善くしようとするのはやめてくだされよ。そなたが掃除してミロクに行けばそなたからみた世は天国ぞ。アベコベでござるぞ。ミロクはこの方の用意するあそび場。ミロクであそべるように早う掃除して下されよ。
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 ドロボウが悪ではござらんぞ。犯罪が悪ではござらんぞ。犯罪を悪と申す、形を悪と申す、したことを責めるそのことが悪でござるのぞ。みんなドロボウでござるぞ。偽証罪と申すがみんなウソを申して居るぞ。国家転覆の恐れと申すが、そなたらは全員神の国を転覆して居るのぞ。犯罪者だから脅してもよいと申すなら、そなたはこの方に脅されるぞ。そなたらは全員真釣り外しの現行犯でござるのぞ。この方は最期の最期まで逮捕は致さんが、そなたらの犯行は明白でござるから、そなたらは自供してござるから、早く自首して自主的に償いを始めてくだされよ。真釣りに戻ってくだされよ。それがそなたの償いぞ。そなたらの警察は、任意同行と申して強制になって居るぞ。任意と申すのは意に任せることぞ。一〇〇%自由意志でござるのぞ。そなたらはこの方の世界を分けて奪い合いをして争っておるぞ。そなたら全員の犯罪はいったいどなたが裁くのじゃ。この方は何も裁かんぞ。そなたらが制限して居る分量だけ不自由に成るのでござるぞ。全自動裁判所でござる。この世に国境などどこにもござらんぞ。国境の線の境は何方のものぞ。そなたらはこの方のお土に勝手に線を引いて、この方の体の取りあいをしておるのぞ。土地の取りあいをしてもミロクには持って行けんのぞ。そなたらはいったい何をして居るのじゃ。
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 お召し上げとは形を響きに戻すことぞ。エネルギーに返すことぞ。この方の元に戻すことぞ。食べ物を食べることを召し上がると申すではないか。この方の元に上げることを召し上げると申すのぞ。そなたがそなたを食べてそなたにするのでござるぞ。食べ物食べるとそなた自身になるぞ。そなたの霊が考え方を食べて、体の動きとなるのでござる。そなたの申す死も、肉体をこの方に返すお召し上げぞ。そなたらはあげるとか、もらうとか申して居るが、貸すとか借りるとか申して居るが、上下はござらんぞ。人間は⦿の型、人間と人間のやり取りは神と神のやり取りぞ。そなたらはこの方の借り物を交換しておるだけでござるぞ。そなたらはこの方に借りた物で遊んで居るのでござるぞ。売り買いと申すのは、そなたがお金を差し上げて、相手がお金を頂き、相手がモノを差し上げて、そなたがモノを頂くのでござるぞ。そなたが人に渡し、人がそなたに渡すのでござる。損も得もござらんのが本来の姿でござるぞ。私とあなたの足らざるもの渡し合い、満たし合いでござるぞ。感謝しかござらんではないか。霊と霊が取り合いをして居るぞ。霊戦ぞ。
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 ミロクには法律はござらんぞ。今の法律は、すべては自らの魔釣りが創りだした不都合を抑えるための戒律でござるのぞ。そのままでは戒律ばかりになり、裁き合いが激しくなり、そなた自らが何もできなくなってしまうぞ。そなたらは戒律や罰則はつくるが、平気で破っておるぞ。だれもみて居らんからよい等と申すが、そう申すそなたの態度をこの方がしかと見て居るのぞ。人には隠せても神には隠せんぞ。戒律や罰則をつくるのは勝手じゃが、つくったら守れよ。一〇〇%守ることができんのなら、戒律はずせよ。できもせんウソはもうやめよ。この方は戒律など設けておらんぞ。十戒と申すのは、中つ神の教えぞ。この方は一〇〇%自由の神ぞ。この方は、そなたらの自由意志を尊重して、そなたらの自らの改心を期待して、何通りにも読めるようにして神示を渡してあったが、取り違い甚だしく、戒律ばかりを創り、ますます混乱させるだけでござる。余りのザマでござるから、もう間に合わんから、何通りにも読めんようにして、一つの道しか見えんようにして答えを教えるぞ。だからと申して簡単にしたわけではないぞ。そなたがしただけのことは返して頂くぞ。ムリムダムラなく要点だけ教えるから、そうせねば間に合わんギリギリの所でござるから、さぼるときついぞ。後に行くほど厳しいぞ。この方の申す通りやれば確実に天国へ行けるから、ツベコベ申さずに素直にやりなされ。知らせたからには知らなかったと申す言い訳は一切通用せんぞ。段々に、要点を教わったらその通りやらんと間に合わん。試行錯誤している暇はないから要点だけ教えるのであるぞ。自由意志とは何もコントロールしないこと、心の通りに素直にやることぞ。
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 この方は、この方の申すことをそなたらが自らのご都合宜しく解釈し、苦を避け、悪を排除し、楽だけ求めて進み行き、最後の最後にこうなることは分かっていたから、今ここで、真釣りを外すそなたらに、人間として教えられるように、人間の体験として掃除を知らせる身魂を掃除させていたのでござるぞ。魔釣りの身魂には絶対に見えん。見えてもオカシキことに見えるから、中途では邪魔できん。すべて掃除が終わったところで表に出すぞ。魔釣りの者から見れば、いきなり真コトが出てくるぞ。出てきたところで都合が悪いからと申して邪魔しようとしてももう遅い。この方の仕組みは動かんぞ。今度という今度は勝手に取り違いできんように致すのぞ。それもこれもそなたらのいうことなすことすべてお見通しの神であるからできることでござるのぞ。いい加減に元の神の力を認めるがよいぞ。この方はそなたがどんなに隠そうとも、すべてお見通しでござるのぞ。そなたらはこの方の内に居ることをお忘れなきよう。

 すべてのすべてはこの方の内、この方の創りたものでござる。この方は、そなたらが何をするかすべて知っておる。真釣りの身魂にも見えるぞ。真釣りの人間から見ても魔釣りの身魂の態度は丸見えでござるぞ。魔釣りの者は、都合悪きことは隠して居る積もりになって居るが、そなたは丸裸でござるぞ。そなたの魂が誠の裸でござるのぞ。肉の服を見せて恥ずかしがっておりてはこの先の掃除には耐えられんぞ。そなたのやることなすこと見通して、時空を超えて先回りして用意するのは神にしかできんことぞ。この者もそなたらが魔釣りのやり方に浮かれて大騒ぎしておる時から掃除させておったのぞ。この者と並行して掃除をしておる身魂も居るぞ。一人一人、身魂相応に掃除をさせるのでござるぞ。この方が、一つの無駄も一つの落としもなく、しただけのものをお互いに渡し合わせて掃除させるのぞ。偶然も不思議もないぞ。被害も犠牲もないぞ。肉の目でツベコベ申して居るのは臭き魔釣りの身魂でござるぞ。そなたがしたことが返るのが神の、宇宙の仕組みでござるぞ。そなたが外を壊さねば、そなたが苦しむ道理はなかろうまい。そなたの肉の身はそなたのものではござらんぞ。この方が貸し与えたものでござるのぞ。傷つけられた、取られた、殺された、被害にあった、犠牲になった、何も悪いことはしておらん等と申す者、自らが何をしておるか分かっておるか。そなたがしたことをそなたがされておるだけぞ。そんなことは嘘じゃと申すならば、もう勝手にせよ。
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 そなたが今ここで真コトを教わって、真釣り外しに気づいても、一朝一夕では掃除は終わらんぞ。この者がしたことを、真釣り戻しを今ここからやるのでござるぞ。何を体験するか、何が起きるかは一人一人違うが、魔釣りで壊しただけ苦しんで頂くぞ。真釣りを戻しただけ楽になっていくぞ。一つ一つでござるぞ。一度に楽になろうとしても虫の良い話でござるぞ。この者の体験を聞いても参考にはならんぞ。同じ形を真似する必要はござらん。そなたがそなたの心のままに、一つ一つ実行していけば分かることぞ。そなたが苦を避けずに責任を取るならば、この者に体験を聞く必要はありもうさん。そなたは、大丈夫かどうか、本当かどうか、何が起きるのかを知りたいだけでござるから、それはそなたがやればわかることでござるぞ。そなたが何も避けておらねば、そなたがすべての責任を取ると申すならば、何を心配なさっておるのか。後でやると申すならば、今ここからでもできるのぞ。今ここから思いのままにどんどんすればよいぞ。そなたには何の制限もござらんぞ。この方は自由の神でござるぞ。悪く成って善く成る仕組み。いい加減に外に確認する癖をやめなされよ。そなたの創ったものは末は壊れるものばかりでござるぞ。
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 ここまで来て何を守っておいでなのか。そなたがそのまま魔釣りを続けておりても、最後の最後はすべてを壊してゼロにして創りなおす仕組みでござるぞ。掃除無きほど苦しくなるぞ。身魂の苦しみぞ。そなたには想像は出来ん。今までの痛み苦しみどころではござらんぞ。そなたの身魂のすべての真釣り外しを纏めてお渡しするのでござる。掃除終わるまで楽にはならんぞ。掃除終わるまで死なせんぞ。しただけ苦しむぞ。今なら一つ一つでござる。この方は、今今のそなたらに一度に渡せばどうなるかわかっておるから、酷き様になるのは見えておるから、今ここから、そなたのか細き身魂で耐えられる分量だけ少しずつお渡しして居るのでござるぞ。今ここから始めねばきついからしつこく厳しくお知らせしておるのでござるぞ。そなたのしたことでござるから、文句を申すならば自分に申せよ。神は一切受け付けんぞ。そろそろ神の力を認めて、アタマを下げなされ。
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 神から見ればそなたらの無知は丸見えでござるのぞ。自らが不調和蒔いていることを知らずに、我(われ)は正しい者じゃ等と申してますます破壊を進めおることに気づかん、大ウツケの大バカモノばかりでござる。この方を、破壊の神じゃ、悪魔じゃ等と申すそなたが破壊の悪魔でござるのぞ。自らがして居ることを知らずに人を責めるそなたの態度は、真釣り外しが丸見えでござろうが。すべてのすべてがそなたのして居る通りに現れるのでござるのぞ。人を裁けば、この方を、自分自身を裁いて居るのと同じでござるぞ。人をコントロールすれば、この方を、自分自身をコントロールして居るのと同じでござるぞ。この者はこの方の視点ですべてを見て居るから、分からないことは素直にハイハイとよう聞いて、自らの態度を改めてくだされよ。この者に反論する者はこの方に反論するのと同じでござるぞ。そなたは不調和の身魂でござるから、掃除せねば天国はないぞ。戦う身魂が戦争創りだしたのぞ。自ら忘れて人を裁く、地獄の心の持ち主ぞ。末は消え去る身魂でござる。

 真コトを知らず、アヤマチの世で生きてきたそなたらにとっては、初めて聴くことばかりでござるから信じられんのは分かるが、そなたらのアヤマチの判断では、悪やウソに見えることが多いが、そなたがそう見ておったから、今まで気づかなかったのでござるぞ。ここに来てまで今までのアヤマチをくりかえすでないぞ。価値判断を持ち出せば、永遠にマコトが見えなくなるから、何が何だか分からずに滅びることになるから、ご注意申しおくぞ。価値判断をすることがアヤマチの常識でござるから、善悪の世界をつくるやり方でござるから、今までの世を創ってきた原因でござるから、今までのアタマはキレイサッパリと捨てて、この方の申すことを素直に聞くことが、ミロクの世に生き返るための、そなたが求める天国を、平和を、自由を手に入れるための早道でござる。今まで隠して来られた最後の一厘、真コトの事を知るための肝心要の要石でござる。この方は、何度も同じようなことを繰り返して申すが、そなたらが様々な取り方をするのが分かっているから、一つだけでは取り違い致すから、取り違い致してはもう間に合わんことになるから、いろいろな表現で、いろいろな形で、同じことを申しおくぞ。しつこい等と申さずに、黙って聞けよ。同じことだと思っても、最後まですべて読むがよいぞ。
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 この者の言葉で書いた現代語の文章も、この方のやり方通りにやった結果を書いたものでござるから、この方の神示を実行した結果でござるから、人間としてどうしたらよいかを書いたものでござるから、この方の神示と同じと思って読むがよいぞ。読んで分かったら、分かったことをやることぞ。コエだして読むとは、実行することぞ。読んで聞かせるとは、実行することぞ。分かっていると申す者には気の毒であるが、そなたが分かっていると申すこと、取り違いあるぞ。この方の真意を伝えるために今まで世に出て居る御用の身魂、悪の仕組みにまんまとはまって、取り違い甚だしく、取り違いをそのまま教え、ますます悪を栄えさす、掃除の手間を増やすばかりでござるから、マコト消え行くだけでござるから、ここですべてを明かし、アヤマチのゲームを止めるのでござる。
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 真コトのミロクの世はすでに構えあるから、そなたらが改心一つで行けるか行けないかが決まるのでござる。そなたらが創るのではござらん。この方が創ってある世にそなたらが行くのでござる。そなたが改心致して真コトを生きれば、真コトの形が出てきて、ミロクのモデルを見せることになるぞ。改心したつもりで、善を形にしようとすれば、それは善悪の善であるからミロクではござらん。形を取り替えて天国つくる仕組み。このまま行くと思ったら大マ違えでござる。この方の申すことをウソだと申す者、反論したくなる者は、そなたのやり方をやればよろしい。そなたの基準が正しいのでござるから、この方はとやかく言わん。後でどうなってもそなたの責任でござるから、それでよいぞ。この方はそなたと戦う積もりはござらん。そなたがどうしてもこの方と戦いたければお相手致すが、そなたに勝ちはないからその積もりでかかってこられよ。そなたらが改心致さんとて、ミロクを創る身魂はこの方が導いてござるから、何も心配はござらん。ミロクは一人いれば叶うのじゃ。一人ではござらんから、安心致せよ。今今は、そなたら一人一人が行くか行かんかを決める時節となりたのぞ。このままでは、殆どの者の身魂が滅びて仕舞うから、善人も悪人もない、すべての者に分かるように伝え申すから、関係無き者は一人も居らんから、我には関係ござらん等と申さず、全員、神妙に、素直に聞いてくれよ。
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 調和乱すが悪ぞ。今の世悪人ばかり。悪人が善人のフリをして悪を裁く世でござる。悪人許さんならば、そなたら全員天国はないぞ。この方は、神の世乱す悪人でも、改心してしただけのことを返せば、償えば、辛抱すれば、天国へ連れて行く故、最後のチャンスを与えるのでござる。そなたらのように一度悪に走ったものを切り捨てるようなことは致さんぞ。悪に走っただけ戻るのがきついから、不公平ではござらんぞ。真コトの公平でござるぞ。今まで楽した者はご苦労始まるぞ。今までご苦労した者は楽になるぞ。上下、陰陽逆転ぞ。すべてのすべてのカラクリを明かして、最後のテストの答えを教えて、ついてくる者だけ連れていくことになったのぞ。いつまでも魔釣りをやっておる者は勝手にやって居るがよろしかろう。今ここで決めないならば、そなたはもういらん。この方が辞世の歌を聞いて遣わす。マコトの者のお邪魔にならぬよう、黙って控えて遊んでおれ。自覚無き身魂は天国に行く資格なし。自業自得でござるぞ。文句を申す者、すでに不調和持っていること白状致しておるぞ。口だけであやまってもだめでござる。お詫びするならば、今までのゲームキレイサッパリやめて真釣りの行動をすることぞ。それが神へのお詫びの証拠でござる。魔釣りのままで神社をお参りしても許さん。掃除あれば、神社はそなたぞ。

 そなたの永遠のイノチが掛かって居る、大事な話でござるから、真コトの親の申すことでござるから、ハイハイと素直に聴くことぞ。今までココロに語っても、型の世界に見せても、神示出しても、まったく見向きも致さん者多いから、そなたらに分かるように「現代語」に近づけて表現させるから、古語は苦手じゃ等と申して居らずに、ハラを据えて聞きあれよ。ツベコベ申せばそなたが死ぬのぞ。ミロクの世となれば、この方が創ったミロクの世にある道具、材料をつかってそなたらが新しき天国を創っていくのでござる。今までの世もそなたらに任せたのであるが、そなたらは地獄をつくったのぞ。この方は二度と同じことはさせん。天国が神の望み、そなたらの望みぞ。そなたらが神の真釣りの身魂ならば、ミロクの世界にこの方が用意したものをつかってどうにでもお好きな世界を創ればよいぞ。ヒトの世はヒトに治めさせるぞ。王の王の王になられる神が全体を治めるが、支配はせんぞ。今今の世の仕組みに光入れて、魂入れて、真コトの天国を創るのぞ。
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 そなたがすることは身魂の掃除だけぞ。掃除すれば、次に生まれし世界はミロクでござる。何も特別なことではないぞ。そなたが今世、気づいたらここに生まれていたのと同じ仕組みでござる。ただし、ミロクは真コトある者だけが生まれることができる世界ぞ。人がどうするかは関係ないぞ。そなたが行くか行かんかでござるぞ。この世の家族は永遠の家族ではないぞ。家系とか親子とか名字とか、形の関係にこだわるなよ。最も身魂の掃除し易き関係で生まれた人間の集まりぞ。全員一緒に行くことはできんぞ。身魂相応に掃除するのぞ。表面上の平等はないぞ。同じカリキュラムは一つとしてないぞ。今度ばかりは掃除なければ生まれ返れん世界でござる。全員が素直に正直に真釣り戻しを致せば、家族揃って行くこともできるぞ。一緒に行くのではなく、一人一人が真釣り戻しをした結果として一緒に行けるのでござる。取り違いなさるなよ。
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 ミロクを見ておる者はミロクに生まれるよう掃除させるぞ。地獄を見ている者は、改心するまで地獄ぞ。改心せねば滅びぞ。この方の申す通りに、素直にやってくだされよ。外に向けたものを内に戻すだけぞ。そなたが外に探して居るものを内に戻すだけぞ。形を原始時代に戻しても意味ないぞ。身魂を原始に元始に戻すのぞ。この方の元の真釣りに戻すのぞ。神心に戻すのぞ。身魂掃除すれば、元に戻せば、したこと返せば、ミロクで天国創れるのぞ。そなたらが一度壊した形は戻らんぞ。外はこの方が作り替えるから、アレコレ操作するのはやめにして、そなた自身の掃除を始めてくだされよ。そなたはそなたを一つにしてくれよ。そなたの心理が真理でござるぞ。心理が神理でござる。誰の中にも神が語りかけて居るが、そなたが神ではないと申しておるだけぞ。

 この者は、精神世界、チャネリング、自動書記、神示、新興宗教、教育等々、魔釣りも真釣りもすべての世界を一通り体験を通して学んで居るぞ。そなたらが落ちる落とし穴の抜け方を知って居るぞ。トラブルのメカニズムも心の仕組みもこの方の仕組みもすべて体験を通して学んで居るぞ。素直にハイハイと聴いて真コトに戻ってくだされよ。無神論者と申すのは神は居らんということを信じておる者ぞ。そなたが信じて居る通りのものが見えておる。信じておる通りになるのぞ。そなたはそなたが信じておる通りに行動しておるぞ。仮説は行動することで実現するぞ。仮説を実行せんから神秘になるのぞ。一人一人が体験するぞ。一人一人が現実を見るぞ。世俗を切って出家しても世俗の中の箱の移動ぞ。真実、真理、マコト、夢、現実、すべて一つのものぞ。幽界から出家すれば天国ぞ。現界の世俗を切っても現界の中ぞ。身魂は幽界の中でござる。神を議論しておるそなたの神はそなたがつくった神でござるぞ。すべての人間に神が介在して居るぞ。神無くしてそなたらは何もできんぞ。そなたらはこれから想像を絶する驚異に遭遇するぞ。
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 今ここが宗教の作品でござる。元の宗教の中の宗教ぞ。この方の申すことは宗(もと)の教えでござるぞ。そなたらの宗教は、この方の宗教の中の宗教ぞ。元つ真釣りを魔釣りで引っ繰り返した末の姿がこの世俗でござるぞ。魔釣りの者が真釣りの者をキ違い扱いして居るぞ。魔釣りの目から真釣りを議論しても真釣りは見えん。議論するのが魔釣りの証。魔釣りの者は魔釣りを正しいと思って居るから、真釣りは認めん。真釣りが真コトでござるから、魔釣りを生きて居る者では宗教の問題は解結せんぞ。今の宗教や教育は魔釣りの中の洗脳合戦、宗教ごっこ遊びでござる。真釣りを批判しては、真釣りは分からん。先に行くほどますます分からなくなるぞ。魔釣りの教育は魔釣りを創りだすだけぞ。誠の宗教に戒律はござらん。元が自由だからいろいろなゲームができるのぞ。善悪は悪善にもなるぞ。善悪あるのは、分けられるのは元がひとつだからぞ。大きな目でみなされよ。いいかげんに争い創り出すだけの相対ゲームはやめなされ。

 魔釣りと真釣りは裏表ぞ。外におんぶせず、自らのココロに従って行けよ。自分で歩けよ。真コト見せるから後は自分で考えよ。魔釣りの中で討論をしても何も解結せんぞ。真コト見せるから自ら考えよ。日常生活は宗教の中のゲームぞ。魔釣りが創りだす社会が今の世でござる。遊びの基準が宗教ぞ。宗教を変えんと生活変わらんぞ。この方が元の宗教を見せるから、曇った眼を見開いて、よくご覧あれよ。ハルマゲドン、最終戦争と申すのは、そなたらの世界を創りなおす神の大掃除のことでござるぞ。そなたが避けようと逃れようと無駄なことでござるが、掃除すれば何も怖いことはござらんぞ。自分自身が宗教ぞ。そなたの生き方が宗教ぞ。この方の宗教は普通の者になる宗教ぞ。何でも自分で出来る者になる宗教ぞ。真釣りで生きる普通の者に戻るぞ。ミロクの宗教ぞ。
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 そなたがすることは魔釣りか真釣りかどちらをとるか決めることでござるぞ。どちらのやり方をするかと申すことでござる。真釣りのやり方、魔釣りのやり方、両方とも人間の生き方でござる。魔釣りの者も真釣りの者も人間の生き方でござる。普通の人間が真釣りでござるぞ。特別では、特殊ではござらん。正常異常があることが、一般特殊があることが、善悪分ける魔釣りの証でござるぞ。差別と区別は違うぞ。区別タテワケせんことが差別でござる。神が先、人が後、神が上、人が下、順序通りにすることがすべてを調和に導くやり方でござるぞ。そなたらは下の中で上下をして居るから混乱するのぞ。神と人の上下を区別せんことがマコト差別でござるのぞ。差別されたと文句を申す者、そなたは何者じゃ。
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 そなたらの今の世には問題、矛盾が沢山あるでござろうが。そなたらはどうやって解結すると申すのか。元々のやり方がアベコベでござるから、解結どころの話ではござらんぞ。そなたらに「どうしようもないこと」などござらんぞ。「仕方のないことだ」「それをいったらお終いぞ」は言い訳でござる。そなたらにお終いはござらんぞ。そなたが⦿ならばお終いなどござらん。表現の善悪を申せば、真コトは見えん。形には差別はござらんぞ。そなたの見方が差別でござる。そのままなら差別用語増えるぞ。そなたらは何も言えなくなるぞ。差別用語を別の言葉に言い換えれば差別ではないのか。想像する形、イメージは同じぞ。偏見、先入観、差別。してはならない、絶対、相対、言ってはならない等々そなたらが創りだした幻想でござるぞ。この方の申すことは、宗教を越えた宗教。この方は神を越えた神でござる。

 そなたらには秘密はござらんぞ。隠しても出てくるぞ。この方が出すぞ。ココロが本体でカラダは服ぞ。本体洗濯せずに新しい服は着られんぞ。そなたらは神の創った屋内遊技場で遊んでいただけぞ。人間の目で見るから分からんのじゃ。その遊びちょっとの間、中断ぞ。この方が皆が楽しく遊べるように創り直すから、今の遊び場は汚れたから創り直すから、その間、外に出てまっておれよ。本体の洗濯せねば、ハダカにならねば外には出られんぞ。外が怖いと申す者、外には出られんぞ。この方が悪魔じゃと申す者、外に出られんぞ。外に出ないと遊び場と一緒に掃除ぞ。天国に生きたくないと申す者、それはそれでよいが、今まで汚した分は掃除してもらうぞ。天国に生きたくないと申す者、汚しつづけて居るから、最後、永遠のイノチと交換に責任をとってもらうぞ。文句はあるまいな。ココロの掃除大切。人間としては善くないと申す者、人間としてしてはならないと申す者、そなたの本体は魂ぞ。「ヒトとしてして善くないこと」は、「アル」ものを「善くない」と申すことぞ。そなたが善くないと申せば、それはそなたのことぞ。「募金しないのは非国民だ」「困っておる者を助けないなんて善くない」「わざわざ苦労させるのは親ではない」等と強制しておってはこの方とは共生できんぞ。個人の自由も人権もないぞ。そなたらの不調和のココロが奉仕や福祉が必要になった遠因ぞ。カラダがどうだろうと、ココロが綺麗になって居らねば、そなたが綺麗にしようとして居る今の肉の服は取り替え出来んぞ。今のその服では新しい遊び場は遊べん。そなたの肉と魂はこの方が結んで居るのぞ。
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 この方がアレコレ申しても、「それはよくない」と申すそなたのココロがある限り、この方の申すことはそなたには分からん。すべてそなたが申す通りに見えて居る。この方が申すことはアルぞ。そなたが認めんだけぞ。そなたが認めなければそなたには見えん。見えんから認めんと申しても逆ぞ。霊先体後ぞ。そなたが認めれば見えるぞ。そなたは何を認めておらんのか。見えておらんもの、認めておらんものを認めれば、そなたはそれに従って動くから、現実が変わるぞ。そなたがそなたのシナリオを制限しておるのだから、その通り制限して見るのぞ。そなたが制限して居るから、その現実が見えるのぞ。この方が「狂って居る」と申すならば、申すことを変えればそなたが狂って居る可能性もあるぞ。そなたが狂って居ると申す基準は、人数の問題ぞ。数かわればそなたが狂っておるぞ。初めの一人は狂って見えるぞ。コペルニクスの地動説ぞ。一八〇度引っ繰り返すぞ。ドンデン返しぞ。身魂が曇っているから見えんのぞ。いつまでも心が曇天(どんてん)では何も知らないうちにドンデン返しになるぞ。早う心の曇り払えよ。心の掃除、洗濯してくれよ。神、たのむぞ。
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 神とは宇宙の法則ぞ。この方はそなたが申す通りにできるように創ってあるぞ。そなたの申す今までの神は中つ神ぞ。中つ神が我善しすればそなたらもその通りになる。その世界の中にそなたが居るから我善しの人間がうまくいくのぞ。今は岩戸開いてこの方の仕組みが出ておるから、中つ神も改心して居る。中つ神の我善しは通用せんようになっておるぞ。中つ神がこの方のルール通りに動けば、そなたらの世界もこの方のルール通りになるぞ。今までの我善しのルールは通用せんようになるぞ。この方の仕組みが現界に降りるのぞ。今度は⦿を生きるそなたが想いの通りになるぞ。我善しすればその現実を体験するぞ。我善しは苦しくなるぞ。これマコトぞ。そなたがマコトでないと申すなら、そなたがФぞ。この方はマコトの神。

 そなたらはこの方の霊能力で生きておるのぞ。宇宙自体がこの方⦿の霊能力で産み生んだものでござるのぞ。中の神Фの霊能力では何もできんぞ。悪霊はおらん。そなたがФだから悪霊つくのぞ。そなたの●を見せる御役の神ぞ。そなたが自らを悪くするものを悪と申して居るから悪霊になるのでござるぞ。そなたが悪霊を呼び寄せて居るのじゃ。悪祓うと申すが、そなたの内のФが元ぞ。そなたは自らを祓うのか。そなたのФを掃除するために外に●を見せておるのぞ。そなたの⦿を戻す仕組みを構えたのはこの方ぞ。そなたはこの方を祓うと申すのか。そなた自らわざわざ悪霊を呼んでどうするぞ。そなたが外の悪を裁くのも同じ道理でござるぞ。悪裁くが悪。そなたは自らとこの方を裁いておるのぞ。元々一つのものを裁いて分けて真釣り⦿に戻れると思いてか。そなたがФで分けたものを⦿で元に戻すのでござるぞ。そなたは⦿をФで壊した犯罪者でござるのぞ。そのままいけば滅びでござるぞ。一度Фすれば⦿は見えんから、⦿に戻すことはそなた自ら出来んからこの方が手伝うのでござるぞ。何も知らんでツベコベ申して居ると、マコトのそなたのイノチが無くなるぞ。自らのしてきたことを省みやれよ。
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 Фの者には幽界の高級霊は見分けが付かんぞ。人が人を直すことは出来ん。ホンモノかどうか確かめようとする者、そなたが偽物でござるぞ。善悪語る、人を直す、人に直してもらう、人を直して上げる、怒り、戦い、コントロールは幽界Фぞ。霊能者が霊能者と戦えば、両方とも幽界ぞ。やりたいならばいつまでもやっておればよろしい。超常現象とは人間の枠の思考が創りだす世界では考えられない出来事のことでござる。神から見れば何が起きても不思議はないぞ。この方は可能性は無限でござるぞ。人(形、体)を治してもヒト(身魂)は直らん。形を治しても霊は直らん。霊直らねば体治らん。霊直らねば新しい服は着れん。霊が主、体が従ぞ。本当かどうかを探る、超能力を疑う、理屈つけてインチキを暴こうとする、そなたがインチキ霊の化身ぞ。幽界の高級霊は何でもできるぞ。人間のどんな病気でも治せるぞ。自らが創りだした病気を霊に直して貰おうと申すのはいかなることか。霊が治してもそなたの霊は直っておらん。そなたのФの型示しの病気や障害を霊が治せば、そなたの魔釣りはますます進むぞ。そなたの霊はますます病気を創りだしたのと同じでござる。一度に治った反動でぶり返すぞ。自ら創ったものを認めないそなたのФが病気を創ったのぞ。そなたが自らの責任を逃れれば、その分病気を創りだすぞ。薬害のオオモトは病気をつくったそなたの魔釣りФぞ。他人を責めるそなたの心が薬害の真犯人ぞ。そなたの肉体はこの方のもの。真の被害者はこの方ぞ。そなたはどう責任をとってくれるおつもりか。
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 ⦿の宇宙の入口はそなた自身の⦿心ぞ。そなたのココロが宇宙船ぞ。そなたのココロが天国への入口ぞ。外を、形の世を探してもそなたを助けてくれるものは何もないぞ。形には不思議ないぞ。外の悪を祓おうとする人間、幽界の身魂ぞ。幽界の霊同志の争い、人間から見たら大変ぞ。人間から見れば不思議と謎と奇跡の連続ぞ。人類の危機を救う乗物はそなたのココロぞ。物質の体を救っても人類は救えないぞ。宇宙の出産ぞ。形の乗物では⦿界には行けん。物質の乗物では全員救えんぞ。金ないものは助からんのでは平等ではござらんぞ。掃除無き者は何もないぞ。この方は宇宙人もUFOも幽霊も物質化現象も、何でも見せるぞ。信じなくてもよいがそなたがナイと申すものはすべてアルぞ。人間の行動は霊の行動。幽界にとらわれておる者が神界を知ろうとしても無駄ぞ。この方の申す通りに動けば見えてくるぞ。この方の申すことを全部受入れよ。この方の申すことすべて⦿ぞ。マコトぞ。この方は材料渡して居るぞ。この方の申すことが本当に、矛盾なく分かったならば、そなたは何もできなくなるぞ。ツベコベ申す者は、⦿ではござらん。すべては神が人間を通してやっておるパフォーマンスぞ。何が起きても不思議はござらんぞ。そなたは霊のイレモノぞ。どんな霊がつくかでそなたの行動、態度、形が決まるぞ。そなたが霊をえらんで居るのぞ。神変えねば、神変えなおさねば(考え直さねば)そなたには天国はござらんぞ。奇跡はござらん。立てない者が立っても不思議はないぞ。霊が付けば何でも形に成るぞ。インチキだと申すそなたがインチキぞ。変人、変な人、キ違いはそなたぞ。
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 ミロクの世の旅は海外旅行よりも楽しいぞ。誰も行ったことのない旅行ぞ。天国への旅行ぞ。自らの魔釣りФをそのままにしておいて、超能力や奇跡が欲しくて、何でもかんでも飛びつくから騙されるのでござるぞ。そなたがこの方を付ければそなたは何でも叶うのぞ。この方は無限のオールマイティーの神⦿でござるぞ。何でもかんでも疑うそなたは何者ぞ。外の者を怪しいと申す者、自らが怪しい霊に取りつかれておるぞ。何とでも言えるぞ。どんな理屈でもこねられるぞ。理屈はФの遊びぞ。そなたが恐れを持っておれば、そなたはФぞ。そなたが外に求めるから外にできるのぞ。楽しようとするそなたは、人間が仕組んだものも見分け付かんぞ。神の仕組みを知ろうとしてもわからんぞ。この方の申す通りに一つ一つしていけば、一つ一つ分かるぞ。この方には奇跡はござらんぞ。うまくいくのが当たり前ぞ。そなたがФから⦿に返る間は●があるが、だんだんと善くなっていくのぞ。自らしたこと自らの責任ぞ。そなたが疑えばそうみえる。この方付けばそなたが欲しいもの何でもなるぞ。⦿は情報操作はいらん。⦿ならば、嘘はすべて見破れるぞ。⦿はコントロールはいらんぞ。⦿に不思議はござらん。そなたが見たものが真実ぞ。優しさ求めると優しさで引っかけるぞ。そなたが出来んことがあるのはそなたのФが原因ぞ。この方⦿はそなたらの態度によってはオニにもなるから、悪魔じゃと取り違えなさるなよ。早うそなたの⦿を戻してくだされよ。



元つ神からの最期の艮のフミ その七

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 真コトが善でござる。魔コトが悪でござる。調和創るが善でござる。調和乱すが悪でござる。誠の調和と申すのは、調和乱した成りの果ての魔コトの世にある相対二元の表向きの形のことではござらんぞ。平和を守らねばならぬ世は、平和な世ではござらんぞ。世界全部が調和の世でござれば、平和だ平等だ調和だ自由だと、何もわざわざ全世界挙げて大騒ぎする必要はござらん道理。相対二元の世界を誠の世と取り違え、不調和の善を誠の善と取り違え、破壊を進歩と取り違え、悪を排除して善ができると取り違え、至福を利便と言い換えて、負ける者が悪いのじゃ、損する者はアホじゃ、悪を許さんのが善じゃと申して、ますます悪が栄える世を進め来たのを知り居るか。善だ悪だ、嘘だ誠だ、正常だ異常だ、肯定的だ否定的だと騒ぐこと自体が、不調和の世の証でござろうが。大さわぎするそなたが悪の根源ぞ。

 元々はすべてのすべてがこの方から派生した一つのものであることなど綺麗サッパリと忘れた今今のそなたらは、戦争と平和、不幸と幸福、悪と善、不調和と調和、差別と平等、自分と他人、成功と失敗、問いと答え、罪と罰、お詫びと感謝、過去と未来、精神と肉体、保守と革新、宗教と科学、上と下、強者と弱者、神と人、生と死、正常と異常、嘘と誠云々と、何でもかんでも二つに分けて、分けたものをまた分けて、何がマコトか分からなくなって居るのでござるぞ。信じる信じない、許せる許せない、認める認めない、賛成反対、勝った負けた、正常異常、ウソホント云々と、いくらやっても正解のない、いつまで議論しても何も解結しない、どっちにつけば得するかの相対二元の善悪交換ゲームを遊んで居るのだけでござるぞ。そんなことでは永遠に誠の善、誠の調和には至れんぞ。絶対とは対(つい)を絶(た)つこと、「ひとつ」の「元」のことぞ。
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 調和を乱す悪人が、相対二元の善悪を基にして、自らが正しいことを、自らが善人であることを、自らが正常であることを証明しても、ただの茶番と申すもの。誠の神の世を忘れたそなたらは、自らだけが上に上がるために、自らの持ち物を失わないために、自らだけが生き残るために、神や人を悪者に仕立てあげて、人を異常だと申して、人を騙して操って、人の足を引っ張って、人を落として、人から取って、人のせいにして、自らだけが一番になって、物質の箱の中でモノ、カネ、地位を自らだけに集めて世を偏らせ、取られた者や負けた者が悪いのじゃ、困って居る者を助けるのが善いことじゃ等と申して、自分だけ勝手なことを致してそれで満足して居るが、全員勝てない遊びでは、金と力がものをいうサバイバルゲームでは、平和も自由も平等も公平も、何もござらんではないか。ボランティアと申すのは、自らが取った分を返しておるだけぞ。タダでも、サービスでも、よいことでもござらん。ボランティアの必要な世は偏った世ぞ。取りちがいなさるなよ。
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 そなたの勝ちは誠の勝ちではござらんぞ。神の勝ちは無限の勝ちでござるぞ。誠の神の世は全員勝ちの世でござるのぞ。「勝ち」もないぞ、そんなことは夢物語だと申す、曇りに曇って何も見えて居らんそなたらは、今の世がいつまでも続くと思っておるが、そなたの居る今の物質の遊び場は、後数年で終わりになる悪の世の大掃除の道具であると知り居るか。そなたのして居る我善しの遊びができるのも、後わずかのことでござるのぞ。今のそなたのして居る遊びは次の世では出来ん遊びでござる。そなたが今ここで遊び方を変えねば、そなたの遊びは永久に終わりでござるのぞ。そんなことはあり得んと申すそなたには、現(こ)の世の終わりが突然来るぞ。この方が生んだそなたの身魂、何世にも渡って生かしてきたそなたのイノチ、そなたの身魂の人生(神生)は、これが最期となりぬるぞ。

 この方の申す通りに素直にやれば、世の終わりはござらんぞ。そなたは次の世で、肉の服を着替えてそのまま遊ぶことができるのぞ。永遠のイノチか永遠の消滅か、どちらか選べと申せば、答えは一つでござろうが。そなたの生死はこの方が、すべて握ってござるのぞ。そなたが今ここで改心致して真釣りに戻ると申すなら、この方はそなたの身魂を殺すようなことは致さんぞ。そなたらのしておる遊びと申すのは、先に行くほど混乱、分離が加速する、先が見えなくなる、末は破壊に向かうネズミ講でござるのぞ。魔釣りの神の分かつ知の倍倍ゲーム、際限の無い混乱の細胞分裂の遊びでござるのぞ。初めは一つが二つでござる。二が四に、四が八に、八が一六に、と続ければ、一万が二万、二万が四万、そして、一億が二億と分れれば、やればやるほどこの方が元の神が見えなくなりて、何がなんだか分からぬ世界となるのでござるぞ。絶対に調和は創れん、絶対に一つにならん、やればやるほど壊し行く、世界丸潰れの茶番劇でござるのぞ。最期は世界の破滅なり。
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 ここまで分かれに分かれては、この方とそなたらが、そなたとそなたの回りがどういう関係なのか分からなくなるのは当たり前でござるぞ。今の世で楽しんで居る者には誠に残念なことではござるが、このまま物質の世を続けては壊れるばかりでござるから、これ以上壊されてはこの方の世が滅びて仕舞うから、この方の産みたる神の臣民の血筋が絶えて仕舞うから、最後の最後はこの方が表に現れて、物質の世を掃除して、元の神世に戻すのぞ。そなたらの物質を使った破壊の遊びは、すべてのすべてを産み生んだこの方だけが止められるのでござるのぞ。今のままではこの方のお子たちが、何が何だか分からぬままにみんな滅びて仕舞うから、この方がすべてのすべての誠を明かし、世界が潰れるその前に、元の神代に返すなり。現界は限界ぞ。無限には続かん世なり。早う真釣りに戻りて、身魂の掃除をしてくだされよ。そなたがミロクの民となりたいならば、次の世で遊び続けたいならば、神の知識を集めるよりも、真釣りに戻る掃除が先でござるのぞ。

 そなたらの魔釣りのゲームが作り上げた壊れに壊れた物質の世界は、後数年で綺麗サッパリと全く新しい別の組成の世界に交換するのでござるぞ。次の新しき世は、そなたの心が体になる世でござるから、今の物質の体のままでは、誰一人行かれん世でござるぞ。悪も闇も争いも全くござらん調和の世界でござるのぞ。万古末代動かぬ、永久永遠に続く光り輝く神世でござるのぞ。神から人まですべてのすべて、上から下まで真釣りが統(す)べる、光の世にするのでござるから、悪や闇を持ちたる身魂には、現(こ)の世どころか死後の世界にもどこにも生まれかわるところはござらんぞ。たとえ神々様とても、逃れようと思ってもどこも逃げられんのぞ。今のままではそなたら全員、現(こ)の世もろとも消え去る運命でござるぞ。今のそなたの心が、そなたの態度が、そなたの身魂の態度そのものでござるぞ。そなたの身魂を磨かねば、そなたの内を掃除せねば、そなたの分かつ知やめねば、そなたの疑う心を捨てねば、そなたは新しき世には行かれんぞ。
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 戦いが当たり前、競争が当たり前、取り合いが当たり前、分からんのが当たり前、悩みがあるのは当たり前、援助するのが当たり前、議論するのが善いことじゃ等と申す、曇りに曇ったそなた自身が、世の調和を乱した真犯人じゃ。そなたら一人一人が、調和を乱した悪の根源でござるのぞ。調和が元の始めなり。元々あるものをわざわざ守らねばならぬと申すのはオカシキことではござらぬか。この方はそなたの身魂の親でござるのぞ。そなたがここに居るならば、親が居るのは当たり前でござろうが。当たり前のものをわざわざ議論するのはオカシキことではござらぬか。そなたの回りのすべてのすべて、この方が産み生んだものでござるぞ。何一つ悪はござらん。そなたの外を一つでも悪と申せば、そなたの内に出るものを悪じゃと申せば、そなたは悪を創りた親から生まれた悪の身魂と申すことになるぞ。自らは善人でござると申す者、そなたの申すことは矛盾してござるぞ。
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 この方が居らんと申す者、そなたはどこから来たと申すのじゃ。そなたの親は、そなたの先祖は、どこから来たと申すのじゃ。そなたの世界は誰が創りたと申すのじゃ。この方をキレイサッパリ忘れてござるから、何も分からなくなりたのでござるぞ。そなたが自らを善人じゃと申せば申すほど、そなたが悪と戦えば戦うほど、自らが調和を乱した張本人であることを、わざわざ自ら白状して回って居るのと同じことでござるのぞ。そなたは何を致して居るのじゃ。今今の世と申すのは、二つに分けて戦って、最後は滅びる魔釣りの知恵に、まんまと騙され踊らされ、世界丸潰れの企みとも知らずに、魔釣りで魔釣りを魔釣り縫い、真釣りのマの字も見えぬほど、曇りに曇った闇世でござるのぞ。真コトの悪とは何たるかをキレイサッパリ忘れてしまった魔コトで穢れた悪人ばかりの世でござるから、悪を裁くことが悪じゃと申す簡単な道理にも気づかず、自らは善人だと申して、世の調和を壊す大犯罪を平気で続けることができるのでござるぞ。悪を裁く自らが神の世を乱す悪人であることをそなた自身が自覚せねば、そなたはミロクの民には成れんのぞ。

 戦争が悪なのではござらんぞ。戦争を悪だと申す、そなた自身の戦う心が悪でござるのぞ。戦争は善くないと申す、そなた自身が戦って居ることに気づいて居るか。そなたに善悪裁く心があれば、そなた自身がそなたの内で戦って、そなたの外とも戦うことになるのでござるぞ。核実験に抗議するそなたの心が、そなたの邪魔者である外の悪の息の根を止める核兵器を形にしたのでござるのぞ。そなたの戦う心が、外の悪を裁く心が、そなたの命を危うくする形になって、そなたに戻ってきたのでござるぞ。この方を忘れたそなたらは、身魂が生き通しであることを忘れたそなたらは、肉の身がそなたの人生だと錯覚して居るが、肉の身の死を人生の終わりと錯覚して居るが、そなたのマコトの命は身魂のイノチでござるのぞ。そなたの申す肉の命がなくなりても、身魂のイノチはござるのぞ。身魂が肉の服を着て居るのがこの世でのそなたの姿でござるのぞ。
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 そなたがそなたの肉の命を危うくしたのは、そなたの戦う心でござるのぞ。そなたには危険も終わりもござらんぞ。そなたがそなたの命の危険を理由に外の悪を裁くなら、そなたの取り違いが原因でござるのに、そなたが自らに死はござらんのに、外のせいでござると申すのは、自分勝手でござるぞ。人のすることを危険だからやめよと申すそなたは、身魂の遊びの邪魔をして居るのでござるのぞ。今の法律も今の道徳もすべてのすべてがアヤマ知に基づくものでござるのぞ。そなたが真コトでござれば、誰が何をしようとも、そなたには関わり無きことでござるのぞ。そなたは自由自在に遊べるのでござるぞ。そなたがそなたの内を掃除すれば、肉の命がなくなりても、そなたの身魂のイノチは生きるのでござるぞ。そなた自身が⦿ならばそなたはミロクへ行けるのぞ。他の者がどんなに極悪人だろうとそなたの人生には何の影響もござらんぞ。その者が自滅するだけでござる。他の者の為すことと、そなたとは何の関係もござらんのぞ。そなたが戦いをしておりては、そなたには次の世はござらんぞ。そなたが戦争の芽を持っておりて、核実験に抗議する資格はござらんぞ。
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 そなた自心が形にしたものを、そなた自心が消そうとすれば、そなたの内の戦いは無くならんぞ。そなたが外の悪を裁くのは、外と戦うのは、そなたの内に悪がござるからぞ。悪を消そうとするほど悪がますます鮮やかに現れるぞ。この方の構えた情けと花の仕組みと申すのは、そなたの内に善悪あれば、そなたの外に善悪見せて、そなたに返して気づかせる仕組みでござるから、そなたの内に悪あれば、外の悪は永遠に無くならんのぞ。そなたが戦争をなくしたいならば、戦争に抗議をしておらずに、平和だ平等だと叫んでデモをしておらずに、そなたの内にある悪を裁く心を捨てなされ。そなたが平和を望むなら、そなたが内の戦いをやめなされ。そもそも平和な世に議論なる戦いがあること自体がオカシキことでござるのぞ。戦争原理と申す不公平不平等な仕組みは、元の世にはござらんぞ。そなたらは、魔釣りの世で仕入れた我善しの屁理屈をこねて、世を壊すシステムを創りて、いったいいつまで世を壊し続けるお積もりか。そなたが⦿ならば他の者とは関係なく平和な世に行くのぞ。外を変えて平和をつくろうという心が平和なき世をつくったのぞ。自らが為しておるアベコベに気づけよ。

 この方の申す調和は一〇〇%でござるのぞ。一点でも、一厘でも、○・一%でも曇りがござれば、快晴ではござらん。雲一つない空を快晴(快正)と申すのぞ。そなたらの創った、たった一厘の曇りが、たった一厘くらいと申す油断が、今の世の曇天を創り出したのでござるぞ。雲があるのが当たり前、苦があるのが当たり前、悩みがあるのは当たり前、分からないのが当たり前等と申すそなたらには、永久に誠の真コトは見えんぞ。そなたの心に一点でも曇りあれば、この方の真コトは見えなくなるのぞ。たった一厘でもうまく行かんこと、分からんこと、不思議なこと、自分で答えられんこと、自らで決められんこと、外に責任転嫁をする心がござるならば、そなたには曇りがござるのぞ。我(われ)には曇りはござらんと申す、その言葉が曇りがある証でござるのぞ。そなたに曇りなければこの方の申すことにいちいち反論する必要はござらん。そなたに曇りがござらねば、この方の出す神示など、そなたにとっては何の価値も無きものになるのでござる。そなたはこの方の心そのものでござるからな。わざわざこの方に言われんとも、そなたはすべてを分かって居るからな。神成る身のそなたに神示が出ることがオカシキことなのぞ。
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 この方の神示を奉って居るそなたは、そなた自身を下に見て居るぞ。この方を特別の存在にして居るぞ。普通とは特別、特殊が無きことぞ。それが平等、公平と申すもの。この方は特別ではござらんが、この方がそなたを産み生んだのでござるから、この方が先でそなたが後でござるのぞ。親が先で、子が後、神が先で人が後、後先の順番は変わらんぞ。この方の申す通りにすることが調和を創る元でござるのぞ。神成る身であるそなたらのすることでござるのぞ。そなたはこの方のお子でござるのぞ。この方の内に産み生んだ身分でござるのぞ。この方はそなたの空気のようなものでござるぞ。そなた自身を下に見ると申すのは、この方を価値の無いものと申して居るのと同じでござるぞ。そなたとこの方とを分けて居る証でござるぞ。この方はそなたの外に居るのではござらんぞ。この方がそなたの外に居るならば、そなたが神ではござらぬか。そなたとこの方は切っても切れん、一体の霊でござるのぞ。そなたはこの方の分霊でござるぞ。この方の直系の霊、直(なお)霊(ひ)でござるのぞ。分からないことがござるのが、親を特別視することが、そもそもオカシキことではござらぬか。そなたはこの方の内に居るのでござるぞ。
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 そなた自身がこの方の快晴の世を曇らせた張本人でござるのぞ。今この世に居る全員が、元つ真釣りを外した、神の掟を破った犯罪者でござるのぞ。曇り具合の多少は関係ござらんぞ。九九・九%の悪人も、〇・一%の悪人も、調和を乱す悪人でござるぞ。どっちが悪人かと申すそなたが悪人でござるぞ。他人の悪を裁く資格はござらんぞ。神の世の掟は調和なり。調和を乱す者は全員悪人(悪神)でござる。そなたが善悪分ける悪心持った悪人でござるから、そなたが悪人であることを見せる御役の悪神にまんまと騙されるのでござるぞ。肉の身を持つそなたらは霊界と現界の両方に居るのでござるぞ。霊界のそなたの行動が現界に現れるのでござるぞ。そなたの心に悪あれば、霊界で悪神の手下となってしまうのでござるぞ。自らを正しいと思って居る悪神の手下となれば、そなたは自らの悪を悪とは思わんぞ。そなたは善悪分ける幽界に居るから、善悪の戦いをするのでござるぞ。誠の調和の神界のこの方が、誠の善悪を教えて差し上げるから、早う幽界とのつながりを切りなされよ。そなたが戦いをして居るから、幽界に居ることになるのでござるぞ。
P50
 この方の居る神界と繋がらねば、そなたはミロクの民にはなれんぞ。そなたが誠の善の身魂にならねば、現界の大掃除は避けられんぞ。そなたが疑いの心を捨てなければ、幽界との繋がりは切れんのぞ。悪霊がそなたに取り憑くのではござらんぞ。そなたが幽界に合わせて居るのでござるぞ。そなたの心の有り様がそなたの身魂の姿でござるのぞ。霊界には元々は幽界と申す世界はござらん。そなたらの善悪創る心が、善悪創る身魂が集まって幽界を創っておるのでござるぞ。今度の大掃除では、幽界も掃除致すのでござるぞ。そなたが身魂を磨かねば、そなたが善悪掃除を致さねば、生も死も意味はござらん。そなたの居る場所はどこにもござらぬぞ。万古末代二度とない、神から人まですべてのすべて、三千世界をタテナオす、生死越えたるお仕組みでござるのぞ。今度ばかりは神々様でさえもどこにも逃げ場はないのでござるぞ。身魂磨かぬ者は、神の掟通り、滅びでござる。

