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西暦2000年ミロクの世が開かれる

【西暦2000年ミロクの世が開かれる】 
                            長谷 章宏 著

    <宇宙創世からのシナリオが明かされた!>

 これから語ることは、そなたら人間として生まれている者一人残らず全員に伝えておくべき大切な大切なことでござるぞ。そなたらのこれからの永遠のイノチに係わる、そなたの魂(肉体ではないぞ)の生死を決める重大事でござるよ。今までのように、このフミの表面だけを見て「自分とは係わりない神事である」などと、早合点していい加減に扱っていると、それこそ取り返しがつかなくなるから、そのつもりで読むことぞ。
 今度ばかりは今までとは違うのぞ。非常に大事なことであるから、もう後がないから、聞く聞かないは別にして、どうあっても人間に成っているすべての身魂に伝えねば成らぬことでござる。この方(元つ神)の言うことを聞かず、アタマで着て、アタマで食べて、アタマで住んで平然としている、曇りに曇った今今のそなたらでも分かるように、嫌でもやらざるを得なくなるように、今この時代を生きて、今この時代の中でこの方の言う通りに修行を終えたこの者(著者)を通して、あやま知の世界の人間の為に改めて語るフミであるぞ。「神の真理(神理)」「神の仕組み」「神の計画」「人生のカラクリ」のすべてのすべてを伝えるから耳の穴をよくほじくって、ココロして聞くのぞ。今までの宗教や哲学と同じだと思ったら大間違いであるから、くれぐれも取り違いなさらぬよう、最初に注意しておくぞ。

 そなたは身魂の掃除なくして新しい世の民になることはできないのであるぞ。そなたが掃除をするかしないかでそなたの身魂の永遠の生死が決まるのであるぞ。そなたの身魂が死ねばそなたは永遠に消えるのであるぞ。肉体の生死、財産、地位、名誉、金、信用、世間体云々どころの話ではなくなるのぞ。そんな小さなことにこだわっているとそなたはいなくなるのであるぞ。取り返しのつかないことになるぞ。疑えば疑うほどそなたは死に近づくのであるぞ。新しい世へのプログラムは決まっているのであるぞ。掃除を先に延ばせば延ばすほど厳しくなるのであるぞ。大変になるのであるぞ。最後はすべての人間が掃除を体験することになるのぞ。そなたがたよっている外のものをすべて壊して、いやでも掃除をせねばならない状況を創るのであるぞ。今そなたの回りで起きている天変地異や事故や問題はすべてその前兆であるぞ。少しずつ体験させているのであるぞ。今までのやり方で何とかしようとすればますます泥沼にはまるのであるぞ。そなたの今までの見方では怖いことばかりおきるのであるぞ。最後の最後には身魂の掃除ができたかできてないかの身魂改めがあるのであるぞ。そなたの身魂が生まれて以来初めての関所であるぞ。関所の通行手形は「掃除の終わった(神ゴコロに戻った)身魂」であるぞ。今度の今度だけは裏工作もワイロも学問も知識も地位も財産も何も通用しないのであるぞ。すべての者が平等にできることであるぞ。最後の最後に必要なのは「掃除が終了した身魂」だけであるぞ。


 はじめに

 今回、ここに、私、「長谷章宏」の体験を通して活字になった「すべての人が成功する天国の方法」三部作の最後の一巻、すべてのすべての仕組みの種明かしをする、「人生というゲームの遊び方ガイドブック」(?)の決定版を皆さんにお贈りします。
 実を言うと、この本は、皆さんの今後の人生を決める、最初で最後の非常に非常に重要な鍵を握っている本なのです。この本の本文は、これまで世に出ている二冊『人生というゲームの新しい遊び方』『新しい時代を生きる人間学』(たま出版刊)とは違い、ワケ(本文の中に答えがあります)あって、古文調の言い回しで語られた「伝えフミ(お手紙)」の形で書かれています。
 今回は、小題もなく少々長い文章ですが、この本全体で、非常に大切な一つのことをお伝えしていますので、「アタマ」でアレコレと考えず、細かい所にこだわらず、まずは、全体を通して大きなイメージをつかむような感じで読んでください。
 皆さんがこの本を読んだ後、日常生活の中でのいろいろな体験を重ねるうちに、今までとは違ったものが見えてくるようになると同時に、この本の中の細かい部分や、この「フミ」の真意がだんだんと見えてきますから、そういうつもりで自分の「内なる声」「ひらめき」「気づき」に素直に耳を傾け、自分が体験すること、気づくこと、感じることを見ていてください。その際、大切なことは、今まで体験しなかったようなことが起きても、否定することなく、素直にすべて受け入れるということです。
 また、機会あるごとに改めて何回か読み直してみると、そのたびに違うものが見えてくることにも気づくことでしょう。そして、この本を読んだ後は、皆さんが本当に天国になる時まで、このような体験がずっと続くことになることを、ここでひとつ、しっかりと覚えておいてください。
 この本は、何せ、今まで長い間、皆さんが当たり前のように、何の疑いもなくやってきたゲームを引っ繰り返すことになる情報を伝える本ですから、途中、文句の一つも言いたくなる所や、理解に苦しむ所、信憑性を疑いたくなるような所等々が数多く出てくるかもしれません。でもしかし、今回に限っては、そこはチョット我慢していただいて、文句、批判、苦情の類はすべて、一旦、棚にあげていただいて、意味が分かる分からないを気にせずに、ここは一つ、騙されたと思って、人生の勉強、修行をし直すつもりで、取りあえず、辛抱して、最後まで一気に読み通して下さい。
 この本を読むにあたっては、皆さんが今までやっていた、「批判」「疑い」「議論」のパターンを繰り返していると、この本を出版した意味がなくなってしまいますから、とにかく今回だけは、何も知らない赤ちゃんになって、まったく新しいことを学ぶつもりで、素直になって読んで下さい。この文章を読んで、「でも」「そんなこと言ったって」と言っているならば、もう、前のパターンに嵌まっていますので悪しからず。
 以上、ワケあって、この本の冒頭にあたり、まず、著者からの「この本を読むにあたってのお願い」をいくつか書き添えておきました。

 私が、前著『新しい時代を生きる人間学』を出版して以来、その中で触れた「火(ひ)水伝(みつつたえ)文(ふみ)」や「日月(ひつく)神示」についての問い合わせが多く寄せられましたが、残念ながら、「火水伝文」の方は、縁のある一部の人々にだけ渡っているもので、ワケあって、出版はされていません。「では、出版されていないものをなぜ紹介したのか?」とおっしゃる方がおられるかもしれませんが、この本は、そういう方のために書かれた本でもありますから、これから書くことを読んで頂くことで、そういう皆さんへの著者からのお返事、回答になるものと思います。

 これからは、先の問いへの答えも含めて、この本の重要性について知っていただくため、この本の性格や、出版に至った経緯等々について書いていくことにします。
 まず初めに、先の「出版されないワケ」についてですが、それというのは、皆さんが、今までやっていたゲームの癖のままで、これらの「神示」をそのまま読むと、「自分が助かるにはどうしたらよいか」を神示の中に探したり、「神様の仕組はどうなっているのか」を研究したり、「神示が本当かどうか」を議論したり、神示の中の言葉の違いや解釈や意味を分かろうとすることにこだわったり、「神示」を単なる予言書やマニュアルにしてしまったりというように、自分中心に、自分を守るために(「自分を守るのがどうしていけないのか?」という問いに対する答えは本文にあります)、外を探し続け、外を批判し続けるトリックに嵌まっていることを気づかず、これからの「神示」を通して本当に伝えたいことが伝わらない可能性が非常に大であるからなのです。
 このことについては、私自身も、今までのすべての自動書記ノートと、それに基づくすべての体験や実験の成果、そして、この本を書くに至ったここまでの体験を総合した結果、まさにその通りであることをハッキリと結論づけることができます。
 そういう読み方をしている限り、皆さんは「最後の一厘」「最後のトリック」には永遠に気づくことはなく、最後の最後で「そんなはずは・・・・・・」となってしまいますので、そのトリックに嵌まっていた私自身が、四年間の「修行」を終えて、皆さんのそのトリックを外すべく、この本を書く大役をおおせつかったというわけです。

 この本を今ここでこの時期に書いた裏には、私の前著『新しい時代を生きる人間学』を出版した後の私自身の様々な体験を通して、「やり直しが効かない、切羽詰まったこの時期に、神示の伝えるべきことを、取り違いなく、すべての人間に伝えるために、神示を直接読む前に、皆が嵌まっている最後の最後の大きなトリックに気づく必要がある」という内容が私のノートの中に出てきたという経緯があります。
 皆さんの中には、今までのパターンで、「もっと早く出してくれれば・・・・・・」と言う方がいらっしゃるかもしれませんが、残念ながら、早くも遅くもなく、今ここが最適、完璧なタイミングなのです。早すぎても遅すぎても駄目なのです。
 皆さんが、最短距離で、ムリなくムダなくムラなく、効率的にトリックを外すための準備ができた時が、「その時」なのです。これは、皆さんの人生で起きることにも使える見方であり、皆さんの人生には、偶然も奇跡も間違いもなく、後悔や先案じはいらないということです。このことについては本文を読み進めれば分かってくることと思います。
 実を言うと、この本を含めた「天国の方法」三部作は、ワケあって出版されていない「神示」を、先に上げたような、今までの癖を持ったままでも取り違いなく読めるように、そして、すべての人々にその真意を間違いなく伝えることができるように、「神のプログラム」に基づいて書かれた「現代版神示」三部作であることが、つい最近、私のノートを通して明かされたのです。つまり、前の二冊だけではまだ完結せず、最後の最後のこの本が、すべてのすべての種明かし、これからの鍵を握っているものだということです。
別の言い方をすれば、前著で紹介した「日月神示」や「火水伝文」の実践版、新しい時代に向けて今ここで何をどうしたらよいのかを、ハッキリ、ズバリ、皆さんに分かりやすく、今この時代を生きている私という人間の体験のフィルターを通して書いた「現代版実践神示」なのです。
 というわけで、この本は、「火水伝文を読みたい」という皆さんのご要望に、別の形で「神様」がお答えしたものであるといえるかもしれません。
 私自身、この本を書きながら、私の今ここまでのすべての出来事、体験を振り返ってみると、今までのノートやメモや体験は、まさに、「神の仕組み」「天国の方法」「神のプログラム」を学び、体験し、自分自身の「内側の大掃除」を実際に体験するプロセスそのものであったこと、「神示」が、自分が今まで探していた人生のメカニズム、真理を語った唯一のものであり、世紀末の出来事や次の時代がどうなるかという問いへの答えの決定版であり、今までの自分自身の体験は、それが真実であることを実際に自分で実験して確認していたプロセスであることを、改めて確信しました。
 この本は、私が今までやっていた「新しい人生ゲームの実践研究」の集大成でもありますが、皆さんにとっては、この本を読むことで、前の二冊に書いてあることの本当の意味が、よりハッキリと見えてくるとともに、「天国の方法」というのは、実は、ただの考え方ではなく、「神の仕組み」という大きな裏付けがあり、人間ならば、世界中、誰にでも使える「絶対的な方法」であることを知ることになるでしょう。
 そして、この方法が、ルールに忠実に行動すればするほど、自動的に「内側のお掃除」が進み、どんどん楽に、自由になっていく方法であること、裏を返せば、外の理由を使って「できない言い訳」や「責任転嫁」をしていつまでもやらなければ、悩みやトラブルは無くならず、ますます自分自身を苦しめ続けていくことになるだけであること、にハッキリと気づいていくことになるでしょう。つまり、どちらにしても「天国の方法」の普遍性を自分の体験を通して確認していくことになるということです。
 皆さんは、今までは、こういうルールを知らず、自分の人生の中での体験を意識的に見ていくということをしていなかっただけのことで、こうやって今ここから「人生というゲーム」を意識的に見ていくというプロセスを歩み始めることで、人生の体験というものが「すべて自分で創りだしているもの」であることに気づく機会にもなるでしょう。
 実は、「天国の方法」というのは、人間に分かるような言葉、表現を使って形になった「神の仕組み」そのものであり、全体の変化に連動した、唯一絶対、安全な、「すべての人が成功する唯一の方法」なのです。言い換えれば、拒否、否定、反論、疑いを持てば、唯一絶対、危険な、「すべての人が失敗する唯一の方法」でもあるということです。
 例え、皆さんが今まで、「したいけどできない」「今の社会の中ではむりだ」「今の現実ではむりだ」「そんなものはあるわけがない」と言っていたとしても、今回、ここに書いてあることをすべて読んだ後は、「もうやるしかない」「もうこれしかない」「してもいいんだ」ということをハッキリと確信することができるでしょう。
 皆さんがどんなに理屈をこねて否定しようとしても、「神の仕組み」は動かず、皆さんに関係なく「全体の大掃除」は進んでいきます。そして、先にいけばいくほど、皆さんがどうあがいても、自分がこの仕組みの中から出られないこと、抵抗すればするほどこの仕組みに従って皆さん自身が苦しみを体験するだけのことであること、を知っていくことになるでしょう。
 また、今までの、「争い」「損得」「勝ち負け」「けなし合い」「足の引っ張り合い」「責任転嫁」「悩み」「問題」「議論」等々のゲームの本当の原因が何なのかということもハッキリと見えてくることと思います。

 今ここで、こういう本が出てきたということは、この機会に、皆さんが、生まれてこのかた(実は、魂が生まれてずっと)今まで何をしてきたのか、ここで一つシッカリと確認しておく必要がある時期に来ているのかもしれません。
 読み進めていけば、この本の中の情報(同時に、皆さんの回りのすべての意見、情報)を「信じる信じない」「やるやらない」は、皆さん一人ひとりの自由であることも分かるでしょう。言い換えると、皆さんは、自分の体験のすべての責任は自分にしかないことを、今ここでハッキリと自覚することになります。そして、その結果、この先は、一切の責任転嫁ができなくなっていく(争いが消えていく)というわけです。
 ここで一言つけ加えておきますが、私の場合は、「神示」をマニュアルにしたのではなく、自分自身のノート、体験が先にあり、神示という「種明かし」は最後の最後に与えられたものであることを知っておいてください。
 つまり、この本は、「神示」の解説でも直訳でもなく、私自身が「神示」を実践を通して裏付けた、自分の体験した結果としてまとめられた本であり、「体験をした人間を通して改めて出された神示」なのだということです。
皆さんは、まず、この本を読んで、もう一つの見方(実は、「真理」)を学び、皆さんが今まで学んできたことがどういうことだったのかということを一度振り返ってみてください。そして、実際に皆さんの人生に応用しながら、皆さん自身の人生の質を高めていってください。皆さんがこのプロセスを本気になって、素直に実行していけば、最終的には、次の時代に行くためにはどうすればよいかという回答も得られることになります。

 この本は、実を言うと、私の体験を書いたただの本ではなく、私という人間の体験を通して活字になった、皆さん一人ひとりにあてた、「すべてのすべてを創った大神様からの手紙」なのです。皆さんの人生のすべての悩みや疑問やトラブルを解結するための唯一のテキストと言ってもよいかもしれません。
 読むにあたっては、自分自身の人生の選択について「大神様と対話する」つもりで取り組んでみてください。人の意見や人の感想というものは関係ありません。皆さんが自分自身と対話するための、皆さん自身の内側を見る鏡、皆さんの内側にあるものを知るための教材であり、私という人間を通して語った、「皆さん自身という人間のことを書いた本」でもあるのです。
 皆さんが、ここに書いてあることを日常生活すべてにわたって実際に応用して、自分自身の体験を通して本当にこの「フミ」の真意を理解したとき、この「フミ」が、実は、皆さんが探し求めていた「天国への招待状」であったことがわかるでしょう。
 この本は、皆さんのココロの内側の状態によって、怖く見えたり、楽しく見えたりします。皆さんがこの「フミ」を読んで何を感じるかは、すべて皆さんの内側が投影されているだけで、この「フミ」自体が怖かったり楽しかったりするわけではありませんので、ここで一言、お断りしておきます。
 これは、皆さんが皆さんの目の前のすべてのものを見るときにも当てはまることです。そこに見えるものは皆さん自身の内側なのです。この本が、皆さんのモノの見方を根底から覆す本であることに、読み進めていくうちに追々気づいていくことになるでしょう。
 皆さんがもし、「神様」という言葉を聞いて、抵抗を感じるならば、この本はそういう方にこそ、是非読んで頂きたい本なのです。

 この本と併せて『人生というゲームの新しい遊び方』『新しい時代を生きる人間学』も読んで頂くと、見えない世界と見える世界、神様と人間、宗教と科学が一つであったこと、自分が自分のすべての現実を創りだしていたこと、本当の天国、安らぎ、平和、幸福、安全とは何なのか、世紀末のこの時期をどう生きていけばよいのか、ということがハッキリと見えてくると思います。
 この本は、絶対に読んで損はありません。必ず、すべての皆さんのお役にたてる本であると、ここに書いてある情報を身をもって実践した私が自信をもってお勧めします。


     目  次

 はじめに /5

1 この本を読むにあたって心得ておいて欲しいこと 
  この本の情報は、今この瞬間から始まっています

1 皆さんの体験している新しい時代への変化は、皆さん自身の内側の変化である/18
2 この本は、私自身の「決死の覚悟」の実験の結果として書かれているものである/19
3 この本には皆さん(人類)の今後を左右する決定的な情報が語られている/24
4 皆さんの人生に、単なる「宗教」や単なる「哲学」というものはない/26
5 皆さんの「内側にある戦争」が「外側の戦争」を創りだしている/28
6 皆さんの体験の原因(スタート)は皆さん自身が選んでいる「宗教」にある/30
7 皆さんが今まで学んだことはトラブルしか創りだせない「あやま知」である/32
8 皆さんの「今体験している現実」と「死後の世界」とは一つのものである/35
9 皆さんは「自分自身の魂の大掃除」をするために今ここにいる/37
10 皆さんは、皆さんの「魂(自分自身)」が消えるか残るかの瀬戸際にいる/39
11 皆さんの外側には皆さんを「苦しめるもの」は何もない/40
12 皆さんの多くは「あやま知」という「宗教」に狂っている/42
13 皆さんは一人残らず「宗教に狂っている人間」である/46
14 皆さんの内側の「宗教」が「議論」や「争い」を創りだす原因である/48
15 新しい時代を知るには「宗教」についての認識を新たにすることが不可欠である/50
16 皆さんの言う「宗教」や「哲学」こそ人生上の体験を創りだす「物理学」である/51
17 皆さんがやることは、皆さんの外側のものを道具にして内側の掃除をすることだけ/54
18 皆さんを救うのは、皆さん自身が皆さん自身を救う「自分教」だけである/55
19 今までのような人助けの宗教は自分も人も滅びる道を歩むことになる/56
20 現世利益を追いかけるゲームをしていると本当に取り返しのつかないコトになる/60
21 「人事を尽くして天命を待つ」とは内側のお掃除をして準備をすることである/61
22 助ける助けてあげるの宗教団体は、みんなそろって助からない集団である/64
23 新しい世界は、永遠に続く、悪も闇も存在できない、自分の責任をとる神の世である/66
24 自分自身が神のココロになる掃除をすることが次の世で生き返る唯一の方法である/69

2 神様からの手紙を読む前に  /73
3 神様からの手紙 その一  /93
4 神様からの手紙 その二  /179

  おわりに  /253



 この本を読むにあたって心得ておいて欲しいこと

*** この本の情報は、今この瞬間から始まっています ***

P18
1 皆さんの体験している新しい時代への変化は、皆さん自身の内側の変化である
 私が最初の本『人生というゲームの新しい遊び方』を書き終えてから早くも一年がたちました。その間、巷では、「新しい時代への変化」を予見させるような様々な出来事が何度となく伝えられ、「二十一世紀」とか「新しい時代」とか「改革」とか「変革」とか「革新」とか「過去最高」とか「史上初めて」とか「前代未聞」とか「歴史上始まって以来」とか「聞いたことがない」とか「ありえない」とか「信じられない」とかいうような言葉が絶えることなく飛び交い、「人類滅亡説」とか「宇宙人」とか「古代史の謎解き」とか「占い」とか「宗教」とか「精神世界」とか「死後の世界」とか、今までは「ありえない」「うさんくさい」と言われていたようなものが公の場で議論されるようになるなど、日本が、世界が、人類が、かつて経験したことのない新しい時代に向けての大きな転換期にさしかかっていることを誰もが認めるような状況になってきています。
 そして、「神」とか「UFO」とか「幽霊」とか「超能力」とか「セックス」とか「チャネリング」とか、少し前ならば、皆の前では公然と話せなかったような内容も、当たり前のこととして語られるようになり、情報公開とか規制緩和とか自由化とかいった言葉で表現されるように、すべてがオープン化の方向へと変化してきています。
 が、その反面、「人口増加」「戦争」「飢餓」「難民問題」「食糧問題」「犯罪の増加」「ローン地獄」「倒産、失業、就職難」「伝染病の発生」「地震、噴火、異常気象」「事故」といったような、その原因や解結の糸口が見つからないような不安材料が次々に現れ、先行き不透明で、この先何がどうなるのかわからない、自分がいったいどうなるのか、どこへいくのかわからない、といった「世紀末」特有の不安感がますます広がってきているというのも事実です。

 後で詳しく述べますが、この新しい時代への変化というのは、実は、単なる皆さんの外側の変化であるというだけではなくて、「神の仕組み」という大きなメカニズムに基づいて、皆さん一人ひとりの「内側の変化」が形となって現れてきているものでもあるのです。

P19
2 この本は、私自身の「決死の覚悟」の実験の結果として書かれているものである
 このように、たくさんの人々が、「新しい時代の変化」を感じ、それについてアレコレと語り合ってはいても、では、その変化の本質とはいったい何なのでしょうか?

 はたしてどのくらいの人が、二十世紀末の、この「大転換期」の「変革」の本当の意味というものを知っているのでしょうか?
はたしてどのくらいの人が、それを知った上で、目の前で起きている出来事について、見て、感じて、考えて、行動して、コメントしているのでしょうか?
 雑誌や単行本やテレビやラジオや講演会等々を通じて、社会の変化や世紀末の出来事や二十一世紀という時代についての様々な情報が提案され、議論されていますが、いったい、どれが本当で、何が真実なのでしょうか?
 今、目の前で次々に起きている問題は、一体どうしたら解結するのでしょうか?
 私たちは、実際のところ、新しい時代に向けて、どんな生き方をしていったらよいのでしょうか?
 新しい時代とは、本当のところどんな時代なのでしょうか?
 新しい時代に向けて、いったい何をすればよいのでしょうか?
 これから先、いったい何を信じて、何を頼っていけばよいのでしょうか?
 そして、この先、私たちはどうなるのでしょうか?

 もっとつっこんだ問いかけをするならば、

 私たちはいったい何のために生まれてきて、何のために生きているのでしょうか?
 私たちは今ここでいったい何をしているのでしょうか?
 私たちはどこからきてどこへいくのでしょうか?
 私たちはいったい誰なのでしょうか?
 人間というのはいったい何者なのでしょうか?
 そして、人間を創ったという「神」や「創造主」とは、本当はいったいどんな存在なのでしょうか?
 人生とは、現実とは、いったい何なのでしょうか?

 私自身は、この四年間というもの、朝から晩まで、寝ても覚めても、トイレの中でもこの問いかけが頭から離れませんでした。先の二冊でも書いたように、この間ずっと、片っ端から自分のノートに出てきたことを実践に移して、今まで出会わなかったようなことをたくさん体験していく中で、一つ一つこれらの問いに対する自分なりの答えを見つけていくことができましたが、同時に、なぜかそれだけでは納得のいかない自分がいることにも気づいていきました。
 そして、ある時点から、この問いかけに対するハッキリとした答えを出して皆さんに伝えるのが自分のライフワークであると直感し、自分だけでなく、自分以外の人達にも使えるように、分かるように、提供できるような形を求めるプロセスに入っていきました。
 それからというものは、今まで学んできたものや今まで手に入れたもの(人間関係、仕事、財産、評価、考え方等々)をすべて捨てる「決死の覚悟」(なぜ「決死の覚悟」が必要だったのか、ということについては後の章をご覧ください)をして、ハラをくくって、今の今までずっと、回りから何と言われようとも、人にどう見られようとも、私自身、何がどうなるのかわからないまま、前の本で触れた「自動書記ノート」の情報に基づいて、(今まで学んできた常識から見たら全く「非常識」「アベコベ」に見える)「自分自身の答え」に忠実に行動するという実験を今の今までやり続けてきました。
 そして、そのプロセスの中で、今まで触れることがなかった様々な貴重な情報と出合い、今までの人生では考えられないほどの様々な人達と出合い、様々な奇跡を次々に体験をすると同時に、自分自身の体験したことや、新たに出てきた矛盾をその都度、自分の中で整理統合して、さらに新しい実験をすすめるというプロセスを繰り返してきたのです。
 ここに至るまで、私自身が体験してきたことについては、人に聞かれたとしても、言葉では説明できず伝わらず、気違い扱いされたり、白い目で見られたり、相手にされなかったりと、言葉では語り切れない、それはそれは苦しい道のりの連続でした。
 と同時に、その中で、私の話を必要としている方々や、自分と同じような見方をしている方々、同じような考え方を研究している方々が数多くいらしたということが、私のしていることは価値のあるものなのだと、私を勇気づけてくれたのも事実です。そうでなければ、今ここまで、ずっと続けることはできなかったでしょう。

 今まで出版した二冊の本は、こういうプロセスの中で皆さんのもとにお届けすることができたものですが、それでもまだ、本人の中には、何かもの足りない、スッキリしないものが残っていました。そして、今ここまで、終わったようで終わっていない、見えたようで見えない、分かったようで分かっていない、まだ何かあるが見えない、という釈然としない感覚を持ちながら、新しい遊び方の実験を続けてきました。
 今思うと、実は、これで終わりではなくて、二冊目の本を出版して以来、今この瞬間まで私がやってきたこういうプロセスそのものが、それがいったい何なのかということを明確にして、皆さんに提供するための準備をするプロセスだったのです。
 ここでもまたまた、まだこんなことが残っていたのか、というような、思いもよらなかった様々な「困難」に見える出来事や、自分のしてきたことが「否定」されるように見える出来事に次々に出会うという体験をしていきました。それは、今までの自分からみたらとても耐えられない出来事の連続でもありました。終わったと思っていても、まだ、そういう「困難」に見える状況に飛び込んで、自分の今まで学んだことを総動員して自分の中の様々な葛藤や混乱を乗り越えていくという体験を重ねるレッスン(修行)を通して、それを一つ一つ整理統合する、最終段階の作業が待っていたのです。
 それは、大掃除を済ましたあとの、一見、綺麗に見える部屋の隅に残っているホコリを探しだして掃除するようなものでした。そのプロセスでは、終わったと思っていたのに終わっていなかったこと、勝手に終わらせただけだったことを何回も気づかされるということの連続でした。
 そして、今、大掃除が終わって気づいたのは、そのスッキリしないものの正体というのが、実は、これから少しずつお話ししていくような「人類(実は皆さん一人ひとり)の今後を左右する非常に非常に大切な情報」だったというわけです。

P24
3 この本には皆さん(人類)の今後を左右する決定的な情報が語られている
 このようなプロセスを経て、今回、ようやく、私自身の体験を通して、先の問いかけに対する、自分自身が納得できる、真実であると確信することができる「決定的な答え」を見つけるに至ったというわけです。
 それと同時に、その「決定的な答え」が、人類全体(実は、皆さん自身)の今後を左右する性格のものであることを知って、自分が何と言われようとも、どう見られようとも(そう見られることにはもう慣れてしまっていますが)、これは絶対に伝えておくべきものであると感じ、この本を書き始めた(実は、始めることができた)という次第です。
 この本では、新しい時代への変化についての話題と合わせて、ここにあげたような、今までの歴史を通していまだに結論が出ていない「人間という存在」についての永遠のテーマについても、皆さんが初めて聞くような情報や新しいモノの見方を通して、ハッキリと答えを出していきます。ですから、皆さんは、今まで学んできたことを、すべて一旦棚上げにして、暫くの間、一切の価値判断(「でもね」「そうはいってもね」というのも含めて)をキレイサッパリやめて(と言ってもすぐ判断を始めるのが皆さんの癖ですが)、人生についてのメカニズム(=自分の現実を創りだしている法則、神の仕組み)について学び直すつもりで(すべてを初めから学ぶつもりで)読み進めていってください。
 ここでひと言お断りしておきますが、この本を読むにあたっては、皆さんが今までやっていたように、アレコレと理屈をこねて抵抗することをやめて、この中に書いてある情報を素直に受け入れることだけが、皆さんが探し求めている真実を知るため、トラブルや悩みや苦しみを解結し、本当に平和や平等や自由や幸福を創りだすための早道であるということ、そして、自分自身を次の時代へと導く唯一の方法であるということをぜひ覚えておいてください。何せ、初めて語られる情報なのですから。

 というわけで、この本は、今まで書いた二冊の本と今までの講演会での内容の曖昧だった部分や分かりにくかった部分を明確にする意味も含めて、「決定的な答え」とやらを、皆さんに提供できる形にして整えてお知らせしておこうという趣旨のものであり、私が自らの体験を通して学んだ、私が持っているすべての情報を公開する「三度目の正直」「神の仕組みの学習の三段階の上級編」「三部作の最終決定版」とでもいえるものであることを冒頭でお伝えしておきたいと思います。

P26
4 皆さんの人生に、単なる「宗教」や単なる「哲学」というものはない
 ここからは、本文にはいる前段階として、新しい見方(実は、人生についての本当の見方、真理)についての予備知識を得ることを兼ねて、「普通の」言葉で一通りのことを書いてみることにします。
まず初めに、基本の基本から。皆さんは、私が前の二冊でも提案していた、最初にあげたような問いに対して、今ここでは、どんな答えをお持ちになっているでしょうか?
 皆さんの中には、「自分はこの競争社会を生き残るのに忙しくて、そんな哲学や宗教の話をしている暇などない」という方もいらっしゃるかも知れません。でも、皆さんの人生には、実際のところ、皆さんの人生に全く何の影響も及ぼさないような、単なる「哲学」や単なる「宗教」」というものは一切ないのです。本当は、「哲学」や「宗教」というものは、皆さんの体験を創りだす原因となる非常に大切な道具なのです。つまり、他でもない、今ここに提示した、このセリフ自体が、皆さんに「哲学や宗教の話をしている暇をなくす」体験を創りだしている「宗教」そのものなのだということです(ここでは「見方」「考え方」「基準」「観念」「想念」「哲学」「(今までの○○教という)宗教」等々をすべてひっくるめて「宗教」と言うことにしますので、そのつもりで読んで下さい。
 皆さんの体験というのは、皆さんが選んでいる「宗教」によって、自由自在に、どうにでも変わるものなのです。皆さんの選択次第で、「自分が望むことは何でもできる」と言っても過言ではありません。実を言うと、皆さんの体験は、すべて皆さんが言っているセリフ通りになっているのです。そして、皆さんは、外側に原因を求めていますから、その見つけた原因が自分自身の創りだした作品であることを知らずに、そのセリフを言い続けることになるのです。
 皆さんがもし、「そういう考え方はおかしい」と言うとしたならば、それもまた、皆さんのもっている「宗教」の産物であり、その「宗教」をもっている限り、いつまでもそのセリフを言いつづけることになります。そして、もしやりたければ、またまた「いやそういう考え方は~」というように、やりたいだけ、永遠に、いくらでも、お好きなだけそのゲームを続けることもできます。さらに、「あんたは、バカにしているのか?」などと言うとしたら、本文をよーく読んで、それがどういうことか、よーく自分で考えてみてください。本当のことが分かったら、二度とそのセリフは言えなくなるでしょう。

 皆さんが、私がここで書いていることを受け入れない限り、皆さんが「や~めた」というまで、皆さんがやりたいだけ、永遠に、こういう議論を続けることもできるのです。
 言い方を換えると、「自分の現実は自分が創りだしているものである」ということを皆さんが認めない限り、「どっちが正しいか」「どっちが本当か」「どっちが正常か」「どっちが素直でないか」等々の、外側を分類判断する、結論の出ない、対立や争いのゲームを永遠に続けることになり、それに付随して、様々なトラブルを創りだし、果ては、殺し合い(戦争)というゲームまで発展し、最後には、人類滅亡というシナリオまで用意されることになってしまうのです(ただし、皆さん自身がどうなるかということは別にして、この最後のシナリオは、すでに回避されていますので、ご安心ください。詳しいことは、後ほど)。

P28
5 皆さんの「内側にある戦争」が「外側の戦争」を創りだしている
 皆さんが知っている、あるいは、体験してきた今までの戦争の歴史というのは、こういうメカニズムが働いて繰り返されてきたものなのです。実は、戦争を無くそうとすることは、戦争を創りだそうとしているのと同じことなのです。「戦争は悪いことだからやめるべきだ」といっても、永遠に戦争はなくなりません。これは、今までの歴史を見れば、明白なことです。未だに「戦争」が世界の何処かで起きていますから。そして、皆さんがた一人ひとりの日常のいざこざという戦争は絶えることなく繰り返されています。
 皆さんは「言葉」に出す以前に、必ず、自分の内側で「自分と自分との戦争」をやっています。「内側にある戦争」というのは、自分の外側にあるものを○か×かで(ココロの中で)判断するゲームです。本当に戦争を無くしたければ、外側に見えている「人の宗教」に戦いを挑むのでも、自分の正しさを証明しようとするのでもなく、「自分が戦いたくなるのは自分の内側にある○×が原因である」と自覚すること、つまり、皆さんの内側を「自分が自分のすべての現実を創りだしている」という「宗教」に入れ換えることが必要なのです。
 戦争(議論、争い、喧嘩、いじめ等々)というものは、皆さん一人ひとりが、戦争を創りだす、争いを創りだす、議論を創りだす、判断を創りだす、葛藤を創りだす、皆さんの「内側のメカニズム」に気づいて、それを変えなければ、永遠になくならないものなのです。つまり、「外側にある戦争」というのは、皆さんの「内側にある戦争」を解結しなければ、無くならないのです。
 戦争に限らず、皆さんの外側にあるものはすべて皆さんの内側にあるものの反映、鏡なのです。言い換えれば、皆さんの外側にある(見えている)ものは、皆さん自身の作品なのです。皆さんのもっている○×、善悪、正誤、良否等々の基準が外側に映っているだけなのです。このことを理解しているならば、人の責任にしたり、責任転嫁をするのは自分勝手であることに気づき、二度とできなくなるはずです。
 というわけで、戦争(けんか、いじめ、争い、議論等々)を無くすための根本的な対策というのは、皆さんの外側にはないのです。皆さんの外側をいくら探しても、残念ながら、永遠に見つかりません。外側に探せば探すほど、「善悪という基準」を使って無くそうとすればするほど、ますます、「戦争」を創りだす結果となるのです。
皆さんが、長い間、苦労して創りだそうとしてきた「平和」というものは、守るものでも、創るものでもなく、初めからあるものなのです。「平和」を守るために「戦争」をするというのは、本来、オカシイことなのです。皆さんの内側が平和ならば、外側も平和です。皆さんの外側に見える「人の宗教」やその成果である「人の作品」を批判し合っている限り、自分の正当性(裏を返せば、相手が間違っている、相手が悪いということ)を主張し合っている限り、永遠に「平和」という形はやってこないのです。
 ここでまたまた、「そんな考え方は~」と私に「戦い」を挑んでくるならば、皆さんの外側から、永遠に「争い」や「戦争」や「競争社会」や「トラブル」や「苦しみ」がなくなることはないでしょう。

 実を言うと、今ここで、このことに気づいて、言動を改めていかないと、近い将来、皆さんが嫌だと言っても、一人残らず、身を持って「内側の戦争が外側にある」ということをいやというほど知ることになるプログラムが用意されているのですが・・・・・・。
 アレコレ書きましたが、実際のところ、もうこの「議論、戦争」ゲームを続けること自体がだんだんと難しくなってきているのです。
 このあたりの事情については、後で書きますので、そちらをご覧ください。

P30
6 皆さんの体験の原因(スタート)は皆さん自身が選んでいる「宗教」にある
 皆さんの多くは、「○○という現実があるから自分はそうするのだ」「○○という現実があるからそうするしかないのだ」「したいけれども、○○という現実があるからできないのだ」と言っています。皆さんに気づいてほしいのは、「○○という現実がある」と決めているのは、皆さん自身であるということです。ここに気づかなければ、皆さんのやりたいことは永遠にできないということになります。
 先ほどのセリフを使えば、「競争社会」が先にあるのではなくて、まず初めに、皆さん自身が「自分は競争社会に生きる」というゲームを選び、「競争社会で生き残るには○○をするしかない」という「宗教」を選ぶことを決めて、それに従って行動して、その結果を体験して導きだされたのが「自分は~」のセリフなのです。
 「自分は~」のセリフというのは、自分が今やっている行動の理由ではなくて、自分のやっている行動の結果なのです。つまり、皆さんは「暇」がないのではなくて、自分で自分の「暇」をなくしているということになります。
 皆さんが、「宗教」や「哲学」の話を避けてしないということは、自分で自分の成功、幸福、永遠の安らぎ、夢の実現を放棄していることと同じことなのです。本当は、この話題は、人間として避けて通れない大切な大切な話題なのです。
 実を言うと、皆さんが、このセリフを言っている限り、皆さんのこの人生だけではなく、皆さんが死んだ(肉体を離れた)後も、皆さんには、永遠に「天国」はありません。今この人生の今ここの現実が「天国」でなければ、あの世へ旅立っても「天国」ではないのです。今ここが「天国」ならば、いつ旅立っても「天国」が約束されているのです。
 それはつまり、言い換えると、皆さんがもっている最大の恐れ(「死」の恐れ)から永遠に解放されると同時に、永遠のイノチを得るということでもあるのです。(「天国」といっても、「快楽」の一時だけの天国ではだめで、別の意味の「天国」を創りだすことが必要ですから、悪しからず。その方法について書いたのがこの本です。)

 こういうような真実を知ることによって、「臓器移植」や「延命治療」の是非や、それに係わる「脳死」や「生体移植」や「安楽死」や「医療ミス」等々、「肉体の死」に係わる様々な問題は、一気に、綺麗サッパリと解結してしまうのです。そして、議論に使っていた時間を自分の好きなことに使うこともできるのです。これは、この問題だけではなく、すべての悩み、すべての問題に当てはまることです。

P32
7 皆さんが今まで学んだことはトラブルしか創りだせない「あやま知」である
 皆さんは、たとえ皆さんが生まれた時に「競争社会」がすでにあったとしても、それを選ぶ必要はなかったのだ、ということを知っておいてください。ただ、こういうふうに「教育」されなかっただけのことです。(競争は「原理」ではありません)。つまり、「教育」というのは、皆さんの体験を創りだす「宗教」を伝えていく重要な役割をもっているものであるということです。いわば、「学校」というのは「最大の宗教団体」なのです。
 この「教育」が、「(大きな法則から見て)間違った宗教(これを「あやま知」と言います)」を教えていれば、どんなに教育しても、「間違ったもの(これを「過(あやま)つ形」と言います)」しか創りだせないのです。「学校」がアベコベのことを教えていれば、いつまでたっても望むものは形になることはないということです。こういう意味からすれば、日常生活すべてが「学校」であると言ってもよいのです。そして、そこで学んだ結果が皆さんの体験であり、皆さんのすべての体験が「教育」の成果なのです。
 「学校」が「トラブル」を創りだす「宗教」を教育し続けるならば、永遠に「トラブル」を創りだし続けることになるのは簡単な道理です。現れた結果は、皆さんの思惑とは逆に、皆さんが望んでいない形なのです。でも、その道理を知ってか知らずか、今に至ってもまだ、同じことを繰り返している人達がほとんどだという訳です。そして、先に行けば行くほど、訳が分からなくなってくるのです。「悪いことはやめなさい」と言っても、それを創りだしたのは、「悪いこと」を決めて、「やめるべきだ」という宗教を選んで、「外をコントロールするゲーム」に同意している、そう言っている本人の問題であり、その「やめさせる」対象の人物は「悪くも善くもない」のです。
 「二度と同じことを繰り返すなら許さないぞ」と言っている先生が、何度も同じことを繰り返し、そのセリフの通りのことを自分にはしていないというオカシナ結果、矛盾を持っているのが、今の「教育」なのです。自由、平和、平等、仲良し、自立を目指す学校が、「不自由」「不平等」「争い」「タテマエの付き合い」「頼り合い」を創りだす方法を教えているのです。早く気づいて完全に修正しないと、この先は、それこそ、「大変なこと」になるということを、今ここでお知らせしておきます。
 これは教育だけに限ったことではなく、今の社会ゲームすべてにあてはまることなのです。「地獄の方法」を使って、創れもしない「天国」を創ろうとしているのですから、いつまでやっていても、お望み通りのものはできません。ですから、今回の「天国の方法」三部作という道具を使って、これ以上トラブルゲームで壊さないように、今までのゲームをアベコベにする(実は、元のゲームに戻す)方法を提供しているわけです。
 皆さんは、この本を読んだら最後、「人がやったらやろう」等とのんびりしたことを言っている暇はなくなります。何せ、今までのゲームをやっていると最後の最後で自分が危なくなること、そして、元のゲームに戻すプログラムが非常に加速していることを知ることになるのですから。自分の損することはしないのが皆さんですから。
今までは、人類の歴史を通じて、ずっと、正しいものとして、「あやま知」を教育し、「過つ形」を創りだし続けていたのです。そして、今ここに来て、ますます混乱を形にする結果となっているのです。外側を何とかしようとしている皆さんは、大きな宗教を替えないまま、善くしようとしても、アベコベの結果(さらに問題を創りだす結果)になるということをここでしっかりと学んでください。
 そして、さらに、重要なことは、今ここで、もうそのやり方は一切通用しなくなる方向へと全体が加速しているということと、これを無視すると最後の最後で「取り返しがつかない、大変なこと」になること、をしつかりと認識しておいて欲しいのです。
 これは(詳しくは後で述べますが)、すべての「あやま知」「過つ形」をタテカエて(一度壊して最初の状態に戻して)、本来の形にタテナオす(別の形を創りなおす)、大きな「神のプログラム」(その最後の仕上げというのが「天変地異の形をとる外側の大掃除」であり、その前に、少しでも楽に大掃除を超えられるようにと、この本に書かれているような情報が今ここで提供されているということです)が動きはじめているからです。

 神の「タテカエ、タテナオシの仕組み」については、今回のメインテーマですので、後々詳しく触れることになりますが、今ここで、自分の人生についての真実をしっかりと見つめていないと、皆さんという魂の存在が、今この人生で終わりになることをしっかりと覚えておいてください(残念ながら、この「神のプログラム」は、皆さんがどんなに抵抗しようとも止められないものであり、抵抗すればするほど、自分が自分の首を締めていくことになるのです)。

P35
8 皆さんの「今体験している現実」と「死後の世界」とは一つのものである
 皆さんが「今体験している現実」と「死後の世界の(魂だけが創りだす)現実」とは、本当は一つのものなのです。今ここで、教えられてきた「善いこと」をいくらやっても、死んだあとに「天国」はありません。逆に、今ここで「悪いこと」をやっても、死んだあとに「天国」を体験することもできるのです。皆さんが言っている「善い悪い」は、皆さん自身の基準であり、今までの「あやま知」が創りだしたゲームですから、「天国の方法」を選択するにあたっては関係がありません。
 皆さんが「宗教」と言っているのは、肉体を通して感じている(認識している)「想念」であり、それは、皆さんの本体である「魂の言葉」なのです。つまり、皆さんの体験というのは、「想念」が先にあって、それを肉体で感じ、選択して、行動して、「形」が後に創られ、その「形」を見て様々な意味付けをしているということなのです。
 皆さんの持っている「肉体」の体験というのは、結果であって、原因ではありません。皆さんがどんな「宗教」を持っているかで、「肉体」の体験が決まるのです。
 「肉体」というのは、魂の想念と肉体の外側にあるものとを結び付ける(両方を感じることができる)ための、物質の世界にいる皆さんにとっては、魂の世界を感じるための非常に大切な道具(媒体)なのです。   

 先ほど書いた、「内側にある戦争」というのは、この「魂からくる言葉(本当の自分の宗教を翻訳したココロの声)」を「肉体を通して外から学んだ宗教(外側から取り入れた誰かの宗教を翻訳したココロの声)」で判断するゲームなのです。アタマで学んだこととハラから出てくることの戦いなのです。実を言うと、このアタマとハラの戦いを終わらせること(判断を一切やめること、○×善悪の裁きを一切やめること)を「自分自身の大掃除」と言い、「肉体」というのは、今ここで、人間の世界で、この大掃除をするための道具なのです。

P36
9 皆さんは「自分自身の魂の大掃除」をするために今ここにいる
 皆さんが、何回も何回も「輪廻転生」を繰り返していたのは、実は、この「大掃除」をするためだったのです。ただ、今までの世では、「あやま知」を教育されること(「人間の存在」を説く「宗教」という教育自体も、「あやま知」に囚われていたので、全く気づかなかったというわけです)で、「大掃除」のことなどすっかり忘れ、「何のために生まれてきたのか」などという問いをずっと繰り返す結果になっていただけです。
 このような、長い間にわたって結論が出ていない、堂々巡りの「問題創造ゲーム」をやめるには真実を知ることが唯一の道なのです。
 今回は、皆さんの「大掃除」の最後のチャンスであり、皆さんが自覚して、意識的に大掃除ができる最初で最後の機会なのです。皆さんは、皆さんという「魂(肉体ではありません)」が生まれてこのかた溜めた、すべてのゴミやホコリ(「あやま知」、○×のこと)をキレイサッパリ掃除(囚われている「あやま知」、○×を外すこと)して、新しい世を創りだすため(天国を体験できるようになるため)にここにいるのです。
 今回は最後の最後の転生であり、今までのすべてのゴミやホコリをもって生まれてきています。ここで、気合を入れてこの「大掃除」をしなければ、皆さんには「来世」というものはありません。
そして、この「自分自身の大掃除」を終わらせれば、これから起きる「外側の大掃除(天変地異)」は、何の影響もなくなり、大掃除を終わらせた人間(実は、「魂」)だけが、次の世界(新しい時代)の「ヒト」となることができるのです。
 「宗教(魂)」が(肉体を通して)「形」になっているのですから、「形」が「天国」でなければ(「形」は「宗教」の結果であり、「形」が天国なら「宗教」も天国である証拠。結果を見れば原因の状態が分かるのです)、皆さんが死んだ後(魂の体験)は「天国」にはならないのは、当然の道理です。「肉体がなくても天国ならば、肉体があっても天国」なのです。皆さんが「肉体を手放して(肉の服を脱いで)」も天国になるには、ココロの大掃除が必要なのです。

 皆さんが次の世界に生きていたいならば、世紀末に何が起きるか、どうすれば助かるか、と外を探すゲーム、大騒ぎする今までのゲームは、今ここ(「後で」はありません)でキレイサッパリやめることです。今ここからは、この道理を理解して、行動することだけが、世紀末の「大峠(天変地異、外の大掃除、外のお清め)」を越すために最も早く確実で大切なことであり、皆さんが「助かる(次の世界へ行ける、生き残れる)」(助けてもらうのではなく、自分で助かるのです)唯一の手だてなのだということを覚えておくことです。本当の本当、最後の最後に自分も人も神も助かるのです(このことについては、後ほど、詳しく書きます)。

P39
10 皆さんは、皆さんの「魂(自分自身)」が消えるか残るかの瀬戸際にいる
 皆さんという存在は、「魂」が先にあって、「肉体」は後の後、つまり、「魂」があって「肉体」があるのです。(これは、「神」があって「人」がある=「神」なくて「人」はない、ともいえます。これが後々重要なことになりますので、ここでしっかりと覚えておいてください)。「肉体」で体験している「自分」という存在は、「魂」が「肉体」を通して創りだしている(感覚として翻訳している)ものなのです。皆さんは、(肉体がなくなる)「死」を恐れていますが、「魂」のイノチがなくなれば、「肉体」の命どころの話ではなく、「新しい時代」に生きることができなくなるのです。
 今ここまできて、この後に及んで、「肉体の死」や「財産」や「地位」や「名誉」や「常識」や「病気」や「非行」や「不倫」や「損得」や「保身」や「裁判」云々で、大騒ぎしている場合などではないのです。

 数々の予言書に書かれているような、世紀末の「天変地異、大掃除」というのは、「魂」が消えるか残るか、皆さんの「魂(今世の肉体ではありません)」が生まれて以来、三〇〇〇年たって初めて迎える、「魂(皆さん自身)」が新しい世界に生きるか、今世を限りに死ぬかという選択を迫られる「大峠」のことなのです。皆さんという「魂」は、今ここで選択を間違えば、本当の意味での「大変なこと」「取り返しのつかないこと」を体験することになるという瀬戸際にきているということです。
 皆さんの今置かれている状況からすれば、皆さんが言っている「大変なこと」や「死にたくなること」や「肉体上の不老不死」や「損得計算」などは、取るに足らない、どうでもよい小さなことなのです。

P40
11 皆さんの外側には皆さんを「苦しめるもの」は何もない
 皆さんは、「○○があるから自分はこうしているのだ」と思い込んでいますが、本当は、「○○があるからこうするしかないと自分がきめているからそうなっている」のです。皆さんがそういうシナリオ(宗教、観念、想念、基準)を選んでいるから、そういうセリフを語ることになるような体験をしているのです。皆さんがつくった作品を見た結果を言葉で表わしているのです。皆さんがそれを言いつづける限り、その状況は変わりません。それどころか、皆さんに責任転嫁された「人」や「モノ」や「状況」にとっては、いい迷惑なのです。皆さんは、自分のしたことを自分以外のせいにして、平然と「自分の正しさ」を主張するという、神から見たら「真実を何も知らない(無知)」なことを自分から白状している気違いなのです。
 皆さんがどんな理屈をこねようとも、皆さんが体験していることは、すべて皆さん自身が選んでいるシナリオが創りだすものです。つまり、皆さんの体験は、すべて皆さん自身が創りだしているものなのです。ですから、皆さんがどんな体験をしようと、本当は「人の責任であるものは一つもない」のです。これを否定すると、ますます「人の責任にしたくなるような」体験が増えていくことになるだけですので、悪しからず。
 いつまでも「人の責任」や「状況の責任」にしていると、最後の最後に「すべて自分の責任である」ことを自覚することになるような出来事として、すべて自分のところに返ってくることになります。「人の責任ゲームをやめましょう」という提案は、神の仕組みに基づいた、皆さん自身のためのものなのです。
 皆さんは、「でも、現実に目の前にたくさんの問題があるじゃないか」というかもしれません。でも、それは、皆さんが、皆さんの選んだシナリオでそういう状況を自分で創りだしているからそこにあるのです。皆さんが「自分の体験は自分の外側に責任がある」という選択をしているから、そういうセリフを言う結果になっているのです。
 皆さんの外側にあるものは、すべて、皆さんの内側のあるものの投影です。皆さんの内側が綺麗に掃除されていれば、皆さんの内側に○や×や責任転嫁がなければ、「困難」や「苦しみ」を感じる状況は目の前に現れなくなってくるのです。
 「でも~」のセリフを言っている限り、「自分の外に問題(に見える出来事)がある」と責任転嫁をしていますから、その「問題」は永遠になくなりません。すべては、皆さん自身の自覚の問題(皆さん次第でどうにでも変わるということ)なのです。
 皆さんが体験している「現実」というのは、すべて、皆さんのした選択に忠実に「目に見えないメカニズム」が働いた結果です。本当は、皆さんの外側には、皆さんを「苦しめるもの」などというものは、何一つありません。皆さんが、「苦しみ」や「トラブル」を体験するのは、後で述べる「神の大きな法則」に反するシナリオを皆さんが描く(そういう「宗教」を創りだす)と、それをしていることを教えるために「困難」や「トラブル」や「苦しみ」を感じるようなメカニズムが働くからなのです。
 皆さんの悩みを救うべき宗教が「大きな法則」に反した宗教であるとしたら、皆さんの悩みを救うどころか、ますます、悩みを創りだすことになってしまうのです。

 詳しいことは後で書きますが、実を言うと、皆さんがこの道理を理解できないと、今までの堂々巡りのゲームからは永遠に抜け出せないばかりか、この先は、新しい時代に向けて、本来の方向へ戻す舞台作りが進みますから、このメカニズムに従って、今まで以上の速さで、ますますトラブルや悩みを創りだすことになり、「新しい時代」どころの話ではなくなってしまうのです。これは、皆さんが今まで学んできたこととは、まったくアベコベのメカニズムであり、おそらく、今回初めて聞かされたという方がほとんどでしょう。今まで教わってきたこと(「あやま知」)は、このメカニズム自体を否定することになる見方なのですから。でも、このことを認めないと皆さんは地獄への道を転がり続けることになるということを覚えておいてください。

P42
12 皆さんの多くは「あやま知」という「宗教」に狂っている
 多くの皆さんは、「教祖様」が言っていることや、「○○教」の言っていることや、「神様」という言葉が出てくるものや、「目に見えない世界」のことが出てくるものを「宗教だ」と定義付けしているようですが、皆さんの回りの人が言っていることや、皆さん自身が「世の中は甘くない」云々と言っているのも、すべて「宗教」なのです。
 「人生どう生きるべきか」「自分の見たものをどう解釈するか」という表現のものを「哲学」と定義付けしているようですが、これもまた「宗教」なのです。そして、他でもなく、「これは哲学、これは宗教」云々、と定義付けしている皆さんのその定義自体が「宗教」なのです。皆さんは、その基準に従って、目の前のものを見て、解釈して、動いて、形にしていっているということですから、その結果は、すべて皆さん自身の責任です。
 皆さんが、「宗教」を特別な人がやる神様ごとであるとか、「哲学」を単なる学問であるとか、人のやっていることを見て「変な宗教に狂っている」などと思っているとしたら、それも皆さん自身の「宗教」であることはもちろんですが、皆さんは大きな取り違いをしていることにもなります。実は、そういう「宗教」で、ある「宗教」(自分が認めていること以外の見方、考え方、「宗教」)を拒否しているから、皆さんは真実を知る機会もなく、未だに混乱の中にいるのです。神様から見れば、皆さんは、ご自分のなさっていることを全くわかっていないという証明を自分自身でしていることになります。
 これは、今まで学んできたことでは、納得できないかもしれませんが、それは、今まで学んできたことが、そういうことに気づくことができない、まったくアベコベの「大きな宗教(あやま知)」だからです。つまり、納得できないということは、皆さんが「あやま知」を選択している証拠なのです。皆さんがこれを認めないと、話が進まないばかりか、この先の自分自身の人生にも大きな影響がでてくることになります。
 ここに書いてあることと今まで学んできた「あやま知」とは「裏と表」の関係です。つまり、皆さんがここに書いてあることについて「批判」や「判断」を始めること自体が、「あやま知」に囚われている証拠であり、「あやま知」を選んでいることを自分自身で白状していることになるのです。「私は違う」と言っても、それも自分の正当性の主張ですから同じことです。
 皆さんは本来、いちいち自分が何を選択しているかを人に説明する必要はないのです。皆さんの言ったこと、したことを「批判」したり、「判断」したりすることを始める人は、「あやま知」の中にいますから、それにまた反論するならば、相手と同じことをしているだけでなく、皆さんは永遠にその中から出られなくなります。
 そして、皆さんが、そういうゲームをしている限り、もう一つの現実を見ることはできません。今回の分岐点は、一方をキレイサッパリ捨てて、もう一方を選ぶという「どっちの宗教に狂うか」という、どっちか一つの選択です。
 皆さんの外側にはもともと○も×もないのです。皆さんが「判断というゲーム」ができるのは、皆さんの内側に○や×を持っているからです。そして、その○や×は「ある」のではなくて、皆さんが「選んだ」ものなのです。皆さんが、○か×か何方かを選んでいるのです。ということは、皆さんの目の前のものには○と×の二つの見方がある(言い方を換えると、目の前のものには意味はない)ということになります。
 皆さんが「○×は外側にある」という「宗教」を選んでいれば、その現実がいつまでも続くだけです。実際は、皆さんが二つの見方の片方を選んで、それにしがみついているだけのことなのです。「見ているものは同じなのに相反する二つの見方がある」というのはオカシイことだと気づいてください。「あいつの方がおかしいんだ」と言ったところで、「相反する見方」の方は消すことはできませんから、悪しからず。
 皆さんが、今まで、半ば「しかたなく」「あるのが当然のこととして」やっていた、「議論」も「裁判」も「話し合い」も「喧嘩」も「戦争」も、すべて、皆さん一人ひとりの「内側の○×」が創りだす幻想ゲームだったのです。皆さんが、今まで、人から学んできたり、人に教えたりしている「あやま知」というのは「○か×か」の二元論であり、それにしがみついている限り、絶対に結論はでないのです。そして、それは、「当たり前のこと」でも「真実」でもなかったのですから、本来は「強制力」はないのです。「あやま知」の創りだした「恐れ」を使って、力という幻想を創りだしていただけなのです。
 皆さんは、今まで、「三次元(立体)」に生きていながら、「二次元(平面)」のゲームを楽しんでいた(苦しんでいた)というわけです。そして、この先は、もう、そのゲームを続ける必要はないということを今ここで提案しているのです。あとは、皆さん一人ひとりが、どういう選択をするか、を決めればよいだけなのです。「でも~」と言うのは、「あやま知」の選択ですから、そのつもりで。

P46
13 皆さんは一人残らず「宗教に狂っている人間」である
 皆さんの人生には、「絶対に正しいこと」とか、「ありえないこと」とか、「現実ばなれしていること」とか、そういうものはありません。皆さんに、そういうものが見えているならば、それは、皆さんが、「自分の見ている現実の中で生きよう」「自分の見ている現実だけが正しいのだ」という枠を自分自身に嵌めて、その通りに行動している結果、そういうふうに錯覚しているだけなのです。皆さんが、自分自身の選んだ結果体験していることを基準にして、目の前で起きていることを「判断」しているゲームに過ぎません。
 皆さんのその体験を創りだしているのは、皆さん独自の「宗教」であり、その「宗教」に枠があれば、皆さんの体験にも枠があることになり、その枠の外のものが現れると、「ありえない」「起きるはずがない」と見えるというわけです。「皆がやっているから」というのも「宗教」の一つですから、いやならば、選択する必要はないのです。
 皆さんが「ありえないから」といって、それを排除していると、皆さんの体験として、いつまでも「ありえない」ままになってしまうのです。
皆さんが、「現実は」「社会は」「常識は」と言っているものは、そういうものが「存在する」という幻想を皆さん自身が創りだしているだけに過ぎません。いわば、皆さんが皆さん自身をトリックに嵌めているようなものです。皆さん自身が「そんなことは起きるはずがない」という前提を決めて、すべてのものごとを処理しているのです。
 皆さんが、「できるはずがない」と思えば、皆さんはそれをしませんから、いつまでたっても「できるはずがない」のです。「できるはずがない」理由も、これまた、皆さんが創りだしている幻想なのです。
 この見方について、アレコレ議論をすることもできますが、永遠に並行線のまま、結論はでないでしょう。最後には、「こいつは宗教に狂っているから、言っても仕方ない」と言いだすのがおちです。その議論を創りだすのも、そういう結論を導きだすのも、皆さんが皆さんの選んだ「宗教」に狂っている証拠なのです。
 皆さんが、目の前の何かを否定したり、批判したりしたくなったとしたら、それは皆さんが、そういう見方をしているだけであって、その「何か」は○でも×でもないのです。その「何か」に決まった意味があるとしたら、議論というゲームは成立しません。皆同じものを見ますから、議論の余地はないのです。
 皆さんが「否定しているもの」は、存在します。皆さんは「自分が何かを見て否定している」という、その「何か」があることを忘れています。ですから、何を議論しているかといえば、その「何か」をどう見るかという、お互いの「見方(宗教)」の正当性です。皆さんがやっているのは、「あんたと私のどっちの見方が正しいか」「どっちの見方をする人が数が多いか」というゲームなのです。これは、この見方自体の議論についても成り立ちます。この議論は、どっちかが折れない限り、どっちかが肉体的にいなくならない限り、永遠に続くことになります。
 皆さんがそういうふうに見ていること自体、皆さん自身の「宗教」そのものであり、皆さんは一人残らず、すべて「宗教に狂っている」のです。実際のところは、「心理学」も「哲学」も「宗教」も「常識」も「非常識」もすべて一つのものなのです。すべては、皆さんが、皆さんの外側にある「誰かが言っている意見」や「目の前で起きている出来事」を皆さん自身の内側の「基準」で分類しているだけで、すべて、「自分教」の正当性を主張する、「自分教」の押しつけ合戦に過ぎないのです。

P48
14 皆さんの内側の「宗教」が「議論」や「争い」を創りだす原因である
 皆さんは、実際のところ、人間というものについての真実は何も知りません。今まで学んできたことは、そのほとんどが、人間という存在の真実を覆い隠してしまうものなのです。だからこそ、皆さんは、死を恐れ、「悩み」や「葛藤」を感じつづけ、「トラブル」や「問題」を創りだし続け、「平和」や「幸福」や「平等」を探し続けても、一向に見つからないばかりか、ますます思惑とは反対の方向へと進んでいっているのです。
 いうなれば、皆さんは目隠しをして、人間というゲームを歩み、目の前に現れた現象(トラブルも善いことも)を、自分の学んできた知識を使って、自分の都合のいいように解釈しているだけに過ぎないのです。皆さんは、その「知識」が本当に真実かどうかを確認しないまま、自分のシナリオに取り入れてきたのです。
 本当は、皆さんの外側には一つの「現象」がただ存在しているだけであって、「科学」も「宗教」も「常識」も「非常識」も「奇跡」も「偶然」も「善いこと」も「悪いこと」も一切ないのです。皆さんの内側で感じていることについても、「正常」とか「異常」とかいうことは一切なく、誰が何と言おうとも、皆さんが見ているもの、感じているものはすべて真実なのです。つまり、皆さんが外側に見ている「人の意見」とか「人の行動」とかいうものは、その人の内側を表現したものですから、「正常」とか「異常」とかいうものは一切ないのです。「正常なフリ」するというゲームは、皆さん自身が外側を分類するゲームをしている結果、自分を守るため、批判されないために必要だと思い込んでいるだけのことに過ぎません。実際は、自分を守る必要はないのですが。

 「科学か宗教か」「存在するかしないか」「本当か嘘か」といった議論を創りだしている本当の原因というのは、皆さんの外側にあるのではなく、皆さん一人ひとりが選んで、一人ひとりが創りだしている「宗教」にあるのだということ、そして、そのお互いの「基準」自体を、またまたお互いの「宗教」で判断しあうことで、堂々巡りの、出口のない、いつまでやっても結論の出ない、議論や争いを創り続ける結果になっているということに気づいてください(この見方は、今この本を読んでいる皆さん自身にもあてはまるものですので、この先も、そのつもりで読み進めてください)。そのことに気づかない限り、これから先、皆さんは、何が何だかわからなくなっていくでしょう。

P50
15 新しい時代を知るには「宗教」についての認識を新たにすることが不可欠である
 私が、本の冒頭で、かくもしつこく「宗教」の話をもちだしたのは、実は、皆さんの間で、時代を超えて常に議論の対象となっている「宗教」や「哲学」というものについての真実を知ること。「宗教」や「神様」というものについての認識を新たにすることが、新しい時代に向けての出来事、人間というものの真実を知る上で欠くことができない非常に重要なことだからです。
 これは、私自身が四年間かけて、私自身、何度も何度も疑いながらも「新しいゲーム」(大掃除のプロセス)を実践し続けた結果、自分自身の体験から導き出した結論であり、この先もこの話題については、手を変え品を変え、しつこいくらいに何度も何度も書くことになりますので、「またか」などと言わずに、復習のつもりで「辛抱して」読んでください。何度も何度も実際に繰り返すこと(ドリル)が、新しいことを体験から身につけるための有効な手段ですから。
 皆さんは、これから、いわば、全く新しいゲームのルールをマスターするというゲームを始めるわけで、今までマスターしたルール(「あやま知」)をキレイサッパリ入れ換えて、癖を直していくことが必要なのです。皆さんに「修行」と言うと、特別な行為を思い浮かべると思いますが、実を言うと、こういうプロセス自体が、「人生の修行」そのものであり、「悟り」の境地というのは、自分の外側は自分の内側であるということに気づき、自分の内側と外側を一つにすることで初めて得られるものなのです。「悟り」を知らない皆さんには、基準がありませんから、「悟った」かどうかは分からないのです。
 本当の「悟り」は「内側の大掃除」をしない限り得られないものであり、日常生活を教材にして「自分の内側」を鏡に映して「○×の掃除」を進めるという自分自身の修行、体験を通してしか得られないものなのです。「修行」は皆さんの日常生活の体験でできるもの、いや、日常生活でしかできないものなのです。日常生活でできなければ、どこへいってもできないのです。皆さんの人生の質そのものを高めていくというレッスンなのですから、特殊な状況で「悟り」を開いても意味がないのです。実は、ここからが皆さんの本当の人生勉強なのです。

 このように、「宗教」と「科学」の論争を解結すること、今までの「錯覚」に気づいて「真実」を知ることが、新しい時代へ向けて避けては通れない関門であり、実は、私が今までやっていたことは、「宗教」と「科学」を一つに統合する作業だったといってもよく、「宗教」という内なる世界の「科学」について知ることが、すべての真実を知るカギであるといっても過言ではありません。

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16 皆さんの言う「宗教」や「哲学」こそ人生上の体験を創りだす「物理学」である
 皆さん一人ひとりが持っている「見方」「考え方」「行動指針」「方針」「基準」「ルール」「観念」「道徳」「マナー」「しきたり」「常識」「社会通念」等々といっているようなものは、たとえ皆さんが「哲学」や「宗教」という分類をしていても、すべて、皆さんが生まれてこのかた、親や学校や世間やテレビや噂や本などから教えられたものの中から、皆さん自身が自分の都合に合わせて選んだものであり、皆さんの人生の体験を創りだしている「物理学」なのです。「宗教」や「哲学」という分類をしているのも、皆さん自身の「宗教」に基づく、「自分勝手」なゲームなのです。
 見方を変えれば、皆さんの解釈や認識や現実を創りだす、すべての「考え方」、すべての「基準」が、皆さんがいっている「宗教」であるともいえるのです。皆さんが「宗教」であるとかないとか分類する基準そのものが皆さんの信じている(選んでいる)「宗教」であり、皆さんが皆さん自身の基準で、「自分の考え方は宗教ではない」と思い込んでいるだけなのです。
 皆さんの人生の体験というのは、皆さんが選択しているものに基づいて皆さんが体験しているゲームであり、皆さんが「その考えは選ばない」という選択を選んでいることで、その考えを選ばなかったときの、今、皆さんが選んでいる「宗教」に基づいて、その通りの結果を体験しているのです。
 実際のところ、「神様」も「仏様」も「常識」も、先ほどの「自分は~」のセリフも、すべて皆さん自身が創りだしているものであり、いうなれば、皆さん一人ひとりのもっている「オレの考え方」というものが、「宗教」そのものなのです。つまり、「宗教だ」「哲学だ」ということ自体が、皆さんの「宗教」であり、「哲学」なのです。議論というのは「オレの考え方」と「オレの考え方」の正しさの戦いであり、お互いに「自分は正しい」「自分は善いことをしている」と思っているから、終わりがないのです。
 戦いというのは「善と悪」ではなくて、「善と善のぶつかりあい」なのです。みんな「正しい」から際限がないゲームになるというわけです。みんな「善人」だから、相手を「悪人」にして争いになるのです。相手を悪くすることで自分を善人にして、勝ったつもり、守ったつもりになっているだけです。

 皆さんが外側に「悪」を見ているとき、それは、皆さんの中にある「悪」を映しているのです。皆さんが外側の「悪」と戦っている限り、外側の「悪」を排除しようとしている限り、皆さんは今回のハラとアタマの戦いに「勝つ」ことはできません。今回は、今までのような勝ち負けではなく、一つになった者が「勝ち」なのです。内側の戦いを終わらせた全員が勝つのです。その結果が、外(ほか)でもない「天国」です。外側に戦いを挑んでいる限り、皆さんは永遠に勝つことはないのです。それどころか、戦いを挑んでいる皆さんは、最後の最後は全員負けることになります。これが、「負けるが勝ち」の本当の意味です。勝ち負けゲームすらも、今までと全くアベコベの結果になるのです。

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17 皆さんがやることは、皆さんの外側のものを道具にして内側の掃除をすることだけ
 皆さんの外側には「悪」というものはないのです。皆さんが選んでいる「悪」という基準で外側を裁いているのです。自分の「善」「正しさ」を証明するために「悪」を否定するゲームをしているのです。自分だけを守るために、自分以外を排除して、自分を残すゲームをしているつもりになっているのです。「善」と「悪」というのは、それはどちらも自分の中にある、自分の持ち物であることに気づいてください。片方を排除しようとすることは、自分の中を二つに分けていることになるのです。これでは皆さんの内側は、永遠に一つになりません。皆さんの外側も一つになりません。「天国」は永遠にできません。
 戦っている宗教では、皆さんは救われることはありません。これから必要なのは、皆さん一人ひとりが自分の内側を掃除することだけです。一人ひとりが自分の内側を一つにすることです。「善」も「悪」もなくすことです。すべてを認めることです。すべてを許すことです。神様のココロになることです。それを実行することです。それだけが、皆さんを助けることになるだけでなく、皆さん以外の人も助けることになるのです。人を助けたかったら、自分を助けることです。人を助けたかったら、助けようとしないことです。
 自分が人を掃除することはできませんし、人が自分を掃除してくれることもありません。内側の葛藤は自分自身しかわからないのです。外にある「誰か」や「何か」が自分を助けてくれることもありません。一人ひとりが自分の内側を掃除するのです。外側にある「宗教」は要注意です。もっとも、皆さんが「自分の掃除」のことを知っていれば、外側を探しませんから、騙されたり、引っ掛かったりすることはありませんが。もし、騙されたとしても、それはその教祖様が悪いのではなく、皆さん自身の責任です。皆さんが外側を探していたのが原因です。教祖様を責めるのは、掃除が出来ていない証拠です。その「善悪」の基準、自分勝手、裁くココロを掃除することが実は、「内側の大掃除」なのです。

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18 皆さんを救うのは、皆さん自身が皆さん自身を救う「自分教」だけである
 皆さんを助けるのは、「自分教」だけです。皆さんの内側が戦っている(それは、外側が戦っているように見える、という結果で分かります)ならば、皆さんは一つになりませんから、皆さんは分裂したまま「最後の時」を迎えることになるのです。実を言うと、「悪」を裁くココロを持っている魂(つまり、一つになっていない魂)は、新しい時代に行くことはできないのです。だから、今回は、自分の中の「○×」「善悪」を消す大掃除をする必要があるのです。
 皆さんの目の前のものを鏡にして、自分の中の「偏見」「偏り」「裁き」を一つにしていく修行が必要なのです。皆さんの目の前のものを裁いていたら、いつまでたっても掃除は完了しません。外側を責めたくなったら、外側の悪を排除したくなったら、それは自分の内側の戦いが映っているものであると気づくことです。内側の戦いをやめることで、外側の戦いを終わらせることができます。いつまでも人を責めたり、恨んだり、戦ったり、分類したりしていると、自分自身が「危ない」ことを自覚しておくことです。

 皆さんの外側には皆さんを救ってくれるものは何もないのです。自分のココロという目には見えないものを綺麗にしていくお掃除が、皆さんを救う唯一の宗教なのです。このお掃除は、自分が自分をチェックするという作業ですから、一人ひとりにしかできないものなのです。自分のココロの戦い、ココロの葛藤を見ることができるのは自分だけです。これが分かっている人は、「助けてあげる」などとはいいません。人が自分を責めても、責め返すことはせず、それがその人の内側の現れであることを教えるだけのことです。自分しか自分を助けるものはないのですから、自分以外の人やモノや偶像や神様が助けてくれることはないのです。今回は、神様も「掃除なき者は助けられない」と言っていますから、勘違いなさらないようにしてください。

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19 今までのような人助けの宗教は自分も人も滅びる道を歩むことになる
 この先、混乱が進むにつれて、たくさんの宗教が出てきますが、皆さんが外側に探していると騙されることになります。教祖様たちは正しいと思ってやっているのですから、悪くありません。一人ひとりが、本当のことに気づくか気づかないかです。皆さんが本当に天国に行きたいならば、今ここで「真理」を知って、自分の内側の掃除をすることです。本当のことを知ったら、人を助けるというものがオカシイことや、人のことなどに構っている場合ではないことが分かるでしょう。外側に求めないことが、騙されないヒケツです。自分が外側を探していて気づかずに最後の最後に気づいてもそれは自分のしたことですから、そうならないように、しっかりと真実の目を開いて、これから始まる「大掃除への準備」をしてください。
 皆さんのすることは、外側のものを分類することでも、これから何が起きるか教えてくれる情報を探すことでもなく、自分自身の内側の大掃除をすることだけです。神様のことを知っても、過去世を知っても、一時の現世利益を得ても、何の意味もありません。皆さんが、今ここで求めるものは、現世利益を得る方法ではなくて、新しい時代に生き返る方法なのです。そして、それは、実は、一人ひとりの内側にあるのです。だから、外側の宗教では何も見つからないのです。この本はそのことを教えるための一つの教材ですが、単に、皆さんの外側に向いている視線を内側に向ける鏡に過ぎません。この本の内容が本当に分かったら、この本はいらなくなるのです。自分が自分を救う教祖様であると知ったら、もう外には何もいらなくなるのです。
 この本は、「自分教とはなんぞや?」「自分教の教祖になるには?」「内側の掃除をスムーズに進める法」等々を語った本でもあるのです。くれぐれも、この本や私を教祖にしないようにしてください。改めてお断りしておきますが、この本は、強制でも何でもありません。外側を見ている皆さん一人ひとりのお掃除の教材を提供しているだけです。神様はどっちの選択でも許していますから、選択の基準は、皆さん自身がどうなりたいかということだけです。自分のしたことが最後の最後に自分に戻ってくるだけです。
 皆さんという魂の今までの歴史は、今ここで皆さんが持っている内側の宗教が創りだしたものなのです。今この瞬間に過去のすべてのカルマを解消する材料があるのです。今ここからお掃除をしていくことで、カルマの解消は自動的に済むのです。カルマを解消する方法や楽になる方法を探しているとますますカルマを積むことになりますから、注意してください。そういうものを教えている方々も、ここで自分のしていることを改めて振り返ってみてください(その上で、そのまま続けたいならば続けても構いませんが、最後の最後でどうなるかは保証はありません)。
 皆さんは今ここですべてを掃除しなければ、次の「永遠の天国である神の世」には生き残れないのです。これは、一人残らず、世界中のすべての人間に言えることです。人が創った神の言うことを聞かなくても祟りはありません。「神を信じなければ祟りがある」などという宗教は、教祖様も含めて、信者すべてが最後の最後に外側の大掃除に巻き込まれてしまいます。本当の神様の言うことを聞かなければ、皆さんが最後の最後に天国に行けないだけのことです。そして、神様は、そういう選択をすることも許しています。
 全体の大掃除は神様がやります。そして、自分の大掃除が済んでいる人間だけを次の世のヒトにします。皆さんには、本当の神様を語ることができません。本当の神様を説明することはできません。本当の神様は、皆さん一人ひとりの内側に語りかけているのです。ここで言っているのは、別に、祟りとか裁きとかいうものがあるのではなく、単に、自分がどうしたいかという問題であるということです。皆さんが、今までのゲームを続けるならば、ただ、皆さんという魂がいなくなるだけのことです。
 「死ぬぞ」「殺すぞ」「家族はどうなってもいいのか」「先祖の祟りが」「悪霊が」云々という「脅し」を使ったコントロールに引っ掛かったら、皆さん自身がアウトになるだけのことです。そして、そういうことを言っている教祖様方は、騙すつもりはなくても、自分自身もアウトになるということを知っておいてください。実は、これを許しているのは、神様の最後の大掃除への舞台作りであり、「神様の仕組んだワナ」なのです。でも、そのワナに引っ掛からない方法もちゃんと示してくれているのですから、皆さんの掃除ができていれば引っ掛からないのですから、引っ掛かったら皆さん自身のせいだということになりますから、悪しからず。

 皆さんが恐れているから見えるだけなのです。恐れているということは見たいといっているのと同じなのです。神様は、皆さんが見たいものは何でも見せてくれますから、そのことをよく覚えておいてください。皆さんが見たものは自分の内側の反映なのです。内側を見るために外側に創りだしてくれたのです。自分の姿を見て怖がっているようなものなのです。皆さんの内側の掃除をしなければ、いつまでも見えつづけることになります。内側にあるものが外側にあるのです。外側にあるものは内側にあるものです。この道理をよく心得ておくことが掃除を進める際のポイントになります。

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20 現世利益を追いかけるゲームをしていると本当に取り返しのつかないコトになる
 皆さんが、お金とか地位とか名誉とか財産とかを失うことを恐れていても、それらはもう暫くすると無くなるものですから意味がありません。現世利益を求めるゲームはもう終わっているのです。そういうものを追いかけても、最後の最後ですべてアウトになって気づいて取り返しがつかないことがわかって呆然とすることになるだけです。
 皆さんがやることは、新しい世界に生き返るための準備をすることなのです。新しい世界に生き返れば、皆さんが欲しいものはすべて来ます(実は、大掃除が終わると、今ここでも捨てたものが戻ってくるのです。いつまでも握っていることがかえって一度に放す結果になります。そして、もちろん掃除がなければ手放したものは戻りません)。
 皆さんの内側の大掃除が済めば、何が起きても皆さんは天国へと旅立てるのです。言い方を換えれば、内側の大掃除なくして天国はないということです。外側を分類すること、外側を探すこと、外側を批判すること、を続けることは、自分を守る、助けることにはならず、逆に、自分自身を「危険(魂が滅びる)」なゲームに導いていることを知ってください。そして、人を危険なゲームに誘い込むようなことも決してなさらないように、十分に注意してください。
 皆さんが「人を助けよう」としている時は掃除が済んでいません。掃除のことを知れば、「人を助ける」ということがどういうことなのか分かると思います。「人を救う」ということが善いことだというのは今までの幻想です。今回は、肉体を助けても、魂の掃除でなければ、肉体も魂も無くなってしまうのです。くれぐれも今までの教えに惑わされないようにしてください。善いことをやっても天国にはいかれないのです。
 これから先は、現世利益を追いかけていると、皆さんはアウトです。何せ、今ここにあるすべての道具は後数年の命ですから。最後の最後には、お金も地位も土地も制度も法律も自分以外の人も自分の肉体も、すべてなくなるのです。今までのゲームで皆さんが集めているもの、守っているものはもう無くなる運命のものばかりなのです。
皆さんがすることは「魂のお掃除」だけです。本当に天国を体験したいならば、今までのことはすべて忘れて(今までのものを裁いているとそこにとまります)、お掃除に専念することです。目の前の教材を使って、自分の内側を見て、今持っているものを手放して、お掃除をすることが、皆さんが欲しいものを手に入れる唯一の道なのです。今までとはすべてアベコベであることを常に知っておいてください。

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21 「人事を尽くして天命を待つ」とは内側のお掃除をして準備をすることである
 最後の最後には、一人ひとりが自分自身を助けることになるのです。神様はそれを手伝ってくれるだけです。自分の掃除なしで神様にお願いしてもそれは無視されます。ズルイというのはお掃除ない証拠です。自分がすることをしてから頼んでください。
 神様は「自分だけで助かろうとするなよ。自分の掃除をして神を頼ってくるものは喜んで助けるぞ」と言っています。今ここで、何をすれば人事を尽くすことになるのか、ちゃんと示してくれているのですから、さぼっている人に関しては綺麗さっぱり無視です。神様はホンネしか見ていません。フリをしても駄目です。地位やお金や学やコネは一切通用しません。神様は、何がどうなるかわからなくても(人間に分かるはずがありません。わからないから探しているのです。探していても分かるはずがない人間が答えを持っているはずはありませんから永遠に見つかりません。答えは皆さんの内側にあるのです。この本は、皆さんの内側を探すための鏡として提供されています)、素直に神様の言うことを聞いて掃除を進めることだけを求めているのです。「正直者こそ、バカを見ないで天国にいける」のです。これが、「人事を尽くして天命を待つ」の本当の意味です。
 「助けてあげる」「助けてもらう」というゲームでは皆そろってアウトです。神様は掃除なくして頼ってきても助けられないと言っていますから、そこのところを間違えないようにしてください。口だけで改心しても、今回は役に立ちませんからそのつもりで掃除を進めてください。外側のものを分類したり、探したりしている時は掃除できていないことに気づいて、自分の内側に視点を戻してください。今までとはすべてアベコベです。
 外側のものに頼る宗教はもう通用しません。人を助けてやろうとしている教祖様たちや、カウンセラーや医者や宗教家の方々(実は、教師や親や、真実を知らないで、人を教育したり、裁いたりしている方々すべてにいえることです。そして、自分自身を裁いて落ち込んだり、悩んだりしている方々も同じことをしているのです)は、自分のしていることが、自分自身だけでなく、人をも一緒に滅ぼすことになるということに気づいてください。
 「何でそんなことが分かるんだ」「おれのしていることに口出しするのか」「人を助けることが何故悪いんだ」「あんたこそ危ないんじゃないのか」云々と言う方は、ここに書いてあることをもう一度よく読み直してみてください。自分の外側を見ていること自体が、自分の内側の○×に基づいて、すでに「裁いている」ということに気づいてください。私やこの本を裁くことは一向に構いませんが、「裁くココロ」を捨てないと、皆さん自身を含めて、皆アウトなのです。

 皆さんが、外側にあるものにイチイチ反応している時は、皆さんの内側の掃除は終わっていません。外側に何かを探していたり、楽になる方法を探していたり、外にあるものを善悪損得で見ていたりするときは、内側の掃除は終わっていません。そういう時の皆さんは自分の肉体を助けるものを探しているのです。人に口出ししたくなったり、人を助けたくなったり、人を可哀相だと思ったりするときも同じです。これが皆さんのお掃除をする時のチェックポイントです。
 自分が助かる方法を外に探している「保身」をもっている限り、逆に、最後の最後には助かりません。皆さんを助けるのは自分だけなのです。助かりたいなら、今までの人生で学んできた価値基準、手に入れたものをすべてを捨てる覚悟をすることです。このことをしっかりと今ここで確認しておくことが非常に大切です。

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22 助ける助けてあげるの宗教教団は、みんなそろって助からない集団である
 今ここで、自分自身の「内側の大掃除」をすることだけが天国への切符であり、自分が助かる唯一の方法であることをシッカリと覚えておいてください。
自分が人を助けられると思っている人は「大掃除」が必要です。本来、宗教団体というものは、まったくアベコベの結果をもたらす幻想に過ぎません。かえって混乱を創りだしている現状がその証明でもあります。助かるというのは最後の最後のことであり、病気や怪我が治ったり、お金が儲かったり、結婚できたり、といった今ここだけの利益を追いかけていると大きな落とし穴に嵌まって二度と出てこられなくなりますので、ココロしてここに書いてあることを読んでください。
 自分を助けられるのは自分だけです。最後の最後は「自分ひとり」になりますから、外にたよることはできません。助けてあげる、何かが助けてくれる、と思っているならば、皆さんは助かりません。そういうことを人に言っている宗教も、皆さんを助けてくれません。その宗教の教祖様も信者も助かりません。これを読んで怒っている方々も、助かりません。自分が自分で自分の首を締めることになります。
 「自分が天国になりたい」と思えば、「内側の大掃除」が必要になりますから、外側のものへの口出し、判断はできません。人を救うなどと言うことはできないことが分かりますから、勧誘や人集めはできなくなります。それをやっていると自分が「危ない」ことも分かりますから、宗教団体は自然になくなります。だからといって、グループや集団がよくないのかと早合点しないでください。一人ひとりがこのことを知って、結果として、お互いを高め合う、学び合う関係で、集まるのは別に構わないのです。
 本当の天国へ行く方法を実行すれば、「自分勝手をやって迷惑をかけない」ことになります。自分勝手をやって、したいことをして、最後は皆のためになるということです。
 皆さんの外側には何もありません。皆さんを助けてくれるものもありません。皆さんのすることは、皆さん自身の大掃除です。皆さんのココロは皆さんにしか見えません。皆さんが皆さんの目の前のものを使って皆さん自身の大掃除をするのです。これから皆さんがやることはこれしかありません。
 外側に何が起きようとも「自分教」に従っていくことです。自分の中は自分で掃除するしかないのです。皆さんの外側に楽にしてくれるものがあるときは要注意です。皆さんは掃除が終わらない限り、天国はないのです。今ここで笑える人は一人もいないのです。そこのところを勘違いしないようにしてください。皆さんの外側のものに頼っても、皆さんは救われません。今までの学問や教えや常識に惑わされないようにしてください。早く「自立」(自分がきめて自分が動く態度を身につける)することです。
 「これを信じるしかあなたが救われる道はない」と、自らだけが正しいと主張する宗教や、外の宗教を排除する宗教や、外側のものを分類している宗教や、戦っている宗教を信じれば、皆さん自身もそうなりますから「戦い」や「裁き」や「判断」をもったままです。掃除のない魂はトラブルを創りだすだけで、次の世ではジャマですから、そういう皆さんは、最後の最後にまとめてお掃除されてしまいます。
 神様は、掃除をさぼって楽をしようとする魂がいることを知っていて、大掃除をするための舞台作りとして、「楽しようとする、責任を取らない魂」を引っかけるための仕組みを用意しています。次の世は神の世です。皆さんは神に成る修行をしているのです。皆さんというのは、自分で自分のしたことを自覚して責任をとれるようにならないと次の世には行けないのです。「責任をとらないで楽しようとする魂」は次の世界では必要ないのです。皆さんが、自分の内側の掃除が済んでいないのに、すぐに楽になろうとしている時は気をつけることです。「楽なものを外に探す」「早く終わらそう」とするのは掃除が終わっていない証拠に他なりません。