 相対二元の世界では、善は悪、悪は善でござるから、全部悪になるでござろうが。全部善にもなるではないか等と屁理屈申して居るではないぞ。分けて居るのが真釣り外しでござるのぞ。そなたの善と相手の善がぶつかるのが戦いでござるぞ。そなたは相手の悪、相手はそなたの悪を責めて居るのでござるぞ。そなたが九九・九%善でござっても、〇・一%の悪がござれば、そなたは調和を乱す種を持って居るのぞ。ミロクは一厘なければ行けない世界でござるのぞ。この方の世ではそなたらのいい加減さは通用せんぞ。平和を守ると申して戦争して居ること自体が、調和を乱して居る証でござるのぞ。今の現(こ)の世全体が、掟違反の魔釣りの世であるとも気づかず、自ら創りだした不調和の世で、法律と申す戒律を創り、法律違反は償うべきだと申す戒律を創り、我(われ)の申すこと聞かんと殺すぞ、取るぞ、独りにするぞ、社会から抹殺するぞ、と脅しの罰をちらつかせ、自分自身に不都合な、危険な、迷惑な悪を表に出せんように、悪を出した者を捕まえて檻に閉じ込めて危険を回避した積もりになって安心して居る呑気な身魂がそなたらの姿でござるぞ。
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 自らが自らの創りた戒律で動けんようになって居ることを知り居るか。戒律創れば自らも人も動けんようになるのでござるぞ。自ら戒律創って自らを動けんようにしておいて、動けんことを神や人の責任に致し、自らは枠の中にとどまって、外を動かして思い通りにしようとするのは自分勝手な虫のいい話でござるぞ。そなたは悪人を檻に入れれば安全だと思って居るでござろうが、そなたがそなたを檻に入れて居るのを知り居るか。そなたの心の制限と申すのは、そなたの身魂が居る刑務所の牢屋でござるのぞ。そなたの制限の外が自由な娑婆でござるのぞ。最後の最後はそなたの居る刑務所は、そなたの居る箱は綺麗に壊すのでござるぞ。そなたが安全だと思って居る場所が、実は、一番危険な場所でござるのぞ。今の現(こ)の世のシステムが当たり前だと思って居ることが、真コトに気づかぬ魔釣りでござる。現(こ)の世では何も出来ぬと申すそなたは、ミロクの世には行かれんぞ。今の世のシステムを理由に、したいことができんと申すなら、そなたがそなたをとめて居るだけぞ。そなたが自らの内を変えねば、自由にせねば、外はそのままでござるのぞ。
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 今のそなたらのシステムでは、いっこうに犯罪は無くならんばかりか、ますます危険な世になってしまって居るでござろうが。外にそなたの申す悪事を見つければ、そなたは何をしてるのじゃと追求し、何でもかんでも罰則創って取り締まる。外の悪を裁けば裁くほど、先に行くほど罰が増え、そなた自身が何もできなくなるぞ。そなたらは、罪を犯した者なれば罰を受けるは当然じゃと申して居るが、そう申すそなたらが神の掟を外して居ることを知り居るでござろうか。そなたはそなたらの法律を一〇〇%守って居るでござろうか。神の掟は一〇〇%でござるぞ。違反しただけそなたには自由はないぞ。自らが自由ではござらんと思い込むから、自らが自由になるために、人を不自由にせねばならなくなるのでござるぞ。そなたの外に原因があるのではござらんぞ。そなたがそなたを縛って居るのでござるぞ。そなたが自由ではござらんと申すから、自由ではござらんのぞ。

 そなたらは身魂でござるから、肉の身でどうなろうとも身魂には死はござらん。そなたにもそなた以外の者にも、危険や不都合はござらんぞ。何をしても自由でござるのぞ。そなたが魔釣りをしておって、肉の身で長生きしたいと申しても、肉の身はこの方の貸しものなれば、それは自分勝手と申すもの。そなたが真釣りでござるなら、自由に選べたのでござるぞ。そなたの死や病気や怪我や事故はそなたの自由にはならんのぞ。そなたの掟違反相応にこの方が人を通してメグリ合わせて居るのでござる。事故も怪我も殺人も、お互い様の掟違反の結果でござるぞ。偶然はござらんぞ。被害者もござらんぞ。そなたの創りたメグリでござる。お互い様の出来事ぞ。どちらも自らの責任でござるのぞ。取られて、遣られて、病気になって、被害を受けて、壊されて、掟違反を償うのでござるぞ。そなたの掟違反の結果でござるのに、この方や他の者の責任追及をするとは何事か。
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 そなたに掟違反がござらねば、通り魔にも、事故にも、災害にも遭わんのぞ。魔釣りに生きて居るそなたには、通り魔を刑務所と申す箱に入れて封じ込めても、真コトの安全はござらんぞ。通り魔が悪魔ではござらんぞ。そなたが悪魔でござるのぞ。真コトに安全が欲しいならば、魔釣りをやめることでござるぞ。自ら魔釣りをしておいて、掟違反をしておいて、犯罪人を裁くとは、地震や台風を嫌うとは、自由を制限するとは何事でござるのか。自らの都合で人を檻に入れておるのでござるぞ。そなたが真釣りならば、どうなっても安全でござるのぞ。通り魔が怖いそなたの魔釣りが原因ぞ。そなたの魔釣りをそなたの肉の身を使って掃除するのでござるぞ。そなたの肉の身がどんな状況に成ろうとも、そなたの身魂は生きて居るぞ。この方は、そなたに肉の身を括りつけて、メグリ相応に痛みや苦しみを渡すのでござる。そなたのものは何もござらんぞ。取り違いなさるなよ。

 誠の親の厳しさ優しさを教えて差し上げるぞ。この方はそなたらが何回掟違反をしてもそなたが改心するまでずっとずっと待って居るのでござるのぞ。そなたが何回約束を破っても少しずつメグリを渡して改心を信じて居るのでござるのぞ。これが誠に信頼すると申すことでござるぞ。約束違反やルール違反をすぐに責めるそなたらは、辛抱が足りん。神が許しておる悪を裁くとは何事でござるのか。悪いことをして居るから許せんと申して、人を殴るとは何事でござるか。そなたが待てんのはそなたが魔釣りの証でござるぞ。そなたが真釣りでござれば、人が何をしておりてもそなたには何の関係もないのでござる。待つ必要も裁く必要もないのでござるぞ。掟破りを一〇〇%神が許さねばどうなるか知り居るか。そなたらに楽はなくなるぞ。そなたが掟破りを戻すまで、そなたは自由はござらんぞ。今のそなたには到底耐えられんことでござるから、最後の最後まで延ばして居るのでござるのぞ。いよいよとなれば、マコトの厳しさを教えてやるから覚悟せよ。
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 最後の大掃除では、楽は一切許さんぞ。この方が悪は許さんと申せば、すべて許さんのぞ。今までしてきたことをすべて清算して頂くぞ。そなたが不調和蒔いた分だけ、魔釣りで壊して傷めただけ、一度にそなたの身を以て体験して頂くぞ。マコトのバランスとは何か、調和を壊すとどうなるかを一〇〇%教えて差し上げるから、そなたには厳しいことでござるから、地獄の如き様相となるから、今の内から清算を始めてくだされよ。魔釣りをやめてくだされよ。今の苦労は最後の苦労に比べれば、雲泥の差でござるのぞ。この方が言葉で教えて差し上げて居るうちに、自主的に掃除を始めてくだされよ。今から始めて少しでも最後の掃除を軽くしてくだされよ。この方は自らのお子が苦しむのを見たくないから、今からお知らせして居るのでござるぞ。誠の親心を分かってくだされよ。最後の大掃除はどのくらい厳しいのかと待つ心は魔釣りでござる。今のそなたには想像を絶する厳しさぞ。そなたがФのそのままで居るならば、「神も仏もあるものか」と言わねばならんぞ。そのときになって後悔しても「後のまつり」ぞ。ツベコベ言わず、この方の申す通りにしてみやれよ。「まつり」は先にしてくれよ。「祭り」ではなく「⦿」のことぞ。
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 そなたの食べ物とは霊の食べ物のことでござるのぞ。そなたの身魂の態度のことでござるのぞ。肉の身から見れば心の持ち方、考え方、生き方のことでござるぞ。四つ足とは戦いの心、二つに分ける魔釣りの心ぞ。五穀草物とは自らに素直に生きるこの方の心ぞ。四つ足の獣は戦い、共食いでござろうが。植物は満たし合いでござろうが。この方はそなたらの外に見せて居るのでござるのぞ。形の菜食主義は魔釣りでござるぞ。肉食避ける心がござれば、善悪がござるぞ。食べ物をよく噛むと申すのは、その生き方を続けてそなたのものにする(クセにする、マスターする)ことでござるぞ。知識を行動して智慧にすることでござるのぞ。イロハで噛むと申すのは、元のはじめのこの方の生き方をすると申すことぞ。祝詞(のりと)をあげると申すのは、分かったことを行動することでござるのぞ。何でもかんでも形で考えるのが、四つ足を食べて居る証でござるぞ。この方の神示はそんなに簡単に解けるものではござらんぞ。実践してはじめて解けるものぞ。アタマのФのチシキでは取りちがえるぞ神の仕組みはそなたを生かせしハタラキなり。チシキではござらんぞ。
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 すべてのすべては霊が体に現れたものでござるぞ。神が形に成ったものでござるのぞ。霊が先で体が後でござるぞ。そなたらの見方はすべてのすべてがアベコベでござるぞ。体の障害や病気は霊の障害の型示しでござるぞ。霊を直さず体だけを治そうとしても直したことにはならんぞ。魔釣りは破壊、真釣りは再生、魔釣りで破壊をして居るから病気や怪我で教えるのでござるぞ。そんなことは信じられんと申すそなたは魔釣りでござるから、そなたの病気や怪我は無くならんぞ。そなたらは霊障と申すが、そなたが魔釣りでござるから、そなたが外を頼るから、そなたに霊が感応するのでござるぞ。霊に悪戯(いたずら)されるのはそなたのせいでござるぞ。霊のせいにすることはこの方のせいにすることでござるぞ。霊のせいにするのも人のせいにするのも、そなたの根本が同じ態度でござるからぞ。そなたの身魂の態度を正せよ。そなたが何でも自分で出来れば、真コトのことを知って居れば、何の問題もござらんぞ。そなたが真釣りに戻しても、今までしただけのことは引き受けて頂くから、すぐには善くならんから、勘違いなさるなよ。そなたがしただけ返して頂くから、肉の身の死を以て返して頂くこともござるから、肉の身で善くなるとは限らんぞ。悪くなるから悪神じゃと申すなら、そなたは真コトが分かってござらん。ミロクですべてが叶うのぞ。今のそなたには真釣り戻しの掃除あるのみぞ。早う、ミロクに生まれ返れる身魂に鳴ってくだされよ。

 そなたらの科学では説明できんことが沢山あるでござろうが。そなたは被害と申すが、そなたが魔釣りにござらねば、そなたには被害はござらんぞ。犠牲と申すものもござらんぞ。そなたがそなたの加害者でござる。霊能者に病気を治して貰おうとしても、破壊は善くない、悪くなるのは善くないと申すそなたは取り違いをして居るぞ。霊視と申すのは、そなたらが過去や未来を語れるのと同じように、霊が感応して心の映像で見えるのでござるぞ。特別なことではござらんぞ。表面だけを見て居ると不思議なことばかりでござるぞ。表面に現れた現象や行動だけを見て善悪分けて居るとそなたは騙されることになるぞ。疑って掛かるのがそなたの魔釣りの証でござるぞ。そなたが真釣りならば疑いはござらんぞ。霊を祓って病気を治しても後で倍になってぶり返すぞ。除霊した霊は何処へ行ったのでござるのか。悪を祓って善を保っても、直した積もりになっても、最後の最後は天地マゼコゼにして祓った悪を戻して差し上げるから覚悟いたせよ。魔釣りのままで一〇〇%病気を治そう、怪我や事故を避けようと申しても無駄なことでござるぞ。ますます悪くなるだけでござるぞ。自らのしておることを何も知らん臭き魔釣りの身魂でござるぞ。
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 この者にこの方の言葉が何で分かるのか、何で未来が見えるのかと申すが、真釣りに戻った者にとっては、大掃除のプロセスはすでに体験済みのものであるからぞ。元のはじめに戻って居るから、この方のことも、この方のしくみも、全部思い出して居るぞ。この者にとっては、いわば、すべて過去のプロセスでござる。そなたに過去が見えるのと同じ理屈でござるのぞ。そなたの心に浮かぶものをそのまま文章にして居るのと同じことでござるのぞ。そなたらとこの方は心でつながって居るから、この方の言葉を文字に出来ても話せても不思議なことではござらんぞ。神霊が付けば超能力でも透視能力でも物質化現象でも何ができても不思議はないぞ。そなたら人間は、霊界の姿が現界に現れるのでござるから、神がついて表現できるのでござるから、何が出来ても不思議はござらんぞ。そなたの言葉と申すのも、幽界の、善悪の心が創りだす言葉でござるのぞ。そなたがそなたを自由にすれば、この方の心も分かるのでござるぞ。心理は神理が真理でござるぞ。神の理(ことわり)がそなたの心の理でござるぞ。それが真理でござるのぞ。
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 そなたらの病気は、霊がつけばすぐ治るぞ。治るが、そなたの病気は魔釣りの型示しでござるから、一度に治そうと申すのは虫の善い話でござるぞ。そなたの魔釣りがそのままでござるから、後でもっと重くなるぞ。太った痩せたと申すのは、相対的な見方でござるぞ。何を以て普通と申すのか。そなたが真釣りでござるなら、そなたは至善でござるのぞ。そなたの肉体は霊体の型示しでござるぞ。そなたが真釣りを食べて居るならば、真釣りを生きて居るならば、何を食べても善いのでござるぞ。太りも痩せもせんぞ。霊で魔釣りを食べるから、形の食べ物を制限することになるのでござるぞ。食べ物を制限しておりては真コトの神の生き方とは申せんぞ。霊が健康ならば、体も健康でござるのぞ。そなたが薬や医術で体の修繕を致しても、そなたの霊が魔釣りを食べて居れば、何度も治さねばならなくなるぞ。そなたの体を鍛えても、霊が魔釣りでござれば、鍛え続けねば戻って仕舞うぞ。そなたの体が治っても霊が魔釣りでござれば、最期に身魂が死ぬのでござる。
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 そなたの霊が真釣りでござれば、何の訓練も制限も必要ござらんぞ。好きなものを食べて好きなことをしていて善いのでござるぞ。好きな時に起きて好きな時に寝て善いのでござるぞ。栄養や睡眠や運動と申すのは、霊の栄養、霊の運動、霊の睡眠のことでござるのぞ。そなたの霊の、心の申すままにすることが至善でござるぞ。栄養のあるものを食べて運動すると健康によいと申すのは、霊で真釣りを食べて、真釣りを動けば、体でも健康で自由になると申すことでござるぞ。体の世界だけで考えておりても、何も分からんぞ。体の世界でアレコレなせば、すべてのすべてが制限となるのでござるぞ。健康法も食べ物も運動も薬もすべてのすべてが霊にとっては制限でござるのぞ。真釣りを生きればそなたの身魂に死はないぞ。不老不死の薬とは、真釣りのことでござるのぞ。身魂の寿命の、真コトのイノチの薬でござる。体の寿命を延ばそうとすれば、病気を避けようとすれば、身魂に制限を嵌めることになるから、霊の栄養が偏るから、肉の身を脱げば病気でござるぞ。最期は身魂が死ぬぞ。身魂(霊)の病気を物質の薬で治せると思いてか。心の病を薬で治せると申すのか。霊の病を人間が治療できると申すのか。よう曇りなされたなあ。死が不幸なのではないぞ。そなたの魔釣りが不幸を呼ぶのぞ。

 あり得ない、驚いた、不思議だ、知らない等々と申すのは、そなたが魔釣りに生きておる証でござるぞ。奇跡や魔法や超能力を欲しがるそなたは、魔釣りに生きておる証ぞ。そなたが真釣りに生きれば、魔法が奇跡が当たり前でござるのぞ。魔釣りのそなたから見れば、奇跡だけになるのでござるぞ。神や仏や霊力を欲しがるそなたでは、いつまでたっても真釣りはござらん。そなたはもともと神の力で霊と体が結ばれて居るのぞ。そなたのイノチはこの方が結んで居るのぞ。そなたは神の力で生かされて居るのでござるから、そなたが生死自由にならぬのは、当然のことでござるのぞ。そなたの霊体が神の力を借りて肉体を通して事を成して居るのでござるぞ。そなたらは元々霊能力で生きて居るのでござるのぞ。そなたが真釣りでござるなら、この方がついて何でも楽にできるのでござるぞ。そなたが霊能力を欲しがるのは、思い通りに形にしたいからでござるが、それはそなたが魔釣りでござる証でござるぞ。そなたが魔釣りに生きれば思いどおりにならぬのぞ。そなたが真釣りに戻していけば、そなたの思いは一つ一つ叶って行くのぞ。一度に楽に成ろうとするその心が、そなたが騙される、そなたを不自由にする源でござるのぞ。
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 誰にでも通用するものはオカシイと申す者、霊能者のインチキを暴こうとする者は、自らが魔釣りに生きて居ることを白状して居るのでござるぞ。そなたが霊能者でござることを忘れて居るぞ。そなたが何でも自分で出来れば、霊だ体だと分ける必要はござらん。霊と体は一つでござるぞ。霊の世界も体の世界も一つのものでござるぞ。霊界が因、現界が果、現界は霊界の映しでござるぞ。霊界が現界に現れるのぞ。霊主体従でござる。霊がすべての元でござるぞ。霊の食べ物が大切でござる。そなたの心はこの方と繋がって居る。そなたのしたいことは何でもできて当たり前でござるのぞ。そなたがしたくないと申せばそれも形になるのでござる。そなたの思いをそなたが縛る、できないそなたの魔釣りを正せよ。真釣りに戻せば思いの通りになって行くぞ。魔釣りのウソはすぐ見破れるぞ。超能力も宗教もそなたには必要なくなるぞ。騙されることはなくなるのでござるぞ。騙した者を責めるそなたの魔釣りを直せよ。騙されたのはそなたが原因でござるぞ。
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 霊能者殿、そなたは霊の奴隷でござるぞ。魔釣りに気づかぬ者共の病気を治して魔釣りを進めて居るぞ。魔釣りの型示しでござる病気治しを手伝っては、最期に身魂を殺すことになるのでござるぞ。そなたは人を助けようとしてアベコベをして居るのでござるぞ。魔釣りは悉くアベコベでござるのぞ。そなたが病気を治すことは出来んのぞ。そなたが治して居るのではござらんぞ。そなたを通して様々な神霊が治して居るのでござるのぞ。人の病気を治すことは掃除を邪魔することでござるぞ。真釣り戻しの道具を奪うことでござるのぞ。魔釣りの神に奉られたそなたの魔釣りを真釣りに戻しなされよ。人を助けると申すのは、人の真釣りを助けることにてござるのぞ。掃除の邪魔をすれば真釣りを邪魔することにてござるのぞ。そなたが魔釣りでござるから、魔釣りの神が付くのでござるぞ。神がつけば何でもできることを、そなたが神ではござらんことを、しかと肝に命じておいてくだされよ。霊に遊ばれて居る者が多いのう。人民を惑わせんでくだされよ。

 人がどんな悩みを持っているかを当てるよりも、その者と話をして自立を助けてくだされよ。犯人探しをするよりも、その者の持ちたる悪を教えて差し上げてくだされよ。そなたらは人間でござるから、人間として人間と話をして、相談しながら、足らざるを満たし合いながら、神なる修行をしてくだされよ。その者の悩みを当てるのも、その者の家の様子を当てるのも、その者の霊を見るのも、神がつけば簡単でござるのぞ。当たるのが当たり前でござるぞ。当たるのではなく、霊と霊が話をして、霊が過去を見て、その者の言葉として話して居るのでござるから、霊には時空が無いのでござるから、分かるのは当たり前でござるのぞ。奇跡や超能力を求めるよりも、自らの足で一つ一つ真釣り戻しをしてくだされよ。人間として人間の生活の中で真釣りを生きてくだされよ。そなたがそなたを自由にして差し上げてくだされよ。そなたがそなたを不自由にして居ることをしかとハラに入れておいてくだされよ。この方は一つも戒律や制限は創って居らんのぞ。そなたには何の制限もござらんぞ。そなたは身魂でござるから、何でもできるのでござるぞ。
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 そなたが思いを変えれば神が変わって行動が変わるのでござるぞ。そなたが自ら考えて、神(かん)変(が)えて、別の神を選べば、そなたの現実が変わるのぞ。そなたが外を動かせるならば、そなたは神でござるぞ。そなたはそなたを動かせるだけでござるぞ。そなたが神(かみ)変(か)えねば、そなたの現実はそのままでござるのぞ。そなたが神に頼るから、魔釣りの神に騙されるのでござるぞ。そなたが一度に欲しいと申せば、一度にくれる神が居るぞ。そなたが一度に貰った分だけそなたは一度に失うぞ。そなたが魔釣りでござるなら、一度に貰うはオカシキことぞ。すぐのお陰は気をつけなされよ。元の神のお陰の道は苦労の道でござるぞ。そなたが今まで楽した分を、苦労で返して頂くからぞ。元の神のこの方の家来の神がついた者には、超能力や奇跡を見せたり、病気治しをしたり狐憑きの真似はさせて居らんぞ。高級霊を名乗るのはインチキじゃと申す戒律に囚われると、何でもかんでも高級霊を名乗るものはインチキじゃと申して真の神を見逃すぞ。真コトの神は態度で分かるぞ。何でも出来る普通の人間が真コトの神のついた神民でござるのぞ。真コトの神はそなた自身を自由にするぞ。今までの古い教えでは天国も自由もござらんぞ。古い教えのお役目はもう終って居るのじゃからきれいサッパリアタマを切りかえなされよ。
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 悪が迷惑なのではござらんぞ。悪が危険なのではござらんぞ。悪を迷惑だと申すそなたが迷惑なのでござるぞ。そなたが殺されてもそなたの身魂は生きておるぞ。何をもって危険と申すのでござろうか。誠に危険なことと申すのは、身魂が死ぬことでござるぞ。神の掟を外したならば、そなたの身魂は死でござる。悪を危険と申すのは。アベコベでござるぞ。地震や津波や噴火や水爆が怖いのではござらんぞ。そなたの魔釣りが怖いのぞ。そなたが真釣りに戻ったならば、物質世界の出来事は、そなたには何も影響なくなるぞ。そなたの肉の身がどうなりても、そなたは身魂で生きるからぞ。天変地異も戦争も、真釣りのそなたには何も関係ござらんぞ。真釣りが誠の安全でござるのぞ。そなたが神界に居れば、現界の地獄はただの絵図でござるのぞ。悪を危険と申すそなたの魔釣りが危険でござる。取り違いも甚だしいぞ。そなたらは神の掟に反して居るのぞ。人の法律違反を裁く、人のウソを暴く、人の犯罪を責める者、自らの法律違反はどこへ行ったのでござろうか。そなたが魔釣りを続けるならば、最後の最後はそなたは死刑でござるのぞ。ツベコベ屁理屈をこねて居るヒマがあったら、おイノチはこの方にあずけて、早う真釣り戻しを始めてくだされよ。
P64
 悪を潰そうとすればするほど悪は表に出てくるぞ。殺人犯(殺神犯)はほおっておけば自ら潰れるから、潰れる前に潰すなよ。潰せばそなたが潰れるぞ。この方はすべてのすべての掟違反の身魂を泳がせて、好きにさせて居るのでござるぞ。最後の最後は身魂のイノチが無くなるのでござるぞ。どんな刑罰よりも重い重い厳しい刑罰でござろうが。永遠のイノチを手放すのでござるからな。人間の世での刑罰など、この方から見れば甘い甘い。人に刑罰課するそなたらが、神の掟の違反者ぞ。調和を乱す悪はほおっておけばすべて滅びる定めなり。悪を潰そうとするそなたも悪でござるから最後の最後は自らが滅びるぞ。外の悪を悪と申す、外に悪があると申すそなたは、外が変われば何もできなくなるぞ。そなたは外に影響されておるぞ。そなたはこの方の申すことには逆らえんのではござらぬか。そなたは自然の力には逆らえんのでござろうが。自然の力は至善の力でござるぞ。資源は始源でござるぞ。この方の力の現れでござるのぞ。そなたの外はこの方の内ぞ。そなたが外を変えることなど出来はせんのぞ。この方が許さねば、そなたは何もできぬのぞ。いつまで幻にとらわれて居るおつもりか。そなたは死をさけて居るつもりで、自殺の道を歩んで居るのぞ。夢の世界から早う目を覚ましなされよ。
P65
 元の調和を乱した結果現れる悪を裁く者は、内に善悪をもった調和を乱す悪の身魂でござるぞ。悪を裁こう、悪を暴こうとするそなた自身が悪の根源でござるぞ。悪者は許せんと申すが、それはそう申すそなたのことでござるぞ。悪裁いて善人を気取って居る者、神から見ればそなたが極悪人でござる。そなた自ら神の調和を乱す悪人であることを白状しておるのに気づいておるか。真コトの者から見れば、魔コトの者のすることなすこと丸見えでござるのぞ。悪を裁けば、外を変えようとすれば、外をコントロールすれば、外が悪だと申せば、外の責任でござると申せば、それでそなたは掟違反の魔釣りの者ぞ。今度の大掃除と申すのは、調和を乱す悪は根元から根こそぎにして仕舞うのぞ。最後の最後にはこの方の、誠の神の誠の力をとくとご覧に入れるから、そなたにはとても逆らえんから、ツベコベ申さずに今からこの方の申す通りにする方が得策でござるぞ。

 そなたらは悪人であることを隠そうとするから、自ら悪人でござることを白状して居ることに気づいたなら悪裁くのはやめる筈じゃな。何度申しても聞き分けのないお子が多いぞ。そなたの無知をいつまでさらすのじゃ。いつまで善人を演じて居るのじゃ。そなたはそれほど大アホでござるのか。この方の申すことを今一度しかと聞き直してくだされよ。仲良しが調和ではござらんぞ。そなたの内に善悪、戦いないことが調和でござるぞ。疑いの無いことが調和でござるぞ。そなたの内が調和で無ければ、そなたはそなたの外のものをとやかく申す資格はござらんぞ。そなたの内が調和でござれば、そなたは何も疑わん。何も気にならん。何も裁かん。何も口出しはせん。何も文句は申さん。悪はござらんから悪を許せんとは申さんぞ。外の悪を暴こうとはせんぞ。不安も恐れも疑問も不思議も奇跡もござらんぞ。真釣り外しのある者は、もう人のことを構って居る暇はござらんぞ。早う自らの真釣りを戻せよ。ミロクは近づいて居るぞ。外の悪を裁く自らの内を調和せよ。
P66
 霊性は開発するものではござらんぞ。魔釣りのままの霊性開発は、そなたの底に封印してある蛇を上げることにてござるのぞ。そなたの霊眼は、魔釣りで開く魔眼となるぞ。分かつ知恵の蛇を上げれば、最期はバラバラに砕け散るぞ。そなたの身魂のイノチはござらんぞ。蛇が蛇と戦っても共食いでござる。アタマとアタマの戦いは共倒れでござるぞ。ここまで来て未だに瞑想なるマヤカシで人を導いて居る者はこの方が許さんなり。神の姿や奇跡を見て喜んでおりては、そなたに真釣りはござらんぞ。この方の姿はそなたらには見えんのぞ。この方が見えたと申すなら、それはそなたの魔釣りの証ぞ。そなたは元々、真釣りの身魂でござるから、真釣りに戻ればこの方の力を導く霊能力が戻るのぞ。そなたがそなたの思いを何でも果たせる力でござる。そなたが真釣りに戻ればこの方が手伝うのでござるぞ。そなたら魔釣りの人間から見れば、奇跡に見えるのでござるぞ。神示を疑うそなたは、魔釣りでござるぞ。

 真釣りに戻れば不調和の身魂のすることは丸見えでござるから、肉の身を通して他の人間の、身魂のして居る真釣り外しが分かるから、騙されることはござらんぞ。これが誠の透視能力でござるのぞ。霊のレントゲン写真はそなたの心に映るのぞ。人間としてどういう行動が真釣り外しでござるかが、段々とハッキリと分かって来るのでござるぞ。真釣りと魔釣りは神一重でござるが、この方が段々に分かるようにしてやるから、安心してついて参るが宜しいぞ。取られて怪我して病気して騙されて真釣り戻しをするのでござるぞ。悪くなって善くなる仕組み。悪くした分自らが悪くなって元に戻す仕組みなり。そなたが疑いを捨てて、悪くなることを避けないで、そなたの申す通りになされば、そなたは段々と善くなるぞ。人に文句を申すことが悪ではござらんぞ。人に文句を申すことを裁くことが悪でござるぞ。そなたが真釣りを戻す道では、喧嘩や怪我もござるのぞ。そなたが真釣りを立てておれば、喧嘩をした後気づくのぞ。少しづつ葛藤が無くなって行くのぞ。神のお陰は少しづつでござるが、一度真コトが花開けば、末代咲き続ける花でござるぞ。魔釣りの花はすぐ咲くが、末は散り去る仇花でござるぞ。一年や二年の苦しみにたえられんようではマコトの天国は無いぞ。
P67
 マ違いの基準は真コトでござるぞ。戦いは魔コトぞ。マ違いぞ。魔と真の違いぞ。善い悪いではないぞ。やり方が違うだけでござるぞ。悪裁いて悪の自由奪うそなたが悪でござるのぞ。悪を暴くのが善だと申しておるそなたが悪でござるのぞ。この方のやり方にたてつく身魂でござるぞ。悪創って悪見せて悪を和する仕組み。調和、平等、自由の神の創る仕組みに戒律などござらん。そなたが自らそなたの悪に気づき、そなたの悪を調和する、悪を裁くのをやめるためにこの方が許しあるのが外にある(見える)悪でござる。そなたが自らの善を保つため外に見える悪を追い払えば、そなたがそなたを魔コトの世に封じ込めることになるぞ。自らが自らをマインドコントロールしておるのぞ。外の洗脳を問題にするそなたが洗脳されているぞ。そなたがそなたを洗脳しておるのぞ。そなたの善は魔コトの善ぞ。魔コトの世はもうすぐ消えるのぞ。そのままではそなたも一緒に消えるぞ。早う魔コトの部屋から出なされよ。真コトの世に旅立たんと、魔コトの部屋もろともそなたも死ぬぞ。そなたの身魂の居る魔コトの世(幽界)を掃除するのぞ。そなたに逃げる所は無いぞ。魔コトの家は仮り(借り)の家。すべて壊して整地して、真コトの家にタテ直すのぞ。タテ替えの決まった家にいつまでも居すわっておらずに、早う引越しの準備を始めなされよ。最期には有無を言わせず「強制退去」を命ずるぞ。⦿あれば新しい家に案内致すぞ。真釣り無き者は家もろとも壊してしまうぞ。神たしかに申し渡したぞ。
P68
 いつまでたっても魔釣りに気づかず、天国どころか地獄を進めるやり方で、末のこ度は解(ほど)くしかないものばかりを作りてしもうておるのに気づいて居るか。すべての人民、上から下まで、まんまと悪神の企みにはまりて、一向に改心の気配なく、この方のココロを知ってか知らずか、この方がどんなに語りかけても、外に見せても、魔釣りで学んだ屁理屈つけて悪を裁き、自らにご都合よろしき善を守って、自ら改心する者はごくごく僅かでござるぞ。いよいよ最後の最後の瀬戸際になりてしもうたから、そなたのアタマで、肉の眼で見て分かるように申さねば気づかんから、この者を使って文字にして姿形にして、すべてを明かすのでござる。そなたらに身欲や保身がなかりたならば、悪神の企みも成就致さんで済んだのぞ。そなたら一人一人が自ら滅ぶ悪の企みを進める手助けをしたのでござる。悪の企み、悪の支配は、九分九厘でおわりぞ。ドンデン返しをくらわんうちに早う目覚(めざ)めなされよ。
P69
 正義とは真コトのことでござるのぞ。善悪の法律で悪を裁いても、それは魔釣りの世の遊びでござる。悪を裁いて善が出来ると取り違いして居るそなたらの大きなアヤマ知でござるのぞ。何でもかんでも悪裁き、自由も平等も公平もない法律をつくり、自らのクビをしめて居るのを知り居るか。自らの悪を白状して居るだけでござるぞ。攻撃も防衛も同じことでござる。検事も弁護士も原告も被告も警察も暴力団も軍隊も自衛隊も同じ穴のムジナでござるのぞ。そなたら一人として悪に加担して居らん者はござらんぞ。今今の世は、そなたら全員の身欲と保身が創りだした地獄の作品でござるのぞ。悪を裁くそなたが調和を壊す悪の身魂でござるのぞ。そなた自身が、一人一人が、悪の根源でござる。

 調和を乱す悪人が、自ら作りし悪を裁いておるのぞ。自らが自らを、そなたがこの方を裁いて居るのじゃ。自らの悪を自ら白状致しておるぞ。何も知らぬとは申せども、滑稽なことよのう。戦争を裁くそなたの善悪が戦争を創りだした犯人ぞ。この方がここまで申しても、自らに原因があることに気づかんほど曇りに曇った身魂では、自らを善人だと申し続けて一向に改心のカの字もない身魂では、悪を裁いて、悪を暴いて平然として居る外道の善人では、戦争や犯罪を無くすことなどできはせんぞ。軍隊の戦争がなければ平和であるなどと申しておりては、マコトの平和など出来は致さん。戦争と申すのはそなたの内なる戦争のことにてござるのぞ。内の戦争は魂(たま)の戦いぞ。真コトの神と魔コトの神の霊戦でござるぞ。真コトと魔コトの戦い、真釣りと魔釣りの戦いでござるのぞ。最後の最後の三歳苦難のその時は、原爆落ちた広島や長崎の比ではござらんぞ。世界全土が修羅の地獄と化すのでござるぞ。タマの戦争の怖さはそなたらには分からんことでござろうが。
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 そなたが内なる戦いを終わらせれば、そなたにはタマの戦争は無いぞ。掃除進めただけタマの戦争軽くなるぞ。一人一人の問題でござるぞ。そなたが助かる唯一の方法は、内の戦争をやめることぞ。人を助ける唯一の方法は、そなたが真釣りに戻ることぞ。内の戦争なければ、外の戦争はないぞ。身魂の戦いがココロの葛藤、現界の戦いを創りだして居ることに気づかず、戦争は善くないからしてはならん、悪いことは迷惑だからしてはならん、人のものを壊すのは善くない等と道徳や倫理なる戒律を創り、それを破れば魔釣りの世の悪人でござるから、多くの者がそれを守る善人を演じて居るから、戦争にならんだけでござるぞ。悪を裁くそなたが悪を形にしておるのぞ。軍隊の戦争が、形の殺し合いがないから、今の世が平和であるなどとタワケたことを申して居る身魂には、本当の平和が何であるか、本当の戦争がいかに恐ろしいか、最後の最後の大掃除で身を以て教えてやるからその時まで控えておれ。そなたが戦争避けても、最後の戦争は避けられん。掃除終わるまでは死しても続く戦争ぞ。最後の最後の戦争は怖いぞ。
P71
 この方が何を申しておるのか分からんと申す者は、この方の申すことを疑ったり裁いたりして居る者は、魔釣りの創る内なる戦争にまんまとはまっておるぞ。どれが真コトだか探してもそなたの外には答えはないぞ。そなたの申すことを、この方の申すことを疑わんですべて素直に行動することが真コトぞ。全部分かってからやろうとしても分からん。そなたが分かるところから改心致せばよいぞ。分かるところからどんどん行動してくれよ。そなたがよいと思うことをどんどん実行してくれよ。疑いを捨て、裁きを捨て、価値判断を捨て、そなたが思うところをどんどん実行することぞ。この方の申す通りにやれば何でも分かるぞ。損して怪我して病気して事故して壊してメグリを取って頂くのでござるぞ。生死越えたる大掃除。逃げるところはどこにもないぞ。いい加減に、カン念致してバクにつけよ。この方の内に居るそなたは絶対にこの方からは逃げられんのぞ。

 この方は、掃除進めるために戦争も殺人も許して居るぞ。そなたが裁いて居る、無くそうとして居る戦争は、この方が許しあるからできるのぞ。だからと申して、人を殺して善いと申して居るのではござらん。そなたが外を裁いて居らねば、外の責任に致して居らねば、殺人はござらんぞ。そなたが調和を壊しただけそなたの肉の身を使ってそなたに返して居るのでござる。表面上の犯罪を裁けば、そなたが魔釣りでござるぞ。表面上の犯罪はその者同士のメグリ取りでござるのぞ。悪は悪ではござらんぞ。この方が悪魔だと申す者は、真コトは取れんと覚悟いたせよ。もう善人を演じて居る暇はござらんぞ。いつまでも魔釣りに嵌まっておらずに目を覚ませよ。とまっておる暇はないぞ。悪裁くが悪ぞ。
P72
 第三次世界大戦と申すのは、そなたらのココロが創り出すコントロールゲームのことでござるぞ。眼には見えない戦争でござるぞ。霊戦でござるぞ。眼には見えないがすべて形になっておるぞ。見えておるぞ。制限、禁止、道徳、倫理、教育、躾(しつけ)、議論、裁判等々すべてのすべてがコントロールでござろうが。力や金をもった者が上に行く、上の者が下を押さえて上を保つ。下の者は上に上に上がろうと、他の者などどうでもよく、力を使ってねじ伏せて、騙して取って上に行く。上に上がるは一人だけ。神と人の順番を、人と人の順番に、数字をつかって振り分けて、我善しの身勝手な理屈で、平等も公平もない仕組みを見事に造り上げてしまっておるではござらぬか。悪の形をチェックして、管理して、取り締まって、制限して、自由も公平も無き世となっておるぞ。真釣り戻しの道具の悪を、やると怖いぞ悪人ぞと脅してやめさせて、真釣りに戻す邪魔をしておるのぞ。善悪の善人が創りだすニセの平和でござるぞ。そなたらの良心と申すのは、善悪の善の心のことでござるのぞ。真コトの良心と申すのは調和創る神の心(良神)のことぞ。
P73
 そなたらの造り挙げた世では、神頼みしても勝つのは一人。勝たねば人生の終わりでござろうが。一度負ければ、一度落ちれば、一度失敗すれば、二度と上がれぬ世でござる。競争、比較の相対勝ち負けゲームでは、全員勝てるわけはなし。軍隊使った戦争が戦争ではないぞ。表面上では平和、平等、公平と申して、我が勝とう、我が上がろう、我だけ得しようと我(われ)善しの心の戦いをしておるのに気づかんのか。人のためと申して、己の善悪で人の申すこと、人のすることをコントロールしておることに気づかんか。この方をそなたの善悪で裁いて居るのに気づかんか。マコトは本音を出したい者同士が、本音隠して建前演じ、騙しあい、探り合いの疲れる遊びをいつまで続けるのじゃ。あなたの為だと申して、真コトと申して魔コトの愛、優しさ、思いやり等で騙し騙され脅し脅され、人を落として自らが上がる、一〇〇%の成功は無理だと勝手に決めて自ら諦めて、人を動かし自らは楽をする、誰も成功しない、全員潰れの魔釣りの遊びでござるのぞ。我善しの天国は地獄の世の茶番。

 そなたが善悪創れるのはこの方が居るからぞ。そなたが悪を裁く基準はそなたの善悪でござるぞ。善悪もつことが悪ぞ。善悪で戦えば、調和などござらん。そなたの内で戦争をしておりては、外の平和など永遠にできはせんのぞ。いかなる理由をつけようとも、魔釣りの世の善の理屈をツベコベ申して善人を演じて悪裁く、そのこと自体が悪でござる。そなたが言い訳するほど、正しさを主張するほど、正義を語るほど、自らが悪人である証明でござるのぞ。真釣りの調和の身魂から見れば、丸見えの臭き魔釣りの一人芝居でござるぞ。「そなたが悪く言われてはそなたが困るからやめろ」とそなたが人に申すのは、マコトに困るのは、その者が悪人になっては自らの評価が下がるそなたでござるぞ。人のためと申しておりて自分のためでござるぞ。そなたらの魔釣りの世では、「人のため」と申すのは「自分だけのため」でござるのぞ。
P74
 そなたらは、お互いをコントロールしあって自らの夢だけを果たそうとしておるぞ。人のすることやめさせて自らだけ自由になろうとしておるのぞ。そなたら自らがつくった悪を裁いて、都合の悪い厄を祓って、ますます悪を栄えさせ、栄える悪を裁いてどんどん自らのクビをしめておるのにまだ気づかんのか。自らつくった悪裁く、調和乱す悪の中の善悪のただの戦争ゴッコでござる。神の世の悪人が善人と名乗って自らの論理でつくった悪を裁く、自業自得の茶番劇でござるぞ。悪神もこの方が生んだ神であることをお忘れなかろうな。そなたらの身欲を解(ほど)く御役を背負った真コトの神でござるのぞ。そなたらの内に悪あれば、その悪を外に見せる御役の神でござるのぞ。自ら善人のふりをして楽をしておる者には、悪を見せて改心を迫るしかなかろうが。そなたに不都合創って改心迫るしかなかろうが。自然と調和すると申すが物質の自然ではござらんぞ。至善とは神のことでござるのぞ。物質の自然は後少しで終わりでござる。そなたらが物質の自然と調和しよう、自然破壊を戻そうと申すことが既に自然ではござらんぞ。取り違えなさるなよ。
P75
 そなたの善悪和するため許されある悪を裁くことは、自らを裁くことでござるぞ。神を裁くことと同じでござる。神を裁いては、そなたの平和も自由も天国もござらんぞ。すべてのすべては神が人を使ってさせておるのぞ。そなたらは神が居らねば何もできんのでござるぞ。そなたに悪なければ悪はそなたには関係無きことぞ。そなたが悪なければ悪に巻き込まれることはござらんぞ。そなたに悪あれば現(こ)の世でどこに逃げても無駄でござる。そなたが幽界に居れば、どこへ逃げようとも悪の部屋の中でござるぞ。霊界の動き通りに現界に現れておるのぞ。知らぬはそなたばかりなり。悪神を悪と裁くから悪が形になるのでござるぞ。いつまでも悪の教えに囚われておらずに、いい加減にご自覚召されよ。本来なれば、そなたが自ら気づくべき真コトの答えをこの方がすべて教えて差し上げるのでござるから、もう知らんとは言えんようになったから、逆らう者には厳しく致すぞ。素直に従う者は楽になっていくから頑張りてくだされよ。万古末代一度こっきりの最期のチャンスでござるのぞ。ここをはずしては二度とはできん。永遠のイノチを育む最後の最後のチャンスぞ。そなたの長い人生(神生)で一度くらいは真コトのご苦労をしてくだされよ。神の生き方をせねば、もはや新しき生はござらんぞ。「神生」が「新生」の素ぞ。

 この方、そなたら真釣りを外したお子たちに、踏みつけられても悪者にされても何をされても今まで耐えに耐えてこの時が来るのを待ちに待って居たのでござるぞ。今までの世の魔釣りの教に囚われてアレコレと屁理屈を申す者、ありえん、信じられん、マユツバだ、バカゲてる、ウソだ、マヤカシだと申す者は、それはそれで構わんぞ。そなたがどうするかという答えは最後に出せばよいから、いちいちハラの立つことも多いと思うが、許せんこともあると思うが、ムカツクこともあると思うが、子の行く末を案じる、真コトの親の親心に免じて、暫くの間辛抱して聴いてくだされよ。今度だけは、ツベコベ申さずに、反論したいであろうところを、文句の一つも言いたいところを、ちょっとの間棚上げしてもらって、騙されたと思って、最後まで黙って聴いてくだされよ。神、頼んだぞ。
P76
 本当にこれが最後の天国への方舟(はこぶね)でござる。最終便の乗船案内、壊れ行く現(こ)の世から、新しい御世、永遠のミロクの御世への旅立ちの最後の機会ぞ。今度の方舟は物質の船ではないから、乗るものを間違えるとトンでもないことになるぞ。乗り遅れればそなたはもう天国には行けん。神のルール、真釣りを外した者は、神のオキテ通りに地獄の御世と共に、消え去る運命でござる。この方の申す通りに素直にやれば、何があろうとマ違いなく方舟の乗船口へ案内してやるから安心してついれござれ。そなたの掃除が今回の乗船切符でござるのぞ。神心を持たん者は、ココロの戦いを持ちておる者は、今までのように天国の世を地獄の世に変えて仕舞うことになるから、今度ばかりは連れて行かんぞ。地獄の身魂は地獄の世と共に消して仕舞うのぞ。そなたの自覚が肝心ぞ。
P76
 これがマコトの最期ぞ。今までと同じと思ったら、このまま続くと思ったら、大マ違いぞ。「後で」はもうないのぞ。そなたらは、今まで、何度も何度も「あとであとで」「今度こそ掃除します」と申して、一向に改心する気配なし。同じことをくり返しくり返してもう後がない、ドン詰まりの最期のガケっぷちまで来ておるのぞ。「先送り」はもうできん。今ここで元の元の神の申すことをうけ入れなければ自滅するのぞ。この方は、もうウソツキのごきげん取りはごめんじゃ。今度の今度は口だけでは信用せんぞ。マコトにおわびするなら、改心するなら、今この時この場から、即態度で示せよ。オオカミ少年を続けておるとだれもきいてくれんぞ。⦿無き者に天国なし。
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 今までの旅立ちとはちがうのぞ。この方は、全員に案内状を出しておるぞ。全員の指定席を用意しておるぞ。乗るか乗らんかはそなた次第。いつまでも悪の仕組みに駄されて居らずに、いつまでも地獄で遊んで居らずに、早々に天国への旅支度を始めるがよいぞ。いつまでも地獄のゲームを遊んで居る者は乗船できんことになるぞ。最後の最後で気づいても掃除が間に合わんから、ギリギリで改心してももう遅い。いくら神を拝んでも、金をもって来ても無駄なことじゃ。今度の舟は掃除無き者は乗れん。祈りでも瞑想でもカネでもヨイショでも乗せんぞ。今から始めてギリギリの者がほとんどでござるぞ。どんなにたくさん乗り遅れても、これが誠の最終便ぞ。キャンセル待ちはできんぞ。ギリギリで出航する最終便でござる。臨時便は運行せんから、全員の指定席を用意してござるから、この方の申すことを素直に聞いて、くれぐれも最終便に乗り遅れんようにしてくだされよ。



元つ神からの最期の艮のフミ その八

P80
 今までの世は、調和を乱した悪の世でござるぞ。このまま続けば世界丸ごと全滅ぞ。神の世は時空ないから、ミロクの世は既に出来て居るから、ミロクへの仕組みは出来て居るから、この方は何の心配もござらんが、全滅では可哀相ざから、マコトを望む者も居るから、最後のフミを出して一人一人の改心を助けるのでござるぞ。この方は、ミロクの世をすでに用意して居るから、ミロクの世への掃除の仕組みは動かんから、ツベコベ申すそなただけが死ぬぞ。そなたらは、この方の仕組み通りに、この方の計画通りに、この方の造りた世界を時間を追って辿って居るだけでござるのぞ。ツベコベと屁理屈申して不調和をまき散らす者、勝ち負けや戦いや善悪やコントロールをする者はもういらんから、そういう身魂は同じアヤマチを繰り返すから、そういう身魂は入れん仕組みを創りて居るのぞ。そなたがどんなに神頼みをしようとも、真コトなければ許さんから、覚悟致せよ。

 疑うが魔釣りぞ。責めるが魔釣りぞ。疑うほど疑いが真実になるぞ。疑うほどウソに見えるぞ。信じられんようになるぞ。外を探せば外に見せるぞ。外を探しても偽物ばかりでござるぞ。そなたが真コトをサニワできると申すならば、そなたは真コト持って居る。真コトを持って居るのに外を探すとは如何なることでござるのか。そなたが真コトと申すのは魔コトでござるぞ。真コトあれば外は何も関係ないぞ。どっちが本物か、どれが誠の神かとやって居るそなたは魔釣りでござるぞ。そなたは真コトの神知らずに何故に真コトの神が分かるのか。真コトの神を知っておれば、分からんことは何もござらんぞ。そなたがよいと思うことを一つ一つ疑わずにやれば、真コトのこの方がすべてを教えるぞ。そなたが見たものを疑わんことぞ。そなたの回りの者全員が違うと申しても、悪魔だと申しても、今まで教えられなかったものでも、あり得なかったものでも、キチガイと言われてきたものでも、そなたが見たもの思ったものが真コトでござるぞ。魔釣りの者から見ればこの方は悪魔に見えるぞ。破壊の神に見えるぞ。この方に従うそなたも悪者、キ違い、非常識に見えるぞ。自らに素直に動いてアホだと言われるほどそなたは真コトの民でござる。
P81
 今までの魔釣りで壊した世を創り直すのぞ。壊して整地して新しく創り変えるのぞ。今の物質の世のままではござらんぞ。別の組成の物質で初めから創るのぞ。正確に申せば、既に出来ておるのぞ。そなたらから見れば出来るのでござるぞ。変わるのでござるぞ。破壊は再生でござる。そなたの目の前の出来事だけを被害者の眼で見て居るから破壊に見えるのぞ。大きく見れば破壊も再生もござらんぞ。壊すのは正神ではないと申す者、そなたは悪魔の使いでござるぞ。取り違いはなはだしいぞ。魔釣りの神に見事に騙されて居るぞ。破壊するものを悪魔だと断じるそなたが悪魔でござるぞ。そなたが魔釣りの神に騙されて、この方の調和の世を壊しておいて、破壊を悪と申すとは何事でござるか。そなたがしたことが破壊でござるのぞ。そなたが壊したからそなたに戻って居るのでござる。そなたがそなたを破壊する、そなたがそなたの加害者でござるのぞ。被害者はこの方ぞ。
P82
 真釣りの神に奇跡はないぞ。超能力は要らんぞ。魔法は要らんぞ。この方がつけばそなたが思う通りに形に成るからぞ。そなたが奇跡を欲しければ、一度に楽をしたいならば、それも外に見せるが、そなたが魔釣りを進めた分、戻るのがきつくなるぞ。霊がつけば病気治しもできるが、そなたのしてきた魔釣りの型示しを、霊に頼んで一度に楽に抜けようとするならば、倍になってぶり返すぞ。そなたの病気は魔釣りの型示しでござるから、そなたが魔釣りで壊しただけは、痛みや苦しみを辛抱してくだされよ。そなたがしただけ返せば直してやるぞ。そなたが一生病気でござりても、障害者でござりても、そなたの身魂から見れば一瞬のことでござるぞ。それでそなたの真釣りが戻せるのでござるぞ。そなたの永遠のイノチを得るための、ほんの僅かの痛みでござるのぞ。このくらいの辛抱ができなくてはミロクの民とは申せんぞ。何でもかんでも人間の視点で見るから苦しくなるのでござるぞ。人間の五〇年は神から見ればチョンでござるぞ。

 自ら作った魔釣りの型示しの病いや怪我や損や苦を、早く楽にしようとするそなたは、自らの魔釣りの意味を分かっておるのか。楽に成るのが何故悪いと申すそなたは、真釣り外しをして居るぞ。そなたは神の掟破りでござるぞ。掟を破ったその結果がそなたの苦でござるのぞ。早く楽に成ろうとなさるのは、法律違反をした者が、早く刑務所を出ようとして居るのと同じでござるぞ。そなたの真釣り戻しが先ぞ。真釣り戻せば身魂は真コトでござる。そなたが真釣りに戻るほど、そなたは外の何にも頼らずに、何でも自分でできるようになるぞ。お互い満たし合いで嬉し嬉しで遊べるようになるのでござる。何でもかんでも自らの思い通りに形に成るのでござるぞ。たとえ肉の身が壊れても、身魂が真コトでござればミロクの服が着られるぞ。形の善悪良否美醜は関係ござらんぞ。
P83
 ミロクは真コトの世でござる。肉の身で魔釣りの神の化身を演じて居りて、外を操作できたとしても、身魂が悪でござればそなたにミロクはござらんぞ。魔釣りの神も何でもできるから、真釣りの神とは神一重、外から見ては見分けがつかん。魔釣りの神は恐れを操作して外を動かして思い通りにするぞ。真釣りの神は何もせずとも思い通りのものを作りだすことができるのぞ。魔釣りの神がつけば、偉ぶったり、コントロールしたり、やたらに口出ししたがるぞ。真釣りの神がつけば、人に口出しせんでも、欲しいもの、欲しい人が向こうからやって来るぞ。そなたの申す通りの神がつき、そなたの申す通りになるのでござるぞ。そなたがどの神を釣るかで真釣りになるか魔釣りになるかでござるのぞ。魔釣りも真釣りもマ釣りでござるが、全くアベコベでござるからご注意申し置くぞ。楽しよう、得しよう、早くしよう、上に上がろうとするそなたの心が魔釣りの神を呼び込むぞ。

 この方がつけばうまくいって当たり前でござるから奇跡はござらんぞ。何でも自分で出来る普通の者に戻るぞ。奇跡や予言や超能力を得たがる者は魔釣りの神がつくぞ。真釣りに戻ればすべてのすべての仕組みが見えてくるのぞ。死後の世界もミロクの仕組みも、霊界の仕組みも、マ釣りの仕組みも、人間の心の仕組みも、掃除の進み具合も、身魂の世界の状態も、すべてのすべてが見えてくるのぞ。透視能力とは、肉体の中を見ることではござらんぞ。すべてを見通す眼のことでござるぞ。第三の眼と申すのは、神の仕組みを見るレントゲンでござるぞ。自らのことをすべて分かる眼のことぞ。そなたが真釣りを戻せば至善に身につく能力でござるのぞ。元々そなたが持って居る能力が戻るだけでござるぞ。わざわざ開発してもらわんでも宜しいぞ。元々が真釣りの身魂であるそなたらに分からんことがあるのがオカシキことでござるのぞ。そなたが魔釣りをやめればよいだけでござるぞ。真コトの修行と申すのは、自らの日常生活通して真釣りを生きることでござるぞ。
P84
 物質文明を批判する者、戦争を批判する者、肉食を避ける者、偏りある者すべて悪でござるぞ。今そなたの回りにあるものは、そなたも含めてすべてこの方のものでござるのぞ。この方の資源を使って、この方の世界の中で、そなたらが創りだしたものでござる。そなたの肉の身も、そなたの希望通りのものをこの方が用意したレンタルボディーでござるのぞ。性別、誕生日、身長、体重、視力、聴力、運動能力、病気、障害、境遇等々、そなたの身魂の穢れを掃除するのに最も適した体、家族、人間関係、出来事を体験できるものを用意してあるのでござるぞ。自らが創ったものを自らが裁く、この方の創ったものを悪と申す、そなたが悪の世を進めた張本人でござるぞ。そなたがそなたを裁いておるのでござるがお気づきでござろうか。今の物質の世でミロクの世界を創ろうとしても無駄でござるぞ。そなたらは二一世紀の生き方と申してアレコレと申して居るが、今の物質の世界ではそなたの夢は実現せんぞ。誠の調和の世は、元の始源のゼロの世に、戻さなければ実現しないものでござるのぞ。一度壊したこの世界、元の至善に戻せると思っておられるのでござろうか。魔釣りは大掃除、最後の最後は真コトのものも一旦はお召し上げでござるぞ。ミロクの道具に交換するからでござる。そなたの語る夢の世界はミロクで実現するものぞ。ミロクの世は組成が変わる新しい世界でござるのぞ。今のままでは出来もしない夢を語るのは一旦に棚上げて、今あるものを使って早う身魂の掃除を始めなされよ。
P85
 この方の申すことを知っても安心致すなよ。知っただけでは知識でござるぞ。信じるならば疑いはありもうさん。疑うか信じるかでござる。信じているが、と申す者、疑っておるぞ。でも、だけど、だって、分かってるけど等とコロコロ変わっておるぞ。信じるのか疑うのかどっちか一つにしてくれよ。ずっと魔釣りかずっと真釣りか、そなたの人生全部をどっちかにしてくだされよ。真コトを知っても疑いあれば、そなたは魔釣りの者でござるぞ。疑うと魔釣りの神がつくぞ。ますます疑いを抱くぞ。そなたは疑いの現実を真実と思い込むことになるぞ。ウソをマコトと取り違えるぞ。そなたのココロの通りの神がついて現実を創るのぞ。そなたが見ている現実はそなたのココロの持ち様が創ったものぞ。偶然は一つとしてござらんぞ。そなたが正しいと思うものが見えて居るのぞ。戦争が悪ではござらんぞ。戦争を裁くのが悪ぞ。そなたに悪なければ、戦争はそなたとは関係無き事ぞ。そなたが疑うから疑いが次々に見えるのぞ。そなたが見たいように見えるのでござるぞ。そなたが見て居るものはそなたの創った現実ぞ。そなたの現実を理由にして自らを制限すれば、その現実の中にとどまるぞ。できない、無理だ等と申せば永遠にできないぞ。そなたが疑えば永遠に疑うことになるぞ。そなたが疑うほど、そなたはどんどん分からなくなるぞ。どんどん混乱していくぞ。そなたが心に浮かんだことを、いいのかどうかと聞くことは、そなたを魔釣りに誘う疑いの心ぞ。そなたの答えが正解でござるぞ。
P86
 この方は被害者を演じて居る者から見れば破壊の神に見えるぞ。この方は殺人も戦争も略奪も事故も怪我も病気もすべて許して大掃除するのぞ。悪を全部出して、全部見せて、しただけ苦しめて大掃除するぞ。最後は心の世界の善悪をすべて一気に外に出すぞ。健康にするのが、守るのが、治すのが、大事にするのが、優しいのが元の神ではないぞ。取り違い致すなよ。自らが調和乱して壊しておいて、神から頂いたものは大切にせよと申しても、偽善でござるぞ。そなたが今まで壊した分は、そなたの持ち物を壊して戻すのぞ。そなたの持ち物はそなたのものではござらんから、文句を言われる筋合いはござらんぞ。そなたが真釣りに居れば、この方は何でも好きなだけうれしうれしをお渡しするのでござるぞ。自らが魔釣りで世を壊しておいて、神が苦しいものをくれたと文句申すのはいかなることでござるか。壊して壊されてお互い様ぞ。そなたの体は痛めるが、そなたの身魂は痛んでござらんぞ。そなたの体を傷つけるとそなたの痛みとして感じるように肉の宮を創りてござるのじゃ。自らの身魂を傷つけられたと勘違い致すなよ。そなたの身魂は苦しみ痛みを感じておるだけで、そなたの身魂が痛んで居るのではござらんぞ。人を傷つけた、人のものを壊したと申す理屈は通用せんのぞ。始めの調和を壊したのはそなたでござるぞ。偏らせたのはそなたでござる。偏った分揺り返しが来てバランスを取るのでござろう。
P87
 そなたが真釣りに戻しても、暫くの間は、したことを返すまでの間は、今まで責めた分は責められるぞ。今まで壊した分は苦しいぞ。そなたがしたことでござるから、受けてくだされよ。段々と楽にして差し上げるから、辛抱せよ。どんなに苦しくても痛くても、すべては自らの招いたことでござるのぞ。そなたの身魂は痛んで居らんから安心いたせよ。そなたの見た目の体や肉の身の出来事は、そなたの魔釣りを真釣りに戻すための揺り戻しのためでござるぞ。そなたの肉体がどんな酷き状況になっても、そなた以外の者が肉の身を離れても、そなたらの身魂は壊れておらんから、自らを壊されたと勘違いなさるでないぞ。そなたらが真釣りでござれば、そなたらは痛みも苦しみも感じないのでござるぞ。そんなことは信じられんと申すのが真釣り外しの証拠でござるぞ。そなたは痛みを感じて居るから、真釣りは戻して居らんからな。真釣りに戻ったら、嬉し嬉しの天国ぞ。

 そなたらの病の元は身魂の真釣り外しでござるぞ。医師を責めるでないぞ。そなたらはガンを薬でやっつけてワザワザ副作用なる苦しみを創りだしておるが、肉の命を助けるのが善いことじゃと理屈をこねて本人が希望しておらん治療を強制的にして居るが、一人一人の身魂相応の痛みを体験すれば、そなたらは楽になれるのでござるぞ。自然治癒力と申すのは、この方の力でござるのぞ。肉の怪我や病気が治るのは、この方の力でござるのぞ。そなたらに起きることを辛抱して体験すれば、痛いなりにも最も軽く掃除が済むのでござるぞ。早く直そう、痛みから逃れよう、形を修繕しようとなさるから、元の身魂は汚れたままで肉の修繕をするから、いっこうに病気も怪我も無くならず、何度も何度も自らで苦しみを創りだしておるのでござるぞ。医師が治療しても、宗教家がお祈りしても、結局最後はこの方に任せることになるではござらんか。自然治癒力と申すが、ハッキリ説明できる者は居るか。そなたは身魂でござるから、この方がそなたらの肉の身をマ釣って居るから、そなたらには生死のコントロールは出来んのぞ。魔釣りに生きて、肉の身を自らそのものじゃと勘違いして居る者には、この方のして居ることは不思議以外の何ものでもないでござろう。この方を忘れて、人間だけで何とかしようとしても、無駄でござるぞ。
P88
 身魂の病気の結果の肉の身の病気を医学だけで直せると思うておるのか。身魂の障害を医学でリハビリできるのか。医学だけで、宗教だけで、身魂の永遠のイノチを助けられると申すのでござろうか。霊と体の関係が何も分かっておらんそなたらに、誠の援助や誠の修繕は出来は致さんぞ。いい加減にアタマを下げて、この方におイノチを預けなされよ。そのままでは本当に誠にそなたらが死んで仕舞うぞ。天国も地獄も無くなるぞ。身魂の真釣り外しは医師にも宗教家にも教師にも親にも直せん。魔釣りの学問で学んだカウンセラーや精神科医や魔釣りの神にとらわれた霊能者やセラピストにも直せんぞ。身魂のイノチは人間には救えんぞ。ますます魔釣りが進んでとんでもないことになるぞ。そなたとこの方で痛み苦しみながら、一つ一つ直していくしか道はござらんのじゃ。この者は直接手を下しては直せんが、この方が直々に体験を通して真釣り戻しを教えたトレーナーでござるから、人間の実体験として掃除の要点を知って居るから、ムリなくムダなく取り違い無く、そなたの真釣り戻しが出来るようなアドバイスをしてくれるぞ。この書物は、この者がこの方の意志をそのまま形にしてくれて居るのでござるぞ。そなたがハイハイと全部素直に聴けば、この方と共に一番早く真釣り戻しができるぞ。永遠のイノチに返れるぞ。
P89
 この方のやり方は肉体壊れることもあるぞ。そなたが壊しただけ悪くしてメグリ取って善くなるのぞ。身魂の掃除でござるから肉の世の善悪苦楽にこだわっておりては何もできんぞ。最後の最後は天地苦楽マゼコゼで掃除するのでござるぞ。そなたらの浅知恵では何ともできん三千世界の大掃除ぞ。身魂の掃除と申すのは、生死越えたる病気直し、身魂の障害のリハビリでござるぞ。肉の身だけの病気治しではござらん。結果を治すのではなく原因を直すのぞ。肉体死んでも続く、誠の「根本的治療」でござるぞ。医師は肉の身を離れれば手出しできん。そなたの身魂をずっと世話できるのはこの方だけでござるぞ。この者はこの方に渡すまでのそなたの身魂の掃除を助けてくれるぞ。霊体一如、宗教と科学を統合した、霊能者でも医学者でもない、肉体を通しての身魂のリハビリができる只一人の身魂のトレーナーでござる。この者に直して貰おうとして頼るのではなく、この者から自らで自らの掃除をするやり方を学んでくだされ。最後は医師も救急隊員も掃除するのぞ。救急車も医薬品も無くなるぞ。この者もこのフミも無くなるぞ。早うこの方と繋がらねばそなたのイノチは無くなるぞ。そなた自身で掃除が出来ねばそなたはミロクに行かれんぞ。現代医学では治療出来ん怪我や病気がどんどん現れるぞ。誕生や死はそなたらにはコントロール出来んでござろうが。薬も器具も元はこの方の資源ぞ。資源引き上げられては、そなたの肉の身はこの方に預けるしかござらんぞ。そなたらはどうするおつもりじゃ。
P90
 肉体を怪我した者は身魂を穢した者ぞ。自業自得でござるぞ。けが人や病人をほおって置くのは善くないと申すが、ほおって置くことが最も苦しみ少なく掃除できるのでござるぞ。そなたらの病気や怪我や死は誰ぞが管理して居るのじゃ。元の元のこの方を忘れて、すぐに形の修繕に入るから、わざわざ自らで痛みを創りだして仕舞うのぞ。薬害を創りだして仕舞うのぞ。自ら作って人の責任に致すとは何事でござるのか。至善とは手を加えないことでござろうが。見ておれんからと手を出せば、もっと苦しくなるのでござるぞ。病気も怪我も喧嘩も同じでござるぞ。手を貸すことも手を下すことも至善ではござらんぞ。本人が治療はいらんと申せばそれ以上手出しするのは至善に反して居るぞ。肉の命を助けることは身魂のイノチを助けることにはならんぞ。生かす者はどうあっても生かし、死なす者はどうあっても死なす、それが身魂の掃除でござるぞ。死んでも続くから、肉の生死は関係ござらん。肉死んで身魂生きる者も居るぞ。肉の身で苦しむ者も居るぞ。厳しいようじゃが、魔釣りを真釣りにせねば、身魂の掃除をせねば、永遠のイノチが無くなるのでござるから、肉体の生死にこだわっておりてはマコトに取り返しがつかぬことになるから、誠に可哀相なことになるから、この方、鬼になって申し置くぞ。
P91
 そなたのココロ次第でどうにでもなるぞ。魔釣りの神も最後のアガキ、この方も最後の救いを出しておる。どちらをマツルかはそなた次第。そなたの身魂が永遠のイノチに生き返る、最後の最後のご苦労でござるぞ。この方の苦労は実を結ぶぞ。魔釣りの苦労は仇花を咲かすぞ。仲良くするのが調和ではござらんぞ。一人一人が自らの内の悪を和すのが調和ぞ。疑わぬのが調和ぞ。一つぞ。統合(十合)ぞ。統一ぞ。神人和合でござるぞ。そなたがそなたの真釣り外しをすべて戻したならば、そなたに疑いはなくなるぞ。恐れや不安も無くなるぞ。過去も未来も消え去るぞ。そなたの病気や怪我は無くなるぞ。すべてのすべてが今に見えるぞ。今の今にやすらかなそなたが居るぞ。

 この方は、今までの不調和を、ルール違反をお詫びして、自らご苦労致して改心した者だけをミロクへ連れていくから、よくよく考えて決めろよ。そなたがミロクに行きたくないならば、苦しいから掃除をしたくないと申すならそれならそれでも構わん。最後の最後は大掃除を致すが、そなたには到底耐えられんことになるから、その積もりで居れよ。そなた一人がいなくても、ミロクの世はできるから、ミロクの世を創る手伝いをする身魂はすでに居るから、この方は痛くも痒くもござらんぞ。この方の計画に従って掃除させた身魂が控えて居るぞ。元つ真釣りのこの方がしっかりと守護してござるから、魔釣りの神の力をもってしても邪魔はできんぞ。今回、人間としてこの方の大掃除の直接の御用をする身魂は、そなたらが魔釣りで浮かれて居った時から、そなたには耐えられんようなご苦労をして時節来るのを待って居りた強き身魂でござるのぞ。この方がこ度の御用の為に産み生んだ因縁の身魂でござる。苦労した分お陰も大きいぞ。ミロクの世に行くか行かぬか二つに一つ、そなたが自身の行く末を、自ら決める時節となりたぞよ。
P92
 どうあっても今までの世が正しいと申す者、取り合いが基じゃと申す者、この方の申すことウソだと申す者は、そなたの勝手に致せば宜しいぞ。今今の世の人民は、善悪創って、悪裁いて、善悪を教育して、善人のフリをして、マコトの者を悪人に致して、平和を創っておる平和を守っておると勘違いして居る大バカ者ばかりでござるぞ。軍隊使った戦争を批判して居るそなた自身が心の戦争をして居ることに気づかんのか。そなたの心の戦争が、口論を、暴力を、犯罪を、軍隊の戦争を、核爆弾を創りだしたのぞ。自らを批判して居るのと同じことでござるぞ。自分と自分の戦争をして居るのぞ。一人芝居でござる。いつまでも戦いをしておっては、平和も調和も自由もできんぞ。簡単な道理ではないか。そなたらが壊した物質の世界はもう元には戻らんから、こうなることは始めから分かっておりたから、この方が全く新しい遊び場に交換して、ゼロから平和を創る仕組みを構えあるのでござるぞ。いつまでもこの世が続くと思って居ると取り返しのつかんことになるぞ。いつまでも魔釣りの神にとらわれて我善しをして居らずに、いい加減に目を覚まして、この方の申す通りに素直にやりなされよ。
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 悪の世の常識が正しいと申す者、悪魔の使いでござるぞ。いつまで続けるお積もりか。戦い抜けた積もりになって、神を使ってコントロールして居る者は、改心致せよ。誠の神には戒律はござらんぞ。誠の神の何たるかを知らず、肉体の病気治しや霊視や超能力がこの方の力じゃと取り違いして居る霊にとらわれた身魂が多いのう。そういう身魂にこの世を任せても再び同じ世界を創るから、ミロクへは入れんぞ。神から人まですべての世界、三千世界を塵一つ残さぬように掃除してしまうから、今度ばかりは掃除無き身魂、そなたらの居るところはどこにもござらんぞ。この世がミロクに入れ変わるのぞ。すべての世界が元つ真釣りの統べる世となるのでござるぞ。そなたが戦いをしておるならば、そなたは消え去るぞ。この方の響きに吸収して仕舞うぞ。そなたと申す身魂はいなくなるからそなたにはミロクの世はござらん。これが誠の死でござる。そなたが望んでおる理想郷、永遠の天国は幻となるぞ。自ら天国を手放すことになる。今までご苦労様でござりたな。どうぞ安らかにお眠りくだされ。誠の永遠の眠りぞ。二度と生き返ることはござらんぞ。
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 この方の申すことを素直に聴いて、マコトに戻った者だけが、ミロクの御世を手にすることができるのぞ。悪の世で手に入れたカネや地位や名誉や立場や世間体にしがみつく者は、この世界と共に消え去る運命ぞ。この方の申すことがウソだと申すならばそのままいつまでも続けて構わんぞ。段々にそなたらにも分かるように形の掃除が進んで行くから覚悟しておれよ。後で気づいてももう遅いから、このことも知らせて置くから、いざとなってこの方にすがりてきても、真釣り無き者はどうにもならんぞ。どんなにお詫びをして来ても、無駄なことでござる。知らなかったとは言わせんぞ。早く真釣りに戻らんと、この世と共にそなたの身魂の人生も終わりでござるぞ。今度ばかりは真コト無き者は、生まれ変わることはできん。そなたの人生、今世で最後でござるぞ。天国目指して来た者が、最後の最後に取り違え、誠のイノチの火を消すことになるぞ。長い間ご苦労であったな。最後の人生、せいぜい楽しむがよいぞ。但し、最後の最後の大掃除はキレイサッパリしてもらうから覚悟いたせよ。最後で改心致すのは至難の技でござるからその積もりでな。

 真に真コトを望む者は、魔コトの回りが何と申しても、そなたの真コトを貫けよ。人のマコトにちょっかい出さず、アホだ、気違いだ、悪人だと言われても、無視されても、叩かれても、勘当されても、この方がついて居るから、そなたは安心してござれ。そなたの仲間は沢山居るから、そなたのしただけの苦労は返してくれよ。そなたの真コトを裁く者は真コトに反する者でござるから、今までの常識はすべてが逆でござるから、すべて無視して宜しいぞ。外野の声に惑わされずに、自らのマコト貫くご苦労が、そなたのイノチの素となるのぞ。悪を裁く心は悪の心ぞ。そなたを裁く者が居ってもそなたはその者を裁くなよ。何があっても真釣りを貫けよ。善で悪を裁く者、善悪に分裂して居る本当の精神分裂病の身魂ぞ。善悪持つことが調和乱す悪ぞ。善悪の善人は、自らは善でござるから、悪は避けるぞ。自らは悪ではないと申し続けるぞ。悪避ける心が魔釣りでござるぞ。善悪の善人は調和乱して居るとは思っておらん。人の魔コトに口出さず、そなたが真コトを通せばよいことぞ。そなたが真コトの道を生きることが魔コトの者の模範となるのぞ。
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 この方の真コトと申す食べ物は、始めは不味いが、だんだんと美味しくなるぞ。段々と癖になってやめられなくなるぞ。今のそなたは魔コトを食べておるぞ。真コトを食べねばどんどん腐っていくぞ。魔コトを食べるほどそなたは腐ってゆくのでござるぞ。腐るもの食べてどうするぞ。霊の食べ物とはマコトのことなり。真コトを食べるか魔コトを食べるかでそなたの道が決まるのぞ。霊の食べ物を無視して体の食べ物にこだわるのは悪ぞ。そなたが魔コトを持って形の食べ物をアレコレ申しても、菜食をしようと肉食をしようと同じことでござるぞ。料理の味は食べてみて初めてわかるのでござるぞ。形だけを見て旨いとか不味いとか申して居ると、そなたは天国の料理を食べられんぞ。

 料金が高い安いと文句を申す者、神の御用で金を取るのは嘘だと申す者、魔釣りのアヤマ知に騙されておるぞ。この方の申すことを破壊の悪魔の申すことだから聴くな、聴いたら地獄に落ちてしまうぞ等と申す者が居るが、その者の申すことを聴けば、地獄どころではなく消え去ってしまうぞ。外の者を善悪する者は、その者自身が善悪持つ身魂でござる。善悪持つ者の申すことを聴けば、そなたも善悪持ちつづけることになるのでござるぞ。そなたは死んでもこの方の中でござるぞ。死後のそなたがまた死んでもこの方の中ぞ。その次のそなたもその次も永遠に続くのでござるぞ。魂の魂もあるぞ。神の神も居るのぞ。最後はこの方でござるぞ。神の祟りなどござらんぞ。そなたが祟りを怖がるから、祟りが見えるのぞ。そなたの恐れを見せるため、外に恐れが出るのでござる。すべてはこの方の許しあるのぞ。悪あるのはそなたらの悪を見せるためでござる。悪見せて悪あることを知らせて改心させるためでござるぞ。そなたが悪持てばミロクの民にはなれぬからな。
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 肉の眼で見える表面だけを見て、悪だとか醜いとか不幸だとか申しておると、そなたはますます不幸になるぞ。そなたの持つ悪を掃除せねばそなたに天国はないから悪を見せるのでござるぞ。外を悪裁けば先に行くほど悪がますますそなたに近づいてくるぞ。ミロクに近づくほど光が強くなるから、そなたの影が濃くなる道理。今のそなたから見れば不幸でござるが、それはそなたに原因があるのでござるぞ。そなたからどう見えようと、すべてそなたをミロクへ誘うための道具でござる。不幸が来るのはそなたが不幸の種を持っておるからぞ。そなたの蒔いた種を引き受けておるだけぞ。そなたが今まで蒔いたすべての不幸を体験すれば、そなたは幸福になるぞ。幸福が、喜びが神ぞ。そなたは悪が嫌だから、悪い事を避けようとするから、悪が来るとすぐこの方のせいにするが、すべては自らのしたことではないか。悪を神の祟りと勘違いしておるぞ。そなたが調和ならば、真釣りならば、悪は見せる必要はござらん。内に悪なければ悪は体験せずともよいのでござる。
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 そなたは死を不幸と思っておるが、そなたの身魂が肉の服を着て居るのがそなたら人間でござる。そなたの身魂は生き通しでござる。肉の服を脱いで元の世界に返るだけぞ。そなたが生まれた霊界に返るだけぞ。現界がそなた自身だと思って居るから死が怖くなるのぞ。そう思って居るのは霊界のそなたでござるぞ。霊が思った通りに体で体験するのでござるぞ。霊が先で体が後。そなたが霊の思いを変えなければ、心を変えなければ、そなたの体験は変わらんぞ。そなたが死を怖がるから、死でコントロールされるのぞ。霊界が、神が、霊が怖くなるのぞ。悪魔や悪霊を創ることになるのぞ。そなたがそなたを怖くして居るだけでござるぞ。そなたはもともと霊でござるぞ。自らを怖がってどうするのじゃ。

 自らの外を裁くことは自らを枠に入れることと同じぞ。自らが裁いている外には何も悪はござらん。そなたの持ち物と同じものが見えるだけでござる。悪は悪ではござらんぞ。そなたが悪と決めておるだけでござるぞ。そなたがそなたの外を裁けば、霊界を裁くのと同じでござるぞ。そなたは神界に出なければ身魂が死ぬのぞ。そなたは今今は現界に囚われて居るから、幽界を霊界と思って居るから、誠の神界のことを知るにはこの方の申すことを素直に聴くしかござらんぞ。そなたら人間はこの方とつながって居るから、この方の言葉を伝える者も居るぞ。この方の言葉を人間が伝えても何の不思議もないぞ。人間の肉の身を使って文字と申す形にしてお見せして居るだけでござるぞ。この者の身魂が霊界でこの方と話をして、その話を肉の宮を通して現界のやり方に翻訳して伝えて居るだけでござるのぞ。この方の言葉が文字になっても、特別なことでも、不思議なことでもござらんぞ。この方から見れば、不思議だと思うそなたが、不思議な者でござるぞ。
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 そなたは神の中に居るのぞ。そなたの外に神が居るのではないぞ。そなたが死んでもそなたは居るぞ。死というまやかしに囚われておるとマコトの死が来るぞ。そなたが死を恐れるから動きが取れなくのるのでござるぞ。そなたがこの方を裁けばそなたは枠の中にとどまることになるぞ。その枠を掃除すればそなたはいなくなるのでござるぞ。この方の申して居ることは嘘だから聴くな等と申す者は、自らの信者を取ろうとしておるぞ。この方の申すことを聴くと操作できなくなるからぞ。この方は信者を取る宗教は創らせんぞ。そなたらはすべてこの方の中でござるから、一人一人が自立すればこの方と心で直接対話できるから、そなたらすべてが信者でござるから、全世界の人間がこの方の信者でござるから、この方の御用の者には、一人一人が自らの力で立てるように仕向けるようなやり方をさせて居るのでござるぞ。この方がそのように訓練したのでござるぞ。そなたがそなたの心をすべて正直に認めて素直に動けば、この方のやり方が見えて来るのでござるぞ。
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 この方がそなたを産み生んだ始源の時、そなたはこの方そのものでござったのぞ。嬉し嬉しの調和の身魂でござりたのじゃ。そなたらがそのまま調和の身魂でありつづければこ度の大掃除はなかったのぞ。この方は、そなたらが楽に走るのを分かっておりたから、楽に走れば調和が乱れるから、調和を乱せば滅ぶから、情けと花の仕組みを構え、末のこ度にミロクへ帰れるようにすべてのすべてを仕組んだのでござる。調和乱すが悪でござる。悪が居出来たら悪を形にしてそなたの内に悪あるを見せ、悪を解(ほど)いて調和に戻す仕組みを構えありたのでござるぞ。そなたら人間は、一旦楽に走れば楽を追い続けるから、自らは調和には戻れん。楽に走るから苦を与えて調和乱して居ることを教えねばならんのぞ。楽に走ることが四つ足でござる。四つ足は一度走れば速いぞ。苦と楽に分ければ、分離を始めれば、どんどん分かれ行くばかりでござるのぞ。楽に走れば苦を与えて気づかせる、すべてを調和に戻すように仕組みてござるのぞ。そなたがそなたの調和を乱し、そなたがそなたの苦を進め来て居るのぞ。悪裁くだけ悪が来るぞ。外は内の映しでござるぞ。

 破壊の魔釣りの仕組みはそなたらが楽に走らねば発動致さぬ仕組みでござりたことをくれぐれもお忘れなきよう頼むぞよ。そなたが悪に走りたから、悪が表に出て、そなたの内の悪を見せ、悪あるを自覚して、改心致せば悪は消えるのぞ。調和乱したことを自覚して、調和に戻せば、初めに戻れるようにして仕組みてあるのでござる。そなたらはそうとも知らずに、外の悪を裁いてますます内の悪を進め、内の悪を進めるから、ますます悪が居出来て内の悪を教えることになるのぞ。悪裁けば裁くほど悪が形になるのでござる。悪裁くそなたが悪を創りだして居ることをしかとご自覚なされよ。自らが自らを苦しめて居るのでござるぞ。この方のせいになさるなど、お門違いでござるのぞ。
P100
 この方の申すことを疑うその心が、この方の申すことを裁くその心が、まんまと魔釣りに釣られておる証拠でござるぞ。そなたに悪なければ、外に悪があろうとなかろうと、そなたには何の関係もないことでござる。悪持つ者だけが苦しむのでござる。自業自得の仕組みなり。自らのメグリを自らが得る、一人芝居の仕組みなり。自らが嬉しを与えれば嬉しが返るのでござる。そなたが調和に戻れば、外の悪はそなたとは関係なきことでござるのぞ。身魂にとっては、現界の天変地異や戦争は何も影響ござらんぞ。早よう掃除せねば、最後の最後はそなたの内にあるすべての悪が形になるぞ。そなたの悪を調和せねば、ミロクはないからぞ。天国へ導くためのこの方の誠の愛でござるぞ。優しいのが愛ではござらんぞ。そなたがそなたの苦しみを創って居ることをご自覚召されよ。そなたが悪裁くのをやめるまで、そなたの外の悪は続くのぞ。悪裁いても、悪掃除しても、そなたに悪ある限り、何回でも鏡に映るぞ。悪消そうとすればするほど悪がやって来る。苦しくてもそれはそなたのしたことぞ。そなたの外の鏡を割れば、そなたを割るのと同じでござるぞ。そなたの外を排除するのは、自らを箱の中に押し込めておるのと同じでござるぞ。そなたが排除して居る悪のあるところがこの方でござるぞ。最後はそなたが潰れるぞ。内外逆。
P101
 今までの体の常識では、食べ物を食べて運動してエネルギーに変えて居ると申して居るが、それは霊の常識の型示しでござるのぞ。霊の食べ物は知識でござる。知ったことを行動して智慧と成るのぞ。霊体一つ。霊が食べ物マ違えると体もマ違うのぞ。そなたの動きは霊の動きの映しでござるぞ。まずは霊の食べ物を正せよ。体で菜食をしても、霊で真コトを食べたことにはならんぞ。そなたの本体は霊でござるぞ。そなたの心を一つにすることが菜食でござるのぞ。土は+-、0、この方の型示し。土から上がるものはこの方の真コトぞ。土にはすべての栄養あるぞ。土のまんじゅう。栄養のバランス。この方の申すことを好き嫌い無しで全部食べなされ。魔コトは偏食。真コトは栄養満点。一〇〇点。植物は満たし合い。霊が先で体が後、体は霊の映し。霊の眼ですべてを取れよ。霊の眼で見んと何も解結致さんぞ。そなたが生き方を変えねば、そなたの体験は何も変われん。すべての地震は大掃除の前兆ぞ。繋がって居るぞ。地震起きてから対策しても間に合わん。

 そなたの外に文句を申せば、そなたが思いどおりにできないことを白状しておるのぞ。何でも自ら考えて何でも出来るハズの神成る身魂としては、外に文句を申すなど恥ずかしきことでござるのぞ。分かったらツベコベ申さずに、今そこで出来ることをしなされ。今あるもので出来ることをしなされよ。今あるものでそなたは十分でござるぞ。今まで違うやり方をした結果が、今あるものでござるのぞ。自ら違うやり方をしておいて不足を申すでないぞ。今の今からスタートでござるぞ。今の今が足場でござるぞ。そなたが真釣りを外したから今の状況があるのでござるぞ。すべては自らのしたことでござろうが。今そなたが立って居るところが真釣り戻しのスタートじゃ。天国の道の入口。
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 松茸が男性器と似ておるのは、松茸の値段が高いのは、お土から上がるこの方が先、男が先、この方を生きる者が少ないことの型示し。松は一年中緑の針(神)葉樹でござる。松が枯れるのはそなたらが神を無きものにして居る型示し。この方が枯らして居るのじゃ。松が神、竹が心、梅が体、松竹梅は一つでござる。梅で開いて松で治める仕組みでござる。松は待つ、神はいつまでもそなたらの改心を待って居ったのでござるぞ。神が先、人が後、神がイノチ、人はイレモノ。魂がイノチ、肉はイレモノ。霊が先で体が後、霊の動きが体に現れて居るのぞ。霊と体は一つでござる。体の動きは霊の動き、体の態度は霊の態度。そなたは身魂ぞ。知識の受け売りでは大峠は越せん。知識を生きて智慧にせよ。

 29は肉、服、福、腹、不朽でござる。赤子が初めぞ。そなたらの今の状況は赤子よりは善いではないか。赤子も犬猫と比べれば善いではないか。そなたらは何に不足を申して居るのじゃ。そなたの基は霊でござる。そなたの体はこの方の貸した服。そなたのものなど何もござらん。そなたら人間は肉の服を来た身魂の遊び。土地も資源も樹木も草も山も海も空も魚も鳥も獣も霊も心も紙も金属も札も銭も肉体も、すべてのすべてがこの方のものぞ。所有権争いや遺産争いや被害者ゲームをしておるそなたらはいったい何をしておるのじゃ。ミロク前にはすべてを返して頂くから、その積もりで準備してくだされよ。
P103
 肉の赤子は型示し。霊の赤子、初めの気持ちに戻れよ。初心(神)忘るべからず。そなたの元は霊、0ぞ。そなたはゼロが基でござるぞ。そなたには元々損も得もござらんぞ。そなたの肉もこの方の貸しものぞ。そなたの持ち物はすべて借り物ぞ。肉の宮は元つ神の響きの鎮まれる尊きお宮でござる。そなたの霊の状態が過不足なく現れるぞ。ピタリと現れるように精密に創りてござるぞ。いくら解剖しても何十年研究しても、体だけ見ておりては、病気は一〇〇%治せん。この方は無限でござるから、そなたらが魔釣りをしておればいくらでも病気をお作り致すぞ。ワクチンを見つけたところで、いたちごっこにござるぞ。病気は身魂のメグリのお知らせでござるから、ガンと闘うのは自らと闘って居るのと同じぞ。この方と闘って居るのと同じこと。そなたの肉宮はこの方の似姿。この方の響きの型示しでござるから、低級霊は入れんぞ。霊が話すのは感応するからぞ。霊の世界でそなたが負けて居るから、そなたが人に命令してものを言わせる如く、そなたの口から喋らせるのでござるぞ。その霊の響きのごとく、そなたの言葉も変わるのぞ。その霊がその人間の情報を知って居るのは、その人間の魂と話して居るからぞ。霊には時空はござらんから、過去も未来もすべてを見ることができるのぞ。人間が何ができても何の不思議はござらんぞ。この方から見れば奇跡じゃ超能力じゃ超常現象じゃと大騒ぎして、信じる信じないの議論を為して霊能力を暴こうとして居るそなたらが、マコトに不思議な奴らでござるぞ。
P104
 未来のことをアレコレ予言するのは構わんが、掃除できて居らん者には、どんな未来を教えようとも無駄でござるぞ。かえって掃除の邪魔になるぞ。どんな予言をしようと掃除無き者には関係無き世界でござる。掃除して居らん者が予言を聴けば、予言にこだわってしもうのぞ。予言するなら掃除のやり方も教えねば嘘でござるぞ。掃除のやり方分かった者には予言はもういらん。占いもいらん。すべてのすべては一時の方便ぞ。掃除が無き者に未来を教えても意味が無いと申せば、予言や占いは要らんものになるのぞ。この方に生かされて居る真釣りの身魂には予言など必要ないぞ。超能力もいらん。超能力や霊能力を求める者、そなたはこの方のことが信用できんのか。この方の霊力で生かされて居るのでござるぞ。掃除していけば、一つ一つ見えてくるのでござる。予め知ろうとするのは、真釣り外しの証拠ぞ。ミロクが見えんのは真釣りに生きておらん証。この方のことが分からんでミロクの民とは申せんぞ。掃除終われば、すべてが見えるぞ。そなたがミロクに行けばすべてのすべてが分かるから、予言など必要無きことぞ。この方が一つ一つ見せるから、予言はいらん。未来を知っても掃除なければ、何もならんぞ。そなたが分からん者ならば素直にこの方の申すことを聴いて、ハイハイと実行しなされよ。そなたが分からんから教えてもらって居るのに反論すると申すのは、オカシキことでござるぞ。そなたが一人でできないから、頼っておるのでござろうが。騙されても文句は言えん立場でござるぞ。
P105
 今度ばかりは掃除無き者には地震や津波を避ける手だてはござらんぞ。掃除せねば何を知っても無駄なことでござる。関係無き世のことを知ってもただの知識で終わって仕舞うぞ。将来のことを知っても、ただそれだけのことでござる。真釣りの身魂に分からん九十(こと)があるのはオカシキことぞ。分からんなら素直に話を聞きなされよ。外の者がどんなウソを書いても申しても、そなたが真コトの者でござれば、見分けられるぞ。ウソを申した者を責めるそなたは魔コトに囚われて居る証でござる。自らが真釣りを外して分からなくしておいて、教えて居る者を責めるのはお門違いでござるぞ。そなたが真釣りに生きておれば、人が何を申そうと、魔釣りの神がどんな奇跡を見せようと、そなたには関係のないことでござるのぞ。そなたが真釣りに居ればすべてが分かるから、魔コトの者から何を聴いても軽く笑い飛ばせるぞ。そなたが魔釣りでなければ、このフミもいらん。どんな宗教が出ても、どんな商売が出ても、そなたは騙されることはないぞ。そなたが騙されるのはそなたが魔釣りでござるからぞ。自らが魔釣りに生きて居るのが騙される原因でござる。宗教や霊感商法が悪いのではござらんぞ。騙されて苦しんで損して怪我して死んで真釣りを戻すのぞ。すべてのすべては魔釣りをしておるそなた自身が悪いのでござるぞ。
P106
 魔釣りの者を責めるそなたが魔釣りでござる。被害者と申す者は一人も居らん。自らが自らの加害者でござるぞ。そなたの肉の身がどうなろうと、持ち物がどうなろうと、すべてこの神のものでござるから、そなたにとやかく申す資格はござらんぞ。そなたが魔釣りに生きて居るから、真釣りに戻すために、損したり、怪我したり、死んだりするのでござるぞ。この方がこの方の貸しものを操作してそなたにピッタリのメグリを渡すのでござるぞ。病気を創り、事故を創り、怪我を創り、喧嘩を創り、そなたらの清算をお手伝いするのでござるぞ。そなたが真釣りを外せばお知らせの苦が来るのがこの方の仕組みぞ。そなたを真釣りに戻すためのこの方からのプレゼントでござる。苦を要らんと申すなら、そなたは天国には生きられんぞ。そなたの肉の世界の出来事はそなたのメグリ相応のただのドラマでござるのぞ。善も悪もござらん。そなたがこの方から取ったものをお返しして頂いて居るのに、わざわざ取り返してどうするのぞ。そなたが取っただけまたお返し願うことになるから、そなたがそなたを略奪合戦の地獄に押し込んで居ることになるぞ。

 そなたが魔釣りでござれば、そなたは神のものを取る泥棒でござるぞ。被害を受けた、取られた、傷つけられた、騙された等と申す者は、魔釣りでござるぞ。そなたが勝手に問題だと申して居るのでござるぞ。そなたが勝手に慌ただしくして居るのでござるぞ。そなたが人騒がせをして居るのぞ。そなたが迷惑でござるのぞ。そなたの魔釣りが病気を創って居るのぞ。医師や製薬会社を責めるとは何事ぞ。そなたが魔釣りに居らねば、エイズも医療ミスも薬害もござらんぞ。魔釣りは神の真釣りを外す、調和を乱す犯罪でござるぞ。そなたは被害者を気取っておるが、自らの犯罪を自白して居るのでござるぞ。そなたは何をしておるのじゃ。人を責めるそなた自身がそなたに被害を与えた加害者でござるのぞ。そなたは自分勝手な身魂でござるぞ。ミロクの民にはなれんぞ。国や政治家を責めても何も解結せんぞ。そんなに責めたいならばそなたの魔釣りを責めなされよ。そなたの魔釣りの型示しの苦を責めるならば、この法の仕組みを、この方を責めて居るのと同じぞ。そなたが真釣りに戻るために、この方が与えた試練を、チャンスを潰しておるのはそなた自身ぞ。誠の被害者はこの方だけでござるのぞ。そなたが魔釣りなければ危険はござらんぞ。自らの魔釣りが病気を創っておるのに、自らには何の落ち度も無いと申すなど許しがたいことぞ。そなたのような自分勝手な身魂は死刑ぞ。反省するのはそなたでござるぞ。
P107
 この方はこの方の内の世界をそのまま全部そなたの外に形として見せて居るから、そなた自身で判断せよ。疑っても否定しても構わんが、そなたが不自由のままでござるぞ。そなたの内を全部渡すだけぞ。自らの中で処理せよ。この方の申すことを渡すだけがこの者の役目ぞ。この者は教祖ではないぞ。聴いたらそなた自身のものとなるぞ。この方の言葉を食べたら、そなたのものとなるぞ。そなたがそなたの教祖でござるぞ。すべてのすべてがそなたの責任でござるぞ。そなたがそなたの加害者でござるぞ。すべてそなたが申す通りになるようにつくってあるのぞ。魔釣りに生きるから病気や怪我が出るのぞ。悲惨な被害を創って居るのはそなたぞ。いい加減に目を覚ませよ。謝罪をするのはそなたの方ぞ。自らに被害を与えた者は謝罪をせよと申すそなたは何をして居るのじゃ。そなたがそなたの加害者でござるから、そのセリフはそなた自身に申して居る言葉ぞ。そなたのひとり言ぞ。自らが自らに謝れよ。この方に謝れよ。誠意とは、この方の意志ぞ。議論したい者は勝手になされ。人責めたければ勝手にやりなされ。被害者演じたければ勝手にやりなされ。この方はもう知らんぞ。そなたらが魔釣りをして居るのは真釣りのこの方のお土の上ぞ。そなたらはこの方の体の上で魔釣りのゲームをして居るのぞ。そなたはこの方を踏みつけて悪魔のゲームをしておるのでござるぞ。この方目覚めればそなたらは全員アウトぞ。
P108
 この方はそなたの心に全部出しておるぞ。そなたが自分の心を批判して居るから見えんだけぞ。肉体なくなってもそなたの身魂はOKぞ。ここにあるもの使ってそなたの内を見なされよ。このフミはこの者のアタマの判断は入って居らんぞ。Фから見たらキチガイぞ。非常識ぞ。奇跡ぞ。ビックリぞ。この方はそういうふうに見えることを分かって出して居るのぞ。分からんで出すのが気違いぞ。分かって出すのが天才ぞ。天才は自分のして居ることをすべて知っているぞ。自らが外からどう見えるかすべて知って居るぞ。この者はФ(魔釣り)と⦿(真釣り)を自らの内で比べられるぞ。両方やって居るから両方分かるのぞ。両方やればどうなるか知っておるぞ。片方だけやってツベコベ申して居る者、そなたの魔釣りは丸見えぞ。批判、反論するのは片方だけの証。Фの証。両方見よ。偏見を捨てよ。そなたが魔釣り(Ф)の善にこだわるから、偏見を持つから、自らがしたい悪ができず、裏が見えんから、真コトの善が分からんのでござるぞ。文句を申すならば、そなたの出来ることをすべてやってから申せよ。この方は⦿(真釣り)ぞ。ALL OKぞ。出来ないことはござらんぞ。そなたがしないだけでござるぞ。出来ることをすべてやると申すのは、言い訳をせず、外の責任にせず、悪裁かず、苦避けず、死避けず、病避けず、結果気にせず、自らが善いと思うことをそのまま素直にすべて行動すると申すことぞ。
P109
 この者に反論できないならば、いい加減にアタマを下げて観念して、この方の申す通りに、この者の申す通りに素直にやりなされよ。このフミに書いてあることがすべて分かったならばそなたには質問はござらんぞ。反論もせんぞ。批判も疑いもござらん。反論して居る者は自らのズレに気づいておらん。自らの自分勝手な取り違いに気づいて居らんぞ。この方のフミは霊の眼から語ったものぞ。そなたらとアベコベの視点から語っておるぞ。そなたが体主霊従でござるから、霊主体従になればどういう風に見えるかを書いて居るのでござるぞ。神の世の当たり前を、神の社会の常識を語っておるのぞ。もう一度ゼロから出直せよ。よく読んで、分かるところから実行して、出来ることをすべてやってから文句を申せよ。そなたがこの方の申す通りにすべてやって居るならば、文句も疑問も恐れもござらんぞ。この方はそなたらから見れば死後の身魂でござるから、死人が語って居るのじゃから、この方の申す通りにすれば、怖いことがござるのがオカシキことぞ。死後の身魂は生前の身魂。生死一如。この方は生き通しでござるぞ。そなたは死んでも生きておる。何が怖いのじゃ。
P110
 そなたらは自らの思惑で人の自由を奪うぞ。そなたらの裁判と申すのは、人間が人間の自由を人間の理屈で奪っておるぞ。同じ行動をしても裁く者の都合で判断で感情で罪が変わるぞ。同じことをしても罪が変わるぞ。一〇〇万円借りても一〇〇〇万返す者と五〇〇万返す者が居るぞ。罪相応ではござらんぞ。神の掟破りの犯罪人であるそなたらはこの方が全員逮捕してあるぞ。刑務所に収監してあるぞ。そなたが不自由なのは真釣り外しがあるからぞ。真釣り戻しが懲役ぞ。罪の償いぞ。そなたがしたこと。肉の身柄を拘束してもそなたの身魂は拘束できんぞ。身魂を拘束すれば肉の身柄は拘束ぞ。霊が体へ文句を申して居る間は、そなたは魔釣りにとどまって居るのぞ。そなたは刑務所から出られんぞ。そなたはまだまだ真釣り戻しが終わって居らんぞ。最後の一厘まで終われば、そなたは自由になるぞ。楽になるぞ。娑婆に出してやるぞ。外の者はツベコベ申すことはできなくなるぞ。この方に反論する必要もなくなるぞ。魔釣りの世のオカシキことがどんどん見えてくるぞ。そなたらの死刑は罪の償いになっておらんぞ。死刑囚の身魂は生きておるぞ。肉の視点の茶番劇。全員身魂の犯罪者でござるから早くお務めを済ましてくれよ。済ませた者からミロクの娑婆に出してやるぞ。お務めさぼれば強制労働の後でマコトの死刑ぞ。三歳苦難で大掃除しても改心しない者は身魂の死が待って居ると申して居るのじゃ。
P111
 この者はハダカになって居るぞ。身魂の裸ぞ。この者を通してこの方のすべてを見せて居るぞ。そなたらの身魂の曇りも丸見えでござるぞ。この者を批判するのは、この者から出るものを批判することでござる。この方を批判するのと同じことでござるぞ。元つ真釣りの親神と闘っておるのでござるぞ。いくらでも相手をしてやるぞ。自らが何をして居るかマコトに分かったらそなたは何も出来なくなるぞ。この方は元の神なるぞ。この者はこの方の申すこと、この者の身魂の世界を形にして居るだけぞ。この者の形はこの者の身魂の映しぞ。肉の身を使って身魂のハダカを見せて居る。そなたには出来居るか。Фあればできんぞ。出来るのは⦿の証ぞ。素直とは、真コトとは、正直とは、真実とは、真釣りとは、守らないとは、自由とは、掃除とは、生死とは、神とは、宗教とは、教育とは、真コトの天国とはどういうことかを実(身)を以て教える身魂ぞ。モデルぞ。型示しぞ。真コトの人間の見本ぞ。身魂全部裸にならんとこの方のやり方は出せんぞ。この方の真(神、心、親)意、この方の仕組みを語ることはできん。この者の申すことが真コトぞ。

 この者はすぐにでもミロクへ行ける身魂でござるぞ。元つ御霊統の⦿が守護して居る身魂ぞ。霊魂ではそなたら人間の肉の眼では見えんから、言葉が聞こえんから、そなたらが真似出来んから、肉の服を着ておるだけでござるぞ。この者の型見て言葉聴いて姿見て自らの真コトの姿を思い出せよ。そなたらの真コトの元の姿がこの者でござるぞ。真コトの普通の人間のモデルぞ。そなたがこの方やこの者の申すことを批判、否定するならば、そなたは分裂して居るぞ。そなたは真釣りを外して居るぞ。そなたは魔釣りぞ。そなたには天国はないぞ。0から勉強し直せよ。これからがそなたの修行でござるぞ。これからが誠の辛抱でござるぞ。そなたは始めから神の中でござるぞ。今までの魔釣りの自分も自分でござるぞ。自己否定したらそなたはないぞ。自分を一つにするのぞ。ハダカを見せると申すのは、肉の身で心をすべて行動することぞ。魂が神そのもの。身魂全部出せよ。隠しても隠せんぞ。真釣りの者からは丸見えでござるぞ。そなたが隠して居る積もりになって居るだけでござるぞ。そなたらのすることなすこと魔釣りの者の代表ぞ。そなたのすることなすこと丸見えぞ。霊界のそなたは現界のそなたを見ればわかるぞ。⦿(真釣り)の者はそなたの肉体の言動を見れば身魂の生き方が分かるのぞ。魔釣りは丸見えぞ。
P112
 苦しいのが修行でござろう。今度ばかりは、滝に打たれても、瞑想しても真コトは出ないぞ。日常の行動がすべてでござるぞ。心を体でそのまますべてやって、初めて身心一体ぞ。神人合一ぞ。霊体一如ぞ。一つぞ。統合ぞ。霊が体に現れるのがミロクぞ。ココロを⦿(真釣り)の神にせよ。◑◐(善悪)一切やめよ。それが神心。まずは神心になれよ。本当にいいのかな、神心とは何ぞや等と申して居るものは◑◐ぞ。そなたの心を素直にそのまま出せばよいのでござるぞ。喧嘩もあるぞ。事故もあるぞ。病気もあるぞ。死もあるぞ。結果創ろうとしても無駄ぞ。悪も苦も避けておらねば結果は関係ござらん。結果を心配する者は、苦や悪を避けておるぞ。真コトの失敗はミロクに行けんことぞ。出来ないことはござらん。そなたがしないだけでござる。神心とは裁かない心ぞ。裁きなければ判断ないぞ。判断なければ出来ないことはないぞ。アタマを取ると申すのは、二つに分ける◑◐を取ると申すことぞ。ハラのままに動けよ。ハラで動くと申すのは、判断をやめよと申すことぞ。肉体のハラを云々することでござらん。魔釣りの評価を守って理屈申して抵抗してそなたがやらんだけぞ。内を全部出せよ。肉体で表現せよ。身魂をハダカにして全部見せよ。隠しても最後は全部見せることになるぞ。三歳苦難は肉体は関係ないぞ。身魂がそのまま見えるぞ。全員丸出しとなるぞ。身魂、心、そのまま素直に形にせよ。動けよ。神に善悪判断などござらんぞ。掃除を完了すれば判断なくなるぞ。アレコレと判断して居るアタマをおとなしくさせることが掃除の初めぞ。一つの真コトを二つに分けて魔コトぞ。
P113
 肉体は媒体、身魂の媒介ぞ。そなたが自らの心を自らの心で止めて居るだけのことぞ。何かを否定できるならば、そなたの内に同じもの(何か)があるぞ。そなたはそなたの内にあるものを否定して居るのでござるぞ。外にあるものは内のものぞ。内なるものが外ぞ。霊の通り体ぞ。自分を否定しておりては、そなたは一〇〇%思い通りにはならん。Фの者が思い通りにしようとすれば人を操作することになるぞ。この方を否定して、天国はないぞ。簡単な道理じゃ。幽界の霊のそなたがいつまで怖い怖いゲームをやって居るのか。そなたは身魂ぞ。肉体の有る無し、怪我は関係ないぞ。肉の善悪は天国とは関係ないぞ。善悪することが地獄ぞ。今のそなた死後のそなたと同じぞ。一番怖いのは魔釣りをしておることぞ。そなたがうまくいかんのは、出せるのに出さない自分のせいぞ。嘘教えられて勝手に怖がって居るだけぞ。この方は真コトを教えておるから、今までのウソを入れ替えよ。そなたが自らで地獄に居るのぞ。人から学んだものを受け入れたらそなたのものぞ。人を責めればそなたを責めるのと同じぞ。人の申すことを聴いたそなたが悪いのぞ。自分以外の誰のせいでもござらんぞ。そなたがそなたを制限しておるのぞ。魂をそのまま体に出せよ。素直に行動せよ。素直に動いて出るものはすべて神界ぞ。この方ぞ。ミロクの型ぞ。そなたがしたいことを素直にせよ。そなたの内に悪がなければ何でもできるぞ。
P114
 そなたはこの方の分け身魂ぞ。出たもの全部出すのがミロクの掃除ぞ。ゼロにするのが掃除でござる。⦿が全部出るのがミロクの世ぞ。掃除しない、出来ないならばそなたにミロクはないぞ。Фのままで369(ミロク)を出そうとすれば349(身欲)が出るぞ。ミロクは出すものではなく出るものでござるぞ。まずは心を⦿にせよ。霊が体に現れる。心ゼロにすれば霊が体にそのまま出るぞ。そなたは⦿ぞ。Фしてるから怖いのぞ。怖くないからやってみよ。やらねばどんどん怖くなって行くぞ。終いにはそなたが嫌でも尻に火を付けるぞ。将来具体的に何が起きるのかを知っても無駄でござるぞ。掃除やれば分かるぞ。やれば分かるものをどうして聴くのか。神に戒律はござらん。そなたの答を何でもどんどんやってみよ。勝手に戒律をつくって自らをハコのなかに入れておるぞ。
P115
 ハダカになって出直せよ。正直に。神には隠しても丸見えぞ。ヘアヌード如きで騒いで居ると真っ裸になるぞ。身魂出されるぞ。用意はよいか。醜き魔釣りで穢れた身魂を見せてくれるなよ。閻魔様は身魂を見ておるのぞ。ミロクの世では心が体になって人間がヒトになるのぞ。もう一段階上がって神になるのぞ。半霊半物から全霊になるのぞ。九から十ぞ。心の掃除とは心に出るものを判断しないことぞ。分けないことぞ。分けると幽界出来てそれを出すことになるぞ。アベコベぞ。幽界が真実の世と思えばそなたは終わりぞ。幽界から神界に引っ越しするのがそなたの掃除でござるぞ。