 皆さんが外側に求めているから、騙されるのです。皆さんの外側には何もないことを肝に銘じて、この先の内側の掃除を進めていくことです。皆さんの掃除が済めば、皆さんの肉体がどうなろうと、皆さんは新しい時代の新しい肉体をもって生き返ることができるのです。皆さんが今欲しいと思っているすべてを手に入れることができます。その前に、最初で最後の「大仕事」、本当の「苦労」をすることが必要なのです。本物は楽しては手に入りません。

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23 新しい世界は、永遠に続く、悪も闇も存在できない、自分の責任をとる神の世である
 次の世界は、永遠に続く、悪も闇も存在できない神の世です。永遠に続く天国です。今回の大掃除では、魂の掃除が終わった者も、すべて一旦は、今世の肉体を解かれます。そして、今回は「何も裁いていない」「すべてを許している」神様と同じココロになって、それをそのまま行動できるようになった魂だけが、次の時代、永遠の天国に生き返るのです。これが、身魂改め、閻魔大王の裁き(実は、一つになったかならないかを見るだけで、○×をするわけではありません。「閻魔様も裁いている」なんて言っている方は、あなた自身が裁いていることに気づいていません。天国に行くためには、非常に大変な大掃除が必要です)と言われていることの真実です。これは、最後の最後の最後のすべての大掃除が終わった後に起きることですから、今このことを心配している方は、早急に自分の大掃除を始めたほうがよさそうです。閻魔様がいるかいないか、善か悪かの議論をしている場合ではありません。
 皆さんの中に○×の戦いがあると、最後の最後は、肉体を消し合うことで、自分の目の前から自分に反抗するものを消して、自分を残すという愚かなゲームに発展することになります。自分に反抗するものが目の前から一時的に消えたとしても、内側の○×は残っていますから、残念ながら、何回でもそれは現れてくることになります。本当のところ、「邪魔者は消せ」ゲームは、最後の最後に皆さん自身を自分自身で消すことになる「オレを消せ」ゲームであることを知っておいてください。自分のしていることは自分の一人芝居であり、すべてその結果は自分自身に返ってくるのです。
 この先の皆さんは、「すべては自分に戻ってくる」ということをハッキリと、イヤというほど身を以って体験することになるでしょう。内側の戦いを持っている魂は、神の世には必要ないのです。そういう魂は、肉体もろとも最後の最後の大掃除で大掃除することになっています。最後の最後の大掃除でお互いの共食い(潰し合い)が始まり、最後は自分で自分自身の頭を潰すことになります。今まで続いた競争、勝ち負けのゲームはもう終わりです。「○×の知識」、「二つに分ける知恵」(「ヘビの知」)、「保身」はもう通用しないばかりか、どんどん自分の首を締めることになるだけなのです。外側にあるヘビのゲームは神様が担当しますから、皆さんはそれらに戦いを挑んでいるその皆さんの内側の掃除をしてください。
 「あの集団は悪だから皆のためにならないから潰さなければならない」などと言っていると自分自身が潰れることになります。皆さんも、その集団も悪でも善でもありません。皆さんが正しいわけでもありません。戦うこと自体が神のココロから外れているのです。どっちもどっちです。その集団が何を目的にしていても関係はありません。「悪だから」と思っている(決めている)のは自分だけであり、勝手に戦っているのも自分だけなのです。外側にどんな大きなヘビがいても、掃除ができている人にとっては関係ありません。まずは、人のことを心配する前に、人に口出しする前に、自分のお世話(自分のお掃除)をしっかりとすることです。皆さんが言っていることは自分自身のことなのです。
 ヘビは頭を潰さないと死にません。今ここで、自分の「あやま知」のアタマを潰して、ハラで生き始めることです。皆さんが天国へ上がるには、龍の智慧が必要なのです。ヘビはそのままでは龍になれません。自分の大掃除をして、最後の一皮をむくことで、龍になるのです。

 ここに上げたような人は、私のこの本や私とも戦うことになりますので覚悟しておいてください。もし戦いたいならば、それでも構いませんが、この本と戦うということは「元の神」と戦うことを意味しますのでココロしてかかって来てください。「勝ち」はありません。例え、皆さんが戦っていたとしても、こちらは遊んでいますので、その辺りはご了承ください。皆さんが戦っているのは、皆さん自身なのです。

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24 自分自身が神のココロになる掃除をすることが次の世で生き返る唯一の方法である
 ここまで読んでくれば、もう、殺人ゲームや足の引っ張り合いゲームや自分だけ勝手ゲームやお助け合いゲームはできなくなるはずですが、いかがなものでしょうか? まだ、アレコレ言っている方は、神様のココロというものを、「伝えフミ」から直接、神様の話を聞いて、改めて考えてみてください。いずれにしても、今ここが、皆さんという魂の大きな分岐点だということを肝に銘じて、大掃除を進めてください。
 皆さんが今まで信じていたものが、神のココロとまったくアベコベのものであるとしたら、そのままでは、皆さんという存在は、今世で終わりです。ここには「終わりにならないようにするため」の方法、「天国の方法」が満載されています。次の世界を構える大神様が直接、語ってくれています。今まで学んだものを一旦白紙にして、素直に始めから学び直すことだけが、次の世界への切符になります。
 「天国への切符」を手にすることを決めたと神様が判断すれば、皆さんの大掃除はどんどん進み、どんどん楽になっていくでしょう。結果として「楽になるの」であって、「楽にする」のではありません。楽にしようとすると苦しくなりますから、念のために申し添えておきます。
 皆さんの魂は、神様の語っていることをすべて知っています。皆さんのココロの掃除をすることが今回の目的です。ココロの掃除が済めば、もともと晴れている空の雲が取れて、快晴の空(神の世界)を見ることができるようになります(天気というのは神様の仕組みを教えてくれている型示しの一つです)。
 見ようとするのは掃除していない証拠です。見えていないのはまだ掃除のない証拠であることを知っておいてください。できたときがするときです。見えたときが見るときです。楽になったときが成るときです。しようとするのはやめて、葛藤が見えたら掃除をするという繰り返しをコツコツとやってください。苦しいのは、皆さんが今まで掃除をさぼっていたツケですから、文句を言えば、掃除は済みません(自分のしたことに文句を言っても何も解決しませんので悪しからず)。
 神の苦労は必ず結果がでます。人の苦労は騙されます。皆さんは何も知らないのですから、神様の言うとおりに、素直に勉強しなおすことです。それが「天国への方法」の要点でもあります。
いろいろと書いてきましたが、皆さんの人生というのは、自分自身が認めている、信じている、選んでいる「宗教」「哲学」に基づいて行動した結果を体験しているだけなのです。そして、ここで最も大切なことは、「人の考え方」を批判している基準自体が、自分自身だけの「宗教」であるということを覚えておくことです。

 第二章の「前置き」をはさんで、第三章からいよいよ「伝えフミ」が始まります。この章は、「伝えフミ」を読むための予備知識のようなものだったわけです。皆さんがここまでに学んだことを基にして、素直に読み進めてみてください。それが皆さんにとっての最初の「お掃除」なのです。
 この章の最後に、これから提案される「新しい宗教(実は、オオモトの宗教)」を選ぶか選ばないかで、皆さんの今後が、まったく相反する人生(新しい世界に生き返るか、そのまま滅びるか)になるということをここでお伝えして、この章の私の話は終わりにしたいと思います。


2 神様からの手紙を読む前に 
  
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 さて、イヨイヨ(1414)ここから、「神様からの手紙」を通して、皆さんの「宗教」を取り替えて(十里/トリ/神の理屈を替えて)いく、皆さんの内側の大掃除を始めます。このフミを通して、皆さんの大掃除の材料、新しい基準を神様がすべて提供してくれます。今まで明かされなかった、今まで教えられなかった、今まで善くないと教えられて選ばなかった、実は、皆さんが今までさがしていた、求めていた、創ろうとしていた、天国(平和、幸福、平等)を創るための、もう一つの(実は、唯一の)見方、視点、やり方、方法、常識、宗教、哲学です。
 いうなれば、今ここで、皆さんに、今までの宗教とこの宗教と、相反する二つの教材が目の前に提示されたわけです。ということは、この先、皆さんは、「そんなものは知らない」「知らなかった」とは言えなくなります。もう、皆さん自身の体験を人の責任にはできなくなります。何せ、こうやって形になってしまったのですから。
 今までのやり方と、神様のやり方と、どちらを選ぶかは皆さんの自由です。神様は両方とも許しています。だからこそ、今までのゲームで混乱を創りだすことも許していたのです。本来、神の世界は、調和、喜びの世界なのです。そして、ここで提供されている方法は、その「神の世界」を創りだすための方法であり、実は、今までも、神様は、手を替え品を替え、その方法があることを皆さんに教えてくれていたのです。
 でも、今まで有史いらいずっと、三千年の間、皆さんが、それに気づかないで、アベコベのやり方をずっと続け、そうとも知らずに、親から子へ、教師から生徒へ、大人から子供へと、代々伝え続けていたというわけです。
今、皆さんの目の前にあるものは、ほとんどすべてが、まったくアベコベのやり方で創りだした、本来の神様の意向とは全くアベコベの作品なのです。そのやり方を続けるかぎり、どんどんアベコベの方向(混乱、地獄)へ加速して、アベコベの形をどんどん創りだし、訳が分からなくなっていくだけなのです。皆さんが「進歩」に見えているものは、すべて幻想であって、実際は、すべて「破壊」に向かっているということです。
 皆さんの回りのものがすべてなくなったら、皆さんはどうしますか? 皆さんは、最後の最後、自分の肉体を横たえることができますか? 皆さんが今、生きるのに必要だと思っているものはすべて無くなります。栄養の知識も、医学の知識も、健康法も、何も役に立たなくなります。最後の最後には、助かろうとすれば助からない状況になります。
 これは、すべて、これから実際に起きていくことです。なぜなら、皆さんは、皆さんの回りのものをすべて取り上げないと、自分がしていること(アベコベの宗教を信じていること)に気づかないところまできているからです。
 神様は、今まで、皆さんたち人間が、神のルールに反して、どんなに不調和、不都合、混乱を創りだそうとも、それを形にすることを許して、皆さんが気づくまで待ってくれていたのです。そして、すべてを本来の形に戻すための神様のプログラムの最終段階に入ったので、すべての情報を皆さんに分かるように提供してくれているということです。
 実は、神様は、今この時期に天国を創ることを、最初から決めていたのです。皆さんが始めの始めのまま、そのまま素直にいけば嬉し楽しの幕のあがりだったのです。ところが、皆さんが逆の方向へ走ったので、大掃除をする必要がでてきたというわけです。
 これから起きることは、すべて、誰のせいでもない、皆さん自身が創りだしたことなのです。神様のせいでも、先生や親や社会のせいでもありません。皆さん一人ひとりが教わったことを鵜呑みにしてきたせいです。神様は真実も教えていたのですから。起きることは否定的に見えますが、本来は、皆さんが神様に素直にやっていればやらなくてもよい大掃除だったということを知っておいてください。
 皆さんが、不満を言ったり、何かを責めたりするその態度そのものが、そういうことを言う結果になるような体験を創りだしてきたのです。すべて自分のせいです。そのところを自覚をもって、これからのお掃除に望んでください。
 本来ならば、三千年もの間、ずっと自分勝手なことをして、気づかせようとしていた親の言うことを聞かないような反抗的な子供はほっといてもいいのですが(皆さんは同じことを子供にやっているのでは?)、最後の最後の最後の親心で、一人でも多くの子供が天国に行けるようにと最後の大サービスをしてくれているのです。
 今回、今ここで、最後の最後、最初で最後の大掃除の前に、最後の手段として、今まで、いろいろなものを使って気づかせようとしても分からない、「身欲」「保身」「現世利益」「自分だけ勝手(我善し)」にとらわれた、自分だけ勝手な人間たちが、目で見て、そして、アタマでも分かるように、このように、人間の体験を通した言葉を使ってハッキリと、「目を覚ますための」材料を提供してくれたわけです。そして、なんと、おまけに今回は、出血大サービスとして、形で見ても分かるようにと、私というサンプルまで用意してくれているのです。
 私は渡しであり、皆さんへ「神様の真意を渡す」役なのです。これも、最後の大掃除へ向けてのプログラムであり、肩を叩いて気づかせるプロセスから、すべてハッキリと見せて教えて、今までの方法と、本来の方法とを比較させて、自分のことを自分で決めさせる、神成る修行の最終ステージのプロセスへと転換させる時期になったというわけです。
 このあたりのことについては神様が詳しく語ってくれていますので、そちらをじっくりとご覧ください。皆さんが本当のことを知ったとき、自分たちが何をしてきたのかに気づいたとき、愕然とすることになるでしょう。
 皆さんが、この教材をどう使うかは自由です。使わなければホコリ、ゴミが溜まったままで神の部屋(天国)は見えません。永遠に体験できません。そのまま崩壊、滅びへの道をたどります。ここで改心(改神)して、素直に使えば天国が待っています。皆が天国になる、本当の平和、幸福が形になるすばらしい世界です。
 ここで、皆さんがどういう選択をするかで、今後がすべて決まるのです。ここで改めて確認しておきますが、これは、初めて明かされるものですから、本当かどうかの議論をしても始まりません。その議論をすること自体が、今までのやり方ですから、その結果が何をもたらすか、よく考えてみてください。そのトリックに気づいて、それをやめることこそが皆さんの大掃除なのです。
 これは、理想でも空想でもない、本当の話です。すべて本当に起きる話です。私はすべて体験して、すべて実験して、すべて取材して、すべて確認してあります。少なくとも、私という人間には使えたやり方であるというわけです。
 私は、今までのアベコベのやり方の中で「いい子」を演じていた人間ですから、何も、特別な人間ではありません。そして、皆さんはすべて神様が産んだ身魂であり、神の子なのです。神のやり方は、皆さんの人生を創りだすメカニズムそのものなのです。ここに提供しているものは、すべての人間に使えるやり方であるということです。
P78
 まずは、皆さん一人ひとりの内側から始めることが必要です。皆さんの内側が天国でなければ、始めからやり直しても、地獄ができてしまいます。やり方が同じならば同じ結果になってしまいます。神様は、今回は、天国になった魂しか残さないと言っています。この次の世界は、天国を創るのですから当然のことです。
今までの「地獄」は、皆さんの今までの「宗教」が創りだした結果です。皆さんの「宗教」を、綺麗サッパリ交換することを神様が要求しているのは当然のことです。「宗教」が天国でなければ再び同じことが繰り返されます。形は、想念の結果ですから。
 皆さんが見ている形というのは、皆さんの想念を神様が聞いて、形にするのを手伝ってくれて、形として現れているものです。今までは「混乱」「地獄」「自分勝手」な形も許して創りだして、それを通じて、気づくのを待ってくれていたのです。
 その神様が、今ここで「天国の想念以外は許さない」と言ったら、皆さんは、今までのやり方は通用しなくなります。すべては神様の中にありますから。
 これからは、神様は「神のルールに反するもの(混乱を創るもの)は一切認めない」というルールに切替えたそうです。これに反するものは、よりいっそう厳しいお知らせをもって気づかせることになります。ここにこうやって言葉でお知らせしているのは、その警告の一つでもあります。
 皆さんが「ルール違反は認めない」と人に言って、反した人を罰しているのと同じです。皆さんは、法律に違反すればどうなるか分かりますね。ただ、神は裁くのではありません。皆さんがルール通りにやらない時は、自分のしたことが自分に返ってくるように仕組みを創っただけです。ルール通りにやっていれば喜び、やすらぎだけなのです。ですから、「苦しみ」という形でルール違反をお知らせしているというわけです。「苦しみ」をつかうのは、相反するものを見せないと気づかないからです。「苦しみ」は自分のしたことの結果です。それを神や人のせいにしたらどうなるかわかりますね。皆さんはそれを平気で続けていて、どんどん苦しい状況を創りだしてきたということです。
 神のルールは例外なしで、厳格です。自分がしただけのことはすべてそのまま自分に返ってきます。お金も地位もコネも一切通用しません。すべての身魂に平等です。ルール違反に比例して、責任を取ることになります。表面上の形は全くの不公平に見えますが、これが本当の平等です。すべては自分のした結果でしかありません。
 責任転嫁は、自覚なき行動ですから、このメカニズムに基づいて、永遠に安らぎは来ません。現世利益の成功は一時のものです。今のままならば、人生浮き沈みがあるなどということになり、「全員が成功できる方法がある」などと言えば、「ありえない」ということになります。まずは、素直に、今までやっていたことを認めることです。
P80
 この先は、今までのゲームを続けようとすればするほど、「気づけ気づけ」の声が大きくなります。つまり、「苦しみ」や「混乱」が加速するのです。そして、反対に、天国の方法に切り換えたならば、「お陰」「プレゼント」もハッキリと分かるように現れるということです。ただし、プレゼントを貰おうとしてやるのは、今までのやり方ですから、プレゼントは来ません。皆さんが自分の持っているものを捨てるのが先です。
 「提供したものがそのまま返ってくる」のが神様のやり方です。損も得もありません。今までの見方で説明しようとすれば、「得しようとしたら損する(損したら得する)」ことになります。ただし、得しようとして手放すのは、得しようとしていることですから念のため。ただ素直に何の見返りも期待せず、手放すことだけです。
 すべては、皆さんの一人ひとりの意志次第です。実は、皆さんは、魂が産まれて以来、自分で自分のことを決めたことはありませんでした。皆さんは、「自由意志」というものをここで初めて本当に使うのです。本当に自分で自分のことを決めるという体験を初めてするのです。魂が生まれて初めて自分の責任で自分の人生を選ぶのです。
「何で分かるんだ」とか、「難しくて分からない」とか、「私のような者にはできるはずがない」とか言って抵抗するのは自由ですが、それをやっていたのが皆さんの今までの選択ですから、その結果はどうなるか、よく知っていると思います。
 皆さんはすべて神の子であり、皆さんのしたことを裁くのは神を裁いているのと同じなのです。一人ひとりに応じたお掃除のプロセスは必要ですが、すべての人間が天国に行けるようになっていますので、まずは、自分のしたことや自分の性格を固定する(価値判断する/裁く)のをやめて行動することから始めてください。
 とにかく、まずは、ツベコベ言わずに、この「フミ」をよく読んでみるというところから始めることが必要です。私にアレコレ抵抗するのは構いませんが、ツベコベいっていると自分が危ないのですから、自分のために素直になることです。
 この文章を読んで、いちいち「カチン」ときているようでは、皆さんの今後はないものと思ってくださって結構です。非常に厳しいですが、これは、神様の言葉でもあります。
 本当のところは、今まで、神なる身魂である自分がしていたこと(神のルール違反をして、不調和、混乱を創りだし、お互いに、迷惑をかけあっていたこと/自分の使命を忘れて勝手なことをしていたこと)を素直に反省して、今までのルール違反をお詫びして、今ここで、改心(改神)を行動することだけが、これから先の皆さんの選択なのです。
 でも、それをどうするかは皆さんの自由です。神様はどちらも許しています。皆さん自身が決めることです。皆さん一人ひとりの問題です。永遠の天国へいくか、地獄へいくか、は一人ひとりの自覚しだいなのです。
 今までのように、一緒にいこう、連れていこうといっても今回はそうはうかないことを覚えておいてください。 「子供はどうするんだ」という方は、そのセリフそのものが自覚なき発言であることに気づいてください。
子供は、魂では子供ではありません。肉体の見た目に振り回されないことです。大人のように知識がない分だけ、素直に聞けますから。
 今回は、肉体の生死ではなくて、魂の(永遠の)存亡がかかっているということ、そして、すべてを魂の視点で見る必要があることをしっかりと頭に入れておいてください。
 「天国」へ行きたい皆さんは、もう、今までの損得ゲームや裁判ゲームをやっている場合ではないのです。それは「地獄」に行きたい人間が選ぶ「神様が用意した大掃除の道具」なのですから。
 ここで語ってくれている神様というのは皆さんすべての魂を産んだ、皆さんの親です。皆さんの回りのすべてのものを創りだすオオモトの原料を与えてくれた親です。これは、すべてを知っている親からの子供への手紙でもあります。
 「ハイアーセルフ」「本当の自分」云々というのは、実は、すべて神様からの声だったのです。皆さんのココロの声はすべて神様の声です。それを、自分と神様に分けているから混乱していただけです。「ホンネを出すと混乱を創るから」という理由でその声を否定し、逆に、その通りに葛藤や混乱を創りだしていたというわけです。
 ホンネが神様なのです。皆がホンネを隠し合って、ホンネを探るゲームをして、やらなくてもよい争いを創りだしていたのです。
P83
 今ここで、皆さんの前に提示される「神様の手紙」によって、今まで、ワケあって隠されていた(本来、自分のことは自分でするもの、自分で気づいて変えていくものなのですが、あまりにも外を頼る癖を身につけてしまって、いよいよ最終段階まできてしまったので、ハッキリと言葉で語って見せて教えて決めさせるプロセスに入ったのです)真実が次々に明かされています。神様は、皆さんが最後の最後のこの舞台でどうなるかすべて知っています。皆さんの内なる宗教を見ればすべて分かるのですから。それに合わせて、プログラムを創っていたというわけです。神様がすることは、皆さんが考えてわかるようなものではないのです。
 今ここで、すべての真実が明かされます。今まで何世代にもわたって伝え続けてきた「葛藤を創りだしていたオオモトの原理(逆に言えば、その葛藤をやめるための唯一のやり方)」が示されます。初めて「真理(神理/神のルール/神のプログラム/創造のメカニズム)」が明かされます。
 皆さんにとっては、初めてのことですから、それを疑うというのは何をしているのか、ここで、よく考えてみてください。それでもまだ同じことをしているのならば、神様はもう容赦はしないということですからそのつもりで、ココロして読んでください。そして、分かったところからどんどん実行してください。
P84
 神様は、この手紙を、大掃除のプロセスを経て、神の法則通りにすべてを体験した「長谷章宏」という肉体を通して、すべてのすべての秘密を、皆さんの、人間という肉体を通して分かるように、言葉にして教えてくれています。
 最後の最後の、神様からきた警告の手紙です。最後まで静粛に素直に聞いて、素直に実行してください。絶対に損はありません。とにかく、最後まで、読み通して、ここでしっかりと本当の本当の真実を学んでください。

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 私からの皆さんへのお手紙はここまでにして、まずは、神様(実際は、皆さんが今まで神といっていた中つ神をも含むすべてのすべてを産み生んだ、元つ神様、大神様ですが、ここでは簡単に「神様」と書いています)からの「最後のフミ」を直接伝え始める前に、これから先の皆さんが知っておいた方がよい(知っておくべき)非常に非常に非常に大切なことを改めて書いておきたいと思います。
 これから書くことは、これから始まる人類史上初めての大きな出来事に関連して、今まで皆さんがやっていた幻想(トリック、錯覚、思い込み)ゲームのメカニズムや、これから起きること、そして、それに関して皆さんが心得ておく必要があること、そして、神のルール等々について、これから先の「フミ」の文体に慣れ、フミの内容を理解し易くする意味も含めて、本文(フミ)に入る前に、神様がその要点だけを簡潔に、まとめて語ってくれたものです。
 これも神様からの「フミ」の一部であり、私のノートには、最後の最後に出てきた言葉ですが、最初に書いておいたほうがよいそうですので、「神様からのフミ」として、この部分から始めることにします(次章の冒頭部分)。
P85
 ここに書いてあることは(これから先の文章ももちろんそうですが)、私という人間の肉体を通して(私の想念に感応した大神様の想念を日本語という言葉に翻訳して)神様が語った、「人間として生まれた、すべての神成る身魂」に対するフミ(皆さんへの最後の最後の神様からのお手紙)です。
 皆さんが今まで学んだ知識を根底から覆す、アタマのこだわりを壊す、今まで隠されていた(見えなかった)人生の真実です。これを否定すると、皆さんは永遠に天国は体験できないどころか、皆さんという身魂(皆さんが肉体を通して自分だと認識している自分という感覚)自体が無くなってしまいますので、そのことをよく覚えておくことです。
 ここには、皆さんが今まで学んできたこととは全くアベコベのことや、聞いたことがないことばかりが書いてありますから、途中でいちいち価値判断や真偽の議論や批判をしていると先に進まなくなります。皆さんへの一つの情報として皆さんの体験と照らし合わせて考える材料にしてください。そして、受け入れられたところから、分かったところから実際にどんどん行動してください。
 皆さんが実際に行動してみないと真実かどうかは絶対に分からないのです。誰かに聞いても絶対に分かりません。もう、迷っている時間はありません。(このフミが出てきたことがその証拠です)。最後の最後の最後のチャンスです。今ここが、皆さんという身魂の人生最大の大勝負なのです。
 何度も言いますが、ここで大切なことは、神様とは何なのか、神様がいるかいないか、神様とはどういう存在か、ここにある情報が本物かどうか、著者はいったい何者なのか、といった議論はひとまず棚上げして(神様は「この議論をしている限り真実には気づかない」と言っています)、ここに書いてあるものを素直に受け入れることです。これは、私自身の単なる考え方ではありません(今までのように単なる考え方ですましていると後で大火傷を負うことになります。その時に後悔しても後の真釣り、取り返しがつかなくなります。神様の言葉でいえば、「これを外しては、末期の不覚となりぬぞ」となります)ので、そのつもりでハラを据えて読み進めてください。
今回は、回りがどうなるかは関係ありません。一人ひとりが天国へいくか地獄へいくかの選択なのです。一人ひとりが天国へいくと大きな目で見れば、たくさんの人が助かったように見えます。外側の天国の舞台は神様が創るのです。皆さんのすることは、一人ひとりが天国へいくかいかないか、一人ひとりのココロの中のゲームです。次の世の「光一つ上がった肉体」に入れるのは、ココロの掃除が終わった魂だけなのです。その肉体のあるところは、すでに天国なのです。皆さんが今回の大掃除をするかしないかで、一人ひとりが天国を見るか見ないかが決まるのです。
 皆さんが天国へ行きたいならば、外側の世界を変えようとするのはやめて、自分の掃除をすることです。皆さんは「地獄」を創る方法を身につけていることを自覚しておいてください。そのやり方ではますます地獄になってしまうだけです。ですから、ここで、今まで学んできた内側のルールの大掃除をして、天国の方法を知っている神様の声を聞けるようにするのです。お掃除がすべて終わらない限り、天国には行けません。
P87
 これから語られることは、実際は、すべて「単なる一つの情報」ではすまされない、これからの皆さん(という魂)の「永遠の運命」を決める極めて重要なものです。今この瞬間(考えている間にどんどん過ぎていきます)は、皆さんが、この先どういうふうに生きていくかによって、肉体の生死どころではなく、皆さんという存在(身魂)そのものの存続が決まる大事な分岐点なのです。一歩踏み間違えれば、奈落の底に落ちる瀬戸際なのです。だからこそ、神様は、厳しく、しつこく、目を覚ませと警告しているのです。
 これは神様の最後の最後の情けでもあります。ここで言わなければ、そのままほっとけば、皆さんの魂は永遠にお掃除されてしまう状況なのです。「神成る身である魂が、神の法則を外したら自ら滅びる」のが神のルールなのです。調和を創りだすのに邪魔だからです。皆さんがこれに対して反論するならば、皆さんは自分勝手です。滅びる魂です。
 皆さんは神様あっての皆さんであり、神様は天国しか創らないのです。そして、神様は皆さんの魂あって天国が創れるのです。だからこそ、ルール違反をした魂を今ここまで滅びないように生かしてくれていたのです(それも今回が最後だそうです)。
 皆さんが反論していること自体、不調和を創りだしていること、神のルール違反であることに気づいてください。
P88
 皆さんは自分の魂を肉体で感じているだけであって、肉体そのものが皆さんではありません。ここで「自分」とか「皆さん」とか言っているのは、「魂の皆さん」であることを知っておいてください。そして、魂がなくなれば、皆さんの守っている肉体も地位も名誉も家も家系も世間体もお金も立場も、何もないということを知っておいてください。
 今ここにきて、「現世利益」にこだわっている皆さんには、次の世はありませんから、そのつもりで取り組むことです。

 今回は、神様の最後の最後の情けです。皆さんが「自分の責任をとるかとらないか」で大きく運命が変わるのです。神様が最後の最後のチャンスをくれたわけです。神様は言います。「本来ならば、これだけ言っても聞かない者は、ほっといて、最後の大掃除でまとめて掃除したほうが楽であるのぞ」と。
 神様は、今までずっと、何度も何度も無視されて、責任を負わされて、キチガイにさせられて、蹴飛ばされて、唾をはきかけられても、気づけ気づけと教えつづけていたのです。それでもなおかつ、最後の最後に「最後の警告」を出しているのは、一人でも多く天国へ来て欲しいという親ゴコロなのです。
 皆さんなら、「俺が何回も言っているのに聞かないなら、もう知らないぞ」なんて、文句の言いたい放題ですよね。こういうところからも、神様のココロ、神様の真意、神成る身魂の取るべき態度を学んでください。
 こういう愛に満ちた優しい神様も、もう、トキがありませんから、厳しくきつく警告しているのです。そして、ここで聞かないならば神様は「もう容赦はせんぞ」と言っていますから、そこのところを肝に銘じて、最初で最後のドラマを悔いの無いように楽しんでください。
 神様は、「ここまで言ってわからない者は、お好きなようになさるがよいぞ。素直にやろうとしている者(マコトをたてた者)の邪魔にならないように、そのまま大掃除まで控えておれ。言って分からなければ、身をもって知らせるしかないであろうが。そなたがどうなろうと、それはすべてそなたがしたことであるぞ。自分の責任を自分でとるのが神なる身魂のそなたらのルールであるぞ。いつまでも、屁理屈をこねて自分勝手にしているでないぞ。歓喜(かんき)弥栄(いやさか)、天国を創る神の世界に反抗するそなたこそ、キチガイであるぞ。そなたは地獄を好んでいるのぞ。自覚なきといってもいい加 減にせいよ」と言っておられます。このセリフ、どこかで聞いたことがあるのではないでしょうか?  そうです、皆さんが人に対して言っている「自分のしたことは自分で責任をとれ」ということです。
P90
 実は、皆さんが人に対して言っている言葉というのは、神様が皆さんに言っていることなのです。つまり、皆さんが口に出すことは、自分自身のことなのです。皆さんの外側に見えるものは皆さんの内側にあるものなのです。このことをよく覚えておいてください。「あいつは悪くて私は正しい」というのは「私の中に両方ある」と言っているのと同じですから、こういう人に付いていったらどうなるかよく考えてみてくださいね。これが、皆さんの外側の宗教を見分けるためのポイントなのです。
 皆さんにとって、今この瞬間が、最後の最後の最後のチャンス、最初で最後の大勝負(どうすれば勝つかは決まっています。そして、今回は全員が勝てるのです)です。いろいろと言いたいこともあるでしょうが、自分自身のために、ここのところはちょっとこらえて、辛抱して、価値判断や批判は後の後にして、とりあえず、この本の一番最後の最後まで、一通り読み切ってください。
 その上で、どうしても今までのゲームをやりたい方は、どうぞ今までのゲームに戻ってお好きなだけ遊んでください。神様はそれも許していますから。その代わり、最後の最後、その時になってやり直そうとしても間に合いませんからそのつもりで。
 ここまで喋っているのですから、後はすべて皆さんの責任です。魂が生まれてから今までのすべての自分の人生の責任をすべて自分でとるという修行です。ココロして取り組んでください。

 それでは、前置きはこのくらいにして、神様からの「フミ」を始めますが、最後に、これから語られることは、今までの私自身の自動書記ノートにも小出しにして出てきていたものであり、私自身が何度も何度も疑いながらも、繰り返し繰り返し実際に行動して、実験して、私自身が、体験を通して、真実だとハッキリと確信した後、最後の最後に、今ここで改めて、まとめて神様から出てきたものであることを付け加えておきます。




3 神様からの手紙 その一

P94
それでは、いよいよ神様からの『フミ』に移りたいと思います。素直な気持ちで最後まですべて読み通してください。途中でやめれば、真実を知ることはできませんから。


           *********

 これから語ることは、そなたら(=あなたたち)人間として生まれている者一人残らず全員に伝えておくべき大切な大切なことでござるぞ。そなたらのこれからの永遠のイノチに係わる、そなたの魂(肉体ではないぞ)の生死を決める重大事でござるよ。今までのように、このフミの表面だけを見て「自分とは係わりない神事である」などと、早合点していい加減に扱っていると、それこそ取り返しがつかなくなるから、そのつもりで読むことぞ。そなたが知らないこともたくさん聞かすから、あやま知で曇った寝ぼけ眼(まなこ)を見開いて、この方(このほう=このフミを語っている神)の言うことを一つ残らず、素直に、真剣に聞くのであるぞ。今度の今度こそ、マコトのマコトの真実でござるよ。そなた自身のためになる、マコトの神のマコトの生き方でござるぞ。

 そなたらは何千年にもわたって、真実を覆い隠す「あやま知」に囚われて、「地の日月の神成る身」である、自らの本当の姿と元つ神のこの方とをキレイサッパリ忘れ去っているのでござるぞ。そなたらは「ミロクの世で神に成る」為に今今のこの世で修業をするべき身魂でござるのぞ。今今のそなたらというのは、何世にもわたって、ゆりかごから墓場まで「あやま知」に囚われた人間の創りだした「あやまちの世」にどっぷりと漬かって生きてきた成りの果ての姿でござるのぞ。「あやま知」を当然の常識であると錯覚して、アベコベやって自分にも人にも迷惑をかけ続け、何が真実か、何がマコトか、見分けがつかないほどに曇りに曇っているのでござるぞ。マコトを語るこのフミすら本当かどうかと疑い始めるのがその証し、そなたらの癖でござるよ。自覚している者は僅かでござるぞ。
P95
 今度ばかりは今までとは違うのぞ。非常に大事なことであるから、もう後がないから、聞く聞かないは別にして、どうあっても人間に成っているすべての身魂に伝えねば成らぬことでござる。この方の言うことを聞かず、アタマで着て、アタマで食べて、アタマで住んで平然としている、曇りに曇った今今のそなたらでも分かるように、嫌でもやらざるを得なくなるように、今この時代を生きて、今この時代の中でこの方の言う通りに修行を終えたこの者を通して、あやま知の世界の人間の為に改めて語るフミであるぞ。「神の真理(神理)」「神の仕組み」「神の計画」「人生のカラクリ」のすべてのすべてを伝えるから耳の穴をよくほじくって、ココロして聞くのぞ。今までの宗教や哲学と同じだと思ったら大間違いであるから、くれぐれも取り違いなさらぬよう、最初に注意しておくぞ。
P96
 神の真理は人の真理でもござるのぞ。神あって人あるのぞ。すべては元つ大神様の意志から始まっているのでござるよ。たくさんの神々を経由して、そなたのココロを通して人間であるそなたらに伝わっているのでござる。人の世界の出来事はすべてのすべて神の世界の映しでござるぞ。このフミで語っていることは、宇宙の創世、世界の始源、そなたらの身魂の誕生の時からすべて決まっていたことでござるのぞ。すべて始めから計画していたことでござる。そなたら人間が何と言おうと、動かせない仕組みでござるよ。そなたら人間から見れば何世代にもわたる長い長い時間の出来事に見えるが、この方から見れば、そなたらが一日の計画を創って実行しているようなものでござる。

 そなたらは、我善しで、自分だけが正しいと、ご都合宜しくアレコレと理屈をこねて我を張っていなさるが、本来は、すべてのすべてを産み生んだ元つ大神様の意志が人間のとるべき意志でござるのぞ。至誠至愛至善の元つ大神様が、自らのお子であるすべての人間が喜びに生きられるように、嬉し楽しのミロクの世界を体験できるように、すべてのすべてを産み生んだのが始めでござるよ。神の計画、神の仕組みは寸分違わず人間の世界に現れるのぞ。ミロクに至る今までも、大神様の意志通りに生きていれば、嬉し楽しで暮らせたのでござるぞ。そなたらが嬉し苦しなのは、そなたらが大神様の意志に反して、身欲、保身に走って好き勝手なことをしてきた結果ぞ。自業自得でござるよ。神や人を恨むのは筋違いもいいところでござるのぞ。人の責任などというものは始めからなかったのぞ。
P97
 自らの責任を置き忘れている、神なる身魂である自覚なき者ばかりであるから、今の乱れた世になったのぞ。そなたらがいくら善くしようとしても一向に善くならないのは、やり方が違うからであるぞ。善くしようとして問題ばかりを創りだしているのにまだ気づかんのか。今の今まで、そなたら人間が解結したものなど何もないのであるぞ。すべてのすべてはそなたら一人ひとりのこの方を忘れた生き方の結果でござるよ。今のそなたらのやり方、そのままの態度、そのままの姿では、ミロクの民になるなどおこがましいことでござるぞ。今度の今度は、最初で最後、一人残らずミロクへ誘うオーラスの大掃除の始まりであるぞ。人間として生まれた者は、誰一人として避けられないぞ。まずはこのフミを読むことが、ミロクの民への改心の、神成る修行の始まりじゃ。

 今までの人間の歴史というのは、この方の計画も仕組みも何も知らずに、たとえココロで気づいても我善しでかき消して、できもしない平和や平等や自由を創ろうとして、「身欲」と「保身」で「我善し勝手」に、この方の仕組みの中で勝手にもがいていただけの「あやま知の歴史」でござるのぞ。わざわざ自分から苦しむゲームを選んで、皆で一緒に真剣に苦しめ合って遊んでいただけのことでござるよ。この方から見れば滑稽に見えていたのを知っているか。この方が創ったものすべて、神々も人間も、どうあがいてもこの方の中からは出られないのであるぞ。出ようとしてもぐるぐる回って始めからでござる。堂々巡りになるのは当然の結果であるぞ。この方の言うことをウソだと言う者は、思う存分、納得するまで今まで通りやってみてござれ。但し、そうしている間にも、全体の大掃除は進むのぞ。どんどん後がなくなることをお忘れ無きよう、改めてお知らせしておくぞ。
P98
 この方の言うことに従うか反するかで、そなたらの体験すること、創るものが決まるのであるぞ。始めからこの方の言う通りにすれば何の問題もなくミロクへ行けたのでござるぞ。大掃除が必要になったのは、そなたらが「身欲」「保身」に囚われたのが原因であるぞ。神の掟を外したら自ら滅ぶのが神成る身魂の掟であるぞ。そなた自ら囚われを解くことはできないのであるぞ、今の今まで、真実に気づかなかったのがその証であるぞ。ほおっておいたら魂が滅びるから、そなたら人間に成った身魂を最後の最後のこの時まで導くために、調和を乱す者には苦を与えて気づかせ、調和を創る者にはお陰を与えて気づかせる、「情けと花の仕組み」にすべてを託し、すべての者が「至然」に「ミロク」へ行けるように仕組んでいたのであるぞ。

 そうとは知らぬ、気づかぬ、神成る身魂の自覚なきそなたらは、この方が与える情けの苦を神のせいにしてますますミロクから遠ざかるだけであったのぞ。本来なればそのような自分勝手な身魂にはミロクはなかったのであるぞ。この方の親ゴコロでそなたらを何とかミロクまで生かそうと、そなたらの想像も及ばない苦労をして「情けと花の仕組み」を構えたのであるぞ。そなたが自らの責任を自覚していれば、苦をお陰に変えることができたはずでござるぞ。メグリなければ苦はない仕組みであるよ。苦がないのが当たり前でござるのぞ。苦があるのが当たり前などと平気で喋っている者は大掃除が必要であるぞ。悪神生んで悪心映し、悪を使って悪を祓う、最後の最後の舞台では、善も悪も改心させる、嬉し楽しに導く神芝居。それがこの方の構えた「ミロクを創る仕組み」にござるのぞ。
P99
 この方は今までも、そなたらのココロや体験を通して、数々のフミを通して知らせていたのであるぞ。保身と身欲を持った人間では我善し勝手に我(われ)の都合で解釈するから気づかぬ者がほとんどで、すぐに真偽の議論を始め、挙句の果ては「弾圧」「抑圧」する始末でござるよ。この方は、そういう結果になることを分かっていたこととはいえ、ことごとく閉口して見ていたのであるぞ。とはいえ、それもこれもこの方の計画の内。そなたら人間のやることなすことすべて見越した上で、最後の最後に用意した今回のフミであるぞ。もう後はないのぞ。言っても言っても聞かないわが子へ向けての最後の最後の親心。この方からの最後の警告としてそなたら人間に渡す最後の最後のフミであるぞ。聞き分けのない、悪い子ほど可愛いのが親と言うものぞ。このフミだけは冥土(めいど)の土産(みやげ)にはできないぞ。今ここで読まなければ、二度とお目に掛かれなくなるシロモノでござるのぞ。
P100
 今ここは、ミロク世を創る最後の最後の仕上げに掛かっている時期であるから、もう後が少なくなっているから、早く改心せねば魂が滅びてしまうから、この方の言うことに反するものはどんどん厳しく教えていくようになるから、仕組みが厳しくなるから注意しておくぞ。そなたらは真理、真実を初めて聞くのであるから、今まで学んだ学や教を持ち出してブツブツ言わずに最後まで黙って素直に聞いてくだされよ。バカらしいと思う者、反抗したくなる者、本当かどうか疑う者、無神論者だと言う者、こういう者こそこのフミが必要な者であるのぞ。分かっている者には気の毒であるが、ここまで言わなければわからない者もいるのじゃ。これも修行のうち、辛抱して最後までつきあってくだされよ。

 この方は何度も何度も同じことを言うが、それというのも、一人でも多くの者に改心してもらいたいから、永遠のイノチを得てミロクの世で素晴らしい世界に生きてもらいたいから、こうでもしないとそなたらの改心はおぼつかないから、しつこく厳しく繰り返すのであるぞ。子を思う親心に免じて、暫くのあいだ辛抱して聞いてくだされよ。神、頼んだぞ。批判や反論がしたい者もいるだろうが、そういうことは最後の最後に好きなだけやればよいから、今度だけは今までの癖を出さずに、出そうになったら引っ込めて、まずはこのフミを最後まで黙って読んでみてくだされよ。その上で、「こんなものはいらない」という者は、最後の最後の大掃除である「三歳(みとせ)苦難(くなん)」で身をもって知らせるから、それまでの間、お好きなようになさって結構ぞ。但し、最後の最後で間違いに気づいてももう遅いから、今この瞬間からハラを括って取り組んだ方がそなたの為になるぞ。
P101
 この方は、そなたらの世界はいうまでもなく、神の世界も、宇宙も、すべてのすべてを自らの中に生み産んだ「元つ神」であるぞ。そなたらが創りだした今までの宗教の神とは違うのぞ。そなたらの神々も含めて、すべてのすべて、すべての仕組みを創りだした元の神であるから、マゼコゼにすると本当に取り返しがつかないことになるから、覚悟してこのフミを読むのぞ。ここで間違えば二度と元には戻れない、末期の不覚となりぬるぞ。今まで学んできた常識や道徳や価値判断の基準や学問の成果や宗教の教えはすべてアベコベであるから、一旦すべてをこの方に返して、何も学んでいない生まれたばかりの赤子になって、この方の言うことを素直に聞いてくれよ。「もう学んでいるんだから無理だ」等という者は、まず赤子になれよ。今度だけは辛抱してくだされよ。神、頼むぞ。

 そなたらヒノモトの民は、世界の人民の、すべての身魂の「親」でござるのぞ。ガイコクの人民はヒノモトの民の「子」であるのぞ。ヒノモトもガイコクも両方ともこの方の「子」であることには変わりないが、今まで教わっていたように「兄弟」ではないから取り違いするなよ。子にマコトを示すのが親の役目であるぞ。親子平等にして、親子逆転させてどうするのぞ。本当の上下というのは神と人の上下であるぞ。この方の創った通りにすることであるぞ。区別が大切であるぞ。そなたらのいう差別ではないぞ。すべてのすべて、この方の創った通りにすることが嬉し楽しを形にするための神の掟であるのぞ。そなたらの世界だけに通用する理屈ではないのぞ。取り違いするでないぞ。
P102
 この方の声を素直に聞いて神成る修行(本当の生き方に戻す行動)をし、世界の民にマコトの姿を伝えることがヒノモトの人民の役目でござるのぞ。「日月地の神成る身魂」である人間の、世界の親であるヒノモトの人民様、何もしらない「子」が創った「あやま知」にいつまでも囚われているでないぞ。いつまでやろうと一つになれず、平和も平等も自由も永遠に創りだせない、問題だけを創りつづける常識、自分だけ善しの、相対二元の争いのゲームに引っ掛かっておらずに、いい加減に目を覚しなされよ。そなたらが子の真似をして親の役目を忘れたから、今の乱れた世と成ったのであるぞ。自覚なきといってもほどがあろうぞ。ヒノモトから先に大掃除が始まるのであるぞ。ヒノモトがすべてのすべての始めであるぞ。まずは親から改心させるのぞ。そなたから始めるのぞ。

 人間の世界に起きることは、すべてのすべては身魂の世界、神の世界の写しであるぞ。子供が親の言うことを聞かないというそなたらの人間社会の状況は身魂の世界、神の世界が映っているのであるぞ。すべてのすべてが写しであるぞ。子であるガイコクの民が、親であるそなたらヒノモトの民を尊敬しないのは、そなたらの責任でもあるのぞ。今ここで親成る修行を始めることが肝心ぞ。今度の大掃除の鍵であるぞ。要石ぞ。親の姿を見せる第一歩であるぞ。ヒノモトの民がマコトを示さなければ、世界の民は何も気づかないで滅ぶことになるのぞ。世界の民が、神成る身魂が生きるも死ぬも、そなたらヒノモトの民の態度次第できまるのであるよ。そなたらヒノモトがすべてのすべての鍵でござるのぞ。
P103
 この方がついてござるゆえ、潔く間違いを認めて、素直に改心して、早く本当の「親」になってくだされ。ヒノモト変わらねば、世界は変わらないのぞ。そなたが変わらなければ、回りのすべては変わらないのであるぞ。それが神の仕組みであるぞ。人ごとではないぞ。一人ひとりのことであるぞ。そなた自身のことでござるぞ。すべてのすべてはそなた次第であるぞ。人のことをアレコレ口出ししている場合ではないぞ。今度の今度は最後の最後のどん詰まりであるから、何が何でも改心してもらわねばならないのぞ。そうは言っても余りに曇りがひどいから、肉の眼で見て見えるように、肉の体の言葉で分かるように、このフミと共に、このフミを書いている者を先に掃除して、サンプルとしてそなたらの目の前にお見せするのであるぞ。この者をモデルにして、分からないことは何でも素直に聞いて、一人でも多くの者が、最後の最後に間に合うように改心してくれよ。

 そなたら「人間」は、この方の創った「有」の世界の中に生み出された身魂であるぞ。そなたという魂が肉の体を持ったのが人間であるぞ。そなたのココロは、肉の体に翻訳した魂の声であるぞ。そなたのココロはこの方と繋がっているのであるぞ。そなた次第でいくらでも語りかけることができるのであるぞ。身魂がそなた自身であるぞ。本当の自分であるぞ。身と魂であるぞ。一つであるぞ。そなた自身は一つであるぞ。そなたは物質の世界だけの存在ではないのぞ。そなたらの言う「死」は、そなたが肉の体を脱いだだけのことであるぞ。状態が変化しただけのことであるぞ。水が水蒸気になったのと同じぞ。見えなくなってもそなたはいるのぞ。人も同じであるぞ。死は悲しいものではないぞ。今までのゲームはやめろよ。悲しみの世界はこの方の望みではないぞ。そなたの悲しみは、「自分のものを失った」というそなたの都合で創りだしたものぞ。そなたが悲しいだけぞ。死んだ者は別の状態で生きているのぞ。勝手に怖がったり、可哀想がったりするなよ。
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 そなたら人間は、「無(響き)」から「有(形)」を創りだすことはできないのであるぞ。そなたらはこの方の貸し与えた肉の体を持って、この方の創った資源を使って、様々な物を創りだしてきただけであるぞ。そなたらが創ったものの大元は「資源」であるぞ。「資源」はこの方であると言ってもよいのぞ。そなたの持ち物はすべてこの方のものであるぞ。「資源」取られて、そなたらは一日たりとも生きていることはできないのぞ。そなたらは今まで、この方を覆い隠す「あやま知」に囚われて、この方が見えなくなって、この方の恩恵をキレイさっぱり忘れて、苦し辛しのゲームを遊んでいたのであるぞ。嬉し楽しの遊びもできたのであるぞ。「魂」も「資源」も「肉の体」もこの方がなければ、すべてないのであるぞ。人間が創りだしたものはすべてこの方のお陰があるからあるものぞ。
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 この方があってそなたらがあるのぞ。この方を無きものにしてそなたがあるはずがないのであるぞ。無神論者でいられるのはこの方のお陰であるぞ。そなたが信じていないのはそなたが創った神であるぞ。そなたは別の神を信じているのぞ。そなたはこの方を否定しているつもりになっているが、この方がいなければそなたはこの方を否定できないのであるぞ。そなたは自分を否定されて怒っているが、それでは神心は遠いぞ。この方はそなたに否定されているが、怒った覚えはないぞ。この方が許さなければそなたは他人を怒ることなどできないのであるぞ。この方がそなたを許しているのは親心であるぞ。いつ気づくかとじっと控えていたのでござるぞ。最後の最後の改心を楽しみにしているぞ。

 そなたが見ている、持っている、人が見ている、持っている、すべてのすべてがこの方の持ち物であったのぞ。この方がそなたらが遊べるように、そなたらにレンタルしていただけであるぞ。ミロク世まで、物質の世界で遊べるように貸していたものであるぞ。いわんや、お金や家や服や地位や名誉や財産や、人間が創ったすべてのすべて、「自分のもの」であるわけがないのは一目瞭然であろうが。「自分の子」や「自分の家族」が、そなたの持ちものであるわけがないのは当然のことぞ。そなたと同じ「身魂」であるぞ。形の後先で上下関係を創って支配するなど、本来なれば許しがたいことであるのぞ。平等どころか、すべての者が天国に生きることを望んでいる神に反する大罪であるのぞ。
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 この方は、そなたらのすること、そなたらの創るもの、すべてのすべてを許して、最後の最後で改心させる仕組みを創っているから、神に反する作品はほおっておいても壊れていくから、そうなってからでは遅いから、今の内に改心することぞ。アタマの教育などというものは本来いらんものであるぞ。掃除の手間を増やすだけであるぞ。人の子には人の親が神の生き方を後ろ姿で示せばそれでよいことぞ。マコトを示すべき親がこの方を忘れていては肝心の「親の心」も分かるまいが。「親の心子知らず」とは、そなたら全員にこの方からプレゼントした言葉であるぞ。神知らぬ親が自分のご都合よろしく子供を思いどおりにするために使っているだけであるぞ。「人の気持ちを考えろ」と言いながら、人の気持ちなどどうでもよくなっているぞ。「二度と同じことはするな」と教えておいて、何度も何度も懲りずに神に反することをやりつづけているのぞ。親や教師や宗教家が親の心を知らずにいるから、本当の教育ができないのであるぞ。いつまでたっても自由も平和も平等もないのであるぞ。競争やいじめや貧富の差が無くならないのは当然であるぞ。

 今までのやり方は何千年続けても天国どころか地獄に続く道であるぞ。今度の今度はこの方が表に出て、しかるべき人間を使ってすべてのすべてを知らせるから、もう今までのやり方は通用しなくなるぞ。続けようとすればそなたが苦しくなるだけであるぞ。すべてのすべては表裏一体であるぞ。神の仕組みが人の仕組みであるぞ。アベコベになっていた神の世界を元に戻したから、そなたらは反すれば反するほどきつくなっていくぞ。最後の最後は魂の滅びが待っているぞ。この方は、自らの子を殺すような真似はしたくないぞ。最後の最後の親心でそなたらの肉の体で分かるように本当のことを教えるから、そなたの錯覚を知らせるから、よく聞いてどうすればよいか一人ひとりが考えて行動してくれよ。
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 今の学校が乱れているのはそなたらのしてきたことが行き詰まっている証拠であるぞ。この方のやり方を素直に聞かなければ、ますます乱れるぞ。ますます訳が分からなくなっていくぞ。学歴社会も競争社会もそなたらが勝手に創ったものであるぞ。この方はそんな原理を創った覚えも、語った覚えもないのぞ。そなたらは何千年にもわたって「ウソ」を教えられてきたのであるぞ。教えている方も「ウソ」と気付かずに、代々「ウソ」を伝え続けてきたのであるぞ。この方を知らぬ教えに基づく「宗教」や「学問」や「道徳」や「知恵」を教え続けても、ますますこの方が見えなくなって混乱していくだけであるぞ。今ここで真実を教えたのであるから、いつまでも「あやま知」の教育を続けておらずに、キレイサッパリやめて、この方の言う通りに素直に始めてみなされよ。

 「取った取られた」というのは、「あやま知」に囚われたそなたらの自分勝手なゲームに過ぎないのであるぞ。「自分のもの」が「見えなくなった」のを「誰かのせい」にするという神を無視した自分勝手なゲームが混乱を創りだしているのであるぞ。一人残らず「人に迷惑をかけるゲーム」をしていたのであるぞ。人に迷惑なことは神に迷惑なことであるぞ。そなたが神に迷惑をかければそなたが苦しむことでそれを気づくような仕組みになっていたのぞ。そなたが人を責めれば責めるほど、自分で自分のクビをしめていたのであるぞ。自ら苦しみを創りだしていたということぞ。そなたの創りだす感情もモノもすべてそなたの作品であるぞ。そなたの体験はすべて自分のしたことの結果であるぞ。このことを自覚することが掃除の始めぞ。人に責任転嫁をするのはいい加減に終わらせろよ。
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 「自分のもの」は何もないのであるぞ。そなたが使っているものや自分に所属すると決めたものがあるだけであるぞ。人間の勝手に決めたゲームであるぞ。土地を自分のものにしているのは、この方を知らぬ証。人間の「我善し」の暴挙であるといってもよいのぞ。ましてや、土地を「売り買い」するなどはもってのほかであったのぞ。「資源」から創りだしたすべてのものを売り買いするのも同じであるぞ。本来は交換ができるだけであったのぞ。「財産」はそなたのものではないぞ。モノの「財産」をいくらもっていても、最後の最後の今回はすべてのすべてをこの方に返すことになるのぞ。今度の今度は、肉の体も含めて、全員がすべてのものを返すのであるぞ。どんなに守っても無駄であるぞ。そなたの「財産」はそなたの体験だけであるぞ。体験はモノが無くなっても残っているぞ。そなたが人に渡せるものはそなたの体験だけであるぞ。モノを渡すのは限りがあるのぞ。
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 保険や防災や耐震や予知云々と、今までのやり方で「失う」のを避けようとしても今度ばかりは無駄になるぞ。この方がしていることを人間がコントロールすることはできないのであるぞ。そなたらは今まで、神を忘れた「我善し」の知恵を使って、我が者顔に物質世界を支配しているつもりになるゲームをしていただけであるぞ。神のすることは未だに支配できずに「天災」とか「災害」とか「自然の猛威」とか言って神のせいにして神を無きものにしているばかりか、人間が創りだしたシステムの問題すら何も解結していないのであるぞ。人間の手には負えないことの方が遥かにおおいでござろうが。いい加減に神の力を素直に認めなされ。そろそろ神にアタマを下げる時期がきたぞ。今度の今度はそなたらの我善しのそのゲームは終わりであるから覚悟せよ。この方が終わりにするのぞ。

 そなたらがやってきたゲームをそのまま続ければ滅びるだけでござるのぞ。そなたらの今までの「常識」や「思考」ではもう何も元にもどせないのであるぞ。「良くしよう」という思考そのものがアベコベであるのぞ。すべてはひとつであるのに、「善」も「悪」もないのに、悪を批判し、悪を避け、善だけを創ろうとしていたのがそなたらのゲームであるぞ。そなたらが元に戻そうとしているのは、そなたらの考えた「善」を形にしようとしているだけのことであるぞ。元の元の「至善」を知らずに自然を語っているぞ。
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 そなたらが身欲や保身を元の我善しでアベコベに走ったその瞬間から「破壊」のプロセス、破壊の歴史が始まっていたのであるぞ。楽しようとするから破壊が進歩に見えるのであるぞ。そなたの回りをすべて取られてそなたは何ができるのぞ。この後に及んでまだ破壊の歴史を続けるおつもりか。そなたが破壊しているもの、資源も自然も地球も自分の肉の体も他の者の肉の体も、ココロさえもこの方のものでござるのぞ。そなたはそれを知ってやっているのか。そのことをお気づきか。自らのご都合で神を冒涜(ぼうとく)するのもいい加減にせいよ。自覚なきも情けなき所業ぞ。神成る修行をすることがそなたの償いであるぞ。

 この方は壊したものを元に戻せと言った覚えはないぞ。元に戻す仕組みはこの方が創っているからぞ。そなたらは「すべてはアベコベであったのか」と、知らずとはいえ今までやったご無礼を素直にお詫びし、今ここで滅びる前のお知らせに感謝し、素直に改心して「神のココロ」を実行することだけでよいのであるぞ。今ここから始めることが改心であるぞ。ツベコベ言っているとアベコベのままであるぞ。この方の言うことを分かっていないことを白状しているのと同じであるぞ。そなたがしてきたことは「取り返し」がつかないことであるのぞ。ではあるが、神の最後の親心で、そなたらがしてきたことを自分自身が責任をとって自分自身の苦しみとして返すならば、許そうと決めていたのぞ。口だけの改心ではこの方は許さんぞ。すべてはそなたがこの方の意に反した結果であるぞ。今ここで気づいたそのココロをこの先ずっと持ちつづけて掃除に励むことが「反省」の証であるぞ。「反省」した者はこの方が守護して苦しいながらも楽に掃除を終わらせてやるぞ。
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 この方とこの方の家来の神々が助けてすべてのすべての大掃除をやるから、そなたらは言われたとおりに自分の掃除をやればよいだけであるぞ。天災も人災もないのであるぞ。すべてはそなた自身がやった結果が形になっているのぞ。そなたが神のルール通りにやれば「災害」は無かったのであるぞ。すべてはそなたが創りだしたものであるぞ。そなたが神のルールに反していることを教えていたのがそなたの苦しみや病気や死であったのぞ。そなたは「自分のもの」を「傷つけられた」と思い込んでいるから、「神のせい」にして「被害者」になっていたのであるぞ。「被害者」はいないのであるぞ。「裁判」も「法律」も本来必要ないものでござるのぞ。

 すべて自分のしたことが自分に返ってきているだけであるぞ。そなたがそなたの加害者であるのぞ。加害者も被害者も一つであるぞ。そなたに悪のメグリなければ、苦のメグリ会いは無かったのであるぞ。そなたの苦はそなたが創ったものぞ。自分でつくった苦を楽に変えようとしているのはいかなることであるか。今まで教えられてきた「自分のもの」意識、「被害者」意識、「楽しよう」意識をやめないと、何も変わらないばかりか、最後の最後の大掃除に向けて、お知らせの「苦」がきつくなるだけであるぞ。ますます壊れていくだけであるぞ。自らを自らが滅ぼすことになるのぞ。
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 すべてアベコベだと言っても、今までそなたらが創りだしてきた学や教や知もこの方が人間を通して創りだしたものであるから批判するでないぞ。最後の最後にそなたらの「あやま知」を壊して神世に戻すための道具に使うから、そなたらが神の持ち物を壊しても許していたのであるぞ。この方の真意は「すべての身魂に天国を体験させる」ことであったのぞ。だから、神のルールに反した身魂も今ここまで引っ張っていたのであるぞ。死は滅びを避けるための仕組みであったのぞ。輪廻転生は神の親心であったのぞ。本来ならば光と闇は同居できないのであるぞ。すべての身魂に最後の最後までチャンスを与えるために想像を絶する苦労をして元つご霊統の神々様が創った仕組みぞ。ミロク世は光のみでござるぞ。

 そなたらのすることは、今ここにある道具を使って「ココロの掃除」をすることだけであるぞ。今ここにあるものを否定すればすべてを否定することになるのぞ。飛行機や新幹線や電話やファックスを使わないと間に合わないのであるぞ。使ったほうが早く掃除できるのであるぞ。「公害」だとか「省資源」だとかいうマヤカシに囚われていてはますますアベコベになるぞ。この方の創りだしている資源は無限でござるのぞ。「節約」や「倹約」や「備蓄」のゲームはそなたらのゲームが創りだした幻想であるぞ。

 この方は何でもできるのであるぞ。この方に枠をはめるとは何事か。この方を無視している証拠であるぞ。「エコロジー」を唱えながら紙を使っていることに気づかぬか。今ここにあるものは、そなたの肉の体も含めてすべてのすべては壊れるのであるぞ。今ここにあるものを使って早く神ゴコロに戻せよ。ミロクの世は、今までの肉の体も物質も使えない、全く別の世であるぞ。掃除できた者だけを神がつまみ上げて、ミロクの民にするのであるぞ。今度は神々も含めたすべての建て替え建て直しであるぞ。縦を直すのぞ。今までのそなたらのアタマでは想像できないことであるぞ。何が起きるかを知っても、神の仕組みの知識を知っても、人の動きを知っても、意味ないぞ。
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 これから始まるのは、万古末代一度きりの、神も人も、魂も肉の体も、すべての世界を建て直す大掃除であるぞ。神界も幽界も現界もすべてのすべて三千世界を建て替える宇宙始まって以来の最初で最後の大掃除であるぞ。天意転換ではあるが、そなたらが神のルールに違反しなければ、嬉し楽しの幕の上がりだったのぞ。人の法律違反を責めているそなたが神の法律違反をしているのであるぞ。そなたの申すことは自分自身のことであるぞ。この道理わきまえて、言ったこととやっていることを一〇〇パーセント一致させることぞ。きついのは当り前であるぞ。今までさぼっていたツケを払うのであるからぞ。「難しい」というのはできない理由にはならないぞ。そなたがやらないだけぞ。自分のしたことの責任をとれば永遠の天国が待っているのであるぞ。言ったことをやる親が子の信頼を得るのであるぞ。
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 今回はすべての世界の建て直しであるから、死んでも続く身魂の掃除、生死一如の仕組みであるから、物質世界の肉の体を守っても意味がないのぞ。死んでも頑張るのぞ。生きて戻れるように死んでくだされよ。今までの人間からみれば、「人間じゃない」ということになるだろうが、そなたらはもともと「人間」ではないのであるぞ。そなたのイノチはこの方のものであるぞ。そなたの生死はこの方次第であるのぞ。そなたがアレコレ考える必要はないのぞ。そなたは生かされているのだから何も心配はないのであるぞ。人の死を悲しんでいないで、殺人を責めていないで、自分自身の掃除をしてくれよ。

 この方がもっとも嫌うのは「裁くココロ」であるぞ。神ゴコロとは裁かないココロであるぞ。疑わない心であるぞ。そなたのイノチは一旦この方に返して、掃除に集中することぞ。そなたの肉の体がどうなろうと、どんなに苦しかろうと、すべてそなたが神のルールを外して迷惑をかけてきた結果であるから文句を言えないのであるぞ。自分がしたことを自分以外のせいにするのが今までのゲームであるぞ。今までの持ちものへの執着はすべて手放して、ココロの掃除をすることであるぞ。どんなに苦しかろうと、決してそなた自ら「肉の体」を無くそうとするでないぞ。そなたの肉の体はこの方のものであるぞ。人のものを勝手に処理するのは自分勝手であるぞ。人の体を壊すのは言わずもがなであるぞ。
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 そなたら人間が創りだせないものはすべてこの方のものであるぞ。そなたが持っているモノやシステムは「資源」を元に創り出したものであるぞ。そなたの体験以外はすべてのすべてがこの方のものであるといってもよいのぞ。今度ばかりは死んでも続く掃除であるぞ。死んでからの掃除はもっときついぞ。そなたという身魂が生まれて以来、何世にもわたってしてきたルール違反の結果創りだしてきたものをすべて掃除するのであるぞ。そなたの身魂が生まれてからすべての「借金」を返済しなければミロクの世はないのであるぞ。今度が最後の転生であるぞ。掃除なき者は二度とヒノモトのお土は踏めんのぞ。

 ミロクの世は闇も悪も一切存在できないのであるぞ。そなたのココロが体になるのであるぞ。そなたのココロに一点でも曇りがあれば、裁くココロがあれば、そなたはミロクには行けないのであるぞ。そういう身魂は今世で終わりであるぞ。裁くココロがあるのは、そなたが善悪を分けているからであるぞ。この方が許しているから悪が存在するのであるぞ。この方が許しているものをそなたが裁くとは何事であるか。天国を創るためには、すべてこの方のココロ通り、この方が創った順序通りにすることが必要なのであるぞ。この方がすべてのすべてを生み産んだ親神であるぞ。神々の親、人間の親であるぞ。

 親が創ったとおりにすればすべてがうまくいくのであるぞ。この方の言うことを素直にハイハイと真似すればよいのであるぞ。この方の言うことを裁くのは神のルール違反であるぞ。人が反抗的だ、人が頑固だ、というのはそなたのことであるぞ。この方から見ればそなたが反抗的であるぞ。頑固であるぞ。自分勝手であるぞ。差別的であるぞ。アホであるぞ。障害者であるぞ。何も分かっていないぞ。うまくいかないのはそなたのしているゲームのせいでござるぞ。神のせいでも、人のせいでもないのぞ。そなたが改心(改神)すれば、今ここでも天国になるのであるぞ。今ここの人生でそなたの掃除相応に善き方に向けてやるのであるぞ。今の今が嬉し嬉しでない者は掃除終わっていないぞ。
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 この方が先でそなたが後であるぞ。この方の言うとおりにすればすべてうまくいくのであるぞ。この方は全員が天国に行けるようにすべてのすべてを創ったのであるぞ。そなたらが勝手に、自分だけ善しのゲームをして、自分で自分のクビをしめているのであるぞ。自分だけでなく人も一緒に地獄に誘っていたのであるぞ。自分のしたことを自分以外のせいにしている限り、改心はできないのぞ。そなたが改心すればよいだけであるぞ。そなたがやればよいだけであるぞ。人は関係ないぞ。できないのではなく、やらないだけであるぞ。この方は今までもそなたのココロに語りかけていたのであるぞ。そなたが無視していただけであるぞ。そなたのせいであるぞ。自分のことを自分でできるのが神ぞ。そなたらは「神成る身魂」でござる。一〇〇パーセント神のココロになって初めて修行が完了するのであるぞ。すべてのすべてを形にして教えているのであるから素直に聞いて改心結構ぞ。
P117
 元つ神を無視してやってきたゲームが「病気」や「災害」を創りだしたのぞ。地震や噴火や洪水や台風を天災というのはそなたらの見方であるぞ。そなたらが神の掟を外して創りだしてきたものを神が掃除するのであるぞ。そなたらの天命はミロクの世を創ることであったのぞ。そなたらのしてきたことは元つ大神様の意志とはアベコベであったのぞ。そなたはそなたの身魂の大掃除をすることがそなたの役目であるぞ。今までの常識、思考ではミロク世へは生き返れないのであるぞ。今ここで「あやま知」の常識をキレイさっぱり捨てることぞ。善悪の裁き、真偽の判断、恐れの思考、責任転嫁、責任追及、コントロールのゲームをやめることであるぞ。今までの学や教や金では世紀末は超えられないのぞ。

 古い教えでは天国はこないのぞ。古い教えを裁く者にも天国はないのぞ。何でもかんでもこの方の言う通りにすることであるぞ。今ここがそなたのスタートであるぞ。そなたらが創りだしてきたものを使って掃除をするのであるぞ。批判していたら今ここにいるそなたを批判することになるのぞ。今までの思考では地球の環境はますます破壊されるだけであるぞ。外の掃除はこの方がやるから、そなたは自分の掃除をすすめることぞ。天災というものはないのぞ。そなたらのしてきた結果ぞ。愚痴や苦情を慎めよ。迷惑であるぞ。人のすることに口出ししている暇があったら自分の掃除をしなされよ。愚痴も責任追及もお世話も同じことであるぞ。可哀想な身魂はないぞ。すべてのすべてが自業自得であるぞ。
P118
 取り合いのゲームでは神なる修行はできないのぞ。お互いの足らざるを満たし合って神になる修行をするのであるぞ。正直に行動せよ。正直に表現せよ。自らの掃除だけが自らも人も助けるのであるぞ。血統の関係は手放せよ。家族も他人も関係ないぞ。新しい関係で満たしあって掃除をするのぞ。そなたの人間関係を広げることが鍵ぞ。そなたに悪あれば排除するゲームが続くぞ。そなたに保身あれば近づく人間が限られるぞ。そなたが限るのぞ。そなたは死んでもそなたであるぞ。どんな考えの者もいるぞ。一人になることはないぞ。みんな足りない人間であるぞ。人の足りないものを持っているぞ。足りないものを満たし合って掃除するのであるぞ。そなたが動けばそなたが足りないものを持っている者がいるぞ。そなたが持っているものが足りない者がいるぞ。お互いに提供して欲しいものを手に入れるのであるぞ。交換し合うのであるぞ。誰も傷つかないやり方ぞ。取るのではないぞ。損も得もないのであるぞ。自分も人も満たされるのが神のやり方であるぞ。

 自らと対話することは神と対話することであるぞ。人に頼るから騙されるのであるぞ。すべてはそなたが決めているのぞ。人に聞こうがそなたが決めようが、そなたの責任であるぞ。自分で決めて自分で動けよ。駄目なら別のやり方をせよ。人を責めるのは自分勝手であるぞ。できないことはないぞ。しないだけぞ。この方はすべて許しているぞ。この方がついているから何でもやってみればよいぞ。この方は素直な者には仏であるぞ。仏であるが、自分がしただけの苦しみは辛抱しろよ。そなたがしたことであるから愚痴は認めんぞ。人には責任はないのぞ。そなたが掃除しただけそなたの思うようにしてやるぞ。
P119
 この方は逆らう者には鬼に見えるぞ。そなたが鬼であるぞ。この方はそなたらが見たいように見えるのであるぞ。そなたがこの方に見ているものはすべて自らのことであると自覚せよ。そなたが人に見ているものは自らのことであるとも言えるのぞ。人に言っていることは自らのことであるぞ。人を鏡にして自分の態度を正せよ。そなたが人にするなと言っていることはそなたもするなよ。人にするなと言ってしているぞ。自分勝手をするなと言う自分勝手をしているのぞ。人の気持ちを考えろと言って考えていないぞ。そなたが言ったことを寸分の狂いなくそなたがすることぞ。そうすることがお掃除を進めることになるぞ。この方の仕組みを知らずともお掃除ができるぞ。そなたがそなたをできないようにしているのぞ。人は関係ないぞ。コントロールは迷惑以外の何者でもないのぞ。

 最後の三年間は全員が大掃除をすることになるぞ。老人、子供、障害者、女といえども同じであるぞ。身魂でしただけのことを返してもらうのぞ。形にこだわるでないぞ。どんな状況でもすべてその者が創りだしたものであるぞ。悲惨な状況もその者がしたことの結果であるぞ。すべて自業自得であるぞ。見た目で決めるなよ。どんなことがあっても最後の最後まで頑張ってくだされよ。人のことは心配せずともこの方に任せておけばよいぞ。死んでも頑張ってくだされよ。一人ひとりの修行であるぞ。一人ひとりの身魂相応の試練であるぞ。形は不公平に見えても、その者のしてきたルール違反(真釣り外し、カルマ、メグリ)相応の出来事であるぞ。メグリに平等な苦しみであるぞ。本当の平等であるぞ。
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 形の平等はメグリ創るぞ。そなたらの言う平等は「一〇〇〇万円借金した者も借金の無い者も一律五〇〇万円返せ」と言っているのと同じであるぞ。こういうふうに言えばそなたらは「それはおかしい」と気づくであろうが。不平等であると分かるであろうが。形はその者の身魂の借金の結果であるぞ。人に愚痴を言っても、人を責めても駄目であるぞ。可哀想ではないのぞ。助けてやる必要はないのぞ。最後の最後は人のことなどかまっていられなくなるぞ。この方も、このフミも、この者もなくなるのであるぞ。外には頼れなくなるぞ。メグリなければ喜びだけぞ。メグリ掃除すればどんどん善き方に向くぞ。このままいけば地獄になることは見えているぞ。一人でも早く掃除を始めてくれよ。

 自分で自分のことがすべてできるのが神であるぞ。最後の最後の大掃除、「三歳苦難」の阿鼻叫喚の地獄は神を生きているほど楽になるのぞ。掃除終わればどこにいても何をしていても安心していてよいのぞ。防災用品も避難訓練もいらないのであるぞ。今までのやり方は滅びへの道をたどるだけであるぞ。最後の最後にはそなたの身魂がなくなるぞ。そなたの身魂がなければ肉の体はないのぞ。今回は掃除なければどこにも生まれ落ちるところはないのぞ。どこにも逃げるところはないぞ。神々といえども例外ではないのぞ。いつまでも肉の体の保身、モノに執着するゲームをしていると全部なくなってしまうぞ。
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 自分が決めたことを人のせいにするなよ。オカシキことであるぞ。自分のしていることに責任をもてよ。元つ神は悪の存在も許しているのぞ。罪悪感などというものはないのぞ。そなたにメグリなければ何もないのぞ。神ゴコロの者はそなたが何をしても文句は言わないのぞ。そなたが神ゴコロならば、罪悪感はないのであるぞ。トラブルも悩みもないのであるぞ。罪悪感はそなたが創っているものであるぞ。文句を言う者に文句を言ったり、文句を言う者の言う通りにするとお互いに滅びるぞ。人の期待も満たす必要はないぞ。人に期待するのはアベコベをやっている証拠であるぞ。人や自分を責めるのは神を責めることであるぞ。そなたの夢を人に託すのは迷惑であるぞ。そなたが人に言っていることは神がそなたに言っていることであるぞ。自分が言っていることとやっていることを一〇〇パーセント一致させよ。神は一〇〇ぞ。九九・九ではないぞ。一点の曇りなくなるまで掃除することがミロクの世へ生き返る条件であるぞ。
P122
 そなたがそなたを曇らせたのぞ。そなたにしかそなたの曇りは祓えないのぞ。人は人、自分は自分ぞ。この方の家来が一人ひとりについて掃除を手伝うから、人の掃除にちょっかい出している暇があったらそなた自身の掃除をすることぞ。人に口出しするのは、この方を疑っているのと同じであるぞ。この方に任せていないのと同じであるぞ。人の掃除を邪魔しているのと同じであるぞ。人の掃除道具を取っているのと同じであるぞ。迷惑であるぞ。人の天国を邪魔しているのであるぞ。自分の天国も邪魔しているのであるぞ。そなたがしたことがすべてそなたに返るのぞ。そなたがどんなに邪魔しようと、世話しようと、そなたとは関係なしに掃除が進むのぞ。そなたも同じであるぞ。人が邪魔しようと世話しようとそなたは関係ないのぞ。こだわっているのは気にしているのはそなたであるぞ。最後の最後は、掃除なきそなただけがサヨナラになるぞ。

 今までの仕組み、悪の仕組みが続くように見えるのは、大掃除の舞台造りであるぞ。そなたが囚われているとそなたも一緒に大掃除されるぞ。人のことより自分のことを心配せよ。外の掃除はこの方に任せよ。このままでは全世界が滅びるから、ミロクが創れないから、この方が響きで表に出てきて大掃除をするのであるぞ。こうなることは始めから分かっていたのぞ。だから、間に合うようにお知らせする仕組みを創ったのであるぞ。最後の最後ですべてを明かし、最後の最後でどんでん返しをするのであるぞ。
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 このフミの真偽やこの者の真偽を研究していては間に合わないのぞ。疑いのココロをいれる暇がないように仕組んでいるのであるぞ。今までのやり方は通用しないように創ってあるのぞ。この方の言うとおりにすればよいだけであるぞ。神なる修行は一人ひとりのすることであるぞ。神の心になることだけが自分も人も助かる唯一の道であるぞ。人の掃除にちょっかいを出している暇はないぞ。今度の今度は殺さなならん者はどこまでも追いかけて殺すのぞ。生かさなならん者はどこまでも何があっても守るのぞ。生きて掃除する者と死んで掃除する者とがあるのぞ。死ぬかどうかは関係ないことであるぞ。

 肉体の生死や安全は捨てて、すべてこの方に任せて、今ここにあるものを使って掃除に励むことぞ。食べなくても死なないぞ。健康管理を完璧にしても死ぬぞ。一人ひとり違うのぞ。人は関係ないぞ。今までの常識関係ないぞ。生死はこの方に預けよ。人のこともこの方に預けよ。家族も他人もこの方の子であるぞ。形の関係は掃除には邪魔であるぞ。この度は身魂の掃除であるぞ。掃除なき人間に聞いても何も分からないぞ。掃除できなくなるぞ。すべてこの方の言う通りにやってみよ。身魂は一つであるぞ。神の世と人の世は合わせ鏡であるぞ。身魂の掃除相応に思い通りになってくるぞ。人を責めたり、支配したり、脅したりしなくても思い通りに成ってくるぞ。楽しむために苦しめよ。そなたがやったことぞ。自分で自分におとしまえをつけるのぞ。
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 すべてを一つに戻す大掃除の仕組みが加速しているのぞ。今までのやり方はもう通用しないばかりか、先に行くほど危なくなるのぞ。宗教も科学も一つであるぞ。このまま争いを続ければすべての魂が滅びるぞ。一〇〇パーセント自分自身に正直に生きる自分勝手だけが、元つ神の真意に従う生き方ぞ。「すべての身魂が助かる唯一の道」であるぞ。自分のことは自分で決めよ。今までの常識は混乱を造りだすだけの破壊への道、地獄への道であるぞ。今ここだけのイノチか、永遠のイノチかどっちか選べと言えば、答えは一つであろうが。永遠の地獄はないぞ。滅びか天国かであるぞ。神の世には悪はないのぞ。今ここも悪はないのぞ。そなたが欲を出すから悪が形になるのぞ。そなたの身欲を引っかけて気づかせるための仕組みであったのぞ。そなたが欲しいものが形になるのぞ。無くそうとするならば、そなたが欲しがるのをやめることであるぞ。今の今も悪の影はないのであるぞ。

 二十一世紀は神の心になった身魂のみが生き残れる嬉し楽しの天国であるぞ。そなたが長い間待ち望んでいた世界であるぞ。そなたは始源の時、この方と共にあったのであるぞ。時来たりて元の神世に戻すのであるぞ。そなたの曇りを早くとれるようにこの方はあらゆる手段を使っていたのであるぞ。悪もって悪祓う仕組みぞ。そなたに悪見せて悪心に気づかせる仕組みであるぞ。悪裁いていては掃除はできないぞ。そなたの見ているものはそなたであるぞ。悪の神がそなたの悪の心を見せるべく、メグリ相応の者を出会わせているのであるぞ。殺す方も殺される方もメグリ会いであるぞ。自業自得であるぞ。
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 すべての出会いはお互いの欲しいものを交換しただけであるぞ。殺人も強盗も誘拐も戦争もいじめもすべてのすべてがメグリ会いであるぞ。どっちも悪くないぞ。どっちも正しくないぞ。お互いが自分自身のしたことの結果であるぞ。形の善悪はないのぞ。「そういう見方はよくない。人間じゃない」と言う者、そなたは裁いていることにお気づきか。自分のしていることをわかっているか。メグリなければ、犯罪も苦しみも悩みもないのであるぞ。そなたには何も裁くものはないのであるぞ。裁きたくなるのはメグリある証拠であるぞ。あやま知に囚われているぞ。いい加減に目を覚ませよ。最後の最後で消しゴムで消してしまうぞ。この方が消すのではないぞ。そなたがそなたを消すのぞ。この方は滅びる方法も助かる方法も見せているのぞ。そなたがしたことがそなたの体験になるのぞ。この方が消したというのはそなたが人のせいにしている証拠であるぞ。早く改心しろよ。

 二つに分ける知恵では一つにする神の心にはなれないのぞ。「分かつ知」「我善し」を捨てることが神の世に生きることになるぞ。本当かどうか疑うのは「分かつ知」を持っている証ぞ。損得の「保身」を持っている証拠ぞ。神に反して造りだした形あるものはすべて壊れる仕組みであるぞ。最後の最後は全員が肉体を去ることになるのぞ。仮死の状態にして掃除できた身魂だけを救いあげてミロクの民に致すのであるぞ。今までの学や知や教は綺麗サッパリ捨てて掃除をすることぞ。このフミを黙って読むことが最初の掃除であるぞ。判断が出てきたら捨てろよ。赤子になって出直せよ。今までのそなたのしてきた借金を一気に返す方法を教えているのであるぞ。元つ神でなければできないのぞ。何億の人間がいようとこの方にとっては簡単なことであるぞ。
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 すべてのすべてを一気に大掃除するのぞ。借金を滞納すればどうなるか分かっているであろうな。ミロク世は決まっているから、後ろが決まっているから、間に合うように全額返済できるようにしてあるのぞ。苦しいのはそなたの身魂の借金の結果であるぞ。最後の三年は、すべてのメグリを一気に一度で渡すぞ。一括払いをすることになっているのぞ。払い終わるまで楽はないぞ。今なら楽あるぞ。文句をいうなよ。すべてそなたがしたことぞ。今からやれば間に合うぞ。一括払いはきついから今ここから始められるようにしているのでござるぞ。後二年でできるぞ。但し、身魂相応の体験は覚悟いたせよ。
 
 「間に合うはずがない」「もしできなかったら」というのは掃除始めていない証拠であるぞ。そなたらは今まで、マコトを語りし者を抹殺して、この方を無きものにしようとしていたのであるぞ。それが自分のクビをしめることになるとは知らずにやっていたのであるぞ。人を支配しようとしている者は、自分のクビをしめていることに気付けよ。人類を支配しようとしても無駄であるぞ。悪魔も悪神もこの方の手の中にいるのぞ。この方の仕組みをすべて知っているのはこの方だけであるぞ。悪の企み「九分九厘」でグレンと引っ繰り返るのぞ。いつまでも勝てると思っていたら大間違いであるぞ。
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 このフミを形にしている者以外すべて掃除が必要であるぞ。自分だけは違うと思うそなたもそうであるぞ。一〇〇パーセント喜びで思いどおりにならなければ掃除必要であるぞ。早く改心するほど楽に掃除できるのぞ。死してもそなたは死なないのぞ。掃除なければ身魂が滅ぶぞ。生も死もなくなるぞ。輪廻転生は終わりであるぞ。最後の転生であるぞ。掃除ない身魂は二度と生ないぞ。そなたの身魂は初めて死んで、初めて生きるのであるぞ。そなたの身魂が生まれて以来初めての死であるぞ。死は変化であるぞ。ミロクの体に変化するのであるぞ。物質の世から半霊半物の世に移るのであるぞ。掃除なければ身魂ないのぞ。永遠のイノチか今ここだけの楽しみか、どちらにするか一人ひとりが決める最後の最後、瀬戸際であるぞ。最後のチャンスであるぞ。生かすも殺すもそなた次第ぞ。

 今までの教はすべて捨てなされ。そなたという身魂の人生、最初で最後の決断をする時であるぞ。自分のことは自分で決めろよ。天国へ行くか滅びるか、一人ひとりの最初で最後の選択であるぞ。もう間違えている暇はないぞ。このフミ読んで今ここで決めろよ。決めたら直ぐに始めろよ。掃除終わるまでさぼるでないぞ。そなたへの最後の最後の警告であるぞ。そなたが掃除始めれば、天国への最後の最後の招待状になるぞ。今度の今度は神も人もすべてのすべて、全員逃れられないから覚悟いたせよ。
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 しただけのことはせなならんが、そなたが素直に従えば、このフミは天国への案内状にもなるのぞ。最後の最後、最初で最後の、二度とこないただ一度の機会であるぞ。そなたのマコトの心、ここを逃しては使うところはないのぞ。すべてを捨てて決死の覚悟でやりなされよ。生きるも死ぬもこの方次第ぞ。そなたは心配することではないぞ。死んでも続くのだから今までの教えは一切使えないのであるぞ。この方の家来が守護するから安心してやりなされ。ここまで言ってやらないならばそなたの身魂はないと思えよ。

 今度の今度はこの方の真意を伝える人間をあらかじめ掃除させて今ここで用意しているぞ。この方が表に出ているから邪魔するものは容赦はせんぞ。今度は、この方の言うとおりにすべて出てくるぞ。ウソだと思うものはもういらんから、最後の人生をお好きなように楽しむがよいぞ。この方に逆らえば天国はないのぞ。今度ばかりはそなたの身を持ってすべて教えてやるから覚悟してかかってこられよ。そなたが素直にこの方の言うことを聞けばミロクが待っているのであるぞ。どうやってもそなたに勝ち目はないのであるから、この方にアタマを下げてこられよ。この方は喜んでそなたを抱くぞ。そなたが待ちに待っていたミロクの世がいよいよ迫ってきているのであるぞ。我を張るのはもうやめにして、この方と共にミロクの世を創ろうではないか。

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 これから語ることはすべてのすべてを創りだすオオモトの元の神の真理であるぞ。これは宗教ではないぞ。哲学でもないぞ。倫理学でも、心理学でも、道徳でもないぞ。そなたという身魂が生まれて初めて聞く真理であるぞ。そなたが今まで見ざる言わざる聞かざるで無視していた神の真理であるぞ。初めて聞くものは議論できないのぞ。このフミをすべて読みおわるまでは、見たものを直ぐに批判したがるそなたの癖を出すでないぞ。そなたの判断の基準はそなたが創ったものであるぞ。神を知っていれば神を体験していれば判断はしないのであるぞ。そなたが神を知らずに創ったものはそなたの自分勝手であるぞ。そなたの我であるぞ。そなたが神を知っていれば判断はできないのぞ。できないと言っているのにまだ判断する者は神の言うことを分かっていないぞ。神を知らない証拠であるぞ。これから、そなたが知りたがっていた、探していた神の真理をすべて聞かすから、今まで学んだ、神を知らぬタワケた教えは無私してすべてを白紙にして素直に聞けよ。そなたがそなたの癖で判断を始めれば、神の真理は永遠に分からなくなるぞ。このフミはすべてのすべてを創った神が語るものであるぞ。このフミを文字にした、この者のただの考え方だと思ったら大きな間違えであるぞ。そこのところをよく心得て読むのぞ。

 今までも、神は、そなたの想念を通して、いつもそなたに語りかけていたのぞ。そなたのココロの声はすべて神の声であるぞ。そなたが、神を知らぬ人間に教わった基準で神の声を批判して、分けて、今までの人間のゲームで都合の善いものだけを選んで、行動していたのぞ。そなたが直感とかヒラメキとか何だか分からないけど聞こえる声とか言っていたものが神の声であるぞ。人間に都合の悪いものの中に神の答えがあるぞ。そなたは神を知らずに神を創っていたのぞ。そなたが、あやま知にとらわれた人間が創りだしたタワケた宗教に騙されて、神の声を無視していたから、そなたは無私になったのぞ。神が見えなくなったのぞ。そなたが神の声を無私していたから、騙されることになったのぞ。この真理を無私していたから自分が分からなくなったのぞ。自分が何者なのか分からなくなったのぞ。自分がここで何をしているか分からなくなったのぞ。自分とは何者か、などという哲学なるものを創りだして、ますます分からなくなっていったのぞ。
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 そなたの疑問は神に聞けばすべて解結するのぞ。神に聞くとは、神の言う通りに生きることぞ。神の言うことを分かっただけではだめであるぞ。神にお祈りだけしてもだめであるぞ。神の言うことを行動して、初めて神の声を聞いたことになるのぞ。神を信頼したことになるのぞ。神を信じたことになるのぞ。神の言うことが分かったと言うならば、言ったとおりにやれよ。神は信頼と引換えにそなたに教えるのぞ。神の言う通りに生きていれば、そなたに疑問はないのぞ。わからないことはないのぞ。分かろうとするのは神を生きていない証拠であるぞ。神は体験を通して一つ一つ教えるのぞ。神の言った通りにやってみればすべて分かるのであるぞ。神の言った通りにやっていれば何の悩みもないのぞ。
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 この者は、神の言う通りに生きたから、神の想念をそのまま文字にすることができるのぞ。このフミは、この者の考え方ではないが、この者の考え方であるとも言えるのぞ。神の生き方をマスターした者であるぞ。神の生き方をマスターした者のモデルであるぞ。神の言う通りに生きていない者には、このフミは書けんのぞ。神が言うことを信じられないからであるぞ。神を生きていない者には神が文字にさせないからであるぞ。このフミを書いていることが、神の生き方をマスターした証拠であるぞ。このフミを書いていることが神を生きている証拠であるぞ。このフミに書いてあることは神の真理である証拠ぞ。神を知らぬそなたにこのフミが書けるかどうか考えてみよ。そなたがこのフミを批判するならばそなたにはこのフミは書けないのぞ。そなたは神を知らないのであるぞ。神を知らないそなたに神を批判することはできないのぞ。神を知らぬ人間が神を批判するとはどういうことであるのか。この神を批判すればそなた自身を批判することになるのぞ。この道理が分からなければ、そなたは永遠に自由になることはできないのぞ。

 この者に聞けば神の生き方についてすべて分かるぞ。生き方は分かるが神は分からないのぞ。神を知ろうとするのは神を分からなくするのと同じであるぞ。神とは何かなどというタワケタ問いはもうやめることぞ。神の言う通りに生きていれば神を知らなくてもそなたの思いはすべて叶うのぞ。今は神を無私しているから直ぐには叶わないが、神を生きるようになればだんだんと想いが叶うようになるのぞ。神の言う通りに生きているということは、想念が神と同じになったということであるぞ。神ではないが、神と同じであるぞ。神がそなたの注文を聞くから、そなたの言う通りになるのぞ。この者はモデルであるぞ。この者を見れば神の生き方が分かるようにしてあるぞ。この者は神のサンプルであるが、この者は自由であるぞ。そなたもそなたの想念を通して神と語ることができるのぞ。そなたも神を生きればこのフミに書いてあることが真理であると分かるのぞ。真理であることが分かってから生きることはできないぞ。神は体験であるぞ。神は行動であるぞ。
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 そなたが創ったものでない人間についてそなたがいくら考えても答えはでないのぞ。この神を知らぬ人間に聞いても答えはでないのぞ。ましてや、神を知ろうとしても無駄なことであるぞ。この方の話を無私して答えを出そうとしても無駄な抵抗であるぞ。神を知らないからこの方の語ることについて議論になっているのぞ。答えはこの方しか知らないのぞ。そなたが神を知りたいならば、そなたのココロの声を素直にすべて聞くことであるぞ。聞いたことを実行することであるぞ。それがこの方の仕組みを知る唯一の手だてであるぞ。そなたの外には神はいないのぞ。そなたの外には神を教えてくれる宗教はないのぞ。この方のことを教えられる者はいないのぞ。この方のことを教えられるものはいないが、この方のやり方を語れる者はいるのであるぞ。
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 この方は、この方の言う通りに生きて、初めて分かる神であるぞ。いかにして神と対話するかということは教えられる人間はいるが、神そのものを教えられる者はいないのぞ。この方は一人ひとりと対話するのぞ。この方は一人ひとりに分かる神であるぞ。この方のことを教えているつもりになっている者は、いい加減に目を覚ませよ。この方はそなたのやり方を頼んだ覚えはないぞ。そなたのやり方ではこの方は教えられんのぞ。そなたのやり方ではこの方は見えないのぞ。外の神を信じるゲームではこの方の声は聞けないぞ。この方を体験することはできないのぞ。そなたはこの方を無私する方法を教えているのぞ。そなたは混乱や悩みを創る方法を教えているのぞ。そなたは戦いに勝つ方法(人を負かして勝つ方法)を教えているのぞ。神には戦いはないぞ。神のやり方はすべての者が勝つのぞ。この神を知らずに、これから起きる「大変」を超えることはできないぞ。今のうちにこの神と対話できるようになっておけよ。

 そなたは、自分ができないのを何かのせいだと思っているが、それはそなたの自分勝手な考えであるぞ。そなたは、不満や文句を言ったり、神や人や社会や自分以外のものを責めたりしているが、それはとんだ見当違いであるぞ。そなたは今までの学問や教えに騙されているのぞ。神を知らない人間の創りだした学問や教えを信じても神を知ることはできないぞ。神を知ることができないということは、喜びもないということであるぞ。喜びしかない神の教えに争いや悩みがあるのはオカシキことではないか。こんな簡単な道理、なぜに気づかんのか。そなたが信じているのは神の教えではないのぞ。そなたは自由にならないやり方を信じているのぞ。自由にならないやり方を教えているのぞ。早く気づかんと、取り返しがつかんようになるのぞ。この方の言うことを聞くことだけが、そなたが自由になり、人が自由になり、自分も人も次の世で生き返ることができる唯一の方法であるぞ。
P134
 そなたがこの神を無私していたから、そなたは何もできなくなったのぞ。思い通りにならなくなったのぞ。そなたが神を知らぬ学や教にとらわれて神の子であることを忘れ、親の存在を忘れたから何が何だか分からなくなったのぞ。そなたが元の元の神のいることを忘れ去ってしまったから不自由、不平等、不博愛、不幸せな、矛盾や疑問や問題ばかりの世になってしまったのぞ。そなたは、先祖供養は大切だというが、血統の先祖の行き着く先はすべてのすべてを創った元の神であるぞ。そなたは、家系の先祖を祀って、この元の神を祀るのを忘れているぞ。この方を無私しているぞ。この元の神がなければ、この世のものは何もないのぞ。そなたもそなたの回りもすべてないのぞ。そなたも回りもすべてのすべてがこの方が創ったものであることを忘れるでないぞ。これを忘れては、自由も平等も平和も幸福も豊かさも永遠にないのぞ。今までのゲームはもう終わりであるぞ。

 そなたは、そなたができないと言うから、できなかったのであるぞ。ありえないと言うから、ありえなかったのであるぞ。そなたが善悪を持っているから、善悪が見えるのぞ。そなたがそなたの内で戦っているから、外の者同士で戦うことになったのぞ。すべてそなたがしたいようになっているぞ。そなたが神を無私しているから喜びでないものがあるのぞ。この方が創った法則は、皆が喜びに生きられるやり方であるぞ。そなたの言う通りにそなたの体験を創りだす法則であるぞ。そなたがこの方の法則に違反したら、そなたに不都合や不調和を体験させて、元に戻す仕組みも創ってあるのぞ。すべての人間が喜びに生きてもらいたいという親ゴコロであるぞ。そなたの苦しみや問題はそなたが神の声を無私しているお知らせであるぞ。そなたの今までのすべての体験も、この方の法則に従ったものであるぞ。そなたがこの神の法則を無私したから、この神の法則に従って無私していることを知るために、苦しみを体験しているのであるぞ。
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 そなたの体験することは、すべてそなたのしたいようになっているのぞ。そなたがしたいことをすべて体験しているのぞ。そなたができるわけがないと言うとずっとできないのぞ。そなたが外のせいにするのは神の法則違反であるぞ。だから、不都合や不調和を体験しているのぞ。そなたがそれを外のせいにする限り、そなたは不調和を創りだそうとしているのと同じであるぞ。そなたは不調和を創って平気な顔をしているぞ。いつまで外のせいにし続けるおつもりか。この先は、神の法則違反をいている者にはビシビシ知らせていくぞ。神の声を聞いているものにはお陰をどんどんやるぞ。今までと同じであると思ったら、大きな間違えであるぞ。この方が言ったことはすべてその通りになるぞ。取り返しがつかなくならないうちにこの方の言う通りに生きはじめることぞ。この方はすべて教えているのぞ。知らないとは言わせないぞ。後になって気づいてもこの方はもう知らんぞ。
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 そなたは、神の法則を無私して、神を知らぬ人間の法則に従っていたから悩みを創りだしたのぞ。そなた自身が悩みを創りだしたのぞ。自分で創っておいて神に頼っているぞ。自分でしたことを人の責任にしているぞ。そなたが頼っている神は人間が創った神であるぞ。そなたの創りだした神はそなたの外にいるのぞ。外の神では悩みはなくならんのぞ。そなたの創った神はそなたの外にいるぞ。本当はそなたと神は一体であるぞ。神が外にあるという宗教、外を信じろという宗教はすべてウソであるぞ。そなたは、そなたの外に神を創りだして悩んでいたのぞ。そなたの外にいる神とそなたの境はどこにあるのぞ。そなたは自分で創った悩みを外の責任にするから悩みがいつまでも消えんのであるぞ。そなたが神を創ったのなら、そなたが神の神であるぞ。そなたは神であるのに、なぜに不満や文句を言うのか。神は何でもできるのであるぞ。神には悩みはないのぞ。そなたが神の子であるからそなたは悩みでも喜びでも創れるのぞ。神がそなたのお望み通りのものを与えるからぞ。外にある神を信じれば悩みがなくなるなどということはないのであるぞ。内と外を分けていてなぜに一つになるのぞ。悩みは分けているからあるものであるぞ。

 神は歓喜弥栄であるぞ。神には喜びしかないのぞ。神は一〇〇パーセント喜びであるぞ。一時の喜びではないぞ。全部喜びにならないと神ではないのぞ。現世利益を求めるのは構わないが、神の言うとおり生きればすべて望みが叶うようになるのぞ。神を生きれば、御利益がすべて叶うから御利益を求めることはないのぞ。そなたが何かを求めている時、そなたは神の生き方していないのぞ。そなたの望みが叶っていないから求めることになるのぞ。そなたの欲しいものを外に探しても何も叶わないのぞ。そなたの内にすべての鍵があるのぞ。そなたの内にあるものが外に見えているのぞ。そなたの外に見えているものはそなたの内にあるものであるぞ。そなたの内を変えなければ、外に見えるものは変わらないのぞ。そなたの姿があるかぎり、鏡を割っても何回でもそなたが映るのと同じであるぞ。外の鏡を割っても何も消えないのぞ。そなたの姿を変えれば、映るものが変わるのぞ。
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 そなたは自分の想念を肉体を使って感じているだけであるぞ。そなたのココロの対話はすべて想念の世界であるぞ。そなたが見ているものは形はないのぞ。そなたは未来か過去か仮定の話か人の話か自分で勝手に決めた話をしているのぞ。新しい世界は神の世であるぞ。そなたのココロが神のココロにならなければそなたはいることができないのぞ。次の世界の肉体は神のココロでないと入れないのであるぞ。そなたにこれから必要なのは神のココロになる修行をすることであるぞ。そなたはそなたが見ているものを使ってそなたの中の○×を見つけて消していくのぞ。そなたが○×をやめれば神がそれに応じてお望み通りのものを見せるのぞ。そなたはそなたの中の○×をなくしていくのが役目であるぞ。
P138
 いつまでも人を批判するのはよいが自分が神ココロにならなければ何をしても駄目であるぞ。お金でも学でも知でも財産でもだめぞ。今回の大掃除は誰一人として避けることはできないのぞ。どこにも逃げるところはないのぞ。肉体で助かろうとすると助からないぞ。人の邪魔をするとそなたが危ないぞ。神ゴコロになることだけがそなたが助かる道ぞ。世紀末に何が起きるか知っても意味ないぞ。そなたが神ゴコロになれば、何が起きても大丈夫であるぞ。そなたの肉体は、そのままでも、神ゴコロになっても、どっちにしても一旦お召し上げ(肉体を脱ぐ=死ぬこと)ぞ。そなたが神ゴコロになっていれば、次の世界に生き返ることができるのぞ。神ゴコロでなければ、死んだあとも修行は続くのであるぞ。死んでからの魂での修行はきついぞ。肉体あるうちに魂の掃除をしてしまうことぞ。

 そなたがアレコレ心配しているのは物質世界の大変であるぞ。そなたは肉体が無くなることを心配しているぞ。そなたは肉体ではないのぞ。そなたの本質は魂であるぞ。肉体が無くなっても魂は残るのぞ。魂は物質世界のどんな危険も毒もまったく関係ないのぞ。そなたの魂が神ゴコロであれば、噴火も地震も放射能も肉体がバラバラになっても関係ないぞ。そなたの魂は新しい肉体を得るぞ。そなたの心配している死は関係ないぞ。そなたが今までの死を避けようとしていると魂がアウトになるぞ。魂の掃除あれば、肉体で何が起きても関係ないぞ。何も怖くないぞ。肉体去っても神ゴコロならばOKであるぞ。食べるもの無くなっても毒食べても関係ないぞ。そなたが神ゴコロになることだけが必要なことであるぞ。神の最後の一厘であるぞ。そなたが嵌まっているトリックであるぞ。
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 そなたが学んだ今までの教えとはアベコベであるぞ。この道理分からねば、そなただけがアウトぞ。だれが助かるかは外からみてもわからんぞ。このフミはこのことを教えるための最後のフミであるぞ。これが最後の本当の真実であるぞ。人を頼る教や人を助けようとする教や争っている教についていくとアウトであるぞ。何が起きるか知れば知るほどそなたは危ないのぞ。これは真実であるぞ。これが真実かどうかと判断するのは嵌まっている証拠であるぞ。神の知識をいくら持っていても、目くそ鼻くそであるぞ。学や知や教や金では今回の大掃除は超えられないのであるぞ。そなたが自分がどうなるか心配しているとそなたが心配していることが起きるのぞ。心配するほど心配することになるぞ。

 そなたは神の子であるぞ。そなたの魂は神の分身であるぞ。そなたには本来喜びしかないのぞ。そなたが悩むのはそなたが喜びを創る神の声を拒否しているからぞ。神に病気直しや予言はいらないぞ。神に病気はないのぞ。病気はキの病であるぞ。神のキを疑っているから肉体に出てくるのぞ。そなたは神の声と人間の声とどちらを選ぶかというゲームをやって、葛藤を創りだしているのぞ。神には損得はないぞ。善悪もないぞ。神の声はすべての人間がうまくいくようにする方法を語っているのぞ。自分だけうまくいくようにしようとするから損得や善悪でものごとを分けて見ることになるのぞ。そなたの死は神にしかコントロールできないのぞ。そなたは自分に起きていることの真実を何も知らないのぞ。原因を知らないで勝手に原因を創って勝手に治そうとしているのぞ。
P140
 神には自分の未来がすべて分かるのぞ。何でもできるから自分の思いどおりの未来があるのぞ。自分の想いがすべて叶うから未来というものはないのぞ。期待もないのぞ。忍耐もないのぞ。起きることすべてが思いどおりのことであるから今この瞬間以外ないのぞ。過去も未来も後悔も心配もないのぞ。あるなら神でないぞ。そなたに悩みがあるならば、そなたは神の生き方をしていないぞ。神の生き方をマスターしていないぞ。そなたが神の言う通りにすれば、今ここでも神の体験ができるのぞ。そなたが神の言うとおりにしていれば神の仕組みや神の世界を知ることができるのぞ。知識ではないぞ。体験であるぞ。

 これから語ることは、そなたの体験やそなたの目の前のもの、すべてのすべてを創りだす神の真理であるぞ。そなたの誤解や、あやま知や、問題や、悩みや、苦しみや、戦争や、平和や、喜びや、幸福や、豊かさや、病気や、怪我や、事故や、不満や、文句や、すべてのすべてを創りだすことのできる、神の法則であるぞ。神は全能であるぞ。何でもできるから、すべてのすべてを創りだす法則を創ることができるのであるぞ。そなたは、喜びでも悲しみでも、何でも好きなものを創ることができるのぞ。そなたが創るのではないぞ。神が、そなたの想念(想い、ココロの声)を通して、そなたの注文を聞いて、神の創った道具(資源)を操作して、そなたのしたいように体験させてやっているのであるぞ。
P141
 そなたのしたことに、そなたがやったことというものはないのぞ。人間がしたことは、すべて神が人間を通して形にしていることであるぞ。人間の言葉も、人間の行動も、神が人間を通して形にしていることであるぞ。人間の歴史はすべて神が人間を通して創りだしてきたものであるぞ。自分たちがやってきたなどと勘違いするでないぞ。そなたが戦っているから神が外に戦いを見せるのであるぞ。外に戦いが見えるのは、そなたが戦っているからであるぞ。戦争があるのは、そなたが内なる戦争をやっているからであるぞ。どんなに戦争をなくす方法を話し合っても、この方のことを知らなければ答えはないのぞ。

 そなたが許せば神はそなたに語りかけるのであるぞ。神はそなたがしたいようにするから、そなたが許さなければ神は何も語らないのであるぞ。この方はいつもそなたに話しかけているのぞ。そなたが聞かなければ聞こえないのであるぞ。そなたは神の言葉を判断しているぞ。そなたは神の言葉を拒否しているのぞ。喜び創る声を拒否したら喜びないのが当たり前ぞ。当たり前ではなく、そなたが当たり前にしてしまったのであるぞ。今そなたらが体験している問題を解結するのも、神であるぞ。解結できるのは神のやり方だけであるぞ。今までの人間のココロを出すとますます混乱するぞ。神を知らない人間がいくら話し合っても混乱を創るだけであるぞ。今までは、すべて神が許していたからできたことであるぞ。物質文明も、情報化社会も、国際化社会も、戦争もすべて神が許していたからできたことであるぞ。今までも、人間の歴史は神の言う通りになっているのぞ。これからは、神のルール通りにビシビシ出していくぞ。神のルールをビシビシ適用するぞ。
P142
 そなたらは、平気で人を裁いているが、それは神がもっとも嫌うことであるぞ。神は一度たりとも裁いたことはないのぞ。そなたらが勝手に、罪や裁きを創ったのであるぞ。神が許していたからできたことであることにお気づきあれよ。人の行動や言葉は神の想念が形になったものであるぞ。人の言葉、人の行動、自分の言葉、自分の行動を裁くのは、神を裁くのと同じであるぞ。そなたが裁いている限り、そなたの思い通りにはならんのぞ。そなたが裁けばそなたも裁かれるのぞ。自分が自分を裁くのであるぞ。神を裁いていて神のココロになれると思っていなさるのか。神を無きものにしてこの先の天国あると思うなよ。自覚無きとはいえ、いい加減に目を覚まされよ。

 この方は、そなたやそなたが言う神々を含めた、すべての宇宙、すべてのすべてを産み生んだ、元の元のオオモトの元つ神であるぞ。この方のことを知ろうとしても無駄な抵抗であるぞ。この方はそなたよりも大きいのぞ。そなたはこの方の法則のはたらきを知ることができるだけであるぞ。神とは何ぞや、という宗教は永遠に答えはでないぞ。答えのでない問い掛けをいつまで続けるおつもりか。そなたの外を見ても探しても答えはないぞ。そなたの内を見なければ、この方は見えないのぞ。この方のことは何も分からないのぞ。この方が見えなければ、自分も見えないのぞ。自分自身が見えないで、この方を、元つ神を見ようというのは無理なことであるぞ。いい加減に目を覚ませよ。
P143
 このフミは、この方が創ったものについてのことを、創った張本人が、自ら語るのであるぞ。そなたも宇宙も神々も分からないことをキレイサッパリ全部教えるのであるぞ。こんな確かなことはないであろうが。こんな願ってもないことはないであろうが。このフミを伝えているこの者(=著者)はこの方が、そなたらが自動書記と言っている方法でノートに伝えて、一つ一つ実験させて、試行錯誤させて、苦労辛抱しながら気づいていったのであるぞ。そなたはそれを全部教えてもらえるのぞ。そなたは理科の実験の如く、人間を通して実証されている仮説を追実験するだけでよいのぞ。結果は決まっているのぞ。

 神のやり方は絶対であるぞ。こんな楽なことはないではないか。楽に見えるが楽ではないぞ。この者がしただけの苦労を短期間でするのであるから覚悟いたせよ。そなたが今まで楽をしようとしていた分だけそなたは苦労することになるぞ。苦労することになるが、神の苦労は必ず報われるのであるぞ。人間にさせられる苦労とまぜこぜにするでないぞ。神は騙す必要はないのぞ。神はウソをつく必要はないのぞ。神は何でも好きなだけ与えることができるのぞ。そなたが提案した分だけキッチリと与えるのであるぞ。このことについては、後々に、しつこくしつこくいやというほど語るから、シッカリとココロして聞くのぞ。いい加減な気持ちで聞いていると、最後の最後で取り返しがつかなくなるから、そのつもりでハラを据えて修行に取り組めよ。
P144
 騙されていると思う者も、今度だけは、最後まで聞くのぞ。そなたはフミを読んでいるのではあるが、そなたのココロの声を聞いているのでもあるぞ。そなたが読むという時はココロの中の声を聞いているのであるぞ。このフミは、人を騙そうとか、自分だけ得しようとか思っている人間が語っているのとは違うのぞ。この方は、そなたの身魂を生んだ神であるぞ。この方は、きついことをたくさん言うぞ。しつこくしつこく何回も何回も同じようなことを言うぞ。それは、今ここで、この方の言うことを素直に聞かねば、そなたの身魂が栄えるか滅びるかの瀬戸際であるからぞ。身魂が滅びれば、肉体の死どころの話ではないのぞ。こらえにこらえて最後まで聞くのだぞ。これが本当の勉強、本当の修行であるぞ。悟りというのは神のやり方と人間のやり方の差を取ることぞ。瞑想は悟りを得る手段ではないぞ。神のやり方を実践して初めて差が取れるのぞ。差取れるのぞ。神のやり方を実際に行動することだけが悟りの道であるぞ。今までの教にとらわれるでないぞ。
P145
 そなたの人生が、そなたの思い通りにならないのは、そなたが神ではないからぞ。神はすべて自分でできるのぞ。人の責任にすることはないのぞ。すべて思いどおりになるから人の責任にする必要はないのぞ。人の責任にするのは、神ではない証拠であるぞ。そなたは、今は「神成る修行の身魂」であるぞ。新しい世で神に成るための修行をしている魂であるぞ。今は、この方とこの方の家来の神々がいなくては、何もできないのぞ。そなたの修行を神々が手伝っているのであるぞ。神に損得はないぞ。神は永遠無限であるぞ。いくらでも、何でも、創りだせるのぞ。騙す必要はないぞ。出し惜しみもしないぞ。そなたが必要なものは何でも与えることができるのぞ。そなたは神の言うことを聞いて素直にハイハイと言ってやれば楽に修行ができるのぞ。欲しいものが楽に手に入るのであるぞ。神の言うことを聞かないから、欲しくないものという欲しいものが楽に手に入っているのぞ。神の言うことを聞かなければ欲しくないものが簡単に手に入るのであるぞ。

 そなたの回りにあるものは、そなたも含めて、すべてこの方が創ったものであるぞ。この方が創ったオオモトの資源を人間を通して組み合わせたり分解したりして創りだしたものであるぞ。すべてがすべて神のものであるぞ。神が自由自在に操作できるのであるぞ。人間からみたら奇跡や偶然に見えるのは、そなたがこの方のことを忘れてしまっているからであるぞ。この方は、騙したり、約束違反をしたり、出し惜しみしたりはしないのぞ。この方は無限の手札をもっているのぞ。あやま知にとらわれたゲームをしている人間とは違うのぞ。そなたは自分が何をしているのか何も知らないのぞ。このフミをよく読んで、神の言うことをよく聞いて、早う目を覚ませよ。
P146
 この方が偉そうにしていると思う者、この方は威張っているのではないぞ。この方はそなたを生んだ神であるぞ。すべての仕組みを創った神であるぞ。そなたの親であるぞ。そなたのことは一から十まで知っているのぞ。そなたの身魂のしてきたことをすべて知っているのぞ。そなたの-も+も見えるのぞ。そなたの知らないことも全部知っているのぞ。そなたの未来も知っているのぞ。そなたが天国になる方法も知っているのぞ。この方の言うことを聞けば、何でも与えるのであるぞ。そなたが身魂の掃除を終われば、そなたは歓喜弥栄なのぞ。この方の言うことを聞いたら、喜びだけであるぞ。疑うのは、この方の言うことを聞いていない証拠であるぞ。この方の言うことを聞くといっても、人間の言う家来や奴隷になると考えるなよ。神の奴隷になれば歓喜弥栄なのぞ。そなたが思い通りにならなかったのは、この方の言うことを無視していたからであるぞ。そなたの苦しみや問題や悩みは、この方のやり方を無視しているお知らせであるぞ。お知らせをさらに無視して、人のせい、神のせいにするからますますお知らせがきつくなるのであるぞ。そなたがこのことを認めない限り、そなたはどんどん地獄に落ちるだけであるぞ。
P147
 この先は、神の規則通りにビシビシと出していくぞ。そなたが助かる方法は、神のルールを学んで、今までのルールと入れ換えて行動することだけぞ。そなたから見れば怖いことであるぞ。危ないことであるぞ。神から見ればそなたの方が危険であるぞ。そなたが身魂の、宗教の入替えをすることがそなたが助かる道ぞ。そなたが神の道を自分で歩き出すことぞ。これを身魂の掃除というぞ。そなたの身魂の掃除が済めば、外で起きることは何も関係なくなるのであるぞ。外に何が起きるか考えていると危険なのであるぞ。外で起きることを考えなくなるのが安全になる道であるぞ。これは今までの宗教で考えていてもわからんのであるぞ。そなたがやらなければ絶対に分からないのであるぞ。やらないで知ろうというのは甘い考えであるぞ。人生は甘くないのであるぞ。欲しいならば先に提供することぞ。神を信頼せよ。騙されるかどうかを心配するのはそなたの自分勝手であるぞ。

 身魂の掃除をすればそなたは自由になるぞ。喜びになるぞ。身魂の掃除とは、善悪、正誤、苦楽に分けて考える分かつ知をやめて行動することぞ。この方の言う通りに素直に行動することぞ。この方の宗教を信じることぞ。信じることとは行動することぞ。わかったら一言一句違わず行動することぞ。わかったフリは、この方には一切通用せんぞ。タテマエは人間のゲームの中で身を守るゲームであるぞ。お互いにタテマエと知っていてタテマエのゲームをやって苦しんでいるのぞ。神なる修行とは、神の生き方を今ここで実践することであるぞ。できないというのはこの方の言うことを聞いていない証拠であるぞ。
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 この神の言うことを素直に聞いていれば、そなたはもともと、何の苦しみも悲しみもないのであるぞ。苦はこの方のやり方から外れていることを教えているお知らせであるぞ。苦あるのはそなたの神のルール違反の証拠であるぞ。喜びを創る神のルールを拒否しているから教えているのであるぞ。苦あるのは当たり前ではないのぞ。本来は苦ないのが当たり前であるぞ。苦あるのが当たり前だと言う者、この方の言うことを聞いてないぞ。この方の言うこととアベコベをやっているのぞ。この方の家来になれば喜びであるぞ。この方の家来になることが喜び、自由になる唯一の道であるぞ。この方に抵抗することが、苦しみ、不自由になる唯一の道であるぞ。今のそなたの姿であるぞ。素直が一番ぞ。人に素直ではなく、神に素直になれよ。すべてアベコベであると思って行動せよ。

 神に素直になるということは、自分に素直になるということぞ。神はそなたの想念に入って語っているぞ。そなたの想念に同調するのぞ。そなたの想念にいつも語りかけているのぞ。そなたが神を無私すれば神は何も言わないのぞ。何も教えないのぞ。そなたから神に近づかなければ何も聞こえないのぞ。何も聞かなければ何もこないのぞ。神の声を聞いただけではだめであるぞ。聞いたものを実行して、初めて神は教えるのぞ。体験を通して教えるのぞ。学や知ではだめであるぞ。信頼と引換えであるぞ。そなたが信頼した分量だけ忠実に与えるぞ。そなたが疑っている分量だけ忠実に与えないぞ。そなたが疑っていると気づくようなものを与えるぞ。与えないで与えるのぞ。この方の言うことを聞けば、そなたは何でも得られるのぞ。人や社会は関係ないぞ。神の制限の中で人間の永遠の自由が得られるのであるぞ。人間から見ると矛盾して見えるが、これが真理であるぞ。この方の言うこと聞くと自由になるのぞ。この道理分かるか。
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 この方の申すことを信じるか信じないかはそなたの自由であるが、そなたの身魂はこの方が産んだものであることを心得てこのフミを読めよ。そなたが神がいるとかいないとか言えるのも、そなたの身魂をこの神が産み生んだからであるぞ。そなたはどうあがいても抵抗しても、この方の中からは出られないのであるぞ。疑う者は、こころゆくまでこの方から出ることを試みよ。そなたが抵抗するほどそなたが苦しむだけであるぞ。人は苦しみを解結できないぞ。そなたが人の苦しみを解結することもできないぞ。そなたは、この方の創った「神の法則」の中でそなたのお望みのゲームをやっているだけなのであるぞ。

 そなたら人間は、次の世では「神」と成る身魂であるぞ。本当のヒトになる身魂であるぞ。一十(ヒト)になるのぞ。今はヒトになる間であるぞ。神に成る修行をしているのぞ。神に成れば全部自分でできるのであるぞ。神なる修行の身では、神の助けが必要であるぞ。そなたは自分が正しいなどとは言えないのであるぞ。自分がやったとは言えないのであるぞ。そなたがしたいことを神が手伝うのぞ。そなたが見ているものはすべて神の作品であるぞ。神が自由に操れるのであるぞ。そなた以外の人間も想念に指示して動かすこともできるのぞ。自分勝手だと言うのはそなたが自分勝手であるぞ。そなたは自分で何かしたと思い込んでいるだけぞ。人のことを言う前に自分のしていることを見ることぞ。
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 神なる修行の身であるそなたらは、神の法則を外すことはできないのであるぞ。神の法則は喜び創る、天国創る法則であるぞ。神の法則を外すのは不調和を創りだすことであるぞ。地獄を創る方法であるぞ。不調和創りだしている者、全部、神のルールに違反しているのぞ。人のこと言えないのぞ。人を裁いている場合ではないのぞ。自分はルール違反していないなどとタワケたことを言うでないぞ。自分は善人だ、自分は正しい、などと言うでないぞ。善悪、正誤で裁いている者は、ルール違反であるぞ。神は身魂を見るのぞ。身魂のルールであるぞ。迷惑だと言う者、そなたが迷惑であるぞ。そなたが自分勝手であるぞ。そなたは、肉体のゲーム、目に見える世界だけの損得、善悪のルールを決めてゲームをしているだけであるぞ。そなたがすべきことは、身魂のルールに従うことであるぞ。モノの損得など言っている場合ではないのぞ。身魂のルールを思い出せよ。この方が、このフミですべて教えるから、ここでシッカリとショウネを据えて勉強しろよ。

 神は喜びであるぞ。神は永遠に喜びであるぞ。喜びしかない神が創るもの、すべて喜びであるぞ。神の法則も喜びを創るものであるぞ。簡単な道理ではないか。そなたは苦しみを神のせいにするが、そなたの苦しみは、そなたが神の法則を外しているのをお知らせするために神が与えているのであるぞ。「苦」「不都合」「不調和」は、そなたが神の法則を外している証拠であるぞ。自分のしたことを神の責任にするなよ。ますます外すぞ。そなたが神の法則を外したのを気づかせるために、本来ない「苦」を与える仕組みを創ったのであるぞ。神の法則を外せば、そなたの身魂は滅びるのであるぞ。なくなるのであるぞ。そなたは文句言えないのであるぞ。誰が決めたのかなどと言えないのであるぞ。本来ならば自分のしたことは自分の責任であるから、神なる身の自覚がないから、ほっといて滅びる体験をさせてもよいのであるが、素晴らしい次の世を一人でも多くに体験させてやりたいという、親心であるぞ。神の情けであるぞ。神の大サービスであるぞ。
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 この方は響きで表に出ているぞ。波動といってもよいぞ。振動数が違うといってもよいぞ。すべてのすべてを創りだす振動であるといってもよいぞ。そなたが今まで創っていた神とは違うのぞ。神はそなたの中にいるといってもよいぞ。神が放送局でそなたが受信機であるといってもよいぞ。そなたがチャンネルを合わせないと神は見えないのであるぞ。そなたには神の形は見えないから隠り身であるが、そなたの想念を通して語りかけるからココロして聞くことであるぞ。そなたのココロの声にこの方の言葉があるのぞ。ココロを判断しているとこの方の語る真理を聞くことはできないのぞ。そなたの価値判断を一切やめることが真理を知るための第一歩であるぞ。これをこの方はお掃除と言っているのぞ。どっちがどうか、と比べる分かつ知をやめることがお掃除であるぞ。比べるから分かれるのであるぞ。楽を見るから苦を見ることになるのぞ。善いも悪いも神にはないのぞ。そなたらが悪と言っているものも神が許してそこにあるものぞ。そなたは悪を裁いているぞ。そなたが悪を悪ということが悪であるぞ。これは大事なことだからよく覚えておけよ。
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 人間というのは、この方が産み生んだ身魂が肉体という衣を着たものであるぞ。そなたは身魂であるぞ。肉体ではないぞ。身魂が肉体を通して感じているのであるぞ。そなたの想念がそなた自身であるぞ。そなたの想念と神の想念が語っているのであるぞ。そなたの想念を神が聞いて、神の創ったモノを操作して、そなたの希望通りのものをそなたに与えているのであるぞ。そなたが何かしているのではないぞ。そなたの想念を神が形にしているのであるぞ。そなたの目の前にあるものはモトモトは神の響きであるぞ。そこにある形はすべて神が創ったものであるぞ。そなたが生まれる前からあったものがそなたら人間を通して形になったものであるぞ。そなたは借り物を自分の物にしているぞ。そなたから見れば自分がしているように見えるのぞ。そなたがしたいことを神が形にするのぞ。そなたがしたくないならばしたくないと感じることを形にするのぞ。

 そなたが今まで創りだしてきたものは、すべて幻想であるぞ。神のルールを無視して創りだしているから「問題」や「悩み」や「争い」が絶えないのであるぞ。この方は、歓喜弥栄、天国を創るのが望みであるぞ。イヨイヨ(5454)最後の最後、そなたらが創りだしたアベコベの形をすべて清算して、末代動かない神の世を創る地ならしを始める時節になりたぞよ。外の清め、人間(わが子)のしりぬぐいは神がやるから、そなたらは自分自身の大掃除だけに専念することぞ。神は総出で手伝うぞ。この後に及んで、まだ掃除をせんという神なる身魂の自覚なき者は、容赦はせんから覚悟いたせよ。そなたは不調和をまき散らしているのぞ。これは天国を創るための避けられんプロセスなのであるぞ。
P153
 すべてのすべての始めは「元つ神」であるぞ。すべてのすべては「元つ神」であるこの方が自らの内に産み生んだものであるぞ。そなたらも、中の神々も、宇宙も、すべてこの方の中であるぞ。元つ神であるこの方をそなたらの外に創りだすことはできないのぞ。そなたらが神と言っているのはそなたが創りだした自分勝手な神であるぞ。神が外にいるという宗教、自分の神だけを信じろという宗教はこの方の宗教ではないぞ。そなたにはこの方は分からないのぞ。見えないのであるぞ。この方のやり方が分かるだけであるぞ。そなたは、この方の言うとおりに、この方のやり方通りにやれば、今ここでも「天国」を生きることができるのであるぞ。すべてのすべてを創った神が言うことであるぞ。これ以外にそなたがこの先、生き残る道はないのであるぞ。

 そなたが、今ここで「天国」を生きていればどこへいってもどうなっても天国なのであるぞ。そなたが天国ならば、今ここで死んでも天国であるぞ。新しい世の民にもなれるのであるぞ。次の世がどうなるか、死後がどうなるか、社会がどうであるか、これから何が起きるかを気にする必要はないのであるぞ。そなたの外で、物質の世界で、何が起きるかを心配するのは、神成る修行が足りない証拠であるぞ。そなたが体験からこの道理が分かったときに、そなたは初めて笑えるのであるぞ。本当に安全なのであるぞ。神成る修行をしたことになるのぞ。そなたらには一人として本当に笑える者はいないのであるぞ。神の修行をせずに今ここにあるものを楽しんで最後の人生を終えるか、神の修行を終えてから神の世界にいくまで今ここにあるもので楽しむか、大きな違いであるぞ。
P154
 今ここにあるものはすべて神のものであるから、人間のゲームでも神のゲームでも使えるのであるぞ。神の修行をしてからゆっくり遊ぶことができるのであるぞ。「そんなことはありえない」「そんなことはバカバカしい」などと言っている者は、この方のやり方は永遠に分からないのぞ。そなたは「新しい世の民」にはなれないのであるぞ。新しい世は、「神のルールを身につけた身魂」だけが生きることができる「神の世界」であるからぞ。そなたが神の世界に生きたいならば、人間のゲームからきれいさっぱり足を洗って神の修行をすることであるぞ。神の修行をすることが調和を創りだすことにもなるのであるぞ。神の修行をすることがみんなのためになるのであるぞ。自分のためが人のためであるぞ。今までの人間のゲームは迷惑掛け合う自分勝手ゲームであるぞ。神のゲームをすることが調和を創りだす方法であるぞ。神のやり方を迷惑だというそなたが迷惑であるぞ。

 この方が語っているのは、そなたの世界にあるもの、神の世界にあるもの、すべてのすべてを創りだす「オオモトの元の神の真理」であるぞ。すべてのすべてを自らの内に産み生んだ「元つ神」が語る「オオモトの原理」であるぞ。すべてを創りだす「創造の物理学」であるぞ。「神成る修行のやり方」でもあるぞ。そなたが新しい世で神に成るためのルールを語ったものであるぞ。そなたらには、最後の大掃除までもう時はないのであるぞ。いつまでも「我れ善し」の自分だけ勝手ゲーム、お金集めゲーム、人集めゲーム、自分が一番ゲーム、損得ゲーム、自分だけ勝つぞゲーム、あんたのせいだゲーム、俺は偉いぞゲーム等々、地獄の混乱ゲームをやっている暇はないのであるぞ。不調和を創りだす人間勝手なゲームはいい加減にやめて、このフミ読んで神成る修行にはげんでくだされよ。
P155
 「どれが元つ神のやり方か」「どれが本物であるか」「どうすれば神が生きられるか」「どうすれば神のルールから外れないか」「どうすれば天国になれるのか」などと言っている者は、この方の言うことを分かっていないぞ。この方にこういう質問をすること自体がこの方のやり方から外れているのぞ。損得○×善悪判断ゲームをしている者、人をコントロールしようとしている者、ある特定の見方(常識等々)しか認めないと言っている者、自分は正しいと言って他を排除している者、自分の外の神に頼っている者、人のすることに口出しする者は、この方を知らない者であるぞ。そなたが同じことをするならば、そなたも同じであるぞ。この方のやり方を知らない人間に答えを求めてもこの方は語らないのであるぞ。そなたがこの方を知らないならばこの方は判断できないのであるぞ。
P156
 この方は、そなたの想念と対話するのであるぞ。そなたの内側に問いかけなければこの方は答えないのぞ。この方のやり方は天国であるぞ。そなたは内なる声に従って一つ一つやればよいだけであるぞ。この方には、損得も善悪も○×もないのぞ。この方に判断はないのぞ。そなたがそなたの内側の声を判断をするならばこの方の声は聞けないのぞ。この方の言うことを聞くだけではなくてこの方の言う通りにやることが必要であるぞ。この方は、体験で分かる神であるぞ。この方のやり方は実際に体験して初めて分かるのであるぞ。特別なことではないぞ。そなたの行動指針というものを取り替えるだけであるぞ。今まで学んだものをこの方の言うことに交換するだけであるぞ。神の生き方と言っても特別なものではないのぞ。人に頼っていて文句を言うでないぞ。人のすることに口出しするでないぞ。自分のすることを判断するでないぞ。自分の体験を人の責任にするでないぞ。そなたがこの方のやり方をやっているならば、外のものは関係なくなるのぞ。

 神のルールというのは「自分のしたことは自分で責任をとる」ということであるぞ。そなたのしたことはすべてそなたの選択の結果であるぞ。人や神や社会のせいにしている者、人や神や社会に頼っている者、人や神や社会を善悪○×損得で判断している者、自分の外側に神を探している者は、改心(改神)が必要であるぞ。人や社会が何と言おうとそなたが人の責任にせずにやればよいのであるぞ。神に善悪、○×はないのぞ。神に失敗はないのぞ。何をしてもよいと言っても、殺人や泥棒やいじめ等々は「人の責任ゲーム」の結果であるぞ。そなたのしたことを判断している者と議論するならば、そなたは神のルールではないぞ。迷惑というものはないのぞ。人のしていることを善悪○×損得で判断することが迷惑であるぞ。皆自分勝手であるぞ。神の自分勝手をすることであるぞ。
P157
 神のルールに反していればそなたは神には成れんのぞ。人間が創った「法律」違反どころの話ではないのぞ。そなたは調和を創りだす神のルールを破っているのぞ。そなたは神の犯罪人であるぞ。犯罪人を責めているそなたが神から見たら犯罪人であるぞ。この道理分かるか。厳しいが、そなたのために言っているのであるぞ。神成る修行の身であるそなたらは、神成る修行をすることが使命であるぞ。人のせいにしていた部分、○×の争いをしていた部分を無くすことが神なる修行であるぞ。今までのすべての人生で「自分の責任をとっていなかった部分」を清算するのが修行であるぞ。そなたの身に振りかかるように見える出来事、病気や事故や怪我や損や家族の死や失業等々の「不幸」と言われるものは、そなたが今までの人生での神のルール違反を自らの痛みで清算し、教えてくれているものであるぞ。そなたの苦は、そなたの今までやった「真釣り外し(神のルール違反)」を肉体を通して清算するための出来事であるぞ。そなたの葛藤や悩みは「神のルール以外のもの」を選んでいる証拠であるぞ。
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 神には「不幸」や「悩み」というものはないのぞ。神は喜びだけであるぞ。苦あるのはオカシキことであるぞ。苦あるのはそなたの責任転嫁の証拠であるぞ。自らのしていることを自覚して神成る修行をすることぞ。そなたが肉体の世界で苦しみ、痛み、辛さ、不幸等々を感じているときは、今までの真釣り外しの清算をしてくれていると思うことであるぞ。神がそなたの肉体を使って清算してくれているのぞ。自分の苦しみを人のせいにするでないぞ。自分の辛さを人にグチグチ言うでないぞ。人に言っても不調和まき散らすだけぞ。不幸がきたら感謝であるぞ。そなたの身に覚えがなくても、今までの過去の人生のどこかでやったことであるから、肉体に形になっていることが証拠であるから、素直に感謝してお詫びして改心することであるぞ。そなたの外側に○×が見えたとき、外側に責任が見えたときは、そなたがそう見ているのであるぞ。そなたが体験しているのはそなたがした結果であるぞ。そなたが見ているのは自分の内側であるぞ。そなたの肉体の体験というのはそなたの身魂のしていることの結果であるぞ。

 そなたらは「犯罪」や「病気」や「事故」や「トラブル」等々についての本当の原因を知らないのであるぞ。「神」や「死後の世界」や「天国」について何も知らないのであるぞ。そなたがすべてを知っていれば何の混乱も、何の悩みも、何の恐れもないのぞ。そなたが神への感謝を忘れて不満や文句を言ったり、感謝を後回しにしてすぐに形の修繕に走ったり(医者に治して貰おうとしたり)、自分の身を守ったり、死を恐れたりしているならば、そなたにとって「新しい世」は遠くなるのであるぞ。そなたが今までの学や教にとらわれて神の言うことを聞かないならば、そなたの人生は今世で終わりであるぞ。神の言うことについてアレコレ言うのは勝手であるが、この方の言うことを否定すればそなたには「新しい世」はないものと思ってよいぞ。そなたの肉体は修行のための道具でもあるのぞ。今のそなたにとっては、グチを言ったり、文句を言ったり、人を責めたり、お金を集めたり、人をコントロールしたり、勝ち負けゲームや取り合いゲームに励んだりしている暇があったら、外側の鏡を使って、肉体を通して神なる修行を始めることが必要なのであるぞ。これは誰のためでもなくそなた自身のためであるぞ。
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 そなたらが宇宙と思っているものは、元つ神の中にはらんだ子宮内宇宙であるぞ。そなたらの宇宙にあるものはすべてこの方が産み生んだものであるぞ。宇宙は無限ではないのぞ。元の神まで考えれば無限なのであるぞ。そなたは宇宙について何も知らないのであるぞ。この方に聞けば宇宙のことはすべて分かるのであるぞ。そなたらがこれから体験するのは、初めての「子宮内宇宙の出産」であるぞ。そなたの宇宙そのものが神の世界に生まれるのであるぞ。それがどういうことかということを考えても分からないのであるぞ。そなたは神の世界を何も知らないのであるぞ。何を知ろうとしているのか。そなたが神の世に生まれればすべてが分かるのであるぞ。今度の出来事は、そなたらにとっては万古末代二度とない一度こっきりの出来事であるぞ。そなたは生まれて初めて見る世界にいくのであるぞ。そなたがすることは出産の準備を進めることだけであるぞ。神の世界のルールを学んで実行することであるぞ。神の世界への産道はもう開いているぞ。そなたはもう戻れないのであるぞ。神に成るか、滅びるかの二つに一つの選択であるぞ。
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 天神様の細道は神の修行がなければ通れないのであるぞ。産道は参道であるぞ。神社の参道は産道の型示し(神の仕組みを形で現したもの)であるぞ。神社には修行なくてもお参りできるが、神の世界へは修行(五用=神のココロ)なき者はお参りできないのであるぞ。この方の言う通りに修行をしなければそなたには神の世はないのであるぞ。この方しか知らない世界のことを人間に聞いても分からないのであるぞ。神の世界を知りたいならばそなたの内側のこの方と対話することであるぞ。時代劇の「お上の御用」というのは「お神の五用」のことであるのぞ。殿様は偉くないのぞ。元の神が一番偉いのであるぞ。そなたらはこの方なくしては存在できない身魂であるぞ。いつまでも、この方を知らぬ人間が創った身分や地位の上下ゲームをして威張っているでないぞ。威張っている者ほど、神の修行は厳しいのであるぞ。そなたが知っている神や仏は人間がつくったものであるぞ。そなたが神や仏のことをいくら知っても研究しても目くそ鼻くそであるぞ。そなたは神の世界のことを何も知らないのであるぞ。わかりたか。

 そなたらは、これから、元つ神の子宮の外に出て「神」に成るので あるぞ。「神」といっても、そなたらは「日月地の神(地の日月の神)」という神であるぞ。「日月地(昼夜地)」を統べ真釣る神であるぞ。この方はすべてのすべてを統べ真釣る神であるぞ。そなたが神になるにはまず神の響きをださなければならないのぞ。神の想念になることであるぞ。神の響きを鳴らすことであるぞ。今この世界で神の行動をすることであるぞ。神の響きが鳴って、初めて神に成るのぞ。想念があって形になるのであるぞ。そなたが今ここで神の想念でなければ、次の世界にはいけないのであるぞ。そなたの想念の響きの通りの形を創るからであるぞ。次の世でいきなり神に成ろうとしても無駄なことであるぞ。最後になってまとめて修行しようなどと考えていても、そなたには耐えられんことであるのぞ。この方の言う通りに今ここで一つ一つ神成る修行をしていれば、厳しいとはいえ楽に神に成れるのであるぞ。今ここでこの方の言うことを聞けば必ず神に成れるのであるぞ。
P161
 そなたは「神」に成れば、そなたがしたいことはすべて自分でできるのであるぞ。そなたの欲しいものは、誰も傷つけずにすべて手に入るのであるぞ。そなたが神の響きを出せば、今ここでも神の助けを借りてできることであるぞ。そなたが神に成ればこの方の助けは要らなくなるのであるぞ。そなたが神に成るには神に成る修行が必要であるぞ。そなたが今ここでするのは「神成る修行」であるぞ。そなたがすることは、この方から神のルールを学んで、今ここで実行して、すべてを自分の責任で行動する態度を身につけることであるぞ。今までの○×のゲームをきれいさっぱりやめることであるぞ。そなたが学んだアベコベの行動を改めることであるぞ。今ここで「改心(改神)」することであるぞ。そなたがどんな神になろうともそなたはこの方の外には出られないのであるぞ。このことをシッカリと覚えておくことであるぞ。すべてのすべてが調和のもとに機能できるように創ったこの方の言うことだけがそなたが天国になるやり方であるのぞ。そなたが神に成ったらこの方は喜んで引退させてもらうぞ。この方を早く楽にさせてくれよ。
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 そなたが神に成るとはいっても、この方の子宮の外もこの方の中であるから、そなたらは「元つ神のルール」に従うのであるぞ。神の子宮の外は、神の世界だから、神でなければいられないのであるぞ。神に成った者しか新しい世の民にはなれないのであるぞ。新しい世の肉体は光一つ上がった体であるぞ。そなたという身魂が神の響きを出していなければ入れないのであるぞ。そなたらは、今のままでは、この世が最後の人生となるのであるぞ。そなたらが今握っているものは、子宮の中だけで通用していた道具であるぞ。この方は、子宮の外で必要な道具について語っているのであるぞ。子宮の外ではこの方が語っている真理がそなたの生命の源となるのぞ。そなたは子宮の中で必要なものにしがみついているのであるぞ。赤ん坊は臍の緒で母親と繋がっているが、外に出れば臍の緒は必要ないのぞ。赤ん坊にとっては臍の緒は命であるから怖いことであるが、母親は子宮の外の世界のことを知っているから大丈夫だと分かるのであるぞ。この方が臍の緒(今まで学んだ知識や今まで手に入れた地位名誉財産等々)を切れというのはそういうものは神の世では必要ないからであるぞ。神の世を知っているのはこの方だけであることを覚えておけよ。
P163
 そなたはまだ体験したことのないことをあれこれと想像しているのぞ。知ろうとしているのぞ。そなたは自分の安全を探しているぞ。安全を探すと安全はないのであるぞ。そなたは今までずっと子宮の中の胎児だったのであるぞ。そなたには子宮の外のことは分からないのであるぞ。子宮の中の胎児は子宮の外のことを知らないのであるぞ。そなたの親であるこの方だけが知っているのであるぞ。人間の胎児は何回も生まれ変わっているから人間の子宮の外のことを知っていることもあるが、神の胎児は一度も出産していないから、神の世界のことはこの方に聞かなければわからないのであるぞ。この方は子宮の中の胎児とも通信できるのであるぞ。この方は子宮内宇宙の存在を通して子宮内宇宙の存在に語りかけるのであるぞ。宇宙存在のメッセージもこの者の書くこのフミもそなたら子宮内の存在へのこの方の通信であるぞ。子宮の外のことは見えないが、通信を通じて知ることはできるのであるぞ。この方の言うことだけがそなたが外の世界を知る唯一の手だてであるぞ。

 この方が語ることは、そなたという身魂が生まれてこのかた初めて聞く「元つ神の真理」であるぞ。この方は、このフミを通して、そなたら、肉の体を持って人間になっている身魂に分かるように、神の子宮の中で同じ人間の体験をしているこの者を通して、「日本語(実は、この方のことを伝えるシンボル)」という人間の言葉を使って、目に見える形で初めて聞かす(=見せる)のであるぞ。そなたは、この方が今までそなたのココロに語りかけていたにも係わらず、この方の元つ真理を知らぬ人間から学んだ「アヤマ知(神の法則から外れた知恵)」でココロを曇りに曇らせて、人間のゲームの中で自分を守るために、人から気違いと言われないために、見ざる言わざる聞かざるでこの方の語る真理を無視していたのであるぞ。この方がそなたのココロに語りかけてもそなたが無視し続けるから、今の今は、もう最後の大掃除の舞台まで時がないから、最後の手段として、最後の情けとして、最後の大サービスとして、こうやって目に見える形で見せるのであるぞ。この方の語ることを聞かなければ、そなたには新しい世はないからであるぞ。これが本当の「子を思う親ゴコロ」であるぞ。そなたら人間の親がやっているように親の期待を満たすためだけの親ゴコロではないぞ。この親神のココロがわかるか。神の真意(神意)をくんで、一人でも多くのお子がこの方のところへ来てくれることを楽しみにしているぞ。
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 この方が語るのは、そなたがずっと探していた「夢を実現する方法」であるぞ。みんなが嬉し嬉しになる「天国を創る方法」であるぞ。今の今の今今も、肉の体を脱いだ(死んだ)あとも天国でいつづける方法であるぞ。天国を創りだす唯一つの真理であるぞ。そなたが今まで無視してきたから、そなたには天国がなかったのであるぞ。形の上では平和に見えてもそなたのココロは地獄なのであるぞ。そなたのココロに戦いがある限り、そなたの外側の戦いはなくならないのであるぞ。そなたの内を掃除しなければ、そなたの外にあるものは何一つ変わらないのであるぞ。そなたの内にあるものを神が見せているからであるぞ。そなたが見ているものはそなたの内にあるものであるぞ。外側にあるものを責めたり変えようとしたりしているといつまでもそのままであるぞ。
P165
 そなたは神に取りつかれているのぞ。そなたが人間として動けるのは、そなたの想念に応じて神が働くからであるぞ。そなたはいつもなんらかの神に取りつかれているのぞ。幽霊や悪霊に取りつかれている云々と人を批判したりバカにしたりするそなたもそういう神に取りつかれているのであるぞ。そなたがどの神に取りつかれたいかを決めているのであるぞ。そなたが人間のゲームに取りつかれて身欲や保身に走ったときに、そなたと同調して知らせる神もいるのぞ。そなたがこの方を無視すればこの方の生んだ「悪神」に引っ掛かるのぞ。「悪神」も新しい世では神になる「神」であるぞ。「悪神」に取りつかれたそなただけが新しい世にいけなくなるのであるぞ。「悪神」にはこの方がすべて教えてあるから、自分のしていることをすべて知っているぞ。「悪神」はすべてを知っていてそなたを引っ掛けているのであるぞ。「騙した騙された」というゲームをやるでないぞ。この方はこうやってすべて教えているのぞ。もう知らないという言い訳は通用しないのぞ。人のせいにも神のせいにもできないぞ。今までもそなたの心掛け次第でこの方やこの方の家来の神に取りつかれて天国になることもできたのであるぞ。すべてのすべてはそなたの責任であるぞ。責任はそなたにしかないのであるぞ。責任追及ゲームは幻想であるぞ。

 そなたがこの方を知らずにそなたの理屈で外を変えようとすると、ますます思惑と逆の方向へ進むのであるぞ。この方が表に出ている今今は、このことをハッキリと分からせるぞ。この方が許さないから今までのゲームはできないのであるぞ。そなたが人を変えることはできないのぞ。人が変わったのは人が変わることを選んだからであるぞ。そなたが変えたのではないぞ。いつまでもアベコベの幻想にとらわれていないで、この方が訓練したこの者の言うことをよく聞いて自らの嵌まっているトリックに気づいてくれよ。この者はこの方のやり方を人間としてすべて知っているのぞ。この方の天国の方法をマスターしているのぞ。今すぐにでも神の世界へ行ける身魂であるぞ。この者の肉体を消せば、そなたらがこの方のやり方が分からなくなるだけであるぞ。この者はこの方が守護しているから手出しするとそなたが危ないのであるぞ。そなたが新しい世界へいけなくなるだけであるぞ。教祖様、支配者様、権力者様、この方を知らぬ宗教を創って人民を地獄のゲームに誘うのはもうやめてくれよ。いい加減に目を覚ましてくだされよ。皆がそろってアウトになるのぞ。そなた自身もアウトになるのぞ。それでもよいのか。今ここで決めろよ。
P166
 そなたが見て、外側が変わったように見えても、それは力を使って変えたものであるから守る必要がでてくるのであるぞ。力を使って創ったものは、力を使って壊れるのであるぞ。軍隊があるのは今ある平和が創ったものであるからぞ。そなたがやっているのは自分だけが良ければ良い、我れ善しの力と力の戦いのゲームであるぞ。天国には戦いはないのであるぞ。天国は皆が嬉し嬉しであるぞ。皆善しの世界であるぞ。そなたがなんとかしようという時はそなたの自分勝手であるぞ。この方を知らない者が、人を導くことはできないのであるぞ。人を地獄に導くことになるぞ。人を変えよう、人に知らせよう、人に分からせようとするのはすべてそなたの我であるぞ。そなたの自分勝手であるぞ。新しい世界には「五用(神のルール)」がなければいけないのぞ。そなたらは「四用(人間のルール)」を持っているぞ。「しよう」「させよう」は「四用」であるぞ。「四用」は「死用」であるぞ。もう終わりであるぞ。そなたの身魂が死ぬぞ。人を導く者は、神の世界の御用をしてくれよ。そなたがまず神の響きを出すことであるぞ。そなたがまず神の修行をすることであるぞ。そなたの後ろ姿で教えるのであるぞ。「四用」の宗教は死ぬぞ。
P167
 この方が語っているのは、そなたが「そんなうまい話はない」「そんなことはありえない」と言っていた話であるぞ。そなたの世界の(そなた自身の)すべての疑問を解きあかし、すべての問題を解結する唯一の考え方、ものの見方であるぞ。そなたの疑問や問題はこの方が言っていることを無視していたからできたものであるぞ。そなたがこの方を無視していたから創ったものであるぞ。この方の言うことを聞けば解結するのであるぞ。間違っていたことを素直に認めて、人間のルールで創ったものをすべて解(ほど)いて、神のルールで結ぶことが「解結」の本当の意味であるぞ。この方を知らぬそなたらの学や教ではもう何も解結しないのぞ。今までも人間が解結したものは何一つないのぞ。すべてを分ける「分かつ知」の人間のゲームでは、解結するたびに問題を創りだすだけであるぞ。
P168
 この方の言うことだけがすべてのすべてをハッキリさせる真実の真実であるぞ。これなくしては、そなたも含めて、すべてのものはないのであるぞ。そなたは「元つ真理」を初めて聞くのであるぞ。初めて聞くものに判断というゲームはないのぞ。生まれて初めて学校で学ぶことをどうやって判断するのぞ。判断はできないのぞ。議論はできないのぞ。そなたが判断や議論できるのは、そなたが基準をもっているからであるぞ。判断のゲームは今までの人間のゲームだけで成り立つものであるぞ。この方の真理は、そなたが今まで学んできたものとはまったくアベコベに働くものであるぞ。すべて裏表であるぞ。そなたが人間ゲームから手を放さなければこの方のゲームは分からないのぞ。人間のゲームで判断しているうちは人間ゲームの学や教と同じであるぞ。この方のゲームは「教」ではなく「道」であるぞ。この方を生きなければこの方の天国は分からないのであるぞ。そなたがやっている判断や議論というのは、今までの学や教の中の損得○×善悪ゲームであるぞ。自分勝手な基準でこの方の真理を判断するというのは、この方の真理を拒否しているのと同じであるぞ。この方の真理を拒否すれば、そなたには永遠に天国はないのであるぞ。

 そなたの判断の基準は元の神を知らないそなた自身が、今までのゲームの中で自分を守るために、そなたの理屈で都合よく手前勝手に創ったものであるぞ。ここで語られることをそなたの創った基準で判断したり、議論したりすると、そなたは永遠に自由になれないものであるぞ。そなたがこの方を無視すれば、そなたが探している天国も自由も幸福も永遠に手に入らなくなるのであるぞ。そなたは自分で自分の天国を放棄することになるのであるぞ。そなたは今までそれをしていたから何も分からなかったのであるぞ。そなたがこの方を無視して、何も知らずに外を探しているからこの方を知らぬ地獄の教や学に騙されるのであるぞ。そなたが騙されたのであるぞ。そなたの体験はすべてそなたのせいであるぞ。人や組織を責めるのは筋違いであるぞ。損得善悪を使って判断をしていると、いつまでも平和も平等も幸福もないのであるぞ。いつまでも戦いや犯罪はなくならないのであるぞ。今度の今度だけは、このフミをすべて読みおわるまで、一切の価値判断をするでないぞ。今までのように見たものを直ぐに批判したがるそなたの癖を出すでないぞ。今度だけは元つ神の言うことを素直に聞けよ。誰のためでもないそなた自身のためであるぞ。
P169
 元つ神には判断はないのぞ。すべてのすべてを知っているからぞ。すべてを創ったからであるぞ。そなたの判断の基準というのはそなたが勝手に創ったものであるぞ。そなたの基準で元の神の真理を判断することがどういうことか、ここでよく考えてみるがよいぞ。そなたが、この方を、この元の神を知らずに創ったものはすべて、そなたの手前勝手であるぞ。自分だけ得しようとする自己流であるぞ。自分だけ勝手であるぞ。そなたの「我」であるぞ。そなたがそれを続ければ不調和を創りだすだけであるぞ。そなたがこの方を知っていれば判断はできないと分かるのぞ。判断は消えるのぞ。判断というのは、そなたの内側をそなたの外側を二つに分ける、いつまでたっても一つにはならない幻想のゲームであることを知っておけよ。そなたが探している天国には分裂はないのであるぞ。そなたが戦っている教を信じているならば、そなたには天国はないのであるぞ。そなたが本当に天国に生きたければこの道理をよく心得ることぞ。
P170
 この方が、「判断はできない」と言っているのにまだ判断している者は、この方の言うことを分かっていないぞ。判断するのは元つ神を知らない証拠であるぞ。これから暫くの間、この者を通して、そなたが知りたがっていた、ずっと探して見つからなかった「神の真理」をすべて聞かすから、今までそなたが学んできた混乱を創りだすだけの元つ神を知らぬタワケた教えは無視して、すべてのすべてを白紙に戻してハイハイと素直に聞くのぞ。そなたがそなたの癖で判断を始めれば、神の真理は永遠に分からなくなるのぞ。そなたが天国に行くためにはこの方の語ることを素直に聞くことだけが唯一の道であるぞ。

 この「フミ」はすべてのすべてを創った元つ神であるこの方が語るものであるぞ。この「フミ」を文字にしているこの者のただの考え方だと思ったら大きな間違えであるぞ。そこのところをよく心得て読むのであるぞ。この者はこの方の言葉を文字にする「御用」をしているのであるぞ。この「フミ」はこの方のやり方をマスターしていないと文字にできないのであるぞ。この者がいて初めてこの方の言葉が伝わるのであるぞ。神と人はもちつもたれつであるぞ。そなたがこの方にまつろえばこの方もそなたを抱くのであるぞ。そなたがこの方の言うことを素直に聞けば、この者のように文字にもできるのであるぞ。この方の言うことを語ったり文字にしたりできるようになればそなたは天国であるぞ。そなたはこの方の真意やこの方のプログラムがすべて見えるようになるのであるぞ。
P171
 今までも、神は、そなたの想念を通して、いつもそなたに語りかけていたのぞ。そなたのココロの声はすべて神の声であるぞ。そなたが、神を知らぬ人間に教わった基準で神の声を判断して、分けて、今までの人間のゲームで都合の善いものだけを選んで行動していたのぞ。そなたが直感とかヒラメキとか何だか分からないけど聞こえる声とか言っていたものがこの方の声であるぞ。そなたが怖いと感じるもの、人間のゲームでは都合の悪いものの中に神の答えがあるぞ。そなたはこの方を知らずに神を創っていたのぞ。そなたが、この方を知らず、あやま知にとらわれた人間が創りだしたタワケた宗教に騙されて、この方の声を無視していたから、そなたは無私になったのぞ。神が見えなくなったのぞ。そなたが神の声を無視していたから、騙されることになったのぞ。この方の真理を無私していたから自分が分からなくなったのぞ。自分が何者なのか分からなくなったのぞ。自分がここで何をしているか分からなくなったのぞ。自分とは何者か、などという哲学なる学問を創りだして、ますます分からなくなっていったのぞ。

 そなたの持っている疑問はこの方に聞けばすべて解結するのぞ。この方に聞くというのは、この方の言う通りに生きることであるぞ。この方の言うことを分かっただけではだめであるぞ。神にお祈りだけしてもだめであるぞ。神の言うことを行動して、初めて神の声を聞いたことになるのぞ。神を信頼したことになるのぞ。神を信じたことになるのぞ。そなたがこの方の言うことが分かったと言うならば、言ったとおりにやれよ。そなたが言ったことをすべて行動せよ。神はそなたの信頼と引換えにそなたに教えるのぞ。そなたが行動すれば神は改心したことを認めるのぞ。神の言う通りに生きていれば、そなたには疑問も悩みもないのぞ。わからないことは何もないのぞ。分かろうとするのは神を生きていない証拠であるぞ。神はそなたの体験を通して一つ一つ教えるのぞ。この方の言った通りにやってみればすべて分かるのであるぞ。そなたは、この方の言った通りにやっていれば何の悩みもないのぞ。そなたの今までの体験はこの方を無私していた結果であるぞ。だまされたと思ってこの方の言うとおりにやってみやれよ。
P172
 そなたが創ったものでない人間についてそなたがいくら考えても答えはでないのぞ。この方を知らぬ人間に聞いても、答えはでないのぞ。ましてや、この方を知ろうとしても無駄なことであるぞ。この方を知ったところでそなたは何も分からないのであるぞ。この方の話を無私して、答えを出そうとしても無駄な抵抗であるぞ。そなたは神を知らないからこの方の語ることについて議論になっているのぞ。すべてのすべての答えはこの方しか知らないのぞ。そなたが神を知りたいならば、そなたのココロの声をすべて素直に聞くことであるぞ。聞いたことをすべて実行することであるぞ。実験することであるぞ。何万の人間に有効であったものでもそなたに有効であるかどうかはそなたがやってみないとわからないのであるぞ。この方の言うことを実行することだけがこの方の仕組みを知る唯一の手だてであるぞ。そなたの外には神はいないのぞ。そなたの外には神を教えてくれる宗教はないのぞ。この方のことを教えられる者はいないのぞ。この方はそなたの中にいるのぞ。そなたの想念を通して語るのぞ。このことをしかと心得ておくことぞ。
P173
 この方は、この方の言う通りに生きて、初めて分かる神であるぞ。いかにして神と対話するかということは教えられる人間はいるが、神そのものを教えられる者はいないのぞ。この方は一人ひとりと対話するのぞ。この方は一人ひとりにわかる神であるぞ。この方のことを教えているつもりになっている者は、いいかげんに目を覚ませよ。この方はそなたのやり方で神を教えてくれと頼んだ覚えはないぞ。そなたのやり方ではこの方は教えられんのぞ。そなたのやり方ではこの方は見えないのぞ。教育やしつけでは神はわからんのであるぞ。教育やしつけは神を分からなくするのに有効な方法であるぞ。そなたはこの方を無私する方法を教えているのぞ。そなたは混乱や悩みを創る方法を教えているのぞ。そなたは戦いに勝つ方法(人を負かして勝つ方法)を教えているのぞ。外の神を信じるゲームではこの方の声は聞けないのぞ。この方を体験することはできないのぞ。元つ神には戦いはないぞ。神のやり方はすべての者が勝つぞ。この神を知らずに、これから起きる「大変」を超えることはできないぞ。今のうちにこの神と対話できるようになっておけよ。
P174
 新しい世界は「神の世」であるぞ。そなたのココロが神のココロにならなければそなたはいられないのぞ。次の世界の肉体には神のココロでないと入れないのであるぞ。そなたは神のココロになる修行をしているのであるぞ。そなたが見ているものを使ってそなたの中の○×を見つけて消していくのぞ。そなたが○×をやめれば神がその通りに形にして見せるのぞ。人を批判するのも神のせいにするのも勝手だが、そなた自身が「神ゴコロ」にならなければ何をしても駄目であるぞ。お金でも学でも知でも財産でもだめぞ。どこにも逃げるところはないのぞ。今回の大変は肉体で助かろうとすると助からないのぞ。人の邪魔をするとそなたが危ないぞ。神ゴコロになることだけがそなたが助かる道であるぞ。

 世紀末に何が起きるかを知っても何の意味もないぞ。何が起きるかを心配してもそれは肉体の世界のことであるぞ。そなたが神ゴコロになれば、肉体の世界で何が起きようと関係ないのであるぞ。何の影響もないのであるぞ。そなたの身魂が神ゴコロになれば、何が起きても大丈夫であるぞ。この方とこの方の家来が守護するのであるぞ。最後の最後の大掃除の後には、神ゴコロになった者もならない者も、そなたらの肉体は、一旦お召し上げであるぞ。そなたの身魂を改めた上で、神ゴコロになった者だけを新しい肉体に入れるのであるぞ。これがそなたの言っている閻魔(えんま)様の審判の真実であるぞ。裁くのではないぞ。そなたが神ゴコロになっているかどうかを見るのであるぞ。そなたがそなたを見るのであるぞ。そなたは今ここで閻魔様の審判の結果が分かるのであるぞ。そなたがここで天国になれば、思いどおりの現実を体験すれば、そなたは新しい世の神に成るのであるぞ。
P175
 そなたが心配しているのは物質世界の大変であるぞ。そなたの身魂が神ゴコロであれば、噴火も地震も津波も戦争も放射能も人食いも、たとえ肉体がバラバラになっても関係ないのぞ。そなたの魂は、新しい世で新しい肉体を得るぞ。そなたの心配している「死」は関係ないぞ。そなたが心配している「死」は肉体の死であるぞ。肉体がなくなってもそなたはいるのであるぞ。そなたの他の人間からそなたが見えなくなるだけであるぞ。そなたが今までの死を避けようとしていると魂がアウトになるぞ。身魂の掃除が終われば肉体で何が起きても関係ないぞ。怖くないのぞ。肉体を去っても神ゴコロならばOKであるぞ。食べるものが無くなっても毒と言われるものを食べても関係ないぞ。そなたが神ゴコロになることだけが必要なことであるぞ。最後の大掃除ではそなたの回りは地獄の如き状況になるのぞ。ナマ物を食らうことになるぞ。衣食住なくなるぞ。身魂の掃除ができていれば何の影響もないのぞ。そなたが助かるための神の最後の一厘であるぞ。

 そなたの今まで学んだこととはすべてアベコベであるぞ。そなたがこの道理分からねば、分からないそなただけがアウトぞ。今回は一人ひとりの問題であるぞ。一人ひとりの出来事であるぞ。一人ひとりの身魂の掃除であるぞ。だれが助かるかは外からみても分からんぞ。この「フミ」はこのことを教えるための最後の最後のトドメのフミであるぞ。これが最後の最後の本当の真実であるぞ。そなたが人を頼る教や肉体の人を助けようとする教や争っている教についていくとそなたがアウトであるぞ。何が起きるか知れば知るほどそなたは危なくなるぞ。怖くなるぞ。先に行くほどわけが分からなくなるぞ。これが真実かどうかと判断するのはそなたが嵌まっている証拠であるぞ。この方の言う通りにすればそなたの知りたいことがだんだん分かるようになってくるのぞ。
P176
 そなたは神の子であるぞ。そなたはこの方の子であるぞ。そなたの魂はこの方の分身であるぞ。そなたはこの方の言う通りやっていれば、もともと喜びしかないのぞ。そなたが悩むのはそなたが喜びを創るこの方の声を拒否しているからであるぞ。神に病気治しや予言はいらないのぞ。神に病気はないのぞ。病気はキの病であるぞ。神のキを疑っているから肉体に出てくるのぞ。そなたは神の声と人間の声とどちらを選ぶかというゲームをやって、葛藤を創りだしているのぞ。神には損得はないぞ。善悪もないぞ。神の声はすべての人間がうまくいくようにする方法を語っているのぞ。人と比べて自分だけうまくいくようにしようとするから損得や善悪でものごとを分けて見ることになるのぞ。

 そなたの「死」は神にしかコントロールできないのぞ。そなたは自分に起きていることの真実を何も知らないのぞ。原因を知らないで、見えているものの中に勝手に原因を創って勝手に治そうとしているぞ。神には自分の未来は分かるのぞ。何でもできるから自分の思いどおりの未来があるのぞ。自分の思いがすべて叶うから未来というものはないのぞ。期待もないのぞ。忍耐もないのぞ。あるならそなたは神でないぞ。そなたに悩みがあるならば、そなたは神の生き方をしていないぞ。そなたが神の言う通りにすれば、今ここでも神の体験ができるのぞ。そなたがこの方の語ることを素直にきけばすべてのすべてが分かるのであるぞ。そなたの問題はすべて解結するのであるぞ。死後の世界も新しい世のことも神の仕組みも争いをなくす方法もすべてのすべてが分かるのであるぞ。そなたは何も知らなかったことを神にお詫びして、今ここから素直に神の修行を始めるがよいぞ。それがそなたもそなた以外の者も調和の中で天国に行ける唯一の道であるぞ。まずは、この方のフミをよく読んでこの方の真意を知ることから始めることぞ。


4 神様からの手紙 その二

P180
 これから語ることは「中つ神を含む宇宙すべてを生んだ元つ神」からのそなたへの最後最後の警告のフミであるぞ。そなたが今までやっていたことはすべて神のおきてとアベコベであったのぞ。そのまま今までのゲームを続けていてはほとんどの者に新しい世はこないぞ。これからこの方が真実の真実を伝えるから素直にココロして聞くのであるぞ。

 そなたがいるヒノモト(日本)のお土(おつち=国土)はこの方の御神体であるぞ。そなたが魂と肉体を持っているのと同じであるぞ。この方はすべてのすべてを創った親(おや)神(がみ)であるぞ。この方はヒノモトを創ってから世界を創ったのであるぞ。すべてのすべてはヒノモトから始まっているのであるぞ。ヒ(霊、日、火、一)が先であるぞ。世界も人間もすべて同じ仕組みであるぞ。そなたの魂はこの方の創った仕組み通りに体験するのであるぞ。そなたの魂というのはこの方の分身であるぞ。そなたがこの方の言うとおりにやれば天国ぞ。この方の言うことに逆らうと苦しみであるぞ。そういうふうに創っているのであるぞ。そなたの苦しみや悩みや問題はそなたがこの方に逆らっているからぞ。人のせいや社会のせいや制度のせいにするのは自分勝手なトリチガイ、それこそ迷惑であるぞ。神なければ人はないのぞ。魂が先で肉体が後であるぞ。魂が天国ならば肉体でも天国になるのぞ。魂が天国でなければ肉体の世界をいくらコントロールしても天国にはならないのぞ。人をコントロールしたり、文句を言ったり、批判をしたり、やめさせようとしたりしているそなたは自分勝手であるぞ。永遠に天国はないぞ。人間の創った勝ち負け自分よしのゲームで天国になっても死後に天国になることもミロクの民になることもできないのぞ。このフミは永遠の天国をそなたが体験するためのテキストであるぞ。皆が成功する天国の方法を書いたものであるぞ。そなたのシナリオを書き換える参考書であるぞ。
P181
 そなたが自分の回りに文句を言ったり、自分以外のせいにしたりするのはそなたの勝手な思い込みであるぞ。自分勝手であるぞ。天国創るこの方の言うことに逆らっているのであるぞ。そなたは神を知らない者に騙されているのであるぞ。この方のことを知ったら、人を騙すことや人をコントロールするのは自分の天国をなくすことになると分かっているから、人に口出ししたり、人を支配したり、人を責めたり、人を騙したり、人を教育したりしないのであるぞ。宗教はつくらないのであるぞ。一人ひとりの魂の状態が体験を決めると知っているからぞ。人をコントロールする必要がないと知っているからぞ。そなたは影の世界を変えようとしているのであるぞ。人を変えることはできないのぞ。相手がシナリオを変えたから形が変わったのであるぞ。取り違えするでないぞ。いつまでもこの方に逆らう教えにとらわれて混乱や葛藤を創りだしているでないぞ。文句言うのは迷惑であるぞ。口出しするのは迷惑であるぞ。自分勝手だと人を責める自分勝手は卒業しろよ。
P182
 そなたは自分の見ている影を消そうとしているのであるぞ。そなたがいれば影はなくならないのであるぞ。そなたが形を変えなければ影の形は変わらないのぞ。そなたの魂が天国でなければ形は天国ではないぞ。そなたのココロというのは肉体で魂の状態を見るための道具であるぞ。生きながらにして霊界が体験できるのであるぞ。そなたがココロで想像しているように霊界で生きているのであるぞ。そなたのココロが天国でなければ現界も霊界も天国でないぞ。現界が天国でないのは霊界が天国でないからぞ。そなたが外の責任にしているから外の責任になるのぞ。そういう幽界を創っているのであるぞ。そなたがシナリオを変えなければ何も変わらんのであるぞ。みんな同じシナリオでやるから取り合いに成るのであるぞ。みんな違うシナリオでやるから天国のパズルがはまるのであるぞ。人の行動はシナリオの結果であるぞ。○×創って形を同じにするのは自分で自分の首をしめているのと同じであるぞ。自分で制限を創って人のせいにする自分だけ勝手なゲームをしているのであるぞ。人の行動に口出しするのは人に自分のシナリオをやらせることになるぞ。人の言うことを聞くとその者のシナリオを生きることになるのぞ。そなたが選んだシナリオをそなたが体験しているのであるぞ。一人ひとりのゲームであるぞ。

 そなたの影を創っているのは太陽であるぞ。この方の神界があって霊界のそなたの魂があって現界のそなたの肉体になっているのぞ。この方は初めからあるのぞ。そなたの魂の状態が現界に現れているのぞ。そなたの肉体を通して見えるものはそなたの魂の世界のものであるぞ。そなたが魂の世界を変えなければそなたの現界は何も変わらんのぞ。そなたが肉体世界で学んだことを使って一番になったとしても、そなたの魂が天国でなければそなたは死後に天国にはなれんのぞ。ミロクの世界は半霊半物の世界であるぞ。ココロが肉体になるのであるぞ。そなたのココロが神のココロになっていればそなたはミロクの民になれるのぞ。そなたのココロが天国ならばその映しである現界も天国であるぞ。霊界も天国であるぞ。いつでもどこでも天国であるぞ。そなたから死の恐れは消えるのであるぞ。
P183
 そなたはこの方の構えるヒノモトの民であるぞ。世界中の人間はすべてこの方のお子であるが、ヒノモトの民であるそなたは世界の民の親であるぞ。ヒノモトの民であるそなたが親の自覚ないからすべてのすべてが狂ったのであるぞ。そなたが西洋文明の輸入と言って子のやり方を真似たからすべてがおかしくなったのぞ。そなたはこの方のやり方を世界の民に示す親であるぞ。人類は兄弟姉妹ではないぞ。ヒノモトのそなたが親で世界の民は子であるぞ。親と子の区別タテ分けを忘れ、すべてのすべてをまぜこぜにしたからわけが分からなくなったのぞ。世界の親としての自覚なき者は新しい世、ミロクの民としては失格であるぞ。今ここでヒノモトのこの方がすべてを伝えるからショウネを据えて聞くのぞ。

 ヒノモトの言葉はこの方の真意を伝えるためのシンボルであるぞ。五十音はこの方そのものであるぞ。この方の言葉を伝える文字であるぞ。この方は姿は見えないが響きで表に出ているぞ。そなたの想念と語るのであるぞ。この方は光であるぞ。この方の言葉は古語(=光語)であるぞ。この方はヒノモトの言葉を使って語るのであるぞ。そなたが知りたいすべてのすべては、この方の語る「神示」に書いてあるのぞ。この方は「神示」という形でこの方の御用をする人間を通してこれから起きることや神の法則を伝えているのであるぞ。そなたは「難しい」とか「バカバカしい」とか「ありえない」とか言ってこの方の語ることを素直に受け入れようとしないから、そなたは何も知らずに「滅びの坂道」を駆け降りているのであるぞ。ヒノモトのそなたがこの方の言うことを聞いて世界の民に見本を見せなければならないのであるぞ。それがこの方の望みであるぞ。それが世紀末を超えるための唯一の道であるぞ。そなたが親の自覚を持つことが肝心要の要石(意志)ぞ。
P184
 このフミは、そなたが地獄へ転落するのを最後の最後の崖っぷちで止めるために出されたものであるぞ。これはそなたが長い間探していた「真理」であるぞ。そなたという身魂が従わなければならなかった神の掟であるぞ。そなたはこの掟を外すと苦しみやトラブルを感じることになるのぞ。神は喜びしか渡していないのぞ。神の掟通りに生きれば、そなたは喜びだけなのぞ。そなたの回りは調和だけなのぞ。そなたに苦しみがあるのは、そなたが神の掟を外していることを知らせるために創った神の仕組みによるものであるぞ。そなたという身魂が神の掟を外せばそなたは滅びるだけであるぞ。この方が教えなければそなたはいなくなるのであるぞ。それが「神成る身魂」のルールであるのぞ。そなたは、苦しみを人の責任にしているが、それ自体が掟破りであるぞ。そなたは「不調和」を創りだしているのぞ。神の世界は調和だけのすべての民が嬉し嬉しの天国なのであるぞ。不調和創りだして平気な顔をして威張っているのでは神なる身魂とはいえないのであるぞ。不調和創りだす身魂は新しい神の世には生きられないのであるぞ。
P185
 そなたは形に現れている「悪」ばかりを責めるが、そなたが見ている悪はそなたの中にあるものであるぞ。そなたの中の悪を目の前の鏡に映しているだけであるぞ。そなたは悪を祓おうとしているが厄祓いをするならば、副祓いもすることぞ。否定的、肯定的という見方は神にはないのぞ。そなたが善を見ているのであればそなたには悪もあるのぞ。善人も悪人も同じことであるぞ。片方だけを祓うのであれば、そなたは偏っている証拠であるぞ。善も悪も偏見であるぞ。そなたが善人だというならばそなたは悪人でもあるぞ。そなたという身魂は「快欲」に囚われると自分ではそこから抜け出すことはできないのであるぞ。そなたは楽なもの、いいものばかりを見ようとするからぞ。苦しいもの、悪いものを排除しようとするからであるぞ。喜びだけなら喜びとも感じないぞ。やすらぎが神の世。