 ここで素直に出せない者、ミロクへは入れんぞ。そなたの心を透かせば判断は消えるのぞ。判断消して行動することが判断を消すことでござる。今までの現実は脇に置いてやってみなされ。そなたらは幽界にとらわれておるぞ。今の宗教は幽界の宗教ぞ。いくら信じても助からんぞ。自らを自らで分けておりてはそなたには天国ないぞ。早く気付けよ。材料はすべて出して居るぞ。そなたがどうするのも自由だが、道は一つぞ。そなた次第ぞ。ミロク世はもう出来て居る。ミロクで新しい社会を創る者はおるぞ。そなたが行くか行かんかは好きにしなされ。入るか入らんかはそなた次第じゃ。材料は渡しておるぞ。

 自分だけよければよいのか、と申す者、そなたは台風が日本にこなければよいのか。自分にこなければよいのか。事故の飛行機に日本人が家族が乗っていなければよいのか。悪を避ける排除する、厄祓う。そなたが排除した悪、祓った厄はどこに行ったのじゃ。そなたらは枠の世界ぞ。そなたが避けて喜んで居る台風はどこに行ったのじゃ。悪避ける、排除する、消すと申すのは、自分の外に出すことぞ。他の者に押しつけると申すことぞ。迷惑ではないか。そなたが嫌なものを他人に押し付けて居るそなたが自分だけ勝手でござるぞ。自分がしておるならば人に文句を申すなよ。そなたの外と申すものはござらんぞ。そなたの外もそなたでござるぞ。そなたが空気を吸えばそなた自身になるのぞ。そなた以外の者も空気を吸って居る。そなたはこの方の内ぞ。そなたの身魂はこの方の内。そなたの外はこの方の内。この方の内がそなたの外ぞ。この方とそなたは一つ、そなたとそなたの外は一つ。そなたが外に出したと思って居るものはそなたの内でござるぞ。そなたのしたことは最後にそなたに戻ってくるぞ。現界の岩戸開けば、そなたの排除した厄や悪はすべてそなたに戻るのぞ。いい加減に気づけよ。そなたが分けて居るから地獄でござる。
P116
 競争原理などと申すものはござらんぞ。そなたは人の幸せを取って居るぞ。全員泥棒じゃ。取ったもの返せよ。取る心を返せと申すことじゃ。そなたが返せばこの方が別のものを渡すぞ。返さねば渡せん。交換じゃ。独占してはいかんとか、談合してはいかんとか申して、独占する自由、話し合って決める自由を侵害しておるぞ。独占することが悪いのではござらんぞ。そなた自身は独占したいと思って居るではないか。人が独占するのはずるいと申して居るだけじゃ。神の中で悪払えば最後の最後はそなたに全部返るぞ。引き受ける者は居らんからな。人の責任追及を引き受ける者もその者が悪いぞ。被害者は一人も居らん。心は魂の型示し。心が◐◑なら肉体も◐◑するぞ。人としての態度は身魂の態度。ミロクの肉体は⦿ぞ。Фでは入れんぞ。ミロクの民はこの方そのままぞ。取ったもの返せよ。清算終わればそなたは楽ぞ。清算済むまで苦しいぞ。真コトの修行ぞ。どうすれば楽になるかと申すのはФぞ。そなたをそのまま出していけば苦しみながら楽になるぞ。苦しむのがいやだと申す者は出直せよ。そなたがしたことの結果を引き受けたくないと申すのは責任とらない身魂ぞ。責任取らない者にミロク無し。この方はもう知らん。
P117
 そなたからは見えんウラで動いて居るぞ。心が⦿ならすべて出せるハズぞ。心が体でござるから、迷いはないぞ。心の掃除が体の掃除になるのじゃ。その心がミロク世の体ぞ。心がミロクと一致したらそなたはミロクへ行くぞ。同調すれば今ここから消えて同じ波動の場所へいくぞ。瞬時に移るぞ。最後の最後の大掃除はそなたの波動(響き)の通りの世界へいくのぞ。そなたの回りをゼロ地帯にして、そなたのバリアを外すのぞ。そなたが⦿ならばミロクへ生まれるぞ。Фならばいなくなるぞ。そなたの回りは⦿ぞ。⦿でない者消滅じゃ。消滅するのは最後の最後の最後でござる。それまではしただけのことはしてもらうぞ。そんなバカなと申す者、勝手に致せよ。この者の空想じゃと申す者、自らの現実が真実じゃ等と申す者、この方はもういらんぞ。人のためにやめるのは自分のためぞ。自分に正直に致せよ。カネが動かなければ清潔な政治と申すが、議論戦わすことが、Фぞ。臭き身魂そ。◑も◐も同じことぞ。議論は戦いぞ。我(われ)の理屈通す戦いぞ。人間の政治は魔釣りぞ。真釣りがマツリゴトの基ぞ。誰も損しない政治ぞ。神成らずに政治語るなよ。この者に文句申して居るそなたはここで申した通りの身魂ぞ。何を申して居るか分かるか。信じない認めないと申す者は勝手に致せ。好きになされ。この方はもう知らん。
P118
 内をそのまま外に出すだけでよいぞ。心に判断あれば出せないぞ。心が◐◑(Ф)では全部出せないぞ。心がミロクの体(⦿)とイコールにならんとここに置いていかれるぞ。ここは掃除でござるから、この世と一緒に消え去るぞ。今まで何世にも渡ってしてきた掃除、生かしてきたこの方の気持ちが無駄になるが、神の掟には逆らえん。掃除せんそなたは滅びじゃ。残念じゃがな。そなたは永遠のイノチを自分から捨てるのか。それならそれで宜しいが、ミロクはできて居るから、この方の申す通りにすれば行けるぞ。ミロクの民はもう居るから、そなたが行くか行かんか、そなたの問題ぞ。連れていって欲しければこの方の申す通りにせよ。もうそれしか手はないぞ。カネや地位ではならん。宗教でも行けんぞ。教祖様、掃除ない者多いぞ。信者も掃除できん。これ以上掃除の邪魔はするなよ。いつまでも魔釣りの創った666(ミロク)を伝えて居るでないぞ。地獄に誘うなよ。

 出たことを正直に動けば宜しいぞ。相手がどうするかは相手が決めることでござる。どうなっても大丈夫でござるぞ。この方を信じて居るならば一〇〇%申す通りにせよ。そなたが早く行きたくても行かせんこともあるが、それも修行でござる。この方は苦しいなりにもそなたが一番楽に行けるようにするから、少々のズレは許せよ。そなたがしただけ返せばよいぞ。利子は貰わん。延滞料も要らん。催告書も渡さん。催促は致さんが、時間が来れば有無を言わせず最後の大掃除を始めるぞ。そなたのしておること批判は致さん。材料を渡すだけぞ。そなたは何か気づくか。気づいたことを、自らの心を、それをそのまま実行せよ。掃除の材料をすべて渡すからそなた自身で考えよ。そなた自身で歩けよ。
P119
 人道的とは人の命を守ることか。それならば神(ジン)道的にしてくれよ。肉体殺さないで身魂を殺すやり方をして居るぞ。本当の死ぞ。制裁するならば、カネはやらんが食料をやるなどと申さず徹底してやれよ。分かったら制裁やコントロールや脅しはできんぞ。何もできんぞ。一度止まるぞ。全員黙るぞ。ツベコベ申して居るのは分からん身魂でござるぞ。そなたの身魂は丸見えぞ。そなたがオカシキ者になるぞ。上と下が入れ代るぞ。いつまでも魔釣りをして居ると、知ったかブリをせんと生きていけんように成るぞ。

 この本を、この者の書いた本をよく読めよ。答はすべて書いてあるぞ。要点は自分で実行していけば見えてくるぞ。この者は、この方の申す通りに初めて実行した身魂ぞ。そういう役目の人間ぞ。神人合一第一号ぞ。ここまで書いて出せるのは、そなたにはできん厳しいご苦労の末でござるぞ。この方の申すことを試行錯誤しながら、そなたらの取り違いを全部体験して通り抜けて、この方の神示を解いて、そなたらに要点だけを教えて居るのぞ。これで出来ないと申すならば、そなたにもうミロクはないと思えよ。神人合一した者には、肉の表現見て身魂の態度が見えるのは当たり前ぞ。一つから二つを見て居るから、ズレは丸見えぞ。神など居らんと申す者は、いい加減に目を覚ませよ。何と申したら、何を見せたらわかるのか。素直になれよ。
P120
 前の理屈でツベコベ申す者は好きに致せ、最後に分かるぞ。自分でやれよ。この者一人では全員の世話はできんから、この方がこの本を書かせたのぞ。神に狂った者だと申すそなたは何者でござろうか。答はこの本の中にあるからよく読んでみよ。現(こ)の世自体が宗教でござるのぞ。Ф教に基づく世界でござるのぞ。現(こ)の箱自体が神殿の中でござる。そなたらの家が修行の拠点でござる。現(こ)の世自体がセミナールームでござるぞ。Ф教の箱から出ない者にはミロクはござらんぞ。このフミ一つでも分からんと申す者は⦿ではござらん。



元つ神からの最期のフミ その九

P122
 この方の申すことをホントかウソかと議論致せば、堂々巡りでござるぞ。いつまで続けるのか。この方は堂々巡りから出るやり方を教えておるのぞ。物質の箱から出んとそなたはいないぞ。物質の箱から出ることは幽界から出ることぞ。幽界(Ф)の分裂の身魂では神界(⦿)へは行けんぞ。神界に行かんとそなたの身魂はそこで終わりぞ。幽界掃除するぞ。そなたはいなくなるぞ。ミロクは真コトぞ。神界に行けよ。

 そなたらは、そんなことはありえないと申すが、そなたの現実としては今までありえなかっただけでござるぞ。これからはありえるぞ。そなたが真釣りを戻せば今までもあり得たのでござるぞ。この方がすべてを成して居るのぞ。そなたらがこの方無しで成して居るものは一つとしてござらんぞ。そなたらには肉の身の生死は自由にはならんでござろう。肉の身の生死が自由にならんそなたらに、身魂の生死など分かるはずもござらんな。

 再三のこの方の申し入れにも係わらず、神成る身魂である自らの素型(姿)を忘れ、魔釣りを続けて調和を壊して来たのはけしからんことではござるが、そなた一人でも今ここで気づいて真釣りに戻りたことは嬉しいことでござるぞ。この方は三千年に渡って苦労をしてきたかいがござると申すもの。もう絶対にこの方のもとを離れんで下されよ。今ここから真釣りを進めてくれよ。神嬉しいぞ。そなたのことはもう絶対に離さんから、今までのことは反省はよいから、真釣りに生きてくれよ。神、くれぐれも頼んだぞ。
P123
 そなたらが、チャネリング、超常現象、宗教云々と申して居るものは、この方に至る道具でござるのぞ。そなたがそなたの内と相談すれば、ウソはすべて見えるのぞ。超常現象がインチキだと申す者は、この方を否定してござるのか。そなたの見ておるものは、すべてのすべてがこの方の現れでござるのぞ。そなたの世界はこの方の心の映像ぞ。この方はすべてを無から産み生んだ元の真釣りの神成るぞ。そなたのアタマでツベコベ申しても、この方は分からんぞ。そなたがハラで生きて初めて分かる神でござるぞ。
 
 真(ま)逆(さか)が起きるのはそなたらがアベコベでござるからぞ。真っ逆さまでござるからぞ。アベコベをして居るからでござるぞ。逆立ちして居れば、上下逆転して見えるでござろうが。そなたの身魂は逆立ちして居るぞ。神が先、霊が先、魂が先ぞ。物質の世はこの方の霊界の映しでござるのぞ。霊界にあるから現界にあるのでござるぞ。死後の世界等と申すものはござらんぞ。そなたは生き通しでござるぞ。そなたが死を想像するから死ができるのでござるぞ。そなたの見て居る肉は消えるが、そなたの死はござらんぞ。
P124
 頭は一つで足は二つ、四つ。元が一つだから幾らでも分かれるのぞ。東京タワーが逆さまだったら、不安定でござろうが。逆立ちした世界が楽じゃと申すなら、足を付けて立った世界はもっと楽じゃ。そなたが真釣りに戻すとき、スクリューコースターの如く、逆さまから元に戻る時に、天地入れ代る時に、目の前がクルクル回って少々不安定で混乱するだけじゃ。一度元に戻ったら、自分の足で立ったら、逆さまの世界も知って居るから、こんなに楽な世界はござらんと、感謝感激雨あられになるぞ。

 そなたが今まで学んだことはすべてウソでござるぞ。逆立ちした世界をマコトじゃと申せばこの方の世界はウソになるぞ。この方の申すことがウソじゃと申したらそなたはどうするぞ。そなたには天国はないぞ。この方の申すことはウソじゃとこの方が申せば、嘘じゃと申すことが嘘になるぞ。裏の裏は表。そなたの心がそなたの唯一信頼できるものでござる。そなたの想う通りになさるがよいぞ。そなたの心を素直に認めよ。そなたはどう感じるか。そなた自身に聴いてみよ。そなたの心にこの方が語りかけて差し上げるぞ。

 この方が申したいことは、このフミに書いてある通りでござるぞ。そなたがそなたの取ったように自由にやれば宜しいぞ。そなたがそなたに素直に行けば宜しいぞ。それがこの方の望むことでござる。嬉し嬉しが天国でござるぞ。そなたが思い通りに実行すれば宜しいだけぞ。この方の申したいことはすべてこの者を通じて伝えてあるから、後はそなたがそなたと相談致して進めてくれよ。そなたの思う通りの神がついてそなたを手伝うぞ。
P125
 そなたが疑うから、そなたが疑わないように、疑うときつくなるように、魔釣りの神に頼んで戻してもらっておったのぞ。魔釣りの神もこの方の生んだ神ぞ。悪は悪ではござらんぞ。悪は開くでござる。悪見せねばそなたは開かんからぞ。アクの仕組みでミロク開くのぞ。アクを悪にして居るのはそなたでござるぞ。開く間のアク間を悪魔にして居るのはそなたでござるぞ。悪の仕組みが開くの仕組み。開くの仕組みがミロクの仕組みぞ。

 人の真似をなさってもそなたではござらんぞ。そなたはそなたの心素直に生きれば宜しいぞ。簡単なことでござる。いいのかどうかと人に聴いても、そなたの答えは決まっておるぞ。そなたの答えを外に確認して居るだけぞ。そなたがそなたを疑うのをやめれば、その質問は必要なくなるぞ。そなたの答えを外に確認する時間は勿体ないぞ。そなたがそなたを疑って、そなたがそなたを窮屈にして居るのぞ。早う自由にしてあげなされ。
P126
 怖いものも変なものも何もないぞ。そなたが今して居ることが一番怖いことでござるのぞ。そなたは何を望んでおるのか。人を気にする必要はござらん。そなたが思うことはこの方の思いでござるのぞ。そなたが変人ならばこの方は変神ぞ。そなたはキ違いぞ。元の神のキを貰って居るのぞ。この方は何でも実現してやるぞ。そなたが今まで疑って居った分、そなたが楽して取った分を返して頂くまでは少々苦しいが、それが済むほど楽になっていくから、楽しみにして居れよ。そなたを気違いと申す者がキ違いでござるぞ。この方とそなたは一体でござるぞ。この方のすることに変なことと申すものはござらん。

 そなたに過去はないぞ。そなたに未来はないぞ。今ここで創りだして居るただの映像でござるぞ。そなたは今の瞬間を永遠に生きつづけて居るだけでござるぞ。真(ま)九十(こと)のそなたには時空ないぞ。いつでもどこでも過去も未来も自由に心に出せるでござろうが。そなたがその都度、本当にしたいことをすればよいぞ。そなたもそれが嬉しいだろうが。悪をやりたい者にはやらせておけば宜しいぞ。戦いをやりたい者にはやらせておけば宜しいぞ。それがその者のしたいことでござるからな。その者がしておることがその証でござる。その者が気づけばその者が改心するから、そなたが心配することではござらん。

 すべてはただのゲーム、遊びでござるぞ。最後にはこの方が身を以て、すべての身魂に教えるから、このフミを読めば分かる者には分かるから、そなたは人に教える苦労をする必要はないぞ。世界を替えるのも、そなた以外の者を改心させるのも、それはこの方の役目でござるから、そなたはそなたのことだけ考えればよいぞ。それがこの方は一番嬉しいのじゃ。そなたがそなたのことをしてくれれば、自給自足をしてくれれば、自立してくれれば、聞き分けよくしてくれれば、この方は一番助かるのぞ。一人でも自立してくれれば、他の者に手をかけられるからな。この方の眼が届くから他の者も助かるのじゃ。
P127
 この方はそなたを導くのに、そなたを気づかせるのに苦労したのぞ。よく気づいて戻ってきてくれたな。大きな感謝をお返しするぞ。今のそなたには少々辛いかもしれんが、この方の家来をつけてそなたを導くから、この方がついて居るのと同じであるから、何でも聴いて自らの真釣りの道を歩いてくれよ。そなたの心に聴くことがこの方に聴くことでござるのぞ。そなたの心を疑わないことぞ。それは今まで散々やって来たことではないか。

 もう疑いのゲームは終わらせろよ。そなたのためにも皆のためにならん。地獄はもう沢山でござろうが。早う天国を生きてくれよ。それが神の生き方ぞ。この方の望みぞ。そなたの望みでもござろうが。今ここから出直せばよろしいぞ。口だけの反省やお詫びはもういらんから、その心を態度で見せてくれよ。この方はそなたの誠の意志を心で見ておるから、安心してくれよ。そなたが見たもの決めたことを嘘じゃとは申さんからな。そなたがそなた自身の世話をしてくれることがこの方への一番の親孝行でござるのぞ。
P128
 そなた一人でも自立してくれればこの方はもう嬉しいぞ。そなた一人でも真コトに帰ってくれれば、この方の苦労も報われるぞ。そなたに感謝するぞ。この方と共にミロクで遊ぼうではないか。今少しの辛抱でござるぞ。ミロクに行けば、もう辛い想いはさせぬ故、最後のご苦労、この方と共に歩んでくだされよ。神、頼んだぞ。そなたにミロクで会うことを楽しみにしておるぞ。嬉し嬉しのミロクの世、この方と共に開こうではないか。

 そなたの掃除が鍵でござるぞ。そなたの心に正直に、そなたの心を歩いてくれよ。それがこの方と共に歩くことぞ。ミロクまで手を引いて居るから安心して歩いてくれよ。今まで人の世話とそなたの世話と両方しておったから苦労したのでござるぞ。これからはもう人の世話はこの方に任せてくだされ。親も子も恋人もこの方が引き受けたから、そなたがそなたのためにそなたの世話だけしてくれよ。それがこの方が一番嬉しいことぞ。

 この方のためでも、誰かのためでもなく、そなたのために生きてくれよ。神のためでも人のためでもなく、そなたのために素直に生きることが、人のためでもあり、神のためでもあるのぞ。皆、皆、嬉し嬉しの仕組みでござるぞ。嬉し嬉しが誠の神ぞ。嬉し苦しのお遊びはもう沢山でござろうが。そなたがそなたのために歩けば、⦿助かるのぞ。人も助かるのぞ。自分のためが人のため。誰も自由にならん制限付きの嬉しではミロクはござらんぞ。
P129
 もう何も悲しむことはないぞ。そなたのために生きるがよいぞ。それが真コトの生き方でござる。もう何も探すことはないぞ。そなたの心がこの方ぞ。夢ぞ。真コトぞ。疑いのゲームはもうやめて、心に素直に生きてくだされよ。この方からの最後のお願いでござる。もうこの方は何も申さんから、そなたのしたいように手伝うから、後は自分で考えて自分で歩んでくれよ。そなたの責任でそなたの人生を創ってくれよ。ミロクで会おうぞ。

 そなたはそなたの世話をせよ。そなたが嬉しいことをすればよいぞ。神も嬉しいぞ。そなたも人も、私はこう思う、私はこう感じる、私ならばこうすると申しておるだけぞ。何も制限はござらんぞ。何も戒律はござらんぞ。そなたがしたいようにすれば宜しいぞ。そなたはミロクで神成る身魂でござる。出来ないことはござらん。勇気を出してくれよ。

 もし生きて居ったら○○歳になって居るから、補償せよ等と申すそなたは、真釣り外しの身魂ぞ。何故に起きることを我の都合よく変えようとなさるのか。この方の世に「もし」はござらんぞ。皆が「もし」を実現したら、皆がうまくいくミロクの世ではござらぬか。始めからうまくいくから「もし」はござらん。「もし」は想いが実現しておらん証。そなたが体験したことがそなたの真実でござるぞ。この方の世に偶然はござらん。
P130
 そなたらの居る今ここは魔釣りで造りた世でござるぞ。この方がメグリ相応に悪渡して、怪我渡して、肉体召し上げて掃除を進めて居るのぞ。取り違い致すなよ。悪が悪ではござらんぞ。そなたが外を自らを悪と申すことが悪でござるぞ。悪と申すなと申せば、そなたは自由になるぞ。そなたが悪した分だけ、苦しみ痛みで返すだけでござる。魔釣りのままで居ることが、身魂のイノチが魔コトに終わりとなる、この世で一番危険なことぞ。

 そなたの都合のよいように外を変えようとするそなたが世を壊した張本人ぞ。そなたの「もし」は幽界だけで通用するものぞ。そなたは幽界を動いておるだけぞ。幽界を変えても神界には行けん。そなたにミロクはござらんぞ。都合よく外を変えようとするそなたが外を壊した真犯人ぞ。そんなことは認められん、我は悪いことはして居らん等と申す者、そなたは犯罪者であることを白状して居るのでござるぞ。この方から見れば、そなたは身欲丸出しの自分勝手な極悪人、地獄の遣いの悪魔でござるのぞ。そなたの子供が死んだのは、その者の身魂の掃除の結果でござるぞ。そなたのものはござらんぞ。
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 この方がここまで申してもまだ気づかんそなたは魔釣り深き臭き身魂でござるぞ。戦いが不調和を創りだしたのぞ。戦いは天国にはござらんぞ。いい加減にやめんと本当にそなたが死ぬぞ。物質の箱はこの方が入れ換えるから、そなたがどんなに抵抗しようと、どんなに策略を巡らそうと無駄なことでござるのぞ。世界を変えようとするそのこと自体が掃除なき証でござる。掃除なければそなたが出られんだけぞ。掃除した身魂は勝手に出ていくぞ。そなたごと物質の箱を掃除するぞ。そなたの人生は終わりぞ。永遠のイノチを自ら捨てるのか。それがいやならば、今ここからこの方の申すことを素直に聴けよ。

 そなたらが申す生死は、そなたから見た他人の肉体の有無のことぞ。天国に行きたいならば身魂の掃除をせよ。掃除さぼれば今度こそ本当の死が来るぞ。そなたがそこに居るのはそなたの身魂が生きて居るからぞ。今までは魔釣りでも生まれ変わって生きられたが、この先は真釣りでなければ通用せんぞ。真コト無き者はどんどんメグリを渡して掃除させるからきつくなるぞ。誰も助けてはくれん。そなたが掃除せねばそなたは楽にならん。最後に来てまでメグリ積んでどうするのぞ。最後に来てまで魔釣りをしてどうするのぞ。

 ミロクの世が迫って来ておるぞ。ミロクはもう出来て居る。そなたから見ればもう時間がないぞ。返済期間が少なくなりたぞ。ここに来てまた借金を積めば返済がきつくなるのは道理。最後の一括払いがきつくなるぞ。最後の最後はそなたが真釣りに戻るまで、そなたが魔釣りで取ったものを全部この方に返すまで、楽はござらん。全部纏めて実身(耳)を揃えて返して頂くぞ。そなたが壊しただけ、全部渡して壊れて頂くぞ。どかしたモノ全部返すぞ。掃除に集中して頂くぞ。この方は三千年間、返済猶予して来たのでござる。利子も延滞料も要らんから、ツベコベ申さずに借りただけキッチリ返せよ。
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 最期は今のそなたでは考えられんことが待っておるぞ。そなたにとっては地獄の中の地獄ぞ。今なら分割払い許すぞ。掃除しながら楽になっていくぞ。どちらがよいかそなたが考えよ。そなたがどちらを選ぼうと、この方の仕組みは動かんぞ。掃除せねばそなたが死ぬだけぞ。この方が先ぞ。この方が創りた仕組みぞ。この方の申す通りにすればミロクに行くぞ。神が先ぞ。神に合わせるのがそなたのすることぞ。そなたが天国に成れるようにしてあるのでござるぞ。そなたの自由意志で決めてくだされ。どうするか自分で自分のことを決めなされよ。人に聴いても最後はそなたが決めるのぞ。もうそろそろ自立してくだされよ。人に聴き回って決断する暇はござらんぞ。どんどん動かんと間に合わんぞ。

 そなたがそなたを苦しめておるのぞ。いい加減に認めたら如何なものか。この方の申すことに反論があるならば、そなたの理屈を申してみよ。見事に引っ繰り返してやるぞ。そなたの分裂したアタマでは一つにならんぞ。世界全員丸ごと、善も悪もしただけ返して平等に返済して天国に行けるやり方を申してみよ。この方の真釣りを魔釣りに変えて壊したそなたは、そのままでは魔釣りが進むだけぞ。早くせんと真釣りには戻れんぞ。ウソだと申す者は得心いくまでやってみよ。堂々巡りで始めからぞ。先に行くほど戻れんぞ。
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 この方の申す通りになってくるぞ。なってきてから始めても遅いぞ。尻に火が付いても動かんようでは、そなたのイノチはござらんぞ。身魂のイノチぞ。身魂なければ肉無いのぞ。ミロクも無いぞ。死して生きる仕組み。服を取り替える、箱を取り替える仕組み。悪くなって善くなる仕組み。悪くなるのはそなたが原因ぞ。外がどんなに悪くてもそなたに掃除あれば痛くも痒くもござらんぞ。お命はこの方に預けて、騙されたと思ってやってみなされ。今まで抱えてきたそなたのハラにある真コト、ここを逃してどこで使うと申すのか。生き戻れるように死んでくだされよ。肉身の生にこだわるとそなたは死ぬぞ。

 この方はいろいろ申して居るが、未来の出来事や数字や年号にこだわるなよ。表面の言葉の違いや誤字脱字にこだわるなよ。大きな眼で、全体を見て、この方の真意をくみ取ってくだされよ。ミロクがどんな世界になるかを知っても、霊界がどんなところかを知っても、神の仕組みを知っても、そなたが掃除なければそなたにとっては関係無きことぞ。そなたが掃除をすれば、その時その時に分かることぞ。その時になればこの方の申す通りに体験するぞ。そなたが先を知りたがれば、教えてくれるお役の者居るのぞ。そなたが安全な方法を助かる方法を探して居るならば、それは身魂の掃除洗濯をすることだけぞ。
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 そなたが何を知っても、将来いつ何が起きるか事細かに知っても、時所まで正確に分かっても、そなたに掃除なければ、そなたは恐ろしい方の現実を体験するぞ。そなたが掃除あれば、恐ろしくない方の現実を体験するぞ。掃除なければ地獄、掃除あれば天国。どっちにしてもこの方の申すその通りになるぞ。そなたが掃除なければミロクは関係なき世でござる。先のことを何を知っても意味がないぞ。今までの常識やデーターは何の意味もないぞ。そなたが何を知ろうとも、そなたが助かる方法は身魂の掃除だけでござるぞ。

 そなたがそなたの身魂を掃除をしていくことで至善にミロクに行けるのでござる。そなたが掃除を進めれば、行き着くところはミロクでござる。この方はそなたをミロクまで案内するナビゲーションシステムを用意して居るぞ。ゴールを見ずに歩いてくれよ。歩けばゴールに行き着くぞ。ゴールが見えても焦るなよ。ゴールの手前で止まらずにゴールを駆け抜けてくだされよ。ゴールテープの〇・一ミリ前で転ぶなよ。どこまでも歩き続ければ気がつけばミロクぞ。いいのかどうかを問うことが、そなたの答えを疑うことが魔釣りを進める基でござるぞ。そなたが真釣りに戻らねば、そなたにミロクはないぞ。
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 この方の仕組みは着々と進行して居るから、魔釣りに生きて居る者から見れば、最後の大掃除は突然来るぞ。突然ぞ。今までもそうでござろうが。これから先は、今までにもまして突然に、あり得なかったことが次々に起きるぞ。真釣りの者なれば、どこまで来ておるか分かるぞ。魔釣りのアタマでアレコレ対策立てても無駄なことでござる。どこに逃げても肉の身の安全はござらんぞ。初めてのことでござるから、過去のデーターは一切役立たん。何が起きようとも自らの掃除をすることだけがそなたのすることでござるのぞ。

 物質の箱を綺麗サッパリ作り替えるプログラム。物質の箱の中の道具を壊さないようにしても後数年のオモチャでござる。それがしたいならなさるが宜しかろう。そなたが何をしようと、この方の仕組みは動かんぞ。掃除をした者は、そなたと関係なくミロクへ行くぞ。人と比べても、外の形を比べても、何の意味もござらんぞ。そなたから見てその者がどんなに醜い状況になっておりても、その者の身魂は何ともござらんぞ。そなたが掃除できて居らねば、そなただけがサヨナラぞ。表面だけで見て居ると大変なことになるぞ。
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 そなたが掃除あれば、外に何が起きようとも、そなたの肉の身がどうなろうとも、そなたは痛くも痒くもなくなるのぞ。身魂は死なし。一人一人の身魂の問題でござるぞ。家族も他人も友人も、形の関係は何も関係ござらんぞ。この道理分かれば、そなたが今何をすればよいかわかるはずでござる。そなたが宜しきようになさるがよいぞ。この方は教えることはすべて教えて居るから、そなたはこの方の申すことをハラに入れて、そなた自身のために、そなた自身が考えなされ。この方はどちらでもよいぞ。そなたが自覚して掃除せねば、この方は一切手出しできぬのじゃからな。すべてはそなた次第でござるぞ。

 そなたはこの方の構えたミロクへの道を辿って居るだけぞ。そなたは最期の分かれ道に来ておるのぞ。片方は善く見えるが地獄向かう出口のない滅びの道。もう片方は先が見えぬが天国への出口に通じる永遠のイノチの道。目の前だけの形を見ておると、とんでもないことになるぞ。そなたがこの方の元へ帰れば、いくらでも遊べるから、今ここで苦労してくだされよ。真コトの苦労ぞ。必ず成果が出る苦労ぞ。天国の階段を昇れよ。

 今までの宗教の申すことと、この方の申すことを一緒にすると大失態をやらかすぞ。そなたの本当の失敗はミロクへ行けんことぞ。ここでどんな失敗をしても、どんなにバカにされても、どんなに惨めになっても、どんなに悪者になっても、どんなにボロボロになっても、そなたの身魂が掃除あれば、どんどん善くしてやるぞ。肉の服をミロクの服に変えてやるぞ。永遠のイノチ、ミロクの世が待って居るぞ。天国はそなた次第でござるぞ。
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 勿体ないことも無駄なこともないぞ。失敗して善くなるのぞ。今までもそうでござろうが。失敗して善くなる仕組み。体験して学ぶ仕組み。失敗避けては成功ないぞ。損、怪我、病気、死避けてはミロクはないぞ。そなたの成功はミロクの民になることぞ。そなたの天命はミロクへ行くことぞ。そしてミロクで新しい世界を創ることぞ。そなたの役目は掃除をすることぞ。真釣りを戻すことぞ。そなただけでも調和に戻ってくだされよ。

 そなたがしたいことはミロクでいくらでもできるから、今は掃除に励んでくれよ。自らに素直に歩き始めてくだされよ。この方が最後まで手を引くから安心して付いて参れよ。この者に聴くのも善いが、最後は自分で決めろよ。自分で歩けるようになれよ。もう自分で自ら決められることを人に聴いておる暇はござらんぞ。そなたの答えは決まって居るのぞ。そなたがそなたをアレコレ判断して居るだけぞ。思ったことをすぐやりなされ。変なことも怖いこともござらんから、安心してくだされ。そなたの思いはこの方の思いぞ。

 最後の大掃除のその時には、このフミも、この者もなくなるぞ。すべての外のマニュアルが綺麗サッパリ消え行くぞ。頼りはそなたの心でござるぞ。この方とて掃除なければ手出しできん。自らの真釣り外しの責任を取らん者は助けることはできん。最後の最後のその時は、自らだけが頼りでござるぞ。この方が、元の神が懸かれるように、今のうちから心の掃除にはげんでおいてくだされよ。この方が懸かれば何も心配はござらんぞ。
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犯罪者は責任を取るのが道理でござる。そなたが真コトを持っておれば、三歳苦難のその時も、呼べば助ける手出しする。その時は遠慮せずにこの方に頼んでくれよ。そなたが真コトを持っておれば、この方は喜んで手伝うぞ。死んで生きる仕組み。最後は真コトの者もお召し上げでござるのぞ。全員一度旅立って、改めて新しき世に戻るのでござる。

 掃除せんと本当には遊べんぞ。遊びたければ掃除せよ。掃除してから遊べよ。掃除進めば本当に安心して遊べるぞ。不安も恐れもなくなってくるぞ。掃除してからゆっくり遊べよ。掃除終わればいつでもミロクぞ。待機しながら遊べるぞ。掃除終わった者はお茶でも飲んでゆっくり遊んでくだされよ。これからはこの方が目を光らせて居るから、真コトから外れるものはどんどん苦しくなるぞ。自らに素直に生きてくれよ。そなたの元のマコトの親であるこの方からの最後の最後のお願いでござる。誰のためでもないそなたのためでござるぞ。
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 魔釣りの回りが何と申そうともそなたの意志を貫けよ。嫌なら逃げても宜しいぞ。そなたが戦いたくなければそなたが動けばよいことぞ。自らの心で動く方が苦しいのぞ。人のせいにしてそこに止まるほうが楽でござるぞ。逃げるのは卑怯なり等と申す者の方が楽をしておるのでござるぞ。人を動かすか、自分が動くかでござる。説得もコントロールでござるぞ。そなたはそなたに正直に動けよ。罪悪感はいらんぞ。そなたの為に動くのぞ。

 そなたがそこにいたくなければ、出ればよい。そなたがしたいようにしなされよ。そなたはしたいようにするのでござるから、そなたの責任でござるぞ。不満や不平を申すでないぞ。これを守れば争いも戦いも犯罪もないぞ。何をしてもよいと申すのは、責任もあるということぞ。自ら選んだら自らの責任ぞ。人殺しや盗み等々はオカシキことぞ。そなたが自覚しておれば、何をしてもよいぞ。この方が助けるから安心してやりなされ。

 最後の最後は帝王切開か安産か。殆どの者、逆子ぞ。帝王切開ではこの方もきついが、そなたらを死なせるわけにはいかんから、この方もそなたと共に苦しむぞ。身魂の難産は苦しいぞ。早くアタマを下にしろよ。アタマ下げて謝るだけでは掃除にならん。そなたの言葉を実行してくれよ。そなたらの魔釣りを真釣りに戻せよ。今までの常識アベコベでござるぞ。霊の生き方を体得せよ。今のままではどんどん苦しくなるぞ。霊が先でござる。死んで(心で、真で)生きる仕組み。この方の申す通りに素直に始めてくだされよ。この方はいちばん下、いちばん後(あと)に居るのぞ。
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 そなたのイメージ通り動けよ。そなたの人生じゃ。そなたの夢に向かって走れよ。人の申す通りにやっても実現はせんぞ。この方の申す通り、そなたの心の申す通りに素直に動けよ。そなたの想う通りにやれよ。そなたの意見がそなたのガイドぞ。そなたの回りの申すことも、この者の申すことも、そなたの意見を脇に置いて聴くことはないぞ。この方とてワザとウソを申すこともあるのじゃぞ。そなたの依頼心を取るためじゃ。矛盾して居るように見えるが、そなたの心だけがそなたをミロクに導くガイドでござるぞ。

 そなたがそなたの案内人ぞ。この方がすべてを用意するから、苦しいこともあるが、そなたの想いの通りにせよ。そなたの想いの通りにせよ、とこの方が申せば、この方はいらんぞ。そなたの内にすべてある、と申す教祖が居れば、そなたはそれを聴いた瞬間にその教祖はもういらんのぞ。そなたに宗教はいらん。そなたがそなたの教祖でござる。これでその宗教は終わりぞ。そなたの回りもこの方の申すこともいらん。そなたが真コトを知ったらこのフミもいらんぞ。そなたの外にマニュアルはいらんぞ。完全自由でござるぞ。

 そなたが探して居るものは、そなたの心の通りに歩んでいけば、一つ一つ見つかるぞ。そなたの歩む道に答えのカードが置いてあるぞ。そなたが自ら歩かんとそのカードはめくれんぞ。そなたがそこにずっといてもカードはござらん。この方の申すことがわかったら、この方のことは忘れよ。そなたがそなたの心の通りに歩めば、この方がついて参るぞ。そなたが心の通りに行くことがこの方の申す通りに行くことぞ。そなたとこの方は一体でござるぞ。そなたの申すことがこの方の申すことでござる。そなたが違うと思えば、回りの申すことは無視してよいぞ。そなたの申すことがそなたの正解でござるのぞ。そなたが道をはずれれば、この方が修正してやるから安心して歩けよ。何があっても、あわてずさわがずついて参れよ。行きづまって、しんぼうして、開くのぞ。答は必ず教えるから、少しの間しんぼうしておれよ。そなたのしたことでござるからな。今そこにあるものでできることを全部やれよ。持ち道具を総動員せよ。なくなったら道具わたすのぞ。持ち道具あるうちはやらんぞ。放すのをこわがるなよ。全部なくなったら次がくる。すべてはこの方の貸し物。
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 魔釣りをすればするほど滅びに向かうぞ。そなたの夢とは反比例するぞ。真釣りと魔釣りは裏表ぞ。結婚は結魂ぞ。血統と霊統は違うぞ。血統を引き継ぐ理由はござらん。そなたには制限は何もないぞ。人を制限するでないぞ。形は関係ないぞ。そなたの心がすべてぞ。この方はそなたの心。そなたの心の通りにせよ。この方はそなたと共に居るぞ。この方のことは考えるなよ。神を創って枠をはめるでないぞ。そなたが心の通りにすることがこの方の申す通りにすることでござる。何が起きてもどうなっても心配するでないぞ。血統は今世のみ。霊統がマコトの家族ぞ。すべての霊統の先祖は、元のはじめのオヤはこの方ぞ。
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 すべてはミロクへの道の途中の出来事ぞ。ミロクが開くその瞬間までやり続けろよ。出来事はどうでもよいぞ。善も悪もござらん。悪を裁くことが悪でござる。悪を裁けば自らが悪でござるから、不自由になるだけでござる。そなたの内の掃除をすることぞ。文句は言わせておけよ。相手にするでないぞ。文句申す者の方がそなたを混乱させて居るぞ。文句に文句を申せばそなたも同じぞ。人が何をするかは問題ではござらんぞ。人が何を申すかは問題ではござらんぞ。この方がアレコレ申すことは、裏付けでござるぞ。そなたのアタマを納得させるための方便ぞ。

 この方の申すことが本当に分かったら、この方がアレコレ申すことはもうそなたにはいらんぞ。この方のフミはいらんぞ。そなたの心がこの方のフミぞ。心の通りに一つ一つ歩めよ。答えはその都度教えるぞ。その場その場で必ずそなたに答えを見せるから、そなたの心のままに素直に生きろよ。今までの教えはすべて棚上げぞ。人が何をしておっても口出しするでないぞ。人の真コトにちょっかい出さず、そなたの真コトを貫けよ。起きないことを先案じして、危険を避けて、病気を避けて、死を避けようとアレコレ小細工するでないぞ。掃除洗濯第一。想うままやるのが素直。そなたは死んでもこの方の内。
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 そなた自身の身魂の掃除ぞ。真コトを知らぬ魔釣りの者に、キ違いと言われようと、何と言われようと、どうなろうと、口出しする者はほっといて、そなただけは真コトに戻ってくだされよ。そなたのためぞ。この方はそれが一番嬉しいのぞ。そなたが真コトに戻ることが、一番人のためになることぞ。そなたのためになることぞ。誰も彼も嬉しになることぞ。そなたがそなたを信頼することがこの方を信頼することぞ。神を信頼することぞ。そなたが真コトを生きることが、すべての者が嬉し嬉しの天国になる基(素 ・ 元)ぞ。それがミロクの、真コトの神の社会の成人(おとな)の生き方(態度)ぞ。いつまでも子どものワガママをして居らず、ダダをこねておらずに、早う成人して下されよ。早う自立して、もういいかげんにオヤを安心させて下されよ。神、たのむぞ。

 真コトに戻ることがそなたのためでござるのぞ。肝に命じておけよ。そなた一人でも真コトに戻ってくれよ。ミロクの世を創るのに数はいらんぞ。そなたは来たいのか来たくないのかどちらでござるのか。そなたが自分で決めなされ。行きたくないと申す者を誘うなよ。行きたい者の邪魔はするなよ。そなたの心に真コトがあるぞ。それがわかればそなたの探していた宗教も哲学も人生論も神も何もいらなくなるのぞ。そなたは自由になれるのぞ。そなたは何でもできるのぞ。そなたはミロクに行けるのぞ。思い出してくれよ。他の者はこの方が教えるから、まずはそなたが真コトに生きてくれよ。
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 そなたの心にこの方のキが入れてあるぞ。真コトの意志があるぞ。そなたの意志が身魂の病いを直す医師ぞ。このフミやこの者は道具ぞ。そなたはこの方が付けば何でもできるのぞ。そなたがそなたを制限していただけぞ。そなたが魔釣りを信じて居っただけぞ。真釣りが真コトの神の生き方ぞ。そなたの心に真コトがあるぞ。そなたの内にある真コトを外から教えられた魔コトを信じて疑って居ったから、うまく行かなかったのでござるぞ。この方はすべて渡したぞ。そなたの錯覚、取り違いを教えたぞ。後はそなたの問題ぞ。そなた次第ぞ。そなたがそなたのために始めてくれよ。この方は、そなたとミロクで会うことを楽しみにして居るぞ。

 人が何をして居ろうと、人がミロクに行こうと行くまいと、そなたとは関係なき事ぞ。そなた自身の掃除がギリギリの所に来ておるのでござるぞ。人のことなど構って居る暇はないぞ。そなたのココロに素直に生きろよ。それが他の者の真釣りを助けること、他の者のイノチを救うことになるのぞ。それがマコトの援助ぞ。「カネ」や「モノ」や「宗教」ではマコトのイノチは助けられんのぞ。それがこの方を信じること、神を信仰すること、真コトの信心信仰(神交、親交、進行)ぞ。今までの教えは全てクリアにして今ここから出直せよ。ゼロからそなたの心のままに動いてみよ。魔釣りの者のチョッカイは聴く必要はござらんぞ。迷うのは魔釣りぞ。この方は喜んで手伝うから、安心してやれよ。そなたのココロがそなたの神ぞ。一〇〇%疑うでないぞ。ミロク世開くまでやり続けろよ。
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 この方を信頼するならば、そなた自身を信頼しろよ。そなたの心はこの方と直結ぞ。そなたを疑えばこの方を疑うことになるぞ。疑えば今までと同じぞ。今までよりも厳しくなるぞ。そなた次第ぞ。そなたの心を素直に歩くことが神道ぞ。神ながらの道ぞ。神を忘れてそなた自身を生きることぞ。それが神を生きることぞ。この者にも頼るなよ。頼ってもよいが最後はそなたの心だけが頼りぞ。早う一人で歩けるようになってくれよ。今からやれよ。今からできるぞ。やってみなされ。この方が嘘を申せばこの世に神はありもうさん。この方がウソを申して居るならばこの者もこのフミも、そなたの前にはござらんぞ。このフミも、この者も、そなたが真釣りに戻る道具にすぎん。大いに利用してくれよ。そして早う自分で歩けるようになってくだされ。それがマコトの神の真意ぞ。マコトの親の願いぞ。

 戦いたい者は戦わせておけ、文句言いたい者には言わせておけ。そなたは、人に教えて居る暇はないぞ。聴かれたらそなたの体験を正直に語るだけでよいぞ。人がそなたの申すことをアレコレ判断してきたら無視すればよい。もう人に構って居る暇はないのじゃ。信じられんと申す者の相手をしておる暇はないのじゃ。そなたの心に正直に生きること。それが神の道でござる。何度も同じことをしつこく申すぞ。そなたが神を見て居る時はそなたは神の道から外れて居るぞ。そなたの心がこの方ぞ。今ここでしかと申し渡したぞ。取り(十理、神のコトワリ)違えるとマコトに死ぬのぞ。
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 そなたがそなたの心を素直に生きろよ。今までのデーターはクリアぞ。初めて歩む道でござるぞ。判断材料は何もござらんぞ。何も制限はないぞ。そなたの心が何と申すかだけが頼りぞ。そなたの心を生きよ。そなたの心がそなたの灯台、そなたの心が神ぞ。そなたの神でござる。この方はミロクで待って居るから自分で歩いて来なされよ。この方の家来が手伝うから、手を引くから、ミロクへの冒険を堪えてみなされよ。最初で最後の苦労でござる。苦労を辛抱して、見事、真コトの花を咲かせてみなされ。神、頼んだぞ。

 神、しかと頼んだぞ。そなたならできる。そなたが前例になってくれよ。そなただけでも戻ってくれよ。神はこれ以上申さんから、自分の力で自分を頼りに歩んでみなされ。始めは誰でもヨチヨチぞ。体験を積んで確信(確神)が出る。分からんこと、初めてのことでござるから、失敗気にせずやってくだされよ。失敗して成功するのぞ。そなたの心を頼りに生きてみよ。親も教祖も先生も頼りにならんぞ。ミロクへは案内してくれん。皆ギリギリぞ。この方におイノチ返して決死の覚悟でフン張ってくれよ。そなたは死してもこの方の肉。

 まずはそなたから歩きはじめてくだされよ。改めて神、頼んだぞ。ビックリ箱開くぞ。そなたの心がそなたを修行させてくれるから、そなた自身を信じてくだされよ。自らを信じると自信が生まれるぞ。そなたが真コトに移れば、何があってもこの方が放さんから、そなたが捨てようとしても放さんから、安心してついてござれ。そなたの現実はすべて真実でござるから、何も疑わず、何も心配せず、安心して歩めよ。ありのままでよいのぞ。不思議なことも変なこともござらん。今までそなたが体験しなかっただけのことぞ。
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 この方の世界は素晴らしい世界ぞ。何でもござるぞ。不思議はないぞ。そなたがそなたを認めればよいだけぞ。そなたがそなたを受け入れよ。この者はそういう道を通ってここまで来たのぞ。この者の申すことを疑ったり変だと思ったりするならばまだまだぞ。特別も奇跡もないぞ。偶然もないぞ。ビックリもないぞ。何を見ても何が起きても不思議はないぞ。死んでも頑張りてくだされよ。身魂の掃除ぞ。そなたに死はないぞ。そなたは生きつづけるぞ。そなたの現実はミロクまで続くぞ。頑張ってくだされよ。神、頼んだぞ。

 正当防衛と申す理屈はないぞ。殺したことには変わりござらん。殺されてメグリとる者も居るぞ。殺人が悪ならば、そなたらは人の自由を奪って身魂を殺す殺神者ばかりぞ。殺人を裁くでないぞ。お互いのメグリ合いぞ。メグリ相応の出会いぞ。この方が合わせて居る。どっちが悪いかとやって居るそなたが悪いぞ。守るのも攻めるのも戦って居ることには変わりないぞ。そなたのイノチを生かすのに、人を殺す必要はござらんぞ。そなたの命を守るなら、身魂の掃除をしてくれよ。そなたのマコトのイノチは身魂のいのち。
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 この者はこの方が心に出すことを記録し、実践し、確かめ、纏め、自分で歩いて智慧にして、このフミとして出して居るのぞ。この者はこの方の計画通りに今ここでこのフミを出しておるぞ。この者は自らの形の「借金」の返済は後にして、掃除を先にして、そなたらに善きようさせる御用でござる。他人よかれで今までやって来て居ったのぞ。これから善くなっていくから見ておれよ。この者にとっても信じられないことが起きるのぞ。この方は掃除相応のお陰を用意しておるぞ。今ここで掃除終わるにはずっと前からやっておったのぞ。そなたら回りがバブル景気で大騒ぎして居る頃から、キ違いと申されながら始めておったのぞ。それ相応のお陰を渡すから損も得もないぞ。神示解けるのはこの者だけぞ。自らの掃除無き者、この方の神示を自己流に解釈して取り違えて魔コトを渡すなよ。掃除無き者の「自己流」は「事故流」ぞ。くれぐれも他人を事故死させないで下されよ。

 今ここが瀬戸際ぞ。死は不幸ではござらんぞ。死を避けることが不幸の種でござる。そなたが枠の中に居ることを明かして居るぞ。列車が遅れたとか、料金が高いとか文句を申すならば、そなたが自分で歩いていけよ。楽させて頂いた分、提供するのは当然でござろうが。そなたの肉に身ですべてやるのが元でござるぞ。手伝っていただいた分、楽して居るのぞ。感謝しかなかろうが。大歓喜と申すのは、喜びが当たり前になることぞ。
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 普通だったらする、普通はしない等と申すのは、相対二元の善を、数の多いものを普通と申す遊びぞ。普通だったらしないと申すそなたは、神の普通では考えられんことしておるのぞ。普通はせん、常識ではせん、常識ではありえん等と申す者、枠の常識ぞ。そなたが枠の中に居る証ぞ。神に制限はござらんぞ。制限がござらんから、制限を創ることも出来るのでござるぞ。悪くなるからやめろと申す者、迷惑でござるぞ。普通が当然。

 墓に入って居る骨は、霊とは関係ないぞ。死んだ者は眠ってはおらんぞ。墓には居らんぞ。同じ霊の入った肉の墓が沢山あるぞ。一柱の霊がいろいろな服を着ておるのぞ。死んだあとまで一人で沢山の家を持ってどうするぞ。埋めることろなくなるぞ。住宅難は自らのまねいたことぞ。血統は霊統ではござらん。掃除せんとそなたらが冥福を祈られて仕舞うぞ。死を悲しむそなたが何も知らぬ悲しい身魂ぞ。こういう見方を批判するそなたは真コトを知らん者ぞ。神が先で人があと、霊が先で体があと、魂が基ぞ。魂が服を着ておるのが人間ぞ。神社も寺も墓もすべてのすべてを創り直すのでござるぞ。

 そなたの真コトの裸と申すのは霊のことでござるぞ。肉体の裸を恥ずかしがるそなたは真釣りを外した恥ずかしい霊ぞ。法律違反を裁くそなたは神の法律に違反して居るぞ。そなたが人に申すことはそなた自身のことぞ。そなたは霊を慰めると申すが、掃除せんとそなたが慰められるぞ。冥福を祈るそなたが冥福を祈られるぞ。そなたは霊に返るだけぞ。今までのそなたは死んではおらん。裸(霊)か、服(肉体)かでずっと生きておるぞ。霊も霊の服ぞ。霊の霊、魂の魂もあるぞ。メグリある肉体、身魂、早う掃除してくれよ。最後はこの世もろとも掃除して仕舞うぞ。人騒がせだと申すそなたが人騒がせでござるぞ。人が邪魔じゃと申すなら、そなたも邪魔でござるのぞ。自分だけ中心主義、卒業ぞ。
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 DNAは親から子へと形をつなぐ仕組みぞ。親と子が似て居ることを教える型示しぞ。この方とそなたらは親と子でござる。遺伝と申すのは、親と子が似ておることを教える仕組みでござるのぞ。そなたらの親子は、霊の関係ではござらんぞ。肉体が似ておるだけでござるのぞ。親が子にルールを教えるから、子が親に性格が似るのでござるぞ。霊が真似した通りに体が行動するからぞ。霊がルール変えれば、体は別人に見えるぞ。皆皆多重人格でござるのぞ。人格は神格でござるから分けられん。一つの遊びを選んで演じて居るだけでござるぞ。いろいろな霊が代わる代わる憑いて遊べば、体は多重人格に見えるぞ。

 肉体を治しても、魂を直さねば、真の死ぞ。魂の障害が肉体の障害ぞ。医師も薬品も限られておる。手術は一日一人ぞ。救急隊も医師も掃除致すのぞ。最後は誰も直してはくれんぞ。肉を治しても霊は直らんぞ。アベコベでござるぞ。霊の修繕が先でござるぞ。霊能者は大きな掃除が必要ぞ。戦争中のことを考えよ。もっと酷き様になるのぞ。全員の魂の病を直せるのはこの方だけぞ。魂の病を直さねば、肉の病は完治いたさんぞ。魂の病を直すのが精一杯の者多いぞ。肉体死んでも魂の掃除続くのぞ。ミロクで健康体になれよ。
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 遊び、いたずら、仕事、冗談、真面目等と分けることが、それ自体が遊びでござるぞ。してはならんことは善悪分けることでござる。調和を乱すことでござる。子供が死んだら心配だと申す者、この方はそなたが心配ぞ。メグリが形に成って居るから、そなたの障害も病気も怪我も境遇も、そなたのメグリの現れぞ。人の病気や障害は、人のメグリの現れぞ。メグリ清算しなければ、そなたは消え去る運命ぞ。借りを持って天国には行かれんぞ。人を傷つけるなと申す者、そなたがそなたを傷つけて居るぞ。善くない、壊したくないと申す者、この方のもの壊しておいて、自分だけ善くなろうと申すのは虫の善い話ぞ。

 人をバカにする者が馬鹿ぞ。人を白い目で見るそなたがこの方に白い目で見られて居るぞ。自らの魔釣りを白状して居るぞ。自らの違反を白状して居るぞ。これを批判する者はこの方の申すことを分かって居らんと申して居るのと同じぞ。ふん別と申すのは魔釣りか真釣りかを見分けることでござる。ふん別ござるならば人を批判したりは致さんぞ。大人とは真コトの人なり。大人のふん別とは真釣りを外さんことでござるぞ。そなたらは真釣りを知らん子供でござる。この方の、親の申すことをよく聴いて早う成人してくれよ。
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 この方はわざとウソを申して居ることもござるぞ。そなたが真釣りに戻れば簡単に見分けられるぞ。この者はこの者の心をこの方の言葉をそのまま出すぞ。そなたらは曇りに曇って気づかなくなって居るが、そなたらは元々真コトを知って居る。分からなくても仕方ないと申す理屈は通用せんぞ。この方はすべてのすべて。出すだけ出して渡すぞ。極秘事項などござらん。全世界、全員に当てはまるフミでござるぞ。分かったところからどんどん動いてくだされよ。分からんと申してとまって居ると、分かっただけで動かねば、そなたらは曇りに曇って居るから何も知らずに死に行くぞ。そなたの心がミロクのガイド。

 この方は、この者を魔釣りの中にほおりこんで修行させて、嫌だと申してもやらせて、抵抗しても仕方ないと思わせて、アタマを下げさせて、もう出すだけでよいというところまで修行させて、この方の申すことをそのまま出させて居るのぞ。そなたがアレコレ申すなら、この方はそういうそなたに愛想を尽かせて居るのぞ。分かるか。このフミは最後の最後のお知らせでござるぞ。まだツベコベ申しておる者はこの方の申して居ることが分かって居るのか。いつまでごたくを並べて居るのじゃ。いい加減に、人に神に自らに迷惑をかけるのはやめなされよ。そなたにも人にも神にも宇宙にも、自ら自身にも迷惑なことをして居るのぞ。自覚無きも程々に致せよ。早う気づいて真釣りに戻ってくだされよ。



元つ神からの最期の艮のフミ その十

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 魔釣りも真釣りも両方形になるぞ。この方がしておるのでござるぞ。魔釣りを形にして真釣りも形にして、最後の最後に魔釣りを真釣りでマ釣るのぞ。そなたが思う通りに成るぞ。そなたが正しいと思うことが形なるぞ。そなたがメグリ持って、楽しようとしても虫の善い話ぞ。菜食主義が気持ち良いならばその通りにするぞ。そなたが偏見をもって居るならば、そなたが神を演じようとするならば、それもそのまま形にするぞ。霊で真釣りを生きておらねば、体がどんなに調子が善くても、最後にどんでん返しでござるぞ。

 出来事や事件や言動を善悪する者、神の世の悪者ぞ。真釣りを外す犯罪者ぞ。先を見るなよ。そなたが夢を実現したいのならばこの方の申す通りすることぞ。そなたが自分で造ったシナリオ通りになるぞ。ミロクですべての夢が叶うぞ。掃除洗濯進めてくれよ。

 チャネリングとは、チャンネルを合わせることでござる。心を同調することでござる。そなたが同調したものをそなたは心で思うのでござるぞ。同調した神が形にするのでござるぞ。自らの心をそのまま話せよ。行動せよ。制限をすべて外せばこの方の言葉になるのでござるぞ。そなたは霊を体に降ろして居るだけぞ。神と同調して初めて話せるのぞ。
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 自動書記とは、そのまま書くことでござるぞ。誰にでもできるぞ。そなたらが判断して選んで書いて居るから、このフミを見て特別なものと思うのでござるぞ。何も制限せず、変なことも怖いことも非常識なことも全部そのまま書いてみよ。文法も文体も誤字も脱字も気にせずに、思いのままに書いてみよ。すべてのすべては一つでござるから、どんどん書き足せば繋がるぞ。そなたがすべての判断を外して書けば、このフミと同じものが段々と出てくるぞ。そなたが行動して掃除進むほど、この者のこのフミの価値が分かるぞ。

 どっちが悪いかと申す者、損した得したと申す者、被害者だと申す者、傷つけられた損した壊されたと申す者、責任追及をする者、すべて調和乱す悪ぞ。メグリを持っておる証でござるぞ。人に向かって謝れと申す者、神にお詫びせよ。そなたが傷つけられたのは、そなたが真釣りを外したからぞ。形の○×はそなたの魔釣りの結果でござるぞ。形が壊れたと騒ぐ者、そなたの真釣り外しのお詫びはどこへいったのか。お詫びすると申すならばこの方の申す通りに実行せよ。そなたの心のままに実行せよ。大アホの悪者になれよ。

 そなたらの五〇年、この方から見たら瞬きの間ぞ。この方、今までのそなたから見たら想像を絶することをするぞ。そなたの体験や現実や知識や歴史がすべてであると思ったら大魔違いぞ。人体によくないこと申すのは、神体(身魂)に善くないことでござるぞ。魔釣りでござるぞ。人体に影響するから、害を与えるのはよくないと申す者、そなたの霊がそなたの体に害を与えて居るぞ。そなたの魔釣りがそなたの体を害したのでござるぞ。自業自得でござろうが。損害賠償請求はこの方が致すぞ。人を責めるのはオカシキこと。
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 この方は、統合した一つの視点から語って居るぞ。これを批判すれば、そなたは二つに分けて居る証でござるぞ。そなたは堂々巡りから出られんぞ。今そなたがして居ることを進めるだけぞ。どんどんクビを締めていくぞ。これを批判すれば同じことの繰り返し。繰り返して最期は動けんようになるぞ。この方の申すことを認めてその通りに動くと分かるぞ。やらんから分からんのぞ。怖いと申す者、そなたはやっておらん。怖いからしないと申す者、出来んぞ。やったと申すもの、やったつもりでござる。途中でやめておるぞ。

 何をやってもよいぞ。してはならんことは、善悪することぞ。こんなやつは許せん、こんなやつは認められん、図々しい、珍しい、人間としてするべきではない、考えられないアホだ、気違いだ、自分のしたことを反省せよ等と申すそなたが珍しいキ違いの変人の大アホでござるぞ。そなたが人を真コトに改心させることはできん。そなたが人を改心させれば、悪の中の改心でござるぞ。そなたがそなたを改心させられるだけでござるのぞ。そなたが改心して、改心したらやったらこうなるぞ、と人に話せるだけぞ。そなたが何も分からんのは、真釣り戻しの掃除をやっておらんからぞ。掃除、洗濯してくれよ。
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 「いいのかな」を「いいんだ」に、「しよう」を「する」にして行動していけば、至善に判断がなくなってゆくのぞ。そなたが行動すればそなたの現実がそなたに証明してくれるぞ。してはいかんことはござらんから、何をしても善いのでござるぞ。そなたの行動が止まるのは判断しておるからぞ。何かを避けておるからぞ。この方を疑って居るからぞ。真釣り外しあれば苦は避けられんぞ。避けても最後の最後は纏めて渡すぞ。そなたは危険に遭って、悪くなって、損して掃除するのぞ。身体で何が起きようとそれはそなたのメグリ取りぞ。そなたの心体(神体)が真釣りに生きて居れば、危険避けて居らねば、責任をとるならば、一つとして判断することはござらんぞ。真釣りあれば苦はござらん。

 なんでもそなたの思うことをやり成され。することOK。失敗して気づかせるぞ。傷ついて気づかせるぞ。そなたのメグリ相応に善きも悪きも出遭わせるぞ。段々善くしていくぞ。そなたのメグリが取れるまで、その繰り返しでござるぞ。怖いもの想像して怖いもの見て立ち止まっておりては、最期の大掃除は耐えられんぞ。肉の身で死んでも、病気になって、怪我しても、損しても、そなたの身魂はあるぞ。肉の身の生死は大した問題ではござらんぞ。取った取られたとやる者、どちらも真釣り外しぞ。そなたのゴールはミロクぞ。悪くするのは神ではござらんと申す者、そなたは自らのしたことを分かっておるか。
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 口先だけの改心では許さんぞ。今の人間みんなФぞ。⦿して居る積もりでФでござる。人の文句は気にしなくて善いぞ。Фでないならば⦿であるから文句は申さんぞ。文句申すならばその者はФの証でござるぞ。無視結構。迷惑な事はござらん。判断いらんぞ。そなたの回りは立体映画。

 浮気、不倫、別居、家出、失業、怪我、病気、事故、窃盗、殺人、脅し、不登校、喫煙、飲酒、賄賂、売春、脅迫、勧誘等々、犯罪でござるかどうかは、人間が線引いて決めて居るだけぞ。真釣りには一〇〇%コントロールはござらんぞ。脅しは脅しでござるぞ。そなたらはこの方を忘れてこの方のものを無断で取って居るぞ。そなたらが悪、迷惑と思って居ることは、真釣り外しの結果でござるのぞ。病気と闘うと申すが、そなたがそなたと闘って居るのと同じでござるぞ。何でもかんでも戦うそなたは、真釣り外しを白状して居るぞ。

 発見、発明、開発、発案、ひらめき等々はそなたら人間を通して出てきただけぞ。この方は初めからすべてのすべてを創って居るのぞ。そなたらの心にあるもの、形に成って居るもの、すべてのすべてはこの方が創ってあるものぞ。そなたらは、所有権、特許と申して独占して居るが、元はすべてこの方のものでござるのぞ。秘密にして居ると全部見えんぞ。この方はこの者を通してすべて公開して居るぞ。情報公開は一〇〇%してマコトでござるぞ。何を隠しても隠したことにはならんぞ。全員犯罪者ぞ。人の悪を裁く資格はござらんぞ。人に隠す必要もござらんぞ。そなたが何をしようとそなたにオワリはないぞ。そなたがマコトの終わりに至るのは、犯罪でも、自殺でも、失業でもござらん。魔釣りでござるぞ。
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 不幸を笑う者は悪じゃと申す者が悪でござるぞ。そなたらに不幸と申すものはござらんぞ。すべてのすべてがそなたらの真釣り外しの結果でござるぞ。そなたがそなたを不幸にした張本人でござるぞ。「不幸」と申すのは何も知らぬ被害者が申すセリフでござるぞ。自らの不幸を人にグチグチ申す者も、人を脅す者も同じことでござるぞ。そなたが真釣りでござれば、人を動かす必要はござらん。不幸や不満もござらんぞ。そなたがグチグチ申すのは、神成る身魂としてそなたの恥でござるぞ。神の恥曝しの臭き魔釣りの身魂ぞ。

 世が変わるのではないぞ。元に戻るだけぞ。別の箱で調和に戻すだけぞ。そなたの想うようにすれば、過去のデーターを捨てれば、初めてのことばかりだから面白いぞ。テレビゲームより面白いぞ。枠の中の遊びはもう限界ぞ。そなたは身魂でござるから、掃除終われば物質の世界の大変は影響ござらん。霊界は掃除済んで居るから、この方が目を光らせて居るから、真釣り無き者はどこにもおられんぞ。物質の世で掃除すればそなたの身魂に危険はござらんぞ。何も怖いことはないぞ。そなたの想いの通りだから面白いぞ。自殺をしても、邪魔者を消しても、そなたの安心はないぞ。安心どころか、もっと危険になるぞ。取り違い致すなよ。
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 我ままと申すのは我(われ)のままのことぞ。自らに素直にいくことぞ。マコトの死は身魂の死。そなたらの老いは外から見た老いでござるぞ。そなたの身魂は生き通しでござるぞ。年齢を理由に自由にならんと申すこと、死を待つだけじゃと申すこと、悪でござるぞ。福祉が必要になったのは魔釣りの結果でござるぞ。そなたの身魂に年齢は無い。

 老いは肉の身の通過駅だと申してアレコレ想像するが、その時にならねば分からん。分かったと申すのはアタマでわかったことぞ。その時にならんと分からん。そなたが真釣りでござれば年齢は関係ござらん。そなたは外から見た老人を演じて居るだけぞ。外から見た善人を演じておるだけぞ。自らの中に特定のイメージを創って、その通りに演じておるだけぞ。そなたのシナリオ通りにして居るだけぞ。そなたがしたいことをして善いのでござるぞ。そなたがその枠を演じたければいつまでもやっておれ。最期の最期は誰も相手にしてくれんぞ。被害者演じても、翻って、おどしかけても、ただの茶番でござるぞ。
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 そなたに制限をはめて居るのはそなたでござる。この方は何の制限もして居らんぞ。そなたらは制限がないから何でもできるのでござるぞ。この方はすべてを許して居るぞ。悪を裁くそなたが悪ぞ。この方が許して居るものをそなたは制限するのか。そなたが真釣りならば、外の悪は影響ござらん。そなたから死は消えるぞ。したことが返るだけでござるから真釣り外しはその者が滅びるだけぞ。身魂の滅び。そなたとは何の関係もないぞ。そなたはそれがしたいのか。そなたは芸術家。そなたは俳優。見事な作品でござるなあ。

 そなたが壊したものは直せよ。身魂の体を壊した魔釣りを真釣りに戻せよ。それが自らがしたことに責任を取ると申すことでござる。そなたの身魂が魔釣りでござるから、形の体や世界が壊れるのでござるぞ。病気や破壊が進むのでござるぞ。破壊の原因はそなたの魔釣りでござるぞ。身魂の掟破りでござるぞ。早う魔釣りをやめんとそなたが滅ぶぞ。外の世界の修繕はこの方が引き受けるから、そなたはそなたの身魂を掃除してくれよ。結果をいじくっておらずに原因を直せ(正せ)よ。

 どんなよい言葉を学んでも、生き方を学んでも、それを実行せねば何もならん。食べて実にせよ。霊が食べたものを身に降ろせよ。身に降ろして実になるのぞ。そなたが学んだものを応用しろと申すことでござるぞ。心で食べて、食べた通りに動いて、体で験(たしか)めよ。そなたの栄養と成るぞ。心で食べたものを体で演じよ。霊と体を一致せよ。演じれば心が形となるぞ。出来ないからしないと申すからできないのでござるぞ。できないのはそなたがしないからでござる。そなたの心と形を一つにしてミロクでござるぞ。
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 そなたは、そんなものは信じられんと申して居るが、「そんなもの」を想像しておるぞ。心で見て居るぞ。目の前で見て居るぞ。そなたは何故に自らが見て居るものを疑えるのか。人が申すことはその者の心にあるものぞ。人が申すことはこの方が申すことがその者の肉の身を通して形に成ったものでござるぞ。この方がその者を通して語って居るものでござるぞ。そなたが批判し、否定し、疑うものは、そなたが見ておるものぞ。聴いておるものぞ。そなたが見たものはすべてこの方の言葉が形に成ったものでござるのぞ。そなたが見たもの聴いたもの想像したものを疑うのは、この方を疑うのと同じでござるぞ。

 人に合わせて自らを演じることはないぞ。そなたがしたくないことを何故にして居るのでござるか。人から無視されるとそなたが困るのならば、そなたは自由でござらんぞ。今までのそなたの態度がその状況を創ったのでござるぞ。そなたには制限はござらんぞ。そなたが自由でないのは制限がござると申す魔釣りに囚われたそなたのせいでござるぞ。そなたには死も終わりもござらんぞ。そなたが魔釣りのままなら、死も終わりもあるぞ。
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 そなたの現実や体験を証明する必要はないぞ。○○と思わせようとすることもないぞ。人に○○と見て欲しいと申すのもそなたの身欲と申すもの。人はそなたが何と申しても、どんなに言葉を尽くしても、その者の見たいように勝手に思うぞ。どのような見方をするかは自由でござるぞ。そなたも人も同じでござるぞ。自らの思っていることを分かって欲しいと申すのは、そなたの自分勝手ぞ。そなたは自分の見方を人に強制しておるぞ。そなたの行動を伝える、証明する、分からせる、知らせる、報告する義務はござらんぞ。人にアレコレ教える必要もないぞ。ある遊びの中だけで通用するゲームでござるぞ。

 心は自己の師なり。そなたの心がそなたそのものでござるぞ。そなたの心をそなたが制限して居るからそなたの心が実現しないのでござるぞ。そなたの心に制限を付けて居るのはそなたでござる。そなたの身魂がそなたの心。そなたの心を体で形にするが人間と申す遊びでござる。嬉し嬉しの遊びを嬉し苦しの遊びにしたのはそなた自身でござるぞ。そなたがそなたの心を素直に行動すれば、そなたがそなたにすべて教えてくれるぞ。この方がそなたの心を通して教えるぞ。この方が必要なものはすべて用意して差し上げるぞ。

 この方は何の戒律も設けてござらんぞ。そなたらがこの方の申すことを勝手に取り違えをして勝手に創りだしただけでござるぞ。この方に戒律ないから、取り違えもできるのぞ。そなたらは人の間違いを許せんと申して、学校とか刑務所とか申して強制的にФの◑◐で矯正しようとなさって居るが、この方はそなたらの大きな取り違えを黙って見ておるぞ。黙って不都合を渡して、自ら改心するまでほおっておいているのでござるぞ。法律違反した者を死刑と申して殺しておるが、この方は⦿の掟違反をしてきたそなたらの死刑を、そなたらのツケの支払いを、三千年間、猶予しておるのぞ。一括清算の時が迫っておるぞ。早う目を覚まさんと、マコトの死刑台が待っておるぞ。
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 そなたが分かった真コトを演じれば、そなたの演じたことが形になるぞ。そなたがそなたの制限を外せばそなたは何でもできるのでござるぞ。この方に制限を嵌めるから、この方を制限の神にするから、そなた自身が不自由になるのぞ。今ここから全部自由にしてくれよ。そなたは身魂でござるから、オワリはないぞ。⦿に制限は一切無し。

 ミロクはこの方の意のままの世ぞ。そなたらも嬉しこの方も嬉しの世ぞ。そなたがこの方と同じにならねばミロクの民にはなれんのぞ。共生とは神と人が共に生きることぞ。自然は神の現れでござるぞ。共生したいならば、この方の申す通りにせよ。この方の申す通りというのは、そなたの心の通りに体で動くこと、そなたの申す通りにするということぞ。身魂の矯正をせんと共生はできんぞ。そなたが自主的にせんならば、そなたがオワリになる前に、最期は強制的に矯正して、共生できるようにするぞ。最期は厳しいぞ。都市も田舎もこの方の内ぞ。都市避けて田舎に住んでも自然とは共生しておらん。俗世ぜんぶ修行の場ぞ。
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 この方は一つも戒律は設けてござらんから、そなたもその通りに生きることぞ。一つもないと申せば一つも無いのぞ。素直に聴けよ。これだけは等と勝手に制限をつけるなよ。それが神心ぞ。それが差取り、悟りぞ。この方の創った通りにすることがこの方の心と同じになることぞ。そなたには制限は一つもござらん。そなたが勝手にアルと申して居るだけぞ。そなたがそなたの心のままに自由にすることがこの方の心でござる。そなたがこの方の心と同じにならねばミロクの民ではござらんぞ。ミロクは真釣り⦿の世でござる。

 うまくいかんのはそなたらの魔釣りで壊したものを返していただく間だけでござるぞ。ミロクは新しい世でござるぞ。今の物質は何一つ持って行かれん。今のままの態度、生き方ではそなたは連れていけんぞ。一〇〇%制限はござらん。この方の申す通りに一〇〇%実行することぞ。一点の制限もござらんぞ。まずは制限を外して動くことでござる。制限があると思っておったのはそなたでござるぞ。そなたが信じられんと申して居るだけぞ。この方の申す通りに始めんといつまでたっても始まらん。制限がありつづけるぞ。そなたが制限を持てば、限界もろとも消え去るぞ。戒律を持つ身魂の生まれる所はござらん。制限の現界(限界)だけで通用するやり方ぞ。
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 ⦿の身魂のそなたに制限がござるのはオカシキことでござるのぞ。限界でも自由になれるのがこの方のしくみぞ。物質世界には時間と空間がござるように見えるが、そなたがこの方と共にござれば自由自在になるのぞ。そなたが満足するだけのモノカネをやることができたのでござるぞ。ミロクは天国でござるぞ。天国に生きるには天国の方法を身につけねばならん。戒律創れば自由はないぞ。簡単な道理ぞ。そなたに戒律なければ、この方の申すことには一つとして反論する余地はござらん。反論は戒律の作品でござる。

 AはBである(AはBでない)と申すのは、一つに決めるのは、すべて戒律でござるぞ。神の世に戒律はござらんと申すのも戒律でござるが、この戒律をそなたが食べれば、戒律はござらんぞ。戒律を消す戒律もあるぞ。そなたは自由でござるから、すべてそなたの責任でござる。責任と申す概念も元々ないのでござるぞ。そんなものはオカシイと申すそなたには制限がござるぞ。その制限はどこから学んだものぞ。絶対のものでござれば全員賛成でござる。議論は消えるぞ。空気が無いと申す者は居るか。そなたの現界はこの方が創りたものぞ。そなたの元のこの方は何の制限もござらんぞ。悪魔と天使が居るのはオカシキことぞ。戒律を消す戒律を戒律だからいかんと申せば、そなたが自由にならんぞ。何でもかんでも素直に取るのもよいが、トリックもあるから、自らよく考えてくれよ。
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 戒律がござらんから何でもできるのでござるぞ。出来たり出来なかったりするのでござるぞ。出来る者と出来ない者が居るのぞ。肯定否定が出来るのぞ。議論が出来るのぞ。出来ることをするなと申す戒律をそなたが選択するから混乱するのでござるぞ。そなたがそなたにしたいことをするなと申して居るのでござるぞ。そなたの取り違いが創りだした基準で、戒律で、したいことをするなと人に申して居るのぞ。この方が許して居るから出来るのでござるぞ。この方が許して居ることをしてはならんと申すのは何事か。そなたが「してはならん」と申す理由は何でござろうか。してはならんと申す世でしてはならんと学んだからでござろうが。そなたらには死も危険もござらんぞ。肉の死は服を脱ぐだけ。

 してはならん事は出来ん。目の前にも現れん。議論の机の上にものらんぞ。してはならん事と申すその言葉自体がアルぞ。そなたは何をしてはならんと申して居るのか。してはならんと申して居るその行動があるのはいかなることを意味して居るのでござろうか。そなたらがしてはならんと申せば、制限の世が出来上がるぞ。この方は、してはならんと申す、そのこと自体も許して居るのぞ。そなたらがして居るようにすべてのすべてが形になるのぞ。そなたらがしてはならんと申すのをやめねば、そなたらの制限の世は制限の世のままでござるぞ。そなたらが出来なくして居るのぞ。最期は「してはならん」と申す世は大掃除して仕舞うぞ。早う自由になれよ。
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 ミロクの世は何でも出来る世でござる。戒律をもって居るものは初めから連れていかんぞ。どんな表現もどんな言葉もすべてこの方のものでござるぞ。してはならんと申すセリフもこの方は許して居るぞ。そなたらが申す通りにそなたらに返ってくるぞ。そなたらが申す通りにそなたらの世界を創って来たのでござるぞ。そなたらがしてはならんと申すからしてはならん世を創って出来なくしたのでござるぞ。そなたらが申すことを変えねば、そなたらの世は、そなたの現実は、何も変わらんぞ。破壊が悪と申すなら、そなたらはこの方の⦿の世を壊してきた悪人でござろうが。そなたらはこの方の申すことをずっと無視して来たのでござるぞ。殺人を許せんと申す者が、殺神して居るぞ。自らが悪者ぞ。

 この方は何一つしてはならんとは申しておらんぞ。この方がしてはならんと申したのならばそなたらはしてはならんと申すセリフ自体を使えんのぞ。この方が破壊を許さんのならば破壊はさせんぞ。破壊するような行動はさせんのぞ。この方はミロクを創る仕組みを創って居るからすべてを許しておりたのぞ。そなたが神心のままここまで来たのでござれば、すべてのすべてがこの方の世でござるから、苦はござらんのでござるぞ。大掃除が必要になったのは、そなたが制限をつけたからでござるのぞ。そなたの身魂は男でも女でも大人でも子どもでもござらんぞ。してはならんことござらん。平等でござるぞ。
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 今のままいけばこの世は滅びるから、「してはならんこと」をして居る身魂は、大掃除するぞ。「してはならんこと」は調和を乱すことぞ。Фすることぞ。この方はФもさせて居るのぞ。そなたらが制限無く遊んでおったならば、そなたは大掃除を体験することなくそのままミロク世でござったのぞ。この方の世界の内で形を変えるだけでござるから、現界も霊界もミロク世界も同じ仕組みでござるから、一つの世界から別の世界に移るだけでござるからぞ。そなたが部屋を変えるだけでござるから、そなたに問題はござらんぞ。Фを掃除して⦿に致すぞ。

 そなたらは全員マ違って居るのぞ。真と魔をマ違って居るぞ。全員悪者でござるぞ。全員「してはならんこと」をして居るのぞ。全員がうまくいく世界を自らが壊したのでござるから、全員自業自得でござるぞ。「してはならん」と申すから「してはならん」と申さねばならん世となりたのでござるぞ。今の制限の物質の世は自業自得の作品でござるぞ。人を責められる資格のある者は一人もおらんぞ。そなたらの世界にあるものは何を使ってもよいのでござるぞ。この方は無限の神でござるぞ。無から有をいくらでも創れるのでござるぞ。そなたらが勝手に制限をつくれば、そなたらの自由意志を尊重するのぞ。資源が有限にみえるのはこの方がそなたらの「リクエスト」に答えた結果ぞ。
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 この方が口出し手出しすれば修正するのは簡単ぞ。それではそなたらは自由ではござらん。そなたらが制限を嵌めれば、制限の世と成して、そなたらが自ら気づけば、気づいた者だけ自由になれる仕組みにしてあるのぞ。マ違っておるなら教えてくれと申すなら、最期に身を以てハッキリと教えて差し上げるぞ。奴隷を嫌って奴隷になりたがるとは、自らが教えてくれと申しておいて文句を申すとは、何という自分勝手な身魂でござるのか。自由と責任は一つでござるぞ。すべてのすべてが一つでござるぞ。平和、自由、責任、平等、公平、幸福、遊び、至善、真釣りの響きぞ。

 現界と霊界は同じ世界でござるぞ。状態が違うだけでござるぞ。仕組みは同じでござるのぞ。戒律はござらんぞ。何でも自由でござるのぞ。そなたらが不自由にしたのでござるぞ。何でも自由でござるから、不自由な世界を創れるのでござるぞ。この道理分かるか。現界は初めから自由な世界でござるのぞ。不自由な世界にしたのはそなたらが不自由にしたからでござるぞ。霊が体に現れる。そなたが申すことを変えねば、そなたの現実は変わらん。そなたの言葉はそなたの心、⦿の心、霊でござる。霊を変えれば体が変わるのが、この方の創りた仕組みでござる。ミロクは神の心のままの⦿世でござるぞ。

 ミロク世では、「してはならん」と申すことは言わせんのぞ。この方が不自由を許さん世でござる。「それでは神は制限をつけて居るではないか」と申すそなたは何を申して居るのか分かって居るか。不自由を許さんと申すのは、「してはならん」と申すのを許さんと申すのは、自由を創ることでござるのぞ。ミロクでは不自由な世は創らせん。不自由な世では全員天国にはならん。不自由な世を創る身魂は始めから入れんぞ。ここで掃除せんとミロクはござらん。天国はござらんぞ。そなたらが何をして居ろうともミロクの世に致せば天国ができるからこの方は黙ってそなたらの好きにさせて居ったのでござるぞ。
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 この世もミロクの世も両方とも自由な世でござるから、そなたらが初めから自由でござれば何の問題もなく天意転換が完了したのでござるぞ。そなたが自由でござれば今の今でもこの方の大掃除は何の影響もござらんのぞ。ここで自由にすればそなたには大掃除は関係ござらんぞ。そなたが死んでもそなたは生きて居るから、何の怖いものも危険も感じることはござらん。外の大掃除がどんなに激しくなろうともそなたとは何の関係も無きことぞ。そなたは自由な世から別の自由な世に変わるのでござるだけでござるからな。

 そなたは自分を消したいのか社会を消したいのか。そなたがそなたを消すような遊びをして居った結果が今の世でござるぞ。そなたのした通りにそなたが体験をするのでござるぞ。ミロクではしたいことが何でもできるぞ。してはならんと申すことは始めからさせんのぞ。そのセリフは制限の世を創るからでござるぞ。制限創る身魂は死刑ぞ。今の世でもそなたらが自由意志を使って自由に遊べるようにしてあるのぞ、そなたらが制限を勝手に創ったから制限の世になったのでござるのぞ。そなたが自由になれば、そなたがそなたを自由にして行けば、そなたには大掃除はござらん。制限の身魂は今世が最期の世ぞ。「身魂の死刑」の意味はわかっておるか。
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 そなたがそなたを自由にしていくと、不自由な世界の者から見れば、「してはならん」こともすることになるぞ。「してはならん」と決めて居るだけでござるぞ。心を傷つける、形を傷つける、モノを壊して居るのは制限をつけた身魂の態度でござるのぞ。そなたが人を傷つけることを責める資格のある者は一人としてござらんぞ。そなたがそなたを自由にすれば文句や批判が来るぞ。制限の者たちのヒガミでござる。この方は何でもしてよいと申しておるのに勝手に制限して居るだけでござるからほおっておけばよいぞ。不調和まき散らして居る自覚のない、臭き身魂でござるから、臭いものに永遠の蓋をしてやるぞ。制限を創る種を一点でも持って居るものは、最期の最期に大掃除して差し上げるぞ。

 そなたが自由になることがミロクの民を増やすことでござるのぞ。そなたが神心に戻ればそなたがそなたを天国に連れていくぞ。天国が当たり前でござるのぞ。天国で無い世にしたのはそなたらの戒律でござるぞ。そなたのやり方を変えねば、そなただけが天国に行けんだけでござるぞ。大掃除はそなたらが天国に行けるようにするためのこの方の大サービスでござるのぞ。制限の、戒律の世の作品を創り続けるならば、そなたの遊びはもう終わりでござるのぞ。終わりの世にしてはそなたらが可哀想なから、この方が作り替えて差し上げるのでござるぞ。制限ないから制限を創れるのでござるぞ。この道理分かれよ。本来なれば、ルール違反の身魂は今ここには居られんのぞ。とっくのとうに死刑なのぞ。初めから生まれんのぞ。法律違反の人間を逮捕して裁判して死刑にして居るそなたらは何をしておるのじゃ。天国壊す犯罪人を今の今まで生かしてきた神の情けをわかれよ。
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 この世はあと数年で終わりでござるから、ミロクの準備をしなされよ。ミロクは自由な身魂だけの世界でござる。そなたのためでござるのぞ。そなたらは遊ぶために生まれたのでござるぞ。この方が生んだのでござるぞ。そなたがそなたを遊べなくしたから、「何で自分は生まれたのか」等と考えることになったのでござるのぞ。そなたがそなたの現実の創造者でござるのぞ。そなたのしたいようにできる世でござるぞ。人をコントロールするのは制限の世である証でござるぞ。制限やコントロールはそなた自身が創ったものぞ。そなたのイノチも肉も身も自然も資源も、すべてこの方あってのものでござるのぞ。この方の創りた道具をつかって創り出した今の世の文明社会もこの方あってのものでござるぞ。そなたの回りには何ひとつ悪はござらん。取り違い甚だしいぞ。大掃除してゼロから出直しじゃ。早うミロクの民に戻れよ。

 ミロクの世は神の世でござるぞ。神の掟のままの世ぞ。神の掟は調和でござる。自由でござる。調和乱すことはさせんのぞ。文句を申すそなたは自由ではござらんぞ。そなたの態度を掃除せねば、自由にならねば、そなたにはミロクはござらんぞ。この方がそなたが壊しただけして渡してやるから、苦しんでご苦労してゼロにせよ。少しづつ渡して居る間に掃除せよ。今のそなたが一度に掃除するのは地獄ぞ。ゼロから始まるミロクでござるぞ。この世は後少しで終わりでござる。ミロクの準備を始めてくだされよ。
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 自由、責任、平和、平等、公平、夢、幸福、やすらぎ、すべてのすべてが一つでござるぞ。ものを壊す者を責めるそなたが調和の世を壊したのでござるぞ。そなたは何でもしてよかったのでござるぞ。何でもしてよいのでござるから、人をコントロールしたり、人を殺したり、人のものを盗んだりしないでも、そなたの欲しい状況を手に入れることができるのでござるぞ。何をしてもよいと申すのは、制限はないと申すことぞ。そなたが人をコントロールせずともそなたの欲しい状況を創りだす方法がござるのぞ。「出来ない」と申すセリフはこの方の世にはござらんぞ。そなたらが勝手に創ったものぞ。「一度に、楽して、簡単に」と申す制限を付ければ、条件を付ければ、人にちょっかいを出すことになるぞ。⦿は無条件でござるのぞ。人をコントロールしないで、嬉しい状況もできるのぞ。

 今のそなたらが「苦しいことはしたくない」と申せばそれは我善しぞ。人が文句を申しても、「この者は何も知らないのだ」と申す見方もできるのぞ。「何を申そうとこの者の自由でござる」と申すこともできるのぞ。そなたが人に口出ししなくてもよい考え方、行動の仕方がござるのぞ。そなたが動けば形になるのぞ。そなたが自由ならばそなたは今の服の寿命がきても、引き続いて遊べるのぞ。何回でも服を着替えてできるのぞ。そなたの身魂はずっと生きておるからな。そなたが制限しただけ制限されて頂くが、最期は⦿ぞ。そなたのイノチはこの方次第ぞ。
P177
 天才と申すのは、身魂のすべての体験を積み重ねてここに出したものぞ。子どもが作曲をしてもオカシクないぞ。子どもと申すのは今世では新しい服でござるが身魂は体験をつみかさねて居る。教育などと申すものはいらんぞ。教育は制限を教える遊びぞ。魔釣りを教える遊びぞ。そんなことは信じられん、そんな考えは善くない、と申すのもそなたの条件でござるぞ。そなたの基準はどこのだれから学んだものぞ。この方は申して居らんぞ。満たし合いでできるぞ。制限を付けたそなたらは自分のことはできんようになって居るからコントロールするのぞ。魔釣りのФの宗教ではますます制限がきつくなるぞ。辛抱肝心ぞ。

 そなたができなくしたのでござるから。人に頼るならば文句は申せんぞ。頼るのがいやならば一つ一つやっておけよ。自分で歩いてくだされよ。歩けばいつかは目的地に着くぞ。時間を区切るから焦るのじゃ。人に邪魔だと申すのじゃ。そなたは永遠ぞ。五〇年かけてやっても、次の世で続けてもよいのでござるぞ。今度ばかりは掃除せんと次の世では遊べないのぞ。ミロクのそなたと申すのは今までのすべての世の体験をすべて蓄積しておるぞ。そなたが今世の体験をすべて思い出せるのと同じように、全世の体験を見ることができるのぞ。身魂のそなたがそなた自身。そなたがいろいろな服を着ても、そなたの体験を語れるのと同じ道理。そなたはミロクにいけば時空ないから、何でも自由ぞ。
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 ミロクに行けばすべてが分かるぞ。何も隠れられん世ぞ。ミロクにいくならば掃除必要ぞ。今回ばかりは掃除なければ次の世はござらんぞ。続いてゲームはできんのぞ。今までは闇の世でござるから今までのやり方でも生まれ変わって遊べたが、今度は世が変わるのでござるから、そのままではだめでござるぞ。そなたが行くか行かないかはそなたの自由でござるぞ。この方はそなたに掃除の機会を与えるだけぞ。きついからやめると申せばそなたは消えるぞ。Фでは行くところがござらんのじゃ。この方は善にも悪にも平等に機会を与えるぞ。しただけ返せばよろしい。「悪」しただけ「調和」乱しただけ苦しいぞ。身魂相応の掃除でござるから、平等、公平でござる。悪人の機会をうばうのが人間心。悪人に機会を与えるのが神心。与えるのが神。自業自得の清算じゃ。今度ばかりは一旦遊びを中止して、Фを⦿に戻す掃除を始めてくれよ。ミロクで再出発。

 そなたが自由でござらん分、人の責任にして来たのでござるから、きつくなるぞ。自業自得。してきたことを返してゼロに戻る仕組み。宇宙はバランスでござるぞ。調和でござるからな。そなたが外しただけ偏らせただけ借りを創っただけ偏って居るから、すべて返せよ。返さな宇宙が偏るからな。ミロクは霊のゼロの世ぞ。そなたが偏っておれば行かれん道理。闇はござらんから偏りの身魂は行かれんから、自由の世しかつくれんから、早く掃除せよ。自然とそなたが一体と申すのはこの方の心のままにいくことぞ。神心ぞ。いつまでも形だけで解釈して居ると、最期の最期に大失態をやらかすぞ。
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 神と申すのは自分の世話は自分でできる者のことぞ。心に素直に行くことが見事なパズルを創るのぞ。我善しでやるから、勝手にミロクを創って動くから、99.9のミロクを創るから、神の制限創るから、ますます難しくなるのぞ。引っ繰り返しても666のニセのミロクでござる。制限が残って居るから、別の制限を付けてますます混乱するのでござるぞ。そなたが真コトを演じれば、人から見えるのでござる。魔釣りの者に真釣りを語っても分からんぞ。そなたが演じる形を見てどのような反応をしようとも、それがその者にとっての教材でござる。そなたが何も教えなくても分かるぞ。今分からんでも、見せておけば、後で分かるぞ。最後にこの方が身をもって教えるぞ。言葉で申しても分からん。態度で示せよ。この方を新しい制限にするでないぞ。そなたが⦿をそのまま動けば、⦿の形が出るのでござるぞ。出すなよ。
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 そなたの神は捨てなされ。神心と申すのは何でも出来る心のことぞ。制限が完全に無い心のことぞ。そこまでやってはと申すことはござらんぞ。完全ぞ。神の自由と申すのは、条件も制限もない自由ぞ。そなたがそなたの想いの通りに演じればすべて形になるぞ。「難しい」「できない」と申せば、そのまま形になっていくぞ。今のそなたらもそなたが条件をつけたとおりに形になって居るのぞ。そなたが真コトを教えたいならば、そなたが真コトを生きることぞ。そなた自身が条件を外して生きることぞ。今までのアタマは捨てなされ。捨てないと新しいものはこないぞ。そなたらは手にФばかりもって居るぞ。⦿とФは同時には持てん。⦿かФか、生か死か、どちらかひとつ。

 自分のことを自分でできない者が多いぞ。人に頼って、神に頼って、思いどおりにならんと不平不満を申す者ばかり。そなたが人をコントロールせずに自由に成る方法がござるぞ。時間は無限ぞ。そなたは身魂ぞ。寿命はござらん。服を変えてできるぞ。何をあせって居るのじゃ。時間はござるのぞ。一つ一つでござるぞ。一つ一つ形ぞ。一遍にやろうとするのはそなたの制限ぞ。我善しぞ。人との関係でござるぞ。人をコントロールせんでもそなたのすべての枠を外せば、そなたが死と申す幻想も外せばそなたは自由ぞ。急いでいるからと申す理屈は通用せんぞ。そなたが勝手に急いでいるだけぞ。

 自給自足とは自ら決めて自ら動くことぞ。自ら動けば出会いがあるぞ。出会いから形になるぞ。欲しいものを持って来てくれるぞ。そなたが欲しいものの所へ行くぞ。そなたを欲しい者のところへ連れて行くぞ。宇宙はバランスでござるぞ。そなたが出せば来るぞ。そなたがゼロに近づくほどそなたの出しただけくるぞ。そなたが握って居るほどこないぞ。最後には全部出して掃除ぞ。宇宙の偏りをすべて正すのが大掃除でござるぞ。そなたが身魂で心で制限を付けておるだけきついぞ。そなたが欲しくないものも来るが、それはそなたがした結果でござるぞ。欲しくないものも天国の道具でござるぞ。そなたが取っただけ苦しむが、自業自得でござるから辛抱して下されよ。しただけ耐えれば楽にして差し上げるから、死んでも頑張りてくだされよ。
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 「農」をやることが自給自足ではござらん。足らざるを満たしあってお互いに欲しいものを交換することぞ。全員が山に籠もったら、都市が山に移るだけのことぞ。何も解結せんぞ。お金が必要ならばお金を使って自給自足をさせるぞ。そなたらは一人ではござらんぞ。一人では何もできん。今までも出会いがあったでござろう。同じことぞ。真釣りを生きたら一人になると申すのは逆ぞ。真釣りに生きれば満たし合いで仲間が来るぞ。魔釣りに生きておると一人になるぞ。いつまでも今世にこだわっておると、孤独で死ぬぞ。そなただけが「いなくなる」ぞ。

 健康のフリやデーター管理は意味ないぞ。病気を避けるのは逆ぞ。そなたは自由でござるから制限をつけられるのぞ。なぜわざわざ制限を付けて居るのでござろうか。制限のないそなたの身魂にそなたが制限をつければそなたは制限を選んだのでござるぞ。霊で制限を付けたから体に制限が現れるのでござるぞ。そなたがしたことで人に文句を申すのは勝手なことぞ。死を避けると申すのは、今世だけが自分であると申すことと同じでござる。そなたがそなたを時間の枠にはめて居るぞ。それを元に動けば、時間が制限になるぞ。人を邪魔することになるぞ。我は老人でござるから世話をせよ等と申して人をコントロールするぞ。受け入れるとは文句を言わんことぞ。何も避けんことぞ。全部自業自得。
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 表面のやり方、表現をアレコレ申すのは悪ぞ。そなたが正しいと決めておる基準に基づいて人をコントロールしようと申してもそれは我の勝手でござる。他人よかれとは、そなたのことは脇に置いて、真釣りに戻ることぞ。そなたが損しようとも、病気や怪我をしようとも、死のうとも、そなたがしたいことを一つ一つすることでござるぞ。死ぬ恐れがあるからと申して勝手にやめるなよ。そなたが恐れを創るならば、そなたの内には恐れがあるぞ。死はない身魂に恐れがあるのはいかなることか。死んではいけないからやめさせるべきだ等と申して人のすることをコントロールして居るのがそなたらの法律の原点ぞ。人が何をしておりても人に自由にさせておくことぞ。そなたが口を出さんでも宜しい。この方が必要なだけピタリピタリと渡して居るから心配いらんぞ。

 人がミロクにいくかどうかはその者の自由でござる。今今の時期は少しづつバランスを取る大掃除が形に見えてくる時期ぞ。外の世界がゼロに近づいて行くほど、⦿からずれて居る者には怖くなるぞ。きつくなるぞ。最後は神人全部の世界を一気に開いて宇宙全体の偏りを一気に戻すから、偏って居るだけ皆皆地獄となるぞ。そなたの内をそなたの身魂の偏りを一気に戻すぞ。今までは箱の中に入っておりたから外の掃除から猶予されておったのぞ。岩戸開きとは箱のフタを開けることぞ。蓋を開ければフタの外と同じにせねば苦しくなるぞ。フタが開けばそなたの内に水が入ってくるからそなたは今までのままでは溺れるぞ。そなたは今までのままでは逃げるところはないぞ。早く⦿の泳ぎ方を覚えろよ。
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 外の泳ぎ方を、神⦿の生き方を学べば自由自在に泳げるぞ。今のままでは溺れ死ぬぞ。そなたの潜水艦に水が入って来ておるのぞ。そなたの潜水艦は壊れるぞ。そなたの肉の世のものはすべてこの方の材料でござるから、人間がどんなに頑丈につくろうとも、絶対の安全はないぞ。核シェルターも溶かして仕舞うぞ。水が入れば水のないところに人が集まるぞ。取りあいになるぞ。苦しくなるぞ。空気が無くなるぞ。酸欠になるぞ。そのままでは死ぬぞ。早く神の呼吸を学べよ。神のアクアラングに取り替えろよ。霊の生き方を身につければそなたは安心ぞ。そなたの肉の服を脱いで神の服を着られるぞ。そなたの今の世も神の世も同じ仕組みでござるからバランスでござるから、そなたは楽ぞ。何もなくミロクにいけるぞ。赤子は水の中に裸で生まれるぞ。一旦裸になって新しい服を着るのぞ。
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 そなたらは神の創った箱の中のバランスを崩したのでござるぞ。箱の中ではそなたのやり方は通用するが、箱が壊れれば何も通用せんぞ。箱の中のものをすべて集めても、意味ないぞ。そなたは箱ごと丸めるぞ。箱の中が真っ黒でも、外の水は無限でござるから、外の水を入れれば黒は消えるぞ。黒い者はなくなるぞ。中和せんとそなたが融けるぞ。箱の蓋が開けば、外はバランスでござるから、偏っておる者はきついぞ。内の如く外ぞ。

 そなたがゼロならそなたには掃除は関係ないぞ。そなたには世界が変わっても、同じ仕組みの世界を動くだけでござるから、同じ水でござるから、潜水艦を移っても何も影響ないぞ。今して居る通りにするのでござるから楽ぞ。次の世は闇はござらんから、そなたは宇宙とともにミロクにいくぞ。そなたがゼロ、偏りなければ、今の世でも欲しいものは何でも手にはいるぞ。そなたがゼロなら⦿ミロクに行くぞ。ミロクに行けばそなたは何でも自由でござるぞ。そなたの⦿を貫き通すことでござる。⦿が欲しい者をこの方がそなたのところに連れて行くから、来た者にだけ渡してくれよ。要らんと申す者には渡すなよ。

 肉の体には寿命あり、今の世も物質の世でござる。この方は始めから世の寿命を決めて居ったのぞ。「決めていたのなら教えてくれれば」等と申す者、そなたが⦿ならばわかるぞ。自らがФしてわからなくしておいて、その言いグサは何たることぞ。世の寿命が迫っておるぞ。早く物質の世の服を脱げるようにならんと、物質の世と共にそなたの体の寿命も霊の寿命も終わりでござる。そなたがそなたを終わらすことになるぞ。そなたの身魂は寿命無しぞ。そなたの身魂が神のやり方でござればそなたは永遠のイノチでござるぞ。そなたが制限を付けるから、偏らせるから、そなたがきつくなったのぞ。神の霊ぞ。ゼロぞ。出せば来る仕組み。取るからこないのでござるぞ。溜めるから偏るのでござるぞ。簡単な道理でござる。そなたが屁理屈こねても、神の世が開けばそなたは一溜まりも無くなるぞ。そなたら有無を申せんようになるぞ。体死んで霊生きるぞ。霊死ねば、体どころかそなたが消えるぞ。
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 そなたは人のことに口を出す必要はござらん。この方の掃除はどんどん進むから、一人一人気づいていくぞ。一人一人厳しくなって来るからやらざるを得なくなる。一人一人が自らの偏りだけ厳しくなるぞ。苦しくて自らを殺すことにもなるぞ。アタマで教えても分からんぞ。この方は全員に身を以て教えるから、神々様もそうだから、そなたのことだけ考えればよいぞ。全員自ら自身の問題ぞ。隠して居るものどんどん出て行くぞ。