 この方の分身であるそなたという身魂には本来善も悪もないのぞ。そなたが善悪を分離しようとするならばそなたという身魂は分裂していることになるぞ。そなたは自らを分けているのであるぞ。そなたは何も言わずにほっといたら、滅びの道を辿るのであるぞ。そなたは楽を求めているから、善に偏っているから、この方が仕組みを創って反対の感覚である「苦」をもって知らせているのであるぞ。善の身魂には苦で教えなければ分からないからであるぞ。気づかないからぞ。そなたは苦を悪と決めているから、嫌なものを避けようとするからこの道理に気づかないのぞ。苦は天国へのお知らせであるぞ。矛盾に見えるがこのことを自覚せねばそなたは滅びるのであるぞ。魂が滅べば肉体どころの話ではないのであるぞ。死を怖がっている暇があったら神の言うことを聞けよ。この方の言うことはすべてのすべてがアベコベであるぞ。そなたがアベコベをやっていたからそう見えるのであるぞ。そなたが疑っていれば、いつまでもそのままであるぞ。永遠に天国ないぞ。
P186
 そなたは今まで、まったくアベコベのルールに基づいてモノを見て、行動して、決めていたのであるぞ。この方が語ることは、そなたの学んできたそのルールを全くアベコベに引っ繰り返すことになるものであるぞ。そなたから見ればアベコベであるぞ。この方がアベコベなのではなく、そなたがアベコベをやっていたからアベコベに見えるのであるぞ。表面上は「大掃除」のプロセス、タテカエのプロセスで、「-」が見えるぞ。そなたが神のルールとはアベコベの「あやま知」で創ったもの、守っているものが、崩れるからであるぞ。そなたはアベコベをやっていたのであるぞ。そなたはそれを手放さないと神のルールは分からないのであるぞ。次のものは来ないのであるぞ。「信じられない」というのは○×判断、保身であるぞ。今までの自分を守っているぞ。そなたは、神があってあるのものであるぞ。神に生かされている身に保身は必要ないのぞ。そなたが「死」と言っているのは「肉体」の死であって、そなたの死ではないぞ。そなたの「神の法則違反」が創りだしたものであるぞ。「死」を恐れるということ自体が「神の法則」違反をしていることの証明であるぞ。そなたが神のことを何も知らない証拠であるぞ。そなたが知らなかったことをたくさん聞かすからよく聞くのであるぞ。自分の無智を白状しているのを知っているか。
P187
 神の法則に従うことを「神に真釣ろう」というのぞ。「真釣り」というのぞ。神の法則に反することを「魔つり」というのぞ。両方とも同じ「マ釣り」であるが、全くアベコベの結果になるのぞ。「真釣り」は永遠の繁栄、「魔釣り」は永遠の滅びであるぞ。この方のヒノモトの言葉はこういうふうに違いが分かるようにしてあるのぞ。そなたは今まで「魔釣りの世」で生きていたのであるぞ。そなたが今持っているものは「魔釣り」のやり方であるぞ。そなたが今まで学んだものを持ちつづけると最後は滅びることになるのであるぞ。新しい世は神の世であるぞ。神の世は「真釣り」のみであるぞ。「魔釣り」はないのであるぞ。神が最後の最後に「魔釣ろう形」をすべて掃除するのであるぞ。そなたが「真釣り」に生きることを始めなければそなたには次の世界はないのであるぞ。

 神なくて人あると思うなよ。そなたはまず想念が先にあって行動は後であるぞ。魂が先にあり、肉体が後であるぞ。そなたは考えてから行動するのであるぞ。神が先で人が後、霊界があって現界(物理次元、物質世界、現実)があるのであるぞ。この順番をまぜこぜにするとすべてのすべてが狂うのであるぞ。天国を創るためにはこの方が創った順序通りにすることが必要であるぞ。そなたが「天地」と言っているのがそもそもアベコベであるぞ。この方がいる「元つ天」が初めにあったのぞ。次にこの方は「大地」を創ったのぞ。最後に大地を守護する「中つ天(小天)」を創ったのぞ。そなたらは「元つ天」と「中つ天」をまぜこぜにして「天」「地」としていたのであるぞ。この順番が狂えばすべてが狂うのであるぞ。神の法則に従えば、現界でも天国を体験できるのであるぞ。現界が天国でなければ、そなたは何らかの神の法則外し(真釣り外し)をやっているのぞ。自分がしたことを人のせいにしているのであるぞ。そなたには神成る身の自覚がないぞ。
P188
 人は食らう量限りあるぞ。天恵は無限であるぞ。「資源は有限である」というのは、あやま知であるぞ。この方は何でも創りだせるのであるぞ。そなたは「あやま知」を使ってそなたらを支配しようとしていた者たちに騙されていたのであるぞ。その者たちも自分たちが真釣り外しをしていることを知らないのであるぞ。最後の最後には両方ともアウトであるぞ。この方が今ここで教えているのであるから素直に改心しろよ。「あやま知」に基づいて創られる観念はすべて神の法則に反しているのであるぞ。だから、問題が生じることになるのぞ。そのままやれば永遠に天国はないのであるぞ。そなたはお金を集める商売にせいを出しているが、そなたが扱っているものはすべて資源がなければアウトのものばかりであるぞ。資源は神が創りだしたものであるぞ。「神はいない」「神は信じない」と言っているならば、資源を引き上げられたらそなたがどうなるか考えてみやれよ。お金が神になっているぞ。お金がなければすべてないような錯覚にとらわれているぞ。経済制裁が効くのは過ちの世だけのことであるぞ。神に真釣ろえば、お金の脅しは効かないことがわかるぞ。そなたが神に真釣ろえば、お金でも食べ物でも何でも与えるのであるぞ。魔釣りの世でも真釣りに生きることができるのであるぞ。一人ひとりが天国になれるのぞ。
P189
 「神を信じない」という者は何を信じるのか。そなたの本体は想念であるぞ。想念は神の分身であるぞ。想念というのは魂を肉体で感じているものであるぞ。そなたは「地の日月の神成る身(日月地の神成る身)」であるぞ。そなたは「神」に成る身であるぞ。そなたは神の掟に反することはできないのぞ。人間のルールは人間だけのものであるぞ。この方は神の掟を押しつけるつもりはないが、このフミをよく読んで決めろよ。このフミを議論しているのは「あやま知」に囚われし証であるぞ。今の世の道徳には、クサキものたくさんあるのぞ。そなたは苦があるのを当たり前と思ってないか。神は喜びであるぞ。神の世に悪はないのぞ。悪を見ているのはそなたぞ。苦は真釣り外しをしたそなたが創ったものであるぞ。自らが創ったものを外のせいにするからますます真釣り外しするのぞ。

 この本は「ハラ」が書いた本ぞ。「アタマ」にはチャレンジに見えるぞ。そなたが抵抗に感じるならば、そなたは「アタマ」で生きているぞ。アタマで着て、アタマで食べて、アタマで住んでいるのであるぞ。「アタマ」で学んだ知識で生きているのであるぞ。アタマで考えてもこの方の仕組みは分からないぞ。アタマでは一つにはならんぞ。アタマは二つに分ける知恵であるぞ。アタマの仕組みは左右アベコベであるぞ。アタマでやると逆になるのぞ。どっちが得か、どっちが楽かとやっているといつまでも神にはなれんのぞ。そなたは一つにならなければ神にはなれんのぞ。死して天国でなければこの世でも天国でないぞ。この方がこのフミで今までの「あやま知」を全部バラすから、明らかにするから、ツベコベ言わずに、黙って、シカと聞くのであるぞ。
P190
 このフミは人類史上初、神の智を人間というフィルターを通して語った「真理」であるぞ。すべてのすべての問題を解結する決定版であるぞ。「日月神示」「火水伝文」というのもこの方からのフミであるぞ。この本はその超訳であるぞ。「神示」を難しいといって避けている者が多いから、神のルールを体験した人間を通してあらためてフミを出したのであるぞ。神のルールに基づいてフツウの生活の中で修業をさせて、今までしてきたことが「あやま知」であり、神の言うとおりにすると天国になることを体験で確認させて書かせたものであるぞ。人間という証拠が必要ならば、神はそういう人間を派遣することもできるのであるぞ。この者はそういう御用をする者として生まれたのであるぞ。特別でも最初にやったからエライというわけでもないのぞ。前人未踏の森が安全であることを確かめて道を付けて戻ってきたのであるぞ。神の道の冒険をして、皆に伝える斥候(せっこう)であるぞ。この者の借金は研究費としてこの方が与えたものであるぞ。借金通して「お金が神」である世のあやま知を体験させたのであるぞ。神の研究成果発表して返済するプログラム。形は借金であるが、それも神の与えた道具であるぞ。借金に感謝であるぞ。
P191
 「火水伝文」とこの者のノートとは同時に出ているのぞ。この者は体験を先にさせて後から「神示」を与えて確認させたのであるぞ。体験が先で理屈(仕組み)が後ぞ。「あやま知」をすべて捨てないと、この方の仕組みは見えないのぞ。すべてアベコベなのぞ。「あやま知」を持ったままではこの方の言うことがすべて「オカシキこと」に見えるぞ。この方がオカシイのではなく、そなたがオカシキことにとらわれているのぞ。どっちがオカシイかではないぞ。そなたがオカシイのであるぞ。そなたがキ違いであるぞ。キが違うのであるぞ。そなたが考えている「気違い」ではないぞ。そなたは天国の方法を拒否して悩んでいるのであるぞ。地獄の方法を教える宗教に狂っているのであるぞ。この方を拒否すればそなたに天国はないぞ。そなたがキ違いであるぞ。この方に狂えば天国なのであるぞ。皆気違いであるぞ。皆狂っているのであるぞ。皆同じであるぞ。自分を正常だと思い込んでいる者は異常であるぞ。そなたの言う正常異常は数で決めているだけであるぞ。よりたくさんの人間が狂っている宗教の考え方が正常であるだけぞ。精神病はないぞ。

 そなたが天国に生きるには、「自分の中のお掃除」が必要であるぞ。「神の法則に従うこと」であるぞ。「価値判断」をするのをやめることぞ。「○×善悪正誤」を無くすことであるぞ。そなたの外側に映っているもの見て自分の内側を掃除することぞ。「人間の法則をお掃除すると神の法則が見える」のであるぞ。神の法則は始めからあるのぞ。あるものを曇らせているのはそなたであるぞ。これを疑ったり、批判したりすることは、今までのルールに基づくゲームであるぞ。そなたが「真釣り」を外しているから、苦を以って教えることになるのぞ。そなたが混乱しているのが、葛藤を持っているのが、反論しているのがその証拠であるぞ。この方が語ることだけが、そなたが本当の幸せ、平和、安らぎ、成功を創りだすための真実のルールであるぞ。この方の言うことを聞かないとどうなるかというのもこの方の語ることであるぞ。そなたの今までのゲームもこの方の言うとおりになっているのであるぞ。この方の言うことを素直に聞けばアベコベの体験ができるのであるぞ。みんなそろって天国ぞ。簡単な道理であるぞ。わかるか。
P192
 この方が語ることは、そなたが今まで神と言っていた神(中つ神々)を含む宇宙を創った(自らの中に生んだ)本人(「元つ神」)の言葉であるぞ。そなたが「神」と言っていた「中つ神」にも分からなかった仕組みであるぞ。今までは中つ神々自らが「快欲」にとらわれ、全能の神であると思い込んでいたからそなたらもそうなったのであるぞ。今までの神に聞いても何もわからなかったのであるぞ。聞けば聞くほど魔釣りが進んだのであるぞ。「元つ神」のルールは寸分の狂いもないのぞ。一人としてこの方のルールから出ることはできないのであるぞ。今の今は中つ神々にもすべて教えて改心させてあるから、これからは人間のお手伝いであるぞ。そなたが改心するならば、応援するぞ。そなたが「快欲」にとらわれ続けるならば、それも応援するのぞ。そなたにはすべての仕組みを教えるから、自分が何をしているかよく考えて、改心(改神)することであるぞ。神を変えることであるぞ。神カエルことであるぞ。神を変えなければそなたの体験は何も変わらないのであるぞ。我にカエルのは今までの考えであるぞ。この方が今ここですべてのカラクリを教えるのだからよく考えて行動することであるぞ。知らんという言い訳は通用せんぞ。
P193
 そなたが今まで信じていたルールは「あやま知」と言われるものであるぞ。「元つ神」の法則に反しているものであるぞ。元つ神のルールに反しているが、元つ神のルール通りでもあるぞ。「そなたのすることがそなたに返る」のであるぞ。「この方の言う通りにしなければ天国はない」というのもこの方の言うことであるぞ。そなたはこの方の仕組みからはでられないのであるぞ。この方に反抗してもこの方の言うとおりになるのぞ。どうするかよく考えて決めろよ。そなたは、今の今まで「快欲」にとらわれて、すべて「自分自身の保身、身欲」をもとに思考しているのであるぞ。そなたがやっているのは「自分だけ勝手」であるぞ。「あの人は自分中心だ」というそなたが「自分中心」であるぞ。そなたが言っていることは自分のことであるぞ。そなたが見ているのは自分の姿であるぞ。そなたがそなたの外側を見て感じること言いたくなることはそなたのことであるぞ。そなたの外側を批判するのはそなたを批判しているのと同じぞ。自分で自分を批判している一人芝居であるぞ。すべてのすべては神がしていることであるから、そなたは神を批判していることにもなるのぞ。神を批判してそなたの天国があると思っているのか。
P194
 この方の語ることを○×判断したり、疑ったり、気違いだ、アホだ、変だと言っているとしたら、怖いとか、不安だとか、良くないとか感じるとしたら、それはそなたが「あやま知」にとらわれている証拠であるぞ。そなたは「あやま知」のゲームの中にいるのぞ。この方はすべてを許しているのぞ。この方の許さないものは形にならないのぞ。そなたらがトンネルを掘ろうとして事故になるのはこの方が許さないからぞ。「悪」という形は、この方が許しているから存在しているのであるぞ。この方が許しているものを何故にそなたは裁くのであるか。「悪」を「悪」というのが「悪」であるぞ。「悪」を「悪」というそなたが「悪」であるぞ。そなたがこの方の言うとおりに聞いていれば「悪」は関係なくなるのぞ。「悪」が気になるのは、この方を無私している証拠であるぞ。外に頼るゲームをしている証拠であるぞ。外に頼るならば何が起きても外に文句を言うでないぞ。この方に真釣われば、そなたは何でもできるのであるぞ。人に頼って文句いうのは自分だけ勝手のご都合主義というものであるぞ。自分勝手でない者はいないのぞ。神の自分勝手を生きるならば皆がうまくいくのであるぞ。悪を裁くそなたが邪魔者であるぞ。

 この方は何も裁いていないぞ。いっさい裁いていないのぞ。この方はすべてを許しているのだから戒律はないのぞ。神のルールは「自分のしたことは自分で責任をとる」ことだけであるぞ。神の仕組みはそなたの選択通りにそなたが体験するように創っているのぞ。自業自得であるぞ。そなたがどんな体験をしようともすべてそなたの選択の結果なのであるぞ。外をコントロールしたり、外を制限したりする必要はないのぞ。法律はいらないのであるぞ。神のルールが分かったら、争いも犯罪もなくなるのぞ。できなくなるのぞ。それをしていると自分が危ないことが分かるからであるぞ。「裁く」というゲームは、この方が許しているものをそなたが裁いていることになるのぞ。そなたは何をしているのか。いい加減に裁くのをやめないとそなたが地獄に落ちることになるぞ。神が落とすのではないのぞ。そなたが落ちるのであるぞ。自分の苦の原因が外にあると思っているから、外の悪を裁くことになるのぞ。外の悪をやめさせる必要があると思うことになるのぞ。そなたがしていることであるぞ。外の悪とそなたの体験とは関係ないのぞ。裁判官様、警察官様、自らのしていることが何かをかえりみられよ。そのままでは皆終わりであるぞ。
P195
 「人間として許されないこと」などというものはないのぞ。そなたは身魂であるぞ。人間というのは身魂が肉体を通して体験しているゲームであるぞ。そなたの肉体はそなたという身魂の服であるぞ。そなたが物質の世界で遊ぶためのぬいぐるみであるぞ。そなたは身魂であるぞ。身魂は神の分身であるぞ。自分で責任をとれば何をしてもよいのぞ。外を責めるのは責任をとっていない行動であるぞ。そなたがこの方のルールに従えば外をコントロールする必要はなくなるのぞ。人のすることを「するな」「やめろ」というゲームはいらないのぞ。人間として許されないことがあるなら、人を裁くことであるぞ。人に口出しすることであるぞ。そなたは神成る身魂であるぞ。人間というのは神になる身魂であるぞ。神のルールに反することが「人間として許されないこと」であるぞ。許されないことをすれば、そなたが苦しみを感じるようにしてあるのぞ。誰も裁いていないのぞ。自分のことは自分で責任をとるのであるぞ。「人を裁く」というのは、「人のコントロール」というのは、「あやま知」をもとに生きている人間が創りだしたルールであるぞ。人間の恐れが創りだした幻想であるぞ。今のままでは自分自身が神に成れないぞ。
P196
 そなたが、神を否定するとしたら、そなたは○×をやっているだけではなく、自分より大きいものを否定するというオカシなゲームをやっているのであるぞ。そなたが否定しているのはそなたが創ったものであるぞ。そなたはこの方の中にいるのぞ。なぜにそなたがこの方を見ることができるのか。そなたが宇宙を見ることができないのと同じ道理であるぞ。そなたが宇宙を否定したらそなたはいないのぞ。そなたがこの方を否定したらそなたはいないのぞ。そなたが否定しているのはそなたが創った神であるぞ。この方を否定したいならしてもよいが、そなたはこの方の言うことにもとづいて苦しみを感じつづけることになるのぞ。そなたが選んだ通りにそなたが体験するだけであるぞ。最後の最後は天国はないぞ。そなたは天国の方法を否定しているのぞ。どうしてもやりたいならばお好きなだけやればよいぞ。そなたの人生はそなたが選ぶものであるからな。そのかわり、そなたが体験していることはそなたが選んだことを忘れるでないぞ。人を責めたり、グチグチと文句を言ったりするならば、そなたは神成る身魂としては失格であるぞ。
P197
 この方の法則とこの方を知らぬ人間の法則は裏と表、どっちか一つであるぞ。この方を体験した人間の法則はこの方の法則であるぞ。人間の法則から手を放さないと、この方の法則は見えないのであるぞ。「二十一世紀は国際化社会だから英語を学ぶのが大事だ」とそなたらは言うが、それは誰に聞いたことぞ。「国際社会になる」と決めているのは誰であるか。神は英語を学べなどと言った覚えはないぞ。「英語」という言葉は、今までの人間のゲームで、肉体同士の会話だけで通用するものであるぞ。ミロク世になれば今までの言葉はいらんのぞ。ミロクの世はココロが見えるのぞ。ココロが体になるのぞ。ミロク世になれば、光でその人の位が分かるのであるぞ。全部見えるのぞ。ウソというものはないのぞ。ウソを付けないのではなく、今のそなたが想念で創ったものがそのまま見えるのであるぞ。そなたのココロがすべて見えるのぞ。魂が肉体になると思えばよいぞ。これはそなたがアタマで考えてもわからんことであるぞ。自分の学んだ言葉でココロの掃除せよ。

 ココロというのはそなたの魂の言葉を肉体で感じているものであるぞ。ココロ(想念)が肉体であるから、思った瞬間形になるのであるぞ。そなたの想いが即、形であると思えばよいぞ。想いと形が一つであるから、ウソはつけんのであるぞ。そなたのココロが肉体になるのであるぞ。英語というのは肉体と肉体での翻訳であるぞ。意識や想念のイメージ(想い)は日本人もアメリカ人も同じであるぞ。表現の形が違うだけであるぞ。次の世ではイメージそのものが見えるから、言葉は必要ないのであるぞ。「自動車=CAR」という勉強は卒業しろよ。言葉と言葉の翻訳は意味がなくなるのであるぞ。言葉というのは今の世界だけで必要な道具であるぞ。言葉の通訳は通訳がいるから通訳に任せればよいぞ。そなたは自分の言葉で神の言葉を学ぶことであるぞ。掃除することぞ。外国語を学ぶより神の言葉を学べよ。この者のノートも、この者の語っていることも、このフミも、すべてこの方の言っていることであるぞ。すべて言った通りになるぞ。言った通りであるぞ。神に偽りなし。この方が言うことがその通りになるかどうかを試してやろうとして外を見ている者は最後の最後で大掃除されるぞ。そなたが自分の大掃除すればわかることぞ。
P198
 そなたには過去や未来というものはないのであるぞ。過去も未来も人のことも社会のことも、そなたが今語っていることは、すべて今この瞬間にそなたの基準でそなたが創っているものであるぞ。そなたが想像していることをそなたの肉体で翻訳しているだけであるぞ。そなたが見ているのは目の前にある形だけであるぞ。目の前のその形には決まった意味はないのぞ。そなたは想像の世界でアレコレ創りだして、アレコレ決めつけているだけであるぞ。そなたは過去のことか、未来のことか、人のことか、仮定のことか、今この瞬間以外のことを語っているぞ。そなたが心配しているのはそなたが創った幻想であるぞ。まだ起きていないことをそなたが勝手に心配しているのぞ。もう終わったことを勝手に後悔しているのぞ。そなたは今この瞬間を連続して体験しているだけであるぞ。そなたは自分で自分の体験を勝手に決めているぞ。あるわけがないと決めているぞ。もし、もし、と言って勝手に都合よく物語を創ろうとして悩んでいるのぞ。したことは消えないぞ。
P199
 そなたが語っている「○○さん」というのはそなたが創ったその人の姿であるぞ。そなたが見ているものはすべてそなたが創ったものであるぞ。そなたがそなたの基準で目の前のものを見て勝手に解釈しているだけであるぞ。そなたが語っている社会というのはそなたが創った社会であるぞ。社会は不況ではないぞ。そなたが不況に見えるやり方をそなたが選んでいるのぞ。そなたが選んでいるやり方でやると不況になるのぞ。不況をどうにかしようとするともっと不況になるぞ。不況が恐怖になるぞ。そなたのやり方は最後の最後はすべてアウトであるぞ。集団自決であるぞ。悪の芽、悪の糸はもう切ってあるのぞ。今までのやり方がまだ続くように見えるのは最後の最後の大掃除のための舞台作りのためであるぞ。いつまでも今までのやり方が続くと思ったら残念がでるぞ。人間ゲーム卒業ぞ。

 そなたはこの方が構えた「情けと花の仕組み」を知らんから不安になるのぞ。この方の仕組みを知らんから自らの真釣り外しのお知らせである「苦」を自分以外のせいにできるのぞ。そなたは楽をしようとするから苦で知らせるのぞ。自分以外のせいにするとますます真釣り外しをすることになるのぞ。そなたは自分で自分を苦しめているのぞ。自分が自分で苦しんでいるのに自分以外のせいにするとは何事であるか。神なる身の自覚なきもほどほどにしろよ。そなたは掃除終わっていないから病気や苦しみやトラブルがあるのぞ。自分がどうなるかと心配していると永遠に掃除終わらんぞ。心配することは魔釣りぞ。自分だけ勝手であるぞ。心配やめると真釣りになるぞ。そなたを通して神がやっていることを何故にそなたが心配するのか。この方は喜びを創るだけであるぞ。喜びを創ろうとしているこの方の言うことを心配するというのはどういうことであるか考えよ。
P200
 文句、不安、心配、責任追及、勝ち負け損得ゲームは「あやま知人間」のゲームぞ。そなたが自分で自分を苦しめているのに気づかん限り、そなたは文句言いつづけるぞ。そなたは心配し続けるぞ。そなたは人を責めつづけるぞ。トラブルや問題や悩みや葛藤や不調和を創り続けるぞ。それはこの方の望みではないのぞ。そなたが人の責任ゲームを続けている限り、そなたに天国はないのぞ。そなたはそなたの首を自分で締めているのぞ。早く気づかんとそなたが危ないのぞ。回りにも迷惑であるぞ。迷惑だというそなたが迷惑であるぞ。回りには何の責任も何の問題もないのぞ。そなたがそういう見方をしているだけであるぞ。そなたが見ているものはそなたの姿であるぞ。この道理わかるようになれよ。

 この方のやり方を生きることを決めた者は、どこまでもやり通せよ。そなたを悪く言う者は人の責任ゲームをやっている者であるぞ。そなたが気になるというならば、そなたも人の責任ゲームをやっているぞ。罪悪感はいらんのであるぞ。無私してよいのぞ。悪く言われておけよ。気違いに成っておけよ。悪者に成っておけばよいぞ。そなたがキチガイの見本になるのぞ。キチガイになりたい者の前例になるぞ。モデルになるぞ。この方の生き方をしたい者がそなたを見て安心するぞ。キチガイが増えれば神の世は近くなるぞ。キ違いになれば、神が入るぞ。キが違うのぞ。狂っているのではないぞ。神のキがはいるのぞ。キが違うと人生が変わるのぞ。喜びを創るこの方の言葉を拒否しているそなたの方が狂っているのであるぞ。そなたが言っている言葉はそなたのことであるぞ。キはシナリオ。
P201
 この本は神の真理を書いたものであるぞ。初めて明かした真理のテキストであるぞ。掃除の教科書であるぞ。普通の生活の中で、日常の出来事を材料にして掃除をするためのバイブルであるぞ。ハラが語る真実ぞ。宗教、法律、教え、全部今までのゲームであるぞ。神はチャネリングぞ。人間みんなチャネリングしているぞ。霊界と現界は合わせ鏡ぞ。霊界にあるものが現界にあるのぞ。霊界に山川あるから現界に山川あるのぞ。これが真実であるぞ。霊界と現界はアベコベであるぞ。現界の形だけ見ていると霊界が見えないぞ。霊界で起きていることが現界で形になるのであるぞ。そなたは霊界と現界に生きているぞ。そなたの姿が映っているのが現界であるぞ。そなたは鏡を見ているのぞ。そなたが見ているものはそなたであるぞ。善悪損得○×責任、ぜんぶそなたが持っているものであるぞ。そなたが持っているものを映しているだけであるぞ。この道理わかれよ。
P202
 「君が代」は霊と体、気と身、キとミの代であるぞ。キミの世であるぞ。キとミが一つにナル代であるぞ。千代に八千代にさざれ意志のイはオとなるのぞ。アイウエオがアオウエイになるぞ。イはオとなるのぞ。アベコベになるのぞ。こけのむすまで永遠に神の代になるのぞ。「君が代」は戦争の歌ではないぞ。神のお知らせぞ。国歌はこの方の歌ぞ。国旗はこの方の旗ぞ。日の丸はヒ(霊)のマル(○)ぞ。ヒ(一)のマル(○)ぞ。十であるぞ。神のしるしぞ。ヒノモトのしるしぞ。国旗国歌の是非を論じるのはあやま知のゲームであるぞ。そなたの思惑で、そなたの都合で勝手に意味を付けているぞ。そなたらの善悪で自分勝手な理屈を創って争っているぞ。世界のありとあるものすべてが神の現れであるぞ。すべてが神ぞ。神の型示しぞ。この方はすべてを形にして教えているぞ。型で教えているのぞ。真実を明かしているのぞ。この方の言っていることを聞けば見えてくるのぞ。この方の言っていることを聞かなければ見えないのぞ。この方の言うことを聞くか聞かないか二つに一つであるぞ。この方の言っていることを素直に聞けよ。この方の言うことを人間心出して判断するなよ。そなたが滅びるぞ。イザナギとイザナミが一つになるぞ。ヒノモトの童謡や昔話はこの方のメッセージであるぞ。「カゴメ、カゴメ、カゴの中のトリ(十理、神のコトワリ)はいついつ出やる、夜(「やゆよ」が明ける晩、らりるれろの世界が)明けの晩に、ツルとカメがすべった(統べった/滑った)後ろの正面だーれ。」そなたの後ろの正面がそなたの前に映っているだけであるぞ。烏はトリにあと一歩の鳥。
P203
 いよいよ三歳苦難のタテカエタテナオシが迫っているぞ。一気に一度にメグリ渡して大掃除してもらうぞ。掃除さぼれなくなるぞ。掃除終わるまで休憩ないぞ。今なら少しずつできるぞ。休憩しながらできるぞ。だんだん厳しくなるぞ。今までの「人の責任ゲーム」や「あやまつ形」はあと二年で終わりであるぞ。あやまつ形を大掃除する仕組みが形になるからぞ。そなたが「人の責任ゲーム」をやろうとすると苦しくなるぞ。そなたにはもう後がないのぞ。三歳苦難のタテカエタテナオシの三年の間、神は一切手出しせんのぞ。掃除できていないと苦しいぞ。そなたが掃除できていれば助けることができるぞ。掃除なきものは新しい世界には行かれんのぞ。そなたのメグリをすべて清算するまではそなたは楽にならないぞ。神の仕組み知ってその時にまとめて掃除して天国になろうとしても無駄であるぞ。そなたのメグリを、真釣り外しをすべて清算するまでは天国にはならんのぞ。今なら今ここで始められるぞ。そなたの自覚大切ぞ。そなたが天国にいくも地獄にいくもすべてそなた次第であるぞ。自分のことであるぞ。人ごとではないぞ。自分で決めよ。

 このフミもこの者の言うことも神示の受け売りではないぞ。この者が体験を通してその後に出した実践神示であるぞ。この者にとっては、神示は後から来たのぞ。この方の声と知らずに、神を知らずに、何が何だかわからずに、回りの抵抗の中で自分の直感だけに従って、この方の声に従って、先にやって、先に掃除して、タテカエタテナオシのすべてのプロセスを体験しているのぞ。体験してから神示で確認したのぞ。そなたは神示読めばすべて分かるのぞ。神示読まん人間多いから、神示を敬遠する者が多いから、最後の最後の大サービスとして出したフミであるぞ。この者の体験というフィルターを通して、特別な形ではなく、トランスチャネリングではなく、人間に分かるように人間の体験として人間の言葉で伝えているのであるぞ。これ読まなければ神避けるそなたは何もわからんぞ。
P204
 そなたらの議論している「二十一世紀に向けて何をどうすればよいか」というテーマに対する答えは、今のそなたらは持っていないのぞ。そなたらの考えているような二十一世紀はもうこないのぞ。マルチメディア社会も高齢化社会も国際化社会ももうこないのぞ。情報化社会ももう終わりであるぞ。エイズや環境破壊や臓器移植や犯罪や平和や差別や不平等やイジメや景気をどうするかを議論しても意味ないぞ。そなたらのアタマで議論すればするほど分からなくなるぞ。ますます問題が深刻になるぞ。「解決」しようとするほど「解結」しなくなるぞ。どんどん問題を創りだすだけであるぞ。今ここで形になっている「不都合」や「不調和」や「問題」というのは、すべてのすべてが今までそなたらが学んできた「あやま知」で動いた結果として創りだしたものであるからぞ。すべての出来事、体験は、今の今までそなたらが今持っている「神の仕組みとアベコベのモノの見方」を行動した結果であるぞ。議論というのは「あやま知」そのものであるぞ。同じやり方では同じものしか創りだせんのであるぞ。今までのやり方は不調和、不都合、トラブル、問題、不平等、不自由、不博愛を創る「地獄のゲーム」であるぞ。天国は永遠に創り出せんやり方であるぞ。
P205
 そなたという身魂はこの方の分身であるぞ。そなたという身魂のすることを肉体という物質の体に翻訳しているのが人間であるぞ。そなたの死後に残るのは身魂だけであるぞ。そなたの「考え」「ココロ」「想像」そのものがそなたであるぞ。新しい世はそなたのココロがそのまま現れる世であるぞ。そなたのココロに地獄があれば、そなたのココロに制限があれば、そのまま見るのであるぞ。戦いがあれば戦うのであるぞ。そなたとこの方は想念の世界で対話しているのであるぞ。この方はそなたの想念をすべて見ることができるのであるぞ。そなたらすべての想念を見ることができるのであるぞ。そなたらが何をするか、何を創るかはこの方はすべて知っているのであるぞ。悪の企みもすべて知っているのであるぞ。この方はそなたの考えることはすべてわかるのであるぞ。そなたがどんな反論をするか、そなたが何をしようとしているか、そなたがどういう見方をしているか、分かるのであるぞ。そなたのやり方でやるとどうなるか、結果は全部分かるのであるぞ。

 この方はこの方が創った仕組みの中でそなたが何をしたらどうなるかすべて知っているのであるぞ。この方はそなたらの混乱の原因も収拾の方法もすべて分かっているのであるぞ。そなたらの悪の企みも嘘も建前もすべて知っているのであるぞ。そなたらの秘密もすべて知っているのであるぞ。そなたらの秘密をバラすこともできるのであるぞ。そなたらはこの方の創った仕組みの中で遊んでいるだけであるからぞ。そなたがやっていることは何もないのであるぞ。この方が許しているから悪の企みができるのであるぞ。これからは不調和創り出す今までのやり方はこの方は許さないのであるぞ。自分だけがうまくやろうというのでは天国はこないのであるぞ。そなただけが良く成ろうとしているつもりであるが悪くなっているのであるぞ。身魂の視点で見ればそなたは得しているようで損しているのであるぞ。そなたの人間というゲームはそなたの選んだルール通りに体験する身魂のゲームに過ぎないのであるぞ。そなたはどんな体験も自分で選べるのであるぞ。選べるのではあるがそなたがするのではないぞ。そなたの注文をこの方が聞くのであるぞ。
P206
 そなたが使っているのはこの方が創ったモノであるぞ。この方が許さなければ使えないものであるぞ。この方が創ったものはこの方がどうにでもできるのであるぞ。そなたのものは何もないのであるぞ。この方のことを知らぬそなたの今までの思い込みはそなたの自分勝手なものであるぞ。そなたが自分を正当化するどんな理屈も通用しないのであるぞ。人のことを人が決めるゲーム、人のすることを賛成反対するゲーム、許す許さないゲームには自由はないのであるぞ。この方はすべてを許しているのであるが、そなたらは何をしているのであるか。許しているから賛成反対ゲームも、自分のしたいことをするゲームもできるのであるぞ。お互い自由なのであるぞ。裁くゲームは迷惑であるぞ。そなたの肉体の世界の出来事はそなたの魂の世界の出来事の結果であるぞ。そなたの魂の世界はこの方の仕組み通りに成るのであるぞ。魂の世界で成ったことが肉体の世界に映し出されているのであるぞ。そなたが人生だと思っているのはすべて幻想のゲームであるのぞ。
P207
 この方はそなたら皆を天国にすることもできるのであるぞ。この方は、だれが何を欲していて、だれが何をあげたいのか、どうすれば満たし和えるかをすべて知っているのであるぞ。一人ひとりを組み合わせてお互い満たし合って嬉し嬉し楽し楽しの天国のパズルを組み立てることもできるのであるぞ。この方の御用をするこの者もこの方と同じものが見えているのであるぞ。そなたもこの方の言う世界が見えるようになるのであるぞ。そなたの肉体の世界はそなたの魂の世界の鏡であるぞ。そなたは鏡の世界を変えようとしているのであるぞ。元を変えずに鏡の像をいじくっているのであるぞ。元がそのままならば鏡を何枚割っても同じものが見えるのであるぞ。気にくわない者の肉体を奪ってもそなたは安心できないのであるぞ。外を変えようとするそなたが迷惑であるぞ。そなたはそなたの責任を逃げているのであるぞ。自分が選んだ体験が都合悪いと自分以外のせいにしているのであるぞ。そなたが外側に見ているのはそなたが持っている○×善悪正誤美醜であるぞ。魂の世界が天国でなければ肉体の世界の天国はないのであるぞ。肉体の世界の天国は、魂の世界、即ち肉体で認識するところの「ココロ」を掃除することでできるのであるぞ。そなたは肉体をもって魂の世界を知ることができるのであるぞ。神の世界を見ることができるのであるぞ。この方の語る話を聞くことができるのであるぞ。
P208
 そなたは、この方の言うことを素直に実行すれば神の世界を体験することができるのであるぞ。この方の言う通りにすれば肉体の世界でも天国を体験することができるのであるぞ。この方がそなたの注文を聞いてこの方の創ったものを使ってそなたに必要なものを与えているのであるぞ。この方の言うことを疑えば天国はないのであるぞ。どっちが本当かを比べていても分からないのであるぞ。そなたが今やっているやり方とアベコベを実行して初めて体験する世界であるぞ。そなたは今そのやり方をしているからその体験をしているのであるぞ。アベコベのやり方をすればアベコベの体験をするのであるぞ。「もし失敗したら」「もし騙されてたら」「もしもしもしでもでもでも」をやっているのは今までのやり方であるぞ。今までのやり方から出ていないのであるぞ。この道理分かるか。

 そなたは身魂の掃除なくして新しい世の民になることはできないのであるぞ。そなたが掃除をするかしないかでそなたの身魂の永遠の生死が決まるのであるぞ。そなたの身魂が死ねばそなたは永遠に消えるのであるぞ。肉体の生死、財産、地位、名誉、金、信用、世間体云々どころの話ではなくなるのぞ。そんな小さなことにこだわっているとそなたはいなくなるのであるぞ。取り返しのつかないことになるぞ。疑えば疑うほどそなたは死に近づくのであるぞ。新しい世へのプログラムは決まっているのであるぞ。掃除を先に延ばせば延ばすほど厳しくなるのであるぞ。大変になるのであるぞ。最後はすべての人間が掃除を体験することになるのぞ。そなたがたよっている外のものをすべて壊して、いやでも掃除をせねばならない状況を創るのであるぞ。今そなたの回りで起きている天変地異や事故や問題はすべてその前兆であるぞ。少しずつ体験させているのであるぞ。今までのやり方で何とかしようとすればますます泥沼にはまるのであるぞ。そなたの今までの見方では怖いことばかりおきるのであるぞ。最後の最後には身魂の掃除ができたかできないかの身魂改めがあるのであるぞ。そなたの身魂が生まれて以来初めての関所であるぞ。関所の通行手形は「掃除の終わった(神ゴコロに戻った)身魂」であるぞ。今度の今度だけは裏工作もワイロも学問も知識も地位も財産も何も通用しないのであるぞ。すべての者が平等にできることであるぞ。最後の最後に必要なのは「掃除が完了した身魂」だけであるぞ。
P209
 身魂の掃除というのは「ココロ」の声を使ってそなたが持っている「あやま知」を「神の智」に交換して行動する練習をすることであるぞ。そなたのココロにある基準を取り替える(十理=神を替える)ことであるぞ。そなたのココロをこの方のココロと同じにすることであるぞ。そなたは、そなたがココロに持っている基準通りの物語を体験するのであるぞ。そなたが持っているシナリオを変えなければ体験は変わらないのであるぞ。「天国創る神のやり方」を実践すれば形は天国であるぞ。今までのシナリオは地獄の物語であるぞ。自分だけが満足して勝つ、争いを創るシナリオであるぞ。この方は「天国のパズル」が完成するように一人ひとりの想念を通して指示することができるのであるぞ。そなたがいくら考えてもすべての人間を天国にすることはできないのであるぞ。すべてのすべてを調和のもとに機能するように創ったこの方の言うことを素直に聞かなければ、個人的な問題も社会的な問題も、すべてのすべてがもう何も解結しないのであるぞ。不調和創り出している限り平和も自由も平等も何もないのであるぞ。この方はそなたが不調和を創りだしたときに自分自身で気づいて調和に戻せるように「情けと花の仕組み」を創ったのであるぞ。そなたがバラまいた不調和と同じだけの「苦」を与えて知らせて自分のしたことを自覚させて、お詫び、感謝、改心したら「楽」になるようにしたのであるぞ。改心というのはそなたが分かったこと、気づいたことを行動することであるぞ。お祈りや感謝の言葉だけではだめであるぞ。そなたが分かったことをそのまま行動することで改心した証拠になるのであるぞ。神を信じているならば、神の言う通りに動くことであるぞ。判断を入れたらそなたは神を信じていないことになるぞ。言い訳や理由はいらなくなるのであるぞ。疑いをもったら改心していないのであるぞ。
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 この方は、この方の仕組みで肉体をもった身魂であるそなたが肉体の世界で掃除できるようにココロというものを創ったのであるぞ。肉体を使って魂の掃除ができるようにしてあるのぞ。ココロを使って神の心に戻れるような仕組みを創ったのであるぞ。そなたは今まで「あやま知」にとらわれていたからそのことに気づかず、自分の「苦」や「葛藤」や「混乱」や「問題」を自分以外の責任にして、ますます不調和をバラまいて、ますます混乱や苦しみを創りだしていたのであるぞ。そなたの「苦」というのはそなたが創ったものであるぞ。そなたが不調和ばらまいたことを知らせるお知らせであるぞ。そなたがバラまいたと同じだけの苦を体験しているのであるぞ。そなたがしたことが返ってきているのであるぞ。「あやま知」にとらわれているそなたが気づかないことがわかっているからこの方が人間の言葉に翻訳してここですべてを教えているのであるぞ。「知恵」と「智慧」は違うのぞ。知恵は人間の創ったものであり、智慧は神のものであるぞ。「知」の下に「日(火、一、霊=神)」があるのが智慧であるぞ。神の教えであるぞ。そなたがとらわれているのは神の智とアベコベの、混乱をつくる、「自分だけ善しの知恵」であるぞ。そなたらはみんな自分勝手であるぞ。人のすることをとやかく言える筋合いはないのであるぞ。そなたは正しくないのであるぞ。そなたは普通でないのであるぞ。そなたはキ違いぞ。
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 自分のしたことの結果を人のせいにするというのはどういうことであるかよく考えてみよ。そなたが感じている「苦」はそなたがそなたのまわりに、見える世界見えない世界に宇宙にばらまいて神や人に与えた「苦」と同じであるぞ。神の世界は天国であるぞ。そなたが不調和ばらまけば天国の安らぎはないのであるぞ。そなたがばらまいただけのものはそなたに体験してもらうのであるぞ。これは一人として避けられないものであるぞ。そなたが安らぎや天国を感じようとしてもそなたが蒔いた分だけは引き受けることになるのであるぞ。そなたがこの方の言うことを理解したとしても、そなたがまき散らした分だけはしっかりと引き受けてもらうのぞ。そなたがしただけのものは返してもらうのぞ。そなたがこの方の言うことに反論したり疑ったりすればますます不調和をまき散らすことになるのぞ。そなたのしたことの結果はそなたに戻るだけであるぞ。そなたはこの後に及んでまだ「苦」を体験したいのか。そなたの「苦」や「問題」や「怪我」や「病気」や「事故」は、そなたが不調和出していたことに気づかせるために、この方がこの方の家来を使って、そなたが出した分だけ、忠実に、一つのもれもなく、多くも少なくもなく、ピタリピタリとそなたに返しているのであるぞ。今ならばそなたが耐えられる分量ずつ渡せるが、最後の最後はまとめて渡すのぞ。そなたがすべて返済するまで、お掃除が終わるまでそなたは天国になれないのぞ。後ろの期限は決まっているから、先に行くほど纏(まと)めてやることになるぞ。先に延ばすほど自分が苦しくなるのぞ。今怖いものはもっと怖くなるぞ。早く始めるほど楽に天国になれるぞ。楽であるが楽ではないぞ。そなたの身魂が生まれて今まで何世代にもわたってまき散らしてきたものを全部清算するのであるからぞ。
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 そなたが体験していることはそなたがしたことであるぞ。文句や愚痴を言っているならばますます不調和ばらまいているのであるぞ。自分のしたことの責任をとっていないのであるぞ。ますます「苦」や「問題」や「怪我」や「病気」や「事故」を体験することになるぞ。責任追及や裁判をやっている者は早く気づけよ。そなたにメグリ、真釣り外し、不調和ばらまくことがなければ「損」も「被害」もないのであるぞ。そなたが受け取っているものはそなたのメグリに応じて、そなたが耐えられるだけの分量をこの方が与えたものであるぞ。そなたの加害者はそなたであるぞ。「偶然」などというものはないのであるぞ。自分のものもないのぞ。この方のものであるからこの方が自由につかえるのであるぞ。最後には一度に与えるのであるぞ。「原始時代」の民はこの方と共にいたのであるぞ。病気も事故もないから医師も裁判もいらないのであるぞ。自らしたことだと知っているからこの方と共に直していたのであるぞ。「苦」も「病気」も「事故」もお互いのメグリ合いであるぞ。すべてこの方が与えたものであるぞ。
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 この方の言うことを聞くことだけが「調和」を創りだすやり方であるぞ。不調和はメグリ積むだけであるぞ。メグリあれば平和も自由も天国もないぞ。遊べないぞ。メグリを掃除しなければ、自分のしたことを自分で自覚しなければ、そなたは新しい世界も死後の天国もないのであるぞ。今ここの天国もないのぞ。善いことをしてもだめであるぞ。世紀末のことや神のことを知っても何もならないのであるぞ。そなたがすることは「あやま知」の掃除だけであるぞ。文句言わないことであるぞ。愚痴を言わないことであるぞ。人を責めないことであるぞ。口だけの感謝はだめであるぞ。感謝しているならば、自分の責任をとっているならば、文句も愚痴も言えないのであるぞ。わかったら態度で示すことぞ。行動することぞ。この方の言うことを行動することであるぞ。そうすればこの方はそなたの掃除を手伝うぞ。きついならきついなりに一番はやく一番楽に掃除できるような材料を与えるぞ。掃除終わればオカゲをやるぞ。最後のプログラムはこの方が創ったのであるぞ。こうやってこの者を使ってすべての種明かしをしているのだから素直に改心結構ぞ。
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 どっちがよいか、どっちが得かのゲームは問題を創るだけであるぞ。物事を二つに分け続けるだけであるぞ。ねずみ講であるぞ。どんどんワケが分からなくなっていくだけであるぞ。そなたらは分けに分けてそなたとこの方の関係まで見えなくなってしまったのであるぞ。宗教とか哲学とか言って学問や他力本願の対象にしてしまったのであるぞ。この方を忘れてしまって、自分が何をしているかわからなくなってしまったから「問題の山」を前にして途方に暮れてしまっているのであるぞ。そなたらは自分で問題を創って自分で悩んでいるのであるぞ。これ以上「あやま知」に占領されたアタマを使って外側の情報を創りだしては神の世界がますます見えなくなるだけであるぞ。ますます混乱が進むだけであるぞ。ますます思惑とは反対の方向に行くだけであるぞ。平和も平等も自由も安全も全部遠くなっていくぞ。分けがわからなくなるだけであるぞ。何とかしようとするほど何とかならなくなるのであるぞ。人間にはもう何も解結できないのであるぞ。今ある問題は、神の世界を創る大掃除の序曲であると同時に、そなたらの魂のお掃除をするための材料であるぞ。神の視点になる訓練をする教室であるぞ。そなた次第でゴミにも宝にもなるぞ。

 そなたがすることは今までのあやま知をきれいさっぱり捨て去って、調和を創る神の仕組みを生きることであるぞ。生きる基準を変えることであるぞ。そなたの魂のお掃除を始めれば今起きていることが見えてくるのぞ。今起きていることがそなたとは関係なくなるのぞ。そなたが見方を変えなければどんどん怖いことになっていくのぞ。そなたが今までのゲームを続ければ続けるほどそなたが危なくなるのぞ。そなたとそなたの回りとは関係ないのぞ。そなたが掃除済めば、何が起きようが気にしないで遊べるのであるぞ。そなたがメグリ持っている分だけ遊べないのであるぞ。「遊べない」「できない」と言っているからずっとできないのであるぞ。そなたは物質を使って遊ぶ魂であるぞ。今世はメグリなければ嬉し楽しの遊び場であるぞ。
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 外を探していても何も答えはないぞ。二十一世紀というのは全く別の世界になるのぞ。魂の世界と物質の世界が半分ずつの世界になるのであるぞ。今のそなたが想像しても分からないのであるぞ。想像するよりも掃除をすることぞ。掃除をすれば見えてくるのぞ。どうなるか、何が起きるか、どうすれば助かるか、をやっていると助からんぞ。何もわからんぞ。肉体を守っても魂がなければ何もないのぞ。肉体の死を恐れていると魂が死ぬのぞ。神の世界の規則通りに生きればそなたに死はないのぞ。肉体の死はあってもそなたに死はないのぞ。そなたは物質ではないぞ。そなたは魂であって肉体であるぞ。そなたが守っているものは今までの遊び場で与えられた遊び道具であるぞ。今までの遊び道具を握っていると新しい遊び道具を渡すことができないのぞ。新しい道具がほしいならば今までの道具を放すことであるぞ。新しい世界は今の肉体では遊べないのであるぞ。一度肉体を脱いで新しい肉体(服)を着る必要があるのぞ。そなたという魂が新しい世に合った行動をしていないと新しい服は着られないのであるぞ。
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 今までの知識が今までの物質の世がこのままずっと続くと思うなよ。今までの「当たり前」や「常識」が続くと思うでないぞ。いつまでも「我よし」や「保身」や「損得勝ち負け」ゲームや「私はどうなるのでしょう」ゲームや「利害関係調整」ゲームをやっていると残念が出るぞ。もう後がないのぞ。この方は、新しい世を創る時が迫っているから、すべてのすべてのカラクリを公開して、後悔しないように準備をさせようとしているのであるぞ。そなたがもっている不調和創りだす知恵を調和を創りだす智慧に変えないとそなたに次の世はないのぞ。そなたが掃除をさぼれば掃除の手間が増えるだけであるぞ。後はないのだから後に行くほど大変になるぞ。一度にたくさんの掃除をすることになるぞ。外側の掃除をする「三歳苦難のタテカエ」ではそなたのメグリを一気に渡して掃除させるのぞ。今の怖さどころではないのぞ。そなたが神の智慧を外している分だけ、ルール違反している分だけ怖いことになるぞ。今やるか後でやるか本当の本当に取り返し(十理=神のコトワリに返ること)がつかないことになるぞ。

 そなたはそなたが今まで学んだ材料を使って創りだした(組み立てた)シナリオ(モノの見方)に基づいて動いているのであるぞ。そなたのシナリオに照らして外を見ているのであるぞ。そなたの基準はそなたが創ったものであるぞ。そなたの見方はすべて自分勝手であるぞ。そなたが一つの見方に固執しているならばそなたは偏見を持っているのぞ。人のことをとやかく言う筋合いではないのぞ。そなたが議論したくなったら自分が正しいと思っているぞ。こだわっているぞ。そなたがどんな理由をつけようとそなたは「絶対的」には正しくないのぞ。人はコントロールできないのぞ。今までの世のゲームの中だけで使えるものは別の世になれば使えないのであるぞ。そなたがそのシナリオを握っている限りそなたの体験は変わらないのであるぞ。変わらないばかりか、ますます苦しくなるのであるぞ。ますます大変が増えるのであるぞ。不安や恐れが増えるのであるぞ。そなたが人の責任にしている部分をお掃除する手間が増えるだけであるぞ。ますますトラブルや嫌なことが増えてくるぞ。そなたが一つの基準に固執していると、「人の責任」というあやま知にとらわれていると、文句や愚痴や不満や責任転嫁をしていると、そなたの苦しみやトラブルの体験はなくならないのぞ。そなたの言い分は「神の社会」では通用しないのぞ。
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 そなたが「損」「事故」「病気」「トラブル」「いやなこと」と見ているものはそなたがかつてやったことの結果であるぞ。この方のはすべてをバランスよく創ったのであるぞ。そなたが偏ったことをしたからその結果を体験しているのであるぞ。そなたの体験は自分でしたことの結果であるぞ。人の責任などというものはないのであるぞ。殺人もお互いのメグリ合いであるぞ。メグリが合ったのであるぞ。死をもって、障害をもって自らのしたことを清算しているのであるぞ。外側を見てかわいそうとか悲しいとか言っているとそなたがその通りになるぞ。赤ちゃんで死んでも、障害を持ってきても、その魂にとってはそれで今までのメグリを清算しているのであるぞ。メグリ持っては次の世には行かれないのであるぞ。「人の責任」というシナリオはメグリを創りだすだけであるぞ。ますます掃除たいへんになるぞ。もう後がないのであるぞ。掃除急ぐのぞ。自分のした責任転嫁を清算するのであるぞ。すべて終わらなければそなたには天国はないのぞ。そなたのシナリオを変えなければそなたの未来はないぞ。今まで学んだアヤマ知を入れ換えなければそなたはこの世で終わりであるぞ。肉体世界の出来事に一喜一憂していると魂も肉体もいなくなるぞ。掃除終われば、世紀末の出来事は楽しんで見ていられるぞ。そなたのお掃除終われば世紀末の大変は関係ないのぞ。怖いものはなくなるのぞ。何が起きても楽しいのぞ。最後の最後は全員が肉体という服を脱いで、魂の掃除終わった者から新しい肉体に入るのぞ。最後の最後は死ぬのぞ。残るのは魂だけぞ。魂の掃除することがこれからの全員の役目であるぞ。魂の掃除することがミロクの世を創ることになるのぞ。ミロクの世を創るのが人間の使命であるから、掃除をするのがそなたらの使命であるといってもよいのぞ。掃除終われば今ここでも調和の中で遊べるのであるぞ。今ここで遊べるようになれば、そなたには「死」も「世紀末の大変」も何も関係なくなって「永遠の天国」になるぞ。
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 そなたは肉体ではなく生き通しの魂であるぞ。生き通しの魂が肉体を使って自分を体験しているだけであるぞ。そなたの「死」は肉体を脱ぐだけのことであるぞ。そなたの状態が変化するだけであるぞ。死は怖くないのであるぞ。悲しくないのであるぞ。そなたはずっと生き続けるのであるぞ。そなた以外の人間も同じであるぞ。人間というのは魂を肉体として見たときの状態のことであるぞ。肉体をとったそなたがそなたであるぞ。そなたの想念に悪や恐れがあればそのまま見ることになるぞ。そなたが体験していることはそなたがしたことの結果であるぞ。そなたにトラブルや病気や事故や損があるのはそなたという魂がいつかどこかで不調和創りだす行動をしたのであるぞ。今世はいままでのすべての生でそなたがまき散らした不調和の種を刈り取る時期であるぞ。新しい世は調和のみの神の世であるぞ。不調和もっている魂は行けないのであるぞ。そのための大掃除であるぞ。最後の最後にすべてを清算する大掃除をするのであるぞ。そなたが目の前のものを責めたり疑ったりしていれば更にメグリを積むことになり、それを全部清算するまではそなたは新しい世にはいけないのであるぞ。そなたが苦しいのは、つらいのは、今までそなたがやってきた不調和創り出す行動で回りに与えたものであるぞ。そなたがしたことをそなたが体験しているのであるぞ。自分のしたことを自分が体験して辛抱すればそれでそなたのしたことは精算であるぞ。文句や愚痴や責任追求をしているとさらに掃除が必要になるぞ。
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 「自分の与えたものが自分に返ってくる」のが唯一の法則であるぞ。自分の責任であるぞ。人の責任というのはないのぞ。そなたが辛いのも苦しいのもそなたがしたことの結果であるぞ。「そんなことをした覚えはない」といってもそなたが体験していることが証拠であるぞ。目の前で起きていることが証拠であるぞ。そなたは、魂のやったメグリを知らないからそういうことが言えるのであるぞ。そなたにはわからないのだから、起きたことを素直に見て、不調和不都合感じたら、素直にお詫びして、しただけのことは辛抱して改心していくことであるぞ。人のせいにしないことであるぞ。「もし~していたら」というのはないのぞ。この方はそなたのメグリ相応の体験をさせているのであるぞ。そなたのメグリを知らせているのであるぞ。偶然はないのぞ。そのセリフは神のせいにしていることになるのぞ。もう悪の芽は切ってあるのぞ。悪の仕組みは最後の最後はなくなるのぞ。今今に悪を残してあるのは大掃除の舞台造り。悪を以って悪を払う仕組み。悪に執着して自分だけうまくやろう、もうけてやろう、得してやろう、人に勝ってやろうというゲームに現(うつつ)を抜かすような、神成る身の自覚なき者が多いから、そういう身魂を引っかけてまとめてお掃除するための仕組みであるぞ。この方はまとめてお掃除して初めからやり直す方が楽であるのぞ。そなたが外に頼っているとそなたが大掃除されるぞ。人ごとではないぞ。人のことをアレコレ言っているとそなたが掃除の対象になるぞ。そなたの欲や保身やとらわれがそなたの悪の体験を創りだすのぞ。「欲をもって何が悪いのか」などといつまでも言っている者は最後に大掃除してやるから最後の人生をせいぜい楽しむがよいぞ。この方のことをイジワルだとかコワイとかズルイとか言うならば、今までのゲームをやっているぞ。そなたがこの方の親ゴコロを知ってか知らずか、勝手に不調和創りだす人のせいゲームに現を抜かしているのぞ。この方は人間の言葉でそなたが助かる方法を明かしているのであるから聞かないそなたが悪いのであるぞ。自業自得、自体験自責任ぞ。
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 この方はすべてのカラクリを明かしているのであるぞ。助かる方法も助からない方法も目に見える形で教えているのであるぞ。最後の大サービスをしているのであるぞ。一人でも多くこの方のところへ戻って欲しい親ゴコロであるぞ。この方のところは皆が皆、嬉し嬉し楽し楽しの天国であるぞ。この方はすべての秘密をバラしているのぞ。そなたが目で見て耳で聞いて選べるように言葉で文字でサンプルで見せているのぞ。この方の言うことを無私した結果、そなたがどうなろうとも、それはそなたの自業自得であるぞ。この方や回りを恨むのは筋違いであるぞ。恨んでいるから恨みの感情が続いているのぞ。そういうことをしているから今まで混乱、不調和、争い、悩みが絶えなかったのであるぞ。この方を無私した結果が今までの社会、常識、宗教、教育、政治、経済の仕組みの行き着くところであるぞ。今ここであるぞ。何がなんだかわからないでやっている目隠しゲームの結果が今の混乱であるぞ。今までの延長の思考で今、目の前で起きていることを手前勝手に解釈していると、最後の最後でどんでん返しになるぞ。様子を見ていると手遅れになるぞ。
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 この方のやり方は外から見ても何もわからんのであるぞ。そなたがやって初めて分かるのぞ。そなたがこの方が教えるシナリオを選ばなければそなたには分からないのぞ。この方がそなたのココロを通して渡すシナリオは一人ひとり違うのであるぞ。そなたがそなたの学んだアタマの理屈で何と言おうとも、この方の語るすべてのすべてがすべて真実であるぞ。最後の最後になればすべてハッキリとわかるぞ。だが、最後の最後になってわかってももう手遅れであるぞ。だから、この方が今ここで親切に大サービスして知らせているのぞ。本来ならばそなたが自分でこの方のサインに気づかなければならなかったのぞ。それが神成る身魂の責任であるぞ。最後の機会を与えているのであるぞ。親にウラ切られない(神の世界を切られない/魂を消されない)うちに改心した方がそなたのためであるぞ。これが最後の最後の機会であるぞ。今なら間に合うのぞ。自分のために自分で決めよ。
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 「天国の方法」は今ここでも(ミロクの世でも肉体の死後でも)天国であるぞ。「人間の方法」は今ここだけ、自分だけの天国ぞ。永遠のイノチを得るか、今ここだけの優越感を得るか、二つに一つの選択ぞ。今ここがそなたの人生の分岐点の瀬戸際の崖っぷちであるぞ。今までのゲームを綺麗サッパリ捨て去ってこの方の「天国のシナリオ作りの個別授業」を受けるか、今までのゲームでこの方の言うことを判断議論する今までのゲームをするか。まったく正反対の結果になるのぞ。バージンから始めて永遠の天国ゲームを体験するか、そのまま地獄のゲームを続けて滅びるか、そなただけがそなたの選択の結果を体験するのぞ。人生というゲームをどう遊ぶか、一人ひとりのゲームであるぞ。一人ひとり、別のゲームであるぞ。そなたが楽しめばそれでよいのぞ。人のしていることを外から見てツベコベ言うでないぞ。そなたの基準であるぞ。そなたの○×であるぞ。この方は○×を言った覚えはないぞ。そなたは人を責めるゲームが好きなのか。そなたが迷惑であるぞ。人間として一番の迷惑であるぞ。そなたが人を裁くならば、人がそなたを裁いても文句言わないことぞ。お互いが満たし合って楽しいことをすればそれでよいのぞ。それがこの方の望むことであるぞ。人に迷惑をかけられることはないのぞ。そなたがそう思い込んでいるだけであるぞ。この方を知らぬ道徳、倫理の議論は卒業ぞ。この方は裁いた覚えはないぞ。
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 そなたが今までやっていたゲームはもう終わっているのであるぞ。この方が終わらせるのであるぞ。そなたらが創りだした地獄の形を清算して、整地して、聖地にして、初めから皆嬉し楽しのミロクの世を創る準備をするのであるぞ。「天国の方法」で天国のゲームを初めの初めから始めるのであるぞ。そなたらがやった結果は、この方にしか直せないところまできているのぞ。今までのデーターで勝手に想像しても予想しても無駄であるぞ。残念ながらそなたの期待通りにはいかないのであるぞ。人のすることに口出しするでないぞ。人の言うことを鵜呑みにするでないぞ。人を支配するでないぞ。すべてのゲームは一人ひとりであるぞ。そなたのココロはそなたしか見えないであろうが。この方を知らずに、この方を無きものにして、人のココロを勝手に決めつけて、自分勝手な理屈でツベコベ言うでないぞ。そなたのシナリオはそなただけのものであるぞ。そなたの基準はそなた勝手のものであるぞ。この方は人に口出ししろとは言っていないのぞ。空想が現実であるぞ。

 この方は一人ひとりの想念を通して、ココロを通して語りかけているのであるから誰も教える必要はないのぞ。誰にも教えてもらう必要はないのであるぞ。愛のムチなどというものはないのぞ。親ゴコロは強制しないのぞ。自分で自分の選択の結果を体験する仕組みだからであるぞ。何をするかは一人ひとりの勝手であるぞ。人を責めるのが、人を裁くのが迷惑であるぞ。人を裁くと自分が何もできなくなるぞ。この方を知らぬ人間が創ったルールや知識を覚えても天国はないのであるぞ。皆が負けるゲームであるぞ。皆で同じことをしても競争になるだけであるぞ。取り合いになるだけであるぞ。この方の声は一人ひとりの専用のシナリオを語るのであるぞ。天国のパズルの指定席へとガイドする声であるぞ。人の指定席に座って威張っている者が多いぞ。自分の指定席を探してウロウロしている者が多いぞ。そなたのココロを通して語る、この方の言うとおりに動けば、皆天国になるのであるぞ。そなたのゲームのままで議論しても解結策はないのであるぞ。二度と起きないようにすることはできないぞ。外から見てもいじめの原因はわからんぞ。人の悩みや不安は見えないのぞ。いつまでも地獄を創る方法を教えるゲームを続けていると教える方も教えられる方もアウトであるぞ。教師様、教祖様、自分のしていることをかえりみやれよ。
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 この方の声を聞けばこの方のシナリオを生きるのぞ。この方のシナリオは一人ひとりのオーダーメイドであるぞ。人に聞けば人のシナリオ通りに体験するぞ。人のシナリオはその人だけのものであるぞ。そなたのシナリオではないぞ。そなたが選んだらそなたのシナリオになるぞ。そなたが何を体験しようとそなたが選んだのだから誰のせいでもないぞ。そなたがシナリオを変えればよいだけであるぞ。人を責めたり、人に頼ったり、人を変えようとしたり、人と一緒にやろうとしたりしても、叶わぬアダ花が咲くぞ。お金もカードも食べ物もすべて同じ遊び道具であるぞ。人間が勝手に価値をつけているだけであるぞ。ギャンブルも風俗も学校もビジネスもすべてゲームであるぞ。お互い嬉しなら何をしてもよいのであるぞ。いけないことはないのであるぞ。損や失敗もゲームであるぞ。悩むのもゲームであるぞ。責めるのもいじめるのもゲームであるぞ。遊びであるぞ。遊びでないぞというのもそういう遊びであるぞ。すべて人間が創ったゲームであるぞ。魂の遊びであるぞ。どの遊びをするかは自由であるぞ。人も自分も自由であるぞ。
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 そなたらは、不平等になるから、不公平になるからといって、アレコレとルールを創って、形を一つにしようとして、自分たちで不自由にしているのぞ。悪いこと(望まないこと)にならないようにしているからそうなるのぞ。競争しているからそうなるのぞ。人間のゲームで勝っても負けても、魂の掃除なければ人間の世界だけのことぞ。魂から見れば人間の世界はほんの一瞬のことであるぞ。人間のゲームは一瞬の天国、永遠の地獄であるぞ。この方のやり方は全員が勝つのぞ。そなたがほしいものはすべて手に入るのぞ。信じない者は信じない限りわからんのであるぞ。「そんなうまい方法はないぞ」という声もあるがそのセリフがこの方のやり方をやっていない証拠であるぞ。この方のやり方をやれば天国が見えるのぞ。こういうセリフはでないのであるぞ。この方は「天国の方法」を一から十まで。ヒト(一十)に成る方法を全部教えているのだから、神ゴコロというものをすべて教えているのだから、みんなが勝つ方法を教えているのだから、この方は人間の親としての責任を果たしているぞ。子であるそなたがどうなろうとそれはそなたの自由ぞ。
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 そなたが何と言おうとも、そなたが体験しているのはそなたが選んだそなたの体験であるぞ。そなたの選んだゲームであるぞ。誰の責任でもないぞ。そなたが決めた成功という形を追い求めると失敗するぞ。そなたがこの方の声に従って動けば成功という形になるのであるぞ。そなただけでなく、たくさんの者がそなたの生き方から恩恵を受けるぞ。自分も人も嬉し楽しであるぞ。人を負かさずにそなたの思い通りの人生を体験する方法はこの方の言うことを聞くことだけであるぞ。この方はすべての者のシナリオを知っているのであるぞ。振り分け、ガイド、交通整理ができるのはこの方だけであるぞ。この方の言うことに文句がある者は納得いくまで相手をするぞ。ただし、そういうそなたはこの方の分身であるということを忘れるでないぞ。そなたは何をしていようとこの方の仕組みの中にいるのぞ。そなたの失敗も成功もすべてこの方の仕組みの中で体験しているゲームであるぞ。そなたが相手にするこの方は今までの相手とは違うのぞ。すべてを創ってすべてを知っている元つ神であるぞ。勝ち負けゲームをやっても勝ち目はないぞ。いい加減に不調和創る戦いのゲームをやめなされ。何年続けても自由も平和も平等もないぞ。皆が天国になることを望んで皆が地獄になるゲームをしているのぞ。そろそろ夢から目を覚ませよ。
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 「言葉」は肉体をもった人間の世界だけで必要な道具であるぞ。子宮内宇宙だけで必要な臍の緒であるぞ。英語も日本語も方言も標準語も共通語も、すべては想念(ココロ、イメージ)を別の形で表現しただけであるぞ。「意味」は同じであるぞ。言葉になる前のイメージはどれも同じであるぞ。魂で見ているものをシンボルに意味を与えて表現しているだけぞ。出す方と受け取る方が同じ意味を付けた言葉でやりとりしているだけぞ。同じ意味でも同じ意味でないぞ。お互いのイメージは見えないからであるぞ。言葉が必要なのはあと少しの間ぞ。言葉を学ぶより、そなたが今持っている言葉でそなたの○×の掃除をせよ。神の真理を早く学べよ。思い出せよ。学んだ者は神の真理を伝えよ。今度の大変、大掃除には人間の学は通じんぞ。知でも教でもお金でも越えられんぞ。次の世は神の世ぞ。神ゴコロになることだけが必要なことであるぞ。神のココロになれば魂の掃除完了ぞ。神ゴコロとは何かというのを今までの人間に聞いてもわからんぞ。だから、この方がこの者を通して教えているのであるぞ。そなたに神の基準がなければ掃除はできないからな。
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 ココロの時代というのは想念が肉体になる時代のことぞ。神の代のことぞ。誰も嘘がつけんようになるぞ。悪がいられんようになるのぞ。個性化の時代というのは個別の専用シナリオの通りに動くことであるぞ。この方の教え方は予約なしぞ。その場その場で必要なだけ与えて、必要なだけ教えるのぞ。できない状況というのもこの方が与えたものであるぞ。肉体の視点で見ていると大大どんでん返しをくらうぞ。ミロクの世界はすべてが変わるのであるぞ。半霊半物の世界であるぞ。土地も変わるぞ。物質変わるぞ。毒関係ないぞ。原爆関係ないぞ。エイズ関係ないぞ。そなたのすることは掃除することだけぞ。掃除ないと、毒も原爆もエイズも地震も火事もすべて怖いぞ。最も危険なのはこの方から離れることであるぞ。この方と対話できるようにならないとそなたの怖いことが全部出てくるぞ。そなたらが汚した聖地ヒノモトの大掃除はこの方がするから心配いらんぞ。全部壊して整地するぞ。大掃除するのぞ。地名も道路も学問も名前も山も川も海も鉄道も学校も建物もすべて変わるのぞ。あと少しぞ。ありえないことが起きるぞ。今何を学べばよいか、何をすればよいか、このフミ読んで考えよ。最初で最後の本当の勉強の開始であるぞ。
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 そなたが受け取っているものはそなたが与えているものであるぞ。そなたが与えているものをそなたは受け取っているのであるぞ。そなたが感じることはそなたがしたことの結果であるぞ。人の感じていることであるぞ。そなたが不快ならば人も不快なのであるぞ。そなたが不快を感じているならばそなたがそれを外にまき散らしているのぞ。そなたが感じている結果を人のせいにしているならばそなたにはずっと天国はないぞ。そなたの体験したことで人を責めるのも人のお陰だと思うのも同じことであるぞ。そなたが何もしないでそれが来ることはないのであるぞ。そなたがしてきたことがそのまま返っているのであるぞ。そなたがもうけたと思うときは相手は損をしているのであるぞ。相手が喜んでそなたも喜んでいればそれは善いのであるぞ。もらうというのは交換している証拠であるぞ。一方的というのはないぞ。そなたが損しても得しても、すべてそなたが何かを提供した結果であるぞ。それが何かは考えなくて善いのぞ。五〇対五〇の交換であるぞ。コントロールや脅しで受け取ったモノはそなたにメグリを創るのであるぞ。自分で自分のメグリを創ってどうするのぞ。そなたがモノで得したと思っているときは身魂で損をしているのであるぞ。みずからメグリを創ってますます天国を遠ざけているのであるぞ。文句を言える筋合いではないのであるぞ。文句を言うとますます遠ざかるぞ。
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 人のものを取ることは悪いことだからやってはいけないのではないぞ。そなたがメグリを創りたければやればよいことであるぞ。人の持っているモノを交換なしで取ったならばそなたは楽に欲しいものを得る状況をどんどん遠ざけているのであるぞ。創っただけのメグリを清算しなければならないからであるぞ。そなたは自分で自分の首をしめているのであるぞ。取られた者は文句を言わなければ取られただけの価値が分かるぞ。取られてメグリを取っているのであるぞ。文句を言えばメグリはそのままであるぞ。取られたらお陰が早くなるぞ。メグリなければ天国ぞ。すべてがアベコベであるぞ。正直者はバカを見ないのであるぞ。形で損すると身魂で得なのであるぞ。損して得なのであるから損も得もないのであるぞ。得しようとして損するならば損しているぞ。形を創ることではなく、そなたの態度が問題なのであるぞ。そなたがモノの世界で形として体験した結果を素直に受け入れればよいことぞ。そなたが調和を提供すれば調和が返ってくるのであるぞ。そなたが不調和提供すれば不調和が返ってくるのであるぞ。

 そなたの体験しているものはそなたという身魂が生まれて以来のすべてメグリの清算であるぞ。そなたはもともと喜びのみであったのぞ。そなたが持っているメグリの分だけ欲しいものがこないのであるぞ。この方の言うことを疑うのはメグリ持っている証拠であるぞ。そなたに起きることをそなたが一〇〇パーセント許して、この方の与える苦も喜びも次々に受け取っていったとき、メグリが清算されて、自動的にそなたの欲しいものが簡単に手に入る状況が来るのであるぞ。メグリ取りの苦を辛抱し、喜びのお陰を嬉しを持って受け取るということを繰り返していくことで喜びが増えてくるのであるぞ。もともとに戻るだけであるぞ。そなたは天国であるぞ。この方のやり方は先にいくほどうまくいく方法であるぞ。そなたはメグリ来た苦を後悔反省することはないのぞ。人の責任にしないでその状況を抜け出すまで体験すればよいだけであるぞ。自分のしたことを自分で受ければ善いだけであるぞ。そなたの体験はそなたの提供したものの結果であるぞ。
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 最初で最後の大掃除が迫っているこの時期は、そなたがしていることをそなたにハッキリと気づかせねばならんから、文句や不満やグチを言ったり、外の責任にしたり、コントロールしようとしたりするとますますそういう状況を体験するようになるのぞ。この方の言う通りに、人のせいや価値判断をやめて素直に行動すれば、嬉し楽しをハッキリと体験することができるのぞ。今までより早く、苦も喜びも来るのぞ。そなたがしただけのことは清算せねばならんが、清算すれば責任を取れば喜びが来るのであるぞ。掃除も大変であるが、オカゲも大きく来るのであるぞ。こんなに善い時期はかつて無かったのであるぞ。そなたがこのチャンスを使うか使わないかはそなた次第であるぞ。やれば嬉し、やらねば苦し、どっちにしてもこの方の言う通りになるから存分に試してみるがよいぞ。天国を創るこの方のやり方が分かったらそこから切り換えればよいぞ。最後の最後ですべてが明らかになるからそれまではお好きなようになさっているがよいぞ。そなたのしたことはすべてそなたに返るだけであるからな。地獄でも天国でも好きなものを貰うがよいぞ。
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 そなたがそなたの内側の掃除をしていけば、黙っていてもそなたが欲しいものは来るのであるぞ。欲しいものが来る状況が来るのであるぞ。形になるのであるぞ。すべてのすべてはお互いの満たし合いなのであるぞ。そなたの苦もそなたが与えたものであるぞ。そなたがそれに気づくように返ってきているのであるぞ。楽ばかり見ている身魂には苦を与えなければ不調和をまき散らしていることに気づかんからそういう仕組みを創ったのであるぞ。苦も喜びも神に感謝なのであるぞ。感謝しかないのぞ。感謝が当然なのぞ。感謝を議論するのは感謝を知らない者であるぞ。感謝を請求するのは自分勝手ぞ。そなたが体験したことをどう見るかというのはそなたの選んだ見方であるぞ。そなたがそなた以外の見方を否定するとしたらそなたは天国にはなれないのであるぞ。この方はすべての見方を許しているのであるぞ。「これしかない」というのはないのであるぞ。「これしか認めない」と言ってもこの方が認めているからそれがあるのであるぞ。この方の言うとおりにすれば一つ一つ欲しいものが来るのであるぞ。早く楽に一度に手に入れようとするから混乱するのであるぞ。掃除をすればそなたが欲しいものはあげたい人から来るのであるぞ。そなたが心地よさを感じているならばそなたがそれを外にまき散らしているのぞ。「してはならない」と人を責める理由はそなたの幻想であるぞ。「~すると混乱する」というのはそなたが持っている観念が創りだす幻想の結論であるぞ。すでに混乱しているのぞ。調和まき散らせよ。
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 答えは一つではないぞ。そなたが答えを一つにしようとするときはそなたが枠をもっているのぞ。そなたの思い通りにならないと思っているときはそなたの掃除ない証拠であるぞ。そなたが外側をなんとかしよう、すべきでない、やめさせよう、教えよう、としているときはそなたが「固定観念」を持っている証拠であるぞ。掃除できていない証拠であるぞ。許していない証拠であるぞ。迷惑はないのぞ。そなたに掃除あれば思い通りになるのぞ。文句を言っているのは、そなたに掃除ない証拠であるぞ。文句を言う方が自分勝手であるぞ。そなたが体験していれば文句も疑いもでないのであるぞ。そなたが議論をしているときはそなたは外から見ているのであるぞ。そなたはこの方のやり方をしていないのであるぞ。そなたはそなたのやり方に固執しているのであるぞ。そなたのやり方で創りだしたものに執着しているのであるぞ。そなたのやり方の作品(現実)だけを真実だと正しいのだと思い込んでいるぞ。そなたがやっているものはそなたの議論の対象ではないのであるぞ。そなたがすべてを許していれば批判も疑いも議論も必要ないのであるぞ。そなたのやり方でそなたが何を体験するかわかるように、この方のやり方で何を体験するかはこの方のやり方をやったら分かるのであるぞ。そなたが疑ったり否定したり議論したりしているのはそなたがそなたの想念を分けている証拠であるぞ。そなたがすべてを許していない証拠であるぞ。そなたがすべてのシナリオをやればすべて形になるのであるぞ。
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 そなたが掃除をすればこの方がすべて必要なものを与えるのであるぞ。この方は掃除の道具も与えるのであるぞ。そなたから見て苦に見えるものはこの方が与えた掃除の道具であるぞ。そなたが使わないで文句言って否定して避けている限り、そなたには天国はないのであるぞ。そなたがすべてやっているのだとしたら思い通りにいかないのはいかなることであるか。そなたが思い通りに行かないのはそなたのせいであるぞ。人のせいにしているから思い通りにいかないのぞ。その通りになっているであろうが。そなたが自分のせいであると認めて行動すればすべてわかることであるぞ。言い訳、反論、議論をしているならば人のせいにしていることを白状していることになるぞ。神に素直でない者は神のやり方はいつまでも体験できんのであるぞ。いつまでも混乱のゲームをしているがよいぞ。地獄のゲームがいやならば、ツベコベ理屈を言っていないでこの方の言う通りに素直にやってみるがよいぞ。できるかできないかを議論している限りそなたはできないのであるぞ。そなたができるかできないか議論しているからできないのであるぞ。そなたのしたいことは議論することであるぞ。そうでないといってもそなたがしていることが証拠であるぞ。

 この方のやり方を始めたならば、そなたの想いがすべて形になるまでやることぞ。「もう無理だ」「まだできない」と言っているのはそなたがやめているだけであるぞ。そなたが外を見ている証拠であるぞ。そなたが外をさがしている証拠であるぞ。そなたの内側の掃除が進めば進むほど、今までのそなたから見れば奇跡に見えるやり方で簡単にお望みのものを提供するのであるぞ。そなたはもともとは天国なのであるぞ。そなたがとらわれた快欲が、あやま知が、そなたの天国を曇らせているのであるぞ。今のそなたから見ればこの方のやり方は怖いぞ。怖いからこの方を信頼していないと手を放せないのであるぞ。そなたが言ったことを行動に移したとき信頼と引換えにそなたの望み通りに与えるのであるぞ。行動したら戻れないから、行動することで信頼していると認めるのであるぞ。神のテストは口先だけでは駄目なのであるぞ。そなたのシナリオを形で見せてくれればこの方も次の教材を与えるのであるぞ。今ならお陰もらいながら一つずつ掃除できるぞ。最後の最後は掃除終わるまでお陰渡さないのぞ。どっちがよいか今ここで決めて行動せよ。
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 そなたに○×なければそなたは何でもできるのであるぞ。言い訳も責任転嫁もしなくてよいのであるぞ。文句もでないのであるぞ。そういうものを口に出したりココロで思ったりしているのは○×がある証拠であるぞ。○×は自分の保身が前提であるぞ。自分が損しないようにするにはどうしたらよいかを見ているのであるぞ。損しないと得はないのであるが知っているか。得ばかりでは偏ってしまうのであるぞ。そなたがしたいことを形になるまでやればこの方のことが分かってくるのであるぞ。人がどう言うかを気にしているときはできないぞ。人の言うことに文句言うとできないぞ。人を説得しながらやろうとすると遅くなるぞ。そなたがたとえ死んだとしてもそれはそれでメグリの清算ができたのであるぞ。魂のそなたが掃除できていればいつでも肉体を持てるのであるぞ。そなたは何を怖がっているのか。怖がっている間はそなたは何もできないのであるぞ。そなたが守っているものは崩れるものであるぞ。そなたがどんなに抵抗しようとこの方の言うことを疑ったり批判したりしているならば、そなたはこの方のことを知っているのであるぞ。そなたは何を批判しているのか。そなたがそれをやらないだけであるぞ。想念は消せないのであるぞ。そなたが想像できるもの否定できるものはすべてあるのであるぞ。後はそなたが選ぶか選ばないかであるぞ。言い訳はそなた自身にしているのであるぞ。
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 そなたが受け取るものを見てそなたが何を与えているかを見ることぞ。人のせいであるものは一つもないのぞ。そなたが与えないで人がくれるものはないのぞ。すべてそなたが与えたものと交換であるぞ。そなたが与えたものが返っているのであるぞ。そなたが不快をまき散らしたから不快なのであるぞ。今ここはそなたの今までのすべての生で与えたものを受け取る時期であるぞ。調和を蒔いていたものは天国の実を刈り取れるぞ。不調和を蒔いていたものは地獄の実を刈り取るのぞ。地獄の実を刈り取らねば天国の実は成らないのであるぞ。そなたに覚えがないものはそなたがいつかどこかで与えたものであるぞ。人は鏡であるぞ。鏡に文句言うのは自分に文句言っていることになるぞ。この方から見ればオカシキことをしていることになるのぞ。人のことをアホだと笑うそなたがこの方から見ればアホであるぞ。何も知らずに、永遠に自分がいなくなる自分勝手なゲームをしているのであるぞ。自殺したくない者、死にたくない者が自分を滅ぼすゲームをしているぞ。
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 そなたの外には何もないのぞ。そなたも相手も完全に自由なのであるぞ。迷惑なのは人のすることに口出しすることであるぞ。そなたの○×、そなたの現実で人のすることをアレコレ言うことであるぞ。そなたの「AはBだ」という現実はそなたの観念が創りだしているものであるぞ。現実は一つではないぞ。自分の責任ゲームに迷惑はないのぞ。そなたがこの方の言う通りにやらなければわからないことであるぞ。そんなものはあり得ないというそなたはその想念を持っているぞ。そなたが許していないから行動しないから見えないのであるぞ。そなたは勝手に自分の都合良く形にしようとしているぞ。最後の最後はそなた自身が危ないぞ。そなたの基準はそなたが選んでいるものであるぞ。そなたが外側を変えようとしているとき、そなたのすることは全部、迷惑になるぞ。そなたが神のココロになれば外側は関係ないのぞ。そなたがすべてを許せば相手のすることは関係ないのぞ。そなたが人のことが気になるならば、自分の理屈で自分勝手に人をコントロールしているのであるぞ。コントロールし合うゲームでは自由も天国もないのであるぞ。形や行動を○×しているならば天国も自由もないのであるぞ。自分の外側が自分の思い通りにならないからそなたは外を責めるのであるぞ。そなたが混乱すると思っているやり方は混乱しないのであるぞ。そなたが混乱すると思っている限り、この方のやり方はできないぞ。文句言うのも羨むのも同じことであるぞ。外を比べると天国は遅くなるぞ。それがこの方のやり方であるのぞ。そなたの内側が外側に形になるのであるぞ。この道理早う体得せよ。
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 白神山地(世界遺産)についての「立ち入ると自然破壊する」いや「立ち入ってこそ自然の大切さ理解できる」の議論、結論は永遠に出んぞ。もう力では押さえられんのぞ。知恵では解結しないのぞ。この方は、うまくいかなくなる方法も教えているぞ。自然は至善ぞ。すべては善に向かっているのぞ。魂の善(=天国の想念)が外の善を引き寄せるぞ。そなたらには自然の意味分かってないぞ。勝手に自然を創っているぞ。勝手に神を創っているぞ。そなたはこの方が創った初めの初めの「至善」を知らんのであるぞ。そなたは木や森や山や湖や海が自然だと取り違えしているのぞ。このフミの内容を議論する意識が自然を壊すことになるのぞ。神を知らん神頼みがキ違いを創るのぞ。議論している者は、どっちもどっちであるぞ。批判している者を批判する者は同じゲームをしているのぞ。勝ち負けゲームは勝ちはないのぞ。相対的な勝ちに過ぎないのぞ。両方負けるぞ。けんか両成敗であるぞ。両方とも初めから敗者に成っているのぞ。「地球環境をどうするか」と「あやま知人間」が話し合っても、永遠に答えはでないぞ。話し合うほど環境を壊すぞ。話し合うほど犯罪や戦争や貧富やイジメが増えるぞ。「環境」というものは守るものではないのぞ。守っている環境や平和は、すでに破壊されているのぞ。守ろうとする意識があべこべなのぞ。そなたが握っているあやま知から見ると悪いように見えるだけであるぞ。
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 政治家は、みんな良くしようとしてやっているぞ。よくならないのは何故か。良くしようとすること自体、あやま知ぞ。あやま知の悪の選挙で選ばれたものは悪しかないのぞ。我善しの思惑の損得のゲームは自分だけ勝手な皆負けのゲームであるぞ。皆が負ける世界を続けることになるぞ。戦いと統合は共存できないのぞ。メグリなければ事故ないぞ。失敗もないぞ。すべてのすべてがメグリ合いぞ。魂と魂の同意の結果であるぞ。殺人も病気もすべてメグリの結果であるぞ。肉体のそなたには見えなくても当然であるぞ。そなたのココロが何を批判して、何にひかれるかを見ろよ。そなたは肉体の感覚で魂を、霊界の自分を知ることができるようになっているのぞ。叱るのも褒めるのも同じことであるぞ。判断は神のゲームではないぞ。すべてのすべてがお互いに自分のせいであるぞ。どっちもどっちぞ。事故なくしたいなら、真釣りもどしをすることぞ。スピード控えても事故なくならんぞ。病気も同じぞ。もともとないものなのぞ。無いものを予防するというのはオカシキことぞ。迷惑だから良くないというのが迷惑であるぞ。自らの魂の真釣り外しのお知らせである病気を人に治してもらおうと思うのがオカシキことぞ。自らが真釣り外ししたから病気あるのぞ。自らのメグリの清算をしているのに人のせいにしているから悩みや混乱や葛藤がなくならないのであるぞ。始めに真釣りもどしぞ。真釣り外しを神にお詫びして、滅びる前のお知らせに感謝して、改心を行動することぞ。アタマで分かっても駄目であるぞ。分かったことを行動することであるぞ。事故を無くそうとするより、真釣りを戻すことであるぞ。形を変えようとすると壊れていくことになるぞ。
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 病気が治らないのは医師が悪いのでないぞ。そなたは、この方の仕組み、自らの身魂のメグリを知らずに形を治すゲームをしているだけであるぞ。医師の手術の失敗を責めるでないぞ。薬の調合ミスを責めるでないぞ。医療ミスの結果を生み出したのは病気を創っている自分のせいであるぞ。病気なければ医療ミスないぞ。霊先体後であるぞ。自分で創ったものを人に治してくれと言っても望まない結果がくるぞ。そなたがこの方に真釣ろえば病気も事故もないのぞ。安楽死というものはないのぞ。苦しそうだから死なせようというのは神に逆らうことであるぞ。肉体を保存しようというのは自然ではないのぞ。肉体を失わないようにしようとすると苦しむことになるのぞ。そなたにメグリなければ病気も事故もないのぞ。そなたにメグリなければ自分で全部できるのぞ。人に何かしてもらう必要はないのであるぞ。万が一はないのぞ。すべてはメグリ相応の出来事であるぞ。