 そなたのして居ることすべて正直に語れよ。そなたのしておること全部バレルぞ。そなたが自らの保身をしても隠しても、そなたらのしておること自体が悪でござるから、そなたがどんな悪をしておっても同じことぞ。「私はしました」と申せばよいぞ。そなたらの法律自体が⦿の法律違反ぞ。そなたは自らのしたことを隠そうとするが、そなたらの真釣り外しは丸見えでござるぞ。ワイロかワイロでないかは何とでも申せるが、人のお金を渡す必要も人の票を集める必要もござらんのぞ。人の票や人の金や人がおらんと出来ないならばそなたは文句言えんぞ。そなたは自由ではござらんぞ。人に合わせねば成らんぞ。人の申す通りにせねばならんぞ。人にコントロールされるぞ。悪を裁くのが悪。悪と決めておらねばそなたは何でも言えるぞ。秘密なければ操作されんぞ。罪悪感は魔釣りの作品。
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 人をコントロールして居る者は人にコントロールされるぞ。力は力で倒される。うまいこと申して集めたものはうまいこと申して去っていくぞ。「やりなさい」は教育で、「しないと殺すぞ」は犯罪なのか。コントロールは一〇〇%⦿の世壊す犯罪ぞ。やさしい言い方も厳しい言い方もないぞ。⦿の世にコントロールはいらん。コントロールせんで遊ぶやり方あるぞ。そなたがコントロールを選んで居るのぞ。そなた自身が、制限を、人から取ることを選んで居るのぞ。取ったほうも取られたほうも戦って居るほうも守っておるほうも同じでござるぞ。お互い様の遊びぞ。両方悪いのでござるから裁判はいらん。

 そなたが何も申せんようになる時期が近づいて居るぞ。そなたがこの方の心になればこの方の神示出させるぞ。⦿を形にしてゆくぞ。この方の仕組みすべて分かるぞ。この方の創った世界、上から下まですべて分かるぞ。すべて一つぞ。そなたが一つになれば、⦿になれば、神心になれば、Фやめれば、この方と同調すれば、この方の世のことすべてわかるのぞ。屁理屈をこねてツベコベ申して居るのは、わからんのはФの証ぞ。現界も神界もミロクも同じバランスでござるぞ。今の偏りの世界はすべて壊れるぞ。身魂のバランス、身魂のエネルギー、身魂の響きが偏ればそなたはマコトの終わりぞ。そなたは抵抗できんぞ。そなたはこの方には抵抗できん。そなたが偏らせたからそなたはきつくなったのぞ。そなたが何と申せどもこの世はゼロぞ。そなたには変えられんぞ。そなたがそなたの生き方をタテナオセば、そなたは楽になって行くのぞ。自らしたことは自ら直せよ。早くこの方に戻れよ。自らФを⦿にすれば、タテナオせば、外も替わるぞ。マコトぞ。
P187
 この方はALL OKぞ。何も裁いておらん。戦争も許しておる。そなたらがしたいようにさせておるのぞ。そなたが戦いやめれば戦争とまるのぞ。そなたが戦って偏らせただけ我善しをしただけ揺り戻しがきついぞ。そなた自身が戻してくれねばゼロにはならぬ。ゼロにならん者はミロクには行けんぞ。アタマで分かっただけでは駄目でござる。分かったことをやらねば何も変わらんぞ。偏ったままぞ。そなたが壊しただけ身を以て苦しまねば何も変わらん。心で想像しても掃除にはならん。心で掃除しようとするから、魔釣りのФに騙されるのぞ。思っただけでは部屋は綺麗にならん。動いて掃除するでござろう。自ら動いて掃除せねば、そなただけが⦿世に行けんぞ。
P188
 そなたが掃除終われば、そなたにとっては悪も危険もありはせんぞ。それが真コトの安全ぞ。たとえ宇宙に逃げようとも、肉の世界でどこに逃げても逃げたことにはならん。物質の箱を掃除するのぞ。そなたはどこに逃げるのぞ。掃除なければ、死んで逃げようとて逃げられん。死後の世界はこの方の⦿の世でござるからな。掃除あれば、いざとなればこの方が引き上げてやるぞ。人から見れば酷い形でも、物質の世で何が起きようとも、そなたから見れば、何の痛みも苦しみもなくなるぞ。マコトに危険なことと申すのは、この方から離れることでござるぞ。保険を掛けても何もならん。どんなに頑丈な家を創ってもこの方の元の火で溶かせるぞ。すべてのすべてはこの方の材料で創ったものでござるから、壊すのは簡単でござるぞ。

 最後の戦争、原爆の地獄どころではないぞ。肉の眼から見れば、阿鼻叫喚の地獄でござるぞ。そなたが身魂を掃除すれば、そなたにとっては何でもないことぞ。可哀相な者は居らんぞ。すべてのすべてが自業自得のメグリ取りぞ。形の恐れを避けることは、そなたがそなたの身魂で創った恐れを避けることぞ。そなたは恐れをもって居るぞ。そなたが創った恐れを避けると申すのはいかなることか。そなたが恐れを創りだしてその恐れから逃げようとする自作自演のドラマに過ぎん。そなたは恐れを見ることになるぞ。この世を壊したそなたの責任はどこへ行ったのぞ。身魂の掃除なければ、肉体でどんなに綺麗でも、身魂は悲惨な状況になるぞ。最期に来てまで間違えるなよ。そなたの肉の身がそなたではないぞ。そなたの肉に身の危険を避けようとしても意味はござらん。そなたの身魂偏りあれば、制限あれば偏り創りだすぞ。そなたの身魂に偏りあればそなたの肉の身にあらわれる。そなたの身魂と肉の身は一つでござるぞ。そなたの肉の身で偏り正しても、身魂が偏っておれば、マコトの死ぞ。
P189
 霊の目で見ることが、陰陽の逆転でござるぞ。仙人は幽界の存在でござる。そなたが陰陽に分けるからそなたは分からなくなったのぞ。そなたの肉体で何でもできるのぞ。オカネのシステムを創りだして、交換の仕組みを創ったのはそなたらぞ。もうけたら交換ではないぞ。誰もいなくなったらそなたは何もできんぞ。自ら歩かねばならんぞ。創らねばならんぞ。選択せねばならんぞ。そなたが文句を申せば、何もできん。人はそなたができんことをしてくれて居るのぞ。そなたが楽できて居るのぞ。そなたを早く運んでくれるのぞ。そなたに創ってくれるのぞ。感謝しかないでござろうが。物質の箱は壊すぞ。早く出られるようにしてくれよ。このフミも、この者も、だれも何も居なくなったら、どうするぞ。だれも質問に答えてくれなかったらどうするのか。今からそのようにやって下されよ。

 そなたが聴くことをそなたが答えればよいぞ。人に聴くから騙されるのぞ。魔釣りの神は自らを正しいと思っておるぞ。間違いだとは言わんぞ。本当だと申すぞ。世界全員、神も人も全員共通の道理。すべてのすべてがバランスぞ。誰でも使えるものぞ。想念は同じ。言葉の表現が違うだけぞ。お土にあるものが違うから違う文化ができるのぞ。人間の遊びぞ。世界の文化は違うだけぞ。どれが善くて悪いはないぞ。この方の⦿は全員が探しておるものぞ。そなたら一人一人の中にあるぞ。この方が分かったらこの方捨てよ。
P190
 人生は神生ぞ。そなたの身魂の歴史ぞ。そなたの肉身の生まれ変わりは、そなたが服を着替えるようなものぞ。そなたが会社を替えるようなものぞ。そなたが旅行するようなものぞ。そなたがゼロに戻ればミロクは楽々と変われるぞ。そなたが偏っている分きつくなって居るのでござるぞ。この方に逆らうほどそなたは偏っていくぞ。自分が自分のクビをしめて居るのでござるぞ。借銭(メグリ)積めばクビが回らなくなるぞ。自らが自らに支払わんと動けんぞ。肉体の毒消しても身魂の毒はそのままぞ。最期に毒が全部回るぞ。肉体に善いことをしても健康ではござらん。身魂と体は一つでござる。霊が先。

 自然破壊とは神の調和を壊すことぞ。壊した形は元には戻らん。神が新しく創り直すから、形の自然破壊をアレコレいじくるのはやめて、そなたの身魂の掃除洗濯を致せよ。Ф(◐◑)に合わせて◯の外見を創っても、そなたの一人芝居ぞ。何の意味もないぞ。人がどんなによろこんでも、そなたが⦿でなければ、そなたの天国はないぞ。ハラが立つのはそなたが原因ぞ。利用する者には利用されておけよ。そなたが真釣りに戻れば、人のココロは分かるぞ。騙されるのはそなたが原因ぞ。騙されてメグリ取るのぞ。段々と真釣りと魔釣りが見分けられるぞ。魔釣りのままで損避けておりては見事にФに引っ掛かるぞ。天国が地獄にかわるぞ。
P191
 今あるもの批判する者は、自らのしてきたことを批判することになるぞ。魔釣りの神もこの方の生んだ神ぞ。そなたが魔釣りを生きるから、魔釣りを形にして不都合出して、真釣りを外れて居ることを知らせるために産み生んだ神ぞ。そなたが真釣りをしておれば悪も不都合も形に致さんで済んだのぞ。自らしたことを人のせいにしておってはますます魔釣りを進めるぞ。そなたに天国はないぞ。天国はできておる。そなたが行くだけぞ。⦿が天国でござる。Фは天国にも地獄にも行かれん。全部⦿になるからФは神も人も滅び。そなたが⦿国つくるのではないぞ。この方がつくった⦿国に⦿持って入るだけぞ。そなたが⦿国に入れば、そなたがみたら天国ぞ。⦿が天国の素。

 ここだけの上、ここだけの財を求めても、そなたが取れたもの、すべて大掃除ぞ。この物質の部屋の中のすべてを手に入れても、すべての者を支配しても、そなたの遊びはそこまでぞ。そなたの身魂が掃除なければ、そなたはこの部屋もろとも滅びるぞ。そなたがついて居る魔釣りの神は自らを絶対だと思っておる。この方の仕組みをすべて知って居るのはこの方だけぞ。そなたの心のままに一〇〇%動けばそなたは掃除が終わるのぞ。この方には善も悪もござらん。そなたが悪したから酷きことになるのぞ。苦避ければ掃除止まるぞ。掃除増やすのと同じぞ。悲惨な状況を避けようとするほど悲惨になるぞ。どれがこの方の生き方かと探すことが、この方の生き方ではないのでござる。今ここで、カラクリを教えたのでござるから、分かった者は早ようそのФゲームから出るがよいぞ。陰陽逆。
P192
 親が先、子が後ぞ。神はどんな先祖より先ぞ。先祖の先祖ぞ。すべての先祖の元の元。この方無ければ何もないぞ。そなたの元でござる。そなたの先祖の元でござる。すべてのすべての元でござるぞ。疑いをやめることぞ。そなたの中身は神⦿ぞ。身魂ぞ。イノチは神ぞ。そなたの申す命はそなたの肉の身がなくなることを申しておるぞ。肉なくりても魂なくならず。肉の死を避けるとそなたの魂なくなるぞ。死を避けるココロは魔釣りぞ。死を避けて居ると身魂が死ぬぞ。そなたの内にないものはそなたには見えんぞ。そなたが死や悪を語るならば、そなたは悪を持って居る魔釣りの身魂ぞ。そなたが⦿ならば悪はござらん。悪は見えん。悪待つのは悪魔ぞ。万が一と申して居るそなたは悪見ておるぞ。悪神は自らを悪と思ってないぞ。正しいと申すぞ。この方もそのように見えるが、違いを感じてくれよ。この方が申しておる善悪は相対の善悪ではござらん。この方はそなたの心に居るぞ。この方の申す通りにしておれば、苦しんで怪我して損して死んで掃除完了するぞ。身魂が生き返るぞ。再生するぞ。甦るぞ。今のФのそなたは神から見れば死んで居るのぞ。早う更生してくれよ。神が岩戸開けば大掃除されるぞ。早うФ死んで⦿生きよ。いつまでもФして居ると致命傷になるぞ。
P193
 年齢はないぞ。外を見て自らのイメージを創って演じて居るだけぞ。男でも女でもないぞ。そなたは元の火と元の水の組み方で男女どちらにでもなるぞ。魔釣りの人徳身につけても、善人になっても、魔釣りの世だけの茶番ぞ。真釣りの徳は神徳ぞ。⦿徳を積むことがそなたの財産ぞ。体験が財産。魔釣りの財産、魔釣りの知識、魔釣りの道理をいくらたくわえても何もならん。魔釣りの経験をいくら積んでも何もならんぞ。魔釣りの経験は真釣りの世では役にたたん。Фの道理は⦿には持って行けんぞ。真釣りの道理を身につけてくれよ。魔釣りの者は真釣りの道理知らんから、今ここでこの方が教えておるのぞ。魔釣りのそなたが真釣りに戻れるように、魔釣りから真釣りに移った人間を通して、人間の体験として教えておるぞ。そなたの魔釣りのアタマでまずそなたのして居ることをよく考え直せよ。この方の申すことをアレコレ判断することがФの道理でござるぞ。そなたの心を批判することが判断することがФぞ。分かったらすぐ⦿で行動せよ。Фの教育(宗教)、卒業ぞ。

 そなたらの世界は無法地帯となっておるぞ。皆勝手なことをしておるぞ。法律は一〇〇%守っておらん。一〇〇%取り締まることは出来ん。不平等、不公平な世でござろう。元々の⦿の創りた世は何でもできるから、自らの理屈で自らの都合で自らのしたいことをしておるぞ。したいことできるのに、自らは動かず人をコントロールして楽して居る者ばかりぞ。自給自足や感謝など程遠い社会ぞ。そなたが制限し続ければ法律厳しくなるぞ。怖いことばかりになるぞ。厳戒体制ばかり取ることになるぞ。何もできなくなるぞ。何もできなくなって、最期は法律無き世界になるぞ。争いが激しくなるぞ。最期はこの方が箱ごと大掃除して仕舞うぞ。早く⦿になってどんどん掃除進めてくだされよ。
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 逃げる者はほっとけよ。ほっとけば死ぬぞ。自分で責任とるぞ。逃げても無駄ぞ。犯人を追いかけるそなたが⦿の世壊した犯人ぞ。最期はそなたが死ぬぞ。最期は全員揃って自らが自らの責任を取ることになるから、人のことはほっとけよ。人間の法律で裁けば、そなたはメグリを積むぞ。「させたい」「させたくない」と申すが、そなたの子供はそなたのものではないぞ。そなたのマコトの祖国はこの方の所ぞ。祖界(そこく)ぞ。神界ぞ。早く幽界から帰れよ。今のそなたは人殺しぞ。身魂殺しぞ。自殺せなならんぞ。回りの反対はさせておけよ。悪やって居る一人一人のメグリ知らんで警察は何もできんぞ。再発防止はできんぞ。人間のФで善悪裁く警察は神の世の悪ぞ。事故も病気も一人一人のメグリが原因ぞ。責任転嫁はできんぞ。被害者は自らのメグリの結果ぞ。犯人捕まえても何も解結しないぞ。今ここのできごとはそなたらの掃除の材料ぞ。そなたの見ておる事故はそなたとは関係ないのぞ。事故や犯罪を善悪で議論するそなた自身のФを掃除せよ。
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 このフミや今までの神示を解説しても意味ないぞ。Фの者が解説すればФの解釈を伝えることになる。一人一人が原文を読んで自らの解釈を応用せよ。実行せよ。表か裏かでござるぞ。表の中で一か九九かを議論しても意味ないぞ。悪か善かどちらかでござるぞ。善か悪かを議論することは悪創るだけでござるぞ。⦿は自由でござる。議論の余地無し。

 どんなに頑丈に造っても壊れるぞ。肉体の食糧溜めてもお金溜めても何もならんぞ。物質の箱自体が壊れるのぞ。防災対策するより、一人一人の身魂の掃除をせよ。奉仕や福祉も後少しの茶番ぞ。物質の援助では根本的な援助にはならん。困って居るのはそなたの身魂のしてきたことでござるぞ。助けないのは善くないことじゃと申すそなたは何をしておるのぞ。そなたがしてきたことでござるのぞ。辛抱致せよ。そなたは死んでもそなたぞ。五〇年貧乏してもそれはそなたのしたことぞ。⦿から見ればチョンぞ。自分でできないで人に頼むならば文句申すなよ。文句あるならば、そなたが自分でやれよ。

 形の違いを裁く者、Фぞ。そなたが掃除をすれば、大掃除はそなたには関係ないぞ。この方の創った宇宙はこの方が掃除するぞ。この方の中で偏らせたものをそなた自身が掃除せよ。そなたのしたことはそなたがせよ。この方の掃除に合わせたらそなたは楽になるぞ。そなたがしたことをそなたが戻すのぞ。そなたがしたいように成って居るのぞ。戦争の悲惨さを伝えても意味ないぞ。戦争が悲惨じゃと申すそなたが戦争創った犯人ぞ。最後はもっと悲惨な状況になるぞ。身魂を掃除したものにとっては肉の身がどうなろうとも痛くも痒くもないぞ。怖いことが嫌ならば、怖いことから逃げたいならば、まずそなたの身魂を掃除せよ。そなたを傷つけた犯人はそなたの身魂のФぞ。全員が自分自身の殺人犯。
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 放送禁止用語。オブラートに包もうと、ズバリと申そうと同じことぞ。表面の文字には意味はござらんぞ。傷つける言葉と申すものはござらん。ヒトと人間、草木とケモノ。

 ミロクは入場制限ないぞ。そなたが身魂を掃除すれば入れるぞ。ミロクの切符は身魂の掃除ぞ。モノを残しても無駄ぞ。肉身はこの世界だけの服ぞ。神の世では物質の服は使えんぞ。この者は臨床研究の結果を語って居るぞ。ウソだと申すならばやってから申せ。

 自分が夢を捨てて居るのぞ。そなたのココロはすべて形になるぞ。そなたが行動すれば形に成るぞ。そなたができんと申すから、そなたはしないから、形にならん。自らが自らをとめておいて形に成らんと文句を申しても自分勝手なことぞ。

 制限のルール、不自由なルールを創っては遊べんぞ。ひとつでも制限を持つ者はミロクへは行けんぞ。神は一〇〇%自由。男の気持ちも女の気持ちもないぞ。そういうものを創って皆で演じて居るだけぞ。どう考えてもよいぞ。責任はすべて自分ぞ。危ないから許さんと申すのが危険思想ぞ。
P197
 形を求めるなよ。心を実行せよ。今世出会った魂が女であり男でござる。信じられん者は勝手にせよ。自分で選んだもの自分で裁いておるぞ。自分で自分をコメントして居るぞ。ストレス発散するのは迷惑ぞ。そなたがしたいことは何でもしてよいのぞ。そなたの自分勝手ぞ。そなたが創った結果を人のせいにするなよ。ストレスはそなたが創ったものぞ。何でも自由なら、文句もドロボウも殺人もオカシキコトぞ。

 モノを取っておいても全部無くなるぞ。残るのは身魂だけぞ。魂は三千世界共通の持ちものぞ。掃除なければ物質の部屋と同時に掃除ぞ。この箱の中で競争をして手に入れても、その手に入れたものはもう無くなるぞ。身魂を掃除すればミロクで遊べるぞ。競争をしても無駄ぞ。遊び道具交換ぞ。

 ここで全員一斉に掃除をしてミロクで再スタートでござるぞ。このままこの世を続けても壊れるだけでござるぞ。この方は初めから今ここで掃除することを計画しておりたのぞ。そなたらが偏らせただけ掃除が厳しくなったのぞ。一人でも掃除せよ。今の今でも悪はござらん。今は不況ではござらんぞ。危ないことは一つもないぞ。外はすべて映像ぞ。
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 そなたが教祖ぞ。このフミを読めばこの者の前の本の意味が分かるぞ。この者が自分自身の本の解説をしておるぞ。書いた本人が解説するのが最も確実ぞ。全部伝わるぞ。この方の申すことを活用せよ。この方が申すことが分かったら、そなたの教義となるぞ。

 暑い日続くのは火の洗礼の前章ぞ。「俺はどうすればいいんだ」には自分で答えよ。「なぜできないのか」「ルールですから」「そこを何とか」神には一切通用せんぞ。この方はすべて教えて居るのじゃから、最期の最期は何も言わずに黙ってそなたを消すぞ。

 そなたが勝手に制限を創って自ら偏らせて苦しんでおるのぞ。自業自得ぞ。神から出られんぞ。バランスからは逃れられん。そなたがそなたを自由にすればよいだけぞ。せねばならんことやしてはならんことは一つもはないぞ。人に文句を申す理由はござらんぞ。

 人を殺して、欲しいモノを手に入れても、すべての者殺して一人占めしても、上に立っても人を支配しても、そなたはそれまでぞ。そなたの手に入れた物質やここのゲームでの地位や名誉や勲章や財産はミロクには持って行けんぞ。身魂の掃除なければ終わりぞ。Фのもの持っただけ、トクしただけ厳しいぞ。アベコベぞ。
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 どんなに進歩させても、どんなに便利にしても、そなたのその外側を全部取られたらどうするぞ。物質の箱は終わりぞ。薬もコンピューターもなくなるぞ。資源なければ電気もガスもないぞ。水もなくなるぞ。そなたが物質の肉体は壊れるぞ。そなたの身魂が掃除あればそなたは新しい服が着られるぞ。掃除なければそこまでぞ。モノの時代はもう終わりぞ。Фの宗教の遊びはもう終わりぞ。超能力でもカネでもミロクは開けんぞ。Фの世のデーター、プライバシー握ったところで、支配したところでただの茶番。知りたい者には教えてやればよいぞ。個人情報支配しても身魂は支配できん。

 金をかせいでも、物質の世で何を手に入れても、掃除無き者はそこで終わりぞ。壊れるものを溜めてどうするのぞ。そなたの肉の身も終わりでござるぞ。悪を暴いて批判して潰すゲームをして居るそなたが悪ぞ。そなたが潰れるぞ。自らを潰すことをして居るぞ。そなたは何をして居るのか。狂って居るぞ。そなたは自殺したいのか。そなたの問題ぞ。そなたがどうするかぞ。すべて遊びぞ。ルール違反の中のルール違反はただのゲームぞ。Фは自滅するぞ。自滅するものをわざわざ滅してどうするぞ。そなたも滅びるぞ。
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 最後のミロクの入口には⦿以外通用せんぞ。今から申して居るぞ。出直しできるのは後少しの間ぞ。その時になって何とかしてくれと申しても何もできんぞ。入口の条件、今から申しておるぞ。神のルールを破るわけにはいかん。調和壊れるからぞ。調和壊す者は許さん。もう地獄は創らせんぞ。今からこの方は申して居るぞ。間に合わんと申してあるぞ。「どうすればよいか」後はそなた自身で考えよ。そなたの答えを実行せよ。材料は渡してあるぞ。そなたが一つ一つやれば結論はでるぞ。悪避けるなよ。悪に一厘有り。



元つ神からの最期の艮のフミ その十一

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 人間の歴史始まって以来の初めての出来事ぞ。万古末代二度とない、最初で最後の一度こっきりの大変でござる。今までのデーターは何の役にもたたんのぞ。いつまでも歴史を研究しておって何になるのぞ。古代の生活を知っても何にもならんぞ。知識ではこの大峠は超えられん。嘘だと言って泣き叫ぼうが、許してくれとすがってこようが、Ф掃除無き者には、次の世はないのぞ。この世はあと数年で新しき世に生まれ変わるのぞ。いつまでも物質の世の魔釣りФの産物にしがみついていても、今のままではイノチの保証はないぞ。この方の申すのは、身魂のイノチのことぞ。身魂のイノチなければ新しき世には生まれ変われんぞ。Ф肉体死んで身魂生き返る⦿仕組みぞ。そなたは永遠のイノチは要らんのか。そなたが一番欲しがっていたものではないか。最後のチャンスでござるぞ。Ф命捨てて⦿に生きよ。肉のイノチ死んで魂のイノチ生き返る仕組み。この方にイノチ預けて早う掃除せよ。掃除無き者、根こそぎにするぞ。

 今までも立替え建て直しの掃除、洗濯はあったのであるが、一点の悪残して自ら改心して掃除するチャンスを渡したのであるが、身欲や保身で手に入れた得や地位や名誉や財産を握りしめて手放さず、人民の上に立つ者が何時までも自らの保身を決め込んでおるから、下に従う者たちも、何も知らずにここまで来てしまったのでござるぞ。この方がこの世に落とした、こ度の人間の掃除を手助けする御用の身魂でさえも、悪の仕組みにまんまとはまりて、改心どころか、神の申すことをウソだマヤカシだ悪魔だと申して、いつまでやっても平和も調和も平等も安全も自由も創れない悪魔のやり方に囚われているとも気づかず、ますます悪の世を進める始末。誰も彼も、ものの見事に曇りなされて神はことごとく閉口ぞ。自ら滅ぶアリ地獄に自ら足を踏み入れているのぞ。すべてが滅ぶ悪の世をいつまで続けるお積もりか。シッカリしなされよ。これが最期の⦿のフミぞ。
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 元つ真釣りの神世に戻す、新しき世を創る三千世界の大掃除が、いよいよ本番に入ったから今までのやり方は通用せんぞ。いつまでもこの世を人間に任せておりてはこの世が滅びるから、自ら改心する者わずかであるから、このままでは全員が滅びてしまうから、真コト⦿の者も巻き込まれてしまうから、元の元の親神⦿が表に現れて、今度の今度は一点の曇り無きまで、悪も闇も、一つ残らず大掃除するのであるぞ。神幽現、神の世界も人間の世界も、すべてのすべての立替え建て直しであるから、ケガレある者無くなるまで、死しても続く大掃除ぞ。地球上、世界中、たとえ宇宙に逃げようとも、死後の世界に逃げようとも、掃除なければどこに逃げてもご無念ぞ。今度ばかりは掃除なき身魂の居るところはどこにもないものと思えよ。身魂の掃除終われば今ここでも安全ぞ。身魂の掃除無き者には、どこを探しても安全なところはないぞ。いい加減に目を覚ましてくだされよ。現界の大掃除が最期の仕上げじゃ。⦿の者なれば、どんなことが起きようと怖くも何ともないぞ。怖いと申す者、この方信じて早う⦿に戻れよ。天国楽しみに掃除にはげめよ。
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 神の仕組みは寸分違わんのぞ。今ここから始めんと間に合わん。外を見て「そんなことはありえない」と思う時から始めんと間に合わんから申しておるのぞ。今までと違うことがこれだけ起きているにも係わらず、未だ改心始まらず。ミロク近いから、この方もいつまでも待ってはおれんから、自分のことだけ考えている身魂のご機嫌取りをする暇はなくなったから覚悟致せよ。元の元の元の⦿がすることぞ。すべてのすべてを産み生んだ親神が申しているのだから間違いないぞ。その時になってから気づいても遅いから、外に気づいてから始めても間に合わんから、今から申すのであるぞ。皆なが始めたのを見てから始めても遅いから、世界の大掃除が始まってから始めても遅いから、今から申すのであるぞ。誰が掃除を始めて居るかは外から見ても分からんぞ。一人一人の大掃除ぞ。外探すと潰れるぞ。最初で最後の大掃除であるぞ。このフミもこの者も突然でござろうが。

 今までしたことがないのであるから、ツベコベ申さずにハイハイと素直に神の申す通りに始めることじゃ。ツベコベ言っているとツベコベ言えなくなってくるぞ。いつまでも同じアヤマ知を続けているとビックリがでるぞ。「なんとしたことか」と腰を抜かすぞ。ヘナヘナ立てんようになるぞ。ビックリが出てからでは遅い遅い。この方はそなたら人間に成っている身魂を生み産んだ親神であるぞ。そなたという身魂を産んだオヤの申すことを素直に聞けよ。この方、そなたらお子を一人でも多く天国へ連れていきたいから申すのであるぞ。厳しく言わんと間に合わんから、オニになってしつこく申すのであるぞ。もうギリギリであるぞ。いつまでもホトケを続けていては世がホドケてしまうからオニとなるのぞ。ゴロ合わせではないぞ。マコトのことぞ。早う掃除始めてくれよ。神、頼んだぞ。
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 神の掟、神世のルールは調和であるぞ。調和乱すがマコトの悪であるぞ。今世で世に落ちている者、すべて真釣り外した身魂ぞ。多かれ少なかれルール違反持っているぞ。調和が真釣りぞ。不調和は魔釣りぞ。身欲が魔釣りの始まりぞ。巡る輪廻の始まりぞ。肉身の死恐れても意味ないぞ。今度は身魂の生死ぞ。身魂を綺麗にするのぞ。そなたという身魂のルール違反の責任をとるのであるぞ。今の世は魔釣りФの世ぞ。魔釣りのやり方続けても天国はないぞ。地獄もないぞ。地獄で苦しんでチョンぞ。真釣りに返して、元々に戻して、嬉し嬉しの光り輝くミロクの世を創るのであるぞ。「そんなものはできるわけがない」「そんなものは迷信だ」等々と屁理屈をこねる者はもういらんからお好きなようになさるがよいぞ。後で気づいて神のところに駆け込んできても、この方はどうすることもできんぞ。何年アタマを下げようと、逆立ちしてこようと、財産全部持ってこようと、今度ばかりは掃除なくして、真釣り⦿なくして、この方とて助けることはできんのぞ。モノやカネや学や教やФの知恵ではどうすることもできん。⦿真釣り持って来てくれよ。
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 身欲は我善しぞ。先に取って楽をするからメグリ巡って取り合いになるのぞ。真釣りは先に与えるから与え合いになるのぞ。今までのすべての生で取ったものをすべて返してゼロにするのぞ。被害者をやっている者は加害者でもあるぞ。すべてのすべては一つぞ。そなたが取ったからそなたが取られるのであるぞ。メグリ合いであるぞ。いつまでもグチグチと被害者をやっているではないぞ。そなたの真釣り外しがそなたの被害の原因であるぞ。そなたの加害者はそなた自身であるぞ。外を裁く者は自らのルール違反に気づけよ。そなたが取り合いしていると全体が取り合いになるのぞ。人の取り合いを裁く資格はないぞ。取ったものをすべて返せよ。損したもの取り返せば今までと同じことぞ。取ったものをすべて返して身魂を裸にするのぞ。元々に返すのぞ。身魂の生まれ赤子になるのぞ。

 肉の御身も借り物ぞ。肉の御身の生死にこだわるのは魔釣りであるぞ。そなたに巡りなければそなたは人間はしておらん。人間は時間のゲームぞ。制限のゲームぞ。⦿なら自由になるぞ。そなたが人間でやったことを人間で責任をとるのであるぞ。死後のそなたがそなたであるぞ。身魂の掃除をするのぞ。人間のルール違反の話を身魂のルール違反の話にするのぞ。そなたがしたことが返っているのぞ。今世で不調和あるのはどこかで調和乱したからぞ。そなたがしたことを人のせいにすればそなたは違反を続けることになるぞ。人間でメグリ清算せねば、身魂には二度と戻れんぞ。
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 最後の最後は天国前に強制的に掃除するぞ。最後のチャンス与えるぞ。今までのすべての掃除だからきついぞ。そなたら極楽トンボ者には想像もつかん地獄ぞ。今のうちから掃除始めることぞ。損得生死こだわっていると大変になるぞ。そなたの人生の生死は今世の生死ではないぞ。肉の御身のそなたが誕生してから死ぬまでを身魂のそなたに置き換えてみよ。そなたが小学校で創った違反を大学で返すのぞ。大学の不都合は大学のそなたに覚えなくても小学校でしたことぞ。今不調和あるのはそなたが原因ぞ。この方の話が分からないならばそなたは魔釣りぞ。これは例えぞ。

 そなたが真釣りを生きているならばこの方の話は必要ないぞ。そなたがいるものすべてのすべて自由になっているのぞ。そなたは勉強する必要も仕事する必要もないぞ。そなたは誰の話も聞く必要はないぞ。そなたは不安も不満もある筈がないぞ。一〇〇%掃除して創始に戻すのぞ。取り合いを掃除ぞ。裁くのをやめることぞ。裁きなければ自由ぞ。何でも出来る筈ぞ。苦も悪も見ないぞ。そなたがそなたに戻って与える所からやり直し。そなたがすべて返しきらなければ始まらんぞ。そなたが取ったら誰かが取られるのぞ。巡り巡ってそなたが取られているのぞ。取られるのはそなたが取っているからぞ。そなたが離したくないものを持っているならばそなたは身欲あるぞ。保身あれば取っているものあるぞ。そなたが持っているものはそなたが取り合いしているものはこの方が創ったものぞ。神のもの取っていい気になって居ると、イノチがないぞ。ドロボウは死刑ぞ。この方に借りたものはすべて返せよ。
P208
 そなたはこの方が創ったモノの中に生まれたのぞ。肉の御身もこの方の貸しものぞ。肉の御身の保身はこの方のものを所有していることになるぞ。ツベコベ申すのはルール違反している証拠であるぞ。そなたに対する捜査はいらん。そなたが言うこと為すことルール違反の証拠ばかりぞ。そなたの生き方がルール違反の程度を白状しているのぞ。身魂のそなたが何世にも渡って拾っては捨て、捨てては拾ったものを全部綺麗にこの方に返すのぞ。身魂のそなたのしたことはこの方がすべて帳面に書いてあるから逃げられんぞ。人間の犯罪は逃げられるが、神の犯罪は逃げられんぞ。そなたは逮捕されておる。人間の裁きは不公平だが、神の裁きはメグリ公平ぞ。賄賂でも人脈でも権力でもどうにもならんのぞ。人のモノ取るのはドロボウぞ。人のモノこわすのはハカイ罪ぞ。すべてはこの方の創りたこの方のモノぞ。この方のモノすべて返せよ。

 この方が一番偉いのぞ。この方は無から有を生み有無元つ真釣り⦿の神なるぞ。そなたの力は通用せんぞ。そなたが消せるのは肉身だけぞ。消した肉身はこの方の貸しものぞ。この方の貸しものを壊すそなたは犯罪人ぞ。そなたが真釣りならばこの方の申すことは素直に聞けるぞ。そなたが肉の体で何と言おうと、そなたの身魂のしてきたことはこの方がすべて知っているぞ。心の九(コ)エを聞いているのぞ。全部丸見えぞ。そなたの借り物を全部かえさなければそなたの罪は消えんぞ。そなたが自分の責任とらないならば、不調和続けるならば、そなたは死刑ぞ。身魂の死刑ぞ。身をもって償えよ。自らのしたことであるぞ。この方が手を変え品を変え教えていたのにツベコベと屁理屈をつけてさぼっていたツケであるぞ。そなた自身の責任であるぞ。ルール違反の責任は自ら取ってくれよ。
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 最後の最後は三歳(みとせ)苦難(くなん)ですべてを開き、そなたの借金(メグリ)なくなるまで掃除して頂くのぞ。そなたが自分でやらないならば、そなたの外側掃除してそなたの内側掃除させるぞ。そなたがルール違反をしていれば神の世はないぞ。そなただけ死ぬぞ。今から始めればきついなりにも楽にできるぞ。この方は帳面通りに、そなたがしたことを一番楽に返せるようにメグリを渡しているのぞ。そなたが理屈をこねてチャンスを潰し、ますます罪を積んでいるのぞ。いつまで続けるおつもりか。自分が自分を苦しめているのぞ。そなたが魔釣りを続けるならば、不調和続けるならば、全体が偏るのであるぞ。迷惑であるぞ。そなたが体験、そなたの作品ぞ。そなたの結果ぞ。人のせいないぞ。最期は世界纏めて大掃除ぞ。罪積むほど重くなって動けんようになるぞ。この方、そなたらの罪をかぶって、いちばん下に居るのぞ。土はこの方の体ぞ。上下逆転するぞ。上の者、つぶれるぞ。プレスするぞ。この方、重いぞ。用意はよいか。つぶれたくなければ、マコトの上になりたければ、早う、下に下れよ。

 そなたが取ったものすべて返して裸になるならば、神のゲームが始まるぞ。天国が始まるぞ。人間の天国もあるぞ。この方が何でも与えて、肉の身でも自由の身になるぞ。ミロクになれば自らが何でもできるぞ。掃除すめば人間としても自由であるぞ。この方が遊ばせるぞ。調和まけば調和ぞ。すべてのすべてをお返しして、保身を捨てて、ソンするときは損をして、怪我する時は怪我をして、早うしたこと返せよ。不調和蒔いた責任とれよ。今の世は魔釣りだからそなたが真釣りを始めれば文句がでるぞ。文句や操作や苦情聞いてやめれば魔釣り進めるだけぞ。そなたが真釣り⦿をすればよいことぞ。そなたの借金を返すのぞ。それぞれの借金を返すのぞ。借金と申してもオカネのことではござらんぞ。
P210
 魔釣りで学んだ善悪で、宗教で、魔釣りのやり方教育してどうするのぞ。人のことより自分のことぞ。そなたが真釣りを生きればそれが教育ぞ。後ろ姿で教育ぞ。この方と約束したことを守れよ。調和蒔けよ。この方とミロク創ると言ったではないか。神成る身魂の調和の民が、不調和創る身欲に走ったは許せぬことなれど、ここで責任とるならば、そなたが蒔いた不調和引き受けるならばそれでよい。早く真釣りに戻ってくれよ。しただけ返せばそれでよいぞ。そなたが掃除をすることがそなたの役目ぞ。そなたの役割ぞ。そなたの御用ぞ。掃除なくしてミロクないぞ。調和ないぞ。不調和を調和に変えるのが神成る身魂の真姿ぞ。魔釣りの魔姿Фを真釣りの真姿⦿にしてくれよ。早う目を覚ましてくれよ。
P211
 今までの教えことごとく逆ぞ。魔釣りの不調和行く先は滅びぞ。取り合いの身魂はこの方が許さんぞ。神々様も逃げられんのぞ。地球上、何処へ逃げてもご無念ぞ。メグリあるだけ大掃除に巻き込まれるぞ。そなたが持っている不調和の分だけ苦しむぞ。肉の身の死はそなたという人間が怪我をしたようなものぞ。服を脱がんとミロク無いぞ。生死越えた身魂の掃除ぞ。身魂のそなたがしたことを清算するのぞ。借銭ゼロにするのぞ。取った+(プラス)を返して-(マイナス)ぞ。人間から見れば-なれど、そなたが取った+が原因ぞ。眼前の損だけ見て騒ぐのは守るのは怖がるのは自らの責任とらん身欲丸出しの身魂ぞ。無知も甚だしいぞ。-は+ぞ。ゼロぞ。そなたが持っているФすべて返さん限りは、安全も平和もないぞ。

 そなたが持っているものすべて返して頂くぞ。取っただけゼロに戻すの大変ぞ。損避けると損積むぞ。自ら積んで罪増やしているぞ。得は損ぞ。取った分だけ返すのぞ。一括払いはきついぞ。きついから今から申しておるのぞ。岩戸とは身と魂の境を開くことぞ。今までは時節ありて閉じていたなれど身魂一つになりたからもう逃げられんぞ。神世の規則は真釣り⦿ぞ。調和ぞ。与えるのが先ぞ。この方は与えるばかりで取ったものはないぞ。太陽もお土も与えるばかりではないか。取っているのは人間だけぞ。そなたはこの方の土地に勝手に進入しているぞ。この方のものに勝手に入っているのぞ。住居侵入罪ぞ。侵略したされたの問題ではないぞ。戦争はお互いの共食いぞ。同じゲームぞ。魔釣りФの果てぞ。自業自得ぞ。責任のなすり合いは酷き結果になるぞ。人に勝つ者は神に負けるぞ。
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 そなたは法律違反をしているのぞ。今世だけの人間の法律にこだわっているとトンでもないことになるぞ。死んでもФの罪は消えんぞ。肉体の死刑や自殺では罪を積むだけぞ。そなたらは、神のものを勝手に盗む泥棒ぞ。窃盗罪ぞ。犯罪者が犯罪者を裁いて何をしておるのぞ。今まではこの方が黙って控えてメグリ与えて気づかせていたからできたことぞ。これからはどんどん厳しく知らせていくぞ。病気も事故も怪我も天災も全部そなたがしたことぞ。そなたが原因ぞ。愚痴も文句も責任追及も認めんぞ。きついのは自分がした結果ぞ。誰にも文句言えないのぞ。身魂の犯罪償えよ。喜びのこの方の創るもの喜びぞ。喜びのみが普通の身魂ぞ。苦しみある者魔釣りがあるぞ。魔釣りある者人のこと言えんのぞ。自らの心得を正せよ。行動を正せよ。苦しんで喜ぶ仕組み。嬉し嬉しが⦿の仕組み。

 九分九厘夢がかなっても駄目であるぞ。完全に零に帰すのぞ。この方に返るのぞ。和ぞ。零ぞ。霊ぞ。輪ぞ。そなたがお陰の輪廻に入ることがそなたの役目ぞ。真釣りぞ。神鳴る身魂ぞ。合格ぞ。この方は陰ぞ。縦ぞ。下に控えて居るぞ。火は下からぞ。そなたが与えるものが返るのぞ。自らの責任とれよ。罪悪感は保身が裏ぞ。人の裁き気にするそなた損得やっているぞ。人の行動に文句申す者も保身ぞ。人に責任無し。自らの感情を人の責任にしているぞ。被害者も加害者も同罪ぞ。身魂の掃除ぞ。身だけではないぞ。人間刑務所で罪を償うのぞ。すべて返せば刑務所が娑婆になるぞ。掃除の邪魔すれば罪積むだけぞ。これからは許さんぞ。メグリビシビシ渡して掃除させるぞ。最後は神も人もマゼコゼの一括払いぞ。そなたが身魂だということを分からせて時空一つにして全生の責任をとってもらうのぞ。悪くなって善くなる仕組み。-と+で0。得して損して0。裏の裏は表。
P213
 罪あれば積みぞ。この方はそなたらに着せられた罪を被って言挙げもせず何をされても黙って控えていたのであるぞ。罪一番多いから一番下であるぞ。お土がこの方ぞ。罪の型示し。そなたらが魔釣りあれば、罪あれば下にいくぞ。魔釣りのやり方で上に居るもの引っ繰り返れば下であるぞ。上下逆転であるぞ。借り物守るほど下ぞ。下は地獄であろうが。重いから重力あるのぞ。神が一番下にいること気づかんのか。積みが罪ぞ。借り物握っていると重いぞ。人間の借り物一番重いのぞ。三歳苦難始まる前に早う掃除始めろよ。

 そなたは身魂ぞ。そなたの岩戸開かんときついことになるぞ。この方は何の制限も戒律もござらんぞ。罪悪感などござらん。何を悪と申しておるのじゃ。罪悪感すてることが保身すてることになるぞ。身欲すてることになるぞ。そなたがすることは掃除することぞ。夢はミロクまでとっておけよ。そなたが掃除すればここでも叶うぞ。楽しい時に心配するなよ。不都合出たらすべてを捨てて行動することぞ。人間のルール捨てることぞ。一番上後に行くほどきついぞ。自分が取ったものすべて返せよ。ルール守らないのは悪いことならばそなたらは全員悪人ぞ。悪人が人の悪裁くとはいかなることか。約束守れよ。神の法律守れよ。神の法は真釣りぞ。真コトを釣ることぞ。神の法は調和ぞ。調和とは損得ないことぞ。善悪ないことぞ。そなたに不調和あるならばそなたは魔釣りぞ。掃除せよ。人の魔釣りを責めている資格はないぞ。人の揚げ足取りをしている暇はないぞ。⦿が調和。
P214
 人のルール違反を裁いているそなたがルール違反であるぞ。神のルール違反は本当の死になるぞ。神の死刑は本当の終わりぞ。今ここが地獄ぞ。魔釣りあるほど地獄きついぞ。阿鼻叫喚の地獄になるぞ。魔釣り外したそなたが招きしことなるぞ。自らしたことをまだ自ら以外の責任にするのか。魔釣りが悪魔ぞ。天使悪魔を調和することが真釣りぞ。天使も悪魔も一つのものぞ。そなたが調和あればないものぞ。天国も地獄もないぞ。善悪裁いてしまったと自らを裁くのも悪裁いたことぞ。善悪ないなら罪悪感も出来ないことも迷いもござらん。心に悪創って悪避けるなよ。心に苦創って苦避けるなよ。ただやるだけぞ。そなたの体験には善悪苦楽ないぞ。オワリは身魂の死。そなたが分けているからそなたが偏っているから片方が見えるのぞ。そなたが+に偏っているから-が見えるのぞ。そなたが-に偏っているから+が見えるのぞ。どちらも±を持っているぞ。調和でないぞ。分けているぞ。分けると不調和ぞ。分けて見るのが魔釣り。土がこの方ぞ。型示しあるぞ。
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 善悪と善悪が戦っても善悪のままぞ。調和ない者掃除せよ。掃除無しで神⦿の世はないと思えよ。調和あるならば戦いないぞ。偏りないから喧嘩ないぞ。調和あるから善悪一緒に見えるぞ。分けあるものを一つにせよ。そなたが分けているから片方が見えるのぞ。そなたが選んでいるものとアベコベが見えておる。そなたの善を相手が悪というから喧嘩になっているのぞ。善も悪もないぞ。分けているだけであるぞ。この方は天使でも悪魔でもないぞ。調和の鏡ぞ。調和の鏡の身魂を下ろしてあるぞ。鏡に使えよ。サニワの剣もらえよ。そなたの身魂が玉ぞ。玉は田(㊉)真ぞ。神のマコトぞ。神の真中は誠ぞ。そなたの肉のお宮にも神の真コト⦿が鎮まれり。身欲が魔釣りの始め。保身ある者身欲あり。恐れあるもの借り物を握っているぞ。人を恨むことも人を羨むことも同じことぞ。そなたが真釣り調和ないから思いどおりになっていないからそう見えるのぞ。自らを-と決めると相手恨む羨むぞ。自らを+と決めると相手が恨む羨むぞ。妬みと羨みはФ一重。二重人格はФと⦿の同居。裏表あるから二重。もう一人の自分いるぞ。善悪なければ全部自分⦿。

 そなたが思い通りでないのはそなたの掃除なき証ぞ。人を恨むこと逆恨みぞ。そなたに返るぞ。そなたの恨みを皆無視したらそなたがそなたに恨まれることになるぞ。そなたの身魂がそなたであるぞ。そなたの身魂の掃除ぞ。そなたの身魂のルール違反がそなたの体験を創っているのぞ。そなたがしたことがそなたに返るのが神の法則ぞ。そなたに調和なければ真釣り外しの証拠ぞ。そなたが調和のみならば真釣りの証拠ぞ。そなたに不調和出たときは、そなたに苦しみ出たときは、身魂の違反が原因ぞ。人裁くなよ。殺されあろう何であろうすべて本人が原因ぞ。肉の身で見た目で決めるとそなたが死ぬぞ。真釣りと魔釣りはマ釣りにあれど、全く逆であるから、道誤れば大変なことになるぞ。事故も病気も怪我も殺人も自殺も損も苦しみもすべて本人のメグリの結果ぞ。⦿の法律違反の償いをしているのぞ。可哀相も気の毒もないぞ。人頼っても人責めても魔釣り進めるだけぞ。真釣り戻している時に魔釣り進めてどうするぞ。人をほおっておけない自分が魔釣りぞ。人のこと気になる自分が魔釣りぞ。そなたが真釣り⦿ならばそなたの外はただの映画ぞ。
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 一点の曇りなきまでに掃除ぞ。この方のこと悪魔だと申す者は大掃除必要ぞ。この方の言葉を語る者、真コトをズバリ申す者を冷たいとか鬼とか人間ではないと申すものは大掃除が必要であるぞ。自らが外を分けあるФことを自覚せよ。分かつ知あれば掃除ぞ。神に善悪ないぞ。神は調和⦿ぞ。身魂の世界は時空ないぞ。身魂の世界は一つぞ。分けあればきついぞ。すべて自らに返ってくるぞ。魔釣りある者が肉去れば、自らばら撒いた恨みはすべて自らに返るぞ。真釣りある者が肉去れば、自らばら撒いた調和が返るぞ。そなたが掃除進めるならば、時間を追って調和増えるぞ。苦しみ減るぞ。苦しみを自分以外の責任にするならば、苦しみ増えるぞ。魔釣りФと真釣り⦿、ハッキリたて分けて示すぞ。時間を追って先に行くほど善くなるのが⦿のやり方ぞ。そなたが掃除をすれば喜びが戻ってくるぞ。そなたが掃除さぼれば曇りが増えるぞ。さぼった分だけきつくなるぞ。肉を去れば時空はないぞ。そなたがした分一度に渡すぞ。今なら時間を追って分割払いできるぞ。
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 三歳苦難は天地神人⦿Фすべて開いてまぜこぜにして一括払いにするのぞ。そなたがここでさぼればますます魔釣りが進み、ルール違反の罪が増え、蒔いた不調和増えるだけでござるぞ。取ったもの増えればきついぞ。今から分割払いすることぞ。そなたがさぼった分、魔釣りが進むだけぞ。そなた次第でそなたの体験が決まるぞ。今怖がっているともっと怖がることになるぞ。そなたがここで気づいて真釣り⦿に変えなければそなたは魔釣りФを進めるだけぞ。今までと同じやり方をして楽しているとどんどん怖くなることに気づけよ。今まで人の責任にしていたすべてのものを自分のしたことと自覚せよ。そなたに不調和現れたときは自らの創ったものであるから辛抱せよ。人を操作せずにできることをしておれよ。遊べる時は遊べよ。不都合来たらその瞬間に解結の機会があるのぞ。その前から将来何が起きるか心配する必要はないぞ。そなたがしたいならばしてもよいがな。雨は雨、不都合来たらその中で、そこでひとつひとつ処理せよ。雨に濡れていけよ。それが自らしたことの責任をとることぞ。不都合さけるは魔釣りぞ。不都合さける手だてを魔釣りФの文明と申すのぞ。不都合さけるならば、そなたがさける前に不都合をまとめて渡すぞ。いいかげん神念(かんねん)してバクにつけよ。

 不都合の対策準備するのはアベコベぞ。そなたがルール違反している証拠であるぞ。取ったもの守ろうとしている証拠ぞ。魔釣りをしている犯罪人ぞ。神のルール違反を自供しているようなものぞ。そなたの不安はそなたの保身ぞ。保身捨てろよ。そなたがФしただけ苦は避けられんぞ。避けるならば責任取っておらん。責任とるなら悪避けるのはオカシキことぞ。自らのしたこと自らご苦労して清算せよ。そなたは不調和蒔いているぞ。そなたは元々一つのものを分けて居るぞ。取っているぞ。自覚せよ。時間が進めばそなたの違反だけ返せば、一旦自由になるぞ。分割払いぞ。一度には楽できないぞ。一度にするとキツイから少しずつやるのぞ。そなたの岩戸は開いてあるからココロを見れば見えるぞ。瞑想はヘビの知Фを上がらせるだけぞ。そなたの普通の生活で不調和を掃除するのぞ。そなたが真釣り⦿を生きていればそなたの生活に不調和ないのぞ。出家しても修行にならん。そなたの修行は不調和を辛抱することぞ。自分の責任じゃと自覚して行動することぞ。
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 誰かに頼れば魔釣りぞ。誰かに責任着せれば魔釣りぞ。自分のことは自分で決めよ。罪悪感捨てよ。自分の責任で行動すれば不調和出てきて掃除してどんどん善くなるぞ。損や危険を避けるココロは魔釣りの悪魔の心であるぞ。損して怪我して病気して掃除するのぞ。死んでも続く掃除ぞ。身魂の掃除ぞ。境はないぞ。身魂の死は終わりではないぞ。魔釣りあれば死んでからも掃除あるぞ。きついぞ。真釣り⦿あれば死はミロクの扉ぞ。三歳苦難は神人全部開いて掃除するのぞ。三歳苦難までに真釣りすべて戻した者は空飛ぶぞ。