 そなたらにはもともと保険はいらないのぞ。保険も銀行ももう終わりであるぞ。病気あるから医学ができたのであるぞ。神の代には病気ないぞ。医師はいらないぞ。裁判はないぞ。犯罪はないぞ。裁判所、消防署、警察、形の取締りや形のキリハリ全く違うぞ。そなたの体験で人のせいにするのはオカド違いであるぞ。警察、裁判所、病院、学校、すべてあやまちの世だけで通用する道具であるぞ。すべて夢うつつの、幻想のゲームであるぞ。現実というのが幻想であるぞ。リアリティーがファンタジーであるぞ。夢が現実であるぞ。すべてはそなたのしたいようになっているのであるぞ。できないと言うからできないのであるぞ。
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 人間から見れば一時間の渋滞は長く感じても、この方から見ればチョンぞ。何を慌てているのか。何をイライラしているのか。そなたが急ぐのは勝手であるが、人に文句を言うでないぞ。そなたが何をしようとしてもそなたの勝手であるぞ。そなたのしたいようになるのであるぞ。そなたが何をしようと人には関係ないのであるぞ。そなたの思いどおりにならないのはそなたのせいであるぞ。自分勝手を言って迷惑をまき散らすのをいい加減にやめろよ。そなたが今までのゲームを変えれば、掃除をすればしただけ想いが形になるのであるぞ。そなたが掃除をしただけ想い通りになるのであるぞ。そなたが掃除をしていない分だけそなたの想いが叶わないのであるぞ。内側の掃除をさぼっていてそなたの思いどおりにしようとしてもそれは自分だけ勝手の迷惑であるぞ。そなたの内側を掃除すればそなたの欲しいもの、欲しい状況はすべて来るのであるぞ。人から取らなくても、人をコントロールしなくてもすべてお互いに満たし合った状況で来るのであるぞ。損したとか失敗したとか言うのはそなたの自分勝手であるぞ。文句は不調和創るぞ。自分も苦しむぞ。

 戦争は戦いの想念を持った人間が創り出したものであるぞ。一人ひとりの○×が、競争が、善悪が、戦いが表の戦争を創るのであるぞ。肉体を保証しろ、肉体治せ、家族を返せというのは無知の証というものぞ。そなたが戦っていなければ戦争はないのぞ。メグリとれば病気直るのぞ。戦争責任はそなたにあるのぞ。人の責任ゲームでは戦争はなくならんのであるぞ。戦うのをやめることであるぞ。戦争が悪いのではないぞ。戦争を悪だと言って戦争をしていることに気づけよ。何でもかんでも戦おうというそなたのゲームをやめることであるぞ。すべての葛藤はすべてそなたの戦いが創りだしているのぞ。病気と戦うと病気になるぞ。事故は自分のせいであるぞ。保証はいらないのであるぞ。裁いたり訴えたりしているとそなたがますますメグリ積むのぞ。裁きや判断は人のせいゲームであるぞ。そなたがメグリなければ事故も病気もないのであるぞ。外がどういう状況だろうとそなたには関係ないことであるぞ。そなたはもともと戦う必要はないのであるぞ。今ここでどんな障害をもっていても、魂のそなたには手にも足にも目にも障害はないのぞ。肉体が難病でも魂は難病ではないのぞ。そなたのメグリを肉体で体験しているだけであるぞ。そなたの魂が肉体で苦しんでいるだけぞ。そなたのメグリを解消するための状況であるぞ。そなたも人も同じであるぞ。自分のしたことを自分で体験しているだけであるぞ。かわいそうだとか、気の毒だとかいうそなたが気の毒であるぞ。人の責任ゲームを持っている者が魂の障害者であるぞ。魂の障害は形の障害を創るのであるぞ。メグリ取れば死後魂は健康。
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 「治す」と「直す」は違うのであるぞ。「水(さんずい)」を基(台)にした形の修繕ゲームを「治す」というのぞ。神「+」の「目」でナオスのを直すというのぞ。ガンの原因分からずにガンを治す方法やガンにならない方法を勝手に創りだしているのぞ。死を知らずに死を悲しむゲームをしているぞ。死を悲しまない者を気違いというそなたが気違いであるぞ。この方のやり方の肉体調節をカゼと言っているのぞ。薬では治らないのぞ。外から見ても分からないのぞ。直ったかどうかは本人にも分からないのぞ。心臓の細胞がどうして自分で動くのか分かっているか。マントル対流が何故動くのか分かっているか。そなたは何も知らずに混乱の不思議のゲームを遊んでいるのであるぞ。すべては神の仕組みの中であるぞ。トキが立てば、神が手伝ってメグリを取れば直るのぞ。安らぎになるのぞ。肉体があるかないかどうでもよいようになるぞ。それがヤスラギであるぞ。魂と肉体が一つであるぞ。おイノチをこの方に預ければ病気や死の心配から解放されるのぞ。もっとも、生かされているそなたのおイノチはこの方がそなたに預けているものであるがな。
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 そなたの見るもの聞くものに例年と違う、今までにない「異常」が多いのは、今までと違うことになってきた証ぞ。この方のお知らせに気づけよ。「異常」というものはないのぞ。今までを「正常」と決めているから「異常」になるのぞ。相対的な表現に過ぎないのぞ。季節決まってないぞ。春の次、夏でないぞ。夏に雪降るぞ。決まってないことを教えるためにこの方が降らすのぞ。気づかないそなたらが降らすのであるぞ。季節決まってると思っているそなたらへの型示しぞ。決まったものないぞ。決めているのぞ。あたりまえのものないぞ。当たり前だと思っているだけぞ。勝手に決めているだけぞ。この方のすることを自分の都合で勝手に創っているぞ。自分勝手しているとビックリが出るぞ。ショックが来るぞ。一攫千金は無くなったら終わりであるぞ。この方のお金は永遠に必要なだけ来るのぞ。一回の金額の大小でさわぐでないぞ。一攫千金にのめりこむなよ。お金ためても魂の掃除なければ死んだ瞬間に地獄になるぞ。お金ためるより魂の掃除せよ。魂の掃除すれば永遠千金になるぞ。そなたがやれば分かるぞ。中今に生かしているそなたに必要なお金は預けるぞ。お金はそなたに預けたものであるぞ。独り占めすると損するぞ。
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 西暦二〇〇〇年は辰年ぞ。立つ年ぞ。龍が立つのぞ。二〇〇一年はないぞ。巳年はこないぞ。ヘビは滅びるのぞ。神の計画、寸分の狂いないぞ。型示しぞ。教えているぞ。ここにあるものすべて必然であるぞ。たくさんの型示しで教えているぞ。気づかないのはそなたのメガネが曇っているからぞ。このフミやこの者に神のメガネをもらえば見えるぞ。今までのデーターで未来を決めて対策たてるゲームはすべてアウトであるぞ。ビジネスも教育も宗教もそろそろ改心しろよ。この方がすべて教えているのぞ。肯定的、否定的という偏見はやめて、肉体の世界でアレコレ騒ぐのはやめて、この方の言う通りにモノを見て、行動して体験することであるぞ。それが「絶対助かる」唯一の方法であるぞ。そなたは一つの見方にとらわれているぞ。この方のメガネで見ればこの方の言うことが分かるぞ。この方はこの者を通してこの方のメガネを与えているぞ。この方の見方を教えているのぞ。この方の見方に取り替えることが掃除であるぞ。新しい世は神の世であるから神にしかルールは分からないのであるぞ。最後のときまでに少しでも掃除進めろよ。後ろは決まっているからツベコベ言ってさぼっているとそなたがきつくなるだけぞ。肉体の障害者は魂の障害者ではないぞ。脳が肉体を動かしているのではないぞ。脳で覚えているのではないぞ。アタマの学問、アタマの宗教卒業せよ。研究するほど分からなくなるぞ。そなたの魂が快欲にとらわれたら自分では解(ほど)けんのぞ。だから、神が知らせてるのぞ。苦をもって知らせているのぞ。苦も感謝しかないのぞ。神が滅ぶのをとめているのぞ。そなたがさぼっても裏切っても黙ってお知らせしているのであるぞ。神の法に反したら滅びぞ。響きなくなるのぞ。肉体もなくなるぞ。そなたが滅ぶ前に神がお知らせしているのぞ。お詫びぞ。気づいて改心自分のためぞ。ホドケの世になっていることに気づけよ。ホトケの世は神にしか創れんのであるぞ。そなたの響きなくなればそなたの肉体もないのぞ。
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 そなたは「人に迷惑だからしてはならない」などと人を教育しているが、迷惑なのは真釣りを外してそういう発言をしているそなたの方ぞ。神は喜びだけぞ。調和だけぞ。反対語というのはないのぞ。愛だけぞ。愛という言葉もないぞ。みんながわかるのぞ。みんなが仲間であるぞ。みんな同じ神ゴコロであるぞ。自分の好きなことができるから同じココロであっても一人ひとり違うのであるぞ。これが本当の個性の尊重であるぞ。形の○×ゲームやって不調和創りだしているそなた迷惑であるぞ。人のことを自己中心だと責めるそなたが自己中心であるぞ。人間はすべて自分中心に、自分の肉体の感覚、肉体の目で見ているのぞ。自分が選んだルールで外を見ているのであるぞ。外を変えようとすること自体が真釣りはずしであるぞ。自分の内側に応じてこの方が形を与えるのであるぞ。そなたの形が思いどおりになっていないのはそなたの内側が原因であるぞ。人のせいというのはないのぞ。この方は、アベコベの神にとらわれて気づく気配もないそなたに情けの苦でお知らせしているのぞ。そなたの魂が滅ぶ前に肉体をおめしあげしていたのが今までの「死」であるぞ。霊界預かりぞ。魂の傷をいやす機会を与えていたのぞ。今までの世の「輪廻転生」はこの仕組みの結果ぞ。前世で何をしていたかは問題ではないのぞ。この方の仕組みを学んで今世ですべての大掃除をすることぞ。楽ではないが楽になる唯一の方法ぞ。魂には生死ないのぞ。魂は生き通しであるぞ。肉体で見るから生死になるのぞ。そなたは霊界と現界にいるのぞ。次の世は霊界と現界半分ずつぞ。今までの現界の法則、物質の法則成り立たんぞ。原爆も噴火も平気ぞ。助かるには次に行くには神の法を学ぶことぞ。神の法は魂の法ぞ。永遠のイノチの素ぞ。肉体は魂の一つの形ぞ。魂滅べば肉体ないぞ。魂の法外せば滅びるのぞ。自分のしていることをかえりみよ。最後の最後のチャンスであるぞ。
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 神は「火(カ)水(ミ)」ぞ。初めにこの方が創った元つ火ありて水生じたのぞ。無から有を生んだのぞ。無とは響きであるぞ。有とは形のことであるぞ。何もないとは形のないことであるぞ。人間は生まれたときに有にかこまれていたであろうが。無から有創りだせぬ人間ぞ。資源引き揚げられて生きていられると思うなよ。神は天地を売り買いした覚えはないぞ。初めの者が金を取るから後の後が金で苦しむのであるぞ。自分勝手卒業ぞ。神は「過未」でもあるぞ。過去も未来も今の瞬間に一つであるぞ。そなたは過去や未来や今ここにないことを口に出しているだけぞ。そなたの想念には時間も距離もないであろう。そなたが語っていることは過去と未来のことであるぞ。勝手に決めて好き勝手にしゃべっているだけであるぞ。人の噂をするのは勝手であるが、裁くことはこの方が最も嫌うことであるぞ。この方がすべて許しているからすべてのすべてがあるのぞ。そなたらは何を裁いているのか。人間の法律は、ただのゲームぞ。分かつ知のゲームぞ。形の○×のゲームぞ。そなたは楽をみるから苦をみるのぞ。どっちが早いかを見るから遅いを見るのぞ。今までの苦を一つにすればよいなどというなよ。苦をつくった分だけ戻すのぞ。もともと無き苦を解結するというのはオカシキことぞ。楽を創って解結したら、新たな苦を創ったのぞ。喜びのみの神に楽を見る必要はないのぞ。楽のみぞ。楽しかないのぞ。楽もないぞ。
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 そなたの苦は真釣り外しの証ぞ。「おれにはおぼえはない」などと言うなよ。いつかどこかの生でそなたがやったことぞ。今ここで形になっているのが証拠であるぞ。素直にお詫びし、お知らせに感謝し、改心せよ。この方がその時その場からもどすぞ。今の時節というときは、手一本足一本なくなってもおかしくないのぞ。最後の最後の大掃除の前であるぞ。この方に真釣ろえば、お詫び、感謝、改心あれば、大難を小難にすることもできるのぞ。小難を何もなくできるのぞ。死を骨折に、骨折を打撲にすることもできるのぞ。そなたのメグリだけは苦しみを体験することになるが、軽くすることもできるということぞ。この方がすべてやっているのぞ。疑いのゲームは自分で自分の病気や事故を呼び込むぞ。賛成反対の議論のゲームはそろそろやめろよ。「ルール違反はよくない」と裁くのは、神のルール違反ぞ。自分のしていることわかっているのか。ルールやぶったことを責めているが、自らのルール違反はどうしたのぞ。ルールやぶるのが悪いことだということがルール違反であること知っているのか。そなたは自分ではめているトリックに気づいてないぞ。
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 「働かざるもの食うべからず」と言う者がいるが、この方はそんなことを言った覚えはないぞ。「働く」は他(ハタ)楽(ラク)ぞ。神にまつろえば楽になるぞ。食らうことから自由になるのぞ。何でも与えるぞ。そなたたがしたいことをすれば回りが楽になるのぞ。他が楽になることが働キであるぞ。働くのも遊びであるぞ。倹約もゲームぞ。借金返済もゲームぞ。争いもただのゲームであるぞ。そなたが回りと共に嬉し楽しで遊べればそなたはミロクの民であるぞ。そなたを救うのはそなただけぞ。仏も教祖も神も警察も誰も救ってくれないぞ。この方もそなたを手伝うだけであるぞ。そなたの注文通りに教材を与えるだけであるぞ。他力本願では本願は叶わないぞ。このフミもこの者もそなたに鏡を見せているだけであるぞ。このフミを批判したり、この者と戦ったりするのは自由であるが、そなたがいつまでもその現実の中にいるだけであるぞ。いつまで続けるおつもりか。そなたは今までの人生でも同じことをして来たのであるぞ。このフミもこの者もただあるだけぞ。○や×が見えるならばそれはそなたの持っている○×であるぞ。価値判断しているのはそなたであるぞ。「殺人」という状況に検事の見方と弁護士の見方という二つの見方があるのは何故か。「殺人」には意味はないのぞ。検事と弁護士のメガネ、フィルターを通してみるとそういう見方になるだけぞ。見ているそなたに意味があるのぞ。人のせいはないのぞ。自分の○×を掃除せよ。裁くのも価値判断もやめろよ。やめただけ想いが叶うぞ。掃除なき神頼みは効果ないぞ。この方がもう許さないからぞ。掃除なき者天国ないぞ。選ぶのは、やるのは、そなたであるぞ。この方に逆らう方法はどんどん壊れるぞ。ますます分離してわけがわからなくなるぞ。やさしさ、責任、という外の言葉にふりまわされるなよ。
P248
 「高齢化社会がくるから対策をねる」云々というが、この方はそんな社会にすると言った覚えはないぞ。人間という肉体はもう終わりであるから出生数が減っているのぞ。結果として高齢化社会になるようにみえるのぞ。勝手に解釈して混乱させるではないぞ。そなたらの解釈はこの方の仕組みと計画を知らん証拠であるぞ。福祉や奉仕は「カネ」の世、「人のせい」ゲームが創りだしたものであるぞ。いつまで続けるおつもりか。本来ならば福祉や奉仕は要らないのであるぞ。この方の世界では貧富も障害もないからぞ。自分のことは自分でできるからぞ。そなたらのやり方ではますます福祉や援助がいるようになるぞ。いるようになるがカネがなくなっていくぞ。カネがないから福祉ができなくなるぞ。貧富や差別はそなたのゲームを変えなければなくならないのであるぞ。早く気づけよ。マルチメディアは要らなくなるぞ。わざわざ自ら問題を創って解結できない方法で解結しようとするゲームは終わりぞ。ごくろうであったな。民主主義は話し合いというが、神の世界に話し合いはいらないのぞ。交換して満たし合う交渉があるだけぞ。神の世界の映しであるこの世界も同じであるぞ。天国になれば議論なくなるぞ。批判なくなるぞ。病気、怪我はメグリの結果ぞ。自分が真釣りもどせば直るのぞ。国会の議論は、自分の都合よい有利な状況にしようという思惑があるぞ。すべて「仮定の話」ぞ。自分の見方押しつけてるぞ。人を落として自分が上がるゲームでは天国ないぞ。相対的な勝ち負けでは全員勝てないぞ。人と比較して競争するゲームは終わりであるぞ。神から見れば何兆円もっていようと世界で一番になろうとチョンであるぞ。「国民の代表」である政治家様、いつまで自分たち勝手な議論を続けるおつもりか。何も解結していないぞ。国民は納得していないぞ。見放しているぞ。国民も政治家を批判していると、抗議やデモでさわいでいると自分がアウトになるぞ。他力本願では何も変わらんのぞ。身魂の視点に変えろよ。自分のしていること気づけよ。
P249
 「もしそれをやったらどうなるのか」と人に聞くとき、自分の意見はどうかを自分に聞いてみよ。この方がそなたの納得いくように答えてやるぞ。この方の答えを実際に行動すれば納得するぞ。行動しないで考えていても先に進まんぞ。「やらなかったらどうなるのか」という問いに、そなたは「こうなるああなる」とアレコレ言うが、その通りになるのか。このフミに対しての意見、批判、賛成反対の議論疑いゲームをやっているとますます真釣り外すぞ。この方は、それをやめろと言っているのぞ。この方が批判しているかしていないかというのも同じぞ。「ありえない、よくない」というのも同じぞ。「あやま知」にとらわれている証拠ぞ。外を見ているぞ。外を分けているぞ。何をしても自由だがそなたがどうなるかよく考えろよ。気づけよ。外を替える唯一の方法は内を替えることぞ。「あやま知」を入れ替える提案をしているこのフミやこの者の提供する情報を「あやま知」を使って見てどうするのぞ。そなたはいつまでも「あやま知」から出られないぞ。そなたは何も知らずに滅びていくぞ。せっかくのチャンスを逃すでないぞ。そなたのためであるぞ。全員がミロクへ行けるのぞ。お掃除が完全に済めば、怒り悲しみイライラ不安はなくなるぞ。喜びもなくなるぞ。喜びが当たり前になるのぞ。当たり前のものをいちいち騒がないだろうが。感情もなくなるのぞ。なくなるがあるのぞ。皆がしたいことをして嬉し嬉しで暮らせるようになるのぞ。そのためにはそれなりの苦労が必要であるぞ。「そんな夢みたいな方法はない」と言う者は好きなようになさるがよいぞ。そなたは夢を見ているのであるぞ。そなたが見たいものを見ているのであるぞ。見たくないものを見ているというならば、そなたが見たいものを見られるようにすればよいのぞ。そなたが見たいものを見るやり方を避けているからそなたは苦しんでいるのぞ。このカラクリに気づかなければそなたには永遠に天国はこないのぞ。気づいたら実行あるのみぞ。アタマの判断卒業ぞ。
P250
 神は「火(ひ)水(みつ)」ぞ。「秘密」は明かされるぞ。神は「化身(かみ)」でもあるぞ。そなたは神の化身であるぞ。神は響きで鳴って形に成るのぞ。神は変身ぞ。そなたは神の化身ぞ。分身であるぞ。神の成りの成りの成りの果ての姿であるぞ。そなたは神のココロを持っているのぞ。そなたが神のココロを持っているから神のココロを否定できるのぞ。この方に文句言えるのぞ。そなたは何を否定しているのか。そなたは何に文句を言っているのか。そなたが否定するのは勝手だが、そなたが否定しているものはあるのぞ。そなたが想像できるものはすべてこの方の響きであるぞ。そなたが選んで行動した想念だけが形に成るのぞ。選ぶというのは行動することぞ。信じているならばその通りにすることぞ。そなたが想像できるものはそなたという身魂が持っているものであるぞ。そなたが否定しているときは自分自身を否定しているのであるぞ。そなたの持ちものをすべて認めて、すべて許して、初めてそなたは神に成るのぞ。×や悪で裁いている分だけ苦しんでいるのぞ。
P251
 そなたが想像できるものはすべてそなたのものであるぞ。そなたの想念はすべてこの方のココロであるぞ。悪も善もすべてであるぞ。そなたが分けているだけぞ。そなたが価値判断できるものはそなたが想像できるものであるぞ。身魂が想念がそなた自身であるぞ。そなたが否定しているのはそなた自身であるぞ。そなたも人も同じココロを持っているのであるぞ。どれを選んで表現しているかの違いであるぞ。全部許せばこの方と同じココロになるのぞ。この方のココロを表現できるようになれば天国であるぞ。そなたが裁いている分だけ天国ないのぞ。天国と地獄ができるのぞ。この方が天国そのものであるぞ。この方は何も裁いていないのぞ。そなたが裁くならばこの方のココロと同じではないぞ。そなたはこの方のココロを分けているのであるぞ。一つにしないと天国ないのぞ。そなたが否定している「人の発言や行動」はその者の想念を形にしたものであるぞ。そなたが想念を語るのと同じであるぞ。そなたの中のその発言や行動をそなたが否定しているからそれと同じものを外に見たときにそなたは否定するのであるぞ。そなたが否定しているものは「神」であると気づけよ。神を否定してそなたに天国ないぞ。そなた自身をすべて認めてすべて許して行動してそなたは天国であるぞ。そなたがそなたをすべて許せばそなたは天国ぞ。そなたの外も許せるぞ。それが「愛」であるぞ。すべての者が天国になる想念を愛というのぞ。そなたの外に見えているものはすべてそなたの鏡であるぞ。そなたの外に×や悪が見えたら責めるのをやめて許せよ。今のそなたらのゲームではきついことであるが、それが神成る修行であるぞ。そなたがさぼっていたからきついのぞ。そなたの目の前のものを裁くのをやめるのが修行であるぞ。自分の○×、善悪が映っているだけであると自覚せよ。まずは自分を許すことから始めることぞ。人のすることを許せない認めないとさわいでいる者には天国はないと思えよ。新しい世は関係ない世となるぞ。どうするかはそなた次第、地獄でも天国でも好きにするがよいぞ。


おわりに

P253
 さて、初めて読んだ「神様からの手紙」はいかがなものだったでしょうか? 皆さんが今までやっていたことがアベコベであることがお分かりになりましたか? そのことを知ってどう感じましたか? あるいは、まだ、アレコレ理屈をつけて抵抗しているでしょうか? 神様はどちらも許していますから、皆さんのお好きなように解釈してください。
 神様も言っていますが、この本は今までの「あやま知の人間」に書ける本ではありません。皆さんが抵抗している部分、批判している部分は皆さんには活字にできないということです。言い換えると、皆さんが活字にできない部分は皆さんはやっていないということです。やっていないから抵抗するのです。私自身、この本を早く出そう出そうとしても、掃除が済まないと形にならないことを実際に体験して、このことを痛切に実感しています。活字にするプロセスは、同時に、私自身が自分の書いたものを読んで自分の体験してきた掃除のプロセスについて復習するという修行でもあったのです。
 この本は、今までの見方で見れば、自分で書いていて自分で書いたものではないという「不思議な」本なのです。これで、私の体験がアベコベのゲームをやっている皆さんには説明しても理解できないものであったこと、私の第一冊目、第二冊目が私の理屈ではなかったことがお分かり頂けたものと思います。「神様のやり方を人間のゲームに翻訳して体験というフィルターを通して語った本」だったというわけです。私がここに形にしたことをただの考え方だと言う方はそれはそれで構いません。皆さんの自由ですから。すべては皆さんの体験として返ってきますから、その時にもう一度選び直してください。
 この本と今までの一冊目と二冊目を併せて読んで頂くと、新しい時代のことやこれからすべきこと、皆さんの嵌めているトリック、幻想のゲームのカラクリ等々がよりハッキリと見えてくるでしょう。要は、「やってみなけりゃわからない」ということです。「やらなきゃずっとわからない」ということです。ごちゃごちゃ議論している間に試してみてください。やれば天国、やらねば地獄。最後の最後にはどちらも証明されますから、その時になればすべてが分かります。これから先、皆さんの目の前の出来事がどんどん変化していきますから、抵抗している皆さんにもここで書いていることが真実かどうか見えるときがくるでしょう。結局は、今回に限っては、人や社会のことは関係なくて、皆さんという魂の一人ひとりの問題だということです。天国に行くも、地獄に行くも、皆さん次第だということです。最後の最後にはすべてが形になりますから、それまでお好きなようにやってください。反省も後悔も要りません。気づいたらその瞬間から別のゲームを始めればよいだけです。何でもやってみてください。無駄なことは一つもありませんから。
 神様が語る情報が下記きの形でまだまだたくさん提供されていますが、取りあえずここまでの部分を本にするようにということですので、今回はこれで終わりにします。ここまでのフミで、皆さんのトリックを外すには十分な情報がありますから、このフミを読んで今まで皆さんがしてきたことを振り返ってみてください。そして、新しい情報を試してみてください。この先の情報は、このフミが読めるようになってからでないと多分理解できませんから、この続きは機会を見て少しずつ公開していくことになると思います。
 皆さんが天国に行けることを、そして、今ここの天国でも遊べるようになることを願っています。自分自身のために最初で最後のこの機会を有効に使ってください。
 この本の最後の最後に、次の公開への準備として、少しだけ、神様からの情報をそのまま書いておきます。近いうちに本の形にして分かりやすく公開されると思います。私自身へのメッセージも含まれていますから、理解できるできないは別にして、細かいところにこだわらずに、新しい智慧を学ぶための一つの情報として読んでみてください(実を言うと、この部分までが今回の本で公開する掃除のための材料であるということです)。

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P255
 今回の世紀末の大変というのは、「あやま知」を壊してタテカエて、神の真理へタテナオスための大掃除ぞ。今までの形はいずれ壊れるのぞ。壊れるしかない形を創っているのはあやま知にとらわれたそなたらぞ。分離のゲームをいつまでも続けても天国は創れないのであるぞ。いつまでも自分の都合で自分が創った神や天国にこだわって、争っているでないぞ。そなたの語る神は自分勝手な神であるぞ。天国創ろうという者が、人のことを責めているではないぞ。そなたがどうなろうとこの方に文句言う筋合いはないぞ。この方は初めからそなたらに気づかせていたのであるぞ。文句言う、形の善悪良否を言う、責めるというのは「あやま知」持ちたる人間のゲームぞ。神の真理はあやま知から見ればキ違いに見えるぞ。非常識ぞ。善と悪、正常と異常、○と×に分けるゲームであるから当然のことぞ。この方から見ればそなたらが「気違い」であるぞ。キが違うのであるぞ。想念が違うのであるぞ。違うのではなく許しているかいないかであるぞ。この方はすべて許しているのぞ。そなたが裁くのも許しているからそなたは裁けるのであるぞ。そなたが裁いていることを苦しみを体験することで気づくのを待っていたのであるぞ。そなたは裁いているぞ。この方の言うことを裁いているから混乱がなくならないのであるぞ。
P256
 この方のやり方では証明書も印鑑もいらないのぞ。約束違反やルール違反をすれば自分自身が苦しむことを知っているからぞ。借りたものは返さないと自分が危ないと知っているからぞ。皆が天国になる自分勝手であるぞ。調和を創りだす自分勝手であるぞ。天国を創りだす保身であるぞ。自分も人も嬉し嬉しであるぞ。形の損得のゲームでは、人は何も保証してくれないぞ。メグリある者は約束しても思いどおりにならないぞ。「適」マークは保証ではないぞ。「保証書」も保証ではないぞ。過去一〇年無事故でも今後事故がないという保証はないのぞ。今一流企業に勤めていても保証はないのぞ。今失業していても今後の展開は分からないのぞ。否定的な出来事に見えるものはそなたへの教材であるぞ。
P257
 そなたは自ら創ったメグリ相応の出来事を体験するのであるぞ。自分のメグリを自分で体験するのであるぞ。年金は保証ないぞ。生命保険受け取る人ないぞ。火災保険地震保険ないぞ。みんな壊れるのぞ。お金も無くなるのぞ。救急車も消防車も自衛隊も何も助けてくれんのぞ。全国一斉に火事になったら誰が消すのぞ。山火事だけで右往左往している人間に何ができるのか。「そんなことは起きるはずはない」というそなたはメグリを創り続けているぞ。殺人や発砲やイジメや地震や水不足で大騒ぎしているが、これから先、それどころではないビックリがでるのぞ。取材する者足りなくなるぞ。ニュース伝える時間なくなるぞ。ニュース伝える資材がなくなるぞ。オカネが無くなるぞ。交通が止まるぞ。危険なことばかり起きるぞ。被害うけた、損したと大騒ぎして責任追及している者はもっと被害を受けるのぞ。そなたがそなたの加害者であるぞ。そなたはそなたのメグリ相応の修行をしているのぞ。最後の最後はみんな一斉に掃除するのぞ。人のせいにせず、修行に堪えて身魂掃除をしたものだけが永遠に助かるのぞ。修行に堪えるというがそなたのメグリが原因ぞ。そなたが創った苦であるぞ。今なら少しずつできるぞ。

 この本は、掃除終わった人間でないと書けんのぞ。この方の言うことを一つでも疑い、拒否していると書けんのぞ。行動して体験しないとこの方の言葉は形にできないのぞ。この方が形にさせんのであるぞ。この本、掃除おわった証明ぞ。証拠ぞ。この者の自分のまとめでもあるぞ。この方の仕組みやこの方の計画を知りたければこのフミを素直に読むことであるぞ。この方の言うことを素直に実行することであるぞ。すべてのすべてはそなたの想念の選択の結果であるぞ。そなたが選んだものが形になっているのぞ。欲しいものを交換しあって喜びを体験するゲームであるぞ。すべてのすべては交換であるぞ。そなたが提供しただけ戻ってくるぞ。そなたが得ただけ提供するのぞ。損も得もないのぞ。エネルギーが偏れば解消することになるぞ。得したと喜んでいると損するぞ。今損したのはそなたのメグリの解消であるぞ。そなたは損をしたことで魂の掃除をしたのぞ。そなたは損をしたことで魂のメグリを取ったのぞ。そなたに想いがけない得がきたときはそなたはどこかで提供しているのであるぞ。損を嘆くなよ。くれるものは喜んでもらっておけよ。
P258
 お金もモノであるぞ。特別にしているのはそなたらであるぞ。制限の中でお金を集めても幸せはないぞ。集めたお金が無くなればまた集めることになるぞ。神のやり方は永遠に必要なお金は手元にあるぞ。情報ビジネスはお金と智慧の交換ぞ。お金はそなたの創ったエネルギーの変化した形であるぞ。借金というのは他人のエネルギーで創ったお金を使っているぞ。自分のエネルギーでお金つくって返せよ。借金で借金を返しても借りが残っているぞ。想念の借りを返さなければそなたは天国ないのぞ。形で逃げても想念は逃げられないのぞ。自己破産して形で逃げても想念の世界の借りはあるぞ。別のところでメグリ解消することになるぞ。そなたが自分のエネルギーで交換したお金で返さなければ清算してないぞ。形になっているものはそなたの身魂の世界の現れであるぞ。形が天国でなければ想念の○×をやめることで天国になるぞ。許したものだけが形になるのぞ。
P259
 そなたのしたいことを素直にやることぞ。人の言うことは無私して一つ一つ交換することぞ。そなたがしたいことをすればよいぞ。障害にぶつかったらその時その瞬間に対応すればよいのであるぞ。うまくいっているときにうまくいかなくなったときのことを考える必要はないぞ。「うまくいくときばかりでないから万が一のことを考えて」というのはあやま知であるぞ。そなたが掃除すすめばうまくいくことばかりであるぞ。そなたにメグリなければすべてうまくいくのであるぞ。神の世界は一〇〇パーセント喜びであるからぞ。智慧を提供してお金と交換して豊かになる。お金提供して智慧と交換して豊かになる。

 お互いに足らざるところを満たし合って嬉し嬉しで修行するのぞ。自分のためが人のためぞ。みんなでみんなのお手伝いするのぞ。人間のすることは神のすることぞ。人間を通して神の世界を形にするのぞ。そなたの身魂も嬉し嬉しの世界であるぞ。そなたも神も人も嬉し楽しで遊ぶのであるぞ。人を負かして自分が上に上がるゲームは終わっているのぞ。お互い不快感のゲームはもううまくいかなくなるぞ。自分だけ得しようとする者は自分だけ損をすることになるぞ。一人ひとりできるゲームであるからぞ。
P260
 医者に治してもらおう、薬、注射すれば治ると思うのは大きな間違いぞ。治すと直すは違うのぞ。病気、事故、損、犯罪、すべてメグリ合いぞ。メグリの型示しぞ。そなたのしたことぞ。そなたが加害者ぞ。そなたが原因ぞ。すべてそなたが源ぞ。人間というそなたに分かるように肉体を通して型で示すのぞ。肉の体というのは神の肉宮ぞ。神の仕組みが型に成ったものぞ。この方の言う通りやれば神の仕組みを体験できるのぞ。この方に逆らうやり方をしていることを教えるために肉体で苦しみを感じているのぞ。肉体はそなたのメグリを解消するために神が与えた道具であるぞ。そなたのものではないのぞ。傷つけたお詫びをせよ。お詫びして改心(改神)したらオカゲやるぞ。そなたが掃除をすればしただけ思い通りのものを与えるのぞ。何もしなくても欲しいもの来るようになるぞ。

 智慧はいくら与えても無くならんぞ。この方の智慧は無限であるぞ。この方の与えるものは無限であるぞ。「天恵」は無限であるぞ。「資源」は無限であるぞ。節約するゲームはいらないのぞ。足りなくなるのはそなたのゲームの型示しぞ。人間の創り出すモノは限りあるぞ。モノの商売、もう終わりぞ。あやま知の知恵を教えるとみんなが地獄になるぞ。この方知らずに幸せや天国や世紀末を語る者は目を覚ませよ。皆で地獄に行く気か。今ここにあるもの、九九パーセントあやま知であるぞ。その創りだす形、九九パーセントあやまつ形であるのは明白であるぞ。そのままのゲームを続ければ、最後の最後の大掃除で九九パーセント獣(ケモノ)になるぞ。ヒト(地の日月の神)になれるのは一パーセントであるぞ。数字を出したが数字にこだわるなよ。数字に振り回されるのはそなたがケモノの予備軍である証拠ぞ。この方の修行をすれば今からでも「ヒト」になれるぞ。この方は一人でも多くの「お子」を天国に連れていきたいのであるぞ。ヒトとケモノの人員整理始まるぞ。早く目を覚ませよ。
P261
 そなたらのしていること、九九パーセントアベコベぞ。逆ぞ。アタマでっかちぞ。すべてが九九パーセントと一パーセントの戦いであるぞ。戦いあれば一つになれんのぞ。戦っている者はカミになれんのであるぞ。最後の最後は一パーセントなければ勝てんのぞ。一パーセントあれば一〇〇であるぞ。百(もも)であるぞ。桃であるぞ。桃太郎になるぞ。あやま知に勝つのはカミだけぞ。あやま知とあやま知が戦ってもあやま知のままであるぞ。

 この方は悪のやり方に九九パーセントまでは勝たしてやるぞ。何でもかんでも九分九厘と一厘の戦いぞ。一厘ないと一〇「十(カミ)」にはなれんのぞ。九九は皇(スメラ)ぞ。一あって百ぞ。「一〇」x「一〇」ぞ。一厘はこの方だけが知ってるのぞ。この方の家来とこの方を生きている者は知っているぞ。一厘なければすべてないのぞ。この方がなければすべてないということであるぞ。神の一厘なければすべてないのぞ。そなたが否定しているものもないのぞ。神なければすべてがないのぞ。そなたがこの方を疑えばそなたはなくなるのぞ。この方がいるからそなたは否定できるのであるぞ。そなたが否定しているのはこの方であるぞ。そなたは否定していてこの方を認めているぞ。この方を知っているから否定できるのぞ。この道理分かるか。否定して消すというゲームは幻想であるぞ。
P262
 すべてはスメラとユダヤの戦いぞ。スメラはこの方の一厘を知っているヒノモトの身魂であるぞ。ユダヤは一厘を知らない「分かつ知恵」の身魂であるぞ。今までの世は「知恵」の世であるぞ。これからの世は「智慧」の世であるぞ。戦いではあるがスメラは戦わずに勝つのぞ。勝っている者は自滅するのぞ。ヒノモトの民は世界の民に一厘知らす親であるぞ。ヒノモトから大掃除を始めるぞ。世界征服の企み、九九パーセントでグレンとひっくり返るのぞ。悪の企み企てる者、自らがあやま知にとらわれおるのを知らんぞ。悪を企んでおると自分が滅ぶぞ。悪の神もお役目ぞ。そなたが釣られてついていけば魔釣りに引っ掛かるぞ。そなたが滅ぶぞ。悪の芽は残らず切っているのぞ。次の世は悪は存在できん世であるぞ。今の今も悪はないのぞ。悪を悪と見ているそなたが悪を創りだしているだけぞ。智慧はなくならんぞ。お金無限大に創りだせるぞ。自分だけがもうけようとしている者、自分だけが損することになるぞ。
P263
 「苦あるのが当たり前」「病気あるのは当たり前」というのはあやま知ぞ。苦ないのが当たり前なのぞ。ここまできて「でも~」とこの方に戦いを挑むか。本来ならば病院はいらないのぞ。そなたらが作ったものであるぞ。必要有るものができるのぞ。メグリ忘れて形の修繕に走るなよ。肉体の状態は魂の状態を教える型示しぞ。病気あるのはオカシキことと気づけるようになれよ。医師を責めるのは魔釣りぞ。病気なければ医師いらんのぞ。医療ミスもないのぞ。自らの真釣り外しをわすれて人を責めてますます真釣りを外す、ふがいないのう。医師に真釣りはずしさせておるぞ。医学だけではないぞ。すべてのすべてが「魔釣り」であるぞ。滅びの坂道駆け降りてどうするのぞ。いい加減に目を覚ませよ。いつまでも魔釣りをやっていると最後にグレンと返すぞ。お祭りやって魔釣りをしているぞ。魔釣りやっているものは最後の最後で大掃除であるぞ。自業自得であるぞ。

 「あやま知」とらわれある人間が考えるもの、創りだすものすべて「あやまつ形」だと気付けよ。何がよいかわるいかの議論はオカシキことぞ。あやま知では平等はつくれんのぞ。つくれん方法でつくろうとしているぞ。はやく気づかんと気の毒でるぞ。取り返しつかんことなるぞ。十理(神のことわり)に返れんことになるぞ。そなたは神になれんぞ。いつまでもグチグチ言っているそなたには、ミロクはないと思えよ。すべてのすべてがアタマとハラの戦いぞ。二つに分けるアタマが戦っているだけぞ。ハラはすべて知っているのぞ。この方は知っていて戦わせているだけぞ。早く気づかんと悪と悪と共食いすることになるぞ。最後には自らのアタマを潰すことになるぞ。ヘビはアタマを潰さんと死なんのぞ。戦いの型示しぞ。ハラは勝つ由のんびりぞ。戦いやめんと自滅するぞ。
P264
 悪魔というものはないのぞ。そなたの世は「アク間」であるが悪魔はいないのぞ。そなたは取り違えしているぞ。「アイウエオカキク」の八の世であるぞ。五十音はこの方の言葉であるぞ。この方の仕組みを伝えているのぞ。そなたの居る世界は八方世界であるぞ。枠の中の世界であるぞ。枠の外はこの方しか知らんのぞ。アとクの間ぞ。アク間を悪魔にしているのはそなたらのとらわれしココロであるぞ。戦いのココロであるぞ。このことを知らぬあやま知であるぞ。そなたは初めての世界に出る産道にいるのぞ。

 この方の構えた宇宙の出産が始まっているぞ。そなたは産道にいるのぞ。九の道ぞ。九九路、ココロぞ。ココロの世界の出産であるぞ。そなたらの世は「12345678」の世であるぞ。神の型になる仮の型であるぞ。神の真型は「〇12345678九十」ぞ。神の型とそなたの型の差を取るのが「悟り」であるぞ。〇九十(マコト)は1~8の外にあるのぞ。そなたが誠を語ることはできないのぞ。マコトは一人ひとりのココロにあるのであるぞ。良いことをするのがマコトではないぞ。神ゴコロがマコトであるぞ。外から中へ伝わるぞ。神は想念に入るぞ。この方との臍の緒がココロであるぞ。
P265
 日本の国土は国常立の神の御神体であるぞ。日本は神のキいずる唯一の国なるぞ。ヒノモトぞ。霊(ヒ)の元(モト)なるぞ。日本と世界は似ているぞ。日本先(さき)世界後(あと)ぞ。ヒノモト創って世界を創ったのぞ。ヒノモト変わらなければ世界は変わらんのぞ。そなたが変わらなければそなたの外は変わらんのぞ。すべてのすべてが同じ仕組みであるぞ。

 日本が親で世界が子ぞ。兄弟ではないぞ。幹あって枝あるぞ。親あって子あるぞ。神あって人あるぞ。幹が枝の真似をしてどうするのぞ。世界の人民は神の子ではあるが、日本が親で世界が子ぞ。五体は五大陸ぞ。日本がハラぞ。五体はハラが統べ真釣るのぞ。ハラは一つぞ。後は対であるぞ。頭は左右分けているぞ。アタマでは統べ真釣れんのぞ。アタマでやるとアベコベになるぞ。アタマでは魔釣りになるぞ。すべてのすべてに型示しあるぞ。ハラで栄養とるようになっているであろうが。

 そなたの議論している宇宙は神の子宮の中ぞ。出産はただ一度ぞ。今までの知識イランぞ。邪魔であるぞ。そなたの知識では理解できんのであるぞ。この方の言う通りにしていれば安産であるぞ。臍の緒切るのぞ。九九パーセント逆子ぞ。帝王切開するぞ。

 障害者はそなたらのしていることの型示しぞ。そなたらが偏っていることを教えているのぞ。障害持ってメグリを清算することを選んだものが肉体をもってきているのぞ。難病も同じであるぞ。年齢は関係ないぞ。メグリ相応の形になるのぞ。形は不平等ぞ。取り違えするでないぞ。
頭は頭、足は足それぞれ役目もって動いて始めて調和ぞ。形の平等ないぞ。目が鼻になりたいと言ったらそなたの顔はどうなるぞ。区別大切ぞ。差別でないぞ。区別タテワケしないことが差別ぞ。「天地」ではないぞ。「元つ天/地/小天」ぞ。「霊心体」ぞ。霊先(さき)体後(あと)ぞ。神先(さき)人後(あと)ぞ。霊界先(さき)現界後(あと)ぞ。合わせ鏡であるぞ。
P266
 人間性は神そのものぞ。人間は真実知らんぞ。マコトの智慧はこの方だけが知っているのぞ。そなたの想念を通していつでも教えるぞ。メグリ掃除すれば与えるぞ。自分のしただけのことは返せよ。人間というのは「ヒトの間」ぞ。「ヒト」は「一十」ぞ。○12345678九十が神の真型ぞ。1から十を統べ奉る神がヒトぞ。そなたは1~8の世界にいるのぞ。九は産道ぞ。十への準備ぞ。異常出るぞ。八の世の知識では分からんことばかりであるぞ。人間はヒトではないぞ。人になる間であるぞ。

 ○~十は元つ神ぞ。012345678九十(表)と十九876543210(裏)全部で22あるぞ。表と裏が一つになって22を産むぞ。22(フツ)産(ウ)ぞ。フツウは神ぞ。人間はフツウでないぞ。上下に並べてそれぞれを足すと「十」になるぞ。表と裏が一つになって神が形になるぞ。すべてのすべてが神であるぞ。「火」と「水」の十字であるぞ。十が傾いているから×になるのぞ。「火水」は「秘密」ぞ。神は形になるぞ。
表面上は不平等ぞ。一人ひとりのメグリによって「病気」や「事故」や「怪我」や「損」や「死」は違うのぞ。不平不満言うなよ。人と形を比べるなよ。うらやましいとか不公平だとかいうなよ。納得できなくてもそれは自分のしたことぞ。形の平等はつくれんぞ。掃除するまでできんぞ。自分のしたことだけは拒めないのぞ。神恨むのは逆恨みぞ。逆恨みは自分にカエルぞ。自分のしたことの結果を人のせいにするなよ。自分勝手であるぞ。
P267
 形にあることはすべて自分のした結果ぞ。今度のタテカエタテナオシもそなたらがしたことを元に戻すための計画であるぞ。そなたはもともと、この方の嬉しの世界にいたのぞ。そなたが神の法はずさなければ今度の「世紀末」は嬉し嬉しで神代となったのぞ。大掃除無かったのであるぞ。すべてのすべてはそなたが創りだしたことであるぞ。この方はそなたらのしたことのしりぬぐいをしているのであるぞ。そなたらにはもうどうにもできないことであるからこの方がやるのであるぞ。この方は大掃除をやる前にすべてを教えているのであるぞ。予言ではないぞ。警告であるぞ。予告であるぞ。今までの知にとらわれるでないぞ。このフミは今までの予言書とは違うのぞ。マゼコゼにすると残念がでるぞ。
P268
 人間の代は神の代であるぞ。今の人間の世も悪神にとらわれた神の世であるぞ。そなたらが悪神にとらわれているから悪の世になったのぞ。悪も神ぞ。そなたらがとらわれなければ悪の世はなかったのぞ。死後は肉体から見た見方ぞ。そなたに死後はないぞ。そなたという身魂が肉体を通して見ているだけぞ。アベコベであるぞ。生死一如ぞ。今度は三千世界のタテカエぞ。子宮の中の神々の神の世界もタテカエルのであるぞ。中の神々がアベコベをしているからアベコベになったのであるからぞ。初めてぞ。神界はタテナオシ終わっているぞ。アベコベになっている神を戻したのぞ。神界タテナオシタぞ。神界が現界に映るぞ。タイムラグがあるが形になるぞ。鏡に映るぞ。現界の掃除あるぞ。ウソだと申すならお好きになさるがよいぞ。そなたは何も知らないのであるぞ。

 外側の大掃除始まれば人間ひとたまりもないぞ。肉体にこだわっている身魂にはきついことになるぞ。資源なくなるのぞ。早う神の法、学べよ。あやま知の本、あやま知の話はあやま知をさらに進めるだけぞ。滅びるだけぞ。今までのやり方は進歩と見えるようになっているのぞ。便利になったその外側、全部とられてどうするぞ。コンピューターでは大峠は超えられないのぞ。神の知識持っても何もならんのぞ。掃除なく神を拝んでも神は何もしないぞ。神はすべてを知って、とぼけてそなたを引っかけているのぞ。すべてアベコベぞ。そなたが気づけば直るのぞ。進歩は破壊ぞ。タテカエぞ。ユダヤぞ。壊せば直るのぞ。古いもの壊さねば建て直せないぞ。想念がこの方であるぞ。自分と自分が語るのぞ。神と神ぞ。自分を疑うのは神を疑うことであるぞ。
P269
 魂が神の法を学ぶと、思い出すと天国ぞ。現界も天国ぞ。永遠のイノチぞ。あやま知祓えば苦なくなるぞ。見えるのぞ。魂はじめからスミキッテイルのぞ。○も善も祓えよ。

 今度のタテカエタテナオシは始めから決まっていたことなのぞ。万古末代二度とないただ一度のことであるぞ。末代動かぬ神代とするのぞ。神の世に闇はないぞ。悪はないぞ。悪神も新しい世では神となる神ぞ。大掃除のタテカエを手伝うお役目ぞ。悪ではないぞ。悪祓うとそなたらが引っ掛かるのぞ。

 そなたらは神の中で呼吸しているだけぞ。人間から見たら時間が見えるだけぞ。すべて呼吸ぞ。円ぞ。縁であるぞ。出会いは縁ぞ。呼吸は吐いて吸うのぞ。手放すと入るぞ。提供するものが入ってくるのぞ。取ったものは出ていくぞ。

 神の掟を学び、あやま知手放すほどに神が現れるぞ。感じるぞ。気づくぞ。体験するぞ。形になるぞ。嬉し嬉しが来るぞ。そなたが選べば対話するぞ。神の掟通りに生きると天国になっていくぞ。人間は神なる身であるぞ。神の法、学ばないと新しい世には生き残れないぞ。肉体で生き残ろうとすると残れないぞ。女子供老人病人障害者、係わりなく、一人残らず掃除あるのぞ。肉体の形は関係ないぞ。そなたらが身魂でしただけのことはするのぞ。掃除しただけ、その瞬間から善き方に回すぞ。
P270
 新しい代は光一つ上がる世であるぞ。すべてのすべてが変わる世であるぞ。末代続く天国であるぞ。今度の今度は悪の存在は許さないのぞ。今までの知識ではわからない世であるぞ。この方の言うとおりにすると分かるぞ。たくさんのオフレ紙が出ているぞ。この方を生きると真実を語っているものが見えるぞ。そなたの前にはこの方の言葉があるのぞ。この方は天国の方法を教えているのぞ。そなたが見ないだけであるぞ。このフミを批判している者、疑っている者、このフミが人間の書けるものであるかどうか考えてみよ。神の響きは人間の言葉となることができるのぞ。人間が翻訳できるのぞ。早くあやま知から目を覚まさんと取り返しがつかんようになるぞ。

 宇宙は神の子宮の中ぞ。無限ではないぞ。宇宙全体が出産するのぞ。宇宙人もこの方の創ったものであるぞ。この方の家来が形になっている者もいるのぞ。新しい世の肉体は光一つ上がるのぞ。光一つ上がると今の肉体からは見えんのぞ。悪や闇を持っていると入(はい)れんのぞ。戦い持っていると肉体はないぞ。魂が滅びるぞ。今度の今度はカミとケモノに振り分けるのぞ。この方はすべてのすべてのカラクリを教えているのぞ。今までも教えていたのぞ。そなたが気づかなかったのぞ。今ここで気づいて今ここからやり直せよ。まだ間に合うぞ。次の世の肉体には掃除せんと入(はい)れんぞ。今ここの死後も同じことであるぞ。自殺しても逃げられんぞ。肉体の天国なければ天国へは行けんのぞ。古い教にいつまでもとらわれているでないぞ。良いことをしても天国ないぞ。掃除だけが天国の切符ぞ。
P271
 そなたが天国でなければ天国ないぞ。今度の今度は掃除無くして生まれ変わるところはないぞ。生死一如の仕組みであるぞ。死んで逃げようとしても万倍の苦しみを体験するのであるぞ。何処にも逃げるところはないのぞ。苦しくても掃除をすればそなたは助かるのであるぞ。そなたのイノチはこの方のものであるぞ。何が起きてもこの方の言う通りにしていればこの方が守護するぞ。そなたが心配している死はないのであるぞ。

 鳥はトリぞ。十理ぞ。鳩は九に導く鳥ぞ。ハトは八渡ぞ。八十ぞ。八から十に渡す鳥ぞ。烏もトリにあと一ぞ。烏は縁起悪くないぞ。色で判断するでないぞ。不吉も大吉もないのぞ。そなたが分けているだけであるぞ。そなたが思ったとおりのドラマを体験しているのぞ。

 日本の国土はこの方の仕組みの型示しぞ。富士は火ぞ。鳴門は水ぞ。その間に土があるぞ。火(ひ)土(と)水(み)ぞ。土の働き大切ぞ。+と-で±ぞ。土ぞ。×を建て直して十にするぞ。一で立てて動かんようにするのぞ。フジは22ぞ。ナルトは成る十ぞ。火水をタテカエル(建て替える)ぞ。陰陽を入れ換えるぞ。体心霊を霊心体にするぞ。富士と鳴門が入れ代わるぞ。鳴門は渦ぞ。霊はヒダリに体はミギリに。霊はヒぞ。火ぞ。富士ぞ。体はミぞ。水ぞ。鳴門ぞ。富士と鳴門が入れ代わるのぞ。ヒが満ちてミが現れるぞ。ヒミツが形になるぞ。日本はヒダリ側通行ぞ。
P272
 一二三が基ぞ。ヒフミぞ。ヒ(霊)フ(心)ミ(身=体)ぞ。すべては一つであるぞ。霊から体に現れるのであるぞ。神の仕組みが人間の仕組みぞ。そなたの中の仕組みを建て直さなければそなたの回りは変わらないのであるぞ。身魂の掃除なければ天変地異怖いのぞ。最後の大掃除で掃除されるぞ。身魂の掃除あれば天変地異怖くないのぞ。そなたの身魂は物質ではないからぞ。神を学ばねば噴火地震危ないぞ。神学べば噴火地震心配ないぞ。次元が変わるのぞ。この方が守護するのぞ。身魂に働きかけるぞ。

 掃除した者もしない者も一度は肉体おめし上げぞ。肉体去って魂になるぞ。魂天国でないと苦しいぞ。最後の最後の身魂改めであるぞ。閻魔様の裁きであるぞ。裁きでないが裁きであるぞ。○×でないぞ。掃除できたかできないかであるぞ。神のルールを生きているかいないかであるぞ。神なる身の修行が終わっているかどうかであるぞ。今までの社会が続くと思ったらタイヘンなコトになるぞ。コトは九十ぞ。

 死んで生きる者と生きながら死ぬもの出るぞ。身魂掃除あれば死んでも安心ぞ。衣食住無くなるぞ。肉体保身やめろよ。肉体守っても意味ないぞ。お金も知識も宗教も財産も何も意味ないぞ。物質はすべてアウトであるぞ。誰も助けてくれないのぞ。身魂助けられるのは、掃除手伝えるのはこの方だけであるぞ。これ真理ぞ。本当ぞ。信じられんならお好きなようにしなされよ。最後の最後にすべて分かるぞ。分かっても手遅れぞ。この方はすべて教えているぞ。神恨むでないぞ。神恨むココロがそなたの地獄を創るのぞ。
P273
 二十一世紀は半霊半物の神の代となるのぞ。すべてが光り輝くぞ。ミロクの代ぞ。369ぞ。666でないぞ。神の情けの苦のお知らせを聞けよ。聞いて行動して花に結べよ。神話は例えであるぞ。形にこだわるなよ。神の世界を人間に分かりやすく語っているのぞ。形にしないと人間が想像できないからぞ。神話は書き換えられているぞ。岩戸探してもないぞ。岩戸は自らの中にあるのぞ。この方のやり方聞けば自分の岩戸開(ひら)けるのぞ。言えば答えるぞ。岩戸開ければすべてが変わるのぞ。そなたを天国に導く言(いわ)答(と)ぞ。

 人間自由ではないのぞ。神の中からでられんからぞ。この方の言うとおりにすれば、人間の世界のことは何でも形になるから自由に感じるぞ。それを自由といっているのぞ。神とまつろわねば自由ないぞ。天国はないぞ。人間は神なくして何もできないのぞ。すべてのすべては神が人間を通して形にしているからであるぞ。新しい世ではそなたはカミであるぞ。何でもできるぞ。それまでは神が必要ぞ。

 バチ、運、タタリ、幽霊、不幸ないぞ。宗教法人は無税の特権を得ているが今の宗教ビジネスぞ。神の祟りはないぞ。あやま知ぞ。神様だからと言って特別はいらないぞ。神様は普通ぞ。祟り怖いから特別にしただけぞ。普通は22産ぞ。22を、神の世を産む力であるぞ。あやま知では公平、平等、博愛、自由、平和創れんぞ。創るものではないぞ。もともとあるものぞ。
P274
 戦いはアタマが創るものぞ。もともと戦いないぞ。守るために軍隊を持ち、軍備の為にお金を遣い問題創っているのぞ。すべてのすべてはあやま知にとらわれし人間の仕業ぞ。あやま知の創りだすものぞ。戦いなければ軍隊ないぞ。防衛問題なくなるぞ。一パーセント枠ないぞ。軍縮問題ないぞ。核の問題ないぞ。軍事費の問題ないぞ。スパイ要らないぞ。秘密いらないぞ。議論はいらなくなるぞ。不公平税制はあやま知の創りだすものぞ。あやま知の代ではみんなによいものは創れんぞ。形の平和、公平、平等、自由を創る話し合いは、話せば話すほど不公平になるぞ。平和から遠ざかるぞ。分ける知では一つにならんぞ。簡単な道理に気づかんで天国はないのぞ。

 葬儀はいらんぞ。死んだ肉体は脱け殻ぞ。肉体の名前は魂の名前ではないぞ。その人というのは魂ではないぞ。その肉体が演じていた幻想ぞ。厄払いするなら福払いもしろよ。片方だけ祓うから偏った世になったのぞ。○も×も無くせよ。物質偏重ミギリが重くなって傾いているのぞ。だから十が×ぞ。建て直すぞ。水と火組み方逆ぞ。ホドいて組み直すぞ。形壊れるのぞ。避けられんぞ。避けようとすると苦しむぞ。+も-もないぞ。肯定も否定もないぞ。偏るなよ。賛成反対○×ないぞ。損得は分かつ知の結果ぞ。楽を見ると苦見えるのぞ。苦解結して楽作ったようでいて実は新たな苦と楽に分けただけぞ。気づけよ。木を見て森見えてないぞ。人見て神見えてないぞ。見失っているぞ。神を見ないで何も見えないぞ。いつまで続けるおつもりか。
P275
 天国に生きたいならば掃除をすることであるぞ。神の真理を知ることであるぞ。神の心理ぞ。神理ぞ。日本語はこの方の言葉ぞ。この方の話ぞ。この方の道理伝える道具ぞ。一つの言葉だがたくさんの意味あるぞ。真実隠せるぞ。神知ればすべて見えるぞ。心理は神理が真理ぞ。この道理分からないならばそなたは天国ないぞ。このフミをただの考えだと言う者はお好きになさるがよいぞ。いずれそなたにも分かるときがくるからな。

             ******


 それではこれで長い長い「おわりに」を終わりにします。では、皆さんと天国でお会いできることを楽しみにして筆をおくことにします。


     平成六年一二月一三日            長谷 章宏






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神様からの手紙 その一


3 神様からの手紙 その一

P94
 それでは、いよいよ神様からの『フミ』に移りたいと思います。素直な気持ちで最後まですべて読み通してください。途中でやめれば、真実を知ることはできませんから。

               *****

 これから語ることは、そなたら(=あなたたち)人間として生まれている者一人残らず全員に伝えておくべき大切な大切なことでござるぞ。そなたらのこれからの永遠のイノチに係わる、そなたの魂(肉体ではないぞ)の生死を決める重大事でござるよ。今までのように、このフミの表面だけを見て「自分とは係わりない神事である」などと、早合点していい加減に扱っていると、それこそ取り返しがつかなくなるから、そのつもりで読むことぞ。そなたが知らないこともたくさん聞かすから、あやま知で曇った寝ぼけ眼(まなこ)を見開いて、この方(このほう=このフミを語っている神)の言うことを一つ残らず、素直に、真剣に聞くのであるぞ。今度の今度こそ、マコトのマコトの真実でござるよ。そなた自身のためになる、マコトの神のマコトの生き方でござるぞ。

 そなたらは何千年にもわたって、真実を覆い隠す「あやま知」に囚われて、「地の日月の神成る身」である、自らの本当の姿と元つ神のこの方とをキレイサッパリ忘れ去っているのでござるぞ。そなたらは「ミロクの世で神に成る」為に今今のこの世で修業をするべき身魂でござるのぞ。今今のそなたらというのは、何世にもわたって、ゆりかごから墓場まで「あやま知」に囚われた人間の創りだした「あやまちの世」にどっぷりと漬かって生きてきた成りの果ての姿でござるのぞ。「あやま知」を当然の常識であると錯覚して、アベコベやって自分にも人にも迷惑をかけ続け、何が真実か、何がマコトか、見分けがつかないほどに曇りに曇っているのでござるぞ。マコトを語るこのフミすら本当かどうかと疑い始めるのがその証し、そなたらの癖でござるよ。自覚している者は僅かでござるぞ。
P95
 今度ばかりは今までとは違うのぞ。非常に大事なことであるから、もう後がないから、聞く聞かないは別にして、どうあっても人間に成っているすべての身魂に伝えねば成らぬことでござる。この方の言うことを聞かず、アタマで着て、アタマで食べて、アタマで住んで平然としている、曇りに曇った今今のそなたらでも分かるように、嫌でもやらざるを得なくなるように、今この時代を生きて、今この時代の中でこの方の言う通りに修行を終えたこの者を通して、あやま知の世界の人間の為に改めて語るフミであるぞ。「神の真理(神理)」「神の仕組み」「神の計画」「人生のカラクリ」のすべてのすべてを伝えるから耳の穴をよくほじくって、ココロして聞くのぞ。今までの宗教や哲学と同じだと思ったら大間違いであるから、くれぐれも取り違いなさらぬよう、最初に注意しておくぞ。
P96
 神の真理は人の真理でもござるのぞ。神あって人あるのぞ。すべては元つ大神様の意志から始まっているのでござるよ。たくさんの神々を経由して、そなたのココロを通して人間であるそなたらに伝わっているのでござる。人の世界の出来事はすべてのすべて神の世界の映しでござるぞ。このフミで語っていることは、宇宙の創世、世界の始源、そなたらの身魂の誕生の時からすべて決まっていたことでござるのぞ。すべて始めから計画していたことでござる。そなたら人間が何と言おうと、動かせない仕組みでござるよ。そなたら人間から見れば何世代にもわたる長い長い時間の出来事に見えるが、この方から見れば、そなたらが一日の計画を創って実行しているようなものでござる。

 そなたらは、我善しで、自分だけが正しいと、ご都合宜しくアレコレと理屈をこねて我を張っていなさるが、本来は、すべてのすべてを産み生んだ元つ大神様の意志が人間のとるべき意志でござるのぞ。至誠至愛至善の元つ大神様が、自らのお子であるすべての人間が喜びに生きられるように、嬉し楽しのミロクの世界を体験できるように、すべてのすべてを産み生んだのが始めでござるよ。神の計画、神の仕組みは寸分違わず人間の世界に現れるのぞ。ミロクに至る今までも、大神様の意志通りに生きていれば、嬉し楽しで暮らせたのでござるぞ。そなたらが嬉し苦しなのは、そなたらが大神様の意志に反して、身欲、保身に走って好き勝手なことをしてきた結果ぞ。自業自得でござるよ。神や人を恨むのは筋違いもいいところでござるのぞ。人の責任などというものは始めからなかったのぞ。
P97
 自らの責任を置き忘れている、神なる身魂である自覚なき者ばかりであるから、今の乱れた世になったのぞ。そなたらがいくら善くしようとしても一向に善くならないのは、やり方が違うからであるぞ。善くしようとして問題ばかりを創りだしているのにまだ気づかんのか。今の今まで、そなたら人間が解結したものなど何もないのであるぞ。すべてのすべてはそなたら一人ひとりのこの方を忘れた生き方の結果でござるよ。今のそなたらのやり方、そのままの態度、そのままの姿では、ミロクの民になるなどおこがましいことでござるぞ。今度の今度は、最初で最後、一人残らずミロクへ誘うオーラスの大掃除の始まりであるぞ。人間として生まれた者は、誰一人として避けられないぞ。まずはこのフミを読むことが、ミロクの民への改心の、神成る修行の始まりじゃ。

 今までの人間の歴史というのは、この方の計画も仕組みも何も知らずに、たとえココロで気づいても我善しでかき消して、できもしない平和や平等や自由を創ろうとして、「身欲」と「保身」で「我善し勝手」に、この方の仕組みの中で勝手にもがいていただけの「あやま知の歴史」でござるのぞ。わざわざ自分から苦しむゲームを選んで、皆で一緒に真剣に苦しめ合って遊んでいただけのことでござるよ。この方から見れば滑稽に見えていたのを知っているか。この方が創ったものすべて、神々も人間も、どうあがいてもこの方の中からは出られないのであるぞ。出ようとしてもぐるぐる回って始めからでござる。堂々巡りになるのは当然の結果であるぞ。この方の言うことをウソだと言う者は、思う存分、納得するまで今まで通りやってみてござれ。但し、そうしている間にも、全体の大掃除は進むのぞ。どんどん後がなくなることをお忘れ無きよう、改めてお知らせしておくぞ。
P98
 この方の言うことに従うか反するかで、そなたらの体験すること、創るものが決まるのであるぞ。始めからこの方の言う通りにすれば何の問題もなくミロクへ行けたのでござるぞ。大掃除が必要になったのは、そなたらが「身欲」「保身」に囚われたのが原因であるぞ。神の掟を外したら自ら滅ぶのが神成る身魂の掟であるぞ。そなた自ら囚われを解くことはできないのであるぞ、今の今まで、真実に気づかなかったのがその証であるぞ。ほおっておいたら魂が滅びるから、そなたら人間に成った身魂を最後の最後のこの時まで導くために、調和を乱す者には苦を与えて気づかせ、調和を創る者にはお陰を与えて気づかせる、「情けと花の仕組み」にすべてを託し、すべての者が「至然」に「ミロク」へ行けるように仕組んでいたのであるぞ。

 そうとは知らぬ、気づかぬ、神成る身魂の自覚なきそなたらは、この方が与える情けの苦を神のせいにしてますますミロクから遠ざかるだけであったのぞ。本来なればそのような自分勝手な身魂にはミロクはなかったのであるぞ。この方の親ゴコロでそなたらを何とかミロクまで生かそうと、そなたらの想像も及ばない苦労をして「情けと花の仕組み」を構えたのであるぞ。そなたが自らの責任を自覚していれば、苦をお陰に変えることができたはずでござるぞ。メグリなければ苦はない仕組みであるよ。苦がないのが当たり前でござるのぞ。苦があるのが当たり前などと平気で喋っている者は大掃除が必要であるぞ。悪神生んで悪心映し、悪を使って悪を祓う、最後の最後の舞台では、善も悪も改心させる、嬉し楽しに導く神芝居。それがこの方の構えた「ミロクを創る仕組み」にござるのぞ。
P99
 この方は今までも、そなたらのココロや体験を通して、数々のフミを通して知らせていたのであるぞ。保身と身欲を持った人間では我善し勝手に我(われ)の都合で解釈するから気づかぬ者がほとんどで、すぐに真偽の議論を始め、挙句の果ては「弾圧」「抑圧」する始末でござるよ。この方は、そういう結果になることを分かっていたこととはいえ、ことごとく閉口して見ていたのであるぞ。とはいえ、それもこれもこの方の計画の内。そなたら人間のやることなすことすべて見越した上で、最後の最後に用意した今回のフミであるぞ。もう後はないのぞ。言っても言っても聞かないわが子へ向けての最後の最後の親心。この方からの最後の警告としてそなたら人間に渡す最後の最後のフミであるぞ。聞き分けのない、悪い子ほど可愛いのが親と言うものぞ。このフミだけは冥土(めいど)の土産(みやげ)にはできないぞ。今ここで読まなければ、二度とお目に掛かれなくなるシロモノでござるのぞ。
P100
 今ここは、ミロク世を創る最後の最後の仕上げに掛かっている時期であるから、もう後が少なくなっているから、早く改心せねば魂が滅びてしまうから、この方の言うことに反するものはどんどん厳しく教えていくようになるから、仕組みが厳しくなるから注意しておくぞ。そなたらは真理、真実を初めて聞くのであるから、今まで学んだ学や教を持ち出してブツブツ言わずに最後まで黙って素直に聞いてくだされよ。バカらしいと思う者、反抗したくなる者、本当かどうか疑う者、無神論者だと言う者、こういう者こそこのフミが必要な者であるのぞ。分かっている者には気の毒であるが、ここまで言わなければわからない者もいるのじゃ。これも修行のうち、辛抱して最後までつきあってくだされよ。

 この方は何度も何度も同じことを言うが、それというのも、一人でも多くの者に改心してもらいたいから、永遠のイノチを得てミロクの世で素晴らしい世界に生きてもらいたいから、こうでもしないとそなたらの改心はおぼつかないから、しつこく厳しく繰り返すのであるぞ。子を思う親心に免じて、暫くのあいだ辛抱して聞いてくだされよ。神、頼んだぞ。批判や反論がしたい者もいるだろうが、そういうことは最後の最後に好きなだけやればよいから、今度だけは今までの癖を出さずに、出そうになったら引っ込めて、まずはこのフミを最後まで黙って読んでみてくだされよ。その上で、「こんなものはいらない」という者は、最後の最後の大掃除である「三歳(みとせ)苦難(くなん)」で身をもって知らせるから、それまでの間、お好きなようになさって結構ぞ。但し、最後の最後で間違いに気づいてももう遅いから、今この瞬間からハラを括って取り組んだ方がそなたの為になるぞ。
P101
 この方は、そなたらの世界はいうまでもなく、神の世界も、宇宙も、すべてのすべてを自らの中に生み産んだ「元つ神」であるぞ。そなたらが創りだした今までの宗教の神とは違うのぞ。そなたらの神々も含めて、すべてのすべて、すべての仕組みを創りだした元の神であるから、マゼコゼにすると本当に取り返しがつかないことになるから、覚悟してこのフミを読むのぞ。ここで間違えば二度と元には戻れない、末期の不覚となりぬるぞ。今まで学んできた常識や道徳や価値判断の基準や学問の成果や宗教の教えはすべてアベコベであるから、一旦すべてをこの方に返して、何も学んでいない生まれたばかりの赤子になって、この方の言うことを素直に聞いてくれよ。「もう学んでいるんだから無理だ」等という者は、まず赤子になれよ。今度だけは辛抱してくだされよ。神、頼むぞ。

 そなたらヒノモトの民は、世界の人民の、すべての身魂の「親」でござるのぞ。ガイコクの人民はヒノモトの民の「子」であるのぞ。ヒノモトもガイコクも両方ともこの方の「子」であることには変わりないが、今まで教わっていたように「兄弟」ではないから取り違いするなよ。子にマコトを示すのが親の役目であるぞ。親子平等にして、親子逆転させてどうするのぞ。本当の上下というのは神と人の上下であるぞ。この方の創った通りにすることであるぞ。区別が大切であるぞ。そなたらのいう差別ではないぞ。すべてのすべて、この方の創った通りにすることが嬉し楽しを形にするための神の掟であるのぞ。そなたらの世界だけに通用する理屈ではないのぞ。取り違いするでないぞ。
P102
 この方の声を素直に聞いて神成る修行(本当の生き方に戻す行動)をし、世界の民にマコトの姿を伝えることがヒノモトの人民の役目でござるのぞ。「日月地の神成る身魂」である人間の、世界の親であるヒノモトの人民様、何もしらない「子」が創った「あやま知」にいつまでも囚われているでないぞ。いつまでやろうと一つになれず、平和も平等も自由も永遠に創りだせない、問題だけを創りつづける常識、自分だけ善しの、相対二元の争いのゲームに引っ掛かっておらずに、いい加減に目を覚しなされよ。そなたらが子の真似をして親の役目を忘れたから、今の乱れた世と成ったのであるぞ。自覚なきといってもほどがあろうぞ。ヒノモトから先に大掃除が始まるのであるぞ。ヒノモトがすべてのすべての始めであるぞ。まずは親から改心させるのぞ。そなたから始めるのぞ。

 人間の世界に起きることは、すべてのすべては身魂の世界、神の世界の写しであるぞ。子供が親の言うことを聞かないというそなたらの人間社会の状況は身魂の世界、神の世界が映っているのであるぞ。すべてのすべてが写しであるぞ。子であるガイコクの民が、親であるそなたらヒノモトの民を尊敬しないのは、そなたらの責任でもあるのぞ。今ここで親成る修行を始めることが肝心ぞ。今度の大掃除の鍵であるぞ。要石ぞ。親の姿を見せる第一歩であるぞ。ヒノモトの民がマコトを示さなければ、世界の民は何も気づかないで滅ぶことになるのぞ。世界の民が、神成る身魂が生きるも死ぬも、そなたらヒノモトの民の態度次第できまるのであるよ。そなたらヒノモトがすべてのすべての鍵でござるのぞ。
P103
 この方がついてござるゆえ、潔く間違いを認めて、素直に改心して、早く本当の「親」になってくだされ。ヒノモト変わらねば、世界は変わらないのぞ。そなたが変わらなければ、回りのすべては変わらないのであるぞ。それが神の仕組みであるぞ。人ごとではないぞ。一人ひとりのことであるぞ。そなた自身のことでござるぞ。すべてのすべてはそなた次第であるぞ。人のことをアレコレ口出ししている場合ではないぞ。今度の今度は最後の最後のどん詰まりであるから、何が何でも改心してもらわねばならないのぞ。そうは言っても余りに曇りがひどいから、肉の眼で見て見えるように、肉の体の言葉で分かるように、このフミと共に、このフミを書いている者を先に掃除して、サンプルとしてそなたらの目の前にお見せするのであるぞ。この者をモデルにして、分からないことは何でも素直に聞いて、一人でも多くの者が、最後の最後に間に合うように改心してくれよ。

 そなたら「人間」は、この方の創った「有」の世界の中に生み出された身魂であるぞ。そなたという魂が肉の体を持ったのが人間であるぞ。そなたのココロは、肉の体に翻訳した魂の声であるぞ。そなたのココロはこの方と繋がっているのであるぞ。そなた次第でいくらでも語りかけることができるのであるぞ。身魂がそなた自身であるぞ。本当の自分であるぞ。身と魂であるぞ。一つであるぞ。そなた自身は一つであるぞ。そなたは物質の世界だけの存在ではないのぞ。そなたらの言う「死」は、そなたが肉の体を脱いだだけのことであるぞ。状態が変化しただけのことであるぞ。水が水蒸気になったのと同じぞ。見えなくなってもそなたはいるのぞ。人も同じであるぞ。死は悲しいものではないぞ。今までのゲームはやめろよ。悲しみの世界はこの方の望みではないぞ。そなたの悲しみは、「自分のものを失った」というそなたの都合で創りだしたものぞ。そなたが悲しいだけぞ。死んだ者は別の状態で生きているのぞ。勝手に怖がったり、可哀想がったりするなよ。
P104
 そなたら人間は、「無(響き)」から「有(形)」を創りだすことはできないのであるぞ。そなたらはこの方の貸し与えた肉の体を持って、この方の創った資源を使って、様々な物を創りだしてきただけであるぞ。そなたらが創ったものの大元は「資源」であるぞ。「資源」はこの方であると言ってもよいのぞ。そなたの持ち物はすべてこの方のものであるぞ。「資源」取られて、そなたらは一日たりとも生きていることはできないのぞ。そなたらは今まで、この方を覆い隠す「あやま知」に囚われて、この方が見えなくなって、この方の恩恵をキレイさっぱり忘れて、苦し辛しのゲームを遊んでいたのであるぞ。嬉し楽しの遊びもできたのであるぞ。「魂」も「資源」も「肉の体」もこの方がなければ、すべてないのであるぞ。人間が創りだしたものはすべてこの方のお陰があるからあるものぞ。
P105
 この方があってそなたらがあるのぞ。この方を無きものにしてそなたがあるはずがないのであるぞ。無神論者でいられるのはこの方のお陰であるぞ。そなたが信じていないのはそなたが創った神であるぞ。そなたは別の神を信じているのぞ。そなたはこの方を否定しているつもりになっているが、この方がいなければそなたはこの方を否定できないのであるぞ。そなたは自分を否定されて怒っているが、それでは神心は遠いぞ。この方はそなたに否定されているが、怒った覚えはないぞ。この方が許さなければそなたは他人を怒ることなどできないのであるぞ。この方がそなたを許しているのは親心であるぞ。いつ気づくかとじっと控えていたのでござるぞ。最後の最後の改心を楽しみにしているぞ。

 そなたが見ている、持っている、人が見ている、持っている、すべてのすべてがこの方の持ち物であったのぞ。この方がそなたらが遊べるように、そなたらにレンタルしていただけであるぞ。ミロク世まで、物質の世界で遊べるように貸していたものであるぞ。いわんや、お金や家や服や地位や名誉や財産や、人間が創ったすべてのすべて、「自分のもの」であるわけがないのは一目瞭然であろうが。「自分の子」や「自分の家族」が、そなたの持ちものであるわけがないのは当然のことぞ。そなたと同じ「身魂」であるぞ。形の後先で上下関係を創って支配するなど、本来なれば許しがたいことであるのぞ。平等どころか、すべての者が天国に生きることを望んでいる神に反する大罪であるのぞ。
P106
 この方は、そなたらのすること、そなたらの創るもの、すべてのすべてを許して、最後の最後で改心させる仕組みを創っているから、神に反する作品はほおっておいても壊れていくから、そうなってからでは遅いから、今の内に改心することぞ。アタマの教育などというものは本来いらんものであるぞ。掃除の手間を増やすだけであるぞ。人の子には人の親が神の生き方を後ろ姿で示せばそれでよいことぞ。マコトを示すべき親がこの方を忘れていては肝心の「親の心」も分かるまいが。「親の心子知らず」とは、そなたら全員にこの方からプレゼントした言葉であるぞ。神知らぬ親が自分のご都合よろしく子供を思いどおりにするために使っているだけであるぞ。「人の気持ちを考えろ」と言いながら、人の気持ちなどどうでもよくなっているぞ。「二度と同じことはするな」と教えておいて、何度も何度も懲りずに神に反することをやりつづけているのぞ。親や教師や宗教家が親の心を知らずにいるから、本当の教育ができないのであるぞ。いつまでたっても自由も平和も平等もないのであるぞ。競争やいじめや貧富の差が無くならないのは当然であるぞ。

 今までのやり方は何千年続けても天国どころか地獄に続く道であるぞ。今度の今度はこの方が表に出て、しかるべき人間を使ってすべてのすべてを知らせるから、もう今までのやり方は通用しなくなるぞ。続けようとすればそなたが苦しくなるだけであるぞ。すべてのすべては表裏一体であるぞ。神の仕組みが人の仕組みであるぞ。アベコベになっていた神の世界を元に戻したから、そなたらは反すれば反するほどきつくなっていくぞ。最後の最後は魂の滅びが待っているぞ。この方は、自らの子を殺すような真似はしたくないぞ。最後の最後の親心でそなたらの肉の体で分かるように本当のことを教えるから、そなたの錯覚を知らせるから、よく聞いてどうすればよいか一人ひとりが考えて行動してくれよ。
P107
 今の学校が乱れているのはそなたらのしてきたことが行き詰まっている証拠であるぞ。この方のやり方を素直に聞かなければ、ますます乱れるぞ。ますます訳が分からなくなっていくぞ。学歴社会も競争社会もそなたらが勝手に創ったものであるぞ。この方はそんな原理を創った覚えも、語った覚えもないのぞ。そなたらは何千年にもわたって「ウソ」を教えられてきたのであるぞ。教えている方も「ウソ」と気付かずに、代々「ウソ」を伝え続けてきたのであるぞ。この方を知らぬ教えに基づく「宗教」や「学問」や「道徳」や「知恵」を教え続けても、ますますこの方が見えなくなって混乱していくだけであるぞ。今ここで真実を教えたのであるから、いつまでも「あやま知」の教育を続けておらずに、キレイサッパリやめて、この方の言う通りに素直に始めてみなされよ。

 「取った取られた」というのは、「あやま知」に囚われたそなたらの自分勝手なゲームに過ぎないのであるぞ。「自分のもの」が「見えなくなった」のを「誰かのせい」にするという神を無視した自分勝手なゲームが混乱を創りだしているのであるぞ。一人残らず「人に迷惑をかけるゲーム」をしていたのであるぞ。人に迷惑なことは神に迷惑なことであるぞ。そなたが神に迷惑をかければそなたが苦しむことでそれを気づくような仕組みになっていたのぞ。そなたが人を責めれば責めるほど、自分で自分のクビをしめていたのであるぞ。自ら苦しみを創りだしていたということぞ。そなたの創りだす感情もモノもすべてそなたの作品であるぞ。そなたの体験はすべて自分のしたことの結果であるぞ。このことを自覚することが掃除の始めぞ。人に責任転嫁をするのはいい加減に終わらせろよ。
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 「自分のもの」は何もないのであるぞ。そなたが使っているものや自分に所属すると決めたものがあるだけであるぞ。人間の勝手に決めたゲームであるぞ。土地を自分のものにしているのは、この方を知らぬ証。人間の「我善し」の暴挙であるといってもよいのぞ。ましてや、土地を「売り買い」するなどはもってのほかであったのぞ。「資源」から創りだしたすべてのものを売り買いするのも同じであるぞ。本来は交換ができるだけであったのぞ。「財産」はそなたのものではないぞ。モノの「財産」をいくらもっていても、最後の最後の今回はすべてのすべてをこの方に返すことになるのぞ。今度の今度は、肉の体も含めて、全員がすべてのものを返すのであるぞ。どんなに守っても無駄であるぞ。そなたの「財産」はそなたの体験だけであるぞ。体験はモノが無くなっても残っているぞ。そなたが人に渡せるものはそなたの体験だけであるぞ。モノを渡すのは限りがあるのぞ。
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 保険や防災や耐震や予知云々と、今までのやり方で「失う」のを避けようとしても今度ばかりは無駄になるぞ。この方がしていることを人間がコントロールすることはできないのであるぞ。そなたらは今まで、神を忘れた「我善し」の知恵を使って、我が者顔に物質世界を支配しているつもりになるゲームをしていただけであるぞ。神のすることは未だに支配できずに「天災」とか「災害」とか「自然の猛威」とか言って神のせいにして神を無きものにしているばかりか、人間が創りだしたシステムの問題すら何も解結していないのであるぞ。人間の手には負えないことの方が遥かにおおいでござろうが。いい加減に神の力を素直に認めなされ。そろそろ神にアタマを下げる時期がきたぞ。今度の今度はそなたらの我善しのそのゲームは終わりであるから覚悟せよ。この方が終わりにするのぞ。

 そなたらがやってきたゲームをそのまま続ければ滅びるだけでござるのぞ。そなたらの今までの「常識」や「思考」ではもう何も元にもどせないのであるぞ。「良くしよう」という思考そのものがアベコベであるのぞ。すべてはひとつであるのに、「善」も「悪」もないのに、悪を批判し、悪を避け、善だけを創ろうとしていたのがそなたらのゲームであるぞ。そなたらが元に戻そうとしているのは、そなたらの考えた「善」を形にしようとしているだけのことであるぞ。元の元の「至善」を知らずに自然を語っているぞ。
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 そなたらが身欲や保身を元の我善しでアベコベに走ったその瞬間から「破壊」のプロセス、破壊の歴史が始まっていたのであるぞ。楽しようとするから破壊が進歩に見えるのであるぞ。そなたの回りをすべて取られてそなたは何ができるのぞ。この後に及んでまだ破壊の歴史を続けるおつもりか。そなたが破壊しているもの、資源も自然も地球も自分の肉の体も他の者の肉の体も、ココロさえもこの方のものでござるのぞ。そなたはそれを知ってやっているのか。そのことをお気づきか。自らのご都合で神を冒涜(ぼうとく)するのもいい加減にせいよ。自覚なきも情けなき所業ぞ。神成る修行をすることがそなたの償いであるぞ。

 この方は壊したものを元に戻せと言った覚えはないぞ。元に戻す仕組みはこの方が創っているからぞ。そなたらは「すべてはアベコベであったのか」と、知らずとはいえ今までやったご無礼を素直にお詫びし、今ここで滅びる前のお知らせに感謝し、素直に改心して「神のココロ」を実行することだけでよいのであるぞ。今ここから始めることが改心であるぞ。ツベコベ言っているとアベコベのままであるぞ。この方の言うことを分かっていないことを白状しているのと同じであるぞ。そなたがしてきたことは「取り返し」がつかないことであるのぞ。ではあるが、神の最後の親心で、そなたらがしてきたことを自分自身が責任をとって自分自身の苦しみとして返すならば、許そうと決めていたのぞ。口だけの改心ではこの方は許さんぞ。すべてはそなたがこの方の意に反した結果であるぞ。今ここで気づいたそのココロをこの先ずっと持ちつづけて掃除に励むことが「反省」の証であるぞ。「反省」した者はこの方が守護して苦しいながらも楽に掃除を終わらせてやるぞ。
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 この方とこの方の家来の神々が助けてすべてのすべての大掃除をやるから、そなたらは言われたとおりに自分の掃除をやればよいだけであるぞ。天災も人災もないのであるぞ。すべてはそなた自身がやった結果が形になっているのぞ。そなたが神のルール通りにやれば「災害」は無かったのであるぞ。すべてはそなたが創りだしたものであるぞ。そなたが神のルールに反していることを教えていたのがそなたの苦しみや病気や死であったのぞ。そなたは「自分のもの」を「傷つけられた」と思い込んでいるから、「神のせい」にして「被害者」になっていたのであるぞ。「被害者」はいないのであるぞ。「裁判」も「法律」も本来必要ないものでござるのぞ。

 すべて自分のしたことが自分に返ってきているだけであるぞ。そなたがそなたの加害者であるのぞ。加害者も被害者も一つであるぞ。そなたに悪のメグリなければ、苦のメグリ会いは無かったのであるぞ。そなたの苦はそなたが創ったものぞ。自分でつくった苦を楽に変えようとしているのはいかなることであるか。今まで教えられてきた「自分のもの」意識、「被害者」意識、「楽しよう」意識をやめないと、何も変わらないばかりか、最後の最後の大掃除に向けて、お知らせの「苦」がきつくなるだけであるぞ。ますます壊れていくだけであるぞ。自らを自らが滅ぼすことになるのぞ。
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 すべてアベコベだと言っても、今までそなたらが創りだしてきた学や教や知もこの方が人間を通して創りだしたものであるから批判するでないぞ。最後の最後にそなたらの「あやま知」を壊して神世に戻すための道具に使うから、そなたらが神の持ち物を壊しても許していたのであるぞ。この方の真意は「すべての身魂に天国を体験させる」ことであったのぞ。だから、神のルールに反した身魂も今ここまで引っ張っていたのであるぞ。死は滅びを避けるための仕組みであったのぞ。輪廻転生は神の親心であったのぞ。本来ならば光と闇は同居できないのであるぞ。すべての身魂に最後の最後までチャンスを与えるために想像を絶する苦労をして元つご霊統の神々様が創った仕組みぞ。ミロク世は光のみでござるぞ。

 そなたらのすることは、今ここにある道具を使って「ココロの掃除」をすることだけであるぞ。今ここにあるものを否定すればすべてを否定することになるのぞ。飛行機や新幹線や電話やファックスを使わないと間に合わないのであるぞ。使ったほうが早く掃除できるのであるぞ。「公害」だとか「省資源」だとかいうマヤカシに囚われていてはますますアベコベになるぞ。この方の創りだしている資源は無限でござるのぞ。「節約」や「倹約」や「備蓄」のゲームはそなたらのゲームが創りだした幻想であるぞ。

 この方は何でもできるのであるぞ。この方に枠をはめるとは何事か。この方を無視している証拠であるぞ。「エコロジー」を唱えながら紙を使っていることに気づかぬか。今ここにあるものは、そなたの肉の体も含めてすべてのすべては壊れるのであるぞ。今ここにあるものを使って早く神ゴコロに戻せよ。ミロクの世は、今までの肉の体も物質も使えない、全く別の世であるぞ。掃除できた者だけを神がつまみ上げて、ミロクの民にするのであるぞ。今度は神々も含めたすべての建て替え建て直しであるぞ。縦を直すのぞ。今までのそなたらのアタマでは想像できないことであるぞ。何が起きるかを知っても、神の仕組みの知識を知っても、人の動きを知っても、意味ないぞ。
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 これから始まるのは、万古末代一度きりの、神も人も、魂も肉の体も、すべての世界を建て直す大掃除であるぞ。神界も幽界も現界もすべてのすべて三千世界を建て替える宇宙始まって以来の最初で最後の大掃除であるぞ。天意転換ではあるが、そなたらが神のルールに違反しなければ、嬉し楽しの幕の上がりだったのぞ。人の法律違反を責めているそなたが神の法律違反をしているのであるぞ。そなたの申すことは自分自身のことであるぞ。この道理わきまえて、言ったこととやっていることを一〇〇パーセント一致させることぞ。きついのは当り前であるぞ。今までさぼっていたツケを払うのであるからぞ。「難しい」というのはできない理由にはならないぞ。そなたがやらないだけぞ。自分のしたことの責任をとれば永遠の天国が待っているのであるぞ。言ったことをやる親が子の信頼を得るのであるぞ。
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 今回はすべての世界の建て直しであるから、死んでも続く身魂の掃除、生死一如の仕組みであるから、物質世界の肉の体を守っても意味がないのぞ。死んでも頑張るのぞ。生きて戻れるように死んでくだされよ。今までの人間からみれば、「人間じゃない」ということになるだろうが、そなたらはもともと「人間」ではないのであるぞ。そなたのイノチはこの方のものであるぞ。そなたの生死はこの方次第であるのぞ。そなたがアレコレ考える必要はないのぞ。そなたは生かされているのだから何も心配はないのであるぞ。人の死を悲しんでいないで、殺人を責めていないで、自分自身の掃除をしてくれよ。

 この方がもっとも嫌うのは「裁くココロ」であるぞ。神ゴコロとは裁かないココロであるぞ。疑わない心であるぞ。そなたのイノチは一旦この方に返して、掃除に集中することぞ。そなたの肉の体がどうなろうと、どんなに苦しかろうと、すべてそなたが神のルールを外して迷惑をかけてきた結果であるから文句を言えないのであるぞ。自分がしたことを自分以外のせいにするのが今までのゲームであるぞ。今までの持ちものへの執着はすべて手放して、ココロの掃除をすることであるぞ。どんなに苦しかろうと、決してそなた自ら「肉の体」を無くそうとするでないぞ。そなたの肉の体はこの方のものであるぞ。人のものを勝手に処理するのは自分勝手であるぞ。人の体を壊すのは言わずもがなであるぞ。
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 そなたら人間が創りだせないものはすべてこの方のものであるぞ。そなたが持っているモノやシステムは「資源」を元に創り出したものであるぞ。そなたの体験以外はすべてのすべてがこの方のものであるといってもよいのぞ。今度ばかりは死んでも続く掃除であるぞ。死んでからの掃除はもっときついぞ。そなたという身魂が生まれて以来、何世にもわたってしてきたルール違反の結果創りだしてきたものをすべて掃除するのであるぞ。そなたの身魂が生まれてからすべての「借金」を返済しなければミロクの世はないのであるぞ。今度が最後の転生であるぞ。掃除なき者は二度とヒノモトのお土は踏めんのぞ。

 ミロクの世は闇も悪も一切存在できないのであるぞ。そなたのココロが体になるのであるぞ。そなたのココロに一点でも曇りがあれば、裁くココロがあれば、そなたはミロクには行けないのであるぞ。そういう身魂は今世で終わりであるぞ。裁くココロがあるのは、そなたが善悪を分けているからであるぞ。この方が許しているから悪が存在するのであるぞ。この方が許しているものをそなたが裁くとは何事であるか。天国を創るためには、すべてこの方のココロ通り、この方が創った順序通りにすることが必要なのであるぞ。この方がすべてのすべてを生み産んだ親神であるぞ。神々の親、人間の親であるぞ。

 親が創ったとおりにすればすべてがうまくいくのであるぞ。この方の言うことを素直にハイハイと真似すればよいのであるぞ。この方の言うことを裁くのは神のルール違反であるぞ。人が反抗的だ、人が頑固だ、というのはそなたのことであるぞ。この方から見ればそなたが反抗的であるぞ。頑固であるぞ。自分勝手であるぞ。差別的であるぞ。アホであるぞ。障害者であるぞ。何も分かっていないぞ。うまくいかないのはそなたのしているゲームのせいでござるぞ。神のせいでも、人のせいでもないのぞ。そなたが改心(改神)すれば、今ここでも天国になるのであるぞ。今ここの人生でそなたの掃除相応に善き方に向けてやるのであるぞ。今の今が嬉し嬉しでない者は掃除終わっていないぞ。
P116
 この方が先でそなたが後であるぞ。この方の言うとおりにすればすべてうまくいくのであるぞ。この方は全員が天国に行けるようにすべてのすべてを創ったのであるぞ。そなたらが勝手に、自分だけ善しのゲームをして、自分で自分のクビをしめているのであるぞ。自分だけでなく人も一緒に地獄に誘っていたのであるぞ。自分のしたことを自分以外のせいにしている限り、改心はできないのぞ。そなたが改心すればよいだけであるぞ。そなたがやればよいだけであるぞ。人は関係ないぞ。できないのではなく、やらないだけであるぞ。この方は今までもそなたのココロに語りかけていたのであるぞ。そなたが無視していただけであるぞ。そなたのせいであるぞ。自分のことを自分でできるのが神ぞ。そなたらは「神成る身魂」でござる。一〇〇パーセント神のココロになって初めて修行が完了するのであるぞ。すべてのすべてを形にして教えているのであるから素直に聞いて改心結構ぞ。
P117
 元つ神を無視してやってきたゲームが「病気」や「災害」を創りだしたのぞ。地震や噴火や洪水や台風を天災というのはそなたらの見方であるぞ。そなたらが神の掟を外して創りだしてきたものを神が掃除するのであるぞ。そなたらの天命はミロクの世を創ることであったのぞ。そなたらのしてきたことは元つ大神様の意志とはアベコベであったのぞ。そなたはそなたの身魂の大掃除をすることがそなたの役目であるぞ。今までの常識、思考ではミロク世へは生き返れないのであるぞ。今ここで「あやま知」の常識をキレイさっぱり捨てることぞ。善悪の裁き、真偽の判断、恐れの思考、責任転嫁、責任追及、コントロールのゲームをやめることであるぞ。今までの学や教や金では世紀末は超えられないのぞ。

 古い教えでは天国はこないのぞ。古い教えを裁く者にも天国はないのぞ。何でもかんでもこの方の言う通りにすることであるぞ。今ここがそなたのスタートであるぞ。そなたらが創りだしてきたものを使って掃除をするのであるぞ。批判していたら今ここにいるそなたを批判することになるのぞ。今までの思考では地球の環境はますます破壊されるだけであるぞ。外の掃除はこの方がやるから、そなたは自分の掃除をすすめることぞ。天災というものはないのぞ。そなたらのしてきた結果ぞ。愚痴や苦情を慎めよ。迷惑であるぞ。人のすることに口出ししている暇があったら自分の掃除をしなされよ。愚痴も責任追及もお世話も同じことであるぞ。可哀想な身魂はないぞ。すべてのすべてが自業自得であるぞ。
P118
 取り合いのゲームでは神なる修行はできないのぞ。お互いの足らざるを満たし合って神になる修行をするのであるぞ。正直に行動せよ。正直に表現せよ。自らの掃除だけが自らも人も助けるのであるぞ。血統の関係は手放せよ。家族も他人も関係ないぞ。新しい関係で満たしあって掃除をするのぞ。そなたの人間関係を広げることが鍵ぞ。そなたに悪あれば排除するゲームが続くぞ。そなたに保身あれば近づく人間が限られるぞ。そなたが限るのぞ。そなたは死んでもそなたであるぞ。どんな考えの者もいるぞ。一人になることはないぞ。みんな足りない人間であるぞ。人の足りないものを持っているぞ。足りないものを満たし合って掃除するのであるぞ。そなたが動けばそなたが足りないものを持っている者がいるぞ。そなたが持っているものが足りない者がいるぞ。お互いに提供して欲しいものを手に入れるのであるぞ。交換し合うのであるぞ。誰も傷つかないやり方ぞ。取るのではないぞ。損も得もないのであるぞ。自分も人も満たされるのが神のやり方であるぞ。

 自らと対話することは神と対話することであるぞ。人に頼るから騙されるのであるぞ。すべてはそなたが決めているのぞ。人に聞こうがそなたが決めようが、そなたの責任であるぞ。自分で決めて自分で動けよ。駄目なら別のやり方をせよ。人を責めるのは自分勝手であるぞ。できないことはないぞ。しないだけぞ。この方はすべて許しているぞ。この方がついているから何でもやってみればよいぞ。この方は素直な者には仏であるぞ。仏であるが、自分がしただけの苦しみは辛抱しろよ。そなたがしたことであるから愚痴は認めんぞ。人には責任はないのぞ。そなたが掃除しただけそなたの思うようにしてやるぞ。
P119
 この方は逆らう者には鬼に見えるぞ。そなたが鬼であるぞ。この方はそなたらが見たいように見えるのであるぞ。そなたがこの方に見ているものはすべて自らのことであると自覚せよ。そなたが人に見ているものは自らのことであるとも言えるのぞ。人に言っていることは自らのことであるぞ。人を鏡にして自分の態度を正せよ。そなたが人にするなと言っていることはそなたもするなよ。人にするなと言ってしているぞ。自分勝手をするなと言う自分勝手をしているのぞ。人の気持ちを考えろと言って考えていないぞ。そなたが言ったことを寸分の狂いなくそなたがすることぞ。そうすることがお掃除を進めることになるぞ。この方の仕組みを知らずともお掃除ができるぞ。そなたがそなたをできないようにしているのぞ。人は関係ないぞ。コントロールは迷惑以外の何者でもないのぞ。

 最後の三年間は全員が大掃除をすることになるぞ。老人、子供、障害者、女といえども同じであるぞ。身魂でしただけのことを返してもらうのぞ。形にこだわるでないぞ。どんな状況でもすべてその者が創りだしたものであるぞ。悲惨な状況もその者がしたことの結果であるぞ。すべて自業自得であるぞ。見た目で決めるなよ。どんなことがあっても最後の最後まで頑張ってくだされよ。人のことは心配せずともこの方に任せておけばよいぞ。死んでも頑張ってくだされよ。一人ひとりの修行であるぞ。一人ひとりの身魂相応の試練であるぞ。形は不公平に見えても、その者のしてきたルール違反(真釣り外し、カルマ、メグリ)相応の出来事であるぞ。メグリに平等な苦しみであるぞ。本当の平等であるぞ。
P120
 形の平等はメグリ創るぞ。そなたらの言う平等は「一〇〇〇万円借金した者も借金の無い者も一律五〇〇万円返せ」と言っているのと同じであるぞ。こういうふうに言えばそなたらは「それはおかしい」と気づくであろうが。不平等であると分かるであろうが。形はその者の身魂の借金の結果であるぞ。人に愚痴を言っても、人を責めても駄目であるぞ。可哀想ではないのぞ。助けてやる必要はないのぞ。最後の最後は人のことなどかまっていられなくなるぞ。この方も、このフミも、この者もなくなるのであるぞ。外には頼れなくなるぞ。メグリなければ喜びだけぞ。メグリ掃除すればどんどん善き方に向くぞ。このままいけば地獄になることは見えているぞ。一人でも早く掃除を始めてくれよ。

 自分で自分のことがすべてできるのが神であるぞ。最後の最後の大掃除、「三歳苦難」の阿鼻叫喚の地獄は神を生きているほど楽になるのぞ。掃除終わればどこにいても何をしていても安心していてよいのぞ。防災用品も避難訓練もいらないのであるぞ。今までのやり方は滅びへの道をたどるだけであるぞ。最後の最後にはそなたの身魂がなくなるぞ。そなたの身魂がなければ肉の体はないのぞ。今回は掃除なければどこにも生まれ落ちるところはないのぞ。どこにも逃げるところはないぞ。神々といえども例外ではないのぞ。いつまでも肉の体の保身、モノに執着するゲームをしていると全部なくなってしまうぞ。
P121
 自分が決めたことを人のせいにするなよ。オカシキことであるぞ。自分のしていることに責任をもてよ。元つ神は悪の存在も許しているのぞ。罪悪感などというものはないのぞ。そなたにメグリなければ何もないのぞ。神ゴコロの者はそなたが何をしても文句は言わないのぞ。そなたが神ゴコロならば、罪悪感はないのであるぞ。トラブルも悩みもないのであるぞ。罪悪感はそなたが創っているものであるぞ。文句を言う者に文句を言ったり、文句を言う者の言う通りにするとお互いに滅びるぞ。人の期待も満たす必要はないぞ。人に期待するのはアベコベをやっている証拠であるぞ。人や自分を責めるのは神を責めることであるぞ。そなたの夢を人に託すのは迷惑であるぞ。そなたが人に言っていることは神がそなたに言っていることであるぞ。自分が言っていることとやっていることを一〇〇パーセント一致させよ。神は一〇〇ぞ。九九・九ではないぞ。一点の曇りなくなるまで掃除することがミロクの世へ生き返る条件であるぞ。
P122
 そなたがそなたを曇らせたのぞ。そなたにしかそなたの曇りは祓えないのぞ。人は人、自分は自分ぞ。この方の家来が一人ひとりについて掃除を手伝うから、人の掃除にちょっかい出している暇があったらそなた自身の掃除をすることぞ。人に口出しするのは、この方を疑っているのと同じであるぞ。この方に任せていないのと同じであるぞ。人の掃除を邪魔しているのと同じであるぞ。人の掃除道具を取っているのと同じであるぞ。迷惑であるぞ。人の天国を邪魔しているのであるぞ。自分の天国も邪魔しているのであるぞ。そなたがしたことがすべてそなたに返るのぞ。そなたがどんなに邪魔しようと、世話しようと、そなたとは関係なしに掃除が進むのぞ。そなたも同じであるぞ。人が邪魔しようと世話しようとそなたは関係ないのぞ。こだわっているのは気にしているのはそなたであるぞ。最後の最後は、掃除なきそなただけがサヨナラになるぞ。

 今までの仕組み、悪の仕組みが続くように見えるのは、大掃除の舞台造りであるぞ。そなたが囚われているとそなたも一緒に大掃除されるぞ。人のことより自分のことを心配せよ。外の掃除はこの方に任せよ。このままでは全世界が滅びるから、ミロクが創れないから、この方が響きで表に出てきて大掃除をするのであるぞ。こうなることは始めから分かっていたのぞ。だから、間に合うようにお知らせする仕組みを創ったのであるぞ。最後の最後ですべてを明かし、最後の最後でどんでん返しをするのであるぞ。
P123
 このフミの真偽やこの者の真偽を研究していては間に合わないのぞ。疑いのココロをいれる暇がないように仕組んでいるのであるぞ。今までのやり方は通用しないように創ってあるのぞ。この方の言うとおりにすればよいだけであるぞ。神なる修行は一人ひとりのすることであるぞ。神の心になることだけが自分も人も助かる唯一の道であるぞ。人の掃除にちょっかいを出している暇はないぞ。今度の今度は殺さなならん者はどこまでも追いかけて殺すのぞ。生かさなならん者はどこまでも何があっても守るのぞ。生きて掃除する者と死んで掃除する者とがあるのぞ。死ぬかどうかは関係ないことであるぞ。

肉体の生死や安全は捨てて、すべてこの方に任せて、今ここにあるものを使って掃除に励むことぞ。食べなくても死なないぞ。健康管理を完璧にしても死ぬぞ。一人ひとり違うのぞ。人は関係ないぞ。今までの常識関係ないぞ。生死はこの方に預けよ。人のこともこの方に預けよ。家族も他人もこの方の子であるぞ。形の関係は掃除には邪魔であるぞ。この度は身魂の掃除であるぞ。掃除なき人間に聞いても何も分からないぞ。掃除できなくなるぞ。すべてこの方の言う通りにやってみよ。身魂は一つであるぞ。神の世と人の世は合わせ鏡であるぞ。身魂の掃除相応に思い通りになってくるぞ。人を責めたり、支配したり、脅したりしなくても思い通りに成ってくるぞ。楽しむために苦しめよ。そなたがやったことぞ。自分で自分におとしまえをつけるのぞ。
P124
 すべてを一つに戻す大掃除の仕組みが加速しているのぞ。今までのやり方はもう通用しないばかりか、先に行くほど危なくなるのぞ。宗教も科学も一つであるぞ。このまま争いを続ければすべての魂が滅びるぞ。一〇〇パーセント自分自身に正直に生きる自分勝手だけが、元つ神の真意に従う生き方ぞ。「すべての身魂が助かる唯一の道」であるぞ。自分のことは自分で決めよ。今までの常識は混乱を造りだすだけの破壊への道、地獄への道であるぞ。今ここだけのイノチか、永遠のイノチかどっちか選べと言えば、答えは一つであろうが。永遠の地獄はないぞ。滅びか天国かであるぞ。神の世には悪はないのぞ。今ここも悪はないのぞ。そなたが欲を出すから悪が形になるのぞ。そなたの身欲を引っかけて気づかせるための仕組みであったのぞ。そなたが欲しいものが形になるのぞ。無くそうとするならば、そなたが欲しがるのをやめることであるぞ。今の今も悪の影はないのであるぞ。

 二十一世紀は神の心になった身魂のみが生き残れる嬉し楽しの天国であるぞ。そなたが長い間待ち望んでいた世界であるぞ。そなたは始源の時、この方と共にあったのであるぞ。時来たりて元の神世に戻すのであるぞ。そなたの曇りを早くとれるようにこの方はあらゆる手段を使っていたのであるぞ。悪もって悪祓う仕組みぞ。そなたに悪見せて悪心に気づかせる仕組みであるぞ。悪裁いていては掃除はできないぞ。そなたの見ているものはそなたであるぞ。悪の神がそなたの悪の心を見せるべく、メグリ相応の者を出会わせているのであるぞ。殺す方も殺される方もメグリ会いであるぞ。自業自得であるぞ。
P125
 すべての出会いはお互いの欲しいものを交換しただけであるぞ。殺人も強盗も誘拐も戦争もいじめもすべてのすべてがメグリ会いであるぞ。どっちも悪くないぞ。どっちも正しくないぞ。お互いが自分自身のしたことの結果であるぞ。形の善悪はないのぞ。「そういう見方はよくない。人間じゃない」と言う者、そなたは裁いていることにお気づきか。自分のしていることをわかっているか。メグリなければ、犯罪も苦しみも悩みもないのであるぞ。そなたには何も裁くものはないのであるぞ。裁きたくなるのはメグリある証拠であるぞ。あやま知に囚われているぞ。いい加減に目を覚ませよ。最後の最後で消しゴムで消してしまうぞ。この方が消すのではないぞ。そなたがそなたを消すのぞ。この方は滅びる方法も助かる方法も見せているのぞ。そなたがしたことがそなたの体験になるのぞ。この方が消したというのはそなたが人のせいにしている証拠であるぞ。早く改心しろよ。

 二つに分ける知恵では一つにする神の心にはなれないのぞ。「分かつ知」「我善し」を捨てることが神の世に生きることになるぞ。本当かどうか疑うのは「分かつ知」を持っている証ぞ。損得の「保身」を持っている証拠ぞ。神に反して造りだした形あるものはすべて壊れる仕組みであるぞ。最後の最後は全員が肉体を去ることになるのぞ。仮死の状態にして掃除できた身魂だけを救いあげてミロクの民に致すのであるぞ。今までの学や知や教は綺麗サッパリ捨てて掃除をすることぞ。このフミを黙って読むことが最初の掃除であるぞ。判断が出てきたら捨てろよ。赤子になって出直せよ。今までのそなたのしてきた借金を一気に返す方法を教えているのであるぞ。元つ神でなければできないのぞ。何億の人間がいようとこの方にとっては簡単なことであるぞ。
P126
 すべてのすべてを一気に大掃除するのぞ。借金を滞納すればどうなるか分かっているであろうな。ミロク世は決まっているから、後ろが決まっているから、間に合うように全額返済できるようにしてあるのぞ。苦しいのはそなたの身魂の借金の結果であるぞ。最後の三年は、すべてのメグリを一気に一度で渡すぞ。一括払いをすることになっているのぞ。払い終わるまで楽はないぞ。今なら楽あるぞ。文句をいうなよ。すべてそなたがしたことぞ。今からやれば間に合うぞ。一括払いはきついから今ここから始められるようにしているのでござるぞ。後二年でできるぞ。但し、身魂相応の体験は覚悟いたせよ。
 
 「間に合うはずがない」「もしできなかったら」というのは掃除始めていない証拠であるぞ。そなたらは今まで、マコトを語りし者を抹殺して、この方を無きものにしようとしていたのであるぞ。それが自分のクビをしめることになるとは知らずにやっていたのであるぞ。人を支配しようとしている者は、自分のクビをしめていることに気付けよ。人類を支配しようとしても無駄であるぞ。悪魔も悪神もこの方の手の中にいるのぞ。この方の仕組みをすべて知っているのはこの方だけであるぞ。悪の企み「九分九厘」でグレンと引っ繰り返るのぞ。いつまでも勝てると思っていたら大間違いであるぞ。
P127
 このフミを形にしている者以外すべて掃除が必要であるぞ。自分だけは違うと思うそなたもそうであるぞ。一〇〇パーセント喜びで思いどおりにならなければ掃除必要であるぞ。早く改心するほど楽に掃除できるのぞ。死してもそなたは死なないのぞ。掃除なければ身魂が滅ぶぞ。生も死もなくなるぞ。輪廻転生は終わりであるぞ。最後の転生であるぞ。掃除ない身魂は二度と生ないぞ。そなたの身魂は初めて死んで、初めて生きるのであるぞ。そなたの身魂が生まれて以来初めての死であるぞ。死は変化であるぞ。ミロクの体に変化するのであるぞ。物質の世から半霊半物の世に移るのであるぞ。掃除なければ身魂ないのぞ。永遠のイノチか今ここだけの楽しみか、どちらにするか一人ひとりが決める最後の最後、瀬戸際であるぞ。最後のチャンスであるぞ。生かすも殺すもそなた次第ぞ。

 今までの教はすべて捨てなされ。そなたという身魂の人生、最初で最後の決断をする時であるぞ。自分のことは自分で決めろよ。天国へ行くか滅びるか、一人ひとりの最初で最後の選択であるぞ。もう間違えている暇はないぞ。このフミ読んで今ここで決めろよ。決めたら直ぐに始めろよ。掃除終わるまでさぼるでないぞ。そなたへの最後の最後の警告であるぞ。そなたが掃除始めれば、天国への最後の最後の招待状になるぞ。今度の今度は神も人もすべてのすべて、全員逃れられないから覚悟いたせよ。
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 しただけのことはせなならんが、そなたが素直に従えば、このフミは天国への案内状にもなるのぞ。最後の最後、最初で最後の、二度とこないただ一度の機会であるぞ。そなたのマコトの心、ここを逃しては使うところはないのぞ。すべてを捨てて決死の覚悟でやりなされよ。生きるも死ぬもこの方次第ぞ。そなたは心配することではないぞ。死んでも続くのだから今までの教えは一切使えないのであるぞ。この方の家来が守護するから安心してやりなされ。ここまで言ってやらないならばそなたの身魂はないと思えよ。

 今度の今度はこの方の真意を伝える人間をあらかじめ掃除させて今ここで用意しているぞ。この方が表に出ているから邪魔するものは容赦はせんぞ。今度は、この方の言うとおりにすべて出てくるぞ。ウソだと思うものはもういらんから、最後の人生をお好きなように楽しむがよいぞ。この方に逆らえば天国はないのぞ。今度ばかりはそなたの身を持ってすべて教えてやるから覚悟してかかってこられよ。そなたが素直にこの方の言うことを聞けばミロクが待っているのであるぞ。どうやってもそなたに勝ち目はないのであるから、この方にアタマを下げてこられよ。この方は喜んでそなたを抱くぞ。そなたが待ちに待っていたミロクの世がいよいよ迫ってきているのであるぞ。我を張るのはもうやめにして、この方と共にミロクの世を創ろうではないか。

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P129
 これから語ることはすべてのすべてを創りだすオオモトの元の神の真理であるぞ。これは宗教ではないぞ。哲学でもないぞ。倫理学でも、心理学でも、道徳でもないぞ。そなたという身魂が生まれて初めて聞く真理であるぞ。そなたが今まで見ざる言わざる聞かざるで無視していた神の真理であるぞ。初めて聞くものは議論できないのぞ。このフミをすべて読みおわるまでは、見たものを直ぐに批判したがるそなたの癖を出すでないぞ。そなたの判断の基準はそなたが創ったものであるぞ。神を知っていれば神を体験していれば判断はしないのであるぞ。そなたが神を知らずに創ったものはそなたの自分勝手であるぞ。そなたの我であるぞ。そなたが神を知っていれば判断はできないのぞ。できないと言っているのにまだ判断する者は神の言うことを分かっていないぞ。神を知らない証拠であるぞ。これから、そなたが知りたがっていた、探していた神の真理をすべて聞かすから、今まで学んだ、神を知らぬタワケた教えは無私してすべてを白紙にして素直に聞けよ。そなたがそなたの癖で判断を始めれば、神の真理は永遠に分からなくなるぞ。このフミはすべてのすべてを創った神が語るものであるぞ。このフミを文字にした、この者のただの考え方だと思ったら大きな間違えであるぞ。そこのところをよく心得て読むのぞ。

 今までも、神は、そなたの想念を通して、いつもそなたに語りかけていたのぞ。そなたのココロの声はすべて神の声であるぞ。そなたが、神を知らぬ人間に教わった基準で神の声を批判して、分けて、今までの人間のゲームで都合の善いものだけを選んで、行動していたのぞ。そなたが直感とかヒラメキとか何だか分からないけど聞こえる声とか言っていたものが神の声であるぞ。人間に都合の悪いものの中に神の答えがあるぞ。そなたは神を知らずに神を創っていたのぞ。そなたが、あやま知にとらわれた人間が創りだしたタワケた宗教に騙されて、神の声を無視していたから、そなたは無私になったのぞ。神が見えなくなったのぞ。そなたが神の声を無私していたから、騙されることになったのぞ。この真理を無私していたから自分が分からなくなったのぞ。自分が何者なのか分からなくなったのぞ。自分がここで何をしているか分からなくなったのぞ。自分とは何者か、などという哲学なるものを創りだして、ますます分からなくなっていったのぞ。
P130
 そなたの疑問は神に聞けばすべて解結するのぞ。神に聞くとは、神の言う通りに生きることぞ。神の言うことを分かっただけではだめであるぞ。神にお祈りだけしてもだめであるぞ。神の言うことを行動して、初めて神の声を聞いたことになるのぞ。神を信頼したことになるのぞ。神を信じたことになるのぞ。神の言うことが分かったと言うならば、言ったとおりにやれよ。神は信頼と引換えにそなたに教えるのぞ。神の言う通りに生きていれば、そなたに疑問はないのぞ。わからないことはないのぞ。分かろうとするのは神を生きていない証拠であるぞ。神は体験を通して一つ一つ教えるのぞ。神の言った通りにやってみればすべて分かるのであるぞ。神の言った通りにやっていれば何の悩みもないのぞ。
P131
 この者は、神の言う通りに生きたから、神の想念をそのまま文字にすることができるのぞ。このフミは、この者の考え方ではないが、この者の考え方であるとも言えるのぞ。神の生き方をマスターした者であるぞ。神の生き方をマスターした者のモデルであるぞ。神の言う通りに生きていない者には、このフミは書けんのぞ。神が言うことを信じられないからであるぞ。神を生きていない者には神が文字にさせないからであるぞ。このフミを書いていることが、神の生き方をマスターした証拠であるぞ。このフミを書いていることが神を生きている証拠であるぞ。このフミに書いてあることは神の真理である証拠ぞ。神を知らぬそなたにこのフミが書けるかどうか考えてみよ。そなたがこのフミを批判するならばそなたにはこのフミは書けないのぞ。そなたは神を知らないのであるぞ。神を知らないそなたに神を批判することはできないのぞ。神を知らぬ人間が神を批判するとはどういうことであるのか。この神を批判すればそなた自身を批判することになるのぞ。この道理が分からなければ、そなたは永遠に自由になることはできないのぞ。

 この者に聞けば神の生き方についてすべて分かるぞ。生き方は分かるが神は分からないのぞ。神を知ろうとするのは神を分からなくするのと同じであるぞ。神とは何かなどというタワケタ問いはもうやめることぞ。神の言う通りに生きていれば神を知らなくてもそなたの思いはすべて叶うのぞ。今は神を無私しているから直ぐには叶わないが、神を生きるようになればだんだんと想いが叶うようになるのぞ。神の言う通りに生きているということは、想念が神と同じになったということであるぞ。神ではないが、神と同じであるぞ。神がそなたの注文を聞くから、そなたの言う通りになるのぞ。この者はモデルであるぞ。この者を見れば神の生き方が分かるようにしてあるぞ。この者は神のサンプルであるが、この者は自由であるぞ。そなたもそなたの想念を通して神と語ることができるのぞ。そなたも神を生きればこのフミに書いてあることが真理であると分かるのぞ。真理であることが分かってから生きることはできないぞ。神は体験であるぞ。神は行動であるぞ。
P132
 そなたが創ったものでない人間についてそなたがいくら考えても答えはでないのぞ。この神を知らぬ人間に聞いても答えはでないのぞ。ましてや、神を知ろうとしても無駄なことであるぞ。この方の話を無私して答えを出そうとしても無駄な抵抗であるぞ。神を知らないからこの方の語ることについて議論になっているのぞ。答えはこの方しか知らないのぞ。そなたが神を知りたいならば、そなたのココロの声を素直にすべて聞くことであるぞ。聞いたことを実行することであるぞ。それがこの方の仕組みを知る唯一の手だてであるぞ。そなたの外には神はいないのぞ。そなたの外には神を教えてくれる宗教はないのぞ。この方のことを教えられる者はいないのぞ。この方のことを教えられるものはいないが、この方のやり方を語れる者はいるのであるぞ。
P133
 この方は、この方の言う通りに生きて、初めて分かる神であるぞ。いかにして神と対話するかということは教えられる人間はいるが、神そのものを教えられる者はいないのぞ。この方は一人ひとりと対話するのぞ。この方は一人ひとりに分かる神であるぞ。この方のことを教えているつもりになっている者は、いい加減に目を覚ませよ。この方はそなたのやり方を頼んだ覚えはないぞ。そなたのやり方ではこの方は教えられんのぞ。そなたのやり方ではこの方は見えないのぞ。外の神を信じるゲームではこの方の声は聞けないぞ。この方を体験することはできないのぞ。そなたはこの方を無私する方法を教えているのぞ。そなたは混乱や悩みを創る方法を教えているのぞ。そなたは戦いに勝つ方法(人を負かして勝つ方法)を教えているのぞ。神には戦いはないぞ。神のやり方はすべての者が勝つのぞ。この神を知らずに、これから起きる「大変」を超えることはできないぞ。今のうちにこの神と対話できるようになっておけよ。

 そなたは、自分ができないのを何かのせいだと思っているが、それはそなたの自分勝手な考えであるぞ。そなたは、不満や文句を言ったり、神や人や社会や自分以外のものを責めたりしているが、それはとんだ見当違いであるぞ。そなたは今までの学問や教えに騙されているのぞ。神を知らない人間の創りだした学問や教えを信じても神を知ることはできないぞ。神を知ることができないということは、喜びもないということであるぞ。喜びしかない神の教えに争いや悩みがあるのはオカシキことではないか。こんな簡単な道理、なぜに気づかんのか。そなたが信じているのは神の教えではないのぞ。そなたは自由にならないやり方を信じているのぞ。自由にならないやり方を教えているのぞ。早く気づかんと、取り返しがつかんようになるのぞ。この方の言うことを聞くことだけが、そなたが自由になり、人が自由になり、自分も人も次の世で生き返ることができる唯一の方法であるぞ。
P134
 そなたがこの神を無私していたから、そなたは何もできなくなったのぞ。思い通りにならなくなったのぞ。そなたが神を知らぬ学や教にとらわれて神の子であることを忘れ、親の存在を忘れたから何が何だか分からなくなったのぞ。そなたが元の元の神のいることを忘れ去ってしまったから不自由、不平等、不博愛、不幸せな、矛盾や疑問や問題ばかりの世になってしまったのぞ。そなたは、先祖供養は大切だというが、血統の先祖の行き着く先はすべてのすべてを創った元の神であるぞ。そなたは、家系の先祖を祀って、この元の神を祀るのを忘れているぞ。この方を無私しているぞ。この元の神がなければ、この世のものは何もないのぞ。そなたもそなたの回りもすべてないのぞ。そなたも回りもすべてのすべてがこの方が創ったものであることを忘れるでないぞ。これを忘れては、自由も平等も平和も幸福も豊かさも永遠にないのぞ。今までのゲームはもう終わりであるぞ。

 そなたは、そなたができないと言うから、できなかったのであるぞ。ありえないと言うから、ありえなかったのであるぞ。そなたが善悪を持っているから、善悪が見えるのぞ。そなたがそなたの内で戦っているから、外の者同士で戦うことになったのぞ。すべてそなたがしたいようになっているぞ。そなたが神を無私しているから喜びでないものがあるのぞ。この方が創った法則は、皆が喜びに生きられるやり方であるぞ。そなたの言う通りにそなたの体験を創りだす法則であるぞ。そなたがこの方の法則に違反したら、そなたに不都合や不調和を体験させて、元に戻す仕組みも創ってあるのぞ。すべての人間が喜びに生きてもらいたいという親ゴコロであるぞ。そなたの苦しみや問題はそなたが神の声を無私しているお知らせであるぞ。そなたの今までのすべての体験も、この方の法則に従ったものであるぞ。そなたがこの神の法則を無私したから、この神の法則に従って無私していることを知るために、苦しみを体験しているのであるぞ。
P135
 そなたの体験することは、すべてそなたのしたいようになっているのぞ。そなたがしたいことをすべて体験しているのぞ。そなたができるわけがないと言うとずっとできないのぞ。そなたが外のせいにするのは神の法則違反であるぞ。だから、不都合や不調和を体験しているのぞ。そなたがそれを外のせいにする限り、そなたは不調和を創りだそうとしているのと同じであるぞ。そなたは不調和を創って平気な顔をしているぞ。いつまで外のせいにし続けるおつもりか。この先は、神の法則違反をいている者にはビシビシ知らせていくぞ。神の声を聞いているものにはお陰をどんどんやるぞ。今までと同じであると思ったら、大きな間違えであるぞ。この方が言ったことはすべてその通りになるぞ。取り返しがつかなくならないうちにこの方の言う通りに生きはじめることぞ。この方はすべて教えているのぞ。知らないとは言わせないぞ。後になって気づいてもこの方はもう知らんぞ。
P136
 そなたは、神の法則を無私して、神を知らぬ人間の法則に従っていたから悩みを創りだしたのぞ。そなた自身が悩みを創りだしたのぞ。自分で創っておいて神に頼っているぞ。自分でしたことを人の責任にしているぞ。そなたが頼っている神は人間が創った神であるぞ。そなたの創りだした神はそなたの外にいるのぞ。外の神では悩みはなくならんのぞ。そなたの創った神はそなたの外にいるぞ。本当はそなたと神は一体であるぞ。神が外にあるという宗教、外を信じろという宗教はすべてウソであるぞ。そなたは、そなたの外に神を創りだして悩んでいたのぞ。そなたの外にいる神とそなたの境はどこにあるのぞ。そなたは自分で創った悩みを外の責任にするから悩みがいつまでも消えんのであるぞ。そなたが神を創ったのなら、そなたが神の神であるぞ。そなたは神であるのに、なぜに不満や文句を言うのか。神は何でもできるのであるぞ。神には悩みはないのぞ。そなたが神の子であるからそなたは悩みでも喜びでも創れるのぞ。神がそなたのお望み通りのものを与えるからぞ。外にある神を信じれば悩みがなくなるなどということはないのであるぞ。内と外を分けていてなぜに一つになるのぞ。悩みは分けているからあるものであるぞ。

 神は歓喜弥栄であるぞ。神には喜びしかないのぞ。神は一〇〇パーセント喜びであるぞ。一時の喜びではないぞ。全部喜びにならないと神ではないのぞ。現世利益を求めるのは構わないが、神の言うとおり生きればすべて望みが叶うようになるのぞ。神を生きれば、御利益がすべて叶うから御利益を求めることはないのぞ。そなたが何かを求めている時、そなたは神の生き方していないのぞ。そなたの望みが叶っていないから求めることになるのぞ。そなたの欲しいものを外に探しても何も叶わないのぞ。そなたの内にすべての鍵があるのぞ。そなたの内にあるものが外に見えているのぞ。そなたの外に見えているものはそなたの内にあるものであるぞ。そなたの内を変えなければ、外に見えるものは変わらないのぞ。そなたの姿があるかぎり、鏡を割っても何回でもそなたが映るのと同じであるぞ。外の鏡を割っても何も消えないのぞ。そなたの姿を変えれば、映るものが変わるのぞ。
P137
 そなたは自分の想念を肉体を使って感じているだけであるぞ。そなたのココロの対話はすべて想念の世界であるぞ。そなたが見ているものは形はないのぞ。そなたは未来か過去か仮定の話か人の話か自分で勝手に決めた話をしているのぞ。新しい世界は神の世であるぞ。そなたのココロが神のココロにならなければそなたはいることができないのぞ。次の世界の肉体は神のココロでないと入れないのであるぞ。そなたにこれから必要なのは神のココロになる修行をすることであるぞ。そなたはそなたが見ているものを使ってそなたの中の○×を見つけて消していくのぞ。そなたが○×をやめれば神がそれに応じてお望み通りのものを見せるのぞ。そなたはそなたの中の○×をなくしていくのが役目であるぞ。
P138
 いつまでも人を批判するのはよいが自分が神ココロにならなければ何をしても駄目であるぞ。お金でも学でも知でも財産でもだめぞ。今回の大掃除は誰一人として避けることはできないのぞ。どこにも逃げるところはないのぞ。肉体で助かろうとすると助からないぞ。人の邪魔をするとそなたが危ないぞ。神ゴコロになることだけがそなたが助かる道ぞ。世紀末に何が起きるか知っても意味ないぞ。そなたが神ゴコロになれば、何が起きても大丈夫であるぞ。そなたの肉体は、そのままでも、神ゴコロになっても、どっちにしても一旦お召し上げ(肉体を脱ぐ=死ぬこと)ぞ。そなたが神ゴコロになっていれば、次の世界に生き返ることができるのぞ。神ゴコロでなければ、死んだあとも修行は続くのであるぞ。死んでからの魂での修行はきついぞ。肉体あるうちに魂の掃除をしてしまうことぞ。

 そなたがアレコレ心配しているのは物質世界の大変であるぞ。そなたは肉体が無くなることを心配しているぞ。そなたは肉体ではないのぞ。そなたの本質は魂であるぞ。肉体が無くなっても魂は残るのぞ。魂は物質世界のどんな危険も毒もまったく関係ないのぞ。そなたの魂が神ゴコロであれば、噴火も地震も放射能も肉体がバラバラになっても関係ないぞ。そなたの魂は新しい肉体を得るぞ。そなたの心配している死は関係ないぞ。そなたが今までの死を避けようとしていると魂がアウトになるぞ。魂の掃除あれば、肉体で何が起きても関係ないぞ。何も怖くないぞ。肉体去っても神ゴコロならばOKであるぞ。食べるもの無くなっても毒食べても関係ないぞ。そなたが神ゴコロになることだけが必要なことであるぞ。神の最後の一厘であるぞ。そなたが嵌まっているトリックであるぞ。
P139
 そなたが学んだ今までの教えとはアベコベであるぞ。この道理分からねば、そなただけがアウトぞ。だれが助かるかは外からみてもわからんぞ。このフミはこのことを教えるための最後のフミであるぞ。これが最後の本当の真実であるぞ。人を頼る教や人を助けようとする教や争っている教についていくとアウトであるぞ。何が起きるか知れば知るほどそなたは危ないのぞ。これは真実であるぞ。これが真実かどうかと判断するのは嵌まっている証拠であるぞ。神の知識をいくら持っていても、目くそ鼻くそであるぞ。学や知や教や金では今回の大掃除は超えられないのであるぞ。そなたが自分がどうなるか心配しているとそなたが心配していることが起きるのぞ。心配するほど心配することになるぞ。

 そなたは神の子であるぞ。そなたの魂は神の分身であるぞ。そなたには本来喜びしかないのぞ。そなたが悩むのはそなたが喜びを創る神の声を拒否しているからぞ。神に病気直しや予言はいらないぞ。神に病気はないのぞ。病気はキの病であるぞ。神のキを疑っているから肉体に出てくるのぞ。そなたは神の声と人間の声とどちらを選ぶかというゲームをやって、葛藤を創りだしているのぞ。神には損得はないぞ。善悪もないぞ。神の声はすべての人間がうまくいくようにする方法を語っているのぞ。自分だけうまくいくようにしようとするから損得や善悪でものごとを分けて見ることになるのぞ。そなたの死は神にしかコントロールできないのぞ。そなたは自分に起きていることの真実を何も知らないのぞ。原因を知らないで勝手に原因を創って勝手に治そうとしているのぞ。
P140
 神には自分の未来がすべて分かるのぞ。何でもできるから自分の思いどおりの未来があるのぞ。自分の想いがすべて叶うから未来というものはないのぞ。期待もないのぞ。忍耐もないのぞ。起きることすべてが思いどおりのことであるから今この瞬間以外ないのぞ。過去も未来も後悔も心配もないのぞ。あるなら神でないぞ。そなたに悩みがあるならば、そなたは神の生き方をしていないぞ。神の生き方をマスターしていないぞ。そなたが神の言う通りにすれば、今ここでも神の体験ができるのぞ。そなたが神の言うとおりにしていれば神の仕組みや神の世界を知ることができるのぞ。知識ではないぞ。体験であるぞ。

 これから語ることは、そなたの体験やそなたの目の前のもの、すべてのすべてを創りだす神の真理であるぞ。そなたの誤解や、あやま知や、問題や、悩みや、苦しみや、戦争や、平和や、喜びや、幸福や、豊かさや、病気や、怪我や、事故や、不満や、文句や、すべてのすべてを創りだすことのできる、神の法則であるぞ。神は全能であるぞ。何でもできるから、すべてのすべてを創りだす法則を創ることができるのであるぞ。そなたは、喜びでも悲しみでも、何でも好きなものを創ることができるのぞ。そなたが創るのではないぞ。神が、そなたの想念(想い、ココロの声)を通して、そなたの注文を聞いて、神の創った道具(資源)を操作して、そなたのしたいように体験させてやっているのであるぞ。
P141
 そなたのしたことに、そなたがやったことというものはないのぞ。人間がしたことは、すべて神が人間を通して形にしていることであるぞ。人間の言葉も、人間の行動も、神が人間を通して形にしていることであるぞ。人間の歴史はすべて神が人間を通して創りだしてきたものであるぞ。自分たちがやってきたなどと勘違いするでないぞ。そなたが戦っているから神が外に戦いを見せるのであるぞ。外に戦いが見えるのは、そなたが戦っているからであるぞ。戦争があるのは、そなたが内なる戦争をやっているからであるぞ。どんなに戦争をなくす方法を話し合っても、この方のことを知らなければ答えはないのぞ。

 そなたが許せば神はそなたに語りかけるのであるぞ。神はそなたがしたいようにするから、そなたが許さなければ神は何も語らないのであるぞ。この方はいつもそなたに話しかけているのぞ。そなたが聞かなければ聞こえないのであるぞ。そなたは神の言葉を判断しているぞ。そなたは神の言葉を拒否しているのぞ。喜び創る声を拒否したら喜びないのが当たり前ぞ。当たり前ではなく、そなたが当たり前にしてしまったのであるぞ。今そなたらが体験している問題を解結するのも、神であるぞ。解結できるのは神のやり方だけであるぞ。今までの人間のココロを出すとますます混乱するぞ。神を知らない人間がいくら話し合っても混乱を創るだけであるぞ。今までは、すべて神が許していたからできたことであるぞ。物質文明も、情報化社会も、国際化社会も、戦争もすべて神が許していたからできたことであるぞ。今までも、人間の歴史は神の言う通りになっているのぞ。これからは、神のルール通りにビシビシ出していくぞ。神のルールをビシビシ適用するぞ。
P142
 そなたらは、平気で人を裁いているが、それは神がもっとも嫌うことであるぞ。神は一度たりとも裁いたことはないのぞ。そなたらが勝手に、罪や裁きを創ったのであるぞ。神が許していたからできたことであることにお気づきあれよ。人の行動や言葉は神の想念が形になったものであるぞ。人の言葉、人の行動、自分の言葉、自分の行動を裁くのは、神を裁くのと同じであるぞ。そなたが裁いている限り、そなたの思い通りにはならんのぞ。そなたが裁けばそなたも裁かれるのぞ。自分が自分を裁くのであるぞ。神を裁いていて神のココロになれると思っていなさるのか。神を無きものにしてこの先の天国あると思うなよ。自覚無きとはいえ、いい加減に目を覚まされよ。

 この方は、そなたやそなたが言う神々を含めた、すべての宇宙、すべてのすべてを産み生んだ、元の元のオオモトの元つ神であるぞ。この方のことを知ろうとしても無駄な抵抗であるぞ。この方はそなたよりも大きいのぞ。そなたはこの方の法則のはたらきを知ることができるだけであるぞ。神とは何ぞや、という宗教は永遠に答えはでないぞ。答えのでない問い掛けをいつまで続けるおつもりか。そなたの外を見ても探しても答えはないぞ。そなたの内を見なければ、この方は見えないのぞ。この方のことは何も分からないのぞ。この方が見えなければ、自分も見えないのぞ。自分自身が見えないで、この方を、元つ神を見ようというのは無理なことであるぞ。いい加減に目を覚ませよ。
P143
 このフミは、この方が創ったものについてのことを、創った張本人が、自ら語るのであるぞ。そなたも宇宙も神々も分からないことをキレイサッパリ全部教えるのであるぞ。こんな確かなことはないであろうが。こんな願ってもないことはないであろうが。このフミを伝えているこの者(=著者)はこの方が、そなたらが自動書記と言っている方法でノートに伝えて、一つ一つ実験させて、試行錯誤させて、苦労辛抱しながら気づいていったのであるぞ。そなたはそれを全部教えてもらえるのぞ。そなたは理科の実験の如く、人間を通して実証されている仮説を追実験するだけでよいのぞ。結果は決まっているのぞ。

 神のやり方は絶対であるぞ。こんな楽なことはないではないか。楽に見えるが楽ではないぞ。この者がしただけの苦労を短期間でするのであるから覚悟いたせよ。そなたが今まで楽をしようとしていた分だけそなたは苦労することになるぞ。苦労することになるが、神の苦労は必ず報われるのであるぞ。人間にさせられる苦労とまぜこぜにするでないぞ。神は騙す必要はないのぞ。神はウソをつく必要はないのぞ。神は何でも好きなだけ与えることができるのぞ。そなたが提案した分だけキッチリと与えるのであるぞ。このことについては、後々に、しつこくしつこくいやというほど語るから、シッカリとココロして聞くのぞ。いい加減な気持ちで聞いていると、最後の最後で取り返しがつかなくなるから、そのつもりでハラを据えて修行に取り組めよ。
P144
 騙されていると思う者も、今度だけは、最後まで聞くのぞ。そなたはフミを読んでいるのではあるが、そなたのココロの声を聞いているのでもあるぞ。そなたが読むという時はココロの中の声を聞いているのであるぞ。このフミは、人を騙そうとか、自分だけ得しようとか思っている人間が語っているのとは違うのぞ。この方は、そなたの身魂を生んだ神であるぞ。この方は、きついことをたくさん言うぞ。しつこくしつこく何回も何回も同じようなことを言うぞ。それは、今ここで、この方の言うことを素直に聞かねば、そなたの身魂が栄えるか滅びるかの瀬戸際であるからぞ。身魂が滅びれば、肉体の死どころの話ではないのぞ。こらえにこらえて最後まで聞くのだぞ。これが本当の勉強、本当の修行であるぞ。悟りというのは神のやり方と人間のやり方の差を取ることぞ。瞑想は悟りを得る手段ではないぞ。神のやり方を実践して初めて差が取れるのぞ。差取れるのぞ。神のやり方を実際に行動することだけが悟りの道であるぞ。今までの教にとらわれるでないぞ。
P145
 そなたの人生が、そなたの思い通りにならないのは、そなたが神ではないからぞ。神はすべて自分でできるのぞ。人の責任にすることはないのぞ。すべて思いどおりになるから人の責任にする必要はないのぞ。人の責任にするのは、神ではない証拠であるぞ。そなたは、今は「神成る修行の身魂」であるぞ。新しい世で神に成るための修行をしている魂であるぞ。今は、この方とこの方の家来の神々がいなくては、何もできないのぞ。そなたの修行を神々が手伝っているのであるぞ。神に損得はないぞ。神は永遠無限であるぞ。いくらでも、何でも、創りだせるのぞ。騙す必要はないぞ。出し惜しみもしないぞ。そなたが必要なものは何でも与えることができるのぞ。そなたは神の言うことを聞いて素直にハイハイと言ってやれば楽に修行ができるのぞ。欲しいものが楽に手に入るのであるぞ。神の言うことを聞かないから、欲しくないものという欲しいものが楽に手に入っているのぞ。神の言うことを聞かなければ欲しくないものが簡単に手に入るのであるぞ。

 そなたの回りにあるものは、そなたも含めて、すべてこの方が創ったものであるぞ。この方が創ったオオモトの資源を人間を通して組み合わせたり分解したりして創りだしたものであるぞ。すべてがすべて神のものであるぞ。神が自由自在に操作できるのであるぞ。人間からみたら奇跡や偶然に見えるのは、そなたがこの方のことを忘れてしまっているからであるぞ。この方は、騙したり、約束違反をしたり、出し惜しみしたりはしないのぞ。この方は無限の手札をもっているのぞ。あやま知にとらわれたゲームをしている人間とは違うのぞ。そなたは自分が何をしているのか何も知らないのぞ。このフミをよく読んで、神の言うことをよく聞いて、早う目を覚ませよ。
P146
 この方が偉そうにしていると思う者、この方は威張っているのではないぞ。この方はそなたを生んだ神であるぞ。すべての仕組みを創った神であるぞ。そなたの親であるぞ。そなたのことは一から十まで知っているのぞ。そなたの身魂のしてきたことをすべて知っているのぞ。そなたの-も+も見えるのぞ。そなたの知らないことも全部知っているのぞ。そなたの未来も知っているのぞ。そなたが天国になる方法も知っているのぞ。この方の言うことを聞けば、何でも与えるのであるぞ。そなたが身魂の掃除を終われば、そなたは歓喜弥栄なのぞ。この方の言うことを聞いたら、喜びだけであるぞ。疑うのは、この方の言うことを聞いていない証拠であるぞ。この方の言うことを聞くといっても、人間の言う家来や奴隷になると考えるなよ。神の奴隷になれば歓喜弥栄なのぞ。そなたが思い通りにならなかったのは、この方の言うことを無視していたからであるぞ。そなたの苦しみや問題や悩みは、この方のやり方を無視しているお知らせであるぞ。お知らせをさらに無視して、人のせい、神のせいにするからますますお知らせがきつくなるのであるぞ。そなたがこのことを認めない限り、そなたはどんどん地獄に落ちるだけであるぞ。
P147
 この先は、神の規則通りにビシビシと出していくぞ。そなたが助かる方法は、神のルールを学んで、今までのルールと入れ換えて行動することだけぞ。そなたから見れば怖いことであるぞ。危ないことであるぞ。神から見ればそなたの方が危険であるぞ。そなたが身魂の、宗教の入替えをすることがそなたが助かる道ぞ。そなたが神の道を自分で歩き出すことぞ。これを身魂の掃除というぞ。そなたの身魂の掃除が済めば、外で起きることは何も関係なくなるのであるぞ。外に何が起きるか考えていると危険なのであるぞ。外で起きることを考えなくなるのが安全になる道であるぞ。これは今までの宗教で考えていてもわからんのであるぞ。そなたがやらなければ絶対に分からないのであるぞ。やらないで知ろうというのは甘い考えであるぞ。人生は甘くないのであるぞ。欲しいならば先に提供することぞ。神を信頼せよ。騙されるかどうかを心配するのはそなたの自分勝手であるぞ。

 身魂の掃除をすればそなたは自由になるぞ。喜びになるぞ。身魂の掃除とは、善悪、正誤、苦楽に分けて考える分かつ知をやめて行動することぞ。この方の言う通りに素直に行動することぞ。この方の宗教を信じることぞ。信じることとは行動することぞ。わかったら一言一句違わず行動することぞ。わかったフリは、この方には一切通用せんぞ。タテマエは人間のゲームの中で身を守るゲームであるぞ。お互いにタテマエと知っていてタテマエのゲームをやって苦しんでいるのぞ。神なる修行とは、神の生き方を今ここで実践することであるぞ。できないというのはこの方の言うことを聞いていない証拠であるぞ。
P148
 この神の言うことを素直に聞いていれば、そなたはもともと、何の苦しみも悲しみもないのであるぞ。苦はこの方のやり方から外れていることを教えているお知らせであるぞ。苦あるのはそなたの神のルール違反の証拠であるぞ。喜びを創る神のルールを拒否しているから教えているのであるぞ。苦あるのは当たり前ではないのぞ。本来は苦ないのが当たり前であるぞ。苦あるのが当たり前だと言う者、この方の言うことを聞いてないぞ。この方の言うこととアベコベをやっているのぞ。この方の家来になれば喜びであるぞ。この方の家来になることが喜び、自由になる唯一の道であるぞ。この方に抵抗することが、苦しみ、不自由になる唯一の道であるぞ。今のそなたの姿であるぞ。素直が一番ぞ。人に素直ではなく、神に素直になれよ。すべてアベコベであると思って行動せよ。

 神に素直になるということは、自分に素直になるということぞ。神はそなたの想念に入って語っているぞ。そなたの想念に同調するのぞ。そなたの想念にいつも語りかけているのぞ。そなたが神を無私すれば神は何も言わないのぞ。何も教えないのぞ。そなたから神に近づかなければ何も聞こえないのぞ。何も聞かなければ何もこないのぞ。神の声を聞いただけではだめであるぞ。聞いたものを実行して、初めて神は教えるのぞ。体験を通して教えるのぞ。学や知ではだめであるぞ。信頼と引換えであるぞ。そなたが信頼した分量だけ忠実に与えるぞ。そなたが疑っている分量だけ忠実に与えないぞ。そなたが疑っていると気づくようなものを与えるぞ。与えないで与えるのぞ。この方の言うことを聞けば、そなたは何でも得られるのぞ。人や社会は関係ないぞ。神の制限の中で人間の永遠の自由が得られるのであるぞ。人間から見ると矛盾して見えるが、これが真理であるぞ。この方の言うこと聞くと自由になるのぞ。この道理分かるか。
P149
 この方の申すことを信じるか信じないかはそなたの自由であるが、そなたの身魂はこの方が産んだものであることを心得てこのフミを読めよ。そなたが神がいるとかいないとか言えるのも、そなたの身魂をこの神が産み生んだからであるぞ。そなたはどうあがいても抵抗しても、この方の中からは出られないのであるぞ。疑う者は、こころゆくまでこの方から出ることを試みよ。そなたが抵抗するほどそなたが苦しむだけであるぞ。人は苦しみを解結できないぞ。そなたが人の苦しみを解結することもできないぞ。そなたは、この方の創った「神の法則」の中でそなたのお望みのゲームをやっているだけなのであるぞ。

 そなたら人間は、次の世では「神」と成る身魂であるぞ。本当のヒトになる身魂であるぞ。一十(ヒト)になるのぞ。今はヒトになる間であるぞ。神に成る修行をしているのぞ。神に成れば全部自分でできるのであるぞ。神なる修行の身では、神の助けが必要であるぞ。そなたは自分が正しいなどとは言えないのであるぞ。自分がやったとは言えないのであるぞ。そなたがしたいことを神が手伝うのぞ。そなたが見ているものはすべて神の作品であるぞ。神が自由に操れるのであるぞ。そなた以外の人間も想念に指示して動かすこともできるのぞ。自分勝手だと言うのはそなたが自分勝手であるぞ。そなたは自分で何かしたと思い込んでいるだけぞ。人のことを言う前に自分のしていることを見ることぞ。
P150
 神なる修行の身であるそなたらは、神の法則を外すことはできないのであるぞ。神の法則は喜び創る、天国創る法則であるぞ。神の法則を外すのは不調和を創りだすことであるぞ。地獄を創る方法であるぞ。不調和創りだしている者、全部、神のルールに違反しているのぞ。人のこと言えないのぞ。人を裁いている場合ではないのぞ。自分はルール違反していないなどとタワケたことを言うでないぞ。自分は善人だ、自分は正しい、などと言うでないぞ。善悪、正誤で裁いている者は、ルール違反であるぞ。神は身魂を見るのぞ。身魂のルールであるぞ。迷惑だと言う者、そなたが迷惑であるぞ。そなたが自分勝手であるぞ。そなたは、肉体のゲーム、目に見える世界だけの損得、善悪のルールを決めてゲームをしているだけであるぞ。そなたがすべきことは、身魂のルールに従うことであるぞ。モノの損得など言っている場合ではないのぞ。身魂のルールを思い出せよ。この方が、このフミですべて教えるから、ここでシッカリとショウネを据えて勉強しろよ。

 神は喜びであるぞ。神は永遠に喜びであるぞ。喜びしかない神が創るもの、すべて喜びであるぞ。神の法則も喜びを創るものであるぞ。簡単な道理ではないか。そなたは苦しみを神のせいにするが、そなたの苦しみは、そなたが神の法則を外しているのをお知らせするために神が与えているのであるぞ。「苦」「不都合」「不調和」は、そなたが神の法則を外している証拠であるぞ。自分のしたことを神の責任にするなよ。ますます外すぞ。そなたが神の法則を外したのを気づかせるために、本来ない「苦」を与える仕組みを創ったのであるぞ。神の法則を外せば、そなたの身魂は滅びるのであるぞ。なくなるのであるぞ。そなたは文句言えないのであるぞ。誰が決めたのかなどと言えないのであるぞ。本来ならば自分のしたことは自分の責任であるから、神なる身の自覚がないから、ほっといて滅びる体験をさせてもよいのであるが、素晴らしい次の世を一人でも多くに体験させてやりたいという、親心であるぞ。神の情けであるぞ。神の大サービスであるぞ。
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 この方は響きで表に出ているぞ。波動といってもよいぞ。振動数が違うといってもよいぞ。すべてのすべてを創りだす振動であるといってもよいぞ。そなたが今まで創っていた神とは違うのぞ。神はそなたの中にいるといってもよいぞ。神が放送局でそなたが受信機であるといってもよいぞ。そなたがチャンネルを合わせないと神は見えないのであるぞ。そなたには神の形は見えないから隠り身であるが、そなたの想念を通して語りかけるからココロして聞くことであるぞ。そなたのココロの声にこの方の言葉があるのぞ。ココロを判断しているとこの方の語る真理を聞くことはできないのぞ。そなたの価値判断を一切やめることが真理を知るための第一歩であるぞ。これをこの方はお掃除と言っているのぞ。どっちがどうか、と比べる分かつ知をやめることがお掃除であるぞ。比べるから分かれるのであるぞ。楽を見るから苦を見ることになるのぞ。善いも悪いも神にはないのぞ。そなたらが悪と言っているものも神が許してそこにあるものぞ。そなたは悪を裁いているぞ。そなたが悪を悪ということが悪であるぞ。これは大事なことだからよく覚えておけよ。
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 人間というのは、この方が産み生んだ身魂が肉体という衣を着たものであるぞ。そなたは身魂であるぞ。肉体ではないぞ。身魂が肉体を通して感じているのであるぞ。そなたの想念がそなた自身であるぞ。そなたの想念と神の想念が語っているのであるぞ。そなたの想念を神が聞いて、神の創ったモノを操作して、そなたの希望通りのものをそなたに与えているのであるぞ。そなたが何かしているのではないぞ。そなたの想念を神が形にしているのであるぞ。そなたの目の前にあるものはモトモトは神の響きであるぞ。そこにある形はすべて神が創ったものであるぞ。そなたが生まれる前からあったものがそなたら人間を通して形になったものであるぞ。そなたは借り物を自分の物にしているぞ。そなたから見れば自分がしているように見えるのぞ。そなたがしたいことを神が形にするのぞ。そなたがしたくないならばしたくないと感じることを形にするのぞ。

 そなたが今まで創りだしてきたものは、すべて幻想であるぞ。神のルールを無視して創りだしているから「問題」や「悩み」や「争い」が絶えないのであるぞ。この方は、歓喜弥栄、天国を創るのが望みであるぞ。イヨイヨ(5454)最後の最後、そなたらが創りだしたアベコベの形をすべて清算して、末代動かない神の世を創る地ならしを始める時節になりたぞよ。外の清め、人間(わが子)のしりぬぐいは神がやるから、そなたらは自分自身の大掃除だけに専念することぞ。神は総出で手伝うぞ。この後に及んで、まだ掃除をせんという神なる身魂の自覚なき者は、容赦はせんから覚悟いたせよ。そなたは不調和をまき散らしているのぞ。これは天国を創るための避けられんプロセスなのであるぞ。
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 すべてのすべての始めは「元つ神」であるぞ。すべてのすべては「元つ神」であるこの方が自らの内に産み生んだものであるぞ。そなたらも、中の神々も、宇宙も、すべてこの方の中であるぞ。元つ神であるこの方をそなたらの外に創りだすことはできないのぞ。そなたらが神と言っているのはそなたが創りだした自分勝手な神であるぞ。神が外にいるという宗教、自分の神だけを信じろという宗教はこの方の宗教ではないぞ。そなたにはこの方は分からないのぞ。見えないのであるぞ。この方のやり方が分かるだけであるぞ。そなたは、この方の言うとおりに、この方のやり方通りにやれば、今ここでも「天国」を生きることができるのであるぞ。すべてのすべてを創った神が言うことであるぞ。これ以外にそなたがこの先、生き残る道はないのであるぞ。

 そなたが、今ここで「天国」を生きていればどこへいってもどうなっても天国なのであるぞ。そなたが天国ならば、今ここで死んでも天国であるぞ。新しい世の民にもなれるのであるぞ。次の世がどうなるか、死後がどうなるか、社会がどうであるか、これから何が起きるかを気にする必要はないのであるぞ。そなたの外で、物質の世界で、何が起きるかを心配するのは、神成る修行が足りない証拠であるぞ。そなたが体験からこの道理が分かったときに、そなたは初めて笑えるのであるぞ。本当に安全なのであるぞ。神成る修行をしたことになるのぞ。そなたらには一人として本当に笑える者はいないのであるぞ。神の修行をせずに今ここにあるものを楽しんで最後の人生を終えるか、神の修行を終えてから神の世界にいくまで今ここにあるもので楽しむか、大きな違いであるぞ。
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 今ここにあるものはすべて神のものであるから、人間のゲームでも神のゲームでも使えるのであるぞ。神の修行をしてからゆっくり遊ぶことができるのであるぞ。「そんなことはありえない」「そんなことはバカバカしい」などと言っている者は、この方のやり方は永遠に分からないのぞ。そなたは「新しい世の民」にはなれないのであるぞ。新しい世は、「神のルールを身につけた身魂」だけが生きることができる「神の世界」であるからぞ。そなたが神の世界に生きたいならば、人間のゲームからきれいさっぱり足を洗って神の修行をすることであるぞ。神の修行をすることが調和を創りだすことにもなるのであるぞ。神の修行をすることがみんなのためになるのであるぞ。自分のためが人のためであるぞ。今までの人間のゲームは迷惑掛け合う自分勝手ゲームであるぞ。神のゲームをすることが調和を創りだす方法であるぞ。神のやり方を迷惑だというそなたが迷惑であるぞ。

 この方が語っているのは、そなたの世界にあるもの、神の世界にあるもの、すべてのすべてを創りだす「オオモトの元の神の真理」であるぞ。すべてのすべてを自らの内に産み生んだ「元つ神」が語る「オオモトの原理」であるぞ。すべてを創りだす「創造の物理学」であるぞ。「神成る修行のやり方」でもあるぞ。そなたが新しい世で神に成るためのルールを語ったものであるぞ。そなたらには、最後の大掃除までもう時はないのであるぞ。いつまでも「我れ善し」の自分だけ勝手ゲーム、お金集めゲーム、人集めゲーム、自分が一番ゲーム、損得ゲーム、自分だけ勝つぞゲーム、あんたのせいだゲーム、俺は偉いぞゲーム等々、地獄の混乱ゲームをやっている暇はないのであるぞ。不調和を創りだす人間勝手なゲームはいい加減にやめて、このフミ読んで神成る修行にはげんでくだされよ。
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 「どれが元つ神のやり方か」「どれが本物であるか」「どうすれば神が生きられるか」「どうすれば神のルールから外れないか」「どうすれば天国になれるのか」などと言っている者は、この方の言うことを分かっていないぞ。この方にこういう質問をすること自体がこの方のやり方から外れているのぞ。損得○×善悪判断ゲームをしている者、人をコントロールしようとしている者、ある特定の見方(常識等々)しか認めないと言っている者、自分は正しいと言って他を排除している者、自分の外の神に頼っている者、人のすることに口出しする者は、この方を知らない者であるぞ。そなたが同じことをするならば、そなたも同じであるぞ。この方のやり方を知らない人間に答えを求めてもこの方は語らないのであるぞ。そなたがこの方を知らないならばこの方は判断できないのであるぞ。
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 この方は、そなたの想念と対話するのであるぞ。そなたの内側に問いかけなければこの方は答えないのぞ。この方のやり方は天国であるぞ。そなたは内なる声に従って一つ一つやればよいだけであるぞ。この方には、損得も善悪も○×もないのぞ。この方に判断はないのぞ。そなたがそなたの内側の声を判断をするならばこの方の声は聞けないのぞ。この方の言うことを聞くだけではなくてこの方の言う通りにやることが必要であるぞ。この方は、体験で分かる神であるぞ。この方のやり方は実際に体験して初めて分かるのであるぞ。特別なことではないぞ。そなたの行動指針というものを取り替えるだけであるぞ。今まで学んだものをこの方の言うことに交換するだけであるぞ。神の生き方と言っても特別なものではないのぞ。人に頼っていて文句を言うでないぞ。人のすることに口出しするでないぞ。自分のすることを判断するでないぞ。自分の体験を人の責任にするでないぞ。そなたがこの方のやり方をやっているならば、外のものは関係なくなるのぞ。

 神のルールというのは「自分のしたことは自分で責任をとる」ということであるぞ。そなたのしたことはすべてそなたの選択の結果であるぞ。人や神や社会のせいにしている者、人や神や社会に頼っている者、人や神や社会を善悪○×損得で判断している者、自分の外側に神を探している者は、改心(改神)が必要であるぞ。人や社会が何と言おうとそなたが人の責任にせずにやればよいのであるぞ。神に善悪、○×はないのぞ。神に失敗はないのぞ。何をしてもよいと言っても、殺人や泥棒やいじめ等々は「人の責任ゲーム」の結果であるぞ。そなたのしたことを判断している者と議論するならば、そなたは神のルールではないぞ。迷惑というものはないのぞ。人のしていることを善悪○×損得で判断することが迷惑であるぞ。皆自分勝手であるぞ。神の自分勝手をすることであるぞ。
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 神のルールに反していればそなたは神には成れんのぞ。人間が創った「法律」違反どころの話ではないのぞ。そなたは調和を創りだす神のルールを破っているのぞ。そなたは神の犯罪人であるぞ。犯罪人を責めているそなたが神から見たら犯罪人であるぞ。この道理分かるか。厳しいが、そなたのために言っているのであるぞ。神成る修行の身であるそなたらは、神成る修行をすることが使命であるぞ。人のせいにしていた部分、○×の争いをしていた部分を無くすことが神なる修行であるぞ。今までのすべての人生で「自分の責任をとっていなかった部分」を清算するのが修行であるぞ。そなたの身に振りかかるように見える出来事、病気や事故や怪我や損や家族の死や失業等々の「不幸」と言われるものは、そなたが今までの人生での神のルール違反を自らの痛みで清算し、教えてくれているものであるぞ。そなたの苦は、そなたの今までやった「真釣り外し(神のルール違反)」を肉体を通して清算するための出来事であるぞ。そなたの葛藤や悩みは「神のルール以外のもの」を選んでいる証拠であるぞ。
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 神には「不幸」や「悩み」というものはないのぞ。神は喜びだけであるぞ。苦あるのはオカシキことであるぞ。苦あるのはそなたの責任転嫁の証拠であるぞ。自らのしていることを自覚して神成る修行をすることぞ。そなたが肉体の世界で苦しみ、痛み、辛さ、不幸等々を感じているときは、今までの真釣り外しの清算をしてくれていると思うことであるぞ。神がそなたの肉体を使って清算してくれているのぞ。自分の苦しみを人のせいにするでないぞ。自分の辛さを人にグチグチ言うでないぞ。人に言っても不調和まき散らすだけぞ。不幸がきたら感謝であるぞ。そなたの身に覚えがなくても、今までの過去の人生のどこかでやったことであるから、肉体に形になっていることが証拠であるから、素直に感謝してお詫びして改心することであるぞ。そなたの外側に○×が見えたとき、外側に責任が見えたときは、そなたがそう見ているのであるぞ。そなたが体験しているのはそなたがした結果であるぞ。そなたが見ているのは自分の内側であるぞ。そなたの肉体の体験というのはそなたの身魂のしていることの結果であるぞ。

 そなたらは「犯罪」や「病気」や「事故」や「トラブル」等々についての本当の原因を知らないのであるぞ。「神」や「死後の世界」や「天国」について何も知らないのであるぞ。そなたがすべてを知っていれば何の混乱も、何の悩みも、何の恐れもないのぞ。そなたが神への感謝を忘れて不満や文句を言ったり、感謝を後回しにしてすぐに形の修繕に走ったり(医者に治して貰おうとしたり)、自分の身を守ったり、死を恐れたりしているならば、そなたにとって「新しい世」は遠くなるのであるぞ。そなたが今までの学や教にとらわれて神の言うことを聞かないならば、そなたの人生は今世で終わりであるぞ。神の言うことについてアレコレ言うのは勝手であるが、この方の言うことを否定すればそなたには「新しい世」はないものと思ってよいぞ。そなたの肉体は修行のための道具でもあるのぞ。今のそなたにとっては、グチを言ったり、文句を言ったり、人を責めたり、お金を集めたり、人をコントロールしたり、勝ち負けゲームや取り合いゲームに励んだりしている暇があったら、外側の鏡を使って、肉体を通して神なる修行を始めることが必要なのであるぞ。これは誰のためでもなくそなた自身のためであるぞ。
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 そなたらが宇宙と思っているものは、元つ神の中にはらんだ子宮内宇宙であるぞ。そなたらの宇宙にあるものはすべてこの方が産み生んだものであるぞ。宇宙は無限ではないのぞ。元の神まで考えれば無限なのであるぞ。そなたは宇宙について何も知らないのであるぞ。この方に聞けば宇宙のことはすべて分かるのであるぞ。そなたらがこれから体験するのは、初めての「子宮内宇宙の出産」であるぞ。そなたの宇宙そのものが神の世界に生まれるのであるぞ。それがどういうことかということを考えても分からないのであるぞ。そなたは神の世界を何も知らないのであるぞ。何を知ろうとしているのか。そなたが神の世に生まれればすべてが分かるのであるぞ。今度の出来事は、そなたらにとっては万古末代二度とない一度こっきりの出来事であるぞ。そなたは生まれて初めて見る世界にいくのであるぞ。そなたがすることは出産の準備を進めることだけであるぞ。神の世界のルールを学んで実行することであるぞ。神の世界への産道はもう開いているぞ。そなたはもう戻れないのであるぞ。神に成るか、滅びるかの二つに一つの選択であるぞ。
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 天神様の細道は神の修行がなければ通れないのであるぞ。産道は参道であるぞ。神社の参道は産道の型示し(神の仕組みを形で現したもの)であるぞ。神社には修行なくてもお参りできるが、神の世界へは修行(五用=神のココロ)なき者はお参りできないのであるぞ。この方の言う通りに修行をしなければそなたには神の世はないのであるぞ。この方しか知らない世界のことを人間に聞いても分からないのであるぞ。神の世界を知りたいならばそなたの内側のこの方と対話することであるぞ。時代劇の「お上の御用」というのは「お神の五用」のことであるのぞ。殿様は偉くないのぞ。元の神が一番偉いのであるぞ。そなたらはこの方なくしては存在できない身魂であるぞ。いつまでも、この方を知らぬ人間が創った身分や地位の上下ゲームをして威張っているでないぞ。威張っている者ほど、神の修行は厳しいのであるぞ。そなたが知っている神や仏は人間がつくったものであるぞ。そなたが神や仏のことをいくら知っても研究しても目くそ鼻くそであるぞ。そなたは神の世界のことを何も知らないのであるぞ。わかりたか。

 そなたらは、これから、元つ神の子宮の外に出て「神」に成るので あるぞ。「神」といっても、そなたらは「日月地の神(地の日月の神)」という神であるぞ。「日月地(昼夜地)」を統べ真釣る神であるぞ。この方はすべてのすべてを統べ真釣る神であるぞ。そなたが神になるにはまず神の響きをださなければならないのぞ。神の想念になることであるぞ。神の響きを鳴らすことであるぞ。今この世界で神の行動をすることであるぞ。神の響きが鳴って、初めて神に成るのぞ。想念があって形になるのであるぞ。そなたが今ここで神の想念でなければ、次の世界にはいけないのであるぞ。そなたの想念の響きの通りの形を創るからであるぞ。次の世でいきなり神に成ろうとしても無駄なことであるぞ。最後になってまとめて修行しようなどと考えていても、そなたには耐えられんことであるのぞ。この方の言う通りに今ここで一つ一つ神成る修行をしていれば、厳しいとはいえ楽に神に成れるのであるぞ。今ここでこの方の言うことを聞けば必ず神に成れるのであるぞ。
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 そなたは「神」に成れば、そなたがしたいことはすべて自分でできるのであるぞ。そなたの欲しいものは、誰も傷つけずにすべて手に入るのであるぞ。そなたが神の響きを出せば、今ここでも神の助けを借りてできることであるぞ。そなたが神に成ればこの方の助けは要らなくなるのであるぞ。そなたが神に成るには神に成る修行が必要であるぞ。そなたが今ここでするのは「神成る修行」であるぞ。そなたがすることは、この方から神のルールを学んで、今ここで実行して、すべてを自分の責任で行動する態度を身につけることであるぞ。今までの○×のゲームをきれいさっぱりやめることであるぞ。そなたが学んだアベコベの行動を改めることであるぞ。今ここで「改心(改神)」することであるぞ。そなたがどんな神になろうともそなたはこの方の外には出られないのであるぞ。このことをシッカリと覚えておくことであるぞ。すべてのすべてが調和のもとに機能できるように創ったこの方の言うことだけがそなたが天国になるやり方であるのぞ。そなたが神に成ったらこの方は喜んで引退させてもらうぞ。この方を早く楽にさせてくれよ。
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 そなたが神に成るとはいっても、この方の子宮の外もこの方の中であるから、そなたらは「元つ神のルール」に従うのであるぞ。神の子宮の外は、神の世界だから、神でなければいられないのであるぞ。神に成った者しか新しい世の民にはなれないのであるぞ。新しい世の肉体は光一つ上がった体であるぞ。そなたという身魂が神の響きを出していなければ入れないのであるぞ。そなたらは、今のままでは、この世が最後の人生となるのであるぞ。そなたらが今握っているものは、子宮の中だけで通用していた道具であるぞ。この方は、子宮の外で必要な道具について語っているのであるぞ。子宮の外ではこの方が語っている真理がそなたの生命の源となるのぞ。そなたは子宮の中で必要なものにしがみついているのであるぞ。赤ん坊は臍の緒で母親と繋がっているが、外に出れば臍の緒は必要ないのぞ。赤ん坊にとっては臍の緒は命であるから怖いことであるが、母親は子宮の外の世界のことを知っているから大丈夫だと分かるのであるぞ。この方が臍の緒(今まで学んだ知識や今まで手に入れた地位名誉財産等々)を切れというのはそういうものは神の世では必要ないからであるぞ。神の世を知っているのはこの方だけであることを覚えておけよ。
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 そなたはまだ体験したことのないことをあれこれと想像しているのぞ。知ろうとしているのぞ。そなたは自分の安全を探しているぞ。安全を探すと安全はないのであるぞ。そなたは今までずっと子宮の中の胎児だったのであるぞ。そなたには子宮の外のことは分からないのであるぞ。子宮の中の胎児は子宮の外のことを知らないのであるぞ。そなたの親であるこの方だけが知っているのであるぞ。人間の胎児は何回も生まれ変わっているから人間の子宮の外のことを知っていることもあるが、神の胎児は一度も出産していないから、神の世界のことはこの方に聞かなければわからないのであるぞ。この方は子宮の中の胎児とも通信できるのであるぞ。この方は子宮内宇宙の存在を通して子宮内宇宙の存在に語りかけるのであるぞ。宇宙存在のメッセージもこの者の書くこのフミもそなたら子宮内の存在へのこの方の通信であるぞ。子宮の外のことは見えないが、通信を通じて知ることはできるのであるぞ。この方の言うことだけがそなたが外の世界を知る唯一の手だてであるぞ。

 この方が語ることは、そなたという身魂が生まれてこのかた初めて聞く「元つ神の真理」であるぞ。この方は、このフミを通して、そなたら、肉の体を持って人間になっている身魂に分かるように、神の子宮の中で同じ人間の体験をしているこの者を通して、「日本語(実は、この方のことを伝えるシンボル)」という人間の言葉を使って、目に見える形で初めて聞かす(=見せる)のであるぞ。そなたは、この方が今までそなたのココロに語りかけていたにも係わらず、この方の元つ真理を知らぬ人間から学んだ「アヤマ知(神の法則から外れた知恵)」でココロを曇りに曇らせて、人間のゲームの中で自分を守るために、人から気違いと言われないために、見ざる言わざる聞かざるでこの方の語る真理を無視していたのであるぞ。この方がそなたのココロに語りかけてもそなたが無視し続けるから、今の今は、もう最後の大掃除の舞台まで時がないから、最後の手段として、最後の情けとして、最後の大サービスとして、こうやって目に見える形で見せるのであるぞ。この方の語ることを聞かなければ、そなたには新しい世はないからであるぞ。これが本当の「子を思う親ゴコロ」であるぞ。そなたら人間の親がやっているように親の期待を満たすためだけの親ゴコロではないぞ。この親神のココロがわかるか。神の真意(神意)をくんで、一人でも多くのお子がこの方のところへ来てくれることを楽しみにしているぞ。
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 この方が語るのは、そなたがずっと探していた「夢を実現する方法」であるぞ。みんなが嬉し嬉しになる「天国を創る方法」であるぞ。今の今の今今も、肉の体を脱いだ(死んだ)あとも天国でいつづける方法であるぞ。天国を創りだす唯一つの真理であるぞ。そなたが今まで無視してきたから、そなたには天国がなかったのであるぞ。形の上では平和に見えてもそなたのココロは地獄なのであるぞ。そなたのココロに戦いがある限り、そなたの外側の戦いはなくならないのであるぞ。そなたの内を掃除しなければ、そなたの外にあるものは何一つ変わらないのであるぞ。そなたの内にあるものを神が見せているからであるぞ。そなたが見ているものはそなたの内にあるものであるぞ。外側にあるものを責めたり変えようとしたりしているといつまでもそのままであるぞ。
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 そなたは神に取りつかれているのぞ。そなたが人間として動けるのは、そなたの想念に応じて神が働くからであるぞ。そなたはいつもなんらかの神に取りつかれているのぞ。幽霊や悪霊に取りつかれている云々と人を批判したりバカにしたりするそなたもそういう神に取りつかれているのであるぞ。そなたがどの神に取りつかれたいかを決めているのであるぞ。そなたが人間のゲームに取りつかれて身欲や保身に走ったときに、そなたと同調して知らせる神もいるのぞ。そなたがこの方を無視すればこの方の生んだ「悪神」に引っ掛かるのぞ。「悪神」も新しい世では神になる「神」であるぞ。「悪神」に取りつかれたそなただけが新しい世にいけなくなるのであるぞ。「悪神」にはこの方がすべて教えてあるから、自分のしていることをすべて知っているぞ。「悪神」はすべてを知っていてそなたを引っ掛けているのであるぞ。「騙した騙された」というゲームをやるでないぞ。この方はこうやってすべて教えているのぞ。もう知らないという言い訳は通用しないのぞ。人のせいにも神のせいにもできないぞ。今までもそなたの心掛け次第でこの方やこの方の家来の神に取りつかれて天国になることもできたのであるぞ。すべてのすべてはそなたの責任であるぞ。責任はそなたにしかないのであるぞ。責任追及ゲームは幻想であるぞ。