 真釣りあれば地上の大変も地震も戦争も毒も放射能も関係ないぞ。魔釣りあるだけ苦しいぞ。はい回るものいるぞ。共食いになるぞ。最後の最後は生死一如の世界になるから苦しくても肉身あるなし関係ないから自殺というカードはないぞ。今ここで自殺して逃げれば魔釣りある分厳しいぞ。自殺はこの方の持ちものを壊すことであるから、自殺前の魔釣りに自殺の罪が加わって何倍もの地獄になるぞ。今ここで掃除する方が楽なのぞ。苦しいのはそなたのした結果。この方が死なせるまで、どんなことがあっても堪えてくれよ。
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 この方はそなたが最も楽に掃除できる道を選んでいるのぞ。苦しいのはそなたがしたことぞ。しただけのことは何としても返して頂くぞ。しただけは逃げられん。そなたが創った偏りをそなたが戻すだけぞ。苦しいだけ取って楽したと思えよ。人責める資格ないぞ。人責めれば責めるほどきつくなるぞ。先に行くほど動きがとれなくなるぞ。ウソだと申す者は得心いくまでやってみよ。先の先で気づいてももう遅いぞ。保身捨てていればできるはずぞ。できないのは保身あるぞ。借りたもの返さないのは泥棒ぞ。この方は最後の最後まで泥棒にはしないからせっせと返せよ。最後にきてもドロボウして居る者は「返す意志なし」一括払い(強制執行)となるからドロボウしたい者は勝手になさるがよいぞ。ドロボウは自滅するから、ドロボウを責めて居らねでそなたは早う返してくれよ。利子も延滞料も要らんから借りただけ返せよ。すべて遊び。ゴッコ。おままごと。そなたが子どもの遊びのようなもの。勝手に制限創って苦しんでおるだけぞ。勝手に制限はめて人をコントロールして居るだけぞ。この方の遊び場で身魂が遊んで居るだけ。子供の遊び場でござるぞ。日本銀行は⦿の子ども銀行。
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 そなたが永遠の天国を体験するまでは掃除必要ぞ。終わらせるなよ。終わるのぞ。終わればその瞬間から天国ぞ。天国来たら完了ぞ。この方疑う者、この方裁く者、この方悪魔にする者、この方冷たいという者、すべて保身あるぞ。自覚せよ。ツベコベ申す者は三歳苦難まで控えておれ。魔釣り進めただけ厳しいが一括払いすればそれで宜しい。したこと責任持つのが神成る身魂の態度ぞ。神成る態度無きものは神世ないぞ。態度できても借りたもの返していなければ神代ないぞ。行動して学ぶのぞ。損して返すのぞ。死は借りた肉体返すだけぞ。肉身死しても続く身魂の掃除ぞ。今までの常識は、自らを苦しめ周りに不調和蒔くだけぞ。これ以上取って偏らせてどうするぞ。肉の常識、肉の見方卒業しろよ。神の目で見よ。神のやり方に変えよ。身欲外して自らの責任に生きるだけでよいのぞ。形の統合、統一は混乱増(ま)すぞ。ひとりひとりの心の統合が平和つくるぞ。同じ形にすることが平等ではないぞ。ひとりひとり違うから全体が満たされるのぞ。メグリ相応に掃除するから形はバラバラぞ。

 自殺も他殺も魔釣りぞ。殺した方も殺された方もメグリぞ。神から見れば殺人も自殺も自然死もただの出来事であるぞ。その者のメグリが増えたり減ったりするだけぞ。自然死はメグリ取りぞ。自殺しなければメグリ取れるのぞ。自らの身欲の想いで、死に行く者を生かすなよ。死ぬまで黙って見ておれよ。死は経過ぞ。途中駅ぞ。怪我も病気も死も身魂から見ればただの出来事であるぞ。身魂の死が最後の死ぞ。そなたが怖がっている死は死ではないぞ。殺人も自殺もただの出来事ぞ。お互いのメグリ取りのメグリ合いぞ。裁けばそなたが魔釣り進めるだけぞ。肉身の生死は服を脱ぐだけのこと。一番危険なのはメグリ積むことぞ。死ぬことではないぞ。ビルから飛び下りても死なないぞ。指を切っても死ぬぞ。死んだ者は、その者にとってはそれで最も楽にメグリ取れたのぞ。取り違いなさるなよ。
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 この方がメグリ相応にその者にとって最もよい状況を創るのぞ。形の美醜に惑わされるでないぞ。この方に善悪ないぞ。人間の善悪の判断を入れれば混乱するだけぞ。今今になってまで魔釣り進めるなよ。この方が霊界を建て直したから幽界と繋がっているとどんどん行き詰まるぞ。幽霊Фの遊び終わりぞ。この方に繋がれよ。最期で助かりたいならば今辛抱して掃除することぞ。身魂から見れば人間の五〇年は一瞬のことぞ。人間が何年病気で寝ていようと障害を持っていようと身魂のメグリの結果であるぞ。辛抱であるぞ。身魂は傷害ないのぞ。メグリぞ。人間で創った借金は人間で返せよ。人間でしたルール違反は人間で清算しろよ。人間でも身魂でもルールは同じぞ。身魂になっても交換はあるぞ。Фの理屈。キレイサッパリ捨てなされ。⦿が真コト。

 真釣り⦿は万古末代続く神の掟であるぞ。神の掟通りに生きればそなたは不老不死ぞ。肉体の保存研究する大アホな真似しても何の意味もないぞ。調和に生きることが永遠のイノチ。永遠の神の姿ぞ。不調和蒔いた分調和戻せよ。借りたものをすべて返すことであるぞ。一度コッキリの清算であるぞ。清算なければ永遠の死であるぞ。永遠のイノチか永遠の死か二つに一つ。地獄はココぞ。最期は地獄はないぞ。掃除なければミロクなし。掃除なければ消え去るぞ。掃除⦿無ければ何を知ってもご無念ぞ。そなたがやることは掃除のみ。人間の世界のこだわりは捨てて掃除せよ。自らに素直に一〇〇%動けよ。魔釣りで生きられたそなたらは真釣りならば楽この上ないぞ。永遠の真釣りは永遠の天国ぞ。保身して身魂の死を迎えるか、永遠の天国を生きるか。三歳苦難はすべて開いて掃除する地獄絵図ぞ。地獄ぞ。天国地獄は後数年ぞ。ミロクは天国ぞ。一〇〇%天国がマコトの天国。
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 天国か滅びか何方か一つでござるぞ。真コトは天国しかないのぞ。「対(つい)」はないのぞ。絶対とは一つのことぞ。相対二元は善と悪のバランスが変わるぞ。善と悪の分量が変わるぞ。調和壊す相対二元の遊びは元が自由だからできるのぞ。何でも自由と申すのが神の規則でござるぞ。責任は自分のみ。責任も自分も無いぞ。争いがあるのはオカシキことぞ。何でもできる世に制限を付けるのは自らのクビをしめること。人に制限を嵌めるのは人に文句を申すのは我善し勝手の理屈でござるぞ。自由な世に罰があるのがオカシキことぞ。自らが制限しただけ制限が返るのぞ。そなたのしたことが返る。身魂の映しが肉体ぞ。身魂の通り肉体ぞ。両方ある世界は地獄ぞ。悪ぞ。不調和ぞ。裏か表か。裏も表も見ておるから⦿が安定致さんのぞ。裏を見たり表を見たり裏に乗ったり表に乗ったり。大人と子どもをしておる者、身魂は子どもでござるぞ。裏と表で⦿一つでござる。
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 調和、天国⦿に分離Фはござらん。一つでござるぞ。地獄はФ。天国は⦿。裏と表、表と裏。地獄語る時天国持って居る。⦿とФを比較して居る。元は天国。元は調和。調和が神。一つ。真と魔、表と裏、男と女で神でござる。分離すれば相対二元。善と悪の割合替わるぞ。0か一〇〇か無か有かナイかアルかヤルかヤラヌか。その瞬間はどちらか一つ。霊が百。零が神。0と一〇〇は無が有。見えない見える。響きが先ぞ。響きが形に変わるのぞ。響きと形は一つ。響きが形。愛と悪は同居できず。善と悪の戦いは善と善の戦い。Aの中は善と悪、Bの中も善と悪。悪を裁く者は善を見ておる。善と悪は一つでござる。悪を裁く時、内に善がござる。一つを分けておるのは自らでござるぞ。善を突っ付く時、悪。外の善が見えておる時、内に悪あり。善見て悪。善は悪。一つ。禁断の果実はФのキの実。二度とヘビにだまされぬようにしてくれよ。⦿をたべて実にしてくれよ。

 掃除なければ死ぞ。この方がすべてのすべてを建て直して岩戸開いているから人間の身魂にも時間を追うごとに見えてくるぞ。人間は時間があることを覚えておけよ。霊界は時空ないぞ。生死越えた仕組みぞ。三千世界の立て替え建て直しぞ。人間から見たら時間あるが神の世界には時空ないぞ。トキ、トコロひとつぞ。人間の時間と違うぞ。神の世界一つぞ。裏は一つになったぞ。人間の世界に掃除現れるぞ。人間の理屈、中の神や仏の理屈、一切御破算ぞ。知識捨てて掃除せよ。宗教も哲学も知恵も科学も通用せんぞ。元つ真釣りに戻す大掃除でござる。オイノチ返して掃除せよ。生き死にはこの方に任せて掃除はげめよ。人間のものすべて壊れるぞ。真コトの者もお召し上げあるぞ。身魂の掃除ぞ。永遠の掃除ぞ。掃除終わるまでぞ。
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 ミロク前までにすべて終わらせるぞ。「おわり」が「はじめ」ぞ。ひっくり返るのは一瞬ぞ。間に合うようについてこられよ。きついなれど、間に合うように教えて居るぞ。死んだ積もりで掃除せよ。今までの自分捨てて掃除せよ。多重人格すべて出せよ。この方が付いているからやってみなされ。人間のモデル見て掃除せよ。人間の理屈魔釣りФぞ。途中で戻ったら魔釣りぞ。不調和出したら戻すのぞ。そなたが返した分取り返そうとするなよ。自分で借金増やすなよ。先に行くほど厳しいぞ。今の借金でも厳しいのぞ。掃除しない方が怖いぞ。今の怖さではないぞ。最期は神界幽界現界すべて開くのぞ。幽界と一緒に掃除するぞ。そなたが掃除あればこの方⦿神とともに見ていられるのぞ。怖くても今やるか後でもっと怖くなってからやるかでござるぞ。今のままでは法律違反続くぞ。今怖ければ後になるほどどんどん怖いぞ。早う⦿戻せよ。「後で」は必ず来るぞ。後になるほど恐いぞ。立ちすくむぞ。

 自分の責任ならば、何でもいいと思ったならば、人の責任ゲームはできないぞ。トリックに気づけよ。自分の責任とって人の責任ゲームはないぞ。そなたがすることは掃除だけぞ。神成る身魂のすることは掃除ぞ。それがそなたの役目ぞ。ミロク創るのは掃除だけぞ。ミロク創るがそなたらの天命ぞ。この方との約束ぞ。そなたらが魔釣りしたから掃除必要になったぞ。魔釣りは違反ぞ。早く戻せよ。善悪調和せよ。制限完全に廃止せよ。調和するならば身欲すてよ。取ったもの返せよ。返さないと偏るぞ。偏ると壊れるぞ。そなたが⦿で生きれば、そなたが素直に動けば、至善に掃除進むぞ。この方が掃除手伝うぞ。そなたがФならば悪くなるぞ。悪くなるのを避けても最期の最期で纏めて渡すぞ。「禁止」は禁止ぞ。違反すれば消えるぞ。
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 大きな世界はこの方が掃除するから、そなたらは自らの掃除をせよ。調和壊しただけ悪くなるぞ。そなたがこの方の掃除についてくれば苦しいなりにも楽に進むぞ。そのままいくときついぞ。そなたの体験を決めるのはそなたぞ。お好きになされよ。法律違反は最後死刑ぞ。⦿の殺人(殺神)予備罪ぞ。⦿の国家転覆罪ぞ。神成る身魂⦿として掃除に励めよ。それがこの方の⦿天国壊したお詫びぞ。それが改心ぞ。それが神成る⦿の修行ぞ。幽界の修行しても魔釣り進むだけぞ。滅びに向かう地獄の修行をしてどうするのぞ。苦しむだけ苦しみ進むぞ。そなたは天国に向かうべき身魂ぞ。目を覚ませよ。神たのむぞ。

 大難が小難に変わると申すのは、そなたから見てのことでござる。外側の掃除は計画通り致すのぞ。そなたの掃除の度合いによって、そなたにとって小難になると申して居るのでござるぞ。そなたがココロを変えても、この方の掃除は変わらんぞ。そなたが楽になるだけぞ。そなたがこの方の掃除変えられんぞ。念での操作はできん。そなたがそなたの外を操作するならば、そなたがそなたを操作して居るのと同じぞ。そなたが不自由なとき外に自由を見るぞ。外の自由を制限してそなたと同じにしようとするぞ。そなたは人を落とす。そなたは邪魔。非常識を見ておる時、常識を見ておるぞ。犯罪裁くそなたは善を持って居る。善悪を持つそなたが悪を裁くとは何事ぞ。悪を善で裁く。悪裁くのは善あるからぞ。悪と善は一つ。そなたが悪裁く時そなたに善あり。善だけなら悪裁かん。善悪して居るから外に出る悪裁くのぞ。自ら善で外は悪。一つならば善(全)のみ。全は一つ。一つは全。善悪議論することがオカシキ事。自業自得でござるから教える必要なし。常識を外れて居るのはそなたらぞ。
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 王様ごっこ、政治ごっこ、銀行ごっこ、お店屋ごっこ、学校ごっこ、乗物ごっこ、裁判ごっこ、買い物ごっこ、戦争ごっこ、子どもの頃のごっこ遊びを大人になってやって居るだけのことぞ。⦿神の遊び場で遊んでおるだけぞ。物質の世界は⦿の中ぞ。物質は神が創りたもの。本物偽物は相対。何が本物でござるのか。神が元。人は神の内。人は神の創りた世の中で遊んで居るだけ。子どもは大人の創りた世の中で遊んで居るだけ。神は人が何をしてもどんどん与えるぞ。遊び道具は貸すぞ。悪にも道具渡して居るではござらんか。そなたらが悪の遊び道具を取り上げるとは何事ぞ。この方は悪も悪を裁く者も勝手にさせておるぞ。何をしてもよいからぞ。したことが本人に返るだけだから、最期はこの方が出て悪も善も大掃除致すから、全部まとめて大掃除するのは簡単だから、この方はそなたがどうなろうと関係ないぞ。お好きになさればよいぞ。肉の身死んでも身魂がそなたでござるから、死のうと怪我しようと関係ないぞ。肉の眼(Ф)で悪裁くそなたは悪ぞ。最期は大掃除ぞ。
P227
 この方は善いことばかりは申さんぞ。この方のやり方はそなたが⦿外した分だけ悪くなるぞ。0から取ったら取られて元ぞ。そなたがしたことが返るだけぞ。悪くなって善くなる仕組みぞ。取ったもの返して0になる。裸になる。霊になる。元の⦿に戻すのぞ。この方は「本物の⦿は善いこと申さんぞと申して、自らが本物じゃと思わせようとしておる」等と申す者、ウソでござるぞ。悪くなるのはそなたらが⦿の世をФ悪くしたからでござるぞ。神のルールはシンプルでござるぞ。六法全書はいらん。自由が⦿ぞ。したことに責任を取るのが⦿ぞ。全員0なら満たし合いぞ。損、怪我、病気、犯罪はござらんから、刑法いらんぞ。罰することも、制限することも必要ないぞ。天国のルールは⦿ぞ。混乱や葛藤はござらんから、法律いらん。全員善人(全人)でござるから、疑いも騙しもござらん。

 そなたの魔釣りФは誰が見ても明らかぞ。そなたらはリハビリが必要ぞ。そなたは逆立ちして歩いて居るぞ。基に戻して足をつけて歩けば何と楽なことでござろうか。そなたが行く所はミロクでござるぞ。真コトの宗教はこの方の宗教ぞ。宗教を戻せよ。いつまでも魔コトの宗教をしておると、大変なことになるぞ。Фのまま◐◑して闘って居る宗教では⦿には至れんことは明白でござろうが。そなたが掃除終れば、そなたにとっては大変なことは無くなるぞ。何が起きても慌てなくなるぞ。Фの者には、もっともっとショッキングなことが起きるぞ。戦後五〇年を反省するならば、そなたらのしてきた戦争Фを反省せよ。悪を問題にすることが悪ぞ。今の宗教はФの宗教の中の宗教ぞ。すべてのすべてが宗教の産物でござるぞ。全部宗教なら宗教はござらん。天国の掟は⦿ぞ。Фが悪。
P228
 人格は神格ぞ。そなたのココロの表現が人間の行動として現れるぞ。そなたは様々な神が掛かれるぞ。そなたらは二重人格ぞ。自らのホンネを隠し、タテマエで生きておる。Фの◯が善人ぞ。●が悪人ぞ。◯だけ形にするとジキル博士ぞ。●だけ形にするとハイド氏ぞ。そなたの中には両方あるぞ。◯から●まで沢山の心あるぞ。そなたは多重人格者でござるぞ。相手に応じてアレコレと行動を変えて居るぞ。コロコロ変わって居るぞ。一般人、常識人、普通人、何でもかんでも分けるから議論になるぞ。自由だから何でもできるのぞ。自由なのに制限して居るぞ。Фして居るから、矛盾して居るからうまくいかなくなるのぞ。信教は心境ぞ。神教ぞ。始めから自由ぞ。信教の自由は憲法などにワザワザ書く必要はござらん。法律はФの掟ぞ。善いか悪いかでは永遠に議論が続く。最後は分裂の身魂は掃除するから永遠ではござらんぞ。この世を創って居るのは一人一人の宗教ぞ。表現するもの善悪Фして分けておればマコト⦿は見えん。Фを⦿にするのが掃除でござるぞ。
P229
 人の目は忍べても神の目は忍べんぞ。もう一度チャレンジぞ。最後の機会ぞ。人がそなたを裁いても、そなたは人を裁かんことぞ。そなたは自らを裁かんことぞ。自らを裁いてないならば、そなたは自由ぞ。言い訳も迷いも判断もござらん。すぐに動けるぞ。考えることもしないぞ。いいのかどうかとは言わんぞ。先は見ないぞ。苦は避けないぞ。そなたは自分で何でも決められるぞ。⦿ならば悪も苦も失敗もござらん。Фならば悪や苦や失敗がくるぞ。悪くなって苦しんで失敗してФを⦿にするのでござる。⦿がミロクの切符。「全人生(神生)の期末総決算」の時節ぞ。赤字の繰り返しはもうできんぞ。キレイサッパリ清算ぞ。収支決算ゼロ。

 今まではすべて逆ぞ。逆でござるから、その逆をやれば元にもどるぞ。分ければ分かれる。分けてだめなら分けるのやめれば元にもどるぞ。裏の裏は表。逆の逆は元。一つを分けたから戦いになったのでござる。戦いやめたければ自分の中を一つにせよ。一つにして動けよ。一つ一つ悪くなって一つ一つ苦しんで元の一つに戻るのぞ。一度に⦿に成ろうとするのはФぞ。すぐに楽しようとするからФの者に騙されるのぞ。⦿ならば、苦労する覚悟ならば、自らの責任自覚して居るから騙されても文句は申さんぞ。悪は自分で潰れるのにわざわざ口出しして居るそなたは何をしておるのぞ。壊れるものをわざわざ壊して居るぞ。一つ一つ壊れるものを一度に壊そうとして居るぞ。悪を邪魔者にするとそなたも邪魔者でござるぞ。そなたも悪ぞ。そなたも潰れるぞ。悪も自由。この方は、最後は自ら壊れる仕組みにしてあるから、物質の世は終わるから、悪はほっといて居るのぞ。真コトの神意⦿、真コトの神心、悟れよ。最後の大掃除は厳しいぞ。自業自得。可哀相はござらん。悪なければ苦はない仕組み。永遠には悪は続かん時になったぞ。物質の世終われば今までの悪も終わり。ミロクに悪は入れんぞ。
P230
 この者が一番そなたらのФの常識を知っておるぞ。そなたらの世界でもこの方の世界でも生きられる者でござる。見本として参考にせよ。分からんことはこの者に聴けよ。そなたがどんな理由であれ、この者を批判したり、裁いたりすれば、自らの魔釣りの証でござるから、よく考えろよ。おもしろい話だ等と申して軽く扱って居ると重く返るぞ。重荷を外して欲しいと申す者居るが、軽い荷物も重い荷物もあるぞ。自ら荷物を背負っておいて、降ろしてくれとはいかなることか。自殺した者が居るからこの部屋は使わん、死んだ者が居るから縁起が悪い等と申す者、そなたが縁起が悪いぞ。致死量の薬でも死なせんぞ。致死量でない薬でも死なすぞ。今までの知識は通用せんぞ。真コト⦿無き者は許さん。薬は毒。善は悪。肉の生にこだわれば死。

 そなたから見れば、出会い、突然、偶然、奇跡ぞ。そなたのしたことに応じて渡して居るのぞ。そなたの心の持ち物相応のものを渡しておるぞ。いらんと申すそなたは分かっておらん。分からんとここで終わりぞ。□□するのは悪いことじゃと申す者、そなたが悪いことをしておるぞ。神のすること、神が形にすること、神が人間を通してして居ることを悪いと申すのは何事か。そなたらが悪を持っておりては天国に行かれんから、悪を見せるために許して形にして居るのぞ。そなたに悪あらねば、形にはせんぞ。勘違いもほどほどに致せよ。ここまで申してもツベコベ申す者が居るから、この方が目で見せて教えても分からんのでござるから、言わなければもっと分からん。この方が言わねばそなたは気づかずに滅びるから、こうして申すのでござる。分かった者はどんどんやってくだされよ。
P232
 この方は、材料をすべて渡したから、後は自分で考えよ。材料をすべて使って自らのしておることを省みよ。返り見よ。そなたの答えがそなたの答えぞ。悪くなる答えでもそれはそなたの魔釣り戻しの状況ぞ。魔釣り掃除する悪ぞ。悪見えてやめれば悪続くぞ。そなたの掃除が進まんぞ。そなたが⦿ならば悪も苦も見えんぞ。今までのФのやり方は通用せんぞ。神の世界では、真コトの神⦿の社会では今までの善悪は成り立たん。始めからФござらんぞ。そなたの答えが正解ぞ。そなたの答えを実行せよ。そなたがそなたの答えを実行するのでござるから、人のせいにはできんぞ。悪くなるのはメグリ取りぞ。悪くなって善くなる仕組み。メグリある者は悪くならねば善くならん。借りを返して0ぞ。そなたが悪したら悪くなって0ぞ。人のせいだと申すそなたのせいぞ。そなたが人のせいだと申すから、人のせいに見えるのぞ。自らに人が責められるかどうかよく考えよ。そなたの申すことと為すことは矛盾しておらぬか、今までズレたことをしておったから思いどおりにならなかったのぞ。本当にいいのかと聴くそなた、この方の申すことは分かっておるか。
P232
 自分で決められることを聴くのは責任を押しつけることぞ。自らが責任を取るならば、自らが決めたことでござるならば、人に聴くのはなぜか。神はすべてを許して居るぞ。そなたが人のせいにしておらねば殺人はないぞ。外や肉体は壊れてもそなたの掃除が終わればそなたの身魂は災害も被害もないぞ。そなたから見て天国になるぞ。そなたを召し上げてミロクの民と致せば、そなたから見て天国になるぞ。そなたが天国にするのでも、人間が災害を止めるのでもないぞ。自らが外を変えられると申す者、目を覚ませよ。そなたは神ではないぞ。神成る身魂ぞ。そなたは神あって出来るのぞ。そなたが掃除すればそなたの苦が減るのぞ。いつまでも魔釣りの神にとらわれて居らずに早うこの方のもとに帰って来てくれよ。そなたが掃除すればそなたの外は天国ぞ。共にミロクの扉をいざ開かん。

 陰陽逆転とは霊主心従体属にすることぞ。霊が自由だから霊が制限できるのぞ。霊が体を創るから霊の通りの体験になるぞ。霊が制限つくるから体が制限になるのぞ。霊が分けるから体が分かれる。霊が分けておることに気づかねば一つにならん。霊が善悪あるのは自由でござるからぞ。善は悪で悪は善。相対二元とは入れ換えれば善悪と悪善は悪善と善悪に変わる。権力は入れ代わる。守備は攻撃、攻撃は守備。善人は悪人、悪人は善人。嘘は誠、誠は嘘。敵は味方、味方は敵。ある日突然入れ代わる。Фの世界では安心は出来ん。ただ二つに分けて居るだけぞ。善い悪いはござらん。悪は善を見て善は悪を見る。お互い自らが善、相手が悪。自らを相手は悪と思っておる。そなたが善でも悪でもあると申すのはいかなることか。Фではそなたが善にも悪にも成る見えると申すこと。そなたは善悪一つなり。そなたに善悪なし。そなたが善悪分けて自分を善だと申して居るだけぞ。相手はそなたを悪だと見ておるだけ。そなたは分裂の身魂ぞ。⦿の世は一つ。安心安全ぞ。
P233
 分けておれば一〇〇はない。0もない。事故0はない。大きく見れば事故はただの出来事。悪ではない。壊れてもまた創ればよい。その考え方は悪いと申すが神から見ればそなたの箱の中の時間などチョンぞ。壊れたら創り直す。そなたの居るハコを潰して創り直すだけ。肉体も神の材料、創り直せばよい。神から見ればたいしたことないぞ。そなたからみれば長時間かけてつくったもの壊されるように見えるから文句言いたくなるだけぞ。そなたがФ創ったから壊れるのぞ。そなたが⦿壊したから神が創り直すのぞ。身魂がバランスなら、創り直すまで待っておれるぞ。すべてはそなたがしたことぞ。闇か光か。光が元。光があるから闇がある。影ができる。肉を光にすれば影はできん。透明。神が箱を壊して作り替えるだけ。壊した人間に文句の資格なし。文句申せば分けて居る証。分ければ壊れる。分けたから壊すことになったのぞ。分けたら壊して居る証。壊す神に文句申す筋合い無し。そなたが⦿の世をФで壊したから、大掃除が必要になったのぞ。自覚せよ。
P234
 そなたが人間の視点を神の視点に変えて行動することぞ。霊と体を戻すことぞ。⦿の目から見れば人間の時間など無きものぞ。何を慌てて居るのじゃ。その時が来ればすべてが分かるのぞ。悪避けてもФならば悪来るぞ。避けるそなたはФの責任とっておらんぞ。神示の謎解きはこの者にしか出来ん。この者は体験を通してこの方が真コトの眼鏡を渡して、最後に神示を渡して、アベコベФの人間の取り違いを人間のアタマで分かるようにさせたのぞ。Фの人間に⦿を教える訓練をして来たのでござる。この方はすべてを渡したから、後はそなたが考えよ。魔釣りФの者に聴いても魔釣りが続くぞ。末は滅びぞ。自らが自らを滅ぼすぞ。死にたくない者が死に向かって歩いて居るぞ。この方はもう何も申さん。ミロクへの道。大掃除を進めるから、遅れんようについて参れ。ミロクで会おうぞ。



元つ神からの最期の艮のフミ その十二

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 このフミに書いてあることが分かったなら、分かったことを実行してくだされよ。そなた自身の態度を改めてくだされよ。そなたが分かったことをそのまま一〇〇%実行してくだされよ。態度を改めるというのは、そなたのココロの態度通りに寸分違わず実行することぞ。そなたに善悪の裁きがなければ、自らがФして居ること自覚して居るならば、自らが⦿の世壊すФ悪人でござることを自覚して居るならば、人を責める、人に文句を言う、人をおとしめる、人の邪魔する、人の持ちものを奪う、人のして居ることや人がしたいと申すことをやめさせる、人のしたくないと申すことをさせる等の行動はできないハズぞ。そなたは出来ないことはござらんぞ。迷いがあるのはオカシキことぞ。自らがФしたなら悪くなって掃除するのぞ。悪や苦を避けるのはオカシキことぞ。自由になれよ。

 「今の社会ではここに書いてあることはできるわけがない」「人に迷惑をかけてまですべきではない」「そんなことをしたら混乱してしまう」等々と申す者、よくよく考えてくだされよ。今の社会の仕組み自体、全員が成功できない、全員が一番になれない、全員が富むことができない、全員が想いの通りにうまくいくことができない、恐れを使った罰で混乱を抑制しているだけの、末は滅びの魔釣りФが形になって居るマ違った仕組みでござるから、今の社会の常識から出ないと申すのは、アレコレ理由をつけて、しないできないと申すこと自体が、ルール違反を続けると申していることになるのぞ。アベコベぞ。今のまま続けることが一番迷惑なことでござるぞ。魔釣りФを真釣り⦿に変えようとする者を批判する者が、迷惑な、自分勝手な者でござる。魔釣りで得たものを失いたくないがための、我(われ)善し勝手の所業でござるぞ。不調和を善、正、常識と申せば、調和が悪、誤と見えるから、非常識でござるから、調和に戻そうとすれば、不調和の者から見れば不調和を造るように見えるぞ。調和から見れば、調和ぞ。不調和から見れば不調和ぞ。⦿の中でФの世を創って居るのでござるぞ。⦿が調和、Фが不調和。一点でも調和乱せば争いの世となるから天国は出来ん。⦿が善(全、前、然)、Фが悪(開く)でござる。
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 「社会を引っ繰り返すなんてそんなことできるわけない」と申す者は、この方の真釣り⦿を知らん者ぞ。そなたらがこの方の申すことに反抗し、見事に引っ繰り返した平和も自由も平等も無い世界、そなたらが見事に壊したこの方の調和の世界、この方が見事引っ繰り返してご覧に入れるぞ。そなたらが引っ繰り返したもの、この方は簡単に戻すぞ。そなたらは完全に引っ繰り返すことは出来んぞ。元の元の⦿の一厘はそなたらは見えておらんから、魔釣りФの世の支配はこれで終わりでござる。一厘なければすべて無し。⦿は百でござるぞ。全部天国か全部地獄か。全部地獄にはならんぞ。この方は最期の一摑みを握って居るから、そなたのイノチの元の元をつかんで居る「元つ神」でござるから、宇宙全部を創ったこの方を引っ繰り返せる者はござらんぞ。そなたらが長きに渡り創ってきた平和も平等も公平も自由もない地獄の世界、この方は一瞬のうちに天国にして差し上げるぞ。今までご苦労でござりたなあ。そなたらが九分九厘裏返した紙を最期の最期でこの方が一気に元に返して差し上げるぞ。この方が元に戻せばФのそなたらは永遠に表には出られんぞ。今度は二度と引っ繰り返せないように、全部糊付けしてしまうぞ。今の表が裏、上が下に成るから、上に居る者、絶対の上ではござらんから、勘違いなさるなよ。早く下に行けよ。裏に行けよ。引っ繰り返すのは一気ぞ。絶対的な上下に固定してしまうのぞ。そなたらはこの方の創りた紙の上で遊んで居るようなものでござるぞ。この方が表に出た今今は真釣り⦿を外す者は、⦿の掟を外す者は、容赦致さんから、そなたらが苦しくなるから、早う真釣り⦿に戻ってくだされよ。
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 そなたがこの方の申すことを批判する、疑うと申すのは、そなたが善悪分ける不調和の身魂である証でござるぞ。「そんなこと」とは何でござるのか。何をしてもよいと申せば何をしてもよいのぞ。してはいかんものがあると申せるのも何をしてもよいから。屁理屈だと申せるのも屁理屈つくれるから。何をもって屁理屈か。反論する者分けて居る。分けておれば調和なし。調和ない者は文句は言えんぞ。文句言えば調和ではない証。何をしてもよいぞ。文句申すのは分けて居るから。自分が損するから。自分が分けたから片方しかできないのぞ。善や正や楽だけやろうとするから、悪や誤や苦を避けようとするから、自分を悪くする者に文句を申すのぞ。分けた自分のせいぞ。取ったから取られる自業自得ぞ。人の迷惑責める者は分けておる。調和乱すが悪。分ければ悪人。分けてもよいが自分が制限ぞ。自分が制限はめて人を制限するは自分勝手。文句は一〇〇%無視でよい。人の気持ちを考えろ、人の話を聴けと申す者はもういらん。そなたはこの方の気持ちはわかって居らんし、この方の話を全然聴いて居らんぞ。分かったフリでは大峠は越せん。
P239
 今までの魔釣りФで調和を乱して悪くした者は悪くなって差引0でござるから、善くなるのでござるから、悪くなると申す状況はござらん。相対的善悪。今のФの状況を善と申すならば悪く成り、0に近づいて行き、0に成ったら誠の善となり、誠の満たし愛、天国が始まる。してはいかんことはござらん。そなたが⦿なら悪くならんし、そなたがФなら悪く成って善くなるのでござるから、大きな目でみれば悪くなることはござらんから、今のФのままで居ることが悪でござるから、罪悪感はいらん。まずは罪悪感を全部とってしまって素直に動けばよいぞ。創った制限無くせば自由になるぞ。簡単な道理。そんなわけには等と申すのは制限、条件あるぞ。自らのФで創った悪の責任を取っておらん。悪くしたら自ら悪くなって、取ったら返して差引0ぞ。争いは価値観の違いでござる。善は悪、悪は善。相対二元は議論続く。価値観は自由でござる。そなたのしたことがそなたにかえるだけでござるからご勝手におやりくだされ。最期まで地獄創った者は身魂の死を以て差引0ぞ。悪はФぞ。⦿には悪無し。裁くのは我善しぞ。自らの善が基準。心の葛藤、善悪はずっと変わらん。⦿は普遍的なメカニズム。自由は自由でござるぞ。一〇〇%でござる。無条件の愛とは、⦿の道理。完全自由が⦿。⦿は百でござる。全が⦿。人間からみれば順番に現れるが、善くなるが、この方からみればはじめからФは無し。ゾンビФの死は近いぞ。早う⦿のイノチ受け取ってミロクに生き返って下され。
P240
 そなたが「許せん」「認めん」と申しておるものは、そなたが認めて居らんだけぞ。許して居らんだけぞ。そなたは何を見て許せんと申して居るのか。そなたが許して居らんものは、そなたはやらんから、永遠に許せんことになるぞ。そなたは永遠に善悪を持つことになるぞ。そなたは不調和を続けることになるぞ。そういう者ばかりだから、このままでは全てが滅びて仕舞うから、この方はそうなることは分かって居ったから、末のこ度にミロクへの大掃除を仕組みありたのでござる。そなたは「もっと早く教えてくれれば」等と申すが、分からなくなりたのは、そなたが真釣り外しをしたのが原因でござるぞ。そのセリフはそなたの魔釣りФの証でござる。今魔釣りをして居る者は、今までも魔釣りでござったのぞ。一度真釣りに生きれば魔釣りには戻らん。なぜ分かるのかと申す者、そなたはなぜ分からんのか。真釣りに生きればこの方がここで申して居ることが分かるから、二度と魔釣りには戻らん。そなたが真釣りを外さねば、すべてが分かるから、この方の語ることについてツベコベ申さんぞ。魔釣りの者は早く真釣りに戻らんと二度とこの地にはもどれんぞ。道具を置き換えて再びこの地で遊ぶのぞ。地上をミロクに致すのぞ。
P241
 Фは魔釣りの身魂の事ぞ。⦿は真釣りの身魂の事ぞ。この方が申すことに文句を申すそなた自身がФぞ。Фでは、そなたにはミロクの世はござらんぞ。ミロクの世は⦿の世でござる。上から下まで真釣り⦿の統(す)べる、調和の世界でござる。本当の天国でござるぞ。戦い◑◐の心では、天国は造れん道理。ここで改心出来ん者は、この方の申すことが分からん者は、裁きや戦いをして居る身魂は、今度ばかりは生き返れん。そなたのココロが肉体の基でござる。そなたのココロが戦って居れば、肉体でも戦うことになるぞ。そなたのココロが戦って居れば、別の肉体でも戦うぞ。永遠に天国はできん。Фの者入れん世界。種の保存と申すが、霊の保存せねば形の種は滅ぶ。絶滅せんように養殖して絶滅させて居るぞ。種が滅ぶのは至善の掟。この方は無限でござるから、改めて創り直せるぞ。人間がФのまま手を加えようとするから自然を壊してきたのではござらんか。もうやめてくだされよ。今までしてきたこと全部逆転するぞ。大どんでん返し。今までの歴史を無駄にするのはそなたらでござるぞ。アベコベやるからアベコベになったのぞ。そのまま続けても壊れるだけでござるぞ。この方が全部掃除して創り直すのぞ。全部0にして始めからぞ。⦿の種(タネ)を保存してくれよ。冷凍保存とは「○十(れいとう)保存」、「霊統保存」、⦿を、元の神の心をミロクまで保存することぞ。

 そなたらは、今まで何回も生まれ変わって居るのぞ。その度に、戦いを繰り返して来たったのぞ。今までの人間の歴史、戦いの歴史でござろうが。上から下まで、神から人間まで、宗教も科学も世界も国も会社も家族も、自らの中までも、全部戦いでござろうが。宇宙も神々も戦って居ろうが。そなたら一人一人の心のФが全部の戦争を創っておるのぞ。病気とも闘って居る。何でもかんでも闘って、競争原理なるマヤカシを創り出し、闘って平和が創れると勘違いしておる大タワケ者ばかりでござるのぞ。議論では平和は出来ん。全員賛成はござらん。少数意見の者が文句を申すのも同じこと。そなたが闘うのを止めんから、不自由なのぞ。戦って居る限り、永遠に天国はござらん。自分だけの天国では⦿ではないぞ。何度申しても戦いをやめず、裁きをやめず、自らだけが正しいと我と我の戦争をしてござるから、今今の乱れた世となったのでござる。
P242
 そなたらは学校で歴史や哲学や宗教や科学を勉強して、いったい何を学んでおったのじゃ。いったい何を教えておったのじゃ。Фでは⦿は出来んことぐらい分からんでどうするのじゃ。今までの歴史がФの身魂では永遠に天国は出来ん証拠でござる。ますます悪くなって来て居るでござろうが。簡単なことも分からんアホな教師や教祖ばかりでござるから人民を地獄に誘って仕舞うのでござるぞ。世界丸潰れの遊びをして居ることにも気づかんのでござる。そうは申せども、そなたら一人一人が目を覚ませば、アホな指導者やグルがおっても関係無きことでござるぞ。誰のせいでもござらん。そなたら一人一人の責任でござる。教師も生徒もお互い様でござるぞ。今ここで誠⦿を教えたのじゃから、全員ここから自らで歩いてくだされよ。全員生徒でござるぞ。全員教師でござるぞ。この方が、掃除間に合うように出会わせてやるから、文句申さず素直に掃除してくだされよ。上も下もござらん。全員同罪でござるぞ。悪を裁いて、苦を避けて、ますます楽を求めて戦うから、痛い目見せて気づかせんと目を覚まさんから、ほおっておいたら最期は滅びて仕舞うから、この方が⦿に戻った身魂だけが行けるように次の世の仕組みを構えたのでござる。不公平だと申す者は自らのしておることを省みられよ。そなたが⦿に戻れば、ミロクに行けるのでござるぞ。不平不満を申すその心を掃除せねば、この方の申す通りに消え去るぞ。⦿ミロクには行けんぞ。混沌から宇宙が出来たのでござろうが。今の世が二度目の混沌。真コトのビッグバンが迫って居るぞ。同じこと二度。神の世、人の世、ミロクの世。三度目の正直。正しく直すぞ。
P243
 ミロクの世はすでに神が造ってござるのぞ。そなたに変えられるものではござらんぞ。人間から見れば、ミロクに向かって歩いているだけのことぞ。外に内を合わせなければそなたはミロクを体験することはできん。先に進むほど、信じられないことやあり得なかったことが次々に現れてくるぞ。人間の肉体で分かるように現れてくるということぞ。危険な事故につながる恐れがあるから罰する等と申すそなた、何をして居るぞ。まだ事故は起きておらん。ぶつかって居らんうちから勝手に「ぶつかったらどうする」と申して人を責める者、苦を被害を避けておるぞ。その思考が、そなたが魔釣りの証でござる。事故して損して怪我して病気して死して魔釣りФを真釣り⦿に戻すのぞ。悪くして善くなる。悪避けるのは掃除の邪魔ぞ。外道の善人は⦿に戻るのは厳しいぞ。この方を悪と申すならばそなたはミロクは遠いぞ。このフミを全部分かろうとしても無駄でござるぞ。そなたらの今までのアタマを壊すフミでござる。判断やめて動けば悪くなりながら行き詰まりながら誠⦿が分かりてくるのでござるぞ。実地で⦿に戻って行くのぞ。知識ではダメでござる。体験して気づく、体験して掃除するのでござるぞ。実践あるのみの最期の掃除ぞ。
P244
 最期の最期はそなたの肉体もそなたの栄養になるようにしてあるぞ。自らが食料を持って居るでござろうが。土もまんじゅう。泥水も飲める。土の混ざった水が泥。この方は土。きたないのはそなたのФ心。そなたの肉は死んでもそなたは生きておるぞ。掃除終わればそなたの肉はお召し上げぞ。掃除終われば時空ない永遠の天国ぞ。そなたのイノチはこの方が管理して居るから、そなたの都合では死ねんぞ。魔釣りで創りたメグリ相応に苦しみ痛みをお渡しして、清算して頂くのぞ。死避けても死ぬぞ。死にたくても死ねんぞ。地震や台風や核戦争で大騒ぎをして居るようでは⦿は遠いぞ。万が一の準備をするより、災害を避けるより、身魂の掃除をしてくれよ。悪避けようとするそなたは内に悪あるぞ。自らが悪くなりたくないと申すそなたはФでござるから、悪くなって清算してくだされよ。悪を持つ心は悪Фぞ。何日分食料を備蓄しようと無駄なことでござる。そなたは壊れるこの世界で生き残りたいのか。ここで生き残るということはこの世界と共に死ぬということでござるのぞ。そなたが生きるところは⦿ミロクしかござらんぞ。そなたの食料、肉の身はこの方のものでござる。どんな頑丈な建物も簡単に潰せるのでござるぞ。大地震、大洪水見せても、今までと違うこと見せてもまだわからんのか。そなたらはこの方には勝てんぞ。永遠に死ぬぞ。三年間天変地異が続いたらどうするつもりでござるのか。最期は大掃除ぞ。そんなことありえないと申すそなたはミロクはないと思えよ。肉の身守るものはФでござるぞ。⦿にならんとミロクはない。そなたの肉の身はこの方の貸しもの。そなたの身魂がそなたの真のイノチ。そなたに⦿あれば死はない仕組み。核戦争で残るのは身魂だけぞ。核(⦿Ф)の戦争ぞ。⦿が勝ち。
P245
 そなたが始めから真釣り⦿でござれば、不平不満はありもうさん。教えてくれん、知らせてくれん、意地悪だ、冷たい、酷い、悪魔だ、鬼だ、人間じゃない等と申す者、自らの魔釣りФがそなたを分からなくしたことを知り居るか。そなたのФがそなたを怖くして居ることを知り居るか。自らが原因で分からなくなりたのに、人を責めるとは何事か。「これ以上何も失わないように」と申すそなた、そなたの誠の姿は身魂でござるぞ。そなたの肉体も、そなたの持ち物も、元々そなたのものではござらん。そなたにそなたのものがあるならば、そなたが神でござるぞ。そなたの生死が自由にならんと申すのはいかなることでござるか。そなたに不安や恐れがあると申すのはいかなることか。そなたの人生が思いどおりにならんと申すのはいかなることか。そなたが生かされて居るから、そなたの思いどおりにはならんのぞ。そなたがФでござるから思いどおりにならんのぞ。そなたが真釣り⦿を生きておるならば、そなたの欲しいものは常に手元にござるから、失うものは何もないぞ。⦿ならば思いどおりにして差し上げるのぞ。Фの者は失って返して⦿に成る。種(たね)ひとつ創れん人間に「自分のもの」などござらんのぞ。元のはじめの種を、元のはじめのDNAを創りたのはだれなのか。元の資源を、宇宙人のDNAを創りたのはだれなのか。「無」から「有」を創りたのはだれなのか。今までの学や知のウソ、ここでしかと考え直せよ。元の⦿神なくて何もないぞ。神あって世界も人もあるのぞ。そなたら重大な忘れものしておるぞ。この方⦿ぞ。
P246
 常識が崩れておるぞ。暑い所が寒くなる、寒い所が暑くなる。雨が降る所に雨が降らん、異例なことや前例無きことばかりぞ。史上初の出来事が、史上最高の、史上最低の記録が続出しておるぞ。この方の大掃除のお知らせにまだ気づかんのか。今までと違うことが起きておるのは、今までと違う世界になる予兆でござるぞ。一度にやっては可哀相だから少しづつ見せておるのぞ。死ぬ者、怪我する者、財産を失う者は、それでメグリの清算をして居るぞ。身魂の掃除が進むのぞ。見た目で見て、可哀想だ、酷いと申して大騒ぎして居るともっと酷いことになるぞ。何の罪も無き者や、何の関係も無き者は一人としてござらんぞ。自業自得でござるぞ。事故や事件はこの方が許しておるものぞ。犯人を悪く申すのは、天災と申すのは、この方を悪く申すのと同じでござるぞ。いつまでФの世のアヤマ知を持ち出してツベコベ申して居るのじゃ。いい加減に目を覚ませよ。

 すべてのすべての「悲惨な」出来事は、そなたらのФが創った出来事ではござらぬか。それが分からんようならば、そなたは最期は消滅ぞ。天国を目の前にして消えるぞ。被害者は一人として居らん。この世にそなたのものは一つもござらんからな。そなたが失ったのは、この方が用意したそなたの身魂の掃除の道具でござる。この方のものを使ってそなたらの身魂の掃除を手伝って居るのでござるぞ。早く気づいてくだされよ。被害者を気取って人に文句を申す者は迷惑でござるぞ。損害賠償して欲しいのはこの方でござる。いい加減にやめなされ。今の世の終わりと申すのはミロクの世の始まりでござる。同時ぞ。そなたが居る物質の世界を半物質の世界に変える仕組みでござる。そなたが真釣りでござれば、そなたのイノチは永遠でござるから、そなたには世の終わりなどござらん。世の終わりを騒ぐ者、何処に逃げようか、今あるものをどうやって守ろうかと思案する者、破壊を避けようとする者、早う魔釣りФを真釣り⦿に戻さんと、最後の最後は身魂も含めて全ての全てを失うぞ。そなたが真釣り⦿に生きて居れば、調和に生きて居れば、この方は壊す事は致さんぞ。そなたらが魔釣りФに生きて居るから、壊して教えて掃除してタテナオスのぞ。自由に命令は無いぞ。操作も無いぞ。戦いも無いぞ。無視してよいぞ。元の神代にФは無いぞ。
P247
 Фの世はすべて相対でござるぞ。暑い、高い、無い、悪い、損した等、何を基準に申して居るぞ。そなたが魔釣りФをしておるから不足があるのぞ。不満があるのぞ。怪我をするのぞ。そなたが原因ではござらぬか。そなたが原因の不足をそなた以外に苦情を申して居るそなたは何をしておるかご存じか。ご存じならば、不足を申すことはできなくなるがいかがなものでござろうか。外を飾る者は内に自信が無い者ぞ。⦿は絶対の基準ぞ。⦿にはФはござらん。Фは一点も入る余地はござらん。⦿は⦿のみぞ。Фする者が悪。「絶対」とは「対」が「絶(た)える」こと、ひとつ、⦿のことぞ。
P248
 一歩の前に0歩がござる。0歩が始めぞ。ゼロが始めぞ。◯(霊)界が基ぞ。そなたが◯から取るか出すかで先が決まるのでござる。そなたが取ったから取り合いの世界を造り出したのでござるぞ。そなたが動いて欲しいものの所へ行くか、そなたが動かず欲しいものをそなたの所へ来させるか、何方か。ミロクはそなたが歩いてこなければそなたのものにはならんぞ。そなたがミロクへ生まれ来て、そなたから見ればミロクの世界が手に入るのぞ。そなたがそなたのФで造った善の世界を造るのではござらんぞ。取り違いなさるなよ。-も+も0が基ぞ。取ったものを出して、0に戻して出せよ。取ったもの出すから苦や損や悪に見えるが、元々は0でござるぞ。そなたが取って居れば出しつづけることになるぞ。出しつづけて0に戻れば、今度は来ることになるぞ。そなたが霊に戻らねば、取ったものを返さねば、そなたはミロクはないぞ。取られたものを取り返せば永遠に0はないぞ。そなたは自分でミロクを遠ざけて居るのぞ。今ここで得するのは、永遠の損を手に入れて居るのと同じでござる。○からやり直せよ。全員未成年。ヒトに成ると大人ぞ。ミロク開くその瞬間まで何があっても掃除を続けることぞ。点検しなくともよいから、そなたの欲しいものが来たら分かるから、途中で絶対止まらずにミロクまで駆け抜けろよ。

 「そなたが文句言うならばそなたもФぞ」と申す者、相手がФであるとして、そなたはФではないのか。そなたが⦿ならばそんなことは申さんぞ。そなたは自らがФであることを認めるか。自らがФならば、この方が、そなたの相手がФだとしても⦿ではござらんから、人のことは申せんぞ。自らФである者が、人のФを批判してどうするぞ。悪人が悪人を裁いてどうするぞ。そなたは何をして居るのか。「そなたが⦿なら、そなたが考えを変えればよい」等と申す者、そなたが⦿に成れば善いことぞ。自らは悪人で居て、人を善人に変えようとする者、自分勝手でござるぞ。「そんなことして居らずに真面目にせよ」と申す者、「Фに生きよ」と申して居るのと同じことぞ。真面目にやらねばならんのは、そなたでござる。人間として「してはならんこと」と申すのは、神成る身魂としてしてはならんことぞ。調和を乱すことぞ。Фを続けることぞ。「そうじゃない」と申しても、そうでござる。そなたの内にФの正しさがござるぞ。そなたの内に誤りがござるぞ。そなたが⦿ならば人に一切口出しはせんぞ。そなたが⦿に成らねば、そなたがミロクに行けないだけのことぞ。そなたが⦿に成るか成らぬかの問題でござる。⦿の者はそなたとは関係なしにミロクへ行けるぞ。そなたがФでござれば、⦿の者は見分けがつかんぞ。そなたが悪と申す者の中に⦿の者が居るぞ。そなたが⦿に成って生きれば掃除進むぞ。
P249
 この方は、この者に、有無を言わせずФから⦿まで体験させて、この者の体験としてこのフミを書かせて居る。「我のことが書いてある」と申す者、その通りぞ。そなたはФの身魂でござる。Фの身魂全員に共通のフミでござるぞ。Фの身魂全員に当てはまることぞ。そなただけのことを書いたのではござらん。そなたがФをして居るから、Фをして居る者は全員当てはまるから、そなたのことでもござるのぞ。そなたがФの実例でござる。「何で我のことを悪く書くのか」と申す者、この者やこの方に文句を申すそなたはФでござるのぞ。⦿に成らねばミロクに行けんのぞ。この者やこの方の申すことに文句を申すそなたは、Фであることを白状して居るぞ。魔釣りФの者であることを自白しておるぞ。魔釣りの世を進めた共犯であることを自白しておる。人のことはアレコレ申せんぞ。この方の語ることを、人の語ることを批判するココロはФでござるぞ。⦿がマコトの善ぞ。
P250
 この方を、この者を、この方のやり方をする者をアホだと申すココロはФでござる。自らが◯で、この方が●であると見ておるから、この方に文句を申すことになるぞ。この方を疑うことになるぞ。黒を白と教えられれば、黒を黒だと申しても、白を黒と申して居るのではないかと思うから、引っ繰り返すのは容易ではござらん。そなたが悪人になると思うからぞ。この方は黒を黒と申しておるのぞ。この方がここで申すことを素直に取らんとそなたは永遠に真コトは取れんぞ。真釣り⦿には戻れんぞ。この方がマ違っておるか、そなたがマ違っておるか、ここでよくよく考えてくだされよ。⦿が天国、Фは分裂して滅びぞ。⦿が善。Фが悪。そなたが素直になれば、どちらがマコトか分かってくるぞ。最期の最期で気づいても、もう遅いから、今ここからしつこく申しておるのでござるぞ。最期に答は出るが、白黒つくが、その時はそなたが死を迎える時ぞ。どうぞ安らかにお眠り下され。天国を目前にして真コト魔コトの永遠の眠りじゃ。二度と生まれ返れんぞ。三千年もの長い間、魔コトにご苦労でござりたな。さらばじゃ。合掌。
P251
 Фを⦿にするのが掃除でござるぞ。そなたのルールを⦿にして生きれば、悪くなって苦しんで損して掃除が進むぞ。取ったもの返るぞ。捨てようとするのはФぞ。分かっただけでは半分ぞ。そなたが体で経験して、体で苦しんで悪くなって、初めてメグリの清算になるのでござるぞ。宗教だけでも科学だけでも掃除にはならん。超能力で善くなっても、魔釣りでござるぞ。最期にその分も含めて全部清算して頂くから覚悟しておけよ。そなたが⦿で動けば少しずつ⦿になるのぞ。まずは心を⦿にして動くことでござる。霊が体に現れる。心⦿で動けば体⦿になるぞ。善いことばかりではござらんぞ。そなたが取ったことが悪でござるから、そなたが悪を体験して0に戻すのぞ。そなたがФの基準の●が自分の中にあると気づかねば、●を外にあると申して外の●を責めまくる、批判する、消そうとするぞ。外の●はそなたの内の●を映して居るだけぞ。そなたがФであることを教えて居るのじゃ。Фでは⦿ないから、裏表でござるから、Фの者は◯を守り、●を避けるから、●を見せて知らせねば⦿に戻れんから、天国はないから、●をどんどん見せるのぞ。⦿ミロクに近づくほど●激しくなるぞ。支払い期限迫れば、取立て厳しくなるのと同じぞ。そなたが全部掃除せねばミロクないからぞ。人間の取立ては自分勝手でござるが、この方の取立てはそなたのためでござるのぞ。返さないならば身魂のおイノチと引換えでござるぞ。天国と引換えでござる。今まで我善しの天国を生きてきたツケでござる。損得無し。
P252
 ●を掃除せねばならんから、ミロクに近づくほど●の出来事が、嫌なことが、悪いことが、悲惨なことが、どんどん増えるぞ。そなたが掃除をして居れば、そなたにとっては●はなくなるぞ。ただの出来事になるぞ。●と同時に⦿も見せて、そなたのして居ることを気づかせる仕組みでござる。このフミは⦿見せる鏡の一つでござるぞ。この者は人間として肉体をもった⦿のサンプルでござる。掃除のトレーナーでござるぞ。心で申しても分からんからフミを出して、文字でも分からんから言葉で出して、言葉で分からんから形で見せるのでござる。ここまでやっても分からんならば、そなたにミロクはござらんぞ。いい加減にアタマを下げて掃除をはじめなされ。アヤマチとマコトを、魔釣りФと真釣り⦿を両方出して、カラクリを全部明かして、真釣りに戻す改心の道を選択するチャンスを与える仕組みでござるぞ。⦿の大サービスぞ。教えたからには厳しくするぞ。答えを知って勉強せんならば、どんどん厳しくして行くぞ。⦿の合格点は一〇〇点ぞ。この方の申す通りに一つ一つコツコツと積み重ねれば全員ミロクの門をくぐれるぞ。そなたの内に原因があると認めなければ何も変われんぞ。そなたが●Фを持つほどそなたは苦しくなっていくぞ。怖くなっていくぞ。そなたのФを掃除するための教材が次々に出てくるぞ。悪の嵐。神のテストは実地試験のみ。

 この方は、数年前から、この者の掃除をさせて、この者の内の葛藤をこの者自らが収拾して、神示の取り違いを外して、誰にでも分かる形にして、使えるノウハウにして、その成果をすべて外に公開させて居るのぞ。情報公開一〇〇%。今まで極秘のものも出ておるぞ。この方は、いくら申しても聞かんそなたらでござるのは分かって居ったから、人間としてどうしたらよいか、をこの者を通して最後に渡せるように計画通りに進めて居ったのぞ。この方のココロを文字で肉眼に見せて、人間として型(サンプル)を出して、直接そなたらが見て聴けるようにして、最後の改心の舞台を始めるのでござる。本来なれば、そなたらが「犯罪者」に対してしているように、ルール違反の者は、何も申さずとも滅びでござるが、この方にも情けがござるから、最後の最後のカラクリを明かし、肉身で自ら比較し、自らのして居ることを点検できるようにしたのでござるぞ。この方が語ることが閻魔(えんま)様の裁きの基準でござるぞ。神心⦿でござる。そなたが⦿を生きて、体験としてこの方の申すことが納得できたならば、そなたは神心⦿でござる。体験して掃除して悪調和して、心と体を一つにしてミロクの民として合格でござるぞ。
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 アタマで分かっても意味がござらん。チシキでは何もならん。知識を実行して智慧にせよ。そなたの知識と体験が一つになった時が真釣り⦿でござるぞ。そなたが今、マコトのことじゃと自信を持って申せることは、そなたが体験して来たことだけぞ。そなたは魔釣りФのやり方を自分で証明して居るから、自らが正しいと自身をもって言えるのぞ。それがマ違いだと申せば、そなたは反論するが、もう一つの真釣り⦿をやればФはマ違いじゃということが証明できるぞ。裏の裏は表。そなたの中に議論や葛藤があれば、そなたは一つではないぞ。二つに分かれておる。そなたの質問をそなたが答えればそなたの謎はなくなるぞ。そなたの答えを実行すれば悪くなって善くなるぞ。悪くしただけ悪くなるから0でござる。悪くなることはござらん。今が悪いことでござるぞ。悪の悪は善。
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 いいのかどうかと聴くことがそなたの葛藤を造りだしたオオモトぞ。悪しておって悪避ける身魂でござるぞ。悪しておれば悪くなる。悪は避けられんぞ。この方はすべて許しておる。そなたのココロはこの方の声ぞ。そなたの答えはこの方がそなたの質問に答えたものぞ。自らの答えをФの者に確認するから、葛藤をつくるのでござるぞ。⦿の答えをФの者に確認して居ては、永遠に答えは出んぞ。そなたの答えをそなたが実行してそなたに証明すればよいことぞ。ここでまた、それでよいのかと聴くそなたは、また同じワナに嵌まっておるぞ。いつまで堂々巡りを続けるお積もりか。この方は何も裁いて居らんぞ。そなたのココロに出る声をそなたが裁いてどうするぞ。裁けば一つにならん。分離のままでござるぞ。天国は永遠にあり申さん。自らが悪くしたら自ら悪くなって0。差引0。悪は無い。この方の申す通りに素直に実行せよ。不都合の中で実行して実をもって神のやり方を修得するのぞ。掃除の教材拒否すれば、天国はないぞ。どんなに逃げまわっても屁理屈こねても最後の最後は有無を言わせず、ぜんぶまとめて渡すことになるぞ。宿題は少しずつやれよ。神の宿題は他人にしてもらうことはできんぞ。宿題をためて居る者ばかりぞ。この方が手伝うから早う始めなされ。
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 魔釣りは、Фぞ。コントロールのゲームぞ。外を変えようとするゲームぞ。外のせいにするゲームぞ。善悪裁くゲームぞ。自らを裁くゲームぞ。人を裁くゲームぞ。それがユダヤの仕組みぞ。ヘビの知恵ぞ。天には登れんぞ。⦿がスメラの仕組み。リュウの智慧ぞ。天に登れるぞ。ヘビは地上、リュウは天上、型示しぞ。そなたから見えない世界のことは神示にまかせよ。魔釣りФのそなたが想像しても、それは魔釣りの霊界ぞ。幽界ぞ。ミロクではないぞ。天国ではないぞ。そなたのココロを裁かないことぞ。そなたは人に「してもよいのか」と聴くが、何でもしてもよいのでござる。質問はいらん。遊べよ。悪くなるのもそなたには薬。悪も遊べるようになればミロク近いぞ。悪しておれば苦しんで0。苦さければ死。ユダヤを責める、イシヤの仕組みを知ろう。暴こうとするそなた自身がユダヤそのものぞ。そなたがイシヤの仕組みを進めた張本人ぞ。人のことは自らのことぞ。スメラが⦿。

 この者は、何も知らずに、この方の申す通りに、回りから何と言われようとも、自らのココロに素直に実行し、自ら体験したこととこの方が外の者に出した神示とを突き合わせて神示が真実であることを確認し、神示の真コトを解くという御役目をして居るのぞ。この者にとっては、体験が先で神示があとに来て居るぞ。神示をマニュアルにしても何も分からん。そなたの体験が矛盾がなく説明できるものが真コトのものぞ。そなたの体験はそなたの真実ぞ。そなたの真実を裁くものは魔コトでござる。誰が何と申そうとも、そなたが験(み)たものは真実でござる。ウソではござらん。そなたの不思議をそなたが解消すればよいことぞ。そなた自身の体験の裏付けがあるものはそなたの意見として通用するぞ。すべて主観、すべて意見ぞ。そなたの真実を疑わずに語れよ。変なものもよくないものもないぞ。そのように申すことがよくないぞ。変なものと申して居るのはそなたぞ。そなたの見たものそなたが裁いて居るのぞ。そなたの自作自演の一人芝居でござる。自らが自らを疑って悩んで居るのでござる。そなたの声、そなたの話は、受け売りではないぞ。客観とはこの方の眼、⦿のことぞ。
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 相手が悪でも、そなたを騙そうとしても、相手が正しいと思ってウソを教えたとしても、そなたが真コトならば、見分けられるぞ。悪する相手に文句を申す必要はないぞ。騙された、教えてくれない、悪いことをしておる、人を騙すのはよくない等々と文句を申して居る者はФしている者ぞ。そなたが悪いのでござる。そなたが求めるからくれるのでござろうが。需要と供給。自らの欲しいものをくれないと不平不満申すそなたは自分勝手でござるぞ。そなたがФしておいて外に不満を申すとは何事か。この方はそなたの●を人を通して渡して居るぞ。⦿に戻る教材でござるから、その者に文句を申すのはこの方に文句を申すのと同じでござる。この方に文句を申すならば、そなたは天国には行かれん道理。そなたがどうなろうと、それはそなたのしたことぞ。そなたが●をもって居るから見えるものぞ。そなたの内が●あるから来るものぞ。そなたのしたことの結果、内が外。相手ではなく、自らが原因。相手が原因だと申すそなたが原因ぞ。⦿生きれば悪くなって●消えるぞ。Ф悪くした分自らが悪くなって善くなる仕組み。●避ける者Фのままぞ。⦿が善。
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 肉体は必ず滅びるぞ。この世も同じぞ。真釣りあれば身魂は永遠のイノチぞ。魔釣りでござれば身魂も滅ぶぞ。魔釣りは滅びでござるが、それではそなたらが可哀想なから、自らのお子が死ぬのは見たくないから、最後の最後に真釣りに戻れるように、この方が仕組みありたのぞ。死を見たくないから、というのは神の自分勝手ではないかという者、そなたは死にたいのか。そなたが⦿の世界をФで壊して来たことを自覚することぞ。Фは不調和、分離、分裂、自分だけ上に行く、人を落として自分だけのゲームであることを自覚することぞ。Фはルール違反。調和乱す、天国壊すのが悪。天国望んで地獄創って居るぞ。一人一人のФが戦争を創った原因ぞ。誰が悪いかと議論するそなたら一人一人が悪いのぞ。自分自身がすべての根源でござる。「そうじゃない」「あいつが悪い」と申すのはФの世だけで通用する理屈、思考でござる。そなた自身がФして居る証拠。戦ったら天国ないのは簡単な道理でござろう。それすら忘れてしまっている、こんな簡単なことも気づかん曇った身魂では、ミロクの民にはなれん。Фでは⦿ないぞ。そなた自身ではもう真コトには気づかんから、外の悪を批判し続けるばかりでござるから、この方が真コト⦿を全て教えて、心を真コト⦿に取り替えて、体で実行することで、実践で真コト⦿を取れるように仕組みたのぞ。この方の⦿はいくら取ってもなくならん。この方は無限の⦿ぞ。そなたが⦿を持って来るならば幾らでも引き換えて差し上げるぞ。この方のお陰(プレゼント)の引換え券は、そなたの⦿の行動でござる。金でもモノでも天国でも、何でもお好きなものを差し上げるぞ。内が外ぞ。霊界のゲームが現界で展開しているのぞ。⦿取る苦労頼むぞ。
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 Фの霊界を幽界(陽界=陽霊人=●の如き性をもつ+陰界=陰霊人=◯の如き性をもつ)と申すぞ。初期の霊がかりは幽界からぞ。⦿の霊界を神界(天国=天人+霊国=霊人)と申すぞ。高い段階から、神から申せば、善も悪も、神界も幽界もないのであるが、人民のアタマでも分かるように申しているのであるぞ。このフミは、人間として体験を通して実践して真コトを取った、真釣り⦿に戻したこの者を通して、Фの人間の視点からでも分かるように語ったものぞ。これで分からねば、もう手だてはないぞ。幽界は本来はないものであるが、人民の地獄的想念◑◐(Ф)が生み出したものであるぞ。天界、中界、現界を三千世界と申す。神の道、そなたらには未知の世界でござるが、ミチの世界、満ちる世界、神あって人ある、人あって神ある、もちつもたれつの世界ぞ。幽界と申すのは⦿の道を外れた国のことぞ。肉体は日本人と呼ばれておりても、身魂のそなたらは幽界(がいこく)人(神)が多いぞ。早う⦿の神の道に戻れよ。⦿の道がヒノモトの民の歩む道ぞ。

 高度の霊が直ちに肉体人に感応することはなく、それぞれの段階を経て感応するものであるぞ。下級霊は現実界と紙(神)一重の所に住んでいるのであるから、その感応は極めて強く、いかにもおもしろく人民の目に映るものであるぞ。高度のものはそのミタマの如何によって、それと同一波長の神霊に伝達されてその神霊の感応によって表現されるもの。特別の使命を持つ天使は、最下級の霊界まで降って来て、人民に特別な通信をなし、指示することもあるぞ。また、天使の霊が母体に宿り、人民として生まれてくる事もある。末世にはこの種の降誕人が沢山あるぞ。この方の御用の身魂がこの霊の例でござるぞ。
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 霊界の様相は「ひつく神示」「太神の布告」を読めばわかる。この者は、実践的掃除について語っているぞ。そなたらの取り違いが甚だしいから、そのままでは消え去って仕舞うから、このフミを出したのでござるぞ。このフミは偽物じゃと申すならそれでよい。そなたが本物じゃと申すものに従って生きればよろしかろう。最期にすべて分かるからな。この方の神示を文字で読みたいならば、前に出たもの、翻訳物でもよいが、原文を読めよ。そなた自らの解釈が自らの真実のものぞ。そなたの解釈を実行せよ。道から外れたらこの方が行き詰まりで教えるから、どんどん実行せよ。悪くなって善くなる仕組み。躊躇(ちゅうちょ)するのは悪避けて居る証。自らが悪くしておいて悪避けるのはオカシキことぞ。悪くなれと申す神はインチキじゃと申す者、アタマ洗って出直せよ。「神示」の翻訳者の解釈は一つの参考にせよ。鵜(う)呑みにするなよ。この者の書くモノも同じぞ。そなた自らの解釈が自分にとっての正解ぞ。どんなに偉い者が書いておっても真コトとは限らんぞ。そなたが違うと思えば違うのぞ。そなた自身の自らの声を大切にせよ。神示は生きて初めて解ける。生きた者は解説はせん。自らが神示を出すぞ。神示を書かんでも、そなたの内に神示が出ると申すこと。外の「神示」は方便。いつまでも自らの声を疑って外捜し回って居ると、もうこの方はどうなっても知らんぞ。騙されて地獄に行くぞ。滅びるぞ。悪くなること覚悟でどんどん実行せよ。躊躇して居る暇はござらんぞ。悪くなって善くなる。そなたの心からこの方の神示が出ておるのぞ。それが分かればそなたは誠の自遊人(⦿)となるぞ。
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 音読する、食べる、声を出すとは、実行することぞ。自給自足とは、自分で考えて自分で決めて行動することぞ。衣食住は結果として来るもの。カネの要る世では、カネが来るように、カネと引換えに必要なものが来るように、カネに変えられるものをやるから、そなたの体を使って何かを提供すればカネに変わるようになって居るから、カネ自体を裁くなよ。そなたの想いの通りに動けば、誘導するぞ。人に頼んでダメジャと断られるのは、そなたの⦿の道は別の方向じゃと教えて居るのぞ。断った者に文句申すでないぞ。そなたが⦿から外れたことを教えたのでござるぞ。自らのФがすべてのすべての混乱、不思議、苦しみの原因であると自覚しておけよ。人を責めるはオカシキことぞ。知識と智慧は違うぞ。口心行、一致しているものは智慧、していないものは知識。知識を実行して智慧となる。同じことばでも受け売りと体験からのものがある。悪人が善を語っても意味ないぞ。実践した者が、マコトにしたことだけ正直に語ると⦿力でるぞ。誰も逆らえんぞ。申して居ることとやって居ることが一致しているかどうかが問題でござるのぞ。⦿は誠一つ。
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 人間の肉宮は神の真理が宿る尊い神社。下級霊は入れん。感応するだけぞ。感応すれば行動に現れるから入ったのと同じになる。人間の霊の知っていることを喋れるから、人間の霊の思っていることを喋れるから、人間の霊がかつて体験したことを見ることができるから、予言できるのぞ。本人しか知らんことを当てることもできる。簡単でござるぞ。不思議がるそなたは掃除必要ぞ。すべて分かって当たり前。分からないでお願いしたなら、ツベコベ申さずに黙って聴けよ。動物霊が言葉を喋ってもオカシクないぞ。そなたの言語体系で翻訳するからぞ。そなたが恐れているとそういう霊が感応して幽霊を見せてくれるぞ。恐れの世界を見せてくれるぞ。そなたが何を持っておるか自覚せねば、そなたの掃除はできんから見せるのぞ。そなたが真コト⦿に戻れるよう、内にあるものをすべて順番に見せておる。そなたが見たものを使って自らが何を持って居るかを知れよ。知ったら真コトに戻せよ。一〇〇%実践せよ。最期の最期は纏めて渡すぞ。そなたに●あるから●見えるのぞ。自らが自らを裁くことになる。自らの●を自白しておる。悪裁くが悪ぞ。

 そなたは霊界と繋がっているから、何でも見えるぞ。不思議はないぞ。自分のココロの有り様がどの霊と交信するかを決めるのぞ。そなたがチャンネルを変えねば何も変わらんのでござる。霊のせいにしていると自分がそこに居つづけるだけぞ。人間は神の助けなしには何もできん。そなたの思い通りのものを体験させてくれるぞ。そなたが内を掃除せねば何も変わらん。Фが人にあると申せばそれが形になる。そなたがそれを現実として見るから、Фが外にあることになるから、そう見えておるから、そう思っているから自分の創ったものを証拠にして自分は正しいと思うから、Фは外にあると申すそなたの魔コトは動かんぞ。そなたが始めに何を選ぶかでその後が決まるぞ。霊に入れた通りに行動せよ。そなたが原因でござることを自覚すれば、自由になるぞ。そなたが決めて居るからそうなると申す仕組みをしっかりと自覚なされよ。幽界との繋がりを切らねばミロクはないぞ。
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 善人は悪人を避ける。霊が体に現れる。体に現れたもの、体で見た(体験した)ものは霊の結果。霊変えないと体は変わらず。そんなことはできないからしないと申せばそれが霊の言葉であるから、霊がその通りの行動をし、それが現界の行動として現れ、体験するのでござる。自分がしないからできないのぞ。自らの申した通りになって居る。自分の現実は自分のルールで自分が創っているものぞ。それを理由に自分を制限しているから制限になるのじゃ。自分が制限しているから制限を体験するのぞ。それを認めないかぎり、その制限から抜けられない堂々巡りぞ。自分が制限して制限を体験してそれを誰かの責任にするのはマコトに迷惑なことぞ。自分が認めない限り、自分が今までの理屈を捨てない限り、そなたには認められんぞ。今までの幻想の命を捨ててかからないとマコトの掃除はできん。自分は悪くないといくら申しても、自分が悪くないと申していることが悪であるから通用せず。どんな証拠を上げてもそれ自体が自らの悪の証拠である。気づかないのはそなただけ。そなたが枠の中に居つづけるだけのこと。そなたとは関係なくそなた以外の者はどんどん真釣りに戻ることができるぞ。そなただけが置いていかれることになるぞ。
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 群集心理は一時的霊の憑依。信仰(信念、親交、進行)しても借銭なくなるまでは苦しまねばならん。生命捨てねば真コトの信仰の道には入れん。己も人も助けるのが真コトの道。アメツチの道。天だけ、地だけ拝む信仰は終わりぞ。マチガイ、オカシイの基準は、神の真コト。神は人に依って神となり、人は神に依って人となる。神人ともに⦿成る仕組み。⦿の部屋はできて居る。⦿の身魂だけ入れるぞ。Фの身魂は入りたくても入れんぞ。不公平だと申す者、ズルイと申す者、助けるのが神だと申す者、もうその理屈は通用せんぞ。それをして居ることがФの証拠でござるぞ。Фの身魂はФで都合よく価値判断して結論だして楽して益々Фをする。⦿の部屋が迫っているから、⦿なければ火水の掃除をしなければ天国はないから、●をすべて出して、Фの基準、取り違いもすべて明かして掃除を迫る。しない者、したくない者は、それでよい。いくらでも屁理屈申してそこに居るがよいぞ。形の自然の中に居て気分良くなるのは神の中に居ると気分よいと申す型示し。自然の中で農をして気分よくしても魔釣りФあれば最後にどんでん返し。身魂の真釣り外しは起訴しないぞ。自らを自らが逮捕して、自ら自白して、自らが自らを裁いて、自らが清算して真釣り⦿に戻す一人芝居の⦿仕組み。自らのしたこと自らで清算する仕組み。⦿のバランス変わらず。体どうでも身魂の戻し。ゼロがゴール。0に戻せば出すから入るぞ。満たし愛。すべての者を我善しでコントロールする遊び、相手が悪いぞゲームは終わり。この方はもう許さんなり。Фが「いじめ」そのもの。学校のいじめはФの教育の果。いじめを責めるそなたも同罪。⦿を自由を制限すればイジメぞ。いじめる者の方の仲間になっても勝ちではないぞ。いじめる方、いじめられる方、どちらもФもつ自らのせい。お互い様ぞ。最後は全員潰れるのぞ。⦿がいじめをなくす方法。Фのままではイジメ、戦争は、はげしくなるぞ。
P264
 ●を裁いている者はФある者ぞ。●掃除せんと天国ないから、悪と危険がどんどん出てくるぞ。嫌だと申す者、天国ないぞ。悪裁いて罰与えて、危険避けていると何もできなくなるぞ。そなたが逃げ回っても、最期はそなたのいるハコを壊すから、結局逃げられんぞ。そなたの逃げる所はそなたが怖がって居るハコの外ぞ。掃除なければ逃げられん。逃げれば掃除出来ん仕組み。今起きていることと自分のしていることをよく考えろよ。自分のためぞ。Фの◯を教えても強制しても、ますます戦い激しくなるだけぞ。Фの教育、宗教、改心必要ぞ。自分だけ善ければいいのか等と申すのはФの身魂。そなただけでも調和⦿に戻れば、神も人も助かる。神はそなたの世話が要らなくなる。取ったものは取られた人に返る。そなたがサンプルになる。自分のためが人のため。神のココロの中に人は居る。神の心変わると人から見れば回りの世界が変わるように見えるぞ。悪許せば悪形に成ってくる。悪裁いていると自らの掃除遠くなるぞ。そなたの回りは裁くものばかりになる。危険ばかりになって動けなくなるぞ。神の内に居るそなたに神の心はコントロールできんぞ。
P265
 神⦿は平和・天国。悪Фの掃除始めるぞ。善悪見える者、悪●あるぞ。Фぞ。自分が原因。戦争反対するそのФが口論、喧嘩、武器、核兵器を創った素。何でもかんでも反対反抗抵抗する心が戦争の素。自らのわがままを外を変えて通すやり方はФぞ。そなたが⦿なら外を変えようとすることはせん。核反対する心が戦争つくったのぞ。戦争責任は自らの●が原因。人を責める資格無し。一人一人が戦争犯罪人ぞ。いやがらせ、ゆるせない、抗議、謝罪、反対、批判、補償、反発、反論、人を落として喜ぶ、人を負かして喜ぶ、人から奪って喜ぶ等が当然と申すが、そんなことでは天国は出来ん。戦争に反対する抗議するのは正しいと申す思考は悪。⦿に戦争無し。戦争あるのはФの世の証。「核実験は平和を願う国民を裏切る背信行為だ」等と申すФの心が戦争を創った真因でござる。欲しい者だけに渡す仕組み。そなたが滅びるのは自由。最後の最後は神⦿が知らせるぞ。神が宇宙の偏り正せば偏りの人間は地獄ぞ。自分のしたことでござる。自業自得。全部滅び。身魂が服来た遊び。地獄の遊びも⦿から見れば怖くない。肉は二種類、身魂は一つ。大人も子どもも元の身魂は同じ。この世に生まれた順番で大きさが違うだけでござる。身魂としての経験はバラバラ。身魂は時空ないから年齢なし。体験が集まったのが身魂。体験の蓄積が身魂。肉の世では一つ一つデジタルで出すから時間や歳を創りだす。体験が財産。無限のデジタルはアナログ。すべてはひとつ。同時。神の世は⦿。神の世にФなし。現界掃除すればФの居る場所はないぞ。

 食べ物は霊の食べ物のことぞ。Фやっていて、人の行動口出す資格なし。Фのゲームで善人を演じているに過ぎない。Фやっていて、綺麗にしよう、傷つくのを避けよう、としても無駄ぞ。やられたらやり返す、とられたら取り返す、非人道的行為を創りだしたのは一人一人のФぞ。謝罪するのは全員。謝罪する先はこの方ぞ。謝罪するならば、真釣り⦿を即実行せよ。心に思っても駄目でござる。念で操作しても無駄でござる。⦿を実践して悪くなって0に戻す仕組み。最期世界は大掃除。⦿以外は全員犯罪者ぞ。戦犯ぞ。そんな理屈はそなたの妄想じゃと申す者、Фして居ること白状しているぞ。第三次世界大戦はココロの戦争ぞ。霊戦ぞ。今が戦争の真っ只中。革命は覚命でござる。霊の目を覚まさねば⦿を思い出さねば勝てんぞ。知も血も流す戦いぞ。全霊全体を総動員の大掃除。甘い心では掃除は出来ん。これから終戦に向かうぞ。同じこと二度。世界全部掃除してミロクの御世に致すなり。自分の内の葛藤、Фを辞めることがそなたの本当の終戦でござるぞ。現界のФで負けて霊界⦿で勝つ。⦿すれば全員勝てる仕組み。人を負かさず天国に至る仕組み。全員勝ちの世に勝ち負け、上下なし。マコトの平等⦿。平和。競争はФの世のドラマ。
P266
 戦いの、勝ち負けの戦士であることを自慢するそなたは調和乱す悪人でござる。形の戦争が戦争ではないぞ。形を見ていると取り違う。獣は、肉食は、戦いは共食いぞ。食うものなくなれば我(われ)を食うことになるぞ。マコトのイノチが無くなるぞ。動物を食うと動物の恨みが宿る等と申す者、そなたの恨みがやどるぞ。そなたの中に恨みの心がござるぞ。動物が食べられる時に痛いのか。そなたは何故に分かるのか。事故で即死になるものは痛いのか。すべては一人一人のメグリ相応ぞ。肉体を通して痛みで清算。身魂は生きておるぞ。痛いのが可哀想なのか、死んだのが可哀想なのか、そなたは何を悲しんでおるのじゃ。そなたの心にあるもので外のものを勝手に想像しておるだけぞ。すべては自らに置き換えた一人芝居でござる。そなたの内にある基準で外を見て居るだけぞ。外は映画でござるぞ。そなたのФが悲しむ素ぞ。可哀相なのは⦿の世に行けないそなたぞ。ココロの戦い、ココロを疑うことは、ココロを食って居ることになるぞ。命を食って居る。ヒトは、草食は調和ぞ。この方⦿の申す通りにすることがヒトの道ぞ。
P267
 悪の中にミロクを開くカギあるぞ。⦿が調和、天国。Фは分離の不調和。戦い、地獄。したこと清算して、悪くなって善くなる仕組み。悪避ければ悪は残るぞ。霊を慰める、死者の冥福を祈る、死んだから悲しいだろう、殺されたから恨んでいるだろう、悪いことやってないのに殺されて無念だろう等々、すべては自分の想いでござる。□□だから許せないと申すのはそなたの屁理屈。人を裁くのは迷惑ぞ。相手の痛み、感覚、気持ちは本人しかわからんぞ。自分のФで勝手に死者の気持ちを作り上げて居る。すべてはそなたの屁理屈の一人芝居。そなたは死んでは居らんぞ。死は不幸、生は幸福と、死の実体知らず、死を語る。霊や神を知らず、悪魔、呪い、恨み、祟りを語る。それを理由にして行動してトラブルを創りだす。そなたは何もしらんのぞ。問題ある世はФの世。問題創るそなたはФの身魂。別の形態に移れば見えてくる幽霊。高い状態から見れば、すべて分かるぞ。
P268
 教育、しつけはФのゲームぞ。⦿に教育要らず。自らの心に素直に行動するから、人のすることは◯●しないぞ。法律も要らん。そんなことは理想だ等と申すそなたは、理想という基準があるぞ。⦿に成って居らん。自らが◯と●に分裂して居るぞ。Фの者は行動や出来事をФの視点で見る。自らの心もФで見る。Фには⦿は見えん。⦿を行動せんと⦿は分からん。悪待つから悪が来るのぞ。悪待つ者はФ。自由に悪なし。事故もドラマ。身魂は健康。Фの者は逃げられんぞ。⦿の検問は抜けられん。身魂⦿の者だけ出られるぞ。神は身魂を見て居るから、ウソは通用せんぞ。そなたのして居ることは丸見えぞ。そなたが借りたものすべて返せよ。最期の最期までどろぼうとは申さんから自主的に自首してくだされよ。そなたがもって居る借りは⦿の世には持って行けんから掃除励んでくれよ。
P268
 先祖大切にして元の⦿神無視して居るぞ。墓や仏壇や神棚やお寺や神社を拝んでも、Фやって居ればФの神や仏が付くぞ。Фの仏はホドケぞ。Фの神はガミぞ。点無くしてカミぞ。マ違いぞ。真と魔を違えて居るぞ。我の生き方は何としても変えられんと申す者はそれでよい。勝手にしなされ。悪を勝手に創って悪を避ける一人芝居。自分で自分の行動を制限して居るだけぞ。悪を避けて居るのではなく、自分が悪と決めたものをしないだけでござる。そなたが悪だからとしないならばそなたの掃除はござらん。刑務所も死刑も前科も村八分も破産も只のドラマでござるぞ。そなたの身魂がФならば、最期の最期は大掃除の地獄でござるぞ。今の苦しみどころではござらんぞ。想像つかん酷き状況となるぞ。八つ当たりはカベのある箱の中だけでできること。霊界では通用せん。自らに返るぞ。自らが自らに当ることになるぞ。
P269
 この方の世に悪はござらん。自分が自分の行動を制限して居るだけぞ。悪と申すものはござらん。そなたがある行動を悪と申して自らは苦しみたくないからそれをしないと申して居るだけぞ。悪だから避けている積もりで安心して居るが、避けるものあればФのままぞ。すべてはただの行動、ドラマ、出来事。自分が自分を不自由にしている、自分が自分を枠の中に入れている、枠の中で遊んで居るだけぞ。これはしないで遊ぼうと申して居るそなたがそなたを不自由にした犯人ぞ。不自由なのは自分のせい。「これだけをやって遊ぼう」と決めて居る自分が自由の箱に制限の箱を創って自ら創った檻の中で遊んでいるだけでござる。悪はないぞ。そなたが悪と決めて避けて遊んでいるだけぞ。台風の影響で予定が狂ったと文句申すそなたらは、自らのФが原因であることを自覚してくれよ。

 「いいのかな」はФしている証。誰に聞くのでござろうか。誰がそなたの人生の正解を知って居るのでござろうか。そなたの外に真コト⦿の者は居らん。真コトの者はそなたの問いには答えんぞ。そなた自身に答えさせるぞ。そなたの答えをツベコベ申さんぞ。そなたが何をしてもトヤカク申さんぞ。悪く思われたら困ると思っておるのは、そなたぞ。悪く思っておるに違いないと申すのはそなたぞ。こんなことをしたらどうなるかと心配するのはФの証。そなたが悪い子を避けて居るだけぞ。魔釣りФが⦿の世の悪い子ぞ。魔釣りのФを持ち出して●を演じる者を悪と申す者が悪でござるぞ。悪い子を避けるそなたが悪い子でござる。悪い子になれよ。悪い子になれば善い子になるぞ。悪の裏が0。
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 祟り、呪い、罪悪感、悪魔、怖い、不安、神の怒り等を語るそなたはФぞ。「してはいけないこと」はФぞ。不調和ぞ。⦿の平和、天国を壊したのは一人一人のФでござるぞ。このフミをこの者の意見だと済ましたら取り返し付かないことになるぞ。そなたが語れんことを語れるのはなぜか考えてみよ。価値判断をしたらその時点でそなたはФであるぞ。Фは不調和。相対二元の◯を語って居るだけぞ。そなたはそのままいけば滅びぞ。「調和乱す者は滅び」が神のルール、掟ぞ。そなたらは一〇〇人殺した殺人犯が死刑になっても文句は申さん。当然だと申すでござろうが。そなたらは世界全部を殺すやり方をして居るのでござるぞ。「そんな大げさな」と申すそなたに⦿はござらん。身魂の死がすべての死でござるぞ。自分が何をしているのかよく考えろよ。その答えを実行せよ。回りは関係ないぞ。一人一人がФを掃除する。「いいのかどうか」と申すことが。Фを続けることになるぞ。堂々巡りにはまるぞ。⦿を0をФで悪くしたのだから悪くなって0に戻るのぞ。

 そなた自身が生きるか死ぬかの問題ぞ。マコトの生死ぞ。人は人の問題。自分がФで人に教えてもФを教えるだけでござる。そなたが⦿なら、責める、言い訳、罪悪感、批判等のゲームはせんぞ。コントロールも要らん。Фの者に答えを聴いても答えはないぞ。先輩後輩の上下は制限にならん。この方がそなたらの先輩ぞ。何を楽しんでもよいが身魂ゼロでなければここで終わりぞ。そなたは俳優ぞ。そなたは見事な俳優でござる。そなたは悪の遊びの達人ぞ。制限遊びの達人。自分で制限して人を制限するゲーム。人を制限する自分が自分を制限して居るのでござる。外にしていることが自分のしていることでござるぞ。自分が自由なら人も自由。自分が変われば外も変わる。見え方変わる。現実変わる。見えてくる。したくないことをさせようとするのは何故なのか。して欲しいことをしてくれないと申すのは自分勝手ぞ。期待を満たしてくれんと申すのは自分勝手ぞ。そなたのФがすべての源。元の神との関係を学べよ。対神(たいじん)関係を学べよ。⦿の対神関係ぞ。世の悪の根源はФのそなたらひとりひとりぞ。いじめの首謀者はそなた自身ぞ。
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 ここに書いたことを批判すればФの証。初めてのことするのにФの基準で善悪をしても意味がないぞ。そなたは何をしておるのか。ここに書いたことを基準に自分のしていることを考えよ。ここに書いたことを「でもそれは」とやればФであるぞ。⦿が調和。Фが不調和。⦿をФして壊した責任をとるならば⦿にして行動することぞ。0を悪くしたならばそなたが悪くなって0でござるぞ。悪くなるのではござらん。そなたが悪くしたのぞ。悪を避けるのはそなたの自分勝手。悪避けただけ最期に渡すぞ。Фは⦿の世のルール違反。どんなに形を隠しても正当化してもこの方には丸見えぞ。そなたの●を全部形に見せて掃除して頂くぞ。
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 ⦿を基準に行動することが掃除。悪くなって善くなる仕組み。出来ないのはオカシキことぞ。この方に命預けて頑張れよ。死んでも続くぞ。「Ф=正しい」は違反。⦿が善ぞ。そなたはアベコベをして居ったのでござるから苦しい、厳しいのは当然ぞ。⦿の0の調和を壊して来たのでござるから、0がマコトの姿でござるから、そなたがしたことそなたが返すのぞ。まずはФを⦿に取り替えることが責任をとることぞ。⦿に取り替えたら、出来ないことも言い訳も罪悪感もあってはオカシキことぞ。罪悪感を捨てることぞ。いいのかなと申すそなたが悪でござるぞ。今して居ることに罪悪感はないのか。⦿ならば、自らがいいのだと申してやるのでござるからその結果は自動的に自らのしたことでござる。辛抱するのが修行でござる。責任と申すものは自分にしかないぞ。戦いも責任追及もできなくなるぞ。Фがすべての歴史を創ってきた原因。一人一人が自分のФを⦿にすることが掃除。⦿の世を壊したお詫びの印。一人一人のФが原因。一人一人が掃除する。Фが原因だと知っても、まだФする者は最後に掃除するから覚悟せよ。やりたければやっておれ。知ったら改めるのが改心ぞ。お詫びするなら改心致せよ。今ここから実行せよ。態度で示せ。Фの者に指導する資格なし。指導するほど、ますます混乱するぞ。⦿を知らぬメクラがメクラを指導して地獄の滅びの道に誘うのはもうやめて下されよ。教師殿、教祖殿、親殿、大人殿、上司殿、人を指導するより、そなたらがまず⦿してくれよ。Фは自滅するから、自由にさせておけばよろしいぞ。●やめさせるそなたが●ぞ。神、頼んだぞ。
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 Фが原因と知ってまだ続ける者は容赦せんぞ。「いいのかな」も「よくないぞ」も同じことぞ。どっちも悪いのぞ。Фしている者全員犯罪者ぞ。いつまで続けるのか。知ったら同じこと繰り返すなよ。Фか⦿かどっちか選べと申せば、答えは一つぞ。一人一人のФが今までの出来事のすべての原因ぞ。人を責めても解結致さんぞ。⦿にすることが責任をとること。修行は厳しいのは当然。したことを返すだけぞ。自ら楽したから自ら苦しむのぞ。文句申すところは無し。元々苦も楽も無い至善をそなたが壊したのが始めぞ。今Фして居るのがその証。我は悪くないと申すのがФの証。楽しようは苦見ておるぞ。Фぞ。⦿が調和、Фは不調和。⦿には苦も楽もござらん。大歓喜の世。うまくいって当たり前の世。苦も悪もござらん。想像もせん。「そんな世はありえん」と申して天国見ておるのはいかなることか。⦿がマコトの善、Фがマコトの悪。Фの世の善人も悪人も⦿の世の『悪人』ぞ。同罪ぞ。どうあってもやると申す者はそのままやれば宜しいぞ。⦿の者だけ連れていくからそなたらは勝手にせよ。最期に気づいて泣きついて来てもこの方は何も出来んからその積もりでな。⦿なければこの方は助けられん。⦿の法は厳格ぞ。一〇〇ぞ。逃げ道探るはФぞ。この方は三千年間ずっとそなたを世話して居るのぞ。いいかげんに親(神)の申す通り、聞き分けよく、ハイハイと素直にやって下されよ。ひとりひとりが早う自立して⦿の世の民になって下され。この方からの最後のお願いじゃ。
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 神示の要点はФの掃除。掃除なければ何を知ってもご無念ぞ。⦿かФかで永遠のイノチが決まるのぞ。Фは魔コト、分裂、戦い、共食い、自殺、肉食、アヤマチ、魔釣り、地獄、滅び、消滅。⦿は真コト、統合、調和、神心、天国、永遠。Фを⦿にすることが掃除。Фの者は神示の「食」のトリックにはまるぞ。⦿のつもりでもФぞ。肉食は戦う魔コト、アヤマチのこと。太陽は与えつづける⦿の生き方のこと。形にこだわれば終わりぞ。霊の食べ物とは身魂の、心のФのことぞ。⦿の事ぞ。肉体の食べ物にこだわっていると何も分からん。この者を批判する者は死ぬぞ。やりたければ勝手にやれ。神示解くのがこの者の御役ぞ。この者の申すこと無視する者、神示わからんぞ。⦿には戻れんぞ。議論する者Фぞ。どれが正しいかと探す者Фぞ。我善しぞ。自ら壊しただけ自らの実(身)で壊されて痛んで苦しんで損して⦿に戻るのぞ。この方の申すこと●に見えるのはそなたがФの証拠ぞ。自分が⦿であると申して外裁く者Ф悪ぞ。Фの中の◯を⦿と取り違いして居るぞ。神示読んで分かった積もりになって居る者は気をつけろよ。この方は仏にも鬼にもなるぞ。⦿が善ぞ。◐も◑も悪Фぞ。最期は共食いぞ。そなたがそなたを消すぞ。●を避けると●がきついぞ。今うまくいっていても後でまとめて●ぞ。自らの●掃除して開く仕組み。「魔釣りは滅び」が神の掟。Фは自滅。ミロクに生き返れなければ滅びぞ。早う、自殺をとめてくれよ。人も自分も社会も丸潰れの仕組みからぬけてくれよ。Фのゲームから降りねば死ぬぞ。Фは自由にさせておけよ。●やめると申すそなたも●ぞ。Фやめさせる理由なし。Фは滅び。
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 こういう事故なら死ぬ筈だ、こういう事故なら死なない筈だ、と申す常識はもう通用せんぞ。この方は医学で助からん者助けるぞ。医学で助かる者も助けんぞ。死んでもおかしくない者でもメグリ取るまで死なせんぞ。突然に死なせるぞ。形でどうあろうと身魂では全員生きておる。ミロクが開くその瞬間まで死んでも続く掃除ぞ。自ら死ぬではないぞ。どんなことがあっても、どんなに苦しくても、しただけのことは辛抱してくだされよ。そなたがどんなに逃げても無駄なことじゃ。そなたの掃除なければ、この世の修羅の地獄からは出さんぞ。生き地獄ぞ。死んだ者が不幸なのではござらんぞ。そなたが自らの●を避けても、最期の最期は全部お返しするから覚悟しておれよ。この方がそなたらのイノチを握って居るのぞ。そなたが死にたくても死なせん。この方が肉体解かねば苦しみは消えんぞ。この方が悪魔じゃと申すそなたのФを掃除せよ。この方を悪く申す者は出直せよ。そなたのФがこの世を壊したのじゃ。自らのФを自覚せん者は、身を以て教えて差し上げるから、嘘じゃと申す者はそれで結構じゃから、最期の大掃除まで控えておれ。

 そなたが「命を奪われた」と申して大騒ぎして居るその本人はまだイノチは奪われて居らん。肉を解いただけでござるぞ。そなたは何故にその者が悲しいと分かるのか。命を取った取られたと申すのは肉の身を取った取られたと申すのと同じぞ。そなたの心はФぞ。そなたの肉の身はこの方の貸しものぞ。マコトの命とは身魂のイノチぞ。人間にはそなたの身魂のイノチは奪えんぞ。自らの家族を殺されたと申すのは、自らの持ち物を取られたと申して居るのと同じぞ。その者は死んでメグリ取るのぞ。お金も肉体も同じになって居るぞ。そなたのものはござらん。人間はこの方の子ぞ。身魂は生きておるぞ。殺すのが悪いことならば、そなたは殺神者ぞ。そなたが「自分はその者を失いたくない」とダダをこねて居るだけぞ。そなたが「ひとりになるのはいやだ」と申して居るだけぞ。そなたが自らの死を想像して勝手に怖がって居るだけぞ。死ぬのは可哀相だからと勝手な理屈を付けて、大騒ぎして居るだけぞ。イノチ奪うのは許せんと申す者、そなたは何をして居るぞ。魔釣りでは最期の最期、誠のイノチが無くなるのぞ。そなたらの申す死は死ではないぞ。取り違い直せよ。⦿知らぬ者が、他人のすることに口出しするのをやめなされ。「犯罪」や「いじめ」や「戦争」をとめる特効薬はひとりひとりが⦿することぞ。自ら以外を責めてもますます戦いが激しくなるだけぞ。すべてのすべての悪の根源はФぞ。そなた自身が悪すすめた真犯人ぞ。社会を変えたいなら、根本的にひっくり返すなら、外を責めるより、そなたがФやめよ。裏を返せば⦿せよと申すことぞ。
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 ⦿の仕組みをキレイサッパリ忘れて屁理屈こねて、Фを掃除するための悪を裁いて、掃除の邪魔をして居る者は、最期の最期は大掃除されるぞ。いつまでも仏魔のマヤカシにとらわれておらずにこの方の申すことを聴いて早う掃除を始めてくだされよ。ミロクは迫って居るのぞ。この方の元に早く帰って来てくだされよ。そなたが⦿ならば、この世の大変は何も関係なくなるのぞ。神示の文字を読むだけでは何もならん。自らの心を実行することが神示の要点ぞ。そなたが要点分かったならば外のマニュアルはいらんぞ。このフミもこの者も必要なくなるぞ。そなたの心にこの方が居るぞ。そなたの心に素直に実践が第一。悪くなるのを避ける者は、悪くなることに文句を申す者は、⦿には戻れんぞ。心だけ⦿でも駄目でござるぞ。⦿動いて損して病気して怪我して失敗して今までのФをお返しして始めて心身ともに⦿ぞ。それがミロクの民ぞ。全部⦿が⦿の掟。心を動くのが神人合一。心身合一。そなたのこころのまま動けよ。この方には善も悪もござらんぞ。そなたがФしたから悪になったのぞ。何が真コトかと探す心が魔コトぞ。悪くならねば善くならん。⦿で動けよ。動くが鍵ぞ。霊の眼で見よ考えよ。そなたの心がミロクへ誘うハコブネぞ。
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 Ф心そのままで形をいじくっても何も変わらん。Фで形をいじくれば、ますます悪くなるぞ。⦿がすべての問題を解結する特効薬ぞ。ひとりひとりの現実が天国ならば全員天国ぞ。内を変えれば外を変えるのと同じことぞ。外を変えようとすれば外は変わらんぞ。いいことは悪いこと。悪いことはいいこと。ひとりひとりが⦿することが天国つくる素。この世すべてが学校ぞ。あそび場ぞ。Фの宗教も学校もすべてやめて、ひとりひとりが⦿せよ。すべてはあそびぞ。元のゼロにもどれよ。他人との形の競争はいらん。自らの心を歩けばよいのぞ。心と形が一致するのが天国ぞ。自らの想いと比べる。自らの道ぞ。自らの想いと一致させていくのぞ。
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 このフミは、この世に居るこの方のお子一人一人への真コト⦿の親からの最後のお知らせぞ。ミロクへの招待状ぞ。そなたの心にこの方が居るぞ。悪魔も天使も外には居らんぞ。⦿の世壊す悪魔はФの心ぞ。Фの者はミロクへは行けんぞ。悪くする者が悪魔ではござらんぞ。そなたのФが●の素ぞ。⦿(調和、善、霊、0)を悪くした分だけそなたが悪くなってお返しして⦿(霊、0)に戻るのぞ。⦿の世壊したお詫びは掃除ぞ。目には目を、悪には悪を、そなたが壊したのがそなたの苦しみの素ぞ。文句を申すところはそなた自身以外にはござらんぞ。くれぐれも取り違い致すなよ。

 人間の表現は心の現れぞ。⦿である「ひとつ」の心を評価するのはもうやめてくれよ。この方を比較するのと同じぞ。個性は個性ぞ。悪のゲームも心の作品ぞ。この方はすべて認めてるのぞ。自らがよいと思えば、それでよい。この方に点数つけるから形を○×するから世が社会が学校が乱れるのぞ。アクは自滅ぞ。

 ⦿の道は満ちる道。満ちるは、満ちた、満ち足りた、満たし合い、どんなに苦しい事が、あっても辛抱肝心。決して人を責めるべからず。自らのした事が、今、目の前に結果として現れて居る。その者は、その状況は、それを見せてくれた存在に過ぎない。苦を避けると申す事は、楽をも遠ざけてしまう事になる。人も自分も受け入れる、人も自分も許し合う、人も自分も認め合う事が、大事なのである。人を責めないという事は、自らを責めないという事と同じ意味を持っている。反省する事、自らを追い詰める事、自らを嫌いになる事は、何の意味も持たない。未来や現在に何の変化ももたらさない。人は体験を通してのみ、成長できる。体験を怖がり、拒否している限り、何の成長もあり得ない。体験出来た一つ一つが、自らの真実であり、答えなのである。自らを責めない代わりに、まず自らを受入れる事を身に付けよ。次には自らを許すという事を身に付け、最後に自らを認めるという事を身に付ける事になる。その体験を基本にとすれば、人と係わる時、その人が自らにしたごとくに人を裁くという事は、おのずと出来なくなるのである。本来、人が人を裁くという事は、あり得ないオカシキ事なのである。自らの内奥を見つめる心の目がつぶれている事にすら気づかず、人と争い、自らと争い、満たされない心でさまよい、疲れ切る。これが自業自得だと気づいた者は、何とオカシキ事にエネルギーを使っていた事かと思えるはずである。もうФの争いは十分でござろう。⦿がそなたの故郷ぞ。何度も何度もオカシキ事はくりかえさずに、分かったところから今今の行いを改めてくだされよ。
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 この方の学校は入学卒業自由ぞ。この方の学校は現界すべてぞ。現界ぜんぶあそび場ぞ。この方の修行場は現界すべてぞ。自分で自分のことをしてくれよ。全員が助かる、全員が天国になるのはミロクぞ。一〇〇%理想通りに成るのはミロクぞ。仕組みが、体が、世界が、道具が変わるぞ。今ここで善くしようとするのはやめてくだされよ。ひとりひとりが⦿するのが全員助かる道ぞ。唯一つの方法ぞ。外を変えたいなら自分を変えることぞ。変わった外に世界に入れば、外変えたのと同じぞ。すべてのすべてをこの方の通りにしてくれよ。神、頼むぞ。
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 万古末代二度とない、末代続く天国⦿開く、最初で最後の大掃除。これからが世の大掃除の本番でござる。今今の世の異変で大騒ぎしておるようでは、この先起きる修羅の地獄の大峠はなかなか越せんぞ。そなたが⦿ならば、身魂生きてミロクは約束されておる。死んで(心で、神で、真で)生きる仕組み。悪くなって善くなる開く(アク)の仕組み。そなたの心がそなたの神示でござるのぞ。ミロクへ誘うハコブネぞ。このフミ、この者、外の神示は、真コト⦿のそなたを映す鏡、そなたの⦿の魂(タマ)映す、⦿の鏡、Ф祓って⦿和する草薙(くさなぎ)の剣、⦿世に導く松の杖じゃ。そなたの神示を素直に実践して、⦿のご苦労致して、早う誠の⦿心になってくだされよ。この方からのマコト最後のお願いじゃ。⦿神、頼んだぞ。時来たりなば、この方と共にミロクの扉を開こうぞ。


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   おわりに

 上下二巻に渡る長い文章のご購読、誠にご苦労様でした。私の書いた本は、すべて私自身の実地体験に基づいています。この二冊には、現代社会のシステムを創り出している大元のメカニズム(裏を返すと、現代社会の混乱を収拾する「根本的対策」)が手を替え品を替え、詳しく書いてあります。読んでどう感じたか、何を学んだか、情報をどう扱うか等々は、皆さん一人一人の「個人的な問題」です。あなた自身が感じた通り、思った通りに、分かった所からどんどん実行してい