 そなたがこの方を知らずにそなたの理屈で外を変えようとすると、ますます思惑と逆の方向へ進むのであるぞ。この方が表に出ている今今は、このことをハッキリと分からせるぞ。この方が許さないから今までのゲームはできないのであるぞ。そなたが人を変えることはできないのぞ。人が変わったのは人が変わることを選んだからであるぞ。そなたが変えたのではないぞ。いつまでもアベコベの幻想にとらわれていないで、この方が訓練したこの者の言うことをよく聞いて自らの嵌まっているトリックに気づいてくれよ。この者はこの方のやり方を人間としてすべて知っているのぞ。この方の天国の方法をマスターしているのぞ。今すぐにでも神の世界へ行ける身魂であるぞ。この者の肉体を消せば、そなたらがこの方のやり方が分からなくなるだけであるぞ。この者はこの方が守護しているから手出しするとそなたが危ないのであるぞ。そなたが新しい世界へいけなくなるだけであるぞ。教祖様、支配者様、権力者様、この方を知らぬ宗教を創って人民を地獄のゲームに誘うのはもうやめてくれよ。いい加減に目を覚ましてくだされよ。皆がそろってアウトになるのぞ。そなた自身もアウトになるのぞ。それでもよいのか。今ここで決めろよ。
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 そなたが見て、外側が変わったように見えても、それは力を使って変えたものであるから守る必要がでてくるのであるぞ。力を使って創ったものは、力を使って壊れるのであるぞ。軍隊があるのは今ある平和が創ったものであるからぞ。そなたがやっているのは自分だけが良ければ良い、我れ善しの力と力の戦いのゲームであるぞ。天国には戦いはないのであるぞ。天国は皆が嬉し嬉しであるぞ。皆善しの世界であるぞ。そなたがなんとかしようという時はそなたの自分勝手であるぞ。この方を知らない者が、人を導くことはできないのであるぞ。人を地獄に導くことになるぞ。人を変えよう、人に知らせよう、人に分からせようとするのはすべてそなたの我であるぞ。そなたの自分勝手であるぞ。新しい世界には「五用(神のルール)」がなければいけないのぞ。そなたらは「四用(人間のルール)」を持っているぞ。「しよう」「させよう」は「四用」であるぞ。「四用」は「死用」であるぞ。もう終わりであるぞ。そなたの身魂が死ぬぞ。人を導く者は、神の世界の御用をしてくれよ。そなたがまず神の響きを出すことであるぞ。そなたがまず神の修行をすることであるぞ。そなたの後ろ姿で教えるのであるぞ。「四用」の宗教は死ぬぞ。
P167
 この方が語っているのは、そなたが「そんなうまい話はない」「そんなことはありえない」と言っていた話であるぞ。そなたの世界の(そなた自身の)すべての疑問を解きあかし、すべての問題を解結する唯一の考え方、ものの見方であるぞ。そなたの疑問や問題はこの方が言っていることを無視していたからできたものであるぞ。そなたがこの方を無視していたから創ったものであるぞ。この方の言うことを聞けば解結するのであるぞ。間違っていたことを素直に認めて、人間のルールで創ったものをすべて解(ほど)いて、神のルールで結ぶことが「解結」の本当の意味であるぞ。この方を知らぬそなたらの学や教ではもう何も解結しないのぞ。今までも人間が解結したものは何一つないのぞ。すべてを分ける「分かつ知」の人間のゲームでは、解結するたびに問題を創りだすだけであるぞ。
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 この方の言うことだけがすべてのすべてをハッキリさせる真実の真実であるぞ。これなくしては、そなたも含めて、すべてのものはないのであるぞ。そなたは「元つ真理」を初めて聞くのであるぞ。初めて聞くものに判断というゲームはないのぞ。生まれて初めて学校で学ぶことをどうやって判断するのぞ。判断はできないのぞ。議論はできないのぞ。そなたが判断や議論できるのは、そなたが基準をもっているからであるぞ。判断のゲームは今までの人間のゲームだけで成り立つものであるぞ。この方の真理は、そなたが今まで学んできたものとはまったくアベコベに働くものであるぞ。すべて裏表であるぞ。そなたが人間ゲームから手を放さなければこの方のゲームは分からないのぞ。人間のゲームで判断しているうちは人間ゲームの学や教と同じであるぞ。この方のゲームは「教」ではなく「道」であるぞ。この方を生きなければこの方の天国は分からないのであるぞ。そなたがやっている判断や議論というのは、今までの学や教の中の損得○×善悪ゲームであるぞ。自分勝手な基準でこの方の真理を判断するというのは、この方の真理を拒否しているのと同じであるぞ。この方の真理を拒否すれば、そなたには永遠に天国はないのであるぞ。

 そなたの判断の基準は元の神を知らないそなた自身が、今までのゲームの中で自分を守るために、そなたの理屈で都合よく手前勝手に創ったものであるぞ。ここで語られることをそなたの創った基準で判断したり、議論したりすると、そなたは永遠に自由になれないものであるぞ。そなたがこの方を無視すれば、そなたが探している天国も自由も幸福も永遠に手に入らなくなるのであるぞ。そなたは自分で自分の天国を放棄することになるのであるぞ。そなたは今までそれをしていたから何も分からなかったのであるぞ。そなたがこの方を無視して、何も知らずに外を探しているからこの方を知らぬ地獄の教や学に騙されるのであるぞ。そなたが騙されたのであるぞ。そなたの体験はすべてそなたのせいであるぞ。人や組織を責めるのは筋違いであるぞ。損得善悪を使って判断をしていると、いつまでも平和も平等も幸福もないのであるぞ。いつまでも戦いや犯罪はなくならないのであるぞ。今度の今度だけは、このフミをすべて読みおわるまで、一切の価値判断をするでないぞ。今までのように見たものを直ぐに批判したがるそなたの癖を出すでないぞ。今度だけは元つ神の言うことを素直に聞けよ。誰のためでもないそなた自身のためであるぞ。
P169
 元つ神には判断はないのぞ。すべてのすべてを知っているからぞ。すべてを創ったからであるぞ。そなたの判断の基準というのはそなたが勝手に創ったものであるぞ。そなたの基準で元の神の真理を判断することがどういうことか、ここでよく考えてみるがよいぞ。そなたが、この方を、この元の神を知らずに創ったものはすべて、そなたの手前勝手であるぞ。自分だけ得しようとする自己流であるぞ。自分だけ勝手であるぞ。そなたの「我」であるぞ。そなたがそれを続ければ不調和を創りだすだけであるぞ。そなたがこの方を知っていれば判断はできないと分かるのぞ。判断は消えるのぞ。判断というのは、そなたの内側をそなたの外側を二つに分ける、いつまでたっても一つにはならない幻想のゲームであることを知っておけよ。そなたが探している天国には分裂はないのであるぞ。そなたが戦っている教を信じているならば、そなたには天国はないのであるぞ。そなたが本当に天国に生きたければこの道理をよく心得ることぞ。
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 この方が、「判断はできない」と言っているのにまだ判断している者は、この方の言うことを分かっていないぞ。判断するのは元つ神を知らない証拠であるぞ。これから暫くの間、この者を通して、そなたが知りたがっていた、ずっと探して見つからなかった「神の真理」をすべて聞かすから、今までそなたが学んできた混乱を創りだすだけの元つ神を知らぬタワケた教えは無視して、すべてのすべてを白紙に戻してハイハイと素直に聞くのぞ。そなたがそなたの癖で判断を始めれば、神の真理は永遠に分からなくなるのぞ。そなたが天国に行くためにはこの方の語ることを素直に聞くことだけが唯一の道であるぞ。

 この「フミ」はすべてのすべてを創った元つ神であるこの方が語るものであるぞ。この「フミ」を文字にしているこの者のただの考え方だと思ったら大きな間違えであるぞ。そこのところをよく心得て読むのであるぞ。この者はこの方の言葉を文字にする「御用」をしているのであるぞ。この「フミ」はこの方のやり方をマスターしていないと文字にできないのであるぞ。この者がいて初めてこの方の言葉が伝わるのであるぞ。神と人はもちつもたれつであるぞ。そなたがこの方にまつろえばこの方もそなたを抱くのであるぞ。そなたがこの方の言うことを素直に聞けば、この者のように文字にもできるのであるぞ。この方の言うことを語ったり文字にしたりできるようになればそなたは天国であるぞ。そなたはこの方の真意やこの方のプログラムがすべて見えるようになるのであるぞ。
P171
 今までも、神は、そなたの想念を通して、いつもそなたに語りかけていたのぞ。そなたのココロの声はすべて神の声であるぞ。そなたが、神を知らぬ人間に教わった基準で神の声を判断して、分けて、今までの人間のゲームで都合の善いものだけを選んで行動していたのぞ。そなたが直感とかヒラメキとか何だか分からないけど聞こえる声とか言っていたものがこの方の声であるぞ。そなたが怖いと感じるもの、人間のゲームでは都合の悪いものの中に神の答えがあるぞ。そなたはこの方を知らずに神を創っていたのぞ。そなたが、この方を知らず、あやま知にとらわれた人間が創りだしたタワケた宗教に騙されて、この方の声を無視していたから、そなたは無私になったのぞ。神が見えなくなったのぞ。そなたが神の声を無視していたから、騙されることになったのぞ。この方の真理を無私していたから自分が分からなくなったのぞ。自分が何者なのか分からなくなったのぞ。自分がここで何をしているか分からなくなったのぞ。自分とは何者か、などという哲学なる学問を創りだして、ますます分からなくなっていったのぞ。

 そなたの持っている疑問はこの方に聞けばすべて解結するのぞ。この方に聞くというのは、この方の言う通りに生きることであるぞ。この方の言うことを分かっただけではだめであるぞ。神にお祈りだけしてもだめであるぞ。神の言うことを行動して、初めて神の声を聞いたことになるのぞ。神を信頼したことになるのぞ。神を信じたことになるのぞ。そなたがこの方の言うことが分かったと言うならば、言ったとおりにやれよ。そなたが言ったことをすべて行動せよ。神はそなたの信頼と引換えにそなたに教えるのぞ。そなたが行動すれば神は改心したことを認めるのぞ。神の言う通りに生きていれば、そなたには疑問も悩みもないのぞ。わからないことは何もないのぞ。分かろうとするのは神を生きていない証拠であるぞ。神はそなたの体験を通して一つ一つ教えるのぞ。この方の言った通りにやってみればすべて分かるのであるぞ。そなたは、この方の言った通りにやっていれば何の悩みもないのぞ。そなたの今までの体験はこの方を無私していた結果であるぞ。だまされたと思ってこの方の言うとおりにやってみやれよ。
P172
 そなたが創ったものでない人間についてそなたがいくら考えても答えはでないのぞ。この方を知らぬ人間に聞いても、答えはでないのぞ。ましてや、この方を知ろうとしても無駄なことであるぞ。この方を知ったところでそなたは何も分からないのであるぞ。この方の話を無私して、答えを出そうとしても無駄な抵抗であるぞ。そなたは神を知らないからこの方の語ることについて議論になっているのぞ。すべてのすべての答えはこの方しか知らないのぞ。そなたが神を知りたいならば、そなたのココロの声をすべて素直に聞くことであるぞ。聞いたことをすべて実行することであるぞ。実験することであるぞ。何万の人間に有効であったものでもそなたに有効であるかどうかはそなたがやってみないとわからないのであるぞ。この方の言うことを実行することだけがこの方の仕組みを知る唯一の手だてであるぞ。そなたの外には神はいないのぞ。そなたの外には神を教えてくれる宗教はないのぞ。この方のことを教えられる者はいないのぞ。この方はそなたの中にいるのぞ。そなたの想念を通して語るのぞ。このことをしかと心得ておくことぞ。
P173
 この方は、この方の言う通りに生きて、初めて分かる神であるぞ。いかにして神と対話するかということは教えられる人間はいるが、神そのものを教えられる者はいないのぞ。この方は一人ひとりと対話するのぞ。この方は一人ひとりにわかる神であるぞ。この方のことを教えているつもりになっている者は、いいかげんに目を覚ませよ。この方はそなたのやり方で神を教えてくれと頼んだ覚えはないぞ。そなたのやり方ではこの方は教えられんのぞ。そなたのやり方ではこの方は見えないのぞ。教育やしつけでは神はわからんのであるぞ。教育やしつけは神を分からなくするのに有効な方法であるぞ。そなたはこの方を無私する方法を教えているのぞ。そなたは混乱や悩みを創る方法を教えているのぞ。そなたは戦いに勝つ方法(人を負かして勝つ方法)を教えているのぞ。外の神を信じるゲームではこの方の声は聞けないのぞ。この方を体験することはできないのぞ。元つ神には戦いはないぞ。神のやり方はすべての者が勝つぞ。この神を知らずに、これから起きる「大変」を超えることはできないぞ。今のうちにこの神と対話できるようになっておけよ。
P174
 新しい世界は「神の世」であるぞ。そなたのココロが神のココロにならなければそなたはいられないのぞ。次の世界の肉体には神のココロでないと入れないのであるぞ。そなたは神のココロになる修行をしているのであるぞ。そなたが見ているものを使ってそなたの中の○×を見つけて消していくのぞ。そなたが○×をやめれば神がその通りに形にして見せるのぞ。人を批判するのも神のせいにするのも勝手だが、そなた自身が「神ゴコロ」にならなければ何をしても駄目であるぞ。お金でも学でも知でも財産でもだめぞ。どこにも逃げるところはないのぞ。今回の大変は肉体で助かろうとすると助からないのぞ。人の邪魔をするとそなたが危ないぞ。神ゴコロになることだけがそなたが助かる道であるぞ。

 世紀末に何が起きるかを知っても何の意味もないぞ。何が起きるかを心配してもそれは肉体の世界のことであるぞ。そなたが神ゴコロになれば、肉体の世界で何が起きようと関係ないのであるぞ。何の影響もないのであるぞ。そなたの身魂が神ゴコロになれば、何が起きても大丈夫であるぞ。この方とこの方の家来が守護するのであるぞ。最後の最後の大掃除の後には、神ゴコロになった者もならない者も、そなたらの肉体は、一旦お召し上げであるぞ。そなたの身魂を改めた上で、神ゴコロになった者だけを新しい肉体に入れるのであるぞ。これがそなたの言っている閻魔(えんま)様の審判の真実であるぞ。裁くのではないぞ。そなたが神ゴコロになっているかどうかを見るのであるぞ。そなたがそなたを見るのであるぞ。そなたは今ここで閻魔様の審判の結果が分かるのであるぞ。そなたがここで天国になれば、思いどおりの現実を体験すれば、そなたは新しい世の神に成るのであるぞ。
P175
 そなたが心配しているのは物質世界の大変であるぞ。そなたの身魂が神ゴコロであれば、噴火も地震も津波も戦争も放射能も人食いも、たとえ肉体がバラバラになっても関係ないのぞ。そなたの魂は、新しい世で新しい肉体を得るぞ。そなたの心配している「死」は関係ないぞ。そなたが心配している「死」は肉体の死であるぞ。肉体がなくなってもそなたはいるのであるぞ。そなたの他の人間からそなたが見えなくなるだけであるぞ。そなたが今までの死を避けようとしていると魂がアウトになるぞ。身魂の掃除が終われば肉体で何が起きても関係ないぞ。怖くないのぞ。肉体を去っても神ゴコロならばOKであるぞ。食べるものが無くなっても毒と言われるものを食べても関係ないぞ。そなたが神ゴコロになることだけが必要なことであるぞ。最後の大掃除ではそなたの回りは地獄の如き状況になるのぞ。ナマ物を食らうことになるぞ。衣食住なくなるぞ。身魂の掃除ができていれば何の影響もないのぞ。そなたが助かるための神の最後の一厘であるぞ。

 そなたの今まで学んだこととはすべてアベコベであるぞ。そなたがこの道理分からねば、分からないそなただけがアウトぞ。今回は一人ひとりの問題であるぞ。一人ひとりの出来事であるぞ。一人ひとりの身魂の掃除であるぞ。だれが助かるかは外からみても分からんぞ。この「フミ」はこのことを教えるための最後の最後のトドメのフミであるぞ。これが最後の最後の本当の真実であるぞ。そなたが人を頼る教や肉体の人を助けようとする教や争っている教についていくとそなたがアウトであるぞ。何が起きるか知れば知るほどそなたは危なくなるぞ。怖くなるぞ。先に行くほどわけが分からなくなるぞ。これが真実かどうかと判断するのはそなたが嵌まっている証拠であるぞ。この方の言う通りにすればそなたの知りたいことがだんだん分かるようになってくるのぞ。
P176
 そなたは神の子であるぞ。そなたはこの方の子であるぞ。そなたの魂はこの方の分身であるぞ。そなたはこの方の言う通りやっていれば、もともと喜びしかないのぞ。そなたが悩むのはそなたが喜びを創るこの方の声を拒否しているからであるぞ。神に病気治しや予言はいらないのぞ。神に病気はないのぞ。病気はキの病であるぞ。神のキを疑っているから肉体に出てくるのぞ。そなたは神の声と人間の声とどちらを選ぶかというゲームをやって、葛藤を創りだしているのぞ。神には損得はないぞ。善悪もないぞ。神の声はすべての人間がうまくいくようにする方法を語っているのぞ。人と比べて自分だけうまくいくようにしようとするから損得や善悪でものごとを分けて見ることになるのぞ。

 そなたの「死」は神にしかコントロールできないのぞ。そなたは自分に起きていることの真実を何も知らないのぞ。原因を知らないで、見えているものの中に勝手に原因を創って勝手に治そうとしているぞ。神には自分の未来は分かるのぞ。何でもできるから自分の思いどおりの未来があるのぞ。自分の思いがすべて叶うから未来というものはないのぞ。期待もないのぞ。忍耐もないのぞ。あるならそなたは神でないぞ。そなたに悩みがあるならば、そなたは神の生き方をしていないぞ。そなたが神の言う通りにすれば、今ここでも神の体験ができるのぞ。そなたがこの方の語ることを素直にきけばすべてのすべてが分かるのであるぞ。そなたの問題はすべて解結するのであるぞ。死後の世界も新しい世のことも神の仕組みも争いをなくす方法もすべてのすべてが分かるのであるぞ。そなたは何も知らなかったことを神にお詫びして、今ここから素直に神の修行を始めるがよいぞ。それがそなたもそなた以外の者も調和の中で天国に行ける唯一の道であるぞ。まずは、この方のフミをよく読んでこの方の真意を知ることから始めることぞ。



神様からの手紙 その二

 
4 神様からの手紙 その二

P180
 これから語ることは「中つ神を含む宇宙すべてを生んだ元つ神」からのそなたへの最後最後の警告のフミであるぞ。そなたが今までやっていたことはすべて神のおきてとアベコベであったのぞ。そのまま今までのゲームを続けていてはほとんどの者に新しい世はこないぞ。これからこの方が真実の真実を伝えるから素直にココロして聞くのであるぞ。

 そなたがいるヒノモト(日本)のお土(おつち=国土)はこの方の御神体であるぞ。そなたが魂と肉体を持っているのと同じであるぞ。この方はすべてのすべてを創った親(おや)神(がみ)であるぞ。この方はヒノモトを創ってから世界を創ったのであるぞ。すべてのすべてはヒノモトから始まっているのであるぞ。ヒ(霊、日、火、一)が先であるぞ。世界も人間もすべて同じ仕組みであるぞ。そなたの魂はこの方の創った仕組み通りに体験するのであるぞ。そなたの魂というのはこの方の分身であるぞ。そなたがこの方の言うとおりにやれば天国ぞ。この方の言うことに逆らうと苦しみであるぞ。そういうふうに創っているのであるぞ。そなたの苦しみや悩みや問題はそなたがこの方に逆らっているからぞ。人のせいや社会のせいや制度のせいにするのは自分勝手なトリチガイ、それこそ迷惑であるぞ。神なければ人はないのぞ。魂が先で肉体が後であるぞ。魂が天国ならば肉体でも天国になるのぞ。魂が天国でなければ肉体の世界をいくらコントロールしても天国にはならないのぞ。人をコントロールしたり、文句を言ったり、批判をしたり、やめさせようとしたりしているそなたは自分勝手であるぞ。永遠に天国はないぞ。人間の創った勝ち負け自分よしのゲームで天国になっても死後に天国になることもミロクの民になることもできないのぞ。このフミは永遠の天国をそなたが体験するためのテキストであるぞ。皆が成功する天国の方法を書いたものであるぞ。そなたのシナリオを書き換える参考書であるぞ。
P181
 そなたが自分の回りに文句を言ったり、自分以外のせいにしたりするのはそなたの勝手な思い込みであるぞ。自分勝手であるぞ。天国創るこの方の言うことに逆らっているのであるぞ。そなたは神を知らない者に騙されているのであるぞ。この方のことを知ったら、人を騙すことや人をコントロールするのは自分の天国をなくすことになると分かっているから、人に口出ししたり、人を支配したり、人を責めたり、人を騙したり、人を教育したりしないのであるぞ。宗教はつくらないのであるぞ。一人ひとりの魂の状態が体験を決めると知っているからぞ。人をコントロールする必要がないと知っているからぞ。そなたは影の世界を変えようとしているのであるぞ。人を変えることはできないのぞ。相手がシナリオを変えたから形が変わったのであるぞ。取り違えするでないぞ。いつまでもこの方に逆らう教えにとらわれて混乱や葛藤を創りだしているでないぞ。文句言うのは迷惑であるぞ。口出しするのは迷惑であるぞ。自分勝手だと人を責める自分勝手は卒業しろよ。
P182
 そなたは自分の見ている影を消そうとしているのであるぞ。そなたがいれば影はなくならないのであるぞ。そなたが形を変えなければ影の形は変わらないのぞ。そなたの魂が天国でなければ形は天国ではないぞ。そなたのココロというのは肉体で魂の状態を見るための道具であるぞ。生きながらにして霊界が体験できるのであるぞ。そなたがココロで想像しているように霊界で生きているのであるぞ。そなたのココロが天国でなければ現界も霊界も天国でないぞ。現界が天国でないのは霊界が天国でないからぞ。そなたが外の責任にしているから外の責任になるのぞ。そういう幽界を創っているのであるぞ。そなたがシナリオを変えなければ何も変わらんのであるぞ。みんな同じシナリオでやるから取り合いに成るのであるぞ。みんな違うシナリオでやるから天国のパズルがはまるのであるぞ。人の行動はシナリオの結果であるぞ。○×創って形を同じにするのは自分で自分の首をしめているのと同じであるぞ。自分で制限を創って人のせいにする自分だけ勝手なゲームをしているのであるぞ。人の行動に口出しするのは人に自分のシナリオをやらせることになるぞ。人の言うことを聞くとその者のシナリオを生きることになるのぞ。そなたが選んだシナリオをそなたが体験しているのであるぞ。一人ひとりのゲームであるぞ。

 そなたの影を創っているのは太陽であるぞ。この方の神界があって霊界のそなたの魂があって現界のそなたの肉体になっているのぞ。この方は初めからあるのぞ。そなたの魂の状態が現界に現れているのぞ。そなたの肉体を通して見えるものはそなたの魂の世界のものであるぞ。そなたが魂の世界を変えなければそなたの現界は何も変わらんのぞ。そなたが肉体世界で学んだことを使って一番になったとしても、そなたの魂が天国でなければそなたは死後に天国にはなれんのぞ。ミロクの世界は半霊半物の世界であるぞ。ココロが肉体になるのであるぞ。そなたのココロが神のココロになっていればそなたはミロクの民になれるのぞ。そなたのココロが天国ならばその映しである現界も天国であるぞ。霊界も天国であるぞ。いつでもどこでも天国であるぞ。そなたから死の恐れは消えるのであるぞ。
P183
 そなたはこの方の構えるヒノモトの民であるぞ。世界中の人間はすべてこの方のお子であるが、ヒノモトの民であるそなたは世界の民の親であるぞ。ヒノモトの民であるそなたが親の自覚ないからすべてのすべてが狂ったのであるぞ。そなたが西洋文明の輸入と言って子のやり方を真似たからすべてがおかしくなったのぞ。そなたはこの方のやり方を世界の民に示す親であるぞ。人類は兄弟姉妹ではないぞ。ヒノモトのそなたが親で世界の民は子であるぞ。親と子の区別タテ分けを忘れ、すべてのすべてをまぜこぜにしたからわけが分からなくなったのぞ。世界の親としての自覚なき者は新しい世、ミロクの民としては失格であるぞ。今ここでヒノモトのこの方がすべてを伝えるからショウネを据えて聞くのぞ。

 ヒノモトの言葉はこの方の真意を伝えるためのシンボルであるぞ。五十音はこの方そのものであるぞ。この方の言葉を伝える文字であるぞ。この方は姿は見えないが響きで表に出ているぞ。そなたの想念と語るのであるぞ。この方は光であるぞ。この方の言葉は古語(=光語)であるぞ。この方はヒノモトの言葉を使って語るのであるぞ。そなたが知りたいすべてのすべては、この方の語る「神示」に書いてあるのぞ。この方は「神示」という形でこの方の御用をする人間を通してこれから起きることや神の法則を伝えているのであるぞ。そなたは「難しい」とか「バカバカしい」とか「ありえない」とか言ってこの方の語ることを素直に受け入れようとしないから、そなたは何も知らずに「滅びの坂道」を駆け降りているのであるぞ。ヒノモトのそなたがこの方の言うことを聞いて世界の民に見本を見せなければならないのであるぞ。それがこの方の望みであるぞ。それが世紀末を超えるための唯一の道であるぞ。そなたが親の自覚を持つことが肝心要の要石(意志)ぞ。
P184
 このフミは、そなたが地獄へ転落するのを最後の最後の崖っぷちで止めるために出されたものであるぞ。これはそなたが長い間探していた「真理」であるぞ。そなたという身魂が従わなければならなかった神の掟であるぞ。そなたはこの掟を外すと苦しみやトラブルを感じることになるのぞ。神は喜びしか渡していないのぞ。神の掟通りに生きれば、そなたは喜びだけなのぞ。そなたの回りは調和だけなのぞ。そなたに苦しみがあるのは、そなたが神の掟を外していることを知らせるために創った神の仕組みによるものであるぞ。そなたという身魂が神の掟を外せばそなたは滅びるだけであるぞ。この方が教えなければそなたはいなくなるのであるぞ。それが「神成る身魂」のルールであるのぞ。そなたは、苦しみを人の責任にしているが、それ自体が掟破りであるぞ。そなたは「不調和」を創りだしているのぞ。神の世界は調和だけのすべての民が嬉し嬉しの天国なのであるぞ。不調和創りだして平気な顔をして威張っているのでは神なる身魂とはいえないのであるぞ。不調和創りだす身魂は新しい神の世には生きられないのであるぞ。
P185
 そなたは形に現れている「悪」ばかりを責めるが、そなたが見ている悪はそなたの中にあるものであるぞ。そなたの中の悪を目の前の鏡に映しているだけであるぞ。そなたは悪を祓おうとしているが厄祓いをするならば、副祓いもすることぞ。否定的、肯定的という見方は神にはないのぞ。そなたが善を見ているのであればそなたには悪もあるのぞ。善人も悪人も同じことであるぞ。片方だけを祓うのであれば、そなたは偏っている証拠であるぞ。善も悪も偏見であるぞ。そなたが善人だというならばそなたは悪人でもあるぞ。そなたという身魂は「快欲」に囚われると自分ではそこから抜け出すことはできないのであるぞ。そなたは楽なもの、いいものばかりを見ようとするからぞ。苦しいもの、悪いものを排除しようとするからであるぞ。喜びだけなら喜びとも感じないぞ。やすらぎが神の世。

 この方の分身であるそなたという身魂には本来善も悪もないのぞ。そなたが善悪を分離しようとするならばそなたという身魂は分裂していることになるぞ。そなたは自らを分けているのであるぞ。そなたは何も言わずにほっといたら、滅びの道を辿るのであるぞ。そなたは楽を求めているから、善に偏っているから、この方が仕組みを創って反対の感覚である「苦」をもって知らせているのであるぞ。善の身魂には苦で教えなければ分からないからであるぞ。気づかないからぞ。そなたは苦を悪と決めているから、嫌なものを避けようとするからこの道理に気づかないのぞ。苦は天国へのお知らせであるぞ。矛盾に見えるがこのことを自覚せねばそなたは滅びるのであるぞ。魂が滅べば肉体どころの話ではないのであるぞ。死を怖がっている暇があったら神の言うことを聞けよ。この方の言うことはすべてのすべてがアベコベであるぞ。そなたがアベコベをやっていたからそう見えるのであるぞ。そなたが疑っていれば、いつまでもそのままであるぞ。永遠に天国ないぞ。
P186
 そなたは今まで、まったくアベコベのルールに基づいてモノを見て、行動して、決めていたのであるぞ。この方が語ることは、そなたの学んできたそのルールを全くアベコベに引っ繰り返すことになるものであるぞ。そなたから見ればアベコベであるぞ。この方がアベコベなのではなく、そなたがアベコベをやっていたからアベコベに見えるのであるぞ。表面上は「大掃除」のプロセス、タテカエのプロセスで、「-」が見えるぞ。そなたが神のルールとはアベコベの「あやま知」で創ったもの、守っているものが、崩れるからであるぞ。そなたはアベコベをやっていたのであるぞ。そなたはそれを手放さないと神のルールは分からないのであるぞ。次のものは来ないのであるぞ。「信じられない」というのは○×判断、保身であるぞ。今までの自分を守っているぞ。そなたは、神があってあるのものであるぞ。神に生かされている身に保身は必要ないのぞ。そなたが「死」と言っているのは「肉体」の死であって、そなたの死ではないぞ。そなたの「神の法則違反」が創りだしたものであるぞ。「死」を恐れるということ自体が「神の法則」違反をしていることの証明であるぞ。そなたが神のことを何も知らない証拠であるぞ。そなたが知らなかったことをたくさん聞かすからよく聞くのであるぞ。自分の無智を白状しているのを知っているか。
P187
 神の法則に従うことを「神に真釣ろう」というのぞ。「真釣り」というのぞ。神の法則に反することを「魔つり」というのぞ。両方とも同じ「マ釣り」であるが、全くアベコベの結果になるのぞ。「真釣り」は永遠の繁栄、「魔釣り」は永遠の滅びであるぞ。この方のヒノモトの言葉はこういうふうに違いが分かるようにしてあるのぞ。そなたは今まで「魔釣りの世」で生きていたのであるぞ。そなたが今持っているものは「魔釣り」のやり方であるぞ。そなたが今まで学んだものを持ちつづけると最後は滅びることになるのであるぞ。新しい世は神の世であるぞ。神の世は「真釣り」のみであるぞ。「魔釣り」はないのであるぞ。神が最後の最後に「魔釣ろう形」をすべて掃除するのであるぞ。そなたが「真釣り」に生きることを始めなければそなたには次の世界はないのであるぞ。

 神なくて人あると思うなよ。そなたはまず想念が先にあって行動は後であるぞ。魂が先にあり、肉体が後であるぞ。そなたは考えてから行動するのであるぞ。神が先で人が後、霊界があって現界(物理次元、物質世界、現実)があるのであるぞ。この順番をまぜこぜにするとすべてのすべてが狂うのであるぞ。天国を創るためにはこの方が創った順序通りにすることが必要であるぞ。そなたが「天地」と言っているのがそもそもアベコベであるぞ。この方がいる「元つ天」が初めにあったのぞ。次にこの方は「大地」を創ったのぞ。最後に大地を守護する「中つ天(小天)」を創ったのぞ。そなたらは「元つ天」と「中つ天」をまぜこぜにして「天」「地」としていたのであるぞ。この順番が狂えばすべてが狂うのであるぞ。神の法則に従えば、現界でも天国を体験できるのであるぞ。現界が天国でなければ、そなたは何らかの神の法則外し(真釣り外し)をやっているのぞ。自分がしたことを人のせいにしているのであるぞ。そなたには神成る身の自覚がないぞ。
P188
 人は食らう量限りあるぞ。天恵は無限であるぞ。「資源は有限である」というのは、あやま知であるぞ。この方は何でも創りだせるのであるぞ。そなたは「あやま知」を使ってそなたらを支配しようとしていた者たちに騙されていたのであるぞ。その者たちも自分たちが真釣り外しをしていることを知らないのであるぞ。最後の最後には両方ともアウトであるぞ。この方が今ここで教えているのであるから素直に改心しろよ。「あやま知」に基づいて創られる観念はすべて神の法則に反しているのであるぞ。だから、問題が生じることになるのぞ。そのままやれば永遠に天国はないのであるぞ。そなたはお金を集める商売にせいを出しているが、そなたが扱っているものはすべて資源がなければアウトのものばかりであるぞ。資源は神が創りだしたものであるぞ。「神はいない」「神は信じない」と言っているならば、資源を引き上げられたらそなたがどうなるか考えてみやれよ。お金が神になっているぞ。お金がなければすべてないような錯覚にとらわれているぞ。経済制裁が効くのは過ちの世だけのことであるぞ。神に真釣ろえば、お金の脅しは効かないことがわかるぞ。そなたが神に真釣ろえば、お金でも食べ物でも何でも与えるのであるぞ。魔釣りの世でも真釣りに生きることができるのであるぞ。一人ひとりが天国になれるのぞ。
P189
 「神を信じない」という者は何を信じるのか。そなたの本体は想念であるぞ。想念は神の分身であるぞ。想念というのは魂を肉体で感じているものであるぞ。そなたは「地の日月の神成る身(日月地の神成る身)」であるぞ。そなたは「神」に成る身であるぞ。そなたは神の掟に反することはできないのぞ。人間のルールは人間だけのものであるぞ。この方は神の掟を押しつけるつもりはないが、このフミをよく読んで決めろよ。このフミを議論しているのは「あやま知」に囚われし証であるぞ。今の世の道徳には、クサキものたくさんあるのぞ。そなたは苦があるのを当たり前と思ってないか。神は喜びであるぞ。神の世に悪はないのぞ。悪を見ているのはそなたぞ。苦は真釣り外しをしたそなたが創ったものであるぞ。自らが創ったものを外のせいにするからますます真釣り外しするのぞ。

 この本は「ハラ」が書いた本ぞ。「アタマ」にはチャレンジに見えるぞ。そなたが抵抗に感じるならば、そなたは「アタマ」で生きているぞ。アタマで着て、アタマで食べて、アタマで住んでいるのであるぞ。「アタマ」で学んだ知識で生きているのであるぞ。アタマで考えてもこの方の仕組みは分からないぞ。アタマでは一つにはならんぞ。アタマは二つに分ける知恵であるぞ。アタマの仕組みは左右アベコベであるぞ。アタマでやると逆になるのぞ。どっちが得か、どっちが楽かとやっているといつまでも神にはなれんのぞ。そなたは一つにならなければ神にはなれんのぞ。死して天国でなければこの世でも天国でないぞ。この方がこのフミで今までの「あやま知」を全部バラすから、明らかにするから、ツベコベ言わずに、黙って、シカと聞くのであるぞ。
P190
 このフミは人類史上初、神の智を人間というフィルターを通して語った「真理」であるぞ。すべてのすべての問題を解結する決定版であるぞ。「日月神示」「火水伝文」というのもこの方からのフミであるぞ。この本はその超訳であるぞ。「神示」を難しいといって避けている者が多いから、神のルールを体験した人間を通してあらためてフミを出したのであるぞ。神のルールに基づいてフツウの生活の中で修業をさせて、今までしてきたことが「あやま知」であり、神の言うとおりにすると天国になることを体験で確認させて書かせたものであるぞ。人間という証拠が必要ならば、神はそういう人間を派遣することもできるのであるぞ。この者はそういう御用をする者として生まれたのであるぞ。特別でも最初にやったからエライというわけでもないのぞ。前人未踏の森が安全であることを確かめて道を付けて戻ってきたのであるぞ。神の道の冒険をして、皆に伝える斥候(せっこう)であるぞ。この者の借金は研究費としてこの方が与えたものであるぞ。借金通して「お金が神」である世のあやま知を体験させたのであるぞ。神の研究成果発表して返済するプログラム。形は借金であるが、それも神の与えた道具であるぞ。借金に感謝であるぞ。
P191
 「火水伝文」とこの者のノートとは同時に出ているのぞ。この者は体験を先にさせて後から「神示」を与えて確認させたのであるぞ。体験が先で理屈(仕組み)が後ぞ。「あやま知」をすべて捨てないと、この方の仕組みは見えないのぞ。すべてアベコベなのぞ。「あやま知」を持ったままではこの方の言うことがすべて「オカシキこと」に見えるぞ。この方がオカシイのではなく、そなたがオカシキことにとらわれているのぞ。どっちがオカシイかではないぞ。そなたがオカシイのであるぞ。そなたがキ違いであるぞ。キが違うのであるぞ。そなたが考えている「気違い」ではないぞ。そなたは天国の方法を拒否して悩んでいるのであるぞ。地獄の方法を教える宗教に狂っているのであるぞ。この方を拒否すればそなたに天国はないぞ。そなたがキ違いであるぞ。この方に狂えば天国なのであるぞ。皆気違いであるぞ。皆狂っているのであるぞ。皆同じであるぞ。自分を正常だと思い込んでいる者は異常であるぞ。そなたの言う正常異常は数で決めているだけであるぞ。よりたくさんの人間が狂っている宗教の考え方が正常であるだけぞ。精神病はないぞ。

 そなたが天国に生きるには、「自分の中のお掃除」が必要であるぞ。「神の法則に従うこと」であるぞ。「価値判断」をするのをやめることぞ。「○×善悪正誤」を無くすことであるぞ。そなたの外側に映っているもの見て自分の内側を掃除することぞ。「人間の法則をお掃除すると神の法則が見える」のであるぞ。神の法則は始めからあるのぞ。あるものを曇らせているのはそなたであるぞ。これを疑ったり、批判したりすることは、今までのルールに基づくゲームであるぞ。そなたが「真釣り」を外しているから、苦を以って教えることになるのぞ。そなたが混乱しているのが、葛藤を持っているのが、反論しているのがその証拠であるぞ。この方が語ることだけが、そなたが本当の幸せ、平和、安らぎ、成功を創りだすための真実のルールであるぞ。この方の言うことを聞かないとどうなるかというのもこの方の語ることであるぞ。そなたの今までのゲームもこの方の言うとおりになっているのであるぞ。この方の言うことを素直に聞けばアベコベの体験ができるのであるぞ。みんなそろって天国ぞ。簡単な道理であるぞ。わかるか。
P192
 この方が語ることは、そなたが今まで神と言っていた神(中つ神々)を含む宇宙を創った(自らの中に生んだ)本人(「元つ神」)の言葉であるぞ。そなたが「神」と言っていた「中つ神」にも分からなかった仕組みであるぞ。今までは中つ神々自らが「快欲」にとらわれ、全能の神であると思い込んでいたからそなたらもそうなったのであるぞ。今までの神に聞いても何もわからなかったのであるぞ。聞けば聞くほど魔釣りが進んだのであるぞ。「元つ神」のルールは寸分の狂いもないのぞ。一人としてこの方のルールから出ることはできないのであるぞ。今の今は中つ神々にもすべて教えて改心させてあるから、これからは人間のお手伝いであるぞ。そなたが改心するならば、応援するぞ。そなたが「快欲」にとらわれ続けるならば、それも応援するのぞ。そなたにはすべての仕組みを教えるから、自分が何をしているかよく考えて、改心(改神)することであるぞ。神を変えることであるぞ。神カエルことであるぞ。神を変えなければそなたの体験は何も変わらないのであるぞ。我にカエルのは今までの考えであるぞ。この方が今ここですべてのカラクリを教えるのだからよく考えて行動することであるぞ。知らんという言い訳は通用せんぞ。
P193
 そなたが今まで信じていたルールは「あやま知」と言われるものであるぞ。「元つ神」の法則に反しているものであるぞ。元つ神のルールに反しているが、元つ神のルール通りでもあるぞ。「そなたのすることがそなたに返る」のであるぞ。「この方の言う通りにしなければ天国はない」というのもこの方の言うことであるぞ。そなたはこの方の仕組みからはでられないのであるぞ。この方に反抗してもこの方の言うとおりになるのぞ。どうするかよく考えて決めろよ。そなたは、今の今まで「快欲」にとらわれて、すべて「自分自身の保身、身欲」をもとに思考しているのであるぞ。そなたがやっているのは「自分だけ勝手」であるぞ。「あの人は自分中心だ」というそなたが「自分中心」であるぞ。そなたが言っていることは自分のことであるぞ。そなたが見ているのは自分の姿であるぞ。そなたがそなたの外側を見て感じること言いたくなることはそなたのことであるぞ。そなたの外側を批判するのはそなたを批判しているのと同じぞ。自分で自分を批判している一人芝居であるぞ。すべてのすべては神がしていることであるから、そなたは神を批判していることにもなるのぞ。神を批判してそなたの天国があると思っているのか。
P194
 この方の語ることを○×判断したり、疑ったり、気違いだ、アホだ、変だと言っているとしたら、怖いとか、不安だとか、良くないとか感じるとしたら、それはそなたが「あやま知」にとらわれている証拠であるぞ。そなたは「あやま知」のゲームの中にいるのぞ。この方はすべてを許しているのぞ。この方の許さないものは形にならないのぞ。そなたらがトンネルを掘ろうとして事故になるのはこの方が許さないからぞ。「悪」という形は、この方が許しているから存在しているのであるぞ。この方が許しているものを何故にそなたは裁くのであるか。「悪」を「悪」というのが「悪」であるぞ。「悪」を「悪」というそなたが「悪」であるぞ。そなたがこの方の言うとおりに聞いていれば「悪」は関係なくなるのぞ。「悪」が気になるのは、この方を無私している証拠であるぞ。外に頼るゲームをしている証拠であるぞ。外に頼るならば何が起きても外に文句を言うでないぞ。この方に真釣われば、そなたは何でもできるのであるぞ。人に頼って文句いうのは自分だけ勝手のご都合主義というものであるぞ。自分勝手でない者はいないのぞ。神の自分勝手を生きるならば皆がうまくいくのであるぞ。悪を裁くそなたが邪魔者であるぞ。

 この方は何も裁いていないぞ。いっさい裁いていないのぞ。この方はすべてを許しているのだから戒律はないのぞ。神のルールは「自分のしたことは自分で責任をとる」ことだけであるぞ。神の仕組みはそなたの選択通りにそなたが体験するように創っているのぞ。自業自得であるぞ。そなたがどんな体験をしようともすべてそなたの選択の結果なのであるぞ。外をコントロールしたり、外を制限したりする必要はないのぞ。法律はいらないのであるぞ。神のルールが分かったら、争いも犯罪もなくなるのぞ。できなくなるのぞ。それをしていると自分が危ないことが分かるからであるぞ。「裁く」というゲームは、この方が許しているものをそなたが裁いていることになるのぞ。そなたは何をしているのか。いい加減に裁くのをやめないとそなたが地獄に落ちることになるぞ。神が落とすのではないのぞ。そなたが落ちるのであるぞ。自分の苦の原因が外にあると思っているから、外の悪を裁くことになるのぞ。外の悪をやめさせる必要があると思うことになるのぞ。そなたがしていることであるぞ。外の悪とそなたの体験とは関係ないのぞ。裁判官様、警察官様、自らのしていることが何かをかえりみられよ。そのままでは皆終わりであるぞ。
P195
 「人間として許されないこと」などというものはないのぞ。そなたは身魂であるぞ。人間というのは身魂が肉体を通して体験しているゲームであるぞ。そなたの肉体はそなたという身魂の服であるぞ。そなたが物質の世界で遊ぶためのぬいぐるみであるぞ。そなたは身魂であるぞ。身魂は神の分身であるぞ。自分で責任をとれば何をしてもよいのぞ。外を責めるのは責任をとっていない行動であるぞ。そなたがこの方のルールに従えば外をコントロールする必要はなくなるのぞ。人のすることを「するな」「やめろ」というゲームはいらないのぞ。人間として許されないことがあるなら、人を裁くことであるぞ。人に口出しすることであるぞ。そなたは神成る身魂であるぞ。人間というのは神になる身魂であるぞ。神のルールに反することが「人間として許されないこと」であるぞ。許されないことをすれば、そなたが苦しみを感じるようにしてあるのぞ。誰も裁いていないのぞ。自分のことは自分で責任をとるのであるぞ。「人を裁く」というのは、「人のコントロール」というのは、「あやま知」をもとに生きている人間が創りだしたルールであるぞ。人間の恐れが創りだした幻想であるぞ。今のままでは自分自身が神に成れないぞ。
P196
 そなたが、神を否定するとしたら、そなたは○×をやっているだけではなく、自分より大きいものを否定するというオカシなゲームをやっているのであるぞ。そなたが否定しているのはそなたが創ったものであるぞ。そなたはこの方の中にいるのぞ。なぜにそなたがこの方を見ることができるのか。そなたが宇宙を見ることができないのと同じ道理であるぞ。そなたが宇宙を否定したらそなたはいないのぞ。そなたがこの方を否定したらそなたはいないのぞ。そなたが否定しているのはそなたが創った神であるぞ。この方を否定したいならしてもよいが、そなたはこの方の言うことにもとづいて苦しみを感じつづけることになるのぞ。そなたが選んだ通りにそなたが体験するだけであるぞ。最後の最後は天国はないぞ。そなたは天国の方法を否定しているのぞ。どうしてもやりたいならばお好きなだけやればよいぞ。そなたの人生はそなたが選ぶものであるからな。そのかわり、そなたが体験していることはそなたが選んだことを忘れるでないぞ。人を責めたり、グチグチと文句を言ったりするならば、そなたは神成る身魂としては失格であるぞ。
P197
 この方の法則とこの方を知らぬ人間の法則は裏と表、どっちか一つであるぞ。この方を体験した人間の法則はこの方の法則であるぞ。人間の法則から手を放さないと、この方の法則は見えないのであるぞ。「二十一世紀は国際化社会だから英語を学ぶのが大事だ」とそなたらは言うが、それは誰に聞いたことぞ。「国際社会になる」と決めているのは誰であるか。神は英語を学べなどと言った覚えはないぞ。「英語」という言葉は、今までの人間のゲームで、肉体同士の会話だけで通用するものであるぞ。ミロク世になれば今までの言葉はいらんのぞ。ミロクの世はココロが見えるのぞ。ココロが体になるのぞ。ミロク世になれば、光でその人の位が分かるのであるぞ。全部見えるのぞ。ウソというものはないのぞ。ウソを付けないのではなく、今のそなたが想念で創ったものがそのまま見えるのであるぞ。そなたのココロがすべて見えるのぞ。魂が肉体になると思えばよいぞ。これはそなたがアタマで考えてもわからんことであるぞ。自分の学んだ言葉でココロの掃除せよ。

 ココロというのはそなたの魂の言葉を肉体で感じているものであるぞ。ココロ(想念)が肉体であるから、思った瞬間形になるのであるぞ。そなたの想いが即、形であると思えばよいぞ。想いと形が一つであるから、ウソはつけんのであるぞ。そなたのココロが肉体になるのであるぞ。英語というのは肉体と肉体での翻訳であるぞ。意識や想念のイメージ(想い)は日本人もアメリカ人も同じであるぞ。表現の形が違うだけであるぞ。次の世ではイメージそのものが見えるから、言葉は必要ないのであるぞ。「自動車=CAR」という勉強は卒業しろよ。言葉と言葉の翻訳は意味がなくなるのであるぞ。言葉というのは今の世界だけで必要な道具であるぞ。言葉の通訳は通訳がいるから通訳に任せればよいぞ。そなたは自分の言葉で神の言葉を学ぶことであるぞ。掃除することぞ。外国語を学ぶより神の言葉を学べよ。この者のノートも、この者の語っていることも、このフミも、すべてこの方の言っていることであるぞ。すべて言った通りになるぞ。言った通りであるぞ。神に偽りなし。この方が言うことがその通りになるかどうかを試してやろうとして外を見ている者は最後の最後で大掃除されるぞ。そなたが自分の大掃除すればわかることぞ。
P198
 そなたには過去や未来というものはないのであるぞ。過去も未来も人のことも社会のことも、そなたが今語っていることは、すべて今この瞬間にそなたの基準でそなたが創っているものであるぞ。そなたが想像していることをそなたの肉体で翻訳しているだけであるぞ。そなたが見ているのは目の前にある形だけであるぞ。目の前のその形には決まった意味はないのぞ。そなたは想像の世界でアレコレ創りだして、アレコレ決めつけているだけであるぞ。そなたは過去のことか、未来のことか、人のことか、仮定のことか、今この瞬間以外のことを語っているぞ。そなたが心配しているのはそなたが創った幻想であるぞ。まだ起きていないことをそなたが勝手に心配しているのぞ。もう終わったことを勝手に後悔しているのぞ。そなたは今この瞬間を連続して体験しているだけであるぞ。そなたは自分で自分の体験を勝手に決めているぞ。あるわけがないと決めているぞ。もし、もし、と言って勝手に都合よく物語を創ろうとして悩んでいるのぞ。したことは消えないぞ。
P199
 そなたが語っている「○○さん」というのはそなたが創ったその人の姿であるぞ。そなたが見ているものはすべてそなたが創ったものであるぞ。そなたがそなたの基準で目の前のものを見て勝手に解釈しているだけであるぞ。そなたが語っている社会というのはそなたが創った社会であるぞ。社会は不況ではないぞ。そなたが不況に見えるやり方をそなたが選んでいるのぞ。そなたが選んでいるやり方でやると不況になるのぞ。不況をどうにかしようとするともっと不況になるぞ。不況が恐怖になるぞ。そなたのやり方は最後の最後はすべてアウトであるぞ。集団自決であるぞ。悪の芽、悪の糸はもう切ってあるのぞ。今までのやり方がまだ続くように見えるのは最後の最後の大掃除のための舞台作りのためであるぞ。いつまでも今までのやり方が続くと思ったら残念がでるぞ。人間ゲーム卒業ぞ。

 そなたはこの方が構えた「情けと花の仕組み」を知らんから不安になるのぞ。この方の仕組みを知らんから自らの真釣り外しのお知らせである「苦」を自分以外のせいにできるのぞ。そなたは楽をしようとするから苦で知らせるのぞ。自分以外のせいにするとますます真釣り外しをすることになるのぞ。そなたは自分で自分を苦しめているのぞ。自分が自分で苦しんでいるのに自分以外のせいにするとは何事であるか。神なる身の自覚なきもほどほどにしろよ。そなたは掃除終わっていないから病気や苦しみやトラブルがあるのぞ。自分がどうなるかと心配していると永遠に掃除終わらんぞ。心配することは魔釣りぞ。自分だけ勝手であるぞ。心配やめると真釣りになるぞ。そなたを通して神がやっていることを何故にそなたが心配するのか。この方は喜びを創るだけであるぞ。喜びを創ろうとしているこの方の言うことを心配するというのはどういうことであるか考えよ。
P200
 文句、不安、心配、責任追及、勝ち負け損得ゲームは「あやま知人間」のゲームぞ。そなたが自分で自分を苦しめているのに気づかん限り、そなたは文句言いつづけるぞ。そなたは心配し続けるぞ。そなたは人を責めつづけるぞ。トラブルや問題や悩みや葛藤や不調和を創り続けるぞ。それはこの方の望みではないのぞ。そなたが人の責任ゲームを続けている限り、そなたに天国はないのぞ。そなたはそなたの首を自分で締めているのぞ。早く気づかんとそなたが危ないのぞ。回りにも迷惑であるぞ。迷惑だというそなたが迷惑であるぞ。回りには何の責任も何の問題もないのぞ。そなたがそういう見方をしているだけであるぞ。そなたが見ているものはそなたの姿であるぞ。この道理わかるようになれよ。

 この方のやり方を生きることを決めた者は、どこまでもやり通せよ。そなたを悪く言う者は人の責任ゲームをやっている者であるぞ。そなたが気になるというならば、そなたも人の責任ゲームをやっているぞ。罪悪感はいらんのであるぞ。無私してよいのぞ。悪く言われておけよ。気違いに成っておけよ。悪者に成っておけばよいぞ。そなたがキチガイの見本になるのぞ。キチガイになりたい者の前例になるぞ。モデルになるぞ。この方の生き方をしたい者がそなたを見て安心するぞ。キチガイが増えれば神の世は近くなるぞ。キ違いになれば、神が入るぞ。キが違うのぞ。狂っているのではないぞ。神のキがはいるのぞ。キが違うと人生が変わるのぞ。喜びを創るこの方の言葉を拒否しているそなたの方が狂っているのであるぞ。そなたが言っている言葉はそなたのことであるぞ。キはシナリオ。
P201
 この本は神の真理を書いたものであるぞ。初めて明かした真理のテキストであるぞ。掃除の教科書であるぞ。普通の生活の中で、日常の出来事を材料にして掃除をするためのバイブルであるぞ。ハラが語る真実ぞ。宗教、法律、教え、全部今までのゲームであるぞ。神はチャネリングぞ。人間みんなチャネリングしているぞ。霊界と現界は合わせ鏡ぞ。霊界にあるものが現界にあるのぞ。霊界に山川あるから現界に山川あるのぞ。これが真実であるぞ。霊界と現界はアベコベであるぞ。現界の形だけ見ていると霊界が見えないぞ。霊界で起きていることが現界で形になるのであるぞ。そなたは霊界と現界に生きているぞ。そなたの姿が映っているのが現界であるぞ。そなたは鏡を見ているのぞ。そなたが見ているものはそなたであるぞ。善悪損得○×責任、ぜんぶそなたが持っているものであるぞ。そなたが持っているものを映しているだけであるぞ。この道理わかれよ。
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 「君が代」は霊と体、気と身、キとミの代であるぞ。キミの世であるぞ。キとミが一つにナル代であるぞ。千代に八千代にさざれ意志のイはオとなるのぞ。アイウエオがアオウエイになるぞ。イはオとなるのぞ。アベコベになるのぞ。こけのむすまで永遠に神の代になるのぞ。「君が代」は戦争の歌ではないぞ。神のお知らせぞ。国歌はこの方の歌ぞ。国旗はこの方の旗ぞ。日の丸はヒ(霊)のマル(○)ぞ。ヒ(一)のマル(○)ぞ。十であるぞ。神のしるしぞ。ヒノモトのしるしぞ。国旗国歌の是非を論じるのはあやま知のゲームであるぞ。そなたの思惑で、そなたの都合で勝手に意味を付けているぞ。そなたらの善悪で自分勝手な理屈を創って争っているぞ。世界のありとあるものすべてが神の現れであるぞ。すべてが神ぞ。神の型示しぞ。この方はすべてを形にして教えているぞ。型で教えているのぞ。真実を明かしているのぞ。この方の言っていることを聞けば見えてくるのぞ。この方の言っていることを聞かなければ見えないのぞ。この方の言うことを聞くか聞かないか二つに一つであるぞ。この方の言っていることを素直に聞けよ。この方の言うことを人間心出して判断するなよ。そなたが滅びるぞ。イザナギとイザナミが一つになるぞ。ヒノモトの童謡や昔話はこの方のメッセージであるぞ。「カゴメ、カゴメ、カゴの中のトリ(十理、神のコトワリ)はいついつ出やる、夜(「やゆよ」が明ける晩、らりるれろの世界が)明けの晩に、ツルとカメがすべった(統べった/滑った)後ろの正面だーれ。」そなたの後ろの正面がそなたの前に映っているだけであるぞ。烏はトリにあと一歩の鳥。
P203
 いよいよ三歳苦難のタテカエタテナオシが迫っているぞ。一気に一度にメグリ渡して大掃除してもらうぞ。掃除さぼれなくなるぞ。掃除終わるまで休憩ないぞ。今なら少しずつできるぞ。休憩しながらできるぞ。だんだん厳しくなるぞ。今までの「人の責任ゲーム」や「あやまつ形」はあと二年で終わりであるぞ。あやまつ形を大掃除する仕組みが形になるからぞ。そなたが「人の責任ゲーム」をやろうとすると苦しくなるぞ。そなたにはもう後がないのぞ。三歳苦難のタテカエタテナオシの三年の間、神は一切手出しせんのぞ。掃除できていないと苦しいぞ。そなたが掃除できていれば助けることができるぞ。掃除なきものは新しい世界には行かれんのぞ。そなたのメグリをすべて清算するまではそなたは楽にならないぞ。神の仕組み知ってその時にまとめて掃除して天国になろうとしても無駄であるぞ。そなたのメグリを、真釣り外しをすべて清算するまでは天国にはならんのぞ。今なら今ここで始められるぞ。そなたの自覚大切ぞ。そなたが天国にいくも地獄にいくもすべてそなた次第であるぞ。自分のことであるぞ。人ごとではないぞ。自分で決めよ。

 このフミもこの者の言うことも神示の受け売りではないぞ。この者が体験を通してその後に出した実践神示であるぞ。この者にとっては、神示は後から来たのぞ。この方の声と知らずに、神を知らずに、何が何だかわからずに、回りの抵抗の中で自分の直感だけに従って、この方の声に従って、先にやって、先に掃除して、タテカエタテナオシのすべてのプロセスを体験しているのぞ。体験してから神示で確認したのぞ。そなたは神示読めばすべて分かるのぞ。神示読まん人間多いから、神示を敬遠する者が多いから、最後の最後の大サービスとして出したフミであるぞ。この者の体験というフィルターを通して、特別な形ではなく、トランスチャネリングではなく、人間に分かるように人間の体験として人間の言葉で伝えているのであるぞ。これ読まなければ神避けるそなたは何もわからんぞ。
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 そなたらの議論している「二十一世紀に向けて何をどうすればよいか」というテーマに対する答えは、今のそなたらは持っていないのぞ。そなたらの考えているような二十一世紀はもうこないのぞ。マルチメディア社会も高齢化社会も国際化社会ももうこないのぞ。情報化社会ももう終わりであるぞ。エイズや環境破壊や臓器移植や犯罪や平和や差別や不平等やイジメや景気をどうするかを議論しても意味ないぞ。そなたらのアタマで議論すればするほど分からなくなるぞ。ますます問題が深刻になるぞ。「解決」しようとするほど「解結」しなくなるぞ。どんどん問題を創りだすだけであるぞ。今ここで形になっている「不都合」や「不調和」や「問題」というのは、すべてのすべてが今までそなたらが学んできた「あやま知」で動いた結果として創りだしたものであるからぞ。すべての出来事、体験は、今の今までそなたらが今持っている「神の仕組みとアベコベのモノの見方」を行動した結果であるぞ。議論というのは「あやま知」そのものであるぞ。同じやり方では同じものしか創りだせんのであるぞ。今までのやり方は不調和、不都合、トラブル、問題、不平等、不自由、不博愛を創る「地獄のゲーム」であるぞ。天国は永遠に創り出せんやり方であるぞ。
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 そなたという身魂はこの方の分身であるぞ。そなたという身魂のすることを肉体という物質の体に翻訳しているのが人間であるぞ。そなたの死後に残るのは身魂だけであるぞ。そなたの「考え」「ココロ」「想像」そのものがそなたであるぞ。新しい世はそなたのココロがそのまま現れる世であるぞ。そなたのココロに地獄があれば、そなたのココロに制限があれば、そのまま見るのであるぞ。戦いがあれば戦うのであるぞ。そなたとこの方は想念の世界で対話しているのであるぞ。この方はそなたの想念をすべて見ることができるのであるぞ。そなたらすべての想念を見ることができるのであるぞ。そなたらが何をするか、何を創るかはこの方はすべて知っているのであるぞ。悪の企みもすべて知っているのであるぞ。この方はそなたの考えることはすべてわかるのであるぞ。そなたがどんな反論をするか、そなたが何をしようとしているか、そなたがどういう見方をしているか、分かるのであるぞ。そなたのやり方でやるとどうなるか、結果は全部分かるのであるぞ。

 この方はこの方が創った仕組みの中でそなたが何をしたらどうなるかすべて知っているのであるぞ。この方はそなたらの混乱の原因も収拾の方法もすべて分かっているのであるぞ。そなたらの悪の企みも嘘も建前もすべて知っているのであるぞ。そなたらの秘密もすべて知っているのであるぞ。そなたらの秘密をバラすこともできるのであるぞ。そなたらはこの方の創った仕組みの中で遊んでいるだけであるからぞ。そなたがやっていることは何もないのであるぞ。この方が許しているから悪の企みができるのであるぞ。これからは不調和創り出す今までのやり方はこの方は許さないのであるぞ。自分だけがうまくやろうというのでは天国はこないのであるぞ。そなただけが良く成ろうとしているつもりであるが悪くなっているのであるぞ。身魂の視点で見ればそなたは得しているようで損しているのであるぞ。そなたの人間というゲームはそなたの選んだルール通りに体験する身魂のゲームに過ぎないのであるぞ。そなたはどんな体験も自分で選べるのであるぞ。選べるのではあるがそなたがするのではないぞ。そなたの注文をこの方が聞くのであるぞ。
P206
 そなたが使っているのはこの方が創ったモノであるぞ。この方が許さなければ使えないものであるぞ。この方が創ったものはこの方がどうにでもできるのであるぞ。そなたのものは何もないのであるぞ。この方のことを知らぬそなたの今までの思い込みはそなたの自分勝手なものであるぞ。そなたが自分を正当化するどんな理屈も通用しないのであるぞ。人のことを人が決めるゲーム、人のすることを賛成反対するゲーム、許す許さないゲームには自由はないのであるぞ。この方はすべてを許しているのであるが、そなたらは何をしているのであるか。許しているから賛成反対ゲームも、自分のしたいことをするゲームもできるのであるぞ。お互い自由なのであるぞ。裁くゲームは迷惑であるぞ。そなたの肉体の世界の出来事はそなたの魂の世界の出来事の結果であるぞ。そなたの魂の世界はこの方の仕組み通りに成るのであるぞ。魂の世界で成ったことが肉体の世界に映し出されているのであるぞ。そなたが人生だと思っているのはすべて幻想のゲームであるのぞ。
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 この方はそなたら皆を天国にすることもできるのであるぞ。この方は、だれが何を欲していて、だれが何をあげたいのか、どうすれば満たし和えるかをすべて知っているのであるぞ。一人ひとりを組み合わせてお互い満たし合って嬉し嬉し楽し楽しの天国のパズルを組み立てることもできるのであるぞ。この方の御用をするこの者もこの方と同じものが見えているのであるぞ。そなたもこの方の言う世界が見えるようになるのであるぞ。そなたの肉体の世界はそなたの魂の世界の鏡であるぞ。そなたは鏡の世界を変えようとしているのであるぞ。元を変えずに鏡の像をいじくっているのであるぞ。元がそのままならば鏡を何枚割っても同じものが見えるのであるぞ。気にくわない者の肉体を奪ってもそなたは安心できないのであるぞ。外を変えようとするそなたが迷惑であるぞ。そなたはそなたの責任を逃げているのであるぞ。自分が選んだ体験が都合悪いと自分以外のせいにしているのであるぞ。そなたが外側に見ているのはそなたが持っている○×善悪正誤美醜であるぞ。魂の世界が天国でなければ肉体の世界の天国はないのであるぞ。肉体の世界の天国は、魂の世界、即ち肉体で認識するところの「ココロ」を掃除することでできるのであるぞ。そなたは肉体をもって魂の世界を知ることができるのであるぞ。神の世界を見ることができるのであるぞ。この方の語る話を聞くことができるのであるぞ。
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 そなたは、この方の言うことを素直に実行すれば神の世界を体験することができるのであるぞ。この方の言う通りにすれば肉体の世界でも天国を体験することができるのであるぞ。この方がそなたの注文を聞いてこの方の創ったものを使ってそなたに必要なものを与えているのであるぞ。この方の言うことを疑えば天国はないのであるぞ。どっちが本当かを比べていても分からないのであるぞ。そなたが今やっているやり方とアベコベを実行して初めて体験する世界であるぞ。そなたは今そのやり方をしているからその体験をしているのであるぞ。アベコベのやり方をすればアベコベの体験をするのであるぞ。「もし失敗したら」「もし騙されてたら」「もしもしもしでもでもでも」をやっているのは今までのやり方であるぞ。今までのやり方から出ていないのであるぞ。この道理分かるか。

 そなたは身魂の掃除なくして新しい世の民になることはできないのであるぞ。そなたが掃除をするかしないかでそなたの身魂の永遠の生死が決まるのであるぞ。そなたの身魂が死ねばそなたは永遠に消えるのであるぞ。肉体の生死、財産、地位、名誉、金、信用、世間体云々どころの話ではなくなるのぞ。そんな小さなことにこだわっているとそなたはいなくなるのであるぞ。取り返しのつかないことになるぞ。疑えば疑うほどそなたは死に近づくのであるぞ。新しい世へのプログラムは決まっているのであるぞ。掃除を先に延ばせば延ばすほど厳しくなるのであるぞ。大変になるのであるぞ。最後はすべての人間が掃除を体験することになるのぞ。そなたがたよっている外のものをすべて壊して、いやでも掃除をせねばならない状況を創るのであるぞ。今そなたの回りで起きている天変地異や事故や問題はすべてその前兆であるぞ。少しずつ体験させているのであるぞ。今までのやり方で何とかしようとすればますます泥沼にはまるのであるぞ。そなたの今までの見方では怖いことばかりおきるのであるぞ。最後の最後には身魂の掃除ができたかできないかの身魂改めがあるのであるぞ。そなたの身魂が生まれて以来初めての関所であるぞ。関所の通行手形は「掃除の終わった(神ゴコロに戻った)身魂」であるぞ。今度の今度だけは裏工作もワイロも学問も知識も地位も財産も何も通用しないのであるぞ。すべての者が平等にできることであるぞ。最後の最後に必要なのは「掃除が完了した身魂」だけであるぞ。
P209
 身魂の掃除というのは「ココロ」の声を使ってそなたが持っている「あやま知」を「神の智」に交換して行動する練習をすることであるぞ。そなたのココロにある基準を取り替える(十理=神を替える)ことであるぞ。そなたのココロをこの方のココロと同じにすることであるぞ。そなたは、そなたがココロに持っている基準通りの物語を体験するのであるぞ。そなたが持っているシナリオを変えなければ体験は変わらないのであるぞ。「天国創る神のやり方」を実践すれば形は天国であるぞ。今までのシナリオは地獄の物語であるぞ。自分だけが満足して勝つ、争いを創るシナリオであるぞ。この方は「天国のパズル」が完成するように一人ひとりの想念を通して指示することができるのであるぞ。そなたがいくら考えてもすべての人間を天国にすることはできないのであるぞ。
すべてのすべてを調和のもとに機能するように創ったこの方の言うことを素直に聞かなければ、個人的な問題も社会的な問題も、すべてのすべてがもう何も解結しないのであるぞ。不調和創り出している限り平和も自由も平等も何もないのであるぞ。この方はそなたが不調和を創りだしたときに自分自身で気づいて調和に戻せるように「情けと花の仕組み」を創ったのであるぞ。そなたがバラまいた不調和と同じだけの「苦」を与えて知らせて自分のしたことを自覚させて、お詫び、感謝、改心したら「楽」になるようにしたのであるぞ。改心というのはそなたが分かったこと、気づいたことを行動することであるぞ。お祈りや感謝の言葉だけではだめであるぞ。そなたが分かったことをそのまま行動することで改心した証拠になるのであるぞ。神を信じているならば、神の言う通りに動くことであるぞ。判断を入れたらそなたは神を信じていないことになるぞ。言い訳や理由はいらなくなるのであるぞ。疑いをもったら改心していないのであるぞ。
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 この方は、この方の仕組みで肉体をもった身魂であるそなたが肉体の世界で掃除できるようにココロというものを創ったのであるぞ。肉体を使って魂の掃除ができるようにしてあるのぞ。ココロを使って神の心に戻れるような仕組みを創ったのであるぞ。そなたは今まで「あやま知」にとらわれていたからそのことに気づかず、自分の「苦」や「葛藤」や「混乱」や「問題」を自分以外の責任にして、ますます不調和をバラまいて、ますます混乱や苦しみを創りだしていたのであるぞ。そなたの「苦」というのはそなたが創ったものであるぞ。そなたが不調和ばらまいたことを知らせるお知らせであるぞ。そなたがバラまいたと同じだけの苦を体験しているのであるぞ。そなたがしたことが返ってきているのであるぞ。「あやま知」にとらわれているそなたが気づかないことがわかっているからこの方が人間の言葉に翻訳してここですべてを教えているのであるぞ。「知恵」と「智慧」は違うのぞ。知恵は人間の創ったものであり、智慧は神のものであるぞ。「知」の下に「日(火、一、霊=神)」があるのが智慧であるぞ。神の教えであるぞ。そなたがとらわれているのは神の智とアベコベの、混乱をつくる、「自分だけ善しの知恵」であるぞ。そなたらはみんな自分勝手であるぞ。人のすることをとやかく言える筋合いはないのであるぞ。そなたは正しくないのであるぞ。そなたは普通でないのであるぞ。そなたはキ違いぞ。
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 自分のしたことの結果を人のせいにするというのはどういうことであるかよく考えてみよ。そなたが感じている「苦」はそなたがそなたのまわりに、見える世界見えない世界に宇宙にばらまいて神や人に与えた「苦」と同じであるぞ。神の世界は天国であるぞ。そなたが不調和ばらまけば天国の安らぎはないのであるぞ。そなたがばらまいただけのものはそなたに体験してもらうのであるぞ。これは一人として避けられないものであるぞ。そなたが安らぎや天国を感じようとしてもそなたが蒔いた分だけは引き受けることになるのであるぞ。そなたがこの方の言うことを理解したとしても、そなたがまき散らした分だけはしっかりと引き受けてもらうのぞ。そなたがしただけのものは返してもらうのぞ。そなたがこの方の言うことに反論したり疑ったりすればますます不調和をまき散らすことになるのぞ。そなたのしたことの結果はそなたに戻るだけであるぞ。そなたはこの後に及んでまだ「苦」を体験したいのか。そなたの「苦」や「問題」や「怪我」や「病気」や「事故」は、そなたが不調和出していたことに気づかせるために、この方がこの方の家来を使って、そなたが出した分だけ、忠実に、一つのもれもなく、多くも少なくもなく、ピタリピタリとそなたに返しているのであるぞ。今ならばそなたが耐えられる分量ずつ渡せるが、最後の最後はまとめて渡すのぞ。そなたがすべて返済するまで、お掃除が終わるまでそなたは天国になれないのぞ。後ろの期限は決まっているから、先に行くほど纏(まと)めてやることになるぞ。先に延ばすほど自分が苦しくなるのぞ。今怖いものはもっと怖くなるぞ。早く始めるほど楽に天国になれるぞ。楽であるが楽ではないぞ。そなたの身魂が生まれて今まで何世代にもわたってまき散らしてきたものを全部清算するのであるからぞ。
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 そなたが体験していることはそなたがしたことであるぞ。文句や愚痴を言っているならばますます不調和ばらまいているのであるぞ。自分のしたことの責任をとっていないのであるぞ。ますます「苦」や「問題」や「怪我」や「病気」や「事故」を体験することになるぞ。責任追及や裁判をやっている者は早く気づけよ。そなたにメグリ、真釣り外し、不調和ばらまくことがなければ「損」も「被害」もないのであるぞ。そなたが受け取っているものはそなたのメグリに応じて、そなたが耐えられるだけの分量をこの方が与えたものであるぞ。そなたの加害者はそなたであるぞ。「偶然」などというものはないのであるぞ。自分のものもないのぞ。この方のものであるからこの方が自由につかえるのであるぞ。最後には一度に与えるのであるぞ。「原始時代」の民はこの方と共にいたのであるぞ。病気も事故もないから医師も裁判もいらないのであるぞ。自らしたことだと知っているからこの方と共に直していたのであるぞ。「苦」も「病気」も「事故」もお互いのメグリ合いであるぞ。すべてこの方が与えたものであるぞ。
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 この方の言うことを聞くことだけが「調和」を創りだすやり方であるぞ。不調和はメグリ積むだけであるぞ。メグリあれば平和も自由も天国もないぞ。遊べないぞ。メグリを掃除しなければ、自分のしたことを自分で自覚しなければ、そなたは新しい世界も死後の天国もないのであるぞ。今ここの天国もないのぞ。善いことをしてもだめであるぞ。世紀末のことや神のことを知っても何もならないのであるぞ。そなたがすることは「あやま知」の掃除だけであるぞ。文句言わないことであるぞ。愚痴を言わないことであるぞ。人を責めないことであるぞ。口だけの感謝はだめであるぞ。感謝しているならば、自分の責任をとっているならば、文句も愚痴も言えないのであるぞ。わかったら態度で示すことぞ。行動することぞ。この方の言うことを行動することであるぞ。そうすればこの方はそなたの掃除を手伝うぞ。きついならきついなりに一番はやく一番楽に掃除できるような材料を与えるぞ。掃除終わればオカゲをやるぞ。最後のプログラムはこの方が創ったのであるぞ。こうやってこの者を使ってすべての種明かしをしているのだから素直に改心結構ぞ。
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 どっちがよいか、どっちが得かのゲームは問題を創るだけであるぞ。物事を二つに分け続けるだけであるぞ。ねずみ講であるぞ。どんどんワケが分からなくなっていくだけであるぞ。そなたらは分けに分けてそなたとこの方の関係まで見えなくなってしまったのであるぞ。宗教とか哲学とか言って学問や他力本願の対象にしてしまったのであるぞ。この方を忘れてしまって、自分が何をしているかわからなくなってしまったから「問題の山」を前にして途方に暮れてしまっているのであるぞ。そなたらは自分で問題を創って自分で悩んでいるのであるぞ。これ以上「あやま知」に占領されたアタマを使って外側の情報を創りだしては神の世界がますます見えなくなるだけであるぞ。ますます混乱が進むだけであるぞ。ますます思惑とは反対の方向に行くだけであるぞ。平和も平等も自由も安全も全部遠くなっていくぞ。分けがわからなくなるだけであるぞ。何とかしようとするほど何とかならなくなるのであるぞ。人間にはもう何も解結できないのであるぞ。今ある問題は、神の世界を創る大掃除の序曲であると同時に、そなたらの魂のお掃除をするための材料であるぞ。神の視点になる訓練をする教室であるぞ。そなた次第でゴミにも宝にもなるぞ。

 そなたがすることは今までのあやま知をきれいさっぱり捨て去って、調和を創る神の仕組みを生きることであるぞ。生きる基準を変えることであるぞ。そなたの魂のお掃除を始めれば今起きていることが見えてくるのぞ。今起きていることがそなたとは関係なくなるのぞ。そなたが見方を変えなければどんどん怖いことになっていくのぞ。そなたが今までのゲームを続ければ続けるほどそなたが危なくなるのぞ。そなたとそなたの回りとは関係ないのぞ。そなたが掃除済めば、何が起きようが気にしないで遊べるのであるぞ。そなたがメグリ持っている分だけ遊べないのであるぞ。「遊べない」「できない」と言っているからずっとできないのであるぞ。そなたは物質を使って遊ぶ魂であるぞ。今世はメグリなければ嬉し楽しの遊び場であるぞ。
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 外を探していても何も答えはないぞ。二十一世紀というのは全く別の世界になるのぞ。魂の世界と物質の世界が半分ずつの世界になるのであるぞ。今のそなたが想像しても分からないのであるぞ。想像するよりも掃除をすることぞ。掃除をすれば見えてくるのぞ。どうなるか、何が起きるか、どうすれば助かるか、をやっていると助からんぞ。何もわからんぞ。肉体を守っても魂がなければ何もないのぞ。肉体の死を恐れていると魂が死ぬのぞ。神の世界の規則通りに生きればそなたに死はないのぞ。肉体の死はあってもそなたに死はないのぞ。そなたは物質ではないぞ。そなたは魂であって肉体であるぞ。そなたが守っているものは今までの遊び場で与えられた遊び道具であるぞ。今までの遊び道具を握っていると新しい遊び道具を渡すことができないのぞ。新しい道具がほしいならば今までの道具を放すことであるぞ。新しい世界は今の肉体では遊べないのであるぞ。一度肉体を脱いで新しい肉体(服)を着る必要があるのぞ。そなたという魂が新しい世に合った行動をしていないと新しい服は着られないのであるぞ。
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 今までの知識が今までの物質の世がこのままずっと続くと思うなよ。今までの「当たり前」や「常識」が続くと思うでないぞ。いつまでも「我よし」や「保身」や「損得勝ち負け」ゲームや「私はどうなるのでしょう」ゲームや「利害関係調整」ゲームをやっていると残念が出るぞ。もう後がないのぞ。この方は、新しい世を創る時が迫っているから、すべてのすべてのカラクリを公開して、後悔しないように準備をさせようとしているのであるぞ。そなたがもっている不調和創りだす知恵を調和を創りだす智慧に変えないとそなたに次の世はないのぞ。そなたが掃除をさぼれば掃除の手間が増えるだけであるぞ。後はないのだから後に行くほど大変になるぞ。一度にたくさんの掃除をすることになるぞ。外側の掃除をする「三歳苦難のタテカエ」ではそなたのメグリを一気に渡して掃除させるのぞ。今の怖さどころではないのぞ。そなたが神の智慧を外している分だけ、ルール違反している分だけ怖いことになるぞ。今やるか後でやるか本当の本当に取り返し(十理=神のコトワリに返ること)がつかないことになるぞ。

 そなたはそなたが今まで学んだ材料を使って創りだした(組み立てた)シナリオ(モノの見方)に基づいて動いているのであるぞ。そなたのシナリオに照らして外を見ているのであるぞ。そなたの基準はそなたが創ったものであるぞ。そなたの見方はすべて自分勝手であるぞ。そなたが一つの見方に固執しているならばそなたは偏見を持っているのぞ。人のことをとやかく言う筋合いではないのぞ。そなたが議論したくなったら自分が正しいと思っているぞ。こだわっているぞ。そなたがどんな理由をつけようとそなたは「絶対的」には正しくないのぞ。人はコントロールできないのぞ。今までの世のゲームの中だけで使えるものは別の世になれば使えないのであるぞ。そなたがそのシナリオを握っている限りそなたの体験は変わらないのであるぞ。変わらないばかりか、ますます苦しくなるのであるぞ。ますます大変が増えるのであるぞ。不安や恐れが増えるのであるぞ。そなたが人の責任にしている部分をお掃除する手間が増えるだけであるぞ。ますますトラブルや嫌なことが増えてくるぞ。そなたが一つの基準に固執していると、「人の責任」というあやま知にとらわれていると、文句や愚痴や不満や責任転嫁をしていると、そなたの苦しみやトラブルの体験はなくならないのぞ。そなたの言い分は「神の社会」では通用しないのぞ。
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 そなたが「損」「事故」「病気」「トラブル」「いやなこと」と見ているものはそなたがかつてやったことの結果であるぞ。この方のはすべてをバランスよく創ったのであるぞ。そなたが偏ったことをしたからその結果を体験しているのであるぞ。そなたの体験は自分でしたことの結果であるぞ。人の責任などというものはないのであるぞ。殺人もお互いのメグリ合いであるぞ。メグリが合ったのであるぞ。死をもって、障害をもって自らのしたことを清算しているのであるぞ。外側を見てかわいそうとか悲しいとか言っているとそなたがその通りになるぞ。赤ちゃんで死んでも、障害を持ってきても、その魂にとってはそれで今までのメグリを清算しているのであるぞ。メグリ持っては次の世には行かれないのであるぞ。「人の責任」というシナリオはメグリを創りだすだけであるぞ。ますます掃除たいへんになるぞ。もう後がないのであるぞ。掃除急ぐのぞ。自分のした責任転嫁を清算するのであるぞ。すべて終わらなければそなたには天国はないのぞ。そなたのシナリオを変えなければそなたの未来はないぞ。今まで学んだアヤマ知を入れ換えなければそなたはこの世で終わりであるぞ。肉体世界の出来事に一喜一憂していると魂も肉体もいなくなるぞ。掃除終われば、世紀末の出来事は楽しんで見ていられるぞ。そなたのお掃除終われば世紀末の大変は関係ないのぞ。怖いものはなくなるのぞ。何が起きても楽しいのぞ。最後の最後は全員が肉体という服を脱いで、魂の掃除終わった者から新しい肉体に入るのぞ。最後の最後は死ぬのぞ。残るのは魂だけぞ。魂の掃除することがこれからの全員の役目であるぞ。魂の掃除することがミロクの世を創ることになるのぞ。ミロクの世を創るのが人間の使命であるから、掃除をするのがそなたらの使命であるといってもよいのぞ。掃除終われば今ここでも調和の中で遊べるのであるぞ。今ここで遊べるようになれば、そなたには「死」も「世紀末の大変」も何も関係なくなって「永遠の天国」になるぞ。
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 そなたは肉体ではなく生き通しの魂であるぞ。生き通しの魂が肉体を使って自分を体験しているだけであるぞ。そなたの「死」は肉体を脱ぐだけのことであるぞ。そなたの状態が変化するだけであるぞ。死は怖くないのであるぞ。悲しくないのであるぞ。そなたはずっと生き続けるのであるぞ。そなた以外の人間も同じであるぞ。人間というのは魂を肉体として見たときの状態のことであるぞ。肉体をとったそなたがそなたであるぞ。そなたの想念に悪や恐れがあればそのまま見ることになるぞ。そなたが体験していることはそなたがしたことの結果であるぞ。そなたにトラブルや病気や事故や損があるのはそなたという魂がいつかどこかで不調和創りだす行動をしたのであるぞ。今世はいままでのすべての生でそなたがまき散らした不調和の種を刈り取る時期であるぞ。新しい世は調和のみの神の世であるぞ。不調和もっている魂は行けないのであるぞ。そのための大掃除であるぞ。最後の最後にすべてを清算する大掃除をするのであるぞ。そなたが目の前のものを責めたり疑ったりしていれば更にメグリを積むことになり、それを全部清算するまではそなたは新しい世にはいけないのであるぞ。そなたが苦しいのは、つらいのは、今までそなたがやってきた不調和創り出す行動で回りに与えたものであるぞ。そなたがしたことをそなたが体験しているのであるぞ。自分のしたことを自分が体験して辛抱すればそれでそなたのしたことは精算であるぞ。文句や愚痴や責任追求をしているとさらに掃除が必要になるぞ。
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 「自分の与えたものが自分に返ってくる」のが唯一の法則であるぞ。自分の責任であるぞ。人の責任というのはないのぞ。そなたが辛いのも苦しいのもそなたがしたことの結果であるぞ。「そんなことをした覚えはない」といってもそなたが体験していることが証拠であるぞ。目の前で起きていることが証拠であるぞ。そなたは、魂のやったメグリを知らないからそういうことが言えるのであるぞ。そなたにはわからないのだから、起きたことを素直に見て、不調和不都合感じたら、素直にお詫びして、しただけのことは辛抱して改心していくことであるぞ。人のせいにしないことであるぞ。「もし~していたら」というのはないのぞ。この方はそなたのメグリ相応の体験をさせているのであるぞ。そなたのメグリを知らせているのであるぞ。偶然はないのぞ。そのセリフは神のせいにしていることになるのぞ。もう悪の芽は切ってあるのぞ。悪の仕組みは最後の最後はなくなるのぞ。今今に悪を残してあるのは大掃除の舞台造り。悪を以って悪を払う仕組み。悪に執着して自分だけうまくやろう、もうけてやろう、得してやろう、人に勝ってやろうというゲームに現(うつつ)を抜かすような、神成る身の自覚なき者が多いから、そういう身魂を引っかけてまとめてお掃除するための仕組みであるぞ。この方はまとめてお掃除して初めからやり直す方が楽であるのぞ。そなたが外に頼っているとそなたが大掃除されるぞ。人ごとではないぞ。人のことをアレコレ言っているとそなたが掃除の対象になるぞ。そなたの欲や保身やとらわれがそなたの悪の体験を創りだすのぞ。「欲をもって何が悪いのか」などといつまでも言っている者は最後に大掃除してやるから最後の人生をせいぜい楽しむがよいぞ。この方のことをイジワルだとかコワイとかズルイとか言うならば、今までのゲームをやっているぞ。そなたがこの方の親ゴコロを知ってか知らずか、勝手に不調和創りだす人のせいゲームに現を抜かしているのぞ。この方は人間の言葉でそなたが助かる方法を明かしているのであるから聞かないそなたが悪いのであるぞ。自業自得、自体験自責任ぞ。
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 この方はすべてのカラクリを明かしているのであるぞ。助かる方法も助からない方法も目に見える形で教えているのであるぞ。最後の大サービスをしているのであるぞ。一人でも多くこの方のところへ戻って欲しい親ゴコロであるぞ。この方のところは皆が皆、嬉し嬉し楽し楽しの天国であるぞ。この方はすべての秘密をバラしているのぞ。そなたが目で見て耳で聞いて選べるように言葉で文字でサンプルで見せているのぞ。この方の言うことを無私した結果、そなたがどうなろうとも、それはそなたの自業自得であるぞ。この方や回りを恨むのは筋違いであるぞ。恨んでいるから恨みの感情が続いているのぞ。そういうことをしているから今まで混乱、不調和、争い、悩みが絶えなかったのであるぞ。この方を無私した結果が今までの社会、常識、宗教、教育、政治、経済の仕組みの行き着くところであるぞ。今ここであるぞ。何がなんだかわからないでやっている目隠しゲームの結果が今の混乱であるぞ。今までの延長の思考で今、目の前で起きていることを手前勝手に解釈していると、最後の最後でどんでん返しになるぞ。様子を見ていると手遅れになるぞ。
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 この方のやり方は外から見ても何もわからんのであるぞ。そなたがやって初めて分かるのぞ。そなたがこの方が教えるシナリオを選ばなければそなたには分からないのぞ。この方がそなたのココロを通して渡すシナリオは一人ひとり違うのであるぞ。そなたがそなたの学んだアタマの理屈で何と言おうとも、この方の語るすべてのすべてがすべて真実であるぞ。最後の最後になればすべてハッキリとわかるぞ。だが、最後の最後になってわかってももう手遅れであるぞ。だから、この方が今ここで親切に大サービスして知らせているのぞ。本来ならばそなたが自分でこの方のサインに気づかなければならなかったのぞ。それが神成る身魂の責任であるぞ。最後の機会を与えているのであるぞ。親にウラ切られない(神の世界を切られない/魂を消されない)うちに改心した方がそなたのためであるぞ。これが最後の最後の機会であるぞ。今なら間に合うのぞ。自分のために自分で決めよ。
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 「天国の方法」は今ここでも(ミロクの世でも肉体の死後でも)天国であるぞ。「人間の方法」は今ここだけ、自分だけの天国ぞ。永遠のイノチを得るか、今ここだけの優越感を得るか、二つに一つの選択ぞ。今ここがそなたの人生の分岐点の瀬戸際の崖っぷちであるぞ。今までのゲームを綺麗サッパリ捨て去ってこの方の「天国のシナリオ作りの個別授業」を受けるか、今までのゲームでこの方の言うことを判断議論する今までのゲームをするか。まったく正反対の結果になるのぞ。バージンから始めて永遠の天国ゲームを体験するか、そのまま地獄のゲームを続けて滅びるか、そなただけがそなたの選択の結果を体験するのぞ。人生というゲームをどう遊ぶか、一人ひとりのゲームであるぞ。一人ひとり、別のゲームであるぞ。そなたが楽しめばそれでよいのぞ。人のしていることを外から見てツベコベ言うでないぞ。そなたの基準であるぞ。そなたの○×であるぞ。この方は○×を言った覚えはないぞ。そなたは人を責めるゲームが好きなのか。そなたが迷惑であるぞ。人間として一番の迷惑であるぞ。そなたが人を裁くならば、人がそなたを裁いても文句言わないことぞ。お互いが満たし合って楽しいことをすればそれでよいのぞ。それがこの方の望むことであるぞ。人に迷惑をかけられることはないのぞ。そなたがそう思い込んでいるだけであるぞ。この方を知らぬ道徳、倫理の議論は卒業ぞ。この方は裁いた覚えはないぞ。
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 そなたが今までやっていたゲームはもう終わっているのであるぞ。この方が終わらせるのであるぞ。そなたらが創りだした地獄の形を清算して、整地して、聖地にして、初めから皆嬉し楽しのミロクの世を創る準備をするのであるぞ。「天国の方法」で天国のゲームを初めの初めから始めるのであるぞ。そなたらがやった結果は、この方にしか直せないところまできているのぞ。今までのデーターで勝手に想像しても予想しても無駄であるぞ。残念ながらそなたの期待通りにはいかないのであるぞ。人のすることに口出しするでないぞ。人の言うことを鵜呑みにするでないぞ。人を支配するでないぞ。すべてのゲームは一人ひとりであるぞ。そなたのココロはそなたしか見えないであろうが。この方を知らずに、この方を無きものにして、人のココロを勝手に決めつけて、自分勝手な理屈でツベコベ言うでないぞ。そなたのシナリオはそなただけのものであるぞ。そなたの基準はそなた勝手のものであるぞ。この方は人に口出ししろとは言っていないのぞ。空想が現実であるぞ。

 この方は一人ひとりの想念を通して、ココロを通して語りかけているのであるから誰も教える必要はないのぞ。誰にも教えてもらう必要はないのであるぞ。愛のムチなどというものはないのぞ。親ゴコロは強制しないのぞ。自分で自分の選択の結果を体験する仕組みだからであるぞ。何をするかは一人ひとりの勝手であるぞ。人を責めるのが、人を裁くのが迷惑であるぞ。人を裁くと自分が何もできなくなるぞ。この方を知らぬ人間が創ったルールや知識を覚えても天国はないのであるぞ。皆が負けるゲームであるぞ。皆で同じことをしても競争になるだけであるぞ。取り合いになるだけであるぞ。この方の声は一人ひとりの専用のシナリオを語るのであるぞ。天国のパズルの指定席へとガイドする声であるぞ。人の指定席に座って威張っている者が多いぞ。自分の指定席を探してウロウロしている者が多いぞ。そなたのココロを通して語る、この方の言うとおりに動けば、皆天国になるのであるぞ。そなたのゲームのままで議論しても解結策はないのであるぞ。二度と起きないようにすることはできないぞ。外から見てもいじめの原因はわからんぞ。人の悩みや不安は見えないのぞ。いつまでも地獄を創る方法を教えるゲームを続けていると教える方も教えられる方もアウトであるぞ。教師様、教祖様、自分のしていることをかえりみやれよ。
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 この方の声を聞けばこの方のシナリオを生きるのぞ。この方のシナリオは一人ひとりのオーダーメイドであるぞ。人に聞けば人のシナリオ通りに体験するぞ。人のシナリオはその人だけのものであるぞ。そなたのシナリオではないぞ。そなたが選んだらそなたのシナリオになるぞ。そなたが何を体験しようとそなたが選んだのだから誰のせいでもないぞ。そなたがシナリオを変えればよいだけであるぞ。人を責めたり、人に頼ったり、人を変えようとしたり、人と一緒にやろうとしたりしても、叶わぬアダ花が咲くぞ。お金もカードも食べ物もすべて同じ遊び道具であるぞ。人間が勝手に価値をつけているだけであるぞ。ギャンブルも風俗も学校もビジネスもすべてゲームであるぞ。お互い嬉しなら何をしてもよいのであるぞ。いけないことはないのであるぞ。損や失敗もゲームであるぞ。悩むのもゲームであるぞ。責めるのもいじめるのもゲームであるぞ。遊びであるぞ。遊びでないぞというのもそういう遊びであるぞ。すべて人間が創ったゲームであるぞ。魂の遊びであるぞ。どの遊びをするかは自由であるぞ。人も自分も自由であるぞ。
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 そなたらは、不平等になるから、不公平になるからといって、アレコレとルールを創って、形を一つにしようとして、自分たちで不自由にしているのぞ。悪いこと(望まないこと)にならないようにしているからそうなるのぞ。競争しているからそうなるのぞ。人間のゲームで勝っても負けても、魂の掃除なければ人間の世界だけのことぞ。魂から見れば人間の世界はほんの一瞬のことであるぞ。人間のゲームは一瞬の天国、永遠の地獄であるぞ。この方のやり方は全員が勝つのぞ。そなたがほしいものはすべて手に入るのぞ。信じない者は信じない限りわからんのであるぞ。「そんなうまい方法はないぞ」という声もあるがそのセリフがこの方のやり方をやっていない証拠であるぞ。この方のやり方をやれば天国が見えるのぞ。こういうセリフはでないのであるぞ。この方は「天国の方法」を一から十まで。ヒト(一十)に成る方法を全部教えているのだから、神ゴコロというものをすべて教えているのだから、みんなが勝つ方法を教えているのだから、この方は人間の親としての責任を果たしているぞ。子であるそなたがどうなろうとそれはそなたの自由ぞ。
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 そなたが何と言おうとも、そなたが体験しているのはそなたが選んだそなたの体験であるぞ。そなたの選んだゲームであるぞ。誰の責任でもないぞ。そなたが決めた成功という形を追い求めると失敗するぞ。そなたがこの方の声に従って動けば成功という形になるのであるぞ。そなただけでなく、たくさんの者がそなたの生き方から恩恵を受けるぞ。自分も人も嬉し楽しであるぞ。人を負かさずにそなたの思い通りの人生を体験する方法はこの方の言うことを聞くことだけであるぞ。この方はすべての者のシナリオを知っているのであるぞ。振り分け、ガイド、交通整理ができるのはこの方だけであるぞ。この方の言うことに文句がある者は納得いくまで相手をするぞ。ただし、そういうそなたはこの方の分身であるということを忘れるでないぞ。そなたは何をしていようとこの方の仕組みの中にいるのぞ。そなたの失敗も成功もすべてこの方の仕組みの中で体験しているゲームであるぞ。そなたが相手にするこの方は今までの相手とは違うのぞ。すべてを創ってすべてを知っている元つ神であるぞ。勝ち負けゲームをやっても勝ち目はないぞ。いい加減に不調和創る戦いのゲームをやめなされ。何年続けても自由も平和も平等もないぞ。皆が天国になることを望んで皆が地獄になるゲームをしているのぞ。そろそろ夢から目を覚ませよ。
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 「言葉」は肉体をもった人間の世界だけで必要な道具であるぞ。子宮内宇宙だけで必要な臍の緒であるぞ。英語も日本語も方言も標準語も共通語も、すべては想念(ココロ、イメージ)を別の形で表現しただけであるぞ。「意味」は同じであるぞ。言葉になる前のイメージはどれも同じであるぞ。魂で見ているものをシンボルに意味を与えて表現しているだけぞ。出す方と受け取る方が同じ意味を付けた言葉でやりとりしているだけぞ。同じ意味でも同じ意味でないぞ。お互いのイメージは見えないからであるぞ。言葉が必要なのはあと少しの間ぞ。言葉を学ぶより、そなたが今持っている言葉でそなたの○×の掃除をせよ。神の真理を早く学べよ。思い出せよ。学んだ者は神の真理を伝えよ。今度の大変、大掃除には人間の学は通じんぞ。知でも教でもお金でも越えられんぞ。次の世は神の世ぞ。神ゴコロになることだけが必要なことであるぞ。神のココロになれば魂の掃除完了ぞ。神ゴコロとは何かというのを今までの人間に聞いてもわからんぞ。だから、この方がこの者を通して教えているのであるぞ。そなたに神の基準がなければ掃除はできないからな。
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 ココロの時代というのは想念が肉体になる時代のことぞ。神の代のことぞ。誰も嘘がつけんようになるぞ。悪がいられんようになるのぞ。個性化の時代というのは個別の専用シナリオの通りに動くことであるぞ。この方の教え方は予約なしぞ。その場その場で必要なだけ与えて、必要なだけ教えるのぞ。できない状況というのもこの方が与えたものであるぞ。肉体の視点で見ていると大大どんでん返しをくらうぞ。ミロクの世界はすべてが変わるのであるぞ。半霊半物の世界であるぞ。土地も変わるぞ。物質変わるぞ。毒関係ないぞ。原爆関係ないぞ。エイズ関係ないぞ。そなたのすることは掃除することだけぞ。掃除ないと、毒も原爆もエイズも地震も火事もすべて怖いぞ。最も危険なのはこの方から離れることであるぞ。この方と対話できるようにならないとそなたの怖いことが全部出てくるぞ。そなたらが汚した聖地ヒノモトの大掃除はこの方がするから心配いらんぞ。全部壊して整地するぞ。大掃除するのぞ。地名も道路も学問も名前も山も川も海も鉄道も学校も建物もすべて変わるのぞ。あと少しぞ。ありえないことが起きるぞ。今何を学べばよいか、何をすればよいか、このフミ読んで考えよ。最初で最後の本当の勉強の開始であるぞ。
P228
 そなたが受け取っているものはそなたが与えているものであるぞ。そなたが与えているものをそなたは受け取っているのであるぞ。そなたが感じることはそなたがしたことの結果であるぞ。人の感じていることであるぞ。そなたが不快ならば人も不快なのであるぞ。そなたが不快を感じているならばそなたがそれを外にまき散らしているのぞ。そなたが感じている結果を人のせいにしているならばそなたにはずっと天国はないぞ。そなたの体験したことで人を責めるのも人のお陰だと思うのも同じことであるぞ。そなたが何もしないでそれが来ることはないのであるぞ。そなたがしてきたことがそのまま返っているのであるぞ。そなたがもうけたと思うときは相手は損をしているのであるぞ。相手が喜んでそなたも喜んでいればそれは善いのであるぞ。もらうというのは交換している証拠であるぞ。一方的というのはないぞ。そなたが損しても得しても、すべてそなたが何かを提供した結果であるぞ。それが何かは考えなくて善いのぞ。五〇対五〇の交換であるぞ。コントロールや脅しで受け取ったモノはそなたにメグリを創るのであるぞ。自分で自分のメグリを創ってどうするのぞ。そなたがモノで得したと思っているときは身魂で損をしているのであるぞ。みずからメグリを創ってますます天国を遠ざけているのであるぞ。文句を言える筋合いではないのであるぞ。文句を言うとますます遠ざかるぞ。
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 人のものを取ることは悪いことだからやってはいけないのではないぞ。そなたがメグリを創りたければやればよいことであるぞ。人の持っているモノを交換なしで取ったならばそなたは楽に欲しいものを得る状況をどんどん遠ざけているのであるぞ。創っただけのメグリを清算しなければならないからであるぞ。そなたは自分で自分の首をしめているのであるぞ。取られた者は文句を言わなければ取られただけの価値が分かるぞ。取られてメグリを取っているのであるぞ。文句を言えばメグリはそのままであるぞ。取られたらお陰が早くなるぞ。メグリなければ天国ぞ。すべてがアベコベであるぞ。正直者はバカを見ないのであるぞ。形で損すると身魂で得なのであるぞ。損して得なのであるから損も得もないのであるぞ。得しようとして損するならば損しているぞ。形を創ることではなく、そなたの態度が問題なのであるぞ。そなたがモノの世界で形として体験した結果を素直に受け入れればよいことぞ。そなたが調和を提供すれば調和が返ってくるのであるぞ。そなたが不調和提供すれば不調和が返ってくるのであるぞ。

 そなたの体験しているものはそなたという身魂が生まれて以来のすべてメグリの清算であるぞ。そなたはもともと喜びのみであったのぞ。そなたが持っているメグリの分だけ欲しいものがこないのであるぞ。この方の言うことを疑うのはメグリ持っている証拠であるぞ。そなたに起きることをそなたが一〇〇パーセント許して、この方の与える苦も喜びも次々に受け取っていったとき、メグリが清算されて、自動的にそなたの欲しいものが簡単に手に入る状況が来るのであるぞ。メグリ取りの苦を辛抱し、喜びのお陰を嬉しを持って受け取るということを繰り返していくことで喜びが増えてくるのであるぞ。もともとに戻るだけであるぞ。そなたは天国であるぞ。この方のやり方は先にいくほどうまくいく方法であるぞ。そなたはメグリ来た苦を後悔反省することはないのぞ。人の責任にしないでその状況を抜け出すまで体験すればよいだけであるぞ。自分のしたことを自分で受ければ善いだけであるぞ。そなたの体験はそなたの提供したものの結果であるぞ。
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 最初で最後の大掃除が迫っているこの時期は、そなたがしていることをそなたにハッキリと気づかせねばならんから、文句や不満やグチを言ったり、外の責任にしたり、コントロールしようとしたりするとますますそういう状況を体験するようになるのぞ。この方の言う通りに、人のせいや価値判断をやめて素直に行動すれば、嬉し楽しをハッキリと体験することができるのぞ。今までより早く、苦も喜びも来るのぞ。そなたがしただけのことは清算せねばならんが、清算すれば責任を取れば喜びが来るのであるぞ。掃除も大変であるが、オカゲも大きく来るのであるぞ。こんなに善い時期はかつて無かったのであるぞ。そなたがこのチャンスを使うか使わないかはそなた次第であるぞ。やれば嬉し、やらねば苦し、どっちにしてもこの方の言う通りになるから存分に試してみるがよいぞ。天国を創るこの方のやり方が分かったらそこから切り換えればよいぞ。最後の最後ですべてが明らかになるからそれまではお好きなようになさっているがよいぞ。そなたのしたことはすべてそなたに返るだけであるからな。地獄でも天国でも好きなものを貰うがよいぞ。
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 そなたがそなたの内側の掃除をしていけば、黙っていてもそなたが欲しいものは来るのであるぞ。欲しいものが来る状況が来るのであるぞ。形になるのであるぞ。すべてのすべてはお互いの満たし合いなのであるぞ。そなたの苦もそなたが与えたものであるぞ。そなたがそれに気づくように返ってきているのであるぞ。楽ばかり見ている身魂には苦を与えなければ不調和をまき散らしていることに気づかんからそういう仕組みを創ったのであるぞ。苦も喜びも神に感謝なのであるぞ。感謝しかないのぞ。感謝が当然なのぞ。感謝を議論するのは感謝を知らない者であるぞ。感謝を請求するのは自分勝手ぞ。そなたが体験したことをどう見るかというのはそなたの選んだ見方であるぞ。そなたがそなた以外の見方を否定するとしたらそなたは天国にはなれないのであるぞ。この方はすべての見方を許しているのであるぞ。「これしかない」というのはないのであるぞ。「これしか認めない」と言ってもこの方が認めているからそれがあるのであるぞ。この方の言うとおりにすれば一つ一つ欲しいものが来るのであるぞ。早く楽に一度に手に入れようとするから混乱するのであるぞ。掃除をすればそなたが欲しいものはあげたい人から来るのであるぞ。そなたが心地よさを感じているならばそなたがそれを外にまき散らしているのぞ。「してはならない」と人を責める理由はそなたの幻想であるぞ。「~すると混乱する」というのはそなたが持っている観念が創りだす幻想の結論であるぞ。すでに混乱しているのぞ。調和まき散らせよ。
P232
 答えは一つではないぞ。そなたが答えを一つにしようとするときはそなたが枠をもっているのぞ。そなたの思い通りにならないと思っているときはそなたの掃除ない証拠であるぞ。そなたが外側をなんとかしよう、すべきでない、やめさせよう、教えよう、としているときはそなたが「固定観念」を持っている証拠であるぞ。掃除できていない証拠であるぞ。許していない証拠であるぞ。迷惑はないのぞ。そなたに掃除あれば思い通りになるのぞ。文句を言っているのは、そなたに掃除ない証拠であるぞ。文句を言う方が自分勝手であるぞ。そなたが体験していれば文句も疑いもでないのであるぞ。そなたが議論をしているときはそなたは外から見ているのであるぞ。そなたはこの方のやり方をしていないのであるぞ。そなたはそなたのやり方に固執しているのであるぞ。そなたのやり方で創りだしたものに執着しているのであるぞ。そなたのやり方の作品(現実)だけを真実だと正しいのだと思い込んでいるぞ。そなたがやっているものはそなたの議論の対象ではないのであるぞ。そなたがすべてを許していれば批判も疑いも議論も必要ないのであるぞ。そなたのやり方でそなたが何を体験するかわかるように、この方のやり方で何を体験するかはこの方のやり方をやったら分かるのであるぞ。そなたが疑ったり否定したり議論したりしているのはそなたがそなたの想念を分けている証拠であるぞ。そなたがすべてを許していない証拠であるぞ。そなたがすべてのシナリオをやればすべて形になるのであるぞ。
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 そなたが掃除をすればこの方がすべて必要なものを与えるのであるぞ。この方は掃除の道具も与えるのであるぞ。そなたから見て苦に見えるものはこの方が与えた掃除の道具であるぞ。そなたが使わないで文句言って否定して避けている限り、そなたには天国はないのであるぞ。そなたがすべてやっているのだとしたら思い通りにいかないのはいかなることであるか。そなたが思い通りに行かないのはそなたのせいであるぞ。人のせいにしているから思い通りにいかないのぞ。その通りになっているであろうが。そなたが自分のせいであると認めて行動すればすべてわかることであるぞ。言い訳、反論、議論をしているならば人のせいにしていることを白状していることになるぞ。神に素直でない者は神のやり方はいつまでも体験できんのであるぞ。いつまでも混乱のゲームをしているがよいぞ。地獄のゲームがいやならば、ツベコベ理屈を言っていないでこの方の言う通りに素直にやってみるがよいぞ。できるかできないかを議論している限りそなたはできないのであるぞ。そなたができるかできないか議論しているからできないのであるぞ。そなたのしたいことは議論することであるぞ。そうでないといってもそなたがしていることが証拠であるぞ。

 この方のやり方を始めたならば、そなたの想いがすべて形になるまでやることぞ。「もう無理だ」「まだできない」と言っているのはそなたがやめているだけであるぞ。そなたが外を見ている証拠であるぞ。そなたが外をさがしている証拠であるぞ。そなたの内側の掃除が進めば進むほど、今までのそなたから見れば奇跡に見えるやり方で簡単にお望みのものを提供するのであるぞ。そなたはもともとは天国なのであるぞ。そなたがとらわれた快欲が、あやま知が、そなたの天国を曇らせているのであるぞ。今のそなたから見ればこの方のやり方は怖いぞ。怖いからこの方を信頼していないと手を放せないのであるぞ。そなたが言ったことを行動に移したとき信頼と引換えにそなたの望み通りに与えるのであるぞ。行動したら戻れないから、行動することで信頼していると認めるのであるぞ。神のテストは口先だけでは駄目なのであるぞ。そなたのシナリオを形で見せてくれればこの方も次の教材を与えるのであるぞ。今ならお陰もらいながら一つずつ掃除できるぞ。最後の最後は掃除終わるまでお陰渡さないのぞ。どっちがよいか今ここで決めて行動せよ。
P234
 そなたに○×なければそなたは何でもできるのであるぞ。言い訳も責任転嫁もしなくてよいのであるぞ。文句もでないのであるぞ。そういうものを口に出したりココロで思ったりしているのは○×がある証拠であるぞ。○×は自分の保身が前提であるぞ。自分が損しないようにするにはどうしたらよいかを見ているのであるぞ。損しないと得はないのであるが知っているか。得ばかりでは偏ってしまうのであるぞ。そなたがしたいことを形になるまでやればこの方のことが分かってくるのであるぞ。人がどう言うかを気にしているときはできないぞ。人の言うことに文句言うとできないぞ。人を説得しながらやろうとすると遅くなるぞ。そなたがたとえ死んだとしてもそれはそれでメグリの清算ができたのであるぞ。魂のそなたが掃除できていればいつでも肉体を持てるのであるぞ。そなたは何を怖がっているのか。怖がっている間はそなたは何もできないのであるぞ。そなたが守っているものは崩れるものであるぞ。そなたがどんなに抵抗しようとこの方の言うことを疑ったり批判したりしているならば、そなたはこの方のことを知っているのであるぞ。そなたは何を批判しているのか。そなたがそれをやらないだけであるぞ。想念は消せないのであるぞ。そなたが想像できるもの否定できるものはすべてあるのであるぞ。後はそなたが選ぶか選ばないかであるぞ。言い訳はそなた自身にしているのであるぞ。
P235
 そなたが受け取るものを見てそなたが何を与えているかを見ることぞ。人のせいであるものは一つもないのぞ。そなたが与えないで人がくれるものはないのぞ。すべてそなたが与えたものと交換であるぞ。そなたが与えたものが返っているのであるぞ。そなたが不快をまき散らしたから不快なのであるぞ。今ここはそなたの今までのすべての生で与えたものを受け取る時期であるぞ。調和を蒔いていたものは天国の実を刈り取れるぞ。不調和を蒔いていたものは地獄の実を刈り取るのぞ。地獄の実を刈り取らねば天国の実は成らないのであるぞ。そなたに覚えがないものはそなたがいつかどこかで与えたものであるぞ。人は鏡であるぞ。鏡に文句言うのは自分に文句言っていることになるぞ。この方から見ればオカシキことをしていることになるのぞ。人のことをアホだと笑うそなたがこの方から見ればアホであるぞ。何も知らずに、永遠に自分がいなくなる自分勝手なゲームをしているのであるぞ。自殺したくない者、死にたくない者が自分を滅ぼすゲームをしているぞ。
P236
 そなたの外には何もないのぞ。そなたも相手も完全に自由なのであるぞ。迷惑なのは人のすることに口出しすることであるぞ。そなたの○×、そなたの現実で人のすることをアレコレ言うことであるぞ。そなたの「AはBだ」という現実はそなたの観念が創りだしているものであるぞ。現実は一つではないぞ。自分の責任ゲームに迷惑はないのぞ。そなたがこの方の言う通りにやらなければわからないことであるぞ。そんなものはあり得ないというそなたはその想念を持っているぞ。そなたが許していないから行動しないから見えないのであるぞ。そなたは勝手に自分の都合良く形にしようとしているぞ。最後の最後はそなた自身が危ないぞ。そなたの基準はそなたが選んでいるものであるぞ。そなたが外側を変えようとしているとき、そなたのすることは全部、迷惑になるぞ。そなたが神のココロになれば外側は関係ないのぞ。そなたがすべてを許せば相手のすることは関係ないのぞ。そなたが人のことが気になるならば、自分の理屈で自分勝手に人をコントロールしているのであるぞ。コントロールし合うゲームでは自由も天国もないのであるぞ。形や行動を○×しているならば天国も自由もないのであるぞ。自分の外側が自分の思い通りにならないからそなたは外を責めるのであるぞ。そなたが混乱すると思っているやり方は混乱しないのであるぞ。そなたが混乱すると思っている限り、この方のやり方はできないぞ。文句言うのも羨むのも同じことであるぞ。外を比べると天国は遅くなるぞ。それがこの方のやり方であるのぞ。そなたの内側が外側に形になるのであるぞ。この道理早う体得せよ。
P237
 白神山地(世界遺産)についての「立ち入ると自然破壊する」いや「立ち入ってこそ自然の大切さ理解できる」の議論、結論は永遠に出んぞ。もう力では押さえられんのぞ。知恵では解結しないのぞ。この方は、うまくいかなくなる方法も教えているぞ。自然は至善ぞ。すべては善に向かっているのぞ。魂の善(=天国の想念)が外の善を引き寄せるぞ。そなたらには自然の意味分かってないぞ。勝手に自然を創っているぞ。勝手に神を創っているぞ。そなたはこの方が創った初めの初めの「至善」を知らんのであるぞ。そなたは木や森や山や湖や海が自然だと取り違えしているのぞ。このフミの内容を議論する意識が自然を壊すことになるのぞ。神を知らん神頼みがキ違いを創るのぞ。議論している者は、どっちもどっちであるぞ。批判している者を批判する者は同じゲームをしているのぞ。勝ち負けゲームは勝ちはないのぞ。相対的な勝ちに過ぎないのぞ。両方負けるぞ。けんか両成敗であるぞ。両方とも初めから敗者に成っているのぞ。「地球環境をどうするか」と「あやま知人間」が話し合っても、永遠に答えはでないぞ。話し合うほど環境を壊すぞ。話し合うほど犯罪や戦争や貧富やイジメが増えるぞ。「環境」というものは守るものではないのぞ。守っている環境や平和は、すでに破壊されているのぞ。守ろうとする意識があべこべなのぞ。そなたが握っているあやま知から見ると悪いように見えるだけであるぞ。
P238
 政治家は、みんな良くしようとしてやっているぞ。よくならないのは何故か。良くしようとすること自体、あやま知ぞ。あやま知の悪の選挙で選ばれたものは悪しかないのぞ。我善しの思惑の損得のゲームは自分だけ勝手な皆負けのゲームであるぞ。皆が負ける世界を続けることになるぞ。戦いと統合は共存できないのぞ。メグリなければ事故ないぞ。失敗もないぞ。すべてのすべてがメグリ合いぞ。魂と魂の同意の結果であるぞ。殺人も病気もすべてメグリの結果であるぞ。肉体のそなたには見えなくても当然であるぞ。そなたのココロが何を批判して、何にひかれるかを見ろよ。そなたは肉体の感覚で魂を、霊界の自分を知ることができるようになっているのぞ。叱るのも褒めるのも同じことであるぞ。判断は神のゲームではないぞ。すべてのすべてがお互いに自分のせいであるぞ。どっちもどっちぞ。事故なくしたいなら、真釣りもどしをすることぞ。スピード控えても事故なくならんぞ。病気も同じぞ。もともとないものなのぞ。無いものを予防するというのはオカシキことぞ。迷惑だから良くないというのが迷惑であるぞ。自らの魂の真釣り外しのお知らせである病気を人に治してもらおうと思うのがオカシキことぞ。自らが真釣り外ししたから病気あるのぞ。自らのメグリの清算をしているのに人のせいにしているから悩みや混乱や葛藤がなくならないのであるぞ。始めに真釣りもどしぞ。真釣り外しを神にお詫びして、滅びる前のお知らせに感謝して、改心を行動することぞ。アタマで分かっても駄目であるぞ。分かったことを行動することであるぞ。事故を無くそうとするより、真釣りを戻すことであるぞ。形を変えようとすると壊れていくことになるぞ。
P239
 病気が治らないのは医師が悪いのでないぞ。そなたは、この方の仕組み、自らの身魂のメグリを知らずに形を治すゲームをしているだけであるぞ。医師の手術の失敗を責めるでないぞ。薬の調合ミスを責めるでないぞ。医療ミスの結果を生み出したのは病気を創っている自分のせいであるぞ。病気なければ医療ミスないぞ。霊先体後であるぞ。自分で創ったものを人に治してくれと言っても望まない結果がくるぞ。そなたがこの方に真釣ろえば病気も事故もないのぞ。安楽死というものはないのぞ。苦しそうだから死なせようというのは神に逆らうことであるぞ。肉体を保存しようというのは自然ではないのぞ。肉体を失わないようにしようとすると苦しむことになるのぞ。そなたにメグリなければ病気も事故もないのぞ。そなたにメグリなければ自分で全部できるのぞ。人に何かしてもらう必要はないのであるぞ。万が一はないのぞ。すべてはメグリ相応の出来事であるぞ。

 そなたらにはもともと保険はいらないのぞ。保険も銀行ももう終わりであるぞ。病気あるから医学ができたのであるぞ。神の代には病気ないぞ。医師はいらないぞ。裁判はないぞ。犯罪はないぞ。裁判所、消防署、警察、形の取締りや形のキリハリ全く違うぞ。そなたの体験で人のせいにするのはオカド違いであるぞ。警察、裁判所、病院、学校、すべてあやまちの世だけで通用する道具であるぞ。すべて夢うつつの、幻想のゲームであるぞ。現実というのが幻想であるぞ。リアリティーがファンタジーであるぞ。夢が現実であるぞ。すべてはそなたのしたいようになっているのであるぞ。できないと言うからできないのであるぞ。
P240
 人間から見れば一時間の渋滞は長く感じても、この方から見ればチョンぞ。何を慌てているのか。何をイライラしているのか。そなたが急ぐのは勝手であるが、人に文句を言うでないぞ。そなたが何をしようとしてもそなたの勝手であるぞ。そなたのしたいようになるのであるぞ。そなたが何をしようと人には関係ないのであるぞ。そなたの思いどおりにならないのはそなたのせいであるぞ。自分勝手を言って迷惑をまき散らすのをいい加減にやめろよ。そなたが今までのゲームを変えれば、掃除をすればしただけ想いが形になるのであるぞ。そなたが掃除をしただけ想い通りになるのであるぞ。そなたが掃除をしていない分だけそなたの想いが叶わないのであるぞ。内側の掃除をさぼっていてそなたの思いどおりにしようとしてもそれは自分だけ勝手の迷惑であるぞ。そなたの内側を掃除すればそなたの欲しいもの、欲しい状況はすべて来るのであるぞ。人から取らなくても、人をコントロールしなくてもすべてお互いに満たし合った状況で来るのであるぞ。損したとか失敗したとか言うのはそなたの自分勝手であるぞ。文句は不調和創るぞ。自分も苦しむぞ。

 戦争は戦いの想念を持った人間が創り出したものであるぞ。一人ひとりの○×が、競争が、善悪が、戦いが表の戦争を創るのであるぞ。肉体を保証しろ、肉体治せ、家族を返せというのは無知の証というものぞ。そなたが戦っていなければ戦争はないのぞ。メグリとれば病気直るのぞ。戦争責任はそなたにあるのぞ。人の責任ゲームでは戦争はなくならんのであるぞ。戦うのをやめることであるぞ。戦争が悪いのではないぞ。戦争を悪だと言って戦争をしていることに気づけよ。何でもかんでも戦おうというそなたのゲームをやめることであるぞ。すべての葛藤はすべてそなたの戦いが創りだしているのぞ。病気と戦うと病気になるぞ。事故は自分のせいであるぞ。保証はいらないのであるぞ。裁いたり訴えたりしているとそなたがますますメグリ積むのぞ。裁きや判断は人のせいゲームであるぞ。そなたがメグリなければ事故も病気もないのであるぞ。外がどういう状況だろうとそなたには関係ないことであるぞ。そなたはもともと戦う必要はないのであるぞ。今ここでどんな障害をもっていても、魂のそなたには手にも足にも目にも障害はないのぞ。肉体が難病でも魂は難病ではないのぞ。そなたのメグリを肉体で体験しているだけであるぞ。そなたの魂が肉体で苦しんでいるだけぞ。そなたのメグリを解消するための状況であるぞ。そなたも人も同じであるぞ。自分のしたことを自分で体験しているだけであるぞ。かわいそうだとか、気の毒だとかいうそなたが気の毒であるぞ。人の責任ゲームを持っている者が魂の障害者であるぞ。魂の障害は形の障害を創るのであるぞ。メグリ取れば死後魂は健康。
P241
 「治す」と「直す」は違うのであるぞ。「水(さんずい)」を基(台)にした形の修繕ゲームを「治す」というのぞ。神「+」の「目」でナオスのを直すというのぞ。ガンの原因分からずにガンを治す方法やガンにならない方法を勝手に創りだしているのぞ。死を知らずに死を悲しむゲームをしているぞ。死を悲しまない者を気違いというそなたが気違いであるぞ。この方のやり方の肉体調節をカゼと言っているのぞ。薬では治らないのぞ。外から見ても分からないのぞ。直ったかどうかは本人にも分からないのぞ。心臓の細胞がどうして自分で動くのか分かっているか。マントル対流が何故動くのか分かっているか。そなたは何も知らずに混乱の不思議のゲームを遊んでいるのであるぞ。すべては神の仕組みの中であるぞ。トキが立てば、神が手伝ってメグリを取れば直るのぞ。安らぎになるのぞ。肉体があるかないかどうでもよいようになるぞ。それがヤスラギであるぞ。魂と肉体が一つであるぞ。おイノチをこの方に預ければ病気や死の心配から解放されるのぞ。もっとも、生かされているそなたのおイノチはこの方がそなたに預けているものであるがな。
P242
 そなたの見るもの聞くものに例年と違う、今までにない「異常」が多いのは、今までと違うことになってきた証ぞ。この方のお知らせに気づけよ。「異常」というものはないのぞ。今までを「正常」と決めているから「異常」になるのぞ。相対的な表現に過ぎないのぞ。季節決まってないぞ。春の次、夏でないぞ。夏に雪降るぞ。決まってないことを教えるためにこの方が降らすのぞ。気づかないそなたらが降らすのであるぞ。季節決まってると思っているそなたらへの型示しぞ。決まったものないぞ。決めているのぞ。あたりまえのものないぞ。当たり前だと思っているだけぞ。勝手に決めているだけぞ。この方のすることを自分の都合で勝手に創っているぞ。自分勝手しているとビックリが出るぞ。ショックが来るぞ。一攫千金は無くなったら終わりであるぞ。この方のお金は永遠に必要なだけ来るのぞ。一回の金額の大小でさわぐでないぞ。一攫千金にのめりこむなよ。お金ためても魂の掃除なければ死んだ瞬間に地獄になるぞ。お金ためるより魂の掃除せよ。魂の掃除すれば永遠千金になるぞ。そなたがやれば分かるぞ。中今に生かしているそなたに必要なお金は預けるぞ。お金はそなたに預けたものであるぞ。独り占めすると損するぞ。
P243
 西暦二〇〇〇年は辰年ぞ。立つ年ぞ。龍が立つのぞ。二〇〇一年はないぞ。巳年はこないぞ。ヘビは滅びるのぞ。神の計画、寸分の狂いないぞ。型示しぞ。教えているぞ。ここにあるものすべて必然であるぞ。たくさんの型示しで教えているぞ。気づかないのはそなたのメガネが曇っているからぞ。このフミやこの者に神のメガネをもらえば見えるぞ。今までのデーターで未来を決めて対策たてるゲームはすべてアウトであるぞ。ビジネスも教育も宗教もそろそろ改心しろよ。この方がすべて教えているのぞ。肯定的、否定的という偏見はやめて、肉体の世界でアレコレ騒ぐのはやめて、この方の言う通りにモノを見て、行動して体験することであるぞ。それが「絶対助かる」唯一の方法であるぞ。そなたは一つの見方にとらわれているぞ。この方のメガネで見ればこの方の言うことが分かるぞ。この方はこの者を通してこの方のメガネを与えているぞ。この方の見方を教えているのぞ。この方の見方に取り替えることが掃除であるぞ。新しい世は神の世であるから神にしかルールは分からないのであるぞ。最後のときまでに少しでも掃除進めろよ。後ろは決まっているからツベコベ言ってさぼっているとそなたがきつくなるだけぞ。肉体の障害者は魂の障害者ではないぞ。脳が肉体を動かしているのではないぞ。脳で覚えているのではないぞ。アタマの学問、アタマの宗教卒業せよ。研究するほど分からなくなるぞ。そなたの魂が快欲にとらわれたら自分では解(ほど)けんのぞ。だから、神が知らせてるのぞ。苦をもって知らせているのぞ。苦も感謝しかないのぞ。神が滅ぶのをとめているのぞ。そなたがさぼっても裏切っても黙ってお知らせしているのであるぞ。神の法に反したら滅びぞ。響きなくなるのぞ。肉体もなくなるぞ。そなたが滅ぶ前に神がお知らせしているのぞ。お詫びぞ。気づいて改心自分のためぞ。ホドケの世になっていることに気づけよ。ホトケの世は神にしか創れんのであるぞ。そなたの響きなくなればそなたの肉体もないのぞ。
P244
 そなたは「人に迷惑だからしてはならない」などと人を教育しているが、迷惑なのは真釣りを外してそういう発言をしているそなたの方ぞ。神は喜びだけぞ。調和だけぞ。反対語というのはないのぞ。愛だけぞ。愛という言葉もないぞ。みんながわかるのぞ。みんなが仲間であるぞ。みんな同じ神ゴコロであるぞ。自分の好きなことができるから同じココロであっても一人ひとり違うのであるぞ。これが本当の個性の尊重であるぞ。形の○×ゲームやって不調和創りだしているそなた迷惑であるぞ。人のことを自己中心だと責めるそなたが自己中心であるぞ。人間はすべて自分中心に、自分の肉体の感覚、肉体の目で見ているのぞ。自分が選んだルールで外を見ているのであるぞ。外を変えようとすること自体が真釣りはずしであるぞ。自分の内側に応じてこの方が形を与えるのであるぞ。そなたの形が思いどおりになっていないのはそなたの内側が原因であるぞ。人のせいというのはないのぞ。この方は、アベコベの神にとらわれて気づく気配もないそなたに情けの苦でお知らせしているのぞ。そなたの魂が滅ぶ前に肉体をおめしあげしていたのが今までの「死」であるぞ。霊界預かりぞ。魂の傷をいやす機会を与えていたのぞ。今までの世の「輪廻転生」はこの仕組みの結果ぞ。前世で何をしていたかは問題ではないのぞ。この方の仕組みを学んで今世ですべての大掃除をすることぞ。楽ではないが楽になる唯一の方法ぞ。魂には生死ないのぞ。魂は生き通しであるぞ。肉体で見るから生死になるのぞ。そなたは霊界と現界にいるのぞ。次の世は霊界と現界半分ずつぞ。今までの現界の法則、物質の法則成り立たんぞ。原爆も噴火も平気ぞ。助かるには次に行くには神の法を学ぶことぞ。神の法は魂の法ぞ。永遠のイノチの素ぞ。肉体は魂の一つの形ぞ。魂滅べば肉体ないぞ。魂の法外せば滅びるのぞ。自分のしていることをかえりみよ。最後の最後のチャンスであるぞ。
P245
 神は「火(カ)水(ミ)」ぞ。初めにこの方が創った元つ火ありて水生じたのぞ。無から有を生んだのぞ。無とは響きであるぞ。有とは形のことであるぞ。何もないとは形のないことであるぞ。人間は生まれたときに有にかこまれていたであろうが。無から有創りだせぬ人間ぞ。資源引き揚げられて生きていられると思うなよ。神は天地を売り買いした覚えはないぞ。初めの者が金を取るから後の後が金で苦しむのであるぞ。自分勝手卒業ぞ。神は「過未」でもあるぞ。過去も未来も今の瞬間に一つであるぞ。そなたは過去や未来や今ここにないことを口に出しているだけぞ。そなたの想念には時間も距離もないであろう。そなたが語っていることは過去と未来のことであるぞ。勝手に決めて好き勝手にしゃべっているだけであるぞ。人の噂をするのは勝手であるが、裁くことはこの方が最も嫌うことであるぞ。この方がすべて許しているからすべてのすべてがあるのぞ。そなたらは何を裁いているのか。人間の法律は、ただのゲームぞ。分かつ知のゲームぞ。形の○×のゲームぞ。そなたは楽をみるから苦をみるのぞ。どっちが早いかを見るから遅いを見るのぞ。今までの苦を一つにすればよいなどというなよ。苦をつくった分だけ戻すのぞ。もともと無き苦を解結するというのはオカシキことぞ。楽を創って解結したら、新たな苦を創ったのぞ。喜びのみの神に楽を見る必要はないのぞ。楽のみぞ。楽しかないのぞ。楽もないぞ。
P246
 そなたの苦は真釣り外しの証ぞ。「おれにはおぼえはない」などと言うなよ。いつかどこかの生でそなたがやったことぞ。今ここで形になっているのが証拠であるぞ。素直にお詫びし、お知らせに感謝し、改心せよ。この方がその時その場からもどすぞ。今の時節というときは、手一本足一本なくなってもおかしくないのぞ。最後の最後の大掃除の前であるぞ。この方に真釣ろえば、お詫び、感謝、改心あれば、大難を小難にすることもできるのぞ。小難を何もなくできるのぞ。死を骨折に、骨折を打撲にすることもできるのぞ。そなたのメグリだけは苦しみを体験することになるが、軽くすることもできるということぞ。この方がすべてやっているのぞ。疑いのゲームは自分で自分の病気や事故を呼び込むぞ。賛成反対の議論のゲームはそろそろやめろよ。「ルール違反はよくない」と裁くのは、神のルール違反ぞ。自分のしていることわかっているのか。ルールやぶったことを責めているが、自らのルール違反はどうしたのぞ。ルールやぶるのが悪いことだということがルール違反であること知っているのか。そなたは自分ではめているトリックに気づいてないぞ。
P247
 「働かざるもの食うべからず」と言う者がいるが、この方はそんなことを言った覚えはないぞ。「働く」は他(ハタ)楽(ラク)ぞ。神にまつろえば楽になるぞ。食らうことから自由になるのぞ。何でも与えるぞ。そなたたがしたいことをすれば回りが楽になるのぞ。他が楽になることが働キであるぞ。働くのも遊びであるぞ。倹約もゲームぞ。借金返済もゲームぞ。争いもただのゲームであるぞ。そなたが回りと共に嬉し楽しで遊べればそなたはミロクの民であるぞ。そなたを救うのはそなただけぞ。仏も教祖も神も警察も誰も救ってくれないぞ。この方もそなたを手伝うだけであるぞ。そなたの注文通りに教材を与えるだけであるぞ。他力本願では本願は叶わないぞ。このフミもこの者もそなたに鏡を見せているだけであるぞ。このフミを批判したり、この者と戦ったりするのは自由であるが、そなたがいつまでもその現実の中にいるだけであるぞ。いつまで続けるおつもりか。そなたは今までの人生でも同じことをして来たのであるぞ。このフミもこの者もただあるだけぞ。○や×が見えるならばそれはそなたの持っている○×であるぞ。価値判断しているのはそなたであるぞ。「殺人」という状況に検事の見方と弁護士の見方という二つの見方があるのは何故か。「殺人」には意味はないのぞ。検事と弁護士のメガネ、フィルターを通してみるとそういう見方になるだけぞ。見ているそなたに意味があるのぞ。人のせいはないのぞ。自分の○×を掃除せよ。裁くのも価値判断もやめろよ。やめただけ想いが叶うぞ。掃除なき神頼みは効果ないぞ。この方がもう許さないからぞ。掃除なき者天国ないぞ。選ぶのは、やるのは、そなたであるぞ。この方に逆らう方法はどんどん壊れるぞ。ますます分離してわけがわからなくなるぞ。やさしさ、責任、という外の言葉にふりまわされるなよ。
P248
 「高齢化社会がくるから対策をねる」云々というが、この方はそんな社会にすると言った覚えはないぞ。人間という肉体はもう終わりであるから出生数が減っているのぞ。結果として高齢化社会になるようにみえるのぞ。勝手に解釈して混乱させるではないぞ。そなたらの解釈はこの方の仕組みと計画を知らん証拠であるぞ。福祉や奉仕は「カネ」の世、「人のせい」ゲームが創りだしたものであるぞ。いつまで続けるおつもりか。本来ならば福祉や奉仕は要らないのであるぞ。この方の世界では貧富も障害もないからぞ。自分のことは自分でできるからぞ。そなたらのやり方ではますます福祉や援助がいるようになるぞ。いるようになるがカネがなくなっていくぞ。カネがないから福祉ができなくなるぞ。貧富や差別はそなたのゲームを変えなければなくならないのであるぞ。早く気づけよ。マルチメディアは要らなくなるぞ。わざわざ自ら問題を創って解結できない方法で解結しようとするゲームは終わりぞ。ごくろうであったな。民主主義は話し合いというが、神の世界に話し合いはいらないのぞ。交換して満たし合う交渉があるだけぞ。神の世界の映しであるこの世界も同じであるぞ。天国になれば議論なくなるぞ。批判なくなるぞ。病気、怪我はメグリの結果ぞ。自分が真釣りもどせば直るのぞ。国会の議論は、自分の都合よい有利な状況にしようという思惑があるぞ。すべて「仮定の話」ぞ。自分の見方押しつけてるぞ。人を落として自分が上がるゲームでは天国ないぞ。相対的な勝ち負けでは全員勝てないぞ。人と比較して競争するゲームは終わりであるぞ。神から見れば何兆円もっていようと世界で一番になろうとチョンであるぞ。「国民の代表」である政治家様、いつまで自分たち勝手な議論を続けるおつもりか。何も解結していないぞ。国民は納得していないぞ。見放しているぞ。国民も政治家を批判していると、抗議やデモでさわいでいると自分がアウトになるぞ。他力本願では何も変わらんのぞ。身魂の視点に変えろよ。自分のしていること気づけよ。
P249
 「もしそれをやったらどうなるのか」と人に聞くとき、自分の意見はどうかを自分に聞いてみよ。この方がそなたの納得いくように答えてやるぞ。この方の答えを実際に行動すれば納得するぞ。行動しないで考えていても先に進まんぞ。「やらなかったらどうなるのか」という問いに、そなたは「こうなるああなる」とアレコレ言うが、その通りになるのか。このフミに対しての意見、批判、賛成反対の議論疑いゲームをやっているとますます真釣り外すぞ。この方は、それをやめろと言っているのぞ。この方が批判しているかしていないかというのも同じぞ。「ありえない、よくない」というのも同じぞ。「あやま知」にとらわれている証拠ぞ。外を見ているぞ。外を分けているぞ。何をしても自由だがそなたがどうなるかよく考えろよ。気づけよ。外を替える唯一の方法は内を替えることぞ。「あやま知」を入れ替える提案をしているこのフミやこの者の提供する情報を「あやま知」を使って見てどうするのぞ。そなたはいつまでも「あやま知」から出られないぞ。そなたは何も知らずに滅びていくぞ。せっかくのチャンスを逃すでないぞ。そなたのためであるぞ。全員がミロクへ行けるのぞ。お掃除が完全に済めば、怒り悲しみイライラ不安はなくなるぞ。喜びもなくなるぞ。喜びが当たり前になるのぞ。当たり前のものをいちいち騒がないだろうが。感情もなくなるのぞ。なくなるがあるのぞ。皆がしたいことをして嬉し嬉しで暮らせるようになるのぞ。そのためにはそれなりの苦労が必要であるぞ。「そんな夢みたいな方法はない」と言う者は好きなようになさるがよいぞ。そなたは夢を見ているのであるぞ。そなたが見たいものを見ているのであるぞ。見たくないものを見ているというならば、そなたが見たいものを見られるようにすればよいのぞ。そなたが見たいものを見るやり方を避けているからそなたは苦しんでいるのぞ。このカラクリに気づかなければそなたには永遠に天国はこないのぞ。気づいたら実行あるのみぞ。アタマの判断卒業ぞ。
P250
 神は「火(ひ)水(みつ)」ぞ。「秘密」は明かされるぞ。神は「化身(かみ)」でもあるぞ。そなたは神の化身であるぞ。神は響きで鳴って形に成るのぞ。神は変身ぞ。そなたは神の化身ぞ。分身であるぞ。神の成りの成りの成りの果ての姿であるぞ。そなたは神のココロを持っているのぞ。そなたが神のココロを持っているから神のココロを否定できるのぞ。この方に文句言えるのぞ。そなたは何を否定しているのか。そなたは何に文句を言っているのか。そなたが否定するのは勝手だが、そなたが否定しているものはあるのぞ。そなたが想像できるものはすべてこの方の響きであるぞ。そなたが選んで行動した想念だけが形に成るのぞ。選ぶというのは行動することぞ。信じているならばその通りにすることぞ。そなたが想像できるものはそなたという身魂が持っているものであるぞ。そなたが否定しているときは自分自身を否定しているのであるぞ。そなたの持ちものをすべて認めて、すべて許して、初めてそなたは神に成るのぞ。×や悪で裁いている分だけ苦しんでいるのぞ。
P251
 そなたが想像できるものはすべてそなたのものであるぞ。そなたの想念はすべてこの方のココロであるぞ。悪も善もすべてであるぞ。そなたが分けているだけぞ。そなたが価値判断できるものはそなたが想像できるものであるぞ。身魂が想念がそなた自身であるぞ。そなたが否定しているのはそなた自身であるぞ。そなたも人も同じココロを持っているのであるぞ。どれを選んで表現しているかの違いであるぞ。全部許せばこの方と同じココロになるのぞ。この方のココロを表現できるようになれば天国であるぞ。そなたが裁いている分だけ天国ないのぞ。天国と地獄ができるのぞ。この方が天国そのものであるぞ。この方は何も裁いていないのぞ。そなたが裁くならばこの方のココロと同じではないぞ。そなたはこの方のココロを分けているのであるぞ。一つにしないと天国ないのぞ。そなたが否定している「人の発言や行動」はその者の想念を形にしたものであるぞ。そなたが想念を語るのと同じであるぞ。そなたの中のその発言や行動をそなたが否定しているからそれと同じものを外に見たときにそなたは否定するのであるぞ。そなたが否定しているものは「神」であると気づけよ。神を否定してそなたに天国ないぞ。そなた自身をすべて認めてすべて許して行動してそなたは天国であるぞ。そなたがそなたをすべて許せばそなたは天国ぞ。そなたの外も許せるぞ。それが「愛」であるぞ。すべての者が天国になる想念を愛というのぞ。そなたの外に見えているものはすべてそなたの鏡であるぞ。そなたの外に×や悪が見えたら責めるのをやめて許せよ。今のそなたらのゲームではきついことであるが、それが神成る修行であるぞ。そなたがさぼっていたからきついのぞ。そなたの目の前のものを裁くのをやめるのが修行であるぞ。自分の○×、善悪が映っているだけであると自覚せよ。まずは自分を許すことから始めることぞ。人のすることを許せない認めないとさわいでいる者には天国はないと思えよ。新しい世は関係ない世となるぞ。どうするかはそなた次第、地獄でも天国でも好きにするがよいぞ。


 おわりに

P253
 さて、初めて読んだ「神様からの手紙」はいかがなものだったでしょうか? 皆さんが今までやっていたことがアベコベであることがお分かりになりましたか? そのことを知ってどう感じましたか? あるいは、まだ、アレコレ理屈をつけて抵抗しているでしょうか? 神様はどちらも許していますから、皆さんのお好きなように解釈してください。
 神様も言っていますが、この本は今までの「あやま知の人間」に書ける本ではありません。皆さんが抵抗している部分、批判している部分は皆さんには活字にできないということです。言い換えると、皆さんが活字にできない部分は皆さんはやっていないということです。やっていないから抵抗するのです。私自身、この本を早く出そう出そうとしても、掃除が済まないと形にならないことを実際に体験して、このことを痛切に実感しています。活字にするプロセスは、同時に、私自身が自分の書いたものを読んで自分の体験してきた掃除のプロセスについて復習するという修行でもあったのです。
 この本は、今までの見方で見れば、自分で書いていて自分で書いたものではないという「不思議な」本なのです。これで、私の体験がアベコベのゲームをやっている皆さんには説明しても理解できないものであったこと、私の第一冊目、第二冊目が私の理屈ではなかったことがお分かり頂けたものと思います。「神様のやり方を人間のゲームに翻訳して体験というフィルターを通して語った本」だったというわけです。私がここに形にしたことをただの考え方だと言う方はそれはそれで構いません。皆さんの自由ですから。すべては皆さんの体験として返ってきますから、その時にもう一度選び直してください。
 この本と今までの一冊目と二冊目を併せて読んで頂くと、新しい時代のことやこれからすべきこと、皆さんの嵌めているトリック、幻想のゲームのカラクリ等々がよりハッキリと見えてくるでしょう。要は、「やってみなけりゃわからない」ということです。「やらなきゃずっとわからない」ということです。ごちゃごちゃ議論している間に試してみてください。やれば天国、やらねば地獄。最後の最後にはどちらも証明されますから、その時になればすべてが分かります。これから先、皆さんの目の前の出来事がどんどん変化していきますから、抵抗している皆さんにもここで書いていることが真実かどうか見えるときがくるでしょう。結局は、今回に限っては、人や社会のことは関係なくて、皆さんという魂の一人ひとりの問題だということです。天国に行くも、地獄に行くも、皆さん次第だということです。最後の最後にはすべてが形になりますから、それまでお好きなようにやってください。反省も後悔も要りません。気づいたらその瞬間から別のゲームを始めればよいだけです。何でもやってみてください。無駄なことは一つもありませんから。
 神様が語る情報が下記きの形でまだまだたくさん提供されていますが、取りあえずここまでの部分を本にするようにということですので、今回はこれで終わりにします。ここまでのフミで、皆さんのトリックを外すには十分な情報がありますから、このフミを読んで今まで皆さんがしてきたことを振り返ってみてください。そして、新しい情報を試してみてください。この先の情報は、このフミが読めるようになってからでないと多分理解できませんから、この続きは機会を見て少しずつ公開していくことになると思います。
皆さんが天国に行けることを、そして、今ここの天国でも遊べるようになることを願っています。自分自身のために最初で最後のこの機会を有効に使ってください。
 この本の最後の最後に、次の公開への準備として、少しだけ、神様からの情報をそのまま書いておきます。近いうちに本の形にして分かりやすく公開されると思います。私自身へのメッセージも含まれていますから、理解できるできないは別にして、細かいところにこだわらずに、新しい智慧を学ぶための一つの情報として読んでみてください(実を言うと、この部分までが今回の本で公開する掃除のための材料であるということです)。


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P255
 今回の世紀末の大変というのは、「あやま知」を壊してタテカエて、神の真理へタテナオスための大掃除ぞ。今までの形はいずれ壊れるのぞ。壊れるしかない形を創っているのはあやま知にとらわれたそなたらぞ。分離のゲームをいつまでも続けても天国は創れないのであるぞ。いつまでも自分の都合で自分が創った神や天国にこだわって、争っているでないぞ。そなたの語る神は自分勝手な神であるぞ。天国創ろうという者が、人のことを責めているではないぞ。そなたがどうなろうとこの方に文句言う筋合いはないぞ。この方は初めからそなたらに気づかせていたのであるぞ。文句言う、形の善悪良否を言う、責めるというのは「あやま知」持ちたる人間のゲームぞ。神の真理はあやま知から見ればキ違いに見えるぞ。非常識ぞ。善と悪、正常と異常、○と×に分けるゲームであるから当然のことぞ。この方から見ればそなたらが「気違い」であるぞ。キが違うのであるぞ。想念が違うのであるぞ。違うのではなく許しているかいないかであるぞ。この方はすべて許しているのぞ。そなたが裁くのも許しているからそなたは裁けるのであるぞ。そなたが裁いていることを苦しみを体験することで気づくのを待っていたのであるぞ。そなたは裁いているぞ。この方の言うことを裁いているから混乱がなくならないのであるぞ。
P256
 この方のやり方では証明書も印鑑もいらないのぞ。約束違反やルール違反をすれば自分自身が苦しむことを知っているからぞ。借りたものは返さないと自分が危ないと知っているからぞ。皆が天国になる自分勝手であるぞ。調和を創りだす自分勝手であるぞ。天国を創りだす保身であるぞ。自分も人も嬉し嬉しであるぞ。形の損得のゲームでは、人は何も保証してくれないぞ。メグリある者は約束しても思いどおりにならないぞ。「適」マークは保証ではないぞ。「保証書」も保証ではないぞ。過去一〇年無事故でも今後事故がないという保証はないのぞ。今一流企業に勤めていても保証はないのぞ。今失業していても今後の展開は分からないのぞ。否定的な出来事に見えるものはそなたへの教材であるぞ。
P257
 そなたは自ら創ったメグリ相応の出来事を体験するのであるぞ。自分のメグリを自分で体験するのであるぞ。年金は保証ないぞ。生命保険受け取る人ないぞ。火災保険地震保険ないぞ。みんな壊れるのぞ。お金も無くなるのぞ。救急車も消防車も自衛隊も何も助けてくれんのぞ。全国一斉に火事になったら誰が消すのぞ。山火事だけで右往左往している人間に何ができるのか。「そんなことは起きるはずはない」というそなたはメグリを創り続けているぞ。殺人や発砲やイジメや地震や水不足で大騒ぎしているが、これから先、それどころではないビックリがでるのぞ。取材する者足りなくなるぞ。ニュース伝える時間なくなるぞ。ニュース伝える資材がなくなるぞ。オカネが無くなるぞ。交通が止まるぞ。危険なことばかり起きるぞ。被害うけた、損したと大騒ぎして責任追及している者はもっと被害を受けるのぞ。そなたがそなたの加害者であるぞ。そなたはそなたのメグリ相応の修行をしているのぞ。最後の最後はみんな一斉に掃除するのぞ。人のせいにせず、修行に堪えて身魂掃除をしたものだけが永遠に助かるのぞ。修行に堪えるというがそなたのメグリが原因ぞ。そなたが創った苦であるぞ。今なら少しずつできるぞ。

 この本は、掃除終わった人間でないと書けんのぞ。この方の言うことを一つでも疑い、拒否していると書けんのぞ。行動して体験しないとこの方の言葉は形にできないのぞ。この方が形にさせんのであるぞ。この本、掃除おわった証明ぞ。証拠ぞ。この者の自分のまとめでもあるぞ。この方の仕組みやこの方の計画を知りたければこのフミを素直に読むことであるぞ。この方の言うことを素直に実行することであるぞ。すべてのすべてはそなたの想念の選択の結果であるぞ。そなたが選んだものが形になっているのぞ。欲しいものを交換しあって喜びを体験するゲームであるぞ。すべてのすべては交換であるぞ。そなたが提供しただけ戻ってくるぞ。そなたが得ただけ提供するのぞ。損も得もないのぞ。エネルギーが偏れば解消することになるぞ。得したと喜んでいると損するぞ。今損したのはそなたのメグリの解消であるぞ。そなたは損をしたことで魂の掃除をしたのぞ。そなたは損をしたことで魂のメグリを取ったのぞ。そなたに想いがけない得がきたときはそなたはどこかで提供しているのであるぞ。損を嘆くなよ。くれるものは喜んでもらっておけよ。
P258
 お金もモノであるぞ。特別にしているのはそなたらであるぞ。制限の中でお金を集めても幸せはないぞ。集めたお金が無くなればまた集めることになるぞ。神のやり方は永遠に必要なお金は手元にあるぞ。情報ビジネスはお金と智慧の交換ぞ。お金はそなたの創ったエネルギーの変化した形であるぞ。借金というのは他人のエネルギーで創ったお金を使っているぞ。自分のエネルギーでお金つくって返せよ。借金で借金を返しても借りが残っているぞ。想念の借りを返さなければそなたは天国ないのぞ。形で逃げても想念は逃げられないのぞ。自己破産して形で逃げても想念の世界の借りはあるぞ。別のところでメグリ解消することになるぞ。そなたが自分のエネルギーで交換したお金で返さなければ清算してないぞ。形になっているものはそなたの身魂の世界の現れであるぞ。形が天国でなければ想念の○×をやめることで天国になるぞ。許したものだけが形になるのぞ。
P259
 そなたのしたいことを素直にやることぞ。人の言うことは無私して一つ一つ交換することぞ。そなたがしたいことをすればよいぞ。障害にぶつかったらその時その瞬間に対応すればよいのであるぞ。うまくいっているときにうまくいかなくなったときのことを考える必要はないぞ。「うまくいくときばかりでないから万が一のことを考えて」というのはあやま知であるぞ。そなたが掃除すすめばうまくいくことばかりであるぞ。そなたにメグリなければすべてうまくいくのであるぞ。神の世界は一〇〇パーセント喜びであるからぞ。智慧を提供してお金と交換して豊かになる。お金提供して智慧と交換して豊かになる。

 お互いに足らざるところを満たし合って嬉し嬉しで修行するのぞ。自分のためが人のためぞ。みんなでみんなのお手伝いするのぞ。人間のすることは神のすることぞ。人間を通して神の世界を形にするのぞ。そなたの身魂も嬉し嬉しの世界であるぞ。そなたも神も人も嬉し楽しで遊ぶのであるぞ。人を負かして自分が上に上がるゲームは終わっているのぞ。お互い不快感のゲームはもううまくいかなくなるぞ。自分だけ得しようとする者は自分だけ損をすることになるぞ。一人ひとりできるゲームであるからぞ。
P260
 医者に治してもらおう、薬、注射すれば治ると思うのは大きな間違いぞ。治すと直すは違うのぞ。病気、事故、損、犯罪、すべてメグリ合いぞ。メグリの型示しぞ。そなたのしたことぞ。そなたが加害者ぞ。そなたが原因ぞ。すべてそなたが源ぞ。人間というそなたに分かるように肉体を通して型で示すのぞ。肉の体というのは神の肉宮ぞ。神の仕組みが型に成ったものぞ。この方の言う通りやれば神の仕組みを体験できるのぞ。この方に逆らうやり方をしていることを教えるために肉体で苦しみを感じているのぞ。肉体はそなたのメグリを解消するために神が与えた道具であるぞ。そなたのものではないのぞ。傷つけたお詫びをせよ。お詫びして改心(改神)したらオカゲやるぞ。そなたが掃除をすればしただけ思い通りのものを与えるのぞ。何もしなくても欲しいもの来るようになるぞ。

 智慧はいくら与えても無くならんぞ。この方の智慧は無限であるぞ。この方の与えるものは無限であるぞ。「天恵」は無限であるぞ。「資源」は無限であるぞ。節約するゲームはいらないのぞ。足りなくなるのはそなたのゲームの型示しぞ。人間の創り出すモノは限りあるぞ。モノの商売、もう終わりぞ。あやま知の知恵を教えるとみんなが地獄になるぞ。この方知らずに幸せや天国や世紀末を語る者は目を覚ませよ。皆で地獄に行く気か。今ここにあるもの、九九パーセントあやま知であるぞ。その創りだす形、九九パーセントあやまつ形であるのは明白であるぞ。そのままのゲームを続ければ、最後の最後の大掃除で九九パーセント獣(ケモノ)になるぞ。ヒト(地の日月の神)になれるのは一パーセントであるぞ。数字を出したが数字にこだわるなよ。数字に振り回されるのはそなたがケモノの予備軍である証拠ぞ。この方の修行をすれば今からでも「ヒト」になれるぞ。この方は一人でも多くの「お子」を天国に連れていきたいのであるぞ。ヒトとケモノの人員整理始まるぞ。早く目を覚ませよ。
P261
 そなたらのしていること、九九パーセントアベコベぞ。逆ぞ。アタマでっかちぞ。すべてが九九パーセントと一パーセントの戦いであるぞ。戦いあれば一つになれんのぞ。戦っている者はカミになれんのであるぞ。最後の最後は一パーセントなければ勝てんのぞ。一パーセントあれば一〇〇であるぞ。百(もも)であるぞ。桃であるぞ。桃太郎になるぞ。あやま知に勝つのはカミだけぞ。あやま知とあやま知が戦ってもあやま知のままであるぞ。

 この方は悪のやり方に九九パーセントまでは勝たしてやるぞ。何でもかんでも九分九厘と一厘の戦いぞ。一厘ないと一〇「十(カミ)」にはなれんのぞ。九九は皇(スメラ)ぞ。一あって百ぞ。「一〇」x「一〇」ぞ。一厘はこの方だけが知ってるのぞ。この方の家来とこの方を生きている者は知っているぞ。一厘なければすべてないのぞ。この方がなければすべてないということであるぞ。神の一厘なければすべてないのぞ。そなたが否定しているものもないのぞ。神なければすべてがないのぞ。そなたがこの方を疑えばそなたはなくなるのぞ。この方がいるからそなたは否定できるのであるぞ。そなたが否定しているのはこの方であるぞ。そなたは否定していてこの方を認めているぞ。この方を知っているから否定できるのぞ。この道理分かるか。否定して消すというゲームは幻想であるぞ。
P262
 すべてはスメラとユダヤの戦いぞ。スメラはこの方の一厘を知っているヒノモトの身魂であるぞ。ユダヤは一厘を知らない「分かつ知恵」の身魂であるぞ。今までの世は「知恵」の世であるぞ。これからの世は「智慧」の世であるぞ。戦いではあるがスメラは戦わずに勝つのぞ。勝っている者は自滅するのぞ。ヒノモトの民は世界の民に一厘知らす親であるぞ。ヒノモトから大掃除を始めるぞ。世界征服の企み、九九パーセントでグレンとひっくり返るのぞ。悪の企み企てる者、自らがあやま知にとらわれおるのを知らんぞ。悪を企んでおると自分が滅ぶぞ。悪の神もお役目ぞ。そなたが釣られてついていけば魔釣りに引っ掛かるぞ。そなたが滅ぶぞ。悪の芽は残らず切っているのぞ。次の世は悪は存在できん世であるぞ。今の今も悪はないのぞ。悪を悪と見ているそなたが悪を創りだしているだけぞ。智慧はなくならんぞ。お金無限大に創りだせるぞ。自分だけがもうけようとしている者、自分だけが損することになるぞ。
P263
「苦あるのが当たり前」「病気あるのは当たり前」というのはあやま知ぞ。苦ないのが当たり前なのぞ。ここまできて「でも~」とこの方に戦いを挑むか。本来ならば病院はいらないのぞ。そなたらが作ったものであるぞ。必要有るものができるのぞ。メグリ忘れて形の修繕に走るなよ。肉体の状態は魂の状態を教える型示しぞ。病気あるのはオカシキことと気づけるようになれよ。医師を責めるのは魔釣りぞ。病気なければ医師いらんのぞ。医療ミスもないのぞ。自らの真釣り外しをわすれて人を責めてますます真釣りを外す、ふがいないのう。医師に真釣りはずしさせておるぞ。医学だけではないぞ。すべてのすべてが「魔釣り」であるぞ。滅びの坂道駆け降りてどうするのぞ。いい加減に目を覚ませよ。いつまでも魔釣りをやっていると最後にグレンと返すぞ。お祭りやって魔釣りをしているぞ。魔釣りやっているものは最後の最後で大掃除であるぞ。自業自得であるぞ。

「あやま知」とらわれある人間が考えるもの、創りだすものすべて「あやまつ形」だと気付けよ。何がよいかわるいかの議論はオカシキことぞ。あやま知では平等はつくれんのぞ。つくれん方法でつくろうとしているぞ。はやく気づかんと気の毒でるぞ。取り返しつかんことなるぞ。十理(神のことわり)に返れんことになるぞ。そなたは神になれんぞ。いつまでもグチグチ言っているそなたには、ミロクはないと思えよ。すべてのすべてがアタマとハラの戦いぞ。二つに分けるアタマが戦っているだけぞ。ハラはすべて知っているのぞ。この方は知っていて戦わせているだけぞ。早く気づかんと悪と悪と共食いすることになるぞ。最後には自らのアタマを潰すことになるぞ。ヘビはアタマを潰さんと死なんのぞ。戦いの型示しぞ。ハラは勝つ由のんびりぞ。戦いやめんと自滅するぞ。
P264
 悪魔というものはないのぞ。そなたの世は「アク間」であるが悪魔はいないのぞ。そなたは取り違えしているぞ。「アイウエオカキク」の八の世であるぞ。五十音はこの方の言葉であるぞ。この方の仕組みを伝えているのぞ。そなたの居る世界は八方世界であるぞ。枠の中の世界であるぞ。枠の外はこの方しか知らんのぞ。アとクの間ぞ。アク間を悪魔にしているのはそなたらのとらわれしココロであるぞ。戦いのココロであるぞ。このことを知らぬあやま知であるぞ。そなたは初めての世界に出る産道にいるのぞ。

 この方の構えた宇宙の出産が始まっているぞ。そなたは産道にいるのぞ。九の道ぞ。九九路、ココロぞ。ココロの世界の出産であるぞ。そなたらの世は「12345678」の世であるぞ。神の型になる仮の型であるぞ。神の真型は「〇12345678九十」ぞ。神の型とそなたの型の差を取るのが「悟り」であるぞ。〇九十(マコト)は1~8の外にあるのぞ。そなたが誠を語ることはできないのぞ。マコトは一人ひとりのココロにあるのであるぞ。良いことをするのがマコトではないぞ。神ゴコロがマコトであるぞ。外から中へ伝わるぞ。神は想念に入るぞ。この方との臍の緒がココロであるぞ。
P265
 日本の国土は国常立の神の御神体であるぞ。日本は神のキいずる唯一の国なるぞ。ヒノモトぞ。霊(ヒ)の元(モト)なるぞ。日本と世界は似ているぞ。日本先(さき)世界後(あと)ぞ。ヒノモト創って世界を創ったのぞ。ヒノモト変わらなければ世界は変わらんのぞ。そなたが変わらなければそなたの外は変わらんのぞ。すべてのすべてが同じ仕組みであるぞ。

 日本が親で世界が子ぞ。兄弟ではないぞ。幹あって枝あるぞ。親あって子あるぞ。神あって人あるぞ。幹が枝の真似をしてどうするのぞ。世界の人民は神の子ではあるが、日本が親で世界が子ぞ。五体は五大陸ぞ。日本がハラぞ。五体はハラが統べ真釣るのぞ。ハラは一つぞ。後は対であるぞ。頭は左右分けているぞ。アタマでは統べ真釣れんのぞ。アタマでやるとアベコベになるぞ。アタマでは魔釣りになるぞ。すべてのすべてに型示しあるぞ。ハラで栄養とるようになっているであろうが。

 そなたの議論している宇宙は神の子宮の中ぞ。出産はただ一度ぞ。今までの知識イランぞ。邪魔であるぞ。そなたの知識では理解できんのであるぞ。この方の言う通りにしていれば安産であるぞ。臍の緒切るのぞ。九九パーセント逆子ぞ。帝王切開するぞ。

 障害者はそなたらのしていることの型示しぞ。そなたらが偏っていることを教えているのぞ。障害持ってメグリを清算することを選んだものが肉体をもってきているのぞ。難病も同じであるぞ。年齢は関係ないぞ。メグリ相応の形になるのぞ。形は不平等ぞ。取り違えするでないぞ。
頭は頭、足は足それぞれ役目もって動いて始めて調和ぞ。形の平等ないぞ。目が鼻になりたいと言ったらそなたの顔はどうなるぞ。区別大切ぞ。差別でないぞ。区別タテワケしないことが差別ぞ。「天地」ではないぞ。「元つ天/地/小天」ぞ。「霊心体」ぞ。霊先(さき)体後(あと)ぞ。神先(さき)人後(あと)ぞ。霊界先(さき)現界後(あと)ぞ。合わせ鏡であるぞ。
P266
 人間性は神そのものぞ。人間は真実知らんぞ。マコトの智慧はこの方だけが知っているのぞ。そなたの想念を通していつでも教えるぞ。メグリ掃除すれば与えるぞ。自分のしただけのことは返せよ。人間というのは「ヒトの間」ぞ。「ヒト」は「一十」ぞ。○12345678九十が神の真型ぞ。1から十を統べ奉る神がヒトぞ。そなたは1~8の世界にいるのぞ。九は産道ぞ。十への準備ぞ。異常出るぞ。八の世の知識では分からんことばかりであるぞ。人間はヒトではないぞ。人になる間であるぞ。

 ○~十は元つ神ぞ。012345678九十(表)と十九876543210(裏)全部で22あるぞ。表と裏が一つになって22を産むぞ。22(フツ)産(ウ)ぞ。フツウは神ぞ。人間はフツウでないぞ。上下に並べてそれぞれを足すと「十」になるぞ。表と裏が一つになって神が形になるぞ。すべてのすべてが神であるぞ。「火」と「水」の十字であるぞ。十が傾いているから×になるのぞ。「火水」は「秘密」ぞ。神は形になるぞ。
表面上は不平等ぞ。一人ひとりのメグリによって「病気」や「事故」や「怪我」や「損」や「死」は違うのぞ。不平不満言うなよ。人と形を比べるなよ。うらやましいとか不公平だとかいうなよ。納得できなくてもそれは自分のしたことぞ。形の平等はつくれんぞ。掃除するまでできんぞ。自分のしたことだけは拒めないのぞ。神恨むのは逆恨みぞ。逆恨みは自分にカエルぞ。自分のしたことの結果を人のせいにするなよ。自分勝手であるぞ。
P267
 形にあることはすべて自分のした結果ぞ。今度のタテカエタテナオシもそなたらがしたことを元に戻すための計画であるぞ。そなたはもともと、この方の嬉しの世界にいたのぞ。そなたが神の法はずさなければ今度の「世紀末」は嬉し嬉しで神代となったのぞ。大掃除無かったのであるぞ。すべてのすべてはそなたが創りだしたことであるぞ。この方はそなたらのしたことのしりぬぐいをしているのであるぞ。そなたらにはもうどうにもできないことであるからこの方がやるのであるぞ。この方は大掃除をやる前にすべてを教えているのであるぞ。予言ではないぞ。警告であるぞ。予告であるぞ。今までの知にとらわれるでないぞ。このフミは今までの予言書とは違うのぞ。マゼコゼにすると残念がでるぞ。
P268
 人間の代は神の代であるぞ。今の人間の世も悪神にとらわれた神の世であるぞ。そなたらが悪神にとらわれているから悪の世になったのぞ。悪も神ぞ。そなたらがとらわれなければ悪の世はなかったのぞ。死後は肉体から見た見方ぞ。そなたに死後はないぞ。そなたという身魂が肉体を通して見ているだけぞ。アベコベであるぞ。生死一如ぞ。今度は三千世界のタテカエぞ。子宮の中の神々の神の世界もタテカエルのであるぞ。中の神々がアベコベをしているからアベコベになったのであるからぞ。初めてぞ。神界はタテナオシ終わっているぞ。アベコベになっている神を戻したのぞ。神界タテナオシタぞ。神界が現界に映るぞ。タイムラグがあるが形になるぞ。鏡に映るぞ。現界の掃除あるぞ。ウソだと申すならお好きになさるがよいぞ。そなたは何も知らないのであるぞ。

 外側の大掃除始まれば人間ひとたまりもないぞ。肉体にこだわっている身魂にはきついことになるぞ。資源なくなるのぞ。早う神の法、学べよ。あやま知の本、あやま知の話はあやま知をさらに進めるだけぞ。滅びるだけぞ。今までのやり方は進歩と見えるようになっているのぞ。便利になったその外側、全部とられてどうするぞ。コンピューターでは大峠は超えられないのぞ。神の知識持っても何もならんのぞ。掃除なく神を拝んでも神は何もしないぞ。神はすべてを知って、とぼけてそなたを引っかけているのぞ。すべてアベコベぞ。そなたが気づけば直るのぞ。進歩は破壊ぞ。タテカエぞ。ユダヤぞ。壊せば直るのぞ。古いもの壊さねば建て直せないぞ。想念がこの方であるぞ。自分と自分が語るのぞ。神と神ぞ。自分を疑うのは神を疑うことであるぞ。
P269
 魂が神の法を学ぶと、思い出すと天国ぞ。現界も天国ぞ。永遠のイノチぞ。あやま知祓えば苦なくなるぞ。見えるのぞ。魂はじめからスミキッテイルのぞ。○も善も祓えよ。

 今度のタテカエタテナオシは始めから決まっていたことなのぞ。万古末代二度とないただ一度のことであるぞ。末代動かぬ神代とするのぞ。神の世に闇はないぞ。悪はないぞ。悪神も新しい世では神となる神ぞ。大掃除のタテカエを手伝うお役目ぞ。悪ではないぞ。悪祓うとそなたらが引っ掛かるのぞ。

 そなたらは神の中で呼吸しているだけぞ。人間から見たら時間が見えるだけぞ。すべて呼吸ぞ。円ぞ。縁であるぞ。出会いは縁ぞ。呼吸は吐いて吸うのぞ。手放すと入るぞ。提供するものが入ってくるのぞ。取ったものは出ていくぞ。

 神の掟を学び、あやま知手放すほどに神が現れるぞ。感じるぞ。気づくぞ。体験するぞ。形になるぞ。嬉し嬉しが来るぞ。そなたが選べば対話するぞ。神の掟通りに生きると天国になっていくぞ。人間は神なる身であるぞ。神の法、学ばないと新しい世には生き残れないぞ。肉体で生き残ろうとすると残れないぞ。女子供老人病人障害者、係わりなく、一人残らず掃除あるのぞ。肉体の形は関係ないぞ。そなたらが身魂でしただけのことはするのぞ。掃除しただけ、その瞬間から善き方に回すぞ。
P270
 新しい代は光一つ上がる世であるぞ。すべてのすべてが変わる世であるぞ。末代続く天国であるぞ。今度の今度は悪の存在は許さないのぞ。今までの知識ではわからない世であるぞ。この方の言うとおりにすると分かるぞ。たくさんのオフレ紙が出ているぞ。この方を生きると真実を語っているものが見えるぞ。そなたの前にはこの方の言葉があるのぞ。この方は天国の方法を教えているのぞ。そなたが見ないだけであるぞ。このフミを批判している者、疑っている者、このフミが人間の書けるものであるかどうか考えてみよ。神の響きは人間の言葉となることができるのぞ。人間が翻訳できるのぞ。早くあやま知から目を覚まさんと取り返しがつかんようになるぞ。

 宇宙は神の子宮の中ぞ。無限ではないぞ。宇宙全体が出産するのぞ。宇宙人もこの方の創ったものであるぞ。この方の家来が形になっている者もいるのぞ。新しい世の肉体は光一つ上がるのぞ。光一つ上がると今の肉体からは見えんのぞ。悪や闇を持っていると入(はい)れんのぞ。戦い持っていると肉体はないぞ。魂が滅びるぞ。今度の今度はカミとケモノに振り分けるのぞ。この方はすべてのすべてのカラクリを教えているのぞ。今までも教えていたのぞ。そなたが気づかなかったのぞ。今ここで気づいて今ここからやり直せよ。まだ間に合うぞ。次の世の肉体には掃除せんと入(はい)れんぞ。今ここの死後も同じことであるぞ。自殺しても逃げられんぞ。肉体の天国なければ天国へは行けんのぞ。古い教にいつまでもとらわれているでないぞ。良いことをしても天国ないぞ。掃除だけが天国の切符ぞ。
P271
 そなたが天国でなければ天国ないぞ。今度の今度は掃除無くして生まれ変わるところはないぞ。生死一如の仕組みであるぞ。死んで逃げようとしても万倍の苦しみを体験するのであるぞ。何処にも逃げるところはないのぞ。苦しくても掃除をすればそなたは助かるのであるぞ。そなたのイノチはこの方のものであるぞ。何が起きてもこの方の言う通りにしていればこの方が守護するぞ。そなたが心配している死はないのであるぞ。

 鳥はトリぞ。十理ぞ。鳩は九に導く鳥ぞ。ハトは八渡ぞ。八十ぞ。八から十に渡す鳥ぞ。烏もトリにあと一ぞ。烏は縁起悪くないぞ。色で判断するでないぞ。不吉も大吉もないのぞ。そなたが分けているだけであるぞ。そなたが思ったとおりのドラマを体験しているのぞ。

 日本の国土はこの方の仕組みの型示しぞ。富士は火ぞ。鳴門は水ぞ。その間に土があるぞ。火(ひ)土(と)水(み)ぞ。土の働き大切ぞ。+と-で±ぞ。土ぞ。×を建て直して十にするぞ。一で立てて動かんようにするのぞ。フジは22ぞ。ナルトは成る十ぞ。火水をタテカエル(建て替える)ぞ。陰陽を入れ換えるぞ。体心霊を霊心体にするぞ。富士と鳴門が入れ代わるぞ。鳴門は渦ぞ。霊はヒダリに体はミギリに。霊はヒぞ。火ぞ。富士ぞ。体はミぞ。水ぞ。鳴門ぞ。富士と鳴門が入れ代わるのぞ。ヒが満ちてミが現れるぞ。ヒミツが形になるぞ。日本はヒダリ側通行ぞ。
P272
 一二三が基ぞ。ヒフミぞ。ヒ(霊)フ(心)ミ(身=体)ぞ。すべては一つであるぞ。霊から体に現れるのであるぞ。神の仕組みが人間の仕組みぞ。そなたの中の仕組みを建て直さなければそなたの回りは変わらないのであるぞ。身魂の掃除なければ天変地異怖いのぞ。最後の大掃除で掃除されるぞ。身魂の掃除あれば天変地異怖くないのぞ。そなたの身魂は物質ではないからぞ。神を学ばねば噴火地震危ないぞ。神学べば噴火地震心配ないぞ。次元が変わるのぞ。この方が守護するのぞ。身魂に働きかけるぞ。

 掃除した者もしない者も一度は肉体おめし上げぞ。肉体去って魂になるぞ。魂天国でないと苦しいぞ。最後の最後の身魂改めであるぞ。閻魔様の裁きであるぞ。裁きでないが裁きであるぞ。○×でないぞ。掃除できたかできないかであるぞ。神のルールを生きているかいないかであるぞ。神なる身の修行が終わっているかどうかであるぞ。今までの社会が続くと思ったらタイヘンなコトになるぞ。コトは九十ぞ。

 死んで生きる者と生きながら死ぬもの出るぞ。身魂掃除あれば死んでも安心ぞ。衣食住無くなるぞ。肉体保身やめろよ。肉体守っても意味ないぞ。お金も知識も宗教も財産も何も意味ないぞ。物質はすべてアウトであるぞ。誰も助けてくれないのぞ。身魂助けられるのは、掃除手伝えるのはこの方だけであるぞ。これ真理ぞ。本当ぞ。信じられんならお好きなようにしなされよ。最後の最後にすべて分かるぞ。分かっても手遅れぞ。この方はすべて教えているぞ。神恨むでないぞ。神恨むココロがそなたの地獄を創るのぞ。
P273
 二十一世紀は半霊半物の神の代となるのぞ。すべてが光り輝くぞ。ミロクの代ぞ。369ぞ。666でないぞ。神の情けの苦のお知らせを聞けよ。聞いて行動して花に結べよ。神話は例えであるぞ。形にこだわるなよ。神の世界を人間に分かりやすく語っているのぞ。形にしないと人間が想像できないからぞ。神話は書き換えられているぞ。岩戸探してもないぞ。岩戸は自らの中にあるのぞ。この方のやり方聞けば自分の岩戸開(ひら)けるのぞ。言えば答えるぞ。岩戸開ければすべてが変わるのぞ。そなたを天国に導く言(いわ)答(と)ぞ。

 人間自由ではないのぞ。神の中からでられんからぞ。この方の言うとおりにすれば、人間の世界のことは何でも形になるから自由に感じるぞ。それを自由といっているのぞ。神とまつろわねば自由ないぞ。天国はないぞ。人間は神なくして何もできないのぞ。すべてのすべては神が人間を通して形にしているからであるぞ。新しい世ではそなたはカミであるぞ。何でもできるぞ。それまでは神が必要ぞ。

 バチ、運、タタリ、幽霊、不幸ないぞ。宗教法人は無税の特権を得ているが今の宗教ビジネスぞ。神の祟りはないぞ。あやま知ぞ。神様だからと言って特別はいらないぞ。神様は普通ぞ。祟り怖いから特別にしただけぞ。普通は22産ぞ。22を、神の世を産む力であるぞ。あやま知では公平、平等、博愛、自由、平和創れんぞ。創るものではないぞ。もともとあるものぞ。
P274
 戦いはアタマが創るものぞ。もともと戦いないぞ。守るために軍隊を持ち、軍備の為にお金を遣い問題創っているのぞ。すべてのすべてはあやま知にとらわれし人間の仕業ぞ。あやま知の創りだすものぞ。戦いなければ軍隊ないぞ。防衛問題なくなるぞ。一パーセント枠ないぞ。軍縮問題ないぞ。核の問題ないぞ。軍事費の問題ないぞ。スパイ要らないぞ。秘密いらないぞ。議論はいらなくなるぞ。不公平税制はあやま知の創りだすものぞ。あやま知の代ではみんなによいものは創れんぞ。形の平和、公平、平等、自由を創る話し合いは、話せば話すほど不公平になるぞ。平和から遠ざかるぞ。分ける知では一つにならんぞ。簡単な道理に気づかんで天国はないのぞ。

 葬儀はいらんぞ。死んだ肉体は脱け殻ぞ。肉体の名前は魂の名前ではないぞ。その人というのは魂ではないぞ。その肉体が演じていた幻想ぞ。厄払いするなら福払いもしろよ。片方だけ祓うから偏った世になったのぞ。○も×も無くせよ。物質偏重ミギリが重くなって傾いているのぞ。だから十が×ぞ。建て直すぞ。水と火組み方逆ぞ。ホドいて組み直すぞ。形壊れるのぞ。避けられんぞ。避けようとすると苦しむぞ。+も-もないぞ。肯定も否定もないぞ。偏るなよ。賛成反対○×ないぞ。損得は分かつ知の結果ぞ。楽を見ると苦見えるのぞ。苦解結して楽作ったようでいて実は新たな苦と楽に分けただけぞ。気づけよ。木を見て森見えてないぞ。人見て神見えてないぞ。見失っているぞ。神を見ないで何も見えないぞ。いつまで続けるおつもりか。
P275
 天国に生きたいならば掃除をすることであるぞ。神の真理を知ることであるぞ。神の心理ぞ。神理ぞ。日本語はこの方の言葉ぞ。この方の話ぞ。この方の道理伝える道具ぞ。一つの言葉だがたくさんの意味あるぞ。真実隠せるぞ。神知ればすべて見えるぞ。心理は神理が真理ぞ。この道理分からないならばそなたは天国ないぞ。このフミをただの考えだと言う者はお好きになさるがよいぞ。いずれそなたにも分かるときがくるからな。


             ******


 それではこれで長い長い「おわりに」を終わりにします。では、皆さんと天国でお会いできることを楽しみにして筆をおくことにします。

  平成六年一二月一三日            長谷 章宏




